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[7571] 東方英雄譚  第七十四話 「その傷にくちづけを」 追加
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2011/12/28 11:54
≪Attention≫

 この物語はフィクションです。
 内容はアレンジ東方×平成仮面ライダーとなっております。

 実在する人物(東方キャラ)や団体(東方project、東映)とは直接関係ない二次創作となっております。

 登場するキャラや道具を使用しておりますが、各作品世界と直接関係ないオリジナルの世界観でのお話です。

 グロ表現、世界観、キャラ設定、独自解釈等々……全てが注意事項です。
 あくまで作者の趣味に走った、元作品とは繋がってない設定となっています。

 読まれる方は上記の点を踏まえ、お読み下さい。






 この話とは別に、
 ・オリジンル掲示板――『化猫日和』
 ・チラ裏掲示板――『【習作】LAST OPERATION』
 ・スクエニ掲示板――『遅生まれの勇者の伝説』

 という作品も同時執筆中です。
 どれどれどんなもんねと気軽に覗いてやって下さい。
 









[7571] 第一話 「仮面舞踏会」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/03/27 18:59

 授業の終わりを告げる鐘が響く。
 香霖学園中等部の校門から、少女達の姦しい声が聞こえてくる。
 金色の髪の少女が話しかける。

「ねぇ、霊夢ぅ~、帰りアイス食べて行こう!」

 平日の放課後、少女達はいつもの様に寄り道をして帰るらしい。

「いいわねぇ! そうだ、今日はサーティワンにしよっか」

 霊夢と呼ばれた少女は黒髪に大きな赤いリボンをしていた。いつもどこかぼんやりしていて天然が入る。
 
 サーティワンは最近学校の近くにオープンした店だ。
 31種類あり、一か月毎日違った味が楽しめるように、という企業方針が少女達の心を擽る。

「ねぇ、魔理沙さ、今日はカラオケにしようよ~」
 
 二人の会話におずおずと発言するのは、動物で言うチワワを連想させる、小動物系の少女だった。
 同年代だが、どうしても幼く見え、自然に年下に見えてしまう。
 片方だけ鈴のついたリボンがお気に入りで、
 いつもどこか遠慮がちだが、自分の意見はしっかりと主張する子だった。

「えぇ~? 美羽、昨日もカラオケじゃん」

 美羽と呼ばれた、小動物系少女に反論するのは魔理沙と呼ばれてた少女だった。
 すらっとして背が高く、同年代の中学生女子とは一線を画していた。
 美人には違いないが、男勝りでカッコイイ系のその少女は、実は男子よりも女子に人気がある。
 魔理沙的には不満なのかいい返事はしない。

「だって魔理沙、私今日お金が……アイス食べちゃったらカラオケ行けないでしょ!」
 
 美羽はカラオケが趣味だ。
 将来は歌手を目指しているらしく、歌も習っている。
 普段の態度からは想像できないが、マイクを持つとこの少女は凄かった。
 別人と言える程、自身に満ち溢れ歌を披露する。

「だから今日は、カラオケ行こう!」

「駄目だって!! 今日はアイスの日にしようぜ」

「まぁまぁ、二人とも喧嘩しないの」
 
 二人の会話が口喧嘩に発展する前に止めたのは、
 霊夢と呼ばれた少女だった。

「間を取って、将棋にしましょう」

「えぇ~!!」

「霊夢ってさあ、古風な遊び好きよね。そのうち蹴鞠しようとか言いだすんじゃない?」

「あはははは! ウケるぜ~!」

「もう、バカにして! 二人が喧嘩するからでしょ!」


――いつもの日常
  

「それじゃ、ボーリング行く?」


――いつもの生活


「いいねぇ! 霊夢もそれでいいでしょ?」


――だが、


「わかったわよ」

 
――壊れるのは一瞬だった。




「アレっ?」

 美羽の声で、二人の視線が前へ向く。

「何か黒いモノが……」

 だが、そこには何もない。

「美羽?」

 冗談だろう。そう判断して二人を騙そうとした張本人を問い詰めるべく、後ろに居る美羽へと声を掛けようと振り向く。
 しかし、声を掛けることは叶わなかった。
 後ろを振り向いた二人の視線の先には、二人にとって、信じたくない現実があった。


 美羽が奇妙なオブジェへと変貌していた。


 美羽は歌手を目指していた。
 その喉からいつも綺麗な歌声を披露していた。
 しかし、今その自慢の喉は裂けて赤黒い肉が見える。
 そこからは呼吸と共に、空気の漏れる音だけが聞こえる。
 喉から溢れ出た血を吸い上げて、制服が紅く染まっていく。
 その喉から飛び出した鋭い刃が見える。
 それは角だった。
 鋭く尖った角の先から溢れるように紅が流れていく。
 飛び散る血が、目の前に居る霊夢達の白い頬を伝い。
 少女達の制服もまた、鮮やかな紅へ染まっていった。

「み、う……?」

 いつも愛くるしかった瞳は、こんなに大きかったのか、と少女達に思わせるほどに見開かれ、
 鈴を転がしたような声を出すその口からは、真紅の液体を吐き出していた。
 彼女の体は、全身が痙攣を起こして、まるで下手糞な操り人形みたいだった。

「え、え……?」

 声が掠れる。頭が追い付かない。

 霊夢の思考は散り散りになった。
 魔理沙も腰が抜けたのか、すとんっと座り込んでいる。
 
 串刺しにされた角にぶら下がる形で、首を支点にしてもたれかかっている美羽が大きく振られる。

 ブチッ

 美羽を串刺しにした化け物は

 その瞬間、美羽の体から水道管が破裂したみたいに、
 真っ赤な噴水が噴き出す。
 血の洪水だ。







 どす黒い塊は血の噴水を突き破り、ゆっくりと私達の方へ歩みよって来る。

「う……わ、ああ、ああああああ!!」
 
 魔理沙は叫び声を上げ、後ろに這いずりながら無我夢中で逃げだした。
 それなのに私は、目の前の怪物から目が離せなかった。
 動けなかった。
 
 死……ぬの?
 恐怖のあまり硬直した体は、まったくと言っていいほど自分の意思を受け付けない。
 これが本当に私の身体なのかと疑ってしまうくらいに。

 私が怪物を前にして、せめて一瞬で死ぬことが出来るように、痛みを感じずに済むように目を閉じようとした瞬間、

 すぅ――

 子供が私の目の前に現れる。

 危ない!

 他人の命の心配をしている場合ではないというのに、私はこの少女に目がいってしまった。
 私は叫びたかったが、声が出せなかった。
 私の前に現れた子供は、まだ幼い少女だった。
 その少女は奇妙なことに白衣を着ていた。
 大人用なのか、裾が地面に着きそうなほどに長い。
 少女はそのまま、私と怪物の間に立ち塞がった。



 少女が携帯を取り出し、キーを押す。

≪Standing by≫

 電子音が響く。

「……変身」

 少女が携帯を、腰のベルトに装着した。

《Complete》
 
 するとベルトから眩い光が放たれ、光の粒子が少女の体を覆う。
 光は直ぐ止み。
 霊夢は一瞬眩んだ目を細めると……。


 ――そこに居たのは、先程の少女ではなかった。
 まるで、西洋の甲冑のようなデザインをしたスーツに身を固め、胸には銀に輝くプロテクター。
 昆虫の触角を思わせるアンテナが額にあり、蒼に輝く複眼が光っていた。





――第一話「仮面舞踏会」、完。




――次回予告。

≪何の疑いもなく信じていた平和の仮面は一瞬のうちに崩れ落ちた。
 戻らぬものの大きさを親友の死に知った時、突如現れた氷の瞳の少女。
 少女達の出会いが物語の扉を開く……。
 次回、東方英雄譚 第二話「その鍵の名前は……」≫




[7571] 第二話 「その鍵の名前は……」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/03/27 18:57



―キシャアアアアアアッ!!―

「っあ、危ない!」

 黒い化け物は、獣のごとき瞬発力で地面を疾走し、変身した少女に迫る。
 一瞬で間合いを詰めた速度に、霊夢は驚嘆した。
 しかし、少女はその動きを見て避けようともせず、ただ両手を前に突き出すだけ。
 それだけで少女は化け物の突進を受け止めた。
 しかし化け物はそれで終わらず、鋭く生えた右腕の角で少女を攻撃する。

 刺されるっ!?

 少女はその攻撃を左の蹴りで跳ね上げる。
 そのまま化け物の懐に入った少女は、渾身のアッパーを放ち、化けものを空中へと吹き飛ばす。

―グガガアアアアッ!!―

 吹き飛ばされた化け物は、起き上がり、再び突進をする体制に入る。
 それをみた少女は、あろうことか、化け物に対して背を向けた。
 しかし少女は焦る様子もなく、ベルトの左腰にあるカードデッキから一枚のカードを取り出す。
 ベルトに備え付けられたカードリーダーに挿入すると、電子音が鳴り響く。

《Ice vent『アイシクルフォール』》

 少女は手を化け物へ向かって突き出す。
 突如、少女の手から氷の矢が放たれる。
 撃ち出された矢は、弾丸の速度で化け物へと迫る。

―ゴガッ、ガガアア!!―
 
 苦しげに耐える化け物。
 体に負ったその傷を無視して、化けものは少女へと走り出す。
 化け物は空高くへと跳躍し、少女を押し潰そうとしてくる。

「……とどめ。ライダーキック」

《Rider kick》

 少女の右足にプラズマが奔る。
 化け物が少女に喰らいつこうと大きな口を開ける。
 少女は空中にいる化け物へ向かって後ろ回し蹴りを放つ。

 化け物は後ろ回し蹴りの衝撃で隣家の壁に叩きつけられた。
 何度か呻き、痙攣した後力無く倒れ、化け物はそのまま砂へと化した。




 ――変身が解け、少女が再び白衣姿で現れる。
 そうして、霊夢の方を見る。

 その少女の瞳を見た霊夢は凍りついた。
 その少女の瞳には何も映し出されておらず、全てが凍てついたような瞳だった。
 
 改めて、霊夢はその少女を見た。
 水色の髪が光に透き通り、一点の曇りもない白磁の肌。
 整った顔立ちは、妖精のようでいて儚く。
 蒼い瞳は、先ほどの化け物とは違う、確かな知性を感じさせた。
 将来美人になるだろう、可憐な容姿はどこか憂いを帯びて見える。
 笑ったらさぞ可愛いのだろうが、その少女は無表情でどこか人間味を感じさせなかった。
 霊夢には、まるで純度の高い水晶のように見えた。

 周囲の悲惨な状況で居てさえ、それを忘れさせる程魅了される。
 ただ、疑問に思うのは……大人用の白衣を外套のように羽織っている点だった。

 少女はそのまま何も言わず、白衣を翻して立ち去った。







 霊夢は美羽の葬式に参列した。

「やっぱり、魔理沙は来ていない、か……」
 
 それは当然だろう。
 少女たちにとって、まるで想定していない悲惨な出来事。
 信じていた日常が崩れ去った瞬間だったのだ。
 霊夢もその気持ちはわかる。
 今でも、あの時の事がまざまざと思い出されるのだ。

 遺体の状態は酷く、通常なら遺族と最後の別れで顔を見せるが、それさえもままならない程だった。

 ――あの事件の後、霊夢は放心状態のところを警察に保護され、救急車で運ばれた。
 服や顔に着いた血は、ほとんどが美羽の血で、霊夢自身は掠り傷程度で済んだ。
 警察での事情聴取を終えた後は、両親が迎えに来た。
 そうして、ようやく帰宅できたのは深夜を回った時刻だった。

――カタッカタカタッ
 
 今さらながら震えが来る。
 あの化け物は一体何だったんだろうか?
 自分を助けてくれたあの少女は?
 疑問が疑問を呼び、極度の疲労の中で思考が冴える。

「う……うぅうう……うああああああああああ」
 
 急に涙が溢れ出して止まらない。
 布団を被り、号泣する。
 
 いつも笑っていて、明るかった美羽。
 歌が上手で、歌手を目指していた美羽。
 
 もう彼女は笑う事も歌う事も出来ない。
 
 
 霊夢の脳裏には、何時までもあの優しかった少女の笑顔が張り付いていた。



 ――どれぐらい泣いたのか、霊夢は時間の感覚がわからなくなっていた。
 霊夢は涙が枯れるまで泣き、叫んだ。
 泣いても美羽は戻っては来ない。
 叫んでも美羽にはもう届かない。
 霊夢は自分の非力を呪った。
 大切なものは何時だって、失ってから気づく。
 それは知っていた。
 だが、その意味を真に理解していなかった。
 時間は戻ることはできない。

 再び、思考停止に陥る。
 しばらく、ぼんやり部屋の天井を眺める。
 そこで、喉が渇いている事に気づく。
 体が水分を欲していた。
 こんな状況でも体は正直だ。
 喉が渇けば飲み物を欲し、
 腹が空けば食べ物を欲する。

「……ふっ、笑っちゃうわね」

 霊夢は自嘲する。
 
「水を飲んで落ち着こう……」
 
 霊夢は自分の部屋を出て、階段を下りて台所へ向かう。

「今、何時だろう……」

 鈍い思考の中、足取りは重い。
 両親はもう寝てしまったのだろう。
 霊夢の足音だけが、廊下に響く。
 水を打ったように静かだった。

 ――そこで、カタッと、物音が鳴った。

「……お母さん?」

 母が帰って来たのだろうか?
 母は雑誌の編集をしていて、今日も2、3日泊まり込むと言っていたが……。
 忘れものか?
 それとも父が、まだ起きているのだろうか?
 霊夢は、物音のした居間の扉へ手を掛ける。
 扉は建て付けが悪いのか、きしんだ音を立てて開く。

 ぐちゅっ

 と濡れた音が居間に響いた。
 居間の窓が割れていて、月明かりが部屋に差し込む。
 硝子の破片が辺りに飛び散り、
 ぼんやりとした輪郭が浮かび上がる。
 誰かが蹲っている。
 唾液が張り付いたような、モノを食べる音が聞こえる。

「……お父さん?」

 その影は体格が良く、霊夢は一瞬父かと思ったが、
 違う事がすぐわかった。
 父は居間で寄り添うように横になっている。
 目が慣れてきて、赤黒い液体が辺りに飛び散っているのが見えた。
 開いた窓から風が吹き込み、冷えた冷気が部屋の生温かい空気を霊夢へと運ぶ。
 ――生臭い、鉄錆の匂いがした。

「い……いや……」
 
 ぶちぶちと肉を引きちぎる音を響かせ、影が霊夢に振り向く。
 父は内側の肉と内臓が露出していた。

「はっ……はっ……」

 心臓が激しく鳴り響く音が聞こえる。
 呼吸が荒い。喉が乾く。
 影がゆっくりと立ち上がり、霊夢へ歩み寄ってくる。
 霊夢はその場へへたり込む。
 恐怖が体を蝕み、震える。

「―――いやああああああ――――っ!!」

 すでに足が立たず、叫び声を上げることしかできない。
 生まれて始めて上げたといえる程の大きな悲鳴。
 しかし、その悲鳴ですらこの部屋の狂乱を消すには至らなかった。
 もはや何も、考えられなかった。
 ただ床に座り込んだまま、強く強く身を竦ませて、耳を塞いで、心の底からの恐 怖の悲鳴を上げ続けた。
 それでも恐怖に引き攣り、閉じることすらできない目。
 恐怖と狂気を見つめたまま、涙を流して見開かれた眼。
 目の前に迫る化け物を見つめ、霊夢は死を覚悟した。


「――死にたいの?」

 鈴が鳴ったような声が響く。
 声のする方へ霊夢が視線を向けると、
 割れた窓のところに、あの蒼い瞳の少女が立っていた。

「――死にたくないなら、逃げなさい」

 そうだけ言うと、その少女は化け物へと視線を向ける。

「……変身」

《Complete》
 
 ベルトから眩い光が放たれ、光の粒子が少女の体を覆う。
 光が止んだ後、そこには再びあの戦士が姿を現す。
 化け物新たな獲物へ向けて攻撃態勢を取る。

―キシャアアアアアアッ!!―

 化け物が少女へ攻撃を開始する。
 化け物は少女を抑えつけようと少女に襲い掛かる。
 少女はそれを両手で受け止めた。
 化け物はそのまま、力任せに少女を放り投げる。
 少女は窓枠にぶつかりながら、外へ放り出される。
 それを追って化け物が外へと飛び出し、睨み合う。

 少女はベルトの腰にある、カードデッキから一枚のカードを取り出す。
 ベルトに備え付けられたカードリーダーに挿入すると、電子音が鳴り響く。

《Ice vent『アイシクルフォール』》

 少女は手を化け物へ向かって突き出す。
 少女の手から氷の矢が放たれ、化け物へと迫る。
 が、化け物は跳躍してそれをかわす。

《Freeze vent『パーフェクトフリーズ』》

 何時の間に取り出したのか、もう一枚のカードをベルトに挿入していた。 
 突如、化け物の周囲が氷結する。
 空気が固まり出すと同時に、化け物の体も徐々に凍り始める。

―ゴッ、ガガアア?―

 化け物が身動きのできなくなっていく自分の体を見つめ、呻き声を上げる。
 そうして、足先から凍り出し、ついに体全部が完全に動きを止める。
 ピシッピシッと、空気中の水蒸気が急激に熱を奪われる音が聞こえる。
 完全に固まった化け物へ、少女はゆっくりと歩み寄り、空気を切り裂く高速の回し蹴りを放つ。

 パアアアッン!!

 その衝撃で化け物は細かい破片となって、砕け散る。
 ダイヤモンドダストのように煌めきながら、化け物は絶命した。


 ――変身が解け、少女が再び白衣姿で現れる。
 霊夢を見ようともせず、少女はそのまま立ち去ろうとする。

「待って!!」

 霊夢は枯れた喉と振り絞り、叫ぶ。

「あ、貴女は一体!? ……せめて名前を教えて!」
 
 少女はようやく、こちらに興味を示したみたいに振り向く。
 蒼い瞳が、霊夢を心を覗き込むように見つめ、



「……チルノ」

 少女はそれだけ言い残して、二度と振り返らずに去って行った。





―第二話「その鍵の名前は……」、完。



―次回予告。
≪失われたもの。それは当たり前の時間と信じていた未来。再び訪れた悲劇を前に、少女達は何に向かおうとするのか? 
 蒼い瞳の少女が鍵となり、異界への扉を開く……

 次回、東方英雄譚 第三話「日常に手を振って……」≫




[7571] 第三話 「日常に手を振って……」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/05/03 22:58
 度重なる身近な人の死。
 父が死んだ後、母は茫然自失となった。
 仕事ができて、何時も生き生きしていた母の姿はそこには無く。
 髪を振り乱して泣き叫ぶ姿は、とても痛々しかった。
 できれば、私もそうしたかった。
 でも、出来なかった。
 嘆き悲しめば、少しは楽になるだろう。
 しかし私は泣く事で、この怒りが消えてしまうのを恐れた。
 
 美羽ちゃんと父は化け物に殺された。
 何故?
 あの化け物は何なのか?
 ニュースや新聞では化け物の事にまったく触れていなかった。
 ただの殺人事件と報じられ、テレビでは知識論者が当てずっぽうな推理を展開する。
 私は見た!!
 化け物を……。
 何故、皆触れない? 
 何故、隠す?
 
 私の渦巻く疑問は憎悪の形を取って、頭を擡げ、胸を締め付ける。
 私は許せなかった。許す事は出来なかった。
 
 

「……しばらく入院した方がいいわね」
 
 都内の私立病院。疲れ果てた母が倒れ、救急車で運ばれた。
 特に外傷はなく、精神的なものだったらしい。
 父の死は母にとってそれほど大きなものだった。
 【統合失調症】そう診断された。
 当分の間は、薬物療法で様子を見るようだ。

「家だとその記憶が呼び起こされて悪化してしまう可能性があるわ。まだ精神的に安定してないから、
 少しの間入院してゆっくりした方がいいわ」

 病院の女医さんはそういって母に入院を勧める。
 私はそれに賛成した。家の事なら多少できる。
 このところ仕事が忙しいのもあって、中々家に帰って来ない日も多かった。
 少しくらい休んでもいいだろう。
 母に家の事は心配せずゆっくりして欲しいと母に告げると、
 ありがとう、と消え入りそうな声で涙を流した。

「母は大丈夫なんですか?」

 母を病室に案内した後、先生から診察室で簡単な病気の説明を受ける。

「先ほど言った【統合失調症】は精神病の一種で、精神のバランスが崩れ脳の機能が障害を受けた事が原因でなると、
 最近の研究では考えられているわ。貴女のお母さんの場合はお父さんの死が原因ね」

 その女医はカルテを読みつつ、淡々と答える。

「私はどうしたら……」

「今は時間が必要よ。起こってしまった悲しみは時間しか解決はできない。だけど、貴女の力で回復を早めることはできるわ」

 そこで、先ほどの仕事上の堅苦しい言葉を崩し、口調が優しくなる。

「心の病気は難しいのよ。外科みたいに切って貼って終わりって訳にはいかないの。
 心を癒すには会話は不可欠。とにかく二人の時間を作ってその時間を楽しみなさい」

 私は一通りの説明を受け、診察室をでようとすると、

「あぁ、待ってちょうだい」

 そう言って呼び止め、女医さんが名刺を渡してきた。
 『精神科医 八意永淋』とあった。

「何かあったら連絡をちょうだい、相談に乗るわ。貴女は大丈夫?」

 その言葉で意味してる事を理解し、お礼を言う。
 母の病気は長期間の付き合いとなる。
 父の死は私にとっても影響を与える。
 母ほどではないが、何かしら体調の変化があった時はいち早く連絡をくれって事だろう。
 先生の優しさに感謝し、病院を後にする。





 ――母が入院してから数日、
 霊夢の家の呼び鈴が鳴り、インターホン越しに除くと、若い女性が立っていた。

「私、射命丸文と申します。お母様から住所はここだと聞いて……」

「はい、今開けます」

 射命丸文と名乗った、変わった名字の女性の事は聞いていた。
 母があんな状態になりながらも、私の事を心配してくれて、
 母の仕事の部下で年の近い文を紹介してくれた。

「お邪魔します」

 そういって玄関に姿を現したのは、女性というよりもまだ少女のようにあどけなかった。
 すっかり片付いた居間へ通し、気になって質問する。

「私はまだ、十六ですけど?」

 以外どころか、本当に若い。
 私と二つしか違わないのに大人びて見えた。
 丁寧な口調は記者という職業柄というよりも性格だろう。
 高校は行ってないのか、と質問すると。
 家庭の事情で働かなきゃいけないとの事。
 母の事務所でアルバイトをしていたが、今度正社員として働く事が決まったという。
 仕事に厳しい母が認めたという事は、有能なのだろう。
 小さな出版社だが、その若さで今の仕事するのは大変だと言う。

「貴女のお母さんに認められた時は嬉しかったです。まだ駆け出しの記者ですけどね」

 文が言うには、霊夢の世話を母が無理やり頼んだという事はなく。
 事情を知った文が、自ら買って出てくれらしい。
 自分の仕事の傍ら、時間が開いたらこうして来てくれる文の気持が嬉しかった。
 三人家族の家が、一人だけで住むようになってどれほど寂しい事か……。
 そんな時、年の近い文の存在は心強く、本当の姉のように何でも相談出来た。
 そうして、話てるうちに文に疑問の思っている事を聞いた。
 あの化け物の事を……。
 文は馬鹿にするどころか、真剣に話を聞いてくれて、

「化け物……実は私が調べてるのもその事なのです」

 そういって、文は自分の鞄から資料らしき物と手帳を取り出す。

「霊夢さんの言う化け物の謎。目撃証言が多数あるのに表沙汰にされない理由」
 
 文が考えるようにペンを噛む。

「あれは何なんですか?」

「私も掴めていないわ。その化け物の正体は依然不明だけど、その化け物が目撃され出したのはここ最近、
 それも突然よ。しかも一か所ではなく、同時多発的に全国で出現し出した」
 
 そういって日本の地図を開くと、全国各地で出現地域に赤いバツが付けられていた。
 日付もまちまちで、相関性がない。
 ただ文の言うとおり、何処の報道局も黙認してるのだという。

「大手出版社もこの問題についてはタブー視され、手を出していない。私みたいに調べてるのは小さな出版社や個人の人が主。
 その人達と連絡を取り合ってこの謎を解明しようとしているのよ」

 都市伝説の類ではなく、実際に行方不明者や死亡者が出ている。
 それでも、国家権力が動けない。
 否、動かない理由は……?
 報道規制が敷かれているのは?
 何かを隠している。
 その所為で、美羽ちゃんも父も死んだ。
 そう思うと遣る瀬無い。

「……チルノって名前に聞き覚えは無いですか?」

 文は少し考え込むと、鞄からB5サイズのノートパソコンを取り出す。

「……出た、確かチルノってこの子じゃないでは?」

 文のノートパソコンには、霊夢が見たあの少女の顔が映し出されていた。
 
 ……チルノ・ホワイトロック博士。
 東方統合科学研究所職員。
 西暦20XX年12月1日に誕生し、満十歳。
 幼少の頃よりその天才ぶりを発揮し、全ての知識を吸収した少女と呼ばれた。
 
「彼女は結構その科学者の間では有名です。天才少女って、テレビとかには出てないですけど、確か一年前に謎の失踪をしています。
 彼女は変人で、荒唐無稽な発言で、周囲がついていけなかったって関係者は漏らしてますけどね」

「……実は私、この子と会ってるんです」

「えっ!? どこでです?」

 私は知っている事を全て話した。
 友達の美羽と父が化け物に殺された時に助けてもらった事。
 そして、奇妙なベルトで変身した事。
 誰かにこの事を話したかったが、話す相手がいなかった。
 話しても大人は信じてくれないと思ったから。
 文は真剣に聞いてくれて、少し胸のつかえが取れた。

「成程……いや、まてよ。そうすると……」
 
 文は再び、ペンを噛んでブツブツと独り言を言う。
 どうやら、それが彼女の考えるスタイルのようだ。

「霊夢さん、大発見ですよ!!」

 突然、彼女は大きな声を上げ、興奮して霊夢を見る。

「あぁすいません。取り乱しました。でも、これはお手柄ですよ。
 色々と辻褄が合うのですよ」

 そういうと、文は日本地図を指す。
 何故かこの地域に限って被害が少ない。
 そして、目撃証言の中で、化け物同士が争っていたという証言もあるらしい。

 
「文さん。お願いがあります」

 私の言葉に文が、不思議そうに顔をこちらに向ける。
 私は頭を下げ、文に懇願した。

「私をチルノ博士に合わせてください! お願いします!!」

 


―第三話「日常に手を振って……」、完。


―次回予告。
≪決意したこと。それは確かな自分の正義。分かたれた世界の訳を知る由もなく、少女は道を選ぶ。
 無音の闇を切り裂く、怒りの咆哮は虚しくすれ違い、新たな記憶を刻む。

 次回、東方英雄譚 第四話「木枯らしの果てはありけり」≫





[7571] 第四話 「木枯らしの果てはありけり」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/05/01 19:33

「……霊夢」

 私は長い長い休みの間、何をしていたんだろう……?
 あの事件のあった後、私は家に閉じこもり怖くて外を出られなかった。
 あの化け物が、後ろにいるような気がして。
 あの化け物が、追ってくるような気がして。
 怖くて怖くてたまらなかった。
 携帯の電源を切り、外界との情報を遮断した。
 両親は心配して、何度も医者に診せようとしたが、私は外出を頑なに拒んだ。
 そうして時間が過ぎて、何も変わってない自分に気づいた。
 時間が解決してくれるなんて嘘だ!
 あの時の恐怖は色あせることなく、覚えている。
 ……霊夢は私の逃げ出した後……どうなったんだろう?
 ……殺されたのか?
 ……美羽みたいに?
 
 私はそれを確かめるのが怖かった。
 携帯の電源を入れると……霊夢が死んだ、と連絡として来るのが怖かった。
 携帯を片手に布団に潜って、震える日々に嫌気がさした。
 どうしようもなく怖くても、
 気になって仕方がない。

 自分は霊夢を置いて怖さのあまり逃げたんだ。 
 親友を置いて、一人で……。
 恥ずかしい。
 自分が許せない。
 でも、あの時はああするしかなかった。
 あんな化け物が目の前にいれば誰だって……。
 いや、言い訳だ。
 霊夢を裏切ったんだ、その事実は変わらない。
 化け物が怖い。
 霊夢が死んだ事を知るのが怖い。
 何だ、それ。
 結局は自分が可愛いんじゃねぇか。
 自分が傷つきたくないだけじゃないか。
 要は、私は霊夢に見放されるのが怖いんだ。
 自分を置いてさっさと逃げ出した臆病者と、罵られるのが嫌なだけだ。
 魔理沙……。
 お前はそんなにちっぽけなヤツだったか?
 ……。

「電話しよう……」

 折りたたみ携帯を開け、アドレス帳から霊夢の番号を検索する。
 コールボタンを押そうとした親指が止まる。

 ……本当に電話するのか?
 もし……霊夢が電話に出なかったら?
 あの後霊夢はあの化け物に殺されてたら?
 私はその事実に耐えられるか?
 ―――――――
 ――――
 よし。


「……もし、もし……霊夢……か?」

 何回かのコール音の後、出た相手に確認を取る。
 相手が息を飲んだ音が聞こえた気がした。
 時間が酷くゆっくり感じられ、
 相手が話すのを待つ。

「……魔理、沙?」

 あぁ。
 良かった。
 本当に……。
 この声は霊夢だ。間違いない。
 無事だったんだ。
 ホッとしたのも束の間、何を話そうか迷う。
 あの事件の日、霊夢を置いて逃げ出した自分を恥じ、謝りたかった。
 ごめん、と。
 その一言を言いたくて電話を掛けたんだ。
 でも、いざとなったら何て言えばいいか……。
 私が言葉を探して、言葉が出ないでいると、

「馬鹿魔理沙!! 心配……したんだから……」

「……ごめん」

 やっぱり霊夢だ。
 『馬鹿魔理沙』の一言で、霊夢は私を許してくれた。
 どんなに貶され、罵られても仕方のない事をしたのに、
 霊夢はその事には触れず、全てを含んだ言葉で私を迎えてくれた。
 ごめん、霊夢。
 本当にごめん。
 ……ありがとう。

「ちょ、ちょっと魔理沙。何泣いてんのよ」

「だぁって……ひ、ぐす」

「あぁもう!! 会ってからゆっくり聞いてあげるから、こっち来なさい!」

 霊夢は自分の家に来るよう指示する。
 私が家に籠ってから一週間が経っていたらしい。
 その間、霊夢の方も色々あったようだ。
 会ってゆっくり話したい。
 それは私も同じ気持ちだ。
 私の止まっていた時間が動きだす。
 凍った氷が溶けてくみたいに……。
 一人だと絶対に越えられないと思っていた壁が、
 こんなにも簡単に越えることができるなんて。
 霊夢がいるからか……。
 昔っからアイツは何者にも縛られない自由な奴だった。
 飄々としていて一見適当に思えて、大切な事はちゃんとわかっていた。
 それが……私の親友だ。
 それが、誇りを持って自慢できる。
 それが――誰が何と言おうと絶対の真実だ。



 数刻後、魔理沙は霊夢の家に来ていた。
 魔理沙は美羽の葬式があったこと、そして霊夢の父が死んだことを知った。
 霊夢の説明はどこか割り切っているようで淡々としていたが、
 それが逆にぬぐい去れない深い悲しみを負っていることを霊夢の表情からわかる。

 そして、最後にあの化け物のこと……。

「本当かよ、あの化け物を調べてるって!?」

「えぇ、私は知りたいの。何故、美羽やお父さんが死ななくちゃならなかったのか」

「でも、ヤバイぜ。今度は本当に死ぬかも知れないんだぞ!?」

「それでも私は納得したいの。幸い文さんもいる事だしね」

 霊夢は今後、新聞記者の文と行動を共にして化け物の調査をしていく事を魔理沙に告げた。
 そして、その化け物を倒した人間がいる事実に、魔理沙は興奮を隠せなかった。
 しかも、その人間は若干十歳ぐらいの幼い少女だというから、驚嘆せざるを得ない。
 何故、化け物が出現したのか?
 何故、公にされずに隠されているのか?
 そして、チルノという謎の少女のこと。
 謎が疑問を呼び、疑問が好奇心を刺激する。
 よって、魔理沙は、

「私も参加するぜ!!」
 
 こうなる訳だった。
 元々好奇心旺盛で、悪戯好き、何にでも首を突っ込む性分の魔理沙に、
 霊夢は呆れつつも、いつもの魔理沙に戻って安心した。
 霊夢自身も見知った存在が近くに居ることで幾らか気持が楽になる。

「でも、危険よ。もしかしたら……また、化け物に襲われるかも――」

「私は決めたんだ! 逃げないって、もう絶対に!!」
 
 霊夢は魔理沙の言葉に、言葉を失い、そう、と一言だけ言葉を漏らす。
 霊夢の心配は杞憂だったようだ。
 魔理沙がそう決めたのなら、曲げることはない。
 それがわかるから言っても無駄だと、霊夢は理解する。

「それで、その文さんってのはまだ情報掴んでないのか?」

「えぇ、今調査中よ。何かわかったら携帯に連絡が来るわ」

「……なあ、霊夢」

 魔理沙が携帯をいじりながら、言いにくそうに霊夢に呼び掛ける。

「ちょっと頼みがあるんだが……」





 霊夢と魔理沙は花屋に来ていた。
 本当は商店街の中にある古ぼけた花屋を目指していたが、霊夢が最近できたという花屋さんを案内してくれた。
 霊夢が紹介した花屋はできて間も無いらしく。
 芸術家が建てたみたいなお洒落な外観をしていて、花屋というよりも喫茶店のような雰囲気だった。

「『フラワーショップ 向日葵』? こんな店あったっけか」

 魔理沙が風が強いのか、帽子を押さえながら店の看板を仰ぐ。

「最近できたのよ。家から近いしね」

 霊夢がさっさと店に入り、花を選んでいく。
 魔理沙がどうしても美羽の仏壇に参りたいと言って、お供え物の花を買いに来ていた。
 魔理沙はこういう事には疎いため、霊夢に助言を仰ぎつつ品定めをする。
 というよりも、霊夢がほとんど仕切っていた。

「いらっしゃいませ。お目当ての商品は見つかりましたか?」

 唐突に店員が手持無沙汰で、店をふら付いている魔理沙に声を掛ける。
 ここの店の看板娘と言われている店員で、常に微笑みを絶やさずお客と接する様は、
 大人のお姉さんという感じで結構慕われているようだ。

「お邪魔してます。幽香さん」

 霊夢が顔見知りなのか、気軽に店員に話しかける。
 霊夢の紹介で魔理沙は、彼女が風見幽香という名の女性で、この店の店長をやってる事を知った。

「へぇ~若いのに凄いな!?」

「こら、魔理沙!」

 魔理沙の遠慮のない発言に、霊夢が頭を叩いて黙らせる。
 その様子をおかしそうに、クスクス笑って、

「そうよ、凄いんだから。魔理沙さん、花はお好き?」
 
 魔理沙の失礼に咎めもせず、ノリが良い幽香は花屋というよりも保母さんに向いているのではないかと霊夢は常々思っている。

「花は、嫌いじゃないぜ!」

「そう良かった。なら、記念にどれか一本包んであげましょうか?」

 そういってくれる幽香に、魔理沙は少し、気分を落とす。
 それを敏感に察して、幽香が黙って二人の反応を伺う。

「幽香さん。これから私達、友達の仏壇にお参りに行くの。それでお花なんだけど……」

「そうね、お仏壇に飾る花なら棘や毒のある花、匂いの良くない花以外だったら特に何を飾っても問題ないわ。
 一般的には菊の花ね。色によって花言葉も違ってくるけど……」

「どんなのがあるんですか?」

「菊は紅色で愛情、黄で高潔、白で真実って感じで色々な意味合いがあるの」

「……白の菊を下さい」

 幽香は丁寧に花を包み、魔理沙に渡す。
 お代は受け取らず、また遊びに来てくれる事が条件で。




 ――その帰り道、

「いい人だったでしょ。幽香さん」

 霊夢は魔理沙に、話しかける。

「近くにああいう花屋さんがあるのって素敵じゃない?」

「……」

「……魔理沙が花ってのもちょっと似合わないかもね?」

「……」

「……まったくもう、泣き虫なんだから」

 霊夢は俯いてる魔理沙の首に手を掛け、引き寄せた。
 魔理沙はそれに逆らわず、霊夢に身を預ける。
 霊夢は魔理沙に頭をコツンっと当てて、柔らかく光る金色の髪を撫でる。

「……泣き虫なんかじゃ、ねぇよ」

「わかっているわよ。そんなこと」

 魔理沙の持つ白菊の花が震える。
 説明を受けた時は実感のなかった美羽の死。
 それが花を買う事で、自覚したのだ。
 ただ、遅れただけ。
 その現実の悲しさは霊夢にも等しくもたらされ、乗り越えなくてはいけない事だ。
 魔理沙はこういう事には、疎いと自分で言っていた。
 勝気な性格はナイーブな内面の裏返し、
 それを知っているから霊夢は、木枯らしが吹く帰り道を、立ち止まること無く、ほんの少しだけゆっくり歩いて行く。



―第四話「木枯らしの果てはありけり」、完。


―次回予告。
≪できること。できるだけの力。あると信じた自分はただ自惚れていただけなのか? 
 多くの想いを受け、今ここにいることの意味を少女達は様々に思い、悩む。
 出会いがもたらすものは更なる苦悩か? それとも救いの糸口か?

 次回、東方英雄譚 第五話「虹を追う者」≫



[7571] 第五話 「虹を追う者」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/03/29 20:16


 日曜日の朝、突然文から電話があった。

 チルノ博士を見つけた、その言葉を聞いた瞬間、霊夢の体に電流が走ったように痺れる。
 感覚が研ぎ澄まされ、音が妙に鮮明に聞こえる。
 すでに、文はチルノ博士と接触しており、話も聞くことができるという。
 霊夢はすぐ様、魔理沙に電話を掛ける。

『おう! 霊夢か、どした?』

 男のような口調で魔理沙は電話に出る。
 少しずつだが、魔理沙も本来の自分に戻りつつある。
 良い傾向だと、霊夢は思う。
 少し前は……電話してもどこか沈んでいて声に張りがなかった。
 無理も無い。一秒後にすぐ笑えるわけじゃない。
 それでも、一日一日何でもいいから話し合う。
 本当に他愛も無い、どうでもいい話を……。
 その積み重ねは、やっぱり大事だと霊夢は信じている。
 魔理沙のようにはいかないが、霊夢の母も頑張っている。元の生活に戻る為に……。

「チルノ博士が見つかったって、文から連絡があったわ」

『ついに来たか……大丈夫か?』

 魔理沙の問いの意味を、霊夢はすぐに理解する。
 魔理沙が心配するのは当然だった。
 例えば、いくら親や友人を殺されたからといって、凶悪な殺人犯を殺しに行こうとするのか? 
 人間でも銃などで武装した相手に、戦意を喪失する。
 まして、人外の化け物相手に立ち向かうなど正気の沙汰ではない。
 霊夢の考えを魔理沙は正確に把握している。
 霊夢が助けられたというチルノ博士の力。
 それは霊夢が何より望む暴力だった。
 あの凶悪な化け物の暴力を前にして、更なる暴力で叩き潰す能力。
 その力を手に入れたい。
 だが、そうすれば……もう元の日常の生活には戻れないだろう。
 もし、力が手に入らなくても、霊夢はチルノ博士にその力を存分に振るってもらうため助力を惜しまない。
 事故だった、と片付けて、全てを忘れて日常に戻る選択肢もあっただろう。
 だが、霊夢はその選択肢は最初から放棄した。
 放棄しなければならなかった。
 その選択肢を選ぶことで、霊夢は父と美羽を裏切ることのように思えたからだ。
 自分可愛さに逃げだしたと、それが霊夢には耐えられなかった。
 それは針で刺す痛みのように、徐々に痛みが心に染み出していつかは壊れると感じたからだった。

「迷いは……無くしたわ。魔理沙も……話を聞くなら時間遅れないでね」

 そういって霊夢は電話を切る。
 これは強制ではない。霊夢のただの自己満足だ。
 それに魔理沙を付き合わせるのは気が引けた。
 これで、魔理沙が来なくても友情は変わらない。
 一緒に自殺しようと言っているようなものだ。
 親友だからこそ、魔理沙にはそのまま平和な日常へ戻って欲しかった。
 時間は午前十一時。まだ、時間はある。
 霊夢は服を着替え、いつものように大きな赤いリボンで髪を纏める。

「あ……血……」

 赤くて気付かなかったが、リボンの端に赤黒い血が付着している。
 
「そう言えば……このリボン、あの事件の日以来つけてなかったな」

 リボンに付着したのは美羽の血だろう。洗ったらすぐ取れそうな気がするが、
 霊夢はあえてそのままにする。
 忘れない為に……。
 乾いた血を撫で、決意を新たにする。
 
「私の選択は間違ってないと……証明、してみせる」
 
 身支度を整え、霊夢は玄関を出る。
 と、そこに……。

「おせ~よ霊夢。待ちくたびれたぜ」

 魔理沙が家の塀にもたれかかり待っていた。
 白黒を基調とし、無数のレースやフリルが縫い取られたゴシックの衣装、 
 元々西洋の血が入った魔理沙は抜けるような白い肌と光に輝く金色の髪。  
 無自覚な妖艶さと言ったらいいのか。太陽と月が共存している美しさがあった。

「場所わかんね~からよ。連れてって!」

 霊夢は、魔理沙の言葉で心底おかしそうに大笑いする。
 
「何だよ!? いきなり笑いだして……気持ち悪い」

「くふふ……ごめん……ふふっ、魔理沙は魔理沙だなと思って」

「訳わかんねぇよ、まったく……」

「ごめんごめん。じゃあ行きましょうか。時間に遅れるわ」

 




「あ、霊夢さ~ん! こっちです~」

 文との待ち合わせ場所は、喫茶店だった。
 『喫茶 SATORI』
 ここら辺ではわりと有名な店で、個人店だが常連客が多い落ち着いた店構えだ。
 店内は割と小じんまりしていて、先に来ていた文達はすぐ見つかった。

「魔理沙さんもよく来てくれました。こちらが電話で話した――」

「……チルノです」

 無表情に見つめる眼差しや、体温や気配を感じさせない無機質な姿.
 霊夢が以前助けてもらった時の印象と何一つ変わってなかった。
 幼い外見だが、文よりも大人びて見える。

「また会えて嬉しいです。チルノ博士。私は博麗霊夢と申します。
 以前,命を助けてもらって、その節は本当にありがとうございました」

 霊夢はチルノに深く頭を下げる。

「別に、いい」
 
 愛想の欠片もなくチルノはうなずいた。

「ここじゃ話し難い事なんで、場所を変えましょう。
 この近くにチルノさんのアパートがあるのでそこへ……。
 もう、チルノさんの了解は取ってあるので」

 文に促され、移動する。喫茶店から歩いて十分ほどで、文の言うチルノのアパートについた。
 よくテレビで宣伝している家具一式が揃ったアパートだった。
 チルノが鍵を開け、部屋に入る。

「うわぁ……」

 魔理沙が驚きの声を上げる。
 そこには……何も無かった。
 入居時に貸し出される備え付けの家具以外、生活感がまるでなかった。
 ただ一つあるのは、コンビニの弁当の空箱などのゴミが満載のゴミ袋が一つあるだけ。
 魔理沙が信じられないモノを見るように、無遠慮に部屋を見回す。
 これと比べると魔理沙は、異様に余計な物が多いと感じる。
 魔理沙の部屋は趣味なのかマニアックな本や、
 何に使うかわからない道具がひしめいているのを霊夢は思いだす。
 
「座ってて」

 そういってチルノは台所へ引っ込み。霊夢達は言われたまま部屋の中央にあるテーブルへ腰掛ける。
 しばらくしてチルノは、盆に急須と湯呑みを載せて現れる。
 そのまま、四角いテーブルの一辺に座り、無言のままお茶を注ぐ。

「それで、何が聞きたいの?」

 チルノは前置き無しにいきなり本題に入る。
 事前にある程度は、文から話しは通ってるようだが、いきなり聞かれて霊夢達も若干戸惑う。
 霊夢は忙しい中、合う時間を作ってくれたのだと解釈し、意を決して聞く。

「じゃあ、質問させてもらうわ。チルノ博士。あの化け物は一体何なんですか?」

 魔理沙と文が思わず乗り出して、チルノの言葉を待つ。
 チルノは間髪おかず、淡々と答える。

「あれは『紅魔』から送られてきた狩人。人間を襲い、喰らう」

「『紅魔』って、何だ?」

 チルノの聞きなれない単語に魔理沙が質問する。

「『紅魔』とは吸血鬼を中心とする妖怪のグループ」

「ちょっと待って下さい。『妖怪』って言いました? この現代日本でですか?」

「妖怪は昔から、そして今もいる。それは歴史が証明している。
 信じるかどうかは貴女次第」

「まぁ、待って下さい霊夢さん。あんな化け物がいるんです。
 妖怪がいたっておかしくないじゃないですか。
 それに、関係する事件の数々は人間技じゃないのがほとんどです」

「すいません。信じてないって訳じゃなくて、ちょっと驚いて。 
 それでは何故妖怪は今、人を襲ってるんですか? ここ一年ほどの間ですよね。 
 急に化け物が襲ったと思われる事件が起こり出したのは……」

「……原因は今、調査中」

「そう、ですか……」

 何故、人間を襲いだしたのか?
 理由は化け物にしかわからないだろう。
 チルノは全国を飛び回り、原因を調査してるらしい。
 そのため、すぐ移動しやすいように必要最低限の荷物だけ持っている。
 そのため、荷物が少ないし、今回のように賃貸のアパートは稀で、
 普段はカプセルホテルを利用しているようだ。
 全国の中でも、この地域の化け物の発生率が異常に多いらしい。

「質問いいか?」

 魔理沙が次の質問へ入る。

「霊夢に聞いたんだが、チルノはその化け物を倒したって言うじゃねぇか。変身したとか……」
 
 いきなりチルノ博士を呼び捨てにする所が魔理沙らしいと霊夢は思った。
 チルノは、少し悩んだ末、話し始める。

「あれはマスクドライダーシステム。あたしの母、レティ・ホワイトロックがシステムの基礎を作り、
 あたしが実践レベルに耐えるよう開発した、装甲強化服タイプの特殊戦闘システム。
 資格者がこれを装着(変身)することにより、マスクドアーマーで攻撃力と防御力面を強化する」

「マスクドライダー……『仮面ライダー』って訳か、それって私達でもなれるのか?」
 
 魔理沙がチルノを見つめる。
 チルノも魔理沙を正面から見据えて、口を開く。

「それは……わからない。ベルトは資格者を自ら選ぶ。私の場合は……」

 チルノは目の前にある自分の湯呑の口に、手を翳す……。
 次に手を離した瞬間、湯呑に残ったお茶は凍りついていた。

「えっ!? マジック?」

 魔理沙が息を、止めて見入る。
 あの一瞬で熱いお茶が氷結するなんて、トリックだとしても凄い。
 三人は自分の目を疑った。

「冷気を操る程度の能力しかないが、変身しなくてもこれぐらいはできる」

「超能力ってやつですか?」

 文が凍った湯呑の写真を撮りながら、質問する。
 文の質問に、静かに首を振り否定の意味を示す。

「世間一般で解釈される超能力とは別の力。これは妖怪の力を使っている。」

 『妖怪の力』の部分で三人が一斉にチルノを見て、身構える。

「誤解の無い様、先に説明する。あたいには半分妖怪の血が流れている。
 あたいは雪女の母と、人間の父親との間に生まれた『半妖』」

 チルノのいきなりの告白に魔理沙達は固まる。
 文は流石記者というべきか、すぐに我に帰って自分の手帳にメモを取る。
 霊夢が必死に頭を巡らせ、

「ちょっと待って! ではチルノ博士は妖怪の味方なの!?」

 霊夢は思わず声を荒げる。
 頭に血が上り、声質にも震えが出る。
 妖怪を倒す手段を探すためにチルノに会いに来たが、そのチルノ自身が妖怪とハーフだという。
 妖怪というだけで、イコール化け物と同列に認識してしまう。
 チルノ自身が直接人間を襲ったわけでもないのに、人間の敵に思えてくる。

「霊夢さんっ!! 落ち着いて」

 文が霊夢を必死に押し留める。
 そのままだと、今にもチルノに掴みかからんばかりの勢いだった。
 興奮した霊夢を前にしても、チルノは相変わらず冷たい表情で三人を観察する。
 そして、怒りの表情を見せる霊夢を尻目に、再び口を開く。
 
「説明が足りなかったようだな、謝ろう。あたしは半妖だが、妖怪側に付く気はない」

 霊夢は少しずつ怒りを呑み込みながら、チルノの説明に聞き入る。

「じゃあ、あの化け物達は敵で、私達の味方になるって事でいいのか?」

 魔理沙が先を促す。
 チルノは首肯して、答える。

「あたしは敵ではない、今は信じて欲しい」

 霊夢はそこで、ようやく座り、残ってたお茶を一気に飲み干す。

「取り乱したわ。ごめんなさい……チルノ博士――」

「チルノでいい」

「……わかったわ。チルノ……ごめんなさい」
 
 霊夢は自分の失礼を詫び、素直に頭を下げる。
 
「私は貴女に二度命を助けてもらった。文句を言える立場ではないのに取り乱してしまって……。
 私は、チルノにお願いに来ました。私にも化け物退治を手伝わせてください。
 何でもします。だから……お願いします!!」 

 霊夢は一度上げた頭を、再び深く下げてお願いする。
 霊夢の目的は化け物を倒す事だ。
 その目的が達成されるのであれば、半妖でも構わないと霊夢は思った。
 自分が動くことで、少しでも化け物の数を減らす手伝いができれば、
 死んだ父や美羽の供養にもなる。

「あたしは研究所時代から化け物の存在を感知し、
 一年ほど前から、本格的にマスクドライダーシステムを試験運用している。
 まだまだ問題は多い、多くの理解ある人の協力が必要」

 そうしてチルノは霊夢に右手を差し出す。

「握手」

「ありがとう……チルノ」

 霊夢はその手をしっかりと握り返す。
 その手の上に横から手が伸び、

「へへっ! 私も混ぜてもらうぜ」

 魔理沙が手を載せ、
 さらに、もう一つ手が置かれる。

「情報収集ならお手の物です」

 文がウィンクしながら、握手を重ねる。

 決意はした。行動もした。
 次は結果を出すだけだ。
 霊夢の背中が震えた。
 もう、後ろを振り返らない。振り返れない。
 そういう状況下に強制的に自分を置くことで、霊夢は自分に枷を嵌める。
 戒めの鎖に自分の影を縫いつけて、
 怯えないように、迷わないように……しっかりと。




 ――そこで、いきなりけたたましい電子音が鳴り響く。

「敵」

 チルノは素早く身を翻し、玄関を勢いよく開け、全力で走る。
 霊夢達もチルノの後について後を追う、
 妖怪は微弱な波長を出しているらしい。
 この電子音も、ベルトに内蔵された妖気探知機と呼べるような装置だった。
 この装置を使えたため、霊夢は二度命を助けられている。
 その探知機は敵の妖気の強さで、探知できる距離が決まる。
 弱い妖怪は半径数百メートル。霊夢を襲った化け物がこれにあたる。
 反対に強大な妖怪は、何十キロと離れていても探知できるが、気配を殺されたら役に立たないらしい。
 問題点も多く改良の余地はあるが、何せ今は時間が無い。



「居た……」

 チルノの発見の報告を聞き、素早く指示に従う。
 公園に生えてる木を背にして、敵から姿を隠す。
 チルノの視線の先には異形の化け物がいた。
 追いついた三人に向かって視線を向け、

「貴女達はそこに隠れていて、あたしが味方である事を証明する」

 そう霊夢達に言い残して、チルノは化け物の前に堂々と姿を現す。
 敵はチルノ気づいたようで、視線をこちらに向ける。
 血走った瞳には、殺意しか浮いてない。
 理解しやすい暴力の塊。
 その四肢は、全て獲物を狩るために存在している。
 霊夢は我知らず、拳をきつく握り、唇を噛む。
 爪や歯が、肉に食い込み、破れた皮膚から血が滴っているのも気にならない。
 そうしないと、飛び出してしまいそうだったからだ。



 霊夢の様子に気づきつつ、チルノが携帯を取り出す。
 キーを押して電子音が響く。

≪Standing by≫

「霊夢……良く見ていて」

 チルノは振り向かず、背中に隠れている霊夢へ声を掛ける。
 霊夢はその声を聞き、無言で頷く。



「……変身」

 少女が携帯を、腰のベルトに装着した。

《Complete》
 
 ベルトから眩い光が放たれ、光の粒子が少女の体を覆った。






 ――第五話「虹を追う者」、完。



 ――次回予告。
 ≪これが正義と、正しき道筋と、信じるそれぞれの胸の奥の火は翳ろうか? 
  自分が選んだ運命が、見えない操り糸で絡められてる感覚は、
  いったい何時まで続くのか?

  次回、東方英雄譚 第六話「チルノ ―追憶編―」≫






[7571] 第六話 「チルノ ―追憶編― 」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2010/08/30 22:36

 物心ついた頃だったか……。


 いつの間にか、あたしは友達がいなくなっていた。
 理由はわかっていた。
 ……あたしが皆と違うからだ。

 お母さんから直接聞いた。
 お母さんは雪女という種族の妖怪で、あたしはその血を引いている。
 まだ幼く、自分の力を制御できなかった。
 『冷気』
 あたしの体は常に冷えていて、体温というものが感じられなかった。
 それだけではなく、あたしのいる空間は常に冷えていて、
 夏場ならまだしも、冬など最悪だったらしい。
 

 その異様な力に加え、あたしはとても子供らしくなかった。
 五歳ぐらいで、高校レベルの問題も安々解けた。
 何故皆がこんな問題も理解できないのか、理解できなかった。
 何故そんな論理的でない発言をするのか、納得できなかった。


 あたしが自然と周囲から倦厭するようになるのは当然だった。
 あの当時あたしは……頭は良かったが、賢くなかった。
 今思えば、何故皆と合わせなかったのだろうか?
 知識量が幾らあったって、それを生かしきれていなかった。
 例え、英語が原文で読めても、微積分が理解できても何の役にも立たなかった。
 自分の自意識を過剰に満足させるだけで、
 友達と遊べないんじゃ……何の、意味もない。


「おいチルノっ! 何でお前、冷たいんだよ」

 小学校に上がる頃の年齢の時、はっきりとそう言われた。
 今まで周囲の同年代の子は、何か分からないが一緒に居たくないという、
 はっきりした理由が表現できなかったみたいだ。
 少しずつ一緒に遊ぶ回数が減って。
 少しずつ話す回数が減った。
 それがこの年代ぐらいになると、明確な理由を持って避けるようになる。
 皆……遅いよ。 
 何を今さら、分かっていた事でしょ。
 あたしに言って来た男の子と、その取り巻きが囃し立てる。

「体が冷たくて、したいみたいじゃない!?」

「そうだそうだ、チルノは死んでんだ、ゾンビだ、化け物だ!!」

 死んだ人間の体温は冷たい。
 漫画から得た知識なのか、体が冷たい=死体だと安直に決め付け、
 渾名が『ゾンビ』になった。
 あたしは両手でその男の子の顔を掴み掛かる。
 言い返せる言葉は何千とあった。
 身体的特徴や知識の未熟さを論って罵る事は容易だった。
 だけど、その時あたしは頭に血が上っていた。
 その時だけは、若干体温が上がっていたと思う。
 今までこれだけの敵意を正面から向けられた事は無く、
 悔しさと虚しさをぶつける対象が存在しなかった。……好都合だった。

「ひっ!? ……や、やめ」

 その名前が思い出せない男の子は、あたしの両手で固定された顔を恐怖で引き攣らせる。
 そんなにあたしの顔が怖かったんだろうか?
 あたしは見下すような視線で、両手に少しだけ意識を集中する。

「つ、冷たいっ……止めてくれ!!」

 男の子の顔はあたしの手が触れてる所からゆっくりと凍っていった。
 殺しはしない。細胞を壊さないように表層部分に霜を下ろす。
 恐怖に見開かれた男の子瞳から、涙が溢れ、瞬時に凍りつく。
 アンモニア臭がする。どうやらお漏らしをしたようだ。
 もういいだろう……あたしは手を放して解放する。
 男の子とその取り巻き達は、泣き叫びながらあたしから離れて行った。


「……ざまあ見ろ」
 
 あたしは胸がすく思いで、その背中を見つめる。
 
『ゲロッ』

「おっ!?」

 あたしはすぐ横にある田んぼから、カエルの鳴き声を聞いて興奮した。
 この田んぼは、近くの農協が管理している。
 学校の隣接する形で、品種改良の農場があるのだ。
 あたしにとっては遊ぶ玩具が沢山ある玩具箱のようなものだ。
 一人やる遊びには限界がある。
 家の本は全て読破し、ゲームも展開がすぐに分かって面白くない。
 だから、こうやって小動物を苛めて楽しんでるんだ。
 鬱憤を晴らすため、いつものようにカエルを凍らせて……。
 飽きる事はなかった。
 飽きる事はできなかった。

 凍ったカエルを遠くに放り投げ、膝を抱えてうずくまる。
 もう、帰ろう……あたしの家に……。
 あの傷つける者がいない、あたしだけの城へ。
 お母さんは今日も帰ってこないだろう。
 お母さんは仕事が忙しいのか、職場である研究所に入り浸っていて、
 それでも間に合わないため、自宅の地下室を改造して簡単な実験室も設置していた。
 だから、あたしを見ていない。
 遊園地にも連れて行ってくれなかった。
 最近では食事を取る時間帯さえ違ってきていて、
 お母さんの顔を思い出すのに苦労するようになった。

「……遊ぼう」

 あたしが空腹感を覚えて、帰ろうとした時、突然声をかけられた。
 後ろを振り向くと、夕暮れ時の赤い太陽を背に少女が立っていた。
 背丈はあたしと同じくらい……?
 セミロングの緑髪を片方で纏め、服装はシャツに青いワンピース。
 そして一際目を引いたのが、太陽光に光り輝く透明な羽。
 一対の羽は昆虫の翅を思わせる。
 あたしはその特徴から一瞬で理解した。
 少女は人間じゃない。本で読んだことある……妖精だと。
 現実に存在するとは思ってなかった。
 面白い空想話としか捉えていなかった。
 だが、少女を見て……その考えを改めざるを得なかった。
 少女の纏う空気が違う事が分かった。自分も人間じゃないから……。

「……遊ぼう」

 少女は無邪気な笑顔で、あたしに話し掛けてくる。
 純粋に嬉しかった。人間じゃなくても良かった。

「……あたしでいいの?」

 あたしは自信無く答える。酷く臆病になっていた……。

「うんっ!! 何して遊ぼうか?」

 それからあたし達は空が暗く、犬の遠吠えが聞こえる時間帯まで遊んだ。
 時間がわからない。わからなくて良かった。
 知ったら……帰らなきゃいけないから。

 『奇跡』

 あたしにはそう思えた。
 人間が妖精に出会う確率はどれぐらいだろう?
 そして、あたしに出会える確率は如何ほどだろう?
 この奇跡のような時間を大切に大切に……。  
 明日も――同じ奇跡が起こるとは限らないから。
 あたしは『孤独』という病気に耐えられなくなっていた。
 袋小路のような、時の座敷牢。

 あたしは、自分が思いつく限りの遊びを提案した。
 その遊び方は本で仕入れたのもあるし、同年代の子が遊んでるのを見て覚えた。
 鬼ごっこは、こうやるものだ。
 かくれんぼは、こうやるものだ。
 間違っているかもしれない。でもそれでも、問題はなかった。
 少女は遊び方をよく知っていて、私の知らない遊びを教えてくれた。
 時間が足りない。
 今ほど、そう感じた事はない。
 今まで無駄に過ごした時間を全て――この時間に持ってきたい。
 あたしの力で時を凍らせる事ができたら……。
 


 ――遠くで、お母さんの呼ぶ声が聞こえる。
 お母さんが迎えに来るなんて……よっぽど遅い時間になっていたのか?
 ―――――――。
 ―――――。
 時間切れ。


「妖精さん。ありがとう、楽しかった」

 あたしは少女にお礼と別れを告げる。

「私の名前は大ちゃんでいいよ。大妖精の大ちゃん。名前が無いから、こう呼んで」

「うん。大ちゃん。今日は本当にありがとう!!」

「何で、そんな悲しそうな顔をするの?」

 あたしはそんな顔をしてたのか?
 満面の笑みを浮かべてお礼を言ったはずなのに……。
 
「変なの~? また明日遊べばいいじゃん」

「えっ!?」

 あたしは耳を疑った。
 あたしは妖精は気まぐれで、すぐどこかへ行ってしまう存在だと思っていた。
 だから、今日会えたのは大ちゃんの気まぐれ。偶然。
 明日にはどこかへ去ってしまうものだと思い込んでいた。

「本当に……明日も遊べるの? 大ちゃんと」

「うんっ!! 遊ぼうよ、チルノちゃん!!」
「約束だよ!!」
 
 あたしは大ちゃんと、小指を絡める。

「ゆ~びき~り、げんまん!」

「嘘つ~いたら、針千本飲~ます!」

「ゆ~びきった!!」

 
 ――その後、あたしはお母さんに初めて頬を打たれた。
 街灯があったからわからなかったが、夜の十時を回っていたらしい。
 仕事で遅くなったお母さんが、まだあたしが帰って来てない事に気づき、
 慌てて探しに来たようだ。
 何か事件や事故に巻き込まれたのではないか?
 そう、心配してくれた。
 あの仕事人間のお母さんが……。
 今日は、いい日だ。
 誕生日以外に記念日を作ろう。そう思った。



 ――それから毎日毎日、大ちゃんと遊んだ。
 飽きる事はなかった。
 飽きるはずがなかった。
 『幸せ』という言葉の意味をようやく知った。
 そんなある日、

「ねぇ大ちゃん! あたしのとっておきの遊びを教えてあげる!!」

「えぇ~何々?」

「こうやってさ、カエルを……」

 久しぶりに力を使った気がする。
 凍りついたカエルを、誇らしげに大ちゃんに見せた。
 大ちゃんは唖然としていた。それはそうだろう。
 何せ、あたしのとっておきなんだから。
 薄い胸を張って、自慢するあたしを大ちゃんは、

「チルノちゃん!!」

 思いっきり頬をぶった。
 その痛みで、持っていたカエルの氷漬けを落とし、ぶたれた頬を押える。
 わたしは茫然としていた。

「チルノちゃん。何て酷い事を……」

 大ちゃんは凍ったカエルを優しく持ち上げ、何か呪文を唱える。
 温かい光に包まれ、ゆっくり氷が溶けていく。

「遅かった……見なさい!! これが貴女のした事よ」

 凍った瞬間、心臓が止まってしまったカエルはすでに死んでいた。
 あたしはそれでも、何故怒っているのか……理解できなかった。
 だって人間は生きるために他の生物を殺す。
 家畜化して自由を奪う。観賞用に飼う。
 それと何の違いがある? あたしは疑問を次々口にした。

「確かに自然界では弱肉強食って掟がある。だけど、今の貴女の行動は食べるためじゃない。
 単なる遊び、暇つぶし。そんな事で命を奪って良い訳無い。そんなチルノちゃん嫌いだ!!」

 あたしはそこでようやく理解した。
 罪を犯してしまったと。取り返しのつかない……。

「待って!!」

 怒ってどこかへ行こうとする大ちゃんを、慌てて転びそうになりながらその手に縋る。

「……ごめん、なさ……」 

大ちゃんの手を決して離すまいと、爪を立てる。

「痛いっ! チルノちゃん……」

 大ちゃんの顔が痛みで歪む。

「ごめんなさい……ごめんなさい……」

「チルノ……ちゃん?」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい……
 謝るからっ! あたしが……悪かったから……だから、嫌わないで!! 
 もう、しないから……あたしをまた、独りにしないで……お願い!!」

 あたしは消え入りそうな声で懇願する。

「……お願い、します……」

 何回、『ごめんなさい』しただろう。
 嫌われて大ちゃんが消えてしまう。
 また一人になる。そんなの――耐えられない!!
 もう、知ってしまったから……友達がいない事に寂しさに。
 涙が溢れて止まらない。
 嫌だ!! 独りはもう……いやだよぅ。

「チルノちゃん。もう……いいから。わかったから……だからお願い、泣かないで」
 
 大ちゃんは自分の手に縋るあたしを離そうともせず、
 そのままもう片方の手であたしの頭を優しく撫でてくれた。
 しまいには、恥も外聞も無く泣き叫び、大ちゃんの胸を借りる。
 ……温かい。
 あたしは全てを曝け出して泣く。
 大ちゃんはあたしが泣き止むまで、ずっと付いていてくれた。


――ようやく泣き止んだあたしは再び大ちゃんに謝る。

「ごめん。本当にごめんね」

「だから、もういいってチルノちゃん。それにほら、もう暗くなって来たし、
 また、お母さんに怒られちゃうよ。早く帰らないと」

 あの日以来、あたしに門限ができた。
 その時間を一秒でも破るものなら、もう外で遊ぶのは禁止とはっきり言い渡された。
 お母さんはルールには厳しくて、言い訳は通用しない。
 あたしはそれでも、まだ心残りがあって帰りづらかった。

「そうだっ!! 大ちゃん今日家に泊まりなよ」

「えっ!? 遊びに行っていいの?」

 あたしにとって画期的な提案だった。
 今日の事も十分謝りきれてない。それにもっと一緒に居たい。
 家の中なら門限はないから、何時までも一緒に遊べる。
 大ちゃんは妖精だ。妖精の家があるのかわからないが、門限はないだろう。
 あたしの提案に快く承諾し、大ちゃんはあたしに付いて来る。

「でも良いの? 私……妖精だし、お母さん驚くんじゃない?」

「大丈夫!! あたしのお母さんも妖怪だから……」


 ――門限ギリギリで家の玄関を潜る。
 玄関の脇に置いた椅子に腰掛け、腕時計を気にしていた母が顔を上げ、
 あたしを見つめ、そして後ろにいる大ちゃんに目線を移す。

「貴女……妖精ね」

「は、はい!! お邪魔、します」

 苛立っていたお母さんの雰囲気に緊張したのか、詰まりながらもなんとか挨拶を済ます。
 あたしは今日大ちゃんを家に止めていいか、お願いする。

「……大歓迎よ。ゆっくりしていって」

 そう言うなり、お母さんは地下の実験室へと降りて行った。

「もしかして、あんまり歓迎されていない?」

「そんなっ!! 凄い笑顔だったよ。あたし以外であんなに表情を崩した事、無かったんだから!」

 大ちゃんの不安を余所に、あたしは一笑に付す。
 お母さんはご機嫌だった。一緒に住んでいるあたしにはわかる。
 今日は一年に一度あるかないかの満面の笑みだった。
 あたしは二階にある自分の部屋へ、大ちゃんを案内する。
 先に行っていてと言い残し、あたしはお茶菓子を用意するため台所へ下りる。
 
「あった!!」

 冷凍庫を漁り、二本のアイスキャンデーを取り出す。
 この家には、お菓子はアイスしかない。
 他の家だと饅頭やらポテトチップやらがあるはずだが、この家で見た試しがない。
 お母さんが食糧とたまに買ってくる唯一のお菓子だった。
 文句も言えるはずもない。自分も好きだから何の問題もなかった。
 お茶も用意する。よ~く、冷えた麦茶に氷をこれでもかと注ぐ。
 準備万端。
 あたしはスキップしたくなる気持ちを抑え、階段を軽々登って行く。
 
「室内ゲームは何があったかな……」

 もし、無くても一晩中おしゃべりすればいいんだから。
 逸る気持ちは抑えられなかった。






――第六話 「チルノ ―追憶編―」、完。


―次回予告。
≪共有していたはずの優しい時間。穏やかな記憶。
 が、時の流れは想いをめぐらす今をも瞬時に過去へと追いやり、人々の前には新たなビジョンが姿を現す。
 進むことが幸福か? 振り返るのが勇気か? 
 交わされる言葉、それもまた……。

 次回、東方英雄譚 第七話「選択した決意、そして」≫




[7571] 第七話 「選択した決意、そして」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/05/03 23:01
「……変身」


 少女が携帯を、腰のベルトに装着すると電子音が鳴り響いた。

《Complete》
 
 ベルトから溢れる光の粒子が少女の体を覆い、
 その輝きに霊夢達の眼は一瞬眩む。

 変身は一瞬だった。
 だが、目の前の化け物は、怯むことなく攻撃を仕掛けてくる。
 その化け物は蜘蛛のような外見をしていた。
 体を支える八本の足が高速で移動し、飛び上がる。
 自重を生かしてチルノを押し潰そうとする。

 チルノは変身直後でも油断することなく、対応する。
 反射的に地面に転がり、攻撃をかわす。
 かわす間、左腰のカードホルダーから一枚のスペルカードを取り出す。 

《Ice vent『アイシクルフォール』》

 電子音が響くと同時に、チルノの手から氷の矢が放たれる。
 牽制として放たれた氷の刃だが、
 それ一つとってみても人間なら十分、致命傷になるほど殺傷能力はある。
 だが、その矢は蜘蛛の化け物に届くことはなかった。
 腹部の中央の出糸突起から、粘着性の高い糸を出して撃ち落とす。

 チルノの牽制が逆効果となった。
 怒りの咆哮を上げ、化け物全身の筋肉が膨張する。
 それだけで、一瞬巨大化した錯覚を覚える。

―グッガガガアアア―

 それが合図になったように、化け物は前足で殴りかかる。

「――早いっ!!」

 チルノは咄嗟に腕を顔の前に構えて防御をするが、
 その衝撃を逃がし切れなくて後方へ飛ばされ、地面を転がる。

「チルノッ!!」

 思わず蔭で見ていた魔理沙が、動こうとする。
 チルノは右手を魔理沙の方へ向け、制止させる。

「……大丈夫」

 チルノはもう一枚カードを取り出し、ベルトに挿入する。

《Snow vent『ダイアモンドブリザード』》

 突如、猛吹雪が吹き荒れた。
 化け物は強烈な雪の嵐に、身動きが取れないでいる。
 
―ガアアアアアア―

「大人しくしていて……」

 その吹雪の中、チルノは化け物へ向け飛ぶ。
 化け物は身動きが取りにくいながらも、糸は打ち出してチルノを撃ち落とそうとする。

「届いて……」

 《Rider kick》

 チルノの右足にプラズマが奔り、飛び蹴りを放つ。
 胴体部分に蹴りが炸裂し、そのまま踏み台にして飛んだ。
 化け物に背を向け、横へ着地する。
 それでもしぶとく化け物が襲おうと構えた瞬間、
 体の構成が砂のように分解し始め……。
 崩れ落ちた。





「終わった……」

 戦いを終へ、変身を解くチルノ。
 霊夢、魔理沙、文は興奮しながらチルノへ駆け寄る。

「スゲ~! カッコイイ!!」
 
 魔理沙はスポーツ選手に憧れる少年のような瞳でチルノを見つめる。
 
「これはいい記事が書けそうです!!」

 文はチルノへ早速インタビューを取ろうと、
 メモを取っていたペンをマイク代わりにチルノへ差し出す。

「……お疲れ様。チルノ」

 霊夢はチルノに労いの言葉を掛ける。頬が上気しているのも興奮が冷めやらぬ為だ。

「霊夢……これが貴女が歩もうとしている道よ。覚悟はいい?」

 チルノは霊夢の瞳を真っ直ぐ見つめ、答えを待つ。
 霊夢は覚悟は出来てる、そう言って迷いのない瞳で見つめ返す。

「……付いて来て」




 ――チルノに促され、再び霊夢はチルノのアパートへ戻る。魔理沙達もそれに従う。
 部屋に入って直ぐ、チルノはジュラルミンのケースを奥から取り出す。

「これを付けてみて」

 そう言って取り題したのは、チルノが付けていたベルトと少し形状が違うベルトだった。

「これは……?」

「これはベルトのプロトタイプの一つ。正直言ってライダーは多い方がいい。
 それだけ妖怪達との戦いが楽になる。だけどベルトは人を選ぶ。
 より強い力を持つベルトはより強い人間を選ぶ……」

 霊夢は恐る恐るベルトを手にしながら、チルノに尋ねる。

「私にそんな力があるの?」

「ある。あたしも特別な力を持ってるから感じる。だからこれを付けて一緒に戦って欲しい」

「何故、戦う選択を霊夢さんに任せたんですか? 化け物達との戦いは一刻を争います。なのに……」

 文がチルノへ質問する。
 確かに文の言う通り、チルノは会った当初から霊夢に、何度も確認を取っていた。
 あまつさえ実際に戦闘を見せ、それでも霊夢の自由に任せた。
 ベルトが人を選び、力を持つ人間はそういるとは限らない。
 もし、霊夢が戦う意思を捨て、ベルトを拒否したら再びチルノは独りで戦う事になってしまう。
 三人は黙ってチルノの言葉を待つ。

「……自分の意志で戦って欲しかった」

 チルノは続けて、もし霊夢が拒否をしてもそれを尊重していたと告げた。
 情報を制御し、騙す形で参加させたらどうなっただろうか?
 妖怪達との戦いは命の危険も伴う。
 強制していざ戦いの場面で怖じ気づき、逃げられでもしたら支障が出る。
 戦略も何もあったものではない。
 寧ろチルノ自身にも被害が及ぶ可能性がある。 
 厳しいようだが、役に立たない荷物はいらない。そんな甘いものではない。
 油断すると自分自身も危ないのだ。
 霊夢はそれを踏まえ、ベルトを装着する。
 自分の意志で……決めた。

「ベルトを装着したら、音声認識で変身できる『変身』と言ってみて」

「わかった……『変身』」

《Complete》

 ベルトが突如光輝き、その奔流が霊夢を包み込む。
 そして次の瞬間そこに居たのは……。
 蒼を基調とするチルノのライダースーツとは違い、
 赤と白を基調としたプロテクターに身を包んだ霊夢がいた。

「わっ本当に、変身できた!」

「うまくいったようね」

 驚く霊夢に、チルノは既に装着していたベルトの携帯を外し、変身を解除する。
 霊夢はまだ呆然としていて、本当に自分が仮面ライダーに変身したのが信じられなかった。
 
「もしかして、私も変身できるのか?」

 そう言って魔理沙は霊夢のベルトを外し、自分に着ける。

「待って貴女は無理――」

 チルノの制止を聞かず、携帯をチルノから取り上げ、ベルトに装着する。

「変身!!」

《Error》

 電子音が響き、ベルトが火花を散らして吹き飛ぶ。
 衝撃で魔理沙は吹き飛び、狭いアパートの壁に叩きつけられる。

「痛っ、な、何だ!?」

「大丈夫、魔理沙っ!?」

 幸い魔理沙の怪我は大したことなく、壁に頭と背中をぶつけたぐらいだった。

「魔理沙……一緒に戦ってくれる気持ちは嬉しいけど。貴女は残念だけど変身できない」

「な……何で私だけ、変身できないんだよ!」

 魔理沙が怒ってチルノへ詰め寄った。

「魔理沙さん落ち着いてっ!」

 文が慌てて、魔理沙を抑えようとする。
 チルノは魔理沙に襟首を掴まれても、抵抗せず答える。

「ベルトは人を選ぶ……貴女は普通の人間だ、特別な力は持ってない。
 だから……変身できない」

「そう、か……」

 魔理沙は力なく項垂れ、チルノを離す。
 霊夢は魔理沙が仮面ライダーになれない悔しさが、なんとなくわかった。
 魔理沙は小さい頃ヒーローに憧れていた。
 霊夢が一緒におままごとして遊ぼうと誘うと、
 決まって男の子達と混ざって戦隊モノの真似事をして遊んでいた。
 感覚が男の子に近いのか、強いものに憧れていたのだ。

 チルノの説明によれば、ベルトが選ぶ理由ははっきりしてないらしい。
 だが、ベルトは装着する者のエネルギーを増幅する装置みたいなものだと言う。
 チルノを例にとれば、
 元々持っていた半妖の冷気を操る程度の能力を、スペルカードという形でカードプログラムで発動する。
 パソコンに入れるソフトのようなものだ。
 そして変身するためのガソリン、それは生命エネルギーとも言うべき力なのだそうだ。
 それは先天的なものかわからないが、霊夢にはその力が備わっていた。
 どうしようもない事だった。

「……わかったぜ」

「魔理沙……」

「霊夢……ごめん、一緒には戦えね~や。私は私のできる事で二人をサポートする事にするわ」

「うん……ありがとう、魔理沙」

 霊夢は魔理沙の気持が痛いほど嬉しかった。
 本来なら魔理沙の性格上、黙って後ろで見守るのは性に合わない。
 自分が率先して先頭で戦いたいはずだった。
 それでも、戦えないという現実。
 自分は選ばれなかったという悔しさ。
 それを丸ごと飲み込んで、それでも協力してくれる魔理沙の言葉が頼もしかった。


「全員の連絡先を交換し、一度解散しましょうか……何かあったら連絡して――」

「ちょっと待った!!」

 霊夢が、チルノの言葉を遮る。

「提案なんだけどいいかしら?」

 現在のチルノの生活環境についてだった。
 現在チルノは一人暮らしで、このアパートに住んでいる。
 この部屋は主に睡眠をとるためで、生活感がまるでなかった。
 食生活も悲惨な状態で、
 元々小食のチルノは栄養補給ができればいいと、カロリーメイトで済ますことも多い。
 部屋の隅にはコンビニで買ったと思われる弁当の空が山積みになっていた。
 霊夢の提案はこうだった。
 まず、今後化け物退治をしていくにあたり、別れて住んでいては何かと不都合がある。
 そして、幾ら半妖の天才少女でも、わずか十歳の女の子を独りで生活させるのは忍びない。
 要は霊夢の家に一緒に住もうと言ってるのだ。
 霊夢自身も母が入院し、あの広い家に独りで住む事に耐えられなくなっていた。
 
「あたしはそれでも構わない」

チルノはあっさり了承した。
特にこのアパートに固執する理由はなく。
寝られる場所があればチルノは問題なかった。

「そう!! 良かった。じゃあこれからよろしくね、チルノ」

「……よろしく」

 霊夢から差し出された手を、チルノはしっかりと握り返した。






―第七話 「選択した決意、そして」、完。



―次回予告。
≪戦いの隙間に生まれた優しい時間。それは誰からの贈り物だったのだろうか?
 その一瞬でもいい……戦いを忘れ、見つめ直す時間が欲しかった。

 次回、東方英雄譚 第八話「カフェ・オ・レ」≫





[7571] 第八話 「カフェ・オ・レ」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/04/05 16:44


「いらっしゃいませ!」

 店のドアに着いた鈴が鳴ると共に、店員の愛想のいい挨拶が聞こえてくる。
 魔理沙はそのまま、カウンター席へ座る。
 『喫茶 SATORI』
 レンガ造りの家を模した外観の、大人しいガーデニングが施された店構えだった。
 店の所々に趣味の良い花が飾られており、優しい花の香りが漂う。
 個人店だが店主の気質がそのまま出たような、落ち着いた雰囲気を醸し出していた。
 魔理沙がこの店を訪れたのは、考え事をしたかったからだ。

 今日の夕方は霊夢の家で、パーティーが行われる。
 チルノが新しく霊夢の家の一員になった祝賀会らしい。
 霊夢に買い出しを頼まれていたが、まだ時間はある。
 それまで、少しの間だけ……。

「……ベルトは私を選ばなかった」

 力が無い。
 ただ、それだけの事だが、それでも魔理沙は諦めきれないでいた。
 何故、自分は仮面ライダーになれないのか?
 何故、一緒に戦えないのか?
 納得……しようとしたが、魔理沙の心の中で蝋燭の炎のように燻っていた。
 これは『嫉妬』という感情だろう。
 自分が持たないモノを相手持っている時、我慢できない感情。
 ……醜い。
 魔理沙は自己嫌悪に陥る。
 霊夢が変身できた時、喜んだ気持ちは本当だった。
 だが、自分が変身できないとわかった途端、悔しい気持が込み上げてきた。
 劣等感だった。
 渦巻いてる感情の正体に自分で気づきつつも、制御できないでいる自分に腹立たしかった。



「どうぞ、カフェ・オ・レです」

「あ、ありがとう」

 あまりに自然に置かれたので、思わずお礼を言う魔理沙。
 魔理沙の前に置かれたのは、この店自慢のカフェ・オ・レだった。
 リーフの葉に見立てた泡がお洒落で、珈琲の豊潤な香りが揺らぐ。

「あれ……私、注文したっけ?」

 顔を上げると、店主である古明地さとりが穏やかで魅力的な微笑を浮かべていた。
 さとりは魔理沙から見てもとても美しい女性だった。
 年の頃は二十歳ぐらい。透明感のある紫の瞳と髪が特徴的で黒のヘアバンドをしている。
 優しい色合いのシャツと長いスカートにエプロンといういでたち。
 耳には瞳を模したイヤリングが輝き、どこか浮世離れした雰囲気があった。
 
「何か悩んでいるみたいだから……熱い内にどうぞ、召し上がれ」

 そう言うと、さとりはそのまま店の奥へと引っ込んでしまった。
 魔理沙はとりあえず、さとりが淹れてくれたカフェ・オ・レを飲んでみた。

「……あ、美味しい」

 優しい味だった。
 ほろ苦さの中に包み込むような甘さがあり、悩んで重たくなった頭がふっと軽くなる。
 口に含んだ瞬間、一瞬時間が止まったような錯覚さえ覚えた。
 その余韻を楽しんでいると、さとりが店の奥から戻ってくる。

「これも良かったら召し上がれ」

 魔理沙の前に置かれたのは、三角に切られたチーズケーキだった。
 
「でも私、そんなにお金が……」

 そう言うと、さとりは他のお客さんに聞こえないような小声で……、

「お金はいらないわ。そのケーキも妹のこいしが作った試作品で、感想を聞かせて欲しいのよ」

 さとりは悪戯っぽそうな笑みを浮かべ、人差し指を唇の前に置き、内緒よと魔理沙にウィンクする。
 魔理沙はそう言うと事ならと、遠慮なくケーキを頬張る。

「う、うめぇ!! こんなチーズケーキ食べた事無い!」

 魔理沙はそのままの勢いで、あっという間にケーキを食べ終わる。
 その食べる様を、嬉しそうにさとりは見つめていた。

「満足して頂けたかしら?」

「ああ、大満足だぜ!」

「それは良かった……あ、いらっしゃいませ~」

 魔理沙との話の途中で、新しいお客さんが店の扉を開く。

「あら、貴女は確か……魔理沙さん?」

 現れたのは風見幽香だった。
 白いシャツにベストとお揃いなチェック柄のスカート。
 緑掛かった髪に紅い瞳。蠱惑的な微笑を浮かべ、
 左手には新しい花束を抱えている。
 店に入ってすぐ、カウンターに座る魔理沙を見つける。

「お知り合い?」

 さとりが幽香に尋ねる。
 幽香とさとりは昔からの知り合いらしく、幽香が最近花屋を始めたので、
 こうしてさとりの店に飾る花を納品に来ていたのだ。

「私の店にお客さんで来てくれたのよ」

 幽香はカウンターの隅で、持ってきた花束の包装を解いていく。

「お店は順調なの?」

「えぇ。お店出して良かったわ。私の花でお客さんが喜んでくれているのが嬉しいわね」

 幽香は元々趣味で花を育てていたが、さとりが店を出したらどうかと提案し今に至る。
 結構注文が相次ぎ、花を売るだけでなく、華道家としても活躍しているそうだ。
 幽香は花束を持って、店の片隅に置いてある花瓶に花を生けていく。

「……へぇ。花なんて同じものだと思ったけど……違うんだな」

 魔理沙は先程生けられた花と今生けた花の違いで、店の雰囲気も変わった事に気づく。
 幽香は魔理沙の感嘆の声に、顔を綻ばせる。

「これは華道の立花と呼ばれる手法よ。色々な種類の草花が互いに協和し、
 絵画のような風景的な情緒を花瓶の上で表現したものなの」
 
 仕事が終わり、 幽香は、魔理沙の横のカウンターに腰掛ける。
 さとりは注文を聞かずともわかっているみたいで、すぐに珈琲を淹れ始める。

「幽香さん。この前はありがとう」

 お礼を言う魔理沙に幽香は、また来てくれると嬉しいと答える。
 幽香は前に置かれた珈琲を一口含む。

「相変わらず美味しいわね」

「あら、ありがとう」

 幽香にお礼を言い、テーブル席のお客さんの対応の為、カウンターを離れるさとり。
 幽香を珈琲の香りを楽しみながら、横に居る魔理沙に問いかける。

「元気がないようね。どうかしたの?」

 幽香が気遣い、魔理沙に尋ねてくる。
 魔理沙は少し困惑の表情を見せ、思い悩んだ後、意を決して答える。

「私の……友達の話なんだけど……」

「うん……何かあったの?」

「その友達は……自分の持っていないものを全て持っている親友がいて。
 友達はその親友の事が大好きなんだけど、自分と比較してしまって……」

「劣等感に苦しんでいるって事かな?」

「うん……まぁ、そんなとこ」

 そうね、と前置きして幽香は珈琲を飲みながら考えをまとめ、口を開く。

「人間の才能ってよく花に例えられるわよね。才能の開花ってね。
 でも実際自分の花を咲かせる事が出来る人は少ないの」

「それは何で……」

「自分だけの花の開花を完結させようとする、傲慢な考えが絶えないからよ。
 花を咲かせる事は土の力。咲いたら土に還す事を忘れてしまうからよ」

 抽象的な言い回しに魔理沙が困惑していると、幽香も説明が足りないと感じたのか話の先を続ける。

「花は土に含まれる僅かな色を集めて咲き、花びらが散るとまた土に還る。
 生き物の花も同じ。周りの色を集める事で、花が美しく咲く。
 ……そして、花が咲いたら周りに色を還すの」

「あっ!」

 魔理沙はその言葉を聞き、すっと頭に言葉が染み込んでくるのを感じた。
 魔理沙は今まで、霊夢と自分を比べ、自分の足りないところばかりを霊夢の中に見ていた。
 でも、それは意味のない事だった。
 確かに人と比べる事で、自分の足りない部分が自覚できる事があるだろう。
 しかし、それが行き過ぎると自分を見失ってしまう。
 人の数だけ違いがあり、自分に無いモノを相手が持っているのは当然の事だった。
 自分に無いモノを求める。その考えはより自分を高めようとする向上心ともとれるが、
 無意識の内に、自分のマイナス部分だけが強調され意識される事になる。
 自分は自分、人は人。
 もしかしたら、霊夢の出来ない事が自分にはできるかもしれない。
 例え、仮面ライダーに変身できなくても、違う方法で戦えるかもしれない。
 自分に力が無いのなら、力の有る人から借りればいいんだ。
 自分で戦える力をつける為に。
 そう、悩んで立ち止まっている時間があったら、何かしないと……。

「ありがとう! 幽香さん。私頑張ってみる!!」

 そういうと、魔理沙は再びカウンターに戻ってきたさとりにご馳走さまと告げ、
 走って出て行ってしまった。

「あらあら、騒々しいわね。お疲れさま幽香」
 
 さとりは楽しそうに笑って幽香を見る。

「友達の話じゃなかったのかしら……」

 幽香は残っていた珈琲に口をつける。すっかり冷めきっていたが、幽香はまずいとは少しも思わなかった。







「さぁ、遠慮しないで入って!」

「……お邪魔します」

 文さんと魔理沙とは、チルノのアパートを出た後別れた。
 チルノの荷物も少なく、二人で持てる量だったからだ。
 アパートはすぐ引き払う事ができた。
 元々チルノは不動産会社と契約時、中途半端な日数で出て行く旨を伝えており、
 その際、退去時生じた家賃は日割り計算で調整する賃貸契約を結んでいた。
 化け物を退治して全国へ飛び回るには、都合上そうせざるを得なかった。
 同じところに留まるのは早くて三日、すぐ移動する事も多い。
 それも、化け物を倒すため。
 同じベルトを着けて戦ってくれる同士を探すため。
 まだ……幼いのに。
 私より年下なのに、しっかりしている。

「部屋は二階の奥の部屋、空いているから使って」

 私はチルノを二階の部屋に案内し、荷物を下ろす。
 元々使っていなくて物置みたいになっていたが、掃除はしていた。
 後で、要らない物は片付けるからと言って私は一階へ降りようとする。
 今日は新しく住むことになるチルノの祝賀会ということで、その準備をするためだ。
 材料は文さんと魔理沙が調達してきてくれるので、部屋の片づけをしなければならない。

「霊夢……」

 不意にチルノが話し掛けてきた。
 何か問題があるのかと振り返ると、

「お世話に……なります」

 チルノは丁寧にお辞儀をする。
 私は思わず顔が綻んだ。

「今日から一緒に過ごすんだから、気を使わなくていいわよ。
 着替えたら下降りてきて、時間はまだあるし、お茶でも飲みましょう」


 ――チルノが着替えを終え、一階に下りてくる。
 お茶を注ぎ、お菓子も用意すると、
 座って、とチルノを促して机に座らせる。
 今日は鍋の予定で、後は材料待ちだ。掃除も普段してるためそこまで汚れてはいない。
 要は暇なのだ。

 今後、ここがチルノの活動拠点となり、私はどうしていけばいいかも聞きたかった。
 それを尋ねると開口一番、

「学校はどうするの?」
 
 と、チルノが聞いてくる。
 化け物退治をしていくって時に、学校の事を聞かれるとは思ってもみなかった。
 今は美羽の事件の後、一時的な休学扱いとなっている。
 私としても学校よりも、化け物退治が優先されると思っていた。
 だが、それをチルノは許さなかった。

「確かに化け物退治は重要、でも霊夢はまだ学生。もし、この問題が解決した後どうするつもりなの?
 あたしはこのまま、学校には通ったままで居て欲しい。化け物退治で遅れた分はあたしが教える」

 チルノが言うには、戦いは長期間になる可能性がある。霊夢はまだ中学生だ。
 高校受験もあるし、四六時中戦いがあるというわけでもない。
 チルノ自身は学校に通ってないが、既に大卒の博士課程も修了しているとの事。
 しかも飛び級で……。
 研究所時代に開発した特許技術で、当分の間働かなくても食べて行けるらしい。
 そう言う事で、何故かチルノに勉強を見てもらう事になってしまった。
 そろそろ中間試験だ。
 復学するとなると、まず最初に立ち向かわないといけない大きな壁。
 学校の担任である上白沢先生から、授業のプリントは貰ってはいるが、全教科分となると大変な量になっていた。

 早速チルノに聞いてばかりの状況になる。
 そして、驚く。
 チルノがとても分かりやすく教えてくれたからだ。
 まるで雲に隠れた景色が、風が吹いて一望できるように頭が整理されていった。
 チルノの凄い所は、知識を知識のまま覚えていない点だ。
 問題の構造を把握し、霊夢にも理解し易いように言葉を選び説明する。
 霊夢がそれでも納得できないと、より言葉を換え、わかるまで付き合ってくれる。
 そうして、時間が経つのも忘れ勉強していると、玄関のチャイムが鳴り響く。

「文さんと魔理沙だ……もうそんな時間なんだ」

 勉強を一旦終え、教科書とノートを片づけ始める。

「あと霊夢……明日は土曜日。実際に変身して戦い方も教える」

「わかったわ。何か……学ぶ事ばかりね」

「どちらも大切なこと」
 


 ――その日の夕食は久々に盛り上がった。
 母が入院して独りで食事することが増えたが、寂しいものだった。
 やはり食事は大人数で食べる方が美味しい。
 チルノも最初は戸惑っていたが徐々に慣れ、相変わらず無表情だったが
 ご飯をおかわりしていたのが印象的だった。







――第八話 「カフェ・オ・レ」、完。


――次回予告。
≪戦いには覚悟が必要だった。だが、決意したと思い込んだ決意は実戦の厳しさに容易に揺らぐ。
 本当の戦友(とも)となるためには、資格が必要だった。
 震える足を進めるという勇気が……。

 次回、東方英雄譚 第九話「初陣の序曲」≫





[7571] 第九話 「初陣の序曲」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/05/03 23:04


 
 チルノと霊夢が訓練を開始して一週間が過ぎた。
 この一週間の間、霊夢はチルノに付きっきりで戦闘訓練を受けていた。
 霊夢は今まで部活をしておらず、運動といっても学校の体育の授業程度。
 まして戦闘訓練など、想像もつかなかった。
 チルノ自身も、まともな軍事訓練を受けたわけではない。
 それでも、あれだけの化け物との死闘を繰り広げられるのは何故か?
 それはベルトの力のお陰だった。
 ベルトには古今東西あらゆる格闘家のデータが詰まっている。
 空手、柔道、相撲、テコンドー、マーシャルアーツ、ムエタイ等々。
 様々な格闘技術をライダースーツを構成している人工筋肉繊維を、
 高速で連動させ実現する。
 スーツ装着者は脳でこの動きをやりたいとイメージするだけで、
 それが電気的な信号となり、体の隅々まで一瞬で駆け抜ける。体が勝手に動くような感覚だ。

 だが、それにも慣れが必要だった。無理をして高等な技をしようとすると、
 変身を解いた途端強烈な筋肉痛に襲われる。
 変身時はスーツが痛みの信号を緩和するようになっている。
 戦闘時に筋肉痛で反応が遅れるのを防ぐ為だ。
 よって戦闘訓練とは、スーツに慣れる事から始める。
 日常生活で自分のイメージと体の連動を確かめるため、学校から帰ったらすぐに変身し普段の生活を行う。
 だが、傍から見てとてもシュールな光景だった。
 二日前、魔理沙が訪ねてきた時など、変身したまま霊夢は台所で野菜炒めを作っていた。
 仮面ライダーが家の台所で……野菜炒め……。
 魔理沙は死ぬほど腹を抱えて笑い、怒った霊夢が振り下ろした包丁が凄まじい音が響き、
 まな板を豆腐のように真っ二つにしたところで魔理沙の笑いは、止んだ。




 ――そうして一週間が過ぎたある時、

 文からの突然電話にチルノは息を飲んだ……。

「化け物が現れました、場所は――」

 チルノはすぐ横にいた霊夢にその事を告げる。

「……ついに来たのね」

 思わず体が震える霊夢にチルノは言う。

「落ち着いて。スーツを身につければ、そう簡単に死なない」

 大丈夫、とは言わない。
 気休めにしかならないからだ。
 いつかは来る戦いの時、出来ればもう少し修練の時間が欲しかったが止むを得ない。
 霊夢には一刻も早く、戦いに慣れてもらわなければならない。
 チルノは切らずにいた電話を持ち直す。

「ここからだと交通機関を利用しても間に合いません。ですから私が現場まで車で送ります」

 そう文が言い、電話が切れる。
 それから十分も経たない内に、霊夢の家の前に轟音が響き、
 驚いた霊夢とチルノが外に出る。

 そこには……ランサーエボリューションがあった。
 フロントの車体下へ空気の流入を抑え、揚力を低減するエアダム。
 張り出したタイヤを覆うフェンダー。
 特徴的なリアの翼状のプレート。
 助手席の窓が開き、文が顔を見せる。
 
「お待たせしました!!」

「文……さん!?」

「おおい! 遅いぞ、早く乗れ!!」

「魔理沙も……何で?」
 
 文の驚愕の登場に霊夢は固まる。
 危険性を加味して魔理沙には知らせないようにしていたが、無駄だったようだ。
 魔理沙はしっかりと助手席のバケットシートに収まっている。
 (後部座席も座れるよう、セミバケットシートというやつだ)
 時間が無い為、説明は車内で行う事とする。
 チルノと霊夢が後部座席に乗り込む。

「……文さんって、十八歳だっけ?」

 霊夢が疑問を挟むと、急速にGが掛かり、座席へ押し付けられる。

「失礼ですね! 私はまだ十六です!」

「……自動車免許は十八歳からのはず」

 チルノが消え入りそうな声で文に問う。

「大丈夫です! ヘマはしません。残像しか映りませんよ!!」

「何が大丈夫なんですかぁああああああ!!」

 霊夢の悲鳴はドップラー効果のように尾を引き、後ろへ流れていく。
 魔理沙は助手席で興奮し、最高だぜ!! と、悪ノリしていた。
 本当に一瞬で目的地に着いた。
 視界が急速に狭まり、体が左右に振られ上も下も分からない状態になった。




 ―――目的地の森林公園に到着し、霊夢は転げ落ちるようにランエボから降りた。

「……完全に、ダウンフォースを支配していたわ」

 フラフラになりながらも何とか正気を保ち、よし、と気合を入れる。
 初の実戦なんだ。
 この程度で参ってどうすると、自分に言い聞かせ霊夢は立ち直る。
 魔理沙と文は清々しい表情で、車を降りる。
 ふ、とチルノが降りるこないのに気づいた霊夢は、後部座席を開ける。

「ち、チルノ!! 大丈夫!?」

 色白の顔が更に青ざめ、体が小刻みに震えていた。
 チルノは言葉を振り絞ると……。

「……酔った」

 吐きはしなかったものの、戦闘などとても無理だった。
 大慌てで水を買って来た文に体を支えられつつも、チルノは懸命に霊夢へ説明する。

「ごめん。一緒に戦えない……でも、貴女なら……うっ」

「し、しばらくベンチへ」

 文が森林公園に設置されてるベンチへ案内する。
 魔理沙がだらしないな~と悪態を付くが、無視する。
 化け物が目撃されたのはこの付近のはずだった。
 住宅地へ化け物が移動していなければ、まだこの変に潜んでいるはず。
 魔理沙と手分けして、化け物を探そうとした時、
 悲鳴が響き渡った……。

「魔理沙!」

「おう! あっちの方からだ、チルノ達はここに居てくれ」

 チルノと文を置いて、霊夢と魔理沙は悲鳴があった方へ急ぐ。
 
 ―グャアアアアアア―

 人の悲鳴と化け物の咆哮が入り混じる。
 霊夢達が到着した時、そこは血の海となっていた。
 公園に来ていた親子連れと思われる……死体死体死体死体。
 
「霊夢! あそこ!!」

 魔理沙が指さした方向に、恐怖で泣きわめく青い服の男の子がいた。
 化け物は今まさに、その男の子へ襲い掛かろうとしていたのだ。

「間に合って! 『変身』」

《Complete》

 音声認識の電子音が響き、光が霊夢を包み込む。
 変身しながら霊夢は飛ぶ。
 ライダースーツにより強化された脚力は、容易に化け物の頭上を飛び越え、
 今まさに振り下ろされようとしていた、化け物の獣爪を受け止める。

「魔理沙っ!」

「任せろっ!」

 霊夢は気合を吐き出し、男の子から離すように渾身の力を込め化け物を押し出す。
 目の端で魔理沙が男の子を抱え、離れていくのを確認し、
 蹴りを放つ、化け物は真横に吹っ飛び転がっていく。

「効いてない!?」

 蹴り飛ばされた化け物は、多少ダメージを受けているがすぐに起き上がり、
 怒り狂った叫びを上げる。

『……焦らないで、霊夢』

 突如、マスクの中に内蔵したスピーカーからチルノの声が響く。

「チルノみたいに、化け物が砂にならない!」

『落ち着いて、今のはライダーキックじゃない。その技は溜めが必要と教えたはず』

「……そうだった、でも……そんな暇――」

 霊夢は会話を中断せざるを得なかった。
 化け物が霊夢の予想以上の速さで、襲いかかってきたからだ。
 その化け物は、牛をモデルにしたように頭部には角が生え、かなりの巨体だった。
 その突進力は尋常ではなく、ライダースーツの視覚補助機能がなければ、
 気づいた瞬間串刺しにされていただろう。

「は、速い!!」

 霊夢は左へ転がって避ける。
 化け物は霊夢の後ろにあった木々をなぎ倒しブレーキを掛けると、
 方向を変えて転がった霊夢へ角を突き出して襲い掛かる。
 咄嗟に化け物の角を掴んだ霊夢は、そのまま勢いが殺せず、首の力で跳ね上げられる。
 空中に舞い上げられた霊夢は、地上から何十メートルも離れた位置から地面へ叩きつけられる。


「ぐっああああうう!!」

『霊夢!!』

 霊夢は地面に叩きつけられた衝撃で、軽い脳震盪を起こす。
 通常なら首の骨が折れ、即死してもおかしくない状況。
 スーツの衝撃緩和機能が霊夢の命を救い、軽い脳震盪で済んだのだ。
 マスク内臓の通信機からチルノの、一旦引いて、という発言も霊夢の耳には届いていない。
 霊夢は、ふらふらと立ち上がった。
 意識ははっきりしていない。
 ショック状態が続き、視界がぼやける。
 それでも何かしないといけない……。
 霊夢を動かしているのは意地しかなかった。

 


――私はどうなった?
 頭が痛い、気持悪い。
 ぼ~として頭が働かない状態で、無意識に立ち上がる。
 そうだ、敵。
 倒さなきゃ……私が……。
 牛の化け物?
 私に向かってくる……怖い……怖い。
 足が震える。でも何かしなきゃ、ヤラレル……。
 構えなきゃ。

『霊夢!!』

 チルノの叫びが聞こえ、瞬時に私の頭は覚醒する。
 視覚が鮮明になり、呼吸する息が冷たく脳を通り抜ける感覚を覚える。
 私は突撃して襲い掛かってくる化け物へ、掌底を突き出していた。
 化け物の突進は私の手が、化け物の眉間に触れた瞬間止まる。
 突き抜ける音が、響き渡り……。
 そして、何か模様?
 その模様が化け物をついた眉間から、尻尾の先まで通り過ぎると、
 途端……化け物の体が崩れ落ち……砂と化した。


『……ぃ夢……霊夢』

 呆然としてその様子を見て立ち尽くしていたが、チルノの声が聞こえ、
 ようやく……戦いが終わったんだと知った。




「お疲れ様、霊夢!! 格好良かったぜ!」
 
 変身を解いた霊夢に真っ先に魔理沙が肩を叩き、称賛の声を上げる。
 
「お疲れ様です。霊夢さん! バッチリカメラに収めましたよ」

 文がチルノを支えながら、霊夢へ近づいてくる。

「さっきの攻撃は……霊夢?」

 チルノはまだ調子悪いのか、声に元気が無いものの、霊夢の様子を察して声を掛ける。
 どこか怪我をしたのだろうか? チルノは霊夢の体で、怪我を負ったところはないか見ながら様子を見る。

「……怖かった……死ぬかと思った」

 霊夢はその場にへたり込んだ。
 手先は緊張が解けたみたいに震え出し、顔は恐怖で強張る。

「霊夢……」

 恐怖で固まった霊夢を魔理沙が抱きしめ、優しく頭を撫でる。

「霊夢、霊夢……大丈夫だ。お前は生きている。大丈夫だから……」

 魔理沙はゆっくり背中を擦り、霊夢を落ち着かせる。
 何度も大丈夫、大丈夫といい。
 精神的な不安でパニックになり、過呼吸に陥りそうになった霊夢を包み込む。
 戦闘中では意識出来なかった感情。
 戦闘が終わり、緊張が解けた事で一気に溢れ出したのだ。
 一歩間違えれば死んでいたかもしれない事実に、霊夢は怯える。
 言葉の上では理解したつもりでも、実際に経験して始めて理解したのだ。
 相手を殺すという事は、自分も殺される可能性がある。
 化け物に感情は無い。機械的に獲物を狩る捕食者の眼だった。
 ゲームのように安全圏から、観戦というわけにはいかない。


「……魔理沙、ありがとう……もう、大丈夫」

 ようやく落ち着きを取り戻し、霊夢がゆっくりと立ち上がる。
 その様子に一同安堵し、チルノが霊夢へ言葉を掛ける。

「もう、妖気の反応は無い……終わった」

 その言葉に全員の緊張が解けた。
 もし、他にも化け物がいても対応出来ないだろう。
 一体だけで済んで良かった。

 ――そう、皆が思った瞬間、




「わはー。やられちゃってるよ!」



 無邪気な声が響く。全員が完全に油断していた。
 声のする方を探すと、その人物は樹の枝に座っていた。

「最近、グールが帰ってこないな~と思ってたら……そーうなのかー」

 その人物は幼い少女だった。
 金髪に赤いリボン。白いシャツに赤のネクタイが結ばれ、
 その上から漆黒のワンピースを着ている。
 無邪気な赤い瞳に、笑う唇から八重歯を覗かせる。

 ……そして、何かを食べていた。
 あれは……人の腕?
 その少女は、むしゃむしゃと人間の腕の肉を食い千切っていた。
 その腕は……まだ子供の腕のようだ。見覚えのある青い袖がこびり付いていた。

「あの腕って……さっき助けた男の子の……」

 文はそれに気づき、背筋に寒気が奔る。
 魔理沙が助けた少年は……あの後、走って逃げるように言った。
 でも……目の前にあるのは?

「てめぇ……誰なんだ!!」

 魔理沙が激高した。
 ブチッと音がして、魔理沙の手から血が滴る。
 あまりに強く握り過ぎて爪が皮膚を突き破ったのだ。
 一方、魔理沙に睨みつけられた少女は、それでも楽しそうに笑っているだけだった。

「……ルーミア」

 チルノが静かにその少女の名を口にする。

「彼女はルーミア……私達の敵『紅魔』の妖怪よ」






 ―第九話 「初陣の序曲」、完。
 

 ―次回予告。
≪馴れていかねばならなかった。立ち向かわねばならなかった。自分たちの明日のために。
 が、振り返れば残してきた足跡は重く、それは消えぬ過去となって、それぞれの胸を刺す。
 知らぬ自分に戻れぬ今、新たに少女達の選ぶ未来は?

 次回、東方英雄譚 第十話「蒼の断罪」≫



[7571] 第十話 「蒼の断罪」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/04/10 21:25


 ――くちゃくちゃと咀嚼音が響く。


 その音だけが、嫌に耳にこびり付いて離れない。
 妖怪の少女ルーミアは、本当に食べる事が好きだった。
 ……特に人間の肉は。

 内臓が美味だと感じた……栄養があり、臭みや苦味が癖になりそうだった。
 脳味噌が美味だと感じた……豆腐のように柔らかい触感がたまらなかった。
 骨の周りに付く肉が美味だと感じた……血が滴り、噛むほど旨みがあった。

 ……中でも子供の肉が、柔らかくてとても好きだった。

 丸ごと食べ終わり、その余韻を楽しむように……千切り取った男の子の腕をしゃぶる。
 そのルーミアの姿は、幼い外見と裏腹に寒気がするほど狂気に満ちていた。

 


 ――魔理沙は正気を保てないでいた。
 こんな事が許されるのか、と思った。
 さっきまで生きていた男の子が……今は唯の肉の塊になってしまった。 
 人間の尊厳などあったものではない。
 あるのは、ただの食糧としての存在意義。

「霊夢……チルノ……私は……」

 魔理沙は怒りが爆発するのを、必死に耐えていた。
 自分がルーミアに戦いを挑んだところで、殺されるのは目に見えているからだ。
 殺したから殺し返す。
 ――それでは何も生まれない、と聞いたことがある。
 しかし、魔理沙にとってはそんな事どうだっていい。
 ただ、許せない。許してはいけない。
 できることなら自分で、ルーミアを地に這いつくばらせ、 
 あの子の命を奪ってごめんなさいと言わせたい。
 だが、現実問題として不可能だった。
 それが魔理沙の怒りを加速させる。
 こんな非道な事を黙って見ている事しかできない、
 自分自身に一番腹が立ったからだ。

「……私はなんて……無力なんだ……」

「魔理沙……」

 霊夢は決意の表情で前に出る。魔理沙の怒り、悲しさを理解したからだった。
 だが、その霊夢をチルノが止めた。

「待って、霊夢。今の貴女では……勝てない。殺されるだけ」

 その言葉に霊夢の足が凍りつく。
 振り返る霊夢を眼で制しながら、チルノは言う。

「良く聞いて……今から三人とも車に戻って……急いで。ルーミアの相手はあたしがする」

 チルノは前に進みながら、ベルトを装着する。
 そのチルノの肩に文が手を置き、言葉を掛ける。

「待って下さい。一人では――」

 はっ、と文は気づく。チルノの肩が、震えている事に……。
 その尋常でない気配を察し、文はわかりました、とチルノに告げる。
 すぐに文は霊夢と魔理沙を強引に引っ張り、車へ誘導する。

「待って文さん。チルノが!」

「いいから、チルノさんの言う通りに!!」

 不満を言う霊夢と魔理沙を引っ張っていく文に向かって、チルノは言う。

「先に帰っていて、後で……電話する」

 チルノはこちらの様子を、楽しそうに見つめるルーミアを睨みつける。
 

「変身」


《Complete》

 変身を完了したチルノへ、ルーミアがようやく言葉を掛ける。


「準備はOK? お久しぶり~チルノ。どうしていたのかと思ったら、何で人間の味方になってるの?」

 チルノは無言で、いつ攻撃が来てもいいように構える。
 ルーミアは一方的に話し掛ける。

「まぁ、どうでもいいけど。でもね、お嬢様は大層ご立腹でね」

「……」

「だから取引しない? グール退治止めてくれたら……食べるの脚だけにしてあげるから」


《Ice vent『アイシクルフォール』》

 ――チルノは、樹の枝に座るルーミアへ向け、氷の矢を高速で打ち出す。

「あっははははは!!」

 氷の矢はルーミアへ突き刺さり――すり抜けていった。
 ルーミアの姿が、黒い霧で霞んで消える。
 辺りは夜になっていた。
 いや、これは夜というよりも『闇』
 月明りも星の瞬きも届かない、漆黒の世界。
 闇が覆って、チルノとルーミアを閉じ込める。


「……どこに?」

 チルノの周囲の闇にルーミアは溶け込み、姿が見えなくなる。
 そこへ……何処からともなく声が聞こえる。

『前から美味しそうだと思っていたけど……ようやく、食べれる理由ができた』

 チルノが警戒し周囲に気を配るが、
 何処にルーミアが潜んでいるのかわからなかった。
 目を凝らして、闇を見ていると不意に、


 すーっと、


 チルノの眼の前の闇から、ルーミアの白い顔が浮かんだ。
 瞳はぎらぎらとした血のような赤。
 息が掛かるほど真近に、顔だけが現れたのだ。
 
「はっ!?」

 チルノは驚きバックステップで距離を取りつつ、
 ルーミアの顔めがけて氷の矢を放つ。
 氷の矢がルーミアの顔に触れる直前、またも掻き消える。
 
『あっはは! 無駄無駄。あなたの攻撃なんか当たんないわよ』

(……ルーミアは闇の空間を作り出す能力。この空間内はルーミアの世界。
 日の光も遮られ、視界も利かない。下手に動けばやられる……)

 チルノの右足が、徐々にプラズマを発する。
 どこから襲ってくるかわからない敵を警戒しつつ、
 集約される力を右足に籠める。
 

 ――ガリッ


 チルノの真後ろから、何かが擦れた音が聞こえた。
 振り向いたチルノは音の方向へ向け、氷の矢を放つ。

「引っ掛かった~♪」

 音と真逆の方向からルーミアは、
 鋭い爪を立ててチルノの喉元を切り裂こうと襲い掛かる。

「……やはりね」

 その攻撃を予想し、後ろ回し蹴りを放つ。
 しかし、インパクトの瞬間。ルーミアは闇に溶けた。

「しまった……」

 ――ガッ

 ルーミアが現れたのは、物音のした方向。
 二重のフェイントをかけ、隙ができたチルノの首を鷲掴む。
 ぎりぎりと少女とは思えない力で首を絞めるルーミア。
 万力のように締め付けられる圧力に、チルノは一瞬圧力が遠のく。
 ライダースーツのお陰で首の骨は折れずに済んでるが、
 窒息死するのも時間の問題だ。

「チルノちゃんは頭はいいけど、応用が効かないね~」

 ルーミアは拳を握り、チルノの腹へ突き入れる。
 単純な攻撃。だが、チルノは車に衝突されたような衝撃を受ける。
 楽しそうに獲物を弄るルーミア。

「ぐっ……がっ……」

 首が締まり、呼吸ができない。
 チルノは薄れ行く意識の中、
 やっとの事でカードデッキから一枚カードを取り出す。

《Sword vent》

 チルノの右手に突如、氷の刃が現れる。
 迷うことなく目の前のルーミアに突き入れる。
 
「おっと~」

 瞬時にチルノの首を絞めていた手を放し、後ろへ跳躍してかわす。

「がはっ……うぅ……」

 膝を地面につき、肩で必死に息を吸うチルノ。
 力の差は歴然だった。
 ルーミアは『グール』と呼んでいた化け物と桁が違う。
 グールは獣並みの知能しかなく、本能で襲い掛かる。
 だが、ルーミアという妖怪は冷静で、知能も高い。
 何よりチルノの戦闘経験が圧倒的に足りなかった。
 チルノは全国を巡り戦っていた。
 だが、それは全てグール相手でしかなく。
 ベルトの力で強引な力押しでも勝てていた。
 どんなに強力な道具でも、使用者の処理能力が追いついていないのだ。
 ライダースーツは資格者であれば、
 人間とは思えない怪力や速度、能力を使用できる。
 しかし、反応速度という点に関しては補完できない。
 そこがライダースーツの欠点であり、科学の力ではどうしようもない事だった。

「はぁ……はぁ……これなら」

《Freeze vent『パーフェクトフリーズ』》

 地面が一瞬で凍りつく。
 ルーミアが闇に同化して逃げようとしたが間に合わなかった。
 凍りついた地面に触れていたルーミアの足まで瞬時に凍りついたのだ。
 チルノは好機と見て、跳躍した。
 渾身の力と全体重を氷の刃に籠めて、ルーミアの頭上へ振り下ろす。



 
 ――金属音が響く。



 振り下ろしたチルノの刃は、
 ルーミアが突き出した両手に挟まれる闇の塊に防がれたのだ。
 
「危ないな~チルノちゃん。大人しく食べられてくれないなら……」

 ルーミアの右手。
 周囲の闇が渦を巻いて集まっていき、物質を構成していく。
 ……剣だった。
 十字架を思わせる漆黒の剣をルーミアは携える。
 氷の刃を止めていた剣を強引に振り抜く。
 質量の軽いチルノはあっさりと吹き飛ばされた。

 ルーミアの左手に周囲の闇が集まり出す。
 それは徐々に球体を形作っていった。

「避けてみな」

 ルーミアはチルノへ向けて、闇の弾丸を放つ。
 チルノは跳躍して避けようとした。
 しかし、チルノの足は地面を離れようとしない。
 いつの間にかチルノの足が闇の手に拘束されていたからだ。
 逃げられないと判断し、チルノは右手の剣を闇の弾丸に投擲するが、
 弾丸に到達した剣は吸い込まれるように消え去った。

(あれに触れたら……命は……無い……なら、)


《Hail vent『ヘイルストーム』》


 チルノの周囲の空気が凍りつき、岩のような氷の塊が形作られる。その数……無数。
 その全てが闇の弾丸へ向けて撃ち出される。

「あっははは~そんな事で止まりは――」

 高速で撃ち出された雹のいくつかは闇の弾に飲み込まれたが、
 それ以外は全てその延長線上にいるルーミアへと攻撃を加える。

「はっ!?」

 ルーミアの足はまだ凍りついていた。
 チルノにとっては相性の悪い相手だった。
 能力のほとんどが物理的な攻撃のチルノにとって、
 『闇』属性のルーミアの攻略は難しい。
 相撃ちを覚悟したのだ。

「……文、魔理沙……霊夢」

 万策尽き、後に残された者達の事を思う。
 自分と関わってしまったばかりに人生を狂わせてしまった人達。
 一度知ってしまったからには、もう元の生活には戻れない。
 中途半端な結果に終わった事が悔やまれる。
 
「……あたしにとってはお似合いの最後だ……これは罰なのだから」

 ――死を覚悟する。
 ――眼は閉じない。

 自分の最後の姿、最後の光をこの瞳に焼きつけるんだ。





「うああああああああああああ!!」

 咆哮。
 否、悲鳴。

 チルノの眼前、見覚えのある紅白のスーツ。
 必死に両手を突き出し、チルノを庇う霊夢の姿があった。

「霊夢――!!」

 ――危ない、それは――

 叫ぼうとして、目の前の光景に言葉が止まる。
 闇の弾丸は霊夢の命を奪ったと思われた。
 しかし、弾は霊夢の両手の前、空中で止まっていた。
 その両手と弾丸の隙間には紋様。
 ――確か、霊夢が牛の化け物を倒した時も同じ紋様があった。
 陰陽を表す太極図。


 その紋様に触れた闇の弾は、雲散霧消した。

 





 ―第十話 「蒼の断罪」、完。

 
 ―次回予告。
≪引き金を引いた目覚めた力。霊夢は決意した運命が、自分に課せられた使命だと知る。
 力を操るか、力に操られるか……。
 が、時は悩む暇を与えず、少女達には新たな敵が姿を現す。

 次回、東方英雄譚 第十一話「河城工房」≫



[7571] 第十一話 「河城工房」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/04/11 23:14

「はぁ……はぁ……」

 霊夢が肩で息をする。
 力を使った為か。
 それとも、ルーミアの攻撃を防ぐことができた安堵なのかもしれない。
 あたしは唖然とした。
 ルーミアの攻撃は、物理的に撃ち落とすのは不可能。
 なら、今の力は……。
 それにあの陰陽を表す太極図。
 あれは、神道に通じるものだ。
 とすれば、神の力……霊力と呼ばれるものだろうか。
 現代でこれだけの力を持つ人間が、果たしているのだろうか?

 ルーミアの意識がそれたためか、足を掴んでいた闇の手は外れていた。
 チルノは霊夢へ歩み寄り、

「……霊夢……貴女は――」

 声が不意に途切れる。
 ルーミアの方向。
 ルーミアの前に誰か……いる。

 あたしの攻撃は相撃ち覚悟の、渾身の攻撃だった。
 あたしの血に流れる、僅かな妖力を振り絞った大技だったが、
 その攻撃はルーミアの眼の前の人物に全て、叩き落とされていた。
 多少のダメージを受けるだろうと、予想されたルーミアは無傷。
 新たな敵の登場にあたしは凍りつく。
 できるのなら、今すぐこの場を離れたい。
 今は……まだ、勝てない。
 霊夢もこのままみすみす殺す訳にはいかない。



 
 ――ルーミアを助けた人物は女だった。
 緑色の中華風の衣装を身に纏い、頭には龍の刻印のある帽子。
 燃えるような赤毛の髪は腰まで届くほど長く、
 揉み上げを左右で御下げにしている。
 瞳は服に合わせたような鮮やかな翠緑色。
 緻密な光沢が翡翠を思わせた。

「助かった~美鈴」

 ルーミアが安堵の声を上げた。
 翡翠の女性は名を『紅 美鈴(ホン・メイリン)』といった。
 人間と変わらない姿だが妖怪だった。
 美鈴はやれやれと息とつき、ルーミアを見る。

「何をやってんですか、ルーミア……遊びが過ぎますよ」

 美鈴に窘められ、ルーミアは笑顔でごめん、と言う。
 全然反省の色が見えない、ルーミアを何時もの事とあきらめる。
 そして、腰のポケットから赤いリボンを取り出す。

「落ちていましたよ」

「おぉ~ありがとう。何時の間に落としたのか気付かなかった。
 やるな~チルノちゃん!」

「……大事なものではないんですか?」

「そんなの単なる飾りよ」

「……そうですか」

 美鈴はようやくここで、霊夢とチルノは見る。

「あの二人がグール達を倒していたのですか? 強そうには見えませんが」

「あの紅白はわかんないけど、チルノちゃんは知ってるでしょ?」

「名前は聞いた事はあります。戦線が違っていたもので……」

「もう、満足したから帰ろうよ~お腹空いた~!」

 ルーミアが駄々を捏ね始める。

「待って下さいよ。グールを倒すとなればお嬢様の敵。
 なら……今のうちに叩いておくに限ります」

 そう言うなり、美鈴の纏う空気が一変した。
 温和な表情が戦士の顔に変わり、それだけで存在感が増大する。
 美鈴の持つ妖力が、爆発したように周囲の空気を圧迫し、
 人間の霊夢達にもその危険さが感じ取れた。

 

 ――トンッ


 美鈴が地面を軽く蹴る。
 それだけの動作だった。
 だが、瞬きの瞬間で美鈴は何十メートルも離れた、霊夢の真ん前にいた。


「あっ……」


 完全に油断していた霊夢は、防御する事も思いつかなかった。
 ただ突き入れられる美鈴の、正拳突きを黙って腹に突き入れられるのを見ていた。
 トラックが人を跳ねたような衝撃音が響く。

 霊夢はそのまま後方へ吹き飛ばされ、公園のベンチに突っ込んだ。
 ベンチが衝撃で壊れて吹き飛び、霊夢は体が折り重なり、
 前屈の姿勢で、沈黙する。

「霊夢っ!!」

 チルノは焦った。
 スーツがあるとはいえ、衝撃吸収できるのも限界がある。
 今の一撃は死んでもおかしくなかった。
 霊夢に走り寄り、状態を確かめる。

「死んではいない……だけど……」

 美鈴は緩やかな足取りで、チルノの方へ歩いてくる。
 そこで突如、美鈴の足が止まる。

「……何の真似ですか? ルーミア」

 美鈴と交差するように横に佇むルーミアは、
 十字架を思わせる漆黒の剣を美鈴の首に突き付けていた。


「お腹空いた~って、言ったでしょ」

「……私は何をしているのかと、聞いているのですが?」

 美鈴とルーミアの間に緊張感が漂う。

「チルノちゃんも、殺そうとしたでしょ?」

「敵は殺します」

「チッチッ、駄目だよ。私との決着ついてないもの」

 しばし、睨み合う美鈴とルーミア……。
 そして、美鈴がようやく折れる。

「わかりました。貴女と戦っても無益なだけです」

 美鈴の纏う空気から緊張感が抜け、柔らかな笑みになる。

「やはり、リボンを外したら、嫌に好戦的ですよ。ルーミア」

 美鈴は裾を翻し、去って行く。

「えへへ~そうかな~気の所為だよ」

 そう言って無邪気な笑みを浮かべ、ルーミアはチルノを見る。
 
「また遊ぼうね~チルノちゃん♪」

 チルノに血の様に真っ赤な舌を出して、悪戯っぽく笑い闇に消えて行った。




 ――病院のER(救急救命室)。

 ルーミアが去った後、チルノは大急ぎで救急車を呼び、魔理沙達にも現状を伝えた。
 魔理沙は怒り狂い。
 チルノを殴りつけたが、文がそれを抑えた。
 チルノは魔理沙に殴られるまま、何も言わなかった。
 ただ一言、

「……あたしの責任だ」

 それ以降は黙って、待合室で霊夢の治療が終わるのを待つ。
 その姿があまりにも見てられなくて、
 文は自販機で買った珈琲を渡しつつ、声を掛ける。

「大変でしたね」

「……」

「で、でも霊夢さんは大丈夫ですよ、ね!? スーツも着ていたんだし」

「……スーツにも限界がある」

 文に貰った珈琲のカップを無表情で見つめつつ、チルノは答える。

「霊夢に何て……言えば……」

「チルノさん、そんなに自分を責めないで。
 霊夢さんも覚悟の上ベルトを受け取ったんです」

「でも……あたしが付いていながら」


「いい加減にしろッ!!」


 その怒声に、チルノは驚く。
 今まで待合室の端にいた魔理沙が、顔を上気させこちらへ詰め寄ってくる。

「さっきは……殴って悪かった。でもなっ! 霊夢を見くびんじゃねぇ!!
 アイツは自分の失敗を人に押し付けるような、卑怯な奴じゃない。
 それ以上言うのは霊夢に対して、侮辱だぜ!」

 チルノの両肩に手を置き、必死にチルノへ言葉を掛ける魔理沙。
 眼に涙を湛え、何かを耐えるようにチルノの瞳を見つめる。


「病院では静かにして下さい!!」

 そこで、女性の看護師が待合室の扉でこちらを睨みつけていた。
 魔理沙達がすみません、と謝ると、表情を崩し、

「治療……終わりましたよ」

 その報告で、再び騒ぎだそうとする魔理沙を止めて
 霊夢の元へ向かう。



 ERには他にも急患がおり、その治療室の一区画に霊夢がベッドに横になっていた。
 幸い命に別状は無く、一週間ほど入院すれば回復するとの事だった。
 チルノは霊夢の顔を見た途端、

「霊夢……あたしは――」

「チルノ、ありがとう」

 霊夢はチルノの言葉を制し、真っ先にお礼を言う。
 チルノは訳が分からず、言葉に詰まっていると、霊夢が話し始める。

「チルノの作ったスーツ。凄いわね……私、死んだかと思った」

 と、嬉しそうに話す霊夢。
 チルノを気遣って言っているのではない。
 霊夢は本当にそう思っているから、
 チルノの顔を見たらお礼を言おうと決めていたのだ。



 ――チルノの頬に、透明な雫が伝う。


「ち、チルノ!?」

 霊夢が驚き、私何かおかしなこと言ったと、魔理沙達に確認する。

「……霊夢。ごめん……ありがとう」

 それきり、チルノは霊夢の手を離そうとせず、
 声を殺して、
 静かに……ただ、静かに泣いた。







 ――病院を出てすぐ、チルノは文に車で連れて行ってほしい所がある、と頼む。

「……どこへ行くんですか?」
 
 訝しげに尋ねる文へ、チルノは言う。

「『河城工房』……そこにあたしの知人がいる。そこでベルトの強化する」

 チルノの行動は早かった。
 このまま嘆いて過ごしても、意味のない事だった。
 なら、自分の出来る事、自分にしか出来ない事をやるべきだった。
 時間は有限だ。待ってはくれない。
 何時またルーミアや美鈴などの、強力な妖怪が襲ってくるかわからない。
 チルノは今まで戦ってきた戦闘データの落とし込み。
 それと、霊夢の力を実践レベルにするための研究。
 やることは山のようにあった。


「なら、私も行くぜ!」

 魔理沙も大人しく待つ性格では無い。
 何かをしたいのだ。
 この時間を……無駄にしない為に。
 
 時間はもう夜だった。
 チルノの言う工場ももう、閉まっているだろう。
 だが、チルノにとっては関係なかった。
 無理にでも使わせてもらう。
 研究所時代と違って、高度な実験施設を有する施設は少ない。
 この付近であるのは『河城工房』しかなかった。





『(有)河城製作所』
 通称、『河城工房』

 ここは、チルノが研究所時代に特注の部品を製作してもらう工場だった。
 少人数ながら、腕利き職人が多いこの工場にチルノは良く発注していたという。
 チルノの要望で、大規模な実験施設を導入し、研究所と並行で稼働する事により
 研究の進捗の効率が上がった。
 ここの社長の一人娘である、河城 にとりは、チルノと同い年ながら腕利きのエンジニアでもあった。
 機械工学においては、チルノ以上に詳しく。
 理論派のチルノと比べて、現場主義のにとりは良いライバル関係と言えた。


 
「流石にもう、寝てんじゃないか?」

 車で一時間程走り、到着したのは山に隣接した工場だった。
 魔理沙が携帯で時間を確認し、チルノに問う。

「……大丈夫」

 チルノは慣れた感じで工場の裏口へ回ると、
 静脈、網膜、声紋認証と暗証番号を終え、カードキーを挿入して扉を開く。

「勝手に入っていいんですか?」

「……大丈夫」

 文にそう言うとチルノはそのまま、入って行く。
 そのまま文と魔理沙は、続いて扉を潜る。
 工場の中は思いの他すっきりしていて、
 工場と言うよりも、研究所といった雰囲気だった。
 その一室でチルノが足を止め、再び細かな生体認証を終え入る。
 入ってすぐの電気のスイッチを入れる。

「……うわぁ……これって」

 そこで魔理沙達が見たのは、所狭しと、山積みにされた部品の山。
 ライダースーツの原型となった胴体部分。
 頭部だけになった複眼が光り、ベルト部分の試作が転がる。
 部品に埋もれた机には、研究データである資料がうず高く積まれていた。

「凄い……ここで仮面ライダーが誕生したんですね」

 文が感心し、必死にメモを取る。
 流石にカメラは厳禁と、チルノに言い渡されたためだ。
 チルノが持ってきた鞄からノートパソコンを取り出す。

「何か手伝う事はないか?」

 魔理沙がチルノにそう尋ねた時、
 遠くから、カンッカンッカンと廊下を苛立たしげに、走ってくる音が聞こえた。
 まだ、誰か残っているのかと文が廊下へ出ようとすると、



 ――バンッ


 荒々しげに部屋のドアが開かれ、一人の少女が息を切らしていた。

「チルノ!! またアンタかっ!」

「久しぶり……にとり」

「久しぶりじゃない!! また勝手に入り込んで、勝手な事やって! 
 父ちゃんは騙せても、私にはブリっ子は通じないよ!!」
 
「あたしはただ、お願いしただけ」

「ケーッ! それがブリっ子だってのよ。最近来なくなって一安心していたら……」

「……あ、あのちょっと」

 険悪な雰囲気のにとり。
 対するチルノはいつもの無表情で、にとりを見つめている。
 文は二人とも落ち着いて、と仲裁に入り事情を聴く。
 どうやら、元々この部屋は空き部屋だった所を、にとりが自分の遊び場として使っていた。
 ところが、ある日からチルノが工場に出入りするようになり、
 社長で工場長でもあるにとりの父にお願いしたところ、快く提供したらしいのだ。
 にとりのいない所で勝手に、だ。
 それ以来、険悪な二人。
 しかし、突っかかるのは一方的に、にとりの方からで、
 チルノは理不尽な言葉をいちいち訂正して、言い負かしているという構造だ。

 しかし、にとりも普通の少女ではなかった。
 機械の天才と言われ、この腕利きの工場でも一、二を争う職人でもあった。
 実際、マスクドライダーシステムも、彼女の力無しでは完成に至らなかった。

 チルノの研究所時代。
 この工場に通い詰めているのも、彼女が居たからという部分もある。
 工場でも二人の仲の悪さは知られていて、それでもその喧嘩を止める者はいない。
 二人の少女が言い争っている場面も、
 周囲の大人は何時も仲が良いね、と微笑ましく見守っていた。
 にとりの父も友達のいない娘に、同年代の子が傍に居てくれるのはありがたい話だった。
 男臭い職場に美少女が二人いるという事は、社員の活気にも繋がる。
 能力の高い二人が居れば、仕事上での問題も大抵は解決できた。
 無くてはならない存在の二人はアイドルと言うよりも、
 ムードメーカーと言った方がしっくりきた。


「あぁ最悪~、今晩から枕高くして眠れないじゃないの!!」

 にとりは苛立たしげに頭を掻く、
 チルノがここに来なくなってから一年。
 その間、この部屋を片付けて自分の物にしようとすればできたはず。
 それでも、勝手に触れないからと部屋をそのままにして置いたのは、彼女が基本的に優しいからだ。
 ただ、素直ではなかった。
 こうしてチルノの居なかった一年の間、積もりに積もった鬱積を、ここぞとばかりにぶち撒ける。
 
「……にとり。頼みがある」

 そんなにとりへ、チルノは言う。

「あぁ!?」

「あたしに力を貸して……お願い、します」

 そう言って、座っていた椅子から立ち上がり、にとりへ深く頭を下げた。

「えっ!? ちょ、ちょっと……バカっ! どうしたの?」

 戸惑うにとり。そこへ、

「私からもお願いします」

「私もお願いするぜ……頼む、助けてくれ」

 チルノに習い、文と魔理沙もにとりへ深く頭を下げた。
 にとりは戸惑いから訝しげ、そして頭を掻き毟り……。

「あぁ~もうっ!! わかった、わかったから。だから頭を上げなさいよ! で、私は何をすればいい訳!?」

 その夜、工場に勤める全社員に緊急招集が掛かる。
 皆、就寝していたり、居酒屋で飲んでいたりと完全なオフの時間にも関わらず、
 チルノの頼みと聞いて皆、大急ぎで駆け付けてくれたのだ。
 そうして夜が明けても、工場の稼働音は響き続けた。







 ―第十一話「河城工房」、完。

 

 ―次回予告。
≪避けては通れない、思い出という名の罪。
 乗り越えければならない、そんな単純な構図。
 定めたのは誰か? それは自分で認める自分自身。
 銃口を向けた、その先の存在とは?

