連想ゲーム

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人気のきっかけは「おなら!?」 22年間続いた長寿人気番組


番組ノート

2008年1月29日(火)

 「連想ゲーム」は、1969(昭和44)年から22年間続いたNHKの看板ともいえる番組。キャプテンの単語によるヒントから連想する言葉を答えるもので、回答者が女性、男性と紅白に分かれて交互に答え、点数を競った。

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 問題は、例えば、「山」という問題の言葉に対し、まず白組・男性キャプテンがそれに対し、「川」とヒントを出す。キャプテンからの「川」というヒントで白組回答者が正解の「山」を出せなければ、次は紅組・女性。と、攻守交互に替わっていく。ヒントも「頂上」、「富士山」と、連想される言葉が積み重ねられながら、正解を推理していくのである。
 あまりに惜しい回答の時、会場から「あ~~~」と声が漏れ、このリアクションがまたヒントにもなった。次の回答者は、しめしめという状態になり、そのやりとりが緊張感を高めていた。

 番組の前身は、前年、1968(昭和43)年4月から始まった『みんなの招待席』の1コーナーで、この時の司会は、青木一雄アナウンサー、白組キャプテンは加藤芳郎さん(漫画家)、紅組キャプテンは中村メイコさん(女優)だった。このコーナーが人気となり、翌年、独立した番組となった。

  きっかけは「おなら!」

 人気コーナーとなったきっかけは、キャプテンの加藤芳郎さんの思い出によると、こんなやりとりからだったという。

 女性軍のキャプテンは中村メイコさん。「しっぽ」という問題が出てね。僕が「お尻」とヒントを出したら男性の回答者が「パンツ」。で、メイコさんが「出す」とやったら女性回答者の女優さんが思わず「おなら!!!」と答えちゃった。ナマだからとりけせないでしょ。お客さん大笑い。カメラは真っ赤になって逃げるその女優さんを追いかけ回してね。そしたら2~3日して新聞に「NHK雪解けか!?」なんてでかでかと載ったんです。それからがぜん人気が出たんじゃないかな。(グラフNHK・1989年6月号より)

  ちなみに、過去の珍ヒント・名回答を、司会の徳田章アナウンサーは、ヒント「軽い刀」→正解「思いやり」(重い槍)、女優の檀ふみさんは、ヒント「お皿型」→自分の胸をちらっと見て「胸」と答えたが正解は「UFO」だった、と回想している(「NHKグラフ」インタビューより)。

番組人気の秘密
 視聴率も高く、22年も続いた長寿番組。その人気について、当時の担当スタッフは、「生身の人間のありのままの姿が現れ、視聴者の方が参加でき、それぞれの思いで番組を見ることができる」(小野悦子ディレクター)と、答えている。また、キャプテンの当意即妙なヒントと、ヒントから回答者が連想して答えた言葉とのギャップに、人柄や生活観などが垣間見られたことにもあった。ヒントと回答、やりとりには台本はなく、パッと答えて当たると浮かぶ嬉しそうな表情やはずすと悔しがる姿は、まさに「台本にない顔」本物の表情だったのである。

出演者(キャプテン)
 男性(白組)キャプテンは、『みんなの招待席』でもキャプテンだった加藤芳郎さんのイメージが強いが、番組として独立した昭和44年当初は、小沢昭一さんだった。また、女性(紅組)は、江利チエミさん、天地総子さん、水沢アキさん、中田喜子さんらがキャプテンをつとめ、最後は藤田弓子さんだった。

出演者(レギュラー回答者)
 回答者は、男女3人ずつのレギュラーと、ゲスト回答者で構成され、俳優、タレント、歌手などの芸能人に限らず、スポーツ選手、漫画家、作家など各界から出演した。

◇主なレギュラー回答者
白組 江守徹 大和田獏 宍戸開 田崎潤 辰巳琢郎
水島裕 三橋達也 渡辺文雄
紅組 市毛良枝 岡江久美子 田中理佐 檀ふみ
坪内ミキ子 山形由美

 忘れ難い回答者としては、長くトップバッターだった渡辺文雄さんと坪内ミキ子さん。ちなみに、坪内ミキ子さんは、明治の文豪・坪内逍遥を親戚に持ち、作家檀一雄を父に持つ檀ふみさんとあわせ、「文学者タッグ」などと呼ばれた。

