■挑んだ新境地
古楽界を牽引(けんいん)する指揮者の延原武春が、今年は新しい顔を積極的に見せた。大阪フィルハーモニー交響楽団との「ウィーン古典派シリーズ」でベートーベンにがっぷり向き合い、11月には没後100年のマーラーの「亡き子をしのぶ歌」で東日本大震災で失われた多くの幼い命を悼んだ。「祈るしかないことばかりの1年でした」と振り返る。
バロック音楽を追究する演奏団体「日本テレマン協会」を1963年に創設。古楽のスペシャリストという印象が強いが、「本来はバロックの人じゃないと思うんだよね」。
バロック音楽にまず集中して向き合ってきたのは、バロック音楽がすでに普遍の共通言語になっていると思うからだ。バッハもテレマンも、もはやドイツ人の独占物件ではない。当時の演奏習慣に対する正しい知識さえあれば、誰でも踏みこめる。むしろチャイコフスキーやラフマニノフといった19世紀以降の曲の方が「それぞれの楽曲の民俗性や背景を理解する努力が前提となるから、ものにするのが大変」と語る。
今年は、マーラーに一歩歩み寄った。「千人の交響曲」などで交響曲の規模を押し広げた巨人というイメージが強いが、「ウィーンという大都市に迎えられ、自分を試したくて楽曲を巨大化させていったのだと思う。でも本質は、実に素朴で優しく、無邪気な人だったんじゃないかなあ」。
マーラーとバッハに「歌」という共通の本質を見いだしている。「どっちもオペラ、書いてないでしょ。人々の日常に寄り添う素朴な歌こそが、彼らの本領だったのだと思う」
日本テレマン協会では、団員一人ひとりを「我が子と思って」厳しく温かく育ててきた。ベテランの中野振一郎に続き、チェンバロの高田泰治、バイオリンの浅井咲乃ら、多くの俊英が巣立ち始めている。
「新しい曲をやらせるたび、彼らがどんな反応をみせるかがいつも楽しみ。指揮者の仕事は、楽員一人ひとりの個性を輝かせることだ、と僕は思ってる。指揮者と楽員、双方が心を開きあえる空気があってこそ化学反応も起きやすい。バロック音楽を通じて、僕は若い世代に『協奏』の精神を伝えたいんです」(吉田純子)