 次回、東方英雄譚 第十二話 「チルノ ―Remember me― 」≫




[7571] 第十二話 「チルノ ―Remember me― 」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/07/05 15:50

「退院おめでとうっ! 霊夢」


 病院の病室に魔理沙、文、チルノが姿を現す。

「皆、ありがとう。チルノ、早速特訓ね。体が鈍ってしまって」

「うん。でも……その前に皆に言っておきたい事がある」

 チルノの言葉に皆が、疑問の表情を呈した。
 とりあえず、退院手続きを終えて。
 霊夢の家へ行く事にする。




「聞いて欲しい事は、あたしの事」

 霊夢の家。和室の居間。
 そこで、四人の少女は座る。
 霊夢がお茶を淹れてきた後、
 チルノは話し始めた……。

「なんだよ。改まって……」

 魔理沙がお茶を飲みつつ、先を促す。
 チルノは頷き、鞄から紙袋を取り出す。
 それを開くと、

「こ、これは!? SIG P226」

 ゴッと固い金属音。重く光った鈍い色を放つそれは本物の拳銃だった。
 魔理沙は瞬時に、模造品でない事に気がついた。
 マニアックな趣味を持っていて、ガンマニアであることも趣味の一つだ。
 魔理沙の言った『SIG P226』は、
 ドイツ製の高価な銃で、故障が少なく命中精度も良い。
 ただし、飾り気がなく無愛想なのが特徴的だった。

「何で、そんなに詳しいのよ……」

 霊夢が呆れて魔理沙を見る。ホントに女の子なの? と続けて悪態を付く。

「ど、どうしたんだこれっ!?」

 魔理沙が興奮してチルノに尋ねる。
 チルノはその問いには答えず、静かに話し始める。

「これから話すのは、あたしの過去の罪。もし、それを聞いて許せないなら……。
 これで、あたしを殺してくれて構わない」

 チルノは拳銃のグリップを目の前に座る三人の少女へ向け、
 銃口を自分へ向けて机に置く。
 そして横に、チルノの変身ベルトを置く。
 抵抗は一切しないという、決意の表れだった。

「ど、どうしちゃったの!? チルノ……何で」

 霊夢の腰が浮く、文がそれを止め霊夢を座らせる。

「霊夢さん。聞きましょう……チルノさんは本気です。大事な話です」

 ありがとう文、と断りを入れて、チルノは思い出すように少しずつ話し始めた。
 自分のやり直せない、やり直したい過去の記憶を……。







 ――チルノが大ちゃんと出会って、二年の月日が流れた。


 チルノは七歳の誕生日を迎えていた。
 この日だけは、レティは家に朝から居てくれてずっとチルノに付き合ってくれた。
 チルノは早速、大ちゃんを招いて三人で誕生日パーティーをすることにした。

 机の上には豪華な食事が並んび、中央に小じんまりとだが、ケーキを置く。
 八本のロウソクを立て、ケーキに刺す。
 電気を消し、Happy birthdayの曲を三人で歌う。
 ロウソクを吹き消して、拍手が起こる。
 電気をつけて、レティはロウソクを取り外そうと手を伸ばそうとするのをチルノは止める。
 怪訝そうにチルノを見るレティに、チルノと大ちゃんはいっせ~ので、合図して箱を渡す。
 レティが思わず受け取ったその箱は、簡素なリボンが巻かれていた。

「中、開けてみて」

 チルノが急かして、レティに箱を開けさせた。
 そこにはぎっしり詰まったロウソクと……、
 氷の結晶を象ったブローチが入っていた。
 

「チルノ……これって?」

「お母さん誕生日おめでとう!!」

「おめでとうございますっ!!」

 レティの誕生日は、チルノと同じ日だった。
 だが、毎年誕生日の日はチルノを祝うだけで、自分のは面倒臭がっていた。
 そこで、二人は協力して、今日のサプライズを思いついたのだ。
 必死にお金を貯めて……。
 
「お母さん妖怪だから、ロウソク足りなくて……」

 レティは何百年を生きる雪女という妖怪だ。
 半妖のチルノとは違って、何時まで経っても老いる事は無い。
 年を重ねる事に意識が希薄で、ついついどうでもよくなってしまう。
 でも誕生日は、誕生日だ。
 店にロウソクを買いに行ったとき、
 この店のロウソクを全て下さい、といったら数が全く足りなかった。
 他の店に買い漁っても、今度はお金が足りなかった。
 泣く泣く、買えるだけ買ってきたが、どうしても足りなかった。
 沈む二人にレティは首を振り、優しく二人の頭を撫でて、

「ありがとう」

 そう言った。
 チルノは元気を取り戻し、大ちゃんと競争するようにケーキにロウソクを刺していく。
 しまいにはケーキが、ハリネズミのように立体的にロウソクが立つのを見て、
 三人揃って大笑いした。
 そうして、穏やかな時間が過ぎていく……。




 ――格別美味しい夕食を終え、お茶を飲みながら、レティはチルノへ話し掛ける。

「ねぇ、チルノ……貴女、研究所で働いてみない?」

 その提案にチルノは驚き、どういう事か事情を聴く。

「貴女今、学校で学ぶ事は無いんじゃないかしら。私も人並みに育てようと思って、
 小学校まで行かせたけど、はっきり言って時間の無駄になっていない?」

 レティは物事を遠慮なくはっきりという性格で、そう感じるのは当然と言えた。
 チルノ自身、その考えは大いに賛成だった。
 このまま学校へ行っても半妖という種族の壁が、友達を阻む。
 あるのは差別だけ。
 ただ、それだけ。それが生徒だけでなく教師もそうなのだ。

 チルノには大ちゃんがいる。それだけで十分に思えた。
 こうして無駄に時間を過ごすなら、働いた方がまだお金になるし、学ぶ事もある。
 だから、チルノは特例措置として研究職に就けるように取り計らうとのことだ。
 レティの研究所での地位は決して低くない。チームリーダークラスだった。
 だが、裏口で入れようとするのではない。
 当然試験もあり、研究論文の提出もある。
 それも今のチルノにとっては、とても簡単な事だった。
 チルノの意思は固まっていた。

「あたしも働いてみたい。何時までもお母さんに甘えていられないから」

 その言葉に、レティは嬉しそうに頷く。
 大ちゃんも凄い凄いと、チルノに抱きつく。
 その後、

 ――チルノはこの一週間後、入所試験に無事合格を果たす。


『東方統合科学研究所』

 この研究所で扱っている研究項目は生物化学、機械工学、電子科学が中心だ。
 必要であるならば、外部より専門の研究員を雇い、共同で未知の分野へも挑戦する。
 技術委託型経営だった。
 客の依頼で、研究所の全ての力を結集して、どんな分野へも挑戦する。
 その姿勢が、多くの優秀な研究者を集める要因となった。
 通常、『研究』という商売は儲かりづらい。
 成果がでないからだ。
 どんなに資本を投入しても、宝くじが当たる可能性を拾うようなものだ。
 成果が出ず諦める研究機関も多い。
 だが、この研究所は違った。
 どんなに年月が経っても、客の依頼が取り消されるまで真実を追い続ける。
 成果も今のところ順調で、依頼完遂率は三割にも上る。
 これは驚くべき数字だった。
 何千、何十億かけても結果が出ない事も珍しくない研究分野での実績。
 常に未知の技術を開発し、世界へ提供する。
 事実上、日本で最優秀の研究機関だった。
 そして、この研究所をここまで育て上げた功績を称え、
 所長の名をこの研究所の愛称とし、

 通称 『八意研究所』 と、呼ばれていた。


 
 ――チルノは入社して一年後、研究所の最前線に立っていた。
 元々、母レティの研究を手伝っていたりしたため、慣れるのは早かった。
 周囲は最初、レティ女史の娘と呼んでいたのが、
 すぐに天才少女と、呼ばれるようになった。
 チルノは真綿が水分を吸うように、次々と知識を吸収していった。
 誰もその成長スピードに追い付け無くなっていた。


 
 ――そんなある日、

「チルノ博士、ちょっといいですか?」
 
 白衣を着た男性職員が、食事中のチルノに声を掛ける。
 ちょうどカップラーメンを食べていたチルノは、麺を啜った状態で止まってしまい。
 上目遣いで男性職員を見る。

「……すいません。食事中に」

「ずっ、ずずっ。……まったくよ」
 
 チルノの優秀さはすでに誰もが認めるところとなり、
 こうして意見を求められるのは、しょっちゅうだった。
 チルノは分野に関係なく、研究に携わり共同研究を行う事も多い。
 小娘の意見など、大の大人が聞くのかという疑問は霧散していた。
 誰にでも公平に接し、思慮深く、明るい性格のチルノは人気が有り、
 研究所のアイドルのようない位置に立っていた。
 密かにファンクラブができている、という噂もある。

「それで、どうしたの?」

 カップ麺のスープを飲み干し、改めて尋ねる。

「実は……これなんですけど……」
 
 そういって資料を食卓に広げ、チルノに見せる。
 その資料は医療介護用のロボットスーツの設計図だった。
 介護福祉の問題は複雑で、介護福祉士も足りず、人手不足が続いている。
 寝たきりの老人を抱えて、世話をしないといけないため自然と体力の限界が来る。
 その際の補助をするため考案されたのが、このロボットスーツだった。
 しかし、センサーや筋力補助のモーターをつけるため、どうしても嵩張ってしまう。
 細かい動きず、単価も高い。
 そのため研究所に依頼されたのは、
 もっと手頃に安く、使いやすいスーツの開発依頼だった。

「ふむふむ。装着することで、脳の電気信号を皮膚表面につけたセンサーで読み取り、
 コンピュータ制御で補助する機構か……」

 国内の工場に特注で発注したモーターも、これ以上の小型化は現段階では難しい。
 そして値段の方も高性能化すればするほど高価になってしまうらしい。

 チルノは少し考えて、

「なら、こうしたらどう? ……要はジャージのようなお手軽さで高性能化すればいいんだよね? 
 スーツとモーターを別にするのではなく、人工筋肉を繊維で編み込んだらどう?」

「それも考えてます。センサーもスーツ全身に網状にすることで、
 素早く脳信号に反応させようと思うんですけど……」

「問題は素材ね……」

「そういえば、この間材料工学のチームが新素材を開発してましたよね?」

「ああ、あのケブラー素材を越えるって息巻いていたやつよね」

 現在防弾チョッキなどに採用されているケブラー素材は、現在の銃火器には対応出来ていない。
 かといって、セラミックスやチタン製にすると……重量があり過ぎる。
 そのため、材料工学のチームが開発した素材は画期的と言えた。
 その新素材は、衝撃を反発する性質を持つため、結果的に衝撃を効率的に拡散する。
 
「いけそうな感じですね。あれ? ちょっと待って下さい。このままだと戦闘用になってしまいますよ。
 私達が開発しようとしているのは、介護補助用のロボットスーツだったんですけど……」

「いいじゃん。そのまま軍用にして売り捌けばいいじゃない?」

「それは……またの機会にしておきます」

 男性職員は苦笑しながらお礼を言い、頭を下げる。
 そこで、チルノの持つ資料にも目を止める。

「あぁこれ? 私の趣味よ」

 そう言って、昆虫の標本を掲げる。

「バッタ……ですか?」

「そう、昆虫の持つ複眼を真似て、軍用の高感度センサーを作ろうと思って、
 フィボナッチ数列のように配置したらどうなるかな~て」

 面白そうですねと、興味を持つ男性職員に、面白いよと一言告げ、食堂を後にする。




「チルノちゃ~ん!! はい、お弁当」

「ありがとう、大ちゃん!」

 チルノは研究所に勤め出して、家に帰る時間がめっきり遅くなっていた。
 仕事が忙しいのもあるが、楽しくて時間を忘れているのだ。
 大ちゃんは寂しく感じるが、チルノが楽しいなら良いと言ってくれる。
 そんなチルノを気遣って、こうして毎夜お弁当を作って来る。
 昼は食堂が開いているが、午後八時を越えると閉まってしまうためだ。

「今日も遅くなるの?」

「う~ん。もうちょっと……」

「そう言って、いつも遅くなるんだから、いくら半妖でも体壊すよ」

「大丈夫、大丈夫……」

「もう、それじゃ先、帰ってるね」

 うん、と心ここにあらずという声で大ちゃんに返事をして、仕事に没頭する。
 大ちゃんは大きく溜息をつき、研究室のドアに手を掛ける。
 そして、何を思ったか背中を向けてるチルノへ向かって、
 あっかんべーをしてさっさとドアを閉めた。

 


「まったくもう、チルノちゃんはっ!」

 悪態を着きながら、薄暗くなった研究所の廊下を歩く。
 昔はよく遊んだのに、最近は全然遊んでくれないことに不満を感じていた。
 妖精は、悪戯や遊びが大好きな種族だ。
 呼吸する事にも等しい、その習慣を我慢する事は大変なストレスだった。
 それでも、チルノは今頑張っている。
 それを邪魔するのは、無粋な気がした。
 ただ、もう少し気づいて欲しかった。

 ……でもそれも時間がかかるだろう。
 人間のチルノはそれに気づいた時は、大人になってしまっているだろうか。
 妖精とは違い。人間はすぐ年を取る。
 チルノは……大人の仲間入りするのが早過ぎたのだ。
 『天才』そう皆に持て囃され、不幸な事に実力もあった。
 普通の子供が子供でいられる時間を、チルノはわずかな時で消化してしまったのだ。
 

 ――いっそ馬鹿だったらよかったのに。
 そう、他の子供達と同じくらい馬鹿なら……何も考えず楽しく遊べたのに。
 最近チルノが遠くに感じてしまう、何時までも子供の自分とどんどん大人になっていくチルノ。
 分かっていた事だった。こういう事は……何度も経験している。
 その度に悲しい。
 どうにもできないことは理解している。


 それでも、少しだけ我儘を言わせてもらえば。
 もう一度二人で泥だらけになるまで一緒に……。




 月明りに照らされた廊下は、
 非常灯の明かりだけが浮かび上がる。
 感傷的になっていたようだ。
 そこで、ふと何かに気づく。
 

「あらっ」


 廊下に漏れる実験室の明かりが、見えた。
 こんな遅くにチルノちゃん以外、残っているのか……。
 レティさんかな?
 そう思ってそのドアを覗き込む。
 ドアの向こうには白衣を着た職員らしき人物が数人いて、
 ぼそぼそと小声で話し合っている。
 薄暗い明りの中に浮かび上がる人影は、不気味にさえ見えた。
 大ちゃんは訝しげに思いつつも、声を掛ける。

「あの……、お疲れ様です。え~と、電気つけないと目を悪くしますよ?」

 その声に反応して、職員達が振り返る。
 最初は驚いていた職員達の表情が、徐々に怪しい笑みに変化した。

「……これはこれは、そちらから出向いてくれるとは……」

 職員達の雰囲気に、違和感を感じて、大ちゃんは後ずさる。
 そこへ素早く職員の一人が、大ちゃんの背後に回り込む。

「ちょ、ちょっと! なにするんですか!?」

 背後に回り込んだ職員が、素早く大ちゃんを羽交締めにし、
 口にハンカチを宛がう。
 叫び、抵抗する大ちゃんは徐々に力が弱まり、そのまま意識を失う。

「けっ、化け物でも麻酔は効くってか」

 職員の一人が嘲り、その場に崩れ落ちた大ちゃんを抱える。
 職員達の忍び笑いが、暗い暗い実験室に響いた。
 







 ―第十二話「チルノ ―Remember me― 」、完。




 ―次回予告。

≪記憶。それは今の自分を形作るもの。時の中から与えられた道標。
 誰もが逃れえぬその中で、ある者は心を縛り、またある者は流される。
 砲火を境に叫ぶ思いが真に欲するものは?

 次回、東方英雄譚 第十三話「チルノ ―後悔編― 」≫




[7571] 第十三話 「チルノ ―後悔編― 」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/12/31 14:32


「ん? 今何か……」


 チルノは、何か聞こえた気がして、仕事の手を止める。
 ふと辺りを見回すと、大ちゃんが持って来てくれた弁当に目を止める。
 その弁当を見ながら、チルノは酷く違和感を覚える。
 その違和感は徐々に言いしれぬ不安へと変わっていく。

「何だろう……? 何か気になる……」

 チルノは椅子から立ち上がり、研究室から出て行く。



 チルノは言いしれぬ不安を抱えたまま、研究所の廊下を歩く。
 チルノ自身、その不安の正体は分からない。
 だが何故か、何かを求めるように、導かれるように薄暗い廊下を進む。
 そこで、一つの実験室で足が止まる。
 その実験室は空き部屋になっていて、今は誰も使っていないはずだ。
 
「ここ……かな?」

 鍵は閉まっているはずだと思いつつも、その扉に手を掛ける。
 その扉は簡単に開き、その中からは明かりが漏れた。

「誰か、残ってるの?」

 チルノの呼びかけに応える者はなく、単なる電気の消し忘れと思い、
 一応中に、誰もいないことを確認するために、
 チルノはそのまま研究室の中へと入って行く。

 そこで、チルノが目にしたものは……。




「え……?」



 ぐちゅっぐちゅっ
 

 実験室は電気が付いていても薄暗かった。
 しかし、何かの音が聞こえる。
 チルノは自分の目が信じられなかった。
 瞳に映る光景が、そもそも間違ってるんじゃないか?
 そんな非論理的な理由を持ち出してまで否定したかった。
 実験室の中央に机の上に大ちゃんが寝ていた。

 ……だが、そのお腹は無残にも裂かれ、
 立った今取り外した背中の羽が保存用の容器に入れられている。
 見開いた眼は恐怖に彩られ、
 絶望の表情のまま時間が止まっていた。
 
「おや、チルノ博士。残業ですか? お疲れ様です」

 そういって声を掛ける男性職員は、昼間チルノに質問をしてきた男だった。
 
「何をしているの……一体、何を……」

「ご覧の通り、実験ですよ。昼教えて頂いたアイディア。早速上司に相談したところ、
 GOサインが出ましてね。ついでに妖怪に対抗できる手段も確立して欲しいと、
 軍のお偉いさんから……」

「何言っているの……大ちゃんが……大ちゃんが、苦しんでる」

「もう、死んでいますって、それより博士。私は考えたんですよ。
 化け物を研究するには化け物を調べないといけない。
 だけど、残念な事にデータが少ないんですよ。だからこうしてサンプルを集めているんです」


「そんな事は聞いていない!!」


 チルノは全身でその男性職員を突き倒し、大ちゃんに駆け寄る。
 既に大ちゃんは絶命しており、手の施しようがなかった。
 そもそも妖精に、人間の治療方法が適用できるかも不明だった。
 
「大ちゃん!! 大ちゃん……うぅう、ああああああああああああ!!」

「五月蝿いな。化け物が一匹死んだって、だけなのに……」

 その言葉を発した職員を、チルノは涙を流しながら睨む。
 その眼は笑っていた。
 そして、チルノは気づく。
 この、あまりに異常で狂気に満ちた行動。
 ここに集まっている三人は、HRBのメンバーだと、
 『HRB』とは『Human Red Blood(赤い血の人間)』の略で、
 十九世紀のイギリスで発生した、人間至上主義の妖怪差別団体だった。
 まだ迷信が根強く科学が発達していなかった頃、魔女狩りの如く行われた選別により、
 妖怪の血は青いなどの迷信からこの名が付けられたという。
 あまりにも非人道的で、過激な活動からそのメンバーは徐々に数を減らした。
 チルノはその危険分子が、この研究所に入り込んでいる事実に絶望し、嘆くことしか出来ない。

 何故、大ちゃんが死ななければならなかったのか?
 何故、よりによって今日この三人に出会ってしまったのか?
 これでは……ただの犬死だ。
 通り魔殺人のような無計画で、無差別な所業。
 大ちゃんはこんな奴らの……こんなくだらない理由で殺されたのかと思うと、
 気が狂いそうだった。
 否、もうチルノは狂っていたのかもしれない……。

「どうします? これを見られては……」

「チルノ博士には悪いですが、口封じをさせていただきます。惜しい人材をでしたが……」

 職員の一人は、鈍器のようなものを持ち、チルノの背後に回り込む。

「さよなら、チルノ博士」
 
 振り上げた鈍器のようなものを、チルノの頭めがけて振り下ろす。




 そこへ――、冷たい風が吹いた。



 チルノは首筋に感じる冷気を察して、振り返る。
 そこには、鈍器を振り下ろした姿勢で氷漬けになっている職員がいた。

「なっ!? なんだ、これは!?」

 職員の一人が悲鳴を上げて混乱するなか、凛とした声が実験室に響き渡る。

「チルノ、無事!?」

 声のした方へチルノが振り向くと、そこには息を切らしたレティの姿があった。

「レティ女史、これはいったい……」

 男性職員が驚きながらレティに尋ねる。
 その言葉を無視し、レティは実験室の中へ歩みを進める。

「お母さん……。大ちゃんが……大ちゃんが……、死んじゃった」

 レティは何も言わず、チルノと実験机の上にて死んでいる大ちゃんを見て、
 何も言わずに優しくチルノの頭を撫でた。
 次の瞬間、残り二人の男性職員を睨みつける。
 その瞳には激しい怒りが秘められていた。
 悲鳴を上げて、残りの職員達は逃げだそうとする。
 

 しかし、それは叶わなかった。


 その二人は足首から徐々に凍りつき、その場に固定されていた。

「ば、化け物!!」

「貴方達の方が、よっぽど化け物じゃないの」

 レティは男の首を掴んで、一気に凍りつかせる。
 次の瞬間、手に力を加え、男の身体は粉々に砕け散った。

「ゆ、許してください!」

 最後の一人が許しを得るように懇願する。

「貴方達は、泣いて助けを求める……大ちゃんを助けてあげたの?」

 レティは最後の男の頭を鷲掴み、徐々に凍りつかせていき、
 首に達した瞬間に力を込め、あっさりと圧し折った。




 レティは……。
 まだ、大ちゃんに縋って泣き叫んでいるチルノの元へと駆けより、
 無言で強く抱きしめる。

「ごめんなさい。あたしが、守って上げられなくて……」

 レティはチルノに謝る。

「あたしが弱いから……大ちゃんを守れなかった。
 あたしがもっと早く気付けていれば、大ちゃんを救う事が出来た……あたしが……」

「もういいのよ、チルノ……もういいの」

 そうして、まだ泣き続けているチルノに、レティは声を掛ける。

「チルノ、聞きなさい……昔から人間と妖怪は中が悪かった。
 それは現在でも変わっていない。だから、私達は選ばなければならない。
 このまま人間と共生していくか、それとも対立の道を歩むか。決めるのは貴女よ」

 チルノはその言葉で、レティを見つめる。

「あたしはもう、人間と生きていく自信が無い……。
 このまま消えて死んでしまいたい……」

「私は貴女が行きたい道を選んで欲しい。
 厳しいかもしれないけど、これは大事なことなの」


「分かってる!! 分かってるけど……もう少し、時間をちょうだい……」


 再び嗚咽を上げて、レティの胸に顔を埋めるチルノ。



 更けていく夜の実験室には、月明りが赤い水面に反射していた。







 ――轟く轟音と悲鳴と怒号。
 ――爆発する建物。

「隊長! Aブロックの隔壁が爆破されました!!」

「て、敵の数は!?」

 報告した兵士に、中年の指揮官が叫び声をあげる。

「……それが、一人です!」

「何を馬鹿な――」

 中年の指揮官の声は次の爆発音に掻き消された。
 そして若い兵士が、声を震わせて叫び声を上げる。

「た、隊長! 敵が迫っています!!」

「あ、あれが……」

 中年の指揮官の視線の先には、奇妙な装備に身を固めた、小柄なシルエットが映った。
 それは、まるで西洋の甲冑のようであり、東部に光る大きな眼は昆虫の複眼のようであった。
 そのスーツを着た人物は、ゆっくりと歩いて近づいてくる。
 若い兵士は震える声で、警告を発する。

「止まれ! 止まらんと撃つぞ!!」

 携帯した拳銃を突きつけて、制止を促す。
 それでもスーツの人物は無視して進み続ける。
 次の瞬間、発砲音が響き、
 弾丸は吸い込まれるように、スーツの人物にあたる。
 しかしそのスーツは、弾丸を簡単に弾き飛ばした。
 スーツの人物は次の一瞬で間合いを詰めて、
 兵士が握った拳銃を発砲スチロールのように握り潰す。
 兵士は驚愕し、悲鳴を上げる。

「命が惜しかったら、逃げなさい……」

 そのスーツの人物から幼い少女のような声が響く。
 兵士たちが悲鳴を上げ、逃げ出す。
 だが、それは叶わなかった。


「わはー大漁だ~♪」

 響き渡った無邪気な声、闇の塊がその逃げ出した兵士達を飲み込んだ。
 兵士達の悲鳴は、くぐもった呻き声の後、聞こえなくなった。

「甘いね~甘い。アイスクリームのように甘ったるい思考だね。チルノちゃん」

 闇の塊からすーっと現れたのは小さな少女だった。
 金髪に赤いリボン。無邪気な赤い瞳が特徴的だった。

「ルーミア……」

 ――チルノは初めての実戦を経験していた。

 『紅魔』という妖怪の組織に属し、今まで頭脳専門で作戦指揮をしていたが、
 以前より開発中の新システム。
 『マスクドライダーシステム』の試運転を兼ねた、殲滅作戦だった。
 人間と妖怪の共存。
 それを行うには、お互いが武器を持っていては駄目だ。
 なら、潰すまでだ。
 人間は昔から武器を持つと使わずにはいられない性質を持つ。
 話し合いましょうと握手を求めても、相手が銃を右手に持っていたら意味が無い。
 まずは、徹底的に人間の武器『軍隊』という組織を潰す。
 そして、交渉のテーブルに付かせてやるのだ。

 

「逃げる者は追わない……その武士道精神? あっはは、可笑しいなの~」

 チルノはルーミアを黙って睨みつける。

「だってそうじゃない? 後ろ見てみて」

 そういってルーミアが指さした方向。
 たった今チルノが破壊してきた軍の施設があった。
 爆発音が響き、建物が崩壊していく。
 そして、その施設から生き残った兵士達が必死に逃げだしている。
 だが、その人間全ては殺到した妖怪、グールの餌食となり、
 貪り喰われて、命を刈り取られていった。
 そのおぞましい光景。




 ――地獄絵図のようだった。



 チルノは膝の力が抜けた。
 変身が知らぬ間に解ける。

「あらっ? ショックだった!? 
 そうよね~チルノちゃん今まで、指示側だったからね。
 でも、大丈夫すぐ慣れるよ。すぐ楽しくなるよ!!」

 そう言って、ルーミアは人間の肝臓だろうか?
 ……八重歯を光らせ、美味しそうにそれを食べる。
 ぐちゃぐちゃと咀嚼音が響き、口を血で汚す。

「食べる?」

 そう言って差し出された、赤黒い肉、肉、肉……。

「いやあああああああ!!」

 それを払いのけ、チルノは吐いた。
 吐いても吐いても、
 まだ自分の中に気持ち悪いものがあるような気がして、
 指を自分の喉に突っ込み。全て出し尽くす。






 ――何故、何故何故何故?

 あたしはただ、共存を……。
 その為に武器を奪うために……。
 こんな虐殺まがいの事をするために、作戦を立案し、
 ライダーシステムを作ったんじゃない!!

 『紅魔』は人間に虐げられた妖怪達が、
 自衛の為に作った組織のはずじゃなかったのか!?
 こんな……こんなの……人間と同じじゃないか。
 強者が弱者を一方的に痛めつける。
 世界の縮図。
 こんなの求めていた世界じゃない。

 あたしの……やりたい事じゃない!!



「……あたしは……こんな事がしたかったんじゃない!! 
 あたしは人間と妖怪がうまく住み分けれるように……
 違う、違う!! こんなの違うっ! 
 間違えた、あたし間違えちゃった。うああああああああああ!!」


 あたしは血の海へ、突っ伏し、泣き崩れた。


「ごめん、ごめんなさい!! 大ちゃん……貴女との約束守れなかった。
 あたしを独りにしないで!! 大ちゃん大ちゃん大ちゃん……」



「あ~あぁ。壊れちゃったよコイツ……五月蝿いな~食べちゃおうかな~」

 ルーミアは一歩ずつ、チルノへ近付く。
 泣き崩れていたチルノは……唐突に泣くのを止めた。
 チルノは殺気を感じたのか、すぐにその場へ立ち上がる。

「お! やるか!?」

 ルーミアが楽しそうに、必要もないのにファイティングポーズを取る。
 あたしは涙に濡れた瞳でルーミアを睨みつけ、



「……変身」


《Complete》

 手を翳し……徐々に霧が出始めた。
 空気中の水蒸気が冷気により、露点温度へと下がり、
 小さな水粒となって空中に浮かぶ。
 そして、チルノの姿を隠していった。

「ちょっと逃げるつもり!?」

 ルーミアが怒り、チルノがいたと思われる方向へ、
 小さな闇の玉を散弾銃のように飛ばす。

「ルーミア……まだ貴女に殺される訳にはいかない。
 あたしは、やらなければならない事ができた。
 あたしは間違えていた……あたしは……組織を抜けるわ」

「そんな勝手な事が許されると思うの?」

「あたしは、あたしのやり方で罪を償う。お嬢様にもそう伝えておいて……」

 そう言うとチルノの気配は完全に消えた。

 それを眉間に皺を寄せて見送り。
 ルーミアは面白く無さそうな顔から、
 一転して、にやけ出す。


「ふふっふふふ……そっか、そっか……簡単な事だ。
 要は、食べてもいいんだよね?
 今までお嬢様に止められていたけど。裏切り者には死を……。
 ならっ♪ 死んだ後の死体は、私のお腹で処理すればいいじゃん!」


 楽しく笑い、ルーミアは両手を広げつま先でくるくると回転する。
 ららら~♪ と鼻歌を歌いながら……ルーミアの姿は闇へと消えた。








 ―第十三話「チルノ ―後悔編― 」、完。

 


 ―次回予告。
≪その手に託されたそれぞれの想い。決断の一瞬は少女に何を捨てさせ、
 何を選び取らせたのか? 絡みあった思いが一束のこよりとなって、
 一つの道へと繋がる蜘 蛛の糸となる。

 次回、東方英雄譚 第十四話 「揺れる記憶と魂の場所」≫




[7571] 第十四話 「揺れる記憶と魂の場所」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/12/31 14:40
 ――話終えたチルノは、静かに息を吐く。
 罪を全て吐き出し、肩の荷が下りたのかも知れない。
 そして目の前にいる、三人の少女を見つめる

「……何故、軍が動かないのか。前、話をした。
 それはあたしが軍の施設を潰して回っていたから。
 だから、動けない。既にこの国の軍は機能していない。
 それを公にする訳にはいかない為、政府は国民には知らせていない。
 化け物の報道も、この国の軍では対応できないため、
 大々的に報じられると嫌でもその事実に国民が気づく。
 そのため、報道規制をしき、化け物達は野放しになっている。
 被害者は行方不明扱いになって……。
 あたしが仮面ライダーになったのは……、
 その罪を仮面で隠し、自己満足な罪滅ぼしで、化け物を退治していたから」


 三人の少女は言葉を発す事が、出来ないでいる。


「……これがあたしの犯した過ち。許せないと思うなら、
 撃ってくれて、構わない。覚悟はできてる」

 少女達が、戸惑っていると突然。
 魔理沙が拳銃を片手に、立ち上がる。


「ちょ、ちょっと魔理沙!!」

「止めて下さい。魔理沙さん!!」


「いや、止めないでくれ文、霊夢。大丈夫急所は外す。
 これは契約だ。過去と決別するための」

 魔理沙はチルノに銃口を向ける。
 チルノは眼を閉じ、姿勢を正す。
 魔理沙は拳銃の引き金を、迷わず弾いた。




「やめてっ―――!!」








 ――カチッ


 乾いた音が響いた。
 銃口からは硝煙は立ち上がらず、静寂が支配した。




「あ……れっ!?」

 霊夢の声に、
 チルノは竦ませていた体の緊張を徐々にほぐし、
 恐る恐る瞼を開ける。
 銃口は確かにチルノへ向けられている。
 だが、チルノはどこも怪我していなかった。
 

「どうして……何時の間に」

 チルノは理解し、魔理沙に問う。
 魔理沙の緊張した顔が、いつもの悪戯っぽい笑みに戻る。

「私は手癖が悪くてね」

 魔理沙がポケットから、拳銃の弾を取り出した。
 そして、チルノへ言う。

「私が撃ったのはチルノの過去の罪。そして、チルノの決意はわかった。
 私は何があってもチルノを信じる!  
 だから、文も霊夢も私に免じて許してやってくれないか?」

 魔理沙の問いに、霊夢は……

「な、何が私に免じてよっ! バカ魔理沙!! 
 格好つけて……チルノが死んだと思ったじゃない!」

 霊夢は立ち上がり、魔理沙の頭を思いっきり殴りつける。

「痛ぇ!! 本気で叩く事無いだろう!」

「いや、霊夢さんが正しいです。今度ばかりはやり過ぎです。魔理沙さん」

 文も立ち上がり、魔理沙の頭をはたく。

「そんな事しなくても私はチルノを信じるわよ。確かにチルノがやった事はいけない事だけど、
 チルノは反省し、罪を償おうとしている。
 そもそも、チルノがいなければ今の私は生きていないわ」

「そうですよ。それに、例え間違えてしまっても、
 人間は生きている限り、やり直せるんです。
 一番卑怯なのは、自分の責任を取らない事です。
 だけど、チルノさんは責任を、やらなければならない事をしています。
 私もその行動は正しいと思います」

 人の命は重いものだ。
 例えそれが無自覚な罪であっても、罪は罪。
 罪は償わなければならない。
 どんなに時間が掛かっても……。
 失った命は決して戻らないから尊い。
 だが、仮に罪を償う為自殺をしたとしても、それは自己満足な『陶酔』でしかない。
 一見潔いように思える。が、社会的な責任を何一つ為さず、
 一時の痛みを引き換えにする、逃げでしかない。


 チルノのこの一年の生活を見ればわかる。
 生活感など何もない真白な部屋で、ただ孤独に。
 日々、飯を食べ、寝て、戦う毎日。
 『償い』という枷を嵌められる奴隷のような時間。
 人間らしい生活など皆無だった。
 どんなに辛かった事か……。
 どんなに苦しかった事か……。







「……うっ……ぐすっ……ありがとう。魔理沙、霊夢、文」



 チルノは涙が拭っても拭っても、抑えきれなかった。

「あたし、頑張るから……皆を守れるくらい、強くなるから!!」

 文が、チルノを優しく抱きしめた。

「ほら、チルノさん。そんなに泣いたら、可愛い顔が台無しですよ」

 ハンカチを取り出し、チルノの涙を拭く。

「……ありがとう、文。あたし……最近、涙脆くなって」

「いいんですよ。もっと泣いても。貴女は今まで我慢しすぎたんです。
 涙は自分の心へのご褒美。
 自分が前に進むためには、欠かせない力なんですよ。
 それに……貴女の涙はとても美しいですよ」

 その優しい励ましに、チルノの表情が穏やかになる。
 チルノは涙脆くなったと言った。
 でもそれは、良い事だと霊夢は思う。
 最初会ったばかりのチルノは無表情で、感情の起伏が無く、
 何を考えているのかわからなかった節があった。
 その後、チルノと暮らすようになり、一緒に戦うようになって、
 少しずつ氷が溶けるように、チルノの表情が優しくなるのを感じた。
 チルノに話してもらった過去の記憶。
 それは忌まわしい……霊夢自身ももし、自分がそんな立場だったら……。
 自分も同じようになっただろうと霊夢は思う。
 美羽が死んで、その理不尽な現実を変えようと、霊夢は仮面ライダーになった。
 そして、もし、魔理沙も目の前で殺されたらと思うと……正気ではいられないだろう。
 霊夢は改めて、チルノが凄いと感じた。
 頭が良いとかよりも、その現実を受け入れ、自分の力で切り開いていこうとする姿勢。
 道を間違えたかもしれないが、
 それでもきちんと反省し、歩む事を止めない。
 
 こうして、自分の過ちを他人に告白する勇気など、霊夢は持ち合わせていない。
 そして自分の全てを曝け出すチルノに、霊夢は付いていこうと思った。
 まだ、自分より幼く、その小さい体で、
 この非情な世界に立ち向かう、支えになれたら良い。

「チルノ……」

 霊夢の声にチルノが涙を拭い、こちらを見る。

「私も……頑張るから、だから一緒に変えていこうこの世界を」

「そうですよ! 私も及ばずながら、協力させて下さい」

「私もだぜ!! 新装備もできたしなっ!」

 魔理沙の発言に霊夢が何の事かわからない顔をする。

「……そうか、チルノまだ霊夢に話してなかったのか?」

「……忘れてた」

「まったく……チルノって頭良い割に、そういうとこ抜けているよな~」
 
「魔理沙、新装備って?」

 霊夢の問いに、チルノが立ちあがる。
 待ってて、と言い残し、自分の部屋からアタッシュケースを運んでくる。

「……これが新しく開発した霊夢専用のベルト」

 そう言って取り出したのは、前に霊夢が身に付けていたベルトと少し形状が違っていた。
 ベルトに付属するボタンが増え、チルノのベルトのようにカードデッキが増えている。

「今までの戦闘データと霊夢が戦った時、発現した霊夢の力。
 ……それを生かすために前のベルトに改良を加えた」

 霊夢がベルトを手に取る。
 心なしか重さをあまり感じさせず、不思議と手に馴染んだ。

「次からの訓練でそれを付けて欲しい。その時そのベルトの使い方を説明する」

「うわぁ~! 楽しみだな~」

 魔理沙が自分の事のように喜ぶ。
 霊夢もチルノにお礼を言い、再びベルトに視線を戻す。
 早く試したくて、しょうがいないようだ。

「まぁまぁ、訓練も大事ですけど、今日は霊夢さんの全快祝いと言う事で……」

 文が手を打って話題を変える。
 今日はパーティを開きましょう、という事だ。



 そこへ――、

「あら、お客さん?」

 玄関のチャイムの音が鳴り、霊夢が応対に出る。

「あ、早苗ちゃんじゃないっ!!」

 霊夢の声が居間に響いてくる。
 訪ねてきたのは東風谷 早苗だった。
 薄緑がかった髪が左の方だけ蛇を模した髪留めでまとめられ、
 頭に蛙模したヘアピンを付けている。
 服装は地味だが、どことなく厳かな雰囲気があった。
 彼女は霊夢の親戚の子で、
 霊夢が入院中もたまにお見舞いに来てくれたため、チルノ達とも面識があった。

「ちょうど良かった! 早苗ちゃん今日皆が、私の全快祝いしてくれるらしいのよ。
 よかったらどう? 一緒に……」

「はい、是非参加させて下さい!」

 早苗は快く返事をする。

「……じゃあ、買い出し行ってきますね!」

「あぁ、待って私も行くわ」

 そう言って二人が出て行こうとした時、

「待ってください。霊夢さんは今日は主役です。
 買い物を私と早苗さんで行ってきますよ。何かいる物あります?」

「……そうねぇ、何か適当に――」

「私はお酒が飲みたいぜ!」

 霊夢に魔理沙が割り込む。
 魔理沙を睨むと口笛を吹いて、素知らぬ顔をした。

「……まぁ未成年ですけど、ちょっとだけですよ。今日は特別って事で」

 そういう文はしょうがないような顔をしながら、少しテンションが上がっていた。
 文もまだ未成年のはずだが、隠れて飲んでいるのかもしれない。

「あと、何かあります? チルノさんは?」


「……アイス食べたい」

 そう、言うチルノに了解の返事をして、出かける文と早苗。







 ――その夜、パーティは夜中まで続いた。
 否、宴会と言った方がいいかもしれない。

 文が買い込んできたのは、食材よりも酒と大量のつまみだった。
 当然、楽しそうに酒を飲んでいる横で、我慢は続くはずはない。
 知らず知らず、文とべろべろに酔った魔理沙に絡まれ、
 勧められるまま霊夢、早苗、チルノは餌食になった。
 そして、チルノに呼ばれてにとりが来た時には、すでに全員が出来上がっていた。

「……こ、これは……」

「おうぅ~よく来たにとり~まぁ座れ」

 魔理沙に促され、散らかり放題のテーブルに動揺しつつ座る。
 そこへ、チルノが近付いてくる。

「ちょ、ちょっとチルノ。これどういう――」

「……飲め」

 チルノが無理やり、にとりの口へビールを流し込む。
 涙目で咽ながらも、飲み干し。
 次の瞬間。
 顔が真っ赤となって、『酔っ払い』が一人誕生した。

「何かつまみ、買って来てくれたんですか?」

 文が流石に飲み慣れているのか、顔は赤いが何時もの調子でにとりに尋ねる。

「……ヒック……カッパ巻き」

 にとりが袋から取り出したのは、自家製の大量のカッパ巻きだった。

「……また、きゅうり……」

 文はそれを見て、食べる前からお腹が一杯になった。
 学校があるため帰らざるを得ない、魔理沙と違い。
 文とチルノはおよそ、一週間。河城工房に泊まり込んだ。
 幸い、にとりの家が工場のすぐ横にあるのでそこへ寝泊まりをしていた。

 その際、出される食事は確かに美味しかった。
 だが、朝昼晩その全てにおいて、必ずといっていいほどのきゅうり尽くしだった。
 きゅうりの浅漬け、サラダ、酢の物、春巻き等々……。
 それまでは普通のきゅうり料理だ。
 しまいには味噌汁、チャーハン、揚げ物、ラーメンなど、
 とにかくありとあらゆる料理に対するきゅうりの挑戦だった。

 ……流石にどっかりした。
 世話になってる手前、文句も言えるはずも無く、きゅうりを消化する日々だった。
 魔理沙が帰ったのも、学校があるという名目だが案外この辺の理由なのかもしれない。

 何せ、きゅうりを見ない日はないのだ。
 疲れた時のジュースでさえ、きゅうり味のコーラだった。

 小食のチルノでさえ、一週間の最後の方になると食事が億劫になっていたようだった。
 ベルトの開発スピードが途中から早くなったと、文のメモ帳にはしっかりと記載されていた。


「……きゅうり……あんまり好きじゃない」

 チルノが……。
 今まで少食だが何でも食べたチルノが、
 初めて好き嫌いを言った。
 霊夢は何故か、チルノが身近に感じられ嬉しくなったが、にとりは激昂した。

「な、何だとてめぇ! もういっぺん言ってみろ!!」

 酒の勢いも借りてか、明らかに絡み酒だった。
 にとりが掴みかかっても、お猪口一杯の発泡酒で酔っていたチルノは、
 ぐらぐらと頭を揺らし、為されるがままだった。

「てめぇはいつもアイス、アイスってお子ちゃまな事を……。
 きゅうりの味をてめぇの舌に染み込ませて、
 アイスカップ(きゅうり味)しか食べれないようにしてやる。
 口開けろ―――!!」


 魔理沙はその様子をげらげら笑い、いいぞもっとやれー、と囃し立てる。
 霊夢はその様子を嬉しく感じる。
 ……こういう時間は大切だ。
 美羽が死んだ時、こんな時間は訪れないと思っていた。
 魔理沙と三人でバカ騒ぎして、時間を経つのも忘れて……。
 それは単なる幻想だったのかもしれない。
 時間は訪れるモノでは無く、作るモノ。
 戦いはより厳しくなっていくだろう。
 今回、霊夢は助かったが、
 それも偶然が重なっただけで一歩間違えれば死んでいたかもしれない。
 だからこそ、今この時間、この仲間達と楽しむこと。
 それは……誰にも文句を言わせない、絶対の正義だから。



 魔理沙が笑い、文が笑い、早苗が笑い、にとりが笑い、そして……チルノも、笑った気がした。
 









 ―第十四話 「揺れる記憶と魂の場所」、完。




 ―次回予告。
≪友を守りたい。ただその想いから力を尽くして目の前の敵に立ち向かった魔理沙。
 が、振り下ろす刃はそんな想いを届けはしない。
 向けられた銃との間にあるものはただ生と死と憎しみと。
 そのトリガーを引く訳を今改めて……知る。

 次回、東方英雄譚 第十五話 「霧雨魔理沙 上」≫




[7571] 第十五話 「霧雨魔理沙 上」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/12/31 14:48
 ――これはチルノが河城工房にて、
 泊まり込みで、ベルト開発に勤しんでいた時の話である。




「なぁ、チルノ……」

 
 魔理沙が机に齧りついて、データと睨めっこしているチルノへ声を掛けた。

「私は何かする事はないのか?」

「……今の所、無い」

 そういうと、再び机の上のデータに視線を戻す。
 この調子だった。
 チルノは理論担当で、実際に機械の加工等はにとりを始め、その道の職人にお願いする。
 その間、文は面白そうに工場の取材をしていたが、
 魔理沙にとっては退屈極まりないものだった。
 特にやる事も、やれる事も無く。
 ブラついているのも忍びなかった。

「あとさ、チルノ忙しい所悪いんだけど、私の武器って何か無い?」

「……武器?」

「そう、護身用の拳銃みたいなやつで……流石に手ぶらだと怖いし、
 私だけ戦えないのは、色々マズイと思うんだよ」

 魔理沙の言い分は、ライダーに変身できない代わりに何かを寄こせと言う事だ。
 チルノは現在、霊夢のベルトの改良で手が離せないため、困る。
 何も用意していなかったからだ。
 その悩む表情に魔理沙は、慌てて、

「ごめん! チルノ、邪魔して悪かった」

 気にしないでくれ、言い残し部屋を出ようとする。
 そこで、
 
「あっ!?」

 魔理沙は気づく。
 チルノは何事かと、振り返って魔理沙を睨む。

「ヤバイ……追試が……」

 そう、何事も無難にこなす霊夢と違い、魔理沙は学校では言わば『不良』の部類に入っていた。
 授業をサボって保健室に入り浸るのもしょっちゅうで、流石に色々とまずい状況となっていた。
 担任の上白沢先生の嘆く姿が見える……。
 中学生では出席日数で進級できない事は無いが、
 あまりに赤点を取り過ぎると、長期休暇に追試三昧だ。
 それは……是非とも避けたい。
 霊夢の場合は、チルノが勉強を見るため問題無いが、
 魔理沙は授業に参加して、試験に向けての勉強をしなければならない。
 ここに居ても何もする事は無い。

「文に一度、家に連れ帰ってもらうか……」

 そう言って、チルノの部屋を出たところで、
 壁にもたれかかる様に腕を組んでいる、にとりがいた。

「お困りのようですね~」

 ニヤついて付いて来い、と顎をしゃくって魔理沙を誘う。
 訝しげな表情で魔理沙がにとりの後に付いて行くと、
 そこはにとりの部屋と書かれたプレートを発見した。
 にとりの個室らしい。
 魔理沙がにとりに続いて、部屋に入ると途端、

「すっげぇ~!!」

 感嘆の声を漏らし、瞳を輝かせる魔理沙。
 それもそのはず、魔理沙の趣味にまったく合った部屋だった。
 魔理沙の趣味は幅広い、ロボットオタクもその一つだ。
 にとりの部屋の棚に、所狭しと並べられた超合金のロボット。
 プラモデルで作られた戦車や航空機。
 鉄道模型も合った。そして、綺麗にボックスに入ったエアガンの展示。
 男の子の部屋そのもので、女の子らしさの欠片もなかった。

「……こんなところで、同士と出会うとは……」

 魔理沙とにとりはがっちりと握手し、アイコンタクトで全てを悟り合った。

「これが、お望みだろう?」

 そう言って取り出したのは、鈍い色を放つ拳銃だった。
 だが、魔理沙が知っているどの拳銃とも違う形をしていた。

「これは私が作った奴だ。新作だぜ?」

 にとりが自慢げに説明を始める。

「これは音声認識で銃弾を変える。戦闘の状況に応じて切り替えられるわけだ。
 しかも軽量の素材で作っていて、反動も少ない。女、子供でも容易に扱える。」
 
 標準弾、貫通弾、反射弾、焼夷弾、炸裂弾、熱誘導弾と換装でき、
 手ブレ補正機能を付いているため、素人でも撃てるらしい。

「……これを私に?」

 魔理沙は興奮が止まらなかった。
 これさえあれば、自分も霊夢達とも戦えるかもしれない。
 今までただ、見ているだけで……、
 自分は何もできなかった。
 それもこれさえあれば、終わりになるかもしれない。

「まぁ、使わないに越したことはないけどな。無いよりかは良いだろ?」

「ありがたく貰っておくぜ!」

 魔理沙は上機嫌で、銃をホルスターにしまい、腰に掛ける。

「……あの机にあるやつは何だ?」

 魔理沙の興味が、にとりの机の上の箱に注がれる。
 にとりはあぁこれね、と頷き魔理沙の興味を引いた箱を説明する。

「これは八卦炉だよ。これには莫大なエネルギーが内包されていて、
 ダイヤルを回すことで火力を調整する。まだ試作段階で、火力の調整が難しいんだよ。
 ライダーシステムの新しい武器にどうかなって……」

「……へぇ。それよりさ、にとり……」

 魔理沙が銃の説明書が無いか尋ねる。

「そうだな……使用方法をまとめたメモだったら、確かここに……」

 そう言って、積まれた書類の山にダイブし、必死に探すにとり。
 数分後、

「あ、あったこれだこれ」

「サンキュー。ありがたく借りてくぜ!!」






 ―――――――――。

 ――――――。


「――とは言ったもののな……」

 魔理沙は今、学校に居た。
 文に家に送り届けてもらった、その次の日から魔理沙は追試の為、一日たりとも休めなかった。
 制服の内ポケットには、ホルスターに収まったにとりの銃。

「私がモニターになってやるよ」

 だが、いくらにとりの銃が優秀でもあくまで護身用。
 これで、化け物と対等にやり合えるとは、魔理沙も思っちゃいない。
 
 ふ、と自分の席から窓を見る。
 そこには楽しそうに体育でバレーの授業をしている生徒達の姿。

「平和だな……」

「そうですね、貴女の頭も、ね」

 皮肉の混じった声に、魔理沙はギクッと振り返るが、
 ガッ、と出席簿の角で頭を叩かれる。

「いってぇ~!!」

「霧雨さん。貴女は自分の立場わかっていますか? 
 ようやく登校してきたと思ったら、授業に身も入りもせず……」

 そこから担任である、上白沢先生の説教が始まる。
 上白沢先生は霊夢と魔理沙のクラスの担任で、二十代の女性教師だった。
 大学で教員免許をとりそのまま、この学校で教職に就く。
 蒼み掛かった腰まで届く長髪、に赤い瞳が印象的だった。
 彼女はやれやれ、と若いのに年寄り臭い溜息をつき、
 一応の説教を終えると、表情を和らげ、

「霧雨さん。貴女も大変だったでしょうが、それで勉強をサボっていい理由にはなりません。
 遅れた分は私が責任を持って、プリントでも何でも作って取り戻させます。
 貴女の側でもやる気を見せて頂かないと、全て無駄になってしまいます。わかりますね?」


 ――そこで、授業の終了を告げる音が鳴り響く。
 魔理沙は助かった~と小声でいい、急いで教室を飛び出す。

「休憩、休憩」

 そう言って、訪れたのは保健室だった。
 魔理沙は興味のあることには、もの凄い集中力を見せるが、
 興味のない事には、これっぽっちも持続力が無かった。
 こうして、上白沢先生のお説教を聞いた後、保健室で腹痛を装ってベットで寝るのが常だった。
 仮病だと、バレているのは当然だったが……。
 保健室のベッドに寝て、何時もの天井を見る。
 ようやく自分が、日常に戻ってきたんだと感じる。
 化け物退治もいいが、自分はこうしてのんびりしてる方が似合っていると思っていた。

「こら、霧雨! またお前か!!」

 ジャッ、とベッドのカーテンが開き、輝く銀髪の女性が怒気を滲ませ、仁王立ちしている。

「藤原……先生、か」

「どうせ、また仮病だろう? 早く授業に戻れ、慧音が心配するぞ」

「大丈夫だって、私が仮病な事ぐらいお見通しだろうさ」

「心配なのは、お前の将来の事だよ」

「……そうっスか」

 保険医をしている藤原妹紅は、魔理沙の理解者の一人だった。
 気さくな姉御肌で、一見突き放した所があるが、誰よりも生徒を心配する良い先生だった。

「まったく、午後の授業はちゃんと出るんだぞ」

 そう言い残して、妹紅は出て行く。
 力尽くで、授業に出させても意味が無い事を妹紅は知っていた。
 魔理沙みたいなタイプは、抑えつけられると余計に反発するだけだ。
 妹紅としては、魔理沙も他の生徒のように無事卒業して欲しいと思う。
 保健室を出てすぐ、

「おわっと! びっくりした慧音か」

 保健室の前で聞き耳を立てていた、慧音がそこに居た。

「大丈夫だ。何時もの仮病だよ」

 大丈夫な事ではないが、その言葉に慧音は安堵する。

「そう良かった。一時期、酷かったから……また、登校してきた時は、
 いつもの彼女に戻っていてくれて、ホッとしていたんだけど……」

「歩きながら話そうか……」

 慧音が心配しているのは、あの忌まわしい事件の事だ。
 その事件の当事者である霊夢と魔理沙は、仲の良かった友達を目の前で失っている。
 その時の記憶が、フラッシュバックしたのではないかと思ったのだ。

「でも、良かったわ。霧雨さんが登校して来てくれて。
 家庭訪問した時は、会えなくて……」

「まぁ、私が見た限りじゃ、何だろう。乗り越えたというか……。
 少し強くなったんじゃないかと思う」

「あの子達は強いわよ。後は……博麗さんだけね。
 もう少し時間がかかるみたい。お母さんの事もあるし」

「私達に出来る事は少ない。なら、せめて戻ってきた時には、
 いつもと同じように迎えてやろう」

「そうね……流石、妹紅先生。生徒の事をわかってらっしゃる」

 慧音が少しくだけて、旧友へ向け、表情を和らげる。

「何が……言いたいんだよ」

「本当は体育教師になりたかったのに、生徒の話に耳を傾けたいからと、
 保険医になったぐらいだもんねぇ~」

「だぁーもう! いいいだろその事は……慧音には昔から敵わねぇな」

 照れる妹紅を面白そうに、横から覗き込みながら慧音もおかしそうに笑う。
 何があっても、生徒を守る。
 その強い意志が共有され、信頼し合っている事が二人の共通認識だった。







 ――魔理沙は保健室の天井へ向けて、銃を構える。

「パンッ……」

 引き金は引かず、口だけで撃った真似をする。
 暇だったのだ。
 つい昨日まで、化け物共と対決するための毎日を、送っていたなんて忘れてしまうぐらいに。
 不謹慎かもしれないが、にとりから渡された銃を使ってみたい衝動に駆られる。
 でも、実際に独りで夜化け物退治に行くことはできなかった。
 化け物は倒したい。
 でも、この平和な世界を越えて行く勇気は無い。
 その自分自身が歯がゆかった。
 銃をホルスターへ仕舞う。
 
「寝よう……」

 魔理沙が目を瞑りかけた時。
 ――悲鳴が、聞こえた。

「まさか……」
 
 魔理沙はベッドから飛び起き、
 悲鳴のした方へ駆ける。
 気が逸る。
 何事も無いようにと心の中で呟きながら、必死に走る。
 悲鳴のした方は体育館の方だった。


 魔理沙は到着した時、そこには誰もいなかった。
 聞き間違いだったかとホッとし、保健室へ戻ろうとすると、
 何か違和感を感じた。
 それは臭いだったのかもしれない。
 どこか錆びたような鉄のような……。
 この臭いを嗅いだ記憶がある。それも良くない記憶で、だ。
 魔理沙は体育館裏のプールの方へ、誘われるように歩いて行く。

「ひぅ……そ、んな……」

 魔理沙は、恐怖で体が震えた。
 プールには焦げるような日差しの中、生徒達が浮いていた。
 腹を裂かれ、アチコチに体の部品をまき散らし、血の海だった。
 人間技では無い。それは明らかだった。
 
「グールだ……学校にまで――」

 学校にまで侵入してくるなんて……しかもこんな昼間に!?
 魔理沙は急いで携帯を取り出し、チルノへ助けを呼ぶ。

「……魔理沙。どうした?」

 電話を掛けてすぐ、チルノは出た。
 何時ものようにぶっきらぼうだが、それが今は頼もしい。

「グールが出た! 学校に!!」

 それだけで、チルノはすぐに察し、

「今、行く。魔理沙は逃げて」

 チルノなら、そう言うだろう。
 だが、


 ――そこへ、


 今度は校舎の方から、悲鳴が聞こえる。
 悩んでいる暇はなかった。
 携帯を片手に持ちながら、魔理沙は走る。
 チルノだったら、絶対に危険だから止めるだろう。
 それでも、

「私は……もう、足手まといじゃない! それを、証明してみせる!!」

 チルノの静止の声が聞こえるが、携帯から漏れて聞こえるが、
 それを無視し、携帯を切る。

 魔理沙の駆ける足が速まる。


 私はライダーにはなれない。
 だけど、できることはあるはず。

 制服のポケットに手を伸ばす。そこにある戦う力を信じて……。
 もう、美羽のように友達が死体になるのはごめんだ。
 ――そう、心に祈りながら。









 ―第十五話 「霧雨魔理沙 上」、完。



 ―次回予告。
≪より強き者が勝つ。それは古より誰もが知る戦いの構図。
 より多くの力を、より強き腕を欲し続けるのはそれ故の業か?
 平和な明日を望む心か?
 だが、その力の向く先を忘れた時、人は?

 次回、東方英雄譚 第十六話 「霧雨魔理沙 下」≫




[7571] 第十六話 「霧雨魔理沙 下」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/04/29 23:16


 
「ハッ……ハッ……」


 魔理沙は校舎を走る。
 悲鳴は、校舎の二階の方から聞こえた。
 制服の内ポケットから、にとり特製の銃を取り出す。
 階段を駆け上がってすぐ、魔理沙は戦慄した。
 廊下には……ペンキを溢したように溢れ返る血、血、血……。

―キシャアアアアアアッ!!―

 そして、震える生徒達に今まさに襲い掛かろうとするグールがいた。

「伏せて――!!」

 咄嗟に生徒達に、叫び声を上げる。


「貫通弾!」

《Penetrate bullet》

 魔理沙は迷わず、弾丸を放つ。
 流れ弾が当たるとは考えない。
 これは……そう、設計されているはずだから。
 弾は吸い込まれるように当たり、グールが怯む。

「早く逃げて! こいつは私が引きつける!! ……早くっ!」

 固まった男子生徒は震えた顔で何度も頷き、必死に逃げる。

「……さぁ……来い……獲物は、ここだ!」

 グールの注意がこちらへ向く。
 蛇のような形をしていた。 
 廊下を這いずって、体を揺らしながら魔理沙へ襲い掛かる。

 魔理沙は後ずさりながら、銃の液晶画面で目標を合わせ、連続で引き金を引く。

「反射弾!」

《Reflection bullet》

 銃の液晶画面上に、反射の軌跡が移り、目標物へ到着するラインが見える。
 弾丸は学校の壁に反射し、グールの後方から攻撃を行い、混乱を誘う。

「……結構、便利じゃないか」

 グールが完全に怒りを露わにして、俊敏な動きでうねる。

「へへ……追ってきて見やがれ!!」

 ここだと、まだ生徒がいるため、十分暴れられない。
 魔理沙は何とかグールを、グラウンドに誘き寄せたい。
 駈け出す魔理沙。
 だが――そう、うまくはいかなかった。
 蛇のような形をしたグールは、細い紐状の触手で魔理沙の足を掴む。

「ぐっ……」

 なんとか、転び頭を打つ事は避けたが、そのまま待ち上げられ壁へ叩きつけられる。
 強烈な衝撃が、魔理沙の体に走る。

「ガッ……ハッ……」

 この一撃で内臓を痛めたのか、口から血を吐く魔理沙。
 この時点で普通の女の子である魔理沙は、戦闘不能に追い込まれた。
 壁に衝突した時点で頭も打ち、碌に受け身も取れないまま、
 その下の廊下に叩きつけられた。

 魔理沙は荒い息遣いの中、
 必死に頭を巡らす。
 すぐに浮かんでくる後悔という思考も無理やり、意識の底へと追いやる。

「銃……銃は……」

 震える手で必死に辺りを探る魔理沙。
 壁に激突した時、思わず落としてしまいどこにいったかわからなくなる。

「私は……ここで死ぬのか」

 未練が無いとは当然、言えなかった。
 どうせ死ぬなら、一体ぐらいあの化け物を倒したかった。
 自分の力で。
 だが、それも叶わなかった。

「……イイ線までいったんだけどな」


 魔理沙が諦めかけた。
 ――その時、

「霧雨!! 大丈夫か!!」

 魔理沙を背後に必死に庇う、白衣姿の藤原妹紅と、

「早く、霧雨さんを安全な所へ!!」

 その二人とグールを隔てるように、立ち向かう上白沢慧音が居た。
 魔理沙は力を振り絞り必死に叫ぶ、

「無茶だ! 先生逃げて!!」


「大丈夫です。霧雨さん……私は強いんです」

 そこで突如、慧音の体が光輝く。
 そして、次に現れたのは角を生やし、
 蒼み掛かった透明な髪が薄く緑を帯びた……
 妖怪が居た。

「先生が……妖怪!?」

 魔理沙が驚き、困惑する。

「妹紅……霧雨さんをお願い」

「あぁ、任せろ」

 魔理沙を抱え、妹紅は走る。
 決して後ろを振り返らなかった。





「大丈夫か、魔理沙」

 一階の保健室に魔理沙と妹紅は居た。
 救急車は呼んであるが、それまでの応急処置をしなければならないためだ。

「体を寝かせて、安静にして。保険医じゃ、たいした事はできないがな」

「……上白沢先生は……妖怪?」

 魔理沙の疑問に、妹紅は頭を掻く。

「そうだ。軽蔑したか?」

「いや、妖怪って人間の敵じゃ……」

「妖怪ってだけで一括りにするのは良くないな。そういうのを差別って言うんだぞ」

「でも、あのグールが襲ってきたのも『紅魔』って妖怪の集団が……」

「少なくとも!! ……慧音は私達の味方だ。昔も……今も、な」

 魔理沙は言葉を失い、無言で思案する。
 魔理沙は今まで、妖怪=敵と認識していた。
 だが、それは凝り固まった考えだったのではないか?
 人間にも、良い人間と悪い人間がいる。
 妖怪も一括りに考えてはいけないのではないか?
 魔理沙は自分の間違いを妹紅に気づかされる。
 妖怪は、自分の友人の命を奪った憎い敵。
 だから嫌悪するのは当然だし、反発心もある。
 だが、魔理沙は考えれば考えるほど、
 自分の認識が子供であるといわれてるようで癪だった。


「慧音はあんな化け物に負けはしない。今は戦いが終わるのを待とう」

 魔理沙の応急処置が終わり、お茶でも入れようと妹紅が席を立つ。



 ――そこで、保健室のドアの方から物音がする。

「慧音か? 意外に早かっ――」

「ドアから離れて――!!」

 魔理沙の絶叫が響くと同時に、保健室のドアが派手に砕け散る。

―グガガアアアアッ!!―

「うぅああああ!!」

「先生――!!」

 化け物がドアと破った衝撃に、ドアの近くに居た妹紅がベッドの方へ弾き飛ばされる。
 魔理沙が痛む体を必死に起こし、受け止める。

「痛ってぇ! ……大丈夫か先生……」

「逃げろ霧雨!! ここは私が――」

 ベッドの脇に置いてあったパイプ椅子で、立ち向かう妹紅。
 その化け物は先程のとは、違う形状をしていた。
 つまり、今学校には二体いるのだ。
 その事実に魔理沙は、恐怖で凍りつく。
 先程の化け物は慧音が押さえているが、
 すぐに倒してこちらに加勢に来てくれる可能性は低い。
 

「先生、私の事はいいから逃げて!! 勝てるわけないよ!」

 魔理沙は、震える声を必死に絞り出す。
 せめて銃さえあれば……。
 銃は先程の戦いで落としてしまい、今手元に無い。


 何か、何かないか……。
 そこで、忘れていた物に気づく。

「うあああああああああああああああ!!」

 魔理沙は内ポケットから取り出し、叫び声を上げてグールへと向ける。
 グールはその獲物の声に反応し、襲いかかる。

 魔理沙が取り出したのは『八卦炉』だった。
 にとりから借用したそれは内包したエネルギーを調節して放出する。
 試作段階のこれは扱いが難しいらしい。

 にとりが取扱いのメモを探している間。ちょっと拝借したのだ。
 魔理沙は焦っていたのかもしれない。
 とにかく力が必要だった。
 そう、化け物を一撃で倒せるぐらいの……。



 ――腕一本持っていかれても構わない。
 もしかしたら、調節を間違えて自分もけし飛ぶかもしれなかった。
 一か八かだ。
 このまま、何もしなくても殺されるだけ。
 なら、自分の悪運に掛けてみたい。

 魔理沙は迷わず『八卦炉』を起動させた。
 そして、光に包まれた―――。














「霧雨さん! しっかり、霧雨さん!!」

 魔理沙が何度か唸り目を覚ます。
 魔理沙を起こしたのは慧音で、すでに妖怪化を解き、
 何時もの説教好きな顔で、魔理沙を心配そうに覗きこんでいた。

「先生……そうだ、グールは!!」

 魔理沙の意識が鮮明になり、飛び起きる。
 体の痛みが酷かったが関係なかった。

「何だ……これ……」

 魔理沙の前方方向。
 その全てが魔理沙の居た所を中心に、放射線を描くように消し飛んでいた。
 グールもその先にある。教室や学校の壁も何もかも、その射程圏内全てが……。

「私が、やったのか……?」

 そのあまりの威力に戦慄した。
 自分の手に持った『八卦炉』は煙を上げ、表面が少し焦げていた。





 ――その後、病院に搬送された魔理沙を待っていたのは、
 駆け付けたチルノ、にとり、文のお説教だった。

「……貴女は、何を考えている」

 チルノからは、独断で勝手な行動をした事。

「勝手に私の『八卦炉』を持ち出すなんて!」

 にとりからは、試作段階の兵器を無断で使用した事。

「どれだけ心配させれば気が済むんですか!?」

 文からは、皆にどれだけ迷惑を掛けたかという事。

 いずれにしろ、
 死んでいてもおかしくなかった事を責められ、
 流石の魔理沙も意気消沈するしかなかった。


「それにしても、よくその怪我で済んだね。あの威力を放出したのなら、
 暴走していても不思議じゃないのに、何かコツとかあるの?」

 皆の手前、あまり大きな声では言えなかったが。後でこっそり、
 貴重なデータをありがとうと、にとりにお礼を言われた。
 なにはともあれ、自分の作品の有用性が証明されたのだ。
 改良の余地はあるが、十分実戦にしようできる事がわかったため、
 にとり的には満足らしい。
 ただ、無断使用の件は今後無いようにと厳重注意を受けたが……。



「おおぅ、元気そうだな!」

 病室のドアが開かれ、入って来たのは藤原妹紅と、

「霧雨さん、怪我の具合はどう?」

 その後ろに上白沢慧音が続く。

「……霧雨さん驚いたでしょうけど、私は……」

 慧音が重い口を開く。
 それを遮るように魔理沙が話す。

「妖怪なんだろ……でも、先生は私を助けてくれた……」

 最初、妖怪は全て敵だと勘違いしていた。
 でも違った。
 違うと、妹紅に気づかされた。
 そして、魔理沙は慧音をまっすぐ見据え伝える。

「妖怪でも……先生は私の先生だ。今も、これからも……」

「そう……ね。ありがとう……」

 慧音は魔理沙の言葉に、体が熱くなるのを感じた。
 理解してもらった嬉しさが溢れ、知らず知らずの内に頬に涙が伝う。
 妹紅は慧音の肩に手を置きながら、

「私からもお礼を言う、わかってくれてありがとう」

 魔理沙に礼を述べる。
 妹紅は慧音の良き理解者で、慧音が今まで妖怪である事に、コンプレックスを抱いていた事。
 何度も教職を離れようと思ったが、教師は自分の天職と考え、
 なんとか続けている事を話してくれた。
 また何かあったらと携帯番号を交換し、別れる。





「じゃあ、魔理沙さん。また来ます」

 文の言葉を合図にチルノ、にとりが文に続き部屋を退出していく。
 後遺症も無く、怪我も大した事無いので二、三日で退院できるらしい。
 チルノとにとりは帰ってすぐ、ベルトの開発だ。
 忙しいところ迷惑かけて申し訳ないと魔理沙は思う。
 でも……。

 一人残された病室で、ベッドに寝転がる。
 手には八卦炉を持ち、遊ぶように天井に向け掲げる。
 にとりに没収されると身構えた魔理沙だが、そのまま持っていて良い、との事だった。
 
「元々、ジャジャ馬な道具だったが、どうやらお前の事が気に入ったらしい」

 にとりが言うは、道具には相性と言うモノがあるらしい。
 八卦炉は実際のところ完成していて、後は実戦で試す段階まで来ていた。
 今回の戦闘で八卦炉の性能の高さを評価し、今後運用していくにあたり、
 使い手を魔理沙に決めたようだ。
 こういうことはインスピレーションが大事とう言う事だろう。

 ライダーシステムは、近距離戦用に特化したシステムだ。
 だが、今後戦術を考えるにあたり、中長距離も視野に入れなくてはならない。
 そこで魔理沙の力が必要だと、にとりは力説した。
 チルノは魔理沙が戦闘に参加する事にいい顔はしなかったが、 
 それでも魔理沙は嬉しかった。
 ようやく、役に立てるのだ。
 今後は無茶はしない事を、チルノと約束して了承を得た。

 にとりが信用して預けてくれたのだ。
 その信頼に答えたい……。
 魔理沙は八卦炉を天井へ向けて構える振りをする。

「バンッ!」

 口だけで撃った気になり、満足する。

「これからよろしくな……相棒!」

 そこで、急に空腹感に襲われ、体の力が抜ける。
 目覚めてからまだ食事をしていない事に気づく。

「まずは、飯だな!」

 今だったら……病院の栄養管理された食事も、美味しく感じるだろう。
 魔理沙は迷わずナースコールを押す。

『……どうされました!?』




「ご飯まだ~?」













 ―第十六話 「霧雨魔理沙 下」、完。




 ―次回予告。
≪珈琲の香りに誘われて、
  少し記憶の整理をしてみようと思う。
  いつもの、お気に入りの、あの場所で……。

  次回、東方英雄譚第十七話 「ケセラセラの近況報告」 ≫




[7571] 第十七話 「ケセラセラの近況報告」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/05/03 22:53


――『喫茶 SATORI』にて、


「お待たせいたしました」

 そう言って射命丸 文の前にこの店で、人気のカフェ・ラッテが置かれる。

「ありがとうございます」

 文は店主である、さとりにお礼を言い。口をつける前にカフェ・ラッテの表面の絵を楽しむ。
 『ラテアート』と呼ばれる技法で、カフェの上にミルクの泡やパウダー等で絵を書き、
 眼でも舌でも楽しめる作品へと仕上げる。
 味も美味しいが何より、このお洒落な絵が文は気に入っている。
 飲んでしまえば終わってしまう模様。
 そんな儚さだからこそ、芸術だと文は思う。
 壊すのが勿体無い世界。
 何時までも眺めて居たいが、珈琲が冷めてしまう。
 文は、ゆっくりとカップに口をつけ、その香りを鼻から吸い込み、
 舌の上で味を愉しみ、再び鼻から香りが通り過ぎて行く。

 文はその余韻を楽しみながら、目の前のノートパソコンに視線を戻す。
 少し考えた後、カタカタッと軽快にタイピングをしていき、再び腕を組む。
 文は原稿を執筆する時、決まってここへ来る。
 普通、喫茶店などで長時間居座るのは嫌煙されがちだが、ここ『喫茶 SATORI』では、
 店主自体がそう言う事に無頓着なのか、今まで咎められた事は無い。
 文自身もこの店の空気が好きで、より仕事が捗る為良く利用している。

「う~ん……んっん」

 文が現在執筆しているのは、所属している出版社で発行する雑誌の記事だ。
 『コラム 文々。(ブンブンマル)』というページを任されており、
 そこに上げる為の記事に頭を悩ませているのだ。
 内容は決まっているが、どう乗せるかが決め兼ねていた。
 書くのはあの『グール』と呼ばれる化け物について、
 少し前までは一記者として調べていただけだが、
 現在では事件の当事者と真直に接しているため、記者としては申し分ない状況だった。

「より……読者が見てもらう為には……」

 雑誌と言ってもかなりマイナーな雑誌の為、読者層が限られてくる。
 そして、文が担当しているのもその極一部でしかなく、当然影響力も少ない。
 まだまだ下っ端の為、文句を言える立場では無いが、
 それでもいずれは、自分の記事を日本中の人が呼んでくれたらと思う。
 
 雑誌に載せる以外、自身のブログ等で紹介するなど涙ぐましい努力の結果。
 少しずつだが読者を獲得しつつある。

『怪奇!? 連続行方不明事件。異変の前兆か?』

 新聞のように淡々と事実だけ述べるのは、読んでもらえるという前提が無意識に内にあるからだ。
 マイナーな雑誌において、読者の目を惹くのは難しい。
 ついつい大げさな表現で読者の目を引くのも、致し方ない事だと文は考えている。
 最初は、良い記事さえ書けばいいと考えていたが、そうでは無い事に最近気づいてきた。
 掴みが良くなければ、記事も大抵つまらないものだ。
 小説で言うところのタイトルの部分に当たる。
 一言で読者の気を惹かなければ、読んでもくれないのだ。

 文の記事には大まかな内容しか書かれていない。
 事件のかなりの深層部分を知った今となっては、文にも書きたいという衝動はある。
 だが、国の情報規制が敷かれている為、あからさまに化け物の記事を書くと発行禁止処分を受けかねない。
 その為、今は情報収集に徹し、化け物に襲われた事も行方不明事件として調査しているとの名目になっている。
 巷では連続行方不明事件が全国に渡っているため、テロリストの仕業やら、他国からの侵略だ等と噂がる。
 その中には『赤鬼』と呼ばれる都市伝説染みたオカルト物の噂も流れ始めた。

 ――何でも、青白い顔をした人は要注意。
 何故なら、その人は既に鬼に中身を食べられ、鬼がその人の皮を被って化けているからだ。
 もしその人に声をかけようものなら、正体がばれたと勘違いした鬼が忽ち本性を現し襲い掛かってくる。
 逃げようにも凄まじい早さと怪力で逃げられず、一度狙われたら最後……引き裂かれて食べられてしまうという。
 消息を絶った現場は一様に血で、染まる事から『赤鬼』の仕業と言われている。


 噂は時として、真実を言い当てる。
 グールの存在を知っている文にとっては、背筋が凍る程の事実だと認識できるが。
 それを知らない読者達は、面白い都市伝説の一つとしてしか捉えない。
 嘘が多い目撃証言でも、全てが嘘とは限らない。
 その情報を取捨選択し、チルノへ報告するのが現在の文の仕事だった。
 車の運転ができる文は移動範囲を広げる意味においても、重要な役割を果たしていた。








 ――以降、射命丸 文の日記も兼ねた記録文書より引用する。





 私がグールという化け物の存在を知ったのは、出版社に入社してすぐの頃だった。
 その頃はまだグールという名も知らず、化け物と呼んでいた。
 現在でもたまに特集を組む、連続行方不明事件。
 それは表面上の名目で、実際取材するとすぐに人間技では無い事が理解できた。
 被害者はいずれも無残な姿で発見された。
 被害者が襲われた犯行現場と思われる個所……。
 台風にでもあったような破壊の跡や、野生の獣に食い荒らされたかのような人間の痕。

 人間の仕業では無い事が明らかなのに、公的機関は一様に行方不明事件としてしか扱わない。
 その謎は調べていく内に、他のメディアも同様の反応を見せる事が判明した。
 知ってて――知らないふり。
 それは触れてはいけない禁忌として扱われていた。
 何故、そんな事になったのか?
 警察の上層部に圧力がかけられたらしいと噂もあるが、
 社会全体の空気が事実を認める事に、拒否を示していたのだ。

 それでも、情報を収集する目的で調査を継続していく中で貴重な出会いがあった。
 博麗 霊夢。
 彼女は私の上司の娘にあたり、仕事の傍ら面倒を見る事になった。
 そこで、貴重な話を聞くことができた。
 彼女は化け物が関わっている事件、直接の被害者であり、
 何か新たな情報が聞けるかもという打算が、無かったと言えば嘘になる。
 ――彼女の話によると、
 彼女の友人、美羽さんが化け物に襲われ、霊夢さん自身も襲われそうになった。
 だが、そこで一人の少女に出会ったのだ。
 その少女はチルノと名乗り去って行ったという。

 私の調査によると、チルノと言う名の少女の本名はチルノ・ホワイトロック。
 かつて八意研究所という、日本最高峰の研究機関に属していた天才少女である。
 彼女はその頭脳を持って、研究所で働く傍ら論文を執筆し博士の称号を手にした。
 彼女の研究分野は多岐に渡ったが、どの分野でも成果を残し、
 彼女一人の功績で人間の技術は、十年進んだと言われていた。

 『マスクドライダーシステム』
 チルノ博士の研究の全てが詰まった画期的なシステムだった。
 元は介護補助用のロボットスーツに、高性能の昆虫の複眼を模したヘルメット。
 消防用の耐火防護手袋とブーツ、軍用の超軽量素材使用のプロテクター。
 使用者の脳に直接微弱な電波を流し、所謂火事場の馬鹿力を発揮させるコマンド入力用カードデッキ。
 その全ての技術を寄り集め、統合したのがこのシステムだった。

 それを彼女は使い方を誤ってしまった。
 その力を使い、彼女は『紅魔』という妖怪のグループに属した。
 彼女の研究成果は皮肉にも、人間に牙を剥いたのだ。
 現在、世界中の軍隊組織は壊滅させられている。
 それは『紅魔』という一組織が、人間を侵略する事に等しかった。
 チルノ博士は親友の死で自暴自棄になり、利用されたに過ぎない。

 現在、チルノ博士は自分の間違いに気づき私達と行動を共にしている。
 彼女から化け物の名が『グール』であり、
 『紅魔』から人間社会へ送り込まれる狩人である事が判明した。
 化け物は人間を装い潜伏、密かに人間を襲う。
 そして、そのシステムは博麗 霊夢に引き継がれる。
 変身ベルトを装着する事により、カメンライド(変身)する。
 ベルトには資格が必要であった。
 人間を越える何らかの力、超能力や生命エネルギーと言っても良いその力を持つ者だけが変身をできる。
 通常の人間である霧雨 魔理沙と私は変身できなかったが、霊夢は無事変身を果たす。

 そして、数度の訓練後、実践に至る。
 初の実戦と言う事で苦戦を強いられたが、何とかグールを倒す事に成功する。
 その戦闘で霊夢が最後に放った技。
 それはライダーシステムの仕様に無い力だった。
 普通の人間であるはずの霊夢が、変身できる理由が隠されているかもしれないとのチルノ博士の弁だ。
 その能力が先天的な物か後天的な物かもわからないが、
 少なくとも戦闘には役に立つと解釈し、その力を最大限に生かす方法を模索する。



 『紅魔』という組織の目的は未だ不明だ。
 人間を滅ぼすという目的なら、こうした回りくどい方法は取らないだろう。
 一時期『紅魔』に属していたチルノ博士も、自分の目的が達成されれば良かったため、
 行動を共にしていただけだった。
 その際は、「人間と妖怪の共存」という名目だったが、それも本当かどうかも疑わしい……。
 グールを倒したチルノ博士のライダーシステムを、圧倒した妖怪という存在。
 未だ慣れていない事もあり、大怪我を負った霊夢は幸い命に別状は無く安堵した。
 霊夢の意志の力には驚かされる。
 彼女が変身できるのも、能力以前にその精神が支えているのではないかと時に思う。

 彼女の能力に関係があるかもしれないので、記述する。
 彼女の家系は元々神社を管理する、巫女の家系だったらしい。
 だが、時代か変わり、宗教というものが廃れていった中でその霊力も失われていった。
 現在、神社は親戚の東風谷家が管理している。
 その東風谷家の娘である早苗は、昔から霊夢と面識があった。
 年齢は霊夢の一歳下で、不思議な力を持っていると霊夢は言う。

 
 『妖怪』――今書いていても信じられない思いだが実在する。
 日本古来より、物語に登場するその妖怪達は昔の都市伝説や童話、
 社会風刺等の意味合いで捉えていたが、その認識を改めなければならない。
 妖怪は実在する。
 現在、世界を騒がせている現象……それも『紅魔』という妖怪の組織の仕業である。
 種族によって変わるが、人間を越える力を持ち、妖術と呼ばれる不思議な術を使う。
 人間はこの妖怪達に勝てるのだろうか?
 今こそ、人間の力を終結させ、妖怪に対抗すべきではないのか?
 現実問題として、それは難しいと言わざるを得ない。
 都市伝説としては受け入れるのに、本当に妖怪の仕業だと思う人がいないからだ。
 人間は今まで自分の都合の良い歴史を作ってきた。
 それは不都合な事実を、巧みに隠蔽してきたからに他ならない。
 
 妖怪という非現実を受け入れられない現実。
 もし仮に、それを信じたとしても大混乱が起こるだけだろう。
 旧世紀の魔女狩りの様に……。
 不安を必要以上に煽られ、社会は混沌と化す。
 残るのは疑心暗鬼と差別の世界だ。
 ライダーに変身できる人間も限られている為、そう都合良くはいかない。

 ベルトの開発に於いて、重要な役割を果たすのが、
 『㈲河城製作所(通称 河城工房)』と呼ばれる工場だった。
 この工場はチルノ博士が研究所時代から利用しており、
 高度な機械を開発する技術に於いては他に並ぶ企業はいなかった。
 少数精鋭に職人集団で、この工場の力が無ければ、
 チルノ博士の理論を再現する事はできなかっただろう。
 現在、チルノ博士は河城工房の社員達と機械工学の天才、
 河城にとりの助力も借り、ベルトの改良に取り組んでいる。




                        ―――以上。射命丸 文の日記より抜粋。






「ふ、あぁ~あ、」


 眼に疲労がたまり過ぎたのか、疲れが出始める。
 そこへ――。

「お代りをお持ちしました」

「ありがとう――」

 そこで、文は顔を上げ、お代りを持ってきた店員の顔を見る。
 何時もの店主さとりでは無く、まだ幼い少女がそこにいた。
 バイトでも雇ったのだろうか?
 文が、さほど気にせず、興味をお代りのカフェ・ラッテに移す。

「わぁ~今度はリーフですね……」

 カフェ・ラッテの模様は毎回違い。
 決まった模様もあれば、幾何学的なものもある。
 それが楽しみで、お代りを頼む事もあった。
 文が、一息入れようとカップに口を付けようとすると、


「……嘘つき」


 店員の少女が一言、ぼそっと言ったのを文は聞いた。
 文は、一瞬何を言われたのかわからず少女を見る。
 そこで珍しく慌てて、店主であるさとりが文の方へ駆けてくる。

「すいません、お客様。どうかされましたか?」

 さとりが来るのと同時に、少女は素知らぬ顔で店の奥へと引っ込んだ。

「こいし! お客様に失礼でしょ」

 さとりがこいしと呼ばれた少女を叱ると、

「すいません。妹が何か失礼な事をしましたか?」

 さとりの位置からは少女が何を文に言ったのかは、聞き取れなかったようだが。
 二人が固まっているのを見て、何か失礼のしたのではないかと心配になってきたようだ。
 こいしと呼ばれた少女は古明地 こいしと言って、さとりの妹にあたる。
 かなり人身知りな性格で、それを心配したさとりがその性格を直そうと店でバイトとして雇ったのだ。

「……ひとつお聞きしたいのですけど、何故妹さんは私を見て嘘つきだといったのでしょうか? 
 何か悪い事をした覚えが無いのですが……?」

 文がさとりに尋ねると、こいしは心理学に興味があるようで、
 今のも簡単な心理テストの結果をただ述べただけらしい。

「『ロールシャッハテスト』ってご存知ですか?」

「インクの染みから何をイメージするかってヤツですよね」

 こいしはどうやら、カップの模様を文がリーフだと言ったため、
 思わず口に出してしまったのだろう。
 本当にすいません、と謝るさとりに、

「ラテアートのロールシャッハですか……女子校生の間で流行りそうですね」

 と今度雑誌に紹介しますと冗談を言いながら、さとりに気にしていないから、と告げた。
 古今東西、女性の間では占いや心理テストは根強い人気があり、
 実際、文の雑誌でも巻末に必ず載せている。
 冗談半分だったが、面白そうだから今度詳しく教えて下さいねとさとりに伝える。
 さとりは他の客の接客に戻り、文は再びカップに視線を落とし、その模様を見る。




「……嘘つき、か」
 
 文は、その言葉の意味する所を噛みしめながら、
 再び香りを楽しみ、口へと運んだ。












 ―第十七話 「ケセラセラの近況報告」、完。




 ―次回予告。
≪目標点が逸れた活動をするオカルトサークル『秘封具楽部』
 そこで出会った二人の少女との出会いが、新たな出会いを呼ぶ。
 それは良い出会いだったのか?
 それとも悪い出会いだったのか?
 答えを知っているのは、何時だって自分自身だったから……。

 次回、東方英雄譚第十八話 「不思議に飢えた少女達」 ≫




[7571] 第十八話 「不思議に飢えた少女達」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/05/04 22:51


「ライダーキック!!」

《Rider kick》


 霊夢の右足に光が凝縮されていく、そして殺到する化け物……グール達へ回し蹴りを放つ。

―ゴガッ、ガガアア!!―

 グールに表情があるとすれば、苦悶だろう。
 霊夢から放たれた光の軌跡は、容赦無く、その命を刈り取った。
 袈裟切りのように蹴り倒され、地面へ叩きつけられたグールは何度か呻き声と痙攣を起こし、
 そして、蒼い炎に包まれた。


「……やはり、破邪の力ね」


 霊夢の背にチルノが背中を預けて、囁く。
 チルノの改良したベルト。
 それは霊夢の力を最大限に発揮させる為、霊夢の力の根本が何かを調べるところから始まった。
 霊夢の家系は遠い昔、巫女の血をひいており。
 その血が霊夢の代となって、開眼したと考えられた。
 巫女の血――異形の者を退ける破邪の力。
 前回の戦闘で、霊夢が咄嗟に出した模様――陰陽を表す太極図。
 霊力とは別名、神通力、法力と呼ばれ、魔を祓う力がある。

 その力はライダーに変身して始めて発揮される。
 霊夢自身、才能があり神通力も昔で言うところの陰陽師クラスの実力を持っていた。
 残念な事に、力はあったがその引き出し方を知らなかった。

 通常、陰陽師は儀式等の過程を踏み、その神通力を行使するが、
 平和な現代日本において、その方法も忘れ去られ、残っていたとしても使い道がなかったのだ。
 チルノはその力をベルトにより、引き出せると考えた。
 チルノ自身、冷気を操る程度の力だがベルトを使う事により、戦闘レベルで行使できる能力へ昇華した。
 ベルトに装着されるカードデッキ。
 カードはベルトの電気信号を操る、プログラムソフトのようなものだ。
 そのカードを挿入する事により、装着者の脳へ繊細な電気信号で命令を送り、
 脳の使われていない部分を、神経伝達物質を介して潜在能力を引き出す。


「数が多すぎる!」

 再び、グールの波へ踊り出る二人。
 現在、チルノと霊夢はグールの大群に囲まれている。
 今までは一体ないし、多くて二体程で出現していたのだが、
 文の情報により、赴いたのが無人の工場だった。
 ここ周辺地域では、最近行方不明事件が相次ぎ、その後の文の調査により、
 いつの間にか無人となった、この工場が怪しいと睨んだ。
 結果、すでにこの工場は閉鎖されており、従業員の全てがグールに掏り変わられていた。

「大丈夫。自分の力を信じて―――霊夢、危ないッ!」

 霊夢の一瞬の油断。
 霊夢の死角からのグールの攻撃に、チルノは気づく。

「はっ!?」

 気づいた瞬間霊夢は咄嗟にガードの体制に入る。
 チルノは目の前の敵に手が離せない。
 いくらベルトを強化したとはいえ、グールの攻撃は強力だ。
 ノーダメージとはいかない。
 慣れない敵の数に、集中力が一瞬途切れたのかもしれない。
 霊夢は覚悟し、衝撃に供える。


 ―――そこへ、
 乾いた狙撃音が聞こえた。



 鋭い爪で霊夢へ攻撃しようとしていたグールの頭部の片側が吹き飛ぶ。
 脳をやられ、正常な動きができなくなっても生命力の強いグールはまだ生きており、
 目の前の獲物へ本能の赴くまま襲い掛かる。
 その隙を霊夢は逃さなかった。
 右腰のホルダーから数枚のカードらしきものを取り出す。

「霊の札」

《Homing amulet》

 霊夢の手に力が籠り、札が光輝く。
 そして、目の前のグール目掛けて放つ。
 札は光の尾を引いて、グールへと張り付き接触面から蒼い炎を上げた。
 やがて――グールの全身に火の手が回る。

―キシャアアアアアアッ!!―

 断末魔の叫びと共にグールは崩れ落ちる。
 霊夢は跳躍した。

 空中より先程の札を地面で蠢いている他のグール達へ投げ放つ。
 札は自分の意思をもったように、グールを目掛け飛んで行く。
 グールの中には逃げようとする者もいたが、無駄だった。
 札の形をしているが、電子コンピュータが内蔵された札は霊夢の霊力を纏い、
 敵と認識したグール達へ撃ち落とされない限り、当たるまで追い続ける。
 地面のあちこちで、鬼火のように蒼い炎が上がり、地獄窯が開いたような光景だった。
 グール達の断末魔が響き渡る。
 聞いていて気持ちの良いものでは無かった。







「お疲れ様、霊夢。もうグールの気配は感じないわ」

 チルノが変身を解き、近づいてくる。

「ふぅ~終了、終了」

 粗方のグールを一掃し、霊夢は変身を解く。
 そして、遠くから元気な声で近づいてくる少女がいた。

「よぉッ!! お疲れ~!」

 上機嫌で魔理沙が手に、にとりの銃を持ち現れる。
 魔理沙の銃はにとり会心の作で、状況に合わせて弾丸を換装できる他、
 狙撃も可能とするスナイパーライフルへ、ボタン一つで組み替える事もできる。

「ちょ、何煙草吸ってのよッ! 貴女未成年でしょう!?」

「何言ってんだ? これはチョコレートだぜ。ちょっとゴルゴ13の気分のを味わいたかっただけだよ」

 そう言ってポケットからシガレットチョコの箱を取り出す。

「吸うか(食うか)?」

「いらないわよ!」

 霊夢が魔理沙のふざけた態度にそっぽを向くと、

「……糖分は脳の栄養に欠かせない」

 チルノはそう言って、魔理沙の差し出したシガレットチョコを一本、吸い(食べ)始める。
 チルノはシガレットチョコを咥えたまま、不敵な笑いをすると、
 魔理沙も同じようにニヤリと口角を上げる。
 その様子に、目の端で見ていた霊夢は思わず噴き出す。
 チルノは緊張を和らげる為、ワザとだろうが魔理沙は本気でふざけているので始末が悪い。

「まったくもう……私も一本もらうわよ」

 霊夢は苦笑しつつ、箱から一本貰い口に咥えた。




 工場の跡地に残るのは、静寂。
 先ほどまでいたグールの群れは、全て砂となり無へと帰った。
 これが正しい事だと霊夢は信じたい。
 信じなければ、いけない。
 そうでなければ――――、
 何をしているのか……わからないじゃないか。
 霊夢は、魔理沙達に笑顔を向けながら、
 心の中で、そっと冥福を祈った。










「まったく……蓮子は……」

 マエリベリー・ハーンはご立腹だった。
 今日は大学のサークル活動の一環として、街へと足を運んでいた。
 サークルと言ってもマエリベリー・ハーン(通称 メリー)と遅刻中の宇佐見蓮子の二人しかいないが……。
 留学生として蓮子の通う大学へ編入したメリーは、
 慣れない日本の生活に右往左往している所を蓮子にキャッチされた。
 最初は嫌々だったが、最近は悪くないかもと思い始めている。

 『秘封具楽部』。
 大学でも知る者が少ないこのオカルトサークルは、
 活動内容もメンバーであるメリーでさえ、いまいち把握できていない。
 何でも超常現象の類を調査するサークルであると……。
 そんな、超常現象って……。
 メリーは大学で相対性精神学を専攻しており、相棒の蓮子も超統一物理学を専攻し、
 『ひも理論』の研究をしている。
 言わばインテリだ。
 そのインテリが二人揃って考えるのが、オカルト物とは……。

 メリーが溜息をつき、腕時計を見る。
 約束の三十分を大きく越えていた。
 いったい何処へほっつき歩いているやら……。
 蓮子曰く、
 自分は「星を見ただけで今の時間が分かり、月を見るだけで今居る場所が分かる程度の能力」を持つらしい。
 なら、約束の時間に正確に来てもらいたいものだ。
 否、正確に時間が分かるからこそ、まだ大丈夫と思い込むのだろうか。
 仕方無しにメリーは携帯を取り出す。
 何度かのコール音が鳴ると、聞いた事がる着メロが鳴り響く。
 ――以外に近いぞ!?
 テーマ曲は「月の妖鳥、化猫の幻」。
 
 メリーは周囲を見回して、すぐに目標物を発見する。
 あの見覚えのある帽子は……。
 メリーは目標を目掛けて、走り出す。
 右手は――知らず知らずの内に握り締められていた。



「うわぁ~凄~い!!」

 宇佐見蓮子は好奇心旺盛な瞳を輝かせ、目の前の超常現象に釘づけになっていた。
 相棒であるメリーに、約束の時間と待ち合わせ場所を指定しておいて、
 完全に忘却の彼方へと、追いやっているのは明白だった。

「さぁさぁっお立会い! 世にも不思議な、自分の意思を持つ人形よ!!」

 客は蓮子と数人の子供だけ。
 それでも何時もよりは集客がある方なのか、人形遣いの少女は純粋な好奇心に輝く、
 子供達に夢を与えるよう人形を操る。
 床に寝せられた少女の形をした人形。
 一見操り糸さえ無い、何処にでもあるような人形だが……。
 人形遣いの少女がパチンッと指を鳴らすと、人形がむくりと起き上がる。
 子供達が「わぁ~すげぇ!」と蓮子と一緒に歓声を上げる。
 その人形はゆっくりと起き上がると、自分の意思があるかの様に歩き出し、
 しまいには屈伸をしたり、腕を伸ばすなどの準備運動を始めた。

「やばっ! 欲しい……」

 蓮子がその人形買った、と喉から叫び声を上げようとした時、

「何がやばっ、よ」

 ゴチンッと痛々しい音がして、蓮子が頭を押さえて呻き声を上げる。
 周囲の子供達も人形遣い少女も、何事かと二人の少女を見つめる。

「め、メリー……あは、あはは。グッモーニング」

 メリーがじと目で蓮子を見ると、蓮子は巻いてもいない腕時計を確認する振りをして、

「え、えぇ~と。ほら、メリーこれッ! 超常現象!!」

 そう言って目の前の人形を指差す、蓮子にため息をつきつつ、

「買いません!」

 そのまま蓮子の襟首を掴み、引きずって行く。
 お騒がせしました~と愛想を残しつつ……。





「……ふう。興が削がれたわね」


 そう言って人形遣いの少女は店終いを宣言した。
 子供達は不満の声を上げたが、少女は優しく微笑み、
 集まっていた子供達にごめんね、と謝る。

 パチパチパチッ――、

 片付け始める人形遣いの少女に、思わぬ方向から拍手が送られる。
 人形遣いの少女が拍手された方向を振り向くと、
 そこには金髪の白黒のゴシック衣装を身に纏った少女が、
 少年のような悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


「それ、面白いな……どうやって操ってんだ?」

 黙っていれば令嬢の雰囲気が漂う美少女だが、口を開いた途端その雰囲気は雲散霧消し、
 男の子なのかと勘違いしてしまいそうな、空気になる。

 人形遣いの少女は思わぬ方向からの賛辞に、頬が緩む。
 自分の作品を褒められれば、誰だって嬉しいものだ。

「これは実は魔法で操っているのよ。上海人形っていって、私のお気に入りなの」

「へぇ~魔法使えるんだ……羨ましいな」

 ここで、人形遣いの少女驚いた。
 冗談交じりに言ったつもりだったが、この男の子のような少女が、
 予想以上に素直に受けて止めたからだ。

 普通魔法を使えると言うと、子供だったらからかい半分で対応し、大人だと見向きもしない反応だ。
 この少女はそのどちらでも無い。
 事実を事実として受け止めてなお、羨ましいと言う。
 魔法なんて信じなくなる年頃だろうその少女は、疑う事を知らないかの様に話を聞いてくる。
 人形遣いの少女はそこで、この少女に興味が湧いた。

「私はアリス・マーガトロイド。貴女は?」

「私は霧雨 魔理沙。よろしくな!」

 そういって眩しい太陽の笑顔を見せた魔理沙は、しゃがみ込んで先程アリスが操っていた人形を手に取る。

「良く出来てるな……触った感じも、本当に生きているみたいだ」

「私は完全な自立人形をつくるのが目標なの。今日は現段階の成果をお披露目ね。
 できれば、おひねり貰いたかったけど……」

「お前も大変なんだな……」

 アリスは自分の人形を、今までで最高の出来だと自賛した。
 魔理沙もこの人形の事が気に入ったのか、離そうとはしなかった。
 普段魔理沙は男の子のように振舞うが、それはそれ、コレはコレだ。
 やはり女の子として人形には興味あるのか、それともアリスの魔法に興味が湧いたのか、

「ねぇ……魔理沙って言ったかしら? どう、今から私のアトリエに来ない? お茶ぐらい出すわよ」

 アリスが魔理沙を誘うと、魔理沙は予定も無いからと快く了承した。
 アリスのアトリエは、ここからすぐ近くだった。
 近代的なテナントビルの二階、その一室にアトリエはあった。


「『アリス洋裁店』?」

「あぁ、私バイトでアパレル関係の仕事をやっているの、
 『Alice collection』ってブランド知らない?」

「えぇ~!? あのブランドって……お前が作っていたのかよ!」

 魔理沙はあらためて部屋を見回すと、洋服の生地やデザイン、マネキンなどが整然と置かれている。
 『Alice collection』
 上質な生地もさることながら、その素材を十二分に生かしたデザイン性が売りで、
 機能的にも優れており、試着した人は皆仕立て屋に頼んだように体にフィットすると好評だった。
 値段は少し張るが、届かない距離ではないため、年頃の女性達に大人気。
 まさに流行の最先端を走っていた。
 ファッション雑誌でも何度も取り上げられており、間違いなくトップアーティストの部類に入っていた。

「まぁ、これは人形作りの資金調達の為よ。本業はあくまで人形作り」

 大げさだと照れるアリスに、魔理沙は未だ信じられない気持でアリスを見る。
 お茶を淹れるわ、とアリスが魔理沙を促し椅子に座らせる。
 その間も終始、部屋を見てここで最先端の流行が形作られると思うと、魔理沙は感動すら覚えた。
 
「お待たせ」

 アリスが奥の部屋から、お茶菓子とお茶を置いたお盆を人形に運ばせ出てくる。

「それも魔法なのか? 便利だな~」

「まだまだよ。本当の人間には程遠いわ。命令を実行するだけなら今の人形でもできる。
 けど、完全な自我を持つには不十分だわ」

「十分だと思うけどな~?」

 それから、他愛も無い談笑が始まる。
 話す内容は当然、ファッションの事が多い。
 二人とも年頃の娘なのだ。どうしても話題の中心となる。
 その話の中でアリスが魔理沙へ言う、

「そうだわ! 今度魔理沙に特注で、洋服を作って上げるわよ」

「えッ!? 本当か?」

 魔理沙は心底、嬉しそうな表情をする。
 なんたって『Alice collection』のオーナー直々の仕立てだ。
 どれだけ素晴らしい物ができるのか、想像しただけで興奮する。

「でも、私お金あんま無いぜ……?」

「お金なら要らないわよ。だけど、ちょっとお願いを聞いて欲しいの」

 実際の所、魔理沙は常に金欠ギリギリだった。
 多分趣味の幅が広い為、どうしてもお金が入用になる。
 魔理沙は、その頼みが何かを尋ねる。

「貴女の髪が欲しいのよ。少し分けてくれないかしら?」

 何でも人形の制作には、欠かせない材料だと言うのだ。
 魔理沙も聞いた話、昔は女性の髪を使っていたと聞いた事があり、
 本物の人形を目指すには納得できる話だった。
 今は、長さが丁度良いため、切る時になったらで良いらしい。
 魔理沙はそれで手を打つと、他愛の無い疑問が浮かんだ。

「しかし、この部屋もそこかしこに人形だらけだな……ほら、コレなんか質感といい、
 人形とは思えないぜ、材料は何だ?」

「人間の死体よ」

「……え?」

 空気が凍りつく、魔理沙は思わずその人形を棚に戻しそこない、落としてしまう。

「じょ、冗談! な、何言ってんだよ。驚かせんなよ!!」

 魔理沙が振り向くと、アリスは不思議そうに小首を傾げる。
 金髪の髪が揺れて肩に掛かり、肌の色が薄く、
 サファイアの瞳は何処までも澄んでいて、

 ……まるで人形のようだ、と場違いな感想が魔理沙の頭を過ぎった。










 ―第十八話 「不思議に飢えた少女達」、完。




 ―次回予告。
≪気持ちは分かった。だが、理解はしたくなかった。
 人の数だけ認識の違いがあり、理屈があり、捉え方がある。
 誰が、誰を間違っていると言えるのかはわからないが……。
 ただ言えるのは、それが貴女の話でも、私はそれは嫌だった。

 次回、東方英雄譚第十九話 「人の形を弄んだ少女」 ≫




[7571] 第十九話 「人の形を弄んだ少女」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/05/06 20:43


 『不思議の国のアリス』と言う話をご存じでしょうか?


 白ウサギを追って、不思議な世界へと入ってしまう少女のお話です。
 この童話にあるように、人は夢の世界へ行く事に様々な憧れを持っています。
 今の現実から逃げだしたい。
 夢の世界で楽しく暮らしたい。

 誰でも一度は考えた事があるのではないでしょうか?
 しかし、夢、とは楽しいだけではありません。
 その世界を形作る歯車が一つ狂ってしまえば、
 それはたちまち奇妙な悪夢となって、

 あなたに――襲い掛かってくるでしょう。







 酷く寒かった。

 空気が凍ったように、私の背筋がゾクゾクする。
 まだ冬には早いと言うのに、部屋の中に急に冷気が吹き込んできたようだ。
 夜の帳が下りてきて、蛍光灯の光が明滅を繰り返す。
 私は、少し怯えていたのかもしれない。
 化け物達との戦いで、少しは自分も強くなったと思っていた。
 だけどそれは、勘違いだったと思い知らされる。
 目の前の人形のような少女にさえ、私は恐怖を感じるのだから……。


「私の目的は、魂を持つ人形を作る事……」


 喉が渇く。
 何度も何度も唾を飲み込んだのに、私の喉は足る事を知らない。
 私は無意識の内に懐の銃へと、手を掛ける。
 ただの人間でしかない私は、それが精一杯だった。
 背中を晒して、逃げたい衝動に駆られる。
 だが、それをしてしまうと次の瞬間――殺されてしまいそうで、
 肉食獣に背を向けられない、草食動物の気分だ。
 蛇に睨まれた蛙なのだろう……。
 ただ違和感があるとすれば、目の前の少女があまりにも普通だったからだ。
 狂気に支配され、問答無用で襲ってくれば、私も躊躇わず引き金を弾けた……。
 しかし、無邪気に小首を傾げる少女は、
 何を言ってるのかわからない、と言う顔をした。


「その為には、材料が必要なのよ……」


 目の前の少女がこつこつ、と靴音を響かせる。
 その音が良く、私の頭に響く。
 気がつけば……少女は私の息が掛かるほど近くに居た。
 私の喉は声の出し方を忘れてしまったように、 口を開いては閉じる。

 綺麗な髪ね、と少女は言い、私の髪を軽く梳いて微笑む。
 その表情だけで、私の心臓は鷲掴みにされた気がした。
 普通であれば、微笑ましい光景に映るはずだろう……少女達の戯れ。
 生きた心地がしない。
 体は、震えていないだろうか?
 もし、震えているのが分かれば、羊の皮が剥がれ落ちて、
 少女はたちまち本性を現すだろう。


「私は世界を旅して、良い素材を探し回ったわ」


 少女は触れていた私の髪を放し、私の背後にある人形を眺める。
 その瞳はどこまでも優しくて……。
 私はその瞳から目が離せなかった。
 少女が歌をくちずさんだ。
 そう、聞こえた。

 それは母が眠れぬ我が子へ聴かせる、子守唄に似ていた。
 震える空気の振動が耳に心地良い……。
 少女が指を上げ、リズムを刻む。
 まるで、オーケストラを指揮するマエストロのように……。
 それに呼応するかのように、棚に並んだ人形が動きだす。
 空中を飛んで、少女の周囲に集まり出す。
 花に集まる妖精達のアンサンブル。


「見て、この子の髪とても綺麗でしょ。絹糸では……こうはいかないわ」


 そこで私は限界だった。
 私はもたつく自分の腕に、苛立ちを覚えながらもなんとか銃を取り出した。
 向ける銃口の先を、少女は不思議そうに見る。
 気付かれないように必死に押さえてた震えが、銃口の先に伝播する。


「震えているわね……ごめんなさい。怖がらせちゃったかしら?」


 声は悪魔のように優しく、慈愛に満ちて……。


「わ、私を――どうしようって言うんだッ!!」


 ようやく絞り出した言葉に、アリスと言う名の少女は形の良い眉を顰める。
 私の声はこの穏やかな世界に不協和音でしかないのか……。
 それでも、私は眼を逸らさない。
 アリスの深遠な蒼い瞳を見つめる。


「私のお友達になってもらおうと思って……」


「ふざけるなッ!!」


 私は牽制の為、アリスの隣に浮いている人形を撃った。
 人形の頭が弾けて、中から綿が飛び出てる。
 人形は操り糸が切れたみたいに床へと落ちた。
 アリスの息を飲む声が聞こえた。


「酷い事するわね……」


 アリスは床に落ちた人形を優しく抱え上げる。
 かわいそうに……。そう呟き、その頬に透明な雫が伝う。
 その懺悔を請う神聖な姿が、恐ろしくなり銃口をアリスへ向ける。
 ――殺される、と思った。
 俯いて涙を流すアリスへ、私は弾丸を放つ。
 少しでも怯んでくれればッ!
 私の視線はこの部屋のドアへと注がれる。
 数発弾丸を放つと同時に、私は駆ける。
 
 ――だが、私は戦慄した。
 放った弾丸はキィィィと、音を立て空中で止まっていた。
 否、進めないでいた。
 弾丸を阻む物――それは眼を凝らして、光の加減でようやく見えるほどの、糸?


「人形を傷付けるなんて……レディとしては最低ね」


 俯いていたアリスの顔が上がる。
 蝋細工のような頬に薄く紅が引き、相貌は憤怒に彩られていた。
 私の動悸は早く、息が苦しい。
 足は……足は動いているか?
 ドアまで僅か数メートル。
 その僅かの距離が何処までも遠く感じ、届きそうにない。
 知らない内に、私は人形に囲まれていた。
 特にドアへと至る道は完全に閉ざされた。

 人形に感情は無い。声も、表情さえも……。
 だが、怒っているのは分かった。
 仲間を傷つけられた怒り、その激情を。
 傍聴席に居並ぶ人形達さえも、息を殺して私を観察している。
 私に下される判決を待ち望んでいる。
 裁判長の木槌が振り下ろされるのを……。
 人間を捌く『人形裁判』。

「貴女は、罪を償わなければならないわ」

 アリスの右手に何時の間にか鋏が握られていた。
 布を裁断する時に使う、良く切れそうな洋裁鋏。
 人間の皮膚でさえ、簡単に切り刻めるのではないのか……。
 携帯を取り出してチルノに連絡を取りたかったが、
 出した瞬間壊されてしまいそうで……そうなったら唯一の通信手段は失われる。
 残された手札はそう、多くない。
 今考える最善手は……。


「知ってるか? ……実は私も――魔法使い、なんだぜ」


「えっ?」



「反射弾!」

《Reflection bullet》

 私は銃を床へ向け弾丸を放つ、弾丸の軌跡。
 それは私のイメージ通りの仕事をする。
 跳弾、立体空間において威力を発揮する弾丸は私の目標点を撃ち抜く。
 視界が闇に閉ざされた。
 締め切ったカーテンが街の明かりを遮ったのだ。

 現在は夜。アリスが夜目の効く魔法使いなら有効打とならないが、
 通常、生物は光の反射で空間を把握する。
 ならば、闇に眼が慣れるまでの数瞬、隙が出来る。


「炸裂弾!」

《Impact bullet》

 ガラスの壊れる音が響き、私は窓へと駆ける。
 ドアは人形が塞ぎ、当然アリスも逃がすまいと警戒が厳重だろう。
 ならば、ここは二階。飛んで死にはしないだろう。
 私は夜の街へ、読んで字の如く飛び出した。
 着地はまあまあ。何とか手を付いて衝撃を逃がす。
 手を擦り剥いて血が出たが、気にしない。
 問題は足首――大丈夫、挫いてはいない。
 兎に角走って逃げないと。

 人の間を縫うように逃げる。人を隠すには人の中。
 人間に溶け込んで暮らしているような奴だ。
 人込みの中で無茶はしないだろう。
 私はうまくいったとほくそ笑みながら、夜の闇に消えて行った。









「懐かしいわね……鬼ごっこ。人間の頃は良くやったっけ」

 アリスは服に着いた誇りを払うと、人形達に大丈夫? と声を掛ける。
 自分のアトリエを壊されても、それほど腹は立たない。
 それはあくまで道具だからだ。
 大切な人形が壊された時など、多分とても凄い顔をしている事は容易に想像付くが、


「せっかちな娘ね。そこが可愛いんだけど……」


 くすっと笑い、左手の上げる。
 その小指には、赤い糸が結ばれていた。


「ふふふ、どこまで逃げられるかしら――あら、止まった。案外体力ないのね」


 ふわり、とアリスは壊れた窓から身を翻す。
 月明りに照らされて、銀糸が煌めく。
 振るった指に絡まる糸が閃き、ビルの角に掛かる。
 糸の力だけで、体が空中を散歩しビルの屋上へ舞い上がる。
 隣のビルの給水塔に糸を掛け、器用に屋上を飛び跳ねて行く。


「こんな殺伐とした夜がいいのかしら?」


 ねぇ、と隣に居る上海人形に声を掛ける。
 人形は小首を傾げる。
 自分で操ってて可笑しくなる。
 まぁ時間はたっぷりあるわよ、と心の中で呟いて……。










 ――最近走ってばっかだな。

 自分自身に悪態をつきつつも、魔理沙は走る。
 運動が苦手と言う訳ではないが、体力に自信があるかと言えば微妙と言わざるを得ない。
 ビルの二階から飛び降りたのも、自分では満点を上げたいくらいのアクロバットだった。
 足を挫いてその場で捕まる。
 それが可能性として確率50%を占めていたが、その掛けにも勝った。
 これだけ、複雑に逃げたんだ……見失ってるはずだと信じたい。
 汗が噴き出て、体温を必死に下げようとする。
 今さらながら、夜の冷えを感じる。

「私、冷え症なのに……」

 そんな冗談も言えるぐらい、漸く余裕ができる。
 そこで、電話をまだ掛けていなかった事に気づく。
 逃げるのに精一杯で、気が回っていなかった。
 周囲を見回し、静かな所を探す。
 周囲の雑音が五月蝿くて聞こえやしない。

 人込みを外れ、マンションの隙間に生えたような公園を見つける。
 ここだったら、話せるだろう。
 公園に備え付けられている、水飲み場で喉を潤した。
 携帯を取り出し、登録番号で瞬時にアドレスを呼び出す。
 後は受話器を上げるだけだったが、

「ハッ!?」

 携帯を即座に離し、後ずさる。
 携帯は音も無く。落ちながら、バラバラに切り刻まれた。
 手に掛かる銀の糸が見えた瞬間の判断だった。
 もし、離さなかったら―――、

「見~つけたッ♪」

 楽しそうな声が、頭の上から降ってくる。
 即座に視線を上げる。
 アリスが公園の時計台の上で、膝を組んで座っていた。

「は、はは……何で……」

 喉から乾いた声が鳴る。
 潤したばかりの喉は、疾うに枯れ果てていた。

「さぁ、何で、でしょう?」

 何で、の部分を強調し、意地悪く微笑むアリス。
 ――私は息を止めた。
 銃を決闘さながらの早抜きを見せ、銃口を向ける。
 この銃を渡されてから、何百回、何千回と繰り返した動作。
 どんな状況になっても抜けるように……。
 命に関わる為だ。
 この早抜きは今までで最高の速さだったと自覚できた。
 しかし、その自信も引き金を弾く、コンマ何秒の時間で喪失する。
 銃が空中分解したのかと思った。
 静かに、ただ静かに銃の形を成さなくなり、細切れになって落ちた。

「ハッ……ハッ……」

 息が苦しい。
 耳の裏で、心臓の音が響く。
 妖精を伴った天使が舞い降りた。
 周囲に舞う銀糸が後光のように射し、羽衣を纏った天女のようにも見える。

「捕まえた」

 洋裁鋏を開き、私の喉を挟む形で付ける。
 怖い。
 これでは手を付いて、許しを請う事さえもできない。
 死。
 私が何をしたと言うのだ。
 後悔。
 私は最後まで役立たずなのか。




「ハッ……ハッ……」


「何か言い残す事は、あるかしら?」


「ハッ……ハッ……人形……」



「うん?」




「完成……できると、いいな」

 ――覚悟はできた。

 何で私が殺されなくちゃならないんだ、と罵詈雑言は山のようにある。
 だが、それを全部言う時間は残されていない。
 なら、私にできる最大限の皮肉。

 私の皮を剥いで人形の表情を作るなら……精一杯泣いてやろう。
 私の髪を切って人形の髪を作るのなら……せいぜい伸びて呪いを掛けてやろう。
 私の形を弄ぶのなら……何時までも傍に居て、
 そして、お前の死ぬ瞬間を心の底から祝ってやろう。

 お前が最初に完成させた人の形をしたモノは、
 私と言う怨念が染みついた、魂人形だ。

 ――ざまあ見ろっ!!





 ――バチンッ!!










「……ぷ、くく……あはははははははは!!」



 アリスが腹を抱えて笑っている。
 えっ!?
 何で笑っているのが見える。
 首を切られたんじゃ?
 左の髪がはらりと落ちる。
 落ちた自分の髪を見つめ、腹を抱えて大笑いするアリスを見る。
 そこで――気づく、


「て、てめぇっ!! 馬鹿にしやがったな!?」


 一気に血が頭に上った。
 今まで冷たかった血が、沸点を越えて沸騰しぐつぐつと頭を煮えたぎらせる。
 それでも掴みかかる事はできなかった。
 まだ、怖かったから……。

「あはは、ごめんごめん。でも……ぷっ、くっく」

 腹があまりにもよじれ過ぎて、呼吸が苦しいらしい。
 納得できる説明を求めるため、一先ずアリスの笑いが治まるのを待つ事にする。




 事の顛末はこうだ。
 アリスの話は全て真実。まったく嘘は言っていなかった。
 ニュアンスはだいぶ違うが……。
 完全な自立人形――自意識を持つ魂を持った存在。
 それを作る目標を掲げ、何十年、何百年生きてきた魔法使いだという。
 人間から魔法を極め、寿命さえも操り現代まで生きた西洋の魔女。
 人形は昔から作っていて、魔理沙が手に取った人間の髪を使った人形も、
 その昔、死に分かれた子供を思った夫婦に依頼され、制作したものだった。
 時が流れ、死期が近づいた老夫婦に、私達を忘れないでと託された遺品だ。

 人間を殺して人形の材料にするなど、一言たりとも言ってはいない。
 全ては雰囲気で、魔理沙は勘違いをしたのだ。
 途中で魔理沙の反応が面白いため、ついつい悪ノリしてしまったそうだ。
 流石に人形を傷つけた時は、本当に殺してやろうかと思ったらしいが……。
 人形はアリスの命。
 それを傷つけたのだから、それ相応の罰は受けてもらう。
 よって、魔理沙の髪を少しもらい、先ほど傷ついた子の修復にあてる。
 それでも、少しお仕置きがきつかったかも、とアリスは謝る。


 何、だよ……そりゃ。


「そんな事で、私の銃と携帯バラバラにしたのかよっ! 弁償しろ!!」

 ホッとした途端、先ほど出てこなかった罵詈雑言がマシンガンのように口から飛び出す。
 からかった手前、アリスも最初は謝りつつ聞いていたが、

「いい加減わかったわよ、しつこい!! 貴女、性格悪いわよ!」

 流石に度が過ぎたのか、アリスの口からも悪口と言えば可愛らしく聞こえるぐらい、
 酷い罵りの言葉が噴水のように湧き出る。
 

 それから数時間、罵り合い……休憩タイムとなった。



「ハッ……ハッ……」



「はぁ……はぁ……」


 息を整え、アリスが足元に落ちていた魔理沙の髪を拾い上げる。
 今さらながら気づいたが、先ほど魔理沙が傷つけた人形をアリスは優しく抱いていた。
 銀糸が舞い、本当に一瞬の早業で、破けた個所が修復され、
 魔理沙の髪も縫いつけられた。

「からかって……ごめんなさい」

 アリスは改めて頭を下げる。
 私は罰が悪くなり、頭を掻くと、


「私も、悪かった……その……大切な人形を、傷つけて」


 アリスに近づき、腕に抱えた人形の頭を撫でる。
 ごめんな、小さな呟きだったが、人形には聞こえたようだった。
 人形だから表情が分からないが、微笑んだようにも見えた。


「貴女と話せて、楽しかったわ」


 人間のお友達って久々だから……、
 そう言うと、背中を向け去って行こうとするアリス。
 その背中は、どこか寂しそうだと魔理沙は感じた。

 悪意は……あったとはいえ、
 アリスにとっては、単なる冗談だったのかもしれない。
 レベルが半端じゃなかったが……。
 だけど、
 そのセリフはまるで、もう会わないと言ってるようじゃないか。


「待てよ」


 私は気がついたら、アリスに声を掛けていた。
 アリスは面倒臭そうに振り向く。

「何よ。謝ったでしょう? それとも、慰謝料を寄こせって言うの?」

 がめついわね、と続く言葉に再び数百の悪口が頭に浮かんだが飲み込む。


「あぁ、大いに不満だね。だから……今度、洋服を作れ」


「……私の洋服は、高いわよ?」


「当然タダだろ、友達なんだから!」

 その言葉にアリスは驚き、数瞬後――そう、と言って笑う。
 その時のアリスの笑顔は……、

 同性の魔理沙が見惚れるほど、美しかった。
 





「貴女……気づいている?」

 アリスは魔理沙へ質問する。

「何を、だよ」

 この鈍感の隣人に、アリスは苦笑する。
 アリスは現代に生きる魔女だった。
 生活するには問題無く、資金も自分の得意分野を生かし順風満帆だった。
 だが、どこか欠けている事には、自分でも気づいていた。
 気づかない振りをしていたのも事実だ。

 『孤独』
 仕事の依頼で人と関わる事は多い。食事を重ねた事もある。
 でも、それはビジネスパートナーとしてのアリスだった。
 誰も、素のアリスを見ようとはしなかったし、自分も嫌われるのが怖かった。
 何時しか自分は魔女だ、人間とは違うんだと自分から距離を置くようになった。

 だからこそ、魔理沙の言葉はすとん、とアリスの心に落ち着いた。
 魔女と知って、人間じゃないと知ってなお、話し相手になってくれるというのだ。
 安心した。
 友と呼べそうな人間が居たのは……どれぐらい前だっただろう。
 まだ、人間だった頃、こうした本気で相手を罵る言葉で喧嘩する相手が何人か居た。
 他愛も無いおしゃべりは、どこまでいっても平行線の距離を保つ。
 近づく事も無く、離れる事も無い無難な関係。
 こんなに、つまらない事は無い。
 長い年月を経て、アリスが辿り着いた友の定義は『本気で喧嘩が出来る事』。
 優しい言葉よりも、自分を褒め称える言葉よりも、
 自分に本気の声を聞かせてくれる隣人。
 アリスは微笑んで――、

「良かったら……この人形貰ってくれない?」

 アリスの手に、先程修復した人形が握られていた。


「良いのかよ……大切な物なんだろ」


「魔理沙に、貰って欲しいのよ。ダメ?」


「いや……貰えるものなら何でも貰うぜ」


「やっぱり……貴女がめついわね」


 どちらともなく笑い出す。
 そこでもう遅いからと、手を振り別れる。
 また、会う約束をして……。



「それで……さっきの質問は何だったんだよ? 私が何に気づいて無いって?」






 ――本当に、
 ――大変なものを盗んでくれたわね。
 ――魔理沙、まるで魔法のように。



「魔理沙は……ふふ、何でもないわ……」


「何だよ、私が何したってんだよ? 気になるだろ、教えろよ!」


 笑って誤魔化すアリスに、魔理沙は食って掛かる。
 それでも、アリスはその様子を楽しそうに笑うだけで、
 最後まで、教えようとはしなかった。






「何でもないわ。何でも、ね……」














 ―第十九話 「人の形を弄んだ少女」、完。




 ―次回予告。
≪運命はよく分かれ道に例えられる。
 今を起点として真っ暗い闇の中、街灯の明かりが幾つもの枝分かれして道の端を照らす。
 続く未知の世界は、自分にとって幸福なのか不幸なのか……。
 誰にもそれは分からないが、
 もし、
 その道の先の照らされて無い街灯に、蝋燭の炎付ける事ができたなら、
 それは幸せな事だと言っていいのですか?

 次回、東方英雄譚第二十話 「永遠に幼い運命」 ≫




[7571] 第二十話 「永遠に幼い運命」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/05/17 22:11

 神様の話をしましょう。



 昔々あるところに、生誕、農作、軍事、様々な事柄の祟り神である『ミジャクジ様』
 を統括していた神様がいました。
 その神様の名を洩矢諏訪子といい、恐ろしい祟り神であるミジャクジ様を管理する力に、
 人々は信仰し、諏訪子を一国の王として奉った。
 (『ミジャクジ様』とは道祖神、農耕神、風神神、等々と様々な神性や信仰形態を持つ自然神である)


 時が過ぎ、そんな彼女の元に大和の神々が侵略して来たのです。
 王国を訪れた大和の神の名を、八坂神奈子といった。
 大和の神々は小さな国々を手中に収め、やがては全ての国を統一して『日本』
 という一つの国にするつもりだと語った。

 国王である諏訪子はその事を良しとせず、迎え撃った。
 当時、最先端であった鉄製の武器を持って挑んだが、神奈子は細い植物の蔓をかざすと、
 諏訪子の持っていた鉄製の輪は、たちまち錆びてぼろぼろとなってしまった。
 
 こうして、神力の差を痛感した諏訪子は、潔く王国を明け渡したのです。



 しかし、事がうまく運ぶと思われた神奈子の侵略は頓挫する事となる。
 人々はミジャクジ様に対する恐怖を忘れられず、新しく来た神様を受け入れなかったのです。
 このままでは信仰心を得られない、と理解した神奈子は一計を案じた。
 名前だけの新しい神様を立て、実務を諏訪子に任せたのである。
 こうする事で、対外的に王国を支配したように見せかけたのだ。
 その後、諏訪子の力を借りて自ら山の神として君臨することとなりました。












 ――そして、時は現在。



 今日も守矢神社は、参拝客で賑わいを見せている。
 神への信仰が薄れつつある現代において、守矢神社は特殊だった。
 周囲に他の神社も無く、この地域全体を昔から管理して来たため地元の信仰も厚かった。
 更に、昨今の物騒な事件の数々がこの区域では起こっておらず、
 御利益があると噂が立ち、他県からも参拝客が増えていた。


「諏訪子! 諏訪子はいないか!」


 名を叫び、神社の境内をうろつく大柄な女性がいた。
 蒼い髪に紅い瞳、胸元には『真澄の鏡』という宝物を身に付けている。
 彼女は少し苛立たしげに、境内を荒々しく踏み歩く。
 そこへ――、年老いた宮司らしき初老の男性が現れた。


「神奈子様、申し訳ございません。諏訪子様は、ただ今早苗と共に出かけております」


 男は自分の事でもないのに謝る。
 神奈子と呼ばれた女性は、その様子をいつもの事と見て、特に気にもしない。
 ただ、諏訪子に用事があっただけなのだ。


「まったく、諏訪子がまた早苗に玩具でもねだったのだろう……。
 何時まで経っても子供だなあいつは、神としての自覚が足りん!」


 そう一蹴すると、神奈子は溜息をつく、
 その様子に男は口を開く、


「良い事ではないですか、それだけ平和だと言う事です……」


 男は自分の言葉でうんうん、と納得して神奈子をなだめる。
 男は神職について半世紀は優に超えていた。
 だが、男の生きた時間は、目の前の神奈子という女性の千分の一にも満たない。

 八坂 神奈子。
 遥か昔、大和の国よりこの地を治めて来た神の一人である。
 かつてこの地を治めていた洩矢 諏訪子と一時期敵対したが、
 現在では、共同管理という形でこの地を治めるに至った。
 その力は絶大で、現在も人々の信仰心は篤い。


「最近では『紅魔』なる妖怪共が騒いでいるようだからな。そう、浮かれてはおれんさ」


「何を仰いますやら、神奈子様、諏訪子様のお力があれば、
 どこぞの小童妖怪など、恐るるに足りません」


 男の眼には絶対の信頼の色が浮かび、神奈子を見つめる。


「……それに、この前の黒い少女も、神奈子様のお力で撃退されましたし」


「ふん、あの程度の集団なら私自ら動く程でも無い。だが、この地域も化け物の侵入が増えているという。
 早めに対策を打たなくては、被害が大きくなるばかりだ」


「全国で起こっている事件も同様の化け物の仕業でしょう。政府はどうも隠匿しようとしているようですが……、
 まったく、国を預かる者として情けない……」


「嘆いても仕方ない。自分の国は自分で守るのが昔からの習わしだ。
 私達はただ、愛する『国』という家族を守ればいいさ」

 諏訪子が戻ったら教えてくれ、と男に言い残し神奈子は境内の奥へと消える。
 男は一礼して見送り、顔を上げる。

「おやっ、」

 雲行きが怪しくなってきた。
 朝はあんなに晴れていたのに……。


「諏訪子様と早苗は傘を持って行ったのだろうか……心配だのう」
 

 男は空を見つめる。
 じきに雨が降るのだろう……。










「ヤッタ――!! 遂に、手に入れたぞ!」


 嬉しそうに飛び跳ねる、少女が居た。
 黄金に輝く髪をセミロングで切り、揉み上げを紅い紐で結い上げている。
 現代日本では珍しい壺装束を改造した和服を着て、極めつけは被った帽子が事の他奇妙だった。
 真中の巾子が特徴的な市女笠で、両角に何かしら目玉のような付属品が付いている。


「諏訪子様! あんまりはしゃぐと転びますよ!」


 元気よく楽しそうに駆けまわる少女に追いつこうと、東風谷 早苗は走る。
 両手に一杯の買い物袋を掲げ、荷物を落とさないように気をつけながら。
 それでも、目の前の少女は聞こえていないのか、早苗に買ってもらった袋を両手に抱え、
 トランポリンを使っているのではないかと疑う程の跳躍力で、どんどん先に進んでいく。


「待って下さいよ~諏訪子様! あっ諏訪子様。そ、空見て下さい!」


 先程まで照り返っていた太陽が身を沈め、灰色の雲が空を覆っている。
 商店街の中ではわからなかったが、空気も湿り気を帯びてきたように感じる。


「まいったな~傘持って来てないですよ……」


「大丈夫だよ!! 走って行けば夕立には間に合うって!」


 そう言って笑う諏訪子。その手には大切に握り締めた最新のゲーム機が握られている。
 『Wii』というゲームが発売され、行く度かの交渉の結果……、
 遂に早苗に買って貰える事が決まったゲームだった。
 これだったら、神奈子と一緒に遊べる。
 何時までも子供の容姿をしていて、中身も子供らしい諏訪子とは違い。
 神奈子はもう大人の女性だった。
 年齢は左程変わらないが意識の問題だろうか。
 神奈子はあまり遊ぶという事はしない。
 神としての威厳、世間体というのもあると諏訪子は理解している。
 だが、楽しい事は楽しいと素直に楽しめるのは素晴らしい事だと諏訪子は思う。
 それに……最近は昔と比べて誘惑が多い。
 諏訪子としては良い世の中になったものだ、と日々を楽しんでいるが神奈子との距離も感じていた。

 外で遊べ無いなら家で遊ばなきゃ、これだったら室内で楽しめるでしょ。
 周りの目を気にする事無く私と神奈子と早苗の三人で――。
 一緒に買ったソフトの裏面を眺めながら、夜の対戦をシミュレートする。
 堅物な神奈子もこれで一緒に遊べば、少しは理解してくれるはずだ……。
 漸く肩で息をして、追いついた早苗を待ってからゆっくり歩き出す。


「諏訪子様は、いつも楽しそうですね」


「そうだよ。だって楽しいもん!!」


 満面の笑みを浮かべる諏訪子を見て、早苗が微笑む。
 どうか何時までもこの幸せが続きますように、と……。
 早苗は神社の娘として生まれてすぐ、諏訪子と神奈子と出会った。
 二人は神様というよりは姉のようでもあり妹のようでもある。
 家族同然だった。
 物語に出てくる自分しか見えない神様というものでも無く、自然に、普通に暮らしている。
 不思議だとは思わなかった。それが当たり前だと思っていたから。

 両手に抱える食料品。
 その中にあるこっそり買ったキャラメルを取り出す。
 神奈子あたりから、無駄使いはするなと怒られそうだが、たまにはいいだろう。


「お~いし~い!」


 諏訪子は、早苗にキャラメルを口に入れて貰いほくほくだ。
 実際、早苗のお金も神社のお賽銭から一部充てられている。
 必要最低限。
 そう口を酸っぱく神奈子は言うが、諏訪子の言う必要最低限と差が開きすぎる為どうも喧嘩になるようだ。
 先程のゲーム機も、ほとんど早苗のお小遣いから出し、
 神社から預かったお金は、ギリギリ足りなかった消費税分しか使っていない。
 神奈子にどう言って誤魔化そうか頭を過ぎるが、何とかなるだろうと楽観的だ。
 早苗はどうも……諏訪子の訴えるような瞳に弱いのだ。
 



 ――ポツ、ポツ、


「あ~本格的に振り出したな……」


「諏訪子様、濡れるといけません。そこで雨宿りしましょう」


 少し小走りに使くの商店の軒を借りようと、早苗と諏訪子は走る。
 そこで、ふっと――諏訪子が足を止める。

「どうされました!? 諏訪子様……」

 諏訪子は振り出した雨の中佇む。
 目を瞑り、何かに耳を澄ますように……。

「……」

「諏訪子……様?」

「……神奈、子」

 諏訪子は突然、荷物を早苗に預け走り出す。


「わ、どうしたんですか!? 諏訪子様!!」


「神奈子の身に何かあったんだ!! 私は先に行く!!」


 諏訪子はそれだけ言い残し、体を空中に浮かせ、飛んだ。
 普段、人間社会に溶け込むよう努めている諏訪子は、滅多な事で力を使わない。
 神通力も、空を飛ぶ事さえほとんど無いのだ。

 それが周囲の人目も憚らず、力を行使した事で緊急事態である事を告げる。
 早苗は理解し、諏訪子の荷物も抱え守矢神社へ向けて走り出す。


 雨足は速くなり、遠くでは雷が鳴っていた。









「……結界が破られた!?」


 机に向い書き物をしていた神奈子は立ち上がる。
 異常が起こっている。
 結界とは守矢神社を守護するため、神奈子と諏訪子が施した二重結界である。
 大和の時代より、数千年の間一度たりとも破られた事の無かった結界が破られた。
 これが意味する事は一つ。
 ――侵略だ。


「じぃ!! 居るか、じぃ!」

 『じぃ』と呼ばれた宮司姿の初老の男が現れた。
 神奈子の珍しく慌てた様子に、表所を固くする。


「神奈子様! どうなされましたか!?」

「結界が破られた」

「何と!?」

「すぐに、参拝客の避難を、皆を集めよ!」

「御意!」

 男は急ぎ境内を走って行く。
 守矢神社は平日でも参拝客が多い。
 敵の戦力は未知数だ。だが、結界を破る程の実力を持っているのは確かだ。
 最近、巷を騒がせている化け物もこの結界を破る事はできない。
 真っ先に浮かんだのは、黒い少女の妖怪。
 確か……ルーミアと言ったか、
 神社のすぐ近くの街を化け物の群れを率いて現れ、
 神奈子が数度手合わせしただけで、逃げて行った。


 あれが単なる様子見で、今日が本命だとしたら……。
 ならば納得はいく、いくらルーミアといえ結界を超えられなかった。
 そのため周囲の街を襲い、神奈子をおびき寄せたのだ。
 神奈子の力量を測る為に……。


 神奈子は焦る。

 いくら強力な妖怪と言えど、結界を破る程の実力者がいるとは思わなかったからだ。
 ルーミア程度なら何とでもなるが、それより上位の者が来た場合、
 負けるとは思えないが、被害は拡大するだろう。
 結界が破れた後、この妙な静けさ……。
 不気味な事この上なかった。
 だが、神奈子には分かる。神社を包み込む絶大な妖気。
 極寒の針の筵のような心境だった。





 神奈子は境内の外に出る。
 数人の職員が参拝客の誘導をしている。
 だが――、


 闇が、世界を支配した。

 一瞬で視界の全ての光が消え失せ、

 そして――闇が晴れた。


「逃げろぅおおおおおおおおおおおおおッ――!!」


 神奈子の絶叫が響き渡ると同時に、参拝客の老人の首が――飛んだ。
 老人の家族らしき女性は、自分の目の前の出来事なのに反応しない。
 表情に変化が無く、ただ飛んで行く自分の親の首を眼で追う。

 老人の首が遠くの地面の着いた瞬間、
 自分がまだ生きていると信じている老人の体は、
 心臓の鼓動と共に、自分の血を勢い良く脳へ運ぼうとする。
 その為――紅い噴水が生まれた。


「ギャアアアアアアアアアッ――――!!」


 別の参拝客の女性の叫びと共に、
 人々の悲鳴、怒号、恐怖の叫びが巻き起こる。
 
 ――グールの大群だった。
 神社を取り囲むように化け物が次々と溢れ返る。


「ちぃッ!」


 神奈子は舌打ちをして飛ぶ。
 両手の手が光輝き、参拝客を襲うグールへ気弾を放つ。
 狙いは違わず、グールの数体を葬り去る。


「神奈子様ッ!!」


 職員の一人が叫ぶ。

「己々、各個応戦しろッ! 何としても守れ!!」

「御意!!」

 職員達も動く。
 伝統ある守矢神社。その責務を務める職員も、普通の神社に務める職員とは違った。
 昔ほど霊力に長けた者がいない現代でも、戦闘訓練は一通り受けていた。
 各自、携帯していた武器を取り出し応戦する。
 神社境内より専用の武器を持ち出す職員も居た。

 だが、人数では圧倒的に足りなかった。


 いくら訓練を受けているとは言え、霊力を持たない普通の人間。
 現代では早苗のように霊力がある人間自体珍しい事なのだ。
 早苗と諏訪子が戻ってくるまで持ちこたえれば……。
 神奈子は襲い掛かるグールの群れへ次々気弾を放ち、撃破していく。




「はっ!?」


 神奈子の真上からの斬撃、死角からの遠慮の無い一撃を咄嗟の判断でかわす。


「ルーミア、か……」


「この前は、どうも」


 無邪気な紅い笑い。
 十字架を思わせる漆黒の剣を担ぐように構え、黒い少女がそこには居た。


「何をしに来た?」


「何って? 当然、御参りに決まってんじゃん。御礼参りって、ね」


 ルーミアは左手より巨大な闇の弾丸を神奈子へ向けて放つ。
 神奈子は跳躍し、余裕を持って避ける。
 神社を背にし、ルーミアを睨みつける。

「お前、結界をどうやって破った!?」


「――あら、私の事かしら?」


 神奈子はゾッとして背後を振り返る。
 本殿へと続く階段。
 そこへハンカチを敷き腰掛ける、日傘を差した少女が居た。
 桃色のドレスにナイトキャップ、そこから覗く薄紫色の髪。
 その背中からは蝙蝠を思わせる漆黒の羽。
 そして何より印象的な血のように何処までも紅い瞳。
 
 こんなにも巨大な存在が――、
 声を掛けられるまで気づかなかったなんて……。
 『化け物』
 グールような分かりやすい存在では無い。
 ただ居るだけで、周囲の空間を支配してしまう程に。


 神奈子はその少女の目線が合った瞬間、巨大な影の手が自分を握り潰したような錯覚を覚える。
 冷汗が流れ、目を離せないでいるとその少女の横より紅茶のカップが差し出される。

「お嬢様、紅茶が入りました」

 少女のすぐ横、従者らしきメイド服を着た女性が畏まって居た。
 紅茶を受け取った少女は優雅に香りを嗅ぎ、口に含む。
 神奈子の背後にはグールの群れが参拝客を襲っている。

 その恐怖の叫びや喧騒。
 少女の居る所だけ、その全てと隔絶されていた。
 

「何者だ!」


 神奈子の押し殺したような低い声にも動じず、
 少女は上品な仕草で紅茶のカップを置く。

 少女はゆっくりと神奈子を見つめる。品定めをするように……。
 そして、少女は静かに名乗りを上げる。






「私はレミリア・スカーレット。偉大なるツェペシュの末裔……吸血鬼よ」
 



















―第二十話 「永遠に幼い運命」、完。




―次回予告。
≪助けて、
 助けて下さい。
 私の力ではどうする事もできません。
 何でもします。私にできる事なら何でもしますから――、
 だからどうか……。

 次回、東方英雄譚第二十一話 「生贄の羊」 ≫




[7571] 第二十一話 「生贄の羊」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/05/21 00:16


 悲鳴が聞こえ、首が飛ぶ。
 怒号が聞こえ、首が飛ぶ。

 血が飛んで、神社を染め上げていく。

 雨音が強くなり、飛び散った血飛沫を洗い上げる。


 人々は恐怖のあまり逃げようとするが、逃げる先々を囲まれる。
 神社の職員も神奈子の命令通り、参拝客を守ろうと動く。
 だが、戦闘訓練を受けてはいても、実践の経験が無い者がほとんどだった。
 守るどころか、自分の身さえ守るのが精一杯なのだ。


 ――その中に、大きな羽を持つ少女は、居る。
 優雅に、妖艶に、目の前の惨劇を楽しそうに見ながら……。

 神奈子は理解する。
 元凶はこの眼の前に居る少女だと……、神奈子の右手に漆黒の柱が出現する。
 それを水平に構え、槍の様に前方へ突き出す。
 一瞬の出来事だった。

 普通の人間では何が起こったかわからなかっただろう。
 音は無い。
 神速で繰り出された柱は、レミリアと名乗った少女の顔面を捉える。
 巨大な柱の重量は並では無く、それを難なく操る神奈子の剛力は驚嘆するものだった。




 ――だが、

「えっ!?」

 少女は掻き消える。
 たった今、目の前に居た少女と従者らしき女性も居ない。
 どこに消えた……?

「くっくっ……」

 否。
 消えたのでは無い。少女は私のすぐ横に居た。
 私は目の前の少女に柱を突き出したはずだ、何故私の方が移動している!?
 噛み殺したような笑い声が聞こえる。
 ……何を、

「貴様……何をした?」

 少女はもう耐えきれないと、声を上げ笑い出す。
 明らかに侮蔑の色を帯びた嘲笑。

 私は問答無用で、右手に持った柱を横凪ぎに振り抜く。
 神社が多少壊れようがどうでも良い。
 それは、この少女を始末してから考えればいい事だ。

「またっ!?」

 今度は柱の届かない間合いまで移動している。
 神奈子の背筋に寒気が走る。妖術の類としても何時の間に発動したのか?
 すでに相手の術中に嵌っているのか……。

「神様って言っても、大した事無いのね……」


「黙れ!」

 神奈子は少女に一喝する。体中の血が沸き立つのを感じた。
 遠慮の無い侮辱の言葉。
 自分を侮辱すると言う事は、今まで自分を信仰して来てくれた人々の願いも侮辱する事だ。
 その言葉、許すわけにはいかない。
 レミリアはつまらない物でも見るように、視線を外す。

「咲夜。貴女が遊んであげなさい。私の出る幕はなさそうだから……」

「はい、お嬢様」

 レミリアの声に従者らしき女性が、神奈子と相対する。
 神奈子はレミリアを睨む。

「吸血鬼風情が……」

 その言葉にレミリアは不機嫌になる。

「どういう意味かしら?」

「知っているぞ、確か水に弱いんだったな……弱点だらけの癖に、威張るじゃないか」

「戯言ね。文句は咲夜を倒してから、聞いてあげるわ」

 神奈子の挑発をレミリアは一蹴し、咲夜と呼ばれた従者が前に出る。

「よろしくお願い致します」

 普通の人間の女性に見えた。
 不思議な霊力も妖力も感じない。
 だが、その女性には今まで感じた事の無い、凄味があった。
 女性は優雅にお辞儀をして、名乗りを上げる。

「私はレミリアお嬢様にお仕えしているメイド、十六夜 咲夜と申します。お見知りおきを」

 咲夜と名乗った女性の右手に光が煌めいた。
 その瞬間三本のナイフが、目の前に迫る。
 それを神奈子が、柱で難なく撃ち落とす。

「ずいぶんな……挨拶だな、人間」

「御奉仕させて頂きます、神様」














 ――場所は変わり、商店街の外れ


「はぁ……はぁ……」

 早苗は肩で息をしていた。
 諏訪子の飛んで行った方向、守矢神社の方だった。
 そこへ向かい重い荷物を背負ったまま全力で走るが、流石に体力の限界が来た。
 緊急事態だとは諏訪子の様子でわかった。
 ……確か神奈子に危険だと言っていたが、
 早苗はそこで、街の様子がおかしい事に気づく。

 ……人が少ない。
 ……そして、悲鳴が聞こえた。

「な、何?」

―キシャアアアアアアッ!!―

 次に聞こえたのは人間のモノとは思えない、声?
 閑静な住宅街、その十字路の先に異様な気配を感じた。
 早苗は咄嗟に懐から札を取り出す。
 守矢神社の巫女を務めているだけあって、早苗は戦闘訓練を受けている。
 そして、現代では珍しく霊力を持ち、それを自在に操る数少ない人間だ。
 奇跡の力と讃えられている事から『現人神』と呼ばれていた。

 早苗は気配を感じる方向へ意識を向ける。
 気持ちは既に戦闘態勢を整えていた。



 十字路より、緑色の怪物が踊り出てくる。
 視線が交差し、襲いかかってくる。

「ぐ、グール!?」

 早苗は跳躍して、グールの攻撃を避ける。
 体中緑の皮膚に覆われた、虫のような形をしていた。
 グールの事は親戚の霊夢や、そこに居候中のチルノという少女から聞いていた為、
 守矢神社の方でも神奈子と諏訪子と共に用心をしていた。
 報道規制が敷かれているのか、確かな情報が伝わって来ない現状で、自衛の手段は限られる。
 守矢神社の周囲では結界を張り、グールが街への侵入して来るのを阻止していた。
 だから、話には聞いていたが実際に相対するのは初めてだった。


 異様。
 普通の住宅街に存在している異物。
 早苗は守矢神社の巫女として、この存在を許しては置けない。
 異物を排除しなければならない。

 早苗は自分に気合を入れ、札を取り出す。
 グールが現れたという事は、結界が破られたと同義だ。
 つまり、グールがこの一体だけとは限らない。
 裏で糸を引いている者がいる可能性が高い。
 早々に始末して、諏訪子達と合流しなくては……。


「敵と認識させていただきます。覚悟はよろしいですね?」


 早苗の問いに、グールは猛り狂って答えた。












「……お前……はぁ、はぁ……本当に、人間か!?」


 神奈子は肩で息をしながら、目の前に居る咲夜と名乗る女性を睨みつける。
 戦闘は均衡状態に陥っていた。
 綺麗に整備された神社の庭も、神奈子の気弾で盛大に抉られ見る影も無い。
 咲夜の物と思われるナイフが、あちこちに散らばっている。

「私は紛れも無い人間です。ただ、少し普通とは違う力を持っていますが……」

 答える咲夜はナイフを掲げる。
 咲夜の姿が揺らいだと思うと、既に移動しており、ナイフの雨が神奈子を覆う。
 神奈子はちっ、と舌打ちをして柱で弾き落とす。
 それと同時に気弾を咲夜に向けて放つが、再び姿が消え当たる事はない。
 先程からの攻防はこんな感じだった。

 力では圧倒的に神奈子が勝っており、放つ気弾の一つ一つが人間には致命傷に至る程重い。
 だが、当たらなければ意味が無かった。
 どんなに強力な一撃を放とうとも、力を分散して散弾銃の様に放ったとしても難なく避けてしまう。
 その動きが神奈子には認識できなかったのだ。
 その妖術の正体が掴めず、唯悪戯に時を刻んでいた。

「ふぁ~あ……咲夜、つまんないわ。もう遊ばなくていいから、さっさと殺しちゃってよ」

「わかりました。お嬢様」

 頬杖をつき、心底面倒臭そうに呟くレミリアに咲夜は答える。
 そのやり取りに血管が切れそうになる神奈子。
 だが、レミリアの方を見た瞬間、表情が変わる。

 レミリアの背後。音も無く忍び寄る影があった。
 手には小刀を持ち、レミリアの首を目掛けて一気に振り下ろしていた。

「この化け物めが!!」

「じぃぃいいい! 止めろぉぉおおおおおッ―――!!」

 神奈子の絶叫が響く。
 だが、それは遅かった。
 レミリアの羽が動き、容赦無く、背後に迫る襲撃者を排除した。
 じぃと呼ばれた男の首が跳ねたのは、神奈子の絶叫と同時だった。
 レミリアは首を抱えると、紅茶のカップに首から滴る血を注ぎ――口へ含んだ。

「あら、B型ね。私の好みわかってるじゃない」

 レミリアの場違いな言葉が、凍った空気を支配した。

「き、貴様ぁあああああああああああああ!!」

 神奈子は巨大な気弾をレミリアへ放つ――レミリアは日傘を開いてそれを余裕で受け止めた。
 神奈子は柱を両手に抱え、跳躍する。その日傘ごと叩き潰す為に。
 その柱はレミリアには届かなかった。
 神奈子の全力を込めた一撃はレミリアの日傘一本で止められたのだ。
 咲夜の様に避けるでも無く、真正面から堂々と受け止められたのだ。
 片手だけで……。
 レミリアは無造作に振り払う。
 それだけで、神奈子は吹き飛ばされた。
 そのあまりの力に神奈子は驚く、未だかつて力比べた負けた事は無かったからだ。
 その表情を察して、レミリアは嘲笑する。


「何時までも神様が一番強いという思い込み、止めた方がいいわよ。
 こんな田舎に引き籠ってお山の大将でふんぞり返っているようじゃ、たかが知れるわね」



――ガッガッ!


