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[30701] 死神亜種 【異世界トリップ・ほのぼの系ラブコメ】
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/22 13:01

◆ 連絡事項 ◆

 ・ 12/22 プロローグ → 編集



◆ はじめに ◆

 初めまして、新参者の羽月うづきと申します。

 良し悪しのご指摘、感想欲しさに、なろうで掲載しているものを改稿しながら此方に投下してみました。文章力向上が目的です。

 ……と以前書いていたのですが、付け足します。
 貴重なご意見を頂きましたので。某お方、本当にありがとうございました!!

 ここでは正統派、ネタなしのラブコメはコメントし辛い、ツッコミ辛いぞ、と。
 すみません、サイトの傾向を無視して無理を押し付けておりました;
 ですので、目的に書いた指摘や感想は無理に求めないようにしました。
 そもそも目的の根源は読者様に楽しんで頂けるようにというものなので、それを改めて目的としたいと思います。もしそれでもご指摘下さるなら跳ねて喜びますけれどもね。

 まだまだ実力が不足し過ぎていますが、少しでも楽しんで頂けると幸いです。


 今回のものは処女作です。
 故に至らない点がゴロゴロと出てきそうですが、生暖かく見守って下さると嬉しいです。そしてもしご指摘して下さるなら更に嬉しいです。

 ご指摘、感想といっても行き過ぎた中傷はそれなりに凹むのでご容赦下さい。
 ご指摘ならば多少キツイ言葉でも大丈夫です。ウマウマと消化したいです。
 時折飴も頂けると喜びます。でも与えすぎは禁物……基本怠け者なので鞭も下さい。
 要求多くてすみません。


 小説を読んで頂けるならば以下の点にご注意下さい。

 ・ ちょっと流血表現あり
 ・ ちょっとグロ表現あり
 ・ R15まではいかない……と思うけど、ちょっとセクハラ有り
 ・ ストックがある限りは1~2日おきに投稿、なくなり次第カメ更新の可能性あり


 以上の点で「大丈夫!!読んでやるよ!!」といったお方がおられましたら、どうぞ宜しくお願い致します (´・ω・`)



◆ あらすじ ◆

 下校中、黒猫と出会った私。目の前にもふもふが……!これは是非にもふもふを堪能したい。ただそれだけだったのに……。トラックに撥ねられかけた黒猫を助け、私は多分死んだのだろう。あれから早5年、私は今、死神育成学校__通称『死学しにがく』の2年生である。

 ※マイペース過ぎる主人公が繰り広げるコメディー小説です。今の所シリアスの欠片もありません。




[30701] プロローグ
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/22 10:25

 現日本において、黒猫といえば不吉を呼ぶものという印象がある。
 しかし、実は江戸時代あたりでは魔除けや厄除けなど、不幸を退けるものとして親しまれていたようだ。外国でも幸せの象徴となっている地域もある。

 私の見た黒猫は前者か後者か…………どちらだったのかは分からない。





 夏の夕日を浴びながらの下校中、私の目の前に黒猫が現れた。9月中頃の夕方はまだ暑い。午後の体育でバスケという夏には地獄の種目を行い、上着が絞れる程の大量な汗をかいたというのに、また次から次へと汗が滲み出てくる。不快度が最高潮だ。帰りにコンビニへ寄ってアイスでも、と思っていたのだがそんな思考は瞬時に何処かへと吹き飛んだ。

 キラキラと宝石をめ込んだかの様な透き通った綺麗な蒼い瞳、触り心地が良さそうな艶々の黒い毛、スラリと伸びた足____目の前の黒猫はかなりの美人さんだ。

 ……。
 ………………アリエル。……うん、しっくりくる。

 目の前の黒猫さんを穴が空くほど凝視しながら一人納得してうんうんと頷く。
 アリエルって雰囲気を醸し出している様な感じの黒猫さん。どんなだよと突っ込まれそうだが私には他にピッタリな言葉が見つからない。アリエルはアリエルだ。
 私の中でこの目の前に佇んでいる綺麗な黒猫をアリエルと命名する事に決定した。

 私は動物が好きだ。見かけたらもふもふしたい、出来る事なら全力で。しかも今回は滅多に見かけない程の上玉。是非とももふもふ……せめて一撫でだけでも触りたい。
 私はアリエルの隙を伺っていた。道端で手をわきわきしながら姿勢を低くし、いつでも飛び付く事が出来るよう体制を取った私と、それを引いた様子で見ながら体勢を低くし、物凄く警戒心丸出しでじりじりと後ずさる黒猫アリエル
 怪しい事この上ないがそれが何だというのだ。もふもふ天国を味わえるのなら人目など気にしない。今、通りかかったオバサンが異様なものを見る目でこちらを凝視していたが知らない。私、今それ所じゃない。

 かれこれ5分ほどこの静かな攻防戦を繰り広げているのだが、どうしたものか。相手に全く隙が出来ない。…………アリエル、やりおるな。
 しかしそろそろこの体勢もキツくなってきた。何せ5分と言えどぶっ通しで中腰状態を維持しているのだ。……もうこれは軽く筋トレである。部活をしていない上に体育の授業も適当に動いている為、ここ2年ほど運動という運動をしていない。そんな身体が鈍りに鈍り切った女子高生には物凄く辛い。現在、足はプルプルと震えている。

 もう足が限界だと思ったその時、アリエルが動いた。____しまった、見事に隙をつかれてしまった。

 一歩出遅れて後を追うが追いつけるだろうか?
 あぁ、私のもふもふ……っ!!

 もふもふ求めて全速力で突っ走る私。
 制服である膝丈のスカートが思いっきり翻ってしまうが、スパッツを内蔵させてある。見苦しいものを晒すことはないので何も問題はない。
 私は踏み込みに力を入れ、更に加速させた。
 全てはもふもふの為、錆び付いた身体を叱咤し稼働させる。
 もふもふしたい、もふもふしたい、もふもふしたい……っ!!

 頭をもふもふ天国が占拠した。私は目の前のもふもふ求めてまっしぐら。
 人間って凄い。ってか私って凄い。私、やれば出来る子だった。

 3メートル、2メートル、1メートルとどんどんアリエルとの距離を詰めていく。ふぬぅ……、あともう少し…………っ!
 アリエルが私との距離を測る為かチラリと振り返り、その綺麗な眼を見開いて仰天する。……それはそうだろう。普通の人間の所業ではない。
 その光景を見た彼女は軽くパニックになったのか、今まで直進していたコースを急に直角に曲がり、道路に飛び出してしまった。
 彼女を目で追えば、そこへスピードを出したトラックが突っ込んで行くのが見える。



 ブレーキは____間に合いそうにない。



あぶ……ッ!!」

 間に合え、とこれでもかというくらい足に力を入れて踏み切り、私もアリエルに続いて跳んだ。

 足元を流れる白いガードレール、トラックのけたたましいブレーキ音、誰かの悲鳴。
 自分以外の全ての時間がスローモーションのように過ぎていく。
 今なら過ぎ行く足元に転がっている石を数える事だって出来るだろう。

 ____だが私の意識は全て目の前の黒猫へと注がれた。

 もふもふは正義!アリエルは正義!私が護らなければ……ッ!!

 懸命に伸ばした両手でガッチリとアリエルをキャッチし、自身が空中に浮いたそのままの状態で最後の力を振り絞ってポーンと彼女を放り投げた。
 助け方が少し乱暴になってしまったが、彼女は猫である。着地はお手の物だろう。



 予想通りアリエルが向こう側へ華麗に着地したのを見届け、私の視界は暗転した。




[30701] 【第一章】 歴史のテストは赤丸一つ
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/11/30 14:03

「――――明日はペアを発表します。今日はここまで」

 授業終了のチャイムと共に教師が終講の号令をかける。
 号令をかけたのは先程までのHRを仕切っていた担任のイズミ先生という女教師だ。少しウェーブのかかった長い翡翠色の髪を一つに括ったその物静かな美人さんは正にクールビューティーという二つ名を付けたくなってしまう。
 やはりというか、多大な男子生徒の人気を誇っている彼女。しかし、怒ると物凄く怖いので誰も表立ってアタックを仕掛けようとはしない。影でファンクラブなるものが出来ているらしいと聞いた事があるが、イズミ先生にもしもバレたら……いや、私無関係だし、考えるのも怖いので止めておこう。

「ヒイラギ、後で職員室に来なさい」

 教室を出ようとして立ち止まったイズミ先生が、肩越しに振り返って私にそう告げた。
 お呼び出しを喰らったのはこれが初めてではない……寧ろ常習犯だ。私は慣れた様子で「了解でーす」と軽い調子で返事を返す。そんな私の様子に若干目が細められたものの、イズミ先生はそれ以上何も言う事なく教室を出て行った。

 今回のお説教の原因はきっと先ほど返却されたこの歴史のテストの答案用紙。右上に書かれた大きな赤丸…………つまり0点を取った事だろう。私は落ち込む事もなくその紙切れをボーっと眺めた。

「またやったの?ヒイラギ」
「あ、サカキ」

 後ろから答案用紙を覗き込み、呆れた様子で話しかけてきたのはサカキだ。
 彼女とはそこそこ仲良くさせてもらっている。腰までサラリと真っ直ぐ流れる綺麗な紺色の髪を揺らしながら席に座っている私の前へ回って来た。私はそれを見届けた後、へらりと笑っていつもの言葉を口にする。

「うん、やっちゃった」
「『やっちゃった』、じゃないわよ」

 眉間に深い皺を寄せながら腰に手をあてて見下ろしてくる美人な彼女。……うん、凄い迫力だ。
 彼女は今だへらへらと笑みを浮かべている私から答案用紙を奪って一瞥し、更に深く眉間に皺を寄せた。……どこまで深く皺を寄せることが出来るのだろうか?ちょっと気になったが、それを言うと絶対殴られるのでお口チャックで黙っておく。態々痛い思いなんてしたくはない。

「笑ってる場合じゃないわよ。0点て……しかもコレ何?」
「ん?……あぁ、暇だったんだよ」

 彼女が指をさした先には簡素な家が描かれていた。
 他にもそれよりはもう少し大きな家や星、ロケットなどが解答用紙の至る所に描かれている。所謂、一筆書きというやつである。
 それがどうしたといわんばかりな態度の私へ、彼女はジロリと睨むような視線をくれた。一見キツく見えるこの視線にも慣れたものだ……まぁ慣れてしまう程までにこの視線をもらう様な事を今まで私がしてきたわけだが。
 サカキ、すまん、と心中で謝りながら私は平然とそれを受け止める。しかし何度それをくれた所で私は自身を改めるつもりはない。さっさと諦めると良いと思う。

「テスト中に暇ってのもアレだけど、落書きって……解答欄は真っ白じゃない」
「まぁ毎回の事だよね」

 あははと笑う私にもう怒る気も失せたのか、サカキは深い溜め息を吐き出して解答用紙を返してきた。私はそれを受け取り、鞄の中にがそごそと仕舞う。

「ヒイラギ、このままじゃ留年するわよ?」

 顔を上げると心配そうにしているサカキが視界に入った。彼女は何だかんだ言いつつもこうやっていつも心配をしてくれるのだ。心配なら心配と最初から言えば良いのに必ず怒る所から始まる不器用なサカキさんである。
 今日も今日とて心配そうに忠告してくる彼女の様子に自然と笑みが零れた。

「大丈夫だって。心配してくれてありがと」
「大丈夫なわけないでしょ。どっからその自信が来るのよ。赤、しかも0点取ってるのよ?こんな解答欄が白紙状態で追試大丈夫なの?」
「大丈夫大丈夫。今までコレで2年まで上がれてるし」
「いや、確かにそうなんだけど……」
「じゃ、そろそろイズミ先生が待ちくたびれてるだろうから怒られる前に行くね」
「あ、ちょっと!」

 まだ言い足りないといった様子のサカキを残し、教室を後にする。
 彼女は凄く心配性というか何というか……。毎回心配してくれるのは有難いが、いつもそれは杞憂に終わっている。いい加減信じて欲しいものだと思うが、多分何を言っても無駄であろう。
 私は早々に諦め、今日の晩御飯は何かなと考えながらのんびりと階段を下りていった。



 ◆ ◆ ◆



 教室を出て約2分。私は職員室前まで辿り着いた。
 同じ事情で此処へ来るのは何度目だろうか。面倒臭いなと溜息を吐き出しながら2回ノックし、ガラガラと少し重たい扉を開ける。

「失礼します。2年C組のヒイラギです」
「……座りなさい」

 イズミ先生に促され彼女の机の傍にセッティングされた、もうヒイラギ用と言っても過言でない椅子によいしょと腰掛ける。
 尻に馴染んだそれがギシリと音を立てた。馴染む程までに何度も座るとかどうなんだろうと一瞬考えたが、まぁ愛着も湧いたし良いとしよう。……いや、良くはないか。面倒臭いので出来れば何度も通いたくはない。
 イズミ先生は私が大人しく座った様子を確認すると、手元で作業していた書類を机の端にバサリと置いてこちらへと向き直った。予想通り、彼女の眉間には皺が寄っている。

「何故呼び出されたかは……もう言うまでもないわね?」
「はい。コレですよね?」

 私はそう答えて鞄の中から例の紙切れを取り出し、イズミ先生に提示した。
 先程無造作に鞄へ突っ込んだせいか、所々ぐしゃりと皺になっている。まぁ破れてはいないので見る分には問題ないだろう。
 イズミ先生はそれを一瞥し、皺について特に何かを言う事はしなかったが少し眉間の皺が深くなった。……ちょっと気になったらしい。すみません。
 私があははーと笑って誤魔化していると、彼女は視線を紙切れから私に移し、もう幾度と聞いた台詞を吐き出した。

「……そう、ソレ。文字は名前の部分しか書かれていないわ。何故何も書かないの?記号選択の問題もあったでしょう?」
「分からなかったからです。覚えてませんから」

 同じくして幾度と吐いた台詞をしれっと言う私に、片手で顔を覆いながら深い溜め息を吐くイズミ先生。哀愁が漂っていてなにやら大人の雰囲気……って、見惚れてる場合ではない。いかんいかん。

「貴方に何を言っても無駄なのかしら?」
「そうですね」

 説教聞きながらも早く帰してくれないかな、とか思ってるし。
 淡々と続けるこの遣り取りは最早職員室での恒例行事と化している。無駄なのか、と尋ねつつも無駄な事であるとイズミ先生も分かっている様だ。彼女はまた深い溜め息を吐き出した。

「この死学しにがく始まって以来だわ、貴方みたいな人は」
「はぁ」

 またもや私の適当な返事にイズミ先生は呆れきった様子で「もういいわ」と仰った。これが説教終了の合図だ。
 私はそのお言葉に甘えてちゃっちゃと帰らせて頂く。失礼しましたと形ばかりの礼を取り、私は第二の我が家へと足を運んだ。



 ____そう、私が今いる此処は日本ではない。

 そして地球ですらない異世界なのである。



 黒猫アリエルを助けて事故にあったあの日から早5年。私はこの異世界『イグラント』で死神育成学校、通称『死学』の2年生をしている。




[30701] 【第一章】 迷いの森に佇む隠れ家
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/03 04:41

 私の第二の家は森の中にひっそりと佇んでいる。そしてそこは死学からそんなに離れていない。寧ろ近い。詳しく言うと死学の裏手の森に入って徒歩5分程で到着してしまう。

 第一の家__つまり日本の家にいたときは学校まで徒歩と電車の乗り継ぎを経て、移動時間は合計1時間近くかかっていた。電車内で寝てしまって、「はて?此処は何処?」なんて惨劇もちらほら。勿論遅刻だ。開き直り、屋台のヤキソバを求めて近くの海に行ったことが懐かしい。そんなこんなで私からすれば近距離というだけでとてつもなく良物件に思える。今まで移動に費やしてきた時間を他にあてられるのだ。睡眠とか睡眠とか睡眠とか……とにかく睡眠を遅刻ギリギリの時間まで貪り尽くしたい。二度寝三度寝と時間の許す限り繰り返し、至福のあのまどろみの時間、寝落ちする瞬間を味わうのだ。……嗚呼、近いって素晴らすぃー。ブラボーぅ。
 そんな目と鼻の先にある我が第二の家だが、その存在を知るものは殆どいない。原因はこの家の主、タチバナさんだ。

「お帰りー」
「ただいまっス」

 死学を出発して早々帰ってきた私を家の前でのほほんと迎えてくれた年齢不詳なお姉さん。
 サラサラショートの金髪にエメラルドグリーンの瞳、陶器のような滑らかで白い肌、そして完璧なボディーラインというラスボスも裸足で逃げ出すと思われる最強防具を惜しげもなくフル装備。彼女がニッコリと微笑めば一体何人の男共が貢物を捧げるのだろうか。下僕志願者も続々出てきそう……怖い怖い。目の前の人物はそんなことをついつい考えてしまうほどのものすごい美人、正に生きる芸術。それがタチバナさんだ。

「ヒイラギー、紅茶飲みたいなー」
「了解っス」
「ありがとー」
「いやいや、タチバナさんもお疲れっス」
「いえいえー。あ、ミルクティーが良いなー」
「うっス」

 シャキシャキと体育会系の返事を返す私。タチバナさん相手だと条件反射でこうなってしまうのだ。
 まぁそんなことより今は任務を遂行しなければ。生きる芸術タチバナさんの御所望、ミルクティーを入れるため、私は目の前に佇んでいる2階建てのカントリー風な我が家へと足を踏み入れた。
 間延びした喋り方にこの容姿、そして輝かんばかりの笑顔。思わず護ってあげ…………いやいや、馬鹿を言っちゃいけない。
 この人はこんなナリをしているが見た目だけで判断すると酷い目に遭う。現に先程私を迎えてくれたタチバナさんの手には誰が見ても彼女には相応しくないと思うだろう大きな斧が装着されていた。それを片手で軽々と振り下ろし、木をぶった切っている。スコンスコンと小気味良い音を奏でながら鼻歌まで歌っている様はまるで夕飯の為に包丁でキャベツでも刻んでいるかのようだ。だが、か細い腕から放たれるこの一撃一撃はそこらのマッチョごときじゃ足元にも及ばない。違和感を抱かずにはいられないこの光景…………私は慣れるのに1年ほどかかった。
 彼女はどうやら薪割りをしてくれていたようだ。私がやると半日仕事なそれを彼女に任せるとあっという間に終了するのでとても助かる。

 話は戻って、何故この家の存在が知られていないことの原因がタチバナさんなのかというと、彼女がこの家周辺に結界を張っているからである。この世界には魔力というものが存在するのだが、それが並大抵の力の持ち主ではこの結界に気付くことすら出来ずに通り過ぎていく。結界に触った瞬間、森のどこか違う場所にワープしてしまうのだ。森の中はどこも同じような景色なので知らないうちに強制ワープさせられ「此処は何処なんだ」と迷子になる人が絶えない。故にここは「迷いの森」と安直な名前で呼ばれている。
 傍迷惑極まりないが仕方ないとも思う。こんな恐ろしい美人が一人暮らしをしているのだ。襲った奴らの方が心配である。絶対に無事では済まない。何故森の中なのか本人から詳しくは聞いてはいないが、多分アタックする奴やら襲う奴が押しかけてきてタチバナさんの返り討ちに遭うということが繰り返されてきたからだろうと私は推測している。そりゃあ鬱陶しくもなるもんだ。私だって同じ目に遭えば森に篭ることを躊躇いなく選択する。

