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なぜ「戦後」を見に行くのか――イラクへの遠い道

 私は、本質的意味において才能がない、と自覚しています。そのことは、いやというほど痛感させられてきました。
 自分が評論家やクリエーターになれないのは、「そこ」には行かずに気の利いたことを書いたり話したりできないからです。本当に優れた人は、行かずとも、あるいは行かないからこそ、なるほどと膝を打ちたくなるようなことを、さらりと言ってのけます。

 海外を舞台に緻密なストーリーと魅力的なディテールを劇画に描きこむ「ゴルゴ13」の作者・さいとうたかをさんは、連載100回を終えるまで、1度も海外に行ったことがなかったそうです。敢えて行かなかった、のだと思います。
 私にはそのような才能が皆無なので、いやいやながらでも「そこ」に行くしか方法が見つかりません。

 戦後のイラクに行こう、と思ったのも、行きたかったからではありません。次から次へと疑問が沸き起こり、どうしても納得できるようには解けないのです。いろいろな解説はそれなりに魅力的なのですが、矛盾だらけで、何かが違っている。断片はたくさんあるけれども、接着剤がない、のだと思います。

 では、なぜ戦後のイラクに行こうと思ったのか。
 簡単に言えば、まず第一に、私はそれを知らないからです。
 日本の戦争直後なら、見たことはありませんが、わりあいによく知っています。とりわけGHQによる占領史や統治機構ついては、同世代のなかで最もよく取材し調べたほうだと思います。

 第二に、世界中からイラク入りしていた圧倒的多数の取材陣が、4月末から5月初旬にかけて帰国の途に着きました。毎日新聞の五味記者も、正確に言えば戦争取材をしに行ったのではありません。戦争が終わることが明らかとなったのでバグダッドをめざし、あの事件は、戦闘が完全に終結したためアンマン経由で日本に戻ろうとして起きたのです。


 戦前と、戦時は、濃密に断片が報道されました。しかし、戦後はうやむやになっています。

(「ガッキィファイター」2003年5月18日?25日合併号より)

 対ドルでその価値を上げつつあるイラク・ディナール札は何種類もあるのですが、実際に使われているのは「250ディナール札」だけです。

 ちなみに、鉄道でバグダッドからバビロン(の捕囚のバビロンね)まで約2時間乗って1,000ディナール。 戦後初(!)の観光客としてチグリス川を船下りしましたところ、30分程度で4,500ディナールでした(乗るときは確か1,000 とか言っていたはずだけど、 降りる段になって1,000「ドル」だと言ってきたッ)。

 さて、 イラクでは隊員9名とも、たっぷり250ディナール札をもっていたわけですが、日本に帰ってきてみれば、「イラクにはお土産がない!」という事情もあって、このイラク・ディナール札の希少価値をかみしめた次第です。
(「ガッキィファイター」2003年6月8日号 より)

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