「うぐああああああああ!!」


 神奈子は、地面に付いていた手をナイフで固定された。
 苦悶の表所を浮かべ、目の前に現れた咲夜を睨みつける。


「可哀そうだから、教えてあげるわ……咲夜は時を止める事ができるのよ」


 通り雨だったのか雨は止んで、曇天となった灰色の空は今にも落ちて来そうだった。
 レミリアは日傘を折り畳みながら神奈子の方へとゆっくり近づいてくる。

 そんなバカな!!
 神奈子は自然の理に反した能力に疑問を抱く。
 神の身である自分でさえ、そんな力は無い。
 人の身には有り得ない、異常な力。
 混乱する頭が重く、鈍い。
 それでも神奈子は叫ぶ。


「お前達は何が望みだ! 何をしにここへ来た!!」


「そうね……こういうのはどうかしら――」


 レミリアは折り畳んだ傘を、神奈子の喉元に突き付ける。



「神殺し」


 笑うレミリアの眼は、狂気に彩られていた。
 神奈子の自信は完全に砕かれていた。
 自分の全てが目の前の敵に及ばない事を悟った。




 ――ヒュッ、と音がした。


 その瞬間、神奈子の喉元に突き付けられた傘は真横からへし折られていた。
 目の前を通り過ぎた物体。
 それを眼で追いかけていくと、ブーメランのように投げられた方へ戻って行く。



 ――パシッ、と鉄製の輪を受け止めた、洩矢諏訪子がそこに居た。


「神奈子ッ! 大丈夫!?」

 全力で飛んで来たのか、息が上がっている。
 それでも神奈子は安心したのもつかの間、諏訪子へ向け叫ぶ。

「逃げるんだ、諏訪子!! こいつ等の力は尋常じゃない、逃げろぉおおお!!」

 必死で声を張り上げる神奈子。
 だが、諏訪子は既にレミリアと咲夜を敵と認識し、狙いを定めていた。

「……確か、守矢神社は二柱。あれが洩矢諏訪子か、咲夜!」

「了解しました」

 レミリアの意図を汲み取り、咲夜は事務的に応える。

 ――そこへ、予期せぬ事が起こる。



「うぅおおおおおおおおおおおおお!!」


 地面にナイフで固定されていた腕を、肉が引き千切れるのも構わず動かし、
 神奈子は両手を掲げる。
 そして、最大の力で気弾を――諏訪子へと放った。


「なっ!?」


 諏訪子は神奈子からの予想外の攻撃に、回避の動作が遅れる。
 そして、衝撃を緩和しようと手に力を集中させるが、
 神奈子の全力の気弾を相殺仕切れず、遠くへ吹き飛ばされた。




 ――ドンッ


「……やってくれたわね」

 レミリアの憎々しげな表情を露わにし、神奈子の後頭部を睨みつける。
 レミリアの右手には槍が握られており、その槍の先は神奈子の腹部を貫き、地面へと突き刺さっていた。

「――ガッ、ハァ……ハァ」

 血を吐き出し、神奈子はあまりの激痛に意識が遠のく。
 レミリアは腹部を突き刺した槍を、患部を拡げるように捻じる。

「ぐっがあああああああ!!」

 苦悶、絶叫。
 既に開いた腹部から内臓が飛び出し、地面へと零れ落ちる。
 レミリアはそれをかき回すように、槍を操る。
 
「昔、イエス・キリストは十字架に磔になっても復活という奇跡を起こしたわ。
 貴女も神の端くれなら、復活してみなさい……」

 既に虫の息の神奈子にそれだけ言い残し、レミリアは身を翻す。

「後始末は任せるわ」

 それだけ咲夜に言い残し、
 レミリアは無数の蝙蝠の姿となって、消えた。 










 ――血に染まる地面に、神奈子は倒れた。



 薄れ行く意識の中、諏訪子と早苗の事を思う。
 諏訪子には心の底からすまない、と謝る。
 神奈子が全力を出しても勝てなかった相手だ。諏訪子が参戦した所で勝てるとは思えなかった。

 悪戯に犠牲が増えるだけなら、それなら生贄は私だけで十分だった。
 どうか……生き延びて欲しい。
 諏訪子と会ってどれぐらい経ったのだろうか……何時も喧嘩ばかりしていたように感じる。

 何時までも子供のままの諏訪子に時々呆れ、時々慰められ。
 それでも一緒に時間を生きてきた家族として、諏訪子を愛していた。
 一緒に遊んで上げられなくて、ごめん。
 そう思うのが、
 こんな最後になるなんて……本当にごめん。




 早苗……何時も迷惑ばかり掛けていたな。
 ありがとう。
 諏訪子がこんなに楽しそうに、時間を過ごせたのは早苗のお陰だ。
 神と言うだけで、人間はどうしても距離を取ろうとする。

 早苗、
 お前ほど分け隔てなく、私達の中に飛び込んで来てくれた人間は、
 初めてだった。

 諏訪子も良い遊び相手ができた。
 私の分も一杯遊んで上げておくれ。









 二人とも――、












 達者でな……。





















 ―第二十一話 「生贄の羊」、完。



 ―次回予告。
≪消えた優しい笑顔。彼女の夢,未来。どれほど悔やんでも取り戻せない、
 それは認めがたい思いと共に諏訪子の心をさいなむ。
 これが定めか?
 復讐に燃える心に、道は一つしか残されていなかった。


 次回、東方英雄譚第二十二話 「山猫は眠らない」 ≫





[7571] 第二十二話 「山猫は眠らない」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/06/01 00:16


 早苗は独り戦っていた。
 守矢神社の巫女として、現人神と讃えられた人間として諦めず戦った。

 だが、いくら倒してもキリが無く。
 グールはどこからあふれ出て来たのか次から次へと現れ、街を飲み込んでいった。
 逃げ惑う人々を必死に誘導し、皆の盾となって死に物狂いで戦った。
 戦いの恐怖よりも使命感の方が勝った。


「どれだけ……いるの……?」


 力を使い過ぎて身体が思うように動かない。
 生命力を根こそぎ使い果たしたようだった。


「……こんな事なら、訓練をしっかりしておけば良かった」


 肩で息をしつつ早苗は自分に対し愚痴を言う。
 早苗は真面目な少女だった。
 訓練をサボっていたわけでは決して無く、ただ実感がわかなかったからだ。
 昔ならいざ知らず、信仰心の薄れた現代社会において、
 巫女としての力を使う事などまず起こり得なかった。
 訓練以外で力を使ったことすらなく、唯ひたすら与えられた巫女としての修行をこなす日々。
 そのツケが、今になってきたというだけだ。

 苦笑しつつ、必死に札を操る早苗。
 その間もじりじりと追い詰められ、敵の多さに辟易する。
 辺りは人間だった者の成れの果て、
 見るな。
 見てはいけない。
 見た瞬間、体が固まってしまう。
 今は目の前の事だけ見るんだ!


「はぁあああああああああ!!」
 

 気合一閃。
 生命力を起爆剤として霊力を生み出す。
 グールの一体に札が飛んで行き、グールが呻き声を上げて倒れ、砂と化す。


「はぁ……はぁ……」


 限界だ。
 力を使い過ぎて意識が遠のく。目眩がする。
 一瞬の集中力が切れ、
 その瞬間、視界が揺れた。
 

「きゃあああああああああああ!!」


 早苗は鞠のように弾き飛ばされ、コンクリートの壁へと叩きつけられる。

「が、はぁ」

 全身の骨が、折れてしまったんじゃないかって思うくらい痛い。
 疲労も有り、うまく……立てない。
 頭を振るって意識を覚醒させようとしても、苦しい。
 札は……もう無い。


「……神奈子様……諏訪子様……申し訳ありません」


 私はもう……。
 諦め、
 だが、後悔は無かった。
 自分でできる事はやった。全力で、でも結果は出なかった。
 許せないのは自分の力の無さ、『現人神』といっても存外大したこと無いと自嘲する。
 後は目の前の化け物共に喰われてしまうだけだ。
 早苗は覚悟して目を瞑る。
 それで少しは死の恐怖が和らげば良いと、願いを込めて。
 目を開ければ、私は取り乱してしまうかもしれない。
 それは守矢神社の巫女として、恥だ。
 最後ぐらい、勤めを果たそう……そう思った。


―キシャアアアアアアッ!!―








 あれ?
 おかしい。
 何時までも来ない化け物の攻撃。
 私は……恐る恐る、目を開く。

「ひ、ひぃ!」

 視界一杯に化け物のおぞましい顔。
 だが、何かおかしい。

「……凍って、る?」

 空からは、きらきらと輝く宝石のように渦巻く氷の欠片。
 ダイヤモンドダストだろうか……。
 世界が終わりを迎えたように時間を止め、生物を凍りつかせる極寒の竜巻。
 だが、不思議と早苗の周囲の空間だけは凍っていなかった。



《Freeze vent『パーフェクトフリーズ』》


 電子音が聞こえ、その方向へ早苗が振り返る。


 ――よく、思う。
 『ヒーロー』の定義ってなんだろうか。
 よく物語で出てくるのは自分がピンチの時、真っ先に駆けつけてくれて敵をやっつけてくれる存在。
 だがそれは物語の中、虚構の現実で。
 実際にはいないと、早苗は理解している。
 それでも想像はしてしまう。こんなに苦しい、辛い、誰か助けて、と。
 現実は非情で優しくない。
 誰にでも平等な優しさなど、存在しないのと同様……絶対無敵なヒーローも存在しない。
 少女にとって、王子様のキスが白馬の騎士なら、
 少年にとって、強大な敵に立ち向かうのが勇者だ。


 でも、それでも。
 早苗は心の中で、待っていたと叫んだ。

 ――ヒーロー参上、と――



「……大丈夫?」

 あどけない声とは裏腹に、特殊なスーツに身を包んだ人物が立っていた。
 この人を……この少女を知っている。
 実際に戦っている姿を見たことなかったが、この声と雰囲気、間違いない。


「チルノさん!!」

 チルノと呼ばれた人物は無言で頷き、右手を空中に差し出し何かを握りつぶす様に、右手を握り締める。

 その瞬間――、
 周囲に凍っていたグール達が粉々になって崩れ落ちる。


「早苗ちゃん!!」

 そして自分の名前を呼び、掛けてくる少女と目が合う。

「霊夢さん!」

「大丈夫!? 怪我は!」

「私は大丈夫です。それより、神奈子様と諏訪子様が!!」

 霊夢に肩を貸してもらい起き上がった早苗は、守矢神社の二柱を心配する。
 神社とはほぼ無縁だった霊夢も、前に早苗から聞かされていた神様の二人だ。
 霊夢は頷き、

「わかったわ。それより――」

「――今は化け物退治だぜ!!」

 霊夢のセリフを掻っ攫う形で、霧雨魔理沙が言い放つ。
 同時に魔理沙は両手を自分の前方へ突き出し、狙いを定める。
 そこには八卦炉が握られていた。





「マスタッアアアアアア――」



      「ちょ、ちょっと魔理……」



「スパァアアアアアアアアクッ―――!!」


《Master spark》


 耳をつんざく轟音。
 太陽の輝き。
 その全てが飲み込まれていき、後に残ったのはグールだったモノらしき残骸と、
 光が通った後と思われる道が出来ていた。


「良しッ!! やっぱ必殺技は名前が必要だよな~」


「魔理沙!! 何が良し、よ! いきなり何てものぶっ放して、危ないじゃない!!」


「大丈夫だよ。ちゃんと制御したし……それに早くこっちを片づけて、その神様とやらを助けに行くんだろ!?
 ちまちまやってたらキリ無いぜ」

「……それも、そう……だけど」

 魔理沙の言い分ももっともだと、霊夢も思ったのか言い澱む。
 チルノはやれやれと、溜息をつく。
 そこへ、勢い良くドリフトして霊夢達の前に止まった車があった。


「皆さん、大丈夫ですか!?」


 車の窓を下げて、文が顔を出す。


「文さん守矢神社へお願い。大変な事になっているみたいなの」


「わっかりましたッ! お任せ下さい!!」

 そして……閑静な住宅街に、鋭いタイヤの摩擦音が響き渡った。














『お前は何時まで経っても子供だな……』


 五月蝿い五月蝿い五月蝿い。
 いいんだ、私は。私はこの姿が気に入っているんだ。
 何さ、大人ぶっちゃって。
 そりゃ……体形だと負けるけど……。
 大体、年はそんな違わないじゃないか!


『お前は何時も遊んでばかりだな……』


 いいだろ別に。やる事はやっているんだから文句言うな!
 遊びは子供がやることだと、決めつけるのが神奈子の悪い癖だ。
 良い大人とは『良く』遊ぶ大人の事だ。
 遊びのなんたるかを知らず、ゆとりの無い生活を送る何て真っ平御免だ。
 私はこれが楽しいんだ。面白いんだ。
 邪魔するな!!


『お前は何時も――』


 私は……何時も……、
 神奈子と喧嘩していた。
 神奈子の小言に私が反発する形で、何時も言い争っていたように思う。
 最近では早苗が仲裁に入ってくれて、大げさになる事は少なくなったが。
 それでも喧嘩は日常茶飯事だった。

 神奈子は悔しいぐらいに正論を言う。
 溜息をついて、やれやれと言いながら注意してくる。



『――何時も、泣いているな』

 神奈子……いつものように小言をいってよ。
 神奈子……今日のおやつは神奈子の好きな柏餅だよ。一緒に食べようよ。
 神奈子……ゲーム買ったんだ最新の……メカ音痴の神奈子でもこれだったら楽しめるよ。

 ねぇ、返事してよ。
 私が話してるんだよ。私の目を見てよ。
 こんなに服を汚して……綺麗好きな神奈子が珍しいよね。早く早苗に洗ってもらおう。
 ほら、私の服も汚れちゃった。血って染みるんだよ。落ちなくなるよ。


 私は寒空の下、眠ってしまった神奈子を起こそうと必死に呼ぶ。
 何度も呼んで、体を叩いてそれでも起きない神奈子にイライラして、


「……ぃてよ……起きてよ……神奈子」

 
 わかってる。わかってるんだ。
 今、神奈子は……死んで、るんだ。
 正座を崩したように座り込み、体は俯いていた。
 背中から禍々しい紅い槍に体を貫かれ、地面に突き立てられて、腕は力無く弛緩していた。
 瞳は開かれ、目に光は無かった。ただの暗い深淵。



 神社へようやく辿り着いた時、全ては――終わっていた。
 地獄とは、こういう事をいうのだろう。
 辺りは血で汚れていない所など無く。
 神社へ参拝に来た客であろう人々の中に、見知った顔があり、
 首より下は無残に食い荒らされた後。
 倒れ伏す人の中には顔がひしゃげて、脳髄を零れさせていた。

 その中央――、
 祈りを捧げるように座り込む女がいた。
 良く知っている。間違えるはずも無い。
 否、間違いであって欲しかった。
 神奈子が、あの神奈子が負けるはずなんて無い。
 彼女の力を知っている自分が良くわかる。
 でも、でもでもでも。何で、何で――、
 


 私の頬に、知らず知らずの内に涙が伝っていた。
 どうしよう。私はどうすればいい?
 私は……。





 ――リンッ、

 澄んだ鈴の音が聞こえた。
 音は思いの他近くに聞こえ、さっきの妖怪が戻って来たのかと思った。
 だが、違った。
 神社に参拝に来ていたと思われる人間達の死体、そこに一輪車を押してゆっくり歩いてくる少女が居た。
 ……あれは?
 
 その少女は血のように紅い髪をしていて、左右をおさげに編んでいた。
 頭には猫の耳のようなものが付いていて、緑色のワンピースを着ていた。
 その一輪車に載せているのは……霊魂?
 私は警戒しつつ、その少女に問いかける。

「……貴女は……誰? 妖怪?」

 一輪車を押していた少女はこちらに気づき、顔を向ける。

「あら、生き残り? この度はご愁傷さまでした」

 そのあっけらかんとしたもの言いに、私は怒りが込み上げてくるのを感じる。

「貴女……死神?」

「いいえ、私は火車っていう単なる妖怪よ。まぁ、死神のお手伝いかな。
 おや、その人も死んでるね?」

 少女は私の眼の前に居る神奈子の死体に目を止める。

「だ、ダメ!! 神奈子を、神奈子を連れて行かないで! お願い!!」

「そう言われても、こっちも仕事なんだけどな……邪魔しないでよ」

 おさげの少女は面倒臭そうに諏訪子を見つめる。
 彼女は火車という種族の妖怪で名を、火焔猫 燐という。
 彼女は面倒臭い事が嫌いだった。
 自分の自由に、自分の勝手気ままに生きるのが信条で、
 今回の事も、知り合いの死神にどうしても手が足りないと懇願されたから致し方無く、だ。
 当然、お礼は弾んでもらうが、こういうクレーム処理は契約には無い。


「神奈子は渡さない!! どうしても……連れて行くなら……」

「……行くなら?」

「貴女を殺すわ」

 諏訪子は両手に鉄輪を握り、少女を威嚇する。
 諏訪子自身。これは身勝手な八つ当たりだと自覚していた。
 だが、このやり場の無い怒りが理性の箍を外し、思考を妨げた。
 こんな事をしても意味が無い。寧ろ自然の摂理を歪める行為だ。

 神として失格だ、そう神奈子には怒られるだろう。
 何時まで経っても子供だ、そう神奈子に諭されるだろう。
 だが、もう――いない。
 私が馬鹿をやった時、たしなめてくれる親友はもう……、

「やろうっての? 面倒臭いな……」

 そう呟くと、燐の周囲に鬼火のような青白い炎が現れる。
 怨霊のような呻き声を上げて。

 燐はふわりと空中へ浮き、両手を拡げる。
 戦闘態勢が整い、瞳には殺意が浮かぶ。
 諏訪子も鉄輪を両手に掲げる。





 ――すぅーと、

 燐の首に刃物が現れた。
 諏訪子は燐の武器かと思ったが、違った。
 燐もいきなり首筋へ現れたモノに青ざめている。


「――契約は、『魂の護送』。だけだったはずだ」


 燐の真横に現れた女性は、燐の首筋へ大鎌を突きつけつつ話す。
 燐は顔を青ざめつつも、虚勢を張りつつ答える。


「……三途の川の船頭が、こんなとこで油売ってていいのかよ」


「お前を雇ったのはあたいの判断だ。勝手をされると、あたいの責任問題になる」


 しばし、睨み合う二人。
 最近の死者の数は尋常では無く、三途の川も魂で溢れ返っていた。
 よって、地獄の財政難と人手不足を補う為、急遽限定的に安い日雇い労働者を雇う事になったのだ。
 人が多く関われば問題も多くなる。まして仕事とは無縁の妖怪を使おうというのだ。
 放っておくと逆に仕事を増やしかねない為、監督義務が課せられていた。


「……へいへい、わかったよ。私も仕事をサッサと片付けたいんでね。日雇いの辛いとこだよ」


 燐はそう言うと、指を弾いて周囲に現れた鬼火を収める。
 それを確認し、鎌を担いだ女が諏訪子を見る。


「……久しぶりだな、諏訪子」


「……小町」


「何、知り合い?」


 燐は二人が知り合いである事がわかり、安堵する。これなら話が進みそうだと。
 鎌を担ぎ、困ったように顔を掻きながら諏訪子を見つめる小町。
 
 彼女は死神だった。
 その中でも三途の川の船頭という役職に就いている。
 名は小野塚 小町。
 普段は此岸と彼岸の橋渡し役として仕事をしている彼女が、下界に足を運ぶ事は稀だった。
 何千年と生き、現世を管理する神という立場上、神奈子と諏訪子は小町とは顔見知りだった。
 小町も、諏訪子の気持ちは痛いほどわかったのだ。
 だが、これも仕事と既に割り切っている。
 知り合いが先に死に、彼岸へ運ぶのはこれが初めてでは無い。
 ……何時までも慣れるものではないが。
 


「諏訪子。神奈子は死んだんだ。残念だが、連れて行くぞ」


 小町の言葉に、諏訪子は俯き帽子を深く被る。
 自分を知っている者に醜態を晒した恥ずかしさと自己嫌悪で、押し潰されそうになりながら、
 諏訪子は消え入りそうな声で、







「…………神奈子を……頼む」


 肩を震わせ、それだけを振り絞る。
 認めたくない現実を認め、自分の非を詫びる最大限の譲歩だった。


「任せな。あたいが責任を持って連れて行く。それと……」


 小町は俯く諏訪子の頭を、帽子の上からぽんっと軽く叩いて、


「何時までも泣くな。神様なんだからしっかりしろ、と神奈子なら言うだろうな。
 頭を上げて前を見な。あんたはまだやるべき事があるんだろ?」


 諏訪子は目深に帽子を被ったまま、両手で涙を拭う。



「……わかってる……私も何時までも子供じゃないんだ」


 帽子を被り直し、顔を上げた諏訪子の耳に、






「……諏訪子……様」


 諏訪子の耳に良く聞き慣れた声が聞こえる。
 諏訪子が振り返ると、肩で息をして立ち尽くしている早苗を見つけた。
 その早苗の周りで見知らない人間が何人か見える。
 皆、神社の様子に言葉を失くしている。


「……早苗」

 諏訪子の呼びかけが聞こえないように、ふらふらと神社へ足を踏み入れる早苗。
 ――いけない。早苗はこんな世界に足を踏み入れてはいけない。
 早苗はもっと幸せな世界で生きるべき子だ。
 こんな、地獄を見せたくない。


「早苗!!」


 諏訪子は転びそうになりながらも、早苗に駆け寄り、
 小さい体を懸命に伸ばして、自分より背の高い早苗の顔を両手で掴む。
 それでも気付かない早苗を強制的に座らせ、早苗の顔を自分の目線に合わせる。
 このままでは早苗は壊れてしまうと感じたからだ。


「早苗! 私を見なさい!! 早苗!!」


 何度もの呼び掛けに漸く、早苗の焦点が諏訪子へと合う。


「そうだ。私だけを見なさい、早苗。ゆっくり、ゆっくり深呼吸して」
 

 諏訪子の言われた通りにして、早苗は震える唇を開く。


「……こんな、こんな事って……皆……神奈子様ぁ……」


 早苗は諏訪子の胸を借りて泣き叫ぶ。
 その声に心が張り裂けそうになりながらも、諏訪子は小さな腕で早苗を抑えつける。
 狂ってしまわないように、私がしっかりこの子を掴んでおかなければいけない。
 諏訪子は自分の無力を呪った。
 神は人を幸せにする存在。そう思って、そう在りたいと願いって今まで生きてきた。
 その全てが否定された気がした。
 神は万能では無い。
 人間より少し力を持った程度の存在だ。そう神奈子は言った。
 空を飛べ、神通力を持ち。森羅万象を司る。
 だが、それが何になるというのだ。
 現に――私は何もできないではないか。
 神社の皆を守る事も、神奈子を助ける事も、早苗の涙を拭いてやる事も――何もかも。



 ……私も、泣きたい。

 早苗と一緒に泣き叫んで、こんな悲劇を起こした奴らを呪って。
 でも、今は今だけは、早苗がせめて泣き止むまでは……。
 







 夜の帳が下りて来て、遠くで烏の鳴き声が聞こえる。





 咽るような死肉の臭気を、木枯らしが空へと運んで行った。
 
















 ―第二十二話 「山猫は眠らない」、完。



 ―次回予告。
≪通るはずの言葉。繋がるはずの想い。同じ夢を持ちながら隔たってしまう心。
 知る術も無い胸の扉の奥深くを見る時、新たに生まれるものは絶望か? 希望か?
 全てを飲み込んで飛び立つ背中を、人は眩しいとさえ感じる。


 次回、東方英雄譚第二十三話 「博麗の血」 ≫




[7571] 第二十三話 「博麗の血」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/06/21 00:29


 守矢神社襲撃事件の日から、一週間が過ぎようとしていた。
 事件後。諏訪子の指示の下、すぐに関係各所へ事の次第を伝達し注意を促した。
 警察等に連絡し事情聴取を受け、事件は隠し通せる物では無いため、何処からともなくマスコミも嗅ぎつけて来る事となった。
 情報統制が敷かれたために情報は限られ、憶測の記事が飛び交う事となった。



 
 守矢神社へ呼び出された霊夢達を迎えた早苗は、神社の宮司である祖父の葬式を明け、
 どこか、疲れた顔をしていた。
 事件の現場となった守矢神社には所々花束が置かれ、事件はまだ風化してない事を物語る。
 当然、参拝客はおらず、閑散としていた。


「急に呼び出して、すいません」
 

 霊夢、チルノ、魔理沙、文、早苗、諏訪子の六人が集まり、今後について話し合う為だった。

「早苗ちゃん、大丈夫?」

 霊夢が声を掛け、早苗も気丈に振舞う。
 だが、傍から見て足取りは重く顔に覇気は無かった。

「大丈夫……とは言えません。でも……こういう状況ですし……」

 そこへ、別の足音が聞こえ、諏訪子が顔を見せた。
 頭を静かに下げ、霊夢達もそれに倣う。

「……こちらへ」

 諏訪子に促され、後について案内されたのは神社内にある広い居間だった。

「お茶淹れますね……」

「あ、手伝うわよ」

 そう言って、早苗と霊夢がお茶を淹れて来てから、早苗と諏訪子は霊夢達と向き合う形で座る。
 沈黙が降りる。




 ――そして、諏訪子が静かに口を開く。

「改めてご挨拶申し上げます。私は守矢神社、二柱の一人、洩矢 諏訪子と申します。
 この度は早苗を助けて頂き、誠にありがとう御座います」

 そうして両手を付いて、深く頭を下げる諏訪子と早苗に、霊夢達も緊張しながら頭を下げた。
 魔理沙に至っては茫然としていた。
 神様と言うから偉そうな態度で接してくるとばかり思っていたのか、あっさりと頭を下げた諏訪子に驚いたのだろう。
 実際、霊夢達も少なからずそう思っていた。
 霊夢も依然、早苗から守矢神社の神様の話は聞いてはいたが、こう面と向かって会うのは初めてだった。

「貴女方はあの化け物達……『グール』と言いましたか。それと戦っていますよね?」

 諏訪子の問いに霊夢達はどう答えたものかしばし迷い。
 結局、チルノが答える事になる。

「……はい諏訪子様、ですがまだ十分戦えてるとは言い難く、情報も足りません。
 グール達とはなんとか対等に戦えますが、その上の妖怪クラスとなると厳しいと言わざるを得ません」

 その答えに諏訪子は頷き先を促す。
 チルノはここで情報を出し惜しみする必要は無いと考え、自分の知り得る情報を提示する。

 自分達が戦っている経緯。
 戦力と保持している情報。
 現状分析と敵勢力の説明。


 全てを語るには時間がかかる。
 だが、話さなければならない事だった。
 チルノの言葉に諏訪子と早苗は釘づけになり、時間が経つのも忘れた。
 霊夢達も改めて現状の認識を再確認する手助けにもなる。
 その話の一語一句逃すまいと、文は必死にメモを取った。

「……マスクドライダーシステム? 凄いものだ……人間の技術はここまで作り出せるものなのか……」

 諏訪子は感心して、チルノを見る。
 諏訪子も現代に生きる神だ。
 当然、日常生活においても人間の科学技術の恩恵は受けている。
 それでも、驚かざるを得なかった。

 人間とは……知恵を絞り、力を集めればどんな事でもできる種族だと。
 それは恐怖に近い感情だったのかもしれないが、同時に諏訪子は誇らしいとさえも思った。
 何千年も生き、人間に崇められてきた諏訪子には、人間の進歩が我が子を見守る母の心境なのだろう。
 

「この……ベルトの力を使い変身する事で、あのグール達と対等に戦えるわけか」


 諏訪子はチルノから渡されたベルトを興味深そうに見る。
 玩具のようにも見えるそれは、人間の科学技術の最高峰を結集させた技術の結晶だ。
 人間の何千年の歩みの全てが、ここに詰まっていると言っても過言では無い。
 装着者を選ぶ、気難しい装置だが、人間の潜在能力を引き出せる唯一の武器だ。
 グールや妖怪などと戦うには、現代社会において手段は少ない。
 魔理沙の銃も現代兵器の応用だが、それでも妖怪の特殊能力に通用しない場合も存在する。
 ベルトを更に改良し、誰でも使えて、力も引き出せるようにできれば量産化も可能だが、
 その段階へ至るには時間が足りなさ過ぎる。
 

「守矢神社でも以前からは警戒していた。『紅魔』という妖怪の集団が不穏が動きをみせていると。
 だが、あの結界を破る程の妖怪が現在で存在するとは理解してはいなかった。
 妖怪達の狙いは、邪魔な私と神奈子の排除だろう。
 この神社一帯はグール達を遠ざける結界を張っていましたが、現在は破られ機能していない状態です。」


 諏訪子はチルノにベルトを返し、話を進める。


「何故、妖怪達が今これだけ騒ぐのかはわかりませんが……何か目的があるように感じます。
 私は……神奈子を守れなかったが……神奈子が愛したこの神社は守って行きたい。
 そこで、一つ頼みがあります」

 諏訪子はそこで姿勢を正し、霊夢達を見つめる。
 早苗は話の邪魔をしないよう、正座のまま静かに目を閉じる。

「私を貴方達の家に、住まわせてはもらえないですか?
 妖怪達の狙いは私の命でしょう。ここに居てはまた同じ悲劇が繰り返される。私はもう誰も失いたくは無い。
 私一人では皆を守れる自信が無いのです。皆を守り、神社を再興するには元凶を潰さなければなりません」

「……それは、私達と一緒に戦ってくれるという事ですか?」

 文が少し、興奮気味に問いかける。

「えぇ。勝手なお願いとわかっていますが、敢えてお願いします。及ばずながら私にも戦わせて下さい」

「それは……大歓迎よ……ねぇチルノ?」

 霊夢はチルノに問い掛ける。

「私も居候の身。霊夢が良ければ私は構わない」


「よっしゃー!! 仲間が増えたぜ! 早速、親睦を兼ねて宴会開こうぜ!」

 重たい空気を打ち払うように魔理沙が、元気良く宣言する。
 こんな時だからこそ、皆が楽しめる時間は必要なのだ。

「そうですね!! では、場所はどうしましょう? 流石にここじゃマズイですよね……」

 文が魔理沙に同意し、乗り気で話を進める。
 魔理沙の意図を察したと言うよりも、ただ飲みたいだけなのだろう。
 基本、射命丸 文は飲んべぇである。


「私の家でいいわよ。ついでにこれから諏訪子様が住むんだし、紹介も兼ねて……」

 霊夢がそう提案し、諏訪子を見る。
 諏訪子は頷き、

「私はそれで良い。それと……呼び方は諏訪子でいい」

「え、でも……」

「まぁ、これでも神の端くれだが、貴女達は神社の巫女という訳では無い。
 これから一緒に戦う仲間として、呼び捨ててもらって構わない」

「よし、わかったぜ、諏訪子!! これでいいな!?」

 そう言うなり魔理沙は立ち上がる、有言実行。
 とにかく行動が早いのだ。
 文もそれに倣い立ち上がる。
 それを見て微笑み、諏訪子は早苗へ顔を向ける。


「……勝手に決めてしまい、済まない」

 早苗は首を振り、諏訪子を見つめて、

「諏訪子様が私達を気遣ってくれてるのは、理解しています。その想いも……」

「しばらく、独りにさせてしまうな。本当は傍に居てやりたいが……」

「……諏訪子様。寂しくなったら私が会いに行きますよ。それとこれを――」

 早苗が取り出した袋にはあの事件の日、早苗にねだって買ってもらったゲーム機だ。

「捨てるのも勿体無いですし、それに……神奈子様もきっと諏訪子様には何時までも笑っていて欲しいと思いますよ。
 神奈子様の仇を討ちたいという気持ちは痛い程わかります。
 しかし、常に戦っているわけではないですし、それで日々の楽しみを蔑ろにしてはいけません。
 諏訪子様が何時も言っていた事ですよ?」

 諏訪子は少し躊躇いつつも、ゲーム機の入った袋を受け取る。

「そうだな……これは、今日の親睦会で使うことにするよ。ありがとう、早苗」



 ――そこへ、文が駆けてくる。


「あ、すいません!! 私の車一度には全員乗れないので往復しないといけないのですが?」

 皆の視線が交差する。

「……先に行った人が、買い出し」

 チルノはそれだけ言い残し、居間を出て行く。

「……それなら……霊夢。残ってくれないか、少し貴女と話がしたい」

 立ち上がりかけた霊夢を呼び止める諏訪子。
 そして、早苗を見る。
 早苗もそれを察し、

「わかりました。では先に行かせてもらいます」

 文の車へはチルノ、魔理沙、早苗が乗り込み、往復する形になる。

「では、また後でお迎えに来ます」

 文が霊夢と諏訪子へ声を掛け、霊夢達が見送る。










「……さて、」



 諏訪子が霊夢を見る。

「少し、歩きながら話そうか」

 諏訪子に連れられ、霊夢は神社の外に出る。
 風が冷たくなってきたように感じる。

 これからの戦いの事だろうか?
 そう、霊夢は諏訪子に呼び出された理由を考える。でもそれならチルノの方が詳しいし、
 自分も戦い始めて間も無い。
 答えられる事は少ないだろう。
 先へ歩く諏訪子は、まったくの自然体で気負ったモノも感じられない。
 自分が呼び出される理由が思いつかなかった。

 諏訪子が、ゆっくり後ろを振り返って霊夢を見る。



「率直に言おう。君は誰だ?」






「……はい?」


 意味がわからない。
 霊夢は諏訪子が何を言っているのか……。
 その疑問も当然とばかりに、諏訪子は言葉をつなげる。


「君は博麗 霊夢。そうだな? しかし、私は君に一度会っている」


「……私は初めて、貴女と会いましたけど?」


「霊夢。貴女が生まれて直ぐの頃だ。今は博麗家は神社と関わり合いが少なくなったが、
 それでも、生まれた時の名前を決める際、必ず神社で名付けられる。
 まぁ、儀式みたいなものだな……」

 霊夢は頷き、話を促す。


「博麗神社が廃れても、守矢神社がその業務を引き継ぎ、ここ数百年は代々名づけて来た。
 貴女が生まれた時、占う事によって今の名が付けられた。
 そして『霊夢』という名は昔から特別でな……破邪の力を持ち、神事を司る巫女の名なのだ」


「よく……わかりません。何が言いたいのか……」


「その名が付けられた時、運命と言うモノを感じたんだ。私は最初の博麗 霊夢に 会っているのだから……だが、貴女を見た時。
 ……お世辞にも力をまったく感じなかった。巫女としての力を、だ。
 まだ早苗の方が強力だったぐらいだ」


 諏訪子の話では、霊夢の生まれるずっと昔。
 博麗家は代々神社の家系で、ここ一帯の土地の管理を守矢神社と共同で行っていたそうだ。
 博麗神社と守矢神社。
 二つの神社がそれぞれ神通力を持つ巫女を一人置き、その巫女と当主として仰いできた。
 巫女とは生まれながら特殊な能力を持ち、神と対話できる人物に限られた。
 しかし、時代の流れと共に巫女の役割も減って行き、諏訪子達と生活をしていた守矢神社は残り、博麗神社は廃れた。
 そして、博麗家に神通力を持つ巫女が生まれない時代が続き、神社を管理する力も失われた。
 元々、博麗家の分家の位置づけだった東風谷家が博麗神社の管理も一括して行う事となったのは当然の流れだった。




「でも、わかりません。現に私はベルトを使ってですが、変身して巫女の力を使っているとチルノに聞きました」

「それが、不思議なんだよ」

 諏訪子は参道に転がる玉砂利を一つ掴む。

「この石の様に、生まれた時に既にそのモノの性質は変わらない。
 環境や雨、風によって形を変える事は出来る。
 だが、石が石としての性質を変える事は無い。
 貴女が巫女としての力を持つのは、自然の摂理に反している。
 努力でどうこうなる問題では無い」


 霊夢は納得のいかない顔をした。
 言いたい事はわかるが……それでも、それなりに戦ってきた。
 ベルトはその人間の力を動力として稼働する。
 諏訪子が霊夢は巫女としての力は無かったと言った。
 それなのに、いつの間にか巫女の力を覚醒させ、戦っている。
 それがおかしい、と諏訪子は言う。



「でも……何で力が使えるのかは問題では無いのでは? ……実際に戦えるわけだし、それで良いんじゃ」


「確かにそうだが、生まれた時と今の貴女では何かが違う。人としての本質が、だ。
 今は問題無いのかもしれない。でも……貴女は酷く不安定だ。
 自分で気づいて無いのかもしれないけど、ね――」






 ――そこで、諏訪子は言葉を切る。



 何故なら、神社の木々がざわめき、周囲の空気が明らかな殺気を帯び始めたらだ。

 霊夢でも鳥肌立つような、暴力の力を生物の本能で感じていた。




「……この気配は、記憶がある」


 諏訪子が警戒し、周囲を見渡す。










「――洩矢 諏訪子。で、合ってるわよね?」

 


 すぅ――、と



 いつの間にか目の前に現れたのは、


 霊夢にとっては間違えようも無い。


 敵だった。























 ―第二十三話 「博麗の血」、完。




 ―次回予告。
≪『黒』とは絶対的な暴力に近い色なのかもしれない。
 人は恐怖の感情を抱く際、決まって思い浮かべるイメージは暗く、重い。
 白いキャンバスになぞる絵筆の先は、大抵……侵略する事が目的なのだから。


 次回、東方英雄譚第二十四話 「夜と闇と少女」 ≫





[7571] 第二十四話 「夜と闇と少女」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/06/20 23:37




「ルーミア……あなた……」



 霊夢が顔を怒りで震わせ、ルーミアを睨みつける。
 忘れもしない。
 初めての実戦の時、大怪我を負わされた『紅魔』の妖怪。


―キシャアアアアアアッ!!―


 そこで、諏訪子と霊夢はグールの群れに取り囲まれていた事に気づく。
 霊夢はルーミアを睨みつけながら、携帯電話を取り出し、登録番号を取り出す。

「……チルノ、敵よ。守矢神社に来て……」

 霊夢は電話を耳に当てながら、変身コードを入力する。
 目線はルーミアから離さない。


≪Standing by≫

 電子音が響き、霊夢がシャツを捲り、服に隠していたベルトを出す。


「変身!!」

《Complete》

 霊夢の体から光が発せられ、次の瞬間、ライダースーツを身に纏った戦士が現れた。



「……ほう、これが」

 諏訪子はその姿を見て、驚嘆する。
 そして一転、素早く視線を戻しルーミアを睨みつけた。


「私を殺しに来たのか……『紅魔』の少女」


「……合ってると、見なすわよ。まぁ簡単には殺さないわよ? 
 痛ぶって痛ぶって痛ぶって、私が飽きたら漸く死ねるのよ」

 けらけらっ、と楽しそうに笑う黒い少女。
 だが、その瞳には獲物を弄ぶ肉食獣のような鋭い冷血さがあった。


「直接、神奈子を殺したのはお前か?」


「う~ん、違うな~私が殺したかったけど、お嬢様の獲物を取ると後が怖いしね。
 殺ったのはお嬢様とあのメイドかな~♪」


「そうか……」

 
 諏訪子は頷き、ルーミアを見る諏訪子の目の光が強まる。
 先程まで睨みつけるがどこか余裕のあった諏訪子の目に、感情が消え失せ、
 代わりに明確な殺気を帯び始める。


「良かったな、お前……苦しまずに命を断ってやろう」




「諏訪子!! コイツは私が倒す。お願い私にやらせてっ!」

 諏訪子の制止も聞かず、飛び出す霊夢。
 霊夢の態度に並々ならぬモノを感じた諏訪子は、溜息をつく。


「洩矢 諏訪子。コイツを始末したら遊んでやるよ~♪」

 対するルーミアは余裕で応じる。
 獲物が変わっても瞳の強さは変わらない。
 最初から二人とも生きては返さない予定だったのだろう。


「仕方が無い……霊夢!! 私は先にグール達を倒す。それまで持ちこたえてくれ!」

 諏訪子は両手に鉄輪を握り締め、霊夢をルーミアに背中を向け、
 グールの群れへゆっくりと歩み始める。

「わかったわっ!!」

 霊夢は大声で諏訪子へ返事をする。
 そして、視線は逸らさず。左のカードデッキから札を取り出す。


「霊の札」

《Homing amulet》

 霊夢の手に力が籠り、札が光輝く。
 目の前のルーミアへ向けて札が飛んで行くが、ルーミアはあっさりとそれをかわす。

「無駄よ!!」

 ホーミングの名の通り、その札は敵を捕捉し、自動追尾する。
 かわしても無駄なのだ。
 その間も次々と札を取り出し、ルーミアの避ける方向へ向けて札を飛ばす。

「なら、切り落とせばいいじゃん――♪」

 空気を切り裂く音が響く、ルーミアの右手に握られた漆黒の魔剣は追尾してくる札を次々と切り落とす。


「これなら! 散っ!!」

《Illusion vent『二重結界』》


 札が生き物のように隊列を組み、ルーミアの周囲を取り囲む。
 札から霊力が溢れ、ルーミアを束縛する。


「うぐっ、グガッがああああああああああああ!!」


 ルーミアを束縛した札は二重の渦を巻いて回転し、迸った霊力が稲妻のようにルーミアの体を貫く。
 この技はチルノにベルトを改良してもらい、思考錯誤の末、自分の力を効果的に使える方法とした案の一つだ。
 ホーミングアミュレットのバリエーション技として発動し、こうして敵を捕らえる事も、
 逆に自分の周囲に展開し、防御結界として応用も利く。
 霊夢は自分の力が通用した事に、少しほっとする。

 だが、これはあくまで一時的に敵の動きを封じる程度の物だ。
 グール程度なら、既に砂と化しているだろうが、ルーミア程の強力な妖怪となると、
 そう簡単には倒せない事はわかっている。
 霊夢は気を抜かずに、次の札を取り出そうとした。
 




「――なんてねっ♪」


 ルーミアが苦しげな表情から一転、舌を出して笑う。


「えっ!?」

 引き千切る音が響き、霊夢の張った結界を障子紙のように突き破り、ルーミアが愉快そうに顔を見せる。
 結界を完全に通り抜け、ぽんぽんっと服の誇りを払うかのように手で袖口を叩く。

「弱い幻覚……効いている、とでも……?」

「……そんな……馬鹿な」

 ルーミアの力を侮っていたわけでは無い。
 だが、まったくの無傷とは予想していなかった。
 最低でも多少、傷を負わすぐらいに思っていたが……改めて妖怪との力の差を歴然と感じた。

「もう、終わり~?」

 ルーミアが一歩霊夢に近づくと、霊夢は気圧されたか一歩、後ずさる。
 霊夢はじりじりと後退しながらも、次の手段を考える。
 他にも対抗手段が無い訳では無い。
 ただ、先ほどの技で効いていなければ、他の技がどれほど通用するのか……。
 疑問と焦燥。
 それでも、やるしかない!
 霊夢は手の震えを気づかれないように、カードデッキへ手を伸ばす。




「――あぁ、こっちは終わったよ」


 ルーミアと霊夢が振り返ると、青白い鬼火を群れを背景に、歩いてくる諏訪子が居た。
 両手には鉄輪が握られ、顔には疲れが微塵も感じれなかった。
 その姿にルーミアは驚く。
 あれだけ居たグールをたった一人で、この短時間で。
 霊夢との戦闘に集中していたとは言え、警戒は怠ってはいなかった。
 そして、諏訪子はたった一瞬の動作でこれだけのグールを打ち破ったのだ。


「私は確かに、神奈子よりか強くないよ……でもね――」


 ルーミアは知らず知らずの内に、右手の剣を構える。
 既に霊夢を視界に入れてはいない。
 注意すべきは洩矢 諏訪子という存在。


「――弱くは無い」

 ルーミアの一閃。
 細く小さな体から繰り出される剛剣は、大木さえも安々切り裂く程の力がある。
 少し離れた霊夢にも、その空気を切り裂く音は聞こえた。
 だが、その剣閃も諏訪子を両断する事は出来ず、
 諏訪子の手前、正確には諏訪子の持つ鉄輪によって阻まれていた。
 ルーミアの十字架を思わせる大剣は、この場所いる事が納得いかないのかギリギリッと音を立てる。
 
「グールを倒した程度で息がるんじゃないよ! チビ神が!!」

「数百年そこそこの小娘が、大きく出たものだな」

 刃を交えること数合。
 手を止めずにルーミアが突如、にたりと笑う。

「神奈子って名だったか? アイツ、最後は泣き叫んで命乞いをしたよ。惨めなもんだったよ。
 最っ高ぅに見物だったわよ~神様も大した事無いのね」

 げらげらと笑うルーミアを、諏訪子は表情を変えず睨みつけたまま、

 諏訪子の何気ない手の振りで、ルーミアは大きく後方へ飛ばされるが身体を回転させて難なく着地させる。
 そして、諏訪子を睨みつけた時、


 ――ギンッ!!


「あれっ?」


 ルーミアの剣が根元から突如へし折れた。

「一つが二つ」

 ヒュンヒュン、と風切り音が響く、

 そして、次に
 ルーミアの右手が飛び、


「あれれっ!?」

「二つが四つ」

 ルーミアの右足が飛んだ。
 そのまま体重を支え切れなくなった、ルーミアは地面に倒れ伏す。



 霊夢は見た。
 諏訪子の手が光ったと思ったら、既に鉄輪は離れていてそれが高速で回転していき、
 そして、目で追えなくなる速度で空を滑空する。
 
 神速。妙技はそれだけではなかった。
 霊夢の肉眼では負えなくなった。空中で鉄輪は少しずつ分かれ、
 一つの輪が二つ、四つ八つと次々と増えていき、
 終いには百を超える薄い高速の剃刀がルーミアを襲った。



 ルーミアの飛んだ手足は、体から離れた瞬間。
 ミキサーに突っ込まれた様に空中で細切れに分解された。


「ガァアアアアアアアアッ!!」

 
 ようやく痛みを理解し、噴き上がる血飛沫を必死に残った左手で押える。
 痛みにのたうち回るルーミアを、諏訪子は冷めた目つきで見つめる。


「安い挑発だ。だが、乗ってやる。訂正させてもらうが、神奈子はそんな奴じゃない。私が一番よく知っている。
 そんな命乞いをする暇があったら、一人でも多くの敵を倒し、一人でも多くの人を救おうとする人だ。
 お前は神奈子を侮辱した。その罪は万死に値する」



 痛みに耐えかね、涙を流しながら、諏訪子を鬼の形相で睨むルーミアを涼しい顔で受け止め、諏訪子は言う。


「残念だったな。私は神奈子のように優しくは、無い」



「……凄い」


 霊夢はただ呆然と諏訪子の力を目の当たりにしていた。
 単純な攻撃に見えるが、あれだけの数の武器を同時に操るには自分の力をそれぞれに付与して、動かすしかない。
 霊夢のようにコンピュータである程度、自動制御しているのとはわけが違う。
 その霊力の質も、あれだけの数の札で張った結界もルーミアを傷つける事はできなかった霊夢に対し、
 こちらはバターのように簡単にルーミアを切り裂いたのだ。

 先程のグール達の群れも、霊夢とルーミアが戦っている僅かな時間に始末したとしたら、
 恐るべき戦闘力だった。
 同時に、これだけの力を持ってしても、同等の力を持つ神奈子が破れ去る程、
 『紅魔』の妖怪は強いと言う事なのだろう。



「……許せない」


 ルーミアの殺気を孕んだ声が頭に響く。
 見ると地面に倒れ伏した状態のルーミアは、地面に着いた手をわななかせて、
 耐えきれない怒りに顔を歪ませていた。


「……お前だけは絶対に……殺してやる……殺してやる……殺殺殺殺」


 その言葉を最後に、ルーミアから溢れ出した闇はルーミアを覆い隠し、
 空気に混ざるように掻き消えた。
 辺りに立ち込める殺気も無くなり、逃げたのだろうか?
 あれだけの大怪我だ。これ以上の戦闘は無理だろう。

 妖怪の回復力がどれぐらいかはわからないが、
 今は逃げてくれたのがありがたかった。



「……お疲れ様、諏訪子」

 霊夢が諏訪子に声を掛ける。
 諏訪子は周囲を注意していたが、霊夢が近付いて来た事で肩の力を抜く。


「逃げたのか……以外に呆気無かったな」

「諏訪子がそれだけ強かったのよ。だけど、ビックリしちゃった。
 諏訪子があんなに強かったなんて!!」


「……うん、まぁね」


 諏訪子は曖昧に頷き、警戒を解く。
 ライダースーツを着ている為わからないが、霊夢は疲労で今にも倒れそうだった。
 まだ十分に操り切れてない札をあれだけ大量に使用し、なおかつ大技も出したのだ。
 通用はしなかったが……力は存分に消費していた。
 改良の余地有りだな……。
 後で、チルノに相談しようと思い、変身を解こうとして気づく――。




 ――風、

 夕暮れ時の、少し冷気を帯びた空気。
 わずかな……血の……臭い。


「危ない!!」

 霊夢は叫んだ。

 諏訪子の影法師。
 そこから延びる影が異様に細長くなる。
 影は気づかない内に、細く長く延びて、何時しか諏訪子の身長を超す。
 地面にへばりついた影はやがて起き上がり、諏訪子の背後に立つ。

 諏訪子は咄嗟に後ろを振り向こうとするが、一手……遅い。
 霊夢は叫んだ、無我夢中で。


「ライダーキック!!」


 間に合うか!? 
 否、間に合わせて見せる。
 ライダーキックは音声認識で発動する。手動で無い分楽だがどうしてもタイムラグが生じる。
 技を認識して発動するまでの数瞬、
 ベルトから発せられたエネルギーが足先へ到達するまでの時間、溜めが必要となる。
 それを待っていられない。
 霊夢は回し蹴りを放つ。狙うは諏訪子の肩に忍び寄る手。

 スーツの力により加速された霊夢の筋力が最速の動きで、命令通りに動く。
 最初緩慢だった蹴りが加速し始め、足先に至っては残像が残るほど速く、ただ速く……。


《Rider kick》


 影の手へインパクトする瞬間、ようやくエネルギーの充填が完了する。
 足の先へ膨大な力が流れ、紫電が飛び散る。




――ボキンッ!


 骨がへし折れる音がして、諏訪子を襲おうとして手が奇妙な方向へ折れ曲がる。

「がッあああああああああああああ!!」


 影が姿を見せた、霧がかかったように見えなかった敵の顔が晒された。


「ルーミア!!」


「こ、この……ガキがッアアアアアアア――!!」



 ――風切り音が聞こえると同時に、狙いを変え、霊夢へ襲い掛かろうとしたルーミアの頭が後ろへ傾ぐ。

 条件反射で避けようとした物。それは諏訪子が放った鉄輪だった。
 その鉄輪はルーミアの首を狙っていた。 
 だが、確実に捉えたと思われたルーミアは、首を後ろへ反らす事で致命傷を免れた。
 しかし、十分避けきれなかった鉄輪の軌道はルーミアの右目を抉って行く。
 
 断末魔に似た叫びが響き渡る。諏訪子が逃すまいと鉄輪を振りかぶるが、
 ルーミアは縫い止められて影に戻り、再び闇に溶ける。






『嫌い、嫌い、お前ら嫌いだ……殺す……絶対に……』












 ――どれぐらい……そうしていただろうか、

 あの言葉を最後にルーミアは姿を現さなかった。
 気配は完全に消えたが、未だにルーミアの殺気が残っている気がして、
 諏訪子と背中合わせで無言のまま周囲を警戒した。

 その静寂を破ったのは魔理沙の声だった。


「霊夢! 諏訪子!!」


 見ると階段をを全力で駆けあがってくる魔理沙達が目に入り、ようやく安堵した。
 変身を解き、霊夢は力尽きたように座り込む。
 緊張の糸か切れ、全身の疲労が広がったのだ。
 諏訪子もようやく笑顔を見せ、武器をしまう。


「お疲れ様、霊夢」


「え、えぇ……諏訪子、お疲れ……本当に疲れたわよ」


 
 



















 
――森の中で獣が吠える。


「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 癇癪を起こし、折れ腕を木々に撃ち付ける。
 単純な怒声、感情の放射。
 肺の底から振り絞った空気が全て、暴雑な音に変えられ消費されていく。
 叫びは、それだけで喉が壊れるのではないかと思う程あらん限りの絶叫。
 声が徐々に息切れにより小さくなっていき、
 そうして訪れた静寂の狭間に、その言葉は幽鬼の響きを伴い口から零れた。



「……ひ……くひひ」

 顔を伏せたまま、突然糸の切れた人形のように動かなくなり、ルーミアの笑いが闇へと溶ける。
 折れた左腕を激しく打ち付けた為、骨が粉々に折れ腫れ上がった肘からは、皮膚が破れて血が滴る。
 ルーミアは腕を掲げ、滴る血で喉を潤す。


「……ひ、ひひ……くひひひひ。そうか……そうか……」


 左腕に噛みつき、肘から先を引き千切る。
 どす黒い紫色に腫れた皮膚は簡単に破け、筋肉の繊維が晒される。
 そして、空腹を押えるように自分の腕を咀嚼していく。



「……足りない……普通に殺したんじゃ……満足できない」





 怪しく光る眼は狂気に彩られ、血のように紅い瞳は更に赤く。
 血で汚れた服が、徐々に夜の闇へと同化していく。


 息を潜める様な静寂が支配していた森に、
 木々のざわめきが戻ったのは、もう少し後の話だった。
















 ―第二十四話 「夜と闇と少女」、完。




 ―次回予告。
≪『出会い』とは、
 大事なようで、大切にしないモノ。
 転機であり、運命であり、そして――である。

 だが、それは……果てしなく偶然に近い必然でしかない。


 次回、東方英雄譚第二十五話 「ポケットの中の……」 ≫




[7571] 第二十五話 「ポケットの中の……」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/07/05 17:28


 時間は少し遡る。
 これは守矢神社襲撃事件の起こった朝の出来事である。


「……蓮子……遅い」

 
 マエリベリー・ハーン(通称 メリー)はご立腹だった。
 偶には街で遊ぼうと宇佐見 蓮子から昨日電話があり、
 大学の大量のレポートと格闘していたメリーは二つ返事で了承した。
 気晴らし、気晴らし。
 その気晴らしのはずの日曜日。
 ……ここまで逆にストレスを溜める事になるとは。

 商店街の中央、からくり時計の下で待ち合わせのはずだったが――、
 約束の時間はとうの昔に過ぎ、何度電話やメールをしても一向に返事が返って来ない。
 連絡も取れず、かと言ってこのまま帰ろうものなら、この数時間は何だったんだと。
 ……それはそれでムカつく。
 メリーは再びコールする。


『おかけになった電話番号は現在電波の届かない所にいるか、または――』


 ミシッ、
 携帯を握り締める手に力が思わず籠る。
 いいから、出ろよ。
 メリーの青筋はすでに限界を超え、何時血管を突き破ってもおかしくないほどだった。



「……お姉ちゃん」


 メリーが我慢の限界を一歩越えようとしたとき、すぐ横から声が聞こえた。
 振り返るとそこには、白いワンピースを着た可愛らしい少女が小首を傾げていた。


「……お姉ちゃん、どうしたの?」


 苛立つメリーの心配してか、そう尋ねてくる少女を見てメリーは気づく。
 ……兎の……耳!?
 少女の頭にはまるで兎の耳のような、白い毛に覆われた物が二房頭から生えていた。
 まだ幼さの残る少女の顔に、それがまた似合っていて本当の兎みたいな印象を受ける。

 ……アクセサリーかしら?
 最近は動物の毛を模した付け毛や小物が増えているし、そういう類の物だろう。
 胸につけたニンジン型のオーディオプレイヤーが光り、
 ファッション全体のコンセプトが兎を意識している事はわかった。
 流石にこれほど大胆に付けるのは、ファッションとしてどうかとメリーは思うが、
 あえてそこには触れず、メリーは話を合わせる事にする。


「ううん。ちょっと待ち合わせに友達が遅れていて……」


「そうなんだ……駄目な友達だね」


 全くその通りだが、こうはっきり言われるとは思わなかった。
 それでも少女の笑顔で言われると、なんだか許せる気がするから不思議だ。
 本当ね……。そう続けて、ふっと思いバッグの中を漁る。


「これ、良かったら食べる?」


 そう言って取り出したのはジャガリコ(キャロット味)だった。
 少女は弾けるような笑顔でお礼を言い、早速食べ始める。

「お~いしい~♪」

 少女は前歯で噛み砕くように、とんでもない早さでジャガリコを嚥下していく。
 呆気に取られるメリーも気にせず、一気に食べ終え満足そうに指を舐める。


「お腹……そんなに空いてたの?」


「うん。美味しかった。ありがとう!!」


 ウサ耳少女はお礼を言い、もう用は済んだとばかりに立ち去ろうとする。


「あ、ちょ、ちょっと!」


 何の用で話しかけて来たのか……。
 それとも本当にお菓子をねだっただけだったのだろうか?


「あ、そうそう……」


 ウサ耳少女は今思い出したかのように、振り返ってメリーを見つめる。


「早く逃げた方がいいよ……ここに居るとお姉ちゃん、死んじゃうよ」


「えっ!?」


 メリーはウサ耳少女の言葉の意味が理解できず固まる。
 少女もそれ以上説明する気も無いらしく、後ろを向いて駆け出す。


「お菓子のお礼。私忠告したからね」


 少女のウサ耳が動いた!?
 それだけ笑顔で言い残し、少女は走る。
 メリーは思わずそれを追い掛けた。
 蓮子? 
 知らねぇよ、そんな遅刻魔。
 今は少女を追い掛けた方が良いような気がした。

 子供の悪戯、心無い一言、
 それで済ませばいいじゃないかという考えは思い浮かばなかった。
 否、思い浮かんだが自分で否定したのだ。
 少女の言葉は簡単なようでいて、それで済ませてはいけない程の真剣さがあった。


 メリーは商店街を、ウサ耳少女を追って走る。
 晴れ渡っていた青空が、何時しか黒い雲に覆われていた。








「まずい……非常にマズい……」


 宇佐見 蓮子は必死で走っていた。
 それというのも友人を待たせて、はや二時間を経過していた。
 なんてことだ……。
 蓮子の背筋に冷たい汗が流れる。
 蓮子の携帯には五分おきに着信があり、全て大親友であるメリーからだった。
 
 同じ大学のサークル『秘封具楽部』に所属しており(メンバーは二人しかいないが……)、
 授業の無い日はもっぱらサークル活動(遊びに行く)事が常だったが……。
 この遅刻は有り得ないっしょ!?
 蓮子の手にある携帯で連絡すればいい話だが、
 ここまで遅れてしまえば何と言い分けすればいいか思いつかず、嫌な汗を握りしめただけだった。


 当然、蓮子にも言い分はある。
 遅刻している分際で言い訳などなんとも見苦しい話だが、聞いて欲しい……。
 そもそも、蓮子は常に約束時間の一時間前には着くように計算して家を出ている。
 疑問点が多い話だが、至って事実だ。
 だが、家を出てからが何故か……色々あって何時もメリーに怒られる羽目になる。

 その色々も今回は……、


「厄いわね……」


 その一言で始まった。
 蓮子がその女性と出会ったのは商店街を入ってすぐ、
 待ち合わせ場所腕ある中央の時計塔まで後十分と言った所だった。

 街角でよく見る占い師。
 シャッターの下りた店舗の前に無遠慮に陣取り、
 傲慢に人の未来を訳知り顔で決めつける。
 ……蓮子の大嫌いな人種だった。


「私が……ですか?」


 蓮子は面倒臭く答える。
 メリーを待たせている手前、こんな所で道草を食っている暇は無いのだ。
 どうせ悪徳商法だろう。
 人の弱みに付け込み、壺を買わせる……そういう類に違いない。

 適当にあしらい手短に終わらそう。
 そもそも声かけられて時点で無視すれば早かったのだが、
 不気味な言葉に反応して目が合ってしまった。
 買いません、と絶対拒否の姿勢で臨もうと口を開きかけ――、


「貴女の未来は災いしかない。真っ赤に染まった柘榴のようにね……」


 口を閉じた。
 何を言っているんだこの人は……!?
 蓮子の目が不審に彩られ、目の前の女性を観察する。
 ここで普通の定型文で勧誘なら、即刻この場を去るつもりだったが、
 この占い師は何がしたくてこんな発言をしたのか気になった。
 客寄せにしては言い方が酷い。
 こんなんじゃ気味悪がって誰も近づかないのが当然だ。


「死相が出てる、とかですか? 生憎私は――」


「占いは信じてない、でも超常現象は信じてる。でしょ? 矛盾してるわね」


 何が言いたいのか……、
 私の言葉の先回りをすれば、ミステリアス感が出るとでも思っているのか?
 蓮子の苛立ちが大きくなり、
 もう無視して先へ急ごうとすると――、


「回避したくない? 貴女の悲惨な未来を……」


 蓮子の我慢が限界に達し、皮肉を込めて占い師を睨みつける。


「なら……聞かせて貰おうかしら、その方法を?」


「簡単な事よ。貴女が探しているモノを諦めたらいい」


 蓮子の表情が固まる。


「何の……事か、わからな――」


「貴女が秘封具楽部を結成した理由、それは昔会った少女との想い出、でしょ?」


「…………」


 何故知っている!? 何で……。
 蓮子の背筋に冷たい汗が流れた。
 蓮子の動揺に手応えを感じたのか、占い師の女性は調子に乗って続ける。


「貴女の道は二つある。
 一つ目は安寧と虚飾の道、求めるモノを諦め平穏に生きる道。
 二つ目は苦難と真理の道、求め続け真実を知る道
 断言してあげる。
 真実を知る時が貴女の死ぬ時だって―――」


「――もう、止めて!!」


 ――――――、
 ――――――――――――、
 
 道を歩く人達が一斉にこちらを向く、
 突然叫んだ蓮子の声と様子に何事かと奇異の視線を送る。
 だが、蓮子には目の前の女性しか見えていない。
 何の権限があって自分の中に土足で踏み込んでくるのか――、


「貴女は……何なの……一体何で……」


「私は鍵山 雛……見ての通り占い師よ。そうね理由、理由……思いつかないわ。
 しいて言えば……気まぐれ、暇潰し。
 お姉さんからの優しい心配りと思ってくれれば――、あ、ちょっと!」


 蓮子はその場を離れる。
 この人には何を言っても無駄だ、そう理解した。
 何を言っても何をしてもこの人は別の時間で生きている――そう判断した。

 『占い』占象によって神意を問い、未来の吉凶を判断・予想すること。
 でもそんなの大抵嘘っぱちで、雑誌の巻末にある星占いと対して変わらない。
 精々ラッキーカラーとアイテムが分かる程度の情報。
 
 ……のはずだ。
 鍵山 雛という女性が本物であるかどうかなんて関係無い。
 ただ、これ以上会話をしてはいけない気がした。
 全てを見透かされるのいい気分では無い。
 思わぬ時間を食ってしまった。

 信号で止まる。
 ここの商店街は区域を無視して拡張し、大規模なショッピングモールとなっていて、
 その分区域との間に道路を挟んである為、所々信号があるからだ。
 信号が青になったのを確認し、蓮子は走り出す。
 無駄に過ごした時間を取り返すように――、



「危ない!!」


 ――悲鳴!? ブレーキ音?
 蓮子が振り向くと目の前には視界に広がるトラックのフロント。
 そんな信号はちゃんと青になったのを確認したはず、
 足が――動かない、
 迫り来るトラックが、周囲の景色がスローモーションに見える。
 やけに視界が開けて、明るい。
 その視界の端に、駆け出す人影が見えた。
 
 

 破裂音、衝撃音、破砕音。
 死んでもおかしくなかった。
 否、怪我で済むこと自体間違っている。
 そういう奇跡。

 そう、奇跡としか思えない事が次々起こった。
 私の目の前に迫ったトラック、それが破裂音と共にタイヤがパンクし横転。
 軌道を変えたトラックが瞬時に現れた氷の壁にぶつかる。
 蓮子の体がふわりと浮き、空を飛んで事故の様子が一目瞭然でわかった。


「大丈夫ですか!?」


「えっ!?」


 蓮子が自分を助けてくれた人物を見る。
 その人は変わった格好をしていた。
 全身を特殊なスーツを纏い、顔全体を覆うヘルメット。
 それも一瞬で、すぐに光が覆いその下からまだ自分よりも幼い少女が顔を出す。


「あ、ありがとう……です」


 驚きで呂律が回らない。
 その間少女は蓮子の体を確認し、怪我が無いかを聞いてくる。
 そこへ――、


「蓮子――!!」


 聞き慣れた声が聞こえる。
 見ると、メリーが必死に駆け寄ってくるのが見えた。


「……メリー」


「お知り合いですか?」


「はい! 友人です。ありがとうございます!!」


 メリーは蓮子に近づき眼には涙を溜め、怪我が無いか心配そうに聞いてくる。
 後はお願いします、そう言い残して少女は立ち去ろうとする。
 蓮子は少女に色々聞きたかったが、メリーが抱きついて離してくれない。

 少しして、先ほどの少女とその友達であろう少女達が近付いてくる。
 その中で一番幼い少女が口を開く、透明感のある水色の髪と瞳が印象的だった。


「怪我は無い?」


「は、はい! 大丈夫です!!」


「そう、良かった。なら……すぐこの場を離れなさい。危ないから」


「……え、え~と」


「大規模な事故が起こっている。今日は、商店街での買い物は止めた方がいい」


 蓮子が迷っていると、メリーが先に答える。


「……わかりました。助けていただき、ありがとうございます!! 
 蓮子、大丈夫? 立てる?」


「あ、うん……」


 蓮子とメリーは頭を下げて改めてお礼を言い、足早にその場を離れる。
 その間蓮子は納得がいかないように、
 メリーに腕を引かれながらも少女達を見ながら去って行った。





 未だ事故現場を野次馬がごった返し、遠くでサイレンの音が鳴り響く。
 人混みの中、少女達が集まっている。


「……チルノ、あのトラックの運転手」


「首がなかったわ」


「グールか……こんな街中で……」


「探しましょう。もしかしたら一体じゃないかもしれないですし……」

 少女達は散らばり、走り出した。







 商店街に隣接する電車の駅にメリーと蓮子はいた。


「メリー……その……ごめん」


「何に対してよ」


「心配掛けて……それと、遅刻して」


「もういいわよ。でも遅刻は許さないけどね」


「メリー……怖い」


「誰の所為よまったく、あ~あ新しい服買いたかったのに……、
 蓮子も行きたかったんでしょ、守矢神社?」


「でも今日はいいや。疲れたし、そんな気分じゃないしね」


「まぁ私も変な女の子に注意されたから、何か調子狂ったしね……あれ?」


 メリーは何の気無しに、守矢神社を見る。
 山の上に立っている守矢神社は駅からだとその全体が見渡せた。
 そこで、メリーの目が何かを捕らえた。


 赤い……光……?
 光の加減なのか……その光が守矢神社の方へ落ちて行ったと思ったら、
 守矢神社を覆うように包まれた透明な膜が破れて……消えた?


「どうしたの、メリー?」


「いや……気のせいかな……ごめん何でも無い」


 そこへ電車が滑りこんで来て止まる。
 扉が開き、人が下りて来るのを待つ。


「メリー、ぼ~っとしてると置いてくよ!」

 
 発車の警笛が鳴り、メリーが慌てて乗り込む。
 わずかの差だった。
 この電車がこの駅を出た最後の車両であり、その後――駅は封鎖された。
 大規模なテロ事件として報道される、集団殺傷事件が起こったのだ。
 目撃者の証言は一様に混乱していて、誰もが化け物が襲って来たと叫び、訴えた。
 
 蓮子がその事を知ったのは、次の日の朝刊だった。








 商店街の外れ、守矢神社へ続く森の中、二人の少女がいた。


「どこいってたの……てゐ……もうすぐ始まるわよ?」


 薄紫色の髪。背が高く、スタイルの良い体つきをブレザーで覆い、上から白衣を 羽織るという出で立ちは、
 とても目立つものだったが少女は、気にしていないのか自然な動作で目の前の機械をいじる。
 鈴仙・優曇華院・イナバ という変わった名をした少女は、
 化け兎の親を持つ半妖だが、身体的特徴は人間に近かった。
 唯一瞳の色が兎のように赤い以外は、妖怪らしい部位を有しておらず、
 兎特有の長い耳もなかった。


「ちょっとそこらへん。さ・ん・ぽ」


 てゐと呼ばれたウサミミの少女は、胸元のニンジン型のオーディオプレイヤーを弄び答える。
 小生意気な笑みを浮かべ、鈴仙を見るこの少女は人間では無い。
 幼い外見とは裏腹に、千二百年の時を生きる大妖怪だった。
 何でも健康に気を使って長生きする内に妖怪になったとの事だ。
 まぁ鈴仙にとっては、仕事の邪魔さえしなければどうでもいい事だ。
 
 本人は神話に登場する因幡の素兎だと主張しているが、鈴仙は話半分で相手にしていない。
 それも、因幡 てゐという根っからの詐欺師である事を見抜いているからだ。
 私の瞳は誤魔化せないよ、と牽制をするもどこ吹く風。
 天使のような笑顔を浮かべて、平気で人を陥れようとするから恐ろしい。


「まぁ……いいけどね……」


 いつものように大して興味を持たず仕事に集中する鈴仙。


「で、どう鈴仙? 順調?」


「もうちょっとよ。解析率90%……てあたり。あ~お腹空いた。
 ついでに何か買って来てくれたらいいのに」


「任務に集中するウサ! お腹が空いているなんて気の迷い、集中力が切れてる証拠!」


「へいへい、そういって貴女はちゃっかり食べてるんでしょ……どうせ」


「……さぁ、何の事か……あ、解析終了している! ほらお仕事、お仕事!!」


「調子いいな……もう」


 鈴仙と呼ばれた少女は立ち上がり、トランクから装置を取り出す。
 それは、てゐが頭に付けている耳を細長くしたような形をしていた。
 鈴仙はそれを頭に装着し、ダイヤルを調節する。


「じゃあ、行きましょうかね」
 
《Standby ready》



「発動『狂気の瞳』」

《Invoke "crazy eyes" 》


 装置が唸りを上げ、鈴仙の装着したウサミミから特殊な波長が発せられる。
 そして、その振動波が守矢神社の守る結界に浴びせられた。


「自信作っちゃ……自信作なんだけど、まだまだ改良の余地有りね。
 流石神の作った防御結界は硬いね……でも」


 何かが壊れる音が響く、
 見た目には大した違いが見られない結界は今のところ機能していて、変化は見られない。


「……変わってないけど……失敗したの?」


「馬鹿ね成功よ、成功! まぁこの装置で打ち破れるなんて思っちゃいないわよ」


 鈴仙は、仕事は終わりとばかりに機材を片付け始めた。
 未だ結界は壊れていない事に、てゐは疑問を口にする。


「もう十分よ。この結界には歪みが生じてる。眼には見えないけど確かな綻びが……、
 お嬢様にとっては、これで問題無いわ」


 鈴仙は機材を近くに止めたワンボックスカーへと運びつつ答える。


「全てのモノには波がある。電磁波、音波、精神の波なんかもそうね。その波を操り、
 存在の位相をズラす事でバランスは容易に崩れる。
 結界とは言わばダムみたいな物、針の穴でも開けばそこに一気に圧がかかって簡単に壊れてしまう」


 機材を運び終え、鈴仙は車のトランクを閉める。
 結局、てゐは最後まで手伝わなかったが何時もの事なので無視する。
 怒ってものらりくらりと言い訳をして、こちらが疲れてしまう。

 そして、鈴仙とてゐは守矢神社を見上げる。


「あ、お嬢様」


 てゐが空に浮かぶ赤い光を見た。


 鈴仙が腕を伸ばし、右手を銃の形にして守矢神社へ向ける。




「……バンッ」







 惨劇の始まりだ――、


 血に遊び、泣き叫ぶ羊達の冥福を祈る――、

 
 今宵の月は何時も以上に……戯れるだろう――、



 紅く、月が染まるように。



















 ―第二十五話 「ポケットの中の……」、完。




 ―次回予告。
≪窓を開けると新鮮な風が頬を擽り、体を通り抜ける空気はとても気持ちの良いモノだった。
 それを感じ取れるのも過去の自分と対比して、生まれ変わる感覚に近いのかもしれない。
 
 人は日々睡眠を取る。それは言わば生と死の連続。
 次の自分を知ることで、一歩前の自分を好きになれそうな気がするから……。

 次回、東方英雄譚第二十六話 「約束された箱庭」 ≫




[7571] 第二十六話 「約束された箱庭」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/07/19 10:36


「……卑怯な」



 魔理沙と諏訪子は睨み合う。
 二人の間には見えない火花が散っているのだろう事は、傍から見て容易に想像できるが、
 二人共何故そこまで熱くなれるのか……。
 霊夢はすぐ横のテーブルでお茶を啜りながら、事の次第を見守る。


「卑怯? ルールの範囲内ですけど?」


 諏訪子が情け容赦なく煽る。
 その言葉でさらに魔理沙の沸点が下がる。
 まったくもう……。
 霊夢は横で一緒にお茶を飲んでいた早苗を見る。
 早苗は畏まり、本当にすいませんと申し訳なさそうに謝る。


「てめぇ、もう一度勝負しろ! 勝ち逃げは許さねぇぞ!!」


 魔理沙は再び向き直り画面を見入る。
 入念にキャラを選択し、確定。


「そのキャラは大技だが、小回りは利かないよ? 
 こっちの方が魔理沙に合ってんじゃない?」


「うるせぇ、指図は受付ねぇ! 全てはパワーだ、
 その小賢しいテクなんざ縦横無尽踏み潰してくれるぜ!!」


 魔理沙と諏訪子は現在、Wiiで格闘ゲームで対戦中。
 魔理沙:諏訪子=0:10で諏訪子の圧勝となっている。
 遊ぶ事にかけては右に出る者はいないと豪語していた魔理沙だったが、結果はこの通り……。
 人生の大半を遊びに費やして来た魔理沙だったが、本当の意味で年季が違った。
 魔理沙が生まれて十何年遊んで来たのに対し、
 何百年、何千年と遊びに遊び尽くし、古今東西、ありとあらゆる遊びを遊んで来た諏訪子。
 
 その事を踏まえ、魔理沙と対戦すればこうなる事は十分予想できた早苗だったが、
 息抜きが必要であろうと、敢えて止めなかったのを今更ながら悔いた。


「……本当になんて言ったらいいか」


「謝らないで早苗ちゃん」


 早苗の誤算と言えば誤算だが、
 霊夢自身もここまで事態が悪化するとは思っておらず、軽い気持ちで自分家の居間を提供したのだが……。
 途中で自分は間違っていた事に気づく。
 早苗が心配していたのはこれ……か、
 早苗が言うに諏訪子は元々子供らしい性格をしており、最近は色々あってすっかり真面目な表情でいる事が多くなっていた。
 その為、霊夢は諏訪子の精神年齢を幾分高めに捉えており、諏訪子の本性を見誤った。
 
 本来の姿に戻ったのは嬉しく思う反面、前の方がひょっとしたら良かったのでは? 
 と、考えさせられてしまう。
 諏訪子も諏訪子で、強いんだから適当に負けて二人で楽しめばいいのに、
 見ていると……情け容赦ない、そう表現するのがぴったりな上級コンボの嵐、竜巻。
 素人目にもそれはないんじゃないかってくらい実力差を見せつけ、
 得意げに残酷な笑みを浮かべる諏訪子の体力ゲージは、まったく減っていなかった。
……大人気ない、いや、まったくのガキだった。


「……見て居られない、貸して魔理沙」


 テーブルに座り、冷たい麦茶を飲んでいたチルノが立ち上がる。
 その言葉に、魔理沙は天の助けとばかりにコントローラをチルノへと渡す。


「お願いします、先生!」


「ちょ、ちょっとチルノ……貴女ゲーム出来るの!?」


「……結構得意」


「す、諏訪子様も少しは休憩したら……そうだ! お茶、喉渇きますよね!」


「大丈夫よ。それより今度は貴女が相手?」


 チルノは頷き、定位置に着く。
 その後ろで魔理沙が諏訪子の集中力を分散させようと、口汚く罵っているがまったく利いていない。
 霊夢と早苗は息を飲み対戦を見守る。



≪Fight!!≫



―――――――――、
―――――――――――――――、


――十分後、




「あ、アレ?」


「……そんな……馬鹿な」


 霊夢達は驚いた……まさかこんな事になるとは……。
 結果から言って……チルノは弱かった。
 魔理沙でさえ、少しは善戦していたように思える程に。
 チルノのキャラは開始早々から中を舞い、その後―-、
 体力ゲージがゼロになるまで一度も地面に足を着く事は無く、空中散歩を楽しんだ。

 諏訪子も拍子抜けで、まだコントローラに慣れていないのかと対戦を繰り返したが、
 逆に諏訪子の方からごめん、と謝るくらいだった。
 手も足も出ない、技も一個も出してないし……。
 対戦が終わり、戻ってきたチルノは膝を抱えた。


「い、いや~!! お疲れ様チルノ! 結構難しいよね、アレ」


「……」


「そ、そうですよ! 諏訪子様はこのタイトル、プレステの時代からやっていましたし、
 操作はお手のモノで……」


「……」


「そ、そうだぜ! それに、ほら私も一回も勝てなかったし……、
 お、お揃いだぜ……うんうん」


「……」


 膝を抱えて顔の見えないチルノは無言のまま。
 嫌な沈黙が流れる。
 知らず知らずの内に……チルノなら何でもこなせると万能キャラのようなイメージが先行していたようだ。

 チルノが得意と言ったのも、昔持っていた格闘ゲームでコンピュータ相手ならそこそこいい勝負ができる、
 という程度のものだった。
 友達だった大ちゃんという妖精はこういった類のゲームは苦手で、
 人間プレイヤーと対戦するのは今日が初めてだったりする。






『諏訪子様……』

『うん?』

 早苗は皆に聞こえ無いよう、
 テレパシーで諏訪子とコンタクトを取る。

『今日の夕食は、無しです』

『えっ!?』

 諏訪子の表情が一気に青ざめる。
 早苗ならやりかねない……そう、経験上知っているからだ。







 ――沈黙を打ち破るメロディが響く。
 居間に据え付けられた固定電話が鳴り、家主である霊夢が受話器を取る。
 その時、若干動きが早かったのは気のせいである。


「もしもし……あ、にとり!? どうしたの?」


 電話の主は河城 にとりからだった。
 何でもベルトのメンテナンスの為、今日チルノが工房に来る事になっていたのだが、
 いつまで待っても来ない為どうしたのか、という電話だった。
 一度にベルトのメンテナンスに入った場合いざという戦えない為、
 今回はチルノのベルトとついでに魔理沙の八卦炉の予定になっていた。


「……え、え~と。チルノ? あの……にとりからなんだけど」


「……今は……そんな気分じゃない」


 そんなにショックだったのか……。
 完全に塞ぎ込んでいるチルノに掛ける言葉が見つからない。
 霊夢は受話器から聞こえてくる、にとりの怒りの混じった声に適当に答えながら頭を掻く、


「で、でも……職人さん達が待機中なんだけど……」


 霊夢が受話器をチルノへ近づけても反応は無く、
 今日は駄目かなと、にとりへメンテナンスを延期してもらおうとした時、


「そうだ! 思い出した!! チルノ、実は私の友達で一人にとりに紹介したい奴がいるんだけど?」


 魔理沙が勢い良く立ち上がり、チルノの肩を揺する。


「何よ魔理沙、急に……」


 霊夢が驚き、受話器を取り落としそうになる。


「まぁいいから、いいから……それでそいつに今日メンテナンスがあるから、
 その時紹介するって約束しちゃったんだよ」


 魔理沙の発言にようやく反応したチルノが重い頭を上げ、魔理沙を見る。


「……そんな事勝手に決められても困る。そもそも――」


「――遊びじゃないって言いたいんだろ? わかってるって、そいつは魔法使いだからさ」


「……悪いけど、すぐには信用できない。もしかしたら紅魔のスパイかもしれない」


「だからさ! だからチルノに先に会ってもらって、確認して欲しいんだ。
 信用できる奴かそうでないか」

 チルノは少し考え頷く。
 確かに素性が知れない人間を関わらせるのは本意では無い。
 だが、今は人手も足りず、協力者が必要な状況だ。
 それも一般人ではなく、魔法使いとなれば是非とも会ってみたい人物である。
 現代では魔法を使える者は珍しい。

 だが、妖怪がいるようにまったく居なくなった訳では無く、希少というだけだ。
 本来魔法使いは孤独を好み、俗世の関心が薄い。
 自分の目的の為道を極めた仙人のような存在で、こちらに興味を抱いた理由を知りたいと考えた。


「わかった。霊夢、にとりには少し遅くなるけど必ず行くと伝えて」


 霊夢の了解という返事を聞き、チルノは出かける準備をしに自分の部屋へ移動する。


「魔理沙、何時の間にそんな友達ができたの? 初耳よ」


「最近だよ。偶然……街であったんだよ」


 そして魔理沙は部屋の角へ行き、携帯を取り出す。




『……そう、今日。今から来い』

『え、忙しい? 何だよ、今日しかないんだって!』

『うん、うん。そう……お前の言ってたヤツ聞けるかもしれないぜ』




「何今の電話、本当に今日約束してんたの?」


「もちろん、今約束したぜ」


 呆れた溜息を着き霊夢はテーブルに座り、お茶を飲み直す。
 ゲーム機の横で頬を掻く諏訪子へ、霊夢が声を掛ける。


「他のゲームにしよう。私あんま格ゲー得意じゃないし」


「そう、だね……」


 思いの他、素直に他のゲームを探す諏訪子を見て、早苗は苦笑する。

 ――チルノと魔理沙出て行った後、霊夢、諏訪子、早苗の三人で昼食となる。
 夕食を抜かれてもいいように、必死に食い溜めをする諏訪子の姿があった。











「初めましてアリス・マーガトロイドよ」


「……チルノ」


 元々、河城工房に車で行く予定だったため、文に車で送ってもらう。
 魔理沙とチルノ、そしてアリスに興味を示した文が『喫茶 SATORI』で待ち合わせすることとなった。


「お待たせ致しました。カフェ・ラッテでございます」


 アリスとチルノ達の前に店主の古明地 さとり自ら淹れたカフェ・ラッテが置かれる。
 テーブルの周囲にたちまち芳しい香りが立ち上り、
 その香りに誘われてアリスがカップに指を掛ける。


「う~ん、いい香り~♪ あら? この泡の形パンダかしら……可愛いわね」


 アリスは一口含み、満足そうに頷く。
 それに倣い、チルノ達も目の前に置かれたカップに口をつける。
 少し間を置き、文が口を開く、


「射命丸 文と申します。雑誌記者をしています。早速ですが、質問させていただきます」


「……ちょっと待って、貴女記者って言ったわよね? 私は見世物じゃないわよ」

 
 アリスは明らかに不満を顔に出し、文を睨む。
 アリスにしても、今日の会合は予定に無い所、急遽魔理沙の無計画により呼び出された形だった。
 社交性の低いアリスにとっては多人数で話すのも苦手の部類に入る。

 それに加えマスメディアにも昔から良い思い出が無い。
 何時だったか、一時期魔女狩りで新聞に取り沙汰された嫌な記憶もある。
 もちろん文に個人的な恨みは無いが、マスコミというだけで信用はならないとアリスは思っていた。


「すいません。別にそういう意味じゃ……。不愉快な思いをさせてしまいごめんなさい。
 雑誌に載せたりは決してしません。ただ、貴女の事が知りたくて……」


「そうだぜアリス、そうピリピリすんなよ。ここにいる奴らは全員信頼できる私の仲間だ。
 お前を見世物にしようなんて思っちゃいない。
 だけど、今後必要だろ? お互いさ、なら少し話しをしようじゃないか」


 魔理沙が仲裁に入り、アリスの肩を叩く、
 アリスはその手を振り払って、足を組み直す。


「ふん、まぁいいわよ。ウィンウィン――取引といこうじゃない。
 お互い必要な情報を提供する。
 質問に答えたら、次は私の質問に答えて」


 文はチルノが頷くのを確認し、答える。


「わかりました。私達に答えられる事であれば」


「先に質問に答えてあげるわ、サービスよ。それで?
 何が聞きたいの?」


 アリスの態度に文は安心する。
 これで少なくとも席を立つ事はまず無いだろう。
 記者にとって恐ろしいのは取材対象に逃げられる事だ。
 同じテーブルに着いただけでも、良しとしなければならない。


「最初に質問させて……貴女の目的は?」


 チルノが先にアリスに問う、アリスは何でも無い事のように髪をいじる。


「人形に命を吹き込む事」


「それは――」


「次、こっちの番。魔理沙から聞いたんだけど、貴女達の中で機械工学の専門家がいる?」


「いる、河城 にとり……機械の事なら世界で一番詳しい」


「それは頼もしいわね」


「質問の続き、人形に命を吹き込むって言ったけど、どういう事?」


「そのまんまの意味よ。私元は人間で、魔法使いになったきっかけも人形なの。
 人形って不思議なモノでね、単に子供の遊び道具としてだけでは無く、
 古代では人間の身代わりや呪詛の道具として、厄災を受け入れる『形代』として使われていたわ。

 偶にね……思うの、
 この子はいったい今何を考えているんだろう……てね。
 私の場合は人形と話がしたい、まあ単純な理由ね」


「質問いいですか? 貴女は魔法使いと言いましたが、具体的にどのような力を持っているのですか?」


「隠すものでもないし、見せてあげるわ」


 アリスの右手の指を弾く。
 それと同時にアリスの鞄から人形が、自分の意思を持ったように這い出してきて机の上に乗る。


「私の力は魔法もあるけど、主には人形を扱う程度の能力。
 でも……これはどこまで行っても操っているに過ぎないわ。
 私が目指すのは完全な自立人形」


「しかし、何時見てもすごいな……本当に生きてるみたいだ。
 これで不満なのかよって感じだな」


 魔理沙が机の上で飛び跳ねる人形に釘付けになる。


「そうか……貴女の目的は……AI」


「流石に気付いたわね。私も早く話しを進めたいし、いいわ。
 遊びはこれで終わり、チルノっていったかしら……正解よ」


「AI……て、何だ?」


「魔理沙さんAIというのは人工知能の事です。現代科学、最高峰の技術です」


「それも人工意識が宿る――人工汎用知能(Artificial General Intelligence)の事……」


 文の説明を引き取る形でチルノは魔理沙に説明する。
 現在、AIは大まかに『弱いAI』と『強いAI』の二種類の系統に分かれる。
 『弱いAI』――人間がその全認知能力を必要としない程度の問題解決や推論を行うソフトウェアを指す。
          主にパターン認識や自動計画がこれに入る。
 『強いAI』――真の推論と問題解決を行う為に脳機能をシミュレートするソフトウェアだ。
 
 知能とは現実についてモデルを持つ事だ。
 そのモデルを使い行動計画を立て、未来を予測する能力の事を言う。
 モデルの複雑性と精度が高くなって計画立案や予測に要する時間が短くなればなるほど、知能も高いと言える。


「え~と……要はあれだろ、心を持たせるにはどうすればいいかって話しだろ?」


「そう、その為には専門の技術者が必要なの。
 できれば自分の力だけで完成させたかったけど、魔術だけでは限界があるみたいなの……。
 新しい思考、概念からのアプローチが必要なのよ」
 

「わかった。人工知能の技術提供……それに見合った条件を提示させてもらう。
 私達に協力する事、この意味はわかる?」


 チルノがアリスを見て、
 アリスがチルノを見る。


「魔理沙から大体の事は聞いているわ。貴女達が今戦ってる面倒な奴らの事も……、
 協力はするわ……ただし情報提供等の戦闘補助という形でね。
 私……戦闘は得意じゃないの、それで構わないかしら?」


「なんだよアリス、一緒に戦ってくれないのかよ~!」


 魔理沙が不満気にアリスを見るが、アリスはどこ吹く風。
 髪を払い、残ったカップの中身を飲み干す。


「勘違いしないでよね! 私は貴女達の仲間になった覚えはないわ。
 単なるビジネスパートナーよ。それで不満なら今回の話しは無かった事にしましょう。
 私は別にそれでいいけど、貴女達はどうかしら?」


 アリスのあんまりな言い草に流石の魔理沙も言葉を失う。
 魔理沙もチルノ達にアリスを紹介した立場がある。
 アリスの言葉のキツさは承知してはいたが、流石に言い過ぎだ。


「おいアリス!! お前は!」


 掴みかかろうとした魔理沙を制し、チルノは頷き了承する。


「それでいい、アリス。条件を飲もう」


 アリスはチルノの言葉に満足そうに頷き、カップに残ったカフェ・ラッテを飲み干す。


「……最後に一つ、貴女は『紅魔』をどう思う?」



「大っ嫌い!!」


 その言葉を聞き、チルノは腕を組んで頷く。
 アリスも『紅魔』から何かしらの被害を受けたのか、即答だった。
 だが、それ以上アリスは何故『紅魔』を憎んでいるのかは話さず沈黙する。




「結構……取引、成立」






 その後、アリスはチルノに連れられ河城工房を訪れる事になる。
 まだ十分信用できないところはあるが、それを言ってしまえば誰も信用はできない。
 『紅魔』を止める。
 その目的の達成には力が必要だった。
 一人の力は虚しいだけだとチルノは知っている。
 他人の助けがいるのだ。

 会話の中では幾らでも嘘はつける。
 だが、アリスの人形……あれは心の籠ったモノだった。
 人の作るモノは必ず作者の気持ちが現れるものだ、どんなものでも……、
 アリスのサバサバとした性格はきっと、にとりと合うに違いない。



 あのどこか怒りっぽくて優しい友人に、友達を紹介するのは……、
 これが初めてかもしれないな。











 ―第二十六話 「約束された箱庭」、完。




 ―次回予告。
≪罪人は裁かれる、それが掟。
 背負った罪業の清算をしなければならない。
 
 何時だって……罪は過去からやってくるのだから。

 次回、東方英雄譚第二十七話 「双剣の庭師」 ≫




[7571] 第二十七話 「双剣の庭師」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/07/19 10:34



 チルノ達が河城工房に向かって二日が過ぎた。
 チルノからは電話で時間が予想よりかかっていると連絡を受け、
 その間霊夢達は、自宅待機を余儀なくされていた。


「うわああああああ~! 暇だぁああああああああ!!」


 諏訪子は持ち込んだゲーム機を放り出し、居間の畳を転がる。
 既にゲームは全クリ、こういう時に限って敵も現れず時間だけが過ぎて行く。


「諏訪子……」

 
 霊夢は暇です、と絵に描いたようなアピールする諏訪子に頭を抱える。
 一緒に暮らし始めて常々思うようになる。
 本当に偉い神様なのか……?
 出会った当初は幼い外見には似合わず、鋭い洞察力、思考の回転、行動。
 どれをとっても神様らしく、威厳があった……ように感じた。
 だが、今では居間に転がり、何か面白い事ない? 
 と、聞いてくる始末。

 これが……洩矢 諏訪子か……、
 もう少し何とかならないものか……守矢の巫女さんって大変だな……、
 霊夢が見当違いな感想を思った時、突然玄関のチャイムがなる。


「誰か来たの?」


「宅急便かな……」


 霊夢は判子を持ち、立ち上がる。
 時間は十一時を少し回ったところ、
 今日は早苗もおらず諏訪子的にはどう過ごそうか悩んでいるようだったが、
 霊夢はぼ~っと、縁側にでも座ってお茶を飲めば時間は潰せる。
 
 諏訪子は逆に常に変化を求めているような節がある。
 何千年も生きる人間で言うと大変なお婆さんという歳だが、
 まったくと言っていい程歳を感じさせない。
 寧ろ霊夢の方が幾分老けている印象を受ける。
 もちろん見た目ではなく、内面がだ……、


「は~い、今出ます!」


 霊夢が玄関を開けると、そこには宅急便の制服を着たお兄さんでは無く、
 手に花柄の細長い包みを持った、やや背の低い少女がいた。
 しかし、一目で浮世離れした印象を受けた。
 セミロングに切り揃えられた銀髪の髪は黒いリボンを付け、
 緑を基調とした簡素な服とスカート。
 だが、十代前半であろうその少女を霊夢は少しも幼いとは思わなかった。
 それは――目だ。

 鋭い猛禽を思わせる眼光、抜き身の刀を思わせる雰囲気を纏い、
 居るだけで空気が張り詰めたような気がした。



「どちら……様ですか……」


 霊夢は緊張して思わぬ客人に問い掛ける。
 訪れた少女は霊夢を一通り見て、口を開く。


「チルノ博士は御在宅ですか?」


 少女は名乗らず、用件だけを伝える。
 霊夢はチルノの名を聞き、警戒心を強める。
 チルノ……博士?
 博士と呼ぶからには研究所時代の知り合いか?
 だが、目の前の少女は明らかに研究職とは無縁な気がするし、
 何より友達に会いに来たという割には……、
 

「居ますよね、チルノ博士。呼んで来て頂けないでしょうか?」


「……っな!?」


 霊夢の背筋に冷や汗が伝う。
 違う……っ!?
 この娘はチルノの友達なんかじゃない!
 目の前の少女はチルノがここで暮らしている事を知っている。
 チルノは今まで孤独に闘い、住処を転々として来た。
 知人にその都度連絡先を教えていたとは思えない。
 仮にそうだとしても……纏う空気に殺気が含まれていた。
 なら、何者なんだ……この少女は……?


「チルノは……居ません。今……出掛けていて」


「何時頃戻られますか?」


「え……え~と」


 霊夢が答えに窮していると、少女は軽く溜息をつき、
 そして――、


「隠すと、為になりませんよ」


「ひっ!?」


 ――霊夢の首筋に何時の間にか日本刀が添えられていた。
 気にも留めていなかった少女の持った花柄の包み、
 やけに細長いその荷物の正体がわかる。
 ――それが音も無く、
 目の前に居ながら何時抜刀したのか認識できなかった。

 『抜刀』――ただそれだけの動作が一体何千、何万回繰り返せば到達できる境地なのか、
 人間は力を込めようとするとどうしても力みが生まれ、その初動作が読める。
 その力みを消して消して、自然体からの澱みの無い洗練された抜打ち。

 抜打ちとは柄に手を掛け→抜き→斬り付けるという動作を一挙動に行うには、
 腕の動きだけでは到底追いつかない。
 肩、腰、膝など体中がそれぞれの役割を担い動かなければならない。
 その全てが同時に動き始め、動き終わる事で認識できない動きとなる。
 単純な移動速度では体現できない、間の速さ。
 近間の飛び道具と言われる所以である。


 霊夢はじんわりと湿り気を帯びる手を、思わず服の下に手を伸ばそうとする。
 ……そこで、いつも服の下に隠してあるベルトが無い事に気づく。
 家の中ということもあり、完全に油断していた。


「動かないで下さい。わかりますよね?」


 添えられた刀は首との隙間は一切無く、
 身じろぎしただけで頸動脈を切ってしまいそうだ。
 少女の技量なら、本当に一瞬で霊夢の命を断つ事は造作も無い。
 心臓を鷲掴みにされた感覚、
 グールとの戦いで場慣れしてきた霊夢でも、
 人間相手にここまで恐怖を感じた事はなかった。


 そこへ――、
 空気を切り裂く音が聞こえ、金属の弾く音が響く。


「危ないですね……」


 少女は何時の間に取り出したのか霊夢に突き付けてる長刀とは別に、
 左手に短刀を持ち、難なく飛んで来たものを防ぐ。


「何者だ?」


 家の奥から玄関の異変に気付いたのか、諏訪子が顔を出す。
 霊夢は緊張漂う中安堵し、逆に少女は訝しげに諏訪子を見る。


「危ないですから、お嬢さんは奥で遊んでいて下さい」


「私はお嬢さんじゃないんだけど、それより……霊夢を解放して貰おうか?」


 その突如、諏訪子の纏う空気が変わった。
 鋭い視線が走り、少女は反応する。
 ただの幼い子供だと認識を改め、諏訪子を凝視する。


「貴女は……何者です?」


「人に名を聞くなら、先に名乗るのが礼儀じゃないか? 小娘」


「……わかりました」


 すーっと霊夢の首筋から刀を離し、納刀する。
 諏訪子の力量を感じ取り、ここでやり合っても損と判断したのだろう。
 その様子に、霊夢は漸く深く呼吸し、額の汗を拭った。
 






「……どうぞ」


「ありがとうございます」


 結論から言って、少女を家に上げる事になった。
 家に上げて大丈夫か? 
 暴れないだろうかと心配だったが、
 事情が重そうである事と、玄関で立ち話をするわけにもいかない。
 仕方が無く客間に通し、霊夢はお茶を三人分注ぎテーブルに置く。
 少女の横には先程の二振りの刀を、
 花柄の包みに入れ紐をしっかりと縛り置かれている。

 少女の右横に置かれている事から、
 すぐに斬り掛かる気は無いという意思表示だろう。
 座ったはいいが牽制し合い、口を開きづらい空気の中、
 少女が姿勢を正して名乗りを上げる。


「私は日本政府直轄御庭番、魂魄 妖夢と申します」


「守矢神社の一柱、博麗家居候、洩矢 諏訪子よ」


「守矢の……貴女が……」


 妖夢と名乗った少女は諏訪子の名を聞き、思わず姿勢を正す。
 神としての諏訪子を知っているのか先程の威圧感は消え、
 ようやく話ができると霊夢は安堵する。


「直轄……御庭番……?」


 聞き慣れない単語に霊夢は諏訪子を見る。
 諏訪子は頷き、妖夢と名乗った少女を見つつ説明する。

 『日本政府直轄御庭番』
 この国には現在、二つの軍事組織がある。
 現代兵器を有し、主に国内の騒乱や他国の侵略等を防ぐために設立された防衛軍。
 それとは別に古くからこの国を支えてきた裏組織それが妖夢の名乗った組織だ。
 常に歴史の影に隠れ暗躍するその集団は、『公安』に近いかもしれない。
 
 単純に言ったら、超常現象を調査、解決するのが主な任務で、
 妖怪、魔法使い、悪霊等々……諸々の問題を管理しているのが、
 『日本政府直轄御庭番』と呼ばれる人達だ。
 
 国に仇名す者は例え女、子供でも容赦無く切って捨てる。
 国への忠義を貫き、敵には無常と破滅を――、
 その徹底的な暴力の行使に人々は恐れ、敬った。
 一般的な警察組織が犯罪者を取り締まる国家の犬なら、
 御庭番とは国という名の箱庭を荒らす不届き者を排除するという意味合いで、


 ――『庭師』と呼ばれている。


「ふん……西行寺の庭師がなんの用だ?」


「西行寺……?」


 また新しい単語ができたが、今度は諏訪子が説明する前に妖夢がきりだす。


「御庭番の管轄を、古くより西行寺家が行っているというだけです――」


「――それで?
 先程の無礼を働いた理由を聞かせてもらおうか」


 諏訪子は妖夢を睨みつけるが、妖夢はそれに堪えた様子も無く話し始める。


「チルノ・ホワイトロック博士に白玉楼まで御同行願いたく、参上した次第です
 それで……チルノ博士は?」


「それであの対応かよ……チルノは本当に今留守だよ。二、三日は戻って来ないんじゃないか?
 まぁ、残念だったな」


「すいません。多少強引な手を使っても連れて来い、との事でしたので……。
 それと質問なのですが、貴女は確か守矢神社の御柱のはず……何故、ここに?」


「色々と事情があるんだよ……まぁ、私の事はいいや。
 それよりチルノが何をしたっていうんだよ?」


「……ご存知無い? まぁ過去の話ですからね。率先して話す内容じゃ無いですし……」


 妖夢は直接関係の無い諏訪子に話していいものか、悩んだ表情を見せる。
 しかし、一応神である諏訪子を無視するのも具合が悪い。
 妖夢は頬を掻き、対応に困っていると……、


「……チルノの過去で……国の警察機関が動いたって事は」


 霊夢はハッと何かに気付いたように立ち上がる。
 すると素早く妖夢が立ち上がり、霊夢の前を塞ぐ、


「どちらへ?」


「ちょっと……電話を」


「チルノ博士を逃がすつもりですか?」


「そんな事はしないわ! それに今チルノは罪を償おうと必死に戦っている。
 そんな逃げるような真似は!!」


「信用できませんね」


「そんな……なら、どうすれば!!」


 段々と語気が強くなる霊夢を見つつ、
 諏訪子は溜息をつき、頭を掻く。
 そして、諏訪子は次に自分の膝をパンッと叩き頭を上げる。


「よし、なら私が話をつける。今の西行寺にな!
 チルノが何をしたか知らないが、私が代わりに御同行してやるよ」


「いや……しかしそれは……」


 諏訪子の発言に戸惑う素振りを見せる妖夢。
 そこへ、時代遅れの黒電話の音が鳴る。
 その音に妖夢が反応し、服のポケットから携帯を取り出す。


「……妖夢です……はい……はい」


 そして、その電話をそっと諏訪子へ渡す。


「直接お話しがしたいそうです」


 諏訪子は訝しげに携帯を受け取り、電話に出る。




『……初めまして、西行寺幽々子と申します』


「……そうか……そういう事か」


 諏訪子は電話の主が西行寺家当主本人が出たことで漸く合点がいった。
 何故、今西行寺の庭師が来たのか。
 何故、チルノの留守に合わせたのか。

 西行寺は昔から情報戦に秀でた役目だった。
 この家にチルノが居る事も……当然、諏訪子の事も……。
 全てわかっていて、来たのだ。
 その目的。
 チルノの過去の罪はまだ諏訪子は知らない。
 聞こうと思えば霊夢から聞けるが、こういう事は直接本人に聞くべきだと諏訪子は考える。
 だが、本当に妖夢という少女がチルノを連れて行きたいなら、
 ここまで情報を調べられる奴らなら、チルノの行動も当然把握できる、はず。

 ならば狙いはチルノでは無く、諏訪子だ。


『そういう事、とは?』


「惚けんじゃねぇよ! まぁいいや、回りくどい。
 私に用なら直接言えばいいだろ!!」


『……ほう。わかりましたか?』


「それで、用件はなんだ?」


『電話では話しにくいので、一度お会いしませんか? 守矢の御柱』


「いいぜ乗ってやるよ。西行寺の姫」


 それだけ言うと諏訪子は電話を切り、携帯を妖夢へ放る。
 妖夢は何気ない動作で受け取り、
 迎えの車を用意すると告げ、外へ出て行った。
 妖夢が玄関を出たのを確認し、霊夢は諏訪子へ近づく。


「……諏訪子いいの?」


「あいつらの狙いは私だ。理由はわからんがな……まぁ取って喰われたりはしないだろう。
 それより、チルノへ連絡入れておいて」


「わかった」


 諏訪子に促され霊夢は頷き、携帯を操作する。
 何回かコール音が鳴り、チルノが出る。


『……はい。どうした霊夢?』


 緊張の中、霊夢はチルノの声に安堵する。


『……霊夢?』


 そして、どう話をきり出そうか迷う間、
 電話越しにチルノが少し心配したように声を和らげる。
 その言葉に、霊夢は意を決して話し始める。


「チルノ良く聞いて……今、家に西行寺の御庭番という人が来ていて……」


『……わかった。すぐ戻る』


 それだけで、全てを察したのだろう。
 チルノは現在河城工房に居て、
 今日は帰れない予定だったが、事情が事情だ。
 予定を切り上げ、文にこちらへ送ってもらうようだ。
 

「ちょっと代わってくれないか……あ、チルノか?」


『……諏訪子』


 チルノも同じ結論に達したようだった。
 本当にチルノを逮捕して罪を問うつもりなら、
 チルノが全国を移動していた時点で、
 彼らの情報網で簡単に発見されただろう。
 それを敢えて泳がせて置いたのは何故か?

 否、泳がせざるを得なかったのだろう。
 おそらくは現在西行寺も余裕が無いと考える。
 それというのも、現在この国を守っているのは他ならぬ西行寺だからだ。

 国の守りは軍隊と西行寺の二つの組織で成り立っていたが、
 軍の方はチルノが『紅魔』にいた時代、壊滅に追いやられている。
 その為普段の業務に加え、軍の穴埋めをしなければならない。
 余計な人員は避けないはずだ。
 たかが一人の小娘を追い回すより、『紅魔』という遥かに脅威の集団が存在しているからだ。


『諏訪子……迷惑を掛ける』


「いいって。まぁ何が目的か知らないが、当代の西行寺に挨拶してくるよ」


 諏訪子が電話を切り霊夢へ渡した時、妖夢が顔を出し準備ができたと告げる。
 車はリムジンとはいかないまでも、それなりの高級車で専属の運転手がハンドルを握っていた。
 妖夢に促され、諏訪子と霊夢が後部座席に座る。


「妖夢様、よろしいですか?」


「えぇ……あっ、そうそう」


 妖夢は助手席から霊夢を見る。


「ベルト……ちゃんと着けていますよね?」


「なっ……!?」


 何故、知っている!?
 霊夢は刀を喉に突き付けられたように、表情が固まる。


「ふふ、シートベルトの事ですよ?」


 霊夢の顔が面白かったのか妖夢がくすくす笑うと、
 運転手に出して、と言い車が滑るように動き出した。






















 ―第二十七話 「双剣の庭師」、完。




 ―次回予告。
≪祝福の風――流れ散る桜の花びらは、ほんのり色づき朱に染まる。
  まるで饗宴を歓迎するように、歓び咲く三分咲き。
  桜花抄の一節には、確かに記された狂宴の記録。


  次回、東方英雄譚第二十八話 「妖怪の華」 ≫





[7571] 第二十八話 「妖怪の華」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/07/25 17:01



 白玉楼への道は車でかなり時間がかかったと感じた。
 その道中会話は一切無く。ただ漫然と座っていたように思う。
 まるでモノ言わぬ人形のように、置物のように。
 白玉楼というからには、人も寄せ付けぬ山奥の仙人のような暮らしを予想していたが、
 意外にも街の中心部へと吸い込まれていった。
 車は防音性が高いのか、ドアを閉めると完全に周囲の音と隔絶され、
 耳をすませば息遣いさえ聞こえるような……まったくの静寂だった。


「着きました」


 妖夢の言葉を合図に時間が動き出した。
 長かったようで、振り返ってみると一瞬の出来事だったような奇妙な感覚に捕われ、
 霊夢は車の後部座席から降りる。
 車の外に出てすぐ、体を伸ばすとあちらこちらが軋み、
 予想以上に緊張していたんだと納得した。

 古い町並みに合った武家屋敷を思わせる。巨大な門の佇まい。
 屋敷の敷地の広さは周囲の屋敷よりも少し大きい程度で、
 本当にここなのかと拍子抜けした。
 だが、ここが日本政府直轄御庭番の総本山であることは間違い無く。
 門の横にかかる表札には確かに『西行寺』とある。


「どうぞ」


 妖夢に促され霊夢と諏訪子は門を潜る。
 門がゆっくりと閉まり、重たい閂が掛けられた。
 そこへふっと見ると、門を潜ってすぐに一人の少女が頭を下げている。


「おかえりなさいませ、お師匠様。お客様ですか?」

 
 そこには浴衣を着た、小動物系を思わせる瞳の大きな少女が居た。
 黒い髪を肩口に斬り揃えられ、愛くるしい笑顔が特徴的だった。


「お師匠様?」


 霊夢の問いに妖夢はあぁ、と頷きそれが妖夢の事を指していると説明した。


「私は西行寺の剣術指南役も務めておりますので、彼女は私の内弟子と言う事になります。
 椛、この御二方は奥へ通します」


「わかりました。どうぞ、こちらへ」


 一礼をして、椛と呼ばれた少女は霊夢と諏訪子に付いて来て下さい、と屋敷の奥へと進んでいく。
 そこで、屋敷の間に位置する中庭へと通された。


「……なんだよ、屋敷の中じゃなくて、外に姫さんはいるのか?」


 諏訪子が問うと、椛は薄く笑い。


「いえ、幽々子様の元へ案内しています。奥に通せ、との事でしたので」


 そう言うと椛は枯山水の庭園を進み、燈籠へ辿り着く。
 そして、燈籠に手を入れ操作をすると、ガコンッと音がして地響きが鳴った。


「えっ……な、何!?」


 霊夢が驚いて周囲を見回すと、ちょうど霊夢達の立っていたすぐ前、
 枯山水の地面が大きく口を開けた。
 地響きが止み、大きく開いた地面には明かりが灯り階段が見えた。


「こちらです」


「すごい……仕掛け……諏訪子は知っていたの?」


「いや、昔西行寺と会ったのは何百年も前の話だよ。その間色々あったんだろ、こっちも……」


 椛と妖夢が先に歩き、その後を諏訪子、霊夢が続く。
 階段は真っ直ぐに下りて行きどこまでも続いていた。
 まるで地獄の入口のように……、
 生者と死者を分ける境界にも似た白い階段。

 降りて下りて漸く辿り着いたのは、無限に続く白い空間だった。
 一体どういう構造になっているのか、幻術の類か。
 その白い世界にぽつん、と小さな屋敷があった。
 屋敷にしては小さく、上にあったような門が無く、
 この空間全てが敷地であるとばかりに、屋敷の敷地と呼べる壁が存在しなかった。

 そして一際目を引くのが、小さな屋敷に対し、あまりにも大きな桜の大木。
 太陽光の届かない地下、屋敷の周囲には他に植物らしきものは生えておらず、
 樹齢千年は優に超えているであろうそれは……、
 まだ春でも無いのに桜の花がほんのり色づき始めていた。


「まずいな……」


 その桜を見た諏訪子の表情が固まる。
 霊夢はあの桜が何を意味するのかわからなかったが、それでも。
 通常の桜ではありえない程、
 赤く紅く色づく花弁が、決して良くない事の前兆である事は理解できた。

 屋敷に近づき、諏訪子が少し慌てたように案内役の椛を知らず知らずの内に追い抜いた。
 桜の大木の下、諏訪子がその幹を触り、眉を顰める。


「西行妖……が咲きました」


 静かに、そして明確な声が桜の大木が佇む庭園を支配する。
 屋敷の居間の障子が開かれており、そこから庭園を一望できる作りになっていた。
 声の主は自然な佇まいで、そこに正座していた。


「ご足労願い、申し訳ありません」

 
 正座のまま一礼し、顔を上げる。
 その女性は、豪奢な着物を纏い荘厳な雰囲気を纏っていた。
 諏訪子が言った西行寺の姫、という表現も間違ってはいない。
 こんな人間が現代日本にいるのかと、同性ながらも霊夢は見とれた。









「改めて御挨拶申し上げます。西行寺家当主、幽々子です」


「……挨拶はいい、用件を先に言え。
 私もここまで事態が悪化しているとは正直思ってなかった」


「はい。この度の重なる無礼、お許しください」


 そして幽々子と妖夢は、諏訪子と霊夢に向かい合って座り、頭を下げた。
 幽々子は再び顔を上げ、話し始める。
 何故、諏訪子を呼んだのか……、


 現在、状況は悪いの一言に尽きる。
 『紅魔』という組織が不穏な動きを見せ始めたのは数年前。
 その時はまだ、妖怪の一集団の暴動に過ぎないと考え、結果後手に回った。
 『紅魔』はグールという妖怪でも怨霊でも無い、化け物を操り次々と人間を襲うようになった。
 その原因は今だ判明せず、容赦の無い殺戮を繰り返している。
 そして問題なのは、それが組織的に動いているという点だ。
 一年程前、グールは勿論、子飼の妖怪を使い日本全国の軍隊基地を襲撃、
 指揮系統を破壊した。
 
 それにより、日本の防衛力は低下し、他国の脅威へと晒されることとなった。
 しかし、問題は日本だけに留まらなかった。
 世界各国で同様の事件が多発し、世界は混乱状態へと陥っている。
 既に首脳各国は事態を重く見て、密かに会談を持ち事態の収拾に当たったが、
 結局は人種の違う国同士、お互い牽制し合い一向に進展せぬまま時間だけが過ぎていた。
 そんな状況ではないというのに……、
 そんな場合ではないというのに……、


「これは異変です。人間と妖怪の戦争という名の……」


 幽々子は扇子を広げ、口を覆う。
 それが彼女の考えるスタイルであるように自然な動作で、


「西行寺……アンタが言いたいのは、私達に協力しろって事だろう?」


 幽々子は首肯し、今回の回りくどい方法を取った理由を説明する。
 チルノを重要参考人として追っていたのは事実だ。
 だが、現状でそれを行う程人員は確保できず、壊滅している防衛軍の代わりに、
 西行寺に所属するほとんどが出払っている状況だ。
 そして……その中でもグール達と対等に戦える人間は少なく、
 全国で同時多発的に出現するグールに十分対応できてはいない。

 守矢神社と同様の事が起こっている。
 人材不足。
 現代日本に置いて、幾ら妖怪が減ってきているとは言っても危機意識はどうしても低くなる。
 特別な力を持った人間が生まれなくなったのも時代の流れ、致し方無いことだ。
 現当主である幽々子も、これだけの大異変を経験するのも初めての事態。
 その中で幽々子の取った行動は協力を仰ぐ事だった。

 人間には対処できない事なら、人間以外のモノに協力してもらう他無い。
 事態は一刻を争うのだ。
 そこで幽々子は自分の知りうる情報を元に、日本全国の実力者へと声を掛けた。
 種族は問わない。
 妖怪だろうが神だろうが、少しでも今回の事態を収拾する力になってくれる者を探した。

 その中で、守矢神社襲撃事件を耳にし、幽々子は焦った。
 土着神の頂点に立つあの神社が倒れれば、神々との橋渡し役がいなくなってしまう。
 幸いな事に洩矢 諏訪子は生き残り、こうして話す機会が得られた事は喜ばしい事だ。
 だが、普通に協力を要請しても断られる可能性があった。
 神とは本来自由な種族だ。
 人間の事情には無関心で、必要なのは信仰心のみ。
 洩矢 諏訪子という神が居る事は知ってはいても、洩矢 諏訪子がどういう神かはわからなかったからだ。
 騙すような形を取ったが、それだけ切羽詰まる状況に追い込まれている事を、
 理解して欲しいと幽々子は言う。

 電話で話しをした時、幽々子は諏訪子の頭の回転の速さを理解し、口調より性格を把握した。
 諏訪子ならこういう挑発に敢えて乗り、腹を探ってくるだろう、と。


 ……なんて、ね。
 本当の嘘よ。嘘から出た真とも言うけど……、
 幽々子は扇子の下で隠した口元に薄い笑いを浮かべる。
 そういう理解の仕方をするだろうと踏まえて、次の一手を打つ。


「お願いします。日本の神々を動かしては頂けないでしょうか?
 傲慢で身勝手な要求だとは承知しております。
 だけど、そこを曲げてお願いします。私達を助けて下さい」


「……そんな横暴な」


 本当に自分勝手な言い分だった。
 自分達の都合で騙すような形で呼び出しておいて、更には厚かましくも協力しろと要請する。
 筋が通らない。
 話を通すにはそれなりのルールというモノがある。
 明らかに面倒に巻き込まれる可能性が高い。
 霊夢が抗議の声を上げたが、それを押し止め諏訪子は一言告げる。


「わかった」


「諏訪子……いいの? そんな約束して……」


「やるしかないでしょ。別にこいつ等を助けたい訳じゃない。私はこの国を愛しているからよ。
 人間が居なくなれば、私達神も生きてはいけない。
 信仰されない神など無に等しいのよ。
 『紅魔』は……今見境が無くなって危険な存在なの。
 それは人間にとっても妖怪にとっても……そして私達神にとっても。
 それにこのままじゃじわじわと戦力を殺させる事になるわ、結束するなら早めの方がいい。
 今回は西行寺側がお願いする立場上、当然色々力を貸してもらうからね」


「仰せのままに。私共も協力は惜しみません」


「まぁ……今日はこのへんで失礼するよ。ウチの大将が不在で話を進め過ぎてもね……」


「貴女方のリーダーはやはりチルノ博士ですか?」


「改めて言う事も無いだろ。あんたの中では既成事実なんだから……」


「ちょっといいですか……?」


 話が終えるタイミングで霊夢が質問する。
 幽々子がどうぞ、と促す。


「あの桜の木は……その問題なんですか?
 ……あんなに綺麗なのに」


「博麗 霊夢だったかしら……?」


 博麗の血も衰えたものだ……、
 幽々子は自身の感情を出さず笑顔のまま、
 話を合わせる。


「そうね……私達の……世界の関節が外れたってところかしら」


 幽々子が扇子をたたみ、どこか遠い眼差しで語り始める。
 『西行妖』
 古来より西行寺家に祭られた妖怪桜で、
 千年程前、有名な歌人がこの桜の木の下で死にたいと願い生涯を閉じた。
 その後、多くの彼を慕った人間が後に続くようになり、
 その多くに人間の精気を吸い妖怪となり、
 そして何時の間にか桜が咲く度に人を死に誘うようになった。

 危険視されたこの桜を西行寺の先祖であるその歌人の娘が、
 父が愛した桜がただ人を殺すだけの妖怪になってしまった事を悲しみ、
 その桜が満開の時自害をもって、封印をした。
 それ以来、人を死に招く事は無くなったが、一つの性質を持つようになった。

 それが……、
 人の死による怨念を吸い、
 血のように赤い花びらを咲かせる――、


「怨みの華となったのよ」










「よろしいのですか?」


 霊夢と諏訪子を門まで送り、妖夢が屋敷へ入ると
 既に地上の屋敷、その居間に幽々子は居た。


「よく雨が降るわね……」


 幽々子は妖夢の問いには答えず、
 先程から屋敷を打ちつける雨音に耳を澄まし、中庭を眺める。

 幽々子は諏訪子と霊夢を帰す時、また会えないかと言った。
 互いの情報交換、それと親睦も兼ねてちょっとした宴会を用意するという事だ。
 この場に居なかったチルノ博士にもちょっと興味がある。
 

「ねぇ妖夢。現実が一つの物語と仮定して、貴女は自分を正義の味方だと思う?」


 雨は止む気配は無く、唯ひたすらに降り続けた。
 まるでこの世界の汚れを洗い流すように……、


「……」


「自分の事を……悪者ではないかと考えた事は?
 世に正義も悪も無く、ただ百の正義があるのみ……とまでは言わないでも、
 思いを通すはいつも力有る者のみ、
 正義だろうか、悪だろうが、ね」


「私には難しい事はわかりません。
 ですが……、西行寺の家に仕え、幽々子の命に従う事。
 それは、絶対的な私の正義です」


「そうね……妖夢なら……そう答えるわね」


「それでも……」


「……うん?」


「もし、幽々子が道を違えた場合、
 誠心誠意を持って正しい道を説き、
 全身全霊を持って立ち塞がります。
 その時は御容赦を……」


「……ぷっ……くく……あははは、
 そうね……妖夢なら……そう、答えるわね」






 雨の臭いって好きよ。
 そう語る幽々子の横に控え、嬉しそうに顔を扇子で隠す主を見て、




「……悪くは無い、と思っています」




 妖夢は曇り空を優しく見つめた。
 今日の雨は一段と強く、何時まで経っても音は鳴り止まない。
 時間が確かに動いているのに、静止した世界。
 それは自分だけの感覚だったのかもしれないが、
 それでも確かに……生きていると、実感できたから。














 ―第二十八話 「妖怪の華」、完。




 ―次回予告。
≪割り切れる事は人生の中で、一体どれだけあるというのだろう……、
 決意し、言い聞かせ、前に進んで、背中に怯えて、
 そして最後に行き着く先は――最初の……願い……
 
 次回、東方英雄譚第二十九話 「いつの間に長き眠りの夢さめて」 ≫




[7571] 第二十九話 「いつの間に長き眠りの夢さめて」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/08/01 23:41



 幽々子が諏訪子と霊夢の会談後一週間が経った。
 幽々子の招きに諏訪子、霊夢、チルノ、文が応じ、
 宴会は西行寺の屋敷で執り行われる事となった。


「射命丸 文です。今日はお招き頂きありがとうございます」


「あら、珍しい。新聞記者さん?
 今日は面白い記事が書けるといいわね」


「……雑誌記者です。今回の事は雑誌には載せません
 あくまで私個人の興味です」


 文の事も調べがついているのだろう。文の顔を見るなり記者だと見抜き、
 皮肉も交えて話してくる。
 文がいくら記者だとは言っても、
 一般のマスコミと国家の情報管理の長である幽々子に勝てるはずは無かった。



「まだ日も高いし、宴会の準備が整うまでの間少しお話しましょうか?」


「チルノといいます。今日は――」


「あらあら、可愛らしいお嬢さんね。貴女がチルノ博士?
 若いのに賢いのね~」


 そのままだと頬ずりしてしまいそうな勢いで、チルノの頭をひとしきり撫でると、


「それじゃ妖夢、お茶とお菓子用意して頂戴!!
 さぁどうぞ、客間の方へ」


 上機嫌で幽々子は横に控えていた妖夢に指示を出し、
 自分は先に屋敷の客間へと移動していく、


「……本当にここはあの西行寺なんですか? なんかこう……」


 文は自分の中のイメージとのギャップに苦しんでいるのか、
 どうも腑に落ちない表情で諏訪子達を見る。
 諏訪子達も幽々子の以前の態度と違う事に違和感を覚える。
 妙に馴れ馴れしいというか……、


「まぁ、完全にナメられているな。チルノ、少しは言い返した方がいいよ」


「……ごめん。突然だったから」


「まぁいいじゃない。今日は戦いじゃなく、話し合いに来たんだから」


 霊夢達の戸惑いを察したのか、妖夢が一礼をして話し掛ける。


「……申し訳ありません。主が失礼を致しまして、
 あれが本来の幽々子様で、先日は立場上ああいう形式張った言葉使いでしたが、
 今日は無礼講、皆様方を友人として迎え入れる演出の一つとお考え下さい」


 それだけ言い残し、妖夢はこちらへ、とチルノ達を先導して客間へ案内する。
 皆が席に着き、妖夢がお茶を運んで来た。


「宴会の準備をして参りますので、それまでごゆっくりと……」


 妖夢が一礼をして襖を閉める。
 そして幽々子はチルノを見た。


「悪いわね、貴女の事は色々調べさせてもらったわよ、チルノちゃん」


「……ちゃん付けは……止めて欲しい。調査の事は、それが貴女の仕事だと理解している」


「ふふ、こうして貴女とお話できるとは思っていなかったわ。
 まぁ、今日はお互いの立場を忘れて楽しみましょう。
 ねぇ……チルノちゃん?」


「……そうね」


 追跡者と逃亡者。
 それが本来の関係であるはずの二人の会話は頬笑みと無表情で始まる。
 この時点で、既にパワーバランスは明らかだった。
 チルノは、知識はあるが話術という点においては、幽々子に軍配が上がった。


「すいません。質問よろしいですか?
 今日は宴会という事ですが、何故私達を呼んで頂いたのでしょうか……、
 貴女にとって、チルノは……言い方は悪いですが犯罪者になり、捕まえる対象になるのでは?」


「ちょっと違うわね」


 文が幽々子に尋ねると、幽々子は扇子を取り出し、部屋が暑いのか扇ぎ始める。


「チルノちゃんは私達側からしたら、あくまで重要参考人という扱いなのよ。
 確かに過去の罪を上げて、逮捕しようとする意見もあるけど、私としてはこう捉えているわ。
 『紅魔』に属し、軍を襲撃したのも――妖怪達に脅され騙されて、ね」

 あくまで建前だけどね、と幽々子は扇子で口を覆い頬笑む。
 それが西行寺としての見解か……。
 特例措置というやつだろう。話から察するに幽々子はチルノが何をしてきたのか、
 かなりの部分を知っているようだ。
 それでも力尽くでチルノを捕えないのも、チルノが現在『紅魔』と対立し、
 グール達を倒している現実がその行為に静止をかける。
 いくら妖怪達に脅され騙されてとしても、
 行為自体が国家反逆罪として罪に問われても仕方の無い事だ。

 それを前提としてなお、幽々子は西行寺の長として罪には問わないと言っている。
 建前まで用意して……、
 文はペンを走らせながら、周囲に耳を傾ける。
 本当にそういう腹積もりかは疑わしいが、
 ここで一斉に襲い掛かり一網打尽にするつもりは無いらしい。
 チルノが自由に動く事で結果的に、敵の混乱や戦力の削減に寄与していると捉え、
 特に行動を縛るような事はしないそうだ。
 ――そこへ襖から声が聞こえた。


「……幽々子様、椛です」


「あぁ、そうそう忘れるところだったわ。紹介したい子がいるのよ。
 椛、入りなさい」


 一礼して入って来たのは、諏訪子と霊夢が初めて西行寺家に来た時案内してくれた少女だった。
 礼から顔を上げ霊夢達を見た椛と呼ばれた少女はあっ、と小さく声を上げた。


「どうかしたの、椛?」


「えっ、あ……すいません。何でもないです。
 犬走 椛と申します」


「この子は?」


 諏訪子が椛を見ながら幽々子に問うと、幽々子は扇子を畳み、椛を指し示す。


「この子を貴女達の所に置いてくれないかしら?
 これから戦いは厳しくなるわ……今の戦力では十分対処できないと思うの。
 椛は戦力として西行寺から出向という形で、お互いの情報交換もこの子を通して行うわ」


 どうかしら? とチルノ達に問い掛ける幽々子。
 その問い掛けに選択肢は存在せず、有無を言わせぬ響きがあった。
 これは言わば取引条件だ。
 過去のチルノの罪に目を瞑る代わりに、この条件を飲めという事だろう。
 先日の諏訪子との話であった、西行寺からの『協力』という形になる。
 

「……わかった」


 チルノは頷く、ここが妥協点だった。
 チルノは自分の罪が消える事を望んでいるわけではない。
 この戦いが終わったら、自首してもいいとさえ思っていた。
 問題なのは、今西行寺と対立する事だ。
 唯でさえ、『紅魔』を相手に苦戦しているなか、西行寺まで敵に回してしまったら、
 『紅魔』を倒すという目的を達成するどころではない。
 
 犬走 椛という少女は明らかに西行寺のスパイであり、
 こちらとしても、要らぬ腹を探られたくは無いが仕方がない。
 戦力とう点で『協力』という言葉は甘く響いた……。


「この子……戦力って言いましたけど……」


 霊夢が自分とそれほど変わらない年であろう椛を見る。
 幽々子は大丈夫よ、と答え立ち上がる。


「貴女の力を見せてあげて」


 幽々子は椛の横に座り、右耳の鈴がついたイヤリングを外す。
 椛はハイッと元気よく返事をして、客間を越えて中庭に出る。
 手を高く掲げた椛は勢い良く、手を降ろす。
 ヒュウッ、と風を切る音が聞こえると同時に、椛の身体が風を纏い始めた。
 そして、椛の手が風の渦から縦に切るように風と止めた。

 そこに現れたのは先程の少女の面影を残したまま、美しい白髪を靡かせた妖怪がいた。
 先程の浴衣が山伏の服装にも似た装束に代わり、一本歯の高下駄
 さらに目を引いたのは犬を思わせる耳や尾が生えていたからだ。


「……妖怪か、どうりで雰囲気が人間と違うと思った」


 諏訪子がさして驚きもせず、椛を見つめた。
 以前会った時に、椛が普通の少女では無い事は薄々感じてはいたのだろう。


「この子は、現在では唯一天狗が生息する山、求菩提山の生き残りよ」


「ちょっと待って! じゃあ、あそこの天狗達は……」


 諏訪子が幽々子の説明に反応する。
 チルノ達もそれが意味する事を察した。


「既に全滅しているわ……『紅魔』が人間を襲い始める数年前、敵対しそうな勢力を先に潰したのよ」

 
 それ以外も、『紅魔』は先手を打っていた。
 『紅魔』が暴走する以前の日本は、一般には知られてはいないが、
 極一部の人間には妖怪が存在しているの事は、周知の事実だった。
 日本には古来より多くの神と妖怪達が住み、少なからず親交もあったが時代が進むにつて、 
 妖怪達も人間社会にこうして溶け込み、生活をしていた。
 
 『紅魔』が自由に動くには、人間と親しい妖怪は邪魔でしかない。
 人間達と結束されても困る話だ。
 天狗や河童等の現在でも親交の続いている種族を始め、多くの妖怪が既に殺され、
 逃げ延びたのも僅からしい。


「私の……父、母、姉妹も全て殺されました。私は『紅魔』が憎い、狂おしいぐらいに。
 私は許せないのです。だからお願いです! 私にも戦わせて下さい!!」


 必死で堪えているのだろう……憎しみを、
 人間の時に見せたような笑顔は無く、妖怪化した彼女の表情には剥き出しの感情があった。
 自分の友人、父が目の前で殺された霊夢には痛い程それがわかった。


「チルノさん……いいですか?」


「うん……どうしたの、文」


「この子を家で預かりたいのですけど……どうでしょう?
 この子を預かるとしても。もう、霊夢さん家はチルノさんと諏訪子さんが住んでいますし、
 流石にこれ以上はきついと思います。幸い私も一人暮らしですし、移動も車があるので……」


「……うん。私はそれでいい。霊夢達もそれで構わない?」


 チルノの問いに霊夢と諏訪子も同意する。
 そこで、パンッと幽々子柏手を叩き、


「じゃあ、決まりね! それじゃ椛もう戻っていいわよ」


 はい、と返事をして椛が妖怪化を解き、中庭から客間へと戻って来た。


「それではよろしくお願いします。射命丸 文さん」


「こちらこそ、よろしく椛」


 それではまた後日、と言い残し椛が客間から出て行き、
 入れ代わりに妖夢が入って来た。


「幽々子様、そろそろ……」


「わかったわ。皆お腹空いたわよね?
 そうね……じゃあ今日の主役、チルノちゃんに選んでもらおうかな~、
 魚とお肉、どっちがいい?」


「魚は……生臭いから好きじゃない」


「ならお肉ね。飛びっきり新鮮なやつにしましょう。妖夢」


「かしこまりました」


 そう言って妖夢が客間を出て行き、少しして大きな布袋を抱え戻って来た。


「新鮮なお肉が手に入ったのでね。是非皆さんに食べて頂こうと思って」


 その大きな布袋は何故か、動いていて霊夢達が驚いて叫ぶと、
 妖夢は無表情のまま、布袋開けると中から出てきたのは足首を縛られた、生きた鶏だった。

「知り合いの養鶏場から一羽分けてもらいまして、丸々太って美味しそうでしょう?」


「美味しそうって……生きているじゃないですか! どうするんです!?」


「どうするって? ……ここで絞めるんですよ」


 幽々子の穏やかな優しい声に、霊夢はエッ、と声を上げ恐る恐る鶏を見る。


「何も生きた鶏を使わなくても……」


 これも演出の一つなのか……、
 文もおかしくなった空気を変えようと幽々子に抗議の声を上げる。


「あら、可笑しい事言うわね。貴女達が普段食べている肉だって、皆生きている動物を殺したものなのよ。
 初めから死んでいるモノなんてないんだから……、
 良い機会だから……貴女絞めてみる?」


 そう言って幽々子は文を黙らせ、暴れる鶏とナイフを妖夢から受け取り、
 霊夢へナイフの柄を向け渡そうとする。


「な、何言っているんですか!? できるワケないでしょう!!
 目の前で殺すなんて……ねぇ……諏訪子からも何か……」


 横に居る諏訪子は目を瞑り、無関心に座ったまま動こうとはしない。
 それが当たり前であるかのように、どう対処するのか霊夢を試すように……、


「ふふ……霊夢。貴女可愛いわね……貴女はその手で今まで何十、何百とグールの命を奪ってきたのに」


「だって!! あれは……化け物……だし……」


 偽善だ!! 偽善でしかない……、
 霊夢は自分で自分を誤魔化した事に、自分自身で腹が立った。
 幽々子は何も間違ってはいない。
 グールは化け物だから殺していいという論理は確かに可笑しい。
 それは差別でしかない。
 自分と違う生き物だから、自分と異なる存在だからと言い聞かせ、
 ゲームのように勧善懲悪にも似た罪悪感の無さ……、


「でも……命がある事には変わりないわ。
 私達はそうやって他の生物の命を侵略した上に成り立っているのよ」


 幽々子は会話をしながら客間のすぐ外にある中庭へと出る。
 そこには血が飛び散ってもいいように、ビニールシートが広げられ、
 鶏を吊るす為の道具も揃えられていた。
 鶏を吊るした下にタライを置き、血受けとする。
 首に紐を巻き吊るす事で失神させた。
 慣れた作業なのか無駄が無く、残酷なようで酷く事務的だった。


「首を一気に切り落としては駄目なのよ」


 幽々子は優雅な動作で、鶏の首にナイフの刃を当て、引く。


「即死させてやれば、苦しまずに殺してあげることができるわ
 でもそうすると、十分血が抜けなくて、お肉が食べられなくなるの……」


 瀕死の鶏は懸命に心臓を動かし、零れ落ちた分の血を脳へと送ろうとする。
 しかし、切断された頸動脈から勢い良く次々と血が溢れ、地面へと落ちて行く。


「殺しても食べないんじゃ、結局、殺す意味自体無くなってしまうわ
 私達が美味しく食べるって目的の為には、この鶏に苦しんで貰わなくちゃいけないの」


 暴れる鶏の首から血が滴り、やがて……最後の痙攣と共に動かなくなる。


「私、食に対しては少々貪欲なのよ……」


 そう呟く幽々子の横顔は笑みさえも浮かべ、十分血が抜けきった事に満足していた。
 たった今行った殺戮行為に何の感傷も湧いてはいない。
 見ているのはその肉のみ、どう料理しようかという思考だけだった。

 その姿を見て霊夢は酷く吐き気を覚えた。
 こんな事自分が知らないだけで、どこかの食品工場でやっている事だ。
 確かに店でパックにされた肉や魚は、自分で望んでそこに居る訳ではない。
 でもそんな事考えていたら飢え死にしてしまう。
 薄々気付きながらも考えてないようにしていた事を……逃げ場が無くなった。

 霊夢は自分の呼吸が荒くなっているのを感じた。
 大丈夫、大丈夫……何時も食べているじゃないか……鶏肉好きだったじゃない。
 焼き鳥、唐揚げ、シチュー……そうだ、何時も喜んで食べてじゃないか。
 当たり前の事だ、至極当然な流れだ……、
 自分を抑えつけて、改めて吊るされた鶏を見る。


「はぁ……はぁ……うッ……」


 目が合った。
 唯それだけだ、それだけのはず。
 首の切断面から除く神経、血管、黄色い脂肪……、
 時たま痙攣した足は空中をかいて……、


「霊夢」


 すぅーと、冷たい手の平が霊夢の額に置かれる。


「……チルノ?」


「大丈夫? 無理、しなくていい」


「だって……私は……」


 チルノに情けない姿を見せたのが恥ずかしかった。
 何時もチルノのお姉さんぶって、食事の用意をしていた自分が、
 鳥一匹目の前で殺しただけで気分が悪くなるなんて……、
 一瞬の内に今まで奪って来たであろう命の事を考える。
 こんな当たり前の事に何で気付かなかったんだろう……、

 今まで戦いグールを倒して……いや、殺して来た事も……、
 RPGのゲームの中で、何故敵があんなに醜悪で恐ろしいのかわかった気がする。
 罪悪感が無いからだ。
 自分がこの化け物を倒したら世界が救われる、そう言い訳の道具を与えて貰っていたからだ。
 だから……私は……、


「霊夢、良く聞いて……貴女は何も間違ってはいない。
 貴女が今感じている感情全て、本来持っていなければならないモノ」


「チルノ……」


「ゆっくり深呼吸して、もう一度よく見て。
 大丈夫、今度は私が傍にいる」


 チルノは霊夢の頭を優しく抱き抱えるように、霊夢の傍らに立つ。
 霊夢は座った状態でチルノの言われたように目を瞑り、ゆっくり深呼吸をして目を開ける。
 改めて見た鶏の死体はやっぱり気持ち悪くて、すんなり受け入れられない光景だった。
 それでも、さっきと比べると少しだけ大丈夫な気がした。
 
 チルノは霊夢が落ち着いた事を確認し、幽々子を見る。


「茶番、戯言、悪ふざけ……貴女がやっている事は命を見世物にしている」


 生物として他の生物の命を奪う事は、弱肉強食である自然の理として当然の事だ。
 生きる為、種を残す為、生物にDNAに刻み込まれた摂理。
 単純な動物なら生きる為殺す事に躊躇いは無いはずだ。
 だが、人間は動物としては賢過ぎた。
 だから考え、だから悩む。

 チルノ自身、今まで奪って来た命の数を考えない訳が無かった。
 だけどチルノは止まらない。
 嫌なら最初からここにはいない。
 自分が決め、進んだ道に言い訳はしないからだ。

 だからこそ、幽々子の行動に嫌悪を覚えた。
 こんな事、台所の片隅でやればいいだけの話だ。
 わざわざ客である霊夢達に見せる必要はない。


「あら? 貴女も気持ち悪いの?」


「えぇ、気持ち悪い。貴女の行為自体が!」


 その声の強さに霊夢は驚く。
 普段物静かで声を荒げる事の無いチルノが、珍しく怒気を露わにした。
 西行寺 幽々子にチルノは怒っている。
 やり方が気に食わない、許せない。
 その感情をこんなにストレートに出したのは初めて見た。


「客に不快感を持たせた時点で、ホストとしては失格。
 皆、帰りましょう……もう用は済んだ」


 そう言い捨て、チルノは座り込んだ霊夢を優しく立たせる。
 そしてそのまま幽々子を振り返らず、客間を出て行った。


「あ、待って下さい!!」


 文はそれに続くように出て行き、最後に残った諏訪子が立ち上がる。


「諏訪子様……貴女も一緒ですか?」


「あんたは間違っていないよ……けど、気に入らないね」


 無駄な時間を過ごしたとばかりに頭を掻きながら、諏訪子はチルノ達の後を追った。
 それを黙って見送った後、妖夢は幽々子へ近づいていく。


「ふふ、嫌われてしまいましたね、幽々子様……お茶目が過ぎますよ」


「せっかちなんだから……人の話は最後まで聞くものよ……」


 手に付いた血をタオルで拭い、幽々子は中庭から客間へと上がる。


「本当に椛を預けるのですか?」


「何? 心配? まぁ可愛い直弟子じゃしょうがないわね」


「弟子って程じゃ……二、三手解きをした程度ですよ。
 それよりも、彼女達が逆にこちらを裏切る可能性も……」


「その時はその時よ……でも、見る限り甘ちゃん揃いだから大丈夫じゃない?
 椛ならけっこう強いから、よっぽどの事が無い限りやられたりはしないわ」


「それはそうですが……」


「それに……もしそうなら……私の見込み違いという事ね」


「どっちが……ですか?」


「貴女が決めていいわよ」


 今日は鳥鍋ね、と上機嫌に妖夢に鶏の後始末を頼む幽々子。
 苦笑しつつも、妖夢は血抜きされた鶏を持ち台所へ向かった。








 西行寺家の帰り、文の車で霊夢の家へ送ってもらう事となる。
 無言の車内だったが、霊夢の家に近づくにつれ少しずつ会話が広がり、
 重苦しい空気も家に着くころには幾分和らいだようだった。
 ここでいいと、霊夢の家がある住宅街の入口で車を止めてもらう。
 少し歩きたい気分だったからだ。
 文に別れを告げ、霊夢、チルノ、諏訪子が車から降りる。


「チルノ……ごめん。私、答え……出せなかった」


「霊夢……」


「グールを倒す事は正しい事で、人助けをしているんだと自分に言い聞かせて来たけど、
 どんなに偽っても私は――」


 ――私は何て無様なんだ!!