「ふー、いい汗かいたー」
「そんな涼しそうな顔して……汗なんて一つも掻いてないじゃないっスか」

 色々考えている内にタチバナさんが仕事を終わらせ家へ入ってきた。先ほど家の前で山済みにされた薪を見たのだが……汗一つ掻いてもいないのは流石といったところか。「ふいー」と汗を拭う振りだけをしている。毎回思うが彼女は化け物だろうか…………思っても勿論口に出すことはない。断じてない。理由は言わずもがな。心の中だけに留めておく。
 タチバナさんが椅子に腰掛けたので今入れたばかりのミルクティーと昨日作っておいた紅茶のクッキーを棚から出して彼女の目の前に置く。紅茶紅茶しているがまぁいいだろう。

「ありがとー」
「いえいえ」

 優雅にミルクティーを口へと運びながらもそもそとクッキーを齧るタチバナさん。美味しい美味しいと合間に言いながら食べる様は、仕草は上品だが何だか小動物を見ている気分にさせる。



 ____私は5年前にこの人に拾われた。

 5年前の真夜中、私はこの世界では異質な制服姿で入れるはずがない結界内のタチバナさん宅に突然訪問したのである。そのときタチバナさんは目を丸くし少し驚きを見せただけで怪しかったに違いない私を快くこの家に入れてくれた。
 異世界から来たからだろうか。よく解らないが私はこの結界にすんなり入ることが出来る。初めは通じなかった言葉もタチバナさんが何か呟いた後通じるようになった。恐らく魔法だろう。ファンタジー小説やらにお決まりな事だが、それがとてつもなく有難かった。……異世界で言葉が通じないとか考えただけで恐ろしすぎる。実際、最初タチバナさんから発される言葉が理解できなかったときは軽く絶望した。
 それから事情を話し、結果、この家に置いてもらえる事になった。右も左も解らない、言葉すら通じない状態だったのを助けてもらったのだ。感謝してもしきれない。タチバナさんは私にとって恩人であり、第二の母のような存在である。

 彼女にはお世話になっている間に色々この世界の常識も教えてもらった。中でも驚いたのは、この世界では自分自身が死神に適合するという事だ。死神といえば不老不死のイメージだが、この世界ではちゃんと寿命がある。死神も悪魔も天使も人間と同じように生まれるらしい。タチバナさん曰く、私はその中で死神に当て嵌まるとの事だ。
 私が今通っている死神育成学校はその名の通り死神として生まれた者を育てる学校である。授業内容は机に向かって勉強する筆記、そして実際に実践する実技と実習がある。筆記は日本で習うような国語に始まり、数学、化学、この世界の歴史など、実技ではサバイバル練習などをし、最終的に実習で死神らしく魂を狩りに行くのだ。

 因みに1年前から死学へ通うようになったのは自主的に行こうと思ったのではなく、「明日から死学に行ってらー」とタチバナさんが私に言ったからだ。既に手続きを済ませた後で急に言われたのでビックリした。拒否権は勿論ない。宣告された時点でそれは決定事項なのである。
 まぁ学校ではそれなりに楽しくやっているので今では感謝している……が、急に言わないでほしい。私にだって少しは心の準備というものがある。
 しかしそれをこの人に言ったところで意味はない。……諦めが肝心である。

「今日学校どうだったー?」
「呼び出されてまた言われたっスよ。あー、明日はペアが発表されるらしいっス」
「あーペアねー。気に食わなかったらやりたいようにやれば良いよー。ヒイラギの場合言わなくてもそうするだろうけどー。うふふー」
「そうっスね」

 会話をしながら私はタチバナさんにカバンから出した例の紙切れを渡す。タチバナさんはそれを受け取り、幾許いくばくか眺め、指をさす。

「これなにー?よく解んないけど何か凄いー」
「あー、それは一筆書きといってですね、ペンを一度も紙から離さずに絵を描くんスよ」
「へー、落書きなのに頭使うんだねー。この不思議物体は何ー?」
「ロケットっス」
「なるほどー、よく解んないー」
「宇宙に行ける乗り物っス」
「おー、すげー」

 興味津々できいてくるタチバナさんに一筆書きを教えたり、くだらない話をしたりして今日1日を終了した。



 因みに赤丸をとったことに対してお叱りはなく会話にすら出てくることはなかった。




[30701] 【第一章】 黒学の生徒についての考察
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/11/30 14:39

 朝、許される限りの惰眠をむさぼり、まだパジャマ姿のタチバナさんに「遅刻しても良いけどすっ転ばないでねー」という注意を受けつつ我が家を後にした。

 私は一定の速さで足を運んでいく。森を抜け、昇降口を跨ぎ、私はチャイムと共に教室へ足を踏み入れた。遅刻ギリギリである。タチバナさんの注意を守る為、勿論歩いた。家から学校までの距離と時間の計算は我ながら完璧だ。
 私は満足して窓際最後列の自分の席へと着席した。うむ、ベストポジション。

「おはよ。今日もギリギリね」
「おはよ。計算通りなのだよ」
「……そんなことに頭使わないで歴史覚えるとかしたら良いのに」

 隣の席からサカキが話しかけてくる。…………ってかまだ歴史のテストの赤丸気にしてたのか。本人より気にするってどうよ?

「髪もボサボサだし……いい加減直してから来なさいよ。折角綺麗な髪してるんだから」

 ぶつくさ言いながらサカキは櫛を片手に持ち、私の明るい茶髪に触れてせっせと寝癖を直してくれる。いつも寝癖をそのままに登校してくる私に見かねた彼女が直してくれるのだ。これはもはや日課となっている。
 スッと通る櫛の感触の心地良さに思わず頬の筋肉が緩む。サカキを振り返りへらりと笑いながら「ありがとー」と礼を述べると彼女は「次は自分で直しなさい」と言ってそっぽを向いてしまった。相変わらず手は優しく髪を梳いてくれているし、頬が少し赤い。今日も良いツンデレ具合だ。
 私がにやにや笑っているとサカキは誤魔化す様に話題を変えて話しかけてきた。

「早速朝からペア発表らしいわよ。今、黒学くろがくの生徒を講堂に詰め込んでる最中らしいわ。さっきイズミ先生が連絡してそのまま行っちゃった。大変そうね」
「ふーん」
「ふーんてあんた……他人事じゃないのよ?ペア決まっちゃうのよ?3年間ずっと一緒なんだからね?」

 わかってんの?と私に言い寄るサカキ。近い近い、顔が近い。そんな美人顔で迫られると惚れてしまうではないか。勿体無いことに相変わらず彼女の眉間には皺が刻まれているが……いや、私のせいなのだけれども。
 サカキがさっき言った黒学とは『悪魔育成学校』の事である。悪魔育成学校、通称『黒学』。その名の通り悪魔を育成する学校の事である。
 私達が通っている死学は7年制だ。1年のときに教科書を使った勉学、そして2年になるとそれの他に黒学の生徒とペアを組んでの実習が組み込まれてくる。ペアは2年から4年の3年間、そして5年から7年の3年間で計2回組む。今決めるペアは5年になると組み直される。つまりどんなに気に食わない奴でも1回ペアを組まれてしまうと3年間ずっと行動を共にしなければならない。ちなみにペアはくじ引きで決まるので運に任せるしかない。

 何故黒学と共に実習を行うかというと、死神は悪魔が弱らせた人間の魂を狩るのが主流だからだ。世の中の死神は殆ど悪魔とペアを組んでいる。実習はその予行練習といったところだ。勿論悪魔が関与していなくても弱っている魂があれば狩るのだが、明らかに悪魔が弱らせた魂の方が多い。
 逆に弱った魂を癒すのが天使だ。彼らは『天使育成学校』、通称『白学しろがく』に通っているのだが、何せ性質が正反対な為、黒学のようにこうやって実習することはない。

「全員講堂に向かいなさい」

 ガラガラと教室の扉が開き、顔を出したイズミ先生声を掛ける。どうやら準備が整ったようだ。
 丁度寝癖も直ったらしくサカキが「出来たわよ」と私の頭をぽんと叩く。寝癖だらけだった私の髪はサカキの手によって気にならない程度に見れるまでのセミロングを取り戻していた。所々重力に逆らっているツワモノもいるがこれは中々直ってくれないので仕方がない。

「ヒイラギ、行こ」
「ういー」

 ぞろぞろと移動するクラスメイトに加わり、私達も移動を開始する。移動中ざわざわと話す生徒から期待や不安、緊張など、様々な感情を読み取ることが出来る。
 おーおー忙しいことで。

「ねぇ、悪魔ってどんな奴ら?黒い翼バサバサ広げてげへげへ笑ってんの?リンゴが好きなの?」

 私の質問にサカキが噴出した。

「何それ!?どっからそんな話聞いたの!?ってかリンゴって何!?リンゴ!?リンゴってあのリンゴ!?」

 リンゴリンゴと連呼するサカキ。もうすぐ私の中でリンゴがゲシュタルト崩壊を起こしそうだ。そんなにリンゴが気になるか。
 この世界の物は何故か基本地球と同じである。私がリンゴと認識しているものはこちらの世界でもあくまでリンゴだった。たまに色が違うものがあるが、あまり困ることは無い。一から覚えなくて済むのは大変助かる。
 しかしこの反応を見る限り、どうやら私の考えているものとは違ったらしい。私の中の悪魔像は、黒いノートを持ち歩いているリンゴ好きで小粋な彼なのだが。……って、あれ?死神だっけ?
 まぁどちらにしろそれを言ったところでどうせ通じやしないので「いや、まぁ色々」と誤魔化す。
 実は、私は悪魔というものを見たことがない。今までの5年間、結界が張られた範囲と学校の間しか移動したことがないのだ。学校内でも先輩悪魔と接触するどころか遠目に見ることすらなかった。

「悪魔なんて外出ればそこらへん飛んでるのに出会ったことがないなんて……ある意味凄いわね………………まぁいいわ」

 今まで私が何処で何をしていたのか気になったのだろう。一瞬疑問を口にしそうな彼女だったが、今更私の非常識っぷりに突っ込んでも仕方ないと思ったのか、それを問いただすことはなかった。私の扱い方が少しずつ解ってきたようだ。順応能力はそこそこ高い彼女である。
 ふぅ、と溜息を一つ吐き出し、サカキは無知な私に懇切丁寧に説明してくれた。いつもすまんね。お礼はお昼のおやつに持ってきた紅茶クッキーを3つほど分けてあげよう。タチバナさんのために焼いたやつの残り物だが、そんなこと言わなければわからない。わかるのは私とタチバナさんだけである。
 ……おっと、また思考を変な方に飛ばしてしまった。ちゃんと説明聞かなきゃ怒られるので彼女の言葉に耳を傾ける。最初の方は聞いてなかったので途中からだが……まぁ問題ないだろう。大丈夫大丈夫、ごまかしは得意だ。

「――――で、彼らは皆外見は綺麗よ。美男美女ばかり。きっと人間を騙す為にそういう遺伝子を持っているのね。揃って髪は黒、瞳は赤と決まっているわ。色は自由に変えられるらしいけどそれが元の色。肌の色は黒が多いけど白い肌を持っている悪魔もいる……まぁ少ないけどね。黒い翼はあるけど消せるの。邪魔だから使うとき以外は消しているみたい」
「ほうほう」

 さも今まで聞いてましたよといった風に相槌を打つ。どっかの小説でそんな設定を読んだことがあるような、ないような。そんなことを考えながら彼女の説明を聞く。

「ただし、性格が最悪なの。乱暴者や捻くれてるのが多いわ。彼らとそれなりにやっていくにはかなりの精神強化も必要よ」
「わぁ、めんどくさそ」
「えぇ、扱いは難しいと思うわ。私達はこの実習で手綱捌きを磨かなきゃいけないの。私も気が重いったら…………あぁ、でも美形……」

 …………。

 ……どうやらサカキにとって美形という点は性格云々をも見事に弾き飛ばしてしまうほどの最重要事項らしい。美形が正義ですか。美形ならなんでも良いですか。そうですか。
 過去に見かけた悪魔でも思い出しているのだろう。彼女はうっとりとした表情を浮かべている。説明を聞いている最中、サカキは実習大丈夫だろうかと一瞬考えたが、この分だと彼女はしたたかにやっていきそうだ。心配するだけ無駄、杞憂に終わりそうなので放っておこう。



 ごちゃごちゃと話しているうちにいつの間にか講堂前に到着していた。2年生全員が集結しているので凄い人数、まるでちょっとしたライブ待ち状態である。人ごみの上からちらりと見える扉は閉まっているのでまだ入室はできないらしい。いつまで待たせるのだろうかと思いつつ扉を眺めていたら、イズミ先生のよく通る声が響いた。

「扉を開くので順に入って着席して下さい。席は開いているところなら何処でも良いです。……決して惑わされないように」

 そう言って先生は講堂の大きくて頑丈そうな両開きの扉を押し開いた。




[30701] 【第一章】 手綱の行方
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/11/30 15:43

 バタンと大きな音を立てて講堂の扉が開かれた。

 今までざわざわとくっちゃべっていた生徒達が黙り、途端に静かになる。私は最後列辺りにいるのでまだ中の様子を窺うことは出来ない。
 続々と死学の生徒たちが講堂内へと入っていく。そこでふとあることに気がついた。
 先頭群、つまり中の様子を窺うことが出来る集団の顔がほんのり赤い気がする。頬を赤く染め、フラフラと入っていく死学の生徒達____それはまるで恋をしているかのような…………っておいおい、マジかよ。手綱はどうした。華麗に捌くんじゃないのかよ。お前らが捌かれてどうするよ。

 誘導する先生達もその様子を目の当たりにして心なしか顔が引きつっているように見える。「やっぱりか」「またかよ」といった心の声が聞こえてきそうである。つい先程注意したばかりだというのにも拘らずこの有様。確かにこれは厳しい指導が必要になりそうだ……お疲れ様です。
 少しずつ順番待ちの数が減っていき、やっと中の様子が窺える所までやってきた私は、どれどれと黒学の生徒を拝見……しようと思ったのだが、急にガッシリと手を掴まれたのでそちらに視線をやる。
 掴まれた手を徐々に辿っていくと、そこには頬を染めて目をキラキラさせた恋する乙女なサカキさんがいた。うわぁ、やっぱりお前もか。
 ぎゅうぎゅうと……いや、ぎちぎちと握り締めてくる手を苦戦しつつも引き剥がす。アナタ握力どんだけあるんですか。手を見ると赤くなっていた。痛い。……やっぱりクッキーは一人で食べることにしよう。
 今サカキに文句を言っても無駄だ。絶対私の言葉なんて右から左へスルッと通り抜けてしまう。
 抗議を諦めて今度こそ講堂内へと視線を向け____

「…………何じゃこりゃ」

 あまりな光景に思わず声に出してしまった。顔も思いっきり引きつったかもしれない。

 __そう、この場面を一言で表すならカオス。

 此処はいつからホストクラブになったのだろうか……あ、ホステスも発見。
 この部屋の空気は何か濃い。何がって、あれだ、おそらくフェロモンとやらが。発生源は勿論黒学の生徒達である。
 お前らは蝶々か何かか。悪魔が鱗翅類りんしるいだったとは初耳だ……フェロモンなんて鱗粉みたいにやたら滅多に振りまくものではない。
 まだ一歩も足を踏み入れていないのに私はフェロモン酔いなるものを初めて体験した。勿論気分が悪くなる方、悪酔いである。
 彼らの濃すぎるフェロモンが私の自律神経失調を引き起こしたようだ。気分は最低最悪。そして若干吐きそうだ。
 吐いたらテメェらのせいだ……もしもゲロリンする羽目になってしまったら投下地点は奴らの頭の上にと心に決める。

 思わず悪酔いしてしまうこの空間。正直このまま回れ右をして出て行きたい。身体は正直なものだ。そう思った瞬間私の身体は素早く回れ右を__

「ヒイラギ、こっち空いてるわ」

 私が走り出すよりも一瞬速く、サカキの手が私の腕をガッシリガッチリとホールドしてきた。今度は更に強い力で締め上げてきやがるので振りほどくことが出来ない。
 一つ断っておくが、決して私は非力なわけじゃない、寧ろどちらかといえばかなり強い方だ。リンゴだって握り潰せるし。そんな私でも歯が立たないなんてサカキがおかしいだけである。そしてもっとおかしいのはタチバナさんである……彼女までいってしまうと、もはやバケモノ級であるが。

 目で訴えてもサカキが私の腕を放す様子はない。私の逃亡は阻止されてしまった……なんてこと。
 無駄に馬鹿力を発揮したサカキにズルズルと引きずられ、私はついに講堂へと足を踏み入れてしまった。

「うぐっ……!」

 ちょっと待て。

 何だ?何だかべらぼうに臭いぞ此処。
 強烈な香水を鼻に塗りたくられたような感覚だ。鼻がッ鼻がへし折れる……ってか何で他の奴ら恍惚とした表情してんの?鼻イカれてるの?そうなの?

「早く早くっ」

 容赦なく私を引っ張って行くサカキ。テンションがいつもの5割り増し高い気がする。
 一方私の気分は優れない。奥に進むにつれて頭も痛くなってきた。何コレ。
 思わず片手で鼻と口を覆った。……少しはマシになった気がしないでもない。着席するとサカキの手が離れたので今度は両手で覆う。……うん、これなら何とかギリギリいけそうだ。
 隣に座ったサカキを見ると彼女の向こう側に腰掛けている黒学の生徒と楽しくお喋りを開始していた。早くも丸め込まれているように見えるのだが……サカキよ、手綱を何処へ投げ捨てた?そそくさと拾って帰ってきなさい。
 私の投げかける生暖かい視線にサカキが気づく様子はない。



 それから暫く、口と鼻を両手で押さえつつ横目に恋する乙女まっしぐらなサカキを写す他、特に何をするわけでもなくぼーっとしていた。大分吐き気も治まってきたので周りを見回してみる。先程は吐き気やらなんやらとそれどころではなかったのでゆっくりと観察することができなかったが……なるほど、美形揃いだ。
 サカキの説明通り、黒髪に赤目の美形集団が講堂の半数を占めている。慣れない色彩を見ているからかちょっと…………いや、かなり不気味だ。
 サカキによると悪魔は乱暴者や性格がひん曲がっている奴が多いらしいが、今のところそれはわからない。ホストとホステスだ、くらいしかわからない。

 今、講堂内にいる教師は2人だけだ。死学と黒学それぞれ一人ずつ講堂の隅っこに立っている。親睦を深めるようにだか何だか言って残りの教師は出て行ったのだ。なので現在フリータイム。そこかしこで大人数が喋りまくっているので騒々しい。そしてその光景は親睦を深めているというより、ホストもしくはホステスが客に相手しているようである。……何度も言うが、此処は学校の講堂内である。決して夜のお店ではない。
 私はホストと馴れ合う気は更々ない。

 面倒臭いし寝てしまおうと、私は机に突っ伏した。




[30701] 【第一章】 陰湿遊戯に踵を贈呈
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/03 05:22

「おはよう」



 机に突っ伏してから早々寝るのを諦め、しげしげと講堂内を見回していた私。こんな五月蝿いところで寝られるわけがなかったのだ。

 そんな私に冒頭の挨拶が隣から飛んできた。見回していた目線をそちらに向けると黒学の男子生徒がニコニコと胡散臭……いやいや、一見人当たりのよさそうな笑顔を私に向けている。悪魔なのでもれなくこいつも美形である。
 出来るだけ関わりたくないが、何かされたわけではない。ただの挨拶だ……無視するわけにもいかない。

「おはよ」

 両手を鼻と口に当てているのでくぐもってしまったが伝わっただろう。挨拶は済ませたとばかりに、また講堂内ウォッチングへと専念する。

 今、私がいる講堂は円状のホールで、中心に向くようドーナッツ状に席が設けられている。そして後ろの席になるにつれて高度は上がっていく……サーカス会場みたいなものだ。ぽっかりと空いた中心には少し大きな机と椅子が3つずつ、こちらと対面するように三角形を描いて設置してある。主に講師が喋るスペースだ。私が座っている場所は後ろの方の席なので全体が中々よく見渡せる。

 こうやって見回していると男女の数が均等に取れている死学と違い、黒学は女子が圧倒的に少ないことに気が付いた。それでも男臭さを微塵も感じさせないどころか、寧ろ華やかになっているのは流石といったところか。

 ……しかし何処を見ても夜の店のような光景が視界に入るので落ち着かない。

 黒学男子に骨抜きな死学女子や、数少ない黒学女子に鼻の下を伸ばしきった死学男子。そこまでは解るのだが、黒学男子に頬を染めている死学男子がいるとはこれいかに。いくらあっちの女子生徒の数が足らないからってそれはアウトだろ。……いや、黒学の生徒が美形故にセーフか?…………いやいや、ギリギリアウトだ。
 何故なら男子が男子に頬を染めて恥じらい、身体をもじもじさせているのをリアルに見るのは決して気分が良いものではないからだ。こんな公の場でやられるのは勘弁である。是非人目に付かない所でこっそりやってくれ。それならアウトとは言わない。ギリギリ………………セウトだ。

 だだっ広い講堂内にその光景が隙間なく詰められていると想像してほしい。実にシュールである。
 ここは何処の店ですかね。何やら幻聴まで聞こえてきそうになる。はーい、こっちピンク入りまーす。はいはーい、こっちはタワーお願いしまーす。

 ……ところで私帰って良いですか?

