この物語はフィクションです。
この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
「入学三日目にして、早くも猫の皮が剥がれてしまったか……」
生徒会長印の捺された許可証(こういう物は未だに紙が使われている)と引き換えにCADのケースを受け取ってきた達也が第三演習室の扉の前でぼやくと、後ろから泣きそうな声が聞こえてきた。
「申し訳ありません……」
「お前が謝ることじゃないさ」
「ですが、わたしの所為でまたお兄様にご迷惑が……」
振り返り、半歩進んで、達也は妹の頭を優しく撫でた。
ビクッと身体を震わせてから、深雪はおずおずと顔を上げる。
その目からは、今にも涙が零れ落ちそうだった。
「入学式の日にも言っただろ?
怒ることの出来ない俺の代わりに、お前が怒ってくれるから、俺はいつも救われているんだ。
……すみません、とは言うなよ。今、相応しいのは別の言葉だ」
「はい……頑張ってください」
指で涙をぬぐい笑顔で告げる深雪に、同じく、笑顔で頷き、達也は演習室の扉を開けた。
◇◆◇◆◇◆◇
「意外だったな」
「何がですか?」
演習室で達也を出迎えたのは、審判に指名された摩利だった。
「君が案外好戦的な性格だったということが、さ。他人の評価など余り気にしない人間だと思っていたからね」
意外と言いながらも、彼女の目は期待に輝いている。
「……こういう私闘を止めさせるのが風紀委員の仕事だと思っていましたが」
「私闘じゃないさ。これは正式な試合だ。
真由美がそう言っただろう?
実力主義というのは、一科と二科の間にのみ適用されるものではないんだよ。寧ろ、同じ一科生の間にこそ適用されるものだ。
もっとも、一科生と二科生の間でこういう決着方法がとられるのは初めてだろうがね」
なるほど、口で決着がつかなければ力づくで決着をつけることが、かえって奨励されているという訳だ。
「先輩が風紀委員長になってから、『正式な試合』が増えたんじゃありませんか?」
「増えているな、確かに」
何の悪びれもない態度は、達也だけでなく、深雪にまで苦笑を浮かべさせた。
と、急に真面目な表情になって、摩利が顔を近づけてきた。
「それで、自信はあるのか?」
息遣いの聞こえる距離で、囁き声の問いかけ。
頭半分低い、上目遣いに見上げる切れ長の双眸に、微かに漂って来る甘い匂いに、性的な興奮を感じている自分を自覚する。
自覚した瞬間、それは自分という客体、自分の中に生じている現象となって、彼自身から切り離される。
「服部は当校でも五本の指に入る遣い手だ。どちらかと言えば集団戦向きで、個人戦は得意とはいえないが、それでも一対一で勝てるヤツはほとんどいない」
「正面から遣り合おうなんて考えていませんよ」
「落ち着いているね……少し、自信を無くしたぞ」
「はぁ」
「こういう時に赤面するくらいの可愛げがあった方が、力を貸してくれる人間が増えると思うがね」
ニヤッと笑って後退ると、そのまま中央の開始線へ歩いて行く。
「困った人だ……」
あれは治にあって乱を求め、乱にあって治をもたらすタイプだろう。
平穏に暮らしている人間には単なるトラブルメーカーだ。
入学以来、めっきり波乱含みとなった人間関係にため息を漏らしながら、CADのケースを開ける。
黒いアタッシュケースの中には、拳銃形態のCADが二丁収められていた。
そのうちの一方を取り、実弾銃で弾倉に当たる部分・形状のカートリッジを抜き出して、別の物に交換する。
その様子を、深雪を除く全員が、興味深げに見詰めていた。
「お待たせしました」
「いつも複数のストレージを持ち歩いているのか?」
特化型のCADは使用できる起動式の数が限られている。汎用型CADが系統を問わず九十九種類の起動式を格納できるのに対して、特化型CADは系統の組合せが同じ起動式を九種類しか格納できない。その欠点を補う為に、起動式を記録するストレージを交換可能としたCADが開発されたが、元々特化型は特定の魔法式を得意とする魔法師が好んで使用するデバイスで、魔法のバリエーションを増やすニーズは余り高くなかった。複数のストレージを携帯しても、結局使うのは一種類だけ、というケースがほとんどだ。
だが、好奇心を丸出しにした摩利の問い掛けに対する達也の回答は、彼が少数派に属していることを示していた。
「ええ。汎用型を使いこなすには、処理能力が足りないので」