 幽々子に鶏を殺す事を通して突き付けられた事実。
 それは霊夢が自分自身に言い訳をしている事だ。
 自分を偽り、誤魔化し、この先もやっていくつもりなのか?
 命を落とすならまだしも、足を引っ張られるのはごめんだと言われたような気がした。
 幽々子も西行寺としてチルノ達に関わっていく際、なるべく不確定要素は排除したいのだろう。

 ちぐはぐだった……どこまで嘘で、どこまでが本当の気持なのか。
 今思うと、自分は戦うという宣言は自分に言い聞かせていたのかもしれない。
 友や父の仇を討つため自分は鬼になったと考え、ベルトも装着でき、
 チルノにも仲間だと認められた事が嬉しかった。

 自分には力がある。
 人を救えるだけの力が……、
 自分一人戦うだけで、一人でも二人でも多くの人が助かるなら!
 だけど……心の中では何時も怯えていたのかもしれない。
 戦うのが怖い、死ぬのが怖い、殺すのも怖い。
 私はどうすればいい?
 どうすればよかったの……?

 悩む中、何時しか疑問の泡を浮かび上がって来ないように厳重に箱に詰め、
 意識の奥底に追いやる事で……考えないようにした。
 それが、見透かされた。
 だが、自分が決め、自分が取った行動の責任は自分にある。
 人に頼れない事は良く分かっている。
 それでも――、


「それでも、私を頼って欲しい」


 俯いた霊夢の頭が上がり、チルノの表情が和らぐ。


「霊夢が悩んでいる事はわかる。でも、私はそれを否定しない。
 寧ろ、悩んで欲しいとさえ思っている」


「えっ!?」


「霊夢……私は既に一度道を間違えているんだ。その時は一つの考えに縛られ悩まなかった。
 結果、失敗した……悩まなければ必ず道を間違えるものなんだ。
 どんな道でも絶対に正しい道などありはしないのだから……」


 そこで、チルノは霊夢の背中をぽんっと叩き、前に歩くよう促す。
 いつの間にか霊夢の家の前まで来ていた。



「何時でも話そう、一緒に悩んでいこう」



「ありがとう……チルノ……なんか姉妹みたいだね」


「妹には相談し辛い?」


「ううん、年齢とか身長とか関係ない。チルノは私のお姉ちゃんって事で!
 寒くなって来たね。早く入りましょ……お茶淹れるわ!!」


 そう言って霊夢は先に走って玄関を潜る。
 その様子を嬉しそうに見つめるチルノを、諏訪子が横から首をアームロックの形で挟む。


「お姉ちゃん役、お疲れ~」


「別に疲れてなんか……」


「無理しなくていいよ。今は霊夢いないんだし、何時までもしっかり者の姉は辛いでしょ?」


 お見通しか、とチルノは肩の力を抜く、今は諏訪子の気遣いが嬉しかった。
 幽々子が鶏を絞めた時、一瞬チルノは実験台の上に寝かされた妖精の大ちゃんを思い出した。
 チルノ自身の記憶がトラウマとなって、何かの弾みで浮かんでくる光景。
 何度見ても嫌なものだ……親友が解体されている映像は……、
 隠し通したつもりだった……わずかな手の震え、
 諏訪子には全てバレていたようだ。


「チルノが霊夢の姉なら、私がチルノの姉になってやるよ!」


 そう言って笑う諏訪子に、チルノもおかしそうに釣られて笑う。


「諏訪子には早苗が居るから」


「えっ~早苗ってすぐ何かあると飯抜きって言うんだよ!?」


「それは大抵、諏訪子が悪い」


 そんな~!! と諏訪子の叫びで再び笑い合う二人。
 そこへ、二人が中々家に入って来ない事を心配して、霊夢が玄関から顔を出す。


「どうしたの? そんなに盛り上がって……」


「別に」「別に~」   


 そして再び笑いだす二人を不思議そうな眼で見つめ、お茶淹れたから早く上がってと二人を促した。
 


 今日明日中には答えは出ないだろう。
 何も解決してはいない。
 何も答えを出してはいない。
 それでも霊夢の心は軽くなったような気がする。
  



 凝り固まった心の氷はチルノの言葉で容易く氷解してしまった。


 まるで氷の扱いを心得ているかのように……いとも簡単に、





















 ―第二十九話 「いつの間に長き眠りの夢さめて」、完。




 ―次回予告。
≪響き渡る歌声は讃歌であり、鎮魂歌。
 その世界を形作るのは、どこかで聞いた幻想の音……、

 歌を歌うのは好きだった。
 自分の声が世界を奮わせているように感じるから。
        
 次回、東方英雄譚第三十話 「幻想樂団」 ≫




[7571] 第三十話 「幻想樂団」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/12/28 22:31
「――ライダーキック!!」

《Rider kick》


 霊夢の右足が唸りを上げ、グールの横顔に炸裂する。
 蹴られた衝撃で地面にたたきつけられたグールは、数度呻き声を上げた後に砂と化した。
 その隙を逃さず、次々と襲いかかるグールの攻撃……霊夢は札を展開し結界で防ぐ。


「散っ!!」


 零の札を散開させ、グール達を取り囲むように地面に張り付く。


《Illusion vent『封魔陣』》


 結界に取り込まれたグール達はもがき苦しむ、そして力尽き次々と砂と化していった。
 霊夢は次に陰陽を象った玉を取り出し、遠距離のグール達へ放つ。
 『陰陽宝玉』と名付けられたこの玉は、チルノに作成してもらったものだ。
 霊夢の霊力を込め、増幅し、自在に動かす事ができるため接近戦は勿論、
 中遠距離の敵にまで攻撃が可能な代物だ。
 まだ、試作段階ではあるがこうして戦闘の度に使用し、使い勝手を調整している。

 放たれた陰陽宝玉は回転し、霊気の針を雨のように降らせグール達に逃げ場の無い攻撃を加える。
 グール達は悲鳴を上げ、徐々に煙を上げながら体が崩れていった。



「だいぶ、使いこなせたようね」


 粗方グールを片付け終えた霊夢に、チルノが声を掛けた。
 その言葉に霊夢は首を振って答える。


「まだ足りないわ……グール相手には通用するけど、この前のルーミアの時は効なかったし……」


「焦っては駄目。それと……あの子はどう?」


 チルノの目線の先にグール達と戦っている犬走 椛を見やる。
 今日は霊夢、チルノ、椛の三人で文からの情報を聞きつけ現場に足を運んでいた。

「……強いわね」


 既に妖怪化している椛は愛用の剣と楯で巧みに戦闘をこなしている。
 変身して漸くグールと戦える霊夢達と違い、スーツも着けずにグールを圧倒するパワーとスピードを有していた。


「はっあああああ!!」


 気合一閃、椛の剛剣がグールの頭部を唐竹割りし、そのまま足先まで一気に斬り落とした。
 斬り裂くというより叩き斬るという力技だが、それを生身で可能とする剛力が椛にはあった。
 休むことなく次々と周囲のグール達を、バターのように斬り裂いていく姿は演舞のようでもあった。


「お疲れ様です! 霊夢さん、チルノさん!!」


 戦闘を終え、変身を解いた椛が笑顔でこちらへ掛けてくる。
 今戦ったばかりだというのに、まったく息が切れていない事に霊夢は驚く。
 人間と体力の土台自体が違う、この程度では疲れも無いのだろう。
 そこへ、引き上げようとするチルノ達の元に文が車で迎えに来た。

「お疲れ様です。ここら辺のグールは大体倒したみたいですし、帰りましょうか」


 チルノ達が車に乗り込み発進する。


「時にチルノさん達は今度の日曜、お暇ですか?」


 運転しながら後部座席に座るチルノ達へ声を掛けた。


「もしかして!? 文さんあのチケット取れたんですか?」


 助手席に座った椛が少し興奮したように文に問い掛ける。


「何かあるの?」


 何の話かわからない為チルノと霊夢に文はふっふっふ、と不敵な笑いを決め、
 ジャジャーン、と声で効果音を出すと共に数枚のコンサートチケットを取り出す。

 『幻想樂団』
 数年前から活躍しだした人気グループでチケットは即完売。
 入手困難なチケットはネットオークションで、数字の桁が違っていた。
 初め互いにソロ活動していたプリズムリバー三姉妹とミスティア・ローレライの限定の合同企画だったが、
 徐々に人気が上がり、今ではソロよりもこちらがメインで活躍している。
 長女ルナサ・プリズムリバーがヴァイオリン、
 次女メルラン・プリズムリバーがトランペット、
 そして三女リリカ・プリズムリバーがキーボードを担当し、
 プリズムリバー三姉妹の神聖な曲調とミスティアの透明感のある歌声が合わさり、
 他のライブでは味わえない感動があると言われている。


「……行きたい」


「私も行ってみたい!!」


 乗り気のチルノと霊夢に笑いかけ、チケットを渡す。


「それでは、今度の日曜日に!」






 ――日曜日、ライブ当日。
 諏訪子、チルノ、霊夢、文、椛で行く事になる。
 魔理沙や早苗達も誘ったが都合が悪いらしく、今日は来れない。


「折角人数分取ったのに、勿体ないね」


「大丈夫ですよ! 余りのチケットはヤフオクで高い値で売れましたから」


 文はきっちりしているな、と霊夢は笑い財布に入ったチケットを確認する。
 忘れ物は無し、大きな会場だ。固まって動かなければ逸れてしまう。
 スタッフに誘導され、興奮した諏訪子と椛が先々に走って行ってしまうので追いつくのが大変だった。
 

「でも珍しいわね……チルノがこういうイベントに参加するなんて」


 霊夢は静かに佇むチルノに振り向くと、チルノは相変わらず淡々とした表情で、


「前に街で聞いた事があって……良いなと思った」


 あまり趣味を持たないチルノが、音楽に興味があるのはとても喜ばしい事だ。
 しょっちゅう遊んでいる諏訪子と違い、もっとチルノは年相応に遊んだ方が良いと思う。
 そこで、霊夢は一つ思いつき横に居る文にこっそりと耳打ちする。


「ライブが終わったら皆でご飯を食べて、買い物しませんか?」


「いいですね! 椛も服とか買いたいとか言ってましたし……」


「じゃあ、決まりで! ふふ、チルノなんか可愛いから何着ても似合うよ」


 ちら、と後ろから突いてくるチルノを見ると、チルノは不思議そうな顔をして尋ねる。


「何?」


 別に~と答え、チルノには誤魔化す。
 チルノにどんな服を着せようか想像して顔がニヤけていたようだ。
 普段何かと助けて貰ってるチルノに、服をプレゼントしてやろうと霊夢は思う。
 そんなにお小遣いは無い為、そう何着も買ってやれないが、選んでお店を梯子するのも楽しいだろう。
 先に言うと、チルノは悪いから自分で買うというだろう。
 確かにチルノは研究所時代の貯えがある為お金には困って無いが、
 霊夢がチルノに何かを買ってあげたかった。
 あまり高級なモノじゃないけど、服に無頓着なチルノには良い経験だろう。
 チルノは性格上、服も機能的なモノを好む傾向にある。
 全く同じという訳ではないが、それでも似たパターンが多いのが常々気になっていた所だ。
 下手したら今時では小学生の方がお洒落なくらいだ。
 もっとチルノは女の子らしい服装をした方が良い。


「おーい、何しているの? 早く、始まっちゃうよ!!」


 気が付くとかなり距離を開け、諏訪子が呼んでいる。
 ライブ開始まで後三十分、まだ余裕だ。
 諏訪子達に促され入ったライブ会場はほぼ満席。
 会場を埋め尽くす人の波が静かに、だが確実に興奮を押し殺した熱気を感じる。
 席がどこにあるか探していると、


「おや~あれは……」


 霊夢達に知り合いに挨拶してくる、と告げて諏訪子は少し早足で先に進んで行った。


「静~葉~!!」


 いきなり知り合いらしき少女に諏訪子は思いっきり抱きつく。
 覆い被さるように、全体重をかけて……間違いだったらどうするんだという話だが、


「ひぃあああああああ!!」


 目的の人物は意表を突かれたのか、情けない悲鳴を上げ驚き何が起こったのか確認すると……、


「す、諏訪子! 何であんたがここに!?」
「え、諏訪子!?」


 少女の隣に居たもう一人の帽子を被った少女も声を上げ反応する。
 二人の少女は姉妹で髪に紅葉の形をした髪飾りを付けた方が姉の秋 静葉。
 葡萄のような飾りをあしらった帽子を被った方が秋 穣子。
 双子なのか顔立ちはとても似ていて、黄金色の髪、服装もどこか季節の秋をイメージしたものだ。
 諏訪子と知り合いなのか……やけに親しそう? に話してはいるが……、


「芋姉妹がこんなとこで、何してんだ?」


「『秋』姉妹!!」
「芋って何よ、芋って!!」


 静葉と穣子が重なり、目に殺気が宿る。
 その視線を慣れているのかものともせず諏訪子は楽しそうに笑うだけだった。


「だってあんた達姉妹、焼き芋の香りがするんだもん、香水?」


「な!?」
「に!?」


 二人は相当ショックを受けたのか、冗談抜きで本当にへたり込んでいた。
 二人は諏訪子と同じ神様にあたるが、扱いは酷いものだった。
 姉の静葉は紅葉を司る程度の能力を持ち、
 妹の穣子は豊穣を司る程度の能力を持つ。
 農業で収穫時期の秋は人間にとっては大切な季節で、人間には一番馴染み深い神様であるはずなのに、
 何故か霊夢達はその名前を聞いたことが無かった。
 昔ならいざ知らず、現代の日本では農業に関わらない人種にとってはピンとこない神様なのかもしれない。
 ここでネガティブになられても困るので一先ず、ライブが始まるまでに席を確保しなければならない。


「良かったらご一緒しませんか?」


 文が俯いて青ざめている(大丈夫か?)二人の神様を立ち上がらせる。
 二人は少し迷った後、頷く。
 ライブが始まるまで少し話をすると、二人は段々機嫌が直ってきたのか表情も硬さが取れる。


「私達今日は敵情視察に来たのよ」
「そうそう、嘗ての友人がメジャーデビューしたって聞いて」


 秋姉妹と今日ライブを行うミスティア・ローレライとは旧友で、
 地元では良く収穫祭の時期に一緒に歌う仲だったそうだ。
 それが今では……、


「私達を差し置いて!!」
「立派になっちゃって、まぁ」


 よよ、と思い思いの涙をハンカチで拭い話を続ける秋姉妹。
 地元の祭りの際、必ず二人セットで呼ばれているが、いつも呼ばれて挨拶だけというのも面白くない。
 そこで最近では呼ばれた際はデュエットを披露するようになり、評判も上々。
 秋の季節以外にもたまに呼ばれたりするようになる。
 今までは秋以外見向きもされなかったが、今は違う。
 地元密着型アイドルグループ『秋姉妹』として、あわよくばメジャーデビューを狙っている。


「盛り上がっている所悪いんですが……そろそろ始まりますよ?」


 椛の言葉と同時に照明が消える。演出の一つなのだろう。
 一瞬の静寂な後、ステージにはレーザーが走り、会場を盛り上げる。
 ――そして始まる幻想の音楽が……、















「いや~良かったね~!!」


「本当ですよ! 文さんに感謝です~!!」


 諏訪子と椛が未だ興奮冷め止まぬまま、立ち上がるスタンディングオベーションだ。
 霊夢やチルノは感動で言葉を無くしていた。


「静葉さん……穣子さん?」


 文が声を掛けると放心から我に返った秋姉妹は、


「勝てない……」
「ここまで差がついているとは……」


「え、勝つ気でいたの!?」


 諏訪子のツッコミにも反応無し、余程悔しかったのだろうか?
 ライブまであれほど話好きだった秋姉妹は会場をでるまで無言だった。
 諏訪子がちょっかいを掛けても上の空で反応が薄く、流石に心配になったのかチルノが静葉の肩を叩く。


「何か……理由があるの?」


「……え、あぁ」
「……私達……ミスティアを誘いに来たのよ」


 二人で歌うのも良いけど、やはり昔三人で歌った時がとても楽しかったのだ。
 だから、良かったら、また三人で歌わないか……と、
 だが、あまりにも違う世界に居る友人に掛ける声が見つからなかった。
 自分達と比較して歌唱力の差はどうしようもなく、例えどんなに練習してもあのレベルには届かない事がわかったからだ。
 気持ちだけではどうにもならない事、素直に一緒に歌おうなどと誘えない。


「あ、あはは……まぁしょうがないよね。みすちー忙しいもん」
「お姉ちゃん……そうね……そうよね」


 空元気。
 落ち込んでるのを誤魔化す為か二人は乾いた笑いをして、今日のライブの良かった点を上げ、
 自分達も見習おうとどこまでも前向きだ。


「レーザービームなんて無理だから懐中電灯で」
「登場の演出も爆竹と打ち上げ花火で」


「静葉!! 穣子!!」


 ――そこへ、サングラスを掛けた一人の少女が走ってくる。
 見覚えのある鳥の羽根をあしらった帽子と服装。
 サングラスで隠しきれるものではない、急いで楽屋から走って来たのだろうか、 肩で大きく息をして立ち止まる。


「みすちー……」
「どうして……」


「その……はぁ、はぁ……お礼が言いたくて、来てくれて……ありがとう!」


 ミスティアは何度もチケットを秋姉妹に送っていたが、来たのは今日が初めてだった。
 忙しいと何かと理由を付け断っていたが、本当はミスティアに嫉妬していただけだった。
 自分達と違い、溢れる才能が有り、それを行かせる舞台がある。
 悔しくて苦しくて、何とか見返してやろうと必死に練習して……、
 漸く胸を張って迎えに来れると思った……けれど、


「良かったよ……すごく、良かった」
「これからも……頑張ってね! 応援……してるから」


 そう言って足早に去ろうとする姉妹にミスティアは声を張り上げる。


「待って!! 静葉、穣子――」


 突如、ミスティアの背中から翼が生えた。
 ミスティアの種族は『夜雀』名が示すように「チッチッ」と鳴き声を上げながら夜に現れる妖怪である。
 羽を隠していた事から妖怪である事は公にされてはいないようだ。
 それを人目のあるところで広げるという事はスキャンダルを意味する。


「ちょっと、何してんのよ!?」
「降ろして~」


 二人を抱え、ライブ会場前のオブジェ上に飛び上がる。


「――――っ♪」


 澄んだ声が響き渡る、ライブを見終えた観客達もミスティアの存在に気付き、次々声を上げる。


「さぁ! 歌いましょう!!」


「何言っているのよ……」
「私達……そんなに上手くないし」


「歌は魂だ!! そう教えてくれたのは静葉、穣子――貴女達よ。
 夜道に人間を鳴き声で惑わす程度の妖怪だった私に、歌の楽しさを、
 聞いてくれる人がいる素晴らしさを教えてくれたのは……、
 上手く歌おうなんて思わないで、思いっきり心を込めて!!」


 ミスティアの声に合わせて、最初渋っていた静葉と穣子が少しずつだが、声を合わせ始めた。
 歌う曲は誰もが知っている童謡『赤とんぼ』。
 日が沈みかけ、太陽が赤く燃える。
 薄暗くなった空が哀愁を漂わせ、何とも言えない幻想の世界へと誘う。


「この曲……」


「チルノ?」


「昔……大ちゃんと夜になるまで遊んで、この歌がどこからか流れて来た。
 私は大ちゃんとの遊ぶ時間が終わりだと、言われているようで嫌いだったけど……」


「けど?」


「久々に思い出したんだ……あの時の楽しかった時間……、
 その思い出が私の帰る場所だったんだって……」


「そう……良い曲ね……何故かお母さんの顔を見たくなったわ」


 いつの間にかオブジェの周りに人垣ができ、誰もが三人の歌声に惹きつけられ、足を止める。
 曲が終わり、三人がお辞儀をして感謝の意を示す。
 聞いてくれた観客、絆を繋ぎ止めてくれたこの曲に、そして三人を出会わせてくれた運命に、

 顔を上げると三人は万感の拍手で迎えられた。
 あるものは感動で涙し、またあるものはただひたすら手を叩く。


「歌って……やっぱり良いな……」
「一度これ味わったら、もう止められないよね」


「もう一度、一緒に歌おうよ……三人で!!」


 ミスティアの言葉にそれ以上の説明はいらなかった。
 静葉と穣子は頷く。


「もちろんよ!!」
「三人でメジャーデビューよ!!」
















 後日、霊夢宅。


「チルノ~ちょっとチルノ!!」


「何?」


 霊夢が身体を揺すって、漸くチルノはヘッドホンを外し霊夢を見る。


「何って……あれから何日たってもミスティアが妖怪だって事、週刊誌に載らないんだけど」


 あれだけ人混みで目立つ事をやったのに、一切お咎め無しとは……、


「大方、ライブの延長で演出の一つと、解釈された。
 人間は都合の良いモノしか見えないものだから」


 それよりもお腹空いた、というチルノに、


「じゃあ焼き芋にしましょうか? ちょうど送って来た事だし」


「手伝う」


 そう言ってチルノはヘッドホンを机の上に置き、台所へと向かう。
 机の上には一枚のCDと手紙が添えられていた。


















 ―第三十話 「幻想樂団」、完。




 ―次回予告。
≪再び轟く砲火、燃え上がる山の森。
 踊り狂う炎の海に抱かれて生まれるは、不滅の絶対意思。
 
 横たわる地上の星は、天へと昇るかけ橋となる。
       


 次回、東方英雄譚第三十一話 「ファイアーリリー」 ≫



[7571] 第三十一話 「ファイアーリリー」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/09/06 18:46


「はぁ……はぁ……」


「ほら、頑張って!! まだ半分も来てないよ~」


「……もう……無理」


 蓮子はその場で座り込んだ。
 情けない事に、もう帰ろうよとグズり出した蓮子にメリーは溜息を吐く。
 山へ調査に行こうと先に言いだしたのは蓮子で、メリーはしぶしぶ付いて来ただけなのだが、
 現在立場が逆転し……どうせ目指すなら頂上を、とその気になったメリーに対し、
 最近運動不足なのが堪えたのか、もう疲れた~とすぐに休憩を取ろうとする蓮子。

 蓮子が上っている山は、妖怪が出ると昔から噂されていて、
 ここ最近では謎の行方不明者が相次いでいる事を蓮子が付き止め、調査に赴いた訳だ。
 実際妖怪が出たらどうするか、という事までは考えていない。
 よくある怪談話の一つ程度にしか認識していないのだろう。
 遊びに行く口実程度にしかメリーは捉えていなかった。


「……あら?」


 メリーは煙が上がっているのに事に気がつく。
 どうやらメリー達以外にもキャンプを行っている人達がいるみたいだ。
 お腹空いた~という蓮子の愚痴も始まったところなので今日はここでキャンプの準備をしよう。
 どの道一日で山を制覇しようなどと強行軍は考えていない。
 のんびり、数日かけて降りてくれば良い。
 ここらへんで開けた場所は煙を焚いているグループの周囲しかないらしい。


「こんにちは~!!」


 メリーは笑顔でそう挨拶すると、まな板で野菜を切っていた少女が振り向く、


「あやや!? これはこれは~」


 少女の方は自分の事を知っているらしく……え~と、と記憶を辿ると、
 事故のあった商店街での出来事が蘇る。


「メリー知り合い?」


「蓮子、ほら商店街で助けて頂いた方の……」


「あ、あ~!! あの時はお世話になりました!」


 商店街を襲った集団殺傷事件の日、蓮子はチルノ達に助けられている。
 その際、蓮子を襲ったトラックの運転手が、既にグールに殺された後だと蓮子達は知らない。
 単なる交通事故として認識していたが、後のマスコミ報道に奇妙な違和感があった。
 その事が聞けるかもしれないと、蓮子は少女に尋ねたが、


「いや~私もあの後、すぐ帰りましたからね……期待には添えないですが」


 笑って誤魔化す少女は射命丸 文と名乗る。
 蓮子達もお礼も兼ねて改めて名乗り、メリーが文に尋ねる。


「今日はお一人ですか?」


「今ちょっと留守番なんですよ……あ、そうだ。良かったらご一緒しません?
 ちょうど一人で寂しかったものですから」


「いいですよ。私達も今日はここらへんでキャンプする予定だったので……」


 メリーの言葉に蓮子も同意する。
 まだ日は高いが早めにキャンプの準備をしといた方が賢明だろう。
 山は意外に体力を使い、天気も変わりやすい。
 メリー達がテントを張るのにモタモタしていると、文が声を掛けて来た。


「手伝いましょうか?」


「助かります……(汗)」


 文は慣れた手つきでテントを張り始める。
 メリー達は文の指示を聞きながら右往左往している内に、無事テントを張る事が出来た。
 道具は揃っているが素人丸出しだった為、流石に文も呆れた。
 この山は森も深く、もし迷ったら熟練した登山家でも難しい場所だ。
 大学の登山サークルだろうか、と文が尋ねると、


「流石にいきなりこの山は無理だったですね……でも蓮子が……」


「何よ……私だけの所為? メリーも面白そうって言ったじゃない!?」


 言い争いを始めようとした蓮子達を宥め、文が事情を聴くには、
 蓮子とメリーは二人だけの大学サークル『秘封具楽部』を結成し、日夜超常現象を研究しているという。
 この山を選んだのも、この山の伝承では妖怪が住む山と言われていて、
 最近では連続する行方不明者の情報による為だ。


「ふむふむ……それで調査とは具体的に何を?」


「まぁ調査なんて、遊びに来た名目ですよ……ただ頂上まで登って何もなければそのまま下山します」


「メリー……何て事を言うんだい? 妖怪はいる、絶対!!」


「はいはい……そうですね」


 二人にはどうも温度差があるようだが、これはこれでうまくいっているようだ。
 文は二人に珈琲を注いだマグカップを渡しつつ、時計を見る。


「そろそろですね……」


「文さん? どうしたんです……」


 茂みの中で物音がして三人が振り返るとそこには、見覚えのある少女が立っていた。


「お疲れ様ですチルノさん、霊夢さん!!」


 文が茂みから出て来た少女達に声を掛けると、小柄な方の少女が文に話しかける。


「ただいま……その二人は?」


「先程偶然会いまして……覚えていますか? 商店街でチルノさん達が助けた……」


「宇佐見 蓮子です。その節はありがとうございました!!」


 蓮子が元気良く深々とお礼を述べると、霊夢とチルノは驚いた様子で


「い、いやそんな大層な事してないから……」


 霊夢が照れたように頬を掻いていると、チルノが文に近づき二人は声を顰める。




『とりあえず……行動を共にした方がいいでしょう……今は』

『良い判断。この山、今は危険』

『そんなに多いですか……』

『諏訪子達とも合流して作戦を練る……』











 蓮子とメリーは慣れない山歩きで疲れたのだろう……夕食を済ますとすぐに寝入ってしまった。
 二人が寝ているのを確認し、チルノ達はテントの中で今後の作戦を練る。
 今回はかなり規模が大きな戦いになると踏み、チルノ、霊夢、諏訪子、椛、文の五人で出向いたが、
 どうやら雲行きは怪しいようだ。


「まさか……この時期にこの山を登る人がいるとは」


 椛が頭を掻きどうしたものかと思案する。


「一番安全なのは何か理由つけて、下山させる事だけど……」


「相当なグールがいる様子だね、こういう場合火力のある魔理沙がいたら楽なんだけどな」


「まぁ……調整に手間取っているらしいですし、ねぇチルノさん?」


「上手くいけば戦力は大幅に上がる。だけどまだ時間が必要」


 蓮子とメリーは超常現象の類を調べているようだが、
 下手に隠して無理に下山させても、興味を惹かれてしまう可能性がある。
 逆に全てを話して今回は納得してもらっても、今後間違いなく関わってくるだろう。
 なら、ある程度誤魔化して満足させ、自発的に下山を促した方が賢明か……、


「グールの始末は私と椛、文で十分だよ。チルノと霊夢で二人の相手をしてやってくれ」


 諏訪子はそう言って小さな欠伸を一つする。
 明日は二手に分かれて移動する諏訪子達はグールが多いと思われる場所を重点的に、潰しに行く。
 本当は戦力的に霊夢かチルノどちらかが来て欲しい所だが、
 一般人二人を抱えてもし襲われた場合一人ではキツイだろう。
 もう夜も遅い、明日に備え寝る時間だ。





 ――次の日、


「な、何で!? チルノさんちょっと!!」


 文が慌ててチルノを呼ぶ、グールの妖気に反応する高感度レーダーに無数のグールの群れが蠢いていた。
 昨日までこんなに反応は強くなかった。
 山の隅々まで赤い妖気の反応点が明滅している。
 何が原因でこうなったかはわからないが、大変マズイ状況だ。


「……二人に説明する」


 チルノの判断は速かった。
 蓮子とメリーには登山を諦めてもらう他無い。
 できれば関わって欲しくなかったが、このレーダーの反応を見る限り、
 山全体を覆うグールの群れは百、二百じゃきかないだろう。
 二人を護衛しつつ下山するにしても、道中襲われる危険性が高い。
 ならば先に予備知識だけ教えておいて、いざという時にパニックになるのを防ぐしかない。
 チルノは二人を起こしに行く……。


 二人は程なくして目が覚めたが、起きてすぐ問題を説明しても寝惚けていて十分理解はできないようだった。
 文が気を利かせて、ブラックコーヒーを二人に渡したところで、事の重大さに気付き始めたようだ。


「――それって本当の事ですか!?」


 蓮子は興奮した面持ちでチルノの話しに喰い付く。
 どんな形であれ、明らかに常識とはかけ離れた事が起こっている。
 この世には妖怪も化け物も存在し、それに抵抗している人達がいる事に、
 蓮子はようやく望みがかなった気がしたのだ
 そんな蓮子に呆れつつもメリーはチルノが冗談を言っているのではない事を確認し、


「もし、そうだとしたら……私達はどうすればいいんですか?」


「今はこの山から二人を無事に下山させる事が重要。危険だから……」


 えぇ~と、不満そうな蓮子を目で制しつつメリーは了解の意を示す。
 賢い子だとチルノは思う。
 普通ならこんな話し信じようとしないばかりか、逆に悪乗りする人もいるかもしれない。
 自分の状況を的確に掴み、時に相手の言葉を信じる賢さがあった事にチルノは安心する。


「ならチルノ、全員で下山した方が良くないか?」


 諏訪子がチルノに尋ねる。
 昨日の状態なら二手に別れて対処できたが、現状では戦力を分散するのは危険性を伴うと諏訪子は考えた。


「いや、一斉に下山するとグール達も気付き、集中して襲われる事になる。
 二手に別れ、囮役になってくれる人が必要」


 一般人である蓮子とメリーは当然グール達との戦闘に慣れていない。
 今は落ち着いているが、実際遭遇してどうなるかはわからない。
 接触させないようにした方が無難だろう。
 グール達の知能はそれほど高くは無い。
 本能で動いているため、目の前に餌を撒けば容易に釣られるだろう。
 その囮役として、派手に戦闘をしてくれる人が必要だ。


「なら、その役は私が引き受けるよ」


「あ、私も大丈夫です!」


 諏訪子に続き、椛も手を上げた。
 結果として諏訪子と椛、補助要員として文が残る事になり、
 チルノと霊夢は蓮子とメリーの護衛として一時下山する事となった。


「じゃあ、気をつけて下さい! チルノさん、霊夢さん!!」


「ありがとう。椛達も気をつけて……」


 躊躇はしていられない。
 判断は迅速に行わなければならない。
 それから荷物を背負うと、チルノ達はすぐに山を下りていく。
 道中レーダーを注視し、すこしでもグール達との接触を避ける。


「椛達は大丈夫かな……チルノ?」


「諏訪子もついている。二人は強いから大丈夫」


 それでも、と霊夢の頭には不安がよぎる。
 グール達の巣のど真ん中に放り出されるようなものだ。
 いくら強いとはいっても心配はどうしてもしてしまう。


「でも、妖怪って本当にいたんですね……物語の世界でしか存在しないと思っていた」


 山道を歩きながらメリーはチルノ達に話しかける。
 蓮子も相槌を打ちつつ、それに加わる。


「それと戦っている人がいる事も……未だに信じられない気持ちです。
 見たところ、霊夢さん達若いし……」


「チルノなんかもっと若いわよ……今チルノ、十歳だっけ?」


「うん。今年で十一歳」


「すげぇ、若~い!!」


「私達の丁度半分じゃない!?」


 二人が驚くのも無理は無い。
 霊夢自身も偶にチルノの歳を忘れそうになる。
 チルノと初めて張った日から、まだ一年も経っていない。


「待って!」


 チルノが制止の声と共に聞き耳を立てる。
 レーダーには何も反応していない。


「……どうしたんですか?」


「静かに……何か……」


 チルノの声で全員が警戒をしていた。
 全方位に目を向け、死角は無いと言ってよかった。
 だが、それでも音も無く、
 彼女は居た。


 ――それは当り前のようにそこに立っており、チルノ達の驚きも不思議そうに見つめる。
 目は離さなかった。
 死角から移動して来たという訳では無い。
 気付いたらそこに居たのだ。
 それが何を意味するか……、
 幻術の類かそれとも別の力か、迂闊には動けない。
 息を殺し、視線を強くする
 彼女は深々とお辞儀をし、名乗る。


「はじめまして。紅魔館のメイド、十六夜 咲夜です。
 お見知りおきを……」


「何で……レーダーには何も反応が……」


 霊夢は手元の妖気レーダーを見る。
 霊夢達の周囲はまだグール達の反応が薄い方だが、これ程真近に接近してる反応は無い。


「私は人間です。したがって妖気を発してはおりません。
 ですが……連れは少々違いますが」


 咲夜の後ろにある木の影より、長身の女性が顔を見せる。
 忘れもしない顔だった。
 霊夢の脳裏に悪夢のように蘇る屈辱の記憶。
 緑色の中華風の衣装を身に纏い、龍の星型の刻印の入った帽子。
 燃えるような赤い長髪に、深い翠緑色の瞳。


「紅 美鈴……貴女……何でここに」


 霊夢が動揺を隠しきれない様子で美鈴の真意を問う。
 何故、ここに居るのか……、
 何故、今なのか、
 霊夢の手が震える、これは武者奮いだと自分に言い聞かせる。
 あれから自分は強くなったんだと思いたい。
 初めて変身したあの日、目の前の妖怪に完膚なきまでに倒された悔しさをバネに今日まで闘ってきた。
 何時でも変身できるようベルトには既に携帯を準備している。
 
 美鈴は興味無さそうに霊夢を見て、質問には答えない。
 その代わりに咲夜と名乗った女性が話し始める。


「チルノ博士……貴女の処刑命令が出ています。
 どうやら貴女達は動き過ぎたようですね」


 事務手続きのようにそう簡潔に答えると、咲夜はナイフを構える。
 問答は無用。
 即座に臨戦態勢に入る。
 『紅魔』からは抜けたチルノがこうして、刺客が来るのは始めてだった。
 ルーミアとの小競り合いも偶然遭遇して起こった事で、わざわざチルノ一人に追手を差し向けた事はなかったのだ。
 それが意味する事、チルノ達の戦いが『紅魔』にとって無視できない脅威となっている事だ。
 その中心であるチルノをこの場で始末する事で、チルノ達のグループを形骸化させる狙いがある。
 グールを操って誘い出されたと考えるのが当然の流れだ。
 向こうは人間だと名乗った咲夜という女性の力は未知数だが、刺客選ばれるなら腕利きに違いない。
 対してこちらは一般人の人間が二人いる。
 チルノと霊夢だけでは対処するには荷が重かった。


「……霊夢、走りなさい。二人を諏訪子達の所へ」


「チルノさん……」


 メリーが心配そうにチルノを見る。


「でも……チルノは!」


 霊夢はチルノの指示に素直に従えない。
 チルノの思考はわかった。今下山の道が断たれたのだ。
 ここを抜けても待ち伏せされている可能性が高い。霊夢一人では二人を連れ突破は難しい。
 ならば現在、この山で安全な場所は諏訪子達の要る所しかない。
 しかし、そうするとチルノ一人が残る事となる。


「私なら大丈夫、試したい事があるから霊夢達が要ると巻き添えになる」


 顔は真正面で固定し、咲夜の動きを注視しつつ霊夢に指示する。
 そして、霊夢は決断する。


「わかった……すぐ諏訪子達を連れてくるから、それまで堪えて」


「大丈夫……私は『最強』だから」


 そう言って霊夢へ笑いかけるチルノは、初めての冗談を言う。
 それが合図だった。

 チルノの身体が光輝くと同時に、霊夢達との間に突如氷の壁が出現した。
 その氷は分厚く容易には壊せない。
 その防壁のような氷の塊が、チルノと霊夢達の間を隔てる。


「蓮子、メリー走って!!」


 氷の向こうから金属音が鳴り響く、火蓋は切って落とされたのだ。
 霊夢は走る。
 一刻も早くチルノを助ける為に、
 そして祈る。
 どうかチルノが死にませんようにと、






 ――キンッ!
 咲夜の投げナイフが、チルノの手に現れた氷の刃で叩き落とされる。
 それで咲夜の攻撃は終わらない。
 周囲の木々を利用し跳躍、高速で放たれるナイフの数は無尽、防ぐので精一杯だった。
 そこへ一瞬で間合いを詰めた美鈴が右廻し蹴りを放つ、その威力を予想したチルノ防ぐ事はせず、
 逆にアイスソードを美鈴に投擲する。


「ハッ!」


 美鈴は咄嗟に蹴りの軌道をチルノから、アイスソードへ変えて蹴り落とす。
 それで美鈴の動きは止まらず、一連の流れで身体を入れ替え左の後ろ廻し蹴りを放つ。


《Rider kick》


 美鈴の左の後ろ廻し蹴りにチルノの蹴りが炸裂する。


「これがライダーキックか……」


 しかし、インパクトの瞬間軌道を外され、効果が高い足の先端では無く脛の部分が当たりダメージは低い。
 そのまま跳躍し、距離を取るチルノ。
 だが、逃げた先には無数のナイフの雨。


「くっ!」


《Ice vent『アイシクルフォール』》


 前面に無数の氷の矢を出現させ、打ち出す。
 少しでもダメージを受ける訳にはいかない。ナイフの雨を潜り抜け、大木の枝に留まる。
 息つく暇が無いとはこの事だ。
 二人の連携は完璧で、遠中距離を得意とする咲夜のナイフと至近距離の美鈴の武術。
 未だに息ができるのが不思議なくらいだ。

 美鈴を見る。何時でも攻撃出来るよう構えを取り、全くの隙が無い。
 先程と違い、美鈴の身体から迸る妖気は針のように研ぎ澄まされ、チルノはスーツ越しでも刺さるように感じる。

 何故、妖気レーダーに反応しなかったのか?
 チルノは戦闘中、相手を観察した結果。
 彼女は攻撃の瞬間妖気を身体に纏い、攻撃部位が特に妖気が強まる傾向にある。
 自身の肉体を鍛錬し、更に妖気を自在に操り上乗せして攻撃する為あれだけの威力が出るのだ。
 ならば、逆に妖気の気配をゼロにする事でレーダーの反応から消す事も容易だろう。




「何故……霊夢達を逃がしてくれた?」


 教えてくれるとは思えないが、大体の想像は付く。
 より確実にチルノを殺す為にはチルノ一人が残るように仕向けないといけない。
 あそこで、強行して霊夢や一般人の蓮子とメリーに攻撃を加えたら、霊夢も参戦する事になる。
 大した戦力だとは思えないが、不確定要素は排除したい。
 それならば敢えて逃げ道を作り、霊夢が蓮子を安全な場所へ退避する為にここを離れなければならないようにする。
 霊夢に試したい事があると言ったのは嘘だ……そんなものはない。
 だが、霊夢も戦ってしまっては、蓮子達を守れなくなる。
 この紅魔の刺客二人はそんな優しい相手じゃない。


「時間稼ぎのつもりですか? まぁ良いでしょう、私達は貴女を殺せとしか命令を受けていないので」


「レミリアか?」


「お嬢様と呼びなさい、無礼者!」


 咲夜の表情が怒りに歪み、纏った空気の質も変わる。
 そして懐から懐中時計らしきものを取り出す。


「チルノ博士、貴女は強いわ。だから敬意を表して見せて差し上げます。
 私のタイムマジックを……」


 振り子のように揺れる時計では秒針がチッチッと時を刻んでいる。
 戦闘中にもかかわらず隙を見せる咲夜の行動に、チルノは不気味さを感じた。


「……何の真似?」


「ふふ、きっと貴女も気に入るわ。私の世界を……時よ、止まれ!」


 ――咲夜の懐中時計の時間が止まった。

 ――そして、

 ――時は動き出した。


「はっ!?」


 チルノの眼前、注意して見ていたはずなのに突然ナイフが出現した。
 技を発動する余裕は無い、咄嗟に急所を腕で防御し、致命傷を避ける。
 ナイフはスーツを易々と貫き、チルノの身体に突き刺さる。
 バランスを崩し、留まっていた大樹の枝から落ちる。
 それだけで済めば良かったが、チルノの視界の端で高速で接近するモノがあった。


「ぐぅ、ああ」


 美鈴の掌底がチルノの腹部へと命中する。
 体重の軽いチルノはそれだけで、木々枝を砕きながら吹き飛ばされた。
 地面に打ち付けられたチルノの変身は解け、身体は痙攣を起こす。
 腹部に受けた衝撃が効いたのだろう、口から胃液を吐き出し身体のそこかしこにナイフが刺さっていた。

 決定打だった。
 苦しげに悲鳴を上げる身体を、どこか他人事のように観察しながら、チルノは思考していた。
 咲夜の技、時を止める。
 そんな事が可能なのか? 人間の身で……、
 あの時計は……見せる必要があったのか?
 時を止めるなどと、破格の能力を見せびらかすだけとは思えない。
 私なら、最後まで手の内を見せない。
 必要があるとすれば、相手の思考を誘導する為……フェイクか?
 だが、実際に時間は止まったように感じた。
 何らかの能力で、私の目の前にナイフを出現させそれを『時を止めた』と勘違いさせる狙いがあるなら?


「はぁ……はぁ……変身」


《Complete》


 チルノはマスク内側に画像を展開させる。
 これはライダースーツのマスクに内蔵されている高感度カメラで戦闘映像を録画したものだ。
 戦闘終了後、グール達の動きを分析するのに役立っている。
 解像度、感度を上げて咲夜が時計を取り出した所から画像をスロー再生にする。
 そして知る、肉眼では見えなかった事がはっきりと映っている事に、


「流石ですねチルノ博士、まだ戦うおつもりですか? 
 普通の貴女ぐらいの年頃ならとっくに泣いて戦意を喪失しているでしょう。
 いや、戦おうともしないでしょうね、そんなに私のイリュージョンがお気に召しました?」


「えぇ、とても興味がある……貴女が何故そんなに速く動けるのかも、ね」


 薄く笑みを浮かべた、表情の咲夜が一瞬で無表情となる。


「もう気付かれたのですか?」


「本当に時を止めるに等しい速度……このマスクに内蔵されている高感度カメラには戦闘映像を記録し再生できる。
 貴女の動き、時間を写真のように細分化していくと貴女の動きが残像となって現れる。
 もし、仮に時を止められるのだとしたら、カメラの動きも止まりまったく映らないはず……」


 ――パチパチパチッ
 咲夜は満面の笑みで拍手をし、チルノを称賛する。


「正直侮っていました。だけどこれ程速く、
 しかも戦闘中私の力を看破したのは貴女が初めてです。ですが……」


 チルノの眼前に無数のナイフが出現する。
 ダメージが抜けきらないチルノは避ける事は諦め、急所だけをガードする。
 既に体中にナイフが刺さるチルノは遂に膝を着く。


「ぐっあああああ」


「わかったからどうだっていうのですか? 私のように速く動けるとでも?
 どんなに頑張ったところで、チェックメイトしている事実には変わらない」


 チルノは後ずさりをする。
 しかし背後から獣の唸り声が聞こえ、緊張が走る。
 既に包囲されている。どれぐらいの数がいるか分からないが、
 チルノと咲夜達の戦闘を邪魔しないように取り囲むグールの壁は容易には崩せないだろう。
 例え、霊夢が諏訪子達を連れて来ても、
 これだけの数を相手にしていたらチルノの所まで辿り着くには時間が必要だ。





「それではチルノ博士、逝ってらっしゃいませ」






 ――光が射した。
 それに続く衝撃音と絶叫。
 チルノの背後、蠢いていたグール達が光に焼かれていく。
 あまりのエネルギーに周囲の木々は燃え、地面が抉れる。


「何が!?」


 美鈴は驚いたのも一瞬、状況を確認し、光が射した方向を判断する。
 そこには一人の少女が居た。
 霊夢が戻って来たと思ったが違う。美鈴、咲夜には見覚えが無い。
 金色に輝く髪を靡かせ、少年のように悪戯っぽい笑みを浮かべた少女は、良く通る声で言い放つ。
 

「大丈夫か! チルノ!!」


「……はぁ……はぁ……問題ない」


 疲れ切った声だが、その中にも若干の安堵を込めて少女に言うチルノ。
 咲夜は突然現れた報告には無い少女を見据え、問う。


「貴女は、何者ですか?」


「私か? そうだな……」


 少女は傲岸不遜に笑みを浮かべた。
 そして、少女は八卦炉と呼ばれる巨大なエネルギーを内包した火炉を目の前に掲げる。


「通りすがりの……仮面ライダーだぜ!!
 行くぜ! 相棒!!」


《Yes, my master.》


 
 少女が八卦炉に語りかけ、八卦炉が電子音でそれに答える。
 少女はそのまま腰に身に付けたベルトへ八卦炉を装着する。
 そして、少女は腕を掲げ、円を描くように大きく腕を回し、ポーズを決める。


「大・変・身!!」


《Complete》


 音声認識の電子音が響き、光が少女を包み込んだ。
 その輝きは太陽の光にも似ていて、戦場に一輪の花が咲いた。
 光が消えた時……そこには白と黒を基調とした甲冑に身を包んだ戦士がいた。

 ――そうして……霧雨 魔理沙は変身した。














 ―第三十一話 「ファイアーリリー」、完。




 ―次回予告。
≪自分は何の為に生れたのか、考えた事はありますか?
 誰かから必要とされたから? 単なる偶然?
 ……そんな事は何の問題も無い。

 生まれて来た過去ではなく、生きていく未来が重要なのだから。
       
 次回、東方英雄譚第三十二話 「石の記憶」 ≫



[7571] 第三十二話 「石の記憶」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/09/06 18:51


 河城工房に慌ただしい足音が響いている。
 皆が寝静まっている明け方、当然工房は稼働しておらず閑散とした廊下に靴音だけが響く。


「チルノー!!」


 魔理沙は勢い良くチルノの研究室のドアを開ける。
 その音に目が覚めたのか、机に座りながらうたた寝をしていたチルノは目を擦りながら、魔理沙を見上げる。


「どうしたの?」


「これ、これを見てくれよ!!」


 魔理沙が差し出した手に小さな石があった。深い蒼色をした石は宝石のように輝きを持ち、
 光の加減か時にマーブルのように色合いが変わる。


「賢者の石、これを使えばもしかしたら私も変身できるんじゃ!?」


 『賢者の石』
 それはお伽話によく出て来る伝説の石。
 鉛などの卑金属を黄金に変える際の触媒となる霊薬であり、哲学者の石とも呼ばれている。
 何故これが魔理沙の手の中にあるかというと、アリスに貰ったと言う。
 魔理沙に詳細を聞こうとした時、
 半分開きかけた研究室のドアに手を着いて息切れをしているアリスが居た。


「ちょ……ぜっ、はっ……魔理沙……まだあげるとは」


 一先ず、机の横にあったお茶を淹れアリスに渡す。
 アリスは息を整えつつ、お茶を一気に飲み干し少しむせた。


「はぁ……はぁ……」


「これ……どうしたの、アリス?」


 アリスが落ち着くのを待ってチルノがアリスに問う。
 漸く落ち着いたアリスが言うには、これは人形に命を宿す研究の副産物で生まれた物らしい。
 何十年の前に作って特に使い道もなかった為、
 放置していたのを思い出してチルノに渡そうとした所、魔理沙に奪われたらしい。


「何かの役に立つかなって思って……」


「これは……凄いモノを持っている……」


 チルノが感心し、その石を見つめる。
 その様子を期待に満ちた視線を送る魔理沙に気付き、首を横に振る。


「確かに触媒としては使えそう、だけど変身するにはエネルギーが足りない」


 チルノや霊夢のような何らかの能力を持っているモノはベルトだけで変身できるが、
 賢者の石を使ったからと言って、元から力を持っていない魔理沙は変換する為のエネルギー自体が無いのだ。


「そ……かぁ……いけると思ったんだけど、なら……無いなら他から借りて来るとか?
 エネルギーパックみたいな……」


「そうか!? いや、なるほど……」


 魔理沙の発言にチルノの頭に電流が走る。
 魔理沙らしいと言えば、魔理沙らしい発想。
 無ければ借りればいい、力を持たない者の考え方……だが、それがとてもおもしろい発見をした。
 発想さえできれば、チルノは速い。
 結果に結び付く為の筋道を幾通りも並列で処理していき、結論に達した。


「八卦炉を使う……だけど、変身するにはエネルギーが足りない」


 そしてチルノはすぐさま行動に移る。携帯を取り出し、何処かに電話を掛ける。
 その様子を驚いて見つめる魔理沙とアリスに、電話を終えたチルノが向き直る。


「二人とも手伝って、今日は徹夜になる」










 ――数時間後、河城工房に研究チームが結成された。
 チルノ、にとり、アリス、魔理沙、河城工房の職人達。


 会議室を包む、緊急招集への期待を孕んだ空気を受け、チルノが立ち上がる。


「今日皆さんにお集まり頂いたのは、最高の技術陣でなければ完成に至れない為です。
 早速本題に入ります。議題は『仮面ライダー創造計画』」


 今まで仮面ライダーになる為には、何らかの能力者でありなお且つベルトと相性が良くなければ変身出来なかった。
 変身できる人間を選ぶ為、兵器としては不完全であった。
 強力なシステムだが汎用性に乏しい事から、実験段階の延長という状況で今まで戦ってきた。
 それはそれで、人間がグールや妖怪に対抗するには必要な事で、十分な成果を得られてはいた。
 だが、今後続いていく闘いを考えると、量産化が必然となる。物量の差だ。
 幾ら強力な兵器だろうと、運用するのは人間。
 戦える人数が少なければいずれ数で押し切られる。消耗戦だ。

 人工的に仮面ライダーを作る計画は以前より、チルノも研究していたが完成するには、パズルのピースが足りなかった。
 アリスの賢者の石と魔理沙の発想を受け、チルノの脳裏に完成へ至る道のりが光り輝いて見えた。


「チームを分けます」


 チルノを総括責任者とし、チーム編成した。
 大まかにチーム分けをするが、全ての技術が密接に関わってくるためチーム間の連携は密にする。
 チルノが四六時中工房に入り浸る訳にはいかない。
 『紅魔』との戦いもある為、週に一回程通う形でその間は各チームのリーダーの判断で研究を進めてもらう。
 にとりを中心としたライダースーツや武器等の強化チーム。
 アリスを中心としたAI(人工知能)を研究するチーム。
 そして、賢者の石を使用しエネルギー変換を効率化するチームには……、


「『核』しかないっスね!」


 議論が進んで行く中、元気よく会議室のドアを開けた人物がいた。
 腰まで届くほどの艶やかな黒髪、緑色の大きなリボンと赤い瞳が特徴的な妙歳な女性。
 私服の上から白衣を羽織った出で立ちは、学者というよりも実験している大学生を思わせる。


「遅れてごめんね~チルノ~!」


 満面の笑顔で掛けより、チルノを愛おしそうに抱きしめ頬擦りまでしている。
 それがいつもの事なのか、さして気にもせず、抱きしめられた格好のまま話を進めるチルノ。


「急に呼び出してすまない。貴女の力が必要」


「No problem ~チルノの為だったらこの、霊鳥路 空。何時でも何処でもデリバリー!」


「……よろしく頼む、空」


 霊鳥路 空と名乗った彼女はマイペースなのか、
 白衣のポケットから缶コーヒーを取り出し、それを飲みつつ適当な椅子に腰かける。
 彼女はチルノの研究所時代の知り合いで、現在は日本最大の原子力機関『太陽の庭園』で所長を務めている。
 自分の研究に没頭するあまり周りの意見を聞かず、しばしば会話中でも自分の研究に思考が飛び、
 何を話していたかわからなくなる為、研究仲間から鳥頭と揶揄されていたが侮られる事はなかった。
 彼女の思考は遅いが、その思考の深さは誰よりも秀でており観察力に優れていた。
 チルノがライダーの研究に当たって、必要だと思い呼び寄せた事から彼女の優秀さは皆の認めるところとなった。
 しばしばの奇行には目を瞑って……。







 ――研究を始め、その中心となるのはAIの開発だった。
 八卦炉に備え付ける形を取るAIは、核エネルギーを制御する制御棒と燃焼棒の役割を担いつつ、
 変身した魔理沙の補佐を兼用できる優れた計算速度が必要だった。
 スーパーコンピュータ並のスペックを小型化をするのは研究の時間をほとんど費やした。
 アリスの希望もあり、作るなら自分で思考できるAIを作りたいと願った。

 ライダースーツ自体には戦闘に必要なデータを呼び出し瞬時に展開する事で、
 戦闘補助をする機能がついているが、このAIはその高機動バージョンと言ったところだ。
 エネルギーの変換効率もある為、戦闘の際技の発動から結果に至るまでタイムラグが生じる。
 それは高速で行われる戦闘において致命的で、
 それを補完する為には第三者的視点から戦局を観測する存在が欠かせなかった。





 ――エネルギーにおいては、


「チルノ~『核』だけど……核分裂と核融合、どっちにする?」


 核エネルギーを抽出する方法は大きく分けて二通りある。
 『核分裂』……主に原子爆弾に用いられる方式で、核分裂の連鎖反応により、瞬間的に莫大なエネルギーを放出する。
 『核融合』……太陽を初めとした恒星の内部で起こっている現象。水素やヘリウムなど軽い原子核が融合して重い原子核になる反応。


「爆弾を作るわけではない。必要なのはエネルギーだけ……」


「なら核融合って事で進めとくけど……制御難しいんじゃない?」


「その為のAI、それは任せておいて……それより賢者の石はうまく使えそう?」


「う~ん。確かに変換はいけそうだけど、スーツの外側に装着するとスーツ各部への伝達が上手くいかないっぽい」


 伝説では卑金属を貴金属に変え、有限の寿命しか持たない人間に不死を与える等、その真の能力は『永遠性の付与』である。
 だが、アリスが作ったモノは人形制作の一環で研究した副産物で、
 伝説通りの賢者の石とは到底言えないまがいモノで、その力も十分では無い。
 現段階で分かった事は、エネルギーの変換はうまくいくが触媒としてその役割を果たすと、
 形を保てず崩れ落ち蒸発するように消えてしまう……言わば、消耗品だ。
 最初はマガジン方式でベルトに装着補給をする予定だったが、
 変換効率が悪い為変身は上手くいっても戦闘となると難しい、燃費が悪いのだ。


「どうするかな~」


 空が頭を掻きながら白衣からお菓子のポッキーを取り出し、食べ始めた。
 お菓子好きなのはいつもの事などで咎めはしない。
 それが彼女の考えるスタイルなら、それで効率が上がるならとチルノは考えている。
 あくまで程度の問題だが……、
 空にポッキーの子袋を渡され、チルノも何本か食べ始める。
 ちょうど小腹が空いていたところだ、糖分は脳の活動には必要不可欠だ。


「それは……考えてみる。出来る範囲で進めておいて……」


 そう言って空と別れるチルノ。
 そして――足が止まる。
 エネルギーの変換、効率、補給、吸収、消化……。
 面白い考えが出た。それが果たして実現可能かどうかわからないがやってみる価値はあるだろう。


「空……」


「うん?」


「賢者の石を砕いて錠剤のように服用したらどうなる?」


「……それは……そうか!? いや、だけど大丈夫かな……ちょっと動物実験で確かめてみる!!」


 空は大急ぎでその場を後にする。
 賢者の石は伝説では霊薬としての逸話もある。
 中国の道教では服用すれば不老不死を得る(あるいは仙人になれる)という霊薬(仙丹)を作る術として錬丹術(煉丹術)がある。
 身体に取り込むには安全性が第一条件になるが、それがクリアできたら研究は大きく進む。





 ――研究を始めて瞬く間に時間が過ぎたある日、遂に研究は最終段階へ入った。
 今日はシステムの起動確認試験。
 これをクリアできたら、次に武器等の運用確認を経て、
 模擬戦闘を行った後に、最終調整を行う。

 実験主任はにとりで、空がその補佐に回る。
 今日チルノは不在だった。文からの報告があり、昨日から泊まり込みで山へ行っている。
 どうやらグール達の巣があるようで、その近辺の住民からの情報によると最近行方不明者が多いとの報告があった。
 霊夢や諏訪子達も行っているため問題は無いと思うが、大規模な戦闘に発展する可能性があった。
 そのメンバーに入れなかった魔理沙は悔しい思いをしたが、今は我慢する他無い。
 これが完成したら真っ先に駆けつけたい衝動に駆られる。
 魔理沙は自分を落ち着かせようと、自分の焦りを言葉に表す。


「何か……緊張するぜ……」


 被験者である霧雨 魔理沙が改めて改良されたベルトを装着していた。
 ベルトの中心部は霊夢達のベルトと違い窪みがあり、ここに脱着式である八卦炉を装着する事で変身できるようにしてある。
 最初から組み込むと、八卦炉だけ使用する場合が生じた時に対応できない為だ。
 戦闘では何が起こるか分からないが選択肢は多いに越した事は無い。

 周囲を壁に囲われた中心に魔理沙は立っていた。
 強化ガラス越しに、見守るにとり達研究陣が頷き準備を整える。


「それでは実験を開始します。魔理沙、賢者の石を……」


「お、おう!」


 にとりの指示で手に持っていたお菓子の箱らしき物を開ける。
 それはどこかで見た事あるお菓子『きのこの山』だった。
 動物実験を繰り返し、安全性が確認出来た賢者の石は服用し体内で消化する事により、
 霊夢達と同じように身体内部からエネルギーを放出できるようになった。
 しかし、予想もしない問題が起きた。

 研究チームのリーダーである霊鳥路 空が、自分が服用する訳でも無いのに薬は嫌いだと言い張ったのだ。
 そこでお菓子好きの思考(嗜好)からか、賢者の石をお菓子の形で食べればいいじゃん、と言い始めたのだ。
 空はポッキー派、にとりはチョコボール派、チルノはチロルチョコ派と分かれ、
 アリスに至ってはたけのこの里派で、きのこの山派の魔理沙と真っ向対立。
 ここに居たってお菓子業界の縮図が垣間見えた気がした。
 最終実験前の一週間……不毛な争いは続き、ついには被験者である魔理沙の意見が通り、
 『きのこの山』でいく事になった……という経緯がある。

 魔理沙は期待に胸を膨らませ、箱からきのこを三粒取り出して食べる。
 きのこの笠の部分がきらきらと青い光の粒が輝いているが、味はしっかりとチョコの甘みが広がる。
 動物実験段階では問題無いが、人間が服用した場合の問題もある。
 何度も治験(臨床試験)を繰り返し、問題はなかった。
 後は魔理沙が変身できるかどうかだ。


《My master.》


「おぅわ!? びっくりした!!」


 突然、手に持った八卦炉が喋り出した。
 研究を重ね完成したAIは八卦炉に搭載され、
 核エネルギーの制御と魔理沙のフォロー役になる事を魔理沙には内緒にされていた。
 そっちの方が面白そうだからという、にとりの茶目っ気だ。
 魔理沙の反応から悪戯が成功した事に満足し、にとりは改めて説明する。


「これからはその八卦炉が貴女のパートナーだから。仲良くしてあげてね」


「そっか……なら、よろしくな相棒!」


《Buddy?》


「そうだ、嫌か?」


《All right. my master.》


「グッド! 行くぜ!!」


 魔理沙が八卦炉に声をかけ、八卦炉を腰に身に付けたベルトへ装着する。






「変・身!!」




《Complete》


 音声認識の電子音が響き、光が魔理沙を包み込んだ。








《……No problem. I believe master.》



















 ―第三十二話 「石の記憶」、完。





 ―次回予告。
≪Let's shoot it, Master spark .
 I can be shot.
 I believe master.
 Trust me, my master.
       
 次回、東方英雄譚第三十三話 「ミルキーウェイ」 ≫




[7571] 第三十三話 「ミルキーウェイ」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/09/22 15:32


「仮面ライダー……ですか……」


 不敵に名乗りを上げる魔理沙を、眉を顰め値踏みするように見つめる咲夜は美鈴に目線で会話し、
 ――戦闘態勢に入る。




「チルノ、大丈夫か?」


「うん、それより注意して……メイドの方は時間が止まって思える程、早く動けるみたい」


「本当に人間か? 術か何か?」


「それは分からない……情報が足りない。諏訪子達が来るまで持ち堪えるしかない」


「わかった。チルノは少し休んでな……ここは私が……」


 魔理沙はいつでも行動ができるよう身構える。
 二人の様子を窺っていた咲夜はナイフを構えつつ、行動を起こす。
 始めに動いたのは美鈴だった。



《Master‼》



 油断はしてないはずだった。
 だが、美鈴にとってこの程度の間合いは、一瞬で詰められる距離だという事でしかなかった。
 空気が振動し、右の回し蹴りが魔理沙の咄嗟のガードを弾き飛ばす。


《Protection》


 突如、魔理沙と美鈴との間に光の壁ができる。
 次に正拳突きを放とうとした美鈴は警戒し、大きく後方へ跳び距離を取る。


「……びっくりした……危ねぇ」


 八卦炉の咄嗟の機転でシールドを張ったお陰で、危うく命拾いをした。
 人工AI……試作段階ではあるが十分役に立っているようで、
 チルノは我が子を見るような目で魔理沙の腰にある八卦炉を満足気に見つめる。


「……手伝おうか?」


「……すまない、助かる……」


 前言を撤回し、魔理沙はすぐさま自分だけでは無理だと判断する。


「魔理沙、美鈴をお願い。私は……メイドの相手をする」


「了解!」



 次は、こちらから動く。


 魔理沙は美鈴達に突進しながら、


 カードホルダーから一枚のカードを取り出す。





「スタァアアアアアァダストォオオオオオ!」


《Magic vent――》



「レヴァアリエェエエエエエエッ!!」


《――『スターダストレヴァリエ』》



 魔理沙の周囲から星が瞬いている。
 エネルギーの光弾を星屑のように放つこのスペルカードは、魔理沙が考えたオリジナルだ。
 チルノや霊夢達が変身したら自分の力にあったスペルカードを作成するのを見て、
 もし、自分が変身したらこんな技を使いたいと想像し、創造したスペル。
 美鈴達に向かって放たれた光弾はトリッキーな動きをして、美鈴達を翻弄する。


「くっ……何だ、これは!」


 美鈴と咲夜は魔理沙の光弾を避けるため互いに距離を取り合う。
 そこを魔理沙は見逃さなかった。




《Comet vent『ブレイジングスター』》




 彗星が美鈴を飲み込む。
 ほうき星の異名を取るこのスペルはエネルギーを見に纏い、全身を使って突進する技だ。
 足に装着したブーツに仕込まれるブースターで瞬時に最高速度に達し、相手の反応を超える速さで攻撃をする。
 狙いは美鈴――魔理沙の攻撃を避けた一瞬の隙を突き、美鈴に突撃する。
 

「敵の意表を突く、良い攻撃です」


「ほざけっ!!


 美鈴は腕で防御しながら、魔理沙の攻撃に感心したように呟く。
 魔理沙にしてみれば馬鹿にされているようにしか感じない。
 しかし、距離は開いた――咲夜はチルノが対処する。
 その為にも距離を開け、共闘を防ぐ。
 チルノが相手をすると言うのなら、何か策があるのだろう。
 魔理沙は自分に課せられた役割をこなすだけだ。




《Magic sky『アステロイドベルト』》





 相性は最悪。
 自分は、元は遠距離専門で逆に美鈴は近接格闘の達人だ。
 スーツもある程度耐久力があるとは言え、限界もある。
 最初から全力、後の事は考えない。
 この戦闘において、魔理沙の勝利条件は美鈴に勝つ事ではない……生き抜く事。
 諏訪子達が合流するまで持ち堪える事だ。
 力を出し惜しみして、息の根を止められたら洒落にならない。
 攻撃を止めたら負け、防御に回ったら負け、負けは死を意味する。

 弾幕は魔理沙の身体から360度放つ中星弾は緩やかな反時計周りで、獲物へ向かう。
 それとは別に美鈴の左右よりランダムな動きをする小星弾を出現させる。
 出現した小星弾は次々と美鈴へ向けて撃ち出されて行くが、美鈴はそれをことごとく対術で撃ち落とし、体捌きでかわす。





「――カウントッ!!」



《――one》



 魔理沙の掛け声と共にベルトに装着した八卦炉が唸りを上げ、光り輝く。
 美鈴はその掛け声が何を意味するかはわからない。
 わかったとしても無数に殺到する小星弾を捌くので余裕は無い。



《――two》



 魔理沙は飛び上がった。
 美鈴は正面と左右の弾幕で完全に動きを封じられている。
 動くに動けない。
 下手に動けば、弾幕の嵐に無防備で対処しなければならない。
 散弾銃のように撃ち出された光弾は、
 美鈴の気を込めた手刀で叩き伏せ、弾き返し四方八方に飛び散る。
 


《――three―Exceed charge》



 ベルトよりライダースーツのラインに沿ってエネルギーが充填される。
 チルノ達のベルトと違い、エネルギーの変換効率が違う為威力のある大技程タメが必要となる。
 魔理沙が相手を翻弄する技の作成にこだわった理由でもあった。

 そして、魔理沙の右足に凄まじいエネルギーが溢れ出す。
 その力の奔流は大気を焦がし、それに触れた空気中の水分は瞬時に蒸発する。





「ライダーキックッ!!」



《Rider kick》




 力は解放された。インパクトの瞬間、右足に蓄えられたエネルギーが敵を砕く。
 自分の出来る最大の力でもって繰り出した一撃は、容赦無く敵を捉えた。













「はぁ……はぁ……ごめん、もう……走れない」


 噴き出す汗を拭う事も忘れ、必死に息を整えようとする蓮子。
 無理も無い、鍛えてもいない普通の女性の体力では限界に近いだろう。


「……ちょっと休憩しましょう」


 霊夢の言葉を合図にメリーもその場で座り込む。
 霊夢も直ぐに対応できるよう変身していなければとっくの昔に、肩で息をしているところだ。
 レーダーの反応を見る限り、この周囲にグールはいないようだ。
 レーダーにはグールを表す赤い点と諏訪子達の持つ発信機の青い点が明滅している。
 大分、諏訪子達と近づいているようだ。
 チルノと別れた後、走りつつも霊夢は諏訪子の携帯に連絡を入れた。
 山のような普通の携帯が繋がらない場所でも連絡を取れるよう、チルノが改良した特別製で電波の感度も良好だった。
 現状を説明し、諏訪子達もすぐこちらへ移動しているようだ。

 チルノの現状はわからない。
 戦闘中の為か電話は切られ、電波が途切れていない所をみるとまだ無事なようだが、
 いつ消えてしまってもおかしくない。
 とにかくこの二人を守りつつ合流しなければならない。
 

「ごめんなさい……もう少しだから」
 
 
 できれば十分休憩させてやりたいところだが、時間が無い。
 霊夢の焦りも限界を迎えていた。
 出来る事ならこのまま二人をこの場に残し、チルノを助けに行きたい。
 だがそれをしてしまえばチルノとの約束を無視する事になる。
 期待を裏切る事になる。
 霊夢の使命は二人の安全を確保する事。
 蓮子とメリーの疲れ切った表情を見ると、心苦しい。


「……はぁはぁ……もう少しだけ……ごめん」


 謝るメリー、蓮子は答える余裕さえ無い。


「……くぅっ」


 思わず怒鳴りそうになるのを必死に堪える。
 二人は必死に頑張ってくれている。
 だが、霊夢の中で焦りと共に言ってはいけない言葉が渦巻く。
 『あなた達さえいなければ……!』
 『チルノがあなた達の所為で!!』
 今それを言ったところで事態は好転しない……逆に二人の気持ちを後退させるだけで事態が悪化しかねない。
 何か方法はないか……このままではチルノが危ない……。
 


 ――その時、レーダーの警戒音が鳴り響く。
 慌てて霊夢が確認すると、接近する赤い点が3つ……見つかったようだ。


「敵が来ます!!」


 霊夢の声にメリーと蓮子は急いで立ち上がる。
 霊夢は札を取り出し、構える。
 メリーと蓮子はいつでも逃げられるよう身構えつつ、周囲に眼を配る。


「……これを持っていて下さい。もし私に何かあった時はこれを見て、諏訪子達と合流して下さい」


 メリーにレーダーを渡す。
 時間も無い為、霊夢は二人に簡単な使い方だけを教えたところで敵が迫る。
 そして、不気味な唸り声が森に響く。


 ―グゥウウウルウウウッ―


「二人とも離れて!! 来る!!」


 襲いかかって来る気配を察し、唸り声が響く方向へ礼の札を放つ。
 一瞬遅れてグールの怒号が聞こえる共に、二匹のグールが襲いかかって来た。


「はぁあああああああ!!」


 裂帛の気合でグール達と応戦する。
 二匹のグールは子鬼のような形をしていて小柄な体格を生かし、俊敏な攻撃をして来る。
 グールの攻撃をかわしつつ札を放つ、しかし札をホーミングモードにしても捉えきれていない。
 ならば……動きを封じるまで、



《Illusion vent『封魔陣』》



 足元にまで気が向いていなかった二匹のグールはその場で動きを拘束される。
 破邪の力を受けた結界内で小さなグール達では脱出はほぼ不可能。
 そのまま力尽き、身体が崩れ落ちていく。
 反応は3つ……後一匹は……、


 ―キシャアアアアアアッ!!―


「きゃぁああああああああ!!」


「やっぱりそう来たか!!」


 二匹は囮、残る一匹は戦闘力を持たないメリーと蓮子を狙う。
 瞬時に札を飛ばし、二人の前に防御陣を張る。
 防御陣に弾かれたグールは一旦距離を取ったところへ霊夢が追いつき、


「逃がさない!!」


《Rider kick》


 逃げようとしたグールの背に霊夢の蹴りが炸裂する。
 グールは悲鳴を上げ、息絶える。


「霊夢さん! レーダーに反応が……」


 メリーの持っていたレーダーには、徐々に三人に向かって近づいてくるグールが増えつつある。
 メリーが指し示す方向、そこからは風に乗って嫌な妖気が流れて来る。
 果たして守りきれるか……霊夢の背中に冷たい汗が流れる。
 

 ―オゥオオオオオオッ―


 一際大きな咆哮、重たい足音に警戒していた霊夢が思わず後ずさりしてしまう。
 それは巨大なグールだった。
 鬼のような角を生やし、筋骨隆々とした巨躯は化け物と呼ぶに相応しい姿。
 そのグールに従うように小さなグール達が群れを成し、蠢いている。


「……私が合図したら走って……ここに居たら守りきれない」


 まだ増援があるかもしれない。この機を逃すと逃げられなくなる可能性がある。
 諏訪子達とはだいぶ近づいているはずだ。
 囲まれる前に自分が囮になり、メリー達を逃がすしか――ない。
 霊夢は札を大量に取り出し、その全てをグール達へ放つ。
 それを喰らったグール達は悲鳴と怒号を上げ混乱する。


 ―グォオオオオオオッ―


 巨大なグールが力任せに霊夢へ向けて、その剛腕を振るう。


「走って!!」


 霊夢はその腕をかわし、飛び上がる。
 スーツのバネを最大に生かした跳躍は、容易に巨大なグールの頭へと霊夢の身体を運ぶ。


「破ッ!」


《Rider kick》


 跳躍後、高速で撃ち出された回し蹴りがグールの顔を捉える。
 霊夢の一撃に耐えきれず、その巨大な身体がよろめき崩れ落ちた。








 蓮子とメリーは振り返らず走る。
 レーダーに映る青い信号、そこがゴールだ。
 険しい山道の連続、度重なる襲撃、精神的にも肉体的にも一般人である二人には限界だった。
 それでも走らないといけない、何度も立ち止まりそうになりながらも二人は懸命に走る。


「……はぁ……はぁ」


 霊夢と別れ、すぐ二人は息切れを起こし木の幹にもたれかかる。
 休憩している場合じゃない事は、二人には良く分かっていた。
 身体が重い、汗が吹き出し、視界が霞む。


「蓮子……頑張って……もう少しだから」


 メリーは蓮子を励ましつつ、レーダーを見る。
 自分達のレーダーを示す黄色い点が明滅している。
 霊夢から仲間の危険信号を表すボタンを教えてもらい、メリー達のレーダーを示す青い点が黄色へと変わっている。
 これで諏訪子達のレーダーで確認してもらえる。
 レーダー上にも青い点がこちらへ向かって移動しているのが見てとれる。
 それと同時に赤い点がメリー達の方向にも向かって来ている。


「蓮子ッ! 大変!!」


「えっ!? 何、どうしたの!?」


「さっきの化け物が向かって来ている!」


 二人はレーダーの示す赤い点、それが明確な意志を持って自分達へ向かっている事に恐怖した。
 とにかく逃げなければならない。
 二人はグールを示す赤い点を避けるように移動する。
 必然的に諏訪子達を示す青い点とも離れる事になるが仕方が無い。

 どこかで獣の唸り声が聞こえる。
 森に木霊するその声は獲物を追い詰める肉食獣の声。
 心臓を鷲掴みされたような恐怖が身体を支配し、冷や汗が止まらない。


「……はぁ……はぁ――メリー危ないッ!!」


 メリーの頭があった所、そこを植物の蔦のような物が通り過ぎ、周囲の木の幹に突き刺さる。
 蓮子がメリーを押し倒し、避けなければメリーは死んでいた。


「追いつかれたッ!?」


 地面に倒れながらも攻撃された方向を見ると、先程の鬼のようなグールとは違う別の種類の化け物がいた。
 全身に巻きついた蔦が、樹木の化生のような姿を現している。


「……メリー」


 蓮子がメリーにしがみ付く、レーダーを見ると頼みの綱である青い点はまだ遠い。
 地面を這いずりながら後ずさりすると、ガラッと手の土が崩れ落ちる。


「えッ!?」
 

 そしてメリーは気付く、自分達の追い詰められた状況を……。
 何故、化け物が自分達を取り囲まず、メリー達の逃げた方向から来なかったのか?
 その解答がこれだった。
 メリーの手の先、地面に大穴が開き、とても移動する事は出来ない崖だった。

 化け物が追い詰めた獲物をいたぶるみたいにゆっくりと距離を詰める。
 二人の表情には絶望しかない。
 何が悪かったのか、自分達が何をしたというのか、
 渦巻く疑問は恨み事に変わる。こんな巡り合わせしか与えてくれない世界に神様に――、



「メリー逃げて……逃げてッ!!」



 蓮子は震える足を無理矢理立たせ、手を大きく広げ化け物前に立ち塞がる。
 メリーを庇うようにメリーを隠すように、
 獲物は自分だと自ら首を差し出すように、



「ごめん、メリー私が誘わなければ……本当にごめん」



「やめて……蓮子……逃げて……」



 蓮子は泣いていた――後悔と悔しさに、
 メリーは泣いていた――絶望と無力に、


 そして、メリーは見た……立ち塞がった蓮子の身体を貫いた蔦から飛び散った血がメリーの頬にかかる。
 蔦が引き抜かれ、蓮子の身体に穴が開く。

 メリーの声にならない悲鳴と涙でくしゃくしゃにした顔。
 蓮子はそれでも懸命にメリーを庇おうと立ち続けようとするが、それも叶わない。
 蓮子は……そのまま足が縺れ――そのまま崖の下へと落ちて行った。






















―第三十三話 「ミルキーウェイ」、完。


 ―次回予告。
≪遠い記憶、子供の頃の小さな思い出。
 それはどこか懐かしくもあり、楽しくもあり、どこか残酷だった。
 思い出す度に胸が締め付けられるように痛く、儚い。
 
 
 
       
 次回、東方英雄譚第三十四話 「蛍の涙の下で」 ≫





[7571] 第三十四話 「蛍の涙の下で」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/09/22 15:42



 一度掛け違えてしまったボタンを戻すのは難しい。
 このくらいなら修正できる、まだ大丈夫と高を括っていたのも間違いだと気付いた。
 既に終了してしまったものはショウガナイ。
 どうしようもない程終わってしまったモノは、今更何を言った所で変わらない。
 誰が悪いと強いて言うなら私自身だ。
 未熟さと至らなさと無力さに打ちひしがれた気持ちは、もう頭を上げようという気も湧かない。

 
 ――気付くと私は地面に寝ていた。
 否、倒れているの……か、
 身体の節々が痛む……全身を強打したようで動けない。
 お腹にいたっては穴が開いているのか止め処なく血が流れ続け、血を止めようにも、
 どうやら腕や足などの骨が折れあらぬ方向へ曲がって見え、満足に動かせない。


「これは……もう駄目だなぁ……」


 朝あれ程澄み渡っていた青空がいつの間にか薄暗くなっている。
 黄昏時というのだろう。
 時間を見ようにも左手をそもそも動かせない為、確認のしようが無い。
 
 
「メリーは……メリーは無事かな……」


 自分の事よりもメリーの方が心配だった。
 私はもう……終わっているから。
 私の時間はもう尽きるから、自分の心配をしても意味が無いのだから。

 呆気無い、ここで自分の物語は終了なんだと嫌に納得できた。
 何時だったか怪しげな占い師に――未来に災いしかない、と。
 当たってるじゃん。
 私って不幸の星の下だったのか……、


 人間あまりの痛さに痛覚がマヒするなんて嘘だ。
 今も痛くて痛くてたまらなくて、何か考えてないと狂ってしまうくらいだ。



「……くぅ……ひっ、エ……痛いよぅ……痛い」


 もう泣いても、泣き事を言っても……、
 どうせ一人なんだから、ここにはメリーもお父さんもお母さんも、
 ……あの娘だっていないんだから。














『もう、い~かい?』


 私は小さい頃からお婆ちゃんに育ててもらった記憶がある。
 私が物心つく頃には、両親は事故で死んでいて、
 お婆ちゃんが住んでいる田舎で面倒を見てもらっていた。


『ま~だ、だ~よ』


 田舎の学校は過疎化の影響で同年代の子供が少なく、更に人見知りだった私は、
 一人で遊ぶ事が多かった。
 そんな時、何時もと同じように山の森に入って虫を捕まえて遊んでいた。
 そこで声をかけて来た子がいた。
 一瞬男の子かと思ったが、話してみると実は女の子で、
 服装もブラウスに短パンとボーイッシュな感じにまとめるからいけないんだ。
 名前も『リグル』と、とても変わっていた。


『もう、い~かい?』


 最初、虫取りをしていた私にいきなり怒り出して、変な子だと思った。
 虫が友達だと言い放ったその子は、私以上に友達が少ないのだろうか……。
 私は自分の事を棚に上げ、言ってやった。
 『なら、虫取り以外で面白い事なんかしてよ』

 その子は大きな瞳をまん丸と開け私を見ると、地面に落ちていた木の枝を拾い上げる。
 そして、その子が木の枝をオーケストラの指揮者のように上へ掲げると、

 ――ピタリッと、
 蝉の鳴き声が止む。
 
 再びタクトを振るうと、蝉の音が再び始まる。
 『夜になれば、あいつ等も起き出すからもっと良い音が聞けるよ』


『もう、い~いよ!』


 人見知りの自分が、なんであの時は自分から言えたんだろう……。
 『一緒に遊ぼう』
 実際、一人で遊べる事にも飽きていたのだろう。
 つまらない毎日を変えてくれる、それが友達だ。
 そして、幸いな事にこの子は当たりだった。
 不幸な事にも、この子は当たりだったのだ。


 人見知りの私は人と話す時どうして距離を考えてしまう。
 打算的な子供だったと言うと嫌に聞こえるが、
 多かれ少なかれ、そういった気持ちがあった事は否定できない。
 自分にとって得かどうか、そう判断して人と付き合う性格は今も変わっていないし、
 そういう自分が時々嫌になる時もある。
 そんな自分を受け入れてくれる唯一の友人がメリーで、たった一人の親友だ。
 だけど、子供の頃……親友と呼べる友達が一人いた。
 もう、ずいぶん会っていない。
 多分生きているだろうと思うけど、会いに行きたくてもどこにいってしまったかわからないからだ。


『リグルちゃん、見っけ~!!』


 大学に入り、意を決してお婆ちゃんの田舎へ行ってみた事がある。
 もうお婆ちゃんは高校の頃死んでしまって、
 お婆ちゃんと一緒に住んでいた家は親戚が既に処分し、今では空き地となっている。
 国の過疎地域再開発計画とかで、区画整理をして都市部へ直結するベッドタウンを建造する計画のようだ。
 子供の頃一緒に遊んだあの山は、既に丸裸にされ痛々しい地肌を晒している。
 山の中腹には山なりに沿ってアパートが出来るらしい。


『見つかったか……次は、何して遊ぶ?』


 もっと早く会いに行けば良かった――決意するまで時間がかかった。
 私はそんな大事な事を忘れていたんだ。
 ――忘れようとしていたんだ。
 
 彼、否……彼女か、間違える度に殴られたっけ……半分以上ワザとだったけど。
 『リグル』という名の女の子の名前を思い出したのが、大学に入ってすぐ。
 どうして今まで忘れていたんだろうと不思議に思っていたけど、
 自分自身で可笑しくなってしまう内容だった。


 私は――逃げたんだ、彼女から。



『もう夜だね……リグルちゃん、お腹空いたんじゃない?』


『蓮子も……もう帰った方が良い。お婆ちゃんが心配するよ』


『お婆ちゃんは大丈夫、最近友達と遊んで遅くなったって言うと嬉しそうだもん、もう少し遊ぼうよ!』


 そう……ここからの記憶がいつも曖昧だったんだ。
 いつもここまで思い出せるのにそこから先が――霧がかかったように見えなくなって。


『じゃあ、ちょっと歩くけど面白い物を見せてあげるよ』


『本当!? 何、何?』


『着いてからのお楽しみさ!』






 ザァ――――――。



 壊れかけのテレビの砂嵐のように、フィルターが掛けられる。
 
 大学で心理学の本を読んだ事がある。
 心理学で言う忘却は様々な段階での失敗が考えられる。
 知識を覚える時きちんと覚えられない――記銘段階での失敗。
 一般的な、知識を忘れてしまう現象――保持段階での失敗。
 そして私の場合、知識を覚えているが上手く思い出せない――想起段階での失敗がこれに当たる。
 フロイト先生のトラウマ論がちょうど私の状態を説明するのに役立つ。



「相馬灯か……そんなに長く無いのかなぁ……」


 自分の命が燃え尽きようとしているのがよくわかる。
 体温が逃げて行く。
 掴もうとしてもするり、するりと逃げて行ってしまう。
 最後の思い出すのは楽しい思い出と決めていたのに……、
 どうやら最後まで、何一つ自分の思い通りにならなかったということか。

 ――あれ……何か、光が見える。
 自分が落ちたのは崖の下、そしてちょうど滝の近くの岩場に倒れているようだ。
 その岩場の周囲の生える植物の庭に緑の星が瞬いている。
 源氏物語の一節だったか、

 ―こゑはせで身をのみこがす蛍こそ いふよりまさる思なるらめ―
(鳴く声も無く、身を焦がす蛍のような気持ちこそがどんな言葉よりも強いものなんでしょう)

 淡い光が蓮子の周囲に溢れ、そして次第に人の形を作っていく。



「私……ようやく思い出したよ……ずいぶん時間掛かちゃったけど……ねぇ、リグル」


 私の呼び掛けに応えず昔と変わらない姿でそこに居るかつての友人に、私は言葉を続ける。
 まだ……もう少しだけ時間をください、神様。
 私の命が尽きる前にこれだけは言わせてください。


「リグル……あの時はごめんなさい。逃げてしまって……覚えてる?」


「あぁ、蓮子」


 ようやく話し始めたリグルの声は相変わらず、男の子っぽいぶっきらぼうな話し方だった。
 昔と変わらない声と姿に私は安堵し、自分の最後を見届けてくれる場を用意してくれた神様に感謝した。

















『どこまで行くの?』


『もう少しさ』


『ま~だ~? もう疲れたよ』


 リグルが手を引いて連れて行ってくれたのは、普段入らない程森の奥だった。
 薄暗い森が不気味だったが、リグルが横に居てくれるだけで全然怖くなかった。


『着いたよ』


 リグルの声で、頭を上げ周囲を見渡す。
 湧水が清流を作り、どこまでも透明な水面が広がっていた。
 これはこれでとても素晴らしい景色なのだが、もったいぶったわりに物足りない感じがした。


『懐中電灯消してみて』


 言われた通りにする。
 すると――、


『うわぁ~!!』


 辺り一面の蛍の光、星が落ちて来たんじゃないかと思うくらい、
 溢れ出した光の粒は人生の中で一番の美しさだった。


『満足してくれた?』


 その言葉に無言で何度も頷き、再び視線を蛍達へ向ける。
 いつまでもここに居たい……そう思った。


『そのままで聞いて欲しい』


『えっ?』


『私は蓮子に、一つ嘘をついている』


『どういうこと?』


『私は妖怪だ』


『……』


 私は無言でリグルを振り向く。
 何を言っているのかわからなかった。
 妖怪? リグルが? 
 お婆ちゃんから妖怪の話をしてもらった事がある。
 それはとても怖いモノで、可愛い顔をしたリグルとイメージが繋がらない。


『蓮子なら……私を受け入れてくれると思う。私信じているから……』


 リグルの身体が突如、淡い蛍の光に包まれた――。
 光が止み、リグルの姿が再び現れる。
 どこと言って変わった所は無く、強いて言えば虫のような触角が生えた程度。
 今思うと姿形が異形に変わったりしたわけでもないのに、どうして逃げだしてしまったのか不思議なくらいだ。

 だが、当時の私はリグルの正体を知った時、自分とは違う種族に何故か背筋に寒気を覚えたのだ。


『そんな……何で……』


 それは何百年と過ごした妖怪としての力だったのだろうか。
 リグルの纏う空気の質が変わり、音が止んだ。
 私が感じ取ったのはリグルの姿ではなく、妖気のようなものだったのだろう。
 私は自然と足を後退させながら、距離を取っている自分に気付く。
 殺されると思ってしまった。
 お婆ちゃんから妖怪が人間を攫うと言う話を聞かされていたからだ。
 それは良く聞く躾の類の逸話だが、その当時は現実に起こったんだと思ってしまった。

 私は逃げ出した。
 その時の悲しそうなリグルの表情が今でも忘れられない。
 暗い森の中を、どこをどう走って帰ったのかは覚えていない。
 










 ――妖怪には一瞬で、人間にとっては長い時間が過ぎた。


「あの頃の私は臆病で、自分と違うものを認められなかった……今から考えると可笑しい事ばっかり、
 リグルを認めて、友達のままでい続ける事も選択肢としてあったのにね」


 大学に入り、ふと当時の記憶の断片が蘇る。
 自分自身で記憶を改竄したのは、リグルの姿に恐怖したからじゃない。
 私自身が親友を裏切った事――自責の念に耐えきれなかったからだ。
 中途半端な違和感を解消する為、私は『秘法具楽部』を結成し超常現象の類を調べ出した。
 妖怪、神話、異形のモノ……調べて行けば、リグルという女の子を受け入れる事が出来ると思った。
 伝承、民話などの似たような逸話、似たような境遇。
 求めていれば何時かは辿り着ける。

 直接リグルに会いに行けば良かったのに、
 何故か回り道ばかり選んで、諦めきれなくて。
 中途半端、自分自身で何がしたいのかわからなくなってきた。
 矛盾ばっかりで、どこか真剣になれなくて、でも……気になって。
 ――成長って言えるかわからないけど、それでも


「――それでも、リグルは私の友達だよ。
 ごめん、あの時この言葉を言えれば良かったのにね……」


 リグルは倒れた蓮子の傍に座り、蓮子の額に手を当てる。


「……ありがとう、蓮子」


 その言葉に満足したのか、ニカッと大きく笑って、蓮子の身体から力が抜ける。
 リグルはゆっくり蓮子の頭を撫で、立ち上がる。




 ――死を悼む鎮魂歌は奏でられる。


 ――今にも降って来そうな蛍の涙の下で、


 ――あの時と同じように、








「ゆっくりお休み……私の親友」


















 ―第三十四話 「蛍の涙の下で」、完。




 ―次回予告。
≪百(もも)の、無数の、星の数ほどの思いが息づいている。
 その全てが叶えられる事は天文学的奇跡に近いが、それでも願わずにはいられない。
 それは……人は弱さと言うのか、強さと言うのか、
 それを教えてくれるのは自分自身しかいなかった。

       
 次回、東方英雄譚第三十五話 「百のまにまに」 ≫



[7571] 第三十五話 「百のまにまに」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/10/10 16:38



 死山血河、そういった方がとてもわかりやすい表現だと思う。
 あれからどれくらい時間が立ったのかわからないが、
 私はまだ倒れていない、まだ立っている。

 スーツの内側では身体が悲鳴を上げ、切り裂かれたスーツの端々から血が溢れる。
 私一人では無理だったのか……疲労は否が応でも思考を後退させる。

 足の力が緩む……ここで私が倒れ――られない!!
 意識が飛びそうになるのを踏み止まる。
 力の使い過ぎだ……そう言われたような気がした。
 わかっている……分かっているけどさ……、



 ――視界一面のグールの山(腕)、山(足)、山(首)。
 そこかしこに私に襲いかかって来たグールの亡骸が転がっている。
 それを見ても以前戦意を喪失せず、寧ろ何時弱るのかを待っている節さえある。
 嫌な攻撃だ、仲間の命を犠牲にして敵の戦力を削る。
 まるで使い捨ての道具のような戦法。否、戦法なんて言う程のものではない。
 獣の本能というものか、自分だけが楽しめればいい、自分だけが生き残ればいいという畜生の思考。
 

「来なさいよ……ほら、私はこんなに元気だよ……殺したいんでしょ」


 ―キシャアアアアアアッ!!―


《Secret vent『陰陽鬼神玉』》


 取り出した陰陽玉は術者の霊力に反応して攻撃方法を変える道具だ。
 エネルギーを大半持っていかれる、とても大喰らいであまり使いたくなかった。
 だが、この状況下ではそう言ってもいられない。

 霊力を充填した陰陽玉はエネルギーの火球となり、大玉が転がるようにグール達をなぎ倒して行く。
 それと同時に、残りの札を全て展開する。




《It forces all here――》



「一気呵成、大気爆裂―――大結界『博麗弾幕結界』!!」



 その効果範囲全てに霊力の弾幕の嵐が吹き荒れる。
 力の弱いグールは触れただけで消滅し、それに耐えたとしても縦横無尽に走り破壊尽くす陰陽玉の餌食となる。
 全ての力を霊力とし、全ての敵をなぎ払う大技だった。


《Energy shortage――Remove the transformation.》


 変身が解け、倒れる。


「……はぁ、はぁ……やった!? やったの? 私……」


 もう変身する力も残っていない。
 腕をついてなんとか立ち上がり、周囲を見渡す。
 そこに動く物は、いなかった。
 視界を覆っていたグールの全てが、薙ぎ払われ、消滅もしくは原型を留めない程に壊されていた。
 ふらつく身体を懸命に立たせていた力緩み、身体が傾ぐ。
 少し、少しの間休めれば――、


 ――ゴウッ!!


 今、私の頭があった場所に何かが通り過ぎる。
 急いで振りかえろうとした私の横腹を、とんでもない力が襲いかかる。



「ゲフッ、ガァアッ!」


 受けた衝撃で当たった左腕と脇腹の骨が折れる音。
 血を吐きもんどり打って転がる私を更に、捉えようと剛腕が地面を抉る。
 私は必死になって転がり、距離を取る。
 ――倒し損ねたというの!!
 まるでゴリラのような筋肉質のグールがそこに居た。

 内臓をやられたのか口から血を吐き出す。
 ヒュー、ヒュー……呼吸が荒い。
 後ずさりした足の奇妙な感覚に気付く。
 後ろ……崖!?
 知らない内に追い詰められていたのか……。
 
 

 ―ガャアアアアアアッ!!―


 獣特有の俊敏さで瞬く間に距離を詰める。
 まだ……まだ……私は!


「へんし――」


 ゴゥ――、

 暴力的な音と共に私の頭を揺さぶる。
 耳の近くで鳴り響く自分の骨の悲鳴が頭にこびり付く。
 咄嗟の動作だった。
 右手で折れた左腕を持ち上げ、顔を覆った。
 それをしなければ、間違い無く首が衝撃で持って行かれただろう。
 ライダーとして戦う内に知らないまに反射神経が鍛えていたのかもしれない。


 ドボゥ――、


 水……川に落ちたのか……、
 この腕では水はかけないな……。
 できるなら諏訪子達に見つけてもらいたい、
 そう願いつつ、私の意識は薄れていった。











「貴女の行動には三つ、おかしい点がある」


 対峙する咲夜にそう言い放つチルノ。
 対する咲夜はチルノの言葉に注意しつつも、いつでも攻撃を加えられるよう臨戦態勢をとる。
 

「……さて、何の事でございましょうか?」


 とぼけた様子の咲夜に構わず、チルノは話をきり出す。


「一つ、何故グール達を使わない?」


 おかしな話だった。
 咲夜達の目的は敵の殲滅のはず。ならばわざわざ咲夜と美鈴が出てこなくても、
 先にグールをけしかけ、弱らせる事でよりスムーズに事が運べるはず。
 咲夜達とグールの波状攻撃が行われないのは単に戦闘の邪魔になるというには理由が足りない。


「大変興味深いお話ですが――」


「二つ、人間である貴女が紅魔の味方をしているのか?」


 咲夜の言葉を遮る形でチルノは話を続ける。
 ナイフ投げの技術は称賛出来る程だが、受けた攻撃から判断するに妖怪の力と比べて弱いと考える。
 身体能力が人間を越えていない。
 最初と比べると若干の疲労も見え、本人が言っていたように人間である事は間違いないようだが、
 言動と行動から判断すると妖怪に操られてという事はなさそうだ。
 なぜ、人間が『紅魔』の手先となっているのか?
 疑問に思う所だが、敵である事には変わりは無い。


「そして三つめ――」


「まさか……私に出会った事が貴女の不幸、なんて言わないですよね?」


「三つめ――貴女は全力を出していない……いや、出せない理由がある」


「……」


 咲夜の力は大変驚異的なものだ。
 相手に反応出来ない速度で行動できる、という事は無敵という事だ。
 純粋な戦闘において速度は力よりも重要視される。
 咲夜の場合、反応出来る出来ないを超越している。
 普通に考えて、勝負にならないはずだ。
 どんなに身体の大きな男でも動けなければ、ナイフ一つで小さな子供でも殺す事ができる。
 だが、チルノは今生きているという不思議。
 力を抜いているか、そうでなければ何かしらの理由が有るはず。


「チルノ博士が気にする事ではありませんよ。
 貴女に今必要な事は、生き残れるかというだけです――」


 ――時間は再び跳躍する。
 出現したナイフはチルノを取り囲むように放たれる。
 その攻撃を予想していたチルノは自分の周囲に氷の防壁を作り出す。


「それだけ大言壮語を吐くのならば、さぞ名案があるのでしょうね?」


「無いわ。強いて言うなら……」


 ――突如、咲夜へ飛来する物があった。
 敏感に察した咲夜はナイフを放ち、相殺する。




「チルノ……待たせたね」


「強いて言うなら――諏訪子を待っていた、というだけよ」


 チルノをかばうように諏訪子が鉄の輪を持ち、咲夜に睨みを利かせる。
 咲夜は明らかに警戒の色を強め、ナイフを身構える。





「遅くなってすまない。霊夢の方へは椛と文が向かっている」


「わかった。今、魔理沙が美鈴と戦っている……厳しいはず」


「了解。こいつを片付けたらすぐ援護に回る」


 情報を確認し合いつつも、二人は警戒を怠らなかった。
 諏訪子にしてみれば、直接手を下したわけではないが咲夜は神奈子を殺した首謀者の一人だ。
 チルノとの会話の間、時折見せる憎悪に近い殺気が咲夜に向かっているのをチルノは感じていた。


「諏訪子……」


「わかっている。私は冷静だ」


「守矢神社以来ですね。洩矢 諏訪子様ご機嫌麗しく――」


「はっ! 紅魔の狗がよくもぬけぬけと……」


「諏訪子!」


「……わかっている!」


 今にも咲夜に飛びかかりそうな諏訪子をチルノは言葉で制す。
 咲夜はその様子を見て、微笑を浮かべて丁寧にお辞儀をすると、


「申し訳ございませんが、今日のところはこれでお暇させていただきます」


「逃げるのか!!」


「そう取って貰ってかまいません。それでは失礼します。
 諏訪子様、チルノ博士」


 そして、音も無く咲夜は消え去った。
 ギリッと、諏訪子の歯ぎしりが聞こえそうなくらいの静寂。
 冗談では無く本当に咲夜はこの場を去ったようだ。


「おーい!! 大丈夫か~?」


 そこへ、魔理沙がかけてくるのが見える……どうやら無事だったようだ。
 魔理沙の方も、美鈴が突然逃げて行ったというのだ。
 咲夜と美鈴の行動に奇妙な点が多く見られるが、今追いかけても仕方がない。
 それよりも霊夢達が心配だ。
 無事、椛達と合流できたのか……、













「……お疲れ様、美鈴」


「お疲れ様です。咲夜さん……あれで良かったのでしょうか?」


 山を駆け下りながら、何事も無く合流した美鈴は咲夜に話しかける。


「……お嬢様はあの者達を殺せとお命じになられたのでは?」


「お嬢様はこうも言われたわ。つまらないようなら殺せと、寧ろこの方がお嬢様の意思なのよ」


「あの者達が、お嬢様の望んだ敵だと言うのですか? 私にはとてもそうは……」


「全てはレミリア・スカーレットの名の下に、私達従者はお嬢様のお望みを叶える事に全力を尽くせばいいのよ」


 それだけ言うと話は終わりとばかりに、咲夜は走る速度を上げる。


「……」


 美鈴は無言でその後に付いて行った。















 少女は座った姿勢のまま、眠いのかうつらうつらと頭が舟を漕いでいた。
 手には釣竿を持ち、すぐ傍らには生簀代わりに使っている壺にはまったくといっていい程獲物は入っていない。
 魚を釣る気があるのか無いのか、少女は時折思い出したみたいに横に転がっている瓢箪に手を伸ばす。
 直接口をつけて紫色の瓢箪に入っている酒を飲む。
 そして再び欠伸をして、目を擦る。


「今日も収穫なし……快調快調」


 何が快調かわからないが、そうとう酔いが回っているのだろう。
 魚を釣るという本来の目的も忘れ、ぼ~と過ごす時間を楽しんでいるその少女は人間ではなかった。
 誰が見ても明らかに人間ではない少女の特徴として、頭から生えた大きな角があった。


「そろそろ引き揚げようかな……おっ!?」


 珍しく釣竿が揺れる、本日初めての引きだ。
 思わず眠気を忘れ両手に力が籠り、両足を踏ん張る。


「重い! しかし私にかかればこの程度の引きなど……うオぉりゃッー!!」


 大物の予感。
 渾身の力で、引き揚げる。


「大漁だ~! てっ……あれ!?」


 釣り上げたのは確かに大きかったが、魚ではなかった。
 釣竿にぶら下がったのはどうやら人間の少女のようだった。


「う~ん? これは……」


 一瞬死体を釣り上げたのかと思ったが違うようだ。
 この場所に死体が辿り着けるはずは無い、ここは迷い人が訪れる場所だからだ。
 試しにぶら下がっている少女の頬を叩くと、声が聞こえた。
 どうやら気を失っているようだが、身体のあちこちが傷だらけで放っておくと危険な状態だった。


「仕方ないな~」


 そう溜め息をつくと、少女は釣竿に引っかけたまま人間の少女を運ぶ事にする。
 びしょ濡れの人間の少女を担ぐとなると、自分の服も濡れて気持ち悪い為致し方無い処置だった。
 器用に足で酒の入った瓢箪と、生簀代わりの壺の紐を引っかけ片手に持つ。
 先程までの退屈な表情が一変して、面白そうな玩具を見つけた無邪気な子供の顔になっていた。















 ―第三十五話 「百のまにまに」、完。



 ―次回予告。
≪人は迷うもの。迷って迷って……辿り着いた先でも迷う。
 堂々巡りの空回り。
 踏みしめた足のおぼつかなさが、迷い家へと足を運ばせる。

 
 
       
 次回、東方英雄譚第三十六話 「マヨヒガの住人」 ≫





[7571] 第三十六話 「マヨヒガの住人」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/10/18 23:39






 三日間眠い続けた少女が初めて目を覚ました。
 雀の鳴き声に頭を起こし、全身の痛みに呻いて再び床に伏せる。


「ここは……」


 見慣れぬ景色に頭が働かない。
 確か山で戦っていて、それで……グールに崖に落とされて、


「はっ、ベルトは!!」


 布団が捲れ、強引に身体を起こすと激痛に思わず悲鳴を上げる。
 そこへ襖が開き、小さな猫耳を生やした少女が手に包帯や水の入った桶を持って現れた。



「あっ!! 気がつかれましたか、待っていて下さい! 動かないで下さい!
 今、藍様呼んできます!!」



 そう言うと猫耳少女は障子を閉め、ドタドタとけたたましい音を立てて部屋を出て行った。
 呆気に取られ、呆然としている内に再び荒々しい足音が二人分聞こえ、障子が勢い良く開かれる。


「わかった、わかったから! 橙、服を引っ張らないでぇ!!」


 先程の猫耳少女に引っ張られ現れたのは長身の女性だった。
 道士服に隠喩を含んだ前掛け、そして帽子から除く髪は輝く金色を放ち、
 一際目を引く九つの尻尾と合わさり神々しさを醸し出していた。


「……ここは……貴女達は?」


 質問をすると、ゴホンッと咳払いをして崩れた服を直しつつ、目の前に座り目線を合わせる。


「私は藍。こちらは橙といいます。ここはまぁ私達の家ですね」


「そうですか、傷の手当てまでしていただいて、私は博麗 霊夢……助けていただきありがとうございます」


 そうして橙と藍と名乗った女性に頭を下げる。


「よして下さい。手当ては我々ですが、助けたのは友人です。
 ……まぁ今の時間はまた、近くの河原で釣りをしているでしょうけど」


「――それよりも、お腹! お腹空きません!?」


「こら、橙……」


 話を遮り、橙と呼ばれた猫耳少女が尋ねて来る。
 とがめる藍に、いいんですよ、と応じ食事を頂く事にする。


「わっかりました!! 私作って来ますね!」


 そう言って駆け出して行く橙を見送り、藍は溜め息を吐く。


「すいません。騒々しくて、人間のお客人は珍しいものですから……」


「元気が有って可愛い娘ですね。妹さんですか?」


「妹のようでもあり、娘のようでもあり……かけがえの無い家族ですかね。
 あぁ、それより包帯を換えましょう」


「ありがとうございます」


 藍が慣れた手つきで包帯を解いていくと、驚いた。


「傷が……塞がっている……あんなに大怪我だったのに」


 包帯が解かれて自分の身体を見るとあちこちにできた怪我が治りかけ、
 一番酷かった左手も、まだ十分ではないが、手の感覚も戻って来ている。
 確か、骨がグールの攻撃で粉々になっていると思ったが……、


「私が調合した特製の秘薬ですよ。まだ十分ではありませんが、
 後二、三日もすれば完全に回復できるでしょう」


 あれだけの怪我なら、人間では手術をしても数カ月かかるのに……、
 寝ていた期間も含めると僅か一週間で完治する計算になる。


「凄い薬ですね……」


「ふふ……それよりも霊夢さんでしたか? 貴女は我々を見て驚かないのですね」


「妖怪……ですか?」


「そうです」


「私の友人にも妖怪がいます。今更これといって」


「そうですか。話が早くて助かります」


「……あ、それと私……ベルトを持っていなかったですか? もしかして落としたんじゃ……」


「ベルト? ……あぁ、あれの事ですか」


 藍が立ち上がり、霊夢の後ろにある木箱を取り出す。
 開けると、そこには洗濯され丁寧に修繕された服と、ベルトがあった。


「よかった……あった……」


「そんなに大切な物なのですか?」


「えぇ、私の友人から預かった物なので。後、藍さん。聞きたい事があります。
 ここは……どこですか? 私は崖から落ちたはずじゃ……」


「そうですね。混乱されるのも無理ありません。ここはマヨヒガと呼ばれる所です」


 そう言って藍は話し始める。
 『マヨヒガ』――迷い家とも言われるこの場所は、現実と夢の狭間にある空間、隠れ里と言った方が正しいか。
 日本の民話や神話に登場するような一種の仙境だ。
 民間伝承では迷い人が訪れる場所、意識の最果て。
 外の世界とは地続きでは無い、異郷。
 

「普通の人間なら、何かの拍子でここに迷い込んでも私達の姿は見えません。
 ですが、貴女は何か特別な力を持っているようですね」


 そんなに大怪我で迷い込んで来る人も珍しいですけどね、と笑い藍は立ち上がる。


「どれ、そろそろ橙の様子を見て来ます。あの娘、最近料理を覚え出したのですが、どうにもまだまだ……」


 それでは失礼、と言い残し藍はトタトタッと廊下を小走りに走って行く。

 ――そして、しばらくすると、


「ちぇえええん!! 砂糖と塩を間違えてる! 塩はこっち!!」


「すいませ~んッ!! 藍様~!」


「鍋! 火強すぎ、焦げる!!」


「にゃぁあああああ!!」


 ……大丈夫……なのか!?
 少し不安になりながらも……更にしばらく待つと、ようやく橙が食事を持って顔を出す。


「えっへへ……お待たせしました。ちょっと失敗しちゃって」


 そういって出された小さな土鍋の蓋を開けると、美味しそうな香りが漂い食欲をそそった。


「お粥です。自信作なんで食べてみて下さい!!」


 そう言って差し出される匙を受け取り、霊夢は気付かれないように苦笑いを浮かべる。
 本当に大丈夫なのか……?
 そこで、ハッと気付く……障子の陰より見覚えのある金色の尻尾が見えた。
 霊夢は覚悟を決め、匙を粥の中へと沈ませ、少しすくって口へ運ぶ。


「……あ、おいしい」


「本当ですか!!」


 怪我人でもあるにも関わらず、橙は霊夢に抱きついて来て全身で嬉しさを表現する。
 お尻から生える二本の尻尾が勢い良く振り回され、愛くるしい顔が真近に迫る。


「本当よ。とってもおいしいわ」


 橙に抱きつかれ、体中が悲鳴を上げているのだが(結構、力が強い……)、
 それを表情に出さず、笑顔で橙の頭を撫でる。
 そこで、ハッと気付く……障子の陰より見える肩が小刻み震えている……泣いているのか?


「ねぇ、霊夢さん食べ終わったら、何かお話して! 外の世界の事!!
 私、外の世界の事あまり知らなくて……キツかったらまた元気な時でいいんだけど……」


「ううん。大丈夫よ……丁度誰かと話したい気分なの。
 それで? 何が聞きたいの?」


「ヤッター!! それじゃね……えぇっとね……」


 橙の嬉しそうな声に藍は顔を綻ばせ、障子より離れる。
 今日は久々に橙の好物を作ってやろうか、そう思いながら夕食の献立を考える。
 魚を釣りに言っている友人の収穫は当てにできないだろうが、まぁなんとかなるだろう。
 藍は台所の方へと楽しそうに歩いて行った。











「おお~い、今帰ったぞ~!!」


 大きな声と共に玄関の戸が勢い良く開けられ、角の生えた少女がかなり酔っているのか、
 へべれけで、玄関の床に倒れ込む。


「み~ず~!! 水、ちょう~だい……」


「はい! 今持って行きます!!」


 その正体をなくした様がいつも通りなのか橙は小走りで、水を持って行く。


「今日も釣れ無かったですか?」


「おう!! 全然駄目だった」


 いつも通りのやりとり、
 べろべろに酔った少女は玄関の床が冷たくて気持ちいいのか頬擦りしながら、楽しそうに笑う。


「――ところがどっこい!! 今日の私は一味も二味も違う。見よ、この戦果を!!」


「うわぁ! すご~い!!」


 不敵に笑い自慢げに生簀代わりに使っている壺を見せる。
 珍しい事もあるもんだと、橙は大好物な魚を前に興奮する。


「ひぃ、ふぅ、みぃ……あ、ちょうど人数分ありますね」


「人数分? 何だいあの人間、目覚ましたのか? どれちょっと話してみようかな」


「今寝ていますよ。食事ができるまで寝かせてあげたいので……」


「そうかい、じゃあそろそろ起こしてあげたらどうだい? 良い匂いがしてきた。
 魚は私が藍に渡しとくよ」


「わかりました!!」


 そう言ってふらふら、と千鳥足で台所へ向かう少女を追い抜く形で橙は霊夢の寝室へと向かった。










「失礼します」


 そう言って霊夢の居る寝室の襖を開けると、布団に寝た状態で霊夢は既に目覚めていた。


「眠れなかったのですか?」


「もう三日間も寝尽くしたからね。それより良い匂いね~もうお腹空いちゃって」


「なら、お食事一緒にどうですか? 今なら萃香様も帰って来ているので……」


「萃香様って?」


「あぁ、まだ会っていませんでしたね。霊夢さんを助けたのも萃香様なんですよ」


「それじゃ、直接お礼を言いに行かなきゃね」


 霊夢はよいしょっと掛け声と共に身体を起こす。
 橙が慌てて、霊夢の身体を支える。


「まだ無理をしてはいけません……」


「命の恩人なんだから、早くお礼を言いたいのよ」


「それなら、私が呼んできます。無理をして傷が開いたら大変ですから……」


「……わかったわ。ごめん、お願い出来る?」


 橙が元気良く返事をして襖を開けて出て行こうとすると、その襖を先に開けた人物がいた。


「――お、案外元気そうじゃん!」


 そう言って豪快に笑い、ずかずかと霊夢の横に来て胡坐を組んで座る角の生えた少女。
 体中から酒の臭いが出ているのか、部屋が一瞬で宴会場の空気になった。


「え、え~と……」


 霊夢は突然現れた酒臭い少女にどう対応していいか、混乱していると、


「霊夢さん、こちらが先程話した萃香様です」


「えっ!? 貴女が……?」


 橙が萃香様というから、想像ではもっと藍のような年上の女性を考えていたが……、
 見た感じ、橙と年の頃はそれほど違わない。
 頭から生えた角から少女が妖怪である事は間違いないだろう。


「流石に釣り上げた時は吃驚したよ! まさか人間が釣れるとは思いもしなかったからさ!
 初めまして、私は伊吹 萃香……鬼だよ」


「え、あ……初めまして……博麗 霊夢です。この度は助けていただきありがとうございます」


「博麗……霊夢……え~と、もしかしてあの……博麗神社の!?」


 萃香が驚いて、霊夢の顔をまじまじと見つめる。それに気押されたのか言い淀んで霊夢が答える。


「そう……です……何か御存知なのですか?」


「そっか!! 道理で……合点がいった」


 萃香は胡坐を組んだ膝を叩き、再び楽しそうに霊夢を見つめる。


「博麗 霊夢、博麗 霊夢……そうそう、確か千年以上前に会ったあいつもそんな名前だったな、顔も似ている。
 お前がどうしてここに迷い込んで来たのか、わかった気がするよ!」


「はぁ……」


 楽しそうに笑う萃香に対し、霊夢は何故そんなに嬉しがっているのかわからなかったが、
 どうやら、自分の御先祖に関係あるらしい。
 橙もどういう事なのかわからず、霊夢の横にちょこんと座り話を聞いている。


「いやぁ~懐かしい! あいつとはよく勝負をしたもんだ!!」


 既にかなり酔っているにもかかわらず、気分が良くなったのか腰に下げた瓢箪の酒を飲み始める。


「千年……もうそんなに経ったんだなぁ……」


 その言葉より始まった萃香の遠い遠い昔話。
 嬉々として語る萃香の思い出。
 霊夢の知らない、博麗 霊夢の話。


「あいつとは因縁があってね。私が人間にちょっかいかける度に、
 そりゃあ~もう鬼のように怒って退治しようとしてくるのさ!
 こちらもただでは退治されたくないから、必死に戦ったよ……まぁそのうちに戦うのが楽しくなってきて、
 人間をからかうよりも、あいつと戦うのが目的になったけどな!」


 今より栄えていた博麗神社に一人の巫女が居た。
 その巫女は歴代の中でも随一の力を持ちながらも修行をさぼりがちで、
 日がな一日神社の縁側で茶を啜って、のんびり過ごすのが日課だった。

 しかし、一度異変が起こればその才能と力を持って解決をする能力もあった。
 萃香も面白半分に異変を起こして人間をからかう癖があった為、度々巫女と対立をしたのだ。


「今何勝何敗だったのか忘れてしまったけど、多分……うん、私が勝ち越していたはずだ。
 人間だからね……体力も若い頃のようにはいかないさ」


 少ししんみりしたように酒をちびっと飲み、また陽気に笑い出す。
 その話は自分と対立する因縁の敵に対するものでは無く。
 得がたい好敵手として、旧友を紹介するような……そんな話だった。





 ――そこへ、襖が開けられ藍が現れる。




「橙、ここに居たのか探したよ……配膳手伝って欲しいんだが」


「すいません藍様! 今行きます!!」


 橙が慌てて廊下を掛けて行く。
 それを見送り藍が霊夢達を見る。


「萃香、そろそろ食事ですよ……後、霊夢さんの分はこちらに運びますね」


「ありがとうございます。藍さん」


「あぁ藍、私もこっちで食べていいか? 霊夢ともう少し話がしたいんだ」


「ふふ……わかりました。久々にそんな楽しそうな萃香を見ましたね」


「うぅ~ん!? そうか~?」


「そうですよ。橙にこちらへ運ぶよう言ってきます」


 藍が出て行き襖が閉められるのも待たず、萃香は話の続きを始める。
 話は尽きる事無く、時に笑い、また笑い。
 身体が全快であれば酒にも付き合えただろう。
 申し訳なくお茶で乾杯し、
 夜中過ぎても話は――絶える事無く。
 


















 ―第三十六話 「マヨヒガの住人」、完。



 ―次回予告。
≪昔話の鬼 鬼ごっこ 節分の鬼など
 鬼は物心ついた頃から当たり前のように
 私達の傍にいました。
 
 鬼『災厄』、鬼『恐怖』、鬼『悪』
 それは人間が勝手に植え付けた想像上のものでしかない。
 なにせ……鬼はこんなにも優しいのだから。
 
       
 次回、東方英雄譚第三十七話 「鬼の忠告」 ≫




[7571] 第三十七話 「鬼の忠告」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/11/07 12:22



「変身ッ!」


《Complete》


 霊夢の身体を光が包み込み、橙達が眩しさに一瞬目を逸らした瞬間には霊夢は既に変身を終えていた。
 西洋の甲冑のようなプロテクターに身を包んだ霊夢の姿に一同驚嘆する。


「……か……カッコイイ……」


 橙は興奮を隠しきれないのか両の手を熱く握り、瞳を輝かせる。


「……ほう、ほうほう」


 学者肌なのか、気が付くと藍がぺたぺたと霊夢のスーツをあちこち触り、
 興味津津の様子でこれはどういう構造になっているのかと質問して来る。


「……ふう、大丈夫そうね」


 霊夢は無事にベルトの機能が生きている事に安堵し、変身を解く。
 幸い、ベルトとセットになっている携帯電話にも異常は無く、修理の必要性はないようだ。
 身体も十分治り、ようやく藍の許可が下りて身体を動かす事ができる。
 ふと見ると先程まで縁側で酒を飲みつつ、こちらを面白半分に見ていた萃香がすぐ近くに居た。


「――ん」

「はい!?」


「だから貸してって、そのベルト!」


 見ると、萃香が右手を掌を上にして差し出し、指を動かしている。
 見ると、藍がやれやれといった表情で首を振る、こうなったら頑固な萃香に逆らっても無駄らしい。
 流石に壊される事はないだろうが……若干心配をしつつ、ベルトを外し萃香へ渡す。
 ベルトを受け取った萃香はほくほく顔で、再び縁側の上に登り、ベルトを身に着ける。


「霊夢~これで『変身』って叫べばいいんだよね?」


「えっ!? ……うん、あ……そう。でも!! 誰でも変身できるとは――」


「変身!!」


 ――ベルトが輝き出し、その溢れ出した光が萃香を包みこんでいく。


《Complete》



 眩しさに目が眩んだ霊夢達が瞬きをして再び萃香を見る。
 ――そこには、


「はっはっは!! 見ろ! 変身出来たぞ!!」


 西洋の甲冑のようなプロテクターに身を包んだ萃香の姿に一同驚嘆する。


「……か……カッコイイ……」


 橙は興奮を隠しきれないのか両の手を熱く握り、瞳を輝かせる。
 しかし、先程と同様の尊敬の眼差しで見つめる橙とは、別の意味で霊夢と藍は驚嘆していた。
 橙の反応が面白いのか、
 自慢げに次々ポーズをビシッビシッと作っている萃香を尻目に霊夢達は声をひそめる。


『霊夢さん……アレは……』

『……う~ん』

『教えてあげた方がいいんじゃ……』

『まぁ本人が満足ならそれで……』


 萃香が変身した姿は霊夢とほぼ同じだった。
 唯一違うとすれば、ヘルメットから出ている立派な角だろう。
 ライダースーツは装着者の身体にフィットするように体型、身長等を情報解析し、自動で調節する。
 一番問題なのは縮尺なのだ。
 萃香の身長は霊夢より更に低い、体型も子供のそれだ……
 つまり、現在の萃香の姿は無理矢理背伸びをしてコスプレをしている子供の姿そのもの。
 身体能力の高さから動きがえらく滑らかで、逆にそれが滑稽だった。
 藍と霊夢は笑いを堪えるのが必死だった。


「どうだ藍! カッコイイだろ!?」


 萃香が両手を水平にしてポーズを決めながら、藍に問い掛ける。


「――ブハッ!」


 ついに藍は耐えきれなくなり、顔を真っ赤にして噴き出す。
 くっくっ、と腹をよじらせて答えられない藍を不思議そうに見つめる萃香。
 霊夢はその視線の間に割って入って、


「わ、悪気は無いのよ……藍は……」


「どうした? 調子悪いのか、藍?」


 能天気にどこか体調が悪いのだと勘違いした萃香。
 藍の様子にさほど気にせず、再び具合を確かめるように身体を動かす。


「なんか……動きづらいな……これ」


 満足したのか変身を解くと、橙が萃香に近寄る。


「ねぇ~萃香様……今度は、私も変身してみたいんですけど」


「うん? ああ、ほら」


 萃香はあっさりベルトを橙に渡すと、橙は嬉しそうに早速装着する。


「変身ッ!!」


 可愛らしい掛け声と共にポーズを決める橙。
 ――しかし、

《Error》


「にゃッ!?」


 電子音が響き、ベルトが火花を散らして吹き飛ぶ。
 衝撃で橙の軽い身体は吹き飛び、障子の壁に叩きつけられた。
 かなりの勢いで飛んだのか障子が破れ、木の骨組みが壊れる。


「ちぇええええええん!! 大丈夫か!?」


 藍は大慌てで急いで橙へと駆け寄る。一瞬遅れで萃香が橙へ駆け寄り、大丈夫かと声を掛ける。
 あれだけ勢い良く障子を破り叩きつけられたのに、幸いにもどこも怪我は無く、本人はケロッとしていた。
 妖獣としての身体は丈夫なのか掠り傷一つ追っていないにも関わらず、藍はしきりに橙の身体に異常がないか調べる。
 その様子に萃香は相変わらず過保護だな~と呆れる。


「びっくりしました~!」


「……すいません。説明不足でした」


「どういう事だい? 私が変身した時は何ともなかったのに」


 霊夢は謝りつつ、萃香達にベルトの事を説明する。
 ベルトが装着者を選ぶという事、それには何らかの特別な力が必要な事。
 萃香はその圧倒的な妖力で変身できたのだろう。
 妖怪である橙には十分資格があると思ったが……、


「あっはっは!! つまり、修行不足というわけだよ子猫ちゃん」


 むぅと唸り、頬を膨らませてムクれる橙をひとしきり笑う萃香。
 楽しいそうな顔を霊夢の方へ向けるが、霊夢も笑っていい場面なのか困惑気味に苦笑する。


「――さてと、霊夢ちょっと付き合ってくれないか?」


 萃香が突然話しを変える。
 顔は笑ったままだが空気が変わった事を敏感に察した霊夢が了承すると、
 萃香が部屋の奥からお気に入りの釣竿と生簀の壺を持ってきた。


「じゃあ藍、夕方には戻るよ」


「わかりました。お気をつけて」











 ――退屈なのは今に始まった事じゃないね。
 ――強者は常に退屈しているんだよ。




 そう呟く萃香の背中はどこか寂しげで、儚いものだった。
 『鬼』という種族に生まれた萃香にとって、最強とはイコール自分という事を意味したのだ。
 スタートラインを間違えた少女。
 他より最もゴールに近い位置で欠伸をしながら、のろま共が来るのをひたすら待つ日々。
 萃香は釣竿を地面に下ろし、絵を描くように線をひく。


「……見てよ。私の目の前に、こんなに近くに終点がある。一歩進めばそれで試合終了さ。
 だから、何? て感じだよ。つまんないよ」


 霊夢が問い掛けに笑って答える萃香。
 冗談では無く、この鬼の少女にとっては当たり前の事なのだ。
 もし、自分に力があって全ての事が自分一人でできるとしたら?
 人には限界がある、そう答えるのが普通。
 だが、目の前の少女はその常識に囚われない存在。
 だからこそ、一度聞いてみたかった。
 自分一人で全てが出来るのはどんな気持ちかと……。


「何かを成し遂げようとする志は、己の無力さから生まれる。
 その無力さってのがわからない私は、何かを成そうって気持ちがわかないんだ。
 停滞しているんだよ……ずっとね……」


 結局はバランスなのかもしれない。
 目の前の極端な少女は、私の目には全てを手に入れているのに何かを失っているとしか見えない。
 彼女はこれから先もずっとこうなのだろうか……、
 自分の興味のある事にしか関心を示さず、目標も無い。
 それでも彼女は悠々自適にどこか自分で納得している節さえもあった。


「お酒を飲むとね、普通なら簡単にできる事が難しくい感じるでしょ。
 それが面白いんだよ。わかるかな~この感じ?」


 萃香は腰に下げた瓢箪の酒を一口飲むと、更に上機嫌に笑い霊夢より先行して千鳥足で歩く。
 釣りに誘われ、お気に入りの釣り場を教えてあげると、なかば強引に連れ出された。
 まぁリハビリにはちょうどいいか……。
 あれほど酷かった傷はすっかり治り、後遺症もなかった。
 藍はまだ寝ていた方が良いと言ってくれたが、そろそろ身体を動かしたくなったところだ。


「ふふ、やっぱり昔会った霊夢とは違うね。昔の霊夢だったらそんな事気にしなかったよ。
 全てはあるがまま、力を持つ者が力を持つ。ただ、それだけ――」


「――私の知ったこっちゃない、ですか?」


「そうそう! そんな感じ!! だからなのかな……人間にも妖怪にも分け隔てなく接する事ができたのは……、
 あ、ここだよ。ここであんたを釣り上げたのさ」


 どうやら到着したようだ。
 目の前に広がる大きな川、その岸辺に腰を降ろす萃香に倣い自分も横に座る。
 萃香は手慣れた手つきで餌を着け、釣り糸を放る。
 その様子をぼ~と見ていた霊夢は話が途切れたのに気づくが、話題が見つからなかった。
 考えあぐねていると、萃香が唐突に話しかけて来る。


「もう、身体は大丈夫かい?」


「……え、はい。大丈夫です」


「それは重畳」


 萃香はその言葉に満足したようで、持ってきた荷物の中から赤い盃を取り出す。
 自分の腰に吊るした瓢箪からそれに酒を注ぎ、霊夢の方へ渡す。


「ほれ、元気なら酒に付き合え、博麗なら酒はいける口だろ?」


「わかりました。なら、少しだけ……」


「どうだい?」


「あ、おいしい……」


「そうかいそうかい。なんせ自家製だからね!」


 萃香は自慢げに話し始める。
 通常酒を醸造するにはいろいろと準備が必要だが、萃香はそんな面倒な事はしない。
 鬼の一種で『酒虫』という生き物がいる。
 それを壺に入れ、少量の水を淹れるだけであら不思議! 水が良酒に変わると言う生き物だ。
 萃香の瓢箪には酒虫のエキスが染み込んでおり、携帯するにはもってこいなのだ。
 萃香の酒講義はそれから延々三時間続き、その間釣り糸の引きは一向になかった。


「それと……ですね。ちょっと聞きたいんですけど……」


 霊夢は酒で飲み潰される前に、気になっていた事を質問して話題を変えることにした。


「なんだい?」


「どうやって帰ればいいんでしょうか? 私はここにどうやって来たのかさえわからないんですが……」


「帰れないよ」


「……え?」


 その言葉に固まる。冗談なのかと思ったが萃香の表情からその類では無い事が読み取れる。
 急速に酒にほろ酔う頭が冷えていくのを感じる。


「帰れないとはどういう事ですか? 帰る方法がないんですか?」


「霊夢、お前は神隠しにあったんだよ。そう簡単に帰れるわけないじゃないか」


「そんな……じゃあ、私は……」


 帰れない、その言葉が何を意味するのか霊夢の思考を加速させる。
 あの後チルノは……メリーと蓮子は逃げきれたんだろうか、グールや紅魔との戦いは……、
 思い悩むわずかの間に、萃香の言葉で疑問点に気づく。


「そう簡単に……という事は、方法はあるんですね?」


「ふむ、気づいたね。偉い偉い!」


 霊夢の質問に、萃香は否定しなかった。
 簡単には帰れない、という事は難しいが方法が無い訳ではないという事を意味する。


「霊夢、ここはマヨヒガだ。現実と夢の狭間、と言う事は境界があるという事だよ。
 混ざり合う事のない二つの世界の間には必ず接点がある。
 逆に言うならその敷居がなければ、それは同一の世界と言う事だ」


 霧が出て来た。
 知らない内に霧は段々と密度を増し、視界を遮り、川の向こう岸まで見えない。
 見えるのはすぐ横に居る萃香だけだった。
 そして、気づく。
 目の前にあった川の上に浮かぶ門を……、


「結界は張れるよね? 結界を張るとその空間は隔絶される訳だ。
 その空間以外の干渉を否定する意識が現実に投影される。言ってみれば気持ちの問題だね。
 見える? あの門、あれがここと現実を繋ぐ接点。視覚化した概念的な門。
 あれを通れば現実世界に帰れる」


「条件は? 通りたくても通れない理由があるんですよね?」


「話が早いね。門がある――とすれば必ず門番がいるのが道理。
 それが帰れないという理由でもある」


「わかった。その門番が……貴女なのね」


 萃香はにっこり笑い、瓢箪の酒を飲みながら、ふらふらと川の上を歩いて行く。
 門の前で立ち止まり、こちらを振り向く。



「物事を通すには筋が必要だ。正しい道で正しい主張をしなければ、正しい解には至れない。
 門を通るには門番の許可がいる。不正に罷り通っては帰り道を見失うよ」



「私はッ! 帰る、帰らないといけない。ここはとても楽しい場所だけど、私にはまだやらなければいけない事がある。
 だから、貴女を倒してでもその門を潜る!!」



「わかっているね。私は鬼だ。古来より鬼と人間の交渉に話し合いは無い。あるのは勝負のみ!
 刮目せよ。かつて小さな百鬼夜行と恐れられた伊吹 萃香の力を!!」
















 一人の強すぎた少女がいた。
 鬼の種族として生まれた少女は仲間の中でも異端の部類に入った程、絶大な力を生まれながらにして持っていた。
 皆が力の強い鬼の種族の中でも、強すぎた少女は仲間内でも避けられるようになるのは当然の帰結だった。
 だが、孤独を抱えた少女にも唯一許せる鬼の友人がいた。
 長い時間の中で、今はどうしているかわからない友だが、
 唯一の話し相手で、酒飲み仲間で、喧嘩友達だった。

 そして、人間にも唯一友と呼んで、いや呼びたいやつがいた。
 いつもマイペースで、自由で、人間で生まれたのが不思議なくらいだった。


 だが、今ならわかる。
 鬼でなければ鬼の友人に出会えなかったし、鬼でなければ人間の友人にも出会えなかった。
 それでいいじゃないか、
 この世界が一人舞台では無い事に気づけた事が、私の唯一持っている鬼の宝だ。
















―第三十七話 「鬼の忠告」、完。



―次回予告。
≪初めて山に登った。
 最初元気だった足が今では棒のようで、汗は滝のように全身を濡らす。
 やっとの思いで登った頂上は見晴らしが良く、通り抜ける風が心の疲れを撫でる。
 そこで、先客がいたので声をかけるが、帰ってきた答えは……、

 「ご苦労様、あいにくここには何も無いよ」

 「大事なのは結果じゃ無く、過程です。
  ……欠伸が出ていますね」

 「私は最初からここにいるけど、つまらなくなかったよ。
  君が必死に登って来る様をずっと見ていたんだから」



       
 次回、東方英雄譚第三十八話 「鬼ヶ島の通行手形」 ≫




[7571] 第三十八話 「鬼ヶ島の通行手形」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/12/27 19:47
 霊夢の言葉に萃香は満足していた。
 萃香は霊夢の足元に転がる赤い盃を指差す。


「霊夢、その赤い盃を取ってくれないか?」


「え、えぇ」


 これが何故必要なのかわからないが、言われた通りに赤い盃を萃香へ放る。
 赤い盃を受け取った萃香は腰に吊るした瓢箪の酒をそこに注ぐ。


「昔の友人の真似をさせてもらうよ。その友人は戦いが好きで、より戦いを楽しむ為自分に枷をはめた」


「……枷?」


「勝負は対等じゃないと面白くないからね。これはハンデ。
 私はこの盃の中の酒を一滴の溢さず戦ってあげる、溢したら私の負けでいいわ。
 もちろん、私を倒してくれても当然勝ちでいいよ」


「気前がいいのね……そんなハンデはいらない、と言いたいところだけど心遣いありがたく受け取るわ。
 だけど……私には勝負の最中溢れたかどうか、確認する術がないわ」


「私が『鬼』という事が証明……鬼は嘘つかない。私が審判をするよ」


 つまり、萃香はプレイヤーであると同時にジャッジも行うという事、
 通常、それは有り得ない。
 何故なら自分の判定は意識する、しないに関わらずどうしても甘くなるからだ。
 しかし、霊夢に選択権はない。
 もし、盛大に溢したとしても気付かなかったですむなら、それはそれで当初の萃香を倒すことで門を通ればよい。
 萃香の言葉を信じるなら、それはメリットがある。
 盃を溢さない事で片手は使えないと同時に、盃にも注意を向けなければならない。
 大きな動きもできないため、常に最小限の行動しかできないことになる。


「わかった。それでかまわない」


 霊夢は携帯を取り出し、コードを入力する。
 その様子を楽しそうに見つめる、萃香は手にした盃を自然に……口に……、


「おおっと! 無意識に!? 危なかった……こりゃ、相当酷な枷だね。
 目の前に酒があるのに……飲めない……」


 その萃香の様子をくすりと笑い、霊夢は勝負の開始を宣言する。


「変身!!」


《Complete》














 陽気な天気で暖かい縁側に腰掛ける橙は空を見ていた。
 家事が一段落した藍がそれに気づき声を掛ける。


「藍様……霊夢さんと萃香様、大丈夫でしょうか……」


「橙……気づいていたか」


 少し驚いた表情で藍は橙の横に腰を掛け、目線を合わせる。
 藍は橙にこの事は言わない方が良いと思っていた。
 例え数日とはいえ、本当に楽しそうに過ごす橙を見ていると霊夢との別れは辛いだろうと思ったからだ。


「戦い好きの萃香様ですからね、帰る前に一勝負したいと思うんじゃないかって……」


「橙は霊夢さんに懐いていたからね……本当の姉妹みたいだったよ。寂しい?」


 藍の言葉に一瞬うつむいたのも束の間、すぐに顔を上げて藍を真正面から見る。


「……はい、霊夢さんと別れるのは寂しいけど、
 ……やっぱり自分の世界に帰った方が良いと思います」


「霊夢さんが勝つと思っているみたいだね」


「あの人は勝ちます。勝つと思います!」


 藍はいつまでも子供だと思っていた橙の成長に思わず顔が綻ぶのを感じた。
 橙の見守る空色はどこまでも青く、所々に掛かる雲は白く高く、
 暗雲立ち込めることもないこの空の下で、誰も知らぬ間に物事は決着するものなんだろう。














「勝負の世界において必要な事ってなんだと思う? 
 力、才能、努力……人それぞれだと思うけど私は楽しむことじゃないかな~って思っているわけよ」


 萃香の蹴りが霊夢の腹部にめり込む。


「勝負ってのは生物の本能……本質って言ってもいいわね。大事な事だし当たり前の物……」


 辛うじてかわした萃香の拳が大地を割る。


「勝負を止めた時点でそいつは生物じゃない。単なる物質だ。
 生きるということは生存本能に従い他者を落とし、自己を高める……その一点に尽きる。
 そして、畜生との差はその生命を楽しむ事にある!!」


 振り上げられた拳が霊夢のガードした腕へめり込み、弾かれた毬のように周囲の木々をなぎ倒し霊夢は止まる。


「……はぁ……はぁ」


 ……バケモノだ、
 枷なんてとんでもない。
 ハンデにさえなってないじゃないか……、
 
 激しい動きをしたにも関わらず盃の酒の量は変わっていないように見える。
 本当に溢してないのか!? あれだけの動きをしているのに!
 攻撃する際、自分が力を加える事によりどのような力の流れがあるのか全てわかっているようだ。
 盃を持つ手は別の生き物のように器用に動き、衝撃を最小限に抑えて溢れないようにしている。


「もう終わりかい? おっと! また……」


 暴れて爽快って表情で霊夢を見る萃香は一仕事終えたように再び盃を口に運ぼうとする。
 どうやら盃を持つ手はオートで動いているらしく制御出来ていない。
 スーツの中では噴き出す汗がとまらない、それほど時間は経ってないはずなのに……。
 霊夢は何とか起き上がり、再び身構える。


「今日は暑いわね」

「そんなスーツじゃ蒸れるでしょう?」

「ご心配どうも、でもまだよ……勝負は始まったばかり、焦らなくても時期に貴女も冷や汗をかく事になるわ」

「生憎ここ数百年、戦いで汗一つかいた事ないからね。飲み過ぎてしょっちゅう発汗しているけどね」

「酒以下なの!? それはショックねッ――!」


 霊夢の身体が沈む。
 沈めた身体をスーツの力で補強した脚力で高速移動をする。
 その勢いを利用したまま萃香へ突進する。
 そして、移動の間徐々に光を増す右足を振り上げる……狙うは左手の盃。


「ライダーキックッ!!」

《Rider kick》





 ――しかしッ、
 萃香は渾身の力を込めた蹴りを無造作に伸ばした右腕で軽々と受け止める。
 身体が萃香の右腕一本で空中に固定される。


「そう簡単には溢さないよ」

「わかっているわよ。それぐらい――」


 技をあっさり止められたのにも関わらず、揺るがない霊夢を不審に思った萃香は気づく。
 真近に迫る輝く霊夢の左足をッ――!

