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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第一章・入学編
1-(1) 賢妹愚兄
 魔法。
 それが伝説や御伽噺の産物ではなく、現実の技術となったのは何時のことだったのか。
 確認できる最初の記録は、20世紀末のものだ。
 人類滅亡の預言を実現しようとした狂信者集団による核兵器テロを、特殊な能力を持った警察官が阻止したあの事件が、近代以降で最初に魔法が確認された事例とされている。
 当初、その異能は「超能力」と呼ばれていた。純粋に先天的な、突然変異で備わる能力であって、共有・普及可能な技術体系化は不可能と考えられていた。
 それは、誤りだった。
 東西の有力国家が「超能力」の研究を進めていく過程で、少しずつ、「魔法」を伝える者たちが表舞台に姿を見せた。
 「超能力」は「魔法」によって再現が可能となった。
 才能は必要だ。
 だが、高い適性を有する者のみがプロフェッショナルと呼べるレベルまで熟達できる、という意味では、芸術分野、科学分野の技能も同じ。
 超能力は魔法によって技術体系化され、「超能力者」は「魔法技能師」となった。
 核兵器すらねじ伏せる強力な魔法技能師は、国家にとって兵器であり力そのものだ。
 二十一世紀末を迎えても未だ統一される気配すら見せぬ世界の各国は、魔法技能師の育成に競って取り組んでいる。

 国立魔法大学付属第一高校。
 毎年、国立魔法大学へ最も多くの卒業生を送り込んでいる高等魔法教育機関として知られている。
 それは同時に、優秀な魔法技能師(略称「魔法師」)を最も多く輩出しているエリート校ということでもある。
 魔法教育に、教育機会の均等などという建前は存在しない。
 この国にそんな余裕は無い。
 それ以上に、使える者と使えない者の間に存在する歴然とした差が、甘ったれた理想論の介在を許さない。
 徹底した才能主義。
 残酷なまでの実力主義。
 それが、魔法の世界。
 この学校に入学を許されたということ自体がエリートということであり、入学の時点から既に優等生と劣等生が存在する。
 同じ新入生であっても、平等ではない。
 例え、血を分けた兄妹であっても。

◇◆◇◆◇◆◇

「納得できません」
「まだ言っているのか……?」
 第一高校入学式の日、だが、まだ開会二時間前の早朝。
 新生活とそれがもたらす未来予想図に胸躍らせる新入生も、彼ら以上に舞い上がっている父兄の姿も、流石に疎らだ。
 その入学式の会場となる講堂を前にして、真新しい制服に身を包んだ一組の男女が何やら言い争っていた。
 同じ新入生、だがその制服は微妙に、しかし明確に異なる。
 スカートとスラックスの違い、男女の違い、ではない。
 女子生徒の胸には八枚の花弁をデザインした第一高校のエンブレム。
 男子生徒のブレザーには、それが無い。
「何故お兄様が補欠なのですか? 入試の成績はトップだったじゃありませんか!
 本来ならばわたしではなく、お兄様が新入生総代を務めるべきですのに!」
「……お前が何処から入試結果を手に入れたのかは横に置いておくとして……
 魔法科学校なんだから、ペーパーテストより魔法実技が優先されるのは当然じゃないか。
 俺の実技成績は深雪も良く知っているだろう? 自分じゃあ、二科生徒とはいえよくここに受かったものだと、驚いているんだけどね」
「そんな覇気の無いことでどうしますか! 勉学も体術もお兄様に勝てる者などいないというのに! 魔法だって本当なら」
「深雪!」
「!」
「……分かっているだろ? それは口にしても仕方のないことなんだ」
「……申し訳ございません……」
「深雪……」
 項垂れた頭にポンと手を置き、艶やかな癖の無い長い黒髪をゆっくり撫でながら、さて、どう機嫌をとろうか、と、少年は少しばかり情けないことを考えていた。
「……お前の気持ちは嬉しいよ。俺の代わりにお前が怒ってくれるから、俺はいつも救われている」
「嘘です」
「嘘じゃない」
「嘘です。お兄様はいつも、わたしのことを叱ってばかり……」
「嘘じゃないって。
 でも、お前が俺のことを考えてくれているように、俺もお前のことを思っているんだ」
「お兄様……そんな、『想っている』だなんて……」
(……あれっ?)
 何故か、頬を赤らめる少女。
 何かしら無視し得ない齟齬が生じているような気がしたが、少年は差し迫った問題の解決の為に、疑念を棚上げすることにした。
「……お前が答辞を辞退しても、俺が代わりに選ばれることは絶対に無い。この土壇場で辞退したりすれば、お前の評価が損なわれることは避けられない。
 本当は、分かっているんだろ? 深雪、お前は賢い()だから」
「それは……」
「それにな、深雪。俺は楽しみにしているんだよ。
 お前は俺の自慢の妹だ。
 可愛い妹の晴れ姿を、このダメ兄貴に見せてくれよ」
「お兄様はダメ兄貴なんかじゃありません!
 ……ですが、分かりました。我侭を言って、申し訳ありませんでした」
「謝ることでもないし、我侭だなんて思ってないさ」
「それでは、行って参ります。
 ……見ていてくださいね、お兄様」
「ああ、行っておいで。本番を楽しみにしているから」
 はい、では、と会釈をした少女の姿が講堂へと消えたのを確認して、少年はやれやれとため息をついた。
(さて……俺はこれからどうすればいいんだろ?)
 総代を渋る妹の付き添いでリハーサル前に登校した少年は、式が始まるまでの二時間をどう過ごすか、悩み、途方に暮れた。

