2011/12/29(Thu)
さようなら。またお会いしましょう。
本年の終わりが近づこうとしています。
そして当サイトの終わりも近づこうとしております。
その閉鎖に当たっての事情は先のトークにも書かせていただいておりますが、当サイト「CAT MERON]は本月を持ちまして、閉鎖することとなりました。
思い返すに当サイトが立ち上がったのは11年前のちょうど2000年のことです。
それ以降、緩急はありましたものの、時には炎上し、時にはユーモアが飛び交わせながらも根気よく当サイトを持続させることが出来ました。
これはひとえに当サイトを持続的に見ていただいた方々の力によるものとこの場を借りてお礼申し上げます。
当初は10年の期間を目標にサイトを立ち上げたのですが、さらに1年延びたのも皆様とのやり取りの中で学ぶ点も多く、また私個人このサイトとの親密感も増し、断ち切るにいささかの迷いがあったということもあります。
しかし始まりがあれば終わりはあるもの。
何事も潔さが必要です。
長い間のご支援、ありがとうございました。
今、日本は未曾有の災害に見舞われており、この災忌は年を越えても持続します。
皆様がこの困難の時代にあたって、元気に負けぬよう生きて行かれることを心よりお祈り申し上げ、終わりの言葉をさせていただきます。
2011年12月29日
藤原新也
2011/12/27(Tue)
薄氷の上を歩いているがごとき危うさの中で。
12月22日に以下の投稿があった。
題名: ご存知ですか
投稿内容:
http://takedanet.com/私は右でも左でもありませんが、このような事が許されて良いはずがありません。
この国は明らかにおかしくなっていますね。
あまりにも腹が立ったので初投稿いたします。
●
添付されたユーチューブを見ると新橋での民主党の立会い演説の最中に「民主党が地上からなくなりますように」「野田政権が早く終わりますように」というプラカードを持った中年男性が映っており、彼はやがて民主党の警備員、あるいは警備担当の私服に取り巻かれ、警察警備員に引き渡される。
そして拘束状態に置かれていることがわかる。プラカードには民主党政権に対して多少過激な文言が書かれているが政治的抗議の範疇だろう。
昔から言論の自由を振りかざして自由の取り違えをする者は多々居るものだが、ユーチューブで見るかぎりこの拘束は確かに過剰であり、敷衍すれば警察権力国家の暗い時代に逆戻りという風景に見えなくもない。
この際問題になるのは果たして彼が法を犯しているがどうかということである。その点が問わねばならないが私には彼が法を犯しているようには見えない。
そういう意味ではこのような風景が今後日本国中で展開されるようなことがあれば問題であり、見過ごすことの出来る風景ではないと感じた。
そこでこの投稿があった22日の時点で参議院議員の有田さんにこのメールを転送するとともに、警察庁警備局の指揮系統の担当者に合わせていただくよう仲介をしてくれないかとお願いをした。
国会に隣接する参議院会館に行くのははじめてだ。
建物の中に入ると1階のフロアーは天井が3階分くらいの高さがある。
建物にどれくらい費用がかかっているかは内装などより、容積率を見た方がいい。このフロアーを見るとこの土地にして相当に贅沢な容積率だ。
検問が数ヶ所。
通り抜けるそのつど警備員が最敬礼。
なぜ最敬礼なのか、思うに不思議だ。
通常の会社のように一礼でいいではないか。
このようにして国会議員というものは1日に10回20回と最敬礼され、1年には何千回と最敬礼されるわけだ。
たかだか30前後の若造新人議員が自分より年上の者に最敬礼される毎日を送っていると自分がエライ人と勘違いする者も出て来るだろう。
議員会館に入っていきなり異世界に入った心地。
有田さんの議員事務所は4階、事務室が2室あり、入り口のある部屋が秘書室、その隣が議員執務室となっており、執務室に約束の2時に入ると、応接セットのソファにはすでに3人の警察庁関係者が座っておられる。
名刺交換。
私は元来名刺というものは持ったことがなく、人に会うたびに必要に応じて筆で手書で書く。
この日は必要と感じたので二枚ほど書いたが一枚足りなかった。
左から警察庁警備局警備課、警察庁警視のM氏(歳は50代後半から60というところか。ほっそりとした温厚なタイプ。話しぶり懇切丁寧。警察庁幹部にしてはあっけないほど押し出しが弱く、その目を見ると萎縮をしている感すらある)。
その隣に警護室課長補佐のK氏(40後半。お付きという役柄。存在感なし)。
その隣に警察庁長官官房総務課、国会連絡室 警部のA氏(40代。本庁から幹部がやって来る場合、国会つきの警部が同行するということかも知れない。A氏はちょっと冷たい感じで目線も鋭く、やっとそこに警察関係者がいるという雰囲気が醸し出されている)。
実はこの接見は私が有田さんに読者メールとユーチューブ画像を送った直後、彼がすぐに動いて警察庁に連絡し、彼自身が接見し、その内容を私に伝えるという段取りのものだった。
しかしもともとの発信元は私でもあるし、私も同席させてもらえないかと頼んだわけだ。「嫌がるかも知れませんが頼んでみます」ということで、ダメかなと思っていたら予想に反して先方から承諾が出たという経緯がある。
このようにしてある意味で多少大げさな逆事情聴収のような形になってしまったわけだが、実は私は名刺交換をした時点で残念ながら突っ込んだやりをする意欲を少し欠いていた。
というのは事前に有田さんがリサーチされ、新橋街頭におけるプラカード問題の内実を調べてメールで送ってくれていたからだ。
藤原新也様
1)まずプラカードをめぐる問題から。
正式には明日午後に警察庁が説明に来ますので、おってお知らせいたします。
当日現場にいた民主党職員(映像に映っています)に事情を聞きました。
野田総理が来るというので、駅前には「反原発」派が100人ぐらい、あのプラカードを掲げた「在特会」が20人ぐらいいたそうです。
「在特会」はご存知のように、在日朝鮮人の「特権」を許すなという集団で、これまでにさまざまな「事件」を起しています。
http://takedanet.com/映像では声が流れていませんが、大声で野次を飛ばしていたそうです。
そこで職員が「ちゃんと聞きたいと言う方もいるし、プラカードをかかげていると後ろの方が見えないので、下げていただけませんか」とお願いをしたといいます。
しかし野次が続くので困っているところ、警察官が介入し、あのような隔離に至ったといいます。
というわけである。
あのユーチューブの映像のみを見ると普通の市民が抗議のプラカードを掲げ、それを民主党職員や私服警官や警備警察官が強引に拘束し、言論の自由を奪ったという風に見えるわけだ.