 防御しようにも右腕は今使えない、左腕は言わずもがな。
 身体を逸らそうにもバランスを崩し、盃の酒が溢れる可能性がある。 
 霊夢の蹴りは吸い込まれるように萃香へ命中し、そのまま身体を通り過ぎた。


「――エッ!?」


「言い忘れていたけど……」


 霊夢が背後から聞こえる萃香の声に振り向くと共に、脇腹に衝撃を感じ盛大に吹き飛ぶ。
 空中で体勢を立て直し、重心を変えて着地する。
 着地した衝撃が響く脇腹を抑えつつ、必死に今の現象を考え余裕で笑う萃香を見る。


「私は密と疎を操る程度の力があるのよ。概念的な力だけどね……これが莫迦にできないのよ。
 物質から精神に至るまで萃(あつ)めたり疎(うと)めたりすることができるから、
 その力を使って身体を小さく霧散させたり、逆に巨大化させる事もできる。こんな風にねッ――!!」


 萃香が印を手で組み、妖力が高まるのを感じるすると――、


「ちょっと……そんな馬鹿な……」


「鬼術『ミッシングパワー』……応えてみろ、博麗 霊夢!!」


 萃香の振りあげた拳が轟音と共に地面へとめり込む。
 強大な圧迫感に囚われた霊夢は動けずに、そのまま押し潰された。

 ズッ、ズッ、

 萃香が拳を上げると、ひび割れた地面に仰向けに横たわる霊夢の姿があった。
 霊夢の身体が一瞬光り、変身が解ける。
 萃香は足音を立て、霊夢を覗き込むと、


「気絶したか……それにしても丈夫なスーツだねそれ」

 微かだが呼吸音が聞こえてくるのを確認し、萃香は肩を竦める。
 顔には明らかな失望の表情を浮かべ、頭を掻く。

「可哀そうだけど、門の外には出してあげられないな。この程度の力と覚悟では、どうせすぐ死ぬ。
 なら、このまま四人でここで楽しく住めばいいよ。
 無謀を勇気とは言わないからね……」





「――ずいぶん言ってくれるじゃない」




 虫の息のようなか細い声ではなく、確固とした力強い意志を感じる声。
 その声を聞いた途端、萃香の顔に笑みが浮かぶ。


「起きてたのかい? それとも目覚めたのかい?」


「今の私は寝起きが悪いわよ。誰かさんが強引な起こし方をしてくれた所為でね」


 ゆらりと立ち上がる霊夢の気質が先程のものと変わる。
 額から流れる血を無造作に拭い取る。


「――変身」

《Complete》


 霊夢はカードホルダーより、一枚にスペルカードを取り出す。
 『封魔陣』と書かれたカードが青い炎のような光が包む。
 そして、新しい文字がカードに刻み込まれた。


「神霊『夢想封印』」


 ピシッ、空間が軋む音が響き、爆発する。
 霊夢を中心に放たれた霊力の大玉が虹色の輝きとなって萃香へと襲いかかる。


「こんなもの……えっ……」


 萃香の身体が一瞬止まる。何時の間にか萃香周囲に空間が隔絶されていた。


「霧散できない――うあああああああああああ!!」



 カランッ!

 赤い盃が軽い音を立て、地面へ落ちる。
 中に注がれていた酒は蒸発しきり、残ってはいない。

 転がる盃の横に煙を上げ、目を回している萃香が横たわっていた。
 霊夢の攻撃で力尽きたのか身体の縮尺は元のサイズに戻っている。


「相変わらずね、萃香」


 転がる萃香の横に立つ霊夢はしょうがないと呆れた表情で、腰に手を当てている。


「お前もな、霊夢……どういう事だい?」


 萃香は横たわったまま、霊夢を見上げ問い掛ける。


「どうもこうも、こっちが聞きたいわよ。気が付いたらこの子の身体に入っていた。
 帰りたくても、帰る方法がわかんないのよ。
 その間この子が殺されでもしたら、中の私がどうなるかわかったもんじゃない。
 弱いし、才能ないし」


「それでも自分の子孫なんだろ?」


「子孫? え~と、そうなの?」


「違うのか? お前は千年前の霊夢だろ?」


「千年!! 違う違う、私そんなお婆さんじゃないわよ、まだ花も恥じらう乙女なんだから!」


「……お前……誰だよ!?」




















 ―第三十八話 「鬼ヶ島の通行手形」、完。



 ―次回予告。
≪――道は荒野、
 道の先に何かがあると信じ、私達は歩く。
 できることは、
 まだ見ぬ自分を信じて……、


 前に進む事だけ――

       
 次回、東方英雄譚第三十九話 「マイムマイム・パラドックス」 ≫




[7571] 第三十九話 「マイムマイム・パラドックス」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2009/12/28 19:23



「……どうぞ」


「ありがとう」


 恐る恐るといった感じで淹れたお茶を差し出す橙に霊夢はお礼を言い、様になった姿勢でお茶を啜る。


「はぁ~、美味しい……」


 年寄り臭く、まったりとくつろぐ霊夢の所為か部屋の空気がゆっくり流れているように感じる。


「聞きたい事があるんだが、いいかな?」


 藍も話の切り出すタイミングが計りかねている様子で、霊夢に言葉をかける。


「どうぞ」


「君は博麗 霊夢で間違い無いか?」


「さっきからそう言ってじゃない」


 ――萃香が霊夢に背負われ家に戻って来た時、橙は夕食の手伝いをしていた。
 二人が大怪我もなく帰って来た事に安堵すると共に、霊夢の雰囲気が変わっている事を敏感に感じ取っていた。









 ――話は数時間前に遡る。


「話は家でゆっくり聞こうか、じゃあおぶって」


「何で私がそんな事しなきゃならないのよ」


 戦いは霊夢の勝利で幕を閉じた。
「久しぶりに負けたよ!!」と嬉しそうに言う萃香を胡散臭い目で見る霊夢は溜め息をつく。


「身体が痺れてうまく動けないんだよ、いいじゃんそれくらい」


 えぇ~、と心底嫌そうな顔をしている霊夢に萃香は後一押し……、


「そういえば、そろそろ夕食の時間だね~早く帰らないと食べる物なくなるんじゃ――」


「しょうがないわね」


 即答だった。
 腰を落とし、背を向ける霊夢の様子に萃香はくすくすと笑う。


「さっさと背中におぶさりなさい。ぐずぐずしていると置いてくわよ」


「えへっへ~ラッキー!」


「まったく……」


 小声でぶつぶつ文句が聞こえてくるが萃香は気にしない。
 霊夢におんぶされた事ってなかったな……、
 萃香はどこか落ち着く匂いがする霊夢の背中に顔を埋める。
 博麗 霊夢は萃香にとって過去の人間だ。
 だが、ここにいるのは間違いも無くあの時会った博麗 霊夢そのものだ。
 姿・形が似ているだけで、同じ人間とは言わない。
 性格、仕草、言動……どれをとっても自分の知っている人のものだった。

 何故、千年も前の人間の事を覚えていたのだろう?
 萃香が出会った人間は霊夢以外にもたくさんいたが、その全てをいちいち覚えてはいない。
 もう一度会ってみたかった、もう一度話したかった。
 その願いがかなった事に、その運命にありがとうと言いたい気持ちをそっと胸にしまう。
 霊夢には当然言わない、言ったら霊夢の性格なら「なにそれ、気持ち悪い」と言うだろう。
 さっさと自分の事は忘れて欲しいと、何時までも死んだ人間の事を心残りにするなと。


 霊夢は面倒くさそう重い足取りで萃香を背負い進んで行く。
 その道中、他愛も無い話から始まり、自然と酒の話になる。
 霊夢とは昔、戦い終わる度に宴会を開いていた。
 その時は近くの妖怪や知り合いの人間を誘い、朝まで飲み明かしたのも一度や二度では無い。




 あぁ、楽しいな――、

 悠久の時をこの身に刻んでも、こんなに楽しい時間はほんの僅かなものだ。
 だからこそ時間は貴重で、一緒に過ごす友人も貴重だ。
 この時間も家に帰り着いた時点で終了だ。
 まだ終わらないで欲しいと思う反面、有限だからこそ逆に大切だと思える。


 ――萃香は答えの出ない問いに、いつまでも酔っていたかったのだ。











 ――時刻は現在、
 霊夢の話を整理しつつ聞いていく藍。
 話によると霊夢はどうやら別の世界から流れて来たようだ。
 それも時間軸も別系統であるらしく、今霊夢が居る世界と以前居た世界とは異なっているらしい。

 『幻想郷』
 人間と妖怪、神と妖精……全ての種族が暮らし、成立している世界。

 誰もが望むであろう理想郷、
 種族を越えて開かれる宴会は盛大に盛り上がり、皆が楽しく暮らしている。
 そこには喜劇はあっても悲劇は無く、喧嘩はしても憎しみ合ってはいない。

 争い事は『スペルカード』と呼ばれるゲームを行う事で勝敗を決める。
 言わば、お遊びだ。それで命に関わる事にはならず、
 ルールに従えば誰でも参加する事が出来るシステム。



 この世界のようにわかりあえず……憎しみ合い、殺し合う血生臭い世界とは違う綺麗な場所。


 博麗 霊夢の居た世界はそういう世界だった。
 話を終えると橙が瞳を輝かせ行ってみたいと言い出したのを押し止め、藍は霊夢に質問する。


「貴女の居た世界の事はわかった。だが、まだ話の核心には触れていない。
 貴女はどうやってこの世界に来た? 理由は?」


「それが知りたいから、ここに来たんじゃないの」


 藍の問いに霊夢は少し怒ったように答える。
 そして霊夢は立ち上がりずかずかと奥の襖を開け、家を物色し始める。


「ちょ、ちょっと霊夢さん!! 何をしているんですか!」


 橙が止めるのも聞かず、家の奥へ進んで行く霊夢。


「居るんでしょ! 出て来なさい紫!! またあんたの仕業なんでしょ!!」


 橙の抵抗も空しく、霊夢は叫びながら次々と家の襖を開けて行く。


「霊夢さん!!」


 藍の言葉の強さに霊夢は立ち止まり、藍を見据える。


「藍、紫を出しなさい。こうなったのも、どうせ紫の気まぐれなんでしょ!?」


「いません」


「え!? どういう……」


「紫……とは貴女の知り合いですか? 生憎ここには私達三人しか住んでいません」


「……え」


 藍の言葉に突如、霊夢の動きが止まる。そして必死に押しとどめるため縋りついた橙を見る。
 橙は頷き、藍の言葉が嘘でない事を示す。


「萃香! 貴女は嘘が嫌いなんでしょ!?」


 霊夢の助けを求めるような瞳が座って話を聞いていた萃香へ向けられるが、
 萃香は首を振る。


「霊夢、残念だけど嘘じゃない……その紫ってやつが霊夢を元の世界に戻す力があるのか?」


「……そんな馬鹿な……じゃあ一体どうすれば」


 『八雲 紫』という妖怪がいる。

 それは霊夢の元居た世界に存在する大妖怪の一人。
 『境界を操る程度の能力』を持つ最古参の妖怪で、妖怪の賢者と呼ばれている。
 霊夢の居た世界で『八雲 紫』の存在は絶対的なものだった。
 幻想郷の創造主の一人でもあるその妖怪は境界の管理や幻想郷の秩序を管理している。

 ただ、気まぐれで悪戯好きであるらしく、度々事件を起こしては幻想郷の住民を困らせる面倒な妖怪だった。
 霊夢の何度か痛い目にあっている。
 能力を使い、境界を操り外の世界から幻想郷に無い物を持ち込んだり、
 たまに暇つぶしで外の人間を迷い込ませたりする。


 霊夢は今回も紫の仕業であると思った。
 紫という妖怪をとっちめて、自分を元の世界へ戻させる。
 これが一番合理的でベストな方法であると考えたのだ。
 しかし、現状……霊夢は力が抜けたのかその場に項垂れる。


「あ、あの……霊夢さん?」


 橙が心配そうに霊夢を見るが、聞こえていないのか霊夢は反応しない。


「霊夢」


 パァンッ!
 小気味の良い音が響く、と同時に放心状態だった霊夢が頬を押さえ目の前にいる萃香に掴みかかる。


「何すんのよ萃香!! 痛いじゃない!」


「眠そうだったから、起こしてあげたのさ。感謝してよ」


 霊夢の頬を叩いた手をひらひらと振り、馬鹿にするように笑う萃香。


「アッタマきた!! 表出なさいッ! 退治してやるわよ」


 萃香の胸ぐらを掴み、へらへらと笑う萃香を睨む霊夢。


「もう止めて下さい! 萃香様も霊夢さんもッ!!」


 二人を引き剥がす形で割って入った橙は少し泣いていた。
 人が争っている所というのは誰が見ても気持ちの良いものではない。
 まして自分の家族のような人同士が目の前で喧嘩をしている。
 悲しくないわけないのだ。


「……そこまでです。二人共」


 藍が霊夢の肩に手を置き、座るよう促す。


「『八雲』 藍では……ないのね」


「私はただの藍です。姓はありません」


「そう……よね。ごめん聞きたかっただけだから」


 力無くそう答える霊夢。そして――、


「アァッ、もうッ! 何でいないのよ紫!! フザケんじゃないわよ!!」


 ――キレた。
 すぐ傍に居た橙はいきなりの大声に驚き、反射的に耳と尻尾が立つ。
 どう対処して良いかわからず、おろおろする橙を萃香は笑う。


「なら、別の方法を探せばいいじゃないか」


 萃香の言葉に霊夢の動きが止まる。


「別の方法……? そんなものが……」


「無いとは言い切れないだろ? 実際に霊夢はこの世界に来たんだ。言ったろ、境界の話。
 混じり合う事無い世界は必ず接点があるさ。そこで一つ提案だ」


 萃香は立ち上がり、橙の肩に手を置く。


「外の世界にこいつを連れてってくれないか?」


「萃香様……それって」


「駄目だ! 橙!!」


 藍の鋭い声が響く。その普段聞きなれない藍の怒号に橙の肩は跳ねる。

 藍は知っていたのだ。
 橙が外の世界への興味が抑えきれなくなっている事に、それは霊夢との様子を見てて薄々感じてはいた。
 あれほど霊夢の外の世界の話に興味を持っていたのだ。
 何時外の世界へ行きたいと言い出すか、肝を冷やしていたところに、この萃香の提案。
 それだけは黙って見過ごすわけにはいかない。
 外の世界は確かに魅力的だが、常に危険を伴う。このマヨヒガのように安全ではないのだ。
 橙は賢い子だから興味があったとしても、その気持ちは言わないだろう。
 藍が困る事を知っているからだ。
 橙は藍を常に立てて、藍が困るような事は一切しない……そういう子だ。


 だが、それが揺らいだ。
 萃香の一言で、どうしようも無い程の気持ちの奔流が橙を動かしているのがわかる。
 一度目覚めてしまった気持ちは抑えきれない。


「藍!!」


 萃香の一喝に皆が静止する。
 橙は初めて聞いたかもしれない、萃香の叱責。
 そして萃香は続ける。


「可愛い子には旅をさせろって言うだろう?
 藍、君は一生橙を家に閉じ込めて飼殺しにする気かい?
 少しの自由くらい認めてやったらどうだ、橙には良い経験になる」


「……認めん……絶対に、認めない! 橙にはまだ早すぎる。外にはどんな危険があるかわからない。
 もしかしたら橙が大怪我するかもしれない。そんなの……私は耐えられない!!」


「橙を心配する気持ちはわかる。藍が橙を溺愛しているのも。
 でもね、それはエゴでしょ。常に自分の管理下に置きたいって傲慢な考えだ。
 一見橙の事を考えているようで、その実自分の都合しか考えていない」


「どう言われても結構。私は絶対に認めん! 橙はここで生きるのが一番幸せなんだ!!」


 藍はそれだけ言い残し、自分の部屋へと引き篭もってしまった。
 その様子に萃香は溜め息をつき、橙と霊夢へ向き直る。


「やれやれ、藍も頑固だからな~こうなったらなかなか出て来ない。
 さて、橙。本当のところどうなんだい? 
 君の口から聞きたいんだけど、藍の事は気にせず、ね」


「私は……行きたい……です。外の世界へ。藍様の言うように本当に危険なのかもしれない。
 でも、霊夢さんの話を聞いてそれでも行ってみたいと思いました。
 ここの生活に不満はないです。でも、もっと世界を知りたい! 自分の知らない世界を!!」


「良く言った、橙」


 萃香は満足そうに橙の頭を撫でる。橙はそれをくすぐったそうで、それでいてどこか嬉しそうに笑う。


「霊夢、橙の事お願いできるか? 何、橙はこれでも結構強いよ。私が直々に鍛えたんだから、藍には内緒でね」


 ウィンクして見せる萃香に、霊夢もしょうがいないと盛大に溜め息をつく。


「そう言われたら断れないでしょうが、まったくもう。別に、構いやしないわよ」


「でも、藍様は……」


「『家出』したらいいよ。藍には私からうまく言っとくから」


「家出……そんな藍様が心配――」


「橙、藍がどうとか考えなくて良い。自分らしく生きるコツは自分がしたい事をする、これに尽きる。
 人の顔色だけ気にして自分の意見が言えないなんて阿呆のすることだ。
 そして、本当の愚者は自分の気持ちを偽る事だよ」


「わかりました……じゃあ、藍様に家出すると伝えて――」


「家出するのに、断って行く馬鹿がいるか! 思い立ったら吉日、今すぐ行くんだよ
 ほらほら準備しな、門は開けといてやるから」


「は、はい!!」













「生き倒れか……」


 もう何十年も前の話だ。
 私が化け猫となり妖怪の仲間入りしてまだ間もない頃、私は藍様と出会った。
 何かの拍子に迷い込んだ私は手負いの獣だった。

 猫から妖怪化し世界が広がったばかりの私はいつも怯えていた。
 今まで見えなかった魑魅魍魎の世界、その住人に自分も数えられてしまった恐怖。
 気付かなくてもよかったモノが見え始め、自分自身不安定になっていたのだ。

 そして自分の弱さを知った。
 妖怪としての自分は格下の中でも最弱の部類に入る、畜生に毛が生えた程度の力で生き抜くには辛い世界だった。
 

「残念だが、自然の摂理だ」


 傷つき大樹の根に横たわる私に、黄金に輝く妖狐はそれだけ呟き背を向けた。


「うん!?」


 僅かな重みが身体に伝わり妖狐が後ろを振り向く。
 そして私は思わず、妖狐の九尾に絡みついていた。
 警戒心とかそういうのは考えなかった。ただ眠かったのだ。
 後から知ったマヨヒガの世界はとても空気が澄んでいて、同じ世界には思えなかった。
 そこに現れた黄金に輝く妖狐は私にとって神様のように感じられたのだ。


 普通なら傷だらけの上、泥に塗れた汚い私を嫌悪して振りほどいても当たり前なのに、
 優しく、ただ優しく私にこう言った。


「家へ来なさい」


 藍様……藍様……私にとっては母も同然の人。
 優しく、強く、何時でも私を見守ってくれている人。
 私は今日、初めて貴女に背きます。


 私は藍様の部屋の襖の前で深く、長くお辞儀をした。
 声は出さない……だけど泣いて叫んで許しを請いたい気持ちに駆られる。
 しかし、それをすれば萃香様の……そして藍様の心遣いを無にすることになる。
 子を思う母の気持ちは強いものだ。
 ここで会ってしまえば、絶対に止めてしまう。私も絶対に決意が鈍る。
 すれ違う事が……時として大事な事がある。それが今だ。



「ありがとう、藍様。大好きです」



 萃香様には藍には内緒でと言われたが、これだけは言いたかった。
 耳の良い藍様に聞こえるよう、小さな声で襖の奥に座っているであろう藍様へ想いを伝える。











「準備はできた?」


 霊夢が声をかけると、橙は意思の宿った瞳で力強く頷く。


「よろしくお願いします」


「こちらこそ」


「二人共大丈夫かい? 今から門を開けるよ」


 萃香の目の前には前に見た境界を繋ぐ門が出現していた。
 印を切り、萃香が言葉を紡ぐと、扉は自然に開かれていく。
 完全に門が開かれると萃香は緊張している橙の頭をポンと叩く。


「橙、しっかり世界を見て来い」


「はい!!」


「……それと霊夢」


「何? 玉手箱でもくれるって言うの?」


「生憎持ち合わせが無くてね。まぁそれより一緒に行けなくてすまないな」


「いいのよ。そんな事。今生の別れでもあるまいし、また迷い込んで遊びに来るわよ」


 萃香と霊夢はどちら共なしに笑い合う。
 じゃあ、行くねと背を向ける霊夢に萃香は声をかける。


「あぁ、そうそう。霊夢これやるよ」


 霊夢の方へ放ったのは何時も萃香が腰に下げている瓢箪だった。


「いいの!? これ貴女の大切なものでしょ?」


「あげる。餞別だよ。最初はあげる気なかったけど……何か急にね。
 私が千年かけて品種改良した『酒虫』が入っている。どんな水も極上の酒にしてくれるよ。
 酒好きだったろ? 今度ゆっくり一緒に飲みたいね」


「ありがとう、萃香も元気でね」


 霊夢は萃香と最後に握手し、別れの言葉とする。
 霊夢と橙が門を潜り、扉がゆっくりと閉まって行く。


「フレーフレー霊夢! 頑張れ頑張れ、橙!!」


 万歳三唱する萃香の声がマヨヒガに響き渡る。
 霊夢と橙は照れ臭そうに萃香をを見つめる。


「もう、萃香……恥ずかしい」


「ふふっ、萃香様ったら……はっ!? 藍様」


 扉が閉まり終える間、家の方を見ると窓から心配そうにこちらを見る藍の姿があった。
 橙は堪えていた涙が溢れ、視界がぼやける。
 だが、ずっと藍から眼を離さず、最後まで見つめていた。













「これで良かったのかい?」


「あぁ」


「素直じゃないね~」


「自分で良くわかってるよ。それでもどうしても自分の口からは言えなかったんだ。
 良く察してくれた、礼を言う」


「長い付き合いだからね~それより今日は門出だ。私の酒に最後まで付き合ってもらうよ」


「望むところだ。今日は止めてくれる橙もいない、思う存分飲み明かそう」


「そうこなくっちゃ!!」


 藍と萃香は霊夢達が通った門の前で座り、互いに酌をする。
 酒の肴はいらない……必要無かったからだ。
 






















―第三十九話 「マイムマイム・パラドックス」、完。



―次回予告。
≪「お前は自分がやっていることが疑問なのか?」

  そう問われた事があった。
  自分が歩いている道が正しいのか、正しいとして自分に道を歩みきる力があるのか、
  時折ぐるぐると同じ場所を回るだけで、どこにも辿りつけない徒労感を感じる時がある。

  でも……だけど、
  遠回りだろうと、無意味だろうと、下らなかろうと、徒労だろうと、
  同じ事を繰り返してはいけないという決まりも無い。
  それに、
  回り道だと思っていたら、案外近道で……壁だと思っていたら丁度良い踏み台だった。
  なんて事もあるかもしれないのだから。

       
 次回、東方英雄譚第四十話 「Gently Weeps(静かに泣く)」 ≫



[7571] 第四十話 「Gently Weeps(静かに泣く)」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2010/01/09 23:55


「おかえり、霊夢……」


「ただいま、チルノ――えっ!?」


 少し気まずそうに頬を掻く霊夢をチルノはおもいっきり抱き締めた。
 こういう事は普段なら魔理沙の役割だが、肝心の魔理沙は手を広げ『取られちまったな……』
 と呟いていた。
 その横には霊夢を心配して捜索に協力してくれた、にとり、アリス、椛、早苗、文が顔をほころばせ、立ち並ぶ。


「霊夢の……馬鹿。心配したんだから……」


「ごめん……」


「死んだかと思った……」


「本当にごめん……」


 それだけ呟くと、チルノは再び思いっきり霊夢を抱き締めた。

 もう二度と離さないように、

 いなくなってしまわないように……、




 霊夢がいなくなって三日の時が流れていた。
 マヨヒガのなかではおよそ一カ月の時間が過ぎていたと考えれば、時間の流れがどうやら違うようだ。
 霊夢が神隠しにあった後の話を聞くと、
 咲夜達が逃げた後、グールの方も潮が引くようにいなくなったという。
 その後、霊夢の捜索はすぐに行われたが、ベルトの発信機も反応せず、
 足取りが途絶えた霊夢を探すには人手不足だった。
 苦渋の決断で一度下山し、河城工房や西行寺の方にも協力を要請し、山を一斉に捜索を開始し、
 ようやくマヨヒガから出て来られた霊夢と連絡が取れ、無事再会を果たした。


「すまない、霊夢……感動の再会の所悪いんだが、あの娘は誰だ?」


 そして、魔理沙が先程から霊夢の横に居る化け猫の妖怪の事を尋ねる。


「あぁ、この娘は橙……私の恩人かな、話せば長くなるんだけど……」


「そっか、なら早速、その恩人さんも招待して霊夢が帰って来たお祝いで宴会開こうぜッ!!」


「ちょっと待って下さい。霊夢も疲れているでしょうし……」


「そうよ、今日はゆっくり休ませて上げた方が……」


 主役の霊夢そっちのけで宴会の日取りを決めようとする魔理沙と、
 仲裁に入る文にアリス達が加わり、話が盛り上がって行く。

 その中で諏訪子が霊夢とチルノに近づく、
 

「霊夢、今日は家でゆっくり休め、話は家へ帰ってから聞こう」


「私も……話さなければならない事がある」


 霊夢の決意の瞳を見つめ、諏訪子とチルノは「わかった」と頷いた。
 そこへ魔理沙の大声が聞こえて来る。



「じゃあ霊夢、明日宴会な!! 場所と時間はまた後で連絡するぜ!! 今日はゆっくり休めよ~」















 ――その日の夜、霊夢の家に集まったのは霊夢、チルノ、諏訪子、橙の四人だった。
 話さなければならないのは、マヨヒガの件も含め霊夢に起こっている事だ。
 全員に話して良い事か判断がつかなかった為、一度この四人に集まってもらったわけだ。
 魔理沙達には少し悪い気がしたが、今回だけと心のなかで謝る。


「最初に断っておくけど、私は貴女達の知っている博麗 霊夢じゃない。別の世界から来たわ……」


 霊夢が話し始める。
 その話に疑問も離さず真剣に聞くチルノと諏訪子。
 別の世界(幻想郷)の話、霊夢の身に起こった事、マヨヒガという神隠しの行きつく場所について、
 なるべくわかりやすく整理して全てを話した。
 全てを話終えた霊夢にチルノは一言――、


「わかった」


 そして、思案するように目を瞑る。
 これがもう見慣れた、チルノが考える時のスタイルだった。


「やっぱりどう見てもチルノだけど、違うわ……」


「霊夢が言った……幻想郷の住人達と似ているって話?」


「えぇ、私の知っている世界では……言っちゃ悪いけど、はっきり言ってバカだったわ。
 もう本当驚くくらい。でもいつも元気で明るくて優しくて、放っておけない感じだったわ」


「――なんだ、一緒じゃないか」


 その言葉に諏訪子が霊夢達に笑いかける。


「要はどこの世界でもチルノはチルノ……優しい、良い子だよ」


 その言葉にチルノは少し照れたのか、頬を赤らめる。


「で、私はどうなんだい? 向こうの世界ではバカなのかい?」


「諏訪子は……変わらない、かな。向こうでも山の神様やってたし……」


「何だ……つまんないの……私にも隠れた一面が! って期待していたのに」


「そりゃ残念だわね」


 そして霊夢達が笑い合っていると、橙が話を切り出す。


「それで、霊夢さんは今後どうするんですか? 元の世界に帰る方法を探さないと……」


「そうそう、帰る方法を探すにしても、先に言っておくわ。
 ……私の事、魔理沙達には黙っていてくれないか?」


 魔理沙達が余計な混乱する事を防ぐためだった。
 現在の霊夢の状態は極めて不安定な状態だった。
 仮に分類するなら、
 別の世界の霊夢(A)が、この世界の霊夢(B)に憑依した形を取っている。

 今は霊夢(A)が表に出ているが、霊夢(B)の意識が戻れば主従が逆転し、霊夢(B)が表に出るかもしれない。
 そして何故か霊夢(A)の方は、霊夢(B)の意識を通して情報を共有する事ができるらしい。
 だからこの世界の事も大体の事は把握している。
 これほど長期間、霊夢(A)の意識が外に出るのは初めての事で、
 普段はよほど霊夢(B)の命の危険が晒されない限り出て来る事はない。
 
 もし仮に霊夢(B)が死んでしまったら、それに憑依している霊夢(A)がどうなってしまうか見当がつかない。
 もしかしたら、それで元の世界へ帰れるかもしれないがそのまま死んでしまうかもしれない。
 そんな危険は冒せない。


「チルノがベルト……くれたでしょ。あれが無ければ能力も使えず死んでしまっていたかもしれない。感謝してるわ」


「そう……という事は、今までの霊夢の力は貴女のモノだったのね」


「うん、この世界の私は霊能力の力を一欠片だって持ってないわよ。だからちょっと焦っていたわ
 前に諏訪子が言ってくれた、違和感の正体も多分それだと思うわ」


「あと聞きたいんだが霊夢、君はこの世界で生まれた時から居たわけじゃないよね?
 一体何時からだい?」


 諏訪子の質問に腕も組み必死に思い出そうとする霊夢。
 そして、ゆっくりと口を開く。


「ちょうど……三年前ぐらいかな?」


「三年前……はっ!? もしかして渋谷隕石の時?」


「多分その時ぐらいかな」





 『渋谷隕石』

 今からおよそ三年前、一つの事件が起こった。
 そのあまりに衝撃的な事件は世界を震わせ、人類の歴史に名を刻んだ出来事だった。
 ――隕石の衝突。
 有史以来、数多の星々の残骸が地球へ降り注ぎ、大気圏で燃え尽きて来た。
 その中でも地上に降り注ぐ物もあるが、地形を変える程の規模のモノは少ない。

 その年、政府の発表した彗星の地球への異常接近。
 そのまま見過ごせば、地球に壊滅的な被害をもたらすその巨大な星を国連は黙って見過ごさなかった。
 軌道を計算し、地球への直撃コースを避けるため地上からミサイルにより迎撃を行う事で、
 軌道の変更、或いは軌道を変更できずとも星自体をミサイルで砕く事により被害の最小化を図った。
 結果、各国の威信をかけたミサイルは次々と命中した。
 星は砕かれ、大部分の質量は大気圏突入の軌道を外れたが、その破片で地球の引力に引かれたのも多かった。
 その中で特に巨大なモノが、日本の……かつて渋谷があった場所を中心に巨大なクレータ―を作った。





「三年って……えらくのんびりしたな~その間一体どうしてたんだ?」


「別に、のんびりしてたけど? 流石に暇だったわね。やる事無くて、
 紫を探そうにも身体の自由がきかないし、異変ならその内何か動きがあるだろうってね。
 気が付いたらそれだけ時間が経っていた事に驚いたけど……」


 呆れて霊夢を見る諏訪子に、「何よ、文句あんの?」と噛みつく霊夢。


「渋谷隕石と霊夢の時空移動……何か関係があるのか、単なる偶然か……」


 ぶつぶつと呟き考え込むチルノ。


「あと、もう一つお願いがあるのを忘れてた、この身体の霊夢の事なんだけど、
 ……私の意識が消えた後、私の事を説明してやってくれない。直接言えたら一番なんだけど……」


「それは構わないけど、いいのかい? ショック受けるんじゃないか? 
 今まで戦って来たのは自分の力では無く、全て借り物だとわかったら」


「まぁね、ほら私って結構ナイーブな面があるから、心配かもね」


「大丈夫なんじゃないか?」


「何? どういう意味よ!?」


「落ち着いて下さい! 霊夢さんも諏訪子様も!! 私も霊夢さんなら大丈夫だと思います。
 少しの間ですが、一緒に過ごした霊夢さんはどちらもとても強い人です」


 橙の言葉が霊夢には嬉しかった。
 幻想郷での橙の事は知っていた……いつも藍様一辺倒だと思っていたが、
 案外気配りのできる子だったんだと改めて感心した。
 それと比べて……、
 諏訪子を見る。
 にやにやと不敵な笑いを浮かべる諏訪子はやっぱり、底が知れないって言うか……、
 諏訪子もやっぱり諏訪子なんだと霊夢は思う。
 



 ――そして、話がまとまりかけた静寂を打ち破るように、
 部屋中に聞き慣れた声が響き渡った。





『話は全て聞かせてもらった!! 安心しな、どちらの霊夢だろうと私の親友である事には変わりないぜッ!!』





 どこから共なくスピーカーで拡声された魔理沙の声が響く。
 橙が霊夢の服の隙間から小さな機械を見つけた。
 そしてチルノがその小さな機械に見覚えがあった。
 研究所時代、にとりが悪戯でよく仕掛けてきたやつだ(産業スパイに近かったが……)。


「盗聴器……」


『おうよ!! 霊夢の様子がおかしかったんでな、悪いと思ったが仕込ませてもらったぜ!
 大丈夫だ、誰にも言ったりしねぇ!!』


「まったく……バカ魔理沙」


『おうよ! 任せとけって!!』


 何が任せとけ、かわからないが……しょうがないとばかりにチルノ達を見る。
 チルノは頷き、


「それと霊夢、橙はどうする?」


「そうね、私の家で寝泊まりしてもらう方が良いわね」


『なら、今日は歓迎会だな! 皆にはうまく言っとくから霊夢は準備よろしく頼むぜ!!』


「ちょ、ちょっと魔理沙――」


 ブッと音が響き一方的に通話が切れる。
 親友の勝手な行動に苦笑しつつも橙を見る。


「そういうわけで、いいかしら橙?」


「はい、わかりました。よろしくお願いします! 宴会か……萃香様、来たかっただろうな」


「伊吹 萃香……か懐かしい名前だね、もう随分会わないなと思ったらマヨヒガにいたのか」


「何、諏訪子って萃香とも知り合いなの?」


「あぁ、大体古参の妖怪は知っているさ、藍の方も何度か会った事はある」


 その言葉にチルノは思案し、諏訪子へ問う。


「こちらの味方になってくれるだろうか?」


「さぁな、彼女達は俗世のしがらみにはもう関わり合いたくないんじゃないのか?
 マヨヒガに閉じ籠るくらいだ、強制してもしょうがないだろう。
 もう霊夢を助けてもらい、その上橙まで助けに遣してくれたんだ。これ以上は……」


「わかった。少なくとも敵にならないのであれば助かる」


「どちらも誇り高いからな、吸血鬼の小娘に使われるような事にはならんさ」







「……ごめん、そろそろ時間みたい。こっちの世界の霊夢が目覚めるわ。
 私はなかなか外には出て来れないから、そのつもりで。
 じゃあチルノ、諏訪子、橙……後はよろしくね」



「わかった。霊夢今度、貴女の居た世界の話……ゆっくり聞かせてね」


「美味しいお菓子とお茶、忘れないでよね」


 軽口をたたいて霊夢は目を閉じる。
 正座をしていた身体から一瞬力が抜け、無意識の内に手を床に着く。
 橙が霊夢の身体をすぐに支えると、次の瞬間霊夢の目が再び開く。
 数度瞬きした後、自分のいる状況に驚く。


「あれ……ここは、橙!? それとチルノと諏訪子も……何故マヨヒガに?」


 まだ十分覚醒していないのか、ここが自分の家である事さえ気付いていないようだ。
 もう一人の霊夢の意識は萃香と戦ったあたりから停まっていて、
 すでに夢から現実に戻って来ている事も知らなかった。


 チルノは少し混乱気味の霊夢の手を握り、落ち着かせるとゆっくり口を開いた。



「霊夢、話がある。とても大事な話だ……」



 霊夢とチルノを残し、諏訪子と橙は目配せをして無言で部屋を静かに出て行った。















 ――病室のドアをノックする。
 少し待っても返答は無い。


 そのドアをゆっくりと開け中へと入る。
 医師の許可を貰い見舞いに訪れたのはチルノと諏訪子、そして霊夢の三人。
 清潔な雰囲気の個室で、奥には入れ替えたばかりの花が飾られ、
 ベッドの横には見舞いの果物が置かれていた。


「調子はどう? メリー……」


 諏訪子が病室のベッドで座り込んでいるメリーへ声をかける。
 しかし、反応はなかった。
 あまり長い時間面会はできないと忠告をうけた霊夢達は、
 医師の付き添いの下、三十分だけと無理を言って病室に入れてもらった。
 霊夢はメリーの顔を見て一度安堵し、そして表情が強張った。
 メリーは眠ってはいなかったが、表情に生気というものが感じられなかったからだ。


「精神的なショックが大きいわね。意識が戻ってからずっとこうなのよ。あまり刺激しないで下さい」


 精神科の医師である八意 永淋はカルテを見ながらメリーの状態を説明する。
 八意医師には以前、霊夢の母の件で世話になっている。
 メリーが救急車で運ばれたのが偶然にも母が入院している私立病院だった為だ。
 母に続き、友人も精神病の患者として入院する事になり、流石に『あなたも大変ね』と気遣われた。
 母の症状よりもかなり深刻で病名はPTSD(心的外傷後ストレス障害)と判断された。
 蓮子を目の前で失ったショックがあまりにも大き過ぎた。
 今は反応が無く大人しいが、突然事件の事を思い出しパニックに襲われるという。
 あんなに明るかった表情が今は虚ろになり、目の下のクマで十分睡眠が取れて無い事がわかる。



 ――これが、私がした事なんだ。
 


 霊夢は自分の力の無さが悔しかった。
 悔しくて悔しくて悔しくて、情けなくて……自分は一体何をしていたんだと悔やんだ。


 八意医師の制止の声も聞こえず、霊夢はベッドで無表情で座るメリーの肩を強引に掴む。


「ごめんなさい!! メリー……護るって約束……守れないなかった。
 本当にごめんなさい……蓮子を助けられなくて……」


 それまで無表情だったメリーの表情に初めて、意思が宿る。


「霊夢……」


「うん、そう。メリー……」


「霊夢……無事だったんだ……」


「うん、私は――」


「何で、無事なの?」


「メリー……?」


「何で無事なのよ……蓮子は死んだのに、何で、あなただけ無事なのよッ!!」


 先程の病人と同一人物とは思えない程の力で霊夢の腕を掴むメリー。


「何が護るだッ!! 蓮子は死んだ!! 私の目の前で殺された……、
 最後まで私を庇って、谷に落ちて……それであんたは一体何をしてたんだ!?
 何で助けてくれなかった!? 無事なら何で助けてくれなかったんだッ!!
 あんなに呼んだのに、あんなに叫んだのに!! 
 蓮子を……何でよぅ……」


「メリー……ごめんなさい。私の力が足りないばかりに……」


 メリーはベッドの横の引き出しを開け、何かを取り出す。
 呆気にとられた霊夢は、何かが光ったとしか感じなかっただろう。



「フザけるなぁあああああああああああッ!!」


 メリーは躊躇なく取り出した果物ナイフを、霊夢の胸目掛けて突き入れた。
 それだけ常軌を逸した動きだった。


「霊夢ッ!!」


 チルノが叫び動いたが、一瞬遅かった。


「きゃああああああああ!!」


 八意医師の叫びが病室へ響き渡った。







 ――すーっと霊夢とメリーの間に腕が伸びた。


 メリーが全体重をかけた果物ナイフの突きは、
 ナイフの刃を諏訪子の左手、人差し指と中指で挟まれ空中で固定されていた。


「そこまでよ」


 諏訪子の声が静寂を破る。
 メリーは諏訪子の声が聞こえないのか、必死でナイフを構えなおそうとするがナイフはビクともしなかった。

 そして、パァーンと音が病室に響き渡り、諏訪子がメリーの頬を打った。
 その一撃で先程まで血走った眼をしていたメリーが呆然と諏訪子と霊夢を見る。


「行きましょう、霊夢」


「でも……諏訪子……」


「霊夢……今、刺されても良いって思ったでしょ」


「……」


 黙る霊夢に諏訪子は問答無用で言い放つ。




「――それは違うわよ」






「あ、あなた達一体何をしているんですか!? 
 例えどんな理由があろうと、患者に手を上げるなんて、言語道断です!! 出て行きなさい!!」


「言われなくとも、すぐ出て行く」


 それだけ言い残し、諏訪子は霊夢の腕を強引に引き、病室を出て行った。
 二人が出て行ったドアを睨みつける八意医師。
 その前へチルノが立ち、深く頭を下げる。


「連れが失礼しました。まだ病状が安定していないようなので、また彼女が落ち着いたら連絡を下さい」


 そして、未だ呆然としているメリーへ、チルノは感情を押し殺した声で言った。



「メリー、何故自分がぶたれたのか……自分で良く考えなさい」

















「何で……何でよぅ……」


 その後、八意医師は看護師を呼びに行く為、少し待つよう言い残し病室を出て行く。
 一人取り残されたメリーはベッドのシーツを握り締め、枕に顔を埋めた。
 自分以外誰もいない病室に、虚しく啜り泣く声が響いた。



























―第四十話 「Gently Weeps(静かに泣く)」、完。




―次回予告。
≪身も心も凍る寒さだった。
 自分の知らない世界がこうも広く冷たいものだとは知らなかった。

 でも、だからこそ、初めてわかることがある。
 体験して理解して経験して……わかる時がある。

       
 次回、東方英雄譚第四十一話 「それは遠い雲のように」 ≫



[7571] 第四十一話 「それは遠い雲のように」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2010/01/11 22:06



 ――寒い、



 ――身も心も凍えるような寒さだ。



 ――マヨヒガの中ではこんな事はなかった。







 私は欠伸をして、意を決して炬燵布団を出るが、どうにも引き返してしまう。


「熱っ!」


 どうやら尻尾が中央の熱い所に触れてしまったようだ。
 慌てて、尻尾を確認する……良かった、焦げてはいない。

 ――肩が冷える。

 私はすごすごと後ずさりし、この場合逆ほふく前進だが……、
 炬燵布団から顔だけを出し、身体全てを極楽の世界へ身を沈める。

 ――ふぅ、危ない危ない……まだ寒い。

 私は尻尾を器用に操り、温度調節をする装置を探す。
 確か、『コンセント』と呼ばれる場所へ伸びる配線を手繰り寄せれば、おのずと付いて来るはず。

 ――あ、あった。

 私は尻尾で手元に手繰り寄せた装置で、2と3の間→強へダイヤルを回す。
 あんまり暑くし過ぎると火傷しそうになるから、程良く温まったらダイヤルを4ぐらいにしよう。

 ――あぁ~気持ちいい……このポカポカした炬燵布団の内側を身体に巻きつかせると最高!

 そして、気温で冷えた外布団のひんやりした感触が頬に触れるのもまた……、


「気持ち良さそうだね」


「にゃッ!!」


 私はびっくりして眠たげに閉じていた目を見開き、顔を上げる。


「……す、諏訪子様」


「よっこいしょっと」


 だらしない格好を見られ、咄嗟に跳び起きようとする前に諏訪子様は強引に炬燵に割り込んで来た。


「あ~う~」


 心底気持ち良さそうに私と並んで炬燵布団に包まる諏訪子様。
 その様子から、土着神の頂点に居る偉い神様にはとても見えなかった。
 既に出るに出られない状況に陥ってしまった事実に気付き、横に転がる神様に声をかける。


「あ、あの……」


「こうしていると、日頃の辛苦も忘れてしまいそうだ」


「はぁ……」


 やはり神様は神様として色々と忙しいのだろうか……?
 私は現在、霊夢さんの家で居候させてもらっている。
 この家の同居人は霊夢さん、チルノさん、諏訪子様、そして私を含めた四人である。
 私はマヨヒガを出る時、萃香様と藍様に誓った。世界を見て来ると……、
 その決意虚しく、それから一週間が経ち現在に至るも未だ世界の広さ知らず。
 グールと呼ばれる化け物との戦いも無く、日々だらだらと過ごしていた。
 別の霊夢さんの帰る方法を探すというのも、未だ進展せず……、
 チルノさん曰く、『闇雲に探しても仕方が無い、必要な事なら自ずと顔を出す』との事。
 
 その間、チルノさんは個室に籠り何やら研究。霊夢さんは自己鍛練に励み、トレーニングして来ると出て行ってしまった。
 家事を手伝う時以外特にやる事も無く、ぼぅーとしていると、
 知らず知らずの内にすぐ横でぼぅーとしている諏訪子様を見る。


「こうしていると、人生とは無常だ……そう思わないか?」


 流石、神様だ! ぼぅーとして見えるのは自分の修行不足で、
 実は諏訪子様は常に悟りの境地に立っておられるのだろう。


「とても、深い話です……」


「そうだろう。私は炬燵に籠っていながら、いつも何故か無性にアイスが食べたくなる。矛盾だな」


「おっと……」


 あ、あれ……!?
 何の話だっけ……?


「……アイス、とは何ですか?」


 私は会話の中で一番の疑問点を解消する事にした。


「アイスを知らない!? そうか、この季節食卓に上る事もあるまい。確か……ふむ、ついて来たまえ」


「は、はい!」


 私は諏訪子様に促され、意を決し、勇気を振り絞り、炬燵を出た。
 諏訪子様は台所へ行くと、冷蔵庫という大きな冷たい箱の二段目を漁る。


「あった。バニラとチョコミントどちらがいい? 
 私のオススメはバニラだ。チョコミントは大人の味だからな」


 諏訪子様は、私にバニラと書かれた小さな丸い箱をぐいぐいと渡して来る。


「え、あ……じゃあバニラで」


 私は促されるまま受け取り、小さいスプーンを渡される。
 そして再び炬燵にとって返し、足を突っ込み身体を温める。
 二人で手を合わした。


「それじゃあ、いっただっきまーす! ……ムグッ、美味しいー!! 
 やっぱ冬はこれよこれ、炬燵で食べるアイス……なんて贅沢なの~」


 諏訪子様は喜びを隠しきれない様子で頬に手を当て、舌づつみを打つと、
 再び無邪気に子供のような笑顔でアイスに齧りつく。
 私も諏訪子様の真似をして蓋を開け、恐る恐るスプーンでしゃくり口へと運ぶ。


「ッ!! こ、これは!!」


 美味い!
 私は夢中でスプーンを口へ運ぶ、そのまま箱ごとかぶりつきたい程もどかしい。
 そして全てを食べ終わり、箱に残るうっすら溶け残ったアイスの残滓を舐めとる。
 『アイス』……こんなにも甘く美味しいお菓子があったのか……、
 私はあまりの美味しさで幸福感に酔った。


「アイスの中でも私はこのスーパーカップシリーズが大好きなんだよ。安いし、ボリュームもバツグン。
 早苗とよく買いに行ったな~ふふふ、頭上の方のアイスは高級品で、なかなか買ってもらえなくて……」


 マヨヒガの家ではこんなに見知らぬ装置に囲まれて暮らしていなかったが、生活する内にとても便利だと気付いた。
 どうやらマヨヒガの生活水準とはかなり違うらしい……、
 また、マヨヒガの中では季節が移り変わる事はなく、常に温暖な気候でとても過ごしやすかった。
 どうやら今、外の世界は『冬』らしい。
 マヨヒガに迷い込む前の記憶がうっすら残っている……あの寒く辛い季節。
 最初、この寒さに耐えられるか心配だったが……なんの事は無い。炬燵さえあれば!

 私は気付いたのだ。この寒さがあるからこそ、逆に炬燵のありがたさが身に染みると、
 ――そして、私はまた一つ世界の解に至った。


「諏訪子様! ありがとうございます!!」


 私は声を大にしてお礼を言った。
 この出会いを、この喜びを、この感動を――神に感謝を捧げずにはいられなかったのだ。
 諏訪子様は、うむうむと頷き、


「わかったようだな、この世の理の一つを」


 私がしきりに頷くと、諏訪子様は満足したのか再び炬燵に潜り込む。
 私もそれに倣い二人で炬燵から頭を出し、まったりとした時間を過ごす。


「霊夢~いる?」


 チルノさんが部屋から出て来た。霊夢さんに用事なのか!?


「霊夢さんならトレーニングに行きました」


 そして、チルノさんは炬燵で諏訪子様と二人でごろごろしている姿を見て、ぎょっとしていた。


「……ずいぶん、楽しそうね」


 少し苦笑しながらそのまま通り過ぎようとして、チルノさんの動きが止まる。
 視線は机の上……、


「……楽しみにしていたのに」


 チルノさんは心底悲しそうな顔をした。
 シマッタ!! これ、チルノさんのアイスだったのか!?


「ごめんなさい! 勝手に食べてしまって!!」


「いい……気にしてない」


 嘘だ……めっちゃ気にしてるじゃないですか……、
 私は何と言っていいかわからず、おろおろしていると諏訪子様が助け船を出してくれた。


「ごめんよ~私が勧めたんだ。橙、アイス食べた事無いって言っていたから」

「そう……」

「すっごく美味しかったです!! こんなのいままで食べた事無いです!!」

「そう……」


 駄目だッ!! チルノさんが目に見えて落ち込んでいる。
 普段あまり表情を変えないチルノさんの感情の読み取り方は声の張りと雰囲気で大体わかる。
 私はどうしたものかと諏訪子様と見合わせていると、


「――だったら今から買いに行けばいいんじゃない?」


 そこへ、トレーニングウェアを着こんだ霊夢さんが帰って来た。


「チルノもあまり根を詰めるとしんどいでしょ? 息抜きに皆で出かけない?」


「……それは構わない。二人は?」


 私と諏訪子様も同意し、霊夢さんの着替えを待って街に遊びに行く事になりました。

















「うぅ……やっぱり寒いです」


 私はこれでもかと着こみ雪だるまのようになりながらも、まだ寒さに震えていた。
 隙間風がッ! 尻尾も丸めて服の下へ隠す。
 私が震えながら歩いていると、チルノさんが近づいて来て何かを差し出す。


「……これ、使うと良い」

「これは……?」

「使い捨てカイロ、服の下にでも入れておけば暖かい」


 チルノさんに使い方を教えてもらい、袋をしゃかしゃかと振る。
 何故か無性に玉取りたくなるが、破いてしまいそうなので我慢。
 次第に暖かくなっていき、寧ろ熱いくらいだ。


「ありがとうございます!!」

「いい……」

「あの……さっきは本当に……」

「大丈夫、それより……」


 チルノさんが指差す方向、家の近くにある商店街はいつもと違う飾りつけが施され、
 いつもより人通りも多い。
 そしてあちこちに見かける小さな木には鈴や可愛い絵が付き豪華な感じに仕上がっている。


「今日はクリスマスイブ。橙は……まだ見た事なかった?」

「はい……すごいです……何かお祭りみたいですね」

「それに近い、中央の広場には大きなクリスマスツリーが飾られている」


 先に行く霊夢さんと諏訪子様は何やら話し込んでいるようで、先々歩いて行く。
 所々聞こえて来るのは『ケーキは……』『料理は……』、
 どうやら予想するに今日は少し豪華な食卓になるらしい。
 私は後の楽しみにする為、それ以上の内容は聞かないようにした。


「あ、これ……」


 ふと、目に留まったのは商店街の通りにあるお店の展示物だった。


「可愛い……」


 小さなイヤリングだった。小さな鈴が付いたシンプルなものだったが、一目で心を奪われた。
 チルノさんが途中で立ち止まった私に気づき戻って来る。


「何か欲しいものがあるの? 今日はクリスマスイブだし、言ってくれたら――」


「いや……大丈夫です。ただでさえお世話になっている身だし……」
 
 そう言って迷いを断ち切るように、私は先へ歩き出した。
 この世界に来たのは良いが、この世界の貨幣を私は持っていなかった。
 マヨヒガでは使う必要がなかったし……、でも欲しかったな、あれ。


「サンタクロースって知ってる?」


 チルノさんはその一年良い子にしてたら、クリスマスの朝プレゼントをくれるというおじいさんの話をしてくれた。
 ……今年は藍様のお手伝いもしたし、いつも飲み潰れる萃香様の介抱もちゃんとした。
 ただ最後、藍様……きっと悲しんだだろうな。
 やっぱり私は良い子じゃなかった。
 自分の我儘で藍様に恩を仇で返したようなものだ。
 これじゃきっとサンタクロースっておじいさんもプレゼントはくれないだろう。


「チルノさん……私は……」


「見て」


 気がつくと目の前に大きな木がそびえ立ち、豪華なクリスマスの飾りつけがされてあった。
 木の頂上には星が輝き、荘厳な雰囲気があった。
 商店街の中央に位置するこの木の周囲を囲むように噴水が据え付けられている。
 この空間だけは大木が邪魔するためか雨避けのシートは天井には張っておらず、吹き抜けになっていた。


「見てて……」


 チルノさんはそれだけ言うと、右手を上にかざした。


「あっ……」


 白い、冷たいモノが頭の上から降ってくる。
 見上げると吹き抜けの天井から、ゆっくりと落ちて来るそれはとても冷たかったが、少しも嫌だとは思わなかった。
 思わず……見惚れた。


「雪も初めて? これがこの時期に振るとホワイトクリスマスって呼ばれるのよ」


「とても……綺麗です」


「橙、今からサンタクロースにさっきのイヤリングをお願いするの。
 そして朝、もし、プレゼントが届いたなら……橙は今年、良い子だったのよ」


「でも、私……藍様を悲しませて……」


「もし、橙を大切に思っているのなら、貴女の事も理解してくれるはずよ。
 本当に藍が悲しみ、橙が悪い子なら、プレゼントは届かない、でしょ?」


 数瞬悩んだ後、私は手を胸の前で組み祈りを捧げた。
















「ふふ、どうやらうまくいったようだね……」

「諏訪子も人が悪いわよ、橙……困っていたわよ」

「チルノはけっこう人見知りだからな、橙も相手に合わせようとするし、チルノと なかなか打ち解けてくれなかったから心配してたんだよ。
 まぁお互い良い子だから、いずれは気楽に付き合えるだろうけど早い方がいいじゃん。私は背中を押しただけだよ」


 生きた年数は橙の方がチルノの数十倍はあるが、チルノにとって橙は妹のような存在なのかもしれない。
 大気中の冷気を操り、一時的に雪を降らせたのも橙を大切に思っているからだ。
 優しく、暖かい冷たさなんだろう……。


「そうね、橙のプレゼントはチルノが買うだろうから……私達は今日のクリスマス会で使うクラッカーとか探しに行きましょうか」

「あれ~私のプレゼントは? 私けっこう良い子にしてたよ~神様はけっこう大変なんだよ?」

「プレゼントって……そういうのって年長者が贈るものじゃない?」

「ケチ~いいもん。早苗にもらうから! 私のサンタは毎年早苗って決まってるんだから!!」

「……じゃあ、早苗ちゃんのプレゼントは私が買っておくわ、巫女もけっこう大変そうだからね」



 クリスマス会は盛大に豪華に、そして皆が楽しく騒げるように……。

























―第四十一話 「それは遠い雲のように」、完。




―次回予告。
≪たった一分がものすごく長く感じられ、
 時間は、はっきりとした悪意を持って私の上をゆっくりと流れて行った。
 私はきつく歯を食いしばり、泣かないように……耐えているしかなかった。

       
 次回、東方英雄譚第四十二話 「聖ヴワル大図書館」 ≫



[7571] 第四十二話 「聖ヴワル大図書館」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2010/03/20 08:38



『  ロンドンで待つ。       
  

                     パチュリー・ノーレッジ  』












「――パチュリー・ノーレッジ教授


 聖ヴワル大図書館館長を務め、ロンドン全ての大学の名誉教授の称号を受けた。
 おそらく、現在世界で最高の魔法使いである知識と日陰の少女。
 彼女の記録を正確に読み解こうとすると、百年、二百年ではすまないはずです。
 彼女の教えを請うものは後を絶たず、世界中の本の集合体であるその知識は全てを見通すと言われています。
 そして、彼女はこうも呼ばれています……『動かない大図書館』と」

                       
 
                               ――射命丸 文の調査により報告。






 彼女からの連絡は直接チルノのパソコンに送られて来た。
 しかし、チルノはパチュリーと出会った事はなく、当然連絡先も教えていなかった。
 更に奇妙な事にチルノのパソコンは万が一に備えネットの海には繋がっておらず、完全なオフラインで使用していた。
 にも関わらずチルノが研究のため使用中いきなり上記の簡潔な文章が送られて来たのだ。
 魔術的なものなのだろうか、古い魔法使いのが多く居た時代、血と鏡を使い通信手段とした応用だろうと思われる。
 連絡を受けたチルノの判断は、パチュリーに会いに行くことに決めた。
 まだ会ったこともないのに突然の面会要請、何かしら危険な香りがするが得る物もあると踏んだのだ。
 単独の意思なのか、もしくは協力者がいるのか……現状ではあまりにも情報が少なすぎる。


「準備できたわよ」


 自分の机で目を瞑り考え込んでいたチルノに霊夢が声をかけた。


「わかった。すぐ行く」


 必要なものを詰め終えた旅行用の鞄を持ち、チルノは部屋を出る。
 居間では身支度を整えた橙と霊夢が待っていた。
 ふと、見るとムスッとした表情の諏訪子がソファーに座っていた。


「じゃあ、行ってくる。留守番お願い……」


「……やっぱり納得できない」


 諏訪子は机を叩き、ソファーの上で『行きたい、行きたい』と駄々をこね始めた。
 パチュリーからメールがあったその夜。
 チルノは霊夢、橙、諏訪子と話し合った結果、諏訪子が残るという結論に至った。
 できれば全員で行きたかったが、実力者である諏訪子に日本に残ってもらった方が良いというチルノの判断からだった。
 当然……自分だけ海外旅行に行けないのは納得できないと諏訪子が文句を言ったが却下された。


「諏訪子……遊びに行くわけじゃない。数日で戻るから」


「いーやーだっ!!」


「早苗ちゃんに連絡したら、私達が居ない間泊まりに来てくれるし、ね」


「お、お土産をたくさん買ってきます! 諏訪子様……」


「でも……でも……」


 それでも食い下がる諏訪子にチルノは呆れて溜め息をつく。


「留守を任せられるのは諏訪子だけなんだ。お願い……」


「うーん…………うん、じゃあ……最高級の紅茶と可愛いティーカップ、あとお菓子たくさんね」


「わかった。後は頼む……行ってきます」


 どうにか収まった諏訪子を残し、家を出ると玄関の前に文の車が止まっていた。
 霊夢が助手席に座り、チルノと橙が後部座席へ収まる。


「あやや、遅かったですね……諏訪子さんは納得してくれました?」


「なんとかね……空港までお願い」


「了解です!」


 パチュリー・ノーレッジ教授に会うと言ったら文も付いて来るかと思ったが、今回は調べ物があるとかで一緒には行かない。
 グール事件がここ最近少なくなってきた事も踏まえ、取材に奔走するらしい。


「ロンドン行きの便はまだ時間がある……安全運転でお願い」


 チルノが文に釘を刺す。どうにもトラウマがあるのか文の車に乗る時は毎回、『安全運転で……』と言うようになった。
 文も最初は『私の運転は何時でも安全ですよ』と文句をたれていたが、最近はそのへんを心得ているのか速度を落とすようになった。


「魔理沙には……どうやら感づかれなかったようね」


「大丈夫です。言ってませんから!」


「魔理沙さん、後で怒るんじゃ……」


 橙が心配してチルノを見る。
 チルノは橙の頭を撫で、心配無いと答える。
 勘が鋭い魔理沙の事、バレた場合ロンドンへ行くとなれば絶対に付いてくるだろう。
 魔理沙にはチルノ達が留守の間、諏訪子達と共に日本に残って欲しかった。
 戦力的にも魔理沙の力は欠かせない。
 ……それほどチルノは魔理沙の力を信頼しているからだ。


「もし、市街戦になれば橙の俊敏さが役に立つ。その時はお願い」


「はい! わかりました!!」


 車は滑るように道路を進み順調に空港へ到着した。
 飛行機の離陸時間まではだいぶ時間がある。


「それでは、お気をつけて!」


 そう言い残し、文は手を振り去って行った。


















「搭乗手続きを済ませてくる。ここで待ってて」


 チルノはそう言い残し、霊夢と橙をロビーで待たせる。
 橙は落ち着かないのか妙にそわそわしだし、


「何か、緊張します」

「橙は飛行機乗るの初めて?」

「はい……」

「大丈夫よ。そう簡単に落ちはしないわよ」



「そうだぜ! それにお楽しみは機内食だな!! BEEF or CHICKEN?」



「……」

「……、一つ聞いていい?」

「一つだけだぜ」

「何故ここに居る?」

「オーニホンゴ、ワカリーマセーンだZE!」


 言ってる意味がわからないとでも言うように両手を広げボディランゲージで答える魔理沙。
 魔理沙の後ろには準備万端なのか荷物満載のトランクと何故か箒が立て掛けてあった。


「魔法使いを自称するこの魔理沙様は当然ロンドンに行きたい訳よ! 
 ドゥー ユゥー アンダスターン?」


 霊夢は魔理沙の肩を抱き、空港の入口を指で指し示す。


「I don't knowだわ。今から右を向いて、その大荷物を抱えてタクシーに乗りな。OK?」

「おいおい、私達は親友だぜ」

「もちろんよ。だからお土産たくさん買って来るし」

「それには及ばない。自分の土産くらい自分で買うから大丈夫だぜ」

「チルノが困るって言ってんの!!」


 そんなやりとりをしていると案の定、搭乗手続きを済ませたチルノが唖然としていた。


「……もう一度……搭乗手続きしてくる」


 溜め息をつき受付へと歩いて行くチルノ。
 ……どうやら諦めたらしい。
 こうなるとどんなに言っても魔理沙は聞かないとわかっているからだ。


「そういう訳でよろしくな、橙!」

「え!? あ、はい……よろしくです」


 笑いながらオヤツを買いに行こうと売店へ橙を連れて行く魔理沙。
 橙は引きずられる形で魔理沙について行くのを見送り、霊夢は頭を掻く。


「まったく、もう魔理沙は……」


「フライト時間は十二時間ぐらい。霊夢も何か買っておいた方がいい」


 横を見るとしょうがないとばかりに溜め息をつくチルノがチケットを渡してきた。
 霊夢はチケットを受け取り、楽しそうに売店の試食をする魔理沙達を見る。


「よく取れたわね。こんな直前に……」

「ファーストクラスだから……そう席は埋まらない」

「ファーストッ!? 魔理沙にはもったいないわね……料金請求してやって」

「……私も鬼じゃないから、半分でいいよ」

「ちなみに……おいくらぐらい?」

「半額で百万円くらいかな……?」

「ブッ! ひゃ、ひゃくまん!? ゼロが一個多いわよ!」

 ふと見ると、カゴに大量のお菓子とジュースを入れる魔理沙が何故か可哀そうになってきた。
 とても学生では払いきれる額ではないというのに……魔理沙の青ざめた顔が目に浮かんだ。
















「おお!! 高い高いッ! 霊夢ほら、見ろよ窓! すっげー」

「うるさい!! 迷惑になるでしょ!」

「別にいいじゃん! 他に客いないしさ」

「それもそうだけど……」


 ロンドン行きの搭乗便はエコノミー、ビジネスクラスには客はいるが、
 流石にファーストクラスともなると客数は少ない。
 元気なモノだ……チルノが冗談交じりに料金を請求すると本気で泣きそうになっていたのが嘘のようだ。
 橙も最初こそ、飛行機にGに驚いていたが今では魔理沙と一緒になってはしゃいでいる。
 そこへフライトアテンダントが一礼をして入って来た。


「失礼します。機内食はいかが致しましょうか?」

「きたきたっ! 私、I am a chicken.」

 魔理沙が自信満々に流暢な英語で答える。
 フライトアテンダントの女性は一瞬固まり、「洋食でよろしいですね」と大人の対応をする。
 チルノ達も注文をし、「少々、お待ち下さい」と一礼をして去って行った。
 チルノは苦笑し、魔理沙を見る。


「魔理沙……発音は良いけど文法がおかしい」

「え、嘘っ!? 私、何て言った?」

「私はチキンです」

「ダアッー!!」

「アーハッハ!! ぷ、くく、魔理沙ったら……ヒー、お腹よじれる!!」

 霊夢が大爆笑して腹を抱える。
 橙も我慢できなかったのか噴き出してしまい、申し訳なさそうに魔理沙を見る。
 魔理沙が顔を真っ赤にして「そんなに笑う事ないだろ!」と怒り出した。




 チリィーーン




「うん?」


 橙が帽子を脱ぎ猫耳を出す。
 手をあてがい耳を澄ますと、耳の動きに合わせ鈴の付いたイヤリングが音を鳴らす。


「どうしたの、橙?」


《Master‼ ALERT ALERT》


「どうしたんだ!? 相棒?」


 橙の突然の行動に霊夢が驚く。と同時に魔理沙のベルトが警報を出す。
 橙は耳を澄ませながら、ドアの方へ進む。魔理沙達もそれに続く。


「何か……音が……」


 ファーストクラスの防音は完璧だった。
 人間の聴覚では知覚できない程の周波数を感知したのか、橙はそのまま進んで行く。
 チルノも様子がおかしい事に気付き、橙の後を追いビジネスクラスがある扉のドアを開ける。


「ヒィッ……」


 咄嗟に口を塞ぎ悲鳴を堪える橙。
 続いて扉を潜ったチルノ達が見たのは機内のあちこちに飛び散った血痕だった。
 何かを引き摺った跡が奥のドアへと続く。

 血……血……血……、



「何だよ、一体……」


 魔理沙が血痕を調べる。どうやら血はまだ付いて間もないようだ。
 恐る恐る奥のドアへと近づく。


「みんな注意して……何か……いる」







「……開けます」
 
 
 橙がゆっくりとドアを開ける。
 そして、見る……惨状を、


 カチカチッと響いたのは橙の歯が噛み合わさる音だった。
 広がる光景はスクラップ工場のように解体された人間のパーツだった。
 通路に零れた血が水溜りを作っている。


「何故……こんな事に……」





「チルノ! あの娘!!」

 霊夢が指差す方を見ると、席の隙間に蹲るようにして座る小さな女の子がいた。
 蹲る女の子の服には返り血が染み、結んだ髪にも飛んだ血がへばりついている。


「おいっ! 大丈夫かッ!!」


 魔理沙が駆け寄ろうとすると、その道を遮るようにふらりと起き上がったスーツ姿の男がいた。
 気絶していて目が覚めたのだろうか?


「おい、あんたも大丈夫か!? 怪我は……」


「――魔理沙!」


 男は生気のない顔をし、目もどこか虚ろだった。
 だが、動きは俊敏で近寄る魔理沙へ襲いかかって来た!


《Protection》


 男と魔理沙の間に光の壁が出現し、男は弾かれて転がる。
 その瞳は狂気に彩られていた。


「姿を現しなさい!!」


 霊夢が札を放ち、男の額に命中する。
 すると――男の顔が崩れ落ちた。


 ――ずるずる、ずるずる、


 禿げた皮膚の下は人間の骨では無く化け物のそれだった。
 皮膚が裂け、服を破き正体を現した。


「グール!? ッ人間に化けれるの!」


「……擬態化……奴らは、進化している」


 チルノが驚く。グールとの戦いが一番長いチルノでさえ見た事が無い変異種。
 獣と同様の知能しかなく、本能にまかせて人間を捕食していたグールが急激な変化を遂げていたのだ。
 更に奥のドアが開き、老若男女問わず、まるでゾンビの群れのように次々と人が溢れる。
 そして、その内の一人がグールの正体を現し、蹲る少女に襲いかかった。




「鬼神『飛翔――」




 橙が動く、機体に穴を開けないよう光弾は使えない。
しかし、橙は狭い機内の空間を縦横無尽に駆け回る。
 その俊敏さにグールは追いつけず、認識もできなかっただろう。
 鋭い橙の爪がグールの腕を抉り、蹴り倒し、




「――毘沙門天』」




 チルノ達の所へ戻った橙の腕の中には小さな女の子が収まっていた。
 

「変身!」 「変・身!!」

《Complete》 《Complete》



「――霊夢、魔理沙ここは頼む! 橙、こっちへ」


 霊夢達の変身の声を聞き、チルノは機長室へと走る。
 橙は女の子を抱えながら追従する。


「チルノさんどうするんですか?」

「起こっている事を話し、近くの空港へ緊急着陸してもらう」


 チルノが操縦室のドアを勢いよく開ける。
 だが――、


「誰も――操縦していない……」


 操縦桿には機長の腕だったものが握った状態で肘から先が無い、計器類にも血が滴っていた。
 そういえば操縦室へ無断で入る時、止めるフライトアテンダントの姿もなかった。

 ビビビゥウウウウ――、

 ――そして、急速に空気の流れが割れた窓から外へと流れ出ていた。


「くっ!!」


 チルノはまだ十分死後硬直していない腕を操縦桿から無理矢理剥がし、座席へ着く。


「確か――ここだ!」

 探し当てた計器を操作し、管制塔へ交信する。


「メイデイ、メイデイ、こちらEAL五二四便! トラブル発生! 応答せよ!」


『こちら管制塔――貴女は!?』


 返信の男性のオペレーターの声は、突然の少女の声に唖然とした。
 だが、発進は確実にこの旅客機からのもので、その緊急性を帯びた声から悪戯とも思えなかった。


「説明している暇はない!! 機長、副操縦士ともに事故で死亡」

『なっ!? ……貴女は操縦の経験は』


 その一言で事態の緊急性を把握したオペレーターにも緊張が走る。


「ない――前に本で呼んだくらい、サポートを要請する」

『……了解した』



 橙が女の子を副操縦席に座らせ、シートベルトで固定しつつ心配そうにチルノを見る。

「チルノさん……私達、大丈夫ですか? このままだと」

「なんとかする。橙、魔理沙を呼んで来て、魔理沙のベルトの助けがいる」

「わかりまし――」


 ズンッ、


 飛行機が傾き、バランスを崩す、チルノが慌てて操縦桿を握り機体を安定させてようとする。


―グゥウウウルウウウッ―


 操縦席の窓から化け物が姿を現した。


「グール!? 機体の外に――」


 離陸後、飛行機は高度数千から一万メートル上空を時速800キロものスピードで滑空する。
 その速度は「亜音速」という速域で巡航し、一万メートルの高高度では急減圧される。
 吸い出ささるとまともに取り付いては要られないはず。


「チルノさんの邪魔をするなッ――!!」


「橙ッ!!」


 橙は腕を伸ばしチルノに襲いかかるグールに噛みつき、そのまま身の軽い橙は外へと吸い出された!





「ふふ、ふふふ」





 その声に操縦桿を握るチルノの手に寒気が走る。


「……道理で、おかしいと思った。
 グールだらけ機内に君だけが生き残っているという事にね、妖怪か」

 ツインテールにした緑の髪が揺れる。
 少女は答えずにんまりと口が裂けるように笑った。


「チルノ・ホワイトロック……貴女はロンドンへは辿りつけないわ。決してね」

「紅魔の刺客……」


 少女はシートベルトを外し、ふらりと立ち上がる。


「さぁ、どうするのかしら? 貴女の恐怖に彩られる顔が拝めないのは残念だけど、私はここでお暇するわ。
 私はキスメ、これだけ巨大なモノを落とせば『釣瓶落とし』として妖怪の格も上がるってものよ。もうお腹一杯だしね……」


 キスメと名乗った妖怪の少女は割れた窓に近づき、チルノの方を見て手を振った。



「じゃあ、ガンバッ!」



 ボウッ!
 身体の小さなキスメは勢い良く空へと投げ出される。


 そして――、


 その直後、計器には異常発生を示す警報が鳴り響いた。





「左翼のエンジンが――爆発ッ!?」





















―第四十二話 「聖ヴワル大図書館」、完。



―次回予告。
≪あなたが変わる事ができたのはあなた自身の力。
 あなたが強くそうしたいと思う事によって生まれた力。
 今までのあなたは自分で作った殻の中でじっとしていただけ、
 自分で作り上げたものなのにそれは堅く厚く、出る事はできないと思い込んでいた。
 ――けれど、その殻はあなたが思っている程堅くも厚くもなかった。
 いつだって自分の力で破る事はできたんだ。

 ほんの少し、勇気を出せば……望めば……、

 


       
 次回、東方英雄譚第四十三話 「限界離脱領域」 ≫




[7571] 第四十三話 「限界離脱領域」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2010/02/14 22:02








 ――私は真っ逆さまに落ちて行った。

















「ふぅー、ふぅー」




 私の身体は弾かれたゴム毬のように空へと投げ出された。
 必死になって噛み付いた化け物の腕を離し、飛行機の胴体部分にしがみつく。
 化け物は吸盤でもついているのか身軽に飛行機の胴体に吸いつくように着地する。
 でかい……機内のグールと比べ三倍以上は体格で勝っている。


「グール……私達の、敵……」


 ズンッ、
 私は渾身の力を込めて足で飛行機胴体を踏み抜き、身体を固定する。
 ここで、身軽さは命取りだ。
 もし、投げ出されれば浮遊術の苦手な私はひとたまりもない。
 グールは、這うように高速で接近してくる。


「ここなら、思いっきり戦える!」



 ――仙術「鳳凰卵」



 赤い妖気弾を展開する。
 先程は飛行機内であったため放出系の術は使えなかったが、ここならその心配は無い。
 グールは私が放つ弾を左右に高速で移動し次々とかわして行く。
 幾つか命中はしたものの込めた妖気自体も小さいため致命傷とは成り得ない。
 この自由に移動できない状況下では単なる砲台でしかない私は、高速で移動するグールに十分狙いを定める事はできない。


――グァアルルゥアアアアアアアッ!


 これは威嚇だ。
 多少威力を落とし、弾数を増やす。
 それによりグールはあたかも私が焦り、攻撃の命中精度が落としていると誤認する。
 獣の思考は単純だ。
 自分が敵より上か下か、自分が獲物か敵が獲物か?
 自分が一度優位と認識すれば引く事はない。

 そして、自分より下位の存在より攻撃を多少受けた事により、血が上り正常な判断を失う。
 よって――、


――キシャアアアアアアアアアアアアアア!!


 間近に迫ったグールはその剛腕で矮小な存在である私を握り潰そうと右手を振り下ろした。


「ハッ!」


 近付いてくれて助かりましたよ。本当に……、
 先程まで元気良く跳ねまわっていたグールの動きが停止する。
 そう、グールにとってそれはとても予想外の出来事だと言ってよかった。
 目の前の小さな女の子の細腕で軽々とその巨大な腕が止められていたからだ。
 そして、悟るのだ。
 絶対的な強者は目の前の少女であると、自分は弱者だったのだと……知る。


 強化した左手の爪が掴んだグールの肉に食い込み離れないようにする。
 萃香様としょっちゅう組手をさせられていたのがこういう時に役に立つ。
 印を結び妖気を右手に集中させる。

 
 ……そしてこれが、
 一番尊敬する人から学んだ術だ!



 ――陰陽『道満晴明』――



 凝縮された力が爆発する。
 右手の掌をグールの腹に打ち込む、ゼロ距離からの発勁に近いその技は五芒星を描いてグールの身体を貫いた。
 五芒星は陰陽道で陰陽五行説、木・火・土・金・水の5つの元素の働きを示し、あらゆる『魔』を退ける力を持つ。

 グールの命は消えた。
 左手に掴んでいたグールの腕はぐらりと崩れ落ち、力無く砂と化しながら飛行機に胴体から足が離れ宙へ浮いた。
 落ちて行くグールを見送り、ふぅと溜め息をつく。


「よしっ!」


 私は緊張を解き、チルノさんの所へ戻ろうとする。
 迂闊だったのだ。
 爪が甘いと言わざるを得なかった。
 その後悔は急激な飛行機の震動で思い知るのだった。


 ズズンッ、


 グールが落ちて行った先、それは左翼のエンジンタービン。
 グールの生命活動は確かに停止していた。
 普通のグールならひとたまりもなく既に砂と化していたはずが、
 巨大な体格を持つこのグールには全て砂と化すには時間がかかった。

 そして、その身体が完全に崩れ落ち砂と化す前に……運が悪い事にエンジン吸気側に巻き込まれてしまったのだ!
 ジェットエンジンには大きな推進力がかかっており、吸い込み口付近には真空の空間が形成され、
 そこに空気を吸い込む大きな圧力が生じていた。


「しまっ――!」



 ――った、
 私は飛行機の衝撃で固定していた両足は外れ、空中へと投げ出された。
 浮遊感が身体を支配する。
 それは私にとってとても不安定で、恐怖の時間だった。
 どこにも地面がない、上下も無い、しがみ付く物も、縋る者も無い。

 高度一万メートルの上空から落下した場合、果たして自分は無事でいられるのだろうか?
 自分が落ちた事をチルノさん達に伝える術は……ない。














 計器には異常発生を示す警報が鳴り響く中、チルノは必死に機体を安定させようと努力をしていた。
 飛行機事故においてエンジンがストップ=墜落という事にはならない。
 エンジンの役割は飛行機を飛ばす揚力ではなく、前進させる推進力にある。
 飛行機が空中に浮いていられる揚力の主な役割を担うのが主翼と尾翼で、
 エンジンで発生させた推進力によって起こる風を主翼と尾翼に流す事で、『飛行』という現象になる。

 だが、今回大変危険な状態にあると言ってよい。
 問題は『片側』だけエンジンが故障した為だ。
 物理現象的に静止したエンジン側に旋回しようとする。
 最悪、片側に機体が大きく傾きスピンに入り操縦不能状態に陥り『墜落』する。



「くうぅうう!!」


 正常なエンジンの出力を下げ、当て舵を行う。
 機体バランスが悪い、エンジンの爆発と共に左翼にもダメージが!?

 それと同時に、チルノの懐にある携帯レーダーの表示に顔が青ざめる。


「――チルノ、大丈夫か!? こ、これって……」


 コックピットの後ろのドアが開き、魔理沙が駆け込んで来る。
 そして、窓が割れ血に塗れた操縦席で必死に操縦桿を握るチルノの姿に、魔理沙は驚く。


「魔理沙っ! 説明してる暇はない、橙が飛行機から落ちた!!」


「何だって!?」


 チルノは携帯レーダーを魔理沙へ放り投げる。
 そこには急速にレーダーから離れて行く赤い点が表示されていた。
 橙には万が一に備え、発信機が内蔵されているリストバンドを渡してある。
 

「わかったァ! 私が助けに行く、ハッチを開けろぉおおおおおおおお!!」


 チルノは手元のキーを操作し、操縦席ドア近くのハッチのロックを開ける。
 そして魔理沙は、迷い無く空へ身を躍らせた。


「箒よ、来い!!」


 魔理沙の叫びに呼応し、旅客機の貨物室を高速で突き破るモノがあった。
 それは空を落ちて行く魔理沙を追うようにぐんぐん近づいて行く。
 そして、魔理沙の手に収まると同時に急加速で降下して行った。









 確認後すぐにハッチを閉じると、計器を操作し管制塔へ交信する
 ロンドン  ヒースロー国際空港には辿り着けそうにない。


「こちらEAL五二四便! 管制塔、応答して!」

『こちら管制塔――』

「左翼エンジントラブルで爆発、緊急着陸を行える場所を教えて!」

『――了解した』


 すぐに手元の液晶パネルに現在位置と緊急着陸候補地が表示される。
 この機体状態を考え選択した候補地は『シュヴァルツヴァルト』
 ドイツ語で『黒い森』を意味する森林地帯だ。
 この機に乗客は既にいない……。
 パラシュートだけつけ霊夢と共に脱出すること可能だが、万が一この機体が人の住んでいるところに落ちた場合大惨事となる。
 飛行機が爆発する可能性もあるためなるべく人がいない所を選んだ結果だ。


「チルノ! グールは片付け終わったわ!!」


 そこへ、霊夢がドアを開き駆け込んで来る。魔理沙と同様、操縦席の惨状に顔を顰める。


「霊夢、席についてシートベルトをして!」

「どうするの?」

「今から緊急着陸をする、衝撃に備えて」

「わかった……」


 霊夢は言われたように副操縦席に座り、シートベルトで身体を固定する。
 それを確認し、チルノは手元のスイッチを押す。
 ――それと同時に操縦席上部の屋根が音を立て、外れ飛ぶ。


 ボウオオオオオオオオオオオオ!


「ちょ、ちょっとチルノ! 何を!!」

「霊夢に出来ることは無い……先に着陸して待っていて……」

「チルノッ! 待って! 私もッ―――――――」


 副操縦席の緊急脱出装置が作動し、霊夢が機体の外へと放り出される。
 それを確認し、チルノは覚悟を決めた。




「変・身ッ!!」




 チルノの身体が光り輝く、ライダースーツを身に纏う。
 衝撃に備えるのにこれ程うってつけのプロテクターはない。
 手元の装置を操作し、まだ稼働を続ける右翼のエンジンも完全に停止させる。
 先程の爆発で左翼のバランスが悪い、機体が傾く……。


 ――やるしかないっ!!



《Snow vent『ダイアモンドブリザード』》


 機体周囲に猛吹雪が吹き荒れる。
 季節は冬、冷気を操るのは容易い……機体内の上昇温度を押さえ、燃料に引火し爆発するのを防がなければならない。
 それと同時に――、
 

《Frost vent『フロストコラムス』》


 左翼の羽は爆発により欠けた部分を補う。
 羽はビキビキと音を立て、霜が降りた状態から周囲の吹雪を取り込み右翼と長さと重量を調節する。


《Freeze vent『パーフェクトフリーズ』》


 氷結させ完全に氷の羽と化した左翼に強度を与える。
 全ては機体を無事着陸させるため行った処置だった。
 紙飛行機と同じだ。
 機体のバランスを保てば一先ず墜落は避けられる。
 問題は着陸だ……、
 吹雪を操り、機体を下から押し上げるように撃ち付ける。
 滑空比を保ちつつ、機体は高度をゆっくりと下げて行く。


 操縦席の周囲に急速な冷気が窓を通して流れ込んで来る。
 これぐらい平気だ……、
 私は寒さには慣れている。

 吐く息は何処までも白く、纏わりつくように流れる。
 スーツの腕にも霜が降り、凍りついていく。
 操縦席の周囲は氷点下を切り、気温は更に下がる。

 操縦桿を握る手が震える。これは寒さによる震えでは無い。
 身体が悲鳴を上げているのだ、力の使い過ぎだ……、







 ……霊夢、魔理沙、橙……無事でいて、


















 私は心の中で何度も何度も謝った。
 私を元気づけて送り出してくれた萃香様に、そして心配そうに見守ってくれた藍様に……、
 霊夢さん、魔理沙さん、諏訪子様、文さん……そしてチルノさんの顔が頭に浮かんだ。
 

 ――怖い、


 私はこの大空を落ちて感じる思いは、ただただ恐怖だけだった。
 自分を抱えるように両腕で身体を抱き締める。
 
 がたがたがたがたがた、

 身体が震え、歯がうまく噛み合わない。
 涙が止め処なく流れ、空へと流れて行く。

 助けて、誰か――

 助けて!



「ちぇえええええええええええええええええええええええええんんん!!」


「――えっ!?」


 私は溢れる視界の端に、黒い影を捉える。

 そして、わかった。

 安心した。


「魔理沙さんッ!!」


 魔理沙さんは高速で接近し、腕を伸ばして私を掴む。
 そして旋回するようにスピードを殺し、空中に箒に乗ったまま浮いた。
 

「橙、よかった……よかった……本当に……」


 ぎゅっと抱き締め、魔理沙さんは少し泣いた。
 それは安心の涙だった。
 私は抱き締められながらその胸に顔を埋め、子供のように泣きじゃくる。


「ありがとう、ひぅ、うぇっ、ありがとうォございます」


 魔理沙さんの腕に抱かれながら、しばらく泣いていた私は急速に冷気を帯びる風に気づく。
 泣き止み、恐る恐る周囲を見回す。


「チルノさんっ!!」


 視界の端に巨大な飛行機が冷気を帯びた白い風に抱かれて行く。
 一瞬でチルノさんだとわかった。


「魔理沙さん! チルノさんと霊夢さんはまだあの中に! 助けないと!!」


「チルノなら大丈夫だ、きっと……きっと……」


 私を強く抱き締め、唇を噛む魔理沙さんは何かを押し殺すように高度を下げて行く飛行機を見ていた。


















 シュヴァルツヴァルトを襲う轟音が大気に響き、衝撃が大地を揺らす。
 メキメキと音を立て、道を開けるように木が折れ曲がる。


「はっ……はっ……チルノ、チルノ……」


 ――無事でいて、チルノ!

 無事操縦席のパラシュートが開き着地した後、頭の上を通り過ぎる旅客機の悲鳴を聞いた。
 冬を連れて来た旅客機はゆっくりと高度を下げて行き、黒い森へと突っ込んで行った。
 旅客機の通った後には雪が降り、周囲は凍りついていた。
 それを追う私の息も段々と白さを増し、そしてついに発見した。
 地面に転がるように不時着した旅客機はボロボロで左右の羽は無惨にへし折れていた。
 そして機体のすぐ近く、衝撃でシートベルトが外れたのだろうか、チルノらしき少女が転がっていた。


「チルノッ――!!」


 チルノを発見した時、私は夢中で駆けた。
 ここからは見えない、怪我は? どこか頭を打ったんじゃないのか?
 ぴくりとも動かないチルノが怖い……もし……もし、

 ――嫌だ! そんなの!!

 嫌な考えばかりが浮かぶ、チルノは大丈夫だ、大丈夫、きっと。
 これまでだって乗り越えて来たじゃないか、
 こんなところでチルノが死ぬはずはない。

 私は腕を伸ばし、チルノの下へ早く辿り着こうとする。



 ――ビキビキ、



「えっ?」


 伸ばした腕、それはチルノへ届かなかった。
 チルノの周囲に巨大な冷気の壁が立ちはだかり、それ以上近付くとたちまち凍りつき触れる事が出来ない。
 倒れたチルノは反応がないまま、回りを囲むように吹き荒れる冷気の渦に呆然とした。






「冷気の暴走……そんな……」






 その場に力無く膝をつき、私はどうすればいいかわからなかった。
 助けてあげられない。
 自分の無力さに涙が頬を伝う。

 あれだけ巨大なものを無事に着陸させる事でも大変なのに、
 チルノは力を限界まで使用し、制御不能まで陥ってしまった。


 どうすればいい……どうすればいい……?


 私はただただ、すぐ手を伸ばせば届く距離で何もできず見ていることしかできなかった。



























―第四十三話 「限界離脱領域」、完。



―次回予告。
≪『手』というものは世界を自分の中に取り込むためと、
 自分の中のものを世界に吐き出すための2方向に使う道具です。
 
 手の長さは世界の果てで、
 自分の腕いっぱいに伸ばして届くものしか本来手にすることはできない。伝える事はできない。

 でも人は『書く』ということで手の長さより、ずっと遠くに『果て』を伸ばしていける。


 時々、それが不思議な感覚だと思う時がある。
 


       
 次回、東方英雄譚第四十四話 「クロス×クロス」 ≫



[7571] 第四十四話 「クロス×クロス」
Name: 樹◆63b55a54 ID:9b78a8eb
Date: 2010/03/13 20:39




 ――ダンッ!


 冷たい風が頬を撫でる。
 周囲の地面に氷が張り、白い息が空へと舞い上がる。
 森の中に静寂が戻っていた。
 何の気配もしない。
 何の物音もしない。
 森閑として黒々とした森は、膨大な質量を湛えてそこにある。


 ――ダンッ!


 静かな森に響き渡る音は、一定のリズムを刻み、
 地面に打ち付ける拳は悲鳴に近いその感情を表していた。



 ――ダンッ!




「……なん……でよ」


 ――ギリッ、

 噛み締める歯が震える。これは自分に対しての怒りだった。




「……なんで、出てくれないの……」


 私はできる限りの事はした。
 変身して結界を操り、冷気の奔流を抑え込もうとした。
 しかし、暴走するそのエネルギーは到底……私が太刀打ちできるレベルを越えていた。
 諏訪子がいたらまだどうにかなったかもしれない。
 だが、今はいない。
 
 電話をして指示を仰ぐ事も考えられたが通信障害を起こしているのか、返って来るのは雑音ばかり。
 どうしようもできない自分に腹が立ち、そして気付いた。
 自分の中に眠るもう一人の博麗 霊夢の存在を……、

 彼女なら、なんとかしてくれるかもしれない。
 そして私は何度も問い掛ける自分に、
 だけど駄目だった。
 どんなに呼んでも彼女は起きてはくれなかった。


「……何で、出て来ないのよ。今……今、出て来て欲しいのに、何でよ。
 どうして助けてくれないの? ねぇ? チルノが……チルノが死んじゃう」


 再び拳を地面に打ち付ける。
 既に皮膚は破け、血が滴る。
 それでも止めようとは思わなかった。
 
 自暴だ。
 自分を痛めつける事で、自分に罰を与えなければどうにかなりそうだった。
 意味なんて無いのに……、
 まったくの無意味なのに、





「霊夢……やめろよ」


 何時の間にか後ろに居た魔理沙が霊夢の振り上げた腕を掴む。
 その後ろには橙が心配そうに自分を見ている。


「霊夢さん……」


 橙は何か言おうとして、押し黙る。
 この状況を打開できる術は無い。
 慰めの言葉も意味を成さないからだ。



「どうすればいいの? 教えて……誰かここに来て、私に教えてよっ!!」


 霊夢は虚空へ叫ぶ、だがその叫びを聞き遂げるものはいない。
 吐き出した息は白い蒸気となって、何も無い空へ飛んでいった。













――ボウッ、



「何!?」


 突然の妖気の気配、霊夢達は背後を振り向く。


「紅魔か!? こんな時に!!」


 赤い魔法陣が地面に浮かび、光が増す。
 そして、煙が巻き起こり、徐々に形作られていった。

 足音とともにそれは降り立った。
 赤い髪に黒いドレスを靡かせて……、


「お初にお目にかかります。パチュリー様の従者、小悪魔でございます」


 そういってその少女は深々とお辞儀をする。
 闇雲に動くのは危険だ。
 一目でその少女は人間では無いことがわかった。
 背中に蝙蝠のような羽、それと対をなすように頭にも小さな羽が生えていたからだ。


「パチュリーだと!? やっぱり紅魔の罠だったんだな!!」


 魔理沙はベルトを出し、何時でも変身できるように身構える。
 橙は襲いかかってくるかもしれない小悪魔に対し、一歩二歩と踏み出した。


「パチュリー様は紅魔と共謀してはおりません」

「何を今さら!」

「本当の事です。その証拠をお見せしましょう」


 そう言って小悪魔と名乗った少女は黒いドレスのポケットから一枚のカードを取り出した。
 突如、小悪魔のカードから巻き起こる熱量に霊夢達は後退さる。
 その熱は小悪魔の持つカードを中心に空気の温度を変え、その空気に触れる冷気を一瞬で蒸発させた。


「い、いきなり何をするんだっ!?」

「やっぱり、敵よ! 皆、油断しちゃ駄目!!」

 霊夢がチルノを庇うように立ちはだかり魔理沙、橙が攻撃態勢を取る。
 その様子を見て、小悪魔はくすりと笑う。

「ご安心下さい。攻撃の意志をありません。これはパチュリー様の魔法力が込められたカード。
 私がここへ遣わされた理由はチルノ博士の救出です
 さぁ、どいて下さい。邪魔です」

 小悪魔の言葉に半信半疑だった魔理沙達が疑いの目で小悪魔を見つめる。
 彼女達の心には疑念が渦巻いている。
 もし、本当に紅魔の刺客ならこんな回りくどい方法を取るだろうか?
 純粋にチルノを救出に来たのではないか?
 いや、それも罠かもしれない。
 紅魔にとってチルノは邪魔な存在だろう。
 さっき旅客機でも襲って来たではないか。

「本当に……信用できるのでしょうね?」

 霊夢が睨みつけるように小悪魔の表情を窺う。

「信用して下さい、といっても無理でしょうね。ですが良いのですか? こうしている間にもチルノ博士の命は削られていくのですよ。
 このまま何もしないという選択肢もありますが、困るのは貴女方なのではないですか?
 もちろんこちらとしてもチルノ博士が死亡するという事態は望ましい事ではありません」

「確かに……私達は何もできないわよ。でも、進んでチルノの命が危険になるかも知れない事を選ぶ何てできない」

「埒があかないですね……」


『小悪魔……彼女達とは私が話すわ』


 何処からともなく聞こえた声に双方驚き、周囲を見渡す。
 突如、小悪魔と魔理沙達の間に魔法陣が出現する。
 そして声の主である。紫色の髪をした少女が現れた。


「パチュリー様!?」

 小悪魔は展開していた魔力を止め、それと同時に先程までの熱量が消え去る。
 その場で畏まる小悪魔にパチュリーと呼ばれた少女は手で制し、視線を霊夢達へ向ける。


「こいつがパチュリー!?」

「外見に騙されては駄目、妖怪は少女の姿でも十分凶悪な者もいるわ」

『正確には魔女……なんだけどね。まぁいいわ。
 こんな形になってしまったけど初めまして、私はパチュリー・ノーレッジ。
 この姿は言ってみればホログラムのような物を遠隔で映しだした映像よ。
 それより最初に謝っておくわ。ごめんなさい。危険な目に合わせてしまって』

「えっ!?」

 いきなりのパチュリーの謝罪に霊夢達は固まる。
 先程までの疑惑の目が困惑に変わり、どうしたものかとパチュリーを見る。

「どうして謝るのよ。こんな事態になるなんて想定していなかったとでも言うの?」

『えぇ、チルノ博士は優秀だが紅魔もそれほど重要視しているとは思っていなかったわ。
 一般乗客に紛れロンドンまで来てもらった方が、私達が迎えに行くよりもかえって安全だと判断したのよ』

 確かに、もし日本までパチュリーから迎えを寄越したらそれだけでたちまち紅魔に知られる事になるだろう。
 パチュリーが紅魔と敵対しているのならチルノと出会う前にパチュリーの方が暗殺される可能性がある。
 旅客機にまで襲ってくる連中だ、油断はできない。
 のんびりしていたらいずれこの場所も特定され襲われるかもしれない。

「本当に紅魔と繋がってはいないのね」

『敵の敵は味方……共通の敵、とでも言うのかしらね。
 少なくとも私達は貴女達と同盟関係を結びたいと思っている』

「霊夢……どうする?」

「霊夢さん……」

「…………わかった。だからチルノを助けて、お願い……」

『わかったわ。小悪魔……』

「はい! わかりました」

 そういうと小悪魔は頭の羽をぱたぱたと動かし、背中の羽を広げ空に浮く。

「少し離れていて下さい。大丈夫です……私とパチュリー様を信じて下さい」

 霊夢達は頷き、チルノを見つめゆっくりと離れる。

「ありがとう。いきます、パチュリー様!」

 再び先程のカードを取り出し、呪文を唱え、カードに込められた魔力を発動させる。




『日符――



           ――『ロイヤルフレア』――



 それは擬似太陽といってもよかった。
 その熱量は周囲の氷を溶かし、冷気を一瞬で吹き飛ばした。
 太陽の力で焼かれた冷気は終息し、暴走は止んだ。
 空にかかる雲の逃げ出すように霧散し、青い空が覗く。
 霊夢達は呆然と見つめるしかない大魔法に息を飲む。
 力を使い果たしたチルノは横たわったままだが、その周囲からは冷気の壁は消え去っていた。


「すごい……これだけの力を遠隔操作で操るなんて」

「これが一人の魔法使いの力……?」


 橙は目の前で起こった出来事が信じられないかのように小悪魔を見る。
 小悪魔の持つカードは力を使い果たしたのか、炭と化し崩れ落ちた。
 霊夢はホログラムのパチュリーを見る。
 パチュリーは頷き、チルノを指し示す。


『行ってあげなさい』


 その一言に霊夢の緊張は一気に解け、倒れるチルノへ駆け寄る。


「チルノッ――!!」


 抱きあげたチルノは普段の少し冷たいくらいの体温とは比べものにならない程冷え切っていた。
 まるで氷の塊を持っているかのように冷たく、
 いくら雪女の半妖だからといって大丈夫だとは言えない状況だった。
 

「チルノ博士を連れてお早く、いつ紅魔の追手が来るとも限りません」

「――信用できるみたいだな?」

「もし、私が紅魔の者なら先程の魔法をチルノさんでなく、貴女に向けていたでしょう」

「……わかった。橙、ちょっと手伝ってくれ」

「はいっ!」


 橙は頷き、魔理沙に次いで急いで半壊した飛行機の貨物室へ走る。
 魔理沙は変身し、壊れて半開きになった貨物室を広げ、自分達の荷物を探し当てる。
 その間、小悪魔は耳に手を当て、ぶつぶつと何か呟く(テレパシーの一種だろうか?)と霊夢の方へ向き直る。


「近くに迎えの飛空艇を用意しています。回収ポイントまで移動します」

「……準備がいいのね。その回収ポイントまでは距離はあるの?」

「森の木々が邪魔してここまでは来られないため少し離れたところです。
 パチュリー様にも紅魔には内密でチルノ博士と接触しなければならない事情があったので、
 今は時間が無いため着いてから色々お話します。まずはチルノ博士の治療が最優先事項ですので」

 使い魔である小悪魔だけなら召喚できるが、チルノ達全員を移動させるには魔法陣だけでは無理らしく、
 時間も無い事から飛空艇を寄越したらしい。


「――それでは、ご案内致します」














 ――場所は白玉楼。


 白い世界に佇む小さな屋敷に訪れた来訪者は黒ずんだ桜を愛でると。
 お茶を啜り、静かな世界に耳を傾ける。

 ゆったりとした和服に艶やかな黒髪を垂らしたその少女と女性の中間のような妙齢の女は、
 目の前に正座をし、頭を下げて報告する自分の部下に尋ねる。


「首尾は?」


「厳しいと言わざるを得ません」


「まぁ、順調にはいかないでしょうね」


 そう言って、ゆっくりと再びお茶を啜る蓬莱山 輝夜は一息吐く。

 日本国皇族 第一姫 蓬莱山 輝夜。
 日本は現在民主主義を唱え、政党制を取ってはいるがそれは表向きな話だ。
 実際の権力、財力を握るのはこの目の前の人物。
 はっきり言って矢面に立たされる政党に実質的な権限は無い。
 国の舵取りを任すにはあまりにも愚かな烏合の衆に権力を与えるわけにはいかない。
 政党が幾つか有り、与党と野党がいくら逆転しようとも国の政策になんの影響も無いからだ。
 表立って独裁制を取れば、昔ならいざ知らず現代の日本では色々とやり辛い。
 最近では政党の中にも妖怪やら、混血である半妖の類が紛れ込んでいるという報告も来ている。
 現在の総理大臣も力を持つ化狸であり、輝夜は信用してはいない。


 定期的に情報を聞くためにわざわざここへ通うのはここが日本で最も安全な場所だからだ。
 日本政府直轄御庭番を指揮する西行寺家、その地下白玉楼。
 外界からの情報から閉ざされた空間は完全な別空間であり機密情報が漏れる事は無い。
 妖怪に襲われたとしても、御庭番……通称、『庭師』と呼ばれる戦闘集団の総本山であるここより安心できる所は他には知らない。
 机の上にはうず高く積み上げられた報告書の山。
 西行寺 幽々子は正座をし、下げていた頭を上げる。


「報告書にありました通り、現在の紅魔の影響は全世界に及び対抗できる組織も次々壊滅しております」


「この世界は終焉に向かっている、という事か……難題ね」


 バァッ、


 蓬莱山 輝夜は腕を振るい、机の上の報告書を打ち払う。
 紙が桜吹雪のように舞い、机から崩れ落ちる。
 その様子を、表情を変えず見つめる幽々子に輝夜は言い放つ。


「こんな事を聞きに私は白玉楼に来た訳じゃないのよ! 
 貴女も西行寺ならわかるでしょうね?」


 輝夜の一喝に幽々子は頭を再び下げ、懐より一枚の封筒を取り出す。
 既に心得ていたとばかりに差し出すそれには、きっと輝夜の望む者が調べ上げられた情報と写真が同封されている。
 隠すつもりはない。
 ただ手順は踏まなければならないと幽々子は考える。
 例えそれが茶番だとしても……、


「――恐れながら申し上げます」


 封筒を受け取り、それを開いた輝夜は先程とは一転しみるみる愉悦を浮かべ、その一枚の紙を見入る。
 待ち望んでいた者は現れた。
 この国の、いや世界の将来を憂える者として確認したかった事だ。
 時間は有限だ。
 自分も然り、また世界も然り。
 ……間に合ったと輝夜は感じた。
 




「チルノ・ホワイトロック……これがこの世界の答えか……」











 荒い呼吸を繰り返すチルノを見て、霊夢は小悪魔の飛空艇に運ばれる時間がとても長く感じられた。
 普通の医者に見せた所で原因などわからず、悪戯に時間が過ぎるだけだろう。
 こういう事態に対してまったくの素人である自分が幾ら考えたところで、役立つ解答は得られない。
 思わずチルノを抱き締める腕に力が入る。
 未だ冷え切っているチルノは抱いているだけで凍傷になりそうな体温を有し、うなされるように汗が流れる。

「まだ……まだ、着かないの?」

「もう少しです。ご辛抱を……」

「霊夢……チルノが心配なのはわかるが、それを訪ねるのは何回目だよ。落ち着こようよ、な?」

「わかっているわよ。そんなの……わかっている……」

「霊夢さん……」


 チルノの容体も心配だが、直ぐ横で見つめる橙と魔理沙は霊夢の事が不安でたまらない。
 霊夢が抱き締め、チルノの青い髪を撫で、橙がタオルでチルノの汗を拭う。
 魔理沙は落ち着かないように窓の外を忙しなく見る。
 
 紅魔からの追手はどうやらないようだ。
 グールの接近もレーダーを見る限りない。
 そして、ようやくと言っていい時間が過ぎ小悪魔が霊夢達に待ち望んだ言葉を発する。

「着きました」

「えっ!? どこ? 図書館って言うからでっかい施設かなんかだと思ったが普通の街並みだけど……地下にあるとかか?」

「違います。真上をご覧下さい」

 小悪魔の指し示す方向。
 そこには巨大な質量をどうやって維持しているのか理解できない建造物が空中に浮かんでいた。
 空中の大要塞といった方がしっくりくるそれは霊夢達の想像を絶する大きさだった。
 地面から抉り取られるように巨大な岩盤の上にそびえ立つ厳かな神殿は、神が宿っていても不思議ではない光りを放ちそこにあった。




「――ようこそ、聖ヴワル大図書館へ」



















―第四十四話 「クロス×クロス」、完。



―次回予告。
≪偶然にも似た出会い、
 必然にも似た別れ、
 私の悲しみの延長線上にそれはある。

 この道が一足となり、
 この足が道と成るかもしれない。
       
 次回、東方英雄譚第四十五話 「ロンドン(終点)」 ≫






[7571] 第四十五話 「ロンドン(終点)」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/04/11 11:04



 赤い陽射しが神殿を照らし上げる。
 日没を間近に控えたオレンジ色の世界の中、チルノは目覚める。
 見知らぬ天井、空気、寝ているベッドは小さな身体には大き過ぎる程だ。
 ここは何処だ。
 今は何時だ。
 周囲を見回すと見知った顔を視界の隅で見つける。
 肩にかかる上着が少しずれて寝言を呟く少女は疲れ切っているのか起きる気配が無い。
 チルノは身体を起こし、その少女に声を掛けようとする。


「霊夢……?」


 しかし、少女に掛けた声は自分の声かと間違う程、か細く弱い。
 伸ばそうとした手の動きは鈍く、体が自分の意識が追いついていないかのように動きが悪い。
 ……え?
 ズレている。
 そう感じる自分の感覚は正常のはず。
 なら、これは一体どうした事だろう。

「起きたようね……」

 そう言ったのは霊夢ではなかった。
 首だけ動かし声のする方へまわすと、そこには紫色の髪をした少女がいた。

「そうか、貴女がパチュリーか……」

「初めまして、チルノ博士。長旅で疲れたようね。よく眠っていたわ」

「何日?」

「三日程かしら……思いの他早く目が覚めたみたいだけど、まだ体は十分ではないでしょう」

「世話になった、ありがとう」

「こちらが巻き込んでしまったようなものだから、こちらの方こそ謝罪するわ。
 それより、お礼なら貴女の連れに礼をいいなさい。入れ替わり貴女の世話をしていたんだから」

「私の体はどうなったんだ?」

「それは……」

 パチュリーが声を発した時、話声で目覚めたのか霊夢が身じろぎする。
 ゆっくりと起き上がり、霊夢は小さな欠伸をする。

「え、チルノ!?」

 欠伸をしたままチルノと目が合うと霊夢が驚きの声を上げる。

「おはよう霊夢、心配かけてごめん」

「うん、うん……本当よ……もう」

 少し涙ぐんだ霊夢の声を聞き、チルノは「ごめん……」と再び謝る。

「待ってて、すぐ魔理沙達呼んでくるから!」

 そう言って部屋を飛び出して行く霊夢。
 遅れて部屋の扉が閉まる音と共に静寂が部屋を包む。







「……下半身不随、そうでしょう?」





「……残念だけど」



「……そう」



 パチュリーがチルノの体をゆっくり起こしつつ答える。
 違和感があった。
 体全体の感覚が鈍い、特に足の方は何の反応も帰って来なかった。
 体を起こそうとしても、足に力が入らないためうまく起き上がれない。
 腰より下が……重い。

「墜落の衝撃で脊髄を損傷したのか、それとも力の暴走によるものかはわからないわ。
 上半身は動くようになるでしょうけど……足の方は……」

「わかった……まだ霊夢達には――」

「伝えてないわ」

「……ありがとう。少しだけ私達に時間をくれないかしら?」

「待つわよ。こちらの話も済んでないしね。話はチルノが起きてから聞く、の一点張りで……」

 ウィンクし、パチュリーは部屋を後にする。
 それと入れ替わりに魔理沙、橙が部屋へ飛び込んで来る。

「ようやくお目覚めか! 心配したぜ、まったく……」

 魔理沙はチルノが目覚めた事が心底嬉しいのか笑顔でチルノの具合を聞いてくる。

「橙、どうしたの?」

 魔理沙と話している間ずっと黙り込んでいた橙が恐る恐るチルノへ顔を向ける。

「私……その、あの……謝りたくて……ずっと謝りたくて、飛行機落ちたの私の所為、なんです。
 私が倒したグールがエンジンに巻き込まれて、それで……」

 再び顔を俯け、徐々に涙に濡れる声で橙は言葉を紡ぐ。
 あの後、霊夢達からか聞かされたのだろう。
 色々問題があったにしても飛行機が墜落した主要因は左翼のエンジントラブルによるものであると、
 それでずっと橙は自分を責めていたのだ。
 飛行機が墜落したのは自分の所為だ、チルノが危険な目にあったのも自分の所為だと。
 顔を俯けたまま鼻をすする音が響き、橙の小さな肩が震える。

「橙……」

「……ぐすっ……はい」

 袖で顔を拭い、顔を上げチルノを見る。
 拭ってもすぐ涙が頬を伝い、鼻が赤い。
 チルノは近くに来るように言うと橙は黙ってそれに従う。

「橙、私の右手を握ってくれないか」

「……はい」

「そのままでよく聞いて、霊夢と魔理沙も……」

 チルノは話始める。
 自分の体の事を……。
 自分は下半身不随の状態で戦闘にもう参加する事はできないということを。
 三人は息を飲み、チルノの話を聞く。
 橙は大声で泣き出したい、この場から逃げ出したい気持ちを抑え、チルノの右手を握ったまま黙って聞く。

「橙、君を追い詰めるつもりはないんだ。だけど、聞いて。現状で私が動けない  今、橙と霊夢と魔理沙に頑張ってもらうしかない。
 こうしている間にも何時また紅魔襲かかって来るかわからないから……」
 
 チルノの話が終わり、場が静寂に包まれる。
 そして、

「ごめんなさい……ごめんなさい……ごめんなさい……」

 ついに耐えきれず橙が泣き出す。
 辛かった。
 こんなやり方しかできない自分の不器用さに、
 橙と繋いだ手は、橙の力なら振りほどくことなど簡単にできる。
 だが、そうはしない。
 橙は手を繋いだまま、もう片方の手を服の裾を掴み、顔を俯ける。
 魔理沙も霊夢もどうしていいかわからず、佇んでいる。
 本当はこういう話は皆にしたくなかった。特に橙には……、
 自分は大丈夫だと言い、嘘をつくこともできる。
 だが、それが何になる。その場しのぎの誤魔化しなど何の役にも立ちはしない。
 しかし、それは自分の自己満足だ。
 今は紅魔との戦争中だ。問題が発生し、情報の伝達が遅れる事で逆に皆が危険になるかもしれない。
 それは絶対に避けなければならない。

 スウゥ――、
 ほんの少し力を使い、橙と握った手の体温が下がる。
 急激な温度変化に驚いた橙が泣きやみ、チルノを見る。

「橙、これを……」

 そう言ってもう片方の手で指差したのはベッドの横の棚に置いてあるチルノのベルトだった。

「でも……私、受け取れません。そんな資格ないし……」

「私にはもう必要ないから、それに資格があるかどうかは私が決めたわ」

 橙は……霊夢と魔理沙を見る。
 二人は頷き、異論を唱えない。
 そしてチルノを見て、チルノも橙を見る。
 このベルトを受け取るという事はチルノの精神も受け取ることだ。
 もう自分の一人の戦いではすまされない。
 決めたのは……自分だ!

 橙は涙を拭い、ベルトをしっかり掴んだ。
 それを見て満足そうに頷いたチルノは握っていた手から力が抜ける。


「え、チルノさん!?」


「……大丈夫よ。少し疲れただけだから。少し眠らせて……」
 

 このまま永遠の眠りってわけじゃないからと意地の悪い冗談を言いチルノは深い眠りに落ちた。










「ふわぁ~、」
 
「文さん、欠伸出すぎですよ」

「そんなこと言ってもねぇ。流石にここまで運転はきつかったんだから」

 文と椛は九州に来ていた。
 深い森の中を少女達は雑談を交えつつ進む。
 椛は力を封印し、人間の姿のままだが文とは体力が違うため山道を簡単に進んでいくのに対し、文は遅れ気味で休憩が多い。
 二人がこの時期にわざわざ九州へ来たのは単なる旅行ではない。
 ある人物に会うためだ。

「諏訪子様もけっこういい加減ですね。九州のどっかの山にいると思うからなんて……広すぎでしょ」

「これで椛の千里眼がなければ無理な話よね」

 ――事の経緯は三日前に遡る。
 諏訪子が思い出したかのように一人の人物の名を挙げたのだ。
 『黒谷ヤマメ』
 彼女? は土蜘蛛という妖怪の頭領だったらしいがそれは数百年前の話で今はどうしているかわからないらしい。

『音信不通だね。何回か文通したんだけど面倒臭がりで、私も飽き性だったから長くは続かなかったよ』

 ――らしい。
 昔の住所を訪ねてはみたがやはり、もぬけの空でこうして椛の能力を駆使して探しているわけだ。
 単に文通友達が今どうなっているのか知りたいわけじゃない。
 戦力になるからだ。
 彼女と直接戦ったことがある諏訪子が言うに――、

『あの子は強いよ。そして厄介な能力もあるし、味方になってくれたら心強いよ。
 それに文通の最後のやりとりで結局帰って来なかった内容が気になって、気になって……』

 ――らしい。
 まぁ、そんなところだ。
 問題は顔がわからないからだ。
 写真でもあればよかったが、情報と言っても諏訪子が思い出し思い出し話した特徴くらいで、
 女性で、金髪、身長は私より少し高いくらい、リボンはしてたかな? 程度だ。 服装なんて変わるし背格好も妖怪によっては成長する種族もいる。
 近道はそれっぽい妖怪と出会い、話を聞くことだ。
 気の長い話になりそうだが、諏訪子が一押しする人物だ。会ってみても損はないと椛は考える。
 時間は昼をまわる。元々山の妖怪である椛はなんてことない強行軍だが、文はへばった。

「山なんて楽勝よ! 特にダウンヒルで私に敵う奴なんか……」

 それは走り屋の話だ。しかも下りの話だし……、
 山登りは予想以上の体力を使う。
 千里眼でここらへんかな? とあたりをつけて探すため無駄はなるべく省いているが、
 連続で山を登っては降り、登っては降りの繰り返し流石に疲れたのだろう。
 そもそも文の目的は他にある。
 九州地方でのグールの情報だ。
 知り合いの記者から情報を得ていたようだが最近連絡が取れなくなり、心配していたのだ。
 山が多い九州だ。グールが隠れるにはもってこいの場所だろう。
 だが、以外にもグールの数は少ない。もっと山に犇めいているかと思ったらそうでもない。
 たまに見つけ、即椛が切り伏せるがまるで鹿に出会うぐらいの確率でしかない。


「文さん。もう少しですよ」

「はぁ……はぁ……りょーかい」

 先に行っといてとは言えない……怖いから。
 まだグールが少ないとは言え一人では、いざ戦う――なんて無理だ。
 それにこういう時に限ってエンカウントするに決まっている。記者の感がそう告げる。
 恐怖映画でも仲違いしたもの、一人になった者から退場して行くことになる。俗に言う死亡フラグだ。
 それは何が何でも避けなければならない。記者の感がそう告げる。
 それが射命丸 文の処世術だった。
 普通の女の子である文にとって、その感はあながち間違ってはいなかった。
 現に記者という危険度の高い仕事をしているにも関わらず無事でいるという実績があった。

 そして、椛と文は山の中腹の平野に小さな山村を発見する。
 いわゆる隠れ里というやつだ。妖怪の……、
 椛の住んでいた山も天狗や河童達のように同じ種族で共同体を作る者達も居た。
 それと同じ雰囲気を感じた。

「待て! そこの二人」

 村の入り口で椛と文は呼び止められる。
 こういった集落はよそ者には閉鎖的である。
 文は人間だが、まだ変身していない椛の微かな妖気を感じ取ったのだろう。
 見張りの二人が椛達を取り囲むように警戒する。

「怪しいものではありません! 私達は守矢神社祭神、洩矢 諏訪子より遣わされました。
 私は射命丸 文、この子は白狼天狗の犬走 椛です。
 黒谷ヤマメ様にお目通りを願いたく……」

「何!? 守矢の……何か証明できるものは?」

「これを……」

 そう言って椛は何かを取り出し、見張りの男に渡す。
 男は矯めつ眇めつ見て、再び椛達に目を見つめると、

「しばし待て」

 そう言い残し、椛から渡された物を持ち村の奥へ走って行った。
 それを見た後、文はもう一人の見張りに聞こえないように小さな声で椛に尋ねる。

「……椛、何を渡したんですか?」

「護符です。諏訪子様に頼まれた時これを持って行けば話が早いから、と」

 椛が渡されたのは守矢神社の護符に諏訪子の神力を込めた物だった。
 通行手形の代わりとして渡されたそれは椛達の身分を証明するのに役立つ。
 神力と言っても神によってはその力の質も違い、当然込められた護符にもその力が宿る。
 その神を知る者が居れば護符に触れるだけで、どこのどの神が作った護符であるとわかる。指紋と似たようなものだ。
 後は諏訪子を知っている者が居れば、すんなり通るはずだ。
 待っている間。村の様子を見る。
 閑散として活気が無く、やけに人数が少ない。
 皆家の中にいるのだろうか?
 それか、よそ者の存在に警戒しているのか……、
 ――しばらくして、先ほどの男が戻る。その男は一人の老人を連れて来た。

「確認が取れた。ようこそ土蜘蛛の里へ」

 そう言って、男は仰々しく頭を下げ通行を許可する。
 さっきの威圧的な雰囲気と全く変わり、丁寧な対応に少し驚きつつも文達は顔を見合わせる。
 そして、すぐに顔を上げると同時に老人が文達に笑顔を向ける。

「こちらはこの村の長老……ヤマメ姐さ……頭領の祖父にあたる方です」

「諏訪子様とはまた懐かしい名前じゃの。
 昔はよく里にも遊びに来てくれたんじゃが……元気そうで何よりじゃ」

 カカカ、と笑う長老は諏訪子とも知り合いらしくヤマメの代わりに護符を確認したのもこの人だった。

「射命丸殿、犬走殿、遠路はるばるご足労願い申し訳ない。
 しかし生憎ヤマメは現在外出中でな、何時戻るかわからないんじゃ。
 当分の滞在を許可するが……」

 現在、土蜘蛛達の頭領は黒谷ヤマメのままだが、ヤマメがいない時実質の権力者はこの老人だった。

「こちらもなるべく早く会いたいのですが……、
 一体どこへ行かれたか差し支えなければ教えていただけませんか?」

「麓の人間の街です」

「あ、何だ。それなら……」

「行かれない方が良い。危険じゃからな……」

「どういうことです?」

「今この村は人間達と戦をしている。いや、正確には人間に擬態した化物達と……」

 













 ――街は支配されていた。
 それは緩やかに静かに行われた。
 人は寝ている間に、仕事や学校の合間に、遊んでいる時に……、
 じわじわと零れた液体が紙染み込んでいくようにそれは起こっていた。
 誰も気づかなかったのか?
 気づくものはいた。
 だが、気づいた瞬間ソレを化物だと判断する脳は食われ、言葉を発し悲鳴を叫ぼうにもその口は既に化物の胃の中だった。
 親が、兄弟が、友人が少しずつ少しずつ入れ替わられていった。

 そして、街には人間がいなくなった。


 だが、街は死ななかった。
 人間がいなくなり街の機能は停止せず、そのままだった。
 入れ替わった化物が化けた人間と同じ動きをして日々を過ごした。
 そして、虚ろな表情の人間の数が日を追うごとに増えて行き、
 次に主要な交通機関を通じて、ソレは『感染』していった。




「……時間だ。もうあいつ等は無事逃げたか……」


 黒衣の少女は深呼吸をして、ビルの谷間にゆっくりと身を躍らせる。
 ビルとの間の隙間風が体を煽り、小さな浮遊感と引き寄せられる重力が心地良い。
 ようやく辿り着いた地面スレスレで少女は伸ばされたゴムの反動を使うように急速に飛んだ。
 腕から伸びた白い綱がビルに付着し、少女の体重を支え引きつけた。
 まるでターザンのように次々と白い糸を出し、ビルの隙間を縫うように進む。
 その様子を下界にいる人間は虚ろな表情をして目で追うだけ。

 その人間達の様子もいつもと同じなのかさして気にせず、
 何時も通り少女は虐殺を開始した。



















―四十五話 「ロンドン(終点)」、完。



―次回予告。
≪真実など得る事は不可能だ。
 真実は常に霧に隠されている。
 手を伸ばし、何かを掴んでもそれが真実だと確かめる術は決して無い。

 なら……真実を求める事に何の意味がある?
 目を閉じ、己を騙し、楽に生きていく――、
 その方がずっと賢いじゃないか?
       
 次回、東方英雄譚第四十六話 「迂闊な月曜日」 ≫



[7571] 第四十六話 「迂闊な月曜日」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/05/07 15:09



 時間は常に有限だった。
 考えもせず怠惰に過ごし――、
 ただ呼吸する日々が鬱陶しく感じ――、
 重力に身を任せた体はとても億劫だった。

 
 


                       ――以上。









「しっかし、人が多いな~」

 魔理沙は人混みにのまれつつ愚痴る。

「仕方ないですよ。朝の通勤ラッシュですからね……それよりも魔理沙さん、学校は?
 ちなみに休みは昨日までですよ」

「有給」

「確かに一度は言ってみたい学生さんのセリフですけど……」

 既にロンドンに来ている時点で学校は諦めていると言っても過言ではなかった。
 しかし、橙としては魔理沙の無事卒業できるかが心配でならない。
 出席単位という制度がわからなくても、やる事はやっている霊夢と比べ明らかに魔理沙は遊び過ぎだった。
 
「小悪魔さんが迎えに来てくれるまで、まだ時間はありますから……そうですね、
 まずは諏訪子様用のお土産を調達しておきましょうか」

 空中に浮かぶ図書館からは街に降りる方法は一つしかない。
 小悪魔に飛空艇を出してもらい買い出しに出かける。
 霊夢はチルノに付き添っているため、魔理沙と橙だけで降りて来た。
 目的は諏訪子のお菓子……は単なるオマケだ。
 日用品は小悪魔が調達しているので事欠かないが、

『アイスが食べたい……』

 チルノは橙にお小遣いを渡し、適当に買ってきてと頼んだ。
 お小遣いと呼ぶにはかなりの額だったが……、
 ここ数日ずっと図書館に籠りきりではストレスが溜まるだろうと、気を回してくれたのだ。
 確かに気分転換に外の空気を吸うのは良い事だ。
 本当は皆でロンドン観光したいところだが、そうもいかない事情になってしまった。
 チルノの気遣いに感謝し、せめて与えてくれた時間を楽しまないと、
 橙は決意を新たに精一杯楽しもうと拳を握り締める。

「なんだ橙? そんな怖い顔をして」

「ヒャッ、冷た……」

 いきなり頬に押しつけられた缶ジュースの冷たさに驚きの声を上げると、魔理沙すぐ横でニヤついていた。

「金はある、時間もある、口実もある。何を迷う事がある?
 神はこう仰せられた、『遊べ』と!!」

「魔理沙さんはすごいですね」

「何だよ、皮肉かよ」

「違いますよ。尊敬しているんです。普通の人はさぁ遊べと言われて、いきなり準備万端な人……そうはいませんよ」

「やっぱり皮肉じゃねーかよ。いいか? 人生短し、遊べよ乙女と名言にもあるだろ?
 遊ぶ事に関して私は妥協しないだけだよ」

 そんな名言、橙は聞いたことはないがまた魔理沙の即興なのかもしれない。
 いい加減慣れてきた橙にとって魔理沙の言いたい事もよくわかるというものだ。
 ……真似はとてもできないが、

「一分悩めば、一分遊べなくなる。これが世の理、真理。OK?」

「は、はぁ」

「あぁ~ッ、もう! ノリ悪いな、ならこれならどうだ? チルノに何か買って行ってやればいいじゃねぇか。
 お礼でも、お詫びの品でもなんでもいい。形にすれば納得するだろ、お前も」

 そう言って、橙の首から下げているパッチン財布を指差す。
 中に入っているのはチルノのお金だが、魔理沙には関係無い。
 チルノから預かった活動資金は何かあった時のため半分ずつ持つようにしていた。
 この時、『何か』とはスリ等の防犯対策に関してという意味合いでは無く、魔理沙に託すと単純に不安だからという事に過ぎない。
 霊夢からも街へ行く時、魔理沙に金を預けてはダメと念入りに言われたためだ。

「さぁ、決まったらとっとと行くぞ!!」

「ま、待って下さいよ、魔理沙さ~ん!」

 橙は帽子を押さえつつ、ずんずんと先を歩く魔理沙を必死に追いかけた。














「話はわかったよ。洩矢諏訪子」

「そうか、話が早くて助か――」

「だが、断る!」

「はぁ!?」

「あっはははははは!! 言ってやった! 私、言ってやったわ衣玖!!
 見た? 今の顔、超おっかしい~!!」

 『衣玖』と呼ばれた長身の女性は大笑いする主人にため息をつき、呆れたように帽子の鍔に指をかける。
 永江衣玖はリュウグウノツカイという妖怪である。
 数千年の時を生きた長寿の妖怪は洩矢諏訪子に匹敵する知識と経験と実力を持つ、まさしく大妖だ。
 それが何故このようなうつけ者が主人でその従者として従っているのか諏訪子には大いに謎だった。
 それにも理由がある。
 代替わりをしたからだ。
 先代のこの地を治めていたこの馬鹿笑いしている娘の父親だが名君として皆の尊敬されていた。
 高齢なのもあるが娘に早くから経験を積ませたい理由もあるのだろう。
 自分は隠居し、口を出さないと決めたらしく自治権の全て娘に委譲した。
 要は親の七光りでその立派な椅子に座っているのだ。
 比那名居家は落ち目だ、間違いなく。
 諏訪子はそう確信した。
 だが、単なる馬鹿がこの地を治められる訳が無い。
 そうでなければこの広大な土地を任せられる訳無いのだ。

 代替わりしたのが数年前。
 僅か数年の差でこれほどやりづらくなるとは……、
 諏訪子は相対して失敗したと思い、対話をして更に落胆した。
 見た目通りの馬鹿だったからだ。
 諏訪子は何気なしに衣玖と呼ばれた女性を見る。
 彼女は空気を読んだのか眼で会話をしてくる。

『すいません。主が見た目通りのアレで……気になさらないで下さい』

 諏訪子もここで引き下がる訳にはいかないのだ。
 東北、北海道を治める比那名居家の協力は必要だと諏訪子は判断したのだ 。
 比那名居家は人間の家系だ。
 だが、普通とは違う特殊な力を代々受け継いでいる。
 『大地を操る程度の能力』
 かつて未開の地だったこの北の大地を耕し、治め、安定させたその力で豪族の時代から朝廷に認められこの地を任されてきた。
 その血が地を治め、その力が比那名居家を絶対的な権力者として不動のモノとしたのだ。
 そして、現在。
 その力は『比那名居 天子』という現象となって諏訪子の目の前にふんぞり返っている。

 いい加減、諏訪子の我慢も限界に来ていた。
 後、もう一歩。
 土足でそのアホ面で私の心に入ってきたら……、



「しっかし、あの守矢神社の祭神が自ら出向いて来るとは流石の私もびびっちゃったよ。
 でも、安っ心した~! こんなにちんまいんだもん。肩の力が抜けたっちゅうか、リラックス?」


 ほーら、きた。
 キレちゃったよ、私。


「フザケるなてめー! この口か!? この口が発音したのか? もう一回言ってみろゴゥラッ――!!」

「ふひぃたい、ふひぃたい。ひゃふぅけて~いふ~!!」

 諏訪子はブチ切れ、椅子で足を組んでいた天子に飛びかかるとその餅のようなほっぺを思いっきり引っ張った。
 涙目で隣に立つ衣玖に助け求めるこの地の王に威厳は無かった。
 その王に本気で切れる諏訪子にも当然カリスマ性は皆無だった。
 この豪華な調度品をあつらえた部屋にそぐわない三人のやりとりは見る者が居なかった事に感謝だろう。
 衣玖は再びため息をつき天子に絡み付いている諏訪子を引き剥がしにかかった。
 動作は単純明快。
 諏訪子の背後に回り込み、せーのっ、で思いっきり引っ張る。

「痛っ!? 痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛痛!!」

 頬を引っ張られたまま悲鳴を上げる天子。
 それもそのはず、諏訪子の力は本気を出したら岩も砕くぐらい握力がある。
 その神の両手が天子の両頬をまるでトラバサミのようにガッチリつかんで離そうとしない。
 搗きたてた餅のようにみょーんと伸びる天子の頬はそのまま破けるんじゃないかと思うほどだ。
 流石に流血事件はマズイと思ったのか、諏訪子が妥協した。
 要は手を離しただけだが、引き伸ばされた頬がゴムのように一瞬で戻り少し赤く腫れていた。

「うぅ~痛い……ぐすっ」

 何故か恍惚な表情で両頬を押さえて涙眼の天子に、私は悪くないと表情で物語る諏訪子。
 膠着状態になった空気が切れる時が来た。
 すっーと差し出されたタオルが天子に渡される。

「ありがとう衣玖。あ~冷たくて気持ち良い!」

 流石空気の読める従者。
 渡された冷えたタオルを赤くなった頬にあて、天子の表情から苦痛が和らぐ。
 この衣玖と呼ばれる妖怪。
 賢く、要領良く、よく気がつくのだが何故かポイントがズレているというか……、
 今はそういう事じゃないだろうって、それでいいのかって……諏訪子は葛藤した。

「結論!! 却下、拒否、駄目。残念ながら協力できません。ちゅーか協力したくないし、
 衣玖、お客さまがお帰りだよ。出口はあちら、お土産はないからね」

 そう言って出口のドアを指示し、手を振ってさよならしようとする天子に諏訪子は本気で八つ裂きにしてやろうかと思った。
 これが一国一城の主の対応か?
 殺気の放つ諏訪子にその突如、強烈な視線を感じた。

「……わかっているよ」

 諏訪子が掌を広げ、腕を上げ攻撃の意思が無い事を示すと同時に重く圧し掛かっていた視線が消える。
 天子はその視線に気づかなかったのか、「うん、何か言った?」と諏訪子の独り言と考えたようだ。
 視線を放った人物は何事もなかったかのように天子の隣で目を閉じ、天子の横に立ったままだった。
 諏訪子が僅かにほんの一瞬発した殺気を敏感に感じとったという事か……やるね。
 ここで一戦構えてもメリットは何も無い。
 出直した方が良さそうだと判断した諏訪子が部屋の出口へ向かうその時――、


「失礼します! 総領娘様、大変です!!」


 一人の従者らしき男が大慌てで部屋に飛び込んできた。

「何事? 騒々しいわね……この忙しい時に」

 天子は欠伸をしながら面倒臭そうに男を見て、尋ねる。

「化物が現れました!!」

「数は?」

「およそ二十……」

 さして驚いた様子も無く、天子は大欠伸をして背伸びをすると、

「行きますか、面倒くせぇ……」

 ぶつぶつと愚痴を溢しながら男について出て行った。
 諏訪子は驚いた。
 てっきりやる気ないから衣玖に行かせるとか他の者に頼むとばかり思っていたら……、

「一応やることはやるんだ……」

 苦笑しつつ立ったままの衣玖を見ると、衣玖が目線で会話してくる。

『主はいつもああなのですよ。よかったら見物に行かれてはどうです?』

 微笑み、天子の出て行った方を指し示す衣玖に、諏訪子は答える。

「後……総領娘様って? 今のこの地を治めているのはあいつだろ?」

 総領娘……総領主の娘という意味だが、実質の領主は天子であるはずだ。
 話では前の総領主である天子の父は隠居したという事だったはず。

『言葉通りの意味ですよ……』

 彼女は空気を読んだのか眼で会話をしてくる。

『代替わりして間も無い事もあるのですが、皆が皆主を総領主であると認めてはいません。
 表面上は従っているように見えますが、皆主を呼ぶ時はあくまで『総領娘様』です』

「色々、大変なんだな」

『主もそれを咎めようとはしません。呼び方なんて相手が呼び易い呼べば良いと……。
 自然に総領主と呼ばれる日が来た時、本当に自分が皆に認められた日だと』

「へぇ、あのお嬢様が殊勝な事を……」

『いえ、今のは私の私見です。そうだったら良いなって……』

「希望的観測ッ!?」

 諏訪子は半ば呆れ、天子が出て行ったドアを見つめる。

「手伝いはいらないってことか、恩を売るチャンスだったのに……まぁあいつの戦いぶりでも見学させてもらおうかね」

 冗談を言いつつ、諏訪子は天子の後を追った。
 衣玖と共に天子に付いて行くと
 屋敷の外にヘリポートが設置してあり、そこには予想もしないものが置いてあった。

「攻撃ヘリかよッ!!」

 諏訪子の突っ込みが誰ともなしに入る。
 それだけ驚いていた。
 普通、輸送ヘリってもっとこうでーんとした……。

「普通の輸送ヘリじゃ機動性に欠けるのよ。のんびりしてたら落とされるからね。
 大丈夫、ちゃんと使いやすいように改造してあるから。それで乗るの? 乗らないの?」

 天子が挑発的な目で諏訪子を見る。

「乗るって言ったって……どこに? これ二人乗りじゃ」

 操縦席には既に天子の従者らしきパイロットが計器をいじっている。
 座る場所といったら、前にある複座しかないが……、

「押し込めたら入るわよ。幸い諏訪子様はお小さいし……」

「てめぇ、後で覚えていろよ」

 諏訪子が祟り殺してもおかしくない睨みを利かせ、耐えた。
 今から戦いに行く身、無用なダメージは自重したのだ。
 自分の優しさに自嘲しつつ、天子には軽い肩パンでスキンシップを図る。

 ちなみに『肩パン』とは、
 肩にパンチを繰り出し面白がるお茶目な行為の事。
 ルールは簡単だ。
 受け側は相手に任意の腕を向け、脇や肘を曲げるなど上腕筋を始めとする上腕筋群、上肢帯筋等を誇張させるなどの措置を取り、
 肩から上腕部、さらに全身へと伝わる衝撃に備える。
 お互いに準備が整った段階で、今から打撃を与える旨をお互いに確認した後、
 打撃を与える側は渾身の力を込めて相手の差し出した側の上腕部に向かって拳を突き出し打撃を与える。
 打撃を受けた側は、極力体勢を崩す事なくその場に踏み止まり、全ての衝撃を吸収することで自身の屈強さをアピールする。
 ここで重要な事はこの時、必要以上に相手の筋組織を破壊する可能性を持つ拳の作り方を行うのは、暗黙の禁止事項・・・・・・となっている。
 そして……特に対象が「肩」であることから外傷の発見が困難でもあり、また地味 でありながらも激しい痛みを伴うものでもあること等から、
 ただのじゃれあいに留まらない『IJIME』としても指摘されている。

 だからどうだ、というものでもない。洩矢 諏訪子の一口メモだった。
 そうした貴重な時間を経て、諏訪子と天子は仲良く座席に納まった。















 最初に気づいたのは橙だった。
 帽子に隠した耳がざわつき、微かな違和感に気づく。
 横にいる魔理沙に耳打ちするように小声で話す。

「魔理沙さん……」

「あぁ、私の相棒も気づいたみたいだ。グールだな」

 買い物もまだ半ば、手には幾つか荷物を持ち商店街を歩いていた魔理沙と橙は足を止める。
 周囲を警戒するがグールの影は見当たらない。
 人込みに紛れている可能性を考慮する事から飛行機であった。人間に化ける種類のグールかもしれない。
 魔理沙が周囲を警戒して気になるサラリーマン風の男を見つける。
 動きがどことなく虚ろで、顔色が悪いのか生気が無い。
 その雰囲気が飛行機であったグールに似ていたため魔理沙は確信した。

「橙、これちょっと持ってろ。片づけてくる」

 魔理沙は自分の手に持った紙袋を橙に渡すと、橙は不満そうな顔をする。

「私も行きます!」

「そんな大荷物じゃ走れないだろ? 
 ここに置いて行くわけにもいかないし、大丈夫見たところあいつ一匹みたいだし
 妖気レーダーも反応していないから、近くに妖怪が潜んでいる可能性はない。
 ここじゃ騒ぎが大きくなるからうまく誘導して仕留めてくるさ」

 それでもまだ納得いかないのか橙は魔理沙にしぶしぶと了解の意を示す。

「せっかく買ったプレゼントが壊れたら嫌だろ? じゃあ、ちゃっちゃと行ってくるぜ!」

 そう言い残すと魔理沙は器用に人波をかき分けて進んで行った。

「魔理沙さん……」

 その時橙の心に何故か、不安が過ぎった。
 根拠はなかった。言うなら生物的な直観かもしれない。
 急に落ち着かなくなり、魔理沙が消えて行った方を見つめ続けた。


 ――ドンッ、


「えっ!?」

 橙の手に持った荷物が零れ落ち、倒れる寸前に手をついて体を支える。
 その後から英語で何か言われたが、橙は英語がわからない。多分罵倒を浴びせられたのだろう。
 故意にぶつかってきた感触でない事から、おそらくボーと突っ立ってるな等々……言われたのだろう。
 他の人に踏まれないよう急いで荷物をかき集める。

「ハイお嬢さん、落し物」

「あ、ありがとう――ございます」

 顔を上げると温和な顔立ちをした老婆が橙の落した荷物を拾ってくれていた。

「それとこれも」

 老婆の手に持った帽子が橙の頭に乗せられる。
 いつの間にか帽子も落としてしまっていたようだ。
 再び礼を老婆に言うと、橙はある事に気づいた。

「お婆ちゃん、日本語……話せるんですか?」

「友人に日本人が居てね。少しだけなら」

 その言葉を聞いて橙は嬉しくなった。
 海外で一人知らない街に取り残された橙にとって、例え一時であっても急に不安に襲われるものだ。
 どこか冷たい印象を受けるこの国の人達の中で、同じ日本語でしゃべりかけてくれてどれほど安心した事か、

「お譲ちゃん、どこから来たんだい?」

 魔理沙が帰ってくるまで、もう少しこの老婆と話していたいと橙は思った。













 静まり返った図書館の巨大な書庫、所狭しと並べられた蔵書量はまさしく世界一だろう。
 どこを見ても本の山、いくら整理されているとはいっても半端な物量ではない。

「来たのね……」

 魔女はそれだけ言うと閉じていた目を開く。
 椅子の状態で浮いていた彼女を取り囲むように本が空中で浮かび、独りでにページが捲られていた。
 そして最後のページに達した物から本が閉じられ、元あった場所へと帰っていく。

「速読にも限度があるわよ?」

 皮肉を言うチルノにパチュリーは微笑んで答える。

「時間はいくらあっても足りないは、こうして呼吸している間に世界で何百、何千と本は発行されているわ。
 まぁ、今紙媒体が少ないのが残念だけどね。味気ないから」

「同感ね」

 霊夢に車椅子を押されチルノは図書館の中央に来ると、吹き抜けの天井を見上げる。
 落ち着いた木の香りが古書の匂いと混じって独特な空間となっていた。
 空中に浮いていたパチュリーはチルノの正面にゆっくりと降りて来た。

「パチュリー、まだちゃんとお礼を言っていなかったわ。
 チルノを助けてくれて、ありがとう」

 霊夢は頭を下げる。
 それを手で制し、パチュリーはチルノの容体を聞く。
 霊夢が足以外は順調に回復していると告げるとパチュリーは嘆息し、

「そう、ではそろそろ本題に入ろうかしら……」

 チルノが頷き、話の先を促すとパチュリーはゆっくりと話し始めた。

「レミリア・スカーレットとは親友だったわ」

 パチュリーは昔話を子供に聞かせるようにどこか遠い目をした。
 いや、それはチルノ達から見た感傷だったのかもしれない。
 彼女は思い出すようにではなく、単なる記録を読み上げる様に感情を込めず、それでいてどこか悲しげに話し出す。
 パチュリーがスカーレット姉妹と出会ったのは16世紀頃、ちょうど魔女狩り全盛の時代だった。
 人間との諍いが絶えぬ中、彼女達がであったのは偶然だったのか、必然だったのか今となってはわからない。
 強力な吸血鬼であったスカーレット姉妹の父は人間を見下し、蔑み、自分より下等な種族であるとの主張を隠しもしなかった。
 人間に紛れて生活をする妖怪もいた中、次第に妖怪に対する憎悪の対象、象徴として彼女達の父は人間達に認識されていった。
 それが、後に自分だけでなく一族の首を絞める結果になるとも知らず、暴虐の限りを尽したのが仇となったのだ。

「レミリアは父親に似て傲慢で、不遜で、それでいて優しい……そういう子だったわ。
 妹をいつも大切にして、どこに行くにも一緒だった。
 彼女が変わったとしたら、そう……妹が死んだ時からよ」

「妹? レミリアに?」

 初めて知る事実にチルノと霊夢はパチュリーの話に聞き入る。

「フランドール・スカーレット、髪の色や羽は違ったけどレミリアと瓜二つの子がいたのよ」

「何で……死んだの?」

「本来、不死であるはずの吸血鬼が死んだ。この事実からわかるでしょ?」

「人間……」

 チルノは頭痛がするのか頭を右手で押える。
 既視感を感じる話に、否応なく思い出されたのだろう。
 吸血鬼の寿命は長い。永遠とも言われるほど生き、その生命力は強靭だ。
 滅多な事で死にはしないし、老いもない。
 あるとすればより強大な存在に倒されるか、人間か……だ。
 『人間』ある意味不思議な現象と言ってもいい存在だ。
 彼らは強靭な力を持つわけでもなく、生まれつき身体能力が高いというものでもない。
 特殊な能力があるかと言うとそうでもなく、寿命も精々百年足らずだ。
 だが、強い。
 種族としてだ。
 その証拠が今、世界を占めている生命の割合が示している。
 彼らは長い歴史の中、工夫し、常に高みを目指した。その結果として今の繁栄がある。
 それは誰もが異論を唱えない実績だ。

 そして、彼らは自分の種族を守るためなら、貪欲に残虐になれるのだ。どこまででも……、

「復讐、か……」

 チルノはそれ以上の言葉は続けられなかった。その行為を責める事はできなかったからだ。
 かつて親友を人間に殺され、復讐の炎に捕らわれた自分がいる。
 理屈ではないのだ。復讐は……、

「でも、紅魔が動き出したのは最近のはずよ。今までも私達の知らないところで人間とレミリアは戦っていたの?」

 霊夢が疑問を口にする。
 そして、その疑問は的を射ていた。

「そう、何故今なのか。それは彼女が復讐を考えていないからよ。
 レミリアが人間を恨む気持ちは当然あるわ。だけど、今彼女を突き動かしているのは別の理由がある」

「復讐ではない? なら何で……」

「彼女は最愛の妹、フランを復活させる気よ」

 パチュリーの言葉にチルノと霊夢は衝撃を受ける。
 現在、妖怪と人間が戦争をしているその中心、紅魔館がそんな理由で動いている事に、
 いや、だからこそか。
 一連の紅魔の行動がただ一点『フランの復活』にあるとしたら、

「……パチュリー、貴女レミリアを止めたいのね」

 チルノがパチュリーを正面から見つめる。
 パチュリーは目を逸らさず、力強い意志を持ってチルノを見つめ返した。

「魔術を研究しているとね、世界の真理に触れる機会が多いのよ。
 特に禁忌と呼ばれるモノにね……終わってしまった命は戻らない。決して、
 どんなに足掻こうとも、それはできてはいけない事なのよ」

 パチュリーが懐から何かを取り出す。
 取り出したそれをチルノ達へ見せるように手を広げる。

「これって、時計?」

 霊夢がパチュリーの手の中にある懐中時計を見つめ、あっと声を上げる。

「チルノ、これ!? 見たことある。確か紅魔の十六夜 咲夜ってメイドが持っていたやつと同じ物よ!!」

「私が作り、彼女に与えたのよ。今では……殺人の道具になっているけどね」

 パチュリーが悲しそうに懐中時計を見つめると、
ふわりと浮き上がりゆっくりと空中を移動してチルノの手に納まった。

「役に立つはずよ。時間を止めたぐらいじゃ、レミリアは止まらないでしょうけどね」

「ありがたく頂戴するわ。私達も紅魔を止めたいと考えているから」

「交渉成立ね」

 パチュリーが満足そうに頷く、今後チルノ達に協力してくれる事になり霊夢は心強い味方が増えて嬉しいと素直に喜ぶ。

「パチュリーも一緒に日本に来れば? 空中に図書館を造るぐらいだから結構敵に狙われているんじゃない?」

「何か勘違いをしているようね。私は今まで一度も紅魔から刺客が送られて来た事はないわ」

「え、じゃあどうして……」

「魔女の歴史はね。戦いの歴史なのよ『人間』とのね。ここに住居を構えたのも妖怪対策じゃない、人間を警戒していたからよ」














「すまないね、すっかり話し込んでしまって……お譲ちゃん一人かい?」

「友達と一緒に来たんですけど……ちょっと迷子になってるみたいで、エへへ」

 グールを倒しに行っていますとは言えないため、橙ははぐらかす様に答える。
 橙の言葉に満足したのか老婆は頷き、

「そうかいそうかい、困った友達じゃの……よいしょっと」

 老婆はベンチから立ち上がる。
 左腕の腕時計を見て、橙を見る。

「私はもう帰らなくちゃならないが、お譲ちゃんは大丈夫か?」

「はい、大丈夫です。携帯もありますし」

「そうか、なら安心じゃ……あ、」

 老婆は何もないような石畳の段差に躓き転ぶ、

「危ない!!」

 トンッ、

 橙は持ち前の身体能力で機敏に反応し老婆を受け止める。
 倒れるまでいかなかった老婆の身体を支え、一息つく。

「大丈夫……です、か」

「ありがとう、お譲ちゃん」

 橙は力が抜けたようにその場に倒れる。
 腹に鋭い痛みが走り、見ると小さなナイフが刺さっていた。
 ポタポタとナイフを伝って血が溢れ地面に赤い水溜りを作る。

「血が……止まらない……何で……」

 妖怪として強靭な生命力を持つ橙は多少の怪我なら、自然に回復する。
 通常ならナイフ程度の傷など、すぐに血が止まるはず。
 しかし、血は止まらず、寧ろ洪水のように溢れ出した。

「お婆ちゃん……何で……」

 橙には理解できなかった。
 目の前にいる優しい眼をした老婆が、先程と変わらない頬笑みで倒れる橙を見つめている事に、
 その後、老婆をゆっくりと踵を返し、人込みに消えて行った。



「妖怪が……」



 薄れゆく意識の中、橙の耳にそれだけ響いた。






















―四十六話 「迂闊な月曜日」、完。



―次回予告。
≪怖いんだ。
 やりきれない気持ちをぶつけるとこが無くて、
 飲み込むしかないってことが……、

 気づいているんだろう?
 悲劇には悲劇の上塗りしかないって事に、
       

 次回、東方英雄譚第四十七話 「カウンターストップ」 ≫



[7571] 第四十七話 「カウンターストップ」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/07/18 14:23



カチカチカチ……


時計の秒針が刻む時間ははっきりと残酷な表情を見せる。



言葉が出なかった。
疲れていたのかもしれない。


知らず知らずのうちに握る手に力が入り、うっかりすると青白く鬱血してしまったのかもしれない。

見つめる先は自然と靴の先、嫌に自分の心臓の鼓動が響く。



 ――トンッ、



軽く叩かれた肩の感触でようやく顔を上げる。


「大丈夫?」


横から覗き込むようにチルノが魔理沙の顔を見る。


「あぁ……あぁ大丈夫だ……橙は、まだ」


「まだよ……本当に大丈夫?」


 その言葉に答えず、再び顔を下げる魔理沙。


「……ないのかよ」

「え、何?」

「責めない……のかよ」

「意味のない事よ」

「……そうか」

 大図書館の中に存在する治療室で橙はパチュリーから治療を受けている。
 地上の病院を利用しなかったのは信用できなかったからだ。
 どこに妖怪を目の敵にする人間が潜んでいるとも限らない。
 安心して治療を受けるにはここが最適だったのだ。

 大図書館はもしライフラインが途切れても数か月持つだけの備蓄があり、一種の要塞のようなものだ。
 当然治療用の備品、薬品も常備しているがここまで本格的な手術設備がある事が驚きだった。
 パチュリーが言うに、「必要だったからよ」……そう言ったのだ。
 人間と敵対した事がある魔女としての経験によって、必要に迫られ医学的な知識も身につけたのだ。
 
 魔理沙の様子に霊夢がすぐ横へ座り、肩を支える。

「魔理沙の所為じゃないわ。だから……」

「だから……仕方がなかったて言うのかよ!!」

 霊夢の手を振り払い、立ち上がった魔理沙の顔に涙が浮かんでいた。
 その憤怒の表情は決して霊夢に向けたものではなかった。
 あるのは、ただただ自分への怒りだった。
 
 魔理沙が橙を見つけた時、時間はとてもゆっくり感じられ世界から音が消えた。
 橙を一人にした自分を呪った。
 橙を買い物に付き合わせた自分を呪った。
 一歩ずつ橙に近づく間、いったいどれだけ自分に怒りをぶつけただろうか。
 ようやく音が聞こえてきたのは慟哭し、橙に縋って抱きついた時微かに……本当に消える寸前の鼓動を聞いたからだ。


 急いでチルノ達に連絡を取り、ここに運ばれるまで魔理沙は手を握り必死に橙に言葉をかけた。
 ドラマか小説か忘れたが、諦めず声をかけ続ける事で瀕死の者を繋ぎ止める事ができると聞いたことがあったからだ。
 後はただ、時間が過ぎるのを待つことしかできない。
 そんな自分が――とても情けなかった。


「静かにして下さい!!」

 治療室のドアが開き、小悪魔が顔を出す。
 その後に次いでパチュリーが出てくると同時に、橙の容体を訊ねる。

「治療は終わったわ。もう大丈夫、だけど……しばらくは絶対安静ね」

「会えるのか!?」

「絶対安静って聞いてなかったの? 面会も駄目よ。疲れたわ……少し休む。小悪魔、紅茶を淹れて」

「はい! 了解しました!!」


 それだけ言い残すと、パチュリーは長い廊下を歩いて行った。


「皆さんもお疲れ様です。紅茶を淹れて来ますので、大広間でお待ち下さい」

「ええ、ありがとう。橙はどれくらいで会えそう?」

「そうですね。容体にもよりますから、それはパチュリー様が許可した時ですね」

「わかった……霊夢、魔理沙一息いれよう」

 魔理沙達を促すと、チルノは車椅子を操り先へと進んで行く。
 少し遅れて魔理沙達も少し元気を取り戻した声で応じ、チルノについて行く。














結局……私は空っぽだった……、
家柄だけの自分なんて、見向きもされない。
だからたくさんのものを求めた。
武器も……言葉も……他人と向き合うための道具だった。

誰でもいいから私を見てほしかった……、
悪意でいいから向けてほしかった……、




「――なんてっな!」


諏訪子が止めるのを聞かず、空中に身を躍らせた天子は高笑いをしながら自由落下を開始する。

「アッハハハハッハ!! 潰れろ潰れろツブレロ!! 全部ひしゃげて砕けて内臓ブチマケロ!!」


     ――要石「カナメファンネル」――


自由落下している天子の周囲に地面から大小様々な岩が取り囲み、それが不規則な動きで地面に群がるグール達に襲い掛かる。
突然の奇襲に、グール達は対応できず、高速で繰り出される岩になす術が無く。
悲鳴を上げ、倒れて行った。

そして、岩が次々と積み上がり、天へとつながる階段を形成した。

「よっと……」

 空中に出現した階段に柔らかく着地すると、下界の惨状にニヤケながらゆっくりと降りて行く。

「生あるものはいつか死ぬ……それはとても悲しく、心が痛む。
 だけどとてもとても残念な事に、貴方達は私の土地で私に歯向かってしまった」

 天子は大演説を続けながら地面に降り立ち、腰に手を当て惨状を見まわす。
 周囲はグール達の肉片がまき散らされ、それが建設途中で放棄された建設機械に散乱している。
 舗装途中の道路にグールの血が染み込み、赤い水溜りを作る。
 動いているモノはもういなかった。

「悪いけど、ストレス発散させてもらったわ。ほら、管理職って何かとイラッ☆ってするのよね……ふ、ふふ、アハハハハハ!!」



「……えげつねぇ、どっちが悪だか。初めてグールに同情しちゃったよ、私」

 やれやれと、帽子の鍔を指で触りつつ、諏訪子は呆れる。
 後からゆっくりと降りてきた諏訪子は目の前の惨状に顔をしかめる。
 グール達は全滅したようだし、諏訪子も出番が無くやることも無い。

「まぁ見学に来た甲斐があったな、天子の強さと……性格の悪さは良くわかったし、帰るか――」


 そう、言いかけて諏訪子は気づく。


「――この気配、妖気!? 天子!!」


 諏訪子が気づいた時、それはすでに天子に接近していた。


「――あぁん、何よ」


 面倒臭そうに応じる天子にそれは渾身の一撃を繰り出していた。

――ガッ!