「大丈夫?」

 また隣から声が飛んでくる。そちらを見ると先程挨拶してきた奴と目が合った。どうやら私に話し掛けているようだ。
 大丈夫かとは体調の事を訊いているのだろうか?……まさか頭ではなかろうな?先程まで阿呆な事を考えていたのがバレたとか?口に出して…………はないはずだ。うん、大丈夫。奴らのスキルに読心術とかがなければ………………そういえばサカキの説明ちゃんと聞いてなかっな。

 ……。
 …………。

 ……今更ながらにその部分が物凄く気になってきた。読心術スキルがあるよ、みたいな話だったらどうしよう。あのときしっかりと聞いていなかった自分が悔やまれる。

「えっと、余計な節介かもしれないけど……良かったらこれ使って?」

 思考の渦に飲み込まれて黙り込んでいた私に話し掛ける黒学生徒。

 ……ん?使って?

 知らぬうちに下を向いていた顔を徐に上げると、目の前に綺麗に畳まれたハンカチが差し出されていた。ハンカチを持ち歩いている男子生徒とは珍しい……じゃなくて。何ぞこれ?
 頭にクエスチョンマークを浮かべて隣人を見やる。すると彼は少し困ったような表情をし、小声で

「……鼻血出てるんでしょ?」

 と、のたもうた。

 ハナヂ?…………鼻血?
 ……。

「此処に入ってきたときから鼻押さえてるでしょ?……ホントごめんね。気にせず使って?」

 黙ってハンカチを見ている私に彼は小声で更に追撃を仕掛ける。私の目は据わっているのだが全く気付く様子はない。

 ……つまりはあれか?私はお前らの魅力に当てられて思わず鼻血ぶーたれ娘になっちゃったと?原因は見目麗しい僕ちゃん達のフェロモンなんだけど、こればっかりはどうしようもないんだ、ごめーんねぇー、と?
 恐らく過去に実際こんな事態があったのだろうけど……すげぇな。自分達のフェロモンのせいだと信じて疑っていない。例え美形だとしても自信過剰もここまでくるとドン引きだ。

「……いや、鼻血なんて出てないのでいらないですよ?」
「あぁ、ごめんね。無神経だったよね。……でもそのままだと嫌でしょ?」

 ……うん、話が全くもって通じない。言葉自体は解るのに不思議なものだ。
 悪魔ってこんな奴らばかりなのだろうか?……こんな奴らがパートナーとか…………欝だ。

 弁解するのもアホらしいので無視して席を立つことにした。サカキは相変わらずなので放っておくことに。彼女は奥の手、怪力というものがある。もし何かあっても大丈夫だろう。
 よっこらしょと心の中で呟き、私は席を立つ。



 ____そのとき、何か嫌な視線を感じた。



 そちらに目を向けると、近くにいた別の黒学の生徒達がこちらを見ていた。
 チラチラと見ては隣に座っているもう一人の黒学生徒とくすくす笑っている。嫌な感じだ。よく見るとハンカチ野郎とも視線を交わしているようだった。

 ……あぁ、そういうこと。何という陰湿なやり方だ。

 つまり私は祭り上げられていたのだ。私は本当に鼻血なんぞ出していないのだが出していると仮定すればどうだろう。

 知られたくない事実を美形男子に知られ、ハンカチまで渡され心配される。美形男子のハンカチを鼻血で汚すことは躊躇われて必死に断るが相手は引いてくれない。結局強引に押し付けられるが使うことは出来ず、どうしたら良いのかわからなくなる。
 垂れているものが涙なら何も問題ない。恋に発展しそうな典型的な展開である。
 だが、今回の場合はどうだろう?
 涙ではなく、鼻血。そう、鼻血の場合なのである。

 普通の女の子なら恥ずかしい事この上ないだろうし、わたわたと慌てまくるだろう。その様を多人数で笑いながら観察するのだ。もしかしたら優しくした後に突き落とす気でいるのかもしれない。

 ……悪質にも程があるだろ。

 私がこちらをチラチラ見ている彼らに気が付いた事を知ってか、ハンカチ野郎は心配顔を止め、今度はにやにやと嫌な笑みを浮かべている。
 ……あぁ、うん、よくわかった。これが悪魔か。
 やられたらやり返す……というかその根性叩き直す。こういう輩は____大嫌いだ。

 私は今まで鼻と口を押さえていた両手を離した。

 目の前のハンカチ野郎の目が点になる。
 まぁ出ていると信じてやまなかった鼻血が出てないんだもんな。びっくりするよな。
 私は彼ににっこりと微笑んだ。



「ご心配どうも?」



 言うが早いか私はハンカチ野郎の顔面に回し蹴りをお見舞いした。

 斜め上から下に振り下ろし、若干踵落としの様になったので奴は吹っ飛ぶことはなく、強かに床に叩き付けられる。吹っ飛んで他の人に迷惑がかからないようにするための私なりの配慮である。少々大きな音を立ててしまったが……こればかりは仕方がない。

 椅子から落ちて床に倒れこみ、苦しそうに唸っている所へ、私は仕上げとばかりに言葉を吐き捨ててやる。

「テメェで使えよ、鼻血垂れ」



 ____彼の鼻からは夥しい量の血が流れていた。




[30701] 【第一章】 高級寝具+α
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/03 05:38

 目の前に長い螺旋階段が延々と続く。

 そこを私は壁に手をつきながら一人でよたよたとゆっくり歩いて降りていた。2年生は全員講堂に詰め込まれているので辺りはしんと静まっている。



 今いる場所は2年生の塔、『第二塔』の階段だ。死学ここの校舎は変わっていて、7つの塔で出来ている。1つの塔で1学年だ。塔の名前は単純に学年の数字を「第」と「塔」の間に嵌め込めば良いだけなのでわかりやすく、覚えやすい。
 全体の構成は第一塔から第六塔が第七塔をぐるりと囲んでいる状態である。それぞれ階毎にクラス分けされており、1つの塔にAからJの10クラスと体育館、講堂、職員室、2年の塔の場合は保健室がある。合計なんと14階建ての縦長な校舎なのだ。一階部分に職員室、その上に2年の場合は保健室、そしてそこからJ、I、H、G、Fと順にクラスが積み上げられ、その上に体育館が挟まれる。そこからまたE、D、C、B、Aと順にクラスが積み上げられ、最後に講堂がドシンと乗っかっている。
 職員室と体育館、そして講堂は各塔に複数存在しているわけではなく第一塔から第七塔のその階の部分だけが結合してワンフロアになっている。他の階には隣の塔と第七塔に繋がる渡り廊下が設置されている。

 私はこの校舎を初めて見たときウェディングケーキを思い出した。職員室と体育館、講堂がケーキ部分で他はそれを支える柱である。てっぺんに人形を飾れば完璧だ。
 この建物は建築構造力学的にどうかと思うが此処は日本ではないイグラントである。魔法やらなんやら使っているのだろう。本当に何でもありだ。

 それはさておき、私は現在講堂から保健室に向かって歩いている。
 今にも吐きそうになるのを必死に堪え、懸命に足を前に運んでいるのだ。原因は悪酔い。黒学の生徒が撒き散らかすあの傍迷惑な代物、フェロモンである。

 ムカつく奴に踵を喰らわせたあの時、鼻血なんぞ出てねぇよアピールで手を離してしまった。フェロモンが物凄く濃い場所で。蹴り倒して気分がスッキリしたのは良いが、吐き気に頭痛と体調の方は最悪になってしまったのだ。
 結構派手にやってしまったわけだが、全く騒ぎにはなっていない。あまり気付かれていなかったのだ。
 気付いていたのは私を祭り上げていた奴らと近場にいた他の黒学の生徒。前者は少し驚きを見せた後にやにやと笑い、後者はチラリと一瞥しただけでまたお喋りに戻っていった。死学の生徒は誰一人気が付かなかったようだ。皆お喋りに夢中だったのだろうか……そこまで夢中になるとか、そのうち貢ぎ始めないだろうな?……っていうかサカキ、お前真横にいて何故気が付かない。

 講師二人は勿論気が付いていたようである。黒学側の監視を勤めていた講師は眉間に皺を寄せてはいたが別に私に何かを言うということはなく、死学側の監視役を勤めていたイズミ先生からも特に何かを言われることはなかった。イズミ先生に関しては怒るどころか微かにほくそ笑んでいるのを私は見逃さなかった。……恐らく準備中に何かあったのだろう。

 そんなこんなで私は咎められることもなく、体調が悪いから保健室へ行くとだけ告げ、今に至る。

 ……ん?鼻血垂れ野郎?

 知らない。今、私は自分の事で精一杯だ。他人を気遣う余裕などない。

 まぁ余裕があったとしても奴に気遣うつもりは更々ないが。



 吐き気と頭痛を紛らわすようにあれこれ考えながら足を運ぶこと約10分。

 ……やっと、やっとだ。保健室の表札が見えた。下り階段とはいえこの体調で14階の講堂から2階の保健室まで徒歩で移動するのはキツイ。無事に辿り着いたことから来る安堵ともう立っているのも限界だという焦りが入り混じる。さっさとベッドに横になろう。
 ガラガラと扉を開け、消毒液や薬品の匂いが充満する保健室に足を踏み入れる。足取りが覚束ないので壁や棚にぶつかるわ椅子を倒すわでちょっとした惨事になってしまったが気にしている余裕はない。……ヤバイ、眩暈までしてきた。視界に影が差し、世界がゆらゆらと揺れている。気持ちが悪い。

 一番近くにあるベッドのカーテンに手を掛けよろよろと引く。そこには恋焦がれてやまないベッドが私を待っていてくれた。……あぁ、ベッド。会いたかった。やっと横になれる。
 私は最後の力を振り絞り、ふらつく身体をベッドへと転がして目を閉じた。まだ頭痛や吐き気は相変わらずであるが、休んでいるうちに治まるだろう。一つ長い息を吐き出して身体の力を抜く。

 ……うむ、やはりベッドは良いものだ。

 疲労した身体を優しく受け止めてくれる洗剤とお日様の良い匂いがする白いシーツが被さった低反発仕様の敷布団。風邪をひかぬように身体を優しく包んでくれる洗剤とお日(中略)白いカバーが被せられたふわふわで軽い掛け布団。……こいつはフェザー90%の羽毛布団様とみた。そして、頭を優しく支えてくれる(前略)カバーを被せられたこれまた低反発仕様な枕。……保健室のベッドにしては気前が良すぎ…………まぁ気にするまい。そんなことは今どうでもいいのだ。それら全てが私を癒してくれる。
 あぁ、幸せ。体の調子は最悪だけれども。

 健康良児である私に保険室は無縁である。今回初めて訪れたのだが、こんな素敵ベッドがあるなら仮病なり休み時間なり使ってちょくちょく来てしまおうか。
 幸せ気分で寝返りをうつと何かにぶつかった……抱き枕まであるとはとことん気が利く保健室である……が、硬い。他の寝具は最高級だというのに、けしからん。どうせなら抱き枕までこだわるべきだ。しかしこの抱き枕、温かいとは湯たんぽも兼ねているらしい。

 私はそのけしからん抱き枕がすこぶる気になり、閉じていた目を開いた。



 ____赤い二つの目と私のそれがかち合う。



「…………人型の抱き枕とか……ないわー……」

 ないわーと言いつつも、そうだと良いなと期待を込めて言ってみた。
 すると抱き枕の目が細まる。

 わぁ、すげぇ、動くんだぜこの抱き枕。悪口言うと怪訝な表情になるんだぜ。リアル設計過ぎて悪趣味としか言いようがないが。流石異世界、まだまだ未知なものが盛り沢山である。

 ……。
 …………。
 ……うん、ごめん、明らかに人だ。

 しかもこいつ

「……悪魔だし」

 ついつい溜息が漏れた。

 そう、私が現在進行形で抱きついている彼は赤目と黒髪。サカキが説明してくれた悪魔の色彩をバッチリ携えていた。

 しかもこの人、超が付くほどの恐ろしい美形っぷりである。

 講堂にいた黒学の生徒たちも勿論美形なのだが、それをも超越する美形だった。ずっと見ていても見飽きることはないというか……否、もう美形は結構。腹一杯です。ごっつぁんです。

 そういえばこの人に対して何か違和感を感じていたのだが、その理由がわかった。恐ろしいくらいに顔が整っている……ではなく、あの濃すぎるフェロモンを全く感じないのだ。
 彼の周りを纏う空気は澄んでいる。先程と変わらず吐き気と頭痛はあるのだが、こうやって普通に息をしていても急に悪化する事はない。こんな密着しているのに…………密着……密着?

 不思議に思ったところで、自分の腕がまだ彼に巻き付いていることに気が付いた。
 何て事だ。これでは痴女ではないか。

「……すみません、ごめんなさい、お邪魔しました」

 私は彼にそう告げて腕を離し、もそもそとベッドを降りて他のベッドへ移ろうとした。

 ……だが、床に足をついて立ち上がった瞬間

「うぇ……っ」

 ____酷い眩暈に襲われた。

 容赦なく世界がぐるぐると回転する。

「ぶっ」

 身体前面に鈍痛が走った。

 冷たいと感じるこれは床だろうか?……どうやら私はぶっ倒れたようだ。
 頭痛が酷いし吐き気もするし打った部分は痛いし……散々である。身体を少しでも動かすのが億劫だ。

「…………うぅー、くそう……鱗翅類め……」

 彼等とは性格的に全く合わないし身体的にも異常をきたす。
 ……ペアとか本格的に無理ではないか。



 これは実習どころじゃないなと考えたところで、私は意識を手放した。




[30701] 【第一章】 夢オチに清き一票を
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/05 23:22

 柔らかなまどろみの中、徐々に意識が覚醒していくのを感じる。

 ふわふわふわふわ……この布団は最高だ。寝心地良すぎて涎垂れそう……いや、もう手遅れだな。口元が冷たいし。
 あぁもう少し寝ていたい、夢の中へ帰りたい。

 ……しかし、妙な夢を見た気がする。あのやたらリアルな人型抱き枕。本当にあるのだろうか?あったら値段はいくらくらいするのだろうか?妙に凝っていたし高そうだ……いや、買わないが。誰があんな悪趣味なもの買うものか。私にはタチバナさんが直々に作ってくれたブタの抱き枕がある。あれは最高の抱き枕だ。……見た目がちょっとアレではあるが。
 ブタの抱き枕、あの子がいれば私はすぐに夢の世界へと旅立てるのに__



 ____吐きそうだ。



 あれこれと考えているうちに完全に意識が覚醒してしまった。
 結構寝た感覚はあるが体調は回復していない模様。頭痛も吐き気も健在である。

 因みに目は閉じたままだ。これを開ければ現実世界が訪れる。……何だろう、ものすごく目を開けたくない。開けちゃいけない気がする。
 だがしかし、そういうわけにはいかない……現在時刻の確認がしたいのだ。
 もしも夜だったらシャレにならない。タチバナさんの反応を想像するだけで恐ろし過ぎる。

 私は諦めてゆるゆると瞼を上げて__



 ____即、下ろした。



 何だろう、今見たくないものを見た気がする。うん、やっぱり寝ようかな。

「……起きたか」

 ……何か聞こえた気がする。

 低くてよく通る声。売れっ子声優になれそうなくらい良い声だ。
 今まで見たことなかったが、イグラントにもテレビが存在しているのだろうか。

 ……。
 …………いかん、現実を見なければ……。

 私は意を決してもう一度ゆっくりと瞼を上げた。

 2つの赤い瞳と私のそれがかち会う____何というデジャヴ。
 あれだけ冒頭で夢だと言い聞かせたのに……どうやら夢オチは許されなかったようである。

「……おはようございます」
「もう昼だがな」
「…………こんにちは」
「……」

 何とも言えない視線が突き刺さるがそんな視線もなんのその。スルースキルならレベルMAXだ。痛くも痒くもない。

 ……まぁそんなことより、もう昼なのか。少し寝過ぎたかもしれない。
 サカキはあれから大丈夫だったのだろうか?……いや、怪力に心配は無用であった。
 そして何故この人が此処にいるのだろうか?ベッドサイドの椅子に腰掛けてこちらを見下ろしてくる端正な顔を見上げる。……うん、恐ろしい美形っぷりだ。ではなくて。

 確かこの人私が保健室に入ってきたとき寝てなかったか?……まぁそこに私が失敬してしまったわけだが。意識が朦朧としていたとはいえ大変なことを仕出かしてしまった。それからベッドを移動しようとして……移動…………あ。

 今更ながらに床にぶっ倒れたことを思い出した。それからの記憶がぷっつり途絶えている。恐らくそのまま寝てしまったのだろう。
 だが、本来床に転がっているはずの私の身体は何故か今ベッドに預けられている。

 ということは、だ。

「あの、もしかして運んでくれました?」

 問い掛けると短く「ああ」という肯定の返事が返ってきた。意外だ。意外過ぎて呆然とする。

 悪魔といっても性格やら色々と種類があるのだろうか?現にこの目の前の悪魔は親切だ。
 私の中にある悪魔の先入観を少し変えなければいけないようである。

「邪魔だったからな」

 ……そうでもないようだ。

 しかし、理由はどうであれ態々私をベッドまで運んでくれたのは事実であるし、確かに私も見ず知らずの他人があんなところでぶっ倒れられても困る。迷惑極まりない。そして私ならそのまま放っておく可能性も無きにしもあらず……って私の方がよっぽど悪魔じみているではないか。なんてこと。

 思わず突き付けられた事実に何とも言えない複雑な気持ちにさせられ、目を逸らしてしまう。

「……御迷惑をおかけしました」

 謝罪をするとまた「ああ」と短い台詞が返ってきた。先程からそれしか聞いていない……あぁ、邪魔だったとは言われたか。

 それにしても彼は講堂にいた悪魔とは少し違うようだ。何より口数が少ない。ペラペラと離しかけてきた鼻血垂れとは大違いである。
 もう一度彼を見上げるとまた目が合った。
 何となく先に目を逸らしたほうが負けな気がして逸らすことができない。
 何か話さなきゃいけないかなとか考えていたら予想外にも向こうから話しかけてきた。

「……お前は何故此処にいる」

 言葉数は少ないが、無口というほどでもないらしい。あちらから話を振ってくるとは思わなかった。

 しかし、何故と訊かれても

「体調悪いからですが」

 此処、保健室だし。

 他に理由などない。まぁ今後は体調不良でなくとも来ると思うが。この布団の寝心地は最高である。持ち帰りたいくらいだ。
 ……その手があっt…………はっ、いかんいかん。ついつい誘惑に負けそうになった。恐るべき素敵寝具。

「……いや、そういう意味では…………まぁいい」

 私が己の欲望と格闘していると彼は溜息混じりでそう言った。私の返事は欲しかった答えではないらしい。
 いやいや、他にどう応えろと?