だが大きなプラカードを掲げた人物が新右翼とも言うべき在特会という特定団体のメンバーであったとなると、双方の行動のニュートラルな評価は微妙に難しい。
福島問題では棄民と呼べるような国民の扱いをし、後は野となれとマニュフェストすべてを反古にし、お前の頭が冷温停止しているのではないかと思えるような原発対応。情報開示を掲げながら旧政権以上の秘密主義。ポーズだけは一人前。
という「屁」のような政党であることが白日のもとに判明した民主党というものがすぐにでも政権の座を降りてほしいというのは、およその国民の総意であろう。そういう意味では”民主党は消えろ”というあのプラカードの意味はいまや誰にも素直に汲みとれる種類のメッセージだと思われる。
だが今回の在特会の人々の民主党批判は在日朝鮮人を日本国民と同じような扱いをする民主党に対する攻撃の意図が濃厚なわけだ。
しかしそれでも原則論を言えば、言論の自由は保証されるべきということになるが、私個人は在特会のような民族差別主義を擁護する気にはさらさらなれないから、あの新橋街頭での出来事に対し、言論の自由を盾に警察庁の幹部に突っ込みを入れるという意欲がいまひとつ湧かなかったのである。
「とりあえずお伺いします。
あれらの行動が法規に触れているかどうかということですが」
その最初の質問はありうると見て警視のM氏はあらかじめ用意した一枚の書面を有田さんと私に手渡した。
警察の責務。
第二条「警察は、個人の生命、身および財産の保護に任じ、犯罪の予防、鎮圧及び捜査、被疑者の逮捕、交通の取締その他公共の安全と秩序の維持に当たることをもってその責務とする。
なるほどこの当たり前のことを書いた抽象的な文言の投網の中では、さまざまな人間の行動が現場の指揮者の判断や裁量によって適用執行可能なわけである。
「で、あの場面ではこの第二条に抵触しかねない行動があったということですか?」
「いや、そこのところが大変むつかしいところでございまして、大声を上げて周りの人に迷惑をかけている人が、それ以上にとつぜんどのような行動に出るかは分かりません。したがって予防処置として何らかの行動に出なければならないということもあるわけです」
つまり今回の拘束は犯罪(暴力等)の予防処置という色合いが濃かったということをM氏は言っている。
「そのあたりは非常に難しいところですね。だがですね、あのユーチューブを見ると在特会のメンバーのみならず、原発反対の小さなプラカードを掲げた婦人も一緒に拘束されている。混乱の中でその仕分けがうまくなされていないように思えます。
というより、あの婦人がいきなり暴力的手段に出るとは考えにくい。予防措置という根拠に乏しいように思うのですが」
そのあたりは現場の混乱の中で十分なコントロールがきかなかったのかもしれないという風な言葉をM氏は吐いたが、おそらく問題は市井のただ中に現職の総理大臣が来るということに尽きるのではないか。
何か不測の事態が起こることを恐れるがあまりの過剰警備ということである。
ユーチューブを見ると普段の街頭演説とは異なり、聴衆を取り巻くように体を外向きに、目を光らせる私服と思われる警官が居並んでいる。
すでに情報が入っていたこともあり大体事情はつかめたわけですが、ひとこと申し上げたいことがあると最後に言った。
「私は人ごみの多い渋谷近くに住んでいるのですが、よく若い警官が二人連れで職務質問をやっていてですね。
これがどうしょうもない者がいる。
つまり人を見る力がないんです。
私もこの歳になってそれなりの経験していますから、渋谷なんか歩いていて、こいつちょっとアブナイなというようなのはすぐ目につく。
しかし昨今の若い警官はそんなの素通りして、この人どっから見ても怪しくないよなというような人の良さそうな中年サラリーマンなんかに職質をかけていることがある。
それが一回や二回じゃなくしばしばです。
つまり警官のオタク化というか肉弾戦に極端に弱いのが町をうろついているわけです」
というところで目つきの冷たい警部のA氏に笑いがこぼれる。
「今回のプラカード問題にしても、これをどう処理するかというのは警備員ではなく指揮系統の方がいらしゃって判断するわけですよね」
「そうです」
「つまりその方の状況判断能力にかかているわけでしょ。果たしてその行為がエスカレートして突発的な事故が起こるかどうかというのは現場の空気を読めばおそらくだいたいわかるじゃないですか。
そこのところの空気や人を読む能力というのが非常に脆弱になっているからマニュアル通りに拘束するということが起こるのかも知れない」
ここまで話したところでM氏は身につまされるというような体で仰った。
「いや仰る通り人材の育成と申しますか、私どももそこのところが一番苦労しているところなんです。これから何とかそういったところを強化して行かなくてはと思っております」
まあそういうところでお開きとなったわけだが、
今回のことで思うのはネット社会における情報というものの危うさである。
あのユーチューブ映像はその後聞いてみると1週間に10数万アクセスもあるほど、炎上しているということらしい(そういう意味では警察庁に逆事情聴取をした今回の件は貴重と言えるかも知れない)。
そしてあの映像を見る限りにおいてはプラカードの持ち主が大声を上げるシーンはカットされている。ときおり映像につなぎが入り、これは編集能力がある人が画像をいじったと思える。
そしてそもそもこの画像を撮ってユーチューブにアップしたのは誰か。
その基本的情報がさだかではない。
非常に危うい画像なのだ。
そしてそれを取り締まる側の判断能力にも危うさを感じる。
つまり危うさと危うさが妙に錯綜した、きわめて今っぽいシーンなのである。
かりにあの映像を見てツィッターが炎上して非難の嵐が巻き起こったとしても、あるいはCAT WALKの会員が投稿したように、
「私は右でも左でもありませんが、このような事が許されて良いはずがありません。
この国は明らかにおかしくなっていますね。
あまりにも腹が立ったので初投稿いたします。」