「な、何よ。アンタ――ッ」


 瞬時の判断で剣を盾にして攻撃を防いだ天子。
 だが、衝撃は逃がしきれずそのまま吹き飛ばされる。
 空中で体制を変え、なんとか着地した天子は目の前の敵を睨む。

「――紅 美鈴」

 諏訪子は目の前に現れた赤毛で長身の女性の名を呼ぶ。

「守矢 諏訪子様もこちらのおいでとは……今日は日が悪い」

 警戒を解かず、殺気を立ち上らせ二人を鋭い眼光で見つめる美鈴。

「今度はこの土地も支配下に置こうって事?」

「えぇ、できれば穏便に片を付けたかったのですが」

「どこが、よ」

「この土地の王の力量を見て、力の差を見せつければ効率良く、話し合いで終わらせることができますからね」


 美鈴の発言に天子がブチ切れた。


「――フザケてんのかッ! 答えはNO!! 私をここまで舐めてタダで返すわけにはいかねぇな!」


 美鈴へ猪突猛進する天子、剣を抜き放ち地面すれすれを高速で疾走する。
 剣が地面を擦り、火花が散る。
 そして、美鈴へ振り下ろした時、剣は火炎の火柱となっていた。


      ――剣技「気炎万丈の剣」――


「破ッ!!」

 美鈴の右手に妖気が集まり、大気が渦を巻く。
 そして、虹色に輝く右手が炎の剣技と衝突する。
 
 カッ!!


 その眩しい程の光と衝撃が離れた所にいた諏訪子にまで到達する。

「うわっぷッ」

 一瞬遅れて、諏訪子に何かがぶつかってきた。
 目が眩んで動きが一時止まり、反応が遅れてのが仇になった。


「くっそ……何なのよ! あいつッ……え、諏訪子様!?」


 衝撃ではじかれた天子がちょうど偶然にも諏訪子の方に飛ばされ、
 そしてたまたま偶然にも諏訪子をクッションにしてダメージを受けずにすんだ。
 ……下に敷かれた諏訪子は大ダメージだが、そんなことはお構いなしに天子は諏訪子を下に敷いたまま何故か感動した。


「そんな……私を庇って……諏訪子様、貴女と言う人は……私が間違っていました!
 私は今まで自分さえよければそれで良い。
 そういう浅はかな了見で世の中を見ていました。しかし、違うんですね!
 人のために何かを行う……あぁ、何と素晴らしい事なのでしょう。私は今モーレツに感動しています。
 『人と言う字は足を引っ張り合っているのでは無く、支えあっているんだ』そう昔先生に言われた事を思い出しました。
 その当時、『はぁ、何言っちゃってんの?』そう思いました自分が恥ずかしい。
 あぁ、あのザビエルに似た先生元気してるかな……名前はもう思い出せないけど、何故かアップルティーが飲みたくなりましたよ――」




「……いいから……どけ」



 諏訪子より体重がある天子を持ち前の腕力だけで、強引にどかし立ち上がる諏訪子。
 その間も尊敬の眼差しで見つめる天子が今まで以上にウザく感じたが、今はそれどころではない。
 先ほどの激突で砂埃が舞っている方向を見る。
 妖気は減っていない。殺気も……、
 諏訪子は鉄輪を取り出し、両手に構える。


「……やる気満々か、天子逃げなさい。貴女じゃ無理よ」


「何をおっしゃる! 不肖、この比那名居 天子、逃げろと言われて立ち向かう足しか持ち合わせておりません!」


「危ないって言ってんだよ、バカ!!」


 土煙より閃光が走る。
 天子へ向けた攻撃。腕を振るい、叩き落とすが全てを防ぐ事はできなかった。
 悲鳴が上がり、幾らか攻撃を受けたようだが、致命傷には至っていない。
 痛い痛いと涙ながら地面に転がる天子を無視し、と攻撃してきた方向を割り出して鉄輪を投げる。
 それと同時に美鈴が跳躍し、土煙より脱すると光弾を放つ。
 諏訪子も回避しつつ跳躍、肉弾戦へと持ち込む。
 激しい攻防が続くが、接近戦では美鈴の方に分がある。
 諏訪子は最初から接近戦で勝てるとは思ってない。
 自分に集中させ、天子への注意を失わせるためだ。
 そろそろか……、


     ――土着神「手長足長さま」――


 印を結び、諏訪子の影より召喚された長い黒い手が伸びる。
 警戒した美鈴が跳躍し、距離を取るがこちらの方が早い。


「捕えた! くらいなッ!!」


 美鈴の足を掴み、振り上げそのまま地面におもいっきり打ち付ける。

「ガッ、ハ……」

 受け身をとったとしても十分ダメージはある。
 それを何度も繰り返され、流石に大人しくなった美鈴を更に念押しで叩きつけようとした時、


      ―― 華符「芳華絢爛」――


 美鈴の身体が光に包まれ、弾けた。
 それは花のように花弁を開き、美しい弾幕だった。
 ただし、それを間近にくらった諏訪子は堪らない。
 咄嗟に腕で顔を覆い身体を縮めて致命傷を避けたが、油断した。


「一瞬見とれてしまったじゃない……やるわね――」


 こちらの番と攻撃態勢を諏訪子が整えた時、美鈴より一瞬早く気づく。
 美鈴のすぐ背後に迫る奇妙な段ボール箱に……、


「何!?」


 完全に盲点だった。
 現実的に有り得ないと思った時点で死角だったのだ。
 美鈴がようやく気付いたのは振り下ろされる剣が迫った時だった。


「ヤーハーッ!! 知ってる? 段ボールに隠れれば如何なる相手でも発見できないのよ?」

「ぐぅッ!」

 反応が遅れても身体能力の高い美鈴はなんとか避けようとするが、完全に天子の有効範囲だった。
 袈裟に切りかかった剣は美鈴の肩口から胸にかけて切り裂いた。
 浅いが血は激しく吹き出し、美鈴の身体がよろける。
 しかし、瞳の闘志は消えず寧ろ燃え上がり、目の前で馬鹿笑いしている天子へ向けられた。
 そうと気づかず、自慢の概念兵器(ただの段ボール箱)をドヤ顔で説明する天子。

「アッハハハハハハ!!
 この比那名居 天子がGを素足で踏んだのと同等のダメージを受けたぐらいでッ!!」

「逃げろって言っただろ!! この馬鹿ッ!!」


 諏訪子が走る。
 天子がした事は戦闘の補助とは言えない。
 逆に相手を怒らせ、余計な混乱を招いただけだった。
 天子のこの性格がわかっていただけに、この場面で後悔する事となる。

 美鈴が動く。
 拭った血を手に集め飛ばし、天子の目を塞ぐ。


「目がッ! 目がぁあああああッ!!」

 何故かノリノリで、無意味に悶え苦しむ天子。
 と同時に、美鈴の拳が天子の身体にめり込んだ。


「ぐぇ……」


 蛙が潰れたような声を出して、続けて放たれた美鈴に蹴りに昏倒させられる。
 美鈴はそれで止まらない。
 トドメとばかりに右手に巨大な妖気を集中させる。



「光符――」




         ――「華光玉」――









 天子が目覚めたのはそのすぐ後だった。
 眩い光が天子を包み、否応無く意識を取り戻させた。
 気づいた時、自身は地面に這いつくばり見上げた先に小さな背中を見つけた。

「……諏訪子……様」

「起きたのか? なら、さっさと逃げろ。邪魔だよ……ぐぅ」


 だらりとした諏訪子の両腕に血が滴る。
 腕は焼け焦げたように爛れ、痛々しい。
 咄嗟に天子を庇い、相殺したのはいいがタイミングが悪かった。
 至近距離での美鈴の一撃にはそれだけの妖気が込められていた。
 このあたり一帯を吹き飛ばしてもおかしくない程に、
 それほど天子を消し去りたかったのだろうか……あるいはプライドか、それはわからない。
 ただ一つの事実は――、


「――状況は最悪だよ」


 この損傷は回復に時間がかかる。
 この戦闘では、両腕はもう使い物にならないだろう。
 これ以上は流石に庇いきれない。


「必ず、諏訪子様ならその小娘を庇うと思いましたよ。
 正直言ってまともに一対一で貴女に勝てるなんて思ってませんから……利用させてもらいました」

 美鈴の言葉に、腸が煮えくり返る。
 痛みで顔が歪み、口調も荒くなる。
 それでも動こうとしない天子に怒りが爆発する。


「さっさと行けぇ!!」


「……諏訪子……様……怪我を……私の所為で、
 私が……私が邪魔を…………うぅ……ああああああああああああ!!」


 天子が絶叫し、立ち上がる。
 そして、地面に剣を突き立てた。


 ――ゴゴ、ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ、


 天子の咆哮に呼応するかのように大地が揺れる。
 その地響きは天子を中心に局地的な大地震を引き起こした。
 地に足を付いている者は否応無く地に伏し、頭を垂れた。
 諏訪子も空を飛べるにも関わらず、その飛ぼうとする意志さえ叩き落とされたのだ。
 太古より、生物の畏怖の象徴であるその自然現象は脳に刻み込まれた恐怖の記憶から逃れる事は出来ない。

 そして、唯一。
 仁王立ちでこの地震を物ともしない少女がいた。
 それは正しくこの地の王である。


「世界を見下ろす遥かなる大地よ――」


 天子が剣を通して大地に優しく語りかける。
 地響きは未だ止む事無く、さらに波打ち美鈴へと襲いかかる。
 身動きが取れないでいる美鈴にはなす術も無く、地面より打ち上げられた。


「ぐぁ、な……何のこれしき……」


 必死に耐える美鈴に、天子は笑いかける。


「当然、それだけではないわよ!!」




       ――「全人類の緋想天」――




 超高速、超高密度の気弾が極太のレーザーのように美鈴へ放たれた。


「オ、オオオオオオオオオオッ!!」


 気合いと共に、両腕に気を込め相殺しようとする美鈴。
 その技は先程美鈴が天子に放ったものと同じものだった。
 光符「華光玉」――、自身の気を巨大な光弾として放出する美鈴の奥義とも呼べる技だ。
 初めは片手で、次に両手で……全身の気を掌に集中させる。
 たかが小娘と侮っていた事、改めて自分の甘さに美鈴が気づかされたのだ。
 ようやくレーザーの力が弱まり、相殺しきれたと確信した時、さらに自分の甘さを認識した。
 
 最初は小さな影だった。
 雲が太陽にかかったと思ったが、それは間違いであった。
 それはだんだんと大きくなり、美鈴の顔を覆う。
 見上げて、それでも信じられないものがあった。




「あえて言わせてもらおうかしら……ロードローラーだッ!!」



 何故、そんなものが美鈴の頭上から降ってくるのか、何故天子がそこへいるのか。
 答えは単純な詰将棋。そうなるよう、天子が仕組んだ為だ。

 まず天子は大地震を起こし、美鈴を地面に張り付かせる。
 そして大地を隆起させ美鈴を打ち上げる。それにより一瞬の空白状態を作りそこへレーザーでチェックする。
 当然、飛んでかわす間もない高速でしかも広範囲な極太レーザーに対し美鈴の取る行動は一つ。
 相殺する事だ……そこにも天子が放った攻撃など簡単に防げるという傲慢さが顔を覗かせた。
 全力のレーザーを放つと同時に再び地面を隆起させ、発射台のように打ち出す。
 視界を塞ぐ程の広範囲レーザーの先にいると思い込んだ美鈴の遥か上空に跳躍した天子は同時に打ち出した建設機械の一つと合流を果たした。
 後は地球の重力に任せた自由落下で降下してきたのだ。



「ァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」



 もう、遅い。脱出は不可能だ……そう判断した美鈴は目の前に迫る重機に取った行動。
 それは今まで培ってきた最も信頼できる己の拳での攻撃だった。
 正拳突きのラッシュ。
 それで重力加速度も加わった何トンにも達する質量の物をどうにかできるとは普通なら思わない。
 しかし、追い詰められ混乱に陥った美鈴がとった行動は自分の中で最も威力が有り、かつ信頼性の高い打撃。
 それが最善の方法であると信じて疑わなかったのだ。



「無駄よ、無駄無駄無駄無駄無駄無駄ッ! 私の怒りが有頂天に達したッアアア――!!
 このまま、潰れろッ――――――――!!」





  ―――ドゥオオオオオオォ―――ンンッ!!



 響く重量感のある音が空気を掴む。
 衝撃で飛ばされた天子が地面に転がる。
 ロードローラーは地面にめり込み、美鈴の姿は見えない。



「嘘……勝っちゃったの?」


 弱々しい足取りで立ち上がる諏訪子。
 目の前で起こった出来事に未だ信じられない気持で転がる天子を見る。
 諏訪子は傷が痛むのかゆっくりと天子の方へ歩いて行く。


「おい、大丈夫か……おいッ!」


「イッターイ、痛い痛い……全身折れた複雑骨折ッ!! 助けてぇ――衣玖ッ!!」


「大丈夫のようだな……ふ、ふふ……あははははははっ!!」


 可笑しい、こんなに愉快な事は無い。
 諏訪子は立っているのが苦しいのか、地面に寝っ転がり大笑いする。

「むぅ……笑う事無いじゃないですか諏訪子様……私だって必死に……」


 起き上がりかけ、諏訪子に文句を言う天子。
 その様子さえ可笑しいのかますます笑う諏訪子。


「ごめんよ~でも可笑しくってさ……ぷ、くくく。
 天子、お前は王の器だよ。間違いない!」

「……ふん、また馬鹿にしてるんでしょ!」

「本気さ本気……そうだな……天子、上を見てごらん」

 諏訪子が天空を指差す。それに従い天子も上を見る。

「何もないですよ」

「違うよ、私が言っているのはもっと先さ。この空のさらに上空。
 そこには天界へ通じる階段があって、その先には神が住んでいる庭があるんだよ。
 下界での修業を終え、天に昇り天人となればいずれ神にもなれるさ」


「天人……神……私が……?」


「まぁ、それには日々弛まぬ努力と修練が――」




「私が……新世界の神になるッ!!」





「おーい、戻って来ーい……」



 妙なハイテンションになった天子は一人で不気味にうふふ、あははと笑うが諏訪子は無視した。
 ノリで言ってしまった事がえらく面倒なことになりそうだが……まぁ後は衣玖に任せよう。
 そう判断し、諏訪子はロードローラーの前へ歩いて行くと、具合を見るようにコンコンとノックする。


「やられたフリしても無駄だよ。とっくに気づいてるんだから、出て来な……」


 ズ、ズズズズ――――、


 常人ではとても持ち上げられない程の重量が動く。妖怪でさえこれだけの質量を持ち上げられる怪力はそういない。
 すっかり油断し切った天子が口をぽかんと開けて、その様子を見つめた。
 下から顔を出した美鈴は多少怪我を負ってはいるものの十分余力を残しているようにも見える。


「……少しは油断して欲しいものです。どうやら私に役者の才能は無いようですね」


「全然だよ……あれだけ殺気を放つ死体がいるもんか」


「これでも抑えた方だったのですが……風向きが悪いようですね。大人しく今日は帰らせてもらいましょうか」


 ロードローラーを押しのけ、すっくと立ち上ると何事もなかったかのように美鈴は歩き出す。


「――帰すと思うかい?」

「えぇ、思いますよ。諏訪子様はお優しいから――」


 その言葉に諏訪子はハッとして、天子を見る。
 天子はきょとんとした顔で諏訪子達を見ていたが、その突如違和感を覚え自分の足元を見る。
 諏訪子が走りだしたのと同時に美鈴が何かを掴むように拳を握り締め、突き上げた。

 天子の足元の地面が盛り上がり、閃光が瞬く。
 その光は戦闘で何度も見た美鈴の光弾だった。
 ロードローラーで押し潰された時に、地中へ光弾を放ち時間差で出現させた。
 気を操る程度の能力の応用だった。

 間一髪、天子を助け出せたのは良かったが、当然美鈴の姿はどこにもなかった。
 天子が恐る恐る諏訪子を見る。



「諏訪子様……私、神になれるかな?」



「そうね、まずは私のビンタに耐えきれてから考えようか」

















―第四十七話 「カウンターストップ」、完。



―次回予告。
≪誰が為――、
 愛する人の為
 誰が為――、
 生まれた故郷の為
 誰が為――、
 守りたいモノを守れる自分を守る為
       

 次回、東方英雄譚第四十八話 「鉄―クロガネ―」 ≫



[7571] 第四十八話 「鉄―クロガネ―」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/08/01 12:20




「スン、スン……血の臭いが濃くなってる……」


 街へ踏み入れるとそこは平穏な街並みだった。
 所々に飛び散る血や何かの肉片以外……アスファルトは綺麗なもので建物にどこにも傷一つ無い。
 だからこそ不気味だった。
 普段は賑わう大通りの交差点も信号は動いているのに誰も通らない。
 車も動いておらず、人の気配が無い。
 先ほどまで人が普通に生活していたんじゃないかという雰囲気なのに……死臭がする。
 街の機能は生きているのに……この街は……既に死んでいるんだ。


「……何か……嫌な空気ですね。妖気とかはわからないけど、嫌な感じはひしひしと肌でわかる。
 椛……敵は近くにいるの?」

「今のところ大丈夫です……ですが早くヤマメさんと合流した方がいいです」

「もう日が落ちる……夜になるわ」

「文さん、失礼ッ!」

「え、えぇ!?」


 椛が文を抱きかかえると、近くのビルに向かって跳躍する。
 跳躍する間、既に妖怪化を果たした椛は人間では考えられない跳躍力で易々とビルの屋上へ到着する。


「椛、ビックリするでしょ!」

「失礼と言いました。上から千里眼で探して見たかったので……」

「……まぁ、一人で残されるよりかはいいけど」


 文はしぶしぶ街の現状を上から写真に収める。
 普段強気の文だが、こういう現場に至っては戦闘力のあるものの意見には従うのだった。
 椛が文のふくれっ面にくすりと笑うと気持ちを切り替え、街を見渡す。


           ――「千里眼」――


 日が落ちてきて薄暗い。
 椛の瞳が赤く色づき、その全てを見通す。
 そして、ついに見つけた――街を縦横無尽に駆け巡る黒衣の少女を、












 

 倒しても倒してもキリが無い。
 それはわかりきっていた事だ。
 何も自分一人で敵を全滅できるなんて大それた事を考えていたわけではない。
 これは物事には原因があって結果がある。
 それは道理。
 なら、これだけの化物が現れる原因があるはず、
 その元凶を叩いて黙らせるまでだ。
 
 そう思い立ち皆を引き連れて連日連夜、街を襲撃した。
 そうすれば嫌でも出てくる事になるはずだ。
 これだけ計画を狂わされたら、な。
 そもそも計画があるかさえわからないか……無秩序に化物を増やし、この街のように化物の巣窟にすること自体が目的なのか。

 でも、私はこう考えた。
 この化物達は邪魔な抵抗勢力をあぶり出すための餌だと。
 撒き餌をすることで大物を釣り上げようとしている。
 当然、通常の化物では対処しきれないため、抵抗勢力が現れた時点でその地域の個体数は激減していく。
 後は、そこへ相応の者を派遣すればいいだけの話だ。
 黒幕が恐れるのは、抵抗勢力同士の結託。
 それを防ぐため同時多発的にこの化物を放ち、自己勢力下でしか動けないようにしている。
 一人で動けるヤツは良い。
 だが、私のように家族がいて、守るべきモノがある者にとって自由に動く事はできない。
 だからこそ、このジリ貧な状況を解決する方法の一つとして、こういうのはどうだろうか……、


「私がこの土地の首領、土蜘蛛の黒谷ヤマメよ。待ち望んでいたわよ。
 私が化物達の中たった一人で孤立している場面をわざわざ用意したのだから」


 腕を組み相手を見据えるヤマメの目はどこまでも真っ直ぐに、全ての挙動を見落すまいと力強い。
 対する人物はヤマメの決意を知ってか知らずか、化物を従え面白そうにヤマメを見つめる。
 そして、不意に笑った。


「ふふ、すまない。別にお前を笑ったわけでは無い。ただ嬉しくてな……」

「……どういう事かしら?」

「そのまんまの意味さ、私もこんなちまちました事好きじゃないよ。ただね、私は退屈しているのかもしれないな。
 この平和で、安全で、安心しきったこの平成の世が……暇で暇で、酒しか楽しみがないよ。
 今の言葉で言うならニートだっけ?
 暇だから異変を起こすなんて、どっかの退屈なお嬢様の発想だけど……でも今では良かったと思っている」

「要領を得ないわね、何が言いたいの?」


 敵対するのは大柄の女性だった。
 その女性は仕立ての良いスーツに身を包み、佇んでいた。
 また、溢れ出る妖気が人外の者であることを証明していた。
 そして、徐々に女性の額からゆっくりと生えてきたものがあった……あれは角!?


「まぁ、少年漫画みたいな話で申し訳無いってことさ。私はね本気で勝負をしたいのさ。
 お互い一歩も引かず、引けば後が無い。そう言う状況に置かれた者同士の真剣勝負をもう一度ってね。
 でもね、それが私の……私の一族の存在理由だから。
 そして、名乗らせてもらおう……私は星熊 勇儀……現代に残った最後の鬼だよ」



 一歩、

 二歩、


 そして――三歩目、


 勇儀の一撃が容赦無くヤマメの腹へとめり込んだ。
 それは自然な動作だった。
 勇儀が拳を振るった時風が巻き起こったろう、空気が裂け音が響いたろう。
 その風切り音は確実にヤマメの耳は届いたはずだ。
 だが、そこに一つの誤算があったとすれば。
 ヤマメの耳に音が届いたのが、拳が命中した後だったからだ。


 ――ズンッ、


「がっ……あぁ……」


 重い一撃だった。
 吹き飛ばされる事はなかったが、確実に意識が遠のいた。
 その場で崩れ落ち、倒れる直前――ヤマメは意識を繋ぎ止める為に反撃を行った。
 地に手を突き、逆立ちの要領で蹴りを放つ。
 あっさりと掴まれるが、それも当然。
 体の体制を入れ替え、勇儀の顔面に光弾を放つ。
 余り効いているはずはないが、掴んだ手が緩みその隙に勇儀の身体を蹴り距離を取る。


「ゼハッ……ハッ……ゴホ、ゲホ」


 呼吸を必死に整える。
 今の一撃でわかった。
 こいつこそ、真の化物だと。
 あれは……あれは渾身の一撃じゃない。彼女にとってあれは挨拶代わりの軽いジャブのようなものだ。
 子猫を撫でる様な優しさで触れてきたその力は人間なら、腹に大穴が開いていただろう。
 急に襲撃された時に備え、服の下に何重もの妖気の糸を防弾チョッキのように編み込んでいてよかった。
 でなければ、終わっていた。

 私の策は成功した。
 元凶に近い人物がやってきた……それは良し。
 だが、問題があるとすれば、どうしようも無い程の化物が来てしまった事だ。
 正直ここまで力の差があるとは……思いたくなかった。
 勇儀ではないが、少しは良い勝負になると思っていた。
 これでは街中に張り巡らせた罠も……彼女の前では無意味になるだろう。


「やっぱり、睨んだ通り……お前は強いよ。ワクワクしてきたよ」


 光弾の煙が晴れ、現れた勇儀の顔は格下の相手に反撃を受けた憤怒の表情ではなく、強敵と知り合えた喜びに満ち溢れていた。
 これは……厄介な相手が来たとヤマメは思った。
 彼女は戦闘を楽しむタイプのようだ。
 対してヤマメは、戦闘は単なる手段の一つとしか捉えていない。
 戦闘を手段とするか、目的とするかは大きく違う。
 前者が戦闘を取引の材料と捉え相手を屈服させるために行使する場合、必ずその後を考える。
 そのため決して手を抜きはしないが戦闘をする事で目的を達成する事が困難となった際、潔く身を引くのに対し、

 後者はまったく違う。
 戦闘そのものが楽しいのだ。
 自分の全てを出し切る事も、相手が自分より強くても、逆境に立たされていてもその全てが戦闘マニア……ジャンキーと言った方がいいか。
 引く事を知らない。引く事自体が負けだと考える。
 今更ながら、選択肢を間違えたと思う。
 目の前の敵で最善なのは興味を失わせる事、よって最初に行うべき行動は地面に這いつくばいり、
 許しを乞う哀れで、つまらない存在を演じればよかったのかもしれない。


「でも……貴女が全ての黒幕ではないのでしょう?
 先程、こういうちまちました事が好きではないと言った。ならこういうちまちました事が得意なヤツが貴女の後ろにいるわけだ。
 誰なの? こんな迷惑な事を考え付いたのは……」
 

「うーん、どうしようかな……別に口止めされてる訳じゃないけど……、
 じゃあ、こうしよう……私から一本取ったら、その度に一つ質問に答えてやるよ。」


 ガハハ、と豪快に笑う勇儀に対し、ヤマメは冷や汗をかく。
 これでは……引くに引けなくなった。
 目の前で重要な情報と言う名の餌をぶら下げられたら、やるしかないじゃないか。
 勇儀はニヤニヤしながら、どこから取り出したのか右手に杯を持ち、酒を注ぎ出した。
 

「しかもハンデ付き……破格だろ?」


「今度は私を釣ろうって訳ね。良いわ、ノッて上げる。それより先程一本とったわよ?
 カウントしてくれないかしら」

「あ~まぁいいか……うん、大サービスよ。で、何が聞きたいの?」

「首謀者は?」

「レミリア・スカーレット」

「目的は?」

「一つまでよ。後は……もっと楽しもうじゃないか、黒谷ヤマメェエエエエエエエ!!」


 迫る勇儀の大ぶりな一撃。
 今度はようやくの思いで避けるヤマメ。
 だが、勇儀の拳が地に着いた瞬間、地面が爆発した――そう表現するしかない威力で地面が弾け、
 それが散弾銃のようにヤマメに襲い掛かる。

「く、そッ!!」

 両手を合わし、再び広げると細かく編んだ糸が現れ、即席の防護ネットを作る。
 その破片をかき集め、遠心力で振り回しハンマーの代わりとして勇儀に叩きつける。
 対して勇儀は動じない。
 そのハンマーもどきを拳で砕き、ヤマメを蹴り上げる。
 打ち上がるヤマメは呻き声を上げて、ぐったりと地に落ちた。
 力無いヤマメを拾い上げ、具合を確かめるように釣り上げて顔を覗き込む。


「どうした!? 降参か?」


 ――ヤマメが動く。
 自分を掴み上げている腕に鋭い爪が食い込む。


「瘴気――」


         ――「原因不明の熱病」――


 次に膝を着いたのは勇儀の方だった。
 ヤマメは病気を操る程度の能力を持ち、発生させるのも自由自在にできる。
 だが通常の病では鬼という種族には通じない。


「――だから直接注入してやったのさ。それでもアンタにとっては動きが鈍る程度だろうけどね」

「や、やるじゃねぇか……」

「一本よ……さぁ教えなさい! 目的は、何?」

「ふふ、レミリアの目的……簡単さ……」




 ――そこへ、風を切る音が響く。
 その場から一足飛びに距離を取り、突如現れた相手を見据え勇儀が問いかける。

「誰だい、アンタ……勝負の邪魔をするようなら容赦しないよ!」

 勇儀に剣を構え、牽制している少女とは別に、
 そこへヤマメの元へかけてきた少女がいた。


「黒谷ヤマメさん……ですね。私達は貴女の味方です。ここは引きましょう!」

「え、貴女達は……?」

「話は後です。行きます!」

 ヤマメに話しかけた少女がカメラを構える。
 辺りはすっかり暗くなり、月明かりの元動く。



       ――激写「フライデー」――



 文の合図と共に文の持つカメラのフラッシュが最大光量で焚かれる。
 勇儀はその眩しさに手を目の前に翳し、一瞬目が眩む。
 そして、次に勇儀が見た時はその場にいた3人の少女は跡形も無くいなくなっていた。












「何故、邪魔をしたッ!!」


 突然現れた二人の少女にヤマメは激昂する。
 常に冷静なヤマメらしくもない口ぶりだが、それだけ逃した情報は大きかった。
 もう少しで――、

「あの鬼が本気になる。それでも貴女は大丈夫だと言えるんですか?」

 文の指摘に怯まず答えるヤマメ。

「大丈夫だとは言わない、だが私には守る者達がいる。その為に少しでも有益な情報が欲しい!」

「それでは危険だ……危険過ぎます。相手は鬼ですよ。妖怪の中でも最強の種族……相手が悪過ぎます。
 私達はここで貴女を失うわけにはいきません。諏訪子様より頼まれたのですから……」

「……諏訪子って……守矢神社の?」

「えぇ、そうです」

「……諏訪子か、もう何十年と連絡を取っていないな」

「……話したいと言っていました。それから文通の最後――」

「ぶ、ワァーワーッ!! ぶ、文通の事は……忘れよう、な?」

「あやや、どうしたんですか? ヤマメさん……何か不都合でも!?」

 文通という単語に反応し、顔が真っ赤になるヤマメ。
 目聡くゴシップの気配を嗅ぎ取り、文が記者の顔になる。

「不都合……てわけじゃ……そ、それよりもこの時期に諏訪子から使いが来るって事は……」

 強引に話を戻そうと必死になるヤマメに、椛も苦笑する。

「文さんも、いいですか? 話進めますよ。ヤマメさんの欲しがっている情報は私達が持っています。
 ここに来たのも貴女を仲間として迎えるためなのです」

「渡りに船ね……ここではマズいから里の方へ移動しましょう」





「――辿り着けたらの話だけどね?」





 その言葉に反射的に動いた。
 椛が文を抱きかかえて横へ跳び、ヤマメが近くの木の枝へ跳躍する。
 追ってくるとは思ったが早すぎる……。
 振り返ると三人を面白そうな目で見る勇儀がいた。


「いやぁ~お前達も、面白いな……さっき連携なかなか良かったぞ」


 逃げた事を怒らず、椛達の連携を褒め称える勇儀。
 いつの間に追いつかれたのか……、
 街からかなり離れたというのに。


 周囲は森、
 地元であるヤマメはもちろんのこと、椛も元々は山の妖怪。
 市街戦より、こちらの方が得意ではある。
 だが、三人の共通の考えは既に戦闘ではなく、どうやって逃げ延びるかに思考が向いていた。
 じりじりと後退する三人を一瞥し、手の杯に酒を注ぎ飲み始める勇儀。
 ヤマメと椛の視線が交差する。

 ヤマメと椛が跳躍し、森の木々へ飛び移る。


「ちょ、ちょっとッ!!」

 一人置いておかれた形になる文が慌てる。
 だが、二人は逃げた訳ではない。
 生き残るためにはここで腹を括るしかないと判断したからだ。

 木々の間から白い糸が飛ばされる。
 それを軽いステップでかわす勇儀に追い打ちをかけるように次々を投げられる糸、
 息つく暇も無い連続の攻撃に全てをかわしきれなかった勇儀の服や腕に細い糸が絡み付く。
 普通の糸なら千切って終わりだが、蜘蛛の糸は粘着性が高い。
 動きが遅くなり、行動が制限され始めた勇儀の頭上から椛が一直線に降り注ぐ。
 ――問答無用の一閃、
 それを予期していた勇儀に腕で止められたが、椛は止まらない。
 すぐ様、剣筋を変え剣が折られないようにし、流れるような動きで抜けると周囲の木々へ再び飛び移る。
 視界の広い市街地ではどうしても攻撃パターンが制限されるが、森の中なら三次元の戦いができる。
 会ったばかりで訓練もしていない二人が即席で作った連携にしては上出来と言えるだろう。
 お互いの役割を瞬時に視線で判断し、動く。
 



 だが―――――、




「ヌルいわッ!!」


 勇儀はそう叫ぶと、近くにある木を引っこ抜き、それをバットのように振り回す。
 大木を一人で引き抜くだけで常識外れなら、それをイチローのように振り回す事さえあり得ない事だった。
 遠目から見た文がしきりに驚くのも無理は無い。
 妖怪が人間以上の身体能力があるのは当然だが、ここまで化物染みていると逆に笑いさえ出てくる。
 これを……一体どうしろと?

 そして――、


「ハァアアアアアアアアアアアアッ!!」

 
 その巨大な質量が遠心力となって周囲に襲い掛かる。
 それは言わば竜巻だ。
 同心円状に巻き起こる牙が森を喰らい尽す。
 
 そしてぽっかりと突如できた森の空間にただ一人佇む鬼がいた。


「これでちょこまかと動けないだろう。出てきな、私はここにいるよ♪」






『……文さんだけでも逃げて下さい』

 冷汗が止まらない椛がひそひそと隣にいる文に囁く。
 文は地べたに伏せながら、必死に体の震えを止めようとしている。

『そりゃ、この場から逃げたいわよ。でも椛達はどうするの?』


『――私達が時間を稼ぐわ。あの鬼も普通の人間である貴女にそこまでこだわらないはずよ』


 ヤマメが椛達のすぐ近くに現れると、鬼の様子を伺うように話しかける。

『後、この通行札を……森は村を外敵から防ぐため幻覚を見せる結界を張っているわ。
 これを持っておけば迷い込むことはないはずよ』

 文はお礼を言い、渡された通行札を大事に服の中にしまい込んだ。
 最初森に入る時と街へ出るときは椛がいたから問題はなかった。
 椛の千里眼が結界で出来た幻を見通し、正しい道を進めたが今は一人でこの森を抜けなければならない。

『文さん、気をつけて……』
 
『うん、ヤマメさん、椛も、無理しちゃ駄目よ……必ず、必ず生きて、今度一緒に飲みましょう』

『えぇ、楽しみにしているわ。諏訪子にもよろしくね……じゃあ行って! 来るわッ!!』


 ヤマメの言葉が切れると同時に三人が動き、そして鬼も真っ直ぐこちらへ進んできた。
 勝てる要素は限りなく少ない。
 だが、やるしかない。そう覚悟を決め、鬼の元へ走る。
 


 ――その時、椛とヤマメを間を白い風が通り過ぎた。





 
           ――獄界剣「二百由旬の一閃」――
  





 風は瞬く間に二人を追い越し、そして鬼を通り過ぎた。


 ―ブシッ!

 
 風が止んだ後、勇儀は腹を押さえ膝を着いた。
 顔は初めて見る苦悶の表情、歯を食いしばりその風の正体を見極めるとにやりと笑った。


「てめぇは誰だ……随分な挨拶だが嫌いじゃないぜ……」


「私は日本政府直轄御庭番、魂魄 妖夢。
 星熊 勇儀、貴女を国家に仇名す危険因子として排除します」


 剣を油断無く構え、鬼を見据える銀髪の髪に意志の強い瞳。
 セミロングに切り揃えられた銀髪の髪は黒いリボンを付け、緑を基調とした簡素な服とスカート。
 彼女が本来ここにいるはずは無い。それは彼女をよく知る椛が一番よくわかる。
 西行寺の庭師である彼女が何故九州の山奥にいるのか――、
 だが、椛は安心している自分に気づく。
 彼女の強さは自分が知っているからだ。


「お師匠ッ!! 何故、ここにッ!?」

「椛、話は後です。今は手伝いなさい!」

「は、はいッ!!」


















―第四十八話 「鉄―クロガネ―」、完。



―次回予告。
≪強すぎる信念ほど怖いものはない。
 私の心臓は凍りつき、一瞬脈打つ事を忘れた。
       
 


 次回、東方英雄譚第四十九話 「ピノッキオ」 ≫




[7571] 第四十九話 「ピノッキオ」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/08/15 13:27



 強さとはなんだろう?
 それは状況に流され、とても曖昧なモノであると私は考える。
 ある物事に対し真摯に取り組み、積み上げてきた時間の連続が結果と結び付いて初めて、
 それは確かな真実となって現れる。


「人と鬼では生きる歩幅が違うのかもしれない……」


 ある意味一瞬の幻。
 だけどその中で、どんな環境にも適応し応用が利くという理想を追い求めていても誰もそれを知らないし、教えもしない。
 ただ何となく上にいる。強者の側に立ったモノはそれが不安で確かめたくなる。
 弱者をいたぶるという形で、



「だがね、それを私は潔しとしないわけだ……」


 突然の話に警戒を強める妖夢達、
 それでも構わず、勇儀は続ける。


「そうなんだよ。どうやっても私は強者なんだよ生まれた時から、な。最初の頃はまだ鬼の仲間がいた。
 だが、時代と共にその数は減り、強い妖怪も減っていった。
 そして今の時代純粋な力を、鍛え上げられた技術を持つ者はごくごく少数。寂しい時代だよ。
 だから――、
 だからこそ――、
 お前ら全員愛してるぜッェエエエエエエエエエエエ!!」


 その重い一撃は唸りを上げて、妖夢に襲い掛かる。
 拳を振り下した勇儀の顔は愉悦に歪み、心の底から喜びが滲み出ていたのだ。
 対する妖夢はその一撃をぎりぎりでかわし、その腕を切りかかる。
 まともに受け止めはしない。
 岩をも砕く破壊力の前に華奢な体つきの妖夢では障子紙も同然だった。
 そして妖夢の愛用する日本刀も丈夫に出来ているとはいえ、そう何度も撃ち合えば下手したら曲がってしまう。
 剃刀のように繊細に扱わなければ簡単に折れてしまうのだ。
 そして、鋼のような肉体を持つ鬼の身体に傷を付ける事が出来るのは妖夢の鍛え上げら得た技があってこそだろう。


「はぁああああああああああああ!!」


 一閃、
 二閃、
 三閃――、

 目にも止まらぬ連撃、その速さは風の如く勇儀に襲い掛かる。
 パワーでは人間が鍛えられるのには限界がある。
 そして、女である妖夢にとってさらに限界があるのは当然だった。
 
 だからこそ、速さを求めた。
 その選択は間違ってはいないと理解しているし、自負もある。
 そうでなければ日本政府直轄御庭番の筆頭として、また西行寺 幽々子の右腕として今この場に立ってはいない。


「魂魄 妖夢だっけ、いいねお前、人間でここまで強い奴は何百年ぶりだ!!
 来いっ、 来い来い来い、私を沈めてみろ!! 古来より鬼の相手は剣士と相場が決まってるぜぇ!」


 跳躍し、一気に距離を開けて椛の横へ並ぶ。
 その椛の持つ剣は何度かの撃ち合いで既に刃こぼれしていた。
 椛も勇儀へ警戒しつつ妖夢に話しかける。


「無駄口が多いですね。よっぽど飢えていたんでしょうか?」


「存在意義……彼女は再び手に入れたのよ」


 そこへ、ヤマメが合流する。


「それは止まらないわね。でも、止めるしかない」


 戦い始めてから数時間経過し、途中参戦した妖夢も含め全員の息が上がっている。
 対する勇儀はところどころに滲む血が壮絶な戦いを物語っているが、今だ倒れず、止まらない。
 暴走……に近いのかもしれない。
 彼女の傷の中には重症のものもあるがそれでも暴れ続ける。
 怪我に気が付いていないのか、それ以上のモノをこの戦いに見出しているのかはわからない。
 だが、勇儀にしても疲労は隠しきれないのか明らかに最初と比べ動きが鈍くなっている。
 体力差を考えるとこれ以上戦闘を引き延ばす事はできないと判断した妖夢は勝負に出た。

「ヤマメさん……一瞬だけでいい、あの鬼の動きを止めてくれないか」

「一瞬でいいのか?」

「えぇ、十分よ」


 妖夢の言葉に頷き、ヤマメが走る。
 そして、妖夢と椛の視線が交差する。

 致命傷を与えるための大技はどうしても隙が大きくなる。
 そしてヤマメに一瞬勇儀を止めろと言ったのも物理的にもそうだが、精神的な空白を指す。
 そこが、隙だ。
 その一瞬の隙間に渾身の技を叩き込む。

 ヤマメは既にボロボロだった。
 勇儀との最初の戦闘のダメージが抜けきらないまま、第二戦と突入したヤマメの身体は限界を迎えていた。
 妖怪として、鬼という種族には格が違うのは十分理解していた。
 長期戦ではいずれ力尽き、その剛力で捕えられる。
 ならば、勝負に出るしかない。
 あの鬼を倒せるだけの力がないヤマメは足止めする事しかできないが、それでもやれる事はあるはずだ。


「星熊 勇儀ッ! 勝負だ――ッ!!」


「来いッ! 黒谷 ヤマメ――ッ!!」


 糸をより合わせ巨大な投網を作り、勇儀へ投げ放つ。
 勇儀は近くの大木を引っこ抜き、糸の網を巻き取り、そのままヤマメへ振り下ろす。
 やはり、乗ってきた。
 ヤマメは「勝負」という言葉が好きな鬼の性質を利用する。
 その言葉こそもっとも望んでいた事だったからだ。
 
 ヤマメは糸を離さない。
 糸を巻き取りながら勇儀へ接近する。
 懐に入ったヤマメは背負い投げの要領で投げた。
 
 
「おっと……」


 勇儀は手をついて体を回転させる。
 ダメージは無し、だが勇儀の余裕の表情が一瞬強張る。
 いつの間にか両腕両足に巻きついた糸が動きを封じていたからだ。

「こんなものッ!」

 勇儀が万力の力を込める。だが、破れない。
 それどころか力が抜けていく……身体が痺れている。
 先ほどヤマメから注入された「原因不明の熱病」の効果だろう。
 ほんの一瞬だけ、動きが止まった。


 ――そこへ、二つの影が接近する。


「椛、呼吸を合わせます!」

「はい、行きます!!」




      ――人鬼「未来永劫斬」――




 一瞬は、極限。
 二人が技を放つのと、勇儀の呪縛が解けるのは同時だった。
 一瞬の静寂の後、勇儀の体には両肩から腹にかけ二つの切り傷が走り、血が噴き出した。


「ぐ、はっ……」


 両腕をついて倒れる勇儀、
 それに対し椛と妖夢は立っているのがやっとという状態で構えを解かず、勇儀を見据える。


「ふ、ふふ……はっははははははははッ!!」

 傷口が開くのも構わず、勇儀が大笑いする。
 何がそんなに嬉しいのかわからずヤマメ達は困惑する。


「いや~参った参った……私の負けだよ。ははは、潔く負けを認めようじゃないか!」


 体中から血を流し、それでも豪快に笑う鬼は晴れ晴れとした表情で妖夢達を見る。
 その隙だらけな状態にも関わらず、追撃をしようという気が妖夢達には起こらなかった。


「今日は退散させてもらうよ。せっかくの得難い敵(友)と出会ったのだ。ここで終わらせるのは惜しい。
 ……それに宴は終わりのようだ」


 勇儀の視線に気づき周囲を見回す。
 そこには勇儀達を取り囲むように目が光っていた。


「お前達……何故ここへ……」


「……姉さん……無事で良かった。連絡があったんだよここに来いってね」


 ヤマメの里の者達だ。
 勇儀の挙動に何時でも動けるよう臨戦態勢になっている。
 里の若い衆が動くのを押し止め、勇儀に問いかける。


「勇儀……貴女は何故、紅魔に付いている? 
 貴女は本当は憎しみ殺し合う友より、酒を酌み交わし笑い合う友を求めていたのではないのか?」


「そうさね、でもこれが私の選んだ道だよ。
 案外この道を歩けば誰かが殴って止めてくれるかもしれないしな、私は甘えん坊なのさ」

「逃げた先に……逃げ道があるなんて――っ!」

 ヤマメの叫びは勇儀に対してというより、自分自身に言い聞かせたものだったのかもしれない。
 勇儀は笑って手を振り、傷ついた身体を支えるように森の奥へと消えて行った。


「追うな! 死にたいのか!!」


 ヤマメは若い衆が勇儀の後を追うのを止めた。手傷を負わせたとはいえ、相手は鬼だ。
 追撃したところで悪戯に犠牲者が増えるだけだ。
 ヤマメ達は力尽きたようにその場に崩れ落ちる。
 遠くから見守っていた文が慌てて駆けてくる。


「大丈夫ですか! みんな!」


「文さん……逃げてなかったんですか!?」


「逃げたわよ。悔しくて情けなくて腸煮えくり返りながらね。
 それで電話したのよ。助けを呼ぶしか私にはできないから……」

 椛を助け起こす文。
 土蜘蛛の里とは言っても平成の世だ。
 未開の隠れ里という訳ではなく電気や水道も通っている。
 当然、電話も……記者である文にとって取材対象になりうる相手の連絡先を聞く事は習慣と言って良かった。
 習慣過ぎて直前まで連絡先を聞いていた事を忘れてはいたが……、
 山の中でも通じるにとり特製の携帯電話がありがたかった。
 
 あの鬼相手にどこまで威嚇になったかわからないが、少なくともヤマメ達にとっては心強かっただろう。

「良く、頑張りましたね。椛」

「文さん……助かりました、ありがとうございます」


「本当によくやりました。椛、成長しましたね」


 文が椛を労っていると刀をしまいながら妖夢が声をかける。


「師匠……ありがとうございます。まさか、あの鬼に勝てるとは思いませんでした」


「それは私もです。椛とヤマメさんの力がなければ到底太刀打ちできる相手ではありません」


 そこへヤマメが支えられながら笑顔で近づいてくる。


「お疲れ様、皆のおかげで助かった。土蜘蛛の里を代表してお礼を言うよ。
 この後里で祝勝会をするんだ。皆もぜひ参加して欲しい。腹も空いた事だしな」



「師匠もヤマメさんの里にお邪魔しましょうよ!」

「いや、私にはまだ任務があるので――」

「あやや、妖夢さん。まあまあ良いじゃないですか。今日ぐらい仕事は忘れて、皆で騒いで疲れを癒しましょう!
 仕事は明日から、でしょ!?」


 文の強引な誘いに疲れもあってか、思わず頷いてしまった妖夢を勇儀の歩いた反対の方向へ背中を押して行く。
 ――光と影、
 勇儀が本当に歩きたかったのは私達の道だったんじゃないか……。
 彼女は一人で森の中へと消えて行った。
 強者であるはずなのに、誰よりも強いはずなのに彼女は孤独だった。
 
 私達は彼女と比べ遙かに弱く脆い。
 だが、何故だろうか。彼女の強さに憧れを抱かないのは……、
 その強さゆえ彼女は一人なのだろうか。

 見つめる先の薄暗い森には風になびく木々のざわめきしかなく、とても静かだった。





















 薄暗い図書館に月の明かりが静かに目を閉じていたパチュリーの顔に掛かる。
 目を開けるとそこには小悪魔がにっこりと笑い、持っている盆を軽く掲げた。


「起こしてしまいましたか? 紅茶をお持ちしました」

「そう、ありがとう。そこに置いておいて」

「はい……後、チルノさん達がパチュリー様に感謝していましたよ」

「当然の事をしただけよ。彼女達を呼んだのは私よ。ロンドンに来なければ彼女達も傷つかずに済んだかもしれない」

「私が言うのも何ですが……過ぎた事です」

「それはわかっているわ。チルノも……そう言うでしょうね。
 ……貴女『ピノッキオ』は知ってる?」

「あ、はい……パチュリー様が初めて私を召喚された際、読んで下さった絵本ですよね。覚えています」

「そうだったかしら……忘れちゃったわ」

「そう言えば、あの話最後はどうなるのでしょうか? 
 パチュリー様は途中まで読んで『やっぱり他の本にしましょう』と言ったっきりでしたね」

「……ピノッキオは最後、いい子になったご褒美にと女神は人間になる魔法をかけた」

「夢の……お話ですか?」

「夢の無い話よ」


「……冷めないうちにどうぞ、失礼します」


 そう言い残し、小悪魔は図書館を出て行った。




「『運命』か……レミィが好きな言葉ね」




 紅茶のカップを傾け、口に含めば豊潤な香りが広がり、心を落ち着けてくれる。
 そして、パチュリーの胸の間からすーっと伸びる白い刃があった。


「かっ……は……」


「そして……貴女が死ぬのも『運命』の一つ。歯車は止まらない」


 パチュリーの口から紅茶よりも赤い鮮血が飛び散る。
 咄嗟に発動した魔法弾でパチュリーの椅子の背後を攻撃する。
 同時に身体を貫いた刃は引き抜かれ、血が飛び散る。


「貴女はお嬢様を裏切った。これは断罪、私は罪人を掛ける十字架。
 全てはお嬢様の夢の為に……あは、ぎゃはっははははは!!」


 闇より染み出した黒い存在は、輝く金色の髪と瞳で無邪気に胸を押えるパチュリーを嘲る。
 顔以外は闇の衣に覆われ、浮遊するその姿は亡霊のようでもあった。


「レミィが……望んだこととは思えないわ。貴女は暴走している」


「そうよ。自覚して暴走しいてるのよ。ぎゃはははは、性質悪いでしょ♪」


「最悪を自覚しているなら、ここで貴女を逃がすわけにはいかない」


 突如、パチュリーの周囲に五色の結晶体が現れる。
 賢者の石と呼ばれるそれはパチュリーの魔法を制御する要でもあり、魔力を増幅する装置でもあった。
 火水木金土の五属性を現すそれは本来相容れないモノである。
 だが、パチュリーはその膨大な魔力と知識で二つ以上の属性を組み合わせ自分のスペルとして発動することができる。


「が、ふぅ……げほ、げほ……」


 だが、あくまで体が万全な状態であればの話だ。
 既に致命傷を受けた身体がどこまで耐えられるかわからない。


         ――火符「アグニシャイン」――


 その業火は空気を焦がし、過去の亡霊を焼き尽くす牙となりルーミアへ襲い掛かる。
 そして飲み込んだ。
 ルーミアの影ごと、


        ――金符「シルバードラゴン」――


 それで終わらない。
 魔力で形作られたドラゴンは意志を持ったように影を追い、喰らいつく。
 そのうねりは魔法で保護された図書館の結界を揺るがし、聖堂を揺らした。



「もう、生きているフリをするのを止めたらどーお?」



 散り散りになった影が寄り集まり、パチュリーの前で可愛らしい顔が形作られる。
 ちょうど暗闇のカーテンより顔を覗かせた無邪気な子供のようにソレは振舞う。


「あなたこそ、その目障りな容姿……止めたらどうなの? 
 その甲高い声も、子供っぽい仕草も全て鼻につくわ」


「私はこの姿が気に入っているの」

「あら奇遇ね。私もこの姿が気に入っているわ」

「否定はしないのね」

「肯定もしてないでしょ」


 その言葉を合図にルーミアの身体から滲み出た妖気が闇へと姿を変え、景色を侵食する。
 パチュリーもそれに呼応するかのように口の中の血を吐き出し、詠唱を始める。
 そして発動する。
 闇を退けるには全ての母である力で、照らし出す。






       ――日符「ロイヤルフレア」――








「生憎持ち合わせが少なくてね……でもこれならマシかな♪」



       ――月符「ムーンライトレイ」――






 そして、轟音。
 そして、振動。
 それは空中に浮かぶ聖ヴワル大図書館を震わすには十分すぎる程の力の衝突だった。
 その様子をどこか遠い所で誰かが笑った気がした。






















―第四十九話 「ピノッキオ」、完。



―次回予告。
≪疲れた事に疲れた人は自分から向かない限り、
 暗闇を見ようとしない。


 これは……前に進むための涙だ。
 明日から笑って過ごせるための涙だ。
       
 


 次回、東方英雄譚第五十話 「エンディングノート」 ≫




[7571] 第五十話 「エンディングノート」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/09/16 23:00




 ざっく、
         
            ざっく、
                      ざっく、




 土をかける音が聞こえる。

 これが何度目になるだろうか。






 ざっく、
          ざっく、
                      ざっく、



 この音は何時聞いても嫌だな。

 私という現象の終了を意味する音。




 ざっく、





 あとは好きにすればいい、私がそうしたように。
 私がじっと見つめると、無表情に見つめ返す。
 さようなら……私。














 きぃきぃと車椅子を鳴らし、近づいて覗き込む。
 可愛らしく寝息を立てて目を瞑る橙の頭を優しく撫でる。
 パチュリーに絶対安静で面会謝絶と言われ、その意味も理由も十分過ぎる程わかっているが……。
 こうしなければ、とても眠れそうにない。
 本当にごめんね、橙。
 
 心の中で呟きながら突如巻き起こる冷気を必死になって押し留める。
 気を抜けば……前と同じになってしまう。
 人間が憎くなってしまう。
 それはマズい、考えないようにしていたのに……囚われてしまう。
 
 ≪人間人間人間人間人間人間人間人間人間人間…………≫


 私はまだ……まだ……過去を越えられていない。


「ごめんね……寒かったね、橙。もう行くね」


 この世界を見下ろす第三者から見れば、精々滑稽だろうな。
 まるで……道化だ。
 魔理沙をなだめながら、橙を傷つけた人間を見つけ出し八つ裂きにしてやる方法を、
 何十、何百、何千通りとシミュレーションを重ねる自分がここに居る。
 例え、実現できたとしても根本的な解決にはならない――というのは机上の空論。
 実際やったところで、裏社会の一部を排除できて御の字といった所だろうか。
 今すぐにでも行動を起こしたい所だが時間が足りない。

 一番の懸念は、人間との戦争が泥沼化し本来の敵を見失う、或いは隙を突かれ付け込まれる。
 もしかしたら今回の件も裏で紅魔が手を回したのではないかと考える。
 そうすると一部の権力を握る人間側に協力者がいるのかもしれない。
 そうなると厄介な話になる……、
 何が最悪で何が最善か……。

 感情だけで動ける時間は過ぎ去った。
 迂闊な行動はみんなに迷惑がかかる。
 


「うぅ……」


「起こしたか……寝言か……?」





 ズズゥ――、






「何だ?」


 どこか遠くで響く音がしたかと思うと、次の瞬間、





 ――ズンッ!!






「――この振動……これは、戦闘だ」


 衝撃で一瞬車椅子が足を取られる。
 こんな空中で敵の侵入を許した!?
 空を浮遊する大図書館はパチュリーの入念な結界に守られている。
 どんな強力な妖怪でも破るには苦労する代物だ。
 だが、現実には敵が入り込み戦闘が行われている。
 手段はわからんが、相当な化物が入り込んだ可能性が高い。
 そう判断するや、すぐに携帯を取り出し霊夢へかける。
 何度かのコール音が鳴り携帯に霊夢の声が響く、


「…………霊夢か、魔理沙も一緒? ならすぐに合流する。場所は……」


 
 現状で戦闘可能なのは霊夢と魔理沙、小悪魔とパチュリーは所在がわからない状態にある。
 だが、先ほどの振動……迎撃にあたったのが小悪魔かパチュリーなら連絡の取りようが無い。
 敵の人数もわからない。
 対処しきれるか……、
 
 あぁ……こんな時に動けたらと現実的でない『もしも』は止めろ。

 冷静になれ、冷静になるんだ私。
 敵は何故ここを狙った?
 紅魔の刺客は私達がここへ知っていた……今までの事も考え紅魔は単なる力押しの妖怪集団ではない。
 情報戦に秀でた者がいるのか、それとも別の組織が協力しているのか……、

 いや、妖怪だけに囚われるのは危険だ。
 ……『人間』か!?
 人間の組織、それこそ『HRB』のような組織と繋がっていたら……。


 ――『HRB』とは『Human Red Blood(赤い血の人間)』の略 で、
 十九世紀のイギリスで発生した、人間至上主義の妖怪差別団体だ。
 橙の事件は一個人の怨恨で行動したとはどうしても思えないからだ。
 組織力、情報力、経済力等々を含め一番可能性が高い。
 また起こるのか……あの悲劇の夜が……いや、させない!
 


――ガァアアアアアンッ!!



 そこまで考えが到った時と同時に、病室の窓が割れ、黒い服で統一された集団が襲って来た。
 病室に入った直後、その集団は銃を乱射する。


「やはり……来たか!」


 同時に、チルノはポケットに忍ばせていたパチュリーの懐中時計を取り出し、迷わず押した。





 ――時が






 ――止まる。





 ――いや、加速したと言った方が正しい。


 時間とは因果律である。
 時空連続体といっていい。
 本来これを操る術はないが、パチュリーから渡された懐中時計はその法則に手を触れることができる。
 これを使用すると使用者の身体に巡るタキオン粒子を操作し、時間流を自在に行動できるようになる。
 実際は使用者の時間が加速しその結果として、使用者以外の空間を流れる時間が止まっているに等しくなる。
 そして、この現象を便宜的にこう名付けた。


       ――『CLOCK UP』、と。


 ……雨のように打ち出された銃弾の移動速度が落ち、空中で漂う。



 急がなければならない。
 この装置を十分使いこなせてないチルノに許された時間は……たったの一秒。
 瞬きするような瞬間に行動を起こす。
 戦えない自分の身体にできること。
 それは橙の盾になることだけだった。

 寝ている橙に覆い被さるように倒れ込む。
 


 ――そして、



 ――時は再び動き出す。






 ――ドドドドドドドッ、



 撃ち込まれる銃弾の嵐、
 チルノは自分の周囲にある水分を凍らせ、高密度の結晶を作る。
 もちろん銃弾全て受け止める程の力は使えない。
 それでも自分が使える妖力の全てを出し切った。

 致命傷を受ける個所に重点的に結晶を出現させる。
 先ほどの一瞬、倒れ込む際に敵の弾道を計算。
 銃弾が来る位置に配置した結晶は銃弾をはじく、或いは方向を狂わせる。


「ぐ、くぅう……」


 それでも全てを防ぐ事はできず、腕や脚に当たる。


「――――ッ!?」


 敵は一瞬でチルノが動いた事に若干動揺したが、声は出さず手で合図し、
 再び銃口をチルノ達へ向ける。
 その一連の動きからわかる通り、かなり訓練された集団だ。
 
 再び、懐中時計に手を掛けたところで、それ以上指が動かなかった。
 それどころか全身の力が抜けていく。
 
 これが……反作用ッ!?

 パチュリーから説明を受けてはいたがこれほどとは……。
 だが、承知の上での行動だ。
 自分の持つツールの内、これしか時間を稼ぐ方法はなかったとは言え……。
 
 しかし、一瞬だが時間は稼げた。




「――霊の札」



         《Homing amulet》



 光輝く札が、襲撃者に襲い掛かる。
 悲鳴と同時に発砲音が鳴り響くが、その流れ弾は札が集合し壁となってチルノ達に命中する事はなかった。


「大丈夫!? チルノ、橙っ!!」

「大丈夫よ……良かった間に合って」

「こいつ等、何なの?」

「人間……おそらく橙を襲った組織」

「妖怪じゃないの!? 
 ……だけど、私達を襲うなら容赦しない!」


 霊夢の気迫にも動じず、黒服の集団は淡々と任務をこなす。
 銃口を向け、引き金を引いた。
 その行動に霊夢も躊躇わなかった。





           《Secret vent――『陰陽鬼神玉』――》



 轟音が響き渡り、壁を壊し、人を薙いだ。
 部屋に犇めいていた黒服の集団は一掃され、壁の向こうには星空が広がる。
 霊夢は壊した壁から外を見て、敵が一先ずいなくなったことに安堵し、チルノへ駆け寄る。
 
「何だったのあいつ等は!?」

「おそらく……思った以上に問題が複雑になっている。正義が一つではないということよ。
 ここは危険……移動するわ」

 問題は既に紅魔を倒せば済む話ではなくなってきた。
 パチュリー達と合流を急がなければならない。
 背景を操っている者を表舞台に炙り出すしかないわね。













「パチュリー!! どこだッ!?」

「パチュリー様!! 返事をして下さい!!」


 書庫へ向かう途中、小悪魔と合流した魔理沙は何度かの衝撃の後、静けさを取り戻した書庫の扉を開けた。
 その惨状は隕石が落ちたのではないかという有り様だった。

「パチュリー様っ!?」


 崩れ落ちる本棚の隙間に倒れているパチュリーを発見し、小悪魔が駆け寄る。


「パチュリー様……しっかりして下さ……ひっ!」


 助け起こそうとした小悪魔が予想以上に軽いパチュリーの身体に驚愕する。
 ぐったりとしたパチュリーは体中から血を流し、その腰より下がなかった。
 魔理沙も言葉も無くし、その場に佇む。


「パチュリー……そんな……」


「……う、うう」


 息も絶え絶えながら小悪魔の呼びかけにパチュリーがわずかに目を開ける。


「……こ……小悪魔、チルノ達を連れて脱出しなさい、すぐに」

「パチュリー様、もう……もう喋らないで下さい。後の事は……」

「えぇ……私はもう駄目よ。だから私を置いて逃げなさい」

「おい、パチュリー何言ってんだ!! お前を置いて行けるわけ……」


 魔理沙が抗議の声を上げるのを、パチュリーは苦笑いをして答える。


「勘違いしないで……私はここで終わりだけど、次の私が目覚める。
 だから、後は次の私に任せるのよ」

「何……言っているんだ……意味分からないぜ!?」

「……小悪魔」

「はい、後はお任せ下さい……お疲れさまでした。パチュリー様」



 そこへ、ガラガラと音を立て起き上がる者がいた。
 闇色のマントを翻し、無邪気な笑みを浮かべた悪魔は金色の瞳でこちらを見据える。


「ルーミア……あの野郎ッ……」

「魔理沙さん、戦っては駄目です!! ここはパチュリー様の指示に従って下さい!」

 魔理沙が変身しようとするのを強引に止め、小悪魔は魔理沙の腕を引きこの場から逃げようとする。


「お前こそ何言ってんだ!? 敵が……ルーミアが目の前にいるんだぞ! あいつは危険だ!!」

「……行きなさい、魔理沙……足止めできるのは少しの間だけよ」


 血を吐きながらも逃げるように言うパチュリーを前に魔理沙の顔が苦しげに歪む。


「……私は人形でしかない。オリジナルはずっと昔に死んでいるわ。
 『生きているふり』をしているだけ、気にする必要はないわ」


 それでも納得しない魔理沙を追い出す様に、魔法の詠唱始めた。
 周囲に飛び散ったパチュリーの血が集まり、少しずつ大きな結晶を作っていく。
 血の深紅で生まれたそれはパチュリーの命そのものも魔力に変換しているのかもしれない。





          ――火符「アグニレイディアンス」――






 立ち上る火柱が魔理沙達を拒絶する壁を作る。
 パチュリーを中心として火炎の刻印が周囲を焼き、
 地獄の業火のような灼熱の竜が闇を喰らいつくそうと咆哮する。




「魔理沙さん!! 早く! 巻き込まれます!!」

「……くそっ!!」


 魔理沙は怒りを吐き出し、小悪魔の後に続く。
 書庫を抜け、階段を降り、飛空艇へ急いだ。
 移動中、魔理沙は小悪魔に聞いた。

「……お前は悔しくないのかよ。自分の主人が死んだのに」

「……私は、パチュリー様に長い間お仕えしてきました。だから貴女が言いたい事もわかります。
 ですが、私はパチュリー様の意思を引き継ぎ、次のパチュリー様にそれを伝えます」


「……だから、それがどういう」




 ――カッ、カッ、




 飛空艇に到着した時、魔理沙達のすぐ後に彼女も到着した。



「――見てもらった方が早いわね」



 後ろからかけられた覚えのある声に魔理沙達は振り向く。
 魔理沙は目を疑い、開いた口が塞がらなかった。



「おい、嘘だろ……あんなに大怪我だったのに……」



 そこには腰から下が普通にあり、それどころか傷一つ負っていないパチュリーがいた。


「先ほど魔理沙と話していた私は死んだわ。そしてそれがスイッチとなって私が目覚めた」

「人形……」

「そう、現代技術でクローンて言った方がわかりやすいかしら。でも私は知識も記憶も全て共有している。
 さっき魔理沙と会話した内容だって言えるわ」

「人形……」

「早く、チルノ達とも合流しましょう。どうやら敵はルーミアだけではないみたいだし」



「……それだけかよ」



「何が?」

「パチュリーは私達を逃がすためルーミアと戦った! 
 あんな……ボロボロで……それなのにお前は、人形だから! 人形だから! 人形だからッ!!」

 突然、魔理沙はパチュリーの服を強引に掴みかかる。
 そして右手を振り上げた状態で止まる。
 それでもパチュリーは動じず、魔理沙を冷めた目で見つめる。
 前の……パチュリーとは言わない。
 前でも後でも、そういうことではないのだ。

「私も人形よ。今は忙しい時間でしょ? 文句、罵倒、憎言の類は後でまとめて聞くわ」




「お前は……『ピノッキオ』を知らないのかよ!!」

「夢の無い話よ」

「…………夢のある話だぜ」


 それを最後に魔理沙はゆっくりパチュリーの服を離す。
 パチュリーは服を正し、何事も無かったかのように小悪魔に指示を出す。

 だから、どうだというのだ。
 だから、どうだというのだ。
 だから、どうだというのだ。



 それだけのことだった。


 振り上げた手は握り締められ、やり場のない怒りをドンッと壁に打ち付ける。


「……バッカヤロウ……簡単に……簡単に言いやがって」


 ぎりっと噛み締めた口は歯痒さを現し、虚しさに変わる。
 自分の怒りが正当なものであるはずだという認識がブレる。
 間違えたのは私なのか……違うだろう? 
 魔理沙……。
















 『人形』……パチュリーは最初ある人形師に依頼し、自分の身代りを作ったのがきっかけだった。
 それは単に魔女として忌み嫌われていた自分が殺される可能性を考慮し、成り代わるだけの用途でしかなかった。
 だが、あまりにも良くできたその人形の瞳を見つめていると本当に自分はここにいるのかどうしようもなく不安になった。
 目の前の存在は作られたモノ、考えるフリして、生きているフリして……全ては紛い物。



 頬に触れてみた……暖かくまるで生きているみたいだった。

 つねってみた……痛がるそぶりをして嫌がった。

 頭を撫でて髪に触れる……にっこりとこちらを見て笑った。

 笑い返そうとして無理だった。
 何故か負けた気がして悔しかった。

























―第五十話 「エンディングノート」、完。



―次回予告。
≪澄み渡った夜、現と幻の境界線上の三日月の先に私は降り立った。
 
 どこまでも優しい風が頬を撫で、
 それが偽りである事を知っている私は苦笑いをせずにはいられなかった。
       
 


 次回、東方英雄譚第五十一話 「天地明察」 ≫





[7571] 第五十一話 「天地明察」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/09/20 19:55

「成層圏から殴られる経験は?」



《Master‼ ALERT ALERT》


 上から降ってきた問いかけに私達は緊張した。
 魔理沙のベルトが接近する巨大な妖力に気づき、警報を鳴らす。
 これだけでは終わらないと思いながらも、どこか逃げ切れたと油断したい気持ちに囚われた。
 反射的に見上げた空。
 暗い雲の隙間から高速で接近するモノがあった。
 モノと表現したのは振り上げられた拳が普通の質量ではなかったからだ。

 それは雲を寄せ集めた構造物。
 本来到底殴れない密度の現象が暴力となって襲い掛かる様は、常識では測れない妖怪の力だろう。


 ドゥオオオオオ――――ンッ!!



 妖怪の目論見は成就させなかった。
 霊夢の咄嗟の機転で張った防御陣が飛空艇を覆った。
 しかし、殺しきれなかった衝撃が機体に響き、推力が落ちる。



「あらあら、大変……雲山、手加減は優しさではありませんよ」


「っざけやがって!! なッ……!?」


 魔理沙が八卦炉を握りしめた先に見たのは視界を全て覆う程巨大な顔だった。
 雲を寄せ集まり固まったそれは雲の密度の差で顔の輪郭が空に浮かんでいた。




 巨大な……膨大な……威圧感。
 『雲山』と呼ばれるその存在を見た時、誰もが一瞬思考停止せざるを得ないだろう。




 小悪魔が操縦する飛空艇はチルノ達と合流すると、図書館を脱出すると全速力で離脱をした。
 それ以上留まっていても危険しかない。
 非常時に備え、図書館に重要な物は置いていない。
 後で調べられても、ただの書物の山でしかない。

 躊躇いなく住処を明け渡し、最善の速さで逃げの一手に徹したのも。
 追いつかれる可能性を少しでも少なくしたいからだ。
 だが、敵の数の全容は把握するにはまだまだ分からない事が多い。
 チルノが紅魔館に所属していた頃、主要な妖怪は調べていたが予想以上の速さで規模が拡大している。
 パチュリーが言うようにこれはレミリアの指示では無いとすると、人間と組んだ妖怪組は紅魔以外にある。



「霊夢、結界は崩さないで!」


 本来なら戦う相性ではチルノの能力が最適だろう。
 しかし、現状で力を使えないチルノには無理だ。
 霊夢は飛空艇全体を保護する結界で手が塞がっている。
 迎撃できるのは……。

 そこへ、チルノの携帯が鳴る。
 表示――『河城 にとり』


「にとりか……今大変なんだ……敵に空中で襲われてて」


「こんな事もあろうかと……密かに開発していた河城工房印の兵器が役立つ時が来たようだな!!
 くぅ~言ってみたかったんだこのセリフ!!」


 妙に興奮する幼馴染に呆れつつも、チルノは苦笑して魔理沙を見る。


「魔理沙、ジェットスライガーが完成した」


 その言葉に魔理沙は笑みを浮かべ、飛空艇の出口へ走る。


「チルノここは任せろ! 空中戦を仕掛けるッ!!」

「魔理沙、何をっ!?」


 霊夢が驚いて魔理沙の行動を止めようとする。
 魔理沙は「いいから見てな」と言い残し、空中へ身を躍らせる。


「行くぜ、相棒! 私達の時間だ!!」

《Yes, my master.》




 そして叫ぶ――、






「大・変・身!!」







《Complete》


《Jetsliger come closer》




 ゴォオオオオオオオオオオオ――、


 何かが光った。
 そう理解した瞬間それは一瞬で距離を詰め、空中ダイブをした魔理沙を搔っ攫う。
 旋回。
 急上昇する。


「何だ!?」


 雲山を操る妖怪、雲居 一輪は驚愕した。
 飛空艇から誰かが飛び出したと思ったら、高速で接近した何か通り過ぎ。
 そして、雲山の顔を吹き飛ばした。


「雲山!!」


        ――拳打「げんこつスマッシュ」―― 



 雲の化身である雲山に物理攻撃は意味をなさない。
 だが、雲山側からしたら攻撃の際は妖力で固めた雲の拳を叩きこめば良い。
 この空全てが射程距離であると言ってい良い攻撃に造作も無く撃ち落とせるだろう。
 そう判断した一輪の行動は当然と言えた。

 
「お値段以上、にとり製品を舐めんじゃねぇ――!!」



≪Immelmann turn≫

 インメルマンターン……航空機のマニューバの一つである。
 ピッチアップによる180度ループ、180度ロールを順次、あるいは連続的に行うことで、縦方向にUターンする空戦機動を行う。


≪Barrel roll≫

 バレルロール……横転(ロール)と機首上げ(ピッチアップ)を同時に行うもので、横倒しの樽(バレル)の内壁をなぞるように螺旋を描きながら飛行する。
 緩やかに操縦桿を引き、横に倒し、結果斜め下に倒すことにより行う。



 通常の空中戦でも戦闘機同士のドッグファイトと言われる接近戦において『マニューバ』と呼ばれる航空機の機動が用いられる。
 魔理沙の場合、それだけの飛行技術は無いがベルトの人工知能とジェットスライガーが一体化し雲の隙間を計算により弾き出す。






『ジェットスライガーは魔理沙と相性の良い核で動くよう設計されている。
 それ自体にも人工知能を備え、魔理沙の持つベルトとフュージョンする事により……。
 経験知の相乗効果が起こり、結果……思考回路の高速進化が可能となる』


 ――にとりと共同開発をした霊鳥路 空の弁だった。







「なっ、そんな馬鹿な……」

「知ってるのか? それとも知っててやっているのか? 
 それは死亡フラグだぜ」

「しかし、逃げるばかりじゃ。私は倒せないよ、雲山!!」



          ――忿怒「天変大目玉焼き」――



 突如、雲山と呼ばれる顔の目の部分が光る。
 それは放射状に放たれた高速のレーザーとなって雨のように容赦無く放射状に放たれた。


「来たなっ!」


 ――ゴォオオオオオオオオ、

 ジェットスライガーを急上昇、技の効果範囲を超え雲の絨毯を抜ける。


「逃がさんっ!!」


 雲山の肩に乗る一輪は魔理沙を追いかける。
 誘いに合えて乗ってやる。
 空は一輪達にとって庭も同然だった。

 雲を超えた途端、ジェットスライガーから放たれたミサイル群が一輪を襲う。


「こんなものっ!!」


 現代兵器が妖怪相手に本気で通用するとはどちらの側も思っていない。
 これはデコイだ。
 煙が一面に舞い、視界を覆った事から明らかだった。


「マスタァアア――スパァアア――クッ!!」


《――one》


 ほら来た、
 一輪は雲山を前に進め防御をする。
 視界を遮り、相手の油断を誘う。
 だが、想定していた一輪には通用しない。
 魔理沙渾身のマスタースパークは雲山の手の平に防がれた。


「まだまだっ!!」
 

《Magic vent―『スターダスト』―》


《――two》


 夜の帳から星屑の雨が降り注ぐ。
 頭上で魔力が爆発し、反対に一輪達を覆い尽くす。
 一輪は引かない、より一歩前へ進む。


「雲山!!」


 魔理沙との距離は直線。
 一輪を守る延長線上が攻撃のチャンスと見た。
 雲山は真っ直ぐに星の瞬きを物ともせず潜り抜ける。



       ――潰滅「天上天下連続フック」――



 拳が唸りを上げ、頭上の魔理沙へと襲い掛かる。
 技の中心点が敵の現在地である事を示す。







「――しまったっ!?」







 雲山は容赦無く、殴りつけた。
 雲山の動きが止まる。


「――どうしたっ!? 雲山!」


「――ピッ、ガ、マスターガガ、――しま、しまったしまった、ガガ」


 雲山の拳で壊されたソレは魔理沙の声を出すデコイ。
 本物は……、


《――three―Exceed charge》


 降り注ぐ星に隠れ、接近を許した。
 そう理解したのは魔理沙の振り上げた足が視界の隅で捕えたのと同時だった。


《Rider kick》


 反射的に庇った腕が音を立てて折れていく。
 そして脇腹へとクリーンヒットする。


「ぐ、ぉおおおおおおおおお!!」


 一輪は衝撃で飛ばされ、力が出せないのかそのまま空から落ちて行った。


「……見事だ、霧雨 魔理沙……お前の名は再認識したよ」


 雲山が落ちて行く一輪を拾い、あっという間に戦線を離脱した。


「あいつ……私の名を知ってやがった……へっ、悪名が轟くってのも悪い気じゃねぇな!!」


 自分の落下先に呼び寄せたジェットスライガーに降り立ち、変身を解く。
 ふと光が横から魔理沙の顔をゆっくりと照らし出す。
 夜が……終わる。




















 夜の公園に少女が佇んでいた。
 冷たい風が程良く心地良く、何故自分がここにいるのかわからなかった。
 だが、何故か……誰かに呼ばれてここに来た。
 そんな気がした。


 月明かりに照らされる噴水の水音しか聞こえず、誰もいない。
 公園のベンチに座る。
 遠くから虫の音が聞こえ、目を閉じ耳を澄ませる。
 ゆっくりとした時間が流れ、そして変化が起こった。



 ――音が一切止んだ。



 急いで目を開くと、そこは異世界に迷い込んだのではないかと奇妙な錯覚に囚われる。 
 周囲の景色はいつも通りの公園だった。
 妙な胸騒ぎ、何かが起こった……そう感じた。





 ……薄く輝く三日月の夜だった。
 
 ……暗闇に爪を立て、その闇を切り裂かれた。


「……ッ!?」


 目も前の出来事なのに目を疑った。


 ――ズ、ズ、ズ、


 ゆっくりとゆっくりと切り傷が広がり、開いていく。



「見つけたわ……」



 息を呑んだ。
 圧倒的な存在感が空気を支配する。
 妖怪……しかもとてつもなく危険な……。

 動けなかった。
 体がこの存在から目を背けることを躊躇った。
 
 逃げたい逃げたい逃げたい……。
 焦り、背中に冷や汗を伝う。
 自分が何故ここにいるのか唐突に理解した。


「マエリベリー・ハーン……結界が見える貴女なら私を見つけてくれると思ったわ」


 その存在は母のような慈しみの表情でメリーの顔を包みこんだ。
 何か言おう、だが、口がぱくぱくと開くだけで言葉にならない。
 ふふ、と微笑み、恐怖に慄くメリーの頭を優しく撫でる。
 

「貴女は私がこの世界で存在するための受け皿になってもらうわよ。
 少しの間だけ、この身体借りるわね」


「私……は……死ぬの?」


 その言葉に一瞬唖然とした後、何が可笑しいのか扇子で口元を隠しクスクスと笑い出した。


「ふふふ、大丈夫よ。言ったでしょ? 『借りる』だけよいずれ時期が来れば返すわ。
 私は八雲 紫……幻想郷の大賢者にして管理者。
 約束は……まぁ守る方かしら?」


「何故……私を……」


「貴女は境界を見る力があるみたいね。それがこの世界と別の世界を繋ぐ特異点を発見できる。
 私がこの世界に来たのもある目的の為よ。だけどどういう訳が並行世界であるはずのこの世界に私は存在してない。
 だから、この世界で動くための――」


「――受け皿」


「そうそう、物わかりが良い子は好きよ」


「わかりました……殺さないのであれば少しの間だけお貸しします」


 選択肢は初めから存在しない。
 八雲 紫が現れた時点で既に決まった事項だった。


「約束は守るわ……『八雲』の名にかけて」



 メリーの身体に八雲 紫の身体が重なる。
 そして、辺りの静寂が止み、音が生き返る。



「……上手くいったようね」


 見開いた眼が夜の公園を捉える。


「……この世界は何処か歪ね……妖怪と人間が混じり合った世界。それぞれの生が複雑に交差している」






≪紫さん……これって≫





 メリーの声が今は持主の変わった頭に響く。


「貴女は歴史の立会人よ。家賃の代わりと思ってくれたら良いわ。
 私の目を通してこの世界を見れば貴女の怒りにも決着がつくかもしれないわよ」


≪どうしてッ!? それを……≫


「身体を共有するという事は記憶も共有する事よ。貴女の怒りも理解できるわ。
 もし、貴女が見たくなければ私が借りている間の記憶を消す事ができるけど?」


≪いえ、私も知りたいんです。この世界で何が起こっているのか、
 何故……蓮子が死ななければならなかったのかを!≫









「ふふ、それでは行きましょうか、この世界の行く末と終焉を見に……」























―第五十一話 「天地明察」、完。



―次回予告。
≪――晴れの海を越え
 ――雨の海を越え
 ――嵐の大洋を越え
       
 賢者の住む入口へ。


 次回、東方英雄譚第五十二話 「楽園のメタファー」 ≫




[7571] 第五十二話 「楽園のメタファー」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/10/05 19:25





 ――ザザザザザザザッ、



 魂魄 妖夢の足が止まる。
 西行寺 幽々子から渡されたデータから目標地点はここで間違いないはずだった。
 辺りは静寂に包まれ、全ての生物が息を殺してこちらを伺っているようだった。
 
 森の奥の奥、
 
 朝から進めた歩は既に疲労していたが、万が一戦闘になっても十分戦えるだけの余力は残してある。
 想定外だったのは目の前の光景だった。
 耳につけた連絡用デバイスのスイッチを入れる。


「はいはい、どうしたの~妖夢?」


 いつもと変わらない少し間の抜けた声に妖夢は声の主が間違いなく本人である事を確認する。
 例え、何者かが幽々子の声音を使い分け攪乱させる行動に出たとしても、
 こうも緊張感のない雰囲気を出せるのは容易なことではない。
 妖夢は別に馬鹿にしているわけではなく、幽々子は声の調子とは関係なく物事の先の先まで読む事が出来る知恵がある。
 その点は妖夢も多いに認めるところであるが、これが通常連絡ならまだしも戦闘中も同じ調子だから困る。
 それでも、何故か肩の力が抜け落着きを取り戻せる自分がいることは既に承知している。
 ただし、幽々子にそれを言うとますます調子に乗るのが目に見えているので口が裂けても言えはしないが……。


「妖夢です。目的地に到着しました」

「どう? 見つかったかしら?」

「いえ、何もありません」

「おかしいわね……予想ではそのあたりのはずなんだけど……」


 幽々子は一連の問題……グールの発生個所、時期、事件の調査記録等々を調べ上げ、シミュレーションした結果。
 敵本拠地である紅魔の館は九州の奥地であると判断した。
 そして庭師の中でも最強である魂魄 妖夢を送り込むことで、現地調査を行った。
 もし、本当に敵の本拠地があった場合生半可な者が行っても帰って来られない可能性が高い。
 妖夢だったら、敵に襲われたとしても無事に帰って来れるという信頼の証でもある。



「幽々子様……その予想は間違いなかったみたいです」

「どういうこと?」

「何も……無さ過ぎるんです。まるでその空間ごと切り取られたように森の奥にぽっかりと穴が開いた感じです」


 森林に覆われた山、妖夢が辿った道は険しい獣道しかなく人が通れるような所では無かった。
 本当にこんなところに紅魔館があるのかと半信半疑だったが、それが確信に変わったのは森の抜けた先に広がる地面を見たからだ。
 その地面の中心点に立つと同心円状に広がる空間は不気味に人工的な感じがした。
 誰かがハサミで上から切り取ったように……。


「……既に引っ越ししたのかしら。まぁ用意周到な感じだからその場にはもう手掛かりはなさそうね。
 妖夢、もう帰ってらっしゃい」

「わかりました」


 そして、妖夢が通信デバイス切ろうとした時、幽々子の慌てた声が聞こえた。


「あ、あぁちょっと待って、妖夢!」

「はい、どうされました幽々子様」

 
 滅多に取り乱さない幽々子の事、妖夢は何事かと少し神妙に幽々子の言葉を待つ。
 何かに気づいたのか?
 それとも自分が見逃した重要な事があったのか?
 思わず耳に当てた手が緊張で汗ばむ、周囲に巻き起こった風が妖夢の髪を揺らした。





「……お土産、買ってきて」






「えっ!?」


 妖夢はその瞬間何を言われたか分からなかった。
 思わず再び問い返すと幽々子は若干の緊張を孕みつつ、極秘事項を伝えるよりも慎重に言葉を選ぶ。


「丸ぼうろ、デコポンゼリー、マンゴーアイスクリーム、さつまいもサブレ、雪ウサギ……」


 幽々子は手元の資料を読むように滔々と言葉を滑らせる。
 しかし、妖夢は気づいた。
 すべて覚えているんだこの人は……。
 その名菓子達……北は博多から鹿児島まで全地域を網羅し、全てを買うには相当な時間と相当な、相当なお金が必要だった。
 思わず財布の中を確認した。
 とても妖夢の財布の許容範囲を超えている。
 
 『取り寄せれば済むだろう』というのも中にはあった。
 だが、やっかいなのはネット販売していない老舗のお菓子達だった。
 こんな超私用な用事、わざわざ最強の庭師に頼まなくてもいいのではないかと思うが、
 重要な仕事はもっとも信頼している者に任せる幽々子の事……単に頼みやすいだけだろうが……。
 
 妖夢は『いつもの事』なので、気には……しなかった。
 書き留めたメモを復唱し、確認を取る。


「頼んだわよ~妖夢、期待しているわ」


「お任せ下さい。全ては西行寺の名とこの剣にかけましても……」


 そうして通信を切り、妖夢は盛大に溜息をつく。
 虚しい風が吹いた。

 妖夢が全ての任務を終え、九州を後にしたのはそれから三日後のことだった。
























「全て調べ上げろっ! いいか、何一つ見逃すんじゃないぞっ!!」



      ――小さな小さな賢将、ナズーリン――



 彼女に下された命は、
・聖ヴワル大図書館の襲撃
・館長パチュリー・ノーレッジの保有するあるモノの奪取
・そして、パチュリー・ノーレッジについて生死は問わない



「……ちっ……妖怪が偉そうに」


 ナズーリンの耳にぶつぶつと不満を言う兵士の声が聞こえた。


「君たち! 無駄口を叩くな」


 取り出したダウジングロッドを兵士の首へ突き付ける。
 兵士は一瞬怯んだが、目を逸らせ舌打ちをする。


「そうかい、休む理由を探している訳か……私が見つけてやろう」


 ――ベキッ、


「えっ!? ひ、ぎ……ぎゃああああああっ!!」


 兵士の腕をナズーリンのロッドが撫でた瞬間、嫌な音が部屋に響く。


「誰か、火を貸してやってくれタバコが吸いたいんだと……」


 近くにいた別の兵士が慌てて、崩れ落ちて悲鳴を上げる兵士を立たせ部屋を後にする。
 共同戦線と言いながら実態はこうだ。
 人間は妖怪を忌み嫌い、妖怪も人間を信用しない。
 渡された兵士も訓練されたとは言え底の方では妖怪の下で働く事に嫌悪を感じているのだ。
 対話し、互いを理解し合うというのは一見合理的に見えるがそれは絵に描いた餅。
 そこに『感情』という生物としての本能を計算に入れた時、容易にそれは崩れ得る。
 限られた時間で効率的に仕事をこなすには恐怖による支配しかない。

 しかし、借り物である兵士を殺したとあっては後々問題が大きくなる。
 こちらも後味が悪い。
 要は自分も逆らうとこういう目に合うという事実だけ突き付ければいいだけの話だ。
 やり過ぎると、従うどころか反抗心まで芽生えさせてしまう。
 窮鼠猫を噛む……正しく名言だと、ナズーリンは心の底で笑う。


「ちょっと、ナズーリンッ!」


 流石に見かねたのか少し怒った口調で注意するウサ耳の少女。
 薄紫色の髪。背が高く、スタイルの良い体つきをブレザーで覆い、上から白衣を 羽織るという出で立ち。
 鈴仙・優曇華院・イナバは頭を掻きながら近づいてくる。


「何? 何か見つかったの?」


「とぼけてっ……まったく、私達の任務はッ――」

「あ~あ、あ。わかってるよ。君は心配性だ。何の問題も無い」

「私も派遣組だから偉そうな事は言えないけど、『協力』は大事よ」

「もちろんだとも、私は常に『友好』を旨として行動している。それよりいいのかい?
 連れはまたどこかへ行ったようだが?」

「あ、さっきまでここに居たのに!? まったくも……仕事増やしてあの馬鹿兎はッ!!」


 再び、頭を掻きながら鈴仙は作業員をかき分けて走って行く。
 慌ただしい後ろ姿に苦笑しつつ、ダウジングロッドをクルクルと弄びつつ適当に歩く。



「うんっ!?」



 ダウジングロッドが反応する。
 封印?

 血で書き殴ったような壁、辺りの瓦礫からここで戦闘があった事を物語る。
 ナズーリンはロッドを振るうと、あっさりと封印を破る。


 ――ず、ずず、


「あ~危なかった……」


「ルーミア……君は何を遊んでいる?」


「いや~最後の最後で私を封印しようとしてね、あの魔法使い……でも完全じゃなかったからね。
 ナズーリンが手伝ってくれたおかげで早く脱出できたよ、ありがとう!!」


「君と交戦していたのはパチュリーですか……で、彼女は?」


 ルーミアが指示した先に、床に僅かに染み付いた影が残っていた。


「全て、燃やし尽くしたみたいだね、証拠隠滅かな?」


「手の込んだ事だ。少しはこちらの身にもなって欲しいものだ」


 この世に残った影を一瞥し、再び兵士達への指示に戻るナズーリン。
 ルーミアは身体に付いた埃を払いながら、灰の山に近づき掴んだ灰を口に入れた。
 その様子を見ていた兵士の一人が「ひっ」と悲鳴を漏らした。
 あまりにも自然な異常な行動に見た目の容姿は関係ない。
 あるのは『妖怪』としての具現化。
 その本質は人間の恐怖の象徴。
 あまりにも違う『文化』を前に人は背筋に寒気を覚える。



「やっぱり肉はレアに限るね♪」


 ルーミアの笑い声を止める者は誰もいなかった。




















 ずいぶん遠くまで来た。
 私の歩いた道は遙か彼方の地平線。
 足元の霧は私の進んだ分だけ晴れて地面を露出させる。
 それでも身体に疲れは感じない。
 それどころか、どこまでも歩いて行けそうだ。
 
 誰かが呼んだ気がして歩いてみたけど誰もいなかった。
 歩いているうちに自分が何で歩いているのか、どこへ向かっているのか分らなくなってくる。


 あと、少し――何が?

 あと、一歩――何で?


 どうやら私は……途中で大切な『何か』を落としたらしい。
 だけど戻ったところで拾えるものだったか、そもそもどういう形のものだったか……。


「あれ?」


 ふと、気づく。
 道の端に誰かが日傘を差して立っていた。


「こんにちは」


 美しい横顔がこちらに気づき、優しく微笑む。


「こ、こんにちは……」


 いきなり話しかけられ戸惑うが、なんとか挨拶をかわし再びその妙齢の女性を見る。
 私はこの人を知らない。
 だけど、何故か懐かしい気がする。
 どうしてそういう気持ちになるのかわからなかった。


「……」


 その女性は優しい微笑を湛えながら、じっとこちらを見る。


「どこかで……?」

「いいえ。それより、疲れたでしょう? これ食べなさい」


 そう言って差し出された飴を見て、急に自分はお腹が空いていて疲れている事に気がつく。


「座って食べたら? まだ先は長いのだから」


 そう言うと、指差した先にいつの間にかベンチが置かれていた。
 私は貰った飴を口に含み、言われた通りに腰かける。
 ぼ~と空を眺め、道を眺め、ぷらぷらと座って浮いた足を動かす。
 甘い飴の味が口に広がり、思わず顔が綻ぶ。
 どこか懐かしい味のする飴は少しだけ自分に力を与えてくれたようだ。

 気がつくとその女性が横に腰かけ、自分の頭を撫でている。
 しばらく撫でられるまま私はゆっくりとした時間を過ごした。


「さて、そろそろ行かないと……」


 そう言うとその女性は立ち上がり、再び日傘を差す。
 それにつられて立ち上がる。
 ベンチはいつの間にかなくなっていて、平坦な道が再び視界を捉える。


「飴、ありがとうございます。おいしかったです!!」


 そう言うと女性は満足げに微笑み、今度は道の先を指で指示した。
 再び歩き始める。
 少し歩いて振り返ると、その女性の姿はもう無く、今までと同じ道が続いていた。

 何も変わっていない。
 そう、何も変わってはいなかった。


 このどこまでも続く空も道も、私の歩く速さも。
 でも何故だろう。
 ほんの少しだけ後ろを振り返る回数が減ったのは……。





















―第五十二話 「楽園のメタファー」、完。



―次回予告。
≪このパンドラの箱は人の手によって開けられたのです。
 しかし、
 我々はその閉じ方を知らない。


 次回、東方英雄譚第五十三話 「星空の宝船」 ≫



[7571] 第五十三話 「星空の宝船」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/10/09 21:19



「まず、これを見てほしい」


 そう言ってチルノが会議室の大画面に映し出したのは、ロンドンでの交戦記録。
 コマ送りするなか、その中である妖怪と魔理沙が空中戦をしかけている映像で止まる。


「こんなのいつの間に撮っていたんだ?」


 鮮明な画像に驚く魔理沙。
 それもそのはず、カメラのアングルは一つの固定された視点では無く編集されたように、
 様々な角度で検証が可能な視点を変えた画像が画面を四分割して映し出される。


「戦闘記録は今後の兵器開発や作戦の要だよ。見えるかな?
 私のこの指先、ここには小さな小型カメラを内蔵したロボットが飛んでいるんだよ」


 開発部主任のにとりが自慢げに指示した先。
 そこには目を凝らすと確かに虫のようなモノが飛んでいる。
 ライダーの装備にも自動的に視覚画面を記録する機能があるのは知っていたが、
 それとは別に情報収集するロボットが戦闘中飛んでいたとは驚きだった。


「これは最近開発されたモノなんだ。テストも兼ねて今回の戦闘から採用する事になった
 ジェットスライガーに運んでもらってね」


 魔理沙にウィンクするにとり。
 知らないうちに運び屋になっていたらしい。
 「まぁ、いいけどよ」魔理沙がその事を先に教えて欲しかったと思う反面、あの状況では説明もないかと思い直した。




「まぁ、問題はそこではなくて……」




 チルノが逸れた話の軌道を戻す。
 画面に映し出された画像は魔理沙と交戦した妖怪とそれに付き従う雲の化身を表示している。


「彼女達が参戦してきた事は重要な意味を示している」

「そう、私のデータベースでは彼女は命蓮寺に所属している」


 パチュリーが言葉を引き継ぐように手元の資料を読み上げる。
 妖怪の名は『雲居 一輪』と雲の化身は『雲山』。
 妖怪には単独で生活するものもあれば、ヤマメのように同種で集落を作る者もいる。
 そして、種族は違うが同じ目的あるいは思想でグループを作る者もいた。
 『命蓮寺』という言葉に違和感を覚えた霊夢がしばし考え「あっ」と声を上げた。


「それって、あの寺院の? 妖怪の組織だったなんて……」


 霊夢だけでなく誰もが一度は耳にした事がある寺院の名だった。
 その思想は広く世界に布教され、身近な者にもその教えに共感する者もいる。
 女性の高僧を中心としたその思想は――絶対平等主義。
 人も妖怪も神も仏も全て同じと言うその考えは種族の違いでいがみ合う世界において光明をもたらす思想と人々に受け入れられている。
 本来、命蓮寺に所属している者が他国の戦争や人間と妖怪の諍いに介入する事は稀だ。
 絶対平等主義と共に完全平和主義とうたわれるほど徹底して不介入を決め込む組織が何故関わってくるのか……しかも敵側で。
 
 ここに来て予想外の参戦。
 だが、公式にはそのような事実はないとするであろう寺院側。
 単純にその組織に所属していた妖怪の勝手な暴走とされるだろう。
 だが、聖ヴワル大図書館での組織だった襲撃を考えると一個人の行動と考えるのはあまりにも怪しすぎる。




「キナ臭いわね……どうも。はぁヤダヤダこれだから政治家は」




 比那名居 天子はやれやれとばかりに手を広げ、首を振るのは会議室の隅で行儀悪く足を机の上で組んで椅子にもたれた。
 チルノの視線が天子に注がれる。
 諏訪子が連れてきた(諏訪子曰く、勝手に付いてきた)天子の事が未だにどういう娘なのか掴めないでいた。


「貴女はどう思うの? 天子」

「どうもこうも……」


 意見を求められたのが嬉しいのか、天子は上げていた足を椅子の上で胡坐を組み直し話し始める。


「命蓮寺の坊主達が裏でコソコソしているのは今に始まった事じゃないよ。政治と宗教は所詮切り離せないからね。
 今回、立ち回ってたまたま敵になっただけの話さ。完全に出遅れた感だね」


「確かに政治の根源には宗教がある。私達が重要視していなかった事で先に紅魔につけこまれた。そう言う事?」

「『絶対平等主義』聞こえはいいけど要は八方美人。誰に対しても良い顔をしたいのさ。
 そうすれば、時流の波にもうまい事合わせられるからね」

「うん、なるほど……諏訪子は?」

 そこでじっと腕を組んで会議の様子を見守っていた諏訪子が口を開く。

「まぁ、チルノはわかっていると思うけど。
 天子が言うように八方美人なら特定の組織に肩入れする事も、まして固執もしないだろうさ。
 なら、こちらの交渉の余地もあるんじゃないか?」

「確かに……こちらからのアプローチで牽制にはなるかもしれない。
 理想は私達の戦いに無関心を決め込んでくれるとありがたい」

「逆にこちら側に協力を求める事はできないの?」

 霊夢がチルノへ質問する。

「相手の出方次第ね。でも中途半端に協力されるなら『沈黙』も最大の協力になるわ」


「……この資料にある『聖 白蓮』ってどういう人物なんだい?」


 ヤマメが資料を見ながら横にいるパチュリーに質問する。


 『聖 白蓮』……命蓮寺の中心人物と言える高僧。
 パチュリーが言うに魔法使い、言わば同業者。
 資料にある白蓮はまだ若い女性だが、これは年老いてから学んだ魔術で若返りをした結果だ。
 パチュリーは昔、老人の姿の時会った事があるらしい。
 その時白蓮は法力を学んでいたが、自分より早く死んだ弟の死に嘆き悲しみ、自分も死を恐れパチュリーの魔法を学びに来た事があった。

「その時、『碌な事にはならない』と追い返したんだけどね……」

 パチュリーは資料の若返った白蓮の顔を見る。


「あ、あの……」


 こういった会議に慣れていないのか、おずおずといった感じで手を上げて椛が発言する。


「今後、もし戦場でかち合った場合……交戦する場合があるかも……です。
 戦っていいんでしょうか? 何かややこしい事になりそうな気がして……」


「うん、私もそれを心配している。今回の魔理沙の件も防衛のため応戦したけど、今後の事も含め私は聖 白蓮と会ってみようと思う」


 チルノの言葉に会議室がざわつく。
 「危ないんじゃないか」、「信用できるのか?」という意見も出たが、このまま何もしない方が危険だと判断したからだ。
 会議はそれで終結。
 そしてチルノ達と白蓮との交渉が実現したのは、それから一週間後の事だった。



















「今回の会談、思いの他早く実現して助かります」


 飛空艇の中、チルノはすぐ横でニコニコ笑う幽々子に感謝の言葉を述べる。
 国を動かす首脳でもないチルノにとって最もやり難い相手はそれなりの社会的地位を持っている者だ。
 いきなり撃ってきてどういうつもりだと文句を言うにも相手が雲の上では届きようがない。
 そこで西行寺の姫と言われる幽々子に頼った。
 幽々子との同盟関係で期待した『情報』と『人脈』を利用させてもらった形になったが、この貸しは高くつきそうで後が怖い。


「当然の事をしたまでよ。他ならぬチルノちゃんの頼みだもの~無下にはできないわ。ふふ」


 どうにも、チルノははっきり言ってこのお姫様が苦手だ。
 会談の件も、連絡だけ取り付けて欲しかったがどうしても幽々子も同席したいと言い出したのだ。
 頼んだ手前断る訳にもいかず、了承したが何が目的なのかわからない。
 諏訪子にも言われたが、どうもこの手の分野は得意とは言えない。
 今回は諏訪子にも来てもらったがどこまで譲歩を引き出せるか……。

 戦闘に参加できない分、皆が戦いやすい環境を整えてやりたい。
 その思いが次第に強くなっている自分に気づく。
 こんな自分でもリーダーとして皆が認めてくれるなら、せめてできるだけの事をしてみるさ。
 そう言い聞かせ、意気込みを新たにしていると、
 とんとんと肩を叩かれる。
 振り向くと、ぷにっと頬が何かに当たる。


「硬いわね~チルノちゃん。リラックスリラックス~♪」


 幽々子が人差し指でチルノの頬を優しく差し、微笑む。
 この人は一体何がしたいのか……。
 この緊張感の無さが、西行寺 幽々子なのだろうが……しかしわからない。


「何、するんですか?」


 我ながら面白くも無い真面目な質問に、幽々子は可笑しそうに顔を綻ばす。


「こういうのって慣れだから。上手くやろうとか、相手を口説こうとか欲出しちゃ駄目よ」


 言われて、幽々子はチルノが白蓮との会談に緊張していると思ったのだろう。
 そんな事は……無いとは言えないが。
 アドバイスのつもりだろうか?


「正直言って交渉事は苦手です。でも、必要なら貴女にも教えてほしい」


 その言葉に幽々子はきょとんとして、次の瞬間口元に扇子を広げ、声を上げて笑い始める。
 早速何かを間違ったのか?
 チルノは何故幽々子が大笑いしているのかわからず、黙っていると。


「ふふ、ごめんなさいね。そうじゃないかな~とは思っていたけどね。目の前で告白されるとは思わなかったわ。
 それも私に教えを請うだなんてね」

「私は自分にできる事とできない事を知っているつもりよ。少しでも物事が有利に働くなら素直にもなるさ」

「その姿勢、とても素晴らしい事ね。でも大丈夫かしら? 
 私は信用できないんじゃないの?」

 同盟関係とは言っても所詮契約上の事だ。
 チルノ側にはチルノ側の『利』が、幽々子側にも幽々子側の『利』がある。
 その両側の『利』の天秤が崩れた場合、裏切られる事も考慮に入れなければならない。
 打算と言ってしまえばそれまでだが、必要な事ではある。互いにとって。

 西行寺の協力を得る代わりに、チルノ側は兵器開発の技術を渡す契約だ。
 当然、全てを渡すわけではないが戦力の増強は必要不可欠だ。
 全ての戦いをチルノ達で処理できるとは現実的に不可能。
 どこまで移譲するかは技術主任のにとりと相談だが……。



「ここで私を貶めても、意味がないでしょ。例えば貴女が『紅魔』に通じていて命蓮寺もグルとする。
 でもそうすると貴女の今までの行動と合わないし、害するとしても今更という感が否めない。
 互いの『利』が釣り合っているならあえて崩す必要もないでしょう。
 貴女なら相手に警戒心を抱かす前に電撃戦で片をつけるんじゃない?」

「率直ね。でも、言葉はオブラートに包んだ方が良いわよ? 
 後で言い訳も入り込む余地があるし、限定的な言葉は逆に自分を不利にするわ」


 チルノとしては精一杯の反抗だったが、あっさりとかわされてしまった。
 どうにもふわふわと掴みどころが無い。
 自分の言葉が槍とするなら幽々子の言葉は雲だ。
 知らぬ間に相手を包み込んでしまう。
 その事を言うと、

「あら? 綿菓子かもしれないわよ? 私はそっちの方が好きだわ~」

 扇子をたたみ、屋台でやるようにくるくると飴の雲を巻き取る仕草をする。
 その動きに思わず笑ってしまったが、「幽々子様は食いしん坊ですので」と幽々子の従者である妖夢の言葉が思い出される。
 横では知恵の輪で遊んでいる諏訪子が目に映る。
 気負い過ぎなのはわかっているが、性分なので仕方ない。



「まもなく着きますよ」



 操縦席の小悪魔が声をかける。
 飛空艇で来たのには訳があった。
 目的地が遠い事もさることながら、問題は――、


「到着です!」


 減速し、一時的に空中で止まる。
 チルノ達の目の前に聖ヴワル大図書館に勝るとも劣らない巨大な船が浮遊していた。
 『聖輦船』と呼ばれる巨大高空機動船は移動する寺院として今も空を運航している。
 命蓮寺とは特定の場所にあるわけではなく、布教のため世界を移動するこの船自体を指す。
 世界各所に設けられた巡礼地――補給場所に数か月単位で滞在し、
 各地の信者に教えを伝え再び移動を繰り返す世界でも類を見ない布教形態を取っている。
 一か所に長期間留まる事も無いため、飛空艇を使いわざわざ追いかけるしかない。
 魔理沙だったら「ふざけた船だぜっ!」と言うだろう。
 まったく同意見だ。
 それでもこの船の最高責任者兼宗派の代表である聖 白蓮が最高権力者の一人と目されているのは政界、経済界にも影響があるからだ。
 本当に厄介なのが出てきたと心底そう思う。


















「ようこそ命蓮寺へ、心より歓迎いたします。
 話は伺っておりますのでどうぞこちらへ」


 そう言って案内された先は豪華な執務室だった。
 煌びやかな調度品が並び、質の良い絵画が飾られている。
 扉を開ける時、机で書類の整理をしていた女性が顔を上げる。


「ようこそお越し下さいました。聖 白蓮です。
 さぁさぁお掛けになって下さい。すぐにお茶もお持ちしますので」

 言われた通りチルノと幽々子は執務室のソファーに腰掛ける。
 チルノは諏訪子の手を借り車椅子からゆっくりと座る。


「貴女もどうぞ、お座り下さい」

「いや、私はここで良いよ」


 諏訪子はソファーに腰掛けず、部屋の壁にもたれて腕を組む。
 諏訪子の言葉に白蓮が特に気にせず笑顔で了承する。
 それからすぐに部屋がノックされ、尼の一人がお茶と菓子を持ってきた。
 幽々子の行動は早く、素早く自分の前の菓子を何の疑いもせずたいらげると、


「チルノちゃん!」

「よかったら、私の分もどうぞ……」

 結局、遠慮した諏訪子の分も食べる幽々子に白蓮は終始笑顔で接し、
 「おかわりもありますよ」との言葉も「頂きます!!」と即座に返答する。
 ……本題に入る。

「お忙しいところ時間を取っていただきありがとうございます」

「良いのよ。私も一度貴女とお会いしたいと思っていましたもの。お若いのに大変優秀だとか……」

 会談はありきたりな定型句で始まった。
 幽々子のおかげで調子が狂ったが、まずまずの出だし。
 飛行機に例えるならゆっくりと滑走路を滑り出したあたりか……。
 途中、嵐が起こらなければいいが。
 いくつかの世間話から始め、話の中核へ入る。


「今回、私達が訪れた目的は是非、今後貴女方と良好な関係を築けたらと思いまして」

「そうですか。私達としても大歓迎ですよ。知っての通り、私達の教えは『絶対平等主義』。
 人間も妖怪も神も仏も全て等しく友好を持って接する事を規範にしております。
 私達は世界のどの組織とも対立せず、話し合い、手を取り合って皆で前を向く事を目指しております」

「その素晴らしい教えに私も共感し、是非教えを請いたいところです。
 そこで、貴女方と休戦協定を結びたいと思います」

「休戦?」

 チルノの言葉にきょとんとして答える白蓮。
 当然、とぼけるだろうと考えたチルノが資料を白蓮に渡す。
 文書と共に提出された資料は写真と映像を切り替えることができるタブレット型の情報端末だった。

「これは先日、ロンドンの上空で捕えた写真です。映像もあります。
 ここに写っているのは貴女方の組織に所属する妖怪『雲居 一輪』と『雲山』と判断しました。
 この妖怪達はいきなり攻撃を開始し、こちらも防衛の為やむなく応戦しました。
 今後、このような事は止めていただきたい」

「ロンドン? 攻撃? 貴女達を?」

「互いに友好な関係を築いて行きたいなら、歩み寄りも……」

「ちょっと待って……貴女達が何を言っているかわからないわ」

「えっ?」

「……知っての通り、私達の宗派は世界でも信者は大勢います。
 私も全てを覚えているわけではありませんが、このような妖怪私達の宗派にいません。
 そして、私達は武力を一切持たず、行使せずを信条としております」

「何を言って……」

「仮にもし、私達の宗派の者が起こした事なら過ちを認め謝罪します。
 しかし、一方的にこちらに非がある言い方に私は納得できません。
 この資料も貴女方が『用意』したものです。無条件で信じる訳にはいきません」


 嘘を言っているのか、本当に知らないのか……演技かもしれないが、その表情からは窺い知れない。
 雲行きは怪しくなった。
 どう返すべきか……。




「――それは違うんじゃないかしら」





 幽々子が開いていた扇子をたたみ、チルノが提出した資料を指す。


「何が、違うと言うのですか?」

「この妖怪、間違いなく貴女の宗派の関係者よ」

「何故そう言いきれるのです?」

「ここに聖輦船の航行記録と命蓮寺に出入りした者の情報があるわ」

 幽々子が風呂敷から取り出したのは分厚い資料と証拠物。
 
「画像解析していただいても十分証拠能力としては機能するわ。
 チルノが提出したものも捏造は行っていないと私が保証します」

 幽々子の持つ情報力には驚いたが、相手もそれは承知しているのだろう。
 西行寺の情報収集能力には一目置いているのか、それ以上は追及せず白蓮は提出された資料を流し見る。

「なかなか良くまとまった資料です。しかし、私は本当にこの人物は知りません」

 白蓮は一貫して事実を否定。
 こうなれば切り口を変えるしかない。
 チルノは資料を片づけながら白蓮を見据える。

「失礼、貴女を疑っている訳ではない。なら、この人物は命蓮寺とは関係ないと判断してよろしいですか?」

「当然です。命蓮寺に暴力を行使する者はおりません。命蓮寺は自衛以外あらゆる戦闘行為を禁止しております」

 全ての戦闘行為……と言わないあたり流石だと思わざるを得ない。
 この発言で実質、命蓮寺は表向き戦闘行為に不介入であると意志を示した。
 表立った行動は控えるはずだ。
 白蓮側も積極的な干渉はメリットがあるとは思えない。
 行動原理の最終は宗派の教えを広める事にあるはずだからだ。
 先日の戦闘行為の責任追及が今回の目的ではない。

「わかりました。それでは話を変えますが『紅魔』についてどう思われますか?」

「行き過ぎた行為が目に余りますね。私達としましても正式に抗議し、
 共に手を取り合うよう呼びかけてはいますが……」

「応じないと?」

「そもそも話し合う機会さえも設けられないのが現状です。
 困ったものです……あれでは世界から孤立してしまいます」

 紅魔に属する妖怪の戦力は異常だ。
 確かにその戦闘力は世界を敵に回せるほどの強大なものであり、脅威だ。
 皆が紅魔を敵視し、行動を起こしているにも関わらず未だ絶対的な恐怖として存在している。
 
「貴女方が紅魔と対立しているのは知っています。しかし、争いからは何も生まれません。
 今こそ手を取り合い、共生して行かなくてはなりません」

「命蓮寺の立場はわかりました。今後も世界の平和を目指し、話し合って行きましょう」


 チルノの言葉で会談は終了。
 これ以上の成果は欲張り過ぎだ。
 最初の段階では細かい点は抜き、抽象的な言い回しが多い気がしたが今後詰めていけばいいだけだ。
 握手を交わし、次の会談日を約束する。




「あ、そうそう!」




 幽々子が何かを思い出したように声を上げる。
 チルノが何事かと幽々子を見る。


「今度、美味しい九州のお菓子を持ってくるわ。ゆっくりお茶でも飲みながらお話しましょう」

「あら、嬉しいわ。日本のお菓子は可愛くて好きよ。楽しみしているわ。
 お菓子は当然――」

「――黄金色」

 どちらとも無く笑い合う幽々子と白蓮。
 冗談だろうが、チルノは苦笑するしかなかった。




















「まぁ、こんなところかしら」


 帰りの飛空艇で幽々子はお土産に持たされた茶菓子を食べて満面の笑みだ。

「ありがとうございます。助かりました……」

「いきなり核心に入るのだもの。ちょっと驚いたわ。
 まぁあれはあれで相手の出方がわかったし、結果オーライ?」


 交戦記録の提示は時期尚早だったかもしれない。
 しかし、白蓮がどういう立場なのか知りたくて焦ってしまったようだ。
 交渉決裂は避けられたが、一歩間違えれば危なかったかもしれない。


「諏訪子、どうだった?」

「少なくとも五人。潜んでいたね」


 諏訪子が座らなかったのにも訳がある。
 チルノがお願いし、もしもの襲撃に備え待機してもらった。
 壁にもたれたのも、部屋の壁に伝わる振動から敵がいないか判断するためだ。

 その事から判断すると、交渉の流れによっては襲われていたかもしれない。
 表向き平和の使徒だが、裏ではどうか……。
 白蓮が操っているのか、それとも担がれているだけなのか。
 情報が少な過ぎる。
 得体の知れない不気味さを感じる命蓮寺の動きは今後継続して注意しなくてはならないようだ。

















「失礼します」


 調度品が立ち並ぶ執務室、軽いノックの音が響きナズーリンが部屋に入る。


「流石守矢の一柱、動けませんでした」

「そうね。私も下手したら首が飛んでいたかもね。怖いわ……」


 白蓮は椅子に腰かけ、溜息をつく。
 隙があれば口封じのため始末する事も考えたが、洩矢 諏訪子の力やはり侮れない。
 守矢神社襲撃の後、信仰が減って力も衰えているとの噂だが……どうしてどうして。


「一輪の容体はどう?」

「まだ十分とは言えません」

「図書館での収穫もなかったし、どうしようかしら……」

「チルノ側と組むのも手ではあります。現在、紅魔と拮抗しうる勢力は他にありません」

「保険も必要かしらね。果たして掛け金以上の価値があるのかしら?」

「選択肢は多いに越したことはないと思います」

「あの、西行寺のお姫様なら話が合うかしら……」


 
 白蓮は執務室の窓から外を眺める。
 聖輦船より飛び立つ飛空艇は月夜の光に照らされ夜の海へと漕いで行く。
 星の光が彼らに贈るのは祝福か、憐れみか……。


「『赤い靴』は誰が履く事になるかしらね」


 その船には人類の明日という宝が詰まっている。
 それはこちらも同じことだ。
 どちらの宝がより多く求められるか……。
 窓に映る白蓮の頬笑みの影が、チルノ達の船にかかる。



「さぁ、手を取り合いましょう。存分に……」






















―第五十三話 「星空の宝船」、完。



―次回予告。
≪理解してないわけじゃない。
 私だって、好きで寄り道などしたくないし、命令が正しいとも思ってやしない。
 だがな、
 それとは別の話なんだ。
 この責任ってやつはな……。


 次回、東方英雄譚第五十四話 「クロス-ワード」 ≫



[7571] 第五十四話 「クロス-ワード」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/10/16 10:57




≪この度我が主、比那名居 天子をお引き取り頂き誠にありがとうございます。
 知っての通り我が主は大変ユニークな思考回路を持ち、その突飛な行動は甚だしく皆様の足並みを乱す事でしょう。
 どうか一つここは親戚の子からお小遣いを強請られたように、もしくは鳥の糞を浴びてしまったが如く、
 あるいはコンビニの弁当に箸が入って無かったかのようなその『うぜぇ』という煌く感情を押し殺し、
 しょうがない、どうしようもない、いたしかたないと大海の慈母神の心で接して上げていただければこれ程の幸福はないでしょう。

 私も身命を賭して止めました。止めましたともッ!
 しかし、あぁしかし……見ての通り人の話を聞かない暴れん坊将軍であるこの我儘娘は当然の如く、
 領主という責任ある立場を放り出し自ら『自分探しの旅に出たい』などと……このたわけがッ!!
 と、叫びたい気持ちを心に留め、涙を流し送り出した所存でございます。
 度重なるご無礼、どうかどうか平にご容赦のほどを……。




 『追伸』

 我が主様、ご機嫌麗しく存じ上げます。
 貴女様が去った後、国民が大いに嘆き叫び総領事館に殺到しましたが私の独断と機転の利いた説得により沈静化させました。
 その後、我が国の生産力は鰻登り、国内企業の株価は日銀砲が火を噴いたが如く急上昇。
 治水は安定し、雇用は拡大、インフラ整備と前から考えていた福祉政策を実施することで国民からの支持率も上昇しました。
 ご安心して自分探しの旅を続けて下さい。
 主様の活躍を草葉の影より応援しております。 


                                                            総書記  永江 衣玖より ≫







 一連の情報を全て目線と空気で伝え、一礼すると何故かサタデーナイトフィーバーのポーズで止まり、
 コンパクト型のホログラムが用は済んだとばかりに掻き消える。
 最後のポーズ……ストレスが溜まっていたのだろうか?
 「ついカッとなってやった、後悔はしていない」 というアレだ。
 傍目から見て、無言のホログラムを取り囲むように真剣に見つめる少女達はさぞ異 様に映った事だろう。
 しかし、伝わってしまった。嫌な程に……。


「衣玖ッ~~!! そこまで、そこまで私の事を思っていてくれたなんでぇ~~!!
 ありがとう、アリガドウ~~衣玖ッ!! 私、わたし頑張る……頑張るから~!!」


 天子は嗚咽し、ホログラムの消えたコンパクトをだき抱え泣き叫ぶ。
 どうしたら、そこまで勘違いできるのか……皮肉と皮肉と皮肉に塗れた文章だったのに。
 チルノは天子の行動に若干引きながら、天子の肩に手を置く。


「……早めに帰って……安心させて上げたらどう?」


 自分の国が軽く乗っ取られ気味な状態に自分なら青ざめ、
 寝台特急を使ってでも帰ると思うチルノに天子は正しく天使の微笑を返す。


「ううん、衣玖がこんなに頑張ってくれているのだもの。手ぶらでは帰れないわ。
 よ~しッ!! 元気出たかもっ! 実はちょっとホームシックにかかってたりして……。
 でも、私負けない! 私の国で私の帰りを待つ皆のため……私は成長しなければならない!!」


「ちょ、ちょっと、机に足乗せないでよ!」


 机にドンッと片足を乗せ、演説口調でヘブン状態に陥る天子。
 怒る霊夢の言葉など聞こえてないかのようだ。
 チルノは掛ける言葉が見つからないと口元を押さえ、隣にいる諏訪子を見る。
 諏訪子は無言で首を振る。
 何も言うな……わかっている……そう言いたいのか諏訪子。
 同封されていた札束の入った袋と永江 衣玖より一通の手紙。


『家賃の代わりといってはなんですが、黙ってお受け取り下さい。
 おそらくこれでは払い切れない程のご迷惑をおかけする事と思いますが、その清算は後日改めてお伺い致します』


 用意周到、賢者、空気の読める出来る女……そういう印象を博麗 霊夢の胸に刻み込んだ。



「この戦いが終わったら……私、結婚するんだ! 
 相手はまだいないけど……何故かそう言いたいの!!」



 死亡フラグまで積極的に立ててしまった天子。
 縁起でもない……ありえそうで怖い。
 救いはもし天子が帰らなくても国元がまったく心配いらないという事だ。
 寧ろ、天子が納めていた時より明らかに良くなっている。
 帰らない方がいいかも……。
 本気で心配するチルノを尻目に天子は「テンション上がってきた~!!」と駆け出し、
 勝手に台所の冷蔵庫から牛乳瓶を取り出し、腰に手を当て一気飲みする。


「ぷは~この私に本気を出させるとは……」


 訳のわからない事を言って達成感に満ち溢れた表情で戻ってくる天子。
 よくも人の家の冷蔵庫を好き勝手開けられるものだ。
 チルノ自身この家で世話になって一か月ぐらいはいちいち家主である霊夢に断っていたが、
 天子の場合住み着いてその日にはもう開けていた。
 『おまえすごいな!? 何その図々しさ!? いやしさ爆発じゃねぇか!?』
 諏訪子のツッコミも不敵に笑い。
 『私が比那名居 天子だからよっ!!』
 答えになって無いのに妙に説得力がある回答を返した。



 ――唖然。



 大事な事なのでもう一度言おう、『唖然』である。

 あの魔理沙でさえ「悲劇を通り越して喜劇だぜ」と言わしめた。
 良いのだろうか、大事なご令嬢(一応)を預かっている立場として……果たして。
 天子の事はたまに鋭い視線を持つ切れ者だとの認識だったが、
 諏訪子に言わせれば「そりゃ、死線を越えるブチギレ者の間違いだろう」との事だ。


「まぁいいじゃない? 本人が気にしてないんだし、周りが心配しても仕方ないじゃん」


 諏訪子は何事も無かったかのようにあっさりと話を終わらせると、そのまま玄関へと向かう。


「どこ行くの諏訪子?」


 霊夢が聞くと、諏訪子は適当に返事をして、


「ちょっとカッパ工場に行ってくるよ」


 河城工房の事を指しているのだろう。
 諏訪子が工房に用事なんて珍しい。


「ちょっと色々考えてね。私も新しい武器が欲しいな~なんて」


 諏訪子の言葉に多少驚きつつも、諏訪子の言葉の重さを理解する。
 今までチルノが進めても性に合わないと、
 自分は鉄の輪だけでいいと言って聞かなかった諏訪子が自分から求めるなんて……。
 それだけ厳しくなったという事か、新しい力を求める程に。


「あ、ずるい!! 私も行くわよ」


 霊夢も言い出し、チルノも当然連れて行かれる。
 


 ――ブォオオオオオンッ!!



「何してるの、置いてくわよ!」


 いつの間にか原付でスタンバイしている天子。
 というか免許持ってたのか!?


