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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第一章・入学編
1−(4) 師と、父と
 二人の目的地は家から十分程の距離にある――あのスピードで、だが――小高い丘の上にあった。
 一言で表現するなら「寺」だ。
 だが、そこに集う者たちの面構えは「僧侶」や「和尚」、あるいは「(小)坊主」にさえ、到底見えない。
 敢えて容れ物に相応しい存在を当てはめるとすれば、「修行者」、いや、「僧兵」の方が適当だろうか。
 女性には敷居が高い、特に若い女の子は怯えて近づけないような雰囲気の中に、深雪はローラーブレードのまま躊躇なく入って行く。いつも礼儀正しい彼女には相応しからぬ作法だが、主が「構わない」と鬱陶しいくらい繰り返すので、いい加減馴れが出来てしまったのだ。
 その時、達也は何をしていたのかというと、ペースについてこれなくなってまだ到着していない、のではなく、門人の手荒い出迎えを受けていた。
「深雪くん! 久し振りだねぇ」
 人垣に埋もれてしまった兄を心配そうに振り返って見ていた深雪に、死角から唐突に陽気な声が掛けられた。
「先生……! 気配を消して忍び寄らないでくださいと、何度も申し上げておりますのに……」
 なまじ感覚が鋭い為に、また同じような経験を繰り返して相応に警戒していただけ余計に、心臓に嫌なショックを受けて、無駄だと知りつつ深雪は抗議せずにおれなかった。
「忍び寄るな、とは、深雪くんも難しい注文を出してくれるんだねぇ。
 僕は『忍び』だからね。忍び寄るのは(さが)みたいなものだからねぇ」
 きれいに髪を剃り上げ細身の身体に藍色の作務衣を着た姿はこの場に相応しいものだが、実年齢はともかく見た目と雰囲気は、まだそれほど老いていない。
 飄々としてはいるが名状し難い俗っぽさを滲ませており、僧侶の格好をしていても何処と言えず嘘くさかった。
「今時、忍者なんて職種はありません。そんな性は早急に矯正されることを望みます」
「チッチッチ、忍者なんて誤解だらけの俗物じゃなくて、僕は由緒正しい『忍び』だよ。
 職業じゃなくて伝統なんだ」
「由緒正しいのは存じております。ですから不思議でならないのですけど。
 何故、先生がそんなに……」
 軽薄なのか、とは、あえて口にしない。口にしても無駄だということは学習済みだった。
 この年齢不詳の僧侶もどき、九重八雲は、自称の通りの「忍び」だった。
 より一般的な呼称は「忍術使い」。
 本人が拘っていたとおり、身体的な技能が優れているだけの前近代の諜報員とは一線を画する、古い魔法を伝える者の一人だった。
 魔法が科学の対象となり、世間からフィクションだと考えられていた魔法の実在が確認されたとき、忍術も単なる体術・中世的な技術の体系だけでなく、奥義とされる部分は魔法の一種であることが明らかになった。
 虚構と思い込んでいた、思い込まされていた妖しげな「術」こそが、真実の姿に近かった訳だ。
 無論、他の魔法体系と同じく、言い伝えがそのまま真実ということではない。
 講談の中での忍術の代表格とも言える「変化」は、幻影と瞬間移動であることが解明されている。忍術だけでなく、古式魔法中、変身系統の魔法は全て、この種のトリックによるもので、変身、変化、元素変換は現代魔法学では不可能とされている分野だ。
 深雪が先生と呼び、達也が師匠と表現する九重八雲は、そんな忍術を昔ながらのノウハウで伝える古式魔法の伝承者だった。
 しかし、僧形は別として、その佇まいも立ち居振る舞いも到底そのような由緒正しい存在には見えなくて――
「それが第一高校の制服かい?」
「はい、昨日が入学式でした」
「そうかそうか、う〜ん、いいねぇ」
「…………今日は、入学のご報告を、と存じまして……」
「真新しい制服が初々しくて、清楚な中にも隠しきれない色香があって」
「…………」
「まるでまさに綻ばんとする花の蕾、萌え出ずる新緑の芽。
 そう……萌えだ、これは萌えだよ! ムッ!?」
 際限なくテンションをあげ、ソロソロと後退する深雪にジリジリと詰め寄っていた八雲が突然、身体を反転させつつ腰を落とし左手を頭上にかざした。
 パシッ、という鈍い音をたてて、手刀が腕に防がれる。
「師匠、深雪が怯えてますんで、少し落ち着いてもらえませんか」
「……やるね、達也くん。僕の背中をとると、はっ」
 左手で達也の右手を巻き込みながら右の突きを放つ八雲。
 右手を八の字に振ることで極め技を逃れ、拳を包むように受けてそのまま脇に抱え込む。