正面に立つ服部が、それを聞いて冷笑を浮かべたが、達也の意識には小波一つ生じなかった。
「よし、それではルールを説明するぞ。
直接攻撃、間接攻撃を問わず相手を死に至らしめる術式は禁止。回復不能な障害を与える術式も禁止。
相手の肉体を直接損壊する術式も禁止。但し、捻挫以上の負傷を与えない直接攻撃は許可する。
武器の使用は禁止。但し、素手による攻撃は許可する。蹴り技を使いたければ靴を脱ぐこと。
勝敗は一方が負けを認めるか、審判が続行不能と判断した場合に決する。
双方開始線まで下がり、合図があるまでCADを起動しないこと。
このルールに従わない場合は、その時点で負けとする。
あたしが力づくで止めさせるから覚悟しておけ。
以上だ」
達也と服部、双方が頷き、5メートル離れた開始線で向かい合う。
達也が拳銃形態の特化型CAD。
服部はオーソドックスな腕輪形態の汎用型CADだ。
達也はCADを握る右手を地面に向けて、
服部は左腕のCADに右手を添えて、
摩利の合図を待つ。
場が静まり返る。
静寂が完全なる支配権を確立した、その瞬間。
「始め!」
火蓋が切って落とされた。
服部の右手がCADの上を走る。
単純に、三つのキーを叩くだけとはいえ、その動作には一切の淀みがない。
彼が本来得意とする術式は、中距離以上の広範囲を攻撃する魔法。
近距離、一対一の試合は、どちらかといえば苦手としている。
だがそれも「どちらかといえば」であり、第一高校入学以来の過去一年間、負け知らずだ。
個人戦・集団戦を問わない対人戦闘のスペシャリストとも言える摩利や、驚異的な高速・精密銃撃魔法を駆使する真由美、鉄壁の異名を取る部活連会頭の十文字、この三巨頭には一歩譲るかもしれないが、他の者には生徒ばかりか教師陣にも引けは取らないと自負している。
それは必ずしも彼の思い込みではない。
スピードを重視した単純な起動式は即座に展開を完了し、一瞬とも言える速度で服部は魔法の発動態勢に入った。
その直後、彼は危うく、悲鳴を上げそうになった。
対戦相手の、身の程を知らないウィードの一年生が、視界を覆い尽くす近距離に迫っていたのだ。
慌てて座標を修正し、魔法を放とうとする。
基礎単一系統の移動魔法。
魔法式に捉えられた相手は、十メートル以上を吹き飛ばされ、その衝撃で戦闘不能となるはず、だった。
が、魔法は、不発に終わった。
起動式の処理に失敗したのではない。
敵の姿が、消えたのだ。
魔法式の座標はそれほど厳密性を要するものではないが、視界内の対象物が視界から、つまり認識から消失すれば、エラーの発生は避けられない。
サイオン情報体が空中で霧散し、慌てて左右を見回す服部を側面から激しい「波」が揺さぶった。
連続して三波。
別々の波動が彼の体内で重なり合い、大きなうねりとなって、彼の意識を刈り取った。
勝敗は、一瞬で決した。
秒殺、という表現があるが、今の試合には十秒もかかっていない。
達也が向けるCADの銃口の先で、服部の身体が崩れ落ちる。
「……勝者、司波達也」
勝ち名乗りは、寧ろ控え目だった。
勝者の顔に、喜悦はない。
ただ淡々と、為すべきことを為した顔だった。
軽く一礼して、CADのケースを置いた机に向かう。
ポーズではなく、自分の勝利に何の興味も持っていないことが明らかだった。
「待て」
その背中を、摩利が呼び止める。
「今の動きは……自己加速術式を予め展開していたのか?」
彼女の問い掛けに、真由美、鈴音、あずさの三人も、今の勝負を思い返した。
試合開始の合図と同時に、達也の身体は服部の目前まで移動していた。
そして次の瞬間、彼の身体は服部の右側面数メートルの位置にあった。
瞬間移動と見間違える程の、速力。
生身の肉体には、為し得ない動きに見えた。
「そんな訳がないのは、先輩が一番良くお分かりだと思いますが」
だがこれは、達也の言うとおりだった。摩利は審判として、CADがフライングで起動されていないかどうか、注意深く観察していた。見えているCADだけでなく、隠し持つCADの存在も想定して、サイオンの流れを注視していたのだ。
「しかし、あれは」
「正真正銘、肉体的なものですよ」
「わたしも証言します。あれは、兄の体術です。兄は、忍術使い・九重八雲先生の指導を受けているのです」
摩利が、息を呑む。対人戦闘に長じた彼女は、九重八雲の名声を良く知っていた。
「じゃあ、あの攻撃も忍術ですか?