「北の国ではコンビニが遠いのよッ!」


 薄い胸を張る天子に霊夢が「良いな~羨ましいな~」と天子の原付を見る。
 かく言う私も乗れない。
 羨ましくない事もない。
 にとりに行ってこっそり作ってもらおうかな~。
 
 結局、文にお願いして連れて行ってもらう事になる。
 「完全に足ですね……まぁ思う存分取材させてもらっていますから、いいですけど」
 ありがとう、文。
 今度、私手作りのホットケーキを奢ってあげるとしよう。
 (こっそり霊夢に料理を習っていた)
 私もにとりに相談したい事があったしね……。















             ――『太陽の庭園』――




 霊鳥路 空が所長を務める日本最大の原子力機関である施設。
 チルノ達と共同研究で兵器開発ではエネルギー機関の最大の貢献者である彼女は普段はこの施設から出る事はない。
 日本都市部の総発電電力の実に七割を賄う要対策重点電源である。
 近年、自然エネルギーを利用した太陽光発電や風力、水力発電施設の需要が一時期高まった事もあった。
 その理由としては国民の意識の中から原子力に対する不信感、不安感が依然として払拭されていないことも一因となっている。
 しかし、理想論と唱えても現実問題として莫大な電力供給の需要は大きく、
 マスメディアを通じた積極的な広報などの理解促進策を展開していく事でその存在を暗に認める事となった。

 白衣のポケットから糖分過多な缶コーヒー『超糖』を取り出し、喉を潤おす。
 施設中の自販機でこの『超糖』を選択する者は非常に稀だ。
 一人しかいないといっていいだろう。
 明らかに販売戦略上お役御免の烙印を押され、人気商品に挿げ替えられる宿命を背負わされた商品。
 はっきりいれば、ちょっとした『冒険』のというカテゴリーに属す品物だ。
 しかし、依然として自販機にHOTとICEの両方でその存在感を主張できるのはひとえに所長である霊鳥路 空の需要によるものだ。

 『糖分は頭に良いんだよ? 知らないの!?』

 程度の問題もあるだろうが、彼女のその商品に対する消費量は通常の成人男性の実に十倍。
 つまりは一人で自販機のコーヒーを買い占めているようなものだ。
 他の職員がそれに対して不満を言う事は一切無い。
 好奇心で飲んだ職員が言うに――、
 『どろどろとお汁粉を飲んだようなネットリ感が口一杯に広がって余計喉が渇く』らしい。


 ……そう言った内部事情とはまったく関係無く、
 今回施設のセンターと呼ばれる中央指令室、その巨大モニターを睨む空の目は真剣そのものだ。


「都市部の電力消費量が著しく減退しています!!」


 職員の焦りを帯びた報告に、空は顔を顰める。
 モニター画面には供給する都市部の簡単な需要量を表示したデータが表示され、 その横には最近の傾向がグラフ化されている。


「それだけ……使う人間自体が減っているという事よ。
 政府の規制発表が真っ赤の嘘である事をまざまざと見せつけられるわね」
 

 人類総人口64億人……あれだけ栄華を誇っていた人間という種が目の前で次々と間引きされている。
 寒気を覚えるモニター画面を見て震える手を押さえずにはいられない。
 技術屋としてチルノ達に力を貸してはいるが、現実的に起こっている侵略を自分の職場で見た事にショックを受けている自分に気づく。


「日が沈む……あんなに輝いていたのに……」


 人類の黄昏時に出会うはめになるとは……。
 人類が永久的な事象だとは思わないが、収束していく世界の処方箋の役目を果たすであろう小さな親友の横顔が浮かぶ。
 空が癖のように缶コーヒーを口に運ぶ。
 いつものように痺れるような甘さをまったく感じず、酷く舌触りの悪い液体が喉を伝う感覚しか残らない。
 管理サイト(発電所の立地地点)の閉鎖も検討しなければならないだろう。
 空の見つめる先にまた一つ、都市の灯りが消えた。



















  ――ぐしゃっ、




 ひしゃげた腕が転がり、血溜まりを作る。
 糸の隙間から垣間見える生気の欠けた人間の顔が破け、グールという名の化け物が本性を現している。
 化け物は人間として逃げようとしたのだろうか?
 それとも、逃げたふりをしようとしたのか?
 今となってはどちらにしろ口を開く事も無い。悲鳴も咆哮も無い。



「呆れた話ね。人間が生活しているそのすぐ横の街が既にゴーストタウンになっている事に気づきゃしないのかね」


 ヤマメは糸を引き千切り、服に付いた土埃を払う。
 刀に付いた血を払い落し、椛が鼻を鳴らし周囲を伺う。


「気づきたくないんですよ。ヤマメさんは里で生活していたから……あ、そういう事ではなくて……」


 慌てて、否定する椛にヤマメはくすっと笑う。


「わかるよ」

「……えぇと、自分達の常識から異物は排除したいというか」

「理解したくないんだろ? 怖いから……」

「人間の中には未だ妖怪なんかいない、神も物語の存在と考える人もいます」

「馬鹿な話だよ。そんなわけないというのに……共存し、半妖の子が社会に溶け込む現代で」

「私も妖怪である事を隠し、人間として生活した事があります。
 それでわかったのは自分達の生活は大丈夫だと……信じたい気持ちです。
 私が……故郷を追われた時も信じられなかった。壊れるそのほんの一瞬前には……」


 ――ポン、とヤマメは椛の肩を叩く。
 自分が信じていた世界を覆されるときに、人は恐怖を感じるのだろう。


「すまんな……でも、わかるよ。今はこうして里を離れて戦っているが、時々夢に見るんだよ。
 ある日、里に帰ると血に塗れた兄弟達が転がる姿を……まぁ私が鍛えたヤツらだ。
 そう簡単にはやられはしないがな、とそう言わせてくれ」

「強いですねヤマメさん。私は……」

「私は弱いさ……安心したいだけだよ。人間と対して差はないさ。
 多少、力が強い程度じゃ巨大なうねりを止められやしないさ」



「……『うねり』ですか?」



「時代の波のようなもんだよ。だからこそ私はその支流の一つに身を置く事で少しでも流れを変えたいのさ」

「……なら……別の支流があったとしたら?」

「……乗るかもしれないね。それが私の望むものなら」


 空気が重力を増し、椛は呼吸が苦しくなるのを感じる。
 その様子にヤマメは微笑み、頬を掻く。


「ここにいる事がその証明だよ。それに今回の戦い……単純な資源戦争ではないと思っている」


 ヤマメの言葉に椛は疑問を浮かべ、言葉の意味を問う。
 ヤマメの私見だが……昔からあるような力の強い妖怪が勢力拡大を謀り、戦力を蓄え、従わない勢力を力でねじ伏せる構図のように見えるが違う。
 『資源』とは単に領土や生産物を指すのではない。
 権力であったり、民意であったり、それこそ未来であったり自分の力が及ぼす範囲を示す。
 基本的な対立関係が支配権を得たいだけであればわかりやすいが、
 そこにはそれ相応の掲げる『正義』が存在していなければおかしいのだ。
 

「不思議な話だとは思わないか? 『正義』を主張しないなんて……」

「確かに人間の歴史、いや……妖怪や神々の戦でも自分の正当性を主張するのは当然だと思いますが……」

「紅魔という存在が絶対的な『悪』であるという共通認識が崩れないんだよ」



「……難しいです。私には……」




「そこから考えるに奴らの最後に見える勝利の形は……」




「何だと言うんですかっ!?」






「……皆殺し、だよ」





 ひゅっと、椛が息を飲む。
 そんな馬鹿なと思う反面、納得させられるヤマメの思考。
 彼女の見えた先の結末……。
 それ以外のシナリオが有り得ないと思わせられる。
 見透かされた運命が誰かに操られ、自分が将棋盤上の駒のようなマス目にいるような錯覚を覚えた。
























―第五十四話 「クロス-ワード」、完。



―次回予告。
≪どんな物にも良い部分もあれば、悪い部分もある。
 全てがパーフェクトなんてありえない。
 例え、そんなものが人工的に作り出せたとしても……、
 そんなものはいずれ破綻して粉々になってしまうものだ。


 だから、私達は『完全』を求めるのではなくて、
 『不完全』な物と共存する事での幸せを考えなければいけないと、そう思う。


 次回、東方英雄譚第五十五話 「現人神とは――」 ≫



[7571] 第五十五話 「現人神とは――」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/10/24 01:29
「早苗ちゃ~んっ!!」


 霊夢が手を振ると、神社の境内で掃除をする東風谷 早苗は笑顔を見せて迎える。


「霊夢さん、どうしたんですか急に……今お茶を淹れますね!」

 
 少し慌てて、霊夢を迎える早苗。
 あの事件以来守矢神社に霊夢が来る事はグールとの戦いが忙しいのもあって稀で、
 しかも今日はいつも一緒にいるチルノ達もいない。
 前に遊びに来てた時は神社の仕事が忙しい早苗にメールを入れていたが、
 今日は突然の来訪に何かあったのかと心配になる。
 社務所に案内し、お茶を淹れる早苗。


「悪いわね、仕事の手を止めちゃって……」

「いいんですよ、休憩です」


 栗羊羹を切ってお茶請けに持ってくる早苗。


「それで、どうしたんです? 珍しいですね霊夢さん一人で訪ねて来るなんて」

「今日は家に居ても誰もいないのよ。チルノと諏訪子はにとりの所で泊まるって言うし、
 天子もどっか遊びに行ったみたいだし……」

「天子さんって新しい居候の? 諏訪子様から電話で聞いた印象は大変ユニークな方だとか……」

「ユニークっ!? う~ん、うまく言うわね」

「はい?」

「まぁ、それより最近どうなの? あまり顔見せないから心配になっちゃって」

「すいませんっ! お手伝いにいけなくて!!」


 霊夢が慌てて、本気で申し訳なさそうな顔をするため押し留めるように手を開く。


「そういう意味じゃなくて……単に元気しているかってだけだから、
 諏訪子も早苗が来なくて寂しいってたまに言ってるし」

「そういうことですか……すいません。色々とやりたい事があって……」

「あと……気になっていたけど、その巫女服おかしくない? 何で脇開いてるの?」


 霊夢の言葉に早苗がぱぁ~と明るく笑う。
 そして勢い良く立ち上がるとその場でくるりと舞うように一周する。


「良くぞ気づいて下さいました! どう、ですか?」


「……どうって?」

「んもう、わかりませんか? これこそ、守矢神社を救う光明となるのです!!」


 早苗の力説に霊夢の思考が追い付かない。
 確か前会った時は白い上衣に緋袴と普通の巫女服だった。
 現在、白い上衣に所々青いラインをあしらい、水玉の青袴をはき、そしてどういう構造なのか脇が開いている。
 何があったというのだろうか?


「私は気づいたのですっ!! 待っていては駄目だと、常に自分が歩かなければ道は進まないと悟ったのです!!」


 紅魔の守矢神社襲撃事件以後、守矢神社は急速に求心力が衰退の一途を辿る事になった。
 自分が居てはかえって早苗や神社に迷惑がかかると主神である洩矢 諏訪子の不在も少なからずその要因となる。
 以前の盛況ぶりが嘘のように、参拝客はまばらで霊夢が訪ねた時も二人連れのお年寄りが一回参りに来ただけだった。
 その事に諏訪子はどこか達観したようにこう呟いた。


『人が増えれば、また紅魔が襲う口実を与えるかもしれない。今はこれでいいのさ……』


 少なくとも紅魔との戦いは終わるまでは……。
 笑う諏訪子は無理をしているのは誰の目にも明らかだった。
 それを一番身近で感じた早苗は行動を起こす。




 ――霊夢に見せた巫女服。
 これが何故重要なのか?


「常識に囚われてはいけません!」


 霊夢の疑問を一蹴するし、話し始める早苗を止められるものはいなかった。
 諏訪子の考えもわかる。
 しかし、それは神としての存在を否定する事になる。
 自分でリストカットをするようなものだ。
 神は人々の信仰心でその存在を保ち、その数だけ力を増す。
 
 その言葉に霊夢は思い当たる節がある。
 霊夢家に来た当初、ゲームをして遊んだり外に出たりと何かと騒がし存在だったのに大人しくなったと言うか、
 よく諏訪子が居間で寝ているのを見ていた。
 その様子をチルノは黙って見ていた。


『睡眠は必要だよ。諏訪子も戦いに備えているんだ。そっとしてあげよう』


 毛布をかけながら諏訪子を見つめるチルノに違和感があった……気づいていたんだチルノは。
 力が衰えている。
 その事を誰にも話さなかった。
 話してほしいとも思ったが、あえて言わなかった諏訪子の気持ちも同時に理解した。
 例え話したとして何ができるだろうか?
 戦いで手一杯の状況で……それに人々の信仰心は強制してどうなるものでもない。
 心から信じる心でなければ神に祈りは届かない。
 その事を誰よりもわかる諏訪子は、何も言わない。



「最近霊夢さんの家に遊びに行けないのは、色々動いてて時間が足りないくらいですよ」



 お祓いだけでは人々のニーズに答える事は出来ないと言う早苗。
 「付いてきて下さい」と案内された先は本殿に隣接するように設置された小さな施設。


「懺悔室……まぁ言って見れば相談所です。人々は常に悩み苦しんでいます。
 その事を気軽に相談できる場所が必要だと思いました」

 
 キリスト教の映画を見て思いついたという案。
 確かに神社は厳かな雰囲気があるがどこか近寄りがたい所がある。
 それを払拭する一手ではないだろうか。
 霊夢が褒めると早苗は照れるように次々案を出していく。


 ・地元密着型巫女としてスポンサーを募集し、テレビCMに出演。
 ・アイドルとして芸能プロに企画を持ち込む。
 ……など、突飛な案もあった。
 目的と手段が入れ替わらない事を願う。
 そして、脇巫女である必要性に迫る。


「時代は『萌え』です。そんなこと一般常識として知っています。これは男性客がターゲットです!」


 そこは常識に囚われないで欲しかった。 
 俗世に塗れた神聖な巫女。
 何か間違えているような気がしないでもないが……部外者が口を挟んでいいものだろうか?
 そもそもこれらの案、他の宮司さん達は何と言っているのだろうか?


「素晴らしいアイディアだと大絶賛ですよ! 特にこの巫女服なんか大ウケで記念撮影を頼まれるぐらいですから!!」


「そ、そう……」


 胸を張る早苗に、若干怯んだ霊夢。
 早苗の必死さはわかる。その努力も。
 「応援するわ」という言葉に早苗は笑顔で答える。
 諏訪子が戻って来た時、果たして諏訪子の知る守矢神社は残っているのか心配だ。


「しかし、脇を開けるって大胆ね。そんなの聞いた事も……」

「何言ってるんですか、これは博麗神社の倉庫の掃除に言った時出てきた巫女服からヒントを得たんですよ!」

「ほぇっ!?」

「ちょっと待っててくださいね!!」


 そう言って、霊夢を残し走り去る早苗。
 もしや……霊夢の勘は良く当たると魔理沙によく言われる。その真価が今発揮された。
 そして再び戻ってきた早苗が「じゃ~んっ!!」と言って広げる巫女服を見たのは、
 霊夢がそろりそろりと神社の鳥居をくぐったあたりだった。
 引き攣る顔の霊夢に早苗の無邪気な顔が迫る。


「どうしたんですか? 霊夢さん?」

「い、いや~立派な鳥居っ……は、あはは」

「そうでしょうそうでしょう、それはですね……」


 鳥居の歴史について話し始める早苗。
 その講釈は三十分続き、霊夢が若干の疲れを覚えた時早苗は自分が手にしていたモノを思い出す。


「すいません霊夢さん、私ったら……これの話でしたね。
 今博麗神社は廃れていますが、私達が生まれる以前……何代か前の巫女の時代にこれは正装だったようです。
 しかも博麗神社だけの風習らしく、文献で調べた限りこれを真似した神社は守矢神社も含めありません。
 つまり、これが何を意味するかというとっ!!」


 早苗が大見得を切って貴重な文化遺産の凄さを興奮した面持ちで話す。

 ――ごくり、

 思わず喉が鳴った、かもしれない。


「博麗神社は早くから気づいていたのです! 
 この『萌え』全盛期の現代社会の到来を、だからいち早く最先端の巫女服を考案した。
 しかし、哀しい事に時代はついて来なかった。
 斬新過ぎて当時の保守的な人達にはこの良さが理解できなかったのです。
 もし、現代でも博麗神社が廃れていなかったら時代のトップランナーでしたでしょうに……」


 歴史の重さを噛みしめているのか……しばし無言で早苗は頬に伝う涙を拭う。


「失われた文化、オーパーツのように煌く過去の遺産。
 そのミッシングリンクをつなげる役割が必要と感じ、及ばずながら尽力しようと決意したのです!!」

「へ、へぇ~凄いのね、早苗ちゃん。
 じゃ、じゃあ私は――」

「着てみて下さい!」

「はい?」

「大丈夫、当時の衣装はボロボロでしたが、これは復刻版です。
 ほつれた部分も文献でしらべ正確に再現しました。
 これを着れば誰が見ても現代に舞い降りた博麗の巫女!
 さぁ、さぁ、さぁ!!」


 そういえば早苗ちゃんは良い子なんだけど天然でちょっぴり強引なところがある。
 幼い霊夢は正確に彼女を理解していた。
 色々と記憶が蘇った。
 そうあれはおままごとの時――、ゲームで一緒に遊んだ時――、
 気がつくと霊夢は正式な巫女服を着て守矢神社の境内で空を見上げていた。


「とってもお似合いです!! まったく違和感がありません。さぁこれを持って笑って下さい!」

 そう言って渡された御幣(巫女が持つお祓いに使われるという棒状のアレ)を渡され、
 言われるままに正面に笑顔を向ける。


「お、おぉおおおおおおお!!」


 『●REC』
 パシャ、パシャとフラッシュが焚かれる先に居るのは暑苦しい集団。
 ふと横を見ると早苗も満更でもないようにポーズを作る。
 最後は霊夢と二人で並んで撮影会。

「見て下さい霊夢さん、信仰心ゲージが……」

 早苗の言葉に笑顔で振り向くと社務所の上に設置されてる電光掲示板。
 そこに表示されるのは早苗がわかりやすいからと設置した人々の信仰心を現した格闘ゲームのゲージのような装置。
 早苗ちゃん……多分間違った項目を観測しているわよ。
 現在急上昇中の煩悩……信仰心ゲージに早苗はうっすら笑みさえも浮かべる。
 溢れ出る信仰心によって疲れてポーズを変えるだけで燃え尽きる程のヒート。
 諏訪子にたまには顔を出すようきつく言ってみよう。
 「早苗、恐ろしい子……」と諏訪子に泣かれて困る顔が目に浮かぶわ……ふはははは。

 ――そこへ、宮司の一人が慌てて走って来た。







「早苗様、大変です!! グールが出ました!!」










 ――空気が一気に凍りつく。





「早苗ちゃんっ!!」

「はい!」

 阿吽の呼吸で早苗が頷き、
 動揺する『参拝』客を落ち着かせ、早苗は走ってきた宮司に指示を出す。


「車をお願いします!」


 グールが出現したのは神社より少し下った市街地。
 敵の数は少ないと情報を得て、現場に急行する。


「周囲の住民は――」

「既に退避させております」


 守矢神社襲撃以降、神社周囲の街に戦闘に特化した神官を警備員として配置している。
 有事の際、本部である守矢神社が動く間の時間稼ぎ、そして被害を最小限に食い止める為の予防措置だ。
 どのようにして入り込んだのかは今調査中だが、電光石火で片をつけなくてはならない。
 現場に着く、どうやら報告にあったグールは三体。
 他に出現した補足情報もなければ、この三体を片づければ終わりだ。





「早苗ちゃん下がってて、行くわ!  変――」


《Comp――》





「――待って下さい!」






「え、どうしたの?」


《Why?》






「私にやらせて下さい。私もあの時以来ずっと修行してきました。
 もう二度と悲しい事にはならないように!」



 早苗の決意に、霊夢はため息をつき腰のベルトを外し乗ってきた車に背を預けるようにもたれる。
 早苗は良い子なんだけど天然でちょっぴり強引なところがあって頑固なのは昔からだ。
 ベルトを外した事で完全に手を出さないと示した霊夢に礼を言い、早苗は走る。





―キシャアアアアアアッ!!―




「あるべき場所へお帰りなさい!」


 早苗は取り出した白いチョークで空中に縦四・横五の線で格子を描く。
 文字は虚空に消え、そして唱える。
 臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前の9つの文字を……。

 ――九字を切る。

 格子状に交差するレーザーに串刺しにされるグール。
 一体逃し、重量感のある身体が跳躍……早苗に襲い掛かる。
 早苗は再びチョークで空中に文字を書くと叫ぶ。


「秘術――」



            ――グレイソーマタージ―― 



 星を模る弾幕がグールに迫る。
 空中で身動きのできない手負いの獣は怒りにも嘆きにも似た咆哮を残し、消滅した。



「……ふぅ」


「お疲れ! 早苗ちゃん!!」

「霊夢さん……」

「凄いじゃない……強くなったわね。変身もしてないのにここまでグールとやり合うなんて!!」

「これも修行の成果です」


 謙遜する早苗、そして労った霊夢の後にここまで運転してくれた宮司が声をかける。


「お疲れ様です早苗様……御覧下さい」


 そう言って身体を退けると早苗の目に飛び込んできたのは先程まで怯えて隠れていた住民達だった。
 手にはフライパンや包丁を持った者もいた。
 だが、その表情は怯えや恐れが消え喜びに溢れていた。
 誰とも無く拍手が巻き起こり、口々に早苗を、守矢神社を称える。




        ――現人神とは斯くあるべき――



「前に神奈子様、諏訪子様に教えていただきました。私はこれでも神の端くれです。
 神は人々の願いを聞き届ける義務と責任があります!」



 霊夢達の戦いは夜の闇に隠れるよう決して人々の目には映らない戦いだ。
 そこに賞賛の言葉も拍手も無く、人知れず行われる血の晩餐。
 霊夢は早苗の笑顔が眩しい。
 客星が明る過ぎる夜のように奇跡のような瞬間に立ち会ったと、
 霊夢は少し誇らしい気持ちになった日だった。
 



















―第五十五話 「現人神とは――」、完。



―次回予告。
≪緋色のDanceを踊りましょう。
 今宵、仮面を被り狂宴に舞え、
 優雅なステップで踏む足の下、
 どれだけ血と涙に彩られようと。


 次回、東方英雄譚第五十六話 「フランドール」 ≫
 



[7571] 第五十六話 「フランドール」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/10/31 18:58





 コツ、


       コツ、
         


              コツ、








 薄暗い洋館の地下へと続く階段に足音が響く。
 それはまるで地獄の入口に足をかけるように暗く、深く。
 階段に浮かぶ燭台の灯りが優しく誘い、影法師を呑みこむ。
 


 ――その最下層。



 ――足音が止む。


 
 少女が手を振ると、フロアの端に置かれた燭台に火が灯り照らし出される。
 その広い空間には扉が一つしか存在しない。
 厳重な扉は分厚く部屋を分け隔て、存在感を示す。

 少女が扉に手を掛ける。

 かつて何重にも施された封印結界は全て消え、牢屋にも似た重い扉は悲鳴を上げゆっくりと開けられていく。

 部屋に明かりを灯すと、誰もいない空間が少女の瞳に映り込む。

 部屋の隅に置かれたベッドと子供用の小さな木の机。
 扉の近くにある本棚には何も無かった。



 コツ、コツ、コツ、



 少女はゆっくりと部屋に入り、ベッドに腰掛ける。
 少し湿っぽい空気がかび臭さと混ざり少女の鼻孔をくすぐる。




 ……誰もいない。



 

 ……誰もいないんだ。




 かつてここで寝起きをした少女の姿を今でも脳裏に焼き付いている。
 あの愛くるしい笑顔が、今でも忘れる事はできない。




「寂しい……」




 レミリア・スカーレットは何も無い部屋で静かに呟いた。
 言葉はそのまま薄暗い部屋に吸い込まれるように消え、何も残らなかった。
 首に下がる紅いペンダントが揺れ、蠟燭に照らされ淡い輝きを放つ。
 空白の胸が潰れそうになり、思わず手で胸を押えるようにペンダントの宝石を握る。

 もう慣れた事とはいえ……いや、慣れようとしたとはいえ……。
 帰ってこない返事を待つほど虚しい事は無い。

 それからレミリアはベッドの上で膝を抱え、体を抱くように座る。
 小さく、そして儚く。
 強大な力と傲慢を宿したその漆黒の翼は少女が消えてしまわないように優しく包み込む。
 時計も無い部屋でレミリアの吐息だけが時を刻んだ。
 
 そして、思い出したように力無くベッドから降りて目の前の小さな机に手を触れる。
 掃除はきちんとしてあるのか埃は積もっていない。
 だが、主のいない机はもう座る事のない椅子を我が子のように抱いて眠っているようだ。
 レミリアが机の引き出しから一冊の本を取り出す。
 その絵本は昔、レミリアが読んで聞かせた物の中で一番のお気に入りだったものだ。
 







           ――100万回生きたねこ――







 ページを捲る。
 それは一匹の死なないねこの物語。
 捲る度にねこは飼い主が変わり、その都度死んだ。
 それを繰り返し繰り返し、ねこは新しい人生を歩んだ。
 だが、本当に「生きた」と言えるのは最愛の雌猫に出会った時だった。
 ……初めて猫は生きて、死んだ。
 そして、二度と生き返らなかった。



 レミリアはページを最後まで捲り、そして最初に戻って読み始める。
 何度も何度も読んだ。
 絵本の端が擦り切れるまで……それこそ今まで100万回読んだかもしれない。
 この絵本を読むたび、レミリアは最愛の妹に会えた気がした。



『お姉様っ! 絵本読んでっ!!』



 明るく、いつも楽しそうに笑う妹の顔……この部屋が忘れても私はいつでも思い出せる。
 この部屋に通うのも習慣になってしまったかもしれない。
 レミリアは自嘲気味に絵本の表紙をなぞる。



『またなのフラン……その絵本はもう読んだでしょ?』

『良いの! この絵本が好きなの! お願いお姉様……読んで』

『はいはい、しょうがないわね……』



 いつものやりとり、そしてレミリアがそういうと決まってフランは笑顔でこう言うのだ。


『私、お姉様の優しい声好きなんだもん! えへへ……』


 こう言われるとレミリアに抗う術は無い。
 頭を撫でて、ベッドで一緒に寝ながら絵本を子守唄に妹と眠る。
 穏やかで優しい時間。
 それが普通だと思ってた……この時間が永劫続くものと信じた。




 
 ――時折、夢を見た。





 その度にレミリアは汗だくで目覚め、慌てて横にいるフランを確認する。
 そして、安堵するのだ。
 妹の小さな寝息、暖かい体温を確認してこれが現実なんだと言い聞かせた。
 それでも垣間見る悪夢にうなされる時間が段々長くなるのを感じた。
 まるで、これから起こる前触れを予知したかのように……。
 血塗られた運命に操られたかのように……。




 レミリア・スカーレットにはたった一人の妹がいた。
 名はフランドール・スカーレット。
 その少女はレミリアの薄紫色の髪と対を成す様に輝くばかりの金髪で、瞳は双子のように瓜二つの深紅だった。
 そして性格も対を成す様に大人しいレミリアと違い活発で明るかった。
 その姉妹は屋敷の誰からも愛され、そして偉大な吸血鬼の父を持つ姉妹に敵はいなかった。


 しかし、一つだけフランドールには欠陥があった。




 ――それは『力の暴走』。



 普段は素直な明るい子なのに、時々禍々しい妖気を放ち体調を崩した。
 それが如実に表れているのはその歪な羽だった。
 吸血鬼は本来、蝙蝠の羽を持つがフランは違った。
 黒い枝のような骨に七色の水晶の羽、特徴的な翼は吸血鬼の歴史の中でも異常だった。
 姉のレミリア以上に純粋な吸血鬼の力を受け継いだフランは生まれた時からその力に翻弄された。
 最初は意識を失い、力の暴走に身を任せてしまっていたが歳を重ねるにつれ、力を段々と抑え込めるようになる。
 しかし、何時また暴走するかわからない可能性があるため地下に部屋を設け、
 そこに封印を施す事により力が収まるまでじっと待つしかなかった。

 この暗く、誰もいない地下深くの部屋でフランは耐えた。


『……はぁ……はぁ……お姉様、そこに居る?』


『私はここに居るわよ、フラン』


 封印が施された扉に寄り添うようにレミリアが背を預ける。
 扉伝いに聞こえる苦しみと悲しみをレミリアは背中で感じ、
 フランの体の内に巣食う決して抜けない毒が吐き出されるのを願う。



 ――咆哮。



 何時間も何時間もフランは叫び続けた。
 何も考えず、本能のままに暴れたい衝動と必死に戦う。
 ようやく落ち着きを取り戻し、疲れ果て恐る恐るフランは尋ねる。


『……お姉様、そこに居る?』


『私はここに居るわよ、フラン』



 その何時でも優しい姉の声にフランは涙を流して安堵する。
 力の暴走で普段親しげに話す他の従者や屋敷に住む妖怪もこの時ばかりは近づいて来ない。
 それは仕方の無い事だった。
 本能でわかるのだ。誰が好き好んで猛獣の檻に一緒に入るものか。
 弱い妖怪なら暴走したフランの妖気に当てられただけで即死してしまうほど有毒なら尚更だ。
 お姉様だけは私の傍に居てくれる。
 お姉様だけは私をずっと好きでいてくれる。
 それだけがフランドールの心の支えだった。


『100万年も しなない ねこがいました――』


『お姉様、それって……』


『もう、覚えちゃったわよ』


 レミリアはフランの呼吸を落ち着かせるように絵本の物語を口ずさむ。
 フランは重たい足取りで扉の前まで来ると耳を澄ませて姉の声に耳を傾けた。
 薄暗い影の降りた扉の先がフランの希望の光だった。
 太陽の光を嫌う吸血鬼は夜を好む。
 しかし、フランの太陽のような眩しい笑顔を取り戻さなければレミリアの月の光もまた輝かないのだ。







『――ねこは もう、けっして 生きかえりませんでした』







『……』


『――おしまい』


『お姉様……』


『うん?』


『ありがとう……私、少し眠るね……』


『ゆっくり休みなさい。私もずっとここに居るから』


『うん……』




 それから、微かに聞こえるフランの寝息。
 従者の持ってきてくれた毛布に包り、扉を背にしながらレミリアも眠りの姿勢になる。
 そこへ、足音が響いてレミリアの顔が上がる。


『……お父様』

『フランは、もう寝たか?』

『えぇ、たった今』

『そうか……』


 疲れたろう、そう労いの言葉をかけ手にした紅茶のセットを床に置く。
 小皿にはお菓子がのり、父が淹れる紅茶の甘い香りが鼻孔をくすぐる。


『お前には、苦労をかけるな』


 頭を撫でられ悪い気はしない。
 普段、妹にやっている事なので少し気恥ずかしいが同時に嬉しい気持ちもある。
 父が地下に降りてくる事は稀で、なるべくフランにも会わないようにしている。
 純粋な吸血鬼で絶大な力を持つ父の力が隣にあっては、フランの力の暴走を促してしまうだけだからだ。
 誰よりも姉妹を愛し、心配する偉大な父は近寄れない扉越しの娘の寝顔を思いながら背を向ける。


『もう、行くのですか?』


『あぁ、長居は無用だ』


 そう言い残し、再び階段を上がっていく父の姿を見送る。
 もっとお父様とお話がしたい。
 姉とは言ってもまだまだ甘えたい年頃であるレミリアは歳相応の瞳で父のいなくなった階段を見つめる。
 フランを仕方が無いとは言え、幽閉する事に父は心を痛めていた。
 だが、フランの暴走が強力になるにつれ屋敷だけでは済まなくなる危険性があった。

 この頃、レミリアの父は人間達と休戦協定を結び、互いの不可侵条約の締結に力を注いでいた。
 まだ人間と妖怪がいがみ合っている時代、それは画期的な事だったが反発も強かった。
 その時父が納める領地の妖怪は父の力に平伏し逆らう事はできなかったが、不満は解消されぬまま根強く残る事となる。
 その父の影響からか、レミリアは良く日傘を差し、人間に変装して街に出掛けた。
 そこで同い年ぐらいの友達を作り、一緒に遊びもした。
 いつか、フランも一緒に遊ぶために人間の子と仲良くなりたかった。

 父がフランを地下に閉じ込めたのも、もし暴走で人間の街に出た場合最悪の事態になる事を想定したためだ。
 父の代になって人間を襲う妖怪を締め付け、互いに共存できるように取り計らっていた苦労が無に帰す事になる。
 父の苦しみ、悲しみ、痛み……その全てを飲み込んでレミリアはただここにあり続けた。
 まだ力が弱く、何の能力もない自分が出来る事はフランの傍に居てあげる事だけだから。







「咲夜、そこに居る?」


「はい、ここに居ます」


 扉の傍に控える咲夜はレミリアの声に耳を傾ける。


「喉が渇いたわ……紅茶淹れてくれるかしら?」


「かしこまりました」


 閉じられた扉の傍で扉に向かい一礼すると咲夜は消える。
 咲夜の気配が消えたのを感じ、レミリアは絵本を元の引き出しに戻す。
 この本はこの部屋に有るべきものだからだ。
 この話を何回も何回も、それこそ100万回読んだ。
 でも、レミリアはこの話を理解できない。
 理解したくなかったからだ。

















―第五十六話 「フランドール」、完。


―次回予告。

家族セカイセカイを繋いだ万華鏡の世界。
 ――絶対に譲れない意思。
 その座から引き摺り降ろそうとする決意。
 逆行する時間と順行する時間。

 次回、東方英雄譚第五十七話 「大天使の塔」 ≫





[7571] 第五十七話 「大天使の塔」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/11/09 20:52


「レミリア・スカーレットとは親友だったわ……今でも、ね」



 パチュリー・ノーレッジという私の物語を語るのにレミリア・スカーレットという小さな吸血鬼の少女を切り離す事はできない。
 彼女は私の日記の大部分を占め、語る中心であり核心だった。
 私にとって私とは、私だけでは定義できないからだ。
 それはただの思いであり、考えであり、記憶であり、ひょっとすると傷であるかもしれない。
 言うなれば、知識の積み重ね、経験。
 経験こそ私と言うならば、私とまったく同じ経験をした人間は私だと言ってしまってもよいのかもしれない。

 だから、私の名など本来なら単なる記号でしかないはずだった。
 人間という種族の一頁にも満たない情報の羅列の集合体。
 呼吸のように名乗りを上げる程度の認識でしか私は私を表現できなかった……どこにでもいる普通の人間の小娘だった。





 パチュリーはとくとく語る。
 感情が遠い記憶を呼び起こす。
 それは懺悔にも近い、告白。

 パチュリーがスカーレット姉妹と出会ったのは16世紀頃、
 ちょうど魔女狩り全盛の時代のどこにでもいる少女の昔話だ――。
 














 ――その時代、私はまだ普通の人間として過ごしていた。
 魔法も使えず、何の才能も無い少女。
 そのまま生きていれば普通の娘として嫁ぎ、子供を産んで、死ぬ……それだけで良かった。
 しかし……私、パチュリー・ノーレッジに時代は……微笑んではいなかった。
 運命の悪戯と表現する事が一番正しいという気がする。
 まるで磁力に引きつけられるように彼女と……レミリア・スカーレットと私は出会ったんだ。
 出会ってしまったんだ――。


「あら、貴女……今一人かしら?」


 街角の噴水に腰掛け本を読む私に声をかけたのは、まるで今読んでいた物語に出て来るお姫様のような少女だった。
 その少女は日傘を差し、桃色のドレスにナイトキャップ、そこから覗く薄紫色の髪。
 力強い意志が宿った深紅の瞳は吸い込まれそうな宝石にも見えた。
 思わず見とれ、呆然となった。


「ごめんなさい。邪魔しちゃったかしら……」


 少し目元を伏せ、申し訳なさそうに彼女は私の本に目をやる。


「え、えと……何か、用?」


 当時、友達の少ない私にとって本が唯一の友人で、仲間で、そして私を受け入れてくれる暇潰しだった。
 声をかけられ、緊張し、動揺し、赤面して……。
 こうして同年代ぐらいの少女に話しかけられるのも慣れてなく、ついつい口調に刺が出てしまう。
 さぞ、滑稽に映っただろう……しかし、彼女は気にした様子も無く私に話しかけてくれた。



「用事? う~ん、そうね。そう私、探しものをしてて……」



「何を……探しているの?」



 私は小さな声で絞り出すようにそう返すのがやっとだった。
 不思議な少女だった。
 私はおざなり対応しながらも何故か彼女の顔、姿、仕草、声から逃れられなかった。
 逃れられない……というのは語弊があるかもしれない。
 魅力……違う。
 圧力……違う。
 その当時の記憶では私はこう表現してもいいかもしれない。
 私の意識と時間を奪った彼女の存在はその『引力』に引きつけられたのかもしれない。
 地球という惑星が重力によって生物を支配するように見えない何かの力が働いたとしか思えなかった。
 それは押しつける力とは確かに違った。
 圧迫とは程遠い優しく、暖かで、穏やかな……そう言った類だった。


「お友達」

「……え!?」


 彼女の言葉に一瞬、思考が停止した。
 てっきり何か落し物をしたのかと思ったがそれは私の思い込みだった。
 一緒に遊んでいた友達を探しているのか?
 そう思いつつも頭の片隅で浮かび上がる違和感に私は気がついた。
 『友達』その言葉に私が慣れていないだけかもしれないが、
 彼女が発した『友達』という空気の振動には世間一般で言う所の意味合いが感じ取れなかったからだ。


「……鬼ごっこ?」


 それでも私は確認の意味を込めてこう言葉を返した。


「いいえ。私、一人なの……だから一緒に遊んでくれる友達を探しているの」


 彼女の言葉に再び言葉を詰まる。
 どう答えたものかわからなかった。
 社交性の低い私にとって、「じゃあ私と遊ぼう!」という言葉が口から出る事はない。
 自信が無いのだ。
 だから自分の心に壁を作り、さらには本で顔を隠して壁を厚くする事しかできなかった。
 自分が悔しくて情けなかった。


「私……今忙しいの……他あたって」


 失敗……。
 私は赤面する顔を隠す様に再び本に顔を埋める。
 言って後悔する……もっと他に言いようがあるだろう……自分が良く分かっている。
 恥ずかしい……怖い。
 そんな私の様子に彼女は不思議そうな顔をする。


「ねぇ」

「わ、わぁ……な、何?」


 彼女が正面に回り、本の背表紙に指をかけて倒すように私の顔を覗き込む。
 顔が近い……呼吸するたびに吐息がかかりそうな程の距離に私は狼狽えた。
 でも嫌だとは少しも思わなかった。
 彼女の瞳は真っ直ぐ私という個人を捉え、私に向かって話しかけてきた。
 ここまで他人を近づけた事はなかった私にとってそれは初めての体験だった。
 そして、本の壁を越えてここまで私の世界に足を踏み入れる事が出来る子がいるという驚き、それ自体も新鮮だった。


「貴女今暇そうじゃない……何で忙しいの?」

「本を……読んで、いるのよ……」

「本は寝る前に読む物よ。まだこんなに日が高いじゃない……貴女変わっているわね」


 同年代の子供は、昼は家の仕事の手伝いか友達と遊ぶのが普通だ。
 私のように一人で過ごす子供は少なく、その彼女にとっては奇異に映ったのだろう。
 じっと見つめ合う。
 私は恥ずかしさのあまりその視線から逃れるように逃げ出した。
 今でも思い出すたびに、何故そんな事をしたのか未だにわからない。
 だけど、自分の世界にだけ籠っていた私には今まで築いてきた世界がガラガラと音を立てて崩れていくみたいで、それが怖かったのかもしれない。


「あ、ちょっと……」


 彼女の制止も聞かず、私は一目散に逃げる。
 しかし、失念していた事があった。
 それは持病の喘息。
 急激な運動と極度のストレスが刺激となり発作が起こるその現象は、私にとっては地獄の苦しみだった。
 私が本ばかり読むようになった原因もこの病気の所為であると言い訳をしていた。
 病気を理由に……私は逃げた。
 本当は他人と関わるのが苦手で、否定するのも否定されるのも怖くて怖くてしょうがなかった。
 それだけが全てではないという周りの大人の反応も、理解はできるが納得できなかった。
 私も最初は友達を作ろうとした。
 ある男の子は私の足が遅い事を馬鹿にした。
 ある女の子は病気で苦しむ姿が気持ち悪いと言った。
 声が小さく自信が無い事も、痩せ細った身体も……私は否定される材料が人より多かったのかもしれない。
 


「ヒュー……ヒュー……」


 倒れるようにその場にしゃがみ込んだ私は喘鳴を起こし、顔を青ざめる。
 苦しい……苦しい……苦しい……。
 地を這い、目を瞑り、私は声にならない叫びを上げる。
 誰か……助けて……。
 

 ――私の身体を日影が覆う。
 ――そして、体が浮いた。


「ヒュー……ヒュー……何が……」


 目を開く。
 ……その視界に映ったのは自分が持っていた本と何所かで見た日傘がどんどん遠ざかっていく光景だった。


「怖いなら、目を瞑っていなさい」


 先ほど聞いた少女の声……彼女に抱きかかえられるように納まり、振り向く。
 少女の愛くるしい顔が頬笑み、その背後……彼女の背中に漆黒の翼が見えた。
 それが何なのか、少女が何者なのか問い詰めたい気持ちがあったが、
 喘息の発作で苦しい今はどうでも良かった。
 だが、少女が何故自分を抱えて飛んでいるのか……その意味を私は理解した。
 『助けてくれようとしている』
 初めて会ったばかりで、酷い対応をしてしまった自分なんかをこの少女は……。


 彼女が私を運んでくれた先は近くにある街の診療所だった。
 幸い、私が通った事のある診療所だったため、少女が説明せずとも私の容体から察してくれたようだ。
 容体が安定し、普通に話せる頃にはとっく日が沈んでいた。
 診療所の先生に礼を言い、後日改めて治療代とお礼に来ると言い残し処置室を出る。


「あの子の連絡先……聞いて無かった……」


 流石にもう帰っているだろうと思った。
 どこかホッとしたようで、どこか寂しい気持ちになった。
 薄暗い待合室。
 微かな蝋燭の光に照らされ小さな影が浮かび上がる。


「あ、貴女……」


 処置室の前の椅子に腰かけるようにうたた寝をする少女がそこに居た。
 私はどうしたものかと迷った挙句、決心して少女の肩に手を掛ける。


「ねぇ……起きて……」


「う、うー……」


 少女が眠い目を擦りながら、小さな欠伸をする。
 そして、目の前の私に気がつく。


「大丈夫なの?」


 彼女の優しい言葉に涙が出そうになった。
 私を心配してくれた……その事実だけで嬉しかった。


「あ、ありがとう……貴女のおかげで助かったわ……」

「そう、良かった」


 そう言うと少女は椅子から立ち上がり、診療所の入口の扉へ歩いて行く。
 先ほどの優しい表情を一転させ、何事も無かったかのように挨拶も無しに彼女は私から視線を外した。
 これで終わりとばかりに……、それで終わりと言わんばかりに。


「あ……」


 私はその行動で悟った。
 ここでこのまま別れると少女と二度と会えない、そんな気がした。
 何か、何か……声をかけないと。
 こつ、こつ、と迷い無い足取りで歩いて行く少女の小さな背中を止める言葉を!!


「わ、私はっ!!」


 自分でもこんなに大きな声が出るのかと思うくらいの声で少女を呼び止める。
 少女は突然叫ぶように顔を真っ赤にして立つ私に少し驚いたように振り返る。


「私は、パチュリー・ノーレッジっ! 貴女の名前はっ!!」


 
 私の言葉を聞き、少女は再び少し驚き一瞬目を瞑ると私に正面から向き直る。
 彼女は私という存在を認識した。
 彼女は彼女の世界に私を受け入れた。
 大袈裟かもしれない。
 それでも私は、彼女と……友達になりたいッ!!
 少女はスカートの裾をつまみ、優雅に礼をする。


「私はレミリア・スカーレット。偉大なるツェペシュの末裔……吸血鬼よ」


 静かにそう名乗った少女はじっと私を見つめた。
 その何かを窺う様子にパチュリー喉が渇くのを抑えきれなかった。
 待合室に対峙する二人の少女。
 距離が縮まる。


「貴女は……私が怖くないの?」


 レミリアの言葉に一瞬恐怖を感じなかったと言えば嘘になる。
 『吸血鬼』……この当時最も恐ろしい妖怪と言われ、この街の近くの洋館にも残虐非道の強大な吸血鬼が巣くっているという噂だ。
 魔女狩り全盛の時代、人間の中にも異質な存在さえ排除しようという空気が流れていた時代。
 吸血鬼に限らず人間は妖怪と敵対し、恐怖の対象としてしか認識しない。
 


 ――レミリアの羽を見た。

 ……明らかに人間ではない。

 ――レミリアは自分が『吸血鬼』であると名乗った。

 ……これはパチュリーに対しての敬意。




 レミリアが妖怪だと分かって、なお勇気を出して声をかけたパチュリー・ノーレッジという人間に対しての最大限の礼だった。


 ――レミリアの疑問。

 ……それは当然であった。


 それが間違っているとは誰も言わない。
 寧ろ、それでも声をかけたパチュリーの方が人によっては愚かだと断ずるかもしれない。
 それは神を冒涜するバベルの塔の所業に近いのかもしれない。
 如何に無謀で、傲慢な考えであるか。
 人外のモノと関わる事が如何に恐ろしく、危険な事かを……。




「私はただレミリアにお礼が言いたいだけ……助けてくれて、ありがとう」

「どういたしまして」


 私の言葉に満面の笑みを浮かべるレミリア。
 そこ言葉に私は自分が正しくは無いのではないかという思いが、私は間違ってはいないという決心に変わる。
 どこから見ても普通の少女である彼女を分ける境界線、その背中の漆黒の翼。
 その禍々しき種族としての強大な暴力の象徴。
 だけど……レミリアに抱えられ振り返った私が見たのは日の光で身体を焼かれながらも懸命に飛ぶ眩しい天使の羽だった。
 そして、私は恐る恐る右手を差し出す。



「友達は……見つかったかしら?」



 私の人生で初めてのジョークをレミリアは笑って応えて、答えた。




「えぇ……たった今ね」















―第五十七話 「大天使の塔」、完。



―次回予告。
≪まやかしの糸を幾ら巡らそうと、真実が光の輪郭を照らすだろう。
 つまり、私は被告人であり裁判官。
 火の両端に私は立つ。

 真実であるための力を私の手に……。

 次回、東方英雄譚第五十八話 「ハングマン」 ≫




[7571] 第五十八話 「ハングマン」
Name: 樹◆63b55a54 ID:113c6b7e
Date: 2010/12/04 22:43


「……ふぁ……あーうー」




 まだ肌寒い朝、暖かい炬燵に包まれ誰かが掛けてくれた毛布をはいで目覚める。


 ――眠い。


 いくら寝ても寝足りないぐらいだ。
 最近、暇を見つけては眠ってばかりだ。
 このまま冬眠しちゃおうかなと思うぐらいの眠気。
 ふと見るともう、昼を回っている。
 朝ではなかった。
 どうするか、今日は予定ないしカッパ工場も今は発注している途中だから試験運用の実験も無いし。
 

 ――もう一回、寝ちゃおう!


 自分の体温でぬくぬくになった毛布を被り直し、再び目を閉じる諏訪子。


 ――うん?


 微かに目を開ける。
 そう言えば……早苗どうしてるんだろう?
 最初あれほど頻繁に通ってくれた早苗はここ最近霊夢の家に来ていない。
 忙しいらしく、この前霊夢が見に行ったら苦笑いしながら、


 『早苗ちゃん、元気過ぎる――』


 どういう事なのか?
 まぁ、何にせよ早苗が元気なら私も嬉しい。
 久々に早苗の顔を見たいな……守矢神社に帰りたいな……。






 ――よし、






 善は急げという。
 思い立ったが吉日。
 私は飛び起き、洗面所へ。
 顔を洗い、歯を磨き、髪を整える。
 防寒対策万全で玄関から外へ――、


「――さ、寒い! やっべぇ!!」


 無事、帰還。
 どうやら私は甘かったようだ。
 炬燵に慣れ親しんだ我が身に冬の寒さは、生存本能を凍りつかせるには十分過ぎた。
 体を縮め、一瞬で冷えた体温を戻す作業に追われる。
 カイロが必要だ。
 ケロちゃん風雨に負けずと言うけれど、寒さだけは例外だと認めざるを得ない。


 ――準備を整え、いざ!














 神社への通り道商店街に立ち寄る。
 久しぶりに神社へ帰るのだから酒とつまみでも買って行こうと思ったからだ。
 でも、それがいけなかったのかもしれない。
 いや、どの道会っていたのかもしれないが……。
 一声かけられただけで周囲の空気が重量を増し、自分の肩にかかる雑感はどうにも嫌なものだ。





「厄いわね……」





 諏訪子が振り向く。
 街角でよく見る占い師。
 シャッターの下りた店舗の前に無遠慮に陣取り、
 傲慢に人の未来を訳知り顔で決めつける。
 ただし、それは人に限った事だ。
 一応、神である私にはどうかな?
 諏訪子は少し驚いた顔をして、胡散臭い占い師の女性に近づいていく。

 近づきながら、記憶の糸を辿る。
 その占い師の女性がこの商店街でよく出没し、早苗の話では女子高生の間でよく当たると密かな人気らしい。
 『占い』ね……昔は神事で必要な事だったが、今では形骸化の一途を辿り守矢神社でもお御籤程度だ。
 まぁ話のタネに占ってもらおうじゃないか。
 私の歳で恋バナもないだろうが……。



「回避したくない? 貴女の悲惨な未来を……」



 おっと、どうやら壺でも買わされそうだ。
 いきなり、悲惨な未来と来たか……その水晶曇ってんじゃないの?
 諏訪子は目の前の自称、占い師を小馬鹿にしながらも話を合わせる。


「私の未来が大変だって? へぇ~どうすればいいの?」


「これから貴女には幾つもの分岐点がある。それを間違えてはいけない」


「……ほぅ」


 諏訪子はうんうんと頷き、話を真剣に聞くそぶりをして相手の腹を探る。
 一体、何が目的なのか? 何が言いたいのか……。


「占いって初めてなんだけど……高いの?」


「これは忠告ですよ。お金はいりません……たんなる独り言です」


「独り言ねぇ……」


 胡散臭さが更に深みをましたようだ。
 だんだんと諏訪子は目の前の占い師に興味が湧いてきた。
 乗せられてるだけかとも思ったが……それも一興か。


「じゃあさ……その独り言が『偶然』聞こえちゃったんだけど。
 これから守矢神社に向かおうと思ってるんだ……それは『吉』かい?」


「『吉』とも言えるし『凶』とも言える」


「曖昧だね。運命は自分でってオチ?」


「貴女は今、薄氷の細い橋を渡っている。下は崖。向こう岸は、まだ遠い」


 占い師特有の人を煙に巻く言い回しで諏訪子の質問に答える。
 続ける。


「歴史は、選択と分岐で成り立っている。
 自分で選びとったものが新たな世界を作り、新たな未来を生み出していく」


「それが何を―-」


「だが、何かを選び取るということは同時に選ばれなかった未来を殺してしまう、という事でもある。
 変えてしまった過去のために存在することの許されなくなった未来。
 どうか、貴女のひとつの未来が殺した過去に悔いを残さないように……」



 道は未知。
 時間の流れの先端は常に未知だ。
 それが絶対の真実。
 この世で時間ほど『死』と同等に平等で無慈悲な物はない。
 私の時間は私だけのものだ。
 他の誰にも譲らない。
 私が、決め。
 私が進む。




「――お前に、言われなくてもわかっている」





 それで話は終わりだと諏訪子は占い師の女性を通り過ぎて行く。
 道端に咲いた野花を愛でただけのように、過ぎ去って行く。
 お前に何がわかるというのだ。
 勝手なことを言って……。
 虫の居所が悪い諏訪子が礼も言わず去って行くのを言葉ではなく、
 突如背後で溢れ出した力に思わず足が止まる。

 


「――これは『神気』!?」



 
 諏訪子が振り返ると、もうそこには先ほどの占い師の姿はない。
 どこからともなく響いてくる声が諏訪子の耳をうつ。
 それは最後通告だった。



「過去は変えられない。貴女はすでに分岐点を間違えている……」



 
 厄神かよ……ご丁寧に姿と力を隠して現れるなんてな。
 頭をがりがりと掻き、溜め息をつく。
 思い出される言葉の数々を反芻し、神社へ続く商店街を諏訪子は歩いて行く。

 


 



















「な、何だ……これは!?」



 諏訪子は開いた口が塞がらなかった。
 守矢神社、懐かしい我が家。
 だが、諏訪子の知っている神社は様変わりしていた。
 悪い意味で、だ。
 厳かな雰囲気の神社が華美な装飾をし、
 参拝客? と思うような集団がポーズを決め神社をバックに記念撮影。
 屋台が縁日でもないのに並んでいた。




「さ、さ、さ……早苗ぇえええええええ!!」




 諏訪子は震える拳を握りしめ、大声で怒鳴った。
 一体、どういうことだ。
 何なんだこの有様は!
 信じられない。あの早苗がこんな事許すはずがない。
 一体どうしたんだ!?

 諏訪子は大急ぎで社務所に駆けつけ近くの宮司に聞いた。



「あ、諏訪子様。おかえりなさ――」


「早苗はどこだ!!」


「え、あ、早苗様は……部屋……では」


 諏訪子の剣幕に若い宮司は怯えを孕んだ目で諏訪子を見つめる。


「どうされたのですか、そんなに慌てて!?」


「どうされたじゃない! 何だこの有様は!! こ、こ、は、神社だぞ!!」


 まるで遊園地じゃないか。
 こんな馬鹿な話があるか。
 少し留守にしている間に、何があったんだ。


「いや、えぇとこれは……早苗様の……指示でして」


 語尾が尻すぼみになりながら恐る恐る諏訪子に進言する若い宮司。
 その言葉に、「はぁ?」と聞き返し、間違いなく早苗の指示だと宮司は言う。
 諏訪子は早苗の部屋に駆ける。
 早苗本人の口から事の次第を聞かなければ納得しない。
 早苗がそんな指示を出すはずがない。
 何かの間違いだ、そうに違いない!!











 階段を上り、早苗の部屋に入る。
 そして、私は――後悔した。
 私は、間違ってしまった。



「さ……なえ、何をして……るんだい?」



 私の問いかけに、早苗は聞こえていないかのように一心不乱に、畳に広げられた写真に話しかけている。
 その尋常でない様子に山のようにあった質問とお説教の文句がどこかへ行ってしまった。


「……ぇです……子様は……」


「早苗……ねぇ、早苗?」


「……だから……あの時……」


「早苗!!」


 諏訪子の鋭い声にようやく反応し、重たい頭をゆっくりと上げる。
 夢遊病者のように焦点の合わない瞳が諏訪子を捉えた。


「あぁ、諏訪子様。おかえりなさい」


 生気というものが感じられない。
 一瞬、別人かと自分の目を疑った。


「一体どうしたんだ、早苗!!」


 諏訪子は床にうずくまるように座る早苗に倒れ込むように駆け寄る。


「――か、神奈子様を踏まないで!!」


 駆け寄った諏訪子の身体を突き飛ばす様に腕を払い、床に散らばった写真を急いでかき集める。
 呆然とする諏訪子の目には、早苗の大切にしている写真。
 アルバムから取り出したのだろか、神奈子だけでなく諏訪子と早苗を入れた三人で撮った写真や神社の宮司を入れた写真。
 今ではもういない人間が映っている。
 他にも、早苗がランドセルを背負った時。
 神奈子お手製の雛人形を壊して泣いてしまった時。


「あ、……ごめんなさい。諏訪子様。でも、神奈子様のお顔が皺くちゃになっちゃうから……」


 手に握られた神奈子が早苗を肩車している写真は涙で滲んだのか、端がくしゃくしゃになっている。
 物心ついたすぐ両親とは事故で死別した早苗は皆から『じぃ』と呼ばれ、親しまれた宮司の祖父以外家族はいない。
 そのじぃも守矢神社襲撃事件の時殺されてしまった。
 写真に写る早苗の笑顔を守ってきたのは紛れも無く私達であると断言できる。
 だからこそ、気づくべきだった。
 本当の両親以上の時を一緒に過ごした家族を、兄弟のように接してくれた宮司達も、
 一度に失ってしまった早苗の心を……。



「さ、なえ……」



 私は、間違いを犯した!!
 早苗は……早苗は強い子だと、早苗は大丈夫だと……勝手に思い込んで。
 早苗を一人にした。
 一番傍にいてあげないといけないときに、一人ぼっちにさせてしまった。
 早苗が変化したのは……成長したからじゃない、逆だ。
 早苗は……まだ、過去を乗り越えられていない。
 全てはまやかし。
 責任感の強い早苗が、頑固な早苗が、神奈子の死を簡単に乗り越えられるはずがないんだ。




「……あ、修行の時間だ……行かないと……」




 ぼんやりと壁に掛けられた時計を見て、ゆらりと立ち上がる。
 ふらふらとした足取りは、途端に膝の力が抜けたのか目の前の諏訪子にもたれかかる。
 怪我をしないように優しく抱きとめた諏訪子は早苗の異常な体温に気がつく。


「早苗! すごい熱だ!! 早く、薬飲まないと、修行なんかどうでもいいから!!」


 無理に立ち上がろうとする早苗を引き止めるように腕を引く諏訪子に物憂げに答えた。


「何を……言ってるんですか、早く修行して力をつけてあの化物達を倒さないとまた多くの人が酷い目にあう殺される神奈子様のようにだから早く早く力をつけないとそうだ諏訪子様修行見て下さいよ私強くなったんですよみんなにも褒められて霊夢さんにもすごいと言われてだから安心して下さいもう二度とあんな事にはなりません諏訪子様は安心して留守を任せて下さい」


「何を言ってるんだ早苗、私には早苗が何を言っているかわからないよ。今はそれどころじゃなだろ?
 早く布団に入りな、今敷いてやるから。
 神奈子程じゃないけどおいしいお粥作ってあげるから、な?」


 諏訪子は早苗を引っ張る。
 早苗は身を任せるように倒れ込み、ぼうとした表情で時計を見つめる。
 


 ――私の責任だ。



 ここまで追い詰めたのは私の身勝手な判断だ。
 チルノ達と一緒に戦うと決意したあの日、早苗の為にと思ってやったことが裏目に出た。
 こんなはずじゃなかった。
 一体どこで、何を間違えた!?

 厄神の言葉が脳裏を過ぎる。
 これが分岐点かよ、それともすでに間違えた未来だってのか!?
 諏訪子はぐちゃぐちゃになった頭を振り払うように、早苗を抱きしめた。
 こうする事しかできなかった。
 こうせざるを得なかった。





 『早苗は強い子だから――』




 『真面目で責任感が強くて、あんな良い子はそういないよ』




 『誰よりも優しい、分け隔てなく接する事ができる』




 過去の、愚かな、蒙昧な私の言葉が、私の心臓をきつく……絞める。
 きりきりと万力で押しつけられた記憶と知識の断片が手をすり抜けて床に落ちた。
 早苗が無茶な修行を繰り返し、披露し切った身体に鞭を打って必死に信仰を取り戻そうと暴走してしまった。
 たぶん、十分寝てないのだろう。
 肌が荒れ、目も充血している。
 鏡はいつ見たんだろうか……。
 熱にうなされた頭があの事件を呼び起こして、早苗を苦しめているんだ。
 私が早苗を孤独の檻に閉じ込めてしまった。
 サインに気づいてやれなかった……こんなになるまで。
 「霊夢が早苗が元気過ぎる」と言った訳がわかった。
 ここに居るのは私の知っている早苗じゃない。
 私が決めつけた早苗じゃない。
 本当の、姿の早苗なんだ。
 



「ごめん、ごめんよ早苗っ!!
 私が泣くことを隠したから、お前にも隠さないといけないという気持ちにさせてしまった。
 私が間違っていた! 
 私がやるべきことは早苗と一緒に神奈子の死を悲しみ一緒に泣く事だったのに……」


「諏訪子様……泣いているのですか……?」


 早苗を見つめる諏訪子の頬に雫が零れ落ちる。


「あぁ、早苗が泣かないから代わりに泣いているのさ……何が神だ! 私は自分が情けなくて情けなくてしょうがない!!」


 諏訪子を見つめる早苗の目にもうっすらと光が差す。
 つられるように流す涙に早苗は疑問の声を口にする。


「あれ、あれ……何で、私は泣かないって決めたのに、現人神は常に強くあるべきだって誓ったのに……」


「いいんだよ。泣いて良いんだ早苗、早苗……現人神だからって遠慮するんじゃない!
 早苗……本当の強さは弱さを隠す事じゃない。弱さを認める事だ」


「でも、私は……みんなを守らないと……諏訪子様がいない間、私が神社を……みんなを……」


「もう無理はするんじゃない。ここにはみんなはいない。私とお前だけだ。
 だから、もう……我慢するのはおよし」



 諏訪子の言葉に、早苗の心は決壊した。
 縋る様に諏訪子の胸に顔をうずめ、ありったけの力でしがみ付いた。
 呼吸が止まる。
 誰にも見せられない顔が、仮面が、落ちた。




「うぅぅっぅぅぅぅぅっぅあぁああああああああああああああああああああああああ!!」



 言葉にならない獣の叫び、暴れる早苗を飛び出してしまわないようにしっかりと諏訪子は抱きしめる。



「神奈子っ!! ごめん!! ごめんね神奈子……うぅ、助けられなくて、私だけ生き残って。
 ……本当に、ごめん!! 私を、許してくれ!!
 うぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」



 あの時、
 我慢したあの時の涙が溢れた。
 忘れる事なんてできない。
 涙は忘れる事は無い。
 誤魔化しは自分を追い詰めるだけで、最後には最悪の形で顔を出すだけだ。
 私は――問題を先送りしただけだ。
 『逃げた』と言っていい。
 今はそんな場合では無いと、私はしっかりしなければ……早苗を守らなければ。
 それしかなかった。
 そこに、早苗の思いは……あったか?
 私は……早苗と本当に話し合ったか?
 上から早苗を押しつけただけじゃないか。
 


 ――無様だ。







「ひ、ひっく……ひ、」


 涙が枯れるまで――、
 枯れ果てるまで――、

 治まったと思った悲鳴がぶり返す。
 その度に私は『大丈夫だ、大丈夫だ……もう放さないから』
 そう言って早苗の背中を撫でる。
 何度でも何度でも、早苗の気が済むまで。
 何時間でも、何日でもこうしていよう。
 決して押さえつけない。泣きたいだけ泣けばいい。
 私はずっとここにいるから。





「……諏訪子、様」


 ようやく人間らしい言葉を発した時、日は落ちていた。
 早苗は涙と鼻水でくしゃくしゃになった顔を恥ずかしそうに服の袖で拭き、
 初めて、諏訪子の目を見た。


「……諏訪子、様」


「何だい、早苗?」


「私、私は……どうすれば……」

「うん」

「私は、忘れようとした。でも忘れられなくて、アルバムばっかり見て、それで……」

「うん」

「諏訪子様に心配かけまいと必死で……」

「うん」

「それでもう、わけがわからなくなって……」

「さ、な、え、は……本当に良い子だな」

 言い聞かせるようにゆっくりと早苗の名を呼びながら優しく頭を撫でる。
 よしよしと、
 母が子供に接するように。
 慈愛に満ちた表情で。


「早苗は私と神奈子の自慢の娘だ。
 誰が何と言おうと、絶対にだ。
 早苗は良い子だ」


「私……間違っていたんでしょうか?」


「私も間違っていたよ」


「そんな! 諏訪子様は!!」


「私は大馬鹿者だよ。早苗は悪くない。絶対に悪くない!
 悪いのは私だ。私が……早苗を……」


「諏訪子様!!」


 突然の叫びに諏訪子は驚く。
 早苗は迷いを振り切った顔で、『迷い』が捉えられないほど先へ走り切った顔で諏訪子を見つめる。


「『私が――』とか『何で――』とかはもう、やめましょう……。
 私は強くなります! 
 弱さを隠すんじゃなく、乗り越えるんじゃなく、弱さと付き合えるだけの強さを手に入れてみせます!!」



 その眼は怒りを隠さない。
 その頬は悲しみの数だけ涙を伝う。
 それは理不尽な運命に抗う人間の姿。



「そんなに気負ったら――」



「わかってます。だから、お願いします!!
 諏訪子様! 私を、助けて下さい!!」





 こうも――、
 こうもはっきり助けを求められるとは……、
 諏訪子は、肩が震える。
 これは涙なんかじゃない。



「あっははははははははははははははははははは!!」



「わ、笑い事では……私は真剣に!!」


 顔を真っ赤にして怒る早苗。
 これが笑わずにいられるものか。
 この時を笑わずして何時笑うと言うのか!
 笑い続ける私を恥ずかしくなったのか諏訪子の服の袖をひっぱり、「そんな笑わないで下さい」と懇願する。








 ――神奈子、聞こえるか?


 ――私の笑い声が、天まで届くほどの大笑いが!


 私は確かにいつまでも子供かもしれない。
 そして、いつも遊んでばっかりで泣いてばっかしかもしれない。
 でも、それが大事な事なんだって、必要な事なんだって。
 今日、私達の娘から教えられたよ。
 教えてばっかりだった私達の子供が、私達に……教えてくれたよ。
 こんなに……こんなに嬉しい気持ちなったのは生まれて初めてだ!!

 どうか、どうか、

 死神でも閻魔様でも誰でも良い。
 私の言葉を神奈子に届けておくれ。
 





 諏訪子の瞳が早苗の部屋の窓から差し込む月光を捉える。
 天に通じる階段のように見えた希望の光は、誰とも知らず、淡い光でその道を差し示した。



















―第五十八話 「ハングマン」、完。



―次回予告。
≪いずれ貴女達の頭上にも明けない夜が降りてくる

 私は……それほど強くない

 物言わぬ、夜半の月
 
 雲居に踏み染む足音

 さだめの糸絡むまま

 果てた常世の徒花




 次回、東方英雄譚第五十九話 「その遠き日の胡蝶」 ≫



[7571] 第五十九話 「その遠き日の胡蝶」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/03/13 22:45

「お嬢様~! レミリアお嬢様~!!」



 洋館に響く声に答える者はいない。
 執事の服を着た女性が小走りに館の中を駆ける。



「どちらにいらっしゃいますか~!!」


 時折、館の外に出て庭園を見回すと再び館に戻る執事の服を着た女性。
 先ほどから時たま響く声にどきどきしながらも、レミリアはすぐ後ろから付いてくるフランに顔を向ける。



『……しーっ』



 唇の前で人差し指を立て、片目を瞑るレミリアにフランは笑顔で、



『……しーっ!』



 白い歯を見せ、楽しそうに笑う。
 姉妹の手にはそれぞれお気に入りの日傘が握られている。
 館の外はまだ日が高い。
 太陽の光が苦手な姉妹にとっては必需品だ。


 レミリアが先行し、こそこそと館から自慢の薔薇庭園を見つからないように木陰に身を隠す。
 薔薇の隙間から顔を出し、周囲を見回す。
 眼で合図し、フランが腰を屈めて付いてくる。


『もうすぐ、門よ。あぁ、あと翼は隠しておきなさい』


『はーい!』


 レミリアの指摘を素直に聞き、背中の翼を畳んで服の中にしまう。
 その間も終始笑顔でそわそわしているフランにレミリアも頬が緩む。


『楽しそうね』


『うん! だってお外初めてだもん!!』


『フラン……しーっ、声、大きい』 
 

『……しーっ!』




 フランを手で制し、レミリアが顔を上げる。
 どうやら聞こえなかったみたいだ。
 危ない危ない。


『わかってるわねフラン。私たちは夕食までの間――』



『――館の中でかくれんぼをしていた。リョーカイ!』



 フランを連れ出した事がバレたらお父様にどんなお叱りを受けるか……。
 普段温厚でも怒れば…………レミリアは寒気を覚えたのか少し体を震わせる。
 時間は有限だ。
 しかし、食事を家族揃って食べるしきたりのため夕食時には戻らないといけない。
 その時間いなければお父様にフランを連れ出したことがバレてしまう。
 お父様は書斎に籠もる事が多いからうまくいけば気づかれずに済む。



『今日のおやつ、何だったのかしらね……』



 気分を紛らわせるように関係の無い話を振るレミリア。
 昼食を食べてすぐフランと支度をして出てきたため仕方のない事だった。
 三時のおやつには間に合いそうにない。




『今日はクッキーだよ』



 フランが事も無げに左手の可愛くリボンで結ばれた袋を掲げる。
 どうやらメイドたちの目を盗んで持ってきたらしい。
 どこか誇らしげに胸を張るフランにレミリアは笑って頭を撫でる。


『やるわねフラン。それはパチェと一緒に食べましょうね』


『大丈夫! いっぱい持ってきたから』


 戦利品を自慢げに胸に抱えるフラン。
 ちゃっかりしている。
 レミリアはさらに進み、門まで辿り着く。


『あら? 開いてる』


 正直、門まで辿りついたら一瞬だけ飛んで越えようとしていたが……。
 誰か閉め忘れたのか?
 でも、まぁラッキー?
 すーっと音を立てないように門を開き、体を滑り込ませる。
 ここまでくれば大丈夫。
 フランを手招きして呼び、最後何事も無かったかのように門を静かに閉める。
 門の近くの林に入るとフランと手を繋いで全力で駆けた――。





「ぷっ、くくく、あははははははははは!!」




「くすっ、ふふ、あはははははははっは!!」




 二人で堪え切れなくて大笑い。
 うまくいった。
 脱出成功。




 



 











「フランお嬢様~!レミリアお嬢様~! どちらにいらっしゃいますか~!!」



 まったくどちらにいらっしゃるのやら……。
 ぶつぶつ不満を口にしながら声を張る執事の服を着た女性。
 
 お嬢様ったらいつもいつも……。
 少しはこちらの身にもなってくださいよ!
 お勉強の時間だというのに……またフランお嬢様と遊んでいるのか?
 でもお部屋にはいなかったし……。




「レイチェか、なんだ騒々しい……」



 私の声に答えた者は意外な人物だった。
 この洋館の主であり、領主でもあるレミリアの父は執事である私にとっては雲の上の存在だ。
 慌てて頭を下げ、非礼を詫びる。



「も、申し訳ありません! 旦那様……お嬢様達が見つからなくて」



「かまわん。それよりもレミリアがいないと?」


「は、はい! それと……実はフランお嬢様も」


 執事兼世話係でもある彼女は自分の失態を恥ずかしそうに報告する。
 顔を真っ赤に染めた彼女の名はレイチェ。
 その当時としては珍しい半妖でレミリアの父に拾われこの館に住まわせてもらっている。
 フランを生んですぐに亡くなった奥方の代わりにずっと姉妹の世話をしてきた。
 恐れ多くて口には出さないが、姉妹の事を本当の娘のように思っている。
 それはそれは、なんと大それたことか……。
 しかし、それ以外自分がお嬢様達へ向ける感情に説明がつかない。



「ふむ……」



 顎鬚に手を当て、何気なしに窓から薔薇庭園を見る。
 そして――、笑みを浮かべた。

 何故笑ったのかわからないレイチェは視線の先を追う――。



「あ、あんなところに!!」



 慌ててお嬢様達のお気に入りの日傘を追い、走り出したところへレイチェの背中へやんわりと声をかけられる。



「まぁ、待ちなさい」


「しかし、旦那様! あのままでは外に――」


「このまま行かせてあげなさい」


 その言葉にレイチェは驚く。
 今まで旦那様がフランお嬢様を外に出すことは許さなかったのに一体何故!?
 私の疑問の声も表情も面白いかのようにくっくっと笑うと、視線を薔薇園へ向ける。


「まだ、早いかとも思ったが……まぁよかろう」


「旦那様……」


「きっかけは偶然の一つに過ぎない。だが、それでもあの娘達の未来に必要な事だ。
 私ではどうすることもできなかった檻に新しい風があの娘達を高く運んでくれる」


「黙って見逃すと?」


「いや、帰ってきたらしっかりと叱るのが親の務めだ。
 ふふ、レミリアの泣き顔が目に浮かぶわ」



 大笑いして書斎に再び引き篭もる旦那様の背中を一礼して見送り、視線を薔薇園へ向ける。
 ちょうど門を出たところだ。
 おかしいな……鍵は私がいつも必ず確認しているのに。
 旦那様か?
 今日を見越していたのかもしれない。
 いつも厳格な表情の旦那様はふと子供の悪戯のような事をすると決まって先程のような顔をする。
 その時はたいてい私が損な役回りになるのだが……どうやら今回はお嬢様達のようだ。














 大時計の鐘が鳴り、その音に驚いて広場に集まった鳩達が一斉に飛び立ち視界が白一色となる。
 慌てて本のページが捲れないように押さえるとパチュリーは空を見上げた。


「こんにちは」


 その声に視線を落とすと何時の間に現れたのか、日傘を差した少女が愛くるしい笑みで立っていた。


「こんにちはっ!」


 そして、傘は二つ。
 レミリアの背後に隠れるように立つレミリアによく似た少し幼い少女。
 髪が輝くような金髪でなければ双子のように見分けがつかないだろう。
 パチュリーは本を閉じ、レミリアから聞いていた少女に微笑む。


「こんにちは。レミリアから聞いているわ。私はパチュリー・ノーレッジよろしく」


 自己紹介をして右手を差し出すと少女はおずおずと傘を左手に持ち替え、右手を差し出す。


「フランドール……フランって呼んで」


 ぎゅっと手を握るとお互い気恥ずかしくてすぐ離した。
 慣れないのはお互い様だし、言葉が少ないのもお互い様。
 だけど、何故かぎこちないのに心地いい空気。おかしなものだ。
 


「じゃあ、付いて来て……」



 街の広場からパチュリーの家は近く。歩いてもそう時間はかからなかった。
 よくある造りが似たような住宅街の一般家庭。
 両親は共働きなので、多少騒いでも大丈夫なはずだ。
 なんか案内するのさえ申し訳ないような普通さに、パチュリーは苦笑する。


「上がって、二階が私の部屋だから」


 それでも少し違うとすれば……。


「うわぁ……」


 この本の多さだろうか、見渡す限りの本の山。
 ベッドと机以外はうず高く積まれた本が行き場を失っている。
 フランが驚いて部屋をきょろきょろと見回す。


「すごーい、お父様の書斎みたい」


「そうたいしたものではないわ……単なる暇つぶしよ」


「魔道書とかもあるのかしら?」


「魔道書って?」


 パチュリーが不思議そうに問い返すと、レミリアは適当にな場所に腰かけながらくすくすと笑う。


「まぁ魔法の教科書のようなものよ。魔法使いはそれで魔法を学んだり、契約をしたり、
 中には本自体が意志を持つような強力なものもあるわ」 


「魔法……」


「こんな感じよ」


 ぽぅっ。
 レミリアの右手の指先に小さな炎が宿る。
 ちろちろと揺らめく炎にパチュリーは目を奪われる。
 その反応に気を良くしたのか、レミリアは左手も添えると炎を移動させる。
 優しく揺らめく炎で輪を作り、形が変わってドクロになると急激に激しく燃え、ぱぁんっとはじけて消えた。


「面白いわね」


 口調は穏やかだが、明らかな興味を示したパチュリーはもう消えてしまった炎が名残惜しそうにレミリアの手を見る。
 初めて魔法を目のあたりにしたパチュリーは少し興奮した口調でレミリアに尋ねた。


「私もっ……私も……できるかしら、魔法」


「できるわよ。パチュリーなら」


 レミリアの即答にパチュリーは驚いて目を見開く。


「大丈夫よ。自分を信じなさい。貴女は今まで自分に自信が無さ過ぎたのよ」


 レミリアの確信に満ちた言葉にパチュリーは背中を押された気がした。
 じっと自分の両手を見つめる。
 何かを掴んだかのように握り締めた。


「私にも教えて! 魔法を!!」


「簡単なものならいいけど、本格的に学びたいなら魔道書が必要ね……」


「それなら私達の家に遊びにくればいいよっ!!」
 

 フランが当然のように提案するが、レミリアは難しい顔をした。


「お父様が許すか……あとレイチェも……」


「二人で説得しようよ、お姉様!! 必死に頼めばわかってくれるよ!」


 楽観したフランだが、堅物なお父様と……人間をあまり好いていないレイチェ。
 話題に出しただけでも問答無用かもしれない。


「レミリア、無理にとは言わないわ。こうして貴女達が私に家に遊びに来てくれただけでも嬉しいし、十分よ」


 その事に関してもいずれはお父様に話さなければならない。
 いつまでも隠す事はできない。
 レミリアの脳裏には嫌な予感しかしなかったが、それは追々考えるとしよう。
 

「わかった。少し考えてみるわ。それより、せっかくだし何して遊びましょうか?」
















―五十九話 「その遠き日の胡蝶」、完。



―次回予告。
≪甘い一時に安らぎを、美しい思い出にせめて喜びを。
 数限りなく振りかかる星の海に立ち向かう勇気を。
 




 次回、東方英雄譚第六十話 「薄刃奇譚」 ≫






[7571] 第六十話 「薄刃奇譚」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/03/21 19:53
 雲行きが怪しい……。

 空気が湿り気を帯びて肌に張り付く。

 レミリアは空を見上げた。


「危なかったわね」


「もう少し遊んでたら、雨に追いつかれたかもしれないねっ!」


 レミリアの呟きに、フランは楽しそうに答える。
 フランは終始ご機嫌で、見てるこっちが楽しくなるような笑顔だった。
 パチュリーの家から帰り道、たわいのない話が途切れることはなく、
 レミリアとしても連れ出して良かったと心の底からそう思った。

 これを何回か繰り返せばフランが力に暴走することも少なくなるだろう。
 力の暴走の大きな要因は心理的なストレスによるところが大きい。
 お父様には何度かフランの部屋をあの寂しい地下の檻から普通の部屋にしてほしいと提案しているが、なかなか首を縦に振ってくれない。
 色々相談に乗ってくれるレイチェもそのことに関しては難しいと言っている。
 
 ――私が証明する。

 フランは大丈夫なんだ。
 頭がおかしいじゃない。
 気がふれているんじゃない。
 ただ、皆がフランをちゃんと理解していないだけだと。
 

「……様? お姉様?」


「……うん」


「ぼぅとして、考え事?」


「う、うんちょっとね」


「もう、お姉様ったらいつものんびりなんだから。ふふっ」


 紅魔館に着き、裏門へ回る。
 正面から堂々と帰宅する勇気はレミリア達にはない。
 時間はまだ間に合う。
 こっそりと見つからないように部屋まで移動すれば大丈夫なはずだ。
 レイチェにはどこに居たのかと聞かれるかもしれないが、勉強が嫌で隠れていたと言えばいい。
 お父様にさえ、見つからなければ問題ない。


 ――カチャッ、


 ゆっくりとドアノブを回し、身体を滑り込ませるように館に入る。
 周囲を見渡し誰もいない事を確認して、フランも入るよう指示する。


「うまくいったねっ!」


「しー、まだ安心できないわよ。早く傘を片づけてへやに戻りましょう」


「しーっ!」




「遅かったな。レミリア、フラン」




「……」


「……」


 空気が凍りつき、レミリアとフランは動きに悪いマリオネットのようにぎっぎっ、と声のする方へ。
 手が汗ばみ、思わず背筋が伸びる。
 フランは思わずレミリアの後ろに隠れ、レミリアは口が渇いたようにパクパクと口を開くが声が出ない。
 こっこっと靴音を鳴らして薄暗い廊下から歩いてくる人物に二人は十字架に架けられた聖人のように抵抗できない。
 肌を突き刺す威圧感に為す術は無く、逃げようという意思さえも刈り取られてしまった。


「何か言いたい事があるかね?」


「……」


「……あ、こ……これは……その……えっと」


 背中で震えるフランを服の端で感じ、覚つかない足を一歩踏み出した。


「今回の件は、私が『嫌がる』フランを『無理やり』連れ出しました。
 責任は全て私にあります」


「そんなっ! お姉様っ!! 私がっ――」


 フランの叫びにレミリアは鋭い眼光で黙らせると館の主に向き直る。


「ふむ。フランは部屋に戻っていなさい。レミリアは私の書斎へ」


「はい」


 不安そうなフランを安心させるように頭を撫で、大丈夫だと言い聞かせる。
 そしてしっかりとした足取りで父の書斎へ向かうレミリア。

 フランはしばらく茫然と姉の背中を見送ると、後を追うように走り出そうとした。


「駄目ですよ、フランお嬢様」


「レイチェ……」


 フランの肩を掴むように背後に立つ執事服の女性にフランを涙目で見上げた。


「心配なさらずともレミリアお嬢様は大丈夫ですよ」


「でも……」


「それより、お腹が空いたのではないですか? 何か作りましょうか?」


「いい、いらない。お姉様と一緒に食べる」


「そうですか」





























 書斎のドアを開ける。
 お父様は椅子に腰かけパイプに火を付けたところだった。


「座ったらどうかね?」


「いいえ、ここでかまいません」


「そうか」


「……」


 お父様は椅子から立ち上がり、窓から雨の降り出した空を見上げる。
 その背中は静かだが、私にとっては有無を言わせぬ重圧感を感じた。
 お父様が口を開くのを待つ。


「どこへ行っていた?」


「人間の街へ」


「何をしに?」


「友達と会うためです」


「それは人間の友達か?」


「そうです」


「……フランを連れ出したのは?」


「その方がフランのためになるからです」



 それから後、お父様の単発的な問いに答え続ける間、知らず知らずの内に自分の感情を交え不満を全て吐き出していた。
 フランの待遇の事、周囲の無理解が逆にフランを苦しめている事。
 人間の友達の事を話したのも隠すのは不可能だと感じたからだ。



「他に言いたい事は?」



「あります」



「何かね?」



「……」


「どうした?」


「……人間の友達を……この館に招待したい」


 
 言った瞬間後悔の念が過ぎった。
 お父様は目を見開き、私を見る。
 お父様がこの一帯の妖怪を統べる主であり、吸血鬼として絶大な力を持っているのは知っている。
 だが、こと人間に関しては数多の妖怪のように無暗に殺戮を繰り返す事も無く、どちらかと言うと無関心に近い事も知っている。
 それが、お父様のただの気まぐれなのかどうかはわからないが少なくとも話し合う余地があると思った。



「いいだろう」



 もし、人間を殺戮もしくは捕食の対象と見ていれば館の近くにあれだけ平穏な人間の街が存在するのは考えにくい。
 この話をお父様が了承してくれれば、パチュリーの事もきっと理解してくれるはず。
 そうすればフランも……。

 ――えっ?



「――今。今、何て……?」



「友達を家に呼びたいのだろう? 別にかまわんよ」




「――ほ、本当にいいのですか? 人間を、この館に?」



「そう言っているつもりだが?」



 私は一瞬頭が真っ白になり、思わず駆けだし背の高いお父様の身体に抱きついた。
 そして嬉しくて嬉しくて涙が零れるのも抑えきれず、抱きついたお父様の身体に顔を埋め何度も呟く。


「ありがとう、お父様……ありがとう……」



 お父様は優しく私の頭を撫でる。
 それだけで、十分だった。



















「お姉様……?」



 フランは恐る恐るレミリアの部屋へ入ると、部屋のベッドに腰かけていたレミリアにいきなり抱きつかれ困惑した。


「フラン。お父様が認めてくれたのよ! あのお父様がっ!!」



「え、えっ? 何を?」


「パチュリーよ。一緒に遊べるのよ! この館にも招待できる!!」


 レミリアの言葉に、フランは一瞬呆然となり――次の瞬間理解した。
そして驚きが期待感に変わり、興奮した面持ちでレミリアに確認を求める。


「ほ、本当に!? いいの?」


「えぇ、本当よ。もうフランは一人じゃないのよ!」



 レミリアがお父様と話した事をフランに伝える。
 二人が思ってた以上にお父様は人間に対して悪い印象を持ってはいなかった。
 意外にもすんなり話が進み過ぎて怖いくらいだ。
 レミリアは嬉しいと思う反面、心のどこかで不安が過ぎる。





 ――ジッ、ジッ、






「えっ? 何っ?」


 視界が霞み、コマ送りされた映像が見えた。
 目に映る風景が記憶に無い。
 だけど……荒廃した瓦礫の中に佇む少女……手には禍々しい剣が握られ血を滴らせている。
 景色の全てが灰色に支配された中で宝石のように輝く羽……あれは、フラン?





「……お姉様?」



「あ、フラン……」



「どうしたの? 青ざめた顔で、どこが具合が……」


 
 レミリアの頬に手をやるフランを思い切り抱きしめた。
 今見た映像が頭に残る。
 目の前の愛くるしく幼い顔には似ても似つかないが確かにあれはフランだった。
 だが、微かに見たあのフランの顔は悲しく、辛く、世界の全てを敵だと認識した顔だった。
 そして、垣間見る映像が具体的な形を取ってレミリアの不安な心を抉る。
 前から夢で見た恐ろしいイメージ。
 白昼夢となって現れた悪夢は魔法の解けるシンデレラのように舞踏会の終わりを告げる大時計。
 
 私たちは前へ進んでいる。
 世界は開け、明るくなっているはずなのに……。
 私達の行動が鍵となり、取り返しのつかない世界の扉を開けてしまったのではないか……。



「――とりかご」



「えっ? 何て、お姉様?」


 
 
 『鳥籠』……私達がどんなに自由を求めて飛び立とうとしてもそれは最初から無理なのではないか?
 私達の世界は既に決まっているのではないか?
 運命は全て……予定調和のように進んでいくのか……。



「ううん。いいの、フラン。独り言だから……それよりお腹空いたでしょう?
 レイチェに何か作ってもらいなさい」


「うん。お姉様も一緒に食べよう! ずっと待ってたんだから」


「私は駄目よ。一週間部屋から出るのは禁止。食事も一週間抜きよ」 


「え、何で? お父様は許してくれたんじゃ?」


「ケジメよ。人間の友達を作ることは了承してくれたけど、だからと言って無断外出した事は許されたわけではないわ」


「お父様ってそういうところ厳しいよね。わかった私も一週間、食事我慢する!」


「無理しなくてもいいわよフラン。地味にきついわよ」


「いいの! どうしても外行きたいって言ったのは私だもん。責任は私にもあるから」


「ふふ、いつまで続くかしら。食いしん坊のフランが」


「もう、お姉様! 私、そんな食い意地はってないでしょ!」


 顔を真っ赤にして顔を背けるフランに苦笑してレミリアは「ごめんね……」と頭を撫でる。
 これがフランなんだ。私の可愛い妹。
 間違ってもあんな……怖い顔を作るような娘じゃない。
最近時折夢に見るあの映像は一体なんだろうか?
 単なる悪夢にしては嫌にリアルで……まさか、予知夢?
 いや、そんな事はあるはずない。
 この娘があんな残虐な笑みを浮かべるなど、決してない。
 













「失礼します」



 ノックの後書斎へ入るレイチェに、立ったまま窓の外を見上げた館の主は告げる。



「反対か? 私に意見するのは珍しいな……」


「お察しの通りです。人間は決して信用してはなりません」


「レイチェ、お前がそう言いたいのはわかる」


「私は――」


「フランとレミリアの笑顔は見たか?」


「……はい。しかし――」


「それが答えだ」



 館の主が毅然として放った言葉にレイチェは言葉を無くす。
 その様子に溜め息をつき、館の主は椅子に腰かける。


「フランは……フランの力は吸血鬼の歴史の中でも別格だ。あの娘は生まれながら その力に翻弄される不幸を背負っている。
 それは災いの種だ。正しい使い方をしなければ身を滅ぼす。
 レミリアも賢い娘だその事を良くわかっている」



「しかし、レミリアお嬢様は……」


「あぁ、優しすぎる。争い事が嫌いで、戦いを恐れる。闘争本能が皆無だ。
 もし、私が倒れても数多の妖怪を統制し管理する事はできないだろうな。
 昔、将来やりたいことはと聞いたらケーキ屋さんと答えてくれたよ、ふふ。
 私も親だ。娘達が幸せに育ってくれるのを願うだけだ」



「……失礼します」



 頭を下げ、ドアに手を掛けるレイチェの背中を館の主は見つめる。



「レイチェ、お前も私の娘だと思っているよ」



「勿体無き……お言葉です」




 レイチェは振り向かず、書斎のドアを出て行った。























―第六十話 「薄刃奇譚」、完。



―次回予告。
≪古い思い出は、時に取り出して空気にあてて
 埃を払う必要がある。
 たとえ、痛くても。
 自分がどこに立っているか思い出すために。
 




 次回、東方英雄譚第六十一話 「孤立正義」 ≫



[7571] 第六十一話 「孤立正義」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/04/17 18:55


『喫茶 さとり』の扉を開き空いている席を探していると店員の少女が小走りに駆けて来た。


「ご案内します……」


 古明地こいしと言う名前の少女は相変わらず愛想笑いが下手で言葉に無駄な装飾品は付けないタイプだ。
 人によっては印象が悪いかもしれないが私にとっては寧ろ好感が持てると言っていい。

 自分も大分表情に柔らかさが出たと言われたがそれでも自分と同じ年代の少女達と比べるとまだまだ暗い。
 別に自分では普通にしているつもりだが元気がないと言われて少々傷つく。
 しかし、改めて目の前に同じカテゴリーに属する人格を見るとあぁ~確かにと納得せざるを得ない。

 車椅子の私を席に座らせるのを手伝いこいしはメモを取り出す。
 


「ご注文は?」


 こいしはメニューを差し出した。


「いつもので」


「はい、カフェラテですね」


「あ~私も同じので」



 私と諏訪子はメニューも見ずに注文する。



「かしこまりました」



 ――ここまでは定型句。
 差し出されたメニューも形だけ。
 それだけでもう常連客である。


「チルノー、私スコーンが食べたい!」


 諏訪子はテーブル席に置いてあるオススメメニューに心を奪われたのか必死に指さして強調する。
 スコーンはクッキーのようなサクサク感があるパンで私もこの前初めて食べて衝撃を受けたものだ。
 クリームやジャムをつけるのは当然だが、プレーンよりも自分的にはキャラメル風味が好きだ。
 すかさず自分の分も注文すると、こいしは「かしこまりました」と再び頭を下げた。




「いやーチルノの話聞いてると是非とも食べてみたくなってね!」


「味は期待していいよ、おいしいから」


「お、言うね~!」



 普段考え事をするのにここ以上に最適な場所はないと思う。
 店の雰囲気か店に漂う珈琲の香りかかもしれない。
 一人で来ることもあるし、霊夢達とケーキを食べに来ることもある。
 今日みたいに諏訪子と二人で来ることの方が珍しいのだ。


「早苗の様子は?」


 いつも余裕の表情でふざけている諏訪子が何時に無く真剣に悩んでいたので気になってはいた。
 家ででも良いのだが、まぁ場所を変え気分を変えて見た方がいいだろうと思ったからだ。


「すっきりした表情になったよ。でもまだまだ心配だよ~」


 テーブルに突っ伏して気だるげに言う諏訪子にくすりと笑ってしまう。
 大変な事をこうも簡単に表現するのは諏訪子の癖だが、そこで救われる部分もある。
 長い戦いの中ではどうしても疲れが出るのが常だ。
 私がどうしようもなくなった時、そっと背中を支えてくれる諏訪子の存在自体が一番安心できるのかもしれない。

 早苗が落ち着くまで一時、霊夢の家で預かる事になったがその時は少し疲れているという感じしかなかった。
 背負った物は涙と共に既に流れた後だったのかもしれない。
 今は守矢神社に戻っているが諏訪子が一週間に一度様子を見に行くことで大丈夫と諏訪子は言う。


「あまり過保護にしても早苗が苦笑するだけだからね。本当は毎日帰りたいくらいだけど……」


 しかしそれでは当初の『自分の存在が守矢神社を危険に晒す』という問題が出てくる。
 諏訪子的には必死の妥協案のようだ。
 あれ以来ボ~としてる時は常に早苗の事を考えているのだろう。


「早く、終わらせたいね」


「あぁ、過去にしたいよ」



 そして、笑って語り合って皆で『あの時は大変だったね』と――。
 それは贅沢な話なのだろうか?
 消せない過去を積み重ねて罪重ねて笑って良いのだろうか?


 ――ムニィ、


「暗いよ~チルノ、スマイルスマイル」


 頬を両側から優しくつままれてようやく少し笑顔になる。
 こればっかりは性格だからどうしようもない。
 でも小さい頃はもっと素直に笑えていたのに歳を取るに従ってうまく笑えなくなった。
 でもそれを言うと諏訪子は「じゃあ、私は頬を引き攣らせるしかないじゃん」と怒られそうだが。




「お待たせしました。ご注文のカフェラテをお二つとスコーンでございます」



 待ちかねた憩いの一時が来たようだ。
 私がカフェラテに舌包みを打つ間、
諏訪子はすごい勢いでスコーンを平らげると再びこいしを呼び、同じものを注文した。


「ごめん~あまりに美味しくてチルノの分も食べちゃったよ。もう一個注文したから」


「気に入ってくれてよかったよ」


 それだけ喜んでくれると紹介した甲斐があるというものだ。
 そしてようやく諏訪子はカフェラテを飲み始めた。
 今気付いたが、よく飲み物無しでスコーンを平らげれるなと思った。
 


「それで? チルノの方は?」



 急に話を振られて、お見通しかと腹を括る。
 色々大変な今の諏訪子にこれ以上を心労をかけるのもどうかと思い、
自分だけで飲み込もうとしていた事は諏訪子の目から逃げられないようだ。
 私はカフェラテを一口含むと「相談がある」と切り出した。


















 ――すっかり冷めてしまったカフェラテを一気に飲み干し、
 諏訪子は再びこいしを呼び私の分も合わせて二つ同じもの注文した。




「う~ん、ん、ん」


 腕を組んで目を瞑る諏訪子は飲み込み難い話を必死で咀嚼しようとしているようだ。



「その……なんだっけ『特異点』? その話は他にしたのかな」


「いや、まだ確信が無くて色々意見をもらいたいと思って」


「どっちかっていうとそういう類はパチュリー向きじゃない? ほら私って感覚派だし~」


「その諏訪子の感覚でどう思うか教えて欲しい」






 『特異点』――博麗 霊夢はこの世界の均衡を崩す者のである。
 正確にはこの世界の博麗 霊夢と幻想郷の博麗 霊夢の二人の存在が――である。
 それが良し悪しは別にしてそれは重要な問題の一つだと仮定する。
 
 パラレルワールド……多世界解釈というSF的な話になるが、
 この世界で……私の知る中ではただ一人だけ相違点があるのは霊夢だけだ。
 それが何故かはわからない。
 幻想郷の霊夢が『巫女』という特殊な立場にある事が関係しているのかもしれない。


 つまり、『博麗 霊夢が巻き込まれた』のではなく『博麗 霊夢に巻き込まれた』のが私達なのではないか?


 私が霊夢を助けたのは偶然に過ぎない。
 だが、それは本当に偶然だったのか?
 周到に仕組まれた必然だったのではないのか?
 以前現れた幻想郷の霊夢が自分がこの世界に来たのは三年程前だと言った。
 その時、ちょうど渋谷隕石という歴史的な事実と噛み合う時期だ。
 そしてその頃、私達は霊夢とは知り合いでもなく誰もが個々の時間に生きていた。
 それがここ最近、急速に収束され出会いだしたのは何かが起こっているとしか思えない。
 『観測者』……この世界を一歩引いた視点で見ている者。
 それが今誰かはわからないが、孫悟空のように釈迦の上で踊るような気持ちの悪さを感じる。

 このシナリオはどこに向かっているのか?
 台本の存在しない舞台で立ち回るには? 
 観客をせいぜい楽しませればいいのか?
 そうしなければ即退場となるのか?


 ……あれ以来、幻想郷の霊夢は現れてはいない。
 そこも不思議な話だ。
 物語の鍵となれる存在なのに本当に参加しているのかわからない。



「案外、それが黒幕だったりしてね」


 諏訪子の呟きに頷く。


「まぁ本人に聞かないとわからないけどね。でも妖しいのは確かだ。
 でも、だからと言って引きずり出して聞こうにも袖の端さえ掴めないんじゃどうしようもないよ」


 幻想郷の霊夢はこの世界に来た理由がわからないと言った。
 それが嘘か真か……。
 『八雲 紫』と霊夢が言う幻想郷の管理者も気にはなっている。


「あれこれ考えてもしょうがないよ。始まった舞台で役者が途中では逃げれない。
 耳と目を閉じ、口をつぐめば確かに消えるよ。ま、自己満足だけどね」



「でも、私は……」



「あ、だからか。チルノが霊夢を表舞台に連れて行きたくないのは……うん、心配なのはわかるけどさ」


 霊夢が目立つ事は極力避けたかった。
 この世界から霊夢を隠したかったのは認識させないためだ。
 視線を霊夢に集めれば物事の進展が早まりそうな気はする。
 いわば爆弾だ。
 そういう役割を担っているのではないか?

 世界の破壊者、あるいは救世主か。

 どちらにせよ。性急に動き過ぎては舵取りを誤る。





「怖いんだね、チルノ」



 諏訪子が私の横に座り肩を抱くと、私はその流れに身を任せた。 




「怖いさ」










「――でも、面白い話ではあるわね」





 諏訪子の言葉ではない。
 その言葉に固まったのは諏訪子も同様だった。
 私の肩に置かれた諏訪子の腕が僅かに震え、その動揺を物語っている。
 私が顔を上げ凝視した先、何時の間にか私達のテーブル席に突然浮かび上がったように座る少女。
 さも当然のように相席をした少女に私は一瞬頭が空白を閉め。
 そして次に出てくる言葉を待った。

 目の前の少女は私達の驚いた顔がよほど面白かったのかくすくすと笑いをこらえるのに必死だった。






「ご一緒していいかしら。私も最近、話し相手が少なくてね。
 たまにはお茶を飲みながら他愛もない話で盛り上がりたいじゃない?」





 不敵に笑った少女は頬杖を付き、こちらを値踏みするように見つめる仕草が何故か美しいと感じた。
 「何故、貴女がここにいる」という月並みな答えではこのお嬢様は満足しないだろう。
 だから私はこう言う事にした。





「お砂糖はいくつ? レミリア・スカーレット……」






 私の言葉に少女は妖艶に頬笑んだ。




 





















―第六十一話 「孤立正義」、完。



―次回予告。
≪一見助け船に見えて、それが地獄へと続く泥船であるなどという事はよくあること。
 
 湖が綺麗な水を湛えるには底に泥を溜められるだけの深さがなければならない。

 知ってる? 

 悪魔はいつも笑顔なのよ。



 次回、東方英雄譚第六十二話 「異変という程度の出来事」 ≫
 








[7571] 第六十二話 「異変という程度の出来事」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/05/01 20:50

「『保険』のようなものよ」


 微笑むレミリアに悪意のようなものは感じられない。
 レミリアの発した単語……頭に浮かぶ疑問形の言葉が私の口まで降りて来た時、
 発する言葉より先に諏訪子が動く。


 
 ――キンッ、



 一瞬の金属音が響いた。
 その動きは普通の人間では残像しか映らなかっただろう。
 諏訪子の放つ鉄輪の一撃は確実にレミリアの首を捉え、問答無用で斬り落とす気迫が込められていた。
 だが、レミリアの背後に浮かび上がった黒い翼がそれを遮る。
 
 そして店に響いた異音に他のお客がこちらを気にしている様子が伺える。
 騒ぎにならなかったのは年端もいかない少女達が口論になっている程度の認識だったからだ。
 レミリアは吸血鬼の象徴たる翼を消し、諏訪子も首を落とせなかったとわかるやすぐさま鉄輪をしまった。

 腕を組んで諏訪子を見つめるレミリアは命を狙われた事にたいして怒りもせずに言い放った。




「私達の後ろの席には買い物の帰りかしら、椅子の横に大きな紙袋を下げているわ」



「……」



「ほら、見て窓際の二人。恋人かしら、明日のデートの予定を話し合っているわ」



「脅しているつもりか」



 諏訪子の言葉に耳を貸さず、レミリアは続ける。



「家族睦まじいわね。男の子はさっき買ってもらった玩具に夢中で、妹はケーキを美味しそうに食べているわ」




 そこで、レミリアは陶酔したように言葉を切り残虐な笑みを浮かべた。




「ゾクゾクしてこない?」



 殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気殺気



 何が――とは聞かない。
 十分過ぎる言葉だからだ。
 しかし、私の口から出た言葉は単純な感想だった。




「……レミリア・スカーレットは遊び心はあるが、下品な事を嫌う性分。
 その行動には一瞬無駄があるようで、その実理由がある。
 この店に血の一滴でも零れれば紅茶の味が落ちるになるわよ」


「良い線だけど、吸血鬼の私には血生臭い話は嫌いではないわ」


「貴女は何故ここにいるの?」


「哲学的な問いね……そうね、私も時々何故いるのか自分に問いかける時があるわ」



 噛み合わない問答、諏訪子がイラついているのを肌に感じる。
 しかし動く事はできない。
 それは先程のやりとりで機先を制され、店にいる一般人を人質に取られたようなものだ。
 諏訪子と二人掛かりで止めても必ず被害が出る。
 それは絶対に避けなければならない事態だ。
 
 先程までの穏やかな店の温度が下がり、嫌な汗が背中を伝う。
 しばらくはこのお嬢様のおしゃべりに付き合わなくてはならない。


 ――そこへ、ようやくこいしがレミリアに気付いたのか注文を取りに歩いて来る。



「ご注文は……あ……」


 言葉が固まる。
 レミリアは相変わらずの笑みでこいしを見る。
 しかし、こいしの方は何かを察したのか微かに震えている。
 こいし自身も何故自分が緊張しているのか、何故身体が自然に震えているのかわからないだろう。
 だが本能では猛獣の檻に入れられた餌であることに気付いていた。

 心臓を丸ごと握られたような感覚。
 息がうまく吸えない。
 その様子を楽しそうにながめレミリアはくすりと笑う。



「店員さん、おすすめは何かしら?」



「えっ!?」


 先程まで漂った殺気は雲散霧消し、こいしの止まった時間も動き出した。



「えっと……」



「ここのカフェラテは美味しいわよ」


 
 戸惑うこいしに変わり、チルノが答える。
 


「じゃあ、それを一つ」


「はい、かしこまりました」


 そうして店の奥へ消えて行くこいしの背中を見送る。
 必要性のある行為とは思えない。
 彼女は明らかに遊んでいる。


「……なんとなく、紅茶しか飲まないと思っていたけど」


「そんなことないわ、玄米茶も飲むし、納豆も大好き」


「意外に和食派?」


「駄目?」


「イメージと合わない」


「チルノ、貴女もカフェラテを普通に飲んでるのに違和感を感じるわよ」


「私は自分が飲みたい物を飲んでるだけ」


「あら、奇遇ね私も好きな事しかしない性分よ」



 細々と淡々とした会話。
 そして会話の綱引きを切ったのは、沈黙した諏訪子だった。



「チルノ……『何を』しているんだ?」


 視線をレミリアから諏訪子へと移す。
 諏訪子は先程の行動へ至る事はないが押し殺した感情が熱い熱となってチルノの肌に伝わる。


「このお嬢様の要望通り『会話』を楽しんでいるわけではないだろ?
 こいつは敵だぞ!?
 しかも大ボス中の大ボス、こいつの首をはねれば全てが終わるんだぞ?」


「本人を目の前にして随分な言い様ね。
 ぎゃおー(棒読み)。食べちゃうわよ」



 その馬鹿にした物言いにますます諏訪子の怒りが増す。
 本当にレミリアが何がしたいのかわからない。
 諏訪子の怒りを煽って何になる?
 むしろそれが望みなのか?



 中身の無い会話。
 他愛も無いおしゃべり。
 
 ここで聞くべきことは他にも色々あるだろう。
 諏訪子が怒るのも、私も会話の流れも疑問を浮かべるだろう。
 だが、ここで例えば聞いたとする。


 『何故、こんなことをするのか?』

 
 『何故、罪の無い人々を殺すのか?』



 聞いたところで彼女は答えない。
 彼女は言った『他愛も無い話』をしたいと、
 その前提で言えば、この異変に関わるレッドゾーンの情報をわざわざ開示しに来てくれたとは考えにくい。
 与えられる情報は他愛も無い会話と言う森の中に隠されている。






「洩矢 諏訪子……では貴女は私が首を差し出せば気が済むの?」


「あぁ、それ以外にない」


「つまらないわね、洩矢 諏訪子。
 何を焦っているの?」


「……焦っているのは、お前の方じゃないのか?」


 諏訪子の言葉にレミリアは笑みが一瞬固まる。


「敵情視察……ではないだろう?
 それではただのお遊びか?
 それも違うな……お前は呼びに来たんだよ。私達を……」






 ――正解。
 

 

 今までぼやけていた焦点が合った。
 初めてレミリアの目が真っ直ぐ諏訪子を見た。



 ――パチパチパチッ、



「もう少し問答を楽しみたかったけど。
 流石、神様なだけあるわね。人の思いを汲む事に長けている」


「人ではないだろ?」


「吸血鬼がお御籤を引いても罰は当たらないでしょ?」


「全部大凶にしといてやるよ」


「可愛い祟りね」



 そしてレミリアと諏訪子は笑った。
 レミリアはその後、ようやく来たカフェラテを飲む。
 一言「美味しいわね……」それだけ言い残して席を立つ。


 別れの言葉は無い。
 敵対している相手にそんな親しい言葉は必要無い。
 次に会う時は刃を交わすだけだ。

















 ――カランッ、




「あら、『偶然』ね」


「貴女に言わせたら『必然』じゃないの?」



 店の入り口に入って来た花束を持つ女性にレミリアは親しげに声をかける。
 女性の方も仕方なしに合わせていてか言葉を返す。



「綺麗な花ね」


 そうしてレミリアが花に触れようとした瞬間、女性は慌てて花を抱えるように身を引く。


「嫌われちゃった」


 それだけで会話は終わる。
 レミリアは出した手を引き、その女性の横を通り過ぎた。







「――あ、そうそう」






 店を出てすぐレミリアは日傘を差し、くるりと踊るように振り返る。





「その向日葵……かえた方が良いわね。
 奥の席に薔薇を一輪置いてあるわ」






 女性が気付いた時、既に終わっていた。
 女性の持った向日葵の花束は瘴気に当てられたのか、原型を留められなくなるように崩れ落ち、
 再び女性が顔を上げ、レミリアに視線を戻すと既に跡形も無く消え去っていた。



 























―六十二話 「異変という程度の出来事」、完。



―次回予告。
≪一瞬のうちに全てが不可能となるなら、一瞬のうちに全てが可能にもなるだろう。
 
 世の中に無駄とういう物はなく、全てに置いてその行動は意味を成す。

 祈りはかなわない。想いはかなう。

 今は通過点。過去は出発点。未来は新たなスタートだ。


 次回、東方英雄譚第六十三話 「茶番劇」 ≫









[7571] 第六十三話 「茶番劇」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/05/22 15:12

 皆さんお久しぶりです。
 犬走 椛です。


何故、私が出てきたのか?
 当然皆さんは疑問に思われる事でしょう。
 もちろん私にスポットライトが当たるという事は……つまり皆さんお待ちかねバトル展開という事です。
 そういえば最近話の流れが小難しくもどかしいような何ともスカッとしない雰囲気。
 私もそういう会話に入れず、隅っこで大人しくグール狩りをしておりました。


 え、滅多な事を言わない私が何故こんなメタ発言のような文言で始まるかって?


 ふふふ、


 なんと! この第六十三話ではこの私、犬走 椛についに大役が回って来たからです。
 これも作者の気まぐれなのか、計算なのかはわかりませんが精々踊らされてやりますよ(超興奮)!!


 ではでは、下記本文を参照していただき私の惜しみない魅力を存分にお楽しみください!








*――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*


















「えぇ~!! 私がですか!?」



「うん、そうなんだ。あれチルノから聞いていない?」



 私はぶんぶんと首を振り、しかし興奮はまだ冷め止まぬのか自慢の尻尾はバタバタと暴れている。
 いいから落ち着け、私。



「ほいじゃ、簡単に説明するから研究室に来て」


「りょ、了解であります!」


 私はにとりさんの後に付いて研究室へ向かう間、完全数を数えながら平常心を保っておりました。
 しかし、心の底では大量の打ち上げ花火が上がっておりました。
 
 











「どう? うまくいきそう?」



 にとりさんから説明を一通り受けた後、研究室にチルノさんが現れた。



「ごめんね椛、驚かせようと思って」



 もう、チルノさんったらお茶目なんだから!!
 でもでも~こんなどっきり企画大歓迎ですよ!


「大丈夫です。問題無いです。私としましても皆さんのお役に立てるならこれ以上ない喜びです」


「お、頼もしいね椛! やっぱり戦士って感じだね」


「うん、椛を選んで正解だったね」


「いえいえそんな事は……」



 決まった! クールでカッコイイ女戦士、犬走 椛でございます。
 今度は尻尾も我慢できたし、顔もニヤけてはいないはずだ。



「じゃ、行こっか」


「ほいよ。んじゃ、椛。第一演習所に行くから付いて来て」


「え?」


「実地訓練だよ。座学だけじゃ意味無いでしょ? 実際使わないとデータも取れないし」


「あぁ、そういうことですか」
















 ――(有)河城製作所 管理区 第一演習所――




 河城工房は山の中腹にあり、その工房周辺の土地は全て河城工房の管理地域となっている。
 背後の山を含めた広大な土地は周辺の住民に配慮した結果であり、
 新開発した兵器や装置の実験にはどうしても必要なことである。



 今回使用する第一演習所は、四方を分厚いコンクリートで固めた東京ドーム並みの広さを持つ実験室だ。
 昔はここでチルノが変身後の技の威力を試したり、捕縛したグールを使って戦闘訓練もしたらしい。
 にとり達解析班はコンクリートの外に待機し、カメラの映像や送られてくるデータをモニターし分析する。









「椛~頑張れよ!!」


 見るとチルノさん達以外にも魔理沙さん、霊夢さん、ヤマメさん、文さん。諏訪子さん、天子さんの姿が。
 どうやら見物に来たようです。
 私は手を振って答え、同時に格好悪い所は見せられないなと意気込みを新たにする。
 


「よし、準備OK。椛の方は?」


「何時でもいけます!」


「ほいほい。相手はもう入ってるから」


「はい、よろしくお願いします!!」




 ザッザッザッ、

 重い門が開き、中へ入る。
 門が外から閉められると不思議と外の雑音が聞こえなくなった。
 という事は逆に内側からの音も外へ漏れずらい事を示す。
 限定された空間だ。


 相手は捕縛したグールだろうか?
 外で観戦しているメンバーを見ると知っている人と戦う事にはならなそうだ。
 いくら実験とはいえ仲間に刃を向けるのは性に合わない。
 





「あら、貴女がお相手?」







 ふと声のした方を見ると、そこには桃色の日傘を差した長身の女性が立っていた。
 服は向日葵を想わせるチェック柄で優しく笑うその姿からとても戦えるとは思えない。



「えっと……犬走 椛です。よろしくお願いします」


「私は風見 幽香。『フラワーショップ 向日葵』でお花を売っているわ。今度良かったら遊びにいらっしゃいな」


「は、はい。ありがとう……ございます」







『椛~じゃあそろそろいくよ! レディ~』






「ちょ、ちょちょちょっと待って下さい!!」


 渡されたイヤホンからにとりさんの声に抗議するとチルノさんの声が聞こえてきた。


「どうしたの椛? トラブル?」


「トラブルも何も……」


 何故、相手がこの優しそうな女性なのか大いに疑問だ。
 そもそも私達初対面だし、いきなり剣を突き付けて倒すというのも……。


「心配しないで。彼女も妖怪。そして強いわ」


「え、妖怪? 人間じゃないんですか?」


 確かに違和感は少し感じたけど、でも妖怪というほど強い妖気は全く感じない。
幽香さんだっけ?
 大人っぽくて美人だし、優しそう……。
 強いって言われてもどうしていいか……。




「えっと椛ちゃんだったかしら。遠慮なく打ち込んできてくれて構わないわよ」




「そう言われても……」


「じゃあ私から行くわね♪」


「ほへ?」



 ふわりと舞う幽香さんは洗練されていてダンスを踊るようにクルリと畳んだ日傘の一撃。
 私は大して慌てずにそのゆっくりした一撃を避け――





 ――ドゴォォオオンッ!





 ――た。




 …………。



 ………………。




 (うっそ……)



 幽香さんの放った一撃は決して早いと呼べるものではなかった。
 私のスピードを考慮しても十分お釣りがくるほどだった。
 その無防備な攻撃に武術的な要素は皆無で。だから侮ったのかもしれない。
 その優しい笑顔から繰り出された一撃が地面を大きく抉り、反対に日傘はまったくの無傷。




 幽香さんと視線が合った。




「――くっ」




 跳躍し、大きく距離を取る。
 そして急加速。


 (こんなの……こんなの聞いてないですよぅォォオオオオオ!!)


 砂埃を巻き上げ、視界を遮る。

 しかし、私の嗅覚であれば視覚に頼らずとも位置の察知は容易い。
 


「はっ!」


 砂埃の中から幽香さんに急接近し、左手に構えた盾をぶつけるように放る。
 しかし、それもフェイク。
 地面すれすれを走り、背後に回り込むと容赦のない一撃を首へ。


 (やばいやばいやばいやばい……首を、首を落とすつもりでやらないと私が死ぬ!!)


 先程の一撃で只者ではないことは理解した。自分の認識の甘さも。
 実際に首を落とす一撃では無い。
 気づかなければ峰打ちで終了だ。




「えいっ♪」




 私の刀が幽香さんの持っている日傘であっさりと弾かれた(Oh No!)。




「な、何その傘……」



「弾幕の雨も防ぐ特別製ですわ」




 そして、幽香さんの身体から圧倒的な密度の妖気が溢れ出し、大気が震える。 


(幽香さん、笑顔が見とれてしまうぐらい素敵です……涙)




 






* * *











「強い……」



 霊夢が映像を見て言葉を漏らした。
 椛の強さは自分がよくわかっている。
 変身しても中々椛のスピードは付いていけず、たまに勝てればいい方だ。
 実際、私達の中で純粋な強さで言ったら諏訪子やヤマメに次ぐ。
 戦闘経験ではピカイチだろう。
 それがまるで子供のようにあしらわれている。



「そりゃね。妖怪ではトップクラスだからね」


 諏訪子が観戦気分なのかタイ焼きを食べながらそう口にする。

 彼女、風見 幽香をスカウトしてきたのは諏訪子とチルノが言うに「出会うべくして出会った」らしい。
 それ以前から風見 幽香を知っている霊夢と魔理沙の心境は複雑だ。
 いきなり連れて来た優しいお花屋のお姉さんは妖怪でしたという事実にも驚くが、
 最強の妖怪と言われてもどうしていいかわからない。


「あの幽香さんが……信じられないぜ」


 感心して見入る魔理沙に諏訪子は楽しそうに答える。


「幽香なら星熊 勇儀ともいい勝負すると思うよ」


「でも知ってるなら何でもっと早く連れて来なかったの?」


 ヤマメの問いに諏訪子は首を振る。


「普通に頼んだんじゃ面倒くさいって断られるだけだよ。こっちが如何に切羽詰まっていようとね。
 むしろ面白がって余計協力しないさ。
 ……今回は焚きつけられたから助かったよ」


「焚きつけられたって……誰に?」


「レミリア・スカーレット、さ」



 あの日、喫茶 さとりで出会った幽香と諏訪子は大昔、拳を交わした事のある間柄だった。
 特に仲が良かった訳ではなく、互いにそんなやつ居たな程度の認識。
 それが逆に良かった。
 遺恨が残るようないがみ合いがあった場合、今回のように共通の敵に対して一時的とはいえ手を取り合う事は無かっただろう。
 
 レミリアを何故知っているのかと聞くと彼女はこう答えた。


 『目ざわりだから』


 ――と、
 普段温厚で常に笑顔を絶やさない幽香のイメージからは想像もつかないどす黒い一面。
 諏訪子が言うにはそれが幽香の真骨頂らしい。
 『サディスト』
 他人の苦しむ様子が快感である、他人が恥ずかしむ様子を見て快楽を得るなど、
 自分以外の何かが苦しむ状況を見ることが楽しいといった感覚を示す嗜好の持ち主。

 本来ならあまり関わり合いたくない存在だが、紅魔と対決するには頼もしい存在だ。


 チルノ達の活動に大いに興味を示したのがベルトの存在だった。
 力で圧倒的に劣る者が技術によって対等の土俵に立てるという事実。

 人間の培ってきた技術を身体で体現するのが武術なら、
 科学の力で対抗する現代の戦闘スタイルに風見 幽香は興味をそそられた。
 今回の椛の実験も是非やらせて欲しいとの本人立っての希望だった。









* * *








「もう降参かしら?」



 椛に折りたたんだ日傘を突き付ける幽香。



「さっきの一撃、良かったわ。状況の変化に即座に対応してとった行動。
 戦い慣れているわね。それは評価しましょう。
 でもまだまだ甘いわね」



「今のは……準備運動ですよ。実験もこれからです」


 ( 汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗汗 )


「楽しみだわ」



 ――バッ、

 後方へ大きく跳躍し距離を取る椛。
 幽香は追わず、楽しそうに日傘を弄ぶ。





「来い! 戦いの神よ!!」




 椛の叫びに呼応するように飛来する物体。
 高速で飛行し、敵と認識した幽香を挑発するように襲撃する。



「――きゃっ、何っ? 虫?」


 
 襲撃者を辛うじてかわし、幽香はその物体を虫だと表現した。
 それは正しい。
 しかし、それは生物では無い。
 科学の粋を最大限に集約した結晶。

 虫の形を取るその物体は自然界では『クワガタムシ』と呼ばれる。
 好戦的な性格をしたそれは人工知能の新たな境地。
 変身ベルトのコアとなる存在。


 ――バシッ、


 主人と認めた椛の手に収まった虫はぎらぎらとした赤い眼をしていた。


 (反撃……開始です!)




「変身ッ!!」




 
 
 クワガタムシを腰に装着されたベルトにスライドさせるように装着する。
 と同時にベルトから眩い光が放たれ、光の粒子が少女の体を覆う。



《Complete》



 光は直ぐ止み。
 幽香は一瞬眩んだ目を細めると……。

 西洋の甲冑のようなデザインをしたスーツに身を固め、胸には青く輝くプロテクター。
 両肩には重火器の砲門と椛の曲刀を想起させる二振りの刃が収納されている。
 昆虫のクワガタを思わせる角が二本頭に生え、、赤に輝く複眼が光っていた。




「これが……ベルトの力」



 幽香は思わず零れる笑顔も次の瞬間、凍りつく。
 変身直後、椛の両肩部に備え付けられている大口径火器が火を噴いたからだ。




 ドドドドドドドドドドドドドドッ!!



 容赦の無い一斉射撃。

 『無限弾装』により転送・チャージされるイオンビーム光弾を毎分5000発連射出来る。

 幽香の視界を弾幕が覆った。











* * *








「ひゃースゴイな~!!」



 映像を見て子供みたいに興奮する天子にヤマメは呆れながらも画面から目を離さない。



「前に見た霊夢のとも、魔理沙のとも違うな」


 ヤマメの疑問ににとりは得意気に鼻を鳴らす。


「技術の進歩は日進月歩。戦いが人間の技術を進化させたのも同じ道理さ。
 持てる全ての技術、資金、時間を注ぎ込んだ努力の結晶さ。
 全ては『全てを終わらせる力』を望んだ結果だ」


「魔理沙の持つベルトのように装着者のサポートができるように学習機能も付けてある。
 形式的以外の不測の事態に対応できるシステムを組んでいる。
 それに加え、従来のスーツは人間のように本来肉体的な脆弱さを補完する意味合いでは無く。
 椛のような妖怪の力を底上げするように作り上げた」


「なるほど……今までとアプローチが違うという事ですね」


 文が相槌をうちながらメモを取る。

 チルノの説明のようにスーツの出発点は『人間が妖怪に対抗する』がコンセプトだった。
 しかし、それでは身体の構造からして違う純粋な妖怪の力を解放しにくくなり、足枷になってしまう可能性があった。
 今回特別に作成した試作機はモデルを一新して、改良を加えた。
 変身時、重装甲の形を取るのも従来にはない防御力を徹底して上げた結果だ。



「しかし、動きにくくないか? 確かに防御には適しているようだけど……」


 魔理沙の感想に、にとりは頷く。


「見ていればわかるよ。大丈夫! 私とチルノの合作に隙は無いよ!!」







* * *








 ――砂埃が舞う。

 それを拭い去るかのようにぶわっと風が切り裂いた。


「あ~ビックリした」


 風見 幽香は無傷。
 あの数の弾幕をその細い日傘一つで凌いだのだ。



「もっとも『むずかしい事』……それは『自分を乗り越える事』。
 私の指摘を理解し自分の中で消化した。
 犬走 椛……貴女は今確実に成長しているわ」




「―はっ!」


 幽香の目の前、視界を遮る砂のカーテンから重たい拳が滑って来る。


 ――ドガッ、


「うっ」


 とっさにガードしたが、衝撃を殺しきれず身体が浮く幽香。
 追いうちをかけるように放った蹴りが幽香を真上の空中へ弾き飛ばす。


(ごめんなさいごめんなさいっだから睨まないで~!!)


 椛の弱点はその軽さにあった。
 スピードは随一でも軽量級な上、人間より腕力があるとは言え格上の妖怪と対抗するには力不足であった。
 過去の戦闘を見ても軽快な動きで相手を翻弄できても肝心な攻撃の威力が十分とは言えない。
 しかし、スーツの人口筋力により加算されたパワーは他のスーツを追随を許さない最大の威力を保持している。


 結果、風見 幽香は空中散歩をすることになる。






「重たい攻撃、良いわね。思ったより楽しめそう♪」


 
  
 受けた攻撃に怒りの表情を見せず、終始笑顔の幽香。


(しかし私は見た、幽香さん顔は笑っているけど目は笑ってない……)


 打ち上げられた空中からふわりと日傘を広げ、綿毛のように風に煽られゆっくり落下してくる。

 そこへ目がけ再び椛が砲門を向けると、幽香は指をさし呟く。



「カラミツケ」



 椛の足元から突如、植物の蔦が姿を現し拘束するようにスーツに巻き付く。


(えっえっ? 怒った? 若干怒ったんですか?)


「喰らいなさい」


 食虫植物のような大顎が現れ、椛の身体に無遠慮にかぶり付く。
 そして、幽香の手の平から無数の弾幕が花弁を想わせて飛来する。



(ひゃ~やめて~スーツの耐久実験も兼ねているんですか~!!)




 ドドドドドドドドドドドドドドッ!!







《 Cast Off 》






「えっ?」


 突如、椛のスーツが光り輝き、分厚い甲冑が幾つものパーツに分かれ飛散した。
 幽香が咄嗟に腕でガードし、パーツを弾く。

 電子音が幽香の耳に届いた時、既に椛の姿は巻き付いた蔦から脱出していた。







* * *





 

 ――映像を見ながらチルノは解説する。

 『マスクドライダーシステム』の発展型。
 武装装着型の戦闘システムをベースに敷いたまま、常に変化する戦闘に対応できるように出した結論の一つ。
 変身直後の重装甲は『マスクドフォーム』と呼び、ヒヒイロノカネという金属で製造されたマスクドアーマーが全身を覆っており、
 ファンデルワールス力によってライダーアーマーと結合している。
 これはパワー重視の重装甲形態で軽量級の椛のパワー不足を補うためである。


 そして、


 
 『Cast Off』とはマスクドフォームからライダーフォームへと2段変身する工程。
 これは昆虫の脱皮に相当し、キャストオフとは「脱ぎ捨てる」の意味である。
 ベルトの二段変身スイッチを操作することでベルトから「Cast Off」と発声され、
 マスクドアーマーが弾け飛び『ライダーフォーム』への移行が完了する。

 

 




* * *



 


 《Change Stag Beetle》







 幽香が椛の姿を認識した時、先程見たスーツとは形状がまったく違っていた。
 西洋の騎士を思わせる分厚い甲冑が脱ぎ捨てられ、スタイリッシュに無駄な部分を徹底的に削った結果。

 『クワガタムシ』の名の通り、マスクドフォームで頭部左右に倒れていた角が起立し側頭部の定位置に収まる。
 椛本来の戦闘スタイルであるスピードを生かした超接近戦に特化した形態『ライダーフォーム』。
 







 椛が踏み出す。
 一気に最高速度に達した動きは容易に幽香の視界から消える。


「どこへ?」


 ガガガガガガガガガガガガガガッ!!


「何、何の音?」


 幽香が珍しく動揺する。
 姿の見えない椛の起こしている音のはずだが、どこにいるのか判別がつかない。
 一方向からではなく幽香の全方位から叩きつけるように音が聞こえたからだ。


 (危険危険危険、さっきから私の頭には緊急警報がガーンガーンと鳴ってますよ!
  でもでも、リタイアスイッチってどこにあるんですかー!
  にとりさんの要求項目を満たさないと実験終了しないんですか!?
  わかりましたよ! 
  やって、やってやりますよっ!!)





 ――そして、音が止む。



 静寂。



 幽香が振り返ったのは戦闘センスに依るものか、危機察知能力に依るものかはわからない。
 だが、振り返った先に二振りの牙が鋏のように口を開けていた。



《Rider Cutting》


 通常の肉弾戦に加え、両肩に装備されている一対の曲剣ダブルカリバーを用いた二刀流による剣戟格闘戦。
 バリバリッとスパークしたエネルギーの弾ける音が響いたのは一瞬遅れてからだった。


 (全部、こんな茶番劇を設定したにとりさん達が悪いんですからねぇええええ!!)




「くぅううううっ!」



 反射的に構えた日傘を大鋏の軌道を変えるように渾身の力で繰り出す。
 軌道を逸れた大鋏の先が幽香の左肩を抉るように突き抜ける。


 ――鮮血。



「あっ」
 

 ここで椛の集中力が切れる。
 必死だったとは言え、やり過ぎてしまった事に後悔の念を覚える。


サァアアアアアアアー(青ざめ)


 だが、風見 幽香は止まらない。

 右の掌を振るうと再び地面から植物の蔦が生え、椛を狙う。
 椛はそれを必死に跳躍しかわす。





「残念♪」

 


 上空へと逃れた椛を追い掛けるように伸びる蔦に空中で身動きのできない椛の足に絡まる。



「戦闘センスとは言わば『本能』。
 現代社会において妖怪はその野生を忘れ、どこかつまらないわ。私も含めてね。
 これは『素敵な事』よ。
 平穏な日常も捨てがたいけど、たまにはお祭りではしゃいじゃうのも悪くない」



(ひぇえええ!! 捕まったぁああああああああ!!)





「私、正直言ってスピードには自信無いの。昔はよくからかわれたわ『鈍足』ってね。
 でもね。
 とっても簡単なのよ動きを止めるのは。
 後は紅茶を飲むように優雅に撫でてあげれば大抵の場合、優越感に浸れるの。
 褒めてあげるわ。少し……本気を出すわよ」




 壊れかけの日傘の先を椛へ向ける。


(ごめんなさいごめんなさい!! 調子に乗りましたすいません! マジごめんなさいぃいいい!!)


 急速に高まる妖力に背筋を凍らせた椛は必死に蔦を斬るようにもがくが――、



「――遅い」




























 ドォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!


 

























* * *









 ――ジッ、ジジ、


 パソコンのディスプレイには砂嵐。
 莫大な妖力が放たれた瞬間の地響きと衝撃。
 四方をコンクリートで固めた実験所の一部がいとも容易く崩壊し、消し飛ぶ。



「どうなった? 椛の妖気はまだ感じるから死んではいないだろうけど……」


 諏訪子が心配して画面を覗き込む。
 カメラは完全にやられたようで画面は一向に回復しない。


「痛っててて……何て威力だ。まだ鼓膜が……」


「あれ、あいつらどこいった?」







* * *








 轟音。衝撃。そして静寂。


 風見 幽香はすっきりした表情で自分のしでかした所業に満足げに頷く。



「たまには思いっきりやるのも良いわね♪ 何百年ぶりかしら……。
 ま、それはそれとして、乱入クエストは受け付けていないんだけど?」



 幽香の視線の先に椛を支えるように立つ博麗 霊夢と燃え盛る大剣を片手に構える比那名居 天子。
 スーツのヘルメットが開き、ぶはぁと大きく息をついて生の喜びを実感する椛。



「幽香さん、少し……やり過ぎなんじゃないですか……」


 恐る恐るというように話す霊夢。
 まだ優しい花屋のお姉さんのイメージとのギャップに戸惑っているようだ。
 同じ笑顔で立つ幽香の底知れない恐ろしさを空気で感じたのかもしれない。



「アンタ、やるじゃん! 今度あたしと勝負しなさいよ!!」


 先程の戦闘を目の当たりにしてすぐさま挑戦状を叩きつける天子に椛は呆れる。
 


「良いわよ。それに貴女とは気が合いそうだしね♪」



「……な、何かしらこの感じ(ゾクゾク)」


 
 天子が何かに目覚めた時、夢から覚めたように時計のベルが鳴る。







 ―――ジリリリリリリリリリッ!!







『しゅぅぅぅりょおおおおおお!! ストォオオオォプッ!!』


 スピーカーで知らされるにとりの大音量の実験終了放送。
 その言葉に椛は大きく安堵し、その場にへたりこむと変身が解けた。



「お疲れ様、椛」


 
 投げかけられる霊夢の言葉に少し涙目に見上げる椛。



「えへへ……」



(『恐怖』生まれて初めて味わう絶望的、圧倒的な感情。
 それがどれほどのものだったかと言うと…………残念ながらそれを書くには余白が足りない)

 

  


 

  
 
















―第六十三話 「茶番劇」、完。



―次回予告。
≪あなたがやるべきことは、
 自分を責めて貶める行為ではなく。

 自分自身に対して小さな約束をして、
 毎日確実にこなしていくこと。


 次回、東方英雄譚第六十四話 「ユリイカ」 ≫









[7571] 第六十四話 「ユリイカ」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/06/12 16:38



 ポタポタと雨水が少女の顔を濡らす。
 さっきまでその気配すら感じなかった薄暗い厚い雲が空を覆っている。
 湿り気を帯びた風が少女の髪を優しく撫で、雨では無く自分の血で顔に張り付いた前髪を鬱陶しく指で払うと、
 少女は重たい身体を手を付いて起こす――、



「――と」



 付いたはずの手は肩が既に折れているのか思い通りに動かせず地べたに身体ごと倒れた。
 雨に追いつかれる前にせめて木陰に移動したいが満身創痍の身体は少女の命令を拒否している。
 地面には水溜まりが出き、それが自分の流した血であることは服に滲んだ色が証明している。

 気絶していたのは数瞬かも知れないが、それでも遠い出来事のように思い出される。
 

 
 ――私は、負けた。



 無様に、情けなく、愚かに、惨めに……。
 かつて私の中にあった自信は見る影も無く消え失せた。
 

 ぐっ、と片腕に力を込めてみるが、起き上がろうとして再びがくり、と地面に倒れる。
 

 ――サァアアアア、


 本格的に降り始めた雨は少女の身体を洗い流すように降り続ける、止む事は無く。
 その弱った体にさらに鞭を打つように雨音を強め、敗者の身体を打ちすえる。



 ザッ、ザッ、ザッ、



 足音。


 少女が音のする方へ振り向くと、傘を差した長身の女性が立っていた。
 先程と同じく残虐な笑みを浮かべて見下すように佇んでいた。



「貴女のような小物、どうだっていいのだけれど……心配になってね」



 その言葉に少女は身がすくみ思わず後ずさりをする。
 残った手は相手から見えないが確かに震え、それは雨による冷たさのためではない事を少女は良く知っていた。



「……心、配?」


 渇いた口から精一杯の言葉を吐き出す。
 その言葉に女性は悠然と頬笑み――、



「えぇ……ちゃんと死んだかどうか」



 その言葉を聞いた瞬間、防衛本能が働き背中を向けて逃げ出そうとする。
 だが、傷ついた身体では走って逃げる事はできず、結果地面を這いずる形となる。


 ――ドンッ、


 女性は這いずる少女の身体を足で踏みつけるとこう言い放つ。



「私に歯向かった罪は重い」



「ぐっ……」



 女性は少女の肩が折れた方の腕を掴み上げる。
 捻り上げられるように持たれた腕に痛みが走り、耐えるように呻く少女。



「な、何をするの……? やめて……」



 見上げる少女の目に最初の頃の鋭さは無く、目は充血し疲労と怯えが垣間見える。
 女性の行動の意味する事を察し、懇願する。
 しかしその表情が、行動が、より女性の嗜虐心を誘う結果となる。





 ――ブチンッ、







「あら、取れちゃった。ごめんなさい。少し力入れ過ぎたわ」









「――ギィ、ぎゃああああああああああアアアあああああああああ!!」








 


 少女は千切れた腕を押さえるように悲鳴を上げ、身悶える。
 どくどくと溢れる血は更に少女の体力を奪い、心を追い詰める。
 激痛、激痛、激痛。
 少女の目に涙が溢れる。泣き叫ぶ事しかできない。
 理不尽な暴力。
 


 


「ひっ、た……たすけ……」


 擦れた声で漏れたのは自分でも思いがけない物だった。
 許しを請う言葉。
 言ってしまった直後、手で口を塞いだがもう遅かった。
 その言葉を耳ざとく聞き、さらに笑みを増した女性はゆっくりと少女に近づく。



「いいわ~その表情。ゾクゾクする。助けてあげようかしら?
 ここで泣きながら土下座して命乞いしたら考えてあげてもいいわよ」



 近づいて膝を曲げ目線を少女に合わせると、子供に優しく諭す母のように女性は少女を見つめる。
 その紅い瞳は全てを見透かしたように少女の瞳に映る怯えを感じ取り、
 透き通る翡翠の髪から花の香りを少女の鼻へと運ぶ。

 その女性は人間ではない。
 『風見 幽香』
 その姿からは想像できないほどの力を持つ妖怪だった。
 彼女の二つ名は『四季のフラワーマスター』。
 文字通り花を操る程度の能力を持つ。ただしこれはおまけのような能力で彼女の強さの本質はここでは無い。
 妖怪の間で彼女は最強の妖怪として知られているが、彼女自身が公言したわけではない。
 鬼のように自分の強さを証明するため戦いに明け暮れる訳でもなく、野心を持ち領土の拡大をするわけでもない。
 純粋な強さ。
 彼女が本気を出す事は稀で強い妖怪にしか力を使わない。
 雑魚の妖怪が押し寄せた所で彼女は面倒がって相手をしない事もよくある。
 そして、こうも呼ばれている。


 ――最悪の妖怪、と。
 
 

 少女は身体の震えを押さえつけるように俯く。



「大丈夫よ。お姉さんは約束破ったりなんかしないわよ」




「……は」




「え、何かしら?」




「くふふっ、ふははっはは、あっはははっははハハはっははハはっは!!」




 少女は急に狂ったように笑い出した。
 笑う、笑う……。
 頭のネジが取れたように、壊れた玩具のように笑う少女を幽香は見つめた。
 穏やかな笑い方では無い。
 どちらかというと品の無い、嘲笑に近いような激しい笑い方。
 今までも恐怖で精神をやられ発狂した者がいなかったわけではない。
 幽香も最初そう考えた。
 だが、その少女だけは違った。
 現実からの逃避の笑いでは無かったからだ。




「ぷっ、『助けて』だって……く、ははは傑作だわ。
 このレミリア・スカーレットが、命乞いなんてね!!」



 少女の右腕は無理やり引き千切られて、折れた骨と肉の繊維がはみ出している。
 少女の自慢の羽はボロボロで片翼は背中から残酷に引き抜かれ、太腿には抉られた後。
 服に隠れてはいるが敗れた腹から内臓ははみ出し、押さえていないと零れ落ちそうだ。
 人間であればあまりの激痛でショック死してもおかしくない重症。
 吸血鬼としての絶大な生命力でも辛うじて意識を保っているのがやっとの状態だ。
 戦いで力を既に使い果たした彼女には何も残っていなかった。
 それに加え、雨。
 流水は吸血鬼にとって害でしかない。
 雨に打ちつけられるたび、硫酸を浴びたように身体から煙が上がる。

 それでも意識を保っていられるのは妖怪だからこそか?
 いや、彼女の意識は既に身体の悲鳴を聞いていない。
 内なる激情だけが身体を、命を支えている。
 

 絶対の意思。


 その高笑いは薄暗い森に響き渡る命の輝き。
 自分の全存在をかけた戦いに赴く勇者の讃美歌。
 彼女の後ろには暗い闇があるだけ。
 彼女を支えられるのは彼女しかいないのだ。




「『運命』は、まだ私に微笑んでいる!
 私には絶対に譲れない未来がある!!」




 風見 幽香との戦いを望んだのは自分自身だった。
 その理由は単純。
 『弱者』(自分)と『強者』(世界)との距離を測る物差しの代わりだった。
 相手は強ければ強いほど良い。

 軍神として名高い、守矢神社の八坂 加奈子。
 最強の鬼と呼ばれる種族、伊吹 萃香。
 現存する妖怪の多くが集まる砦、人呼んで妖怪の山を治める天魔。

 将来、必ず敵対するであろう化物達。
 私が人に仇成す妖怪だと知れた時、人と共生する妖怪は必ず私に戦いを挑んでくる。
 避けられない戦い。

 風見 幽香を選んだのは妖怪としておそらく最強に近いとされる化け物の中で唯一組織を作らず単独行動を好んでいたからだ。
 コミュニティに属する妖怪では肝心の目標へ辿りつくまでに障害が大きい事と、
 もし敗れた際逃げ切れる可能性が低くならざるを得ないからだ。
 大事なのは生き残る力を手に入れる事、つまりは実戦しかない。
 戦いに明け暮れ、自分よりも格上の存在を打倒した日々。
 それも全ては自分の目的のため。
 だからこそ、ここで留まってはならない。
 こんな所で停滞してはならない。
 停滞とは後退だ。
 前へ、前へ、ただひたすら力を求めて。


「ならば、その『運命』……見届けさせてもらうわ。
 貴女が私の靴の下で地面に顔を埋める運命をね!」


「ほざけっ!!」


 運命の牢獄。
 運命の断頭台。
 生きる事が拷問でしかない世界で、
 レミリア・スカーレットは立ち上がる。
 体力の限界を超え、吸血鬼本来の再生能力が追いついていない。
 それがどうした、とレミリアは悪態を吐く。



「――カッ、ハァアア」


 息吹。
 体内で駆け廻る血が、熱がレミリアの口から白く吐き出される。
 熱い。
 身体が業火に焼き尽くされたみたいに。
 先程の怯えを孕んだ目は消え失せ、力強い炎が宿る瞳は別人のようだ。


 笑え、笑え、笑え、


 ここは通過点だ。
 私が幸せになるためのただの通り道だ。
 何を恐れる。
 何を迷う。
 私は知っている。運命を知っている。
 あの子とまた再び手を繋げる日を――。



「美しいわね、貴女」


 幽香の目から侮蔑が消え、美しい花を愛でるように微笑む。
 レミリアの言葉が、その行動が嘘偽りの無い真実となって幽香と真正面で対峙する。
 それは月光に揺らめく気高い一輪挿し。
 紅い薔薇。
 レミリアの急激な体温の変化で蒸発した血が燃える炎のように空へ……。
 紅霧。
 レミリアの周囲どころではない。
 この夜を覆ってしまうほどの紅い光が世界を包んでいく。




「――ガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」




 獣の叫び。
 そこには知性を感じさせない咆哮はレミリアの腹の底から放たれたものだった。
 戦いの本能、妖怪として誇り。
 その雄叫びは臆病から勇気へ昇華する魔法。
 身体から上がる煙に血が混じり、赤い粒子が錬成され、
 一本の魔槍となり、その切っ先を幽香へと向ける。



「受けて立つわ。レミリア・スカーレット……」





 ――キィイイイイイイイイイイイイ、
 

 幽香は傘をレミリアへと向ける。
 前方へ集中されるエネルギーは太陽の輝きに似ている。
 力の奔流が渦を巻いて幽香の周囲を纏わりつく。
 それはレミリアの覚悟に対する敬意だった。

 絶対な強者と対峙したとき背中を向けて逃げ出すので無く、
 倒れながらも前へと進む挑戦する意思。


 彼女は仮面を被った。
 それは自分の力の無さを隠すためだけではなかった。
 弱い心、恐れ、その全てが今の状態を招いた事を知っているからだ。
 強く在らねばならなかった。
 それが偽りの仮面であろうと彼女にはそれしか……道がなかったからだ。

 

 レミリアは太陽の光に身を焼かれながらも手を伸ばす。
 


 ――届け、届け、届け!



 ――私は太陽でさえ掴んで見せる!!



