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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第一章・入学編
1−(13) 慕情
 CADは伝統的な補助具である杖や魔法書、呪符に比べて高速、精緻、複雑、大規模な魔法発動を可能とした、現代魔法の優位性を象徴する補助器具だ。
 しかし、全ての面において伝統的な補助具に勝っているかというと、そうではない。
 精密機械であるCADは、伝統的な補助具に比べて、よりこまめなメンテナンスを必要とする。
 特に、使用者のサイオン波特性に合わせた受信・発信システムのチューニングは重要で、CADを用いた魔法はこの調整の良し悪しで起動速度が五割から十割以上、変動すると言われている。
 CADの調整は魔工技師の仕事であり、腕の良い魔工技師が重宝される理由だ。
 サイオン波特性は肉体の成長、老衰によって変化し、体調によっても影響を受ける。
 だから、本来は毎日、使用者の体調に合わせた調整を行うのが望ましいが、CADの調整にはそれなりに高価な専用の機械が必要になる。
 軍や警察、中央官庁、一流研究機関、有名学校、資金力の豊富な大企業ならば自前でCADの調整装置と人員を用意することも出来るが、中小企業や個人のレベルで自家用の整備環境を整えることはまず、出来ない。そういうところに所属する魔法師は、月に一、二回、魔法機器の専門店やメーカーのサービスショップで定期点検を受けるのがせいぜいだ。
 第一高校はこの国でもトップクラスの名門校だけあって、学校専用の整備施設を持っている。生徒は教職員と共に、学校でCADの調整を行うのが普通だ。
 だが達也の自宅には、ある特殊な事情から、最新鋭のCAD調整装置が備わっていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 夕食後、地下室を改造した作業室で自分のCADを調整していた達也は、たった一人に等しい同居人に声を掛けられて振り向いた。
「遠慮しないで入っておいで。ちょうど一段落ついたところだから」
 その言葉は嘘ではない。また、一段落つくタイミングを見計らっていたからこそ、深雪は彼に声を掛けたのだろう。
「失礼します。お兄様、CADの調整をお願いしたいのですが……」
 彼女の手には、携帯端末形状のCAD。
 近づくにつれて心地よく鼻腔をくすぐる、ほのかな石鹸の香り。
 病院の検査着の様な、簡素なガウンを身に着けている。
「設定が合っていないのか?」
 これは、本格的な調整を行うときのスタイルだ。
「滅相もございません! お兄様の調整は、いつも完璧です」
 過分な賞賛はいつものことだから、特に改めさせようともしない。こんなことで口論するのは不毛過ぎる、と悟る程度の経験値はあった。
 だが、フルメンテナンスは三日前に行ったばかりだ。いつもは一週間のインターバルだから、何か急な理由があってのことだと、考えずにはいられない。
「ただ、その……」
「遠慮は要らないよ。いつも言っているじゃないか」
「すみません、実は、起動式の入れ替えをお願いしたいと思いまして……」
「なんだ、そういうことか。本当に、遠慮は要らないんだよ。かえって心配になるからね」
 妹の髪を軽くかき乱し、手の中からCADを抜き取る。
 深雪は少し恥ずかしそうに俯いた。
「それで、どの系統を追加したいんだ?」
 CADに登録できる起動式は一度に九十九本。これは最新鋭機を更にチューンアップした深雪のCADでも変わらない限界だ。
 一方、起動式のバリエーションは、どこまでを起動式に組み込み、どこから自分の魔法演算領域で処理するかによって、事実上、無数に分かれる。
 一般的には、座標、強度、持続時間を変数として魔法演算領域で追加処理し、それ以外のファクターは起動式に組み込んでおくというパターンが採られる。だが強度を起動式の定数として演算処理を軽減し発動速度を高めるという手法が採られることも少なくない。 防御系の魔法式は自分を中心とした相対座標を定数化することも多いし、接触系魔法で全ての値を定数とするというテクニックも実習授業の中で紹介されている。
 深雪はこれらの例とは逆に、出来るだけ定数項目を減らして融通性を高めた起動式を登録するようにしている。
 十五歳にして、一人の魔法師が習得できる魔法数の平均値を大きく上回る多彩な魔法を使いこなす深雪には、九十九という制限数は少なすぎるのだ。
「拘束系の起動式を……対人戦闘のバリエーションを増やしたいのです」
「んっ? お前の減速魔法があれば、わざわざ拘束系を増やす必要はないと思うが?」
 多種多様な持ち札の中でも、深雪は特に減速系を得意とする。減速系のバリエーションである冷却魔法では、近似的に絶対零度を作り出すことが出来るほどだ。
「お兄様もご存知の通り、減速魔法は個体作用式がほとんどで、部分作用式は困難です。
 部分減速、部分冷却も不可能ではありませんが、発動に時間が掛かり過ぎます。
 今日の試合を拝見して思ったのです。
 スピードに重点を置いた、最小のダメージで相手を無力化できる術式が、わたしには欠けているのではないかと」
「うーん……深雪はそういうタイプじゃないと思うけどなぁ。
 相手の不意をつく、スピードで相手を攪乱するというのも一つの戦法だが、お前の場合は絶対的な魔法力で圧倒できるんだから、広域干渉で相手の魔法を無効化しつつ相手の防御力を上回る規模と強度の魔法をぶつけるという正統派の戦法の方が合ってるんじゃないか?」
「……ダメでしょうか?」
「いや、ダメということはない。そうだな……生徒会で、同じ学校の生徒相手にとる戦法としては、そういうのも必要になるかもしれないな。
 分かったよ。手持ちの魔法を削らなくても済むように、同系統の起動式を少し整理してみよう。
 本当は、もう一つCADを持つ方がいいんだけど」
「一度に二機のCADを操ることが出来るのは、お兄様だけです」
「その気になればお前にも出来るって」
 ぷいっ、とそっぽを向いた深雪の頭を、苦笑しながら何度か撫でる。
 彼女の小さな頭がすっぽり入りそうな兄の手の優しい感触に、深雪は目を細めた。