私には、サイオンの波動そのものを放ったようにしか見えなかったんですが」
真由美が質疑に加わる。
サイオンの弾丸を駆使する彼女は、同じくサイオンそのものを武器としたように見える達也の攻撃の方に興味を持ったようだ。
「正解です。あれは振動の基礎単一系統魔法で、サイオンの波を作り出しただけですよ」
「しかしそれでは、はんぞーくんが倒れた理由が分かりませんが……」
「錯覚です」
「錯覚?」
「魔法師はサイオンを、可視光線や可聴音波と同じように知覚します。
サイオンの波動に曝された魔法師は、実際に自分の身体が揺さぶられたように錯覚するんですよ。
いきなり激しい船酔いになったようなものです」
「でも、魔法師は普段から、サイオンの波動に慣れています。
立っていられないほどのサイオン波なんて、そんな強い波動を、一体どうやって……?」
「波の合成、ですね」
「リンちゃん?」
「振動数の異なるサイオン波を三連続で作り出し、三つの波がちょうど服部君と重なる位置で合成されるように調整して、巨大波を作り出したんでしょう。
よくもそんな、精密な演算が出来るものだと思いますが」
「お見事です、市原先輩」
鈴音は達也の演算能力に呆れているが、それを初見で見抜いた鈴音の方が凄いのではないか、と達也は思った。
しかし、鈴音の本当の疑問点は、もっと別にあったようだ。
「それにしても、あの短時間にどうやって振動魔法を三回も発動できたんですか?
それだけの処理速度があれば、実技の評価が低いはずはありませんが」
正面から成績が悪いと言われ、達也としては苦笑することしか出来ない。
その代わり、あずさが怖々と、推測の形で答えてくれた。
「あの、もしかして、司波くんのCADはシルバー・ホーンじゃありませんか?」
「シルバー・ホーン? シルバーって、あの謎の天才魔工師トーラス・シルバーのシルバー?」
真由美に問われ、あずさの表情はパッと明るくなった。
時に「デバイスオタク」と揶揄されることもあるあずさは、嬉々として語り出した。
「そうです! フォア・リーブス・テクノロジー専属、その本名、姿、プロフィールの全てが謎に包まれた奇跡のCADプログラマー!
世界で始めてループ・キャスト・システムを実現した天才!
あっ、ループ・キャスト・システムというのはですね、通常の起動式が魔法発動の都度消去され、同じ術式を発動するにもその都度CADから起動式を展開し直さなければならなかったのを、起動式の最終段階に同じ起動式を魔法演算領域内に複写する処理を付け加えることで、魔法師の演算キャパシティが許す限り何度でも連続して魔法を発動できるように組まれた起動式のことで、理論的には以前から可能とされていたんですが魔法の発動と起動式の複写を両立させる演算能力の配分がどうしても上手く行かなかったのを……」
「ストップ! ループ・キャストのことは知ってるから」
「そうですか……?
それでですね、シルバー・ホーンというのは、そのトーラス・シルバーがフルカスタマイズした特化型CADのモデル名なんです!
ループ・キャストに最適化されているのはもちろん、最小の魔法力でスムーズに魔法を発動できる点でも高い評価を受けていて、特に警察関係者の間では凄い人気なんですよ!