という良識が見られたとしても、それもまた危うい。
この情報化社会というものはまるで薄氷の上を歩いているかのごときである。
2011/12/23(Fri)
クリスマスソング
2011/12/23(Fri)
クリスマスだね。
クリスマスという行事は世代によって様相を異にするが1944年うまれの私のような世代はクリスマスというものが重要な年中行事であったという記憶はあまりないのではなかろうか。
だが私個人はクリスマスに対する思い入れがある。
というのは私の家は私が物心つくころからクリスマスではモミの木に飾り付けをした。
姉はピアノを弾き「もろびとこぞりて」などの賛美歌を引き語り、子供たちが喜ぶクリスマスケーキがふるまわれたからだ。
当時はクリスマスの祝いをする風潮などあまりなかった一地方の家庭がクリスチャンでもないのになぜクリスマスに”かぶれた”かと言うと、言わば文化の先進地だった上海から帰ってきた医師の小林さんがなかなかのハイカラさんで小さなクリスマスのモミも木をくれ、クリスマスとはこういうものだと教えてくれたからだ。
だがそのようにインテリジェンスのある医者でも引揚者であり、小林さん一家は私の旅館の前の知り合いの家に間借りをしていた。
子供も4人おり食料にも難儀していたから私の父は不憫に思って女中によく食べものを持って行かせた。
はじめてのモミの木は幼稚園児の私と同じくらいの大きさだったが、私の成長に合わせるように父は年々大きな木を取り寄せ、小学校3年くらいのころには天井につきそうな見上げるばかりのモミの木に飾り付けがされた。
私はなぜかその飾り付けの中のとくに小さな家に妙に神秘感を抱いた。
わずか4〜5センチ四方の精巧に出来た厚紙製の家で赤や青のセロファンを貼った格子窓があった。
小林さんの年長の子供のミッちゃんが「ここにはサンタクロースさんが住んでいる」と言ったものだから私は恐る恐る窓から家の中を覗き込んだ。
だがそこには誰も居ず「誰もおらんよ」というとサンタクロースさんは忙しい人でいつも外に出ていると言った。
確かにいつ覗いても誰も居ず、夜中だったら帰っているだろうと私は夜中に寝床を起き出して、覗いてみたがやはりそこには誰も居なかった。
それでも私はその家にはサンタクロースさんが住んでいるのだろうと長い間思っていた。
私の家がまったくキリスト教と関係がないかというとそうではなく多分これも小林さんの影響だと思うがふたりの姉はいずれもミッションスクールに通い、私自身もミッション系の幼稚園に通った。
下の姉はミッション系の学校の講堂で定期的に催される神父さんの話に感動し、洗礼を受けている。
生徒が50人いて洗礼を受けるのは1人か2人だったと言う。
上の姉は強情の上に醒めており、右のほほを打たれたら左のほほを出せなど、割に合わないとか、キリスト教を信じると人間の本能を殺してしまうので二重人格になるなどと友達と話し合い、洗礼は受けなかったという。
しかしそんな上の姉もミッション系の学校からピアノを教えに来る先生のもとでピアノを習い、歌とピアノが上手でいつも賛美歌を歌っていた。
だから賛美歌というものは懐かしいものとして私の耳に残っている。
そういった生活環境も小さなトラウマのひとつであろうが、私が毎年オフィシャルホームページの方でクリスマスプレゼントと言うことで下手な歌を勝手に歌うのは上の姉の影響があるのかも知れない。
クリスマスは私にとってモミの木やクリスマスケーキ以上に生歌と結びついているのだ。
今年もそんなクリスマスがやってきた。
今CAT WALKの表紙のCAT TOWNに一生懸命に雪を降らせている最中だ。
年末にはWALKING CATたちが勢揃い行進をすると約束していたのでジングルベルの歌に乗って行進する。
それからクリスマス曲だが、このご時世、カンツォーネなど明るい曲にしょうかと思ったが、フォトロゴスでペリーコモが歌っている「薔薇の刺青」を歌詞つきでそのまま自分の歌に変えた。
言わば大御所の前座ならぬ後座を濁すわけだ。
まあ余興だからよいだろう。
CAT WALKのクリスマスは今日、23日の午後7時から始まる。
2011/12/19(Mon)
パンソリ。
実は書行無常の書行のために北朝鮮に行く算段をずいぶん前からやっていて、さる筋とコンタクトを取っていたのだが、決まりかけてそのつどキャンセルが出るということを繰り返し、結果的に書行無常展には加えることが出来なかったという経緯がある。
強いパイプを持つ人間を通じてのコンタクトだったが、やはりあの国は一筋縄では行かないということを改めて認識したが、出版や展覧会は終わったものの、私としてはあきらめていず個人でも行くつもりでいた。
そんな折のキム正日氏の逝去である。
キム氏の逝去はやはりこの世界で最後に残る社会主義国家のひとつの首領としては大きな出来事だが、そのネームバリューの大きさに比例してそれが世界の政治構造や経済構造が再編成されるというような出来事になるかというとそうはならないところに弱小国の一抹の淋しさを感じる。
彼の死に際して私が思うところは、そういった政治や軍事、経済のことではなく文化に関わることがらだ。
私は今から35年ほど前に韓国を一人で旅をした。
今でこそ韓国は誰もが行く観光スポットになっていて最近は若い女性の旅行者が多いが、七十年代に彼の国に一人旅をするような日本人は皆無だった。ソウルの様な都会ではそういうことはないが、汽車やバスでひとたび地方や田舎に入ると必ず黒い皮ジャンを着た秘密警察数人が旅館にやってきて尋問がはじまる。
お前はどこどこをこのように歩いてこの地点で撮影をしているということを事細かに知っているのである。ということは村の誰かが常に監視をしていてそのつど警察に通報しているということだ。
こういった尋問を受ける場合おどおどした態度は禁物だ。
堂々と受け答えをしなければならない。
彼らは何を探っているかというと私が北朝鮮のスパイではないかということの探りを入れているのだ。たしかに外国人が一切入らないような村や町をどこの者か得体の知れぬ者がうろつき、おまけに写真を撮っているとなると、怪しまれるのは当然である。