 疑問符を浮かべながら考えるが一向に別の応えを導き出せない。
 そういう意味でなければどういう意味だというのだ。
 わけがわからない。

 この人は私の中で不思議君にカテゴリ分けされた。




[30701] 【第一章】 零れる雫はそのままに
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/07 16:55

「恐ろしく顔色が悪いな。…………風邪か何かか」
「へ?」

 答えを導き出せずに頭を傾げる私。そこへ突然話し掛けられたものだから間抜けな声が出てしまった。
 私は視線を彼に戻す。
 こちらをジッと見ているがその表情に心配の色は見られない。本当によく解らない悪魔である。

「……あー風邪じゃないですよ。講堂で今日ペア発表があったんですけど……そこの空気に酔って気持ち悪くなったというか…………多分悪魔が撒き散らしていたフェロモン酔いです。私には強烈過ぎるみたいですね」

 あれ何とかならないかなとぼやきながら彼を見ると少し驚いた顔をしていた……気がする。
 気がするというのは表情の変化がほんの僅かだったからだ。

 私は更に彼の顔をじっと見た。
 さっきから会話をしてはいるけど……そもそも何者なのだろう?

 制服を着ているから目の前のこの人は黒学の生徒ではあるようだが、ブレザーを脱いでいるので同級か先輩かを判別することはできない。ブレザーに学年ごとに色分けされているラインがあるのだ。見た感じ1、2歳程年上のような気がしないでもないが年齢を判断するのに見た目なんて全くあてにならない。
 見た目が年齢の判断基準にならないのは彼らが恐ろしく長寿だからだ。イグラントでは人間を除外した種族__死神や悪魔、天使などは人間の10倍は生きるというから恐ろしい。……今は私も死神なのでその恐ろしい奴らの仲間入りを果たしているわけだが。因みにイグラントの人間の寿命は地球人とほぼ同じである。

 死神に変貌した私は、実際外見が5年前からちっとも変わっていない。年齢的には21歳なのに見た目は16歳のままなのである。かといって成長スピードが単純に10倍遅いだけなのかといわれれば少し違う。彼らの外見は人間と同じように16歳くらいまで成長するのだ。しかし、そこからの成長、老いが極端に遅いのである。外見が同じ年齢くらいなのに実は100歳以上年上でしたといったような事はざらにある。
 更に、死学、黒学、白学への入学の条件として『魔力が開放された者』というものがある。魔力の開放とは自ら魔力を練られるようになり魔法を使う事ができる事を指す。死神に生まれたからといって直ぐに魔法が使えるわけではないのだ。それは第二次性徴と同じようなもので、その時期は個人で違う。100歳で開放される者のいれば120歳で開放される者もいるのだ。悪魔はよくわからないが、死神の場合、通常、魔力の開放というものは100歳を超えた頃に訪れると言われているらしい。

 以上のことにより、目の前の人物が何年生なのか、そもそも何歳なのか見当も付かないというわけだ。

 私は迷惑を掛けたという負い目から彼に対して敬語で喋っているのだが、恐らく年上なので、負い目があろうとなかろうと敬語で話すのは妥当だろう。
 私は彼を凝視したままずっと気になっていた事を口にする。

「そういえば悪魔あなたが近くにいても平気なのが不思議です」

 これだけ気持ち悪くなっているのに何故彼だけが大丈夫だというのか。そこに何か解決の糸口があるのだろうか。
 解らないままだと実習が大変なことになってしまうのだ。ゲロリンしながら実習なんてものは御免被りたい。凄く気になる。

 緊張しながら待っていると彼から思わぬ答えが返ってきた。



「俺が今それを撒き散らしていないからだな」



 ……なんと。



「……押さえられるんですか?」
「寧ろ、出そうと思わなければ出ることはない」

 なんという事だ。

 アレは出し入れ可能だというのか。そしてそれを敢えてあいつらは撒き散らかしていたというのか。
 なんて傍迷惑な。
 この荒ぶる殺意をどうしてくれよう。

「……っ!うぐっ」

 うわぁー、吐きそう。

 驚愕の事実に思わずガバッと思い切り身体を起こしてしまったのだ。それによりまた眩暈を起こして後ろに倒れる。今度は素晴らしい弾力を誇る敷布団が私を優しく受け止めてくれたので打撃ダメージはない。ありがとう、素敵敷布団。

 だが眩暈によるダメージを免れることはできない。

「…………気持ち悪……っ」

 私を中心に世界が回る。勿論視覚的な意味で。

 目を瞑ってもぐるんぐるんと回り続ける。気持ち悪さは最高潮である。
 堪えるために目を閉じてうーうー唸っていたら額に何かが触れた。目を開けると彼の手が当てられている様が見える。
 ……熱はないと思うのだが。

 相変わらず彼の顔に心配する色は見られない。何がしたいのだろうか。



「……楽にしてやる」



 ____え?殺される?



 それは頂けないと暴れようとした寸前、吐き気が治まるのを感じたので慌てて止めた。
 本当に言葉通り楽にしてくれたようだ。頭痛も治っている。

 繰り出そうとした蹴りを途中で止めたので右足が少しベッドから浮いている…………気付かれぬようそっと元に戻した。
 ……疑ってすみません。いや、でも悪魔に真顔でそんな言葉を吐かれたら誰だってそういう意味で受け取るのではなかろうか。

「……ありがとうございます」

 取り敢えずお礼を述べる私。

 そして疑ってすみません。
 勿論言葉として出してはいないが心を込めて相手に伝わるように試みた。

「……毒気を抜いただけだ」

 そんな私に淡々と彼は応える。
 バレて……ない、のか?……うん、ならばセーフだ。良かった良かった。

 彼が言った毒気とはフェロモンの事だろうか。
 確かに悪魔が撒くものだし、回収も容易に出来るのかもしれない。

 私がもう一度礼を言うと短く「ああ」と返事が返ってきた。彼の視線が右足に行っているのは……気のせいではないだろう。
 何という事だ。バレてたのか。バレバレだったのか。
 私は思わずはははと引き攣った笑いをし、誤魔化しに取り掛かった。日本人のさがである。
 そんな私の様子に呆れるかと思えば____なんと彼は微かに笑った。
 笑ったといっても口角が少し上がった程度なのだが。

 それでも貴重なものを見た気がしてマジマジと見てしまう。だが、それはすぐに無表情に戻ってしまったのでほんの一瞬しか見ることはできなかった。
 私が何だか虹を発見した時のような得した気分になっていると、彼は壁に掛けてある時計を確認して「そろそろ行く」とだけ告げ、徐に立ち上がると出口に向かった。そして何か思い出したかのように立ち止まる。
 どうしたのだろうかと見ていたら彼は肩越しに振り返り、口を開いた。

「……口元を拭いておけ」

 口元?

 ……。
 …………忘れてた。

 私は親切にも指摘された今だ口元に残っているもの____涎を手の甲でぐいっと拭いながら、ガラガラと扉を開けて保健室を出ていく彼をベッドの上から見送った。




[30701] 【第一章】 摩訶不思議な保健室
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/14 15:13

「何処行ってたのよ」



 教室に戻って聞かされた第一声がそれだった。……そして何か睨まれてるし。

 ____今、私は自分の席に着きながら仁王立ちしているサカキに見下ろされている。





 保健室で彼を見送ってから自分も教室へ戻ると昼休みが終わりかけているところだった。

 先程まで吐き気に悩まされていた私だが、有り難いことに彼が呆気なく取り去ってくれた。よって、吐き気がもたらす問題は解決されたのだが、今度はまた別の問題が浮上してしまったのである。

 ハラヘリ。

 ……そう、私は今、物凄く腹が減っている。

 今日の朝は、ギリギリまで惰眠を貪っていた。それはもう朝食を抜かなければ間に合わないほどに。……つまり私は昨日の晩から何も口にしていない。
 そして朝から七面倒くさい奴の相手もした。私は心身共に疲弊し切っている。疲れ、則ち本日のエネルギー消費量は朝っぱらからうなぎ登りで、私は現在エネルギー欠乏状態。身体からは直ちにエネルギーの補充をしろとブーイングが飛び交っている。胃に食物を詰め込めと腹がぐるぐる喚き叫んでいる。
 早く、早くこの三大欲求の一つを満たさなければ、とロッカーに仕舞ってあった鞄から弁当箱を引っつかみ、椅子に飛び込む勢いでガタガタと慌しく着席した。時計を見遣ると残り時間は僅か5分。迅速に事を運ばなければ昼休みが終わってしまう。ハラヘリのまま授業なんて受けてたまるものか。

 そう意気込んで弁当の包みを外したところでサカキに取っ捕り、冒頭にあった言葉が投げ掛けられた。





 ……何故私が怒られているのだろうか。
 寧ろこっちが文句を言いたいくらいなのに。理解に苦しむ状況である。

 目の前には蓋がまだ開けられていない状態のタチバナさんによるお手製弁当、その先には眉間にシワを刻み込んだ仁王立ちのサカキ、そして彼女を着席したまま見上げる私。……まるでお預けを喰らったわんこのような構図だ。
 この状況を迅速に打開すべく、私は彼女に対する文句を全て飲み込み、彼女の問い掛けに答える事にする。最優先するべき事項は、さっさと食い物を投下しろと悲痛な叫びを上げている空っぽの胃を満たすことなのだ。兎にも角にも腹が減った。事態は一刻を争っている。

「保健室だよ」

 答えたよとばかりに私は弁当蓋の解除に取り掛かる。早く輝かんばかりの銀シャリと面会を果たしたい。

「嘘っ!」

 何故かそう声を上げながら彼女が私の手を掴んできた。何するか。

 この邪魔な手を迅速に離しなさい。私には時間がないんだ。
 ……しかし嘘とはどういう事だろうか?

 私は彼女の言葉の意味が理解できず、首を傾げて見上げた。

「ペア発表が終わった後、私イズミ先生に聞いて保健室に行ったの」

 あれ、来てくれていたのか。いつの間に。

 多分私が寝ていたときなのだろう。サカキが来てくれたという記憶はない。
 しかし、来たなら何故に嘘だと言われるのだろうか?寝ているところを見つけただろうに。
 私は彼女の言葉に益々首を傾げながら次の言葉を待った。



「でも、あんたいなかったじゃない」



 ……へ?

 今、さぞかし私の顔は間抜けになっているだろう。
 彼女は今、私はいなかったと言わなかっただろうか?
 訳が分からず呆然とする私を他所にサカキの言葉は続く。

「体調が物凄く悪そうだったって聞いたから心配して急いで行ったのにいないってどういう事よ!休み時間になる度にずっと探してたんだからね!?やっと見つけたと思ったらあんたピンピンしてるし……っ!私の心配を返しなさいよ!」

 言葉を切らさず一気に浴びせられる。よく見ると彼女の瞳はうっすらと潤んでいた。どうやらかなり心配してくれていたらしい。

 ……なんだこのツンデレのお手本みたいな娘は。にやけるではないか。
 にやにやする私に恨みがましい視線を投げ掛けるサカキ。ごめんごめんと言いつつもにやけ顔は抑えられない。

 ……痛っ、殴られた。何だこの可愛い生き物は。

「……それで何処行ってたのよ?」

 彼女の言葉にそうだったと思い出す。にやにやしている場合ではない。
 確かに私はずっと保健室で寝ていた。それは事実なのに何故彼女は発見することができなかったのだろうか?

「うーん、おかしいなぁ」
「何?本当にいたの?」
「いたよ」
「……まさかベッドの下とかで寝てたとか言うんじゃないでしょうね?」
「いやいやいや」

 確かに床にぶっ倒れたが不思議君がベッドに運んでくれたし……____あ。

 そうだ、あの人が、不思議君がいたのだ。

「……サカキ、保健室にとんでもなく美形な悪魔いなかった?」

 美形に目がないサカキさんである。もしも万が一私を見逃すようなことがあれども、あれほどの美形を彼女が見逃すはずがない。

「とんでもなく美形な悪魔?カーテンの中まで入ってベッド全部調べたけど保健室には誰もいなかったわよ?……というか悪魔は皆美形じゃない」

 彼らの姿を思い出したのかウットリとどこか違う世界へ意識を飛ばしているサカキは放っておくとして。

 いなかったとはどういう事だろうか?
 彼は確かにいたというのに……。

 ……。

 ……まさか幽霊とかそういうオチじゃないですよね?

「………………」

 このよく解らない事態に混乱する私。
 そこへ昼休み終了のチャイムが鳴り響き、講師が教室へ入ってきた。

 …………あれ、何かとても重要な事を忘れている気がする。

「――……ハッ!!」



 ____弁当ーー……っ!!



[30701] 【第一章】 止むを得ない食事事情
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/16 13:46

 午後の授業が始まり、講師が教壇で熱弁を振るっている。

 科目は数学。その担当はひょろりと背丈が長く、少し長めな灰色の髪を携え、やはりというかお約束というか眼鏡を掛けた色白男性教師、イヌイ先生だ。
 彼の見た目はもやしの様で、なよなよしてそうだなというイメージを持たれがちだが実際の中身は真逆だ。困っている生徒を見つけると助けずにはいられない、情熱溢れるちょい悪な熱血教師なのである。
 特別顔がかっこいいわけではないが不細工でもない。そんな彼は密かに生徒の人気を集めている。

「……で、ヒイラギはずっと保健室にいたのね?」
「ん、ほほんほへへはへほ……むぐむぐ…………んぉお、このグラタン美味うまス……っ!」
「……何言ってるのかさっぱりよ」
「『殆ど寝てたけど』……むぐむぐ……んー、ひははへー」
「……」

 イヌイ先生の熱弁をBGMに私とサカキは講堂から教室に帰ってくるまでの一連の経緯のことで話をしていた。
 サカキはヒソヒソと小声で話し掛けて来るが、私は普通に喋る。更に言うと、教科書の代わりにお弁当広げてルンルンとお食事タイムを満喫中である。因みに私が先程最後に喋った言葉は「んー、幸せー」だ。腹減り後の食事は五臓六腑に染み渡る。

 食べながら喋る私へ、隣の席から「ちゃんと口の中の物がなくなってから話しなさいよ」というサカキの注意が飛んで来る。
 この台詞だけを聞くと正論だ。サカキが正しいように思える。……だがしかし、よく考えてみて欲しい。私は今、食事の真っ最中である。食事中に話し掛けてこなければ良いのだ。食べ終わるまで待ち切れなくて話し掛けてきているのはサカキの方なのである。ましてや食べるのが今になってしまった原因はサカキが邪魔して昼休み中に食べられなかったからであって断じて私のせいではない。
 私はこの美味スなグラタンを口に運ぶのに忙しい。取り込み中なのだ。話はこのタチバナさん特製弁当を平らげてからにして欲しい。

 私の目の前には神々しく佇む弁当の中身は洋風な料理で制作された愛らしい動物達がずらりと並んでいる。所謂キャラ弁である。以前、キャラ弁の話をしたらタチバナさんがハマってしまってここ最近私の弁当はファンシーなものとなっているのだ。
 私はウズラの卵で創作された愛らしいヒヨコさんを摘む。わざわざ黄身と白身が反転させてあるのでちゃんと黄色いヒヨコさん…………タチバナさん、朝からどんだけ手の込んだ事を……。
 タチバナさんのこだわりを感じつつそれを口の中へ運び、咀嚼した。何やら食べるのが勿体な…………うまひ。
 思わず表情筋も緩む。
 私は、今幸せの真っ只中だ。

「……っとと」

 文字通り幸せを噛み締めていると、机の前に立て掛けてある本がよろよろと倒れそうになった。倒れる前に私は慌てて片手で支える。
 私の食事タイムを邪魔させないよう壁の役目を果たしてくれているのは『死神大全』。入学時にもれなく生徒全員に配られる本だ。
 死神の心得など死神視点で書かれた倫理的な内容が長々と600ページほどに渡って綴ってある、らしい。
 私は今日この本を初めて開いた。ロッカーの奥底に放置したままだった彼は、とにかく嵩張るので邪魔だし、いい加減捨てようかと思っていたのだが、本日彼を見つけた私によってこの壁という役職に大抜擢。現在進行形で懸命に与えられた任務を遂行してくれている。
 分厚く程々にデカイ彼は壁に持ってこいだと思っていた。しかし、実際使ってみるとそうでもないらしい。自身が重すぎて少々安定性に欠けている。ズルズルと少しずつずり落ちていくのだ。全くの期待ハズレである。……やはり即刻解雇処分を言い渡すべきであろうか。

「……ヒイラギ、今更だけどその本って何か意味あるの?」
「うーん、支えるの面倒になってきたし食べ辛い。あんま意味ないかも」
「…………いや、そうじゃなくて、そもそもそれ自体が逆に悪目立ちしてるって言ってんのよ。イヌイ先生さっきから青筋立ててあんたをガン見してるわよ?」
「ん?あー、知ってる」
「知ってるじゃないわよ」

 数学の授業に全く関係のないそれを片手で支える私にサカキが指摘する。
 私は別にこんなもので弁当を食べているということ自体を隠し通せるとは思っていない。この壁は弁当を隠すものではなく、イヌイ先生の視線を遮るためのものなのである。見られながらは食べ辛く、美味い弁当も心なしか味が落ちてしまう……せっかく美味いのだから美味く食べたい。
 そう思って立て掛けたのだが、現段階でイヌイ先生の火傷しそうな熱い視線よりズルズルとだらし無く崩れ落ちては情けなくも私に支えられるこいつの方が気になってきた。

「……私、知らないからね?」
「んー……むぐむぐ」
「……」
「むぐむぐ」
「…………話戻すけど、ヒイラギを見つけられなかったっていうのはおかしな話だわ。何も覚えてないの?」

 気のない返事を寄越す私にこれ以上何をいっても無駄だと感じたのか、話を戻すことに決めたようだ。やはり彼女は私の扱いを少しだけ心得ている。
 因みにあの『抱き枕事件』のくだりはごっそり抜いて一連を話してある。話したら物凄く煩そうだ。しつこく聞かれて絶対面倒なことになる。故に彼女には保健室に行ったら黒学の生徒が一人いたとだけ説明してある…………断じて嘘は言っていない。

「うーん、私は寝てたから……むぐむぐ、はんほほひへはひ」
「……」
「……『何とも言えない』」

 何言ってんのか分からないのよと言いた気な視線を受け、飲み下してから言い直す。……何度でも言うが、食事中に話しかけてくるサカキが悪いと思う。

「……夢遊病とかあるんじゃないの?」
「…………ない」

 ……多分。

 何せ意識がないときの自分の行動など自分自身では確認の仕様がない。だが今までそんなこと誰にも言われたことがないので私はそうではないのだろう。多分、絶対。

「……ヒイラギッ!!」
「ふぁい」
「これの答え!!」

 突然サカキではない低い声が私の名前を怒鳴るように呼んだ。

 少し前から解雇処分が下された彼を閉じて床に置き、既に堂々と弁当を頬張っている私へ、遂にイヌイ先生が質題という名の注意を仕掛けてきたのだ。
 彼の後ろに幻影の般若が浮かんでいるのが見える。相当ご立腹な模様である。

