2011年12月9日03時00分
あの日々には、もう二度と戻りたくない。
横浜市のカフェで、マフィンの乗ったトレーを手に働く女性店員(33)は時折、自分の半生を振り返って、そう思う。
子どものころから、人が苦手だった。
短大を卒業した2000年は超のつく就職氷河期。仕方なく大手企業の社員食堂で調理補助のアルバイトを始めた。でも、小柄で痩せていたから重い物が運べない。半年も経たずに辞めた。
次は、経験を積んで正社員の道を、と願いながら、スーパーのレジ打ちや住宅展示場のお茶出しをした。いずれも長く続かず、履歴書にも書けなかった。
次第に、家にいる時間が増えた。家族6人の食事の支度が日課に。貯金はゼロで、たまの外出時は親から1、2万円もらった。
「いつか結婚できる」。専業主婦の母はそう言うが、街でスーツ姿のOLとすれ違うだけで心がへこむ。近所の人と目を合わせることすらできない。
5年ほどで、職探しをやめた。面接で何も答えることがないから。
目覚めれば「今日は何をしよう」と途方に暮れ、眠る前は「今日も何もしなかった」と絶望する。収入も伴侶もないまま老いて、最後は生活保護だろうか。
もう、いいや。何もかもから、目をそらした。
雇用と結婚のはざまに落ち込む女性たちがいま、激増している。この店員が社会に出た頃、企業はいっせいに事務職の女性を派遣労働に切り替えた。不安定な雇用に疲れ果てて実家に戻っても「家事手伝い」として失業とは見なされない。
見えない存在として長い間放置されている女性たち。だが、ニートや引きこもりへの支援策にたどりつく人の7割は男性だ。
神奈川県の女性(42)は3年前、契約社員だった広告会社をいきなり解雇された。生花業でアルバイトを始めた東京都の女性(39)も2カ月足らずでクビ。どちらも「私の不手際」「力不足」と思い込んでいる。
こうした状態から自力で抜け出すのは難しい。
カフェの女性店員が外に出るきっかけになったのはリーマン・ショックだった。
安定した職を得ていたはずの同居の妹たちが次々と働き過ぎで体を壊し、休職や退職に追い込まれた。「もう社会に出なければ」と痛感した矢先、横浜市男女共同参画推進協会が企画した「ガールズ講座」を市の広報で知った。30代までの無職独身女性が対象という。
無料でパソコンやメークなどを2カ月で学んだ。修了して1年経った頃、講座担当者から声がかかった。
「カフェを始めるから、来ない?」
わずかでも収入を得るのは久しぶりだ。基本はセルフサービスだが、子連れの母親らにはトレーを運んであげる。「ありがとう」と笑顔を向けられ、自然に笑みを返す自分に驚いた。
カフェのスタッフは全員が講座修了生だが、6割が非正規就労の経験しかない。バイトのレジ打ちがこなせず意欲を失ったり、通販の荷造り作業さえも不採用だったり。自己評価の低すぎる点が共通している。
カフェの運営責任者は、そんな状況から抜け出した人だ。契約スタッフの丸橋克美さん(42)は離婚経験があり、非正規で二つの仕事を掛け持ちして一人娘を養う。うつで苦しんだ経験を打ち明け、「今はどんなに弱い立場でも諦めないで」と後輩たちを励ます。
カフェで週2、3日働いても、月給は3万円ほど。結婚や出産なんて想像できない。でも、女性店員は最近、思う。私、生きていけるかもしれない。
チーフ職が募集されたとき、自分から手を挙げた。
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人のつながりが変化し、社会から孤立する人々が急増する風景を描く「孤族の国」。第4部「女たち」は5回掲載します。