私は北朝鮮の国境に近い仁川(インチョン)のホテルに泊まったとき、夜中中すざまじい拷問のうめき声を聞いていたから、尋問を受けるときには用意周到、気構え周到を心がけていつも対処したものだ。
いったん疑いが晴れると彼らは一転して友好的になり、このようなところに日本の若者が旅をしていることに感心してくれたり、飯をおごってくれたりした。そういう中になったひとりの秘密警察の若者に「俺を取り調べたのははやり北朝鮮のスパイの嫌疑なのか」と問うと彼は一般には見せてはならない警察手帳を開き、10秒間くらい見せてくれたのだが、そこには驚くべき顔写真が並んでいた。
北朝鮮に亡命した連合赤軍の顔や未だ逃亡中の連合赤軍の面々の写真が居並んでいたのだ。
私は北のスパイの嫌疑であるとともに連合赤軍のメンバーの嫌疑もあわせてかけられていたというわけだ。
このことが示すようにあの時代、南朝鮮(韓国)もまた北と同じように非常に厳しい軍事国家であり、若い人は知らないと思うが、その総領が元秘密警察あがりの黒目がねの朴大統領だったわけだ。
つまり現在の北朝鮮同様、南もまた半ば独裁国家の体をなしていた。
白黒テレビなどはその日の番組が終了すると、必ず韓国国旗たなびく画面が出てきて軍歌が演奏されて一日の終わりとなった。
このような当時の状況を話すと、この国はずいぶん危険な、そして堅苦しい国であったに違いないと思うだろうが、私はあの当時に韓国の旅が出来たことは奇跡に近いことだったといまだに、その思いが抜けない。
その奇跡とは何だったかというと危険な軍事国家を旅出来たということではなく、奇跡に近い惚れ惚れするような自然な人々の営みや風景が残っていたということである。
私たちは今民主主義的資本主義体制の中にいる。
そういった体制から軍事国家や独裁国家を眺めるなら、ひどい国があるものだという先入観を持たざるを得ないわけだが、私の旅の経験からするなら、この軍事国家と言われる国、あるいは独裁国家ほど旧来の文化が根強く残っている国家もない。
そのことはビルマにおいてもイラン(イランは殉教国家だが)においてもキューバにおいても同様のことが言えた。
そして皮肉なことに、その独裁国家、あるいは軍事国家が瓦解し、資本主義化され民主化されることによって旧来の民族文化や人々の営みや自然な風景は急激に破壊され、世界どこに行っても金太郎飴のような同じような平準な世界に成り代わって行く。
韓国はその後、朴大統領が暗殺されてのちも軍事政権がしばらく続くだが、80年代に入って急速に民主化され「普通の生活」という言葉をキャッチフレーズに盧泰愚(ノテウ)という大統領が現われる。
盧泰愚氏はそれまでの大統領とは異なり、笑顔の優しい、物腰のやわらかないかにも民主主義の申し子のような大統領であり、その後オリンピックが開催されるわけだが、その後20年ぶりに韓国を訪れた私は唖然とした。
あの軍事政権下にあった夢のような風景や人々の営みはすっかり消え、今の日本の延長線のようなそっけない世界が立ち現れていたからである。
以上のことは私は軍事政権や独裁政治を肯定する意味で言っているのではなく、こういった国家には資本主義的な拡張や成長の論理が優先しないだけに旧来の文化が居残るという側面があるということだ。
したがって今回のキム正日氏の逝去に際して私が思うのは、彼の死によって行く行くこの国が西側の経済構造、あるいは民主主義というイデオロギーに取り込まれたとするなら「風景は速やかに崩壊する」だろうということである。
余談だが、このキム正日氏の逝去に伴って評判になっているアナウンサーのリ・チュンヒさんのことだが、私はあの”語り”もまた旧来の朝鮮を継承したひとつの文化として聴いた。
彼女のあの浪花節のようなあるいは恨歌のような流れるような語りを聴いたとき、私が何十年も前に旅した春香という町でパンソリを聴いたときの感覚がまざまざと蘇ったのだ。
パンソリとは朝鮮半島に昔からある、強烈な泣き節、恨み節の語り歌であり、こう言った泣き節が歌謡文化として成立する背景には、この国の昔からの受難の歴史と切り離せないわけだが、今日のリ・チュンヒさんの語りを聴き、そこにすでに南朝鮮には失われているパンソリの正統な泣き節を見たのである。
彼女の語りをパンソリという芸術として聴くと、相当完成度が高い。
5分間一部の隙間もなく語られる”歌”に時には息継ぎの中に小さな嗚咽も入るあのパンソリ同様の絶妙の演技がそこに再現されているのである。しかも彼女はその感情に溺れることなくその絶妙の演技を最後までやり遂げる。
おそらくパンソリの大会が催されるなら彼女はぶっちぎりなのではなかろうか。
そしてさらに敷衍するならパンソリの流れは日本においては朝鮮を母国とする美空ひばりの中にも眠っている。
私はリ・チュンヒさんの語りを聴くうちに美空ひばりの「悲しい酒」の中の語りを思い出したのだ。
泣き節のこの二人の語りの絶妙がやがて消えて(すでに美空ひばりはいない)行く運命にあると思えば、一方の泣き節の雄リ・チュンヒさんの歌を聴くのはこれば最後なのかも知れぬと思い、そこにキム正日という独裁者なきあとの文化の消滅を見るのである。
以下にリ・チュンヒさんの”パンソリ”と美空ひばりの「悲しい酒」のURLを貼るのでその語りの絶妙な共鳴を聴かれるといい。
なお、私はそのようなリ・チュンヒさんの語りを笑いものにするような日本的な感覚に対し、それではお前の文化とは何かという問い返しをしたい。
リ・チュンヒ
http://www.youtube.com/watch?v=xMVsPwPTrrk美空ひばり
http://www.youtube.com/watch?v=y1eAfmX4Ork
2011/12/16(Fri)
当ホームページ閉鎖と「CATWALK」最終欠員募集のお知らせ。
11年続いた当ホームページの閉鎖が迫ってきた。
閉鎖の第一の理由は会員制ホームページ「CATWALK」を立ち上げた段階で2つのホームページを同時管理運営することは当初予測していたより思わぬ負担がかかることがわかったということがある。
