2011年12月29日03時00分
音楽隊の厳かな演奏と街頭の市民の号泣に送られながら、北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記の葬儀が28日、平壌でとり行われた。ひつぎをのせた車に寄り添う後継者の金正恩(キム・ジョンウン)氏。その若き指導者の周りを、新体制を支えるとみられる朝鮮労働党や軍のベテランが固めた。
北朝鮮の朝鮮中央テレビは午後2時前、雪の積もる平壌の錦繍山記念宮殿前広場の様子から伝えた。軍服姿の群衆が広場を埋めるなか、総書記の巨大な肖像画を掲げた車や「金正恩」と書かれた花輪を載せた車などがゆっくりと進んだ。
正恩氏は広場で、総書記の黒いひつぎをのせた車に寄り添って歩いた。すぐ後ろに金総書記の妹婿の張成沢(チャン・ソンテク)国防副委員長。車を挟んだ反対側には李英鎬(リ・ヨンホ)総参謀長や金永春(キム・ヨンチュン)人民武力相、金正覚(キム・ジョンガク)総政治局第1副局長ら軍幹部が顔をそろえた。
国家葬儀委員会メンバー232人の中でも、彼らが正恩氏を支える中心とみられる。特に正恩氏の後見人とされる張氏は24日、軍大将の制服姿で登場。金総書記は権力の集中を嫌い、張氏に大将の称号を与えなかったとされるが、張氏を頼る正恩氏が軍を抑えるために許可した可能性がある。
また、金総書記は軍の暴走を抑えるため、総参謀部と人民武力部、総政治局の軍主要3部門が互いに牽制(けんせい)する仕組みを作った。28日の顔ぶれは新体制の安定のため、軍を尊重しつつ、権力のバランスを重視した配置と言えそうだ。
正恩氏が宮殿正面で幹部らと並んだ際、昨年の党代表者会などでの人事で冷遇された呉克烈(オ・グンニョル)国防副委員長も一緒に立った。軍内で絶大な人望があるとされる呉氏への配慮とみられる。
車列は音楽隊の演奏のなか、広場を出発。主体思想塔や凱旋門(がいせんもん)など、金総書記が独裁体制維持のために主導して建設した巨大建築物や金日成広場など約40キロの道のりを進んだ。
映像は沿道で泣き叫ぶ市民や車列に近づこうとする群衆の姿を、繰り返しとらえた。放送開始から約3時間で車列は宮殿前に戻り、21発の弔砲と弔銃がとどろくなか、正恩氏ら幹部が黙祷(もくとう)した。(ソウル=牧野愛博、広島敦史)