 俳優の田崎潤さんは、声が大きく。正解がわかると言いたくてムズムズし始め、自分の番となると待っていました!とばかりに指を振り下ろしながら、「○◆△■◇!!」と、大声で回答するのが常だった。数々の名勝負を繰り広げた大和田獏さんと檀ふみさん。回答者を紹介する司会の「檀さん大和田さんは檀さん」コールは、視聴者の期待感を高めた。

得点方法・コーナー
 番組の得点方法は、通常ルールでは、10点から始まり、次は、9点、8点、7点と減っていき、 1点になっても当たらなかったらそこで終わり。最初のヒントで当てたら、10点となる。正解となる言葉が含まれている単語、また、ヒントが単語ではなく文章になってしまった場合などは「違反ヒント」となり、正解が無効になった。

 その他、例えば、次のようなコーナーがあった。

「ワンワンコーナー」
 日本語特有の繰り返し言葉が正解になるコーナー。例えば「雨」というヒントの正解は「しとしと」などで、日本語の擬音表現の多彩性が感しられた。
「勝ち抜きゲーム」
 全員で前方に出てきて、そこで一対一の勝ち抜き対決を行う。負けた方が手に持っている果物を相手に渡し、5個奪われたチームが負けとなる。果物1個が10点。テーブルのセッティングはアシスタントがおこなっていたが、回答者がイスのセッティングを手伝ってくれる微笑ましいシーンが映ることも。
「1分ゲーム」
 番組最後のコーナーは1分間で正解数を競うタイムゲーム。全問正解すると13問。ヒントの数に制限はなく、わからなければ、キャプテン権限で「パス」もできる。1問10点で、13問を違反ヒントなしにクリアできれば+50点のボーナスが入り、大逆転もあった。男性チームは白、女性チームは赤のダルマのプレート(のちにキャプテンの似顔絵)を正解すると前に出していた。1分間、キャプテンが矢継ぎ早にヒントを出していき、番組最大の盛り上がりをみせた。

番組のエンディング
 「1分ゲーム」が終わると、司会者が違反ヒントのチェック。「○○○というヒント、これは・・・」と指摘し、「これは減点させていただきます」と減点対象がチェックされた。加藤キャプテンの確信犯的違反は、お約束。
 最終的に『1分ゲーム』の得点が加算され、司会の後方にある電光得点板に最終得点が発表され、勝敗が決まり番組終了となった。(ちなみに番組オープニングでは、放送開始時刻の7時30分の数字を電光得点板に表示していた)


 『連想ゲーム』は、当時のNHK年鑑によれば、番組のスタッフがオリジナルに開発したゲームのようだ。誰が、何をヒントに、どうやって思いついたのか、時間をかけて調べたいと思っている。もし、読者の中で事情を知っている方がいれば、一報いただきたい。しかし、今、改めて見ても実にシンプルなゲームだった。うんちくなどを極力排除し、日常で皆が知っている"言葉"を取り上げ、それをどう連想するかが大事だったように思われる。そのシンプルさゆえに、加藤キャプテンや小野ディレクターが言うように、回答者の価値観などが露わになったのだろう。人気スターに「がんもどき」の問題が出て、「おでん」とヒントを出しても、ひょっとすると「がんもどき」自体を知らないかもしれない、とキャプテンが悩んだりしたことがあったようだ。回答者も個性豊かで、文学者タッグの坪内ミキ子さんと檀ふみさんが、さすがに才媛ぶりを見せた。一方、「マイクいらず」といわれた田崎潤さんの大声は、未確認だが、田崎さんだけマイクはなかったという噂がある。


◇放送期間 1969(昭和44)年4月11日~1991(平成3)年3月20日
 (なお、BS2で『アーカイブス・連想ゲーム』として2003年4月6日から1年間再放送)
◇放送時間
  総合テレビ 水曜 20:00~20:20 (1969(昭和44)年~)
  総合テレビ 土曜 19:30~19:59 (1970(昭和45)年~)
  総合テレビ 水曜 19:30~19:59 (1979(昭和54)年~)
◇歴代司会者(NHKアナウンサー)
 (青木一雄 - 1968~1969 =『みんなの招待席』の1コーナー時代)
 野村泰治 - 1969~1970
 井上昌巳 - 1970~1972
 中江陽三 - 1972~1974
 加治章  - 1974~1978
 川野一宇 - 1978~1981
 松平定知 - 1981~1984
 吉川精一 - 1984~1987
 佐藤充宏 - 1987~1988
 徳田章  - 1988~1989
 佐藤充宏 - 1989~1990
 徳田章  - 1990~1991