会員制ホームページ「CATWALK」は単なるブログサイトではなく10以上の目次(コンテンツ)のあるウエブ雑誌であるため、それにかかる労力が大きく、そのような状況の中での2つのホームページの管理運営は難しい。
そのように閉鎖のアナウンスはしたものの当ホームページを今年いっぱいで閉鎖すべきかどうか、本当のところはずいぶん迷った。
だが一時的なことであればよいがこの先何年も同じ負担が続くとなると残念ながら閉鎖もやむを得ないと最終判断したのである。
そこで当ホームページの閉鎖に当たって今後CATWALKの3年間の欠員を見越し、100名程度の「CATWALK」最終の会員募集をここで行いたい。
CATWALK会員、最終欠員募集に応募の方は下記から入られ手続きを行っていただきたい。
CATWALK会員登録これまで11年間、当ホームページを根気よく閲覧していただき、この場を借りてお礼申し上げる。
皆様のご健康をお祈りして。
平成23年12月16日
藤原新也
2011/12/09(Fri)
フェラーリ串刺し団子事件(CATWALKより転載)。
ところで水俣で見た、あのロングリーンカーンコンチネンタル。
その異様な風景を見ながら飛び込んで来たニュースが例の山口県の高速道路で起きたフェラーリ、ランボルギーニの団子状クラッシュである。
山口県の田舎の高速を走るフェラーリ集団。
それは水俣のロングリンカーンにも勝るとも劣らぬ異様風景であるということが出来る。いやこれは山口の田舎でなくとも、日本を走るフェラーリやランボルギーニというのは異様なのだ。
私は以前、フランスのカフェでルイビトンのバッグを横にコーヒーブレイクをしている上品な中年の婦人を見たとき、なるほど、こういうブランドものというものは階級社会におけるシンボルのようなものなのかと目から鱗が落ちた。ルイビトンがはまる風景というのもあるのである。
それと同じように日本のどこであろうとフェラーリやランボルギーニが走っているのを目にしてその車を支えるほどの風景がないということをいつも痛感する。風景から浮いているのである。
ドイツのアウトバーンのようなシチュエーションがあってこその車なのである。
それと同ことが車に乗ったドライバーにもあてはまる。
私の住む代官山あたりにもたまにこれらの車が走っているがドライバーがぴったりはまっている、つまりフェラーリに似合う人相および風袋の人にこれまでお目にかかったことがない。
風景も人も浮いているのだ。
ただでかいのはマフラー音だけという貧困。
この貧困の極みが件のフェラーリ団子クラッシュ事件ということが出来る。
同好会とかなんとか言うのか知らんが20台近くものフェラーリらが連ねて走るバブリーなバカ風景というのはヨーロッパではありえないだろう。
しかしこの世界に名だたる名車がなぜいとも簡単にクラッシュしたのか。
その集団のバカぶりより、この謎の方が気にかかる。
報道によれば(目撃者の談では)150キロ近くのスピードを出していて車線変更したおりにスリップしたとある。
150キロ?
自慢してはいけないが、それくらいのスピードなら自分でも軽ーるく出す。
だが3000万の車が150キロで斜線変更してスリップするか?
けだし謎である。
ここは井原女史にお出まし願わねばならぬと電話をした。
井原慶子さんは世界でただ一人女性でF3レーサーとなり、優勝もしている驚くべき人だ。
私の車にも試乗していただき、アドバイスをもらっている。
「ああ、あの件ですか、ハイドロですね」
たったひとことの即答で終わり。
まことにあっけない。
さすがにレーサーだ。
つまりハイドロとは皆さんも免許を取るときに講習で習った、ハイドロ現象、つまり雨に濡れた路面でのスリップのことだ。
「あっけないですね、もうちょっと謎があると思ったんだけど」
「フェラーリとかランボルギーニとかは軽自動車よりもハイドロに弱いんです」
むむっ。
「タイヤ幅が広いでしょ。乾いた路面ではがっちり掴みますが、濡れた路面ではそれだけ浮く面積が広いから、タイヤの細い軽自動車よりも滑ってしまうんですね。トラックなども二輪で接地面が広いけど、重いから滑らないんです」
「そういうのってああいう車に乗る人の常識なんじゃないのかなぁ」
「そうですね初歩的な常識ですね。だからあの車に乗ってはいけない人が乗っていたというしかないんじゃないでしょうか」
というわけで謎などどこにもなく「ああ、ハイドロですね」の一行で片付いてしまうまことに貧困きわまりない事件(初歩的な操縦を知らない人がフェラーリに乗っていたという意味で)なのである。
ジス イズ ジャパンである。
ちなみにこのバカ集団は福岡県人で私と同郷。
たしかに麻生太郎のように金があってオッチョコチョイというのは福岡県には掃いて捨てるほど居るわな。
日本人および、県人のバカぶりを披露した責任を取り、同じ県人としてこの場をかりて謹んでお詫び申し上げる。
さてここに登場していただいた井原慶子さんは『崖っぷちの覚悟』(三五館 1400円)という本を書いている。
装丁やタイトルはいかにも売りだが、内容はすばらしい。
この前、さる有名音楽プロデューサー主催の集まりで地球環境問題にどう関与するかという話が出ていたがウソ臭くて早々に帰ったと、ねじ一本の誤差も許されない世界を生きて来た人だけあってウソを見抜く感性もおありのようだ。
この本ぜひ読んでほしい。
2011/11/28(Sun)
書行無常展、終了いたしました…
皆様のご厚情にささえられ
およそ1ヶ月の会期を走り抜くことが
できました。
ご来場くださいました方々に
心から御礼申し上げます。
ほんとうにありがとうございます!
最終日の夜、藤原新也による書行が
おこなわれました。
表現者は
身を削って行為することで
起死回生を得、
はじめてあらたな視座に立てる…
己に向けられた厳しさのなかに
われわれ一人一人への熱いメッセージのこめられた
言葉でした。



撮影:Yuji TOZAWA
2011/11/26(Sat)
書行無常展最終日、書行敢行!!
