2012年は国内外ともに政治の問題解決能力が厳しく問われる年になるだろう。
なお予断を許さないユーロ危機で見えてきたのは、マーケットの千変万化の要求に対し、各国間、各国内の利害調整がなかなか追いつかない、という民主政治の苦悶(くもん)であった。一方、民衆蜂起によって独裁政権をドミノ式に倒したアラブの春も、直面しているのはいかに民意を代表できる新しい政体をつくり上げるか、という民主政治の試行錯誤である。本来民主政治の本家として、こういった国際経済、政治の危機管理に中枢的役割を果たすはずの米国も、国内政治に足をすくわれその問題解決能力をフルに発揮できずにいる。
ひるがえって日本はどうか。「3・11」の復旧、復興は第3次補正予算の成立までは進んだが、なおすべての作業は遅れ気味で、脱原発、エネルギー政策についてはその青写真さえ描かれていない。これに加え、税と社会保障の一体改革、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)参加問題といった難題が控えている。
にもかかわらず、これに立ち向かう野田佳彦内閣の現状は、決して万全ではない。それどころか、八ッ場ダム建設決定でマニフェスト総崩れと言われ、党内求心力と支持率の低下に苦しんでいる。国民には政治への幻滅が再び広がり始めている。
しかし、ここで間違ってならないのは、これら国民生活に直結するいずれの課題も地道な政治プロセスを経ることによってしか解決できない、という冷厳な事実である。多数派である政府・与党が解決策を作り、これを野党、国民に丁寧に説明し、国会で法制度を成立させ政策として断行する。民主的手続きを踏まえ一歩一歩ことを進めていくしか道はないのだ。それを担うのが選挙で選ばれた国会議員である。いくら官僚が優秀であろうと、財界人が正論をはこうと、メディアが批判しようと、この部分だけは代替できない。
もちろん、手間も時間もかかる。だが、「政治という仕事は、情熱と判断力の両方を使いながら、堅い板に力をこめて、ゆっくりと穴を開けていくような仕事」(マックス・ウェーバー)なのである。「実際のところ、民主主義は最悪の政治形態と言うことができる。これまでに試みられてきた民主主義以外のあらゆる政治形態を除けば、だが」(ウィンストン・チャーチル)
2人の先達の至言をこの正月、改めてかみしめたい。人類が多大な犠牲を払って勝ちとった民主主義という政治システムの価値を再確認し、政治という仕事の困難さを思い、真に問題解決を図れる政治を作るためにはどうしたらいいのか、国民全体で考える時期が来たのではないか。
例えば、今年の通常国会最大の懸案である一体改革だ。消費税率を引き上げ、超高齢化社会でも持続可能な財政・社会保障制度を構築する、この改革の必要性については、私たちもこの欄で何度も訴えてきた。
民主政治の最大の武器は、説明と説得である。演説も会見も得意なはずの首相である。改革の必要性を情理を尽くして繰り返し訴えることだ。留意すべきは、改革の中身が国民に新たな負担を求めるものであることを明確にすることだ。過去の負債の清算という本質を隠さず伝え、同時に社会保障の中長期の青写真を可能な限り描くことである。
その際マニフェスト問題を二つの面で整理してほしい。民主党政権としてこの間取り組んだ政治課題を総覧し何が達成され何が未達成なのか、政権交代にどういう意義があったのか、またなかったのか。冷静で客観的な自己評価を加え国民に示すべきだ。一方で、一体改革やTPPといったマニフェストにはなかった課題をどう位置付けるのか、これまた懇切丁寧な説明を要する。
野党に望むのは、審議拒否でも批判のための批判でもない。包括的な代替案の提示である。そこで初めて妥協という、政治が前に一歩進むための土俵ができる。消費税率上げについては、与党・民主と野党第1党・自民が全く同じ主張をしているのになぜそれが実現しないのか。メンツや政略を超えた大局的判断ができないものか、今一度考えてほしい。
民主政治の問題解決能力を高めるためにどうするか。この5年間その妨げになってきた、ねじれ問題について与野党が知恵を出して解決すべき時だ。改憲までしなくても両院協議会の構成変更や運用でいくらでも改善の余地がある、と考える。
さて、政治家が説明、説得、妥協の術を使い果たし、それでも問題解決ができない場合は、いよいよ我々国民の出番である。他に選択肢のない民主政治の中で、どの党とどの政治家が優れた判断力と強い情熱を持って彼らにしかできない仕事をしてきたか、また、する意思と能力があるのか。国民にしかできない有権者としての判断を下し、問題解決を後押ししようではないか。
世界で民主政治がさまざまな挑戦を受けている時に、日本から一つの誇るべき政治的プロセスと結果を発信できないか。ピンチをチャンスにつなげるのもまた政治である。
毎日新聞 2012年1月1日 2時30分