「ちょっ、どうするのよっ」

 ……何故サカキが慌てるのだろうか。よくわからん娘だ。

 どれどれと前の黒板を見てみると途中式を書くだけでも面倒臭そうな式が長々と連なっていた。……陰険先生と呼んでやろうか。
 私はそれを眺め、鮭のムニエルをまぐまぐと咀嚼しながらうーんと首を捻る。
 その極上の味を十分に味わい、そして嚥下してから私は口を開いた。

「多分、1」
「多分って何よ」

 答えた私にイヌイ先生ではなくサカキが素早く突っ込んで来る。
 何って、多分は多分だ。

 私が答える事で、苛立たしそうにこちらを睨み付け、組んでいる腕を指でかつかつさせていたイヌイ先生の指が止まった。
 私を除くクラスメイト全員が息を呑み、しばしの沈黙が流れる。

「……さっさと食え」
「ありがとうございまふ……むぐむぐ」
「…………うそ……」

 チッと舌打ちをしてまた熱弁を振るい始めるイヌイ先生。もうあの火傷しそうな光線を放って来る事はない。
 どうやら許可が下されたようだ。私は礼を言って憩いの食事へと戻る。

「……どうして分かったの?」

 サカキが驚いたような、不思議そうな顔をして聞いてくる。同じ疑問を抱いているのか、他のクラスメイトもサカキと同じような表情をしてこちらを向いている。
 テストの学年順位で毎度最下位を独占キープしている私が先程質題された難題の正解を答えられたのだ。不思議でたまらないのだろう。

「むぐむぐ……んー、勘?」
「何で疑問形なのよ……」

 脱力するサカキとクラスメイト達。その様子が何だか可笑しくてあははと笑う。

「おら、お前ら授業に集中しろ!!」

 私に注目していた生徒達がひぃっと悲鳴を出して慌てて前を向く。

「ヒイラギ、お前もさっさと食え!!取り上げられたいのか!?」
「ふひはへん」

 イヌイ先生の怒号が飛ぶ。
 それは勘弁と私は即謝罪し、黙々と食事を再開した。
 口に入れたまま喋ってしまったのでちゃんと伝わったかどうかは分からないが、何も言われないのでまぁ良いだろう。
 しかしよくもあんなひょろい身体で馬鹿でかい声を出せるもんだなと失礼なことを考えながら最後の一口を頬張ってしばし味わい、ゆっくり胃へと流し込んだ。

 ご馳走様でした。



[30701] 【第一章】 殖え続ける悩みの種
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/18 17:48

「__ということがあったんスよ。タチバナさん、どうしてだか分かるっスか?」
「んー」



 授業を終え、学校を後にした私は家に帰って早々、私はリビングの椅子に腰掛けて優雅にペンを走らせていたタチバナさんに今日の出来事を話した。
 勿論抱き枕云々の件は省いて、だ。タチバナさんに知られるのは、私にとって親に知られるのと同じようなものなのである。あのような醜態、話せる訳がない。
 タチバナさんは少し考える素振りを見せ、何故か嬉しそうに話し始めた。

「悪魔の魅力が通じないのはー、多分ヒイラギが無意識に抵抗してるからだと思うー」
「……抵抗っスか」
「そそー。彼らは元々美形でしょー?そこへ更に魅力を振り撒くからねー。それって強烈な麻薬みたいなものだからー」
「ふむふむ」
「ヒイラギはー、常に無意識下で抗生剤を打ちまくってる状態ってわけー。吐き気やらは副作用みたいなものだと思うー……できたー」

 できたーという可愛らしい声と共に紙からペンを離すタチバナさん。覗き込んで見てみるとそこには立派なお城が佇んでいた。
 写真を簡易化したような出来のそれは私が帰ってきたときから彼女がずっと描いていたものだ。恐らく昨日私が教えた一筆書きであろう。

 この人、地球にある物を私が教える度に面白がって再現するのだが、毎回完成度が高すぎるのだ。
 何ていうか、再現というよりも私の知識を元にして新境地を拓いているといった方が正しい。私はもう驚く事にも飽きてしまった。最近では彼女が何をしようが「タチバナさんだから」で納得してしまう自分がいる。

 そんな風に私が考えているとも知らず、彼女は今日も今日とて気まぐれで新境地を開拓している。彼女にとってそれはただのお遊び、遊戯なのである。……末恐ろしい御人ぞ。

「うふふー」

 開拓者タチバナは今しがた出来上がった、一筆書きと呼ぶには躊躇われる最早立派なモノクロ絵画を上機嫌で眺めつつ言葉を続ける。

「まぁ、普通はそう簡単にいかないんだけどー」
「そうなんスか?」
「そだよー。頭で抵抗しなきゃとか思っててもー、身体が勝手に相手に魅了されちゃうはずー」

 しかし、私の場合オートで抗生剤投与をしていると言ったのはタチバナさんだ。
 矛盾過ぎるその説明に疑問符を浮かべていると彼女は私が何を考えているのか察したのだろう。ニッコリと笑って説明を続けてくれた。

「悪魔の容姿はー、大抵は少なからずとも好意を抱くハズー。綺麗なものってよっぽどの変わり者でない限り皆好きだしー」
「確かにそうっスね」
「うんー。でねー、その少なからずの好意がー、彼らの使う魅惑で勝手に増長されちゃってー、あっという間にメロメロになっちゃうっていうわけー」
「……なるほど」

 確かにそれに抗うのは難しいだろう。
 好意なんてものは本人の意志に関わらず勝手に沸き上がって来るもので、殆どが無意識下の感情なのだ。それを消そうと思っても中々上手くいかないはず。

「対抗するにはー、惑わされないくらいの強固な意志とかが必要なわけなんだけどー。死学の生徒さんとかまだまだひよっ子だからー。難しいんだねー」

 ……それであの講堂の惨事という結果か。激しく納得した。

 しかし、ならば何故私は大丈夫だったのだろうか?
 私から見ても悪魔の容姿は綺麗だと思う。
 首を傾げて考えるが……さっぱりわからない。
 どこか感情に欠陥でもあるのだろうか?……何か有り得えなくもないのが悲しい。

「いやいやー、ヒイラギに欠陥があるとかじゃないからー」

 私の思考を読んだかのようにタチバナさんが違う違うと手を振りながら言う。
 ……どうして考えていることが…………いや、何も言うまい。相手はタチバナさんである。考えるだけ無駄なのだ。

「ヒイラギの場合はー、確かに綺麗なものは人並みに好きなんだろうけどー……」
「……けど?」
「んー……多分それと同時にー、『だからどうした』っていう気持ちも同じくらいあるみたいー。綺麗なものはそれなりに好きだけどー、興味もないー。簡単には見た目に惑わされないのだよー」

 そうなのか。
 欠陥品ではない事に酷く安心する私。

 まぁ確かに私は彼らを美形だなーとは思ったが、見るからに胡散臭く感じた。その上、実際に鼻血垂れみたいな輩もいたのだし……当然だろう。
 いくら美形でも鼻血が付属されれば台なし、百年の恋も冷めるってものである。いや、恋なんぞしていないが。そしてその鼻血の原因は……まぁ隅っこにでも置いておくのだ。私は悪くない。断じて悪くなどない。原因が何であれ鼻血は鼻血なのである。

「……まぁそれだけじゃないんだけどー」
「……へ?」
「んー、まぁそれはそのうち分かるからー……大変になると思うけどー、まぁヒイラギなら大丈夫ー」
「……え?」

 思案していた私にタチバナさんがポツリとそう言った。
 それだけじゃないって?大変って何が?
 今日の私は疑問符だらけである。

 私の説明プリーズな様子に気がついているだろうに、それ以上は答えるつもりがないらしいタチバナさんはそれを笑顔でスルーしながら話を変える。

「あと保健室の件だけどー」

 彼女は一旦言葉を切り、私を見遣る。
 私の何だ何だという訝し気な瞳とタチバナさんのこちらを探るような瞳が合わさった。
 何故かそこからしばらく何も言わない彼女に私は首を傾げながら言葉を待つ。どうしたというのだろうか?

 待ち切れなくなって私が言葉を掛けようとしたその時、彼女は珍しく不適に笑った。

 悪魔なんて目じゃない。
 そこらの男共を一気に魅了し、膝まつかせそうなその神々しいお姿。その、なんて言いますか、あれです…………物凄く怖いです、はい。

「そこってー、本当にヒイラギが目指してた部屋なのかなー……?」

 ……それってどういう意味だろうか?

 まさかタチバナさんまで私が夢遊病者だと言うのだろうか?
 はは、まさかぁ、まさかね。

 ……。
 …………。

「…………私ってもしかして夜中、徘徊とかしちゃったりしてるんスか……?」
「うふふー」

 固まって問い掛ける私に意味深な笑みを向けるだけで何も言ってくれないタチバナさん。え、ちょいとそこは否定してください。

 何だ?私は夜な夜な徘徊をしているのか?そして目覚めるときにはきちんとベッドに入っていると?だから自分では気が付かないと?
 そうならば本当に私は自分が夜中、何をしているのか分からないということに。
 ……怖いな。

「あの、タチバナさん……」
「うふふー」
「私って徘徊癖とか……」
「うふふー」
「もしくは夢遊病とか……」
「うふふー」
「もういっそ両方とか……」
「うふふー」
「タチバナさ――」
「うふふー」

 私の問い掛けを全て「うふふー」の一言でスルーし、ご機嫌にスキップしながら自室へと消えるタチバナさん。

 いくら問いただしても彼女はそれ以上何も答えてくれなかった。



[30701] 【第一章】 個人的な忍耐修行
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/20 12:02

「……サカキ、私は夢遊病者で徘徊者かもしれない」
「今日は珍しく早く来たと思ったら何よ突然……ってか、恐ろしく暗いわね」

 朝、登校して、いの一番に私の口から出たのがその台詞だった。自分でも物凄く暗い顔をしているのがわかる。だって怖いではないか。

 今日は登校時間の計算どころではなかった、というか寝てしまうと自分が何か仕出かすのではないかと一睡も出来なかったのだ。
 クマを付属させた死んだ魚のような眼で時計をチラリと見ると始業15分前を針が指していた。普段では有り得ない事である。

「まさか昨日私が言った事を気にしてるの?あれ、冗談だからね?」
「…………冗談……」

 彼女は冗談でこんな爆弾を落としてくれたというのか。
 ごめんごめんと彼女は謝りながら今日も櫛を片手に私の寝癖を直してくれる。だが今更彼女が否定してもさして意味はない。彼女の知らない場所で発動している可能性も否めないのである。
 唯一私の夜中の様子を知るタチバナさんが否定してくれない限り私の夢遊病、徘徊説はバッチリ有効なのだ。タチバナさんは肯定をしてはいないが否定もしてはいない。まだどちらが正しいのかわからないのである。
 私は席に着き、机に突っ伏した。

「それより今日は早速実習じゃない。あんたペア発表のときいなかったけどちゃんと誰と組むか聞いた?」
「……聞いてないよ。ペアとか、ほんとどうでもいいし」

 そんな事より昨日から発生している問題の真実が知りたい。

 因みに昨日私を苦しませたフェロモン酔いの問題は既に解決済みだ。拳で説得、つまり殴って脅してフェロモンなど出させなければ良い。只それだけの事だ。
 男だろうが女だろうがそれは変わらない。私は男女差別などしない主義なのである。
 いくら言葉が伝わらない奴だとしても拳は世界を越えても共通語なハズ。そう私は信じている。余計な言葉は要らない。全ては拳が語ってくれるのだ。

「どうでもいいって……3年間一緒なのよ?代えられないのよ?」

 溜息混じりで尚サカキが私に問いかけてくる。
 寝癖を直し終えたのかサカキは私の背後から隣にある彼女の席へと腰を下ろした。それを名残惜しく見送りながら先程の彼女の言葉を思い出す。
 3年間か……確かに長い。どうでも良いといっても不快な奴とは流石に勘弁である。出来れば少し脅した程度で従ってくれる小心者が良いのだが……。

 ふと私の頭をよぎる昨日の不快な出来事、滴る赤い液体。無意識に苦虫を噛み潰したような顔になった。
 ……アイツは絶対嫌だな。

「……んじゃ鼻血垂れ以外なら誰でも良い」
「誰よそれ」

 首を傾げるサカキ。あれだけ派手にやったというのに、やはり彼女は気付いていなかったのか。

 悪魔のフェロモンが凄いのか、はたまたサカキの周りが見えなくなるほど美形に夢中になれることが凄いのか。
 私が講堂を出たときの状態のままだったならば、あいつはサカキの隣で間抜けに鼻血を垂らして転がっていたはずなのだが、流石に移動したのだろか。

 思い出すだけでも腹立たしい。あの性格、あの声、あの顔……顔…………?

「…………黒髪に色黒、んでもって赤目の男」
「……ねぇ、それってわざと言ってるの?」

 確かにそれではただ単に黒学の男子生徒と言っているようなものだ。

 しかし、私の中であいつの顔など最早へのへのもべじ程度にしか記憶に残っていない。『べ』の半濁点部分は言わずもがな、鼻血である。
 覚えていないものをどう説明しろと。

「あれ?イズミ先生」

 まだ始業ベルが鳴る前だというのにイズミ先生が教室に入ってきたらしい。サカキが思わず呟く。
 私は未だ机に突っ伏したままなので聞こえてくる声に耳を傾けた。

「皆さんいますか?ヒイラギは……いますね。じゃあ大丈夫ですね」

 いつもベルと共にピッタリと教室に入ってくる私がいるから大丈夫、皆いるだろう。言外にそう言っている言葉をイズミ先生が零す。

 我がクラスの生徒達は実に真面目だ。皆、始業開始20分前には教室にいると以前サカキから聞いたことがある。対して私は本当にギリギリで到着するという事は周知の事実だ。
 軽く皮肉を言われたような気がしないでもないが、スバリ当たっているので私に異論はない。

「これからペアと合流して一緒に講堂に向かってもらいます。移動してからだと時間がかかるので……とりあえず皆さん着席して下さい。着席したら入ってもらいます」

 イズミ先生の言葉に従いガタガタと着席するクラスメイト達。黒学の生徒と聞いてか、そこかしこでヒソヒソと話し声がし、浮足立っているのがわかる。
 当然サカキも例外ではない。何やら纏う雰囲気がお花畑だ。ルンルンランランしている。……見なくとも分かるとか……ちょっと浮かれ過ぎではなかろうか。

「ねぇねぇ、黒学の生徒が直接ここに来るって……!」
「……っ!!」

 突然背中にジンジンとした痛みが駆け巡り悶絶する私。

 嬉しいのは結構なのだが私の背中をその怪力でバシバシと容赦なく叩くのは止めて欲しい。絶対背中が赤くなっていることだろう。
 ……後で覚えていやがれ、サカキ。

「……では入ってもらいます……くれぐれも惑わされないように」

 どうやってサカキに仕返ししてやろうかと思考を巡らせていると、皆が着席したのを確認したイズミ先生がそう告げた。
 『くれぐれも』という部分がかなり強調されていたが……まぁ昨日の様子ではそうもなるだろう。イズミ先生の言葉が耳に入らなかったのか忠告を受けても生徒達は騒いでいる。

 ……これはマズいんじゃなかろうか。

 そう思ったときには前方からどす黒いオーラを感じた。
 空気がピリピリと張り詰めて肌を刺激する。……伏せていて良かった。彼女が今どんな表情をしているのか…………おぉ、想像しただけでも悪寒が。美人が凄むと迫力がハンパないというのは本当なのだ。

 流石にイズミ先生の無言の圧力に気づき、慌てて黙り込む生徒達。その様子を見てイズミ先生は深い溜息をついた。それと同時に張り詰めていた空気が消える。……どうやらギリギリでお咎めは免れたようだ。

 しんと静まった教室にガラガラと扉を開ける音が響いた。

「う……っ」



 ____気持ち悪い。



 昨日と同じく吐き気が一気に込み上げ、慌てて鼻と口を両手で押さえる。
 奴らはまたもや大量のフェロモンを撒き散らしているようだ。扉が開いた途端、フェロモンが一気に教室へと流れ込んだらしく私は一瞬にして気持ち悪くなってしまった。

 油断していた私も悪いのだが、先ずはお前ら害あるものを撒き散らすなと声を大にして言いたい。こんなもの公害でしかないというのに。

 拳で説得すれば良いとはいえ、それは一対一の場合である。それに今はイズミ先生が近くにいる。昨日は見逃してくれたが今日も見逃してくれるという保証はない。全員を殴るわけにもいかない。

 考えた結界、私は伏せたまま耐え抜くことを選択した。この鬱憤は後で晴らすことにする。勿論、今から来るだろうペアに、だ。肋骨3本くらいなら許されるだろうか?いや、許さなくてもやるけど。3本折れてもまだ半分以上残っているし、うん、大丈夫、問題ない。

 ああでもないこうでもないと憂さ晴らしの方法、基、ペアをボコる方法を考えて気を紛らわしながら私はじっと時が過ぎるのを待った。



[30701] 【第一章】 全てを超越する者
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/22 11:14

「キャーッ!!」
「ヤバイ、カッコイイ……っ!!」
「あ、今私に手ぇ振ってくれた!!」
「ちょっと違うって、私にだってば!!」
「違ぇし!!俺だし!!」
「はぁ!?」
「あんたは黙ってなさいよ!!」



 あれだけイズミ先生が忠告したにも関わらず黒学の生徒が入室してきた途端に教室は色めき立った。何だ此処は。ライブ会場か?

 アイドル並に熱烈な歓迎を受ける彼らは手を振っているらしい……あぁ、苛々する。この疼く拳をさっさと解き放ってしまいたい。
 私の様子なんてお構い無し……いや、寧ろ気付いてすらいないクラスメイト達は続々と登場する美形集団を前にしてどんどんヒートアップしている。煩くてかなわない彼らの黄色い声は直接私の脳にガンガンと響き、容赦なく頭痛を起こしてくれた。もう少し静にしてくれないだろうか……頭がかち割れそうだ。

「ちょっ、大丈夫!?」

 机に伏せたまま口元を両手で覆い、顔色が恐らく真っ青であろう私に唯一気が付いたサカキが声を掛けてくれる。このフェロモン酔いを昨日話したおかげか今度はちゃんと気が付いてくれたようだ。
 今、正に友情はフェロモンを越えた。感無量である。

 私は大丈夫だという主旨を伝えるため、チラリと彼女を横目で見た。

「大丈夫なの?!」
「………………」



 ……前言撤回だ。



 感動に満ちた私の視線の先にいたのは、口では心配の意を表すくせに顔を真っ赤に染めて前方を凝視するサカキがいた。

 やはり友情など恋の前……いや、フェロモンの前ではとても儚い存在のようだ。サカキの友情と書いて薄情と読むべし。

 …………いや、うん、分かっている。分かってはいるのだ。これは生理現象といっても過言でない事は。
 悪いのは悪魔どものフェロモンでサカキが悪いわけではない。……だが実際こうなると面白くないのも事実である。

 私がジト目になるのを認めたサカキが慌てて弁解をした。

「や、ごめんっ!心配してるのよ!?」

 ……うむ、全く以って説得力がないな。

 そのままじとーっと私はサカキを見る。しばらく「違うの!!」とか「体が勝手に!!」とか言い訳をぽろぽろと零すサカキ。
 もういいやとまた机に突っ伏してそれをはいはいと聞き流していたら急にサカキが黙り込んだ。……虐め過ぎたか?