11月27日(日)最終日のトークイベント
参加応募の中止、並びに内容変更の御案内
最終日27日(日)のイベントにつきまして、変更がございます。
当初はゲストを招いてのトークイベントを予定しておりましたが、この日は「書行」の実演、そして展覧会の総括とさせて頂きます。
開始時刻は19:00、20:00の終了を予定しております。
当日の入場料を頂いた方ならどなたでもご参加頂けます。
ただし、人数が会場のキャパシティを超える場合は入場制限をかけさせて頂きます。
ご了承頂けると助かります。
既に前売チケットをご購入の方は受付までお申し出ください。
入場料を差し引いた残金を返却させて頂きます。
ご予約のメールを既に頂いた方には上記内容の返信メールをお送りします。
27日は11:00の開場から19:00まで(18:30より準備のためスタッフが作業します)会場を開ける予定です。
少しでも多くの皆様に展示をご覧頂きたいため、今回の変更と相成りました。
突然の変更、そして直前のご連絡になってしまったことを心よりお詫び申し上げます。
書行無常展事務局(文責、近田)
2011/11/16(Wed)
『書行無常展』トークショウ、20日内容。
大きな会場が急に決まったため、二ヶ月前からの突貫工事。
したがってホームページで公表する意外は広報活動が手薄になり、未だ当展を知らない人が多い中、口コミでどんどん評判が伝わっているようだ。
おそらく個人主催の展覧会としてはこれほどの規模のものは滅多にないと思う反面、こんごこれほどのことがおいそれと出来るとは思えず、私も可能なかぎり会場には出るようにしている。
また先にも申し上げたように、会費で経費の一部をまかなう構造上、入場料、トークショウ、などそれなりのお金を取らざると得ないわけだが、ツイッターなどではこの規模でワンコインは安すすぎるというつぶやきも出たりして、満足度は十分のようだ。
私としてはたとえ小さな金額であろうと、お金を取るということは大変なことと考えており、実は多くの賛辞もうれしいが、取った金額に見合ったものという意見は格段にうれしい。
さてそのような状況だから、トークショウも会期の中で毎週日曜、そして23日は特別ゲストで瀬戸内寂聴さんと5回もやるにもかかわらず、ゲストも展が始まる前後に交渉し始めるなど、無茶苦茶なスケジュールである。
その中でひとつ事務局に言ったことは有名人の名前で客を呼ぶことは避けてほしいということだった。名前より内容ということだ。
お一人だけ瀬戸内寂聴さんは有名だが、これは友情出演ということで理由がある。それにしても寂聴さんのような場合1年前からのオファーが必要だが、これも頼んだのが会期始まる直前!
すでにその日は渋谷公会堂で大きな講演があるにもかかわらす、それが終わって駆けつけてくれることになった。
そういう意味ではこれも急遽決まった都築響一さんを迎えての第一回の書行無常談義は3時間の間に実に30数回も爆笑の渦というトークになり、みなさん元気に体をほぐされて帰っていかれたようだ。マッサージ代が1時間5000円と考えるなら、これは安い!
また第二回の、NHKディレクターの七沢潔を呼んでの、原発問題のトークもツイッターで「最近の脱原発もののトークショウでは出色の出来」という(これはひとえに七沢さんの言葉の厚みによるものだが)つぶやきがあるなど、決して暗いものにはならず、淡々と希望の持てるトークだったと思う。
さて難関は第3回だな。
この回はやはり写真の話にしょうと相談で決めていたのだが、まだ有名ではないという条件つきでスタッフの写真キュレーターでもある元尾君に選んでもらったのが、
◆井原美代子さん
◆林なつみさん
◆A−CHAN さん。
という20代の若い女性カメラマンカルテットである。
なぜ女性かというと、どうやらここのところ他の分野でも同じことだが、若い男性より若い女性の方がやたら元気がよい、という単純な理由のようだ。
それにしても、私自身写真家であるにもかかわらずこの3人の名前は知らない!
だからどういう人かと調べて見ようと思ったが、思いとどまった。
知らないままに対談をする!!
これがよいと思うのである。
思うに人間、知ってしまえば永劫に知るわけだが、知らない瞬間というものは貴重な一瞬なのだ。
ただしこういった無茶な設定では行き先不明となる危険性があるので写真に関する名編集者として名高い沖本尚志さんに交通整理をしてもらうことになった。
私としては写真世界が変質した90年代半ばから今日に至る写真を語ることで時代風景が浮き彫りになり、その流れの中に件の3人の女性カメラマンがいるというようなものになれば面白いかなと思うが、今回はなにせぶっつけ本番なのでどういう風になるかはわからないというのが正直なところだ。
とりあえずまだこの20日のトークショウはテーマが未発表だったため、参加人数にもかなり余裕があるので書行無常展広報の下記のメールを通じてどしどし応募していただきたいと思う。
shogyomujo@fujiwarashinya.com
2011/11/14(Mon)
殺された霊の前で、命を張った武勇譚のいったい何事。
最近は新聞を読む暇もないが、いま夜遅く帰って今日の朝刊が転がっているのを見ると「死ぬだろう 数度思った」という見出しが一面トップでドカドカと載っている。
一体何事か?、とよく見ると、12日に福島第一原発を報道陣に公開したおりの吉田所長のコメントということがわかった。
報道陣に公開と言っても参加メディアは内閣記者会加盟の19社など。フリーランスは排除。昨日書行無常展のトークショウで対談したこの原発報道でもっとも目覚しい貢献したNHKの七沢潔さんなどは当然お呼びがかからない。
要するに東電が選んだ報道陣がスクールバスよろしく、みんなお行儀良く揃ってバスの乗っての窓ごし撮影。
この半年、福島第一原発の写真は四方八方、上空、内部と腐るほど見せ付けられているから、お仕着せ報道陣がバスの中から通りがかりに撮った気の抜けた映像なぞ、いまさら何の意味もない。
君らは一体何をしにそこにのこのこと出かけたのだ。
吉田所長の会見はたったの15分。
先日の再臨界の真偽のほどを確かめる者もなく、拾った言葉は件の「死ぬだろう 数度思った」という吉田所長のコメント。
七沢さんは昨日の対談で彼のことをなかなかのタマですよ、と言っていた。
「死ぬだろう 数度思った」というこのセンセーショナルなコメントはコピーとして飛びつき易く、おそらくあらかじめ用意したものだろう。