 逆らわず前転した八雲の足が達也の後頭部に襲い掛かり、それを達也は身体を捻ってかわした。
 二人の間合いが離れる。
 見物人から漏れる溜め息。
 いつの間にか、対峙する二人を囲む人の輪が出来ていた。
 再び交差する達也と八雲。
 手に汗を握っているのは、深雪だけではなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

「先生、どうぞ。お兄様もいかがですか」
「おお、深雪くん、ありがとう」
「……少し、待ってくれ」
 汗を垂らしながらもまだまだ表情に余裕の見られる八雲が深雪からタオルとコップを笑顔で受け取る一方で、土の上に大の字になった状態で荒い息を整えていた達也は、片手を上げて返事をした後、苦労して地面から上体を引き剥がした。
「お兄様、大丈夫ですか……?」
 身体を起こしたものの、座り込んだままの達也の傍らに、心配そうな表情を浮かべた深雪はスカートが汚れるのも厭わずに膝をつき、手にしたタオルで流れ落ちる汗を拭う。
「いや、大丈夫だ」
 八雲の生温かい視線を気にした訳でもなかったが、達也は深雪の手からタオルを引き取り、一息、気合いを入れて立ち上がった。
「すまない、スカートに土がついてしまったな」
「このくらい、なんでもありません」
 笑顔で応え、深雪はスカートの裾を払う代わりに、内ポケットから細長い小型の携帯端末を取り出した。
 カバーを外し、淀みなく短い番号を入力する。
 魔法が、発動した。
 深雪が手にしているのは、携帯端末形態の汎用型CAD。最も普及しているブレスレット形態汎用型に対して、落下のリスクというデメリットはあるものの、慣れれば片手で操作可能というメリットがあり、両手が塞がることを嫌う現場肌の上級魔法師に好まれているタイプの物だ。
 サイオンの光がCADからそれを持つ左手へ吸い込まれ、何処からともなく出現した実体の無い雲が、膝下丈のスカートから黒のレギンスに包まれた脚、サンダルに履き替えた足の爪先までまとわりつく。
 更に空中から湧き出した仄かな粒子が、達也の背中から全身を流れ落ちて行く。
 薄く微かに輝く霧が晴れた後には、土埃一つ無い清潔な制服とトレーナーが二人の身体を包んでいた。
「お兄様、お食事にしませんか? 先生もよろしければご一緒に」
 それが当たり前のことであるかのように、ごく普通の口調で、バスケットを軽く掲げて見せる深雪。
 実際、この程度の魔法は妹にとって「何でもないこと」だと、達也は良く知っていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 縁側に腰を下ろし、サンドイッチを頬張る達也と八雲。
 深雪は一切れ口にしただけで、お茶を差し出したりお皿に取り分けたりと甲斐甲斐しく達也の世話を焼いている。
 その様子を微笑ましげに、但し何処か人の悪い表情で見ていた八雲が、別の弟子が差し出した手拭いで手と口の周りを清め、手を合わせて深雪に礼を述べてから、何やらしみじみとした口調で呟いた。
「もう、体術だけなら達也くんには敵わないかもしれないねぇ……」
 それは紛れもない賞賛。
 他の門人たちがこの場にいれば、彼らとは別に本堂で朝餉をとっていなけば、羨望の眼差しは避けられなかっただろう。現に、八雲の隣に控えた弟子は嫉妬と羨望の入り交じった視線を達也に向けている。
 深雪は我がことのように顔を輝かせている。
 だが、達也の心には、その単純な賞賛が素直に響かなかった。
「体術で互角なのにあれだけ一方的にボコボコにされるというのも喜べることではありませんが……」
「それは当然というものだよ、達也くん。僕は君の師匠で、さっきは僕の得意な土俵で組手をしていたんだから。
 君はまだ十五歳。まだまだ半人前の君に後れをとるようでは、門人に逃げられてしまいそうだ」
「お兄様はもう少し素直になられた方がよろしいかと存じます。先生が珍しく褒めて下さったのですから、胸を張って高笑いしていらしたらいいのだと思います」
「……それはそれで、一寸嫌な奴に見えると思うが……」
 八雲も、深雪も、笑顔で冗談めかしているが、自分をたしなめ、励ましてくれているのだということが分からないほど、達也も頑なではない。
 苦笑いは、苦々しさのないただの苦笑に変わっていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 満員電車、という言葉は、今や死語となっている。
 電車は依然として主要な公共交通機関だが、その形態はこの百年間で様変わりしていた。
 何十人も収容できる大型車両は、全席指定の、一部の長距離高速輸送以外、使われていない。