 チラリとまた横目で隣を見ると、彼女は顔といわず全身を真っ赤にしたままボーっと呆けていた。
 口が半開きだ。……飴でも放り込んでやろうか。

 カバンに片手を突っ込み、手探りで飴玉を漁っているとふと気が付いた。そういえばあれだけ煩かった教室もいつの間にか静まり返っている。……何故だろうか。

 疑問符を浮かべながら彼女を見ていると、呆けていた顔が今度は驚きの表情に変わり、大きく目が見開かれていった。……ころころ表情が変わって忙しいな、サカキ。
 彼女の視線は先程からずっと前に向けられたままである。一体何に驚いたのだろうか。

 ……イズミ先生が変顔でもしたとか?
 ……。
 …………いやいや、まさか。
 ……。
 …………。
 ………何かドキドキしてきた。

 是非に拝見したいです。

 私は逸る気持ちを押さえながらサカキの視線の先を追おうとゆっくり前を向いた。

「……あれ?」

 目に映ったのは残念ながらイズミ先生の変顔ではなかった。寧ろ見えない。何も見えない。
 ……何故か目の前に広がっているのは闇だけなのである。

 眩暈が悪化したのだろうかと一瞬思ったが、体調はそこまで酷くないので直ぐ様違うと判断を下す。
 原因は現在進行形で私の顔の上半分を覆っている何かだろう。
 なんじゃこりゃとカバンに突っ込んでいた右手をそれに持っていき、ぺとっと触ってみた。
 冷たい。…………これは手だろうか?

 ……手?何故に手?

 所謂あれか?「だぁ~れだ?」とか言って相手の目を塞いで自分が誰だか当てさせるやつか?
 懐かしい。そういや幼少の頃はその遊びを何度も熱心にやったものだ。皺がまだそれほど刻まれていないつるつるな脳みそを懸命にフル回転させて考えたフェイントやら小細工やらを駆使して皆でフィーバーフィーバーしていた。今では何故飽きもせずあれだけやっていたのか謎だが、まぁそこは子供が故ということにしておく。子供が故。なんて便利な言葉だろうか。一種の免罪符のようだ。
 そんな今となってはくだらない遊びがこちらの世界にも存在していたとは。別に驚く事はないが妙に感心してしまう。

 しかしこの手の持ち主は誰であろうか?
 このままでは何も出来ないので自らの手を動かし、これが誰の手か確認してみることにした。
 当てたら何か奢ってもらおうかな____



「ちょっと!!」
「離しなさいっ!!」
「キャーッ!!」
「イヤーッ!!」



 ……え、何事?

 私が手を動かした瞬間、何故か周りが騒がしくなった。頭にぐわんぐわん響いて意識が軽く遠退く。
 あまりの騒がしさに手を離して触るのをやめてみた。……途端に先程までの騒がしさが嘘のように再び静寂が訪れる我が2-C教室。

 ……。
 …………。

 もう一度触ってみた。

「キャーッ!!」
「イヤーッ!!」
「ちょ!!その汚い手を離しなさい!!」
「殺すわよッ!!」

 ……わぁ。

 頭にかなり響く。物凄い大合唱である。
 そして恐ろしく息がピッタリ……お前ら仲良しさんだな。打ち合わせなんていつしたのだろうか。

 悲鳴は死学の生徒、罵倒は聞いたことのない声なので黒学の生徒のものだろう。知りもしない奴に何故殺意が込められた罵倒を浴びせられるのかさっぱり分からない。触っただけで殺すとかどんなだよ。
 そして何だ?悲鳴が出るとか、手だと思ったこれは実は手じゃないのか?ゲテモノの部類なのか?いつの間にだーれだ遊びから物当てクイズへ移行したのだろうか。

 しかし、このままではらちがあかない。
 悲鳴と罵倒の襲撃により頭はかち割れそうな勢いで痛いがここは無視して探ることにする。

 ……なんだかゴツゴツ。そしてデカい。そろそろと辿っていくと長いものを5本確認することが出来た。
 これはゲテモノではない。やはり明らかに手である。より詳しく言えば男の手。
 その手が私を目隠し……というよりは顔の半分を鷲掴みしている。力はそれ程入っていないので痛くはないが……これは何という技だっただろうか?

 …………あぁ、そうだ。

 あれだ。

「アイアンクローだ」
「……相変わらず思考がぶっ飛んでいるな」

 アハ体験でスッキリした拍子に思わず声に出してしまっていたらしい。売れっ子声優も顔負けな良い声で返事が返ってきた。

 ……気のせいでなければバタバタと人が倒れたような物音が幾つか聞こえた。マジかよ。凄ぇな。悩殺ボイスとはよく言うが、リアルに人が倒れるなんて聞いたことがない。

 低くてよく通る音が私の鼓膜を振動させる……何だろう。何かこの声聞き覚えがあるような気がするのだが。
 そういえばこの手も知っているような気がしないでもない。

「……治してやろうか?」

 また私に話し掛けて来る心地好い声音。
 あ、と思ったときにはあの忌ま忌ましいフェロモン酔いは跡形もなく消え去った後だった。

 私はこの人を知っている____当然だ。

 毒抜きをしてくれたその手は、用を終えたとばかりにスッと静かに離れていった。
 私の視界が徐々に開いていく。

「保健室のだきま……黒学の生徒さん」

 ……危ねぇ。

 うっかり抱きまくらとか言っちゃった日にはどんな目に遭うことか。
 想像力豊かな皆さんであれやこれやと噂は変な方向に向かうこと間違いないだろう。相手が悪すぎる。女の妬みや嫉妬……想像するだけでも面倒臭い事この上ない。



 目の前には昨日保健室で会った超絶美形悪魔が無表情でこちらを見下ろしていた。



[30701] 【第一章】 支配と従属そして例外
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/21 13:18

 いつの間にか静まり返った教室。

 その中で視線は全て私の目の前にいる恐ろしく顔が整った黒学の生徒へ集まっていた。
 その視線は様々だ。

 顔を真っ赤にして呆けている死学の生徒達からは良い意味でこの世のものとは思えないものを見る視線を、頬を染めている黒学の生徒達からは崇拝するようなうっとりとした視線を____そして唯一イズミ先生だけが探るような視線を彼に向けていた。先生のその視線においては私にまで及んでいる。……え?何で?

 彼に視線を戻すと、すっかり顔色が良くなった私を無表情で見下ろしていた。……この悪魔は何者なのだろうか。
 ふと思い浮かぶ昨日考えた一つの説。私は若干心拍数を上げながらゆっくりと、だが着実に目線を下げていく。

 …………あった。

 視界には嫌味かという位やたらと長い足が2本入っている。どうやら幽霊ではないらしい。
 そういや昨日見たときも足はバッチリ付いていたなと思い出しながら再び視線を彼の顔に戻す。

 あまりにも整いすぎて造り物みたいなその顔は相変わらずの無表情だ。何を考えているかさっぱり分からない。
 彼の正体は物凄く気になるが、そんなことより先ずはお礼を言わなければならない。先程の毒抜きをしてもらった事に対してのものである。今はイグラント在住で生粋の日本人とは言えなくなってしまったが、元日本人として仁義は忘れてはいけない。

「……かたじけない」

 ……何だか武士のような言葉遣いになってしまった。
 日本人らしくとは思ったがこれでは日本人味が溢れすぎている。ついでに漢気も溢れてしまっている。きっと何だか知らんが現在進行形で張り詰めているこの空気のせいだ。

 少し間を置いて「あぁ」という短い返事が返ってきた。彼は細かいことは気にしない性質のようだ。良かった。
 そんな彼を見つつ、先程毒気を抜いてもらったおかげで体調がすこぶる良くなった私はへらりと笑う。悪魔は嫌な奴らだが、皆が皆そうではないらしい。今の所この目の前にいる悪魔は良い奴だというのが現時点での私の見解である。何せ2回も助けてくれたのだ。

 そうやってただ笑っただけなのだが私を彼はイズミ先生と同様、探るように目を細めて見てきた。

 え、何?間抜け面が見るにも耐えなかったのか?……だったら少しショックなのだが。
 そんな私を他所に教室中の視線を集めている彼はゆっくりと口を開く。



「お前がヒイラギか?」



 名前を尋ねられた……というよりは確認をされてしまった。

 彼の予想外な投げ掛けに私は驚いて目をぱちぱちさせる。
 昨日名乗った記憶はない。それなのに何故私の名前を知っているのだろうか?

「ヒイラギですけれども」

 取り敢えず返事を返しておく。私は確かにヒイラギだ。サトウさんでもスズキさんでもない。
 私の返事を聞いた彼は「そうか」と呟いたまま私をじっと見つめて動こうとしない。

 彼は一体何がしたいのだろうか。
 読心術スキルなんてものを習得してない私には彼が考えていることなど分かるはずがない。言いたいことがあるならさっさと吐いて欲しい。
 全く理解できない彼の行動に私は首を傾げ、無意識に眉を顰めた。

 一方、教室は我に返った生徒がちらほら出てきたらしく、少しザワザワとしている。そして今にも射殺すとばかりの鋭い視線が私に向けられていた。黒学の女子全員と黒学の男子の半数ほどが私を睨みながら静かに言葉を投げ付けて来る。



 __何、あの女
 __調子に乗んじゃねぇよ
 __何であんな女に
 __キリュウ様に近づくな



 キリュウとは私の目の前に立っているこの黒学の生徒の事だろうか?

 ちょっと触れて言葉を交わしただけで一気に狂気とも言える程の嫉妬を向けられるとか、ほんと何者なんですか。
 様付けなんてされちゃってるし。

 私は彼をじっと見た。

 寸分の狂いもなく整っている顔に装飾されている赤い瞳が私の平凡顔に付属されている明るい茶色の瞳とかち合う。
 視界の端にはサラサラと流れる襟足が少し長めの艶のある黒い髪……いつも寝癖をそのままにしている私の髪とは大違いだ。そして肌は白い。そういやサカキが色白の悪魔は珍しいと言っていたような気がする。

 私は彼から視線を外し、ぐるりとクラスを見回した。
 クラスに入ってきた悪魔の中でその部類に入るのはどうやら彼だけのようである。他の黒学の生徒の肌は色の濃さこそ疎らだが、皆揃って色黒さんだ。
 彼に視線を戻すと若干違和感を覚えた。何となしに見ていると服装が違う事に気が付く。昨日とは違い、彼は黒学指定のブレザーを着ているのだ。
 少し着崩された黒いブレザーには赤色のラインが入っている。年齢までは流石に分からないが、どうやら彼は私と同じ学年だということが判明した。まぁそうでなければ彼が今このクラスにいる理由が分からない。

「ヒイラギ」

 無遠慮にしげしげと観察していると突然イズミ先生が私を呼んだ。
 考え事をしていたところへ急に名前呼ばれたので反応が遅れてしまう。私は返事を返すのを忘れたままイズミ先生を見た。
 イズミ先生はそんな私の様子を気にすることもなく言葉を淡々と続ける。



「彼は2年D組のキリュウ……あなたのパートナーです」



 あぁ、そうか。この人が私のパートナーか。

 ……。
 …………パートナー?



 私は思わず彼を二度見してしまった。



[30701] 【第一章】 最適で不適なパートナー
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/22 13:23

『あなたのパートナーです』



 先生がそう告げた瞬間、教室の騒がしさが最高潮に達した。

 もう完全猫を取っ払った黒学の生徒の中傷と死学の生徒の羨ましがる声が教室中に飛び交う。煩い。もの凄く煩い。
 そしてお前らやっぱり仲良いな。息がピッタリだ。……ところでさっき私の事を豚と呼んだ奴、後で覚えてろ。最近体重が少しばかり増加中な私は現在非常にデリケートなのだ。

 そういえばいつも煩いサカキの声がしない。先程の悩殺ボイスでやられてしまったのだろうか。そう思って隣を見ると彼女はキリュウさんと私を交互に見ながら鯉のように口をパクパクさせていた。
 彼女は何とか生き残っていたようだ。そしてどうやらこのあまりの展開に追いて行けてないらしい。
 ……気持ちはよく分かる。本人ですら追いて行けてないし。

 視線を戻すと綺麗な赤い瞳と合った。
 あれ、もしかしなくともずっと見られていたのだろうか。……その行為は信者共を煽るだけなので是非とも止めて頂きたいのだけれども。
 しかし彼はそんなことこれっぽっちも考えてはいないのだろう。視線が外れる様子はない。

 そういや彼、キリュウさんは顔と合致はしていないようだったが私の名前を知っていた。昨日のペア発表のとき彼は私と同じく保健室にいたのに。前もって自分のペアを先生にでも聞いたのだろうか。
 それに対して私は顔どころか名前すら知らなかった訳なのだが。ペアなんてどうでも良いと思っていたが、まさか彼だったとは……。

 拳で語る必要はもうなさそうだ。実習は思ったよりスムーズにいきそうなので思わず頬が緩む。

「えーと、ヒイラギです。宜しくお願いします。…………キリュウ、さん?」
「……あぁ。呼び捨てで良い。敬語も使うな」

 呼び捨て御所望とは、彼は見た目に寄らず気さくなようだ。

 少し上から目線な物言いをするので、何処ぞのお坊ちゃんなのだろうかと少し考えたが、まぁ今はどうでも良い。細かいところは気にしないでおこう。話が通じるというだけで私は他に何も言うまい。

 先程彼から得た『呼び捨て』と『敬語なし』の許可は気を使わなくて良いから私はOKなのだが、それを聞いた黒学の生徒はそうもいかないらしい。私に向ける彼らの睨みや中傷が更にキツくなった。うわぁ、うるさ…………また私を豚と言った奴、明日の朝日を拝めなくしてやろうか。

「そか。んじゃ改めて宜しく、キリュウ」
「……あぁ」

 取り敢えず込み上げる殺意を無理やり押さえ込み、周りを無視してこれから3年間お世話になる彼に挨拶をしておいた。
 先程は思ってもみなかった言葉が返ってきたので少し驚いたが、意外と気さくな彼とはうまくやっていけそうなので安堵する。話が通じる相手って本当に良い。

 そんな私たちを見ていた黒学の生徒達からは遠慮なく中傷やらなんやらを私へと投げ続けられている。……だから何なんだお前らは。
 どうやらキリュウは過激な信者を沢山お連れのようだ。

 私がウンザリしていると不意にキリュウが顔だけ振り返り、彼らに一瞥をくれた。
 こちらから彼の表情は窺えないが、息を呑む生徒達の様子が見える。
 さながら飼い主に叱られた犬状態である。あれだけ騒がしかった信者共が一瞬で黙りこくった。凄ぇ。
 心なしか彼らの頭と尻に垂れた耳と尻尾が見える。……何だか少し可哀相になってき…………いやいや、私を豚と呼んだ奴らだ。情けなど無用である。

 わんこ信者共は崇拝するキリュウに従順なようで、まだ文句を言い足りないと言いた気な物凄く悔しそうな顔を私に向けていたが、口をつぐんでもう言葉を発する事はない。怨みをしこたま込めた視線が私に突き刺さるだけだ。
 キリュウはそれを見届けて、またこちらを向く。

「……言っておくがお前の為ではない」
「ん?あぁ、うん。知ってる」

 何せベッドに運んでくれた理由が邪魔だったから、だ。
 それに彼が止める義理もない。只単に煩くて耳障りだった為にわんこ信者共を止めたことは分かっていた。
 しかし私も彼と同じく煩いと感じていたので助かった事には変わりない。

「でもありがとう」

 当然礼は言うべきと思い言ったのだが、彼は少し驚いた表情を見せた。
 「結果的には助かったし」と付け足せば、彼は少し間が空いた後「そうか」と呟いたので私はまたへらりと笑う。

「……はい、では皆さんペアになりましたね。では一旦講堂へ移動してください。そこで今回の実習について説明があります」

 今まで黙って事の成り行きを見ていたイズミ先生はクラスが落ち着いたのを見計らい声を掛けた。
 一瞬目が合った気がするが、直ぐにそらされ、そのまま彼女は教室を出て行く。……知らぬ間に何か悪い事でもしでかしたのか、私。

「……ヒイラギ、大丈夫?」

 うーんと唸っていたら隣からサカキが心配そうに声を掛けてきた。大丈夫とは嫉妬やらなんやらで針のむしろ状態になっている事だろうか?それとも体調の事だろうか?
 どっちにしろ大丈夫だ。毒気はキリュウに抜いてもらったし、私は自他共に認める図太さを持っている。嫉妬やらは面倒臭いが、生憎傷つくようなハートなんて持ち合わせてはいないのだ。

「大じょ――――」



 うぶ。



 私は最後までその言葉を口にすることが出来なかった。

 そのまま固まる私をサカキがひょっこり覗き込んでくる。

「ヒイラギ?……物凄い顔になってるわよ?」
「…………テメェ」

 そりゃ物凄い顔にもなる。
 私は今苦虫を噛み潰したような表情をしていることだろう。

「――え?……あ!お前……っ!!」

 今まで口元を手で覆って机に突っ伏していたので私も相手も気が付かなかったらしい。
 私が睨んでいると、今相手も私が誰だか気が付いたようでこちらを指差して驚いている。



 ____サカキの後ろにはあの鼻血垂れ、へのへのもべじ野郎が立っていた。



「え?何?ヒムロ君と知り合い?」
「いや、全然」
「おま――」
「全く」

 何か言おうとした鼻血垂れに被せて言う。耳障りなその声なんぞ聞きたくない。

 名前も知らない。知りたくもない。
 私は今しがた聞こえた奴の名前を脳細胞から即デリートした。
 こんな奴『鼻血垂れ』、もしくは『へのへのもべじ野郎』で十分である。というか呼び名があるだけ奇跡なのである。
 こんな奴がサカキの後ろに突っ立っているとか目障りで仕方がない。



 ……。

 ……ちょっとまて。



 …………何か凄く嫌な予感がする。



「……サカキ、まさかコイツって…………」

 最後まで言い切れない私を不思議そうに見つめるサカキ。

 その先は言いたくない。多分当っているけど言いたくない。そして聞きたくない。
 そんな私の心情なんて知らないサカキが可愛く首をかしげながらあっさりと言ってくれた。



「私のパートナーよ?」



 …………やっぱりかっ!!

 私は思わず頭を抱えた。




[30701] 【第一章】 慮外千万鴨葱ペア
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/22 14:26

 よりによって鼻血垂れ……。



 確かに私のパートナーはコイツではなかった。それはとても喜ばしい。

 ____だがしかし、だからといってサカキのパートナーで良いとも思わない。
 コイツは最低な野郎だ。そんなやつが友達のパートナーだなんて受け入れられるものか。
 今思い出しても腹立たしいことこの上ない。蹴りは入れたが私としては本来あれくらいじゃ足りないくらいなのだ。それこそ顔の原形が分からなくなるまでぶっ飛ばしたいくらいなのに。

 震える拳を何とか押さえ、私はサカキに聞こえないよう奴に近づき、少しばかりドスを効かせた声で奴に優しく忠告をしておいた。

「……テメェ、サカキに何かしてみろ。次は鼻だけで済むと思うなよ……全身血まみれにしてやる」
「……っ、……やれるもんなら」

 私の忠告に一瞬怯んだもののすぐに立て直し、いっちょ前に挑発をしてきやがった。

 ちょ、生意気。鼻血垂れのくせに生意気。
 この馬鹿に分からせる為にはやはり圧倒的な力の差というものを叩き付けなければならないらしい。
 私は半目で指を順にパキパキと鳴らしていき、仕上げに首も傾げて一発バキッと小気味よい音を鳴らす。準備運動完了だ。

 その様子を見た鼻血垂れは慌ててサカキの肩に腕を回した。
 うわ、人質取るとか卑怯臭い。これでは中々手を出せないではないか。
 鼻血垂れのそのいきなりの行動にサカキは顔を真っ赤にしてわたわたしている。こら、目を覚ませサカキっ!