 震天動地。
 例え何度も蹂躙され、征服され、冒涜されても紅い悪魔は妖艶に微笑む。


 『世界を全て敵に回しても勝てる力』を私に――、
 


















 この最初の戦いからレミリアと幽香は幾度も拳を交わし合うことになる。
 それは殺し合いという名の交流。
 それは殺し合いという名の接点。

 交わった運命は交差し、やがて運命を大きく変える歯車となる。
 
 
 
 




 

 
















―第六十四話 「ユリイカ」、完。



―次回予告。
≪もう、離さない。
 大切な物は何時だって私の手からすり抜けて行ってしまう。

 今度こそ、もう二度と、決して……。




 次回、東方英雄譚第六十五話 「その瞳には」 ≫







[7571] 第六十五話「その瞳には」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/06/26 10:50




 あっはははっはははっ!!

 いや~負けちゃいましたよ。

 まったく嫌になっちゃうぐらい強すぎでしょ!?




『お疲れ様……ごめんね椛、説明が足りなかったね』


 
 確かに説明が足りなかったと思うけど、まぁ私は大丈夫ですよ!
 ピンピンしてますしっ!!



『まだ十分慣れていないから仕方ないよ。気落とさずに……』



 ぽんと私の肩に手を置き、労ってくれるチルノさん。
 優しくて大好きです!!



『――チルノ、ちょっといい?』


『うん、わかった』



 にとりさんに呼ばれ、離れて行くチルノさん。
 実験結果の分析だろうか……?
 ほんと、苦労かけるな……最近チルノさん常に目が充血してるし、寝てないのかな?
 けっこう背負いこみやすい人だからな……だから皆の中心にいるのかもしれないな。

 好奇心。

 ただ、それだけで私はチルノさんの後を付けて行った。
 パソコンが並ぶ一室の片隅で二人が話し合っている。
 私の種族は白狼天狗、聞こえぬ音は無し!


『おかしい……スペック的には十分なはず……』
 

『大妖怪とは言え、ここまで力の差があるものなのか?』


『諏訪子に聞いたが幽香は妖怪としても最上級だ。負けて当然、慣れもある』


『それを埋めるためのライダーシステムだろ? もともと人間の霊夢達でも紅魔の妖怪相手に善戦している』
 

『比較対象が違うから一概には言えない』
 

『それでも……う~ん』


『にとりが不満に思うのもわかる、少しずつ改良していこう。大丈夫、時間はある』



 私は聞き耳を立てていた壁から離れる。

 ……。

 …………。


 余計苦労かけてごめんなさい。
 私が不甲斐ないんです。すいません。












 ――もう三日も前になるのに、未だに引きずるなんて私ってナイーブ……。

 研究所から外に出て、大きく伸びをする。
 鼻から大きく息を吸って気持ちを切り替えようとする。



「おお~い、クワちゃ~んっ!!」


 呼ぶとすぐにどこからともなく現れる戦いの神。
 クワガタムシをベースにしたベルトのコアは自分で意思を持つため、たまにふらふら森の方へ出かける癖がある。
 魔理沙さんのベルトのように喋りはしないが、私の言葉を理解してぎちぎちと顎を鳴らす仕草は何処となく愛嬌がある。

 あだ名はクワちゃんに決定です。

 ぶ~んと羽音を鳴らせ、ちょこんと私の頭に乗る。
 そこが定位置。
 幽香さんと戦いの後、変身を解いても何故か一緒にいてにとりが調整しようと呼ぶ時以外は良く私の頭の上に乗るようになった。

 戦いの神が臆病者の私の頭に乗るのが何か可笑しい。

 な~? ちょいと頭上の戦いの神を指で突っつく。
 ぶ~。 何々? と羽音を鳴らして身じろぎする。


「しっかし、幽香さんも本気出さずに適当に力抜いてくれたらいいのに……まぁ本気を出させちゃったのわ私の力ですけどねっ!!」


 アッハハハハ、は……。


 いっかーん。
 バシバシと頬を二回叩く。
 これは気持ちを切り替える自分の儀式だ。
 ネガティブからポジティブへ。
 師匠にも言われたし、気持ちの浮き沈みが激しすぎるって。
 でもでも『心を無に』ってどうやるんですかって話ですよ。

 そういえば師匠、どうしてるかな……幽々子様も。
 人間なのに師匠はほんと凄いからな。
 たまには白玉楼に帰りたいな~。チルノさんに休暇申請してみようかな。
 でも今言ったらコテンパンに負けたショックで逃げたと思われるのも嫌だしな~。

 しかし幽香さん、マジ怖いです。
 あの九州であった鬼も怖かったけど、まだ遊んでる節があったから助かりました。
 幽香さん本気なんだもん。
 真面目過ぎるのかな?
 チルノさん達はあんな怖い人仲間にしてどうするんだろ?
 どっちかって言うと紅魔側じゃないの?
 最後の最後で裏切りそう……(ぶるっ)

 ……まぁチルノさんも考えがあるんだろう。
 戦力的には非常にありがたいし、正直言って今の戦力じゃ防御に徹してようやくトントンってとこでしょうか。
 だからこそ、にとりさん達技術陣は焦っているのかも。



「いっ痛、いたたたた!?」


 突然、私の犬耳を噛むクワちゃん。(犬猫のような甘噛みのつもりなんでしょうが地味に痛い。顎強いし)
 ぶつぶつ考えてた私の顔が上がり、目線の先にジョウロで花壇(幽香さんが勝手に植えました)に水をやる幽香さんを発見。

 避けるのもあれなんで、苦手意識を隠しつつフレンドリーに近づきます。


「こ、この前は御指導御鞭撻の程ありがとうございました!」

 
 緊張で声のトーンが一つ上がった。


「あらあら、ご丁寧にどうも。避けられてるかと思っちゃってたわ」


 ぎくりっ、
 幽香さん鋭い。


「そんなこと無いですよ。あれは実験ですから、戦場であれやられると困りますけどね」


「私が優しくて良かったわね。貴女達が戦っている紅魔の妖怪だったら大変だものね」


「まぁいずれ戦わなければならないんで、それまでにはこの子を使いこなせるようになりますよ」


「この子? あぁ頭の上にいる子ね。すっかり仲良しじゃない」


「戦いの道具ってよりも友達感覚ですね」


「ふふ、そう……」


「じゃあ、また色々教えてください。失礼します!」


 話が終わり、別れようと手を振りながら幽香さんから離れる。
 そこへ幽香さんが声をかけてきた。


「……あぁ、ちょっと」


「はい?」


「貴女、変わってるわね」


「どういうことですか?」


「貴女は妖怪の山の生き残りだって聞いたけど、復讐に燃えてる感じがしないわ」


「……そんなことは、ないですよ」


 笑って誤魔化して、そそくさと離れる。
 幽香さんもそれ以上追及せず、再び花壇に水をやり始める。









*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*






「はっ!」



 気合いと共に神速の居合抜きが放たれる。
 無駄な動作は一切無く、瞬きの間に藁を巻いた人形はバラバラと崩れ落ちた。




「ふーっ」



 深い息をして、刀を鞘に収めると、誰かが拍手する音が聞こえる。



「幽々子様……見てらしたんですか……お恥ずかしい」


「何で? 『お見事っ!』じゃないの?」


「剣に曇りがあります。まだまだです……」


「そんなものかしら……まぁ私は剣については素人だから、何とも言えないけど。
 少なくとも私にはできない技だわ」


「技と呼ぶほどでは……」



 魂魄 妖夢の謙遜癖は今に始まった事ではない。
 西行寺 幽々子が思うに師匠が厳し過ぎたのが原因ではないのか?
 自分が幼い頃の体験が一瞬頭を過ぎり、ぶるりと身を震わせる。
 それを隠すように扇子を開くと、パタパタと仰ぎながら妖夢に近づく。



「悩み事かしら?」



 その言葉に驚いた表情をした妖夢は次に苦笑いで答える。
 関係の無い話からいきなり本題に入る幽々子の性格を知っているので慣れたものだ。
 人の表情や仕草で相手の感情を読み取る事にかけては幽々子の右に出るものはいないだろう。
 こう聞かれた場合、誤魔化しても結局は根掘り葉掘り聞き出されるのが落ちだ。
 素直に答えた方が面倒にはならない事を妖夢は知っている。



「幽々子様には敵わないですね……実は――」



「――椛の事でしょ」



「……本当、敵わないですね」




「そんなに気になるなら様子を見に行けば?」



「しかし、私には幽々子様をお守りする仕事が……」


「いいのよ。たまには、ね?
 ついでにチルノちゃんに言伝頼みたいし」


「お気遣いありがとうございます。それで言伝というのは?」


「京都に……お姫様が会いたがっているわ」


「……わかりました。必ず伝えます」






*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*






 『白玉楼』

 日本政府直轄御庭番、通称『庭師』の本拠地とも言える場所。
 日本のみならず世界全体で起こる超常現象の情報の集積所とも言えるこの場所に、
 一人の少女が連れて来られたのは数年も前になる。
 


「この子が犬走 椛ね。こんにちわ。私は西行寺 幽々子。
 幽々姉ちゃんって呼んでもらっていいわよ?」


「……(ぺこり)」


 黒い髪を肩口に斬り揃えられた浴衣姿の少女。
 愛想の良い幽々子と違い緊張しているのか無表情でお辞儀をする椛に、
 う~んと幽々子は悩み結論を出した。


「じゃあ、今日からここにいる妖夢が世話係兼教育担当だからよろしくね♪」


「ゆ、幽々子様!? 私は何も聞いて――」


「今決めたんだもん。知らなくて当然。
 いい? 妖忌もいなくなったんだから何時までも半人前では困るのよ。
 後輩育成も立派な修行! って妖忌も言うと思うな~」


 面倒事を押しつけただけなのに上手い事妖夢の修行の一環という名目にすり替わってしまった。
 生真面目な妖夢は修行のためならと承諾するのだが、後々後悔する羽目となる。

 この当時、幽々子の守護役であり庭師筆頭の妖夢の祖父魂魄 妖忌も亡くなり、
 その他実力のある庭師達は『紅魔』の台頭、椛の故郷である求菩提山の襲撃事件等で全て出払っていた状態だ。
 実戦経験は既にあるもののまだまだ実力不足で自分の事で精一杯の時期の妖夢には荷が重かったと言える。


「……よろしくお願いします(ぺこり)」


 元気の無い少女が目の前で頭を下げる。
 自分より年下に見える少女にどう接していいかわからない妖夢はとりあえずこう答えた。


「は、はい。よろしくお願いします」
 










 白玉楼に来た時は人間の姿だったが、妖怪としての年齢は妖夢よりも遥かに上だ。
 しかし、椛と初めて会った妖夢が見た第一印象は『何かを怖がっている』というものだった。

 最初、その何かは自分の故郷を壊した存在の事だと思っていた。
 あれだけの惨事だ、いくら妖怪の事は言え心の傷は大きい。
 腫れ物に触るようにしか接することができない妖夢はきっかけを探していた。
そしてある日、妖夢は椛に聞いた。


「椛は……その……故郷を滅ぼした存在をどう思いますか?」

 












*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*



















 ――そんなこと、ないですよ。




 ぶ~ん? 心配しなくてもいいですよクワちゃん。大した事ないですから。




 妖怪の山、故郷である求菩提山の襲撃事件は私の心の中心を占める。
 
 何時でも、何時でも、何時でも。

 その度に気が狂いそうになる。
 だからこそ、明るく、考えないようにしている。
 どうしても考えてしまうから。
 ご飯を食べてる時も、寝る時も、鍛錬してる時も、それこそ戦いの最中にも。
 だからこそ師匠にも集中しろってよく怒られたんですけどね。
 考えないようにしてようやくちょうど良いぐらいです。

 だって過去は変えられないから。

 私だって……変えられるものならっ!

 おっとと、危ない危ない。
 また自傷行為に走るとこでした。
 何かの本で読みましたが、子供は激しい精神的ショックを受けた時お飯事や、ごっこ遊びでそれを真似る事があるそうです。
 そうして精神的負荷を緩和し、心を安定させようという本能ですね。
 辛い事を笑いに変換して自分が消化しやすい形にする。

 なるほどですね。まったくなるほどですよ。








『卑怯者ッ!!』




 また、出てきましたか……。



『裏切り者ッ!!』 


 誰かに言われた言葉ではない。


『臆病者ッ!!』


 だってそんな事言ってくれる人、全員死んじゃいましたもん。



 これは幻覚、単なる悪夢。
 私の罪悪感から来る独りよがりなイメージ。
 もしかしたら、誰か生きていたら……『しょうがないよ』『自分を責めないで』『椛は悪くないよ』
 な~んてね。
 まったく図々しいですね、私。



 ――妖怪の山は全滅した。一人残らず。



 ――私を除いて。



 ――私だけ生き残った。



 それが、何を意味するか、自明でしょう。


 笑っちゃう事にその事を誰も突っ込まないし、責めもしない。
 私は「紅魔を許せない!」 「私も戦う!!」
 て大義名分を掲げれば、それでチャラ。
 私の過去の罪は無かった事になった。


 バンザーイ! バンザーイ! バンザーイ!


 紅魔が存在している限り、私も存在することができる。
 敵がいなくなったら、いなくなってしまったら……誤魔化す相手が居なくなってしまう。
 罪を被せる方向が無くなってしまう。
 この事、チルノさんは気付いてるだろうな。
 あの人は誤魔化せないから……でも優しすぎるから。余計辛いよ。
 多分あの人はこう言うだろう。


『辛かったね椛。でも過去の罪は消えない。だから生きて戦って罪滅ぼしをしなければいけない。
 私も人の事は言えない。だから一緒に過去と戦っていこう』

 
 こう、言って欲しい。
 そうすれば私は前を向いて歩いて行ける。
 助かる。
 嬉しい。

 でも、それじゃあ私は納得しない。
 『あぁ、良かった』としか感じないだろう。
 そして罪は軽くなる。チルノさんに背負って貰った分、私の負担は減る。確実に。
 
 それをしないのは……何て言うのかな……誇り?
 何を今更って思うけど、それをしちゃうと『犬走 椛という誇り』を失ってしまいそうな気がする。
 自分で自分じゃ居られなくなる。
 そんな気がする。










「いっ痛、いたたたた!?」




 突然、私の犬耳を噛むクワちゃん。
 落ち込むなって言ってんの?
 そう聞くと不思議そうに首を傾げる。
 にとりさんに音声機能付けてもらおうかな~でもクワちゃんはなんかこのままの方が良いような気がする。
 
 思考が暗くなった時、頬を叩く代わりにはなるか。
 メッチャ痛いけど……。

 クワちゃんは羽を伸ばすように頭から飛び立つと椛の周りを旋回し、再び頭の上にちょこんと乗った。
 まったく何がしたいんだか……。

 再びちょいとクワちゃんを突くと今度は自慢の鋏でがっしりと指を挟まれた。
 椛の絶叫が研究所一帯に響き渡り、風見 幽香がその声に驚いてびくっと肩を竦ませたのは誰も見ていなかった。
 

























 


―第六十五話 「その瞳には」、完。



―次回予告。
≪甘き誘いに堕ちた獲物は
 安眠の終幕と同時に苦痛の現実が幕を開ける。

 臆病を超えて前に出て行く勇気それが『強さ』
 強さと臆病は相反しない。

 偶然とは努力した者に運命が与えてくれる橋である。
 



 次回、東方英雄譚第六十六話 「十重二十重に」 ≫





[7571] 第六十六話 「十重二十重に」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/07/10 14:29
≪レミリア・スカーレット 過去編  あの遠い日々≫






「おと~さまっ!」


 軽いノックの音が響き読んでいた本から顔を上げる。
 書斎のドアを開け、ひょっこりと顔を出す愛娘。
 本にしおりを挟み、返事をする。


「どうした? レミリア」


「あの……ですね……」


 最初の勢いから一転して、
 両手を後ろに隠し、恥ずかしそうに俯くレミリア。
 少しもじもじして意を決したように顔を上げる。
 


「クッキーを……焼いてみました。ぜひお父様に……」



 そう言って両手を差し出すと可愛くリボンで結ばれた小さな袋があった。



「フランとパチェと一緒に作ったの……も、もちろんレイチェが教えてくれたから味は大丈夫……」


 
 心配そうに上目遣いで見つめるレミリア。
 今まで贈り物らしいものを貰った事がなかったため素直に嬉しく思うと、
 ぽんっと頭を撫で、クッキーを受け取る。


「もらおう」


「あ、あの今……食べていただいても……」


「ふむ……」


 シュルッ、サクサクッ、


「どう、でしょうか……?」


「うむ、美味い」


 その瞬間花が咲いたような笑顔を見せ、「し、失礼しました!」と顔を真っ赤にして出て行く。
 勢い良くレミリアがドアを開けた時、ドアの隙間から人間の娘と目が合った。
 向こうも予想外だったのか慌てて会釈をする。
 確か、パチュリー・ノーレッジといったか……。

 ドアが閉まると同時に廊下の方から姦しい声が聞こえる。
 どうやらフランと人間の娘が待機して様子を伺っていたようだ。
 レミリアは代表者で渡しに来たらしい。
 元気の良い事だ。


 サクサクッ、


 しかし、レミリアとフランが明るくなったのは喜ばしい事だ。
 あのパチュリーとかいう娘が遊びに来てからは特に。
 以前は笑顔であってもどこか影があったように思う。
 親子だというのに親子らしい会話をした記憶が少ない。
 距離を置かれているのはどこか私に対して恐怖感があるからだろうか?


 サクサクッ、


 普通の会話で良いのだ。
 親と子の間で難しい話は必要無い。
 一緒の時間を過ごす事が大切だと妻にも良く言われた。
 娘の成長を見守る事が出来なかった妻も、生きていたら一緒に娘の作った菓子を食べることもできたろうに。
 

 サクサクッ、


 この平和がいつまでも続けば良い。どこまでも。
 もはや、人間と妖怪が殺し合う時代では無い。
 共生こそが正しい道だと私は信じる。
 子供達が笑って過ごせる世界を作る事が大人の務めだ。

 そうすればレイチェももう少し人間と歩み寄れるだろうに……。
 あの娘も人間に両親を殺されて以来ずっと人間を許せずにいる。
 
 不幸の連鎖だ。


 
 サクサクッ、


 許すことで過去を変える事は出来ないが、未来を変える事はできる。
 もういいのだ。
 呪いにも似た悲しみの連続を断ち切るには何かきっかけが必要だ。
 あの子達が自分の意思でそれを正しいと信じて手を取り合った。
 好ましい事だ。
 
 私には出来なかった事だ。
 嫌っていたわけではないがその一歩がどうしても踏み出せなかった。
  

 
 サクッ、


 ……どうやら知らぬ間に食べ過ぎてしまったようだ。
 残り少なくなったクッキーの袋を見て少し寂しく感じ、同時に急に喉の渇きを感じる。
 レイチェに美味しい紅茶でも淹れてもらうか。
 確か……もうすぐオークの長が尋ねて来るはずだ。
 まぁ、まだ時間はあるだろう。

 


*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*





「成功だねっ!」


 はじける笑顔で嬉しそうにガッツポーズをするフラン。


「諦めずに何度も練習した甲斐があったね」


 自作の出来に満足し、うんうんと頷くパチュリー。


「当然よ! このレミリア・スカーレットが作るからには、
 完全調和(パーフェクトシンフォニー)でなければならないのよ!!」


「出た、お姉様の完璧主義……」


「良い事じゃない。それと比べてフランは大雑把過ぎ」


「えぇ~だって、料理は適当で良いって何かの本に……」


「適切かつ妥当なって意味よ。
 もちろんいい加減なもので良いならいい加減に対応するのもある意味『適当』と言えるけどね」


「うぅ~んなるほど、要はバランスって事ね」


「そうそう……」


「じゃあフラン、パチェ。成功のお祝いにお茶会を部屋でするわよ!
 余ったクッキーも持って――」


 レミリアが何かに気付き、言葉を切る。
 三人が楽しそうに館の廊下を歩いていると、廊下の向こうから強大な妖気が近づいてきた。

 それは筋骨隆々の巨大な体躯をし、重厚な鎧に身を包んでいる。
 鋭い眼光に頑丈な牙、豚の顔をしたその怪物は『オーク』。
 何故この館にいるかわからないが、会ってしまっては慌てて引き返すのも失礼というものだろう。
 見ればレイチェがオークの前を先導するように歩いている。
 という事はお父様の客か?
 ならば無礼の無いように静かに通り過ぎた方が良いだろう。
 フラン、パチェに目配せしてオークとレイチェの横を過ぎようとした時――、



 ――ボフゥウウウッ、



 突然、オークの荒い鼻息で風が巻き起こり、横を通り過ぎようとしていたレミリアのスカートが翻る。


 ふわっ、


「ちょ、ちょっと――」


 慌ててスカートを直すように押さえつけると、キッとオークを睨み付ける。
 オークはギラついた目で三人の小娘を見回すと、盛大に溜め息をつく。


「人間臭いな~この館は何時からこんなに人間臭くなったのだろうな~」


「……」


「お姉様……」


「レミィ……」


 人間は妖怪にとって食料や殺戮の対象でしかない。
 大多数の妖怪がこういう態度なのだ。
 そう考えるとレミリアの父は理性的な方であると言える。
 長年の人間と妖怪の関係、一朝一夕では埋めようも無い距離だ。
 そもそも互いが歩み寄ろうとはしない。

 妖怪は人間を蔑視して、人間は妖怪に恐怖する。
 それが現実。
 この廊下でのやり取りが社会の縮図であると言える。

 レミリアは「心配しないで」とフランとパチュリーを背中に隠すようにオークの前へ歩み出る。


「……お客様。私はこの館の当主の娘、レミリア・スカーレットでございます。
 貴殿のご来館を心より歓迎いたします。
 私の後ろにおりますのは私の友人。どうかお戯れはご容赦下さい」

 
 スカートの裾をつまみ淑女の礼を返すと、
 オークは吐き捨てるようにフンッと鼻を鳴らすとずぃーとレミリアの顔を凝視するように近づける。
 いきなり顔を近づけられ思わず仰け反るレミリア。


「友人だぁ~人間が? くだらない事を……いいか吸血鬼の小娘。
 忠告しといてやる。今までも妖怪が誰しもが人間との共生を望まなかった訳ではない。
 もちろん儂は違うがね。その夢がことごとく潰えて今に至っている。
 それが何故か考えた事はあるか?
 ただの不幸が重なったとでも?
 その熱もいずれ冷める時が来る。
 取り返しのつかなくなる前にやめておくんだな」


「ご忠告感謝致します。しかし、私の友人を侮辱しないでいただきたい!
 過去の経緯は浅学ゆえ知りません。
 けれど、私はこの眼で視て、この耳で聞いた事しか信じませぬ。
 若輩ながらも私はこの人間の娘であるパチュリー・ノーレッジを友にできた事を誇りに思っております」

 
 レミリアは怒りを露わにすると、オークは再び鼻を鳴らすと近づけた顔を遠ざける。
 レミリアの背後で姉と同じ怒りを覚えるフランと、怯えた表情のパチュリーを見て再びレミリアを見つめる。



「お客様……そろそろお時間です。
 主様もお待ちかねですよ」



 レイチェが懐中時計を出して、オークとレミリアの間に身体を滑り込ませる。



「忠告はしたぞ。吸血鬼の姫」


 それだけ言い残し、興味を失ったようにレイチェの後について巨体を揺らしながら廊下を歩いて行く。

 
 











「――は、はぁああ……こ、怖かった……」










 へなへなとその場に座り込むレミリア。



「だ、大丈夫!? レミィ!!」


「お姉様! すっごく格好良かったよっ!!」


 腰の抜けたレミリアを気遣うように肩を支えるパチュリーと興奮気味に姉の手を握るフラン。
 それもそのはず、いくら妖怪として格下のオークとは言えその力は現在のレミリアより遥かに上である。
 そして何より、レミリア・スカーレットは決定的な弱点はその闘争本能の無さだ。
 友を侮辱された怒りで思わず言ってしまった後、内心戦々恐々としていた。

 レイチェを教師とし淑女の作法や勉学、戦闘訓練を学んではいるが、
 どうしても戦う技術を身につけようとする気にならなかった。
 他を傷つける技術に嫌悪さえ覚える。
 サボるのも戦闘訓練の時が多く、
 その度にレイチェに怒られもした。
 それでも戦う事の意味が見出せなかった。
 必要性が無い。ただそれだけ。

 潜在能力はあるはずだが本人の意思が無ければどうしようもない事だった。
 レミリアがここまで吸血鬼の力を拒否するのはフランの影響が大きい。
 小さい頃から吸血鬼の呪縛とも言える巨大な力をその身に宿したフランの姿をずっと見て来たレミリアは、
 知らず知らずの内にその力自体を憎むようになった。
 
 力など必要無い。
 そうすればフランもこんなにも苦しまずに済んだのに……。



「だ、大丈夫大丈夫……私は誇り高き――」


「はいはい、わかったから。フランそっちの肩持って、一人じゃ無理」


「オーケイッ!」


「ちょっと! 最後まで言わせてよ!!」


「青ざめた顔で何言ってんのよ、まったく……。
 でもレミィ……ありがとうね」


「え、パチェ?」


 レミリアがパチュリーを見ると少し頬を赤くした顔を隠すように俯いていた。
 
 






*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*








「お主の娘に先程会った」



「そうか……」


「お主は何も言わぬのだな……」


「娘が自分で決めた道だ。親がとやかく言うものでもあるまい」


「間違った道を選んだら諭してやるのが親の務めではないかね」


「それも一理、我が言葉も一理だ」


「まぁ儂には関係の無い話だがね、所詮。それよりそこの菓子……貰えるかな?
 先程より甘い香りがするが……」


「だ、駄目だ。これはやれん!」


「何故だ」


「どうしてもだ」


「まさか愛しい愛しい娘の手作りだからやれん、とか言うのではあるまいな?」


「……おお~い、レイチェ。茶菓子が切れた。何か持って来てくれ!」


「ブゥウウ……だから甘いというのだ親子そろって……」




















―第六十六話 「十重二十重に」、完。



―次回予告。

≪幻想郷は、予想以上に騒がしい日々をおくっていた。

 流れ着く来訪者は日に日に増えて行き、夏の亡霊たちも戸惑っているかの様に見えた。

 そんな全てが普通な夏のある日。
 それは静かに、音も無く、始まった。







 次回、東方英雄譚第六十七話 「東方幻夢郷」 ≫






[7571] 第六十七話 「東方幻夢郷」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/07/17 09:01
   


                 ―0―




 幻想郷は、予想以上に騒がしい日々をおくっていた。
 流れ着く来訪者は日に日に増えて行き、夏の亡霊たちも戸惑っているかの様に見えた。

 そんな全てが普通な夏のある日。
 それは静かに、音も無く、始まった。














                  ―1―





 ここは、幻想郷の境に存在する古めかしい屋敷。その歴史を感じさせる佇まいは、如何な
 る者の来訪を拒んでいる様だった。この家には何故か人間界の道具と思われるものが幾つ
 か在る。用途のわからない機械、書いてある事がまるで理解できない本、雑誌。

 外の世界では映像受信機だったと思われる鉄の箱も、只の霊気入れになっていた。人の形
 が映っていた物には霊も宿りやすいのよと、彼女は自分の式神に教える。

 境界の妖怪『八雲 紫(やくも ゆかり)』はここに居た。
 彼女は、幻想郷の僅かな揺らぎに気付いた。
 
 といっても、博麗大結界に穴が開くわけでもなく、修復が必要な傷も存在しなかった。
 それほど小さな気付き、それだけなら異常なしと判断しようとした時、妙な違和感を覚えた。
 普段余り出歩かない彼女にとって自分から動く事は、凄く面倒な事だったのだ。

 「そうだ、たまにはあの子の様子でも見に行こうかしら」

 こうして紫は、同じく幻想郷の境に存在する神社を目指して出かけた。そこに一人の知り
 合いの人間がいる。

 その人間は、いつでも呑気で退屈しているはずである。
 どんな仕事でも必ず引き受けるに違いないが、正体のわからない不安の素を探せというのも無理な話だ。

 ただ、一抹の胸騒ぎを覚え紫は動いた。








                   ―2―




 数少ない森の住人である普通の少女、霧雨 魔理沙(きりさめまりさ)は、
 普通に空を飛んでいた。

 じりじりと熱い太陽の日に焼かれ、吸血鬼だとひとたまりも無いだろうなと思ったのだった。
 勘の普通な少女は、起こっている異変に気付かずただ普通にいつものごとく神社へお茶をたかりに行く。


  魔理沙「きんきんに冷えた麦茶がいいな~」


 化け物も水がないと生きてけないのだろうと、実に人間らしい考え方である。


  魔理沙「どうせいつものごとく暇してるだろうし、話し相手になってやるか」


 少女は、適当な言い訳をしつつ滅多に参拝客が訪れないこの神社を目指した。
 









                   ―3―




 ここは東の国の人里離れた山の中。
 博麗(はくれい)神社は、そんな辺境にあった。

 この山は、元々は人間は棲んでいない、今も多くは決して足を踏み入
 れない場所で、人々には幻想郷と呼ばれていた。
 幻想郷は、今も相変わらず人間以外の生き物と、ほんの少しの人間が
 自由に闊歩していたのだった。
 
 人々は文明開化に盲信した、人間は生活から闇の部分を積極的に排除
 しようとしていた。
 実はそれは、宵闇に棲む生き物にとっても、人間との干渉もなくお互
 いに気楽な環境だったのだった。











                    ―4―




 平和だった。
 平和そうに見えた。


 そう異変とは、誰も気が付かない内に、何時の間にか……、
 


 その異変は紅霧が幻想郷を覆う事も、
 長い冬が訪れる事も、
 月が隠れる事も、
 花や怨霊が咲き乱れる事も無かった。
 ただ静かに、ひっそりと、しかし今までにない程危険に……それは訪れた。


 そして、博麗神社の巫女、博麗霊夢(はくれいれいむ)は……。














*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*








《ある夏の日、幻想郷》






「よ~すっ!! 霊夢居るか? 勝手に上がらせてもらうぜ!!」



 玄関を使うという事を知らない霧雨 魔理沙はいつものように縁側から部屋へ上がり込む。
 霊夢の行動パターンは決まっている。
 いつもならまた来たのと鬱陶しげに返事するか、居間でお茶をすすりながら煎餅を暇そうにかじっているかだ。
 たまに思い立ったように神社を掃除しているがサボりがちでよく休憩をしている。


「おお~い! 霊夢どこだ~? 麦茶ちょ~だい!!」


 
 霊夢は面倒臭く返事はするが無視する事は無い。
 ということは出かけているのか?
 鍵もかけずに不用心な。
 そういいつつ魔理沙も家に鍵をかけたことはない。
 というか幻想郷では鍵をかけるという習慣自体ないのかもしれない。


「ここか~霊夢?」


 適当に探していなかったら、秘蔵の煎餅を貰って『魔理沙、参上』と張り紙をしておけば面白いだろう。
 そう思いつつばりばり煎餅をかじりながら部屋を散策する。
 行儀が悪かろうが気にしない。
 適当に部屋の襖を開けて行くと、開けた部屋に予想外の人物がいた。







「魔理沙……来たのね」







 その人物は魔理沙にとっては苦手の部類に入る。
 いつも何を考えているのかわからない胡散臭い微笑で魔理沙や霊夢をいじっている妙齢の女性。
 美しい金髪の間から思慮深い瞳が魔理沙を捉える。

 『八雲 紫』

 幻想郷最古参の妖怪の一人であり、最強の妖怪の一人であり、賢者と称えられる妖怪の一人である。
 幻想郷を包む博麗大結界の提案者の1人であり、幻想郷の創造にも関わっているとされている。
 一日12時間以上も寝ており、その上冬眠までする(らしい)ので、自ら活動する時間がかなり少ない。
 そのため、本来なら自分でやるはずの結界の監視作業などの雑務も式神の藍にやらせている。

 そして、彼女が動くと言う事は……。



「霊、夢……?」


 霊夢を見つけた魔理沙は表情が固まる。
 この部屋に足を踏み入れた瞬間、どこかひやりと気温が下がったような気がする。
 そして部屋の中央、博麗 霊夢は床に横になっていた。

 布団に寝ているので普通に考えたらただ昼寝をしているように見える。
 だが、ぴりぴりと感じる異様な雰囲気がそれだけではない事を示唆している。













「……霊夢の……呼吸が止まっている」




















「えっ……?」





 ……。



 …………。



 ……………………。





 遠くで、

 蝉の鳴き声が嫌に頭に響く。


 紫の発した言葉に、世界が時間を止めた気がした。


 ふらふらと部屋へ力無く足を踏み入れる魔理沙。
 

 おそるおそる、手を……霊夢の口へとかざす。


 冗談だろ?


 おかしいだろ?


 霊夢の呼吸は確かに止まっていた。


 そんな、

 
 そんな馬鹿な事が……。




「心拍も停止している」




「どうして……」



 霊夢、



         霊夢、




                霊夢ッ!



「お、おい嘘だろ! なんとか言えよッ!! 何してんだよ!!」


「魔理沙、落ち着きなさい」


 寝ている霊夢を起こすように激しく揺さぶる魔理沙を紫が手で制した。


「これが落ち着いていられるかッ!! なんで霊夢は死んだんだよッ!!」


「だから、落ち着きなさいって!! 霊夢は死んでないわ。仮死状態になっているだけ!!」


「か、し……状態……?」


 ぐるぐると紫の言葉が頭を回り、混乱する魔理沙。
 死んでない?
 何言ってるんだ?
 呼吸も、心臓も止まっているのに?



「正確には魂が一時的に抜けた状態、ということね」


「魂が……」


 少しずつ落ち着きを取り戻し、魔理沙の思考が蘇ってくる。
 魂が抜ける……仮死状態……。
 霊夢は……死んで、ない!?


「どうして、なんで霊夢の魂が抜けたんだよ」


「それを今調べているところでしょ」


 見ると、紫は霊夢の頭を包み込むように両手を添え、そこに結界の術式が浮かんでいる。
 正座をして霊夢の顔を覗き込むように屈み、目を瞑る。


「少なくとも今、霊夢が動けないからと言って博麗大結界が崩れることはない。
 こんな事私も初めてよ。正直言ってわからないわ」


「わからないって……霊夢の身に何かあったら博麗大結界に異常が起こるんじゃないのか?」


「普通ならね。でも何も異常が無いのよ。だから霊夢がこうなっている事の発見が遅れた。
 私が気付いたのは魔理沙、貴女がここへ来る数刻前よ」


 昨日遊びに来た時は普通に霊夢はいた。
 という事は昨晩から今朝にかけて何らかのトラブルが起こったという事だ。
 

 そして、魔理沙は行動する。
 自分が今何をすべきを冷静に判断するため、紫に問う。



「私に何かできることはないか!? 何でもいい、私に何ができる事を教えてくれ!!」


「境界の方は私達の専門、すでに藍には結界に何かあったらすぐに知らせるよう言ってある。
 貴女には霊夢がいない間、もし何らかの異変、妖怪と人間のトラブルが発生した時の対処をお願い。
 博霊の巫女が動けない今……。
 頼れるのは……ずっと霊夢と一緒に戦って来た魔理沙、貴女だけよ」


 その言葉を聞いた瞬間、魔理沙は唖然とした。
 霧雨 魔理沙は魔法を多少使えると言っても普通の人間の小娘でしかない。
 種族魔法使いであるアリスやパチュリーのような力も無い。
 不老不死でもなければ妖怪のような強大な能力も持ち合わせていない。

 異変の度に霊夢に負けじと解決に乗り出すが、所詮は真似事だ。
 異変解決は博霊の巫女の仕事。
 自分はいつまでたっても脇役でしかない。
 
 紫にしても直接は聞いたこと無いが、魔理沙の事を目障りな存在と認識していると思っていた。
 その紫が頼るだって? 頼むだって?
 この私に? 
 何の取り柄も無い普通の人間の小娘に?

 脳が痺れた。
 誰かに認められるという事がこんなにも嬉しいなんて思わなかった。
 心臓がゆっくりとだが早くなっていく。
 興奮している。
 今までにないくらい。

 そして霧雨 魔理沙は八雲 紫にこう言ってやる。


「私に任せろ! 霊夢が戻るまで私がもたせてやるぜ!!」


「ふふ、頼もしいわね」


「守矢の風祝も声をかける。私一人じゃ大変だからな!」

 
 幻想郷は博霊の巫女が抑止力となって妖怪と人間の調整を行っている。
 もし、博霊の巫女が不在としれたら今まで息を潜めていた不埒な輩がこの隙に乗じて動き出すかもしれない。
 だから、この事は決して口外することはできない。
 あの耳聡い烏天狗に悟られぬ内に、早く、確実に博霊の巫女を復活させねばならなかった。



「霊夢が魂を失った原因、それはわからない。
 何者かの手によるものなのか、それとも別の要因か……。
 現状では情報が少なすぎる。
 もし仮に霊夢一人を狙った者がいるなら私は決して許しはしない。
 この幻想郷の平和を脅かすモノに私は容赦しない」


 紫の迫力に気圧される魔理沙、
 膨れ上がる怒気はその矛先を向けられていない魔理沙でも背筋が凍る程だった。



「私はこれから霊夢の魂を探しに行く」


「探しに行くって……どこへ?」


「魂が抜け出た足跡を追う、境界は私の専門分野。
 『八雲 紫』の名に懸けて必ず霊夢を連れ戻してみせる!!」



 紫が手を打ち鳴らし、広げると霊夢の頭を覆う程度の大きさだった結界が霊夢の全身が入るまで広がる。



「魔理沙、これは異変よ。
 まだ名も無き静かな異変、何としても解決してみせるわ」























―第六十七話 「東方幻夢郷」、完。



―次回予告。











 次回、東方英雄譚第六十八話 「天蓋、白面」 ≫







[7571] 第六十八話 「天蓋、白面」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/08/01 06:38



 白い空間だった。

















































 何も無い。






























 右を見て、左を見て、地平線の彼方まで何処までも白く。
 しかしどこか居心地が良い。
 何も無いというのに安らぎさえ感じる。
 ここに来るのは何度目だろうか……。

 幾度も挑戦し、ここへ来ては見た物の未だ目的を達成できていない。
 今日も収穫無しか……そう思い諦めようとしたとき……。










 鳥居……?








 いつの間にあったんだろう。
 私が気付いた時にはすぐ目の前に神社の入り口である深紅の鳥居が姿を現していた。

 受け入れられたのか?
 ようやく見つけられた。

 何度もここに来てはただただ白い空間が広がるだけで、何もできなかった。
 だが、その苦労もようやく報われたようだ。
 私は鳥居に迷いなく足を踏み入れた。
 そのために来たのだ。

 そこは神社だった。

 その神社は見覚えがある。
 そう……現実で寂れてしまってもう私もいつ行ったか思い出せないぐらい昔。
 でも見間違えることはない。
 間違いない……『博霊神社』だ。

 白い空間にぽつんと現れたそれは隔絶された場所として存在した。
 境内に踏み入れて、あまりに自然だったので反応が遅れた。


「空が……ある……」


 鳥居をくぐるまでは切り取られたように神社だけしかなかった。
 空も当然白く、神社の周囲もただただ白く。
 しかし、今は青い空が広がり雲が棚引いてる。
 日差しが気持ち良く、鳥が囀りながら空を散歩している。

 不思議だが、ここの住人の事を思うと自然と受け入れてしまう。
 私は神社の境内を進み、住居部の玄関の前に立つ。


 どき、

      どき、

            どき。


 唾を飲み込み、玄関の戸に手をかける。


 ……。


 …………。


 思い直し、縁側へ回り込む。

 そして、ここの住人は思いのほかすぐ見つかった。

 縁側でゆったりとお茶を啜る少女は私と瓜二つ。



「ようやく……会えたわね『博霊 霊夢』」



「ようやく……来たわね博霊 霊夢」




 ふと見ると、縁側に置いてある盆にもう一つ淹れたばかりのお茶が置いてあった。
 私は『霊夢』の横に座り、お茶を啜る。


「諏訪子に、ここへ来る方法を教わったわ」


「力が無いから時間がかかったみたいだけど、流石は私ね。センスはある」


 ずずっと、お茶を飲む『霊夢』。
 精神の深く、奥の奥。深層意識。
 最初は催眠術を諏訪子にかけてもらい自分の精神に意識的に干渉する方法を学んだ。
 慣れて来ると自分の中のイメージ通りに自分の精神世界へ入る事ができた。

 そこに彼女がいるから。
 
 もう一人の自分。
 物語の鍵となる少女。
 会いたい。
 私は会わなければならない。

 
「そうしょっちゅう敷地でうろうろされたらこっちも気になるからね」

 
 最初は自分のイメージ力が弱く、すぐ疲れてしまってまともに動く事はできなかった。
 『霊夢』の方も最初面倒臭くて無視してたらしいが、心境の変化だろうか。
 三顧の礼もやってみるものである。


「聞きたいことが山程あるけど、まず確認させて……貴女の目的は?」


「元の世界に帰る事よ。いくらゆっくりできても流石に寂しくなってきたからね。
 話し相手がいないとお茶も美味しくないわ」


「だったら、私達に――」


「協力はしない」


 一言でばっさりと否定されたため黙るしかなかった。
 『霊夢』はお茶を啜り、こちらの表情を伺うと溜め息をつく。


「貴女を助けたのは私が『不安』だったからよ。この世界に流れ着いて結構経つけど、
 未だ帰る方法もわからず日々を消化している。
 そこでもし貴女が死んだらどうなるかわからないからよ」

 不確定要素は排除したい。
 私に乗り移った『霊夢』の魂が私が死んで解放され元の世界に帰れるという保証はない。
 言わば『保険』だ。
 下手をすれば永遠に帰る方法を無くすか、私と一緒に消えてしまうかもしれない。
 ただそれだけ。

 つまり自分がよければ他はどうでもいいという事だ。
 ふざけるなと言いたい。


「『霊夢』はこの世界で何を見て来たの?
 みんな泣いて、苦しんで、それでも前へ進もうとして頑張っているみんなを見て何も感じないの?
 力があるなら、それを使わないのはズルい。
 私には力が無い。悔しいけど……貴女が助けてくれて力を多少使わせてくれるのはありがたい。
 でも、貴女は――」



「――勘違いしないで、いい?
 私はこの世界の住人じゃない。
 この世界の事はこの世界の住人が決めるべきよ。
 それが自然な形。部外者が口を挟むべき問題じゃない」


「私はこれから必死に戦うわ。
 大怪我するかもしれないし、死ぬかもしれない。
 それでも貴女は黙って見ているの?」


「泣き落としの次は脅し?
 自分を人質に取るなんて笑えない冗談ね」


「どう取ってもらって結構!!
 私は話し相手をしに来たんじゃない。貴女をこの世界に巻き込む為に来たのよ!!
 関係無いとはもう言わせない、意地でも関わらせてやるわ!!」


 立ち上がり、手を腰にかざす。
 腰に光の帯が出現し、変身ベルトが現れる。


「せっかちね……」



「変身ッ!!」








 ドォオオオオオオオオオオオオオオオオン!!






 
 縁側が吹っ飛び、神社の端が抉れるように崩れる。
 爆風に吹っ飛びながらも、『霊夢』はやれやれと溜め息をつきつつ空中で正座の状態でお茶を啜る。




「自分の事だから察しはついたけどね。私はこんな熱血だったかしら?
 でも頑固なところは一緒ね」



 ふわりと空中で一回転し軽やかに着地すると、お祓い棒と札を構える『霊夢』。


 対峙するのはライダースーツに身を包み、倒壊気味の神社から現れる私。


 どっちが悪役かわからないが、関係無い。
 どんな手段を使おうとも『霊夢』を引きずり出せばそれに見合った対価は十分。


「霊の札」


《Homing amulet》


 手に力が籠り、札が光輝く。
 応戦する『霊夢』の手にもいつの間にか札が握られていた。
 散弾銃のように発射された札は空中で交差し、互いの存在を否定するように打ち消し合う。

 私は接近戦に持ち込んだ。
 私の力は所詮『霊夢』から借りた物だ。
 本来の持ち主である『霊夢』と互角に渡り合う事はできてもそれを超える事は決してないと判断したからだ。
 だからこそ『霊夢』との差異を比較した時のアドバンテージはこれしかない。


「ライダーキック!!」


《Rider kick》


 エネルギーの充填が完了する。
 足の先へ膨大な力が流れ、紫電が飛び散る。
 もしこれが生身の人間であればとてもじゃないが無事ではいられないだろう。
 だがここは現実の世界では無い。
 全ては仮想。
 幻。
 ならば、全力でも問題は無いはずだ!

 轟ッ!!

 唸りを上げる。
 スーツも着ていない『霊夢』には認識できるスピードでは無い。
 そう確信し、容赦無く振り降ろした。


 
 ――トンッ、



 そこで私は『博霊 霊夢』という存在を再認識する。
 動物は本能で危険を回避するように行動する。
 それが命を持つモノの当然の反応であり、それが生き残る術である。
 だが、それは『逃げる』事を前提にした行動だ。

 この場合、当てはまる言葉では無い。
 私に油断があったかと言われれば、当然油断などあるはずはないと断言できる。
 そういう気持ちでこの場に来てはいない。
 そういう認識でこの場に立ってはいない。
 
 ただ、単純に『伝聞』と『現実』が違っただけだ。


「『弾幕ごっこ』って知ってる?
 私達の世界で流行っているお遊びよ」


 『霊夢』の瞳が私の視界を覆う。
 そのまま口づけてしまいそうな程近く彼女は居た。


「人間と妖怪が対等に勝負できる決闘方法よ。
 その速度に比べたらまるでそよ風ね」


 天才はいる。悔しいが……。













 
                 ――神霊『夢想封印』――
















 あの時、私だったら距離を取ろうと後ろへ下がるだろう。
 稲光を帯びた電光石火の蹴りが発動している中へ飛び込むなんて。
 その瞬時の情報解析と判断力。
 ゼロ距離が正面安置であると結論したのだ。
 同時にその一手は防御が最大の攻撃となる妙手だった。
 ライダーキックの発動後、無防備になるその一瞬。
 かわす間もなく放たれたスペル。

 もっと、いやもう少し良い勝負ができると思った。
 これまで必死に戦い少しは実力がついたと良い気になっていただけだった。





 ―――ドドドドドドドオォォオオオオオオオオオッ!!




 砕け散ったスーツは私の敗北感の現れ、崩れかけた神社へと突っ込む。
 怪我は無い。
 スーツどころかベルトも消え去った。
 仮想空間でなければ死んでもおかしくない威力だった。
 これが『差』か……私と『博霊 霊夢』との。

 所詮は借り物の力だ。
 所詮は借り物の存在なんだ私は……。

 自分の力ではどうすることもできない。



 ――私は……なんて情けないのッ!!





「もう帰りなさい。力は今まで通り貸しといてあげる。
 まぁ家賃の代わりってところで……。
 たまに遊びにいらっしゃい。話し相手がいないと私も寂しいからね」



 ひらひらと手を振り、去って行く『霊夢』。
 それで終わりとばかりに。
 それで終幕とばかりに。




 しゅるりと解けたリボン。
 リボンの端に赤黒い血が付着している。

 その血は何だったのか?
 それは誰の血だったか?

 私は何故そのリボンをいつまでも身につけているのか……。
 思い出せ、
 決意を思い出せ、
 あの悔しさを思い出せ、

 ならば、しかし、だから、そうなら……今一度立ち上がれ。










 ――パチパチパチッ、








「……何の真似?」


 
 私は立ち上がり、拍手をしていた。
 その様子をいぶかしんだ『霊夢』が振り返る。



「アンコールよ……」



 両手を腰に添える。
 魔理沙なら、
 『お前はそうやって高見から……。
  こっちゃ地べたに足をついて生きてる人間だぜ!』と啖呵を切るだろう。
 なら私ならこう言ってやる。



「正直言ってあんたムカつくのよ!!」



 腰に一筋の光が輝く。



「だから、一発殴らないと気が済まないわ!!」




 赤いリボンを結び直し、少女は再び戦いへ。
 



 ≪Standing by≫






「ふん、言うじゃない!! ならさっさとしなさい、殴りたいんでしょ? 私を」


 にやりと笑いこちらへ向き直る『霊夢』。
 シンプルでいい。
 思いは単純な程、力強く美しい。
 『霊夢』は自分と同じ顔を見つめる。
 その瞳は写し鏡のように力強い意思を感じる。
 借り物の力でよくもそんな盗人猛々しいセリフを吐けるものだと呆れる。
 だが、こうも正々堂々と言われるといっそ清々しくもある。


 私ってこんな感じなのかしら?


 『霊夢』改めて自分を見つめる。
 思い当たる節が多々無いわけではないが……。




「『霊夢』貴女は観客じゃない。
 この私の中に入った時点で貴女もこの世界に存在する一つの命なのよ」


 世界を支えるのは命であり魂だ。
 焚火にくべられた命の炎は燃え盛り熱を帯びる。
 その熱がエネルギーとなり歴史を支えている。

 この世に関係の無い存在など無い。
 配役は違えど全てが役者として舞台に立っている。
 『観客』など存在しない。
 傍観して拍手を送るのは貴女ではない。



「では確かに私が『ここにいる』という証明をしてもらえるかしら?」


 

 互いに不敵に笑い、構える。
 『霊夢』の言う事は間違ってない。
 だけど……間違ってないから正しいとは思えない。

 口では何とでも言える。
 人間の言葉は舞い散る木の葉よりも軽いのだから。
 だから、行動する。
 その言葉が嘘にならないように、
 その言葉が真実になるように。



 



「ライダ――」







 少女の身体が再び光に包まれる。
 命の輝きは何時でも美しいものだ。
 
 それが決意の証なら。
 それが曲げられぬ思いなら。


 ――だから繋げていく。
 いつかこの『光』が世界全体を覆う時が来るまで。







「――変身ッ!!」























―第六十八話 「天蓋、白面」、完。



―次回予告。
≪それは代償行為だった。

 やり直せるものならやり直したい。
 時を巻き戻して、もう一度みんなと出会い直したい。


 今度は、間違えないから。










 次回、東方英雄譚第六十九話 「日常」 ≫







[7571] 第六十九話 「日常」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/08/07 23:18
≪守矢神社≫



 つっ――、

 霊夢の額から汗が伝う。
 座禅を組んだ姿勢のまま微動だにしない霊夢は始めてから数時間経過していた。


「霊夢さん、大丈夫でしょうか? 今日はやけに長いですけど……」


「ひょっとして……成功した、かな」


 心配する早苗が諏訪子に尋ねると、どれどれと霊夢の表情を覗き込む。
 
 霊夢が自分の精神世界に入りたいと言われた時、人間の身で上手くできるかどうか不安だったが……。
 どうやら諏訪子の心配は杞憂だったようだ。
 儀式はそれに合った場所で行うのが一番良いということで、守矢神社へ霊夢の時間が空くたびにこうして座禅を組んで来た。


 諏訪子が見つめた時、いきなり霊夢の目がくわっと開いた。


「うおっびっくりした!」


「はっ、はぁ……」


 荒い息をして周囲を見渡す霊夢に早苗は冷えたお茶を出すと、霊夢は迷わず一気飲みした。


「霊夢さん会えましたか?」


「会えたわ……そして戦いを挑んだ」


「で、どう? 説得は……」


「10戦10敗……惨敗……」


「失敗ですか……」





『――いいえ、成功よ』






 霊夢の口から出た言葉だが、明らかに雰囲気が変わった。



「『博霊 霊夢』かい?」


『えぇ、今は声だけ借りてるから霊夢も起きているわ。
 完全に身体の支配権を取るには眠ってもらわないといけないけど』


「協力する気になったの?」


 諏訪子が尋ねると鬱陶しげに答える『霊夢』


『だいぶ慣れて来たから明日は20戦いけそう……なんて言うからね。
 精神世界じゃ怪我でお休みなんてないから何度も何度も向かって来たわよ』


「いいじゃない。協力の見返りに最高級の玉露を毎日飲み放題にしたんだから」


「えっ!? 妥協点そこ? そんな条件で手を打ったの?」


 同時に起きている霊夢の言葉に諏訪子が突っ込む。
 諏訪子に申し訳無さそうに手を合わせた霊夢。


「だからごめん諏訪子。諏訪子のおやつ代……当分カットで」


「えっ!?」








 諏訪子の時間が止まった。








「し、しししかし、それとこれとは別では……?」


 諏訪子が青ざめた表情で霊夢に問いただす。


「けっこう家も同居人が増えて来たから家計が……」


 早苗から諏訪子の食事代で入れてくれる分を差し引いても赤字気味。
 チルノからも貰ってはいるが兵器開発等で莫大なお金がかかっているらしく結構厳しい。
 その上新たな同居人『博霊 霊夢』は食事等には必要ないが、お茶にすごいこだわりがあるらしく。
 説得の時も明らかに食いつきが違った。
 カテキン中毒なのだろうか?


「さ、早苗っ!」


「駄目です」


 早苗にお小遣いの増額を要求しようとした直後、笑顔で否定された。


「諏訪子様はお菓子の食べすぎです。神だから虫歯にならないからという問題ではありません。
 前から思ってましたが諏訪子様はetc.……」

 
 いきなり早苗の説教が始まった。
 今度は諏訪子が何故か正座して涙目になっている。

 自分の神社で意外に立場が弱い事に霊夢は苦笑するしかない。



『うふふ……これで出がらし十三杯目ともおさらば。
 良いお茶飲んだ事無いから想像のお茶も水っぽかったし』


「幻想郷での私は一体どんな生活してたのよ……」













*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*






≪あるアパートの一室≫



「ただいま~」



 仕事疲れで声に張りが無いまま玄関の戸を開けた。
 右手には仕事用のカバンと左手には夕飯の食材が握られている。
 いつもなら明るく可愛らしい声が満面の笑みで私を迎えてくれるが――、



 ――ボフゥ、



 今日はどうやら違うようだ。
 顔にへばりついた細いが粘り強くコシがある。
 


 ――カサカサッ、


 う、うわっ何か這いずった!
 触感がっ、微かに触感がっああ!!




「うひゃっああああああああああああああ!!」




 玄関で両手が塞がりながら暴れるユニークな人物……それが私、射命丸 文です。
 その騒動に気付いたのかバタバタと足音を鳴らして走って来る同居人。


「ど、どうしたんですか!? 文さん!!」


 慌てて暴れる私をどうしていいかわからずオロオロする椛。


「我が同胞が迷惑をかけたようだ、すまないね」


 奥のドアから椛に続いて出て来た人物に文は溜め息をついた。


「玄関を入ってから……いや正確にはこの蜘蛛の糸が顔に絡み、
 私の顔を蜘蛛が這いずった感触を確認した時点でわかってたんですけどね……ヤマメさん」


 てへっと舌を出し、照れる仕草は可愛いとは思いますが許しません。
 黒谷 ヤマメが土蜘蛛という妖怪の種族だと聞いて最初ふーんとしか感想が無かったが、
 彼女がこの部屋に遊びに来た時……射命丸 文は実感しました。
 どうも眷属である蜘蛛が彼女が居る所自然に集まるらしく、森みたいな広い土地がある所や大きな建物ではわからなかったが、
 こうして小さなアパートでは露骨に姿をよく見かけます。
 まぁ蜘蛛は害虫を食べる益虫として名高いですが、もう少し巣を作る時と場所と場合を考えて欲しいものです。
 (TPOです、TPOッ!!)


「すいません。取ってもらっても……流石の私も直触りはちょっと」


「あいあい、都会の軟弱物には刺激が強かったかしら。
 ごめんねタカハシ君。ちょっとどっか行っててもらえるかな」


「名前が……すでに……」


「むふふ、ちなみにこの前君の顔にダイブしたのはササキ君だ」


「そうですか、ではそのササキさんにもくれぐれも注意するように伝えて下さい」


 盛大に疲れた顔をして靴を脱ぐと、すっと両手が軽くなる。


「お疲れ様です文さん。お風呂沸いてますよ。ご飯の用意は私がやっておきますので」


 私の両手の荷物を持ち、優しい言葉をかけてくれる天使に心が救われる。
 白狼天狗化した凛々しい顔つきも良いですが、人間モードの椛は何と言うか……癒されます。
 記者として全国を飛び回る仕事のせいで知らず知らずの内に生活が怠慢になり、
 飯を作るどころか買いに行くのさえ面倒に感じていました。
 チルノさんの事言えないですね。


「くしゅっ」


「風邪ですか? 椛」


「えぇちょっと……でも軽いものです。熱も無いですし」


 椛を最初預かると言った時、当初私は椛を警戒していました。
 西行寺から出向という形で派遣された椛は言わばスパイ。
 お互い手札の分からない状態で一方的に相手に情報を渡すという事は不利を被る恐れがある。
 そのためチルノさん達が住んでいる霊夢さんの家で椛が寝起きするのを私は反対でした。
 
 しかし、椛の事を預かるようになってから段々と心が許せるようになり、
 仕舞いには椛に諜報なんてできるのかと疑ってかかるしまつ。
 チルノさんの方も最初変身ベルトを渡す事を躊躇っていたようです。
 技術の流出を防ぎたい気持ちはあるが、戦力的な面で視て限界を感じたのでしょう。
 椛の力は私達のチームの中では主力を占めるまでになったようです。


「今日は豪勢にすきやきです。じゃあ椛、下拵えよろしくね」


「はい、わかりました!」


「ちなみに私はいちょう切りが得意なんだが――」


「……食べます?」


「野暮な事を聞くなぁ君は」


 ヤマメが台所の包丁をくるくると手慣れた感じで回す。
 ご相伴に与ろうという魂胆を隠そうともせず、清々しいくらいです。
 まあ材料は多めに買って来たので足りなくなる事はないとは思いますが……。
 食材の調達は私が仕事帰りで買うのはいつもの事、料理は椛の担当です。
 後は椛達に任せて、ゆっくり疲れでも流しますか。


 
 数日前、チルノさんからベルトの件で椛が呼ばれた時、悪戯心で内容を椛に伝えないようにチルノさんにお願いしたのも私です。
 「行ったらわかるから」とだけ伝え、椛を連れて行きました。
 まさか実験があんな激しいものだとは思わなかったですが……まぁまぁ。
 椛が明るいのはいつもの事だが河城工房から帰って来てますます明るくなったようだ。
 その要因は、


 ぶーんっ、


 いつも何処からともなく現れ、私の横を通り過ぎるベルトのコア。
 人工知能を持ち、昆虫で言うところのクワガタムシを模して作られたそれを椛は『クワちゃん』と呼んで可愛がっている。
 可愛いなと思った時期が私にもありました。
 出会って数秒後、椛の「大人しいですよ」発言を信用した私は遭えなく指を挟まれました。
 千切れるかと思いました。
 その時のトラウマで未だに苦手です。

 その話をヤマメさんにすると、大笑いして床を転がっていました。
 じゃあ試しにと、ヤマメさんに触らせると難なく撫でられているではないですか。
 どういうことですか?
 私のいったい何が不満だというのですか?
 ヤマメさん曰く、「愛だよ」。
 椛曰く、「この子人見知りですから」。
 わけがわかんないよ。
 まぁ椛のよく耳を噛まれているらしいので慣れの問題でしょうか?



「ただいま」


 気さくに手を上げ話しかけると、クワちゃんは空中で止まりちらりとこちらを見ると、
 羽音を響かせ椛の頭に一直線に飛んでいく。
 そこが指定席とばかりにちょこんと椛の頭の上に乗る。
 ……この部屋の大黒柱は私なんですよ~だ。
 そっと囁き、私の頭は乗りづらいのかと思い悩みながら風呂へ入る。
 



*――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*




「クワちゃ~ん。行きますよ!」


 ほいっと椛が白ネギを空中へと放る。
 ぶーん、ジャキジャキンッ、

 ヤマメが持っている皿に食べやすい大きさに切られた白ネギがポトポトと落ちる。


「ほ~う」


「次行きま~す!」

 
 ほいほいっと次々野菜を空中へ放り投げるとクワちゃんが電光石火のスピードで次々と野菜を切り刻んでいく。
 ヤマメが皿をあっちへやりこっちへやりして切られて野菜をキャッチする。


「一家に一台!」


 超便利。
 本来の道具の使い方では無いと思わないでもないが、
 当然にチルノさん達には内緒だ。
 これも訓練の一環、動作確認だ。
 と、言い訳をしつつ準備を進める。





 ――ピンポーン、




「あれ、お客さん? こんな時間に……」


 椛が手を洗って玄関へ行くと、


「夜分遅くすいません」


「師匠! どうしてここに!?」


「元気そうですね、椛」



 椛が玄関の戸を開けると久しぶりに見た魂魄 妖夢の顔に思わず顔が綻ぶ。
 定期的に報告書で情報のやりとりはしているがこうして実際顔を合わせるのは九州で一緒に戦って以来だ。


「立ち話もなんですし、上がって下さい!」


「文さんは居ますか?」


「今、お風呂なんで……何か用事ですか?」


「いや、ちょっとチルノ博士に用事があってね。ついでに立ち寄っただけです。
 椛が世話になっていますからね」


 そう言って手に持つ袋から一升瓶を取り出した。
 酒好きの文にはたまらない一品だろう。


「おお~!! そ、それは……」



 風呂上がりで上気した顔がさらに興奮しているようだ。
 文はふらふらとした足取りで玄関へ歩いて来る。
 正確には妖夢の手にした一升瓶しか見えて無かった。


「幻の銘酒……『猿田彦の先導』!!」


 ほう、ほほ~うと矯めつ眇めつ凝視すると、若干あまりの勢いに引いている妖夢にキラキラした目を向ける。


「つ、つかぬ事を伺いますが! これをどうするとッ!?」


「貴女に差し上げます」


「どうぞお上がり下さい」


 お酒を文に渡してそのまま帰ろうとしていた妖夢は文の強引な誘いを断り切れずアパートの扉をくぐる。
 リビングではすでにすきやきの準備が万端で、後は食べるのみ。


「おお、貴女は確か……」


「お久しぶりですねヤマメさん」


「こりゃ、鬼退治チーム勢ぞろいだね!!」


 鍋もある。酒もある。気の知れた仲間がいる。
 後は騒ぐだけだ……なるべく下の部屋に響かないようにという条件付きだが。



 ぶ~ん、


「クワちゃんもお食事のようですね」


「へぇ~機械なのにお腹空くの?」


 ヤマメが興味深々でクワちゃんの様子を伺う。
 クワちゃんが家庭用のコンセントの近くへ行くと身体の脇からコードが伸びコンセントへ差し込まれる。
 ベルトは使用者のエネルギーで起動する仕組みだが、独立稼働しているクワちゃんのエネルギーは電気だ。
 身体に変換機が内蔵され家庭用のコンセントでも十分なエネルギーを確保できる。
 ただし、毎月の電気使用量が倍になっているため、文は時たま涙を流している。



 乾杯の合図と同時にまずは一献。
 すきやきを適当につつき、更に一献。

 それほど強くない妖夢以外の酒の進みは尋常で無く。
 すぐに持って来た一升瓶が空となった。


 


「酒ぇ~酒ぇ~」



 ぐでんと酔っぱらう文と飲み比べをしていたヤマメも同様だった。
 妖夢はその様子に呆れ、かなりアルコール度数の高い酒だったはずなのに水の如く飲む二人に驚きを通り越した。



「追加でお酒買ってきますね」


 当然、冷蔵庫の酒も全て消費してしまいこうなると椛が買いに走らされるのが常だった。
 ぶーん、「お出かけ?」とクワちゃんがちょこんと椛の頭に乗る。


「一人じゃ大変でしょう。私も行きますよ」


「師匠はお客様なんですから、ゆっくりしてって下さい」


「私も夜風にあたりたいんですよ」


 ついでに酒のつまみを要求する文とヤマメに溜め息をつきつつお金を受け取る。
 外に出ると部屋の熱気が嘘のように感じる。
 涼しい風が頬を撫で、程良く酔った身体が気持ちいい。


「楽しくやっているようですね」


「えぇ、皆さん優しいですし信頼できる人達です」


「そう良かった」


「幽々子様はお元気ですか?」


「いつも通り、何を考えているのかわからない所もあるけど……」


 その言葉に二人してくすくす笑う。
 

「……辛くないですか? 椛」


 その言葉に先を歩いていた椛の足が止まる。


「何のことですか?」


 屈託のない笑顔で振り向く椛。
 いつも明るく楽しそうに笑う椛。
 辛いことも悲しい事も全てを呑みこんで笑う椛。

 魂魄 妖夢は……静かに首を振った。


「何でもないです。それよりつまみ何を買ってくればいいんです?」


「チーカマとさきイカ、ホタテ貝柱、鮭トバ……」


「……そんなにまだ食べるんですか?」



 ついてきて来て良かったようだ。
 一人では抱えられないだろう。 
 いくら妖怪と言っても手は二つしかないから。
 ほろ酔い気分で鼻歌を歌いながら先へ進む椛。


 その背中を見つめる妖夢。


「貴女は一人で抱え過ぎなんですよ……」



 小さな呟き。
 耳の良いあの子は聞き取れただろう。
 しかし、椛は聞こえないかのように歩む足を止めない。




「椛……」


「はい?」



 ――バシッ!



「痛っ!? 何ですか師匠?」


 椛の頭を容赦無く後ろから叩く妖夢。



「貴女のこういう時の笑顔の方がよほど自然にできる。
 諦める時の笑顔ばかりうまいというのはおよそ健全な事ではないのですよ」


「し、師匠が何を言ってるのか……」






『椛は……その……故郷を滅ぼした存在をどう思いますか?』

 



 あの時の問いかけが甦る。
 少しは成長したと思ったが妖夢にとって椛はあの頃のままだ。
 変わらない。

 あの時、椛はなんと答えたか。
 今のように作った笑いで誤魔化したのではなかったのか?
 それは自分自身に対しての誤魔化した笑い。
 全てを諦めた笑顔。
 自分を蔑んだ瞳。

 チルノ達と一緒に戦う事でその問いかけの答えを見つけて欲しかった。
 過去に折り合いをつけ、現在を歩んで欲しかった。



「椛は……故郷を滅ぼした存在をどう思いますか?」


 椛の正面に回り、改めて問いかける。
 先程の作った笑いのまま固まり、椛は目を逸らす。


「逃げるな!!」


「は、はいっ!」

 
 妖夢の一喝にびくっと身体を硬直させ妖夢を恐る恐る見る。


「甘えるな! 答えなさい、椛」


「……」


 過去の積み重ねが現在の自分を作る。
 間違った積み重ねが自分を危うくする。
 こうも歪で、不安定な……。
 口を噤み、俯く椛。



「椛っ!!」



 ――ドンッ!



 妖夢は突き倒すように椛を押す。
 椛はまた殴られるのかと思い、咄嗟に頭をかばうように抱える。
 しかし、それ以上の追撃はない。
 呆れられたのだろうか? 
 余りにも情けない自分の姿に。



 ――ガシャッ、


 と、何かが壊れる音。

 椛は尻もちをついたまま恐る恐る目を開ける。




 ポタリ、ポタリ、




 妖夢は口を開きかけの状態で固まっている。
 妖夢の身体から突き出た巨大な一本の角。
 街灯の明かりで僅かに滑る液体が光る。
 
 妖夢の身体から少しして噴き出したモノが目の前で転がる椛の顔を汚す。
 それは良く嗅いだ事のある臭いだった。
 



























―第六十九話 「日常」、完。



―次回予告。
≪目を閉じているのに生きていて、
 目を開いているのに死んでいる。

 
 孤独を薄めてはならない。
 絶望を薄めてはならない。




 次回、東方英雄譚第七十話 「自鳴琴」 ≫






[7571] 第七十話 「自鳴琴」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/09/04 06:31
 涙で涙を洗い
 血で血を洗い
 死で死を洗い



 これが私の日常、普通、現実。
 私は救われてはいけない。
 私は助けられてはいけない。
 この笑顔は私自身をバカにした笑いだ。
 戒めだ。
 それがルールであり、戒律。
 
 夢、幻の如く暖かな日々に身を置くほどにズレが生じる。



 ……居心地が悪い。
 




*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*





 呆けた主の代わりに先に動いたのは従者だった。

 ぶーん、

 高速で飛行し、敵へ突進する。
 鋭い鋏は超高速で振動し、青白い光を放つ。

 街角の暗闇に蠢くモノに裁きの鉄槌を下すため容赦無い特攻。


 ―グガガアアアアッ!!―


 反撃を受けた影は身をよじり抵抗する。
 そしてその角の先、突き刺された少女の身体はほぼ分断された状態に近い。


 ずるりっ、


 どさっと地面に転がった少女の身体は皮一枚で繋がっている状態だった。
 その上半身は上を向き、下半身はうつ伏せの形を取る。
 本来ならあり得ない現象。状態。
 それが可能なのは生物として成立しないただの物体と成り果てたゆえだ。
 虚空を見つめる瞳にもはや力は無く、胸の上下も確認できない。
 それは当然だ。
 致命傷なのだから。
 生命活動は停止している。
 人間というカテゴリーではもはや取り返しのつかない破壊。
 



「あっけないのー。スーさんもそう思うよね?」



 声のした方へ椛が向く。
 街灯に照らされた夜道に不釣り合いな明るい少女が人形と遊んでいた。
 赤と黒を基調としたドレス。
 活発そうな瞳に金髪の髪、赤いリボン。
 人間ではない。
 体温を感じさせない少女は妖しく笑う。


「コンパローコンパロー」


 変な呪文を唱え、千切れた妖夢の周囲を踊る。

 
 足元に転がる白いコンパクトケースがあった。
 妖夢の懐からこぼれたそれは落ちた衝撃で表面が傷つき、
 妖夢の血で純白の顔にルージュを差すように……。

 嘘だ。
 これは夢だ。
 それか酔って幻覚を見たのか?
 だってそうじゃないか?
 師匠は鬼とも対等に渡り合えた人だぞ?
 最強の庭師、魂魄 妖夢なんだぞ?
 おかしい。
 ありえない。 
 こんなの認めない。

 
 

「……なんでどうして」


 夢ではない……のか?
 誰かそうだと言ってくれ。
 否定したい。
 証明されはいけない。
 信じたくない気持ちでふらふらと立ち上がる椛。


「まだ、まだ間に合うかも……どけ、邪魔だ……どいて……」

 
 間に合うはずもない……混乱している。
 消え入りそうな声。
 赤いリボンの少女はその様子を楽しそうに眺め、パチンッと指を弾く。


 ドドドドドドドドドッ!


 ぶーんっ、
 クワちゃんが椛の前へ立ちはだかり突進する黒い影の顔を目がけ飛行する。


 ――しかし、


 ドガガッ!

 
「クワ……ちゃん……」


 目の前で起こる悲しみ。
 散らばる身体の破片、コード……ぐしゃりと音を立てコンクリートの地面へ叩きつけられるクワちゃん。
 黒い影はそれで終わらず、ふらふらと立ち上がった椛をが突き飛ばす。



「ぐっあ……」


 住居の壁に叩きつけられた椛は呻きを上げる。
 そして自分を突き飛ばした化け物を朦朧とする意識で見た。

 それは一角獣……ユニコーンの姿に似ていた。
 額の中央に長い長い角を持ち、馬の形をしている。
 だが、伝説上は白く聖なる存在として描かれているモノとは違い。
 体中が黒く、瘴気を纏っていた。

 一角獣が嘶く。

 これだけ激しい騒ぎを起こし、周辺住民が起きてこないのはおかしい。
 結界がはられている様子は無い。
 とすればもう殺されている可能性がある。

 身体を腕で支えるように立ち上がろうとする。
 ……力が入らない。
 頭が混乱して動きが鈍い。

 これは……。


「あら~この『毒』 の中で良く動けるわね~」


 楽しそうにスキップしながら膝をつく椛の前へ立つ少女。


「私はメディスン・メランコリー。気軽にメディって呼んでくれていいわ。
 こっちの小さいのはスーさん。そして私の能力は――」


「『毒』……」


「大正解っ!」


 メディスンと名乗った少女の身体から噴き出したものを吸わないように息を止める椛。
 今更かもしれないが、直接吸うのは避けたい。
 そして合点がいった。

 いくら酒に酔ってるとはいえ、いつもの妖夢なら椛を庇い、自分の身を守るくらいできたはずだ。
 この毒……妖怪の椛でさえ身体が痺れる程のものなら、
 人間の妖夢ではその効果は絶大だろう。
 しかし……。
 椛は混乱する頭で疑問が浮かぶ。
 何故、この毒の臭いに気付かなかった?
 普段と違う空気の流れに気付くのは哨戒役としての椛の役割のはず……。



 くしゅっ、



 くしゃみをして改めて自分の愚かさに気付いた。





*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*




「遅いね~椛と妖夢……つまみが、酒が……」


 酔いが回って来たのかウトウトと頭で船を漕ぎながら文は思い出したかのようにグラスに手をかける。
 時間は既に深夜。
 普段なら次の日も仕事があるが明日は休みだ。
 どうしても夜更かしをしたい衝動にかられ、こうして眠い目を擦り起きている。

 文のその様子に呆れつつも自分も似たり寄ったりの状態のため苦言を呈すことができないヤマメはやれやれと溜め息をつく。
 

「まったくだね……あの二人は何処まで買い物行ったのか。
 酒が切れた瞬間テンションも切れると言うのに……」


 酒はまだ多少残っているが二人の酒豪の前では飲み干されるのも時間の問題だ。
 ふと立ち上がるとヤマメは玄関の方へと足を進ませ――、


「どこへ行こうってんですか~ヤマメちゃ~んっ!」


 その足を寝転がるように掴む文。
 酔っている事もあり、急に足を掴まれ盛大に前へ倒れるヤマメ。

 ドタッ、 ガンッ!

 ヒリヒリと打ちつけられた頭部を押さえつつ、悪戯をした張本人は爆笑してた。


「ひゃっははっは! ひーおかしいっ!! 『ガンッ!』だって……」


「殺す」


 すでに妖夢の持って来た酒は飲み干し、冷蔵庫の中の缶ビールや文所有の一升瓶も食卓に上っている。
 適当に残っている酒を探したヤマメは一升瓶を片手に掴み、文のバカ笑いを固定する。
 残る一升瓶の酒を一気に文のだらしなく開けた口に注ぎ込むヤマメ。


「ちょ、待っ――ごぼごぼっ……げほっ」


 二人が遅い事を心配したヤマメだが、あの二人なら大丈夫だろうという信頼もあった。
 それに突然の妖夢の訪問。
 何か話があるのではないかと思っていたが……椛と何かあったのだろうか?
 まぁ余計な詮索はしないでおこうと決めてヤマメは不埒な悪行を施した輩に制裁を加えるべく、
 さらに一升瓶の角度を上げた。





*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*




 カタカタカタッ、

 椛は震えた。

 取り返しのつかないミス。

 言い逃れのできない愚かさ。

 その震えは敵に恐れをなしたからではない。

 サッーと血の気が引き、背筋に冷たい汗が流れた。



 風邪で……鼻がバカになっていたんだ。こんな大事な時に。


 普段なら気にする事がない体調不良。
 だが、極限の戦闘行動において致命的な差。
 哨戒として情報の速度、精度は何より優先すべき事項であるし、それを怠った結果が最悪だった。


 地面に転がり、血溜まりを作る妖夢。
 本来なら……。
 いつもの状態であれば……。
 悔やむ、悔やむ、悔やむ。
 圧倒的な後悔が重力となり椛を地面へ縫い付ける。

 
 風邪で周囲の状況を探知する鼻が駄目になり、敵の接近に気付かなかった。
 加えて敵の操る毒は妖怪である椛でさえ身体が思うように動かなくなる程のもの。
 人間である妖夢では吸っただけで十分な戦闘能力の発揮を制限される。
 普段の椛なら、毒が周囲に立ち込めれば嫌でも気付く。
 些細な変化、状況に。
 また、
 普段の妖夢なら、椛を例え庇ったとしても自分も避け反撃もできたはずだった。


 そう……『だった』だ。
 戦いはスポーツではない。
 正々堂々、互いの状態が万全な状態で臨む事は非常に稀で、正々堂々の戦いを好む『鬼』が特殊なだけだ。
 騙し合い、出し抜き合いは当然で隙を突いたものが戦局を有利に進める。
 それが普通だ。
 これが私のいる『日常』だ。
 バカか私は。


「くっ……」


 椛の周囲に風が起こり、椛の身体を包む。
 今更ながら妖怪の正体を現す椛だが、それでも身体の痺れは残っている。
 ふらふらとした足取りだが、人間の姿では立ち上がる事さえできなかった事に比べたら幾分マシだ。


「へぇ~アナタも妖怪?
 でも何で怒ってんの?
 その人間がお友達だったから?
 でもそれこそおかしいね」


 スーさんと呼ばれた人形を肩に乗せて、両腕を交差するように後ろで組み椛を下から覗き込むように見るメディスン。


「何がおかしい……あの人は私の大切な――」


「それホント?
 本当にそう思ってるの?
 人間を?
 可哀想にまだ人間に騙された事なかったんだね。
 でも良かったね騙される前に死んでくれて。
 そうだよ、私に感謝してくれないとね」


 純真無垢な笑顔で言うメディスンに言葉を無くす椛。
 身体の痺れが脳にまでまわったかのように頭が働かない。


「違う、違う、違う……私は騙されてなんか無い。
 あの人は私の師匠で、私を大切に思ってくれて……」


「そう思ってるのはアナタだけ。
 人間の方は何とも思ってないよ。
 ただ使いやすい『駒』程度にしかね。
 何時だってそうだよ。何時だって……」
 
 
 言葉の毒、甘言。
 彼女の言葉は嘘を言っていないように見える。
 どこまでも純真で無垢な……。
 
 だが、それが罠だと椛は頭を振る。
 こいつは敵だ。
 だから、倒さなくてはならない。

 震える腕で刀を構える。
 力が抜け落としそうになるのを両腕で支える。

 ――その腕にメディスンは優しく手を添える。


「アナタはそっちにいるべきじゃない。
 私と一緒に行きましょう?
 妖怪は妖怪同士、人間は人間同士。
 それが普通だよ。自然だよ。無理をする事はない」


「黙れ……」


「何を義理立てしてるのかわからないけど。
 その『縁』も切れたでしょ?
 私が切っといてなんだけど。遅かれ早かれこうなった。
 私に殺されるか、別の誰かに殺されるかの違い。
 その点アナタはラッキーよ」


「黙れ……」


「敵対するものは皆殺しが相場だけど、私は違う。
 困っている仲間を見過ごせないわ。
 アナタは少し前の私と同じ。
 何も知らず、何も知ろうとせず。何かを知った気になっている。
 でもそれではアナタは不幸になるだけ」


 椛の刀が腕の振動を伝えカタカタと震える。
 それは身体の痺れだけではなく、何かを堪えるように押し殺す椛の心を表わしていた。
 メディスンは微笑み。唇を椛の耳に寄せる。




「――何で切らないの?」





「……っ!」


「否定していながらアナタは私の言葉を聞いている。
 私を殺さないのは迷っているからでしょ?」


「違う……これは毒のせいで……」


「私の毒は妖怪に効かないよ」


「えっ?」


 嘘だ。身体が言う事をきかなかったのは本当だ。
 だが、『毒』と言ったのは誰だ?
 私だったか?
 思考を誘導されただけではないのか?


「私が使った毒は人間にだけ効くの。
 身体が痺れて動けない? 本当に?
 そう思いたいだけじゃないの?
 自分が助けられなかった言い訳。
 それか――」




「うああああああああああああああああああああああ!!」



 メディスンに切りかかる椛。
 それ以上言わせないように、黙らせるように、咆哮を上げながら。
 鈍い動きの刀に切れるはずも無く。
 あっさりと避けてメディスンはにっこりと笑う。



「――実はあの人間に死んでほしかったんじゃないの?」



 違う違う違う違う――師匠は確かに厳しくて怖いところもある。
 だけど時々優しくて、何時も気にかけてくれて。
 私を導いてくれた。
 犬走 椛が魂魄 妖夢に向ける気持ちは『恩義』であってけっして『憎悪』なんかじゃ……。




『妖怪め……』




 違う。これはあの人の言葉じゃない。
 あの人は決してこういう事は言わない。
 誰の言葉だ?
 いや、誰の言葉でもない。
 庭師の見習いとして西行寺で暮らし始め幾度も聞いた言葉だ。
 人間の集団である庭師達の中で椛は浮いていた。
 姿・形は人間に化けていたが、それで騙せるはずも無く。
 陰湿な嫌がらせもいつものことだった。

 それは当然の事だ。
 庭師というのは妖怪退治を本業とする者達だ。
 鍛錬に次ぐ鍛錬、いざ戦いとなれば命を賭して任務を遂行する。
 数ある仕事のあるなかでそれを選んだという事はどれほどの覚悟を要しただろう。
 だが、多くの者たちは自ら選んだ訳ではない。
 それしか選択肢がなかったからだ。

 ある者は家族を、ある者は兄弟を、ある者は恋人を。

 皆それぞれ事情があった。
 皆それぞれ妖怪と関わりを持ってしまった人達。
 そして戦い続け、同じ志の仲間も失い続けた人達。
 悲しみの連鎖は終わらない。
 苦しみの連鎖は終わる事は無い。
 椛を受け入れない者達が存在する事も当然の事だ。
 唯一幽々子と妖夢だけが椛の味方だった。
 それが人間世界との接点であり、そして重荷だった。
 
 そして、椛は時々こう考えるようになる。
 
 ――幽々子と妖夢がいなくなればこの苦しみから解放されるのではないか?

 浮かんでは消える泡のように椛は常にその考えを否定し続けた。
 妖怪の山でただ一人生き残った椛は身寄りと呼べるものも無く、一人で生きる術を知らなかった。
 一人ぼっちの椛を受け入れ面倒を見てくれた事は一生の恩義となって椛の心を占める。
 だが、その恩義は見えない鎖となって椛に首輪をかけた。





「一緒に行きましょう。大丈夫、心配無いわ。私と友達になりましょう」


 メディスンの手が椛へ伸びる。
 それは握手するように笑顔で椛を迎える。


「私は……」


 メディスンの手に椛の手が伸びる。





 



 



 

 ――ぐしゃっ、



















 椛の目の前には壁があった。
 いや、壁ではない。
 視界を覆うほどの大岩が降って来たのだ。

 椛の足元には伸ばされたメディスンの手があった。
 ちょうど肘から先だけへし折れたように転がっている。
 血は無い。
 壊れた人形の腕のようだった。
 肘より上は……メディスンはどこに消えたのだろう。

 


「妖怪め……」




 大岩の上に乗る比那名居 天子はぞっとするほど無表情にそう呟いた。

 
 

















―第七十話 「自鳴琴」、完。



―次回予告。
≪砂場で作ったお城のように
 一夜一夜の夢のように

 すぐに終わりの時がくる
 こんなにも簡単に



 次回、東方英雄譚第七十一話 「傘を差して歩く」 ≫



[7571] 第七十一話 「傘を差して歩く」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/10/09 00:15
 咆哮。
 
 猛り狂った一角獣は大岩の上に乗る人間に容赦の無い洗礼を加えるべく、行動する。

 疾走する速度は最高速に達し、自慢の巨大な角で岩ごと破壊すべく突進をする。


 
 ――その延長線上に薄暗い闇の中人影を見る。



《――one》


その人影の片足に紫電が奔り、


《――two》


薄闇の中に輪郭が浮かび上がる。


《――three―Exceed charge》



「ライダーキック……」


 
 振り抜いた足は突進する一角獣の顔を砕き、火花を散らした紫電は肉を焦がした。
 禍々しい大角は無残に砕け、怒りの表情の顔は虚空に消えた。


 ドッ、ドッ、ドッ、


 駆動した足は突進の勢いのままその人影を通り過ぎた。
 しかし、『前へ走れ』という命令を送る頭部が無くなりその理由も無くなった巨体はゆっくりと沈んだ。
 それは痛みで悶えるでもなく、恐怖で悲鳴を上げることもなかった。
 ただ命が終わり、それで終わった。


 光に包まれ変身が解ける。
 金髪の少女にいつもの明るい表情は無く。
 椛と倒れている妖夢だったものを見る。
 唇を噛む。
 涙を堪えるように俯き、頭を掻いた。


「くそっ……間に合わなかった……」

 魔理沙は悔しそうに呻く。
 助けられなかった。
 もう少し……早く来れていれば……。
 魔理沙の顔に後悔の念が過ぎる。

 周囲を警戒していた天子は他に敵がいない事を確認し、大岩から降りる。


「椛、アンタ大丈夫?」


 座り込む椛を気づかうように左手を差しだす天子。
 椛は呆然とした表情から無意識に手を掴もうとし、そこで止まる。


『妖怪め……』

 
 そこで天子の言葉が過去の記憶と重なる。
 その言葉は自分に向けられたモノではない事は重々承知している。
 しかし、思い出してしまう。
 言葉と明確な敵意を込めた瞳を。

 ……、

 …………、


 椛は天子の手を握らず、ふらふらと立ち上がると、妖夢の方へ重い足取りを進める。


「椛……」


 魔理沙が声をかけるが、反応しない椛に次にかける言葉が見つからない。


「ごめんなさい……師匠……私は本当に……」


 足元に転がる血で染まったコンパクトケースを拾う。
 膝から力が抜け、椛は座り込んだ。
 

*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*



「ここにいたのね……」


 霊夢が部屋の電気をつけると、ソファに座る黒いワンピース姿のチルノがいた。


「準備はできた? そろそろ時間だから……」

 
 先玄関で待ってると告げた霊夢が部屋から出て行こうとする。


「私、今最低な事を考えている」


 チルノの静かな、しかしはっきりとした声に霊夢の足が止まる。


「チルノ……」


 霊夢が振り返えると、ソファに腰掛け手を組み何かを懺悔しているように見えるチルノ。
 声だけでチルノの言葉を促すように呟く。


「人が死ぬのは悲しい。だけど心のどこかで多少の犠牲はしょうがないと冷徹に思ってしまう自分がいる」


「それは……でも……紅魔とやり合うのにはそんな生易しいものじゃないでしょ?」


「そうだ。言い訳だな……自分の力の無さの」


「自分を責めても……」


「もう誰も死なせない。もうこんな悲しい事は終わりにしたい」


 言葉の最後が涙声で聞こえる。
 消え入りそうな言葉では無い。
 決意の、しっかりとこの世界に足跡をつける言葉だった。

 霊夢は駆けだし、チルノを思いっきり抱き締める。
 

「私もいる。私もいるから……」



「ありがとう霊夢……もう、泣かないよ」




*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*



「黒染めの桜が濃くなっていくわね……」


 西行寺 幽々子は白玉楼にそびえ立つ大木を見上げる。
 それは死の象徴だった。
 この世界が終焉に向かっているというカウントダウン。
 視線を落とし、こつんと頭を大木の幹にあてる。


「妖夢のバカ……」


 葬儀は白玉楼で粛々と行われた。
 幽々子はいつもの豪奢な着物ではなく喪服を着ている。
 参列者は多くなく、身内だけの小さなものだった。


「幽々子様……」


「椛…………大変だったわね」


 椛はその場で膝を屈して土下座をする。


「申し訳ありません……申し訳、ありません……」


 ぶるぶると震える椛の手を幽々子は見る。
 報告はもう聞いている。
 どうして妖夢が死ななければならなかったのか、と。
 終わったのは報告だけだ。
 幽々子の言葉を聞いていない。


「全部私の責任です。師匠は私を庇って……私がもっとしっかりしていたら……私が……」



「妖夢から受け取った?」



 突然の幽々子の言葉に何の事かわからない椛は恐る恐る顔を上げる。
 幽々子の言葉でそれが妖夢の懐から落ちた白いコンパクトケースだと気づく。

 椛が懐から風呂敷で包んだコンパクトケースを幽々子に渡す。


「椛、貴女がこの白玉楼に来てからずいぶん時間がたったように感じるわ。
 これは妖夢から椛……貴女に」


「私に……」


「音を入れたと言っていたわ……オルゴールみたいなものだって」


「師匠が、私に……」


 幽々子がコンパクトケースのスイッチを押す。
 しかし、何も起きなかった。
 メロディどころか一音節も音が出ない。
 落とした時の衝撃で壊れたのだろうか。


「修理しないとね……せっかくの妖夢のプレゼントだし」


「それ、貰えますか……そのまま」


「壊れているわよ」


「いいんです。そのままで……」


 幽々子は黙って椛にそれを渡す。
 椛は……。
 心のどこかで自分に相応しいと思ったのかもしれない。
 壊れたままの贈り物が自分にはと……。


「ねぇ椛。庭師として私の力になってくれないかしら」


 それは魂魄 妖夢の代わりになるという事。
 庭師としてまだ半人前だった自分が正式に迎え入れられるという事。
 これは事故のような人事だ。
 いたしかたない、他にない。
 今までの事も正式な幽々子の右腕として庭師を務めれば問題も消えて行くだろうか。
 陰口も、嫌がらせも……だがそれは表面的な事だ。


「椛……貴女が色々辛いのはわかるわ。でも考えてみてくれないかしら?」


 妖夢と幽々子には助けてもらってばかりだ。
 力の無かった私が今まで生きてこれたのは二人の助力なしには成り立たない。
 自分には妖夢を死なせてしまった負い目がある。
 その穴を埋めるのが道理だし、責任だ。
 選べる権利など無い、択一の問題。


「少し……考えさせて下さい」


 しかし、椛は結論を先送りにした。
 何故かはわからない。
 自然に出た言葉だ。
 心の不信……違和感……どくどくと波打つ振動が大きくなるのを感じる。
 それでいいのか、と。
 


*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*


 月明かりに照らされた和室に洩矢 諏訪子は一人じっと考え込んでいた。
 魂魄 妖夢の訃報。
 西行寺所属の庭師ではあるが惜しい……本当に惜しい人材を失ったと諏訪子は心底そう思う。
 油断したとはいえ、あれだけの手練がやられるという事は自分達の側でも次の犠牲者が出る可能性がある。
 未だ『紅魔』で注意しなければならない妖怪は多い。
 防ぎきれるか……いや、果たして何人生き残れるだろうか?



「諏訪子様……」



 障子を挟み、聞き慣れた声がする。


「早苗か……」


「お願いがあって参りました」


「――駄目だ」


 障子の影に重なった早苗の影が緊張する。
 頼み事を切り出す前に断られるとは思っていなかったのだろう。
 いつもの諏訪子なら話をちゃんと聞いてから答えてくれるはずだからだ。
 しかし、諏訪子は察してしまった。
 この状況で、真面目な早苗なら必ずそういう結論に達する事に。


「もうチルノさんには相談しました。あとは諏訪子様が許可していただくだけなんです!
 お願いします。私にも戦わせて下さい!!」


「駄目だ。許可できない。早苗は……駄目だ」


「妖夢さんの事、聞きました。諏訪子様は私を危ない目に遭わせたくないから……。
 私が力不足だから危ない。そう思っているのでしょう?
 でも、私も皆さんと一緒に戦いたい。
 戦いもこれまで以上に厳しくなるでしょう。
 だからこそ、皆さんの役に……みんなで笑って生き残れるように私も――」 




「いい加減にしろ!!」




 怒号が響く。
 早苗の記憶の中で諏訪子がここまで声を荒げた事はなかった。
 早苗は黙るしかなかった。
 障子越しでもわかる。
 びりびりと痺れるような神力。
 


「この話は終わりだ。早苗、許可はしない」



 一切聞く耳を持たないという最後通告。
 早苗は唇を噛み締め、黙って頭を下げると障子から離れた。






*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*




 椛が西行寺の門を抜けたところで言葉をかけて来たのは意外な人物だった。


「これでいいの?」


 耳に入った言葉は出した結論を蒸し返す意地悪な質問。
 比那名居 天子は壁に背を預け、どうでもよさそうに問いかける。
 心配してるんだか、してないんだかよくわからない。
 捻くれた性格のせいかもしれないが、それを言うと自分も真っ当とは言えないのでおあいこかもしれない。


「私を斬ってほしい」


 私の言葉に天子は一瞬目を見開き、そして言った。


「斬る理由がない」


 私は落胆した。
 勝手な言い分で自分勝手に不満に思った。
 前は生真面目にもそう思う思考自体が不安だったが、それも今はない。
 正確には門を抜けた時、その迷いも置いて来たのだと思う。



「……少なくとも私は斬りたくはないな」



 天子の発した一言に思わず足が止まりそうになる。
 


「ありがとう……」



 それだけ言い残し、椛は背を向けて歩いて行った。



























―第七十一話 「傘を差して歩く」、完。



―次回予告。
≪常に完璧であるという誇りと、
 自分は完璧であるという奢り、
 戒める厳しさ。




 次回、東方英雄譚第七十二話 「八雲の縁」 ≫





[7571] 第七十二話 「八雲の縁」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/10/09 11:38
《幻想郷⇒》



「ここまでか……」


 八雲 紫は足を止め、顔を上げる。


「これは……いや、そうね。だからこそ、ここまでか」


 閉じた扇子を開き、弄ぶようにパタパタと顔を扇ぐ。
 霊夢の足跡を追い、その魂の通り道を辿る作業は難航していた。
 ようやく見つけた霊夢の中にある一筋の道。
 それさえも今行き止まりを迎えたのだ。

 周囲の空間は幾何学的な模様が浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
 普通の人間が見たら、気持ち悪いと判断する歪な世界。
 境界と境界の隙間。
 境界を操る程度の能力を持つ妖怪、八雲 紫だからこそ耐える事ができる空間世界。
 しかし、それも耐える事が出来ると言うだけで居心地が良いという話ではない。
 
 そう、ここは自分の作った境界では無いからだ。
 言わば他者、別の存在との境界だ。
 霊夢の境界に無断侵入し、その情報の海の中へダイブして数時間。
 霊夢を起こす最重要ポイントに差しかかったと感じた紫の感覚は正しい。
 霊夢が通ったとされる道には紫にだけわかる『違い』がある。
 それを例えるなら草むらの獣道のように雑草が掻き分けられ、他の場所より若干『歩きやすい』からだ。


「迷子の迷子のの子猫ちゃん~♪」
 

 思わず聞き覚えのあるメロディを口ずさむ。
 紫の目の前には無数の、無限とも言える数の『扉』があった。
 色は赤、 紫、青、 黄、 橙、茶、緑、 黒、白、灰……。
 材質は鉄、金、銀、銅、青銅、木、石、紙、硝子……。
 種類は一般家庭の門構えから始まり、西洋の城門や牢獄、引き戸、開き戸、頑強な金庫の扉、自動ドア、
 電車の扉、回転ドア、防火扉、クローゼットの扉……。

 それこそ、ありとあらゆるモノ。
 盛観でさえある。
 そして、自然と紫は気づく。
 一見不規則にも扉の羅列の中でのルールのようなものを。


「これは何かしら?」


 ――『×』、『×』、『×』、『×』、『×』、『×』……、



 扉には勢い良く赤いペンキで塗りたくったように明確にバツ印。


 ――『×』、『×』、『×』、『×』、『×』、『×』……、



 様々な種類の扉の中で幾つかの扉にその印がある。

 

「×、×、×、×、×、×、バツ、ばつ、罰……?」 


 事の他、奇妙。
 不気味さを覚える。
 この世界の明確な意思を感じる。

 しかし、紫の目的はこのナゾナゾを解く事ではない。
 霊夢を一刻も早く救出する事だ。


『紫様……』


 式神・八雲 藍からの定期報告。
 式神とは既存の妖獣等に『式神』という術を被せる(PCにOSをインストールするようなもの)事で完成する。
 八雲 藍とは『妖獣・九尾の狐』であり、媒体の時点で既にトップクラスの力を持つ妖怪である。
 (通常妖獣は尻尾が多ければ多いほど魔力が高く、長ければ長いほど賢いとされ、
  その妖獣の中で最高峰に君臨するのが九尾の狐と言われる)

 幻想郷の結界を任せている藍とはスキマを使って連絡をしている。


「藍、こっちは思ったより厄介になってるみたい。そっちはどう?」


『こちらの方は問題ありません。結界を一通り調べましたが破損個所は何処にも無く。
 何者かが無理やり侵入した形跡も発見できませんでした』


「博霊の巫女が不在で問題が起きない。その事自体が問題ね」


『幻想郷の方も今の所目立った動きもありません。妖怪達も静かなものです』



「――待って」


突然の紫の緊張した声に通信先の藍も動揺する。


『どうされました!?』


「……何かいる。一度、通信を切るわ」


『わかりました。お気をつけて』


 スキマを消し、通信を切る紫。
 目を閉じ、耳を澄ます。
 何かの気配がしたのだ。
 この扉だけの世界で有機的な動きをする何かを――。

 その気配に意思を感じた。



 ――光が舞う。


 消え入りそうな淡い輝き。
 それは蛍の光だった。

 目の前に現れたその光に紫は不思議と暖かいものを感じた。
 一粒の光に導かれ紫はゆっくりと歩み始める。
 害意はなさそうだ。
 どこかへ導こうとしている。
 その蛍は紫が歩く速度に合わせるように優しく飛行し、ある一つの扉の前へ辿り着く。


 その扉の前に人影があった。





「ありがとう。連れて来てくれて」




 その人影は目の前の蛍にお礼を言って、白いリボンの巻かれた、黒い中折れ帽子を取ると胸の前に持ってくる。
 帽子も含めて、服装は基本的に白と黒のツートンカラー。
 髪と瞳は濃いめのブラウンで赤いネクタイをしている。
 腰から下は長めのスカートだが、基本的にボーイッシュなイメージが強い。
 この少女を紫はどこかで見た事ある。
 既視感。
 懐かしささえ覚える。
 錯覚だろうか?



「ようこそ。異世界の訪問者さん。
 私は宇佐見 蓮子。貴女が来るのを待っていたわ」


「そのようね。それで? 貴女の目的は何かしら?」


 扇子を閉じ、考えるように目の前の少女を見つめる紫。
 敵意は感じられない。
 目の前の少女は紫の瞳をじっと見つめ、嬉しそうに笑うのだ。


「貴女……私を知ってるの?」


「いいえ。初めてお会いしましたよ」
 

 蓮子は数歩あるいて紫に近づくと帽子をかぶり直す。


「ここに来るまでに気付いたはずです。
 『×』と記された扉達を……」


「えぇ……」


「あれは『選ばれなかった可能性』です」


「可能性……?」


「えぇ。正しい解答が一つではないという事です」


 人差し指を立て説教がかった芝居をしながら蓮子は答える。


「ふふ、それで? 貴女は一体何なのかしら?」


「私は言わば『座標』。貴女を導くための案内人。
 『星を見ただけで今の時間が分かり、月を見ただけで今居る場所が分かる程度の能力』
 といえばわかるかしら?」


「正確な時刻と場所……だから『座標』ね。
 正直助かったわ。
 これだけの扉を開けるのは面倒だし、何より少し急いでいるのでね」


 扉に手をかける紫に蓮子は手を振る。


「じゃあ。後はよろしく~。
 あぁそうそう、向こうで……メリーにあったら伝言頼める?」


「メリー?」


「マエリベリー・ハーン……通称メリーって呼んでる私の親友。
 お願いできる?」


「えぇ、会えればね」


「会えるよ。必ず。
 『秘封具楽部を頼む』とそれと『ごめんね』って、それで伝わるから」


 さようならと手を振る蓮子の姿を閉じかけた扉の端で見つめ、紫は迷い無い足で進んで行った。
 蓮子はそれを見届けながら足元から静かに蛍の光へと変わっていった。
 さよならの手が震え、目尻に涙が浮かんでも笑顔のまま。
 
 








 *―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*




《時間軸として本編第五十一話より少し前の話である》





 ――フゥオオオ、



 扉を抜け、星が瞬く夜空へ。
 境界を離れ現実世界へ入ると重力が身体に負荷をかけるのがわかる。



「空気が違う……幻想郷の外の世界というわけじゃないわね」



 スキマに腰かけるようにして周囲を見渡す紫。
 風が頬をくすぐり、髪を靡かせる。
 まずはこの世界の状況を知る事が大事だろう。



 ――スゥウウウ、


 紫が手をかざし、横へ手を振ると小さなスキマが十数個展開される。



「『時代』、『文明』、『妖怪』、『人間』……」



 一つ一つ小さなスキマに検索項目を指定し情報を収集する。
 スクリーニングを行い、情報を精査する。
 その結果、
 今いる世界は紫が元いた世界と非常に似ている事がわかった。
 しかし、大きく違う点は『幻想郷』が存在していないという事。
 必然、妖怪と人間が住み分けられておらず、ある意味共生状態になっている。


「これは……」


 スキマの一つに異業の怪物を見る。
 妖怪とはまた違う理性を感じさせない凶暴さを感じる。


「『グール』……どうなっているの? この世界は……」


 通信用のスキマを一つ作り出し、藍に連絡を取る。
 しかし、


「ノイズが酷い……この世界に来たから?
 色々と問題ね……早く霊夢を見つけないと――」


 そこでふと、自分の手を見る。
 ズ、ズズ――手が薄くなっている。
 手を翳すと向こうの景色が見えるように、


「存在が薄くなっている……この世界が私を拒否しているというの?」




 

 ゾクッ、







「何? いや、この妖気……覚えがある。だけど大き過ぎる……」


 この世界を霧のように覆う巨大な力。
 紫にとってそれは意外な事だった。
 スキマの一つに新たな検索項目を加える。
 寒気を覚えた。
 この世界で重要な要素である事を確信する。










                    『レミリア・スカーレット』 






 ジ、ジジジ、


 チャンネルが合わない砂嵐のようにスキマに映像が送られて来ない。
 何か……妨害を受けている。
 しかし、紫の力を寄せ付けないモノがあるとなると、


 ようやく、砂嵐が止み。
 スキマに暗闇が広がる。

 そして、


 赤い目が光った。











「気持ちの良い夜ね……」
 









 スキマに気を取られいて接近を許した。
 紫は平静を装いつつも上空を見上げる。

 桃色のドレスにナイトキャップ、そこから覗く薄紫色の髪。
 その背中からは蝙蝠を思わせる漆黒の羽。
 そして何より印象的な血のように何処までも紅い瞳。

 その少女に紫は見覚えがある。
 少女の方はこちらを知らないだろう。
 


「こんなに静かな夜はついついお散歩したくなるわよね」


 こちらの動揺に気付いているのかいないのか、夜に煌めく星を眺めながら微笑む。
 しかし紫を見る目はどこまでも冷たい殺気を孕んだ光を覗かせる。
 
 紫はスキマに腰かけたまま上昇し、少女と目線を合わせる。


「私は八雲 紫。異世界の訪問者よ。
 お見知りおきを……」


「レミリア・スカーレット。吸血鬼よ」



「わざわざそちらから出向いてくれるなんて、話が早いわ」



「貴女程の妖気がいきなり現れたら何事かと思っただけよ。
 私はてっきりアイツが現れたのかと思ったけれど……違ったみたいね」


「アイツ?」


「こっちの話よ。異世界の訪問者さん。
 じゃあ挨拶も済んだ事だし――」


 突如、レミリアの右手に赤い槍が出現する。
 それと同時にレミリアの身体から溢れ出る膨大な妖気。
 『獄炎』
 そう表現しても過言ではない……実際に炎が発生しているわけではない。
 揺らめく力の奔流が暴力の赤となって夜空を彩る。


「こちらには好戦の意思は無いわ」


「貴女の運命が見えない。この予定調和の世界での不確定要素は私の計画に支障がでるかもしれない。
 イレギュラーは排除するってだけよ。気にしないで。
 それとも――このまま手を振って別れられるとでも?」


 姿・形は確かに紫の知っているレミリア・スカーレットそのものだ。
 傲慢であり、自信家であり、誇り高い吸血鬼。
 しかし、大きく違う点がある。
 それは『甘さ』だ。
 幻想郷のレミリアは確かに実力はあったが、行動原理は子供そのもの。
 口調は大人びているが幼い容姿のため背伸びしている感があった。
 経験の少なさが甘さとなり、紫にとっては組みし易い程度の認識しかなかった。

 だが、目の前のレミリアは格が違った。
 知っているレミリアと妖力の桁が違う。
 何より、その『目』だ。
 あらゆる悲しみと怒りを内包した鋭い目は何物にも負けない意思を感じる。



「見逃してはくれないみたいね。でもお姉さん結構強いわよ」


 レミリアの妖気に呼応するように紫の周囲にスキマが次々と展開される。


「来なさい。遊んであげるわ。
 美しくも残酷にね――」






               

                        ――「弾幕結界」――







 全方位攻撃。
 レミリアを取り囲んだスキマから容赦無く発射される弾幕。
 この戦いは幻想郷でのスペルカード戦ではない。
 制限を解除し、殺傷力を持つ本気の攻撃だ。

 普段は誰と戦闘することになっても相手に合わせて手加減をし、本気を出す事はまず無い。
 しかし、敵の戦力を正確に分析した結果――手加減する余裕は無い、と判断した。
 
 殺到する弾幕。
 誰もが戦慄し恐怖するその攻撃に――、



 ――ブンッ、



 左手にも赤い槍を出現させ、レミリア・スカーレットは不敵に笑った。





「魔符……」




  






             ――「皆悉く頭を垂れよ全世界ナイトメア」――













 *―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*






 夜の空に静寂が再び戻る。
 静かに見守っていた月と星が少女の顔を照らし、冷たい風が火照った身体を冷やす。

 服にはあちこち焦げ目があり、体中に傷を作っている。
 何より損傷が酷いのは左手だろう。
 左手首の先が千切れるように無くなり、血管や骨が飛び出ている。




「逃したか……」




 少女は一枚のハンカチを取り出し、左手に被せる。



「one、two、three――」


 ――ボウッ、
 
 ハンカチが燃え、炎が左手を覆うと次の瞬間傷一つない綺麗な手が現れる。
 左手の具合を確かめるように指を動かすと、


「種蒔きはこんなものね。後は収穫を待つだけ……ふわぁ」


 何事もなかったかのように少女は眠そうに欠伸をする。
 夜明けが近い。
 レミリア・スカーレットは漆黒の羽を伸ばし、夜のカーテンを追い掛けた。


















―第七十二話 「八雲の縁」、完。



―次回予告。





  ぶーん、





 次回、東方英雄譚第七十三話 「難題―京のかぐや姫」 ≫





[7571] 第七十三話 「難題―京のかぐや姫」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/12/05 06:44
《Systemu all green》


 薄暗い整備室の中でランプが明滅している装置がある。
 誰もいない中、静かにそれは目覚めた。


 整備室の机の上にコード類が集約され一つの小さな機械に繋がっていた。
 虫の形を取るその物体は自然界では『クワガタムシ』と呼ばれる。
 目が光ると同時に身じろぎすると繋がっていたコードが全てパージされた。


 ぶーんっ、


 身体の状態を確かめるようにゆっくりと整備室の中を飛ぶ。
 周囲を見回し、自分の位置を知る。
 そして次に自分の主人を探すが見当たらない。 
 代わりに自分が寝ていた机の横に主人の持ち物だったベルトが置いてあった。
 このベルトには主人の位置を知るために発信機が内蔵されている。
 一緒に整備されていたのかと理解し、自分で主人を探すため部屋のドアへと移動する。



《Hello》


 クワちゃんが整備室で声をかけられた。
 振り向くと魔理沙とその手に乗せられた八卦炉がすぐそばにいた。



「お、お前直ったのか? 良かった良かった」


《Did you get well?》


 二人の気づかいに答えるようにクワちゃんは目の前で羽を動かし宙返りをする。


《Is condition good?》


 八卦炉が話しかけるとクワちゃんは空中で少しジェスチャーを交えながら問いかけに答える。
 魔理沙にはどういう理屈かわからないが言葉の発しないクワちゃんの言いたい事は八卦炉はわかったみたいで魔理沙に説明する。
 椛は普通にコミュニケーションできていたみたいだが……。


「あぁ椛か……その……今、行方不明なんだ」


 魔理沙が言い淀む。
 クワちゃんは問いただすように魔理沙達に近づく。


「すまないな……私達が駆け付けた時はもうお前はやられてて、妖夢も……死んでいた。
 椛はなんとか助けられたがその事がショックで……その妖夢の葬儀の後どこかへ行ってしまった」



 その事を聞いた瞬間、
 クワちゃんは横の窓へ突進する。



 ――ガシャアアアアアアアンンンン!!



 窓ガラスが割れ、大空への道が開かれる。
 そしてそのままクワちゃんは外へ飛び出して行った。




「椛を探しに行くのか……アイツけっこう熱いヤツだったんだな」


 魔理沙が嬉しくなって割れた窓ガラスの先を見る。


「私は私のやれる事をやるだけさ……」


 魔理沙は視界の端に走って来るにとりの姿を見た。







*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*



*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*



 永い永い血の惨劇。
 まるで開けない夜のよう。

 この世は須臾の連続。
 時間は須臾が無数に積み重なって出来ている。

 あの時こうしておけば……。 
 何故、私はあんなことを言ったのか。


 後悔も挫折も苦渋も全ては切り取られた一枚の写真。
 それを変えていけるのは目と耳と口の役目。
 

「そうは思わなくて? チルノ・ホワイトロック」


 蓬莱山 輝夜は画面に映る映像を見ながら振り返る。


「……」


「大丈夫よ。そんな警戒しなくても、別に私は目の前で鶏を絞めたりしないわよ」


 冗談を交えて微笑む輝夜。
 妖夢の葬式の一週間後に彼女との会談の場が設けられた。
 事実上、日本の最高権力者である彼女とチルノが会うのはこれで初めてだが、輝夜は長年の親友の様に接して来る。

 応接間は和室だった。
 車椅子のチルノに配慮してか畳みの上にはカーペットが敷かれている。
 それならテーブルのある応接室に案内して欲しいものだとも思うが、艶やかな着物で座る輝夜には不釣り合いな気がした。
 

「私も貴女と話がしてみたかった」

「光栄ね」


 いきなり本題に入らない所が少しは成長したのかともチルノは思う。
 彼女の考えはまだわからないが、少なくとも敵側ではないはずだ。



「妖夢の事残念だったわね、幽々子」


 輝夜の横に控えている幽々子に突然話を振る。
 

「私の不徳の致すところです」


 幽々子は目元を伏せ、簡潔に答える。


「元気ないわね。まぁ時間もかかるでしょ。チルノも気を使ってあげてね。
 じゃあ、未来の話でもしましょうか」


 視線が幽々子からチルノへ向く、ここからが本題。
 チルノの表情に緊張が走る。
 

「絶滅のサイクル。淘汰圧の変動。人間は今『大進化』を迎えている。
 でもまだよ……まだ次の世代が育っていない」


「え?」


 いきなり話が飛んだ。
 話の展開が早い、結構自己完結型なのかもしれない。
 

「……姫様の言う『大進化』とはなんですか?」

「輝夜でいいわ。そうね私が勝手に言ってるだけだからね。要は人間の次の段階ということ」

「その……姫……輝夜様が考えるのは私の様な半妖の存在の事ですか?」

「カ・グ・ヤ! 様は要らない。聞き飽きてるし。まぁ貴女の言うように半妖もその一部よ。
 まぁ早い話が妖怪と人間が仲良く手を取り合いましょうという共生の道って事」

「輝夜……は妖怪と敵対する意思はない、と」

「そうそう、そう言う事」

「だからチルノ。貴女も協力してちょうだい」


 輝夜の言葉にチルノも頷く、紅魔は止めなければならない。しかし、妖怪を絶滅させるという意思は無い。
 こちらとしてもその方向性なら問題は無い。
 チルノが懸念していたのはこの紅魔との戦いをきっかけに妖怪と人間が全面戦争に入る事だ。
 それはなんとしても避けなければならない。

 脳裏に死んでいった者達が浮かぶ、理不尽に、不条理に、命を奪われた者達。
 悲劇を積み重ねてはならない。
 避けられる血の連鎖を止めなければならない。


「理解してくれて嬉しいわ。チルノ・ホワイトロック……では貴女は技術顧問として私達に協力してちょうだい」



「……技術……顧問?」


 輝夜が手元のリモコンでモニターの操作をする。
 現れたのは国会中継で、日本初の女性総理大臣が難解な質疑応答に悪戦苦闘している画像だった。


「あ、間違えた。でも……ぷっ、くははは! アイツ私に偉そうな事言っておきながら冷や汗かいてやんの。ははは、おかしい!!」
 

 日本は民主国家の国と言う建前だ。
 選挙で選ばれた国会議員が国民の代表となり政治を行う。
 しかし、この国にはその裏に存在する権力者がいる。
 『蓬莱山 輝夜』
 彼女の一族はこの国の柱である事は疑いようの無い事実だ。
 代々受け継がれてきた『蓬莱山 輝夜』という名はこの国の中心を表す言葉である。
 時代の流れからその独裁体制を表向き維持しにくくなるとあっさり表舞台から退き、内閣中心の政治体制に移行した。
 瑣末な問題には極力口を出さないが、国の根幹を揺るがす重要な決定権は彼女にあり、国の舵取りは彼女の思考に左右される。


「チルノも見てみなさい、面白いわよ~あの化狸、いつも澄ました顔してるくせに。くくくっ」


 一通り笑うと輝夜は思い出したかのようにリモコンを操作し、モニターの画面が変わる。


「これは……」


 チルノは唖然とした。
 そこに映っていたのはチルノ達が開発したライダースーツによく似た漆黒のスーツを来た人間が整列していた。
 輝夜用のプロモーションビデオなのかスーツの性能実験データやスペック、グールを使った戦闘結果等々……次々と表示された。


「『蟻』よ。まぁ軍とは別に作った私兵。妖怪に対しての自衛組織だから『自衛隊』って言った方がいいかもね」


 ≪装備≫
 ・外装
 額のメカニカルアンテナやポインターにより自分の位置を知らせ、各部隊長や指令部からの指示を受ける。
 ボディアーマーには鋼鉄の10倍の強度を持ち、刃物・ライフル・鉄鋼弾に対処できるスペクトラプレートを採用している。

 ・マシンガンブレード
 蟻の共通携行武器で、装弾数3000発のホローポイント弾を内装するマズル銃。
 トリガーを引く際に任意で発射弾数を変える可変バースト機能を備えており、通常の発射速度は600発 / 分。
 最大射程は2000mを誇り、徹甲・炸薬・焼夷弾を装填選択することも可能。
 白兵戦時には、先端に内蔵されたウーツ鋼鉄製・格闘専用ブレードを展開する。



「チルノ。貴女をこの『自衛隊』の技術顧問に迎え入れたいわ」


 日本には今まで国外対策用の軍、国内の犯罪を取り締まる警察、そして妖怪対策用の庭師があった。
 現在、紅魔に対抗できる勢力は庭師しかないのが現状だ。
 何故そうなってしまったのか? 
 日本国外の情勢が悪化し、妖怪よりも先に人間と戦争になる可能性が高かったため、予算の多くを軍に費やし近代兵器を充実させる事が重要視されたためだ。
 そして、ここ数百年の間妖怪との間で大きな事件が発生しなかった事が問題だった。

 妖怪を受け入れられない者、信じられない者、そして妖怪を信用する者。
 良かれ悪しかれ、人間は妖怪と共生の道を歩んでいた。
 日本以外の国では妖怪に乗っ取られる危機感から国の重要な職に妖怪もしくは半妖の者を受け入れない所もある。
 その点日本はその事に関しては大らかな方で、現在の内閣総理大臣も妖怪狸との混血である。

 輝夜の話ではチルノに技術顧問という役職を与え、体よくチルノ達の持つスーツの開発技術を横取りしようと言う魂胆だろう。
 チルノとしても戦力が増えるのはありがたいが、果たしてどこまで情報を開示すべきか……。
 しかし、素直に了承はできない。
 違和感を感じるからだ。
 先程までの話では『対話を中心とする戦略』という流れだったはず、だが映し出される画像には強い好戦の意思を感じる。


「少し考えさせてもらっていいですか?」

「うーん。そうよね簡単には決められないわよね~。
 でもこうしてゆっくりしてる間にも人間はどんどんグールという怪物に食べられ続けているのよね」

 輝夜がモニターを操作し、グラフが表示される。
 この国の人口推移、他国の人口推移。
 一秒ごとに一人二人ではない。下手したら数百人・数千人単位で急速に減っていっている。
 自然災害のような減り方では無い。
 バイオハザード級の感染拡大に近い。
 人間が生まれる数より減る数が圧倒的に多い……人間が絶滅する傾向を見ているようだ。 


「正直面倒くさいから私としては早く決めて欲しいな。
 協力するの? しないの?」


 輝夜の口調はまだ穏やかだが、有無を言わせぬ圧力を感じる。
 どうやら帰って相談する時間も与えないようだ。
 しかし、疑問が沸く。
 何故彼女は焦っているのかと……聞いた話とは別の目的があるのか?
 とすれば何だ? 戦力を確保したい理由は……。


「チルノ。貴女達の技術は素晴らしいは誇っても良い。我が国の誇りよ。
 私達は国を与る者として国民の平和と文化的な社会を維持する役目があるの。
 貴女が必要なのよチルノ・ホワイトロック」


 国、誇り……チルノはそこで気づく。
 輝夜としてではなく『蓬莱山 輝夜』としての目的、理想の形、ストーリーが。
 
 輝夜は妖怪と対話をする意思がある。
 それは本当だろう。しかし対話の席に着くまでの過程が問題だ。
 『人間』の歴史、否……生物の歴史から考え『対等な立場』とは『同等の力を保持した者』でなければ成立しない。
 例えこちらが対話を切り出したとしても相手がこちらを舐め、対等に値しないと断じたなら交渉は決裂する。
 現在の戦力では紅魔側が有利過ぎて一方的な展開となっている。
 確かにそれは望ましい事ではない。
 落とし所を探るにしても戦力増強は課題だろう。
 しかし、それだけか?
 
 チルノもライダースーツの開発を行った際、いずれこの技術を何かの形で外に出さなければならないと感じていた。
 一度生み出された技術は全て廃棄したとしてもいずれ誰かが到達する。
 その時、生み出した者が正しく管理できるかは疑問だ。ならば自分がこの力を邪念ある者から守らなければならない。


「輝夜……貴女にとって紅魔はきっかけでしかないの?」

「あら、何のことかしら?」

 妖怪との全面戦争は望んでいない。メリットが無いからだ。
 それよりも紅魔に対抗する妖怪や神々を味方につけ、協力を仰ぐ。
 対話を望むのは輝夜に敵対しない者のみを指し、紅魔の属する者は排除する思惑だ。
 
 紅魔の脅威は口実でしかない。本当の狙いは終戦後の世界。
 もし仮に人間側が勝利した時、世界の勢力地図が書き変わる。
 チルノの技術提供を受け、戦力を増強した自衛隊が世界で唯一の対抗勢力となった時、
 日本は世界の警察の役割を担う事になる。
 新しい技術体系、新しい兵器、新しい組織……。


「輝夜。貴女の思惑通り世界は動かないわよ」

「そこは私が考える所。貴女には関係ないわ」
 
「貴女はきっとわかっていない。
 千の死の上に万の死を、幾千、幾万年もの間緩む事無く築いてきた『人間』というものを」

「難題の問いはシンプルな程難しい」

「理由が難しいほど解決も難しくなる。単純に考える事は必ずしも馬鹿という事ではない」

「後ろを振り返るつもりはないわ。人間は後ろを向いたまま全力疾走できないもの」

「貴女はそうやって高見から……。地べたに足をついて生きてる人間をあざ笑う」

「安全なところから地獄を見るのも悪くないでしょ?」


 輝夜の後ろのモニターに次々見知った顔が映る。
 霊夢、魔理沙、天子、文、ヤマメ、にとり……。

「回りくどいやり方をしてごめんなさい。こう言ったら良かったわね……」











「さっさと指揮権を寄こせ。私が貴女の尻拭いをしてやるって言ってんのよ」










 空気の質が変わる。
 たった今、この場は断頭台へと変じた。
 
 空気がタールの様に重くのしかかり、
 室内なのに陽炎が周囲に立ち込めたようだ。

 何をしたか?

 私はどうやら自分の死刑執行書に自らサインをしてしまったようだ。
 
 だが、悩みが晴れた。
 とてもわかりやすくシンプルな答えが出てきた。


「『NO』だ」


「あぁ?」


 輝夜の声質が怒りに変わり、顔が紅潮する。
 

「協力はしない。私と輝夜では歩む方向が違うようだ」

「本気かしら?」

「そもそも指揮権など無い。私達は軍隊ではない。ただの仲間だ」

「いいのかしら? 後ろに映る彼女達がどうなっても?」

「圧力をかけているつもりだろうが、貴女が私達に手を出す事は無い」

「何故、そう言いきれるの?」

「貴女が権力の使い方を知っている人間であるなら、強硬策に出る時……それは既に終わっている時だ。
 相手に思考させる暇も与えず、決断し、実行する。その冷酷さもある。
 それなのに私に判断させようと言う事は……どちらでも構わない些細な問題か或いは『試し』かだ」


 そこまで言い切ったチルノが輝夜を見る。
 チルノが断った際、見せた憤怒の表情がすーっと薄らいでいき、笑顔になる。


「面白いわねアナタ。大抵私が怒ったら黙るかイエスマンになるだけなのに」

「演技が下手です」

「主演女優賞を狙ってたのに残念ね。まぁ良いわ。それで? どの程度まで協力してくれるのかしら?」

 
 最初に輝夜が言ったような全面協力はしない。
 つまり輝夜の言いなりになるつもりは無いという事をチルノははっきり告げた。
 しかし、チルノの方も最初から技術提供を視野に入れた協力をする気でこの場にいる。
 お互いのメリットのためだ。
 輝夜はチルノ達の技術を欲し、チルノ達は戦力と資金を手に入れる。
 問題は輝夜の方向性だった。
 あらゆるものを力でねじ伏せ、自分の都合だけ優先する人物なら例え一時手を取ったとしても足元をすくわれる可能性がある。

 輝夜の方もチルノの思考を読んでいるのか強硬に話を進めない。
 幽々子からチルノの経歴を聞いているであろう。
 権力に屈しない気質と、意外に頑固な性格も……。
 
 
「技術顧問の話。受けてもいいです。ただし、提供する技術はこちらで決定します」

「まぁそうよね」

「それと条件があります。『蟻』の運用についての決定権。それを分割したい」

「やーね。ここでも民主主義? やめてよね~決断が遅くなるから」

「分割は三人です。それならそこまで影響は無いでしょう?」

「私の兵士なのに……まぁいいわ。で、三人は誰? 当然私と――」

「そう輝夜と私とそして……西行寺 幽々子を指名したい」

「幽々子? 私の部下でいいの? てっきりチルノの方で用意すると思ったけど……」

「それでは輝夜が納得しないでしょ。他で適当に決められるよりも私は幽々子を指名します」

 元々『蟻』の指揮権を委譲させる目的ではない。
 輝夜が許さないだろうし、『蟻』がチルノの命令に従うかも妖しい。
 それよりも『蟻』の動向が気になる。
 まったく関われない事に比べれば幾分マシだろう。


「良いわ。それで行きましょう! 幽々子もそれでいいわね?」

「仰せのままに」


 輝夜の横に控えている幽々子は静かに頭を下げた。


*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*

「よろしかったのですか?」


 チルノと幽々子が出て行った後、再びモニター画面に視線を移した輝夜の背後に一つの影。


「『蟻』は所詮、蟻でしかないわ。技術を吸収する受け皿として機能すれば問題ない」

「あくまで保険の一つ、と?」

「私が期待しているのは貴女達だもの」

「動くべき時が近い、ですか」

「西行寺 幽々子……あれはもう駄目ね。動きやすくなって来たわ」


 影に振り返らず淡々と告げる。
 影の人物は頭を下げ、薄暗い部屋から消えるようにいなくなった。
 



*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*


 廊下を歩いて行くと、壁にもたれかかるように諏訪子が立っていた。

「よっ! お疲れ~」

「待たせてすまない」

「決まったか?」

「あぁ。帰りに話すよ」

 チルノに次いで幽々子も出て来る。 

「チルノちゃんも少しは交渉上手くなったんじゃないの?」

「最初は酷いモンだったからね……」

「まぁ、まだまだだけどね」

「幽々子、大丈夫?」

「うん?」

 妖夢が亡くなり、幽々子と会ったのは葬式以来だ。
 少しの間で、痩せたというかヤツれたというか……明らかに肌の血色が悪い。

「ふふ、だ~いじょうぶ!」

 幽々子がチルノに抱きつく。
 車椅子が微妙に邪魔なのか抱き付きにくそうにしている。


 そこへ、チルノの携帯が鳴った――。


「急いで戻ってくれチルノ!!」


 電話に出ると同時ににとりの焦った声が耳朶を打つ。
 内容はこうだ。
 東北の地、つまり天子が守っていた領地がグールの軍勢に襲われているのだ。


「わかったにとり。私と諏訪子も現場へ向かう」


「向かうって……チルノまさか!? 駄目だよまだ十分な調整が――」


「調整なら戦いながらやる。時間が無い。私はもう見てるだけなんて嫌なんだ!」


「チルノ……わかった。無理はしないで、チルノを信じるよ」


 にとりの電話が切れると同時に隣にいる諏訪子と目配せする。


「幽々子、ヘリの用意をお願い。至急に」


「えぇ最速のやつを用意させるわ。移動しましょう」



*―――――――――――――――――――――――――――――――――――――――*



 ヘリのプロペラ音が機内に響く。


「幽々子も来なくていいのに」


「いいじゃない映像ではあるけど、私実戦まだ見たこと無いし。
 私は上空から応援してるわ~流れ弾当てないでね」


 チルノは溜め息をつき、諏訪子に目で合図しヘリの扉を開ける。


「諏訪子、気をつけて」


「あぁ、今までにない軍勢だ。やってやるさ」


「違う、『私』によ。スーツの変身みたいに微調整がきかない。やり過ぎるかも知れない」


「おいおい」


「少し気温を下げる」


「冬眠しないように気をつけるさ」


 二人は笑い、そして大空へパラシュートも無しに落下していく。
 敵の大軍勢の中心へ。















―次回予告。
≪見つからない綺麗な答え。
 
 今、なぜ怒っているの?
 今、なぜ頑張っているの?

 自問自答を繰り返し、立ち位置を見る。



 次回、東方英雄譚第七十四話 「その傷にくちづけを」 ≫




[7571] 第七十四話 「その傷にくちづけを」
Name: 樹◆63b55a54 ID:c03d0032
Date: 2011/12/28 11:54



 
 射命丸 文は重たい体をどうにか起き上がらせる。
 部屋は肌寒く、少し広くなった気がした。
 ここにはもうあの娘がいない。
 そう考えると寂しくてたまらない。
 小さい頃家族を亡くした文にとって一人暮らしは慣れたものだった。
 しかし、出版社に入社して記者として仕事を覚え、霊夢達と出会いそして椛と会った。
 居候でも構わなかった、どこかで文は欲していたんだ。家族の残滓を。
 一緒にご飯を食べ、テレビを見て、笑い合って。
 本当の姉妹のように、本当の家族のように‥‥‥したかった。
 
 でも結局はなれなかった。
 私は居場所に成れなかった。
 
 椛が行方不明になった日。彼女はここに来たようだ。
 玄関のドアに置き手紙が挟まっていただけ。
 『今までお世話になりました。さようなら』
 それだけだ。ただそれだけだった。
 ふざけるなと最初は怒りもした。
 何故勝手に決め、勝手にいなくなる? 説明してよと。
 悩んでるなら相談しろと。
 怒りで手紙引きちぎりゴミ箱に投げ入れた。
 そしてそのままこの部屋で飯も食べずただ怠惰な時間を過ごしている。
 何度かチルノ達から着信があったようだが、電話を取る気にもならずメールの返信もどうでも良くなって来た。
 
 
 ――呼び鈴が鳴り響く。
 誰か来たようだ。

 
 またチルノか霊夢が来たのか?
 放っておいて欲しいものだ。今は。

 呼び鈴が絶え間なく続く、今日はやけにしつこい。流石に痺れを切らしたのか?
 わかっている。自分が今ダメになっていっている事に‥‥‥。
 でも踏ん切りがつかない。過去にできない。なかった事になんかできない。
 自分が悪くて喧嘩をして別れたのならまだしも、特に椛に酷い事した覚えもない(自覚症状がないだけかもしれないけど)。
 だからこそあの椛の手紙は堪えた。
 え、それだけ? それだけで終わったの?
 あっさりし過ぎて狐につままれたようだった。
 ドラマや小説ではもっと感情をぶつけ合っているのに、家族として過ごした時間はなんだったのかと思った。
 永遠のループ、思考の停滞。同じ怒りと同じ疑問で文の時間は止まっていた。



「え‥‥‥?」


 玄関のドアを開け、驚いた。
 そこには予想外の光景があったからだ。


「クワちゃん? 直ったのね。でも何でここに?」


 クワちゃんは文の疑問に答えず、ぶーん、と部屋へ入っていく。
 空いている部屋を覗き込み何かを探しているようだった。

 椛を探しているのだ。

 いつもならベルトの発信器を頼りに、デバイスであるクワちゃんはどこでも居場所を特定できた。
 しかし行方不明になった際、椛はベルトを置いていき完全に消息が途絶えた。
 修理が終わったクワちゃんが探しに来た事が文には不思議だった。
 ベルトのデバイスであるクワちゃんはただ単にベルトの所有者である椛と一緒にいただけだと思っていたからだ。
 ただそれだけの関係。ベルトの所有者が変わればその所有者に従うだけだと。
 人工知能があるとはいえ、これじゃまるで椛を心配して探しているみたいじゃないか。
 家族でもないのに、言っては悪いが戦いの道具でしかないクワちゃんがこんな行動を取るなんて。


「クワちゃん‥‥‥椛を探しているの?」


 当然の疑問を口にした。
 それしか思いつかなかった。

 ぶーんっ、クワちゃんはゆっくり振り返り文を見つめる。
 
 そして頷くように空中に浮いたまま体を下げた。
 衝撃だった。
 頭をハンマーで殴られたようにその行動に痺れた。


「ふ、ふふ、あはははっははははははは!!」


 可笑しい、可笑しい、可笑しい。
 腹の底からの笑い。
 こんな可笑しい事が他にあるだろうか?
 家族ごっこをやっていた自分は椛を心配しようともせず裏切られたショックで自暴自棄になっていたのに。
 機械であり、道具であるクワちゃんは純粋に椛を心配しているなんて。
 とんだ‥‥‥滑稽な。
 笑いながら頭を掻く、痒い、脳が。
 むず痒くてしょうがない。自分の行動、思考、感情全てが痒い。
 掻き毟ってグチャグチャしてやりたい。

 電話が鳴る。

 文の笑い声が止み、自然に電話を取る。
 着信はにとりからだ。


「もしもし。良かった繋がった! おぁい文っ!! 電話に出ろよ!!」


 にとりの怒りが爆発する。
 自然と携帯を耳から離す。スピーカーにしてないのに声が部屋中に響く。


「ごめんなさいにとりさん。ちょっと考え事をしてて――」
「私も家に行ってやろうかと思ったんだけどチルノ達に止められてね。殴りかかりそうだから」
「あやーそれはご勘弁です」
「魔理沙も殴りたくてウズウズしてるらしいからすぐに工房に来てくれる?」
「ごめん被ります。でもにとりさん何で私を殴りたいんですか?」
「何言ってんの?」

 自然に疑問が出た。
 その疑問に疑問で返された。

「いやー家族でもないし。心配してくれるのはわかるんですけど、何でにとりさんが怒っているのか――」
「ちょ、ちょっと待ってそれ本気で言ってるの?」
「何か可笑しいですか? 友人を心配するのは友人として当然です。でも他人は他人。その人がどうなろうと自分には関係ないはず。
 そりゃ仕事なら休まれると怒りもするでしょうけど、特に私が何をするでも無し――」

「馬鹿っ!!」

 にとりの怒気に黙るしかない。
 あのね、と前置きしてにとりから出た言葉は。

「大馬鹿やろうがっ!!」

 やっぱり馬鹿と言われる。
 こういう人間の心の機微が苦手なのは前からだが、仕事では問題ないし寧ろ一歩引いた感情で何事にも接した方が得だと学んでいる。
 だからこそこういった疑問を口にするのは初めてだったりする。
 なんとなくはわかるが今一つその感情が使いこなせてない違和感。

「前から思っていたけど‥‥‥お前、何なの?」
「にとりさんが何を言いたいのか――」
「その『さん』が気に食わないんだよ!! 自分は部外者だとそう言いたいのか?」
「ち、違います。誤解です私はそんなつもりで」
「その丁寧語の他人行儀。お前は私の友達じゃないのかよ!」
「そ、そんな人の口調にまでとやかく言われる筋合いは――」
「ねぇよ! そんなん知ってるよ。私が言いたいのはそういうことじゃなくて、私が嫌だって事!!」

 にとりが怖い。
 こんなに自分を否定して怒られる事は今までなかった。
 何故か無性に腹が立つ。何を言っているんだこいつは。

「言いたい放題‥‥‥にとり、こそ何なのよ‥‥‥」
「お、怒ったか? そんな他人行儀だから椛とも別れる事になったんだよ。結局はお前は椛を見ていなかったんだよ。
 椛を妹のように世話する自分に酔っていただけだ。家族のフリをして楽しんでいただけ‥‥‥」

「やめろ」

「‥‥‥」
「にとり、アナタにそこまで言われたくない。何がわかるっていうの? 私はアナタのそのデリカシーの無いところが嫌いだ。
 そんなことわかってる一番自分が良くわかっている。
 私の悲しさが家族が最初からいるアナタにわからないでしょ? ねぇにとり。そうでしょ?」
「じゃあアンタはどうしたいのさ?」
「私は‥‥‥」

「私が文の事を知らないのは当然じゃん。だって話してくれないし、どう思っているのかわかるわけないじゃん。
 話せよ! 相談しろよ! 一人で抱えて悩んでますって引き篭られても正直迷惑だよ。
 どうして欲しいのか言ってくれないと助けられないでしょ!」

「わ、私は‥‥‥椛ともう一度話したい‥‥‥会いたいよ。これっきりなんて、嫌だよぅ」
「じゃあ迎えに行けばいいじゃん」
「そんな‥‥‥椛の方が会いたくないんじゃ‥‥‥」
「違う! 椛の気持ちなんて関係ない! 文‥‥‥『射命丸 文』がどうしたいか、でしょ?」

 
 ふふ、と文は笑った。
 腑に落ちた。
 もどかしさが消えていき、頭が冴える。
 何でこんな簡単な事に気づかなかったんだと自分を笑ってしまう。

「ありがとう、にとり!」
「え? あ、うん。どういたしまて。何かわかったの?」
「えぇ、理解しましたとも。とりあえず私は椛を殴りに行きます!」
「え!?」

「椛がどう思うとか関係なし、今私はグーで椛の顔を殴りたい衝動で一杯です。
 今まで確かに私はどこか椛に遠慮していました。椛をそれを感じて深く関わろうとはしなかったんです。
 気をつかう事が優しさだと勘違いしてました。そうじゃないんですね。
 私達はもっと喧嘩しないといけなかったんです。言いたいことを全部ブチまけてぶつからないといけなかった。
 ‥‥‥私は、私達はそれを怠った。
 今から私は椛を探しに行きます。必ず連れ戻します。それが私の一番やりたい事!」

「‥‥‥そうか。なら誰か一緒に行けそうな人を探して――」
「大丈夫! 私はクワちゃんと一緒に行くから」
「クワちゃんってあいつは修理が終わったら飛び出していって――」
「目の前にいるわ」
「えっ!? ていうか、なら早く言ってよ!!」
「いや、いきなりにとりが喧嘩売ってくるから‥‥‥それより、にとり。護身用の銃かなんかあれば助かるわ。
 私戦闘スキルゼロなんで、オートフォーカスみたいに何でも勝手にやってくれるのが希望」
「無茶言うっーて、あるわ。あるある、普通にある」
「既に実用化っ!?」
「前に魔理沙が使っていたやつがある。今は誰も使ってないから文にやるよ」

 魔理沙が使っていた護身用の銃は音声認識で銃弾を変える。戦闘の状況に応じて切り替えられるわけだ。
 しかも軽量の素材で作っていて、反動も少ない。女、子供でも容易に扱える。
 標準弾、貫通弾、反射弾、焼夷弾、炸裂弾、熱誘導弾と換装でき、
 手ブレ補正機能を付いているため、素人でも撃てるらしい。

 まさに文にうってつけの一品だろう。
 願わくば使用しないに越したことはないが‥‥‥。

「じゃあ一度工房に取りに行くわ。準備しといて」
「あいよ。ちゃちゃっとメンテしとくわ。あと‥‥‥文‥‥‥」
「はい?」
「悪かったよ。私感情的になるとまくし立てる癖があるから、言いたいこと言ってごめん」
「言った事には謝るけど、内容については謝ら無いところがあなたらしいですね。ふふ、私もおかげでスッキリしましたよ」
「椛と過ごした時間、それは確かにあったんだ。それがどんな形にしろ無くなりはしない」
「えぇ、椛は私の妹分ではなく『妹』です。ならば姉として家出した妹をひっぱたいて連れて帰ってきますよ」
「あぁ、よろしく頼むよ。あと会ったら伝えてくれ」
「何を?」
「勝ち逃げは許さんと、将棋の話だよ」

 文は知らなかったがにとりとは将棋友達らしい。
 科学大好きのにとりがレトロな将棋を指すとは意外だったが、椛の影響か?
 でも二人で頭を悩ませながら、将棋を指す姿は不思議と合っていた気がした。

「えぇ必ず伝えとくわ。あと何かある?」
「私の分も殴っといて」
「ふふ、了解!」


 電話を切る。
 クワちゃんと目が合う。

「急いで支度をします。一緒に椛を連れ戻しましょう」

 ぶーん、クワちゃんは頷くように空中で体を沈めると、文の頭の上に乗る。
 今まで椛の頭の上にしか乗らなかったのに‥‥‥感慨深いものがある。

「これからもよろしくね!」

 クワちゃんの頭を撫でようと指を近づけた。

 ――ガチーンッ!!


「いっ痛、いたたたた!!」


 痛かった。想像以上に‥‥‥近づいたクワちゃんとの間柄でやられても甘噛み程度とタカをくくっていた。
 支度が十分遅れた。


 















―次回予告。

≪雪は一つとして同じ結晶はない。
 指紋と同じ理屈だ。
 偶然告示した形状の結晶ができることはあるが
 それはあくまで偶然だ。




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