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特別な1年 感謝伝えたい 寄り添いたい 宮城
 | 南三陸町戸倉地区の被災者が避難した登米市の登米中。子どもたちが、市内の保育士らによる人形劇を楽しんだ=4月2日 |
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東日本大震災の津波は沿岸部の街をのみ込み、激震は内陸部の家屋を揺らした。宮城県内全域が傷を負う中、津波で家を失った被災者は海辺から避難し、内陸部からはたくさんの支援の手が差し伸べられた。誰もが震災の記憶を深く心に刻んだ特別な年。支えた側と支えられた側のさまざまな思いを聞いた。
◎沿岸から
<避難所のコーヒーに涙/励ましに勇気湧いた> 「とても悲しい年だったが、何から何まで人々に支えられた。感謝の気持ちでいっぱいだ」 津波で夫と義母の2人を亡くし、自宅も流された岩沼市寺島の無職平塚芙美子さん(68)が避難時に手にしていたのはバッグ一つ。避難生活を物心両面で支えたのは多くの支援だった。 塩釜市港町2丁目の主婦長谷川ゆきさん(58)は、京都から来たボランティアグループが避難所で提供したコーヒーのぬくもりが忘れられない。「1カ月ぶりの味に涙が自然にあふれてきた。悔しい思いをたくさんしたが、それ以上に『ありがとう』という言葉を口にした1年だった」。 亘理町吉田で行政区長を務める森孝さん(69)にとっては、避難所近くに自衛隊が開設した仮設風呂が印象深い。「着の身着のままに自宅を離れ、避難先を転々。風呂に入れたのは10日目くらいだった」と振り返る。 「支えてくれる人がいる」との実感は被災者を元気づける。仮設住宅に入居当初は気落ちし、部屋にこもりがちだった多賀城市宮内1丁目の無職大場京子さん(66)。「全国から来たボランティアがドアをノックし、声を掛けてくれた。励ましの言葉に元気が湧いた」と感謝する。
<つながりを大切に/来年は「自立」が目標> 支援が次の支援につながる連鎖も生まれる。 山元町山下中校長の渡辺修次さん(60)=名取市名取が丘=は、学校への支援を受け入れる中で写真修正などに関わるパソコンの専門知識を持つ人と出会い、生徒がIT技術に触れられる授業を行ってもらった。「出会った人との絆から新たな支援が生まれる。このつながりを大切にしたい」と話す。 「どのように恩返しができるかを考えながら仕事をしていきたい」と決意を新たにするのは、自宅を失った南三陸町志津川廻館のパート牧野知香さん(39)。友人やボランティアの支援を受けて暮らしの再建や職場の再開にこぎ着け、応援に報いる責任を感じている。 気仙沼市内の避難所運営に関わった同市浜見山の千葉秀宣さん(67)は「ミュージカルで避難者の気持ちを元気にしてくれる支援もあった。地元の復興を成し遂げ、全国に元気を発信することで感謝とお礼の気持ちを表したい」と言う。 仮設住宅の自治会長を務める東松島市大塩の地方公務員相沢宏智さん(37)は「全国から受けた支援は数え切れない。恩返しのため、来年は『自立』が目標。自立支援につながる形の応援もお願いしたい」と話した。
◎内陸から
<笑顔見るのがうれしい/これからの支え大切> 大崎市消防団副本部長を務める大崎市鹿島台の衣料品店経営鈴木博行さん(54)は個人的に、東松島市野蒜、東名両地区の消防団を支援し、捜索や見回り、物資配給に参加した。「近くに住む私たちなら、頻繁にできるし、地域の事情も分かる」と意気込む。 「津波の被災者は自分たち以上につらく、大変な苦労をしていると感じる」と話すのは、震災で自宅が全壊した大和町吉岡の会社員石川正弘さん(53)、みつえさん(49)夫妻。5月から石巻市で、支援物資の配布、炊き出しなどに取り組む。「子どもたちの笑顔を見るのがうれしい」 仙台大は被災者を対象にした運動教室を定期的に開いている。4月から参加している柴田町船岡の大学4年生小熊理恵さん(22)は「『運動に参加してみんなと話すのが楽しい』と言ってもらえるのが励みになる」と喜ぶ。 栗原市築館の主婦久我節子さん(76)は、築館生活学校の仲間と、登米市の仮設住宅集会所で慰問活動を行う。「子どもたちの心の傷は深く、お年寄りも孤独と将来の不安を口にする方は多い。本格的支援が必要なのはむしろこれから」と継続的な取り組みを誓う。
<側面支援の活動を/苦労共有し学ぶ点多い> 栗原市栗駒の会社員小野寺慶さん(29)は炊き出しボランティア「海と山の絆 栗原応援隊」の一員。震災後、沿岸部の避難所で焼き鳥などを提供した。今月、石巻市での復興イベントに参加。「街は片付けが進み、被災者も以前より前向きになっているようだった」と感じた。 登米市の奉仕団体「みやぎ登米市災害ボランティアハブセンター」は、被災した子どもに遊び場を提供したり、学習の支援をしたりしている。事務局の同市迫町の無職戸田和夫さん(63)は「来年は被災者の自発的な動きを側面支援する活動をしたい」と言う。 「苦労を共有し、問題を一つ一つ解決していく中で学ぶことは多かった」と振り返るのは加美町中新田交流センター所長の鈴木啓悦さん(56)。2次避難所となったセンターは、ピーク時には南三陸町や南相馬市などの避難者約80人が身を寄せた。 大崎市のプラザホテル古川は震災後、宿泊客の大半がボランティアや工事関係者。みんな朝が早いため、朝食の開始時間を15分早めた。マネージャーの三浦進太郎さん(36)は「1日の活力源なのでぜひ食べてほしい。メニューも飽きないよう工夫している」。早朝営業は今後も続ける。
2011年12月31日土曜日
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