 手を出さない私を見て鼻血垂れは口に嫌な笑みを浮かべながらサカキの耳元で囁いた。

「ねぇ、サカキさん……あぁ、さん付けっていうのもよそよそしいよね。パートナーなんだし。……サカキって呼んで良い?」
「えっ、あっ、構わないけど……っ」
「サカっ……っ!」

 今正にサカキは奴の毒牙にかかっている。……サカキさん、いくら何でも簡単に攻略され過ぎやしませんかね?

 口を開いてサカキを止めようと思ったのだが鼻血垂れがフェロモンを振り撒きやがったらしく急激に吐き気が込み上げ、私はとっさに両手で口元を塞いだ。
 小癪な真似を……後であれだ、サンドバッグ。そう、サンドバッグのごとき拳を叩き込んでくれる。

 鼻血垂れは私がそのようなことを考えているとは露知らず。
 サカキを盾にすると私が手出し出来ない。そしてサカキはちょろい。
 その2つを知り、奴は私の最大の弱みを握ったつもりになっているのだろう。余裕な表情でサカキを口説き落としていく。

「サカキって美人だよね」
「えっ!?」
「反応も可愛いし」
「へっ!?」

 表面上甘ったるい笑顔をサカキに向け、砂を吐きそうな台詞がポンポンと奴の口から出てくる。聞いているこっちはもう耳からも砂が溢れ出そうな勢いだ。

 イケメンは何をやっても様になると聞いたことがあるが、あれは真っ赤な嘘だ。目の前のコイツは一応イケメンの部類に属するが、何をやっても薄ら寒く感じられる。ここは最早極寒地帯と化した。コート、誰かコートをおくれ。
 こんな鳥肌モノな、そしてテンプレな口説き方をされているというのにサカキはもうノックアウト寸前らしく、湯気が出そうな勢いで顔が真っ赤だ。この純情少女はイケメンにとことん弱いのだな。こんな鼻血垂れでもサカキフィルターにかかるとしっかり良い男に映ってしまうらしい。サカキフィルター、凄すぎる。

 私が変な所に感心していると鼻血垂れがスッとサカキの腰に手を回した。

「テメ……ッ!!」

 それを見た私は頭の中の何かがブチ切れ口元を押さえていた手を離し、振り上げる____このとき、フェロモンの事など頭から吹き飛んでいた。

 私の拳が奴の顔面に減り込む直前____



「キャァアァアアァアアアッ!!」



 サカキの張り手が奴の顔面を直撃した。

 どすこい。

 私の脳内に某格闘ゲームのSEが木霊した。
 正にお相撲さんバリな見事な張り手である。いや、お相撲さん以上に見事な張り手である。

 鼻血垂れは予想もしていなかった攻撃に受け身も取れず、まともに喰らったようだ。
 サカキの張り手が決まった瞬間、奴の身体は宙に浮き、そのまま机と椅子を幾つか薙ぎ倒しながら教室の隅まで吹き飛ばされ、壁へ強かに叩き付けられた。昨日は床で今日は壁。奴は見る度、何処かしらに張り付いている。その様を見ていると窓に張り付くヤモリを思い出した。

 ……そういえば先程首が変な方向に曲がっていた気がするが生きているのだろうか?

「……え、あれ?……――――きゃあっ!!ヒムロ君!?どうしたの!?大丈夫!?」

 サカキが慌てて駆け寄り、呼び名に相応しく大量の鼻血を垂れ流している奴を力の限りガクガクと揺さぶっている。
 容赦のないそれは私の目にはトドメを刺している様にしか見えない。出血量は増加の一方を辿っている。いいぞ、やれ。もっとやれ。

 しかも『どうしたの』と言っている彼女の様子からどうやら自分の所業ではないと思っているようだ。自分の張り手が決まったことすら気付いていなかったというのだろうか……恐ろしい娘。
 耳を澄ますと蚊の鳴くような声で「やめ……っ」やら「死ぬ……っ」やら聞こえてきているのでどうやら死んではいないようだ。正にゴキ並な生命力である。
 殺虫剤なら効くかもしれない。是非とも今度は用意しておこう。

 それにしても良い飛び具合だった。馬鹿力だとは兼ね兼ね思っていたがまさかここまでとは。
 壁がなかったら何処まで飛距離を稼いでいただろう。兎にも角にも私が直々に手を出す必要は全くなかったようだ。ビバ、純情。ビバ、馬鹿力。つまりはビバ、サカキ。
 やはり心配は無用であった。

「――――うっ」

 瀕死な鼻血垂れを見て一人満足していると急に視界がぐるりと回転した。
 フェロモンをまともに喰らったせいだ。私は踏ん張り切れずそのまま床に崩れる。

 あぁ、情けない。




[30701] 【第一章】 藪から棒な予防法
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/25 11:24

 廊下に出て長い螺旋階段を上り講堂を目指す。

 全クラスが同じ行動をとっているのでぎゅうぎゅう詰めになるかと思われたが私たちの前方はポッカリと道が出来ていた。
 リアルモーゼの奇跡なるものを私は初めて見た。この分だとラブレターは勿論、バレンタインにはリアルに下駄箱からチョコがどさどさと出てきて足元に小山を作るに違いない。是非に見てみたいものである。まぁこの世界にバレンタインなんてものは存在しないのだが。



 __そんなことをついつい考えて思考を散らす。面倒臭い、とても面倒臭い事態になった。



 今、私は周りの殺意と好奇の眼差しを一身に浴びながらユサユサと揺られていた。
 目に映る上り終えた階段が次々と流れては視界の端に消えていく。目線を変えると広い背中が逆さまに映った……どうしてこんな事に。

 現状をズバリ言ってしまうと、私は今キリュウ氏に担がれている……言葉通り米俵のごとく肩に担がれているのだ。



 何故このような状況になっているかというと、話は10分程前に遡る____



 ◆ ◆ ◆



「……またか」
「……申し訳ない」

 教室でフェロモン酔いが悪化し床に崩れた後、今まで傍観に徹していたキリュウが面倒臭そうに後ろから声を掛けてきた。
 私が身体を捩って後ろを振り返り彼を仰ぎ見ると、予想通りどこかかったるそうな空気を醸し出している彼の姿が映る。
 まぁ、そうもなるだろう。
 つい先程毒抜きをしてもらったのにまたこの有様だ。面倒臭いパートナーで本当申し訳ない。
 ……いやいや、よく考えたらお互い様ではないか?私はわんこ信者共から理不尽な仕打ちを受けているわけだし。

 一人で自問自答していると私の頭にぽんっと手が置かれた。吐き気やらがみるみるうちに失くなっていくのがわかる。
 空気清浄器の様な魔法の手……私も欲しい。

「ありがとうございます」
「……気をつけろ」

 仕事を終えて私の頭から去っていく彼の手を見送りながらお礼の言葉を述べると、お礼に対して初めて「あぁ」以外の言葉が返ってきた。
 やはり一々毒抜きをするのは面倒臭いのだろう。逆の立場なら私だってそう思うので今後気を付けるように心掛けようとした____が、そこで「んん?」と首を捻る。

 フェロモンは着色されているわけではないので視覚で察知出来るものではない。
 吐き気がして初めてフェロモンが撒かれている事が分かるのだ。そんな状態でどう対処できるというのか。

「移動しないのか」

 やはり物理学的に無理ではないだろうかと結論を出したところでキリュウが声を掛けてきた。
 そういえば実習の説明を授けるため講堂に移動しなければならない。

 サカキを見るとまだ鼻血が止まらないらしい瀕死状態の鼻血垂れに付き添っていた。
 そんな奴放っておけば良いのにサカキはパートナーだからそんな訳にはいかないと言う。……ペアって面倒臭いな。
 仕方ないので私はキリュウと二人で先に講堂に向かうことにした。彼女の事は先生に伝えておけば良いだろう。

 一人納得してキリュウに続き、教室から一歩踏み出し____驚愕した。



「……マジか」



 今、信じられないものを見てしまった。
 思わず言葉を零してしまう。

 なんと、こちらに気が付いた生徒全員がササッと道を譲り、人垣が開いていったのだ。
 そこへ私は引き攣った顔で足を踏み入れていく。
 その原因である超絶美形を見上げると、このVIP待遇をさも当然だと言わんばかりに気にする事もなく歩いていた。
 私は物凄く嫌なのだが。

 彼は無表情ではあるが何処か気怠げな空気を纏いつつ階段を上っている____一段飛ばしで。

 嫌味なくらいに長いそのコンパスをちょっと分けてはくれないだろうか。
 日本人には羨ましい限りなその足をじとーっと見ながら私はちょこまかと忙しく足を動かし、一段一段階段を上っていく。
 これは軽く筋トレになりそ____

「遅い」
「……タッパが違えばコンパスも違うのだよ」

 敢えて自分が短足だとは言わない。意地でも言うものか。

 キリュウが立ち止まり、振り返って零したその言葉についつい言い返してしまう。
 その瞬間周りから物凄い殺意が込められた視線がぐさぐさと私を貫いていった。
 何故か集中砲火を浴びているが私は悪くない。どう考えてもキリュウが悪い。でもそれを言うと周りの過激な皆さんがヒートアップされるのが見て取れるので口には出さない。
 パートナーが話の通じる相手なのは良いが、こうも周りの反感を買ってしまうと微妙な気がしてきた。プラマイゼロといったところか。
 まぁマイナスよりは良いのだが。

 また前を向いて階段を上っていくキリュウの後ろをとことこと追いていく……心持ち速度が下がった気がした。
 やはり良い奴ではあるようだ。

「……うぐっ」
「……」

 両手で口元を覆い、立ち止まる私。
 急に吐き気が込み上げた……あの忌々しいフェロモンである。

 きっと私を自分に引き付けてキリュウから引き離そうとでも考えたのだろう。……もう嫌だコイツら。どんだけキリュウ大好きなんだよ。
 キリュウもそんな私の様子に気が付き、立ち止まって振り返る。……いや、そんな目を向けられても。
 やはり無理なものは無理なのだ。解決策を見出せる気がしない。

 私は自分の体重を支えるのも辛くなり、壁に身体を預けながらキリュウに言った。

「……ごめん、先行ってて」
「……」

 私の言葉を聞いたキリュウは黙ったまま眉間に皺を寄せた。……何でだ。
 そしてそのままこちらへゆっくりと近づいて来る。いや、先に行ってくれと言っただろう。
 毒抜きをしてもらってもまた同じ事が繰り返されるのは想像に容易い。ならばいっそのこと拳で語った方が手っ取り早いと思った故の発言だったのだが……。



「えっ」



 何故かいきなりの浮遊感。



 ふわりと身体が宙に浮いた。そして次の瞬間には私の腹部に圧迫感が襲う。
 「んうぇっ」と女としてどうかと思われる奇声を上げてしまったが仕方ないだろう。奇襲に対して可愛らしく悲鳴を上げられる女の子は小数だと私は思っている。
 ……いや、今そんなことはどうでも良いのだ。

 私は混乱しつつも状況把握に努めた。何だ?何が起こった?

「……」

 しばし私の時間が止まる。
 私は目の前に広がる広い背中を見て全てを悟った……自分、もしかしなくとも、わっしょい担がれていやしませんか。

 キリュウに。

「……あー……キリュウ?」
「この方が手っ取り早い」

 何が何だか分からないが、取り敢えず話し掛けると淡々とした返事が返ってきた。
 いや、確かにそうだけれども。
 キリュウの手はずっと私に触れているので、もうフェロモン酔いに悩まされる事はない。

 ……しかしだな。

「……担ぐ必要ないよね?」

 ないだろ。

 腕でもなんでも掴んでくれれば解決するのだ。
 彼の理解出来ない行動に疑問を投げ掛けた。
 私のその疑問に対して返ってきた彼の答えは至極簡単であった。

「この方が早く着く」

 ……はいはい、足短くてごめんなさいね。

 私はもう色々と諦め身体の力を抜いた。
 ダラリと伸びる私の身体を軽々と担いだまま歩き始めたキリュウ。
 重くないのだろうか?重いと言われ現実を突き付けられたら大ダメージを喰らってしまうので聞かないけれども。
 キリュウは見た目は細そうに見えるのに筋肉はしっかり付いているようだ。流石男なだけはある。

 しかしその逞しい筋肉を所有しているのならこの扱いは如何なものか。
 私は一応これでも女だ。これはない。この担ぎ方はナシだろ。
 こう、もっと格調高くお姫様抱っことか……。



「……」



 ……ないな。ナシだ。前言撤回だ。

 お姫様抱っこをされる自分を想像して盛大に眉間に皺を刻む私。
 有り得ない。いや、うん、本当に有り得ない。



 そしてあれこれ馬鹿なことを考えている所で冒頭へと戻る。




[30701] 【第一章】 真相解明に伴う無罪放免
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/25 12:01

 キリュウの肩に担がれ、二人共無言のままユサユサ揺られ続けている私。後どれくらいで着くのだろうか。

 私の腹にキリュウの肩が食い込んで結構苦しいわけだが今はそんなことを気にしている場合ではない。
 一度は諦めたがやはりこの曝しものになっている現状を打破しなければ__



 __そう考えているうちに到着してしまった。



 我が2ーC教室から講堂までのこの道程は兼ね兼ね長いと思っていたが、今日程早く着いて欲しいと思ったことはなかった。
 まぁ彼の存在感と長い足の効力で思ったよりかなり早く目的地に着いたわけだが。

 到着した講堂にはちらほら着席している生徒たちがいた。
 そこへ足を踏み入れた瞬間彼らから殺意と好奇の視線が向けられ私に突き刺さる。私の身体はもう穴だらけだ。蜂の巣状態だ。
 ……何かもうそれらの視線にはこの短時間で慣れてしまった事を悲しめば良いのか喜べば良いのか分からない。

 キリュウは講堂に入ると入り口から反対に位置する一番後ろの席に私を下ろした。次いで自らも私の隣へ座る。
 やっと足を地に付けることが出来た。私は担がれた事によって地味にダメージを受けた腹を摩りながら安堵の溜息を吐く。頭に上っていた血が下がり、暫しボケーっとしていた。
 キリュウと出会ってからの二日、とても濃い時間を過ごしている気がする。まだ2日なのに……これからの3年間が物凄く長く思えてきた。
 フェロモン酔いに抱きまくら事件。あれはやらかしてしまったなと思ったが彼は気にしていないのだろうか。……できれば記憶から消し去って欲しい。
 これからもどんどん問題は増えていくのだろうか?まさかの夢遊病説まで上がってしまったし。

 …………夢遊病?

 そこでふと思い付いた。
 保健室の謎。あれはキリュウに聞けば解決するのではなかろうか。
 何せ彼も保健室にいたのだ。私が寝ているとき私がどうしていたのか尋ねれば良い。

「キリュウ」
「ヒイラギ」

 それだ、と意気込んで尋ねようと彼を呼んだのだが同時に彼も私を呼んだ。変な沈黙が二人の間に流れる。こういう空気って妙に気まずい。

「……お先どうぞ」

 やはり私は慎み深き日本人。保健室の事は物凄く気になるが発言権を彼に譲ることにした。
 彼は私から発言権を渡され先に私へ質問を投げ掛ける。

「……昨日何故あの場所に来れた?」

 あの場所とは保健室の事だろうか?どうやら彼は私と同じく保健室の事で気になっていることがあるようだ。……それにしても『来れた』とはどういう意味だろうか?
 私はここの生徒だ。しかも2年生。よっぽどの方向音痴でなければ単純な造りのこの校舎で迷うはずがない。
 私がどう答えていいものか分からず首を傾げていると彼は私にちゃんと通じていないことが分かったのか、キリュウが補足をする。

「あれは黒学の保健室だ」
「……え?」

 黒学の?

 どういうことだ。
 全く意味が分からない。混乱する私を他所に彼の説明は続く。

「……昨日、俺はここの保健室と黒学の保健室の空間を繋げた。入っても俺以外は普段通りここの保健室に着くよう細工をして、だ。俺と同じく空間魔法を使い、更に仕掛けた罠を潜らなければ黒学の保健室へ来ることはできなかったはずだった。……だがお前は何でもないかのように黒学の方へ来た」

 わぁ、凄ぇ。キリュウがいっぱい喋っちゃってる。ちょっと感動……じゃなくて。

 なんと。
 驚きの真実が判明した。

 昨日の保健室での出来事を思い出してみる。そういや彼は『何故ここにいる』と私に言っていた。
 あの質問は入れるはずのない場所に何故私がいるのかという意味だったらしい。
 あの時は死学の保健室だと信じて疑わなかった、というより別の部屋だとは考えもしなかった。知らぬ間に黒学の保健室に飛ばされていたのか。
 ということはあの素敵寝具は黒学の……。

 ガックリ肩を落とす私を見つめたままキリュウは更に続ける。

「……そして俺が出て行く前、繋げていた空間を切った。扉を開ければ普通は黒学の廊下に出る。……だがお前はまた死学へと帰って行った。空間魔法は悪魔と天使にしか使えない。死神には使えないはず…………お前は一体何をした?」

 私を深く探ろうとする赤い瞳。
 それを綺麗だなと見つめながら私は答えた。

「いや、別に何も」
「……」

 キリュウの目が細まる。どうやら疑っているようだ。
 そんな目をされても何も答えられない。だって本当の事だし。
 そもそも空間魔法というものを私はよく解っていない。

 私はそのまま言葉を続ける。

「扉を開けたら勝手にそこに辿り着いただけだよ。今キリュウに言われて初めて黒学の保健室だったって知ったし」
「……本当に何もしていないのか?」
「うん」
「……そうか」

 まだ納得してなさそうだったが諦めたのかキリュウはそれきり質問をして来なくなった。私の言葉に嘘は一つもないのだが。
 あの時は体調が最悪で只安息の地、ベッドを求めていただけだ。



 ……。

 ……待て。待てよ?



 私が黒学の保健室に行っていたならば、サカキと鉢合わせしなかったのはそのせいではないか。私は黒学の、彼女は死学の保健室に居たのだから。
 すれ違いでも何でもない。場所自体が違うのだから会えるはずがなかったのだ。
 ……希望が見えたぞ。

「……キリュウ、私って寝てる間歩いたりしてた?」
「いや。寝言なら言っていたが」

 その言葉を聞いた私は無言で両手の拳を天高く突き上げた。

 さよなら夢遊病説っ。
 おめでとう、私っ。

 私の夢遊病説はかなり白に近づいた。
 当事者が違うと言ったのだ。この発言の効力はかなり高い。
 タチバナさんのあの反応は今でもよくわからないが……今日帰ったらもう一度問いただしてみよう。

 ……しかしまた一つ問題が浮上しなかったか?



