ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第六章・魔人暗闘編
6-(17) エピローグ~別れと再会と予期せぬ再会~

 風に乗って楽しげなざわめきが聞こえてくる。第一高校の校内は、喜びの声に満たされていた。
 耳を澄ませばその中に混じる泣き声も聞き取ることが可能だったが、それは決して不幸な出来事の故ではないと分かっている。
 対照的に、カフェテリアは閑散としていた。
 まばらな人影は、両手の指に満たない数だった。
 別に、今が授業中でここにいる生徒がサボっている、という訳ではない。
 今日は、卒業式だったのだ。
 達也は紙コップではなくちゃんとセラミックのカップに入れられたコーヒーを一口含み、カップをソーサーではなく直接テーブルに置いた(ソーサーは最初からついていなかった)。
 魔法師の間では余り使われることのない多目的腕時計に目を落とす。
 式自体は既に終わっている時間だ。
 あの声は、式が終わって校庭に出て来た卒業生たちのものだろう。
 この後、二つの小体育館を使ってパーティが開かれることになっている。
 こんな時まで一科生と二科生を分けるのは嫌らしい気もするが、多分、その方が当人たちも気楽で良いのだろう。
 正しいことが常に最適なこととは限らないのだ。二科生は一科生が一緒だと変に萎縮してしまうだろうし、一科生は二科生を(主に魔法大学への進学率の点で)気にして存分に騒げなくなるかもしれない。二つの会場で料理にも飲み物にもその他の面でも差は無いのだから、正しさに拘る必要がある場面ではないだろう、と達也も思っている。
 ただ会場を分けている所為で、しなくてもいい苦労をしている人間も確かにいる。会場の設営に当たった業者や料理を提供する学食のスタッフは、会場が二つになっている分、追加で報酬を得るのだから「余分な」苦労とは言わないだろうが、例えば卒業パーティを主催している生徒会は、余分な苦労を強いられている人間として真っ先に名前が挙げられる口だった。
 もうお分かりのことだろう。
 達也は、卒業パーティの当日の運営で大忙しの深雪を待っているのだった。
 誤解の無きよう言い添えておくが、彼も準備や運営を「手伝おうか?」と申し出たのである。それも、結構繰り返し。
 あずさなどは、あからさまに、手伝って欲しそうにしていた。
 だが深雪が断固として、達也の手助けを拒んだのである。
『こんなことでお兄様の御手を煩わせるわけには参りません!』
 と一歩も引かない勢いで言われては、あずさもすごすごと引き下がるしかなかった。
 まあ、妹の過剰な思いやり(?)を抜きにしても、達也の存在は多くの一科生にとって、そして少なくない二科生にとって、複雑で微妙なものである。
 一科生と二科生を隔ててきた物差しそのものに疑問を投げ掛ける能力と実績の持ち主。
 三年生にとっては、最後の年にいきなり投げ込まれた波乱の種だ。
 出しゃばらないのが、正解だったのだろう。
 もっとも、最終的に彼が今日のパーティを手伝わないことが決まった時に、達也がそれとなく「これで良かった」みたいなことを口にした時、偶々(?)その場にいた真由美は何故か大層ご立腹だったが。
 その真由美は無事、魔法大学に合格した。彼女の実力と実績ならば当然とも思われるが、「あの夜」以来パッタリと「吸血鬼」の被害が途絶えたことも、余計な気がかり無く受験に専念できたという意味でプラスに働いたに違いなかった。
 彼女はこの四月から、同じく順当に合格した鈴音や克人と共に、魔法大学で学ぶことになる。
 摩利は、魔法大学を受験しなかった。彼女は防衛大学に進学することになった。理由は言うまでもない。ただこのことは直前まで真由美も知らなかったようで、達也も一度、真由美が摩利を散々冷やかしている――多分、その裏で寂しがっている――場面を目にしている。