◇◆◇◆◇◆◇

 学校施設を利用する為のIDカードは、入学式終了後に配られる段取りになっている。
 来訪者の為のオープンカフェも、混乱を避ける為か今日は営業していない。
 雨じゃなくて良かった、と埒もないことを考えながら、中庭のベンチに腰を落ち着け、携帯端末を開いてお気に入りの書籍サイトにアクセスする。
 式の運営に駆り出されているのだろうか。
 ぽつぽつと、校舎から出てきて、中庭を横切る、左胸にエンブレムを戴く在校生。
 ぽつり、ぽつりと、風に乗って、余計な単語が流れてくる。
 「補欠」「スペア」「ウィード」……
 ウィードとは、二科生徒を指す言葉だ。
 緑色のブレザーの左胸に八枚花弁を持つ生徒をそのエンブレムの意匠から「ブルーム」と呼び、それを持たない二科生徒を花の咲かない雑草(weed)と揶揄して「ウィード」と呼ぶ。
 この学校の定員は一学年二百名。
 その内百名が、第二科所属の生徒として入学する。
 国立魔法大学の付属教育機関である第一高校も、魔法技能師育成の為の国策機関だ。
 国から予算が与えられている代わりに、一定の成果が義務付けられている。
 この学校のノルマは、魔法科大学、魔法技能専門高等訓練機関に、毎年百名以上の卒業生を供給すること。
 残念ながら、魔法教育には事故が付き物だ。
 ノウハウの蓄積により、死亡事故や身体に障害が残るような事故はほぼ根絶されている。
 だが魔法の才能は、心理的要因により容易にスポイルされてしまう。
 事故のショックで魔法を使えなくなった生徒が、毎年少なからず退学していく。
 その穴埋め要員が「二科生徒」。
 彼らは学校に在籍し、授業に参加し、施設・資料を使用することを許可されているが、最も重要な、魔法実技の個別指導を受ける権利が無い。
 独力で学び、自力で結果を出す。
 それができなければ、普通科高校卒業資格しか得られない。
 魔法科高校の卒業資格は与えられず、魔法科大学には進学できない。
 二科生徒は、最初からハンデを与えられた生徒たちだ。
 魔法教育に、機会の均等など無い。
 自分たちは、自分は、スペア部品だ。
 そのことは、物心ついた頃から嫌というほど承知している。
 だから、わざわざ聞こえよがしに思い知らせてくれる必要は無い。
 本当に、余計なお世話なのだ……