要するにこの言葉の裏を返せば、東電の社員はその時「命を張って福島第一原発が最悪の事態になるのを防いだ」(すでに最悪の事態となっているが)と言っているのだ。
君が死に直面したというような武勇譚なぞ、この事故で故郷を追われ、職を失い、その結果自殺に追い込まれた(南相馬だけで10数人の自殺者がいる)人々の霊を思うなら口が裂けても言えることではない。
とどのつまり今回の公開は東電の形を変えたPR作戦なわけだが、その作戦に乗って美味しいコピーをそのまま一面トップで垂れ流す朝日新聞(他の新聞は見ていない)。
当紙で東電マネーの前に跪いた朝日新聞は襟を正すべきだと私がしゃべったのはつい一ヶ月前だが、この記事を見ているとまたぞろ元の木阿弥に帰りつつあるのではないかとの危惧を持たざるを得ない。
昨日の七沢さんとの対談で彼は放射能の半減期は長いが、人々の記憶の半減期は短いと名言を吐いたが、放射能に関する警戒感が半減しつつある、今、それに反比例するように東電プロパガンダが跋扈しはじめるというこの”やっぱりな構図”を頭に入れておきたい。
2011/11/12(Sat)
書行無常展、ロングインタビュー。
2011/11/09(Wed)
『書行無常展』感想抜粋。
入った瞬間、藤原新也さんの世界に引き込まれたというか、迷い込んだような空間でした。
そこにその空間が実在している。
大きなどこでもドアみたいなのがいくつも開いていて、その世界に入っていけるような感じです。
振り向いても振り向いても、進んでも進んでも、遠くをみても、別な世界がつながっているというか。
そして、書が迷い込んだ世界から引き戻してくれる。
昨日までは、写真集でみていた平面の世界だったのに、この感覚はなんなんだろうと。
三春の桜 人が写っていないのが不思議でしたが、添えられていた文を読んで納得しました。100年に一度の開花の背景に原発がある。そして、それを観ることができたのがごく一部の人だけ。
印度の空間。
音楽よいですね。
沈んでいく書も好きな作品の一つだったのでそれに見入って、インドの人々を見ていて、そして、ふっと音があることに気づいた瞬間、ああ、私瞑想する。
自分はほそぼそ詩を書き、写真を撮ってきましたが、
やはり藤原さんのバイタリティに圧倒されます。
能動的に動くことの重要さを教えられたような気がしました。
しかし、作品の表現は書を含め、強烈な怒りのエネルギーと
繊細な慈悲に満ちていました。
●
3月の「死ぬな生きろ」展は展示作品が小さく迫力という点では「書」の力が伝わってきませんでした。
今回の展示は「書」が実物大であり、迫力満点でそれに負けじと写真も大引き延ばしで身体で感じることが出来ました。
展示されている書行の中で中国とインドはほぼ全作品展示されていましたが、日本は渋谷スクランブル交差点、青木が原樹海、宮崎口蹄疫、長野の帝王、人間書道・筆女晶エリー、乾き亭げそ太郎、劇画家・白土三平、高崎山の猿、裏磐梯の豪雪と東日本大震災が厳選されていました。
特に写真と書が見事にコラボされたのは筆女・晶エリーが書「男」と添い寝する作品でこれはポスターにして販売してほしいと思いました。
また、インドブースで展示してあった群衆の中での書行の大延ばしの写真をバックに四国の高校に道場破りに行ったときに書いた「人間は犬に食われるほど自由だ」のコラボも大変迫ってくるものがありました。
●
私は滅多に写真も撮らないシロウトで、巨大な写真がここまで現実感と迫力をともなって存在することにまず驚きました。
音や匂いまでするようでした・・・ガンジスの川辺に座っているように感じました。それと同時に、かつて旅した国々で過ごした海辺や川辺での時間を思い出していました。
「ひとはいつも違う野原を歩いている」
先日の上総湊の浜辺でも思いましたが、ああ私はやっぱり水っぺりが好きだ、としみじみ実感しました。
●
長野の帝王さんは初めて見ました。
真面目な子なのですね、にこりともせず口を結んで。
彼女を嗤うひとだけでそれだけのヒットにはならないのでしょう。
茫然と共感していた人間が相当数いたのだろうな、と思いました。
慚、と云えば傲慢になる、何と云えばいいのか、 哀しい映像でした。
今ごろはトークイベントをなすってるのかなあと思うと些か残念です。参加募集のころ、私は少々ぐったりしていまして機会を逸しました。
書行無常展では、自分に響く書の前で、少しだけ自分自身に向き合え、少し元気になって帰ることが出来ました。家でもポスターを眺めて日々、元気をもらおうと思います。
●
何とも素敵な凄い空間!!と言う印象です!
怖いし、優しいし。
「死ぬな 生きろ」の大きな書は東銀座の画廊の1Fに居た書、ですか?
違ってたら大ボケですが、たぶんそんな気がして、「久しぶり!元気だった?」と声を掛けてしまいました。
私なんかより100万倍!よっぽど元気に決まっていますが・・・・。
瀬戸内さんへの折帖は素敵でした!
一文字一文字から情愛と優しさが溢れ出でていて、見ていると体が暖かくなり涙が出そうになりました。
まさかここで見られると思わなかったので嬉しく興奮してしまいました。私、数ヶ月前にCATWALKのパソコン上から、この折帖の言葉を書き写したのです。
手帳に。どうしても書き留めて、いつでも読めるようにしたかったから。
●
今回は妻と二人で伺いました。
妻も感じ入るところがあったようです。
スタンプ押してもらうの忘れました・・。
もう、数回伺うつもりです、よろしくお願いいたします。
広々としたスペースに、圧倒的な大きさの作品。色。筆の息遣い。魂をこんなにさらけ出されて、動けなくなってしまいそうでした。正直、これまでは、写真集前半の作品には、嫌悪感を覚えるものもありました。企画モノだから仕方ないのかなと思いながらも、たとえば、筆女、なんだかイヤな感じ。(と思っていました)
でも、ハードワークをやり遂げた筆女の彼女は、本当にきれいで魅力的です。これが「書行」であり「無常」であるのかと、深く納得。わたしは本ではわかりませんでした。
インド以降の作品は言うまでもなく素晴らしく、恐ろしいほどのパワーを感じました。
胸を抉られるって、こういう感じなのかな。
言葉では表せないです。
被災地の作品の前では、うまく自分の気持ちを表現できない子供が、とりあえず大声で泣くみたいに、泣きたくなりました。
そして、あの「愛」と「怒」が同じ人の手で書かれたものだなんてウソみたい。
書行無常展には、”反発したくなるけれど好き”な藤原さんと、
”やっぱり好きだから好き”な藤原さんが両方存在していて、
もっと好きになりました。
ありがとう!!
