Astandなら過去の朝日新聞天声人語が最大3か月分ご覧になれます。(詳しくはこちら)
一つの虚構を守るために十のうそを創り、それを支えるのに百のうそが要る。金正日(キム・ジョンイル)総書記を亡くした北朝鮮で続く「神秘現象」だ。聖地白頭山では湖の氷が音をたてて割れ、平壌(ピョンヤン)のハトは弔問所に入ろうと窓をつつく。青い稲妻も伝えられた▼どれも「金王朝」と跡継ぎに箔(はく)をつけるためらしい。髪形や体形を祖父に似せた金正恩(キム・ジョンウン)氏はもう最高指導者と呼ばれ、「21世紀の太陽」「愛の化身」と称(たた)えられる。若い偶像には、国営メディア総がかりで権威を重ね着させねばならない。それも大急ぎで▼雪中の葬列で、正恩氏は父の棺(ひつぎ)の右側を歩いた。防寒着が包む肥満体はひと回り大きく見えたが、なにぶん実績がない。この人を神聖化するしかない危うさ、半端でない▼世襲も3代となると、国の存在自体がフィクションじみてくる。はた迷惑にも小道具の核兵器は本物、舞台裏は餓死者の山だ。抗日闘争というリアリティーに依拠した国父金日成(キム・イルソン)は、明けて生誕100年。泣き女に泣き男、動員されるエキストラ衆の消耗を思う▼何を祝うのか、4月4日が祝日にされた。腹ぺこで「ごっこ」に付き合う民も辛(つら)いが、誰より拉致被害者が気がかりだ。権力の移行期を、なんとか「救出の小窓」にしたい▼かの国の案内書によれば、平壌は「アジアにおける人類発祥地の一つ」で、一帯には「アジア最初の国家」ができた。5千年の後、その由緒正しき地は恐怖政治の舞台と化した。聞きたいのは、凍土に築いた虚構が解ける音である。