 魔法大学と防衛大学はそれほど離れているわけでもないし、会おうと思えばいつでも会えるのだが、同じ大学へ進学すると思っていた親友が――二人は親友という言葉で括られるのを嫌がるかもしれないが、周りの人間にとっては今更だった――別の学校に進むとなれば、やはり平気ではいられないのだろう。
 防衛大学に進む、と言えば――
「司波」
 そう考えた達也に、声が掛けられた。
「小早川先輩、もうパーティが始まる時間では?」
 相手は、彼が思い浮かべた当人だった。
「ああ、まあそうだけど、君がここにいるって摩利に聞いたものでね」
 九校戦で事故を起こした小早川の魔法技能は、懸命のリハビリにも関わらず、結局、回復しなかった。魔法感受性は損なわれていなかったが、魔法を使うこと、「魔法が使える」ということに対する猜疑心を取り除けなかった。
 小早川は十月の時点で、退学を決意していたらしい。
 しかし残り半年では、文科高校や理科高校に転校するにしても、進学の準備期間としては明らかに足りない。
 彼女は、転校し、一年浪人して、新たな進路を探すつもりだったようだ。
「俺に何か?」
「ああ、その、何だ……面と向かうと、やはり言いにくいな……
 いや、要するにだ、君に……お礼を言いたくてね」
 恥ずかしそうに顔を赤らめた小早川に、達也は割と本気で首を傾げた。
「小早川先輩に礼を言われるようなことはしていませんが」
「そんなことはない!」
 人気の少ないカフェテリアに、小早川の張り上げた声は良く響いた。
 本人にとっても思い掛けないことだった様子で、首を竦めながら一層赤面した顔でボソボソと続けた。
「魔法が使えなくても魔法に関する知識と感受性を活かす道がある、というあのアドバイスは、君のものだったんだろう?」
 達也は一瞬、顔を顰めそうになったが、小早川の心情を考えて嫌そうな顔を堪えた。
「渡辺先輩が喋ってしまわれたんですか……」
 それでも、呆れ声まで隠すことは出来なかったが。
「そう言わないでくれ。あたしが摩利から無理矢理聞き出したんだよ」
「渡辺先輩にはご自分のアイデアだということにしておいてくれるように言ってあったんですが」
 小早川のことは、摩利も真由美も、九校戦の代表に選ばれた三年生女子全員が悩んでいた。中でも同じように事故を起こして、辛うじて事なきを得た摩利にとっては、到底他人事とは思えなかったようだ。小早川の事故に端を発して、十月に平河千秋が事件を起こしたことも、摩利の悩みに拍車を掛けた。
 その事件の後、摩利は達也に愚痴をこぼしたことがある。彼の責任ではないと解っているが、との前置きがついていたが、彼女の愚痴を要約すれば、小早川の事故は本当に防止できなかったのか、という趣旨のものだった。
 達也はその疑問に対する答えを持っていた。
 答えは「出来ない」である。
 彼は全知全能ではない。いや、この際「全能」は度外視するとしても、「全知」ではない。彼の注意力は深雪と自分と、自分の担当範囲をカバーするのが精一杯で、他に目を配っている余裕は無かった。それは他のメンバーも同じで、小早川本人と彼女のCADを担当していた平河(姉)が細工に気づかなかったのだから、他の誰も気づきようは無かった。
 しかし、そう冷たく切り捨てるのも気が引ける場面だった。だから達也は、仮定の話として別の道を示唆したのである。
 彼は、魔法を作戦に組み込む際に魔法のことが分かっている作戦スタッフが不足している、という話を藤林から何度か聞かされていた。魔法技能の持ち主はその絶対的な数の不足から常に前線へ回され、必然的に後方で作戦を管理するスタッフは魔法のことを机上でしか知らない非魔法師ばかりになっているのが実情だと。
