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旧東ドイツ エンゲルス肖像紙幣「マルクスから学んだ7つのこと 」より
経済感覚は最低
(マルクス・エンゲルス)全集を読んで痛感した第五は、もつべきものは友だという点です。 二人が初めて出会ったのは1842年11月のことでした。エルメン・アンド・エンゲルス紡績工場の御曹司エンゲルスがケルスの「ライン新聞」編集部を訪れ、そこで編集委員マルクスと邂逅します。その約2年後にパリで再会したときには、すっかり意気投合し、そこでまず濃密に話し合われたのが、かつてマルクスの師バウアー(およびその一団)を、前述したとおり徹底批判することでした。 単独では紳士でも、二人になると過激になってしまうタチのようです。 私生活上で御曹司は、親友が家賃滞納をやらかして逃げたときにはホテルを用意し、大英博物館の図書室通いに没頭しても生活費を頻繁に送り続けました。 1851年8月から62年3月まで10年以上にわたり、マルクスにとって実に希少な収入源となった「ニューヨーク・トリビューン」紙への寄稿でも、「ドイツにおける革命と反革命」(第8巻)を始め、署名はマルクスでしたが、その多くを書いたのはエンゲルスでしたし、マルクス自身が母語で書いた時評を英訳していたのもエンゲルスでした。 往復書簡を読むと、実に勉強になり、ときどき情けなくなります。 《親愛なエンゲルス! もっと早く便りをしなかったこと、同時に5ポンドの受領も知らせなかったことを、おわびする。今週は外からの圧力が強くて書くことができなかったのだ。 家から追い出されることは、家主あての手形に署名することによって、当分は助かった。〔中略〕 『ニューヨーク・トリビューン』が僕とフライリヒラートに稿料つきで寄稿を求めてきた。これは北アメリカで最も普及している新聞だ。もし君が僕にドイツの事情に関する英語で書いた一文を金曜の朝(8月15日)までに送ってくれることかできれば、そいつはすばらしい手始めになるだろう。》(第27巻) いいのでしょうか、こんなことをしていて。 書簡を読むと、マルクスの経済感覚はめちゃくちゃだったことがわかります。 【続きは、電子書籍「マルクスから学んだ7つのこと」でお読みいただけます】
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