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PSB1981の日記

July 28(Sat), 2007

psb19812007-07-28

カテジナ日記/第51話「天使たちの昇天(後編)」(Vガンダム/富野由悠季)

第五十一話「天使たちの昇天(後編)」に加筆しました。

http://d.hatena.ne.jp/psb1981/20070722/1185052024

  • べき論

カテジナは「べき論」で生きている女の子だ。「大人はこうあるべき」、「世界はこうあるべき」そして「自分はこうあるべき」だと。そこに「迷い」の入る余地はない。なぜなら、カテジナが何より嫌っていたのは、迷える大人達の弱さだったからだ。

そして、だからこそカテジナは「世界とは、自分とは、恋愛とはこうあるべきなのだ」と、頭でっかちに考えて、ザンスカール理念を信じている「ふり」をしてみたり、本当はとっくにダメ男だと見限っていたクロノクルの所へ無理矢理行こうとしたのだ。「後戻りはできない」と言い張る彼女は「世界のゆらぎ」も「自分のゆらぎ」も認めようとしない。しかし、これは「強さ」じゃない。世界や自分のゆらぎを受け入れることの方が、ずっと強さが必要だ。たぶん、彼女は怖かったのだろう。間違いを認めれば、今、この瞬間までの自分が否定され、無意味なものになってしまうからだ。


誰に頼まれたわけでもないのに「世界はこうあるべきだ、自分とはこんな人間なのだ」と勝手定義し、語り、自分で自分を狭い世界へ追い込んでゆく。そんなカテジナの強烈な自意識と頑なさが、あの破綻を呼び込んだ。が、この彼女を笑える人は、そう多くはないと思う。(少なくとも、私は彼女を笑えない)ブログを書いてるような人は、一度自分の過去の文章を読み返してみて欲しい。そこには間違いなく彼女が、カテジナの影が存在しているはずだ。


  • 焦り

おそらくだが、カテジナには「人生意味目的が欲しい。価値あることがしたい」という焦りがあったんじゃないかと思う。だから、彼女は(意味を求めて)「革命」や「恋愛」に走ったのだ。そして、それは同時に「特別でありたい、人とは違った存在でありたい」という欲求に簡単に結びつく。「その他大勢」として生きる人生には意味がない(と、彼女は考えた)からだ。今まで散々、カテジナ自意識過剰だ、と言って来たのはそういう意味だ。


ならば、カテジナがウッソやシャクティを嫌っていたのも納得だろう。何故なら、ウッソこそ、然したる疑問も持たずに、365日畑仕事をやって満足しながら生きていける(スペシャルな)人間だから。世界の隅っこで、その他大勢の人間として生き、歴史の中に埋もれてゆくことを平然と受け入れられるウッソやシャクティが、カテジナには憎かったのだ。しかも皮肉なことに、普通であることを望み続けたウッソやシャクティこそが「ニュータイプ」と「お姫様」で、普通が嫌なカテジナの方は、何処まで行っても「ただのお嬢さん」なのだ。(だから、最終回カテジナの扱いは本当に可哀想になる。「もと居た場所へ帰れ」(byシャクティ)とか「ウーィッグの嬢ちゃんは、嬢ちゃんをやってりゃいいんだ!」(byオデロ)とか、酷い言われようだと思う。それが「イヤ」だし「出来ない」から、彼女はここまで来たんだろ?と、モニタに向かって言いたくなるくらいだ)


もちろん、こんなことはカテジナに限った話じゃない。「僕は僕だけの本当の人生を歩みたい。その他大勢としての無意味な生に耐えられない」そんな人間は何処にでも転がっている。(もちろん私だってそうだ)そう、この世界カテジナで溢れている。今、これを書いている私も、読んでいる貴方も、みんなカテジナ予備軍なのだ。

nuryougudanuryouguda 2007/08/07 12:26 では、あのオチは自意識と他人の視線をなくすという事なのかもしれません

挿入歌の使い方も秀逸です

psb1981psb1981 2007/08/08 22:39 ああ、そういう解釈もいいかもしれません。
あの、ラストは泣かせますね。

MalMal 2008/12/14 13:49 いやはや、スゴイ考察に感服いたしました。
自分もカテジナについて考察したんですが、ここまで深くは考えなかったです。

「べき論」

まさに自分そのものですよ(苦笑)
なんでもかんでも、白黒つけたがるんです。
生きる意味を考えたり、焦ったりもする。
しかしカテジナに、感情移入することはできませんでした。
自己評価が低い、マイナス思考な持ち主なので。
もし自分がMSなんていう兵器を手にしたのなら。
戦う事なく、ビームサーベルで自らのコックピットを貫きますよ。
他人を傷つけてまで自身のアイデンティティーを保とうとするのには、納得できません。
同じ思想でも、行動は人それぞれ異なるんでしょうかね〜

ちなみにラストですが、富野監督がコメントしていた通りだと思います。
自分のエゴで人をたくさん殺したのだから、死より重い残酷な結末にし、贖罪させたんでしょう。
そんなに深い意味は無いんじゃないですかね〜

psb1981psb1981 2008/12/14 21:11 > Malさん、
コメントありがとうございます。

私自身も、カテジナよりは、どちらかといえばクロノクルに感情移入した方です。ただ、極端に低い自己評価と、極端に高い自己評価って、ある意味コインの裏と表だと思うんですよね。

たとえば、今はどうなのか知りませんが、ヴィジュアル系ロックバンドのメンバーと、そのファンって、いわゆる一般人からすれば、信じられないほどナルシスティックな自己像と世界感に浸っているわけですが、だからと言って彼(彼女)らにコンプレックスがないわけではない。むしろ「血糊のついた包帯」なんかを彼らが身につけたがることからも分かるように、その逆ですよね。

ですから、どちらに「ブレ」るのかは、その時々の偶然であったり運命であったりするのだと思いますよ。

MalMal 2008/12/14 22:59 うーん、例えの話はちょっと高度すぎて理解できませんでした(汗

ふと思い浮かんだんですが、カテジナはひょっとすると"うつ病"にかかっていた〜なんて可能性は考えられないでしょうか。
それなら、行動原理が全て解明できるような…
他人や環境を責める"新型うつ病"なる言葉を見かけるようになりましたし(うつ病に関しては複雑な事情があるので、あくまで一例ですが)
…もしそうなら、Zガンダムのカミーユといい、富野監督の先見性は常軌を逸しているとも言えますね。

psb1981psb1981 2008/12/20 21:10 いやぁ、であれば「うつ病でした」で済んでしまう訳で、50話分のドラマをみせる必要があまりなくなってしまいませんか。
富野監督に先見性がある、というのは言われるとおりだと思います。

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