 何らかの理由で魔法を使えなくなった優秀な魔法師が作戦スタッフに加わってくれたら、前線の魔法師は今よりずっと動きやすくなるのに、と前線・後方の兼務を余儀なくされている藤林は達也に向かって愚痴っていた。その話を、固有名詞を使わずに摩利に聞かせたのである。
「そうらしいな。だが摩利は、余り隠す気は無かったようだぞ」
「全く、あの人は……」
「あたしも、話してくれて嬉しかった」
 達也が忌々しげにこぼした台詞を、小早川の真摯な声が遮った。
「自分では意識していなかったけど、あの言葉を聞くまで、あたしは自分に絶望していた。
 負けるもんか、と強がっていたけど、そう思っていること自体が、既に負けてしまっている自分を誤魔化す為のものだった。
 だけど摩利から君が話してくれたことを聞いて、あたしは本当に、目の前が開けた気がしたんだ。自分の進むべき道はこれだって思った。それはあたし一人にとどまるものじゃなくて、あたしと同じように魔法師の道を絶たれた魔法科高校生にとっての希望になると思った。
 あの土壇場で進路をいきなり変えて、たった半年で合格できるまで頑張れたのは、その思いがあったからだと思う」
 小早川の顔が再び赤く染まっているのは、口にするには恥ずかしい台詞だと思っているからに違いなかった。
 達也は別に、恥ずかしい台詞を聞いているとは感じなかったのだが。
「だから、司波、いいえ、司波君、ありがとうございます」
 口調を丁寧なものに変えて深々と一礼する小早川。
 これを前にして座ったままでいられるほど、達也も図太くは無い。
 椅子から立ち上がり、踵を鳴らして足を揃えた。
 いきなり鳴り響いた靴音に驚いて顔を上げた小早川だけでなく、カフェにいた少数の客全員の視線を集めていたが、達也はそれを特に意識することもなく無視して、小早川に独立魔装大隊で叩き込まれた敬礼を送った。
「司波君……」
「小早川先輩、月並みですが、頑張ってください」
 敬礼を解いて、達也は照れもせず、笑いもせず、そう言った。
 小早川の目に涙が浮かびかけたが、彼女は泣き出さずに、微笑んで頷いた。
「先輩、パーティが始まっていますよ」
「そうだな。じゃあ、これで。君も頑張ってくれ」
 小走りに去って行く小早川を見送って、達也は腰を下ろした。
 ぬるくなったコーヒーも、不思議と不味くは感じなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

「お兄様、お待たせしました」
 弾む息の中から掛けられた声に、達也は携帯情報端末で作成中の草稿から目を離して顔を上げた。
「達也くん、何を書いていたの?」
 顔を上げた彼に声を掛けてきたのは深雪ではなく、卒業証書の入った筒――こういう物は、やはり紙が使われている――を胸に抱えるように持ってニコニコ笑っている真由美だった。
「魔法の持続時間を引き延ばすシステム的なアシストに関する、チョッとした覚え書きです」
「……いや、そんな何でも無いことのように流してしまうテーマじゃないと思うんだが」
 呆れ顔でこちらを見る摩利に、達也は軽く肩を竦めて見せた。
 反射的に、小早川の件で嫌味を言ってやろうかとも思ったのだが、今日は彼女たちが主役の目出度い日だ、そう思い、自粛した。
「それより皆さんお揃いでどうしたんですか?
 七草先輩にしても渡辺先輩にしても、二次会のお誘いが無かったとは思えませんが」
 達也の言葉に顔を見合わせた女子生徒たちの背後から、克人がぬっと顔を出した。
「その前に、お前に挨拶しておこうと思ってな」
「……恐縮です。わざわざお運びいただかなくても後ほど俺の方から伺うつもりでしたが……」
「あら、そうなの?