現行の市販モデルであるにもかかわらず、プレミアム付で取引されているくらいなんですから!」
息が切れたのか、胸を大きく上下させながら、あずさは目をハート型にして達也の手元を見ていた。
「でも、リンちゃん。それっておかしくない?」
「ええ、おかしいですね。
ループ・キャストはあくまでも、全く同一の魔法を連続発動する為のもの。
同じ振動魔法といえども、波長や振動数が変われば、起動式も微妙に異なります。
その部分を変数にしておけば同じ起動式を使えますが、座標・強度・持続時間に加えて、振動数や波長まで変数化するとなると……まさか、それを実行しているというのですか!?」
今度こそ驚愕に言葉を失った鈴音の視線に、達也は軽く、肩をすくめた。
「多変数化は処理速度としても演算規模としても干渉強度としても評価されない項目ですからね」
「……実技試験における魔法力の評価は、魔法式の構築速度、魔法式の規模、対象物の情報を書き換える強度で決まる。
なるほど、テストが本当の能力を示していないとはこういうことか……」
呻き声を上げながら、シニカルな達也の言葉に応えたのは、半身を起こした服部だった。
「はんぞーくん、大丈夫ですか?」
「大丈夫です!」
少し腰を屈めて、覗き込むように身を乗り出してきた真由美に対し、寄せられて来た顔から逃げるように、服部は慌てて立ち上がった。
「そうですね。ずっと気がついていたようですし」
今の服部の台詞は、彼女たちの話を聞いていなければ出てくるはずのなかったものだ。
屈めていた身体を起こして納得顔で頷く真由美に向かって、
「いえ、最初は本当に意識がなかったんです!」
慌てて言い訳を始める姿は、
「意識を取り戻した後も朦朧としていて……身体を動かせるようになったのはたった今なんですよ!」
何と言うか……ある種の感情が容易に推測できるものだった。
「そうですか……? それにしては、私たちが話していたことをしっかり理解しているようですけど?」
「……ええと、それはですね! こう、朦朧としながらも、耳に入って来たと言いますか……」
そしてどうやら、真由美自身、服部が自分に向けている感情を、しっかり理解しているようだった。
悪女?、と思ったが、言葉の持つイメージと彼女の持つ雰囲気に何処かそぐわないものを感じて、達也はそこで考えるのを止めた。
実にどうでもいいことだと、気づいた所為でもある。
呼び止められたことで中断していた行為を、再開する。
……と言うほど大袈裟なことでもなく、単にCADをケースへ戻すだけなのだが。
物欲しそうに自分の手元を見詰めるあずさの視線には、気づかないふりをする。
手伝いたそうにしている妹の視線も、今回は無視。
深雪は余り、機械に強い方ではない。
メカ音痴、あるいはハイテクアレルギーというほど酷くはないが、彼のCADは色々と特殊なチューニングを施した結果、並の高校生程度では扱いきれない代物になっている。
カートリッジを入れ替えたりセキュリティを再設定したりとゴソゴソやっている背中越しに、足音と気配が近づいてきた。
ようやく言い訳を終えたらしい。
今やっている作業は別に後回しでも構わないものだったが、達也は敢えて、振り向かなかった。
「司波さん」
「はい」
歯切れの悪いテノールに、深雪が答える。
この部屋に男性は達也を含めて二人しかいないのだから、声の調子が今までと別人のように異なっていても、相手が誰か、間違えようもない。
「さっきは、その、身贔屓などと失礼なことを言いました」
また、話しかけた相手が誰であるかも、間違えはしない。
「目が曇っていたのは、私の方でした。許して欲しい」
「わたしの方こそ、生意気を申しました。お許し下さい」
深々とお辞儀をしているのが、背中越しでも手に取るように分かる。
どちらが兄か姉か分からない大人の対応にこっそり口の端を吊り上げながら、達也はケースをロックした。
おもむろに振り返る。
一瞬、たじろいだ表情を見せるも、服部はすぐに、強気な顔を取り戻した。
息継ぎは、和解の準備か、再戦の前触れか。
可能性は、現実とならぬまま、消えた。
結局、服部は、達也と視線をぶつけ合っただけで踵を返した。
隣でムッとする気配が生じたので、軽く肩を叩いておく。
今日から同じ生徒会で仕事をするのだから、感情的なしこりを残しておくのは、何より深雪自身の為にならない。
そんな彼の意図が伝わったのか、深雪はすぐに落ち着きを取り戻した。
「生徒会室に戻りましょうか」
鈴音、あずさ、服部を背後に従えた真由美の顔には「しょうがないなぁ」とでも言いたげな表情が浮かんでいる。
その後ろで、達也の視線に気づいた摩利が、他の四人に気づかれないよう肩をすくめていた。
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