「じゃあ先に、測定を済ませようか」
 妹の機嫌が直ったのを見て、達也が技術者の顔で言う。
 手の平の感触を惜しみつつ一歩下がった深雪は、するりとガウンを脱いだ。
 現れたのは、あられもない半裸の姿。
 計測用の寝台に横たわる深雪の身体を覆うのは、一対の白い下着のみ。
 清楚な純白が、この上なく扇情的な色に変わるシチュエーション。
 例え妹であっても、否、類稀な美少女である深雪だから余計に、平静ではいられない状況だ。
 だが、隠せない羞恥に目を潤ませた妹の眼差しを受け止める達也の眼は、一切の感情を映し出していなかった。
 今の彼は、観察し、分析し、記録する、生身の身体で構成されたマシン。
 感情を差し挟むことなく、あるがままの事象を認識する、魔法師の目指す一個の理想形を体現していた。

「お疲れ様、終わったよ」
 達也の合図を受けて、深雪が寝台から起き上がる。
 この種類の計測は、何処ででも行われているというものではない。
 寧ろ、これほど精密な測定を行う調整は、珍しい部類に属する。
 学校の調整施設では、ヘッドセットと両掌を置くパネルで測定している。
 目を逸らしたまま達也から受け取ったガウンを羽織った深雪は、拗ねた顔で達也の背中を睨んだ。
 兄は背もたれのない椅子に座り、何事も無かったように、端末に向かっている。
 いや、ように、ではない。
 何事も無かったし、これは毎週やっていることだ。
 一々意識していたらきりがない。
 恥ずかしさが無くなることはないし、羞恥心を無くしたくないとも思っているが、それ以上、何かを思うことはない。
 思わないようにしている。
 兄が平静でいてくれるのは、深雪にとってもありがたいことだ。
 ――いつもなら。
「お兄様、ずるいです……」
「深雪!?」
 声がひっくり返っていた。
 ――滅多に聞くことのない、兄の動揺し、狼狽した声。
 ――その声に、乱れた鼓動に、高まる体温に、妖しい満足を覚える自分がいた。
 ガウンを羽織り、前を閉じぬまま、達也の背中におぶさる様にしなだれかかった深雪は、頬と頬を摺り寄せながら、柔らかな双つのふくらみを背中に押し付けながら、実の兄の耳元で尚も囁く。
「深雪はこんなに恥ずかしい思いをしておりますのに、お兄様はいつも、平気なお顔……」
「いや、深雪、あのな?」
「それともわたしでは、異性のうちに入りませんか?」
「入ったらまずいだろう!」
 正論だ。が、その正論が、言葉として具現化した瞬間、意識してはならないことへと無理やり意識を引きずっていく鉄鎖となる。
「深雪ではお気に召しませんか? お兄様は七草先輩のような方がお好みですか? それとも、渡辺先輩のような方がお好みですか?
 本日は、随分親しくお話されていたご様子……」
「聞いていたのか!?」
 そんなはずはない。
 深雪はずっと、あずさから生徒会用の情報システムの操作を習っていたのだ。
 第一、盗み聞きなどされていたら、達也が気づかないはずはない。
 しかし、そんな反論を系統立てて組み立てる余裕は、今の彼には無かった。
「まあ、やはり……! あのお二方はお美しいですものね」
「もしもし、深雪さん? 何か誤解されてはいませんか?」
「美人の先輩に囲まれて鼻の下を伸ばされていたお兄様は」
 いつの間にか深雪の左手には、彼女のCADが握られていた。
「お仕置きです!」
「ぐわっ!」
 完全に不意をつかれ、為す術もなく、深雪の放った振動波に、達也は身体を痙攣させながら椅子から転がり落ちた。