 パーティの間中、こんな所に引っ込んでいる達也くんのことだから、知らん顔して帰っちゃうかと思ったんだけど」
 拗ねた顔全開で嫌味を言う真由美に、それが演技だと分かっていても、言い訳しなければ、という気持ちに達也はさせられた。
「生徒会役員でもない俺が卒業パーティに顔は出せないでしょう。まして、一科生の方のパーティには」
「何でよ!」
 建前論を振りかざした達也の弁明に、いきなり本気で突っかかってきた台詞があった。
 卒業生をかき分けて、まぶしい金色の頭が達也の前に現れた。
「どうして正規の生徒会役員でもないワタシがパーティの手伝いをさせられて、風紀委員のタツヤが何もしないで良くなるのよ!?」
 達也に食って掛かったのは、チャッカリ人手に数えられていたリーナだった。
「……風紀委員は生徒会役員じゃないぞ。それに、臨時であってもリーナは生徒会役員じゃないか」
「納得できないわ!」
 卒業生の目もリーナには大して気にならないのだろう。
 困惑する真由美たちを前に、リーナはいつも通り(いきどお)っていた。
「チョッとリーナ、お兄様に失礼なことを言わないで」
 そして、そんな彼女に立ち向かった(?)のは、いつもどおり深雪の兄思いな言葉だった。
「貴女が臨時生徒会役員なのもお兄様が風紀委員でいらっしゃるのも、卒業パーティの準備が始まる前から決まっていたことじゃないの。
 第一、今更何を不満じみたことを言っているの。あんなにノリノリだったじゃない」
 何が「ノリノリ」だったのか達也には分からないが、リーナが真っ赤になったところを見ると、人目を集めることだったに違いない。
「深雪、ノリノリって?」
 ここで「何があったか敢えて訊かない」という選択肢は、達也には無かった。
「タツヤ、何でも無いわよ!」
「臨時の役員であるリーナに、余り手が掛かる類の準備をやってもらうのは流石に気の毒でしたので、当日の余興を担当してもらったのですが……」
「ミユキ!」
「余興と言っても、自分で何かをするというのではなく、在校生や卒業生の方々から希望者を募るだけで良かったんですが」
「ミユキ、言わないで!」
「リーナはどうやら勘違いしたようで」
「ミユキ、お願い! 言っちゃダメ!」
 リーナは必死に深雪の言葉を遮ろうとしていたが、面白がっている真由美と摩利が、彼女の動きを巧みにブロックしていた。
「それで?」
 深雪はあまりに必死なリーナの声に、チラッと彼女の方を見たが、達也に促されると、あっさり眼差しを兄へ戻した。
「自分でバンドを率いてステージに上がったんです。立て続けに十曲くらい歌って、すごく盛り上がって」
「うん、中々見事なステージだった。プロ顔負けだったな」
 深雪の説明に、摩利が何度も頷くと、
「本当、シールズさん、とっても歌が上手いのね。ステキな声だったわよ」
 満更お世辞でも無さそうな口調で、真由美がリーナの歌を賞賛した。
「うっ……」
 赤い顔で俯くリーナ。
 怒っている顔ではなく、明らかに照れている顔で。
 それを見て、達也は微笑ましい気持ちになった。
「そうか……良い思い出になったな、リーナ」
「……知らないわよ」
 ぷいっ、とそっぽを向いた仕草に、彼女を除いた人数分の、暖かな笑い声が上がった。

◇◆◇◆◇◆◇

(リーナを見たのはあれが最後だったな)
 卒業式を最後に、リーナは学校に出て来なくなった。
 深雪に訊いたところ、A組では「帰国の準備で忙しい」という説明がされていた。
 だが思うに、それ以前から撤収命令が出ていたのだろう。
 それでもあの日までリーナが登校を続けたのは、卒業パーティの準備という、高校生として割り当てられた役目を果たす為だったのではないだろうか。
 もしそうであるなら、彼女も少しは高校生であることをエンジョイできたのだろう。
 ――到着便の遅延案内を見ながら、達也はそんなことを考えていた。
 一昨日で三学期は終了した。
 つまり、高校生活最初の一年が終了したということだ。
 達也の成績は相変わらずだった。
 理論科目の点数が極端に良く、
 実技科目の点数がかなり悪い。
 総合順位は中の下。
 だがそれも気にならない。
 この一年、色々なトラブルに巻き込まれ続けてきたが、着実に目標へ近づいている。
 予想外にいい友人関係も築くことが出来た。
 事件の連続というマイナス面を考慮しても、上々の一年だったと言えるだろう。