 寝言って何言ったんだ、私。




[30701] 【第一章】 眠りへ誘う魔法の手
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/27 22:20

 夢遊病説がほぼ白に染まり、安心した私は机にだらりと伸びた。
 一気に眠気が私を襲い、瞼が鉛のように重くなる。そういや昨日は寝られなかったのだった。

 私はそれに逆らう事もせず目を閉じた。
 もう寝言とかどうでも良い。どうせしょうもない事でも喋ったのだろう。
 そんな事より今は睡眠を取る方が大事なのである。
 私の大好きなまどろみの時間。うとうととその幸せな時間を堪能していた。

 ……うん、やっぱり良いね。寝られるって幸福な事だ。



「――うぐ……っ」



 幸せを堪能していた私は突如盛大に眉間に皺を寄せる。

 ……誰だ。私の憩いの時間を邪魔しやがったのは。

 吐き気と頭痛。原因はあの憎きフェロモンである。
 私のこの幸せな時間を邪魔するなんて絶対ただでは済まさない。

 私はその愚か者の顔を脳内に刻み込む為、顔を上げようとした____が、不意に頭にかかってきた心地良い重みにそれは叶わない。



「寝てろ」



 隣から聞こえるキリュウの声。

 何処か安心するその声に逆らわず、私は身体の力を抜いた。
 吐き気と頭痛はもうない。あの魔法の手が毒抜きをしてくれたのだ。
 残ったのは眠気と心地好い重みだけ。最初はぽんと乗っかっていただけのそれは今では何故か頭をゆっくり撫でている。
 ……何これ、ヤバイ、気持ちいい。

 先程まで私の中を蠢いていた殺意は跡形もなく消え去った。代わりに訪れる強烈な眠気。
 私はその手に誘われるように素直に意識を手放した。

 黒学の生徒と教師が驚愕の表情でこちらを見ていたのだが眠っている私は知るはずもなく、ただゆらゆらと揺れるような心地良い波にのまれていた。



 ◆ ◆ ◆



「――そろそろ起きろ」
「……んぁ?」

 間抜けな声を発しながら私は眠りから覚めた。顔を上げると超絶美形の顔が視界に入る。
 ……寝起き様にこの顔は駄目だ。眩しくて目がちかちかする。

 私は目をしぱたかせながら口元に手をやった。……よし、今回は垂れてない。
 セーフセーフと安堵しているとやけに静かな周りに気が付く。
 不思議に思い見回してみるとそこはもぬけの殻となっていた。
 広い講堂内に寂しくポツンと二人だけ座っている私とキリュウ……何故?皆は?というか今何時だ?

 部屋の中央に鎖に繋がれ垂れ下がっている大きな水晶玉を見る。時計である。
 この時計はどの角度から見てもちゃんと針が見えるスグレモノだ。構造はよく分からないが恐らく魔法が施されているのだろう。魔法って本当に便利。

 因みに時間軸、季節なども不思議なことに日本と同じ。こちらとしては大変助かる。
 あと、太陽らしきものも月らしきものもちゃんとあるのだ。此処も太陽系と同じ様な構成をしているのかもしれない。
 全く違うところといえば西から上って東へ沈むということだけだ。某アニメソングと同じである。自転が逆なのだろうか?

 そんなことを考えながらぼーっと時計を見ると針は12時40分を指していた。12時40分…………12時?

「……昼?」
「あぁ」

 私が思わず呟いた言葉にキリュウが肯定の言葉を零す。マジか。昼か。
 寝始めたのが9時頃だったから3時間半ほど私は眠っていたことになる。ちょいと寝過ぎたかもしれない。
 此処に誰も居ないのは昼食を食べに行ったからであろう。

「……実習」

 眠っていたので何も聞いていないし何もしていない。
 もしかして寝ている間に終わってしまったのだろうか。

「……13時からだ。5分前に第二塔校門前に集合」

 まぁ良いかと思っていたらキリュウが隣から淡々と答えてくれた。……何だ終わっていなかったのか。面倒臭い。

 この講堂に現在私以外で唯一いるキリュウに目を遣る。
 彼は私が起きるまでずっと待っていてくれていたのだろうか?別に放っておいても良かったのに。

 そこでふと頭に思い浮かぶ朝聞いたサカキの言葉。
 パートナーだから?別行動は良くないと?……ペアってホントに面倒臭いものだと思う。
 まぁ何にせよ私はまた彼に迷惑をかけてしまったようだ。

「ごめん、キリュウ。迷惑かけた。……あ、ご飯食べた?」
「……いや、俺はいらない」
「何で?」

 思わず首を傾げて尋ねる。
 昼食を抜くとは不健康な。健康の為にも出来る限り三食きちんと取るべきだ。
 まさかキリュウが色白なのは不健康だからなのか?……それはないか。

 ……。

 ……昼ご飯をケチらなければならないくらい貧乏だとか?

「……悪魔は基本的に食事を取らなくても大丈夫だ」

 私の考えていることが分かるのだろうか。キリュウは若干怪訝な表情でそう言った。
 思わず読心術のスキルがあるのではないかと疑ってしまう。

「……言っておくが心は読めんぞ」

 …………いや、あるだろ。
 読心術スキル、バッチリあるだろ。

 私が疑いの眼差しをキリュウに注いでいると彼は小さく溜息をついた。

「そんなことより昼食はいいのか?」
「あ」

 時間を見ると12時45分。ヤバイ。

 実習先に持って行くという手も考えたが荷物が増えてしまう。
 というか流石に没収されるだろう。皆手ぶらな中私だけが荷物持ちとか目立ち過ぎるし。
 実習には手ぶらで行くことがルールなのだ。

 下りであれば教室まで走って2分ほどだが食事時間は5分と少ししかない。
 ……いや、待てよ。
 全力疾走した直後にご飯とかキツ過ぎる。休憩を入れれば実際5分もないだろう。
 ……くそう、もっと味わって食べたかった。
 いやいやいや、悔しがっている場合ではない。こうしている間にも時は無情にも一刻一刻と過ぎているのだ。急がねば。

「ごめんキリュウ、先に行くよ」
「待て」

 走り出そうとした私の腕を掴み引き止めるキリュウ。
 頼む、用なら後にしてくれ。私をタチバナさんお手製弁当が待っている。
 懇願の意を込めて彼を見上げても一向に離してくれる素振りはない。何だ何だ。私の昼飯の邪魔をするとか、いくら恩があれども許さんぞ。
 ……ここはやはり拳で語るべきだろうか。

「弁当か?」

 この緊急事態にどうでも良い質問ありがとう。
 私は早く行かないといけない。昼抜きとか考えられない。
 捕まれた腕を早く放せとばかりにガン見しながら頷く。

「何処にある」

 ……だからさっきから何だというのだ。
 早く行きたいのに何故か足止めを喰らい思わず眉間に皺が寄る。本当に時間がない。

「机の横に引っ掛けてある鞄の中だよ。だから早く――」

 放せ。

 後に続く言葉は口から飛び出す事はなかった。
 ついでに握りしめた拳も。

 目の前には見慣れた箱。

 そう、私のお弁当箱だ。
 それがいつの間にかキリュウの手にちょこんと乗っかっていた。え、何これ?凄くないですか?

「コレか?」

 ポカーンと口を開けて間抜け面を晒している私に向かってキリュウが尋ねてきた。
 私は突然現れた弁当箱を凝視しながら何度もコクコクと頷く。

「時間がないんじゃないのか?」

 ハッ。そうだった。

 不思議がるのは後から幾らでも出来る。
 現在の私の中での最優先事項は弁当を空にすることだ。

 私はキリュウから弁当箱を受け取り、礼を言ってからご飯を胃に詰め込む作業に取り掛かった。




[30701] 【第一章】 トレードマークは赤い帽子
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/28 14:42

 現在時刻は12時55分。

 私とキリュウは時間ピッタリに集合場所へと到着し、既に列を成している生徒たちの最後尾に並んだ。
 走るどころか歩いてすらいない。ワープしてきたのだ。
 お蔭様で 私は残りの時間を全て昼食に回すことが出来た。有り難い。

 空になった弁当箱はというと、出してくれた時と同様キリュウが再び元あった鞄の中へ返してくれた。
 渡した瞬間フッと消える様子はマジックとしか言いようがない。
 思わず歓声を上げて拍手まで送ってしまった。マジ便利過ぎる。

 キリュウが言うにはこれが空間魔法というものらしい。空間を切ったり繋げたりすることが出来る超便利魔法だ。
 空間魔法自体はそれしか出来ないが、応用次第で昨日の保健室のように空間を歪める事も出来れば、先程の弁当のように遠くの物を取ったり自分自身がワープすることも出来る。
 位置を特定しなければならないため、知っている場所でないと失敗してしまうらしいが。
 講堂でキリュウが言っていた通り、この魔法は悪魔と天使にしか使えない。
 ……惜しい。実に惜しい。
 それが使えれば朝もっと惰眠を貪れるというのに。

 因みに死神が使える魔法は、光と闇を除く火、水、雷、地などの自然魔法と呼ばれるものだ。光は天使、闇は悪魔しか扱うことは出来ない。
 まとめると、死神は火、水、雷、地など光と闇を除く自然魔法を、悪魔は闇と空間魔法を、天使は光と空間魔法を扱う事が出来る。
 死神が扱える自然魔法は火や風などを起こすことが出来るので、小さいものであれば薪など生活面の補助として、大きいものであれば攻撃や防御に使えるとても便利なものだ。……私は空間魔法の方が断然良かったが。

 あと魔法と言えるかは分からないが死神特有の力が1つだけある。
 狩った魂を転生させる力__『転魂てんこん』だ。

 転魂は魂が弱り切っている生き物を死神が鎌でぶった切るだけで発動する。
 切るといっても切れるのは肉体と魂の繋ぎ目なので身体に傷が付く事はない。
 この方法以外で他界した生き物は魂が肉体と共に腐敗し、転生することはニ度とないらしい。
 私は肉の腐敗を遅らせる為に内蔵を取り出してしまう事と似たようなものだと思っている。

 また、余談ではあるが死神の戦闘スタイルは魔法の他に定番の鎌を使う。
 死神の鎌といえば身の丈程ある金属製の巨大なものを思い浮かべると思うが私たちの使うものはそれとは少し違う。
 確かに大きさは身の丈程あるのだが、原料は金属でなく魔力なのだ。
 基本、火属性が得意な者は火属性、水属性が得意な者は水属性、とまぁとにかく自分が得意な属性の魔力をぎゅっぎゅと固めて鎌を生成する。
 鎌の見た目は属性に伴い、燃えていたり水で出来ていたりと何属性か分かりやすく、強度は魔力が大きければ大きいほど上がり、そしてコントロール出来れば出来るほど体感的な鎌の重さは軽くなるので扱いやすくなる。自分が得意な属性で生成する理由はここにある。
 同じ攻撃力の武器だとしても扱えなければ意味がない。下手をすれば鎌を生成したは良いが重過ぎて持つ事が出来ない、最悪生成する事すら出来ないということも有り得るのだ。
 勿論鎌は魔力で作るので出し入れ自由、手ぶらで移動できてとても便利……なのだが。

「皆さん、揃いましたね。まずは……ヒイラギ、来なさい」
「へ?……あぁ」

 イズミ先生にいきなり名前を呼ばれ、間抜けな声を発しながら顔を上げて彼女の方を見る。
 何事かと思ったが、視界にあるものを認め、自分が何故呼ばれたのか瞬時に把握した。
 私は「はーい」とやる気のない返事を返し、生徒の間を「ちょっとごめんよ」と言いながら縫い進む。そんな私をキリュウは無言で見送っていた。

 途中殺気をそこかしこから感じたが気にせず一歩一歩前へと足を運ぶ。
 何人か私の足を引っ掛けて転ばせようとする輩がいたが、私はよいしょとそれらをかわし、そのお行儀が悪い足を逆に思いっ切り踏ん付けてやった。
 オマケとばかりに捻りも加えて。
 その度に「う…ッ!」やら「い…ッ!」やら悶絶する声が上がるが自業自得である。
 わんこの躾に手を抜いてはいけない。どちらが上かハッキリさせることが大事なのである。
 しかし、どいつもこいつも無駄に足が長い……躾の際に少々強く踏んでしまったのは御愛嬌だ、うん。
 私は赤い帽子を被った中年太りの某髭オヤジが茶色い最弱の敵を踏み潰していくかの如く前へ進んで行く。
 脳内では「トゥーン」というSE付きだ……あぁ、BGMまで流れてきた。

 懐かしみながら躾をしているうちにイズミ先生の前まで到達してしまった。
 結局奴らは足を引っ掛けようとする以外何もして来なかった。つまらん奴らだ。
 私がイズミ先生の前に立つと彼女は眉根を少し寄せ、持っているものを私に渡す。

「……無理はしないように」
「ありがとうございます」

 私が先生から受け取ったもの。それは身の丈程もある金属製の鎌だった。

 受け取った私は礼を告げそのままそれをよっこいしょと肩に担ぎ、踵を返してキリュウの元へ足を進める。
 途中感じる視線は殺意から好奇のものとなっていたがスルーした。行きと違い、帰りは先程の躾の効果で噛み付いてくるおバカなわんこはいない。

「……ヒイラギ、まだ出来なかったの?」
「うん」

 戻るとそこにはいつの間にか移動してきたサカキがいた。
 ……ついで鼻血垂れもくっついているが視界に入れはしない。私の中で奴の存在を抹消した。
 片手で顔を覆い溜息混じりで聞いてくるサカキに肯定の返事を返すと、彼女はより一層深い溜息を吐き出す。
 いや、だって出来ないものは仕方ないではないか。

「……それは?」

 サカキと私のやり取りを見ていたキリュウが尋ねてくる。
 視線は私が持っている金属製の鎌に釘付けだ。……これ結構重いんだよ。
 ズルズルとずり落ちそうになるそれを私は担ぎ直しながら答えた。



「私専用武器。私、鎌を生成出来ないんだよね。魔力で」



 キリュウが物凄く驚いた表情をした……気がした。




[30701] 【第一章】 万年最下位のタイトル保持者
Name: 羽月◆4d65e5c5 ID:ea822ed4
Date: 2011/12/28 15:03

 先程までちらほら私語が交わされていたのだが、今では私が投下した衝撃の事実に私を中心とする周りだけシーンと静まっている。
 あははと何でもない事のように笑う私を見るのは、呆れ切った様子のサカキと今ではもう表情を読み取ることは出来ない真顔のキリュウ、驚きすぎて間抜けな面を晒している鼻血垂れ、そして私達の会話が聞こえていた周りの生徒達。周りの生徒に関しては、黒学の生徒は信じられないものを見る目を、死学の生徒は哀れむような目を私に向けている。
 私のこの出来の悪さは筆記テストで毎回最下位のポジションを陣取っている事と共に死学の生徒達にはかなり有名な話である。まぁテストについては筆記だけでなく実技も最下位なのだが。
 ……今更だが私、かなり出来の悪い落ちこぼれ問題児だな。

「……はぁ!?マジかよ!?」
「ホントよ。魔力は有るようなんだけどね……」

 静寂を破ったのは我に返った鼻血野郎だった。
 それに対し律儀に答えるサカキ。サカキ、無視して良いんだよ。そんな奴。そしてそんな奴相手に頬を染めるでない。

 鼻血垂れの言葉をきっかけにザワザワと周りが騒ぐ。
 聞いていた生徒から聞いていない生徒へとあっという間に話が広がったようだ。
 あちらこちらから様々な視線が注がれて鬱陶しい事この上ない。私はモノクロ調の観賞用動物様ではないというのに。
 ……まぁ彼等が驚くにも無理はないのだけれども。

「……前代未聞だな」
「うん。死学始まって以来らしいよ」

 キリュウの言葉にあっけらかんと返す私。
 なんと私みたいな奴は今までいなかったそうだ。
 どんなに魔力が小さかろうがコントロールが下手だろうか鎌を生成出来なかった生徒はいなかったと以前聞いた事がある。
 何度やっても出来ない私にイズミ先生は頭を抱え、苦肉の策でこの鎌の使用許可を出してくれた。
 これは少し特殊な鎌で魔力を注いでも多少持ち堪えるように出来ている。
 まぁやはりというか原料が金属であるので魔力で作られた鎌と比べるとかなり脆い。
 でも何も無いよりはマシ。横降りの雨の中、傘をさすようなものである。

 またもやずり落ちてくる鎌を担ぎ直す私を何故か探るような目で見てくるキリュウ。
 確かに前代未聞なら信じられないかもしれないが……疑っているのだろうか?

「……今できるか?」

 うむ、バッチリ疑っていたようだ。
 まぁ仕方ないか。

 私は「いいよ」と軽く返事をし、担いでいた鎌を地面にドスッと突き刺した。そして空いた両手をキリュウに向かって突き出す。
 やり方は実に簡単。ただイメージするだけである。

 私は一つ深呼吸をし、魔力を手の平に集めるイメージを浮かべた。すると次第に手の周りが淡く光り出す。
 ……ここまでは順調。いつも通りだ。問題は次の段階である。
 私は慎重にその魔力を固め、鎌の形に形成していく。
 光がぐにゃぐにゃとしながらもゆっくりと鎌の形に変わっていく…………が、もう少しの所でそれは飛散し、パラパラと光が散っていった。
 勿論私の手の中に鎌は存在していない。見事に失敗である。

「ほらね」
「……」

 私が手をぷらぷらさせながらキリュウに見せると彼は目を細めてそれを見た。そして、何か考える仕草を取る。

 目の前でやったというのにまだ疑うか。
 信じられないだろうが本当に出来ないものは出来ない。

「何度やっても固める段階で飛散しちゃうんだよね。そもそも魔法自体あんま使えないみたいだし」
「他人事みたいに言ってる場合じゃないでしょうが」

 私のやる気の無い言葉にすかさずサカキの説教が飛ぶ。
 私は「はいはい、頑張りますよー」と適当に返し、それをサラッと流した。いつもの事である。

「……戦えるのか?」

 訝しげにキリュウが私に問い掛けてくる。

 彼が言っているのは魔物の事だろう。
 この世界には死神、悪魔、天使の他に魔物というものも存在している。

 現在私たちがいる此処は人間の領域から隔離された死神の領域だ。
 同じイグラントに存在するのだが人間が住む大陸から海を跨いでかなり離れた所に存在する結構デカイ大陸なのである。
 魔法で姿を隠してあるので人間に発見されることはまず無い。結界も張り巡らしてあるので魔物も侵入不可能だ。
 そんなこんなで死神の領域に魔物は存在しないが一歩外に出ればうじゃうじゃとそれらがいる。
 魔物は魔力を持った獣のような存在で、気性が荒いものは誰彼構わず襲い掛かってくる。だから人間の領域に行くには戦闘が余儀なくされるのだ。
 因みに悪魔と魔物は違う種族だ。
 魔物は獣型が殆どで理性がほぼ無く、本能のままに生きる存在なのである。稀に魔力の高い魔物は理性を持ち、人型にもなれるらしいが。

 そんな場所へ行こうというのにパートナーである私はというとこの有様。
 確かに足手まといになるかもしれないと心配になるだろう。

「あー、大丈夫。足は引っ張らないようにするから」
「……」

 訝しげな視線は変わらず私に注がれている。
 うーん、信用無いなぁ。まぁ今日会ったばかりで信用もクソもないのだが。

「……あの」

 まぁ別に良いかと思い始めていたら突然サカキがキリュウに話し掛けた。
 彼女を見ると、まるで今から告白しますといわんばかりに顔が真っ赤だった。手が細かくカタカタと震えている。
 加護欲をそそりにそそるその様は何だか知らんがついつい応援をしたくなってしまう。

 頑張れサカキ。負けるなサカキ。

 私は心の中で彼女にエールを送った。
 サカキは意を決した様に引き結んでいた口を開く。

「ひ、ヒイラギは大丈夫です。か、彼女、結構強いですから……心配は要らないかと……」

 彼女の雰囲気からガチで告白かと思ったのに、まさかの私へのフォローだった。

 顔を真っ赤に染めながら小さく話す彼女に思わずニヤついた私を誰が責められようか。
 まぁ顔が赤いのはキリュウが原因だろうけれども。

 サカキの気遣いがとても嬉しい。

「らしいよ?」

 私は笑ってキリュウにそう言った。



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