また行きます!
●
僕は「樹精」の書の裏側を見た時、自分の体に味わったことのない鼓動が心地よく乱舞してるのを感じました。それは失礼なことかもしれませんが、他の書から感じたものより、強く深く僕の心を鷲掴みました。何かうまく表現できませんが、書を裏側から見た時に味わったものは、藤原さんがトークで書に関して仰ってた「文字を忘れたものが一番いい」の境地なのかなと。
僕が正面から書を見据える時、どうしても文字の認識を忘れることは出来ませんが、「樹精」の書を裏側から見てから、もう一度展示場をまわってみたら、書の乱舞が、タンゴやワルツに見え二度美味しかったです。
昨日のトークの中の藤原さんの言葉が忘れられません。
「文字を忘れたものが一番いい」
これは文字を、カメラ、筆、人生と言い直しても当てはまるのではないでしょうか。そして、この言葉を聴いた時、藤原さんが著書で書いておられた藤原さんの父親の話(芸者をあげた時は三味線を止めさせなきゃええ客やない)を思いだしました。
また来週のトークショーも楽しみにしています。
●
、「書行無常展」を見に行きました。書から情念があふれ出て来て、長時間その場に居られませんでした。展示作品の中の「漏」だけ、静かだなぁと思っていたら、白単に白袴の装束を着装されて石上神宮で書かれた作品でした。着るものによって、環境によって、こんなに作品が違ってくるのか−、なるほど。
●
書行無常展、観に行きました。
書道展でもなく、ただの写真展でもない雰囲気に、とても刺激を受けました。個人的には、筆女がエロチックで好きでした。被写体の女性が私と近い年の女性だったので、親近感を感じたのかもしれません。
あと、震災の写真と対照的な印象だったので、どちらかというと「生」の刺激を欲していたのかもしれません。
あのような大きな会場を自腹で借りてイベントを行う藤原さんの気風のよさに感動するとともに、あれくらい大きな会場じゃないとどうしようもないという意味もわかりました。
とにかく写真も書もでかすぎです。写真に関してはかつてエプソンのギャラリーや大丸での全軌跡展である程度のサイズのものは見てましたが、まさか書があんなにも大きいとは予想外でした。写真の中では風景の中に自然に(?)溶け込んでいましたが、逆に考えるとあのくらいの大きさがないと写真の中に埋もれてしまうということなのでしょうか?
特大の書に使われている紙が麻で作られているとトークショーで仰ってましたが、あの紙の上に墨汁が載っている雰囲気というのも写真集では味わえないもので、勢い、力強さ、肉厚感、ときに柔らかさを感じ、とにかく無性に楽しめました。
あの後家路につき、「書行無常」を手に取りトークショーで聞いた苦労話などを思い出しながらパラパラとページを捲っていたのですが、ふと、実際に「書行」を見てみたくなりました。そういえばあの展示場は書行をするにも申し分ないスペースがありそうですし…。あと何回か行われるトークショーの中で、ぜひ、書行を実演してください。実際の書行をもって書行無常を締めくくる。私個人としてはいい考えだと思うのですがいかがでしょうか?
●
「書行無常」の本も感動いたしましたが、それとはまた違う圧倒されそうな強い衝撃を受けました。
会場に一歩入り出るまでの私の心の動きを書きたいと思います。
まず最初の一枚(入口入り左側)還我山河の写真 理由はわからないまま吸い込まれるような強い感動でしばらく息が出来ず、自然に涙が湧きました。その状態でゆっくり観ながら一周し、もう一度観て周った時には、逆に終わりに近づくにつれ涙が出てきました。そしてふと気付くと、書の字のところで、その字を指でなぞっている自分がいました(もちろん胸の中で)。書は出来ないですが、楽器をやる私は、指先で喜怒哀楽を表現できます。
時には、力強く、時には、激しく、荒々しく、激しく、ときには、やさしく柔らかく温かく・・・。
吸い込まれ圧倒されそうな強い感動が、終わりの一枚・ハエに目をとめ写されたやさしさに心和み幸せな満ち足りた気持ちで帰路に着きました。
2011/11/08(Tue)
危ない現在進行形。
”自由”という名の新たなる植民地主義。
巧妙に仕掛けられ奴属国家への落とし穴。
T(盗るアメリカ)P(パクルアメリカ)P(ポシャル日本)。
この国家危機に直面した時に歴代最も意志薄弱な総理を戴くこの不幸。
2011/11/08(Tue)
『書行無常展』13日トークショウ。
『書行無常展』13日トークショウのスペシャルゲストが決まりました(予定)。
2011年 ETV特集 「ネットワークで作る放射能汚染地図」
2003年 NHKスペシャル 「東海村 臨界事故への道」
1994年 NHKスペシャル 「チェルノブイリ 隠された事故報告」
1988年 ETV8 「チェルノブイリの教訓 〜食糧が放射能汚染される時」など 多数の番組を制作されておられるNHKディレクター七沢潔さんです。
七沢潔さんはチェルノブイリ時代からずっとこの分野の取材では豊富な経験を持たれ、その基礎をもとに福島第一原発事故では公の発表やデータとは一線を画し、独自の視点からさまざまな観測とメッセージをNHKという公器を使って発信されておられます。
藤原新也も写真家の立場から福島に日参し、個人的な思いや観測を持ち、記事を書いていますが、今回は藤原が持っている個人的なその思いを「専門家に問う」という形で曖昧模糊とした放射能に関する憶測や汚染の実態をよりニュートラルな観点から語り合うという試みです。
原発事故から半年を過ぎ、人々の脳裏から、そしてマスメディアからその話題がなし崩し的に退潮して行く中、現在日本周辺では初期の第一次汚染から第二次汚染、そして第三次汚染へと着々と事態は進行しており、その新しい実態がこの対話の中で示されるものと期待されます。
参加をご希望の方は以下のアドレスに 必要事項を明記の上、ご応募ください 。
shogyomujo@fujiwarashinya.com <応募必要事項>
◆氏名 ◆連絡先。
受講料1500円
人数が超過した場合は申し訳ありませんが抽選とさせていただきます。
『書行無常展実行委員会』
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