◇◆◇◆◇◆◇

 開いていた端末に、時計が表示された。
 読書に没頭していた意識が、現実に引き戻される。
 入学式まで、あと三十分。
「新入生ですね? 開場の時間ですよ」
 愛用の書籍サイトからログアウトし、端末を閉じてベンチから立ち上ろうとしたちょうどその時、頭上から声が降って来た。
 まず目に付いたのは制服のスカート。それから、左腕に巻かれたテンキー付の幅広ブレスレット。
 普及型より大幅に小型化され、ファッション性も考慮された最新式の術式補助演算機だ。
 術式補助演算機(Casting Assistant Device)。
 通称CAD。デバイス、アシスタンスとも呼ばれている。
 この国ではホウキ(法機)という呼称も使われる。
 魔法を発動する為の起動式を、呪文や呪符、印契、魔法陣、魔法書等の伝統的な手法・道具に代わり提供する、現代の魔法技能師に必須のツールだ。
 CADが無ければ魔法を発動できないという訳ではないが、魔法発動を飛躍的に高速化したCADを使わない魔法技能師は皆無に等しい。
 但し、CADがあれば誰でも魔法が使えるという訳でもない。
 CADは起動式を提供するだけであり、魔法を発動するのは魔法技能師自身の能力。
 つまり、魔法を使えない者には無用の長物であり、CADを所持するのはほぼ百パーセント、魔法に携わる者である。
 そして少年の記憶によれば、生徒で学内におけるCADの常時携行が認められているのは、生徒会の役員と特定の委員会のメンバーのみ。
「ありがとうございます。すぐに行きます」
 相手の左胸には当然、八枚花弁のエンブレム。
 ブレザーを押し上げる胸のふくらみは、少年の意識に投影されない。
 自分の左胸を隠す、ことはしない。
 そんな卑屈さは、持ち合わせていない。
 だが、劣等感が無い訳ではない。
 生徒会役員を務めるような優等生と、積極的に関わり合いになりたいとは思えなかった。
「感心ですね、スクリーン型ですか」
 だが、相手はそう思わなかったようだ。
 少年はここに至り、ようやく相手の顔を見た。
 立ち上がった少年より、二十センチは低い。
 少年の身長が一七五センチだから、女性としても小柄な方だろう。
 目線が、彼が二科生徒であることを確認するには、ちょうどいい高さ。
 だがその眼差しには、彼を見下す一切の色彩が含まれておらず、単純な、あるいは無邪気な、感嘆があった。
「当校では仮想型ディスプレイ端末の持込を認めていません。ですが残念なことに、仮想型を使用する生徒が大勢います。
 でもあなたは、入学前からスクリーン型を使っているんですね」
「仮想型は読書に不向きですので」
 彼の端末が年季の入ったものであることくらい誰にでも一目で分かるので、余計なことを訊き返したりはしなかった。
 言い訳じみた返事は、余り素っ気無いと、自分よりも妹の不利益になると考えた結果だ。
 妹は間違いなく、生徒会に選ばれるだろうから。
 そんな打算の産物に、その上級生は一層感心の色を濃くした。
「動画ではなく読書ですか。ますます珍しいです。
 私も映像資料より書籍資料が好きな方ですから、何だか嬉しいですね」
 確かにバーチャルコンテンツの方がテキストコンテンツより好まれる時代だが、読書を好む人間がそこまで希少ということは無い。
 どうやらこの上級生は、珍しいくらい人懐こい性格らしい、と少年は見当をつけた。
「あっ、申し遅れました。私は第一高校の生徒会長を務めています、七草真由美です。ななくさ、と書いて、さえぐさ、と読みます。
 よろしくお願いしますね」
(数字付き……しかも「七草」か)
 反射的に顔を顰めそうになったが、何とか愛想笑いを浮かべて、少年は名乗り返した。
「俺、いえ、自分は、司波達也です」
「司波達也君……そうですか、あなたが、あの司波君でしたか」
「…………」
 どうせ、新入生総代、主席入学の司波深雪の兄でありながら、まともに魔法が使えない落ちこぼれ、という意味の「あの」だろう。
 そう思い、達也は礼儀正しい沈黙を選んだ。
「ふふふ、先生方の間では、あなたの噂で持ちきりでしたよ」
 それは、ここまで出来の違う兄妹も珍しいだろう、と達也は思った。
 ……だがどうも、そういうネガティブなニュアンスではなさそうだった。
 彼女の笑顔からは、ポジティブなイメージしか伝わってこない。
「入学試験、七教科平均、百点満点中九十六点。
 特に圧巻だったのは魔法理論と魔法工学。合格者の平均点が七十点に満たないのに、両教科とも小論文を含めて文句なしの満点。
 前代未聞の高得点だって」
「……ペーパーテストの成績です。情報システムの中だけの話ですよ」
 そう言って、達也は自分の左胸を指差した。
 その意味を生徒会長が知らないはずは無い。
「すごいじゃないですか。少なくとも、私には真似できませんよ?
 私はこの学校で二年も学んでいますけど、同じ問題を出されても司波君のような点数はきっと、取れません」
「そろそろ時間ですので……失礼します」
 達也は、返事を待たずに背を向けた。
 真由美の笑顔を、このまま彼女と話を続けることを、彼は心のどこかで恐れていた。
 自分が何を恐れているのか、自覚しないままに。


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