2011年を回顧して
国よりも郷土を強く意識した一年
愛国運動を行なう者に取って、ややもすれば地方よりも国家が優先するのは仕方がないのかも知れません。自分などもこれまではそうでした。郷土・福島のことへの関心よりは日本国への関心が勝っていました。
しかし、この一年を振り返りそれが逆転した一年であったと思います。20歳代の後半から東京に来て仕事をするようになってから、今年ほど自分が福島県人であることを意識した一年はなかった。その意味では自分の人生観・世界観などを大きく変えた一年であったと思います。
原発事故が発生し多くの県民が放射能などに怯える暮らしを余儀なくされると、反原発運動を展開してきた左翼・反日勢力の動きが活発化し始めました。先ずはこの事に非常な危機感を覚えた。
郷土をこのような不埒な輩が闊歩することを許してはならない。そのような決意から「原発災害被害者の会」を結成しました。福島に永住を決意したのは父親の農園を受け継いでから間もなくであり、まだ一年も経過していませんでした。
福島には余りというか殆ど人脈を有していなかった私は、自分がかつて作り上げた「日本憂国会」という行動右翼団体を中心に、その会員集めをする以外に手はありませんでした。かつて福島市で最大規模の右翼団体として活動していた歴史があり、たちどころに県下で100名を越す人数が集まった。
ただ、この「原発災害被害者の会」の活動は左翼への抗議や東京電力への抗議などは一切しませんでした。あくまでも被害者救済の受け皿として用意したものであり、左翼一色となってしまうことに対して、それを牽制する為のものでした。
左翼の反原発運動は福島県では全く盛り上がらなかった。一部の過激派が集会デモを組織したが、全く人が集まらず県民には受け入れられなかった。イデオロギーを前面に出した反原発運動がたいした成果を上げることなく失敗に終わったことの原因について、今後検証してみたいと思います。
自分の暮らしを守ることを皆さん優先させた結果ではなかったのか?そのようにも考えていますが、左翼によって郷土福島の地が汚されないで来た事でほっとしたのは事実です。左翼活動家はビビッて現地に入らなかった。危険だから福島から離れて!と言った主張が受け入れられる筈がない。
我々は仮に福島市に政府が避難勧告を出ても福島から出る気は全くなかった。生まれ育った地でその命が絶たれるのは本望であり、この地に留まることを固く誓っていた。
自分が福島県民であることを強く意識したのは、やはり東京都内の各所で行なったリンゴ販売でのことでした。リンゴを一番購入したのは福島の生まれだという人々。自分の母や父のどちらかが福島出身者だと言う人。自分の子供が福島にいるという方々。
そのような人が圧倒的に一番多かった。そして「頑張って下さい」という温かい声援を受けました。今年ほど自分が福島県民であることを自覚したことはなかった。それを忘れることなく、来年もしっかりと郷土に根を張った生き方をすることを心に誓っています。
家族を愛し、郷土を愛し、そして日本を愛する。
それを実践して行きたいと思います。
今年は東京での運動には余り出ることが出来なかった。それでもフジテレビ韓流ごり押し反対デモ、花王不買呼びかけデモには計4回参加しました。在特会主催デモには一回参加しました。これまで一般の人に政治運動への参加を呼びかけて来た者が、一般の人が立ちあがってきたのに、それを傍観することなど私には出来なかった。
今後とも普通の人たちが呼びかける運動にも、時間の許す限り参加したいと願っております。
皆さん、この一年本当にありがとう御座いました。来年もよろしくお願い申し上げます。
追記
既に御知らせしてあったようにフルボ酸入りのボディソープ&シャンプーの他にも、ローションやジェルの二つの化粧品も完成しています。仕事が忙しく紹介も出来ずにおりましたが、来年からは本格的に販売しますので、是非女性の方にはご協力をお願いしたいと思っております。