みなさんからの投稿

中江アナが司会のときがいちばん好きだっかなぁ~。
男性軍の三橋達也さん、田崎潤さん、坂本九ちゃんのやりとりがおかしかったですね。
九ちゃんがちゃんと答えられないと、三橋さんが九ちゃんの席まで行って叱ったり(笑)、まるでお兄さんがデキの悪い弟を叱るみたいでした。
田崎さんはやたらデカイ声で、女性軍の檀ふみさんが正解を出しちゃうと「ダンッ!!!」って威圧したり(笑)、レギュラーの人たちがファミリーって感じがして楽しかったです。

(更紗)

投稿日2008年02月02日 02:33


・誤字発見!
「辰巳拓郎」じゃなくて、「辰巳琢郎」です!

・あと、レギュラーでは安達瞳子(とうこ・・“とう”は日へんに童)さん、和田アキ子さんもいましたよ。

(更紗)

投稿日2008年02月02日 07:50


・黒柳さんのエッセー(トットの欠落帖だっけかな)に、小沢昭一さんが回答者で出られると、どんな問題でも「カレーライス!」って答えてたって(笑)。
いつの日か必ず「カレーライス」という問題が出るかもしれないから!
黒柳さんは“しりとり”と勘違いして、「バケツ」という問題で、メイコさんがヒントで「ブリキ」って出したら、「キツツキ」って言っちゃったそうです(笑)。

・私がいちばん大笑いだったのは、加藤さんが「ネコババ」とい問題で、なかなか正解がでなくて、「イヌジジィ!」ってヒントを出したことかなぁ?。
わかるけど、笑いすぎてもうお腹痛かったですっ!

(更紗)

投稿日2008年02月04日 11:44


>更紗さん
誤字の連絡ありがとう。うっかりしていました。辰巳“琢郎”さんでした(調べたところ、正しくは“琢”に“てん”が付きますね。PCでは出せないのでご勘弁を)。
修正しましたので確認してくださいね。これからも投稿お待ちしていますよ。

(アカイさん)

投稿日2008年02月04日 12:06


アカイさん、こんにちは。
私も中江アナのイメージが一番強いようですネ。ただ、アナウンサーの方それぞれ司会をされていたのを、(アナの)顔がわかるくらいに覚えています。
小学生のころ、家族や、学校で友達と「連想ゲーム」ごっこをして頭を鍛えていましたよ(笑)。
今でも覚えている場面がひとつ。答えは「自在かぎ」で、檀さんが答えられました。よくこんな難しい言葉を知っているなぁと皆さん驚いていらしたと思います。私もこれで「自在かぎ」を知りました。

(omame)

投稿日2008年02月23日 16:30


今朝未明に、頭の中にメロディが流れ、「確かNHKの番組の主題歌だった」と携帯で検索してたどり着きました。
亡くなった母のお気に入りの番組で、母もやはり中江さんの司会が一番好きだった印象があり、私の記憶も同じく中江さんのイメージです。

(はっこ)

投稿日2008年03月12日 09:48


今さらなんですけど、中井貴恵さんもレギュラーでしたね。

(更紗)

投稿日2008年06月14日 10:41


 1分ゲームはもともと16問でしたよね。全問正解が出にくかった、逆転のチャンスを与える為に13問になったんでしょうね。
 番組の末期は勝ち抜きゲームはメロン賞があった事、正解時の得点表示が司会者の机に移った時は違和感が会った事を覚えています。
 大和田獏さんと岡江久美子さんの結婚のきっかけがこの番組というのは有名ですよね。

(クイ坊)

投稿日2008年07月19日 15:42


現在40歳の男性です。小学生の頃、毎週当たり前のようにみんなで見ていました。
今ふっと思い出したのは、「わんわんコーナー」の正解が「もじもじ」のとき、なかなか正解が出ず、加藤キャプテンがしびれを切らして、「下関!」と言ったことです。本当に懐かしい、楽しい番組でした。

(さるるん)

投稿日2009年08月29日 06:03


46才男性です。私も中江アナの印象が強いです。七時のニュース、連想ゲーム、続いて全員集合見て・・・昭和の平和だった子供のころを思い出します。

(匿名)

投稿日2009年09月27日 14:01


40代女性です。子どもの頃からみていました。
みていて、やりとりのおかしさで楽しませてもらいました(笑)。出演者の本音?も出そうで、期待が膨らみます。

(わんわんにゃ~)

投稿日2009年09月27日 20:09


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