 キャビネットと呼ばれる、中央管制された二人乗り又は四人乗りのリニア式小型車両が現代の主流だ。
 動力もエネルギーも軌道から供給されるので、車両のサイズは同じ定員の自走車の半分程度。
 プラットホームに並ぶキャビネットに先頭から順次乗り込み、チケット、パスから行き先を読み取って運行軌道へ進む。
 運行軌道は速度別に3本に分かれており、車両間隔を交通管制システムでコントロールしながら低速軌道から順次高速軌道へと移動し、目的地に接近すると今度は高速軌道から低速軌道へシフト、到着駅のプラットホームへ進入する仕組となっている。
 高速道路で車線変更をしながら走行するようなものだが、管制頭脳の進歩により高密度の運行が可能となり、何十両も連結された大型車両を走らせるのと同じ輸送量が確保されている。
 これが都市間の中・長距離路線になると、キャビネットを収納して走るトレーラーが4番目の高速軌道を走っており、乗客はキャビネットを降りて大型トレーラーの設備を利用し寛ぐことができるようになっているのだが、通勤・通学に使われることはほとんど無い。
 昔の恋愛小説のように、電車の中で偶然の出会いが、等というシチュエーションは、現代の電車通学では起こりえない。
 友達と待ち合わせるということもできなければ、痴漢の被害に遭う等ということもない。
 社内に監視カメラ・マイクの類はない。
 走行中に座席を離れることは出来ないようになっているし、席と席を隔てる緊急隔壁も装備されている。それ以上は、プライバシーが優先されるというのが社会的コンセンサスだからだ。
 電車は、自家用車と同じくプライベートな空間になっていた。
 一人ずつしか乗り込むことが出来ない防犯措置が施されているキャビネットは、二人乗りを一人で使うことも可能だが(四人乗りを二人以下で使うと追加料金が徴収される)、達也と深雪は当然、別々の車両を利用するようなことはなく、今日も隣り合せで通学電車に乗り込んだ。
「お兄様、実は……」
 端末のスクリーンを展開してニュースに目を通していた達也は、躊躇いがちに話し掛けられて、急いで顔を上げた。
 こういう歯切れの悪い口調は、この妹には珍しい。
 何か良くない知らせなのだろうか。
「昨日の晩、あの人たちから電話がありまして……」
「あの人たち? ああ……
 それで、親父たちがまた何かお前を怒らせるようなことを?」
「いえ、特には……
 あの人たちも、娘の入学祝いに話題を選ぶくらいの分別はあったようです。
 それで……お兄様には、やはり……?」
「ああ、そういうことか……いつも通りだよ」
 兄の言葉に、顔を曇らせて俯く、と、次の瞬間には歯軋りの聞こえてきそうな怒気が、表情を隠す長い髪の下から漂い出ていた。
「そうですか……いくら何でも、と儚い期待を抱いておりましたが、結局、お兄様にはメールの一本も無しですか……あの人たちは、あの……」
「落ち着けって」
 声にならないほどの激情に震える深雪を、隣り合う手を少し強く握り達也は宥める。
 突如室温が低下し規定温度を下回った車内に、季節外れの暖房が作動し、温風の吹き出す音が無言のキャビンを満たした。
「……申し訳ありません。取り乱してしまいました」
 魔法力の暴走が収まっているのを確認して、達也は深雪の手を放す。
 その際にポン、ポンと軽く手を叩き、拘りがないことを示す笑顔で深雪と視線を合わせる。
「仕事を手伝えという親父を無視して進学を決めたんだ。
 祝いを寄越せるはずもない。
 親父の性格はお前も知っているだろう?」
「自分の親がそんな大人げない性格だということからして、腹が立つんです。
 そもそもあの人たちは、どれだけお兄様を利用すれば気が済むというのでしょうか。十五歳の少年が高校に進学するのは当たり前ではありませんか」
「義務教育ではないのだから、当たり前でもないさ。
 親父も小百合さんも、俺のことを一人前と認めているから利用しようという気にもなるんだろ。
 当てにされていたんだと思えば腹も立たんよ」
「……お兄様がそう仰るのであれば……」
 不承不承、ではあったが、深雪が頷いたのを見て、達也は胸を撫で下ろした。
 深雪は、達也が父親の研究所で何をさせられているのかを、正確には知らない。
 彼が作業の片手間に作り上げたもので、まともな仕事を任せられていると誤解しているだけだ。
 本当は、研究試料のリカバリー装置としての扱いしか受けていないと知ったら、本気で交通システムを麻痺させかねない。
 そんな彼の危惧を他所に、通学電車は順調に低速レーンへ移行した。


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