(自己修復術式、オートスタート)
(コア・エイドス・データ、バックアップよりリード)
(魔法式ロード――完了。自己修復――完了)
 気を失っていたのは一秒にも満たない刹那の時間。
 一瞬以上、彼が意識を手放すことはない。
 一瞬以上、倒れていることを、彼自身に許さない。
 それは呪いにも似た、彼本来の(・・・・)魔法。
 自然に開いた瞼の先には、上から覗き込む花の(かんばせ)
「お兄様、おはようございます」
「……俺、何かお前を怒らせるようなことをしたっけ?」
「申し訳ありません、悪ふざけが過ぎました」
 口では謝りながらも、深雪の顔は笑っている。
 外では大人びた態度を崩すことの少ない妹の、年相応な可愛い笑顔。
 この笑顔を前にすると、どうでもいいや、という思いしか湧いて来ない。
 実際、他愛もない兄妹のじゃれ合いだ。
 どれほど過激な手段をとろうとも、彼を最終的に(・・・・)傷つけることなど、この妹には出来ないのだから。
「勘弁してくれよ……」
 差し出された手を取り、口ではぼやきながら、達也の顔も、笑っていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 目を覚ましたのはいつもの時間。
 だが今朝はいつもより、寝起きが悪い気がした。
 頭が少し、ぼんやりしている。
 家の中に兄の気配はない。
 朝の修行に行ったのだろう。
 これも、いつものことだ。
 あの兄は、毎晩彼女より遅くまで起きていて、毎朝彼女より早く目を覚ます。
 一昨日のように、彼女の方が先に起きるのは本当に稀なことだ。
 以前は身体を壊さないかと、心配したことがある。
 今では、それが取り越し苦労だと分かっている。
 彼女の兄は、あの人は、特別なのだ。
 世間の人たちは、自分のことを天才だという。
 自分たちとは違う、特別な人間だと称賛する。
 ――何も分かっていない。
 本当に凄いのは、特別なのは、本物の天才は、兄だ。
 あの人は、次元が違う。
 彼らは知らない。
 妬みを隠して自分に媚びへつらう彼女たちには、分からないだろう。
 真に隔絶した才能は、嫉妬を超えて恐怖をもたらすものなのだと。
 畏怖、ではなく、恐怖。
 彼女たち兄妹の父親であるあの男が、その恐怖のあまりに、実の息子であるあの人に、どんな仕打ちをしてきたか、どんなに不当な扱いをしているのか、彼女は知っている。
 兄は、自分がそれを知らないと信じている。
 だから、知らない振りをしている。
 あの男が兄の才を貶め、兄に偽りの挫折感を与えて心を、志を、遥か天上の彼方へ翔け上がる翼を折ってしまおうと今も画策していることを、本当は知っていた。
 滑稽だった。
 檻に閉じ込め鎖に繋いだつもりが、結局、息子の才能が自分を遥かに凌ぐものだと思い知る羽目になった。
 自由を購う財力を、与えることになった。
 唯一有していた拘束の力を、みすみす手放す羽目に陥った。
 あの男に出来たのは、偽りの名を押し付け、世間の喝采を奪い取ることだけだった。
 あの人はそんなものに興味がないと、知っているだろうに。
 ……思考がコントロールできない。
 自分のことが、自分でない他人のことのように見えてしまう。
 意識が、完全に覚醒していない、気がする。
 眠りが、足りないのだろうか。
 理由は分かっている。
 昨晩の、あの出来事の所為だ。
 あの時は平気でいられた。
 狼狽する兄が珍しく、可笑しく、可愛いとさえ思えて。
 気持ちで、優っていたから。
 でも、兄と別れて、一人になって、ベッドに横になって、平気では、なくなった。
 胸が高鳴って、眠れなかった。
 心が乱れて、眠りに就けなかった。
 愛しかった。
 でも、
 恋愛感情ではない。
 恋であるはずがない。
 あの人は実の兄だ。
 わたしは、あの人の妹として相応しい者になろうと、これまで頑張ってきた。
 かつてわたしが、あの人に助けられたように、何時かはあの人の助けになりたいと願ってきた。
 わたしは、あの人に、何も求めない。
 わたしは既に、無くしていたはずのこの命を、あの人に救ってもらったのだから。
 今はあの人を縛る枷でしかないけれど。
 何時かは、あの人を解き放つ鍵になりたい。
 あの人の役に立ちたい。
 ――さしあたっては、朝食の準備。
 あそこでもご飯は食べさせてもらえるのに、
 律儀にお腹を空かせて、帰って来るはずだ。
 美味しい朝御飯を食べてもらおう。
 それが今、わたしに出来ることだから。

 深雪は勢いをつけて立ち上がり、一つ、大きく、伸びをした。


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