 今日はその友人を出迎える為に、東京湾海上国際空港に来ていた。
 もちろん、一人ではない。
 彼の左右には深雪とほのかが、彼の前にはレオとエリカと幹比古と美月が座っている。
 あと小一時間ほどで、雫を乗せた飛行機が到着する予定だった。
「でもやはり、アメリカ本土からですと時間が掛かりますね」
 達也の左から深雪がそう話し掛けると、
「軍用機は四分の一以下の時間で太平洋を横断するそうですけど、民間機は何故こんなに時間が掛かるんでしょう?」
 右隣から、ほのかが問い掛ける。
 すると、
「エンジンが違うぜ。軍用機は大気圏外周まで上がるからな。
 民間機は、安全性と経済性優先だ」
 正面からレオが口を挿み、
「あら、良く知ってるのね。馬に蹴られる野蛮人のくせに」
 エリカが茶々を入れる。
「んだとゴラァ」
「レオ、よしなよ」
「エリカちゃんも一々茶々入れないの」
 そして幹比古と美月が苦労して仲裁に入るのも、まあ、いつものことだ。
 その時、達也はロビーの人混みの中に見覚えのある金色の輝きを見つけた。
 急に立ち上がった達也を、何事かと友人たちが見上げる。
 続いて素早く立ち上がったのは深雪だった。
 彼女も、僅かに遅れて、達也と同じものを見つけていた。
 短く「少し外すぞ」と断りを入れて歩き出した達也に、深雪が続く。
 慌ててほのかも立ち上がったが、何故か、正面に座っていたエリカにスプリングコートの裾を引っ張られた。
「ほのか、邪魔しちゃダメだよ。
 ライバルとのお別れなんだからさ」
 行儀悪く背もたれに身体を預けて振り返ったエリカの視線の先には、
 達也に見つかって逃げ出すのではなく、寧ろ彼ら兄妹の方へ歩いてくるリーナの姿があった。

◇◆◇◆◇◆◇

「タツヤ、ミユキ、ワタシの見送りに来てくれたの」
 普通に声の届く距離まで近づいて、先に口を開いたのはリーナだった。
「まあな。ここで会えたのは偶然だが」
 リーナは一時期の思い詰めた様子がすっかり消えて、飾らない気さくな笑みを浮かべている。ただ、完全に元通り、という感じはしなかった。来日したばかり頃には無かった、迷いの影が瞳の奥に見える。それが彼女を、僅かな期間で随分と大人っぽくなったように見せていた。
「あらっ? 今日発つって言ってなかったかしら」
「聞いてないわね」
 すっとぼけて嘯くリーナの戯れ言を、深雪が一刀両断する。
 とは言え深雪も気を悪くしている訳ではなく、苦笑気味に笑みを浮かべていた。
「まあ、冗談はこの位にして、と……二人とも、お世話になったわね」
 笑みをふてぶてしいものへと変えたリーナに、
「迷惑を掛けた、の間違いじゃないか」
 達也はサラリと嫌味を返した。
「迷惑をこうむったのはこっちの方よ。……本当に、最後まで容赦の無い人ね、タツヤ」
「手加減してもらって喜ぶリーナでもあるまいに……それに、最後じゃないだろう?」
 達也の問いに、リーナは肩を竦めた。
「どうかしら。
 ワタシがそんなに気安く本国を離れられるとは思えないんだけど」
 リーナの声には、諦念が混じっていた。
 しかし、それをかき消すように、
「でも、これが最後なんかじゃないわ」
 深雪が強い意志を込めた言葉を挿んだ。
「ミユキ?」
「だからわたしは、さようならは言わないわよ、リーナ」
「……ミユキ、それって何だか、告白みたいよ?」
 目を丸くして深雪を凝視していたリーナの顔が、悪戯っぽい笑顔に変わる。
「そうね、一種の告白かも。
 貴女は、わたしのライバルよ、リーナ」
 深雪はそれに動じることなく、揺るぎない声で言い切った。
「貴女はきっと、お兄様が差し伸べられた手を取ることになるわ。
 貴女はきっと、お兄様の仲間になる。
 そこからがわたしたちの、本当の勝負。
 だから、さよならは言わない。
 また会いましょう、リーナ」
 リーナは、再び目を丸くした。そして今度は、柔らかな、彼女の髪と瞳の色に相応しいお日様のような笑みを浮かべた。
「……アナタの言うことは、ワタシには良く理解できないのだけど……ミユキ、きっとアナタの言うとおりになるって、今、ワタシも予感している。
 だから、また会いましょう、ミユキ、タツヤ」

◇◆◇◆◇◆◇

「ただいま」
 リーナがゲートに消えて一時間後、雫の第一声が、これだった。
「お帰り、雫」
 潤んだ目で抱きつくほのかの背中をポンポンと叩いて宥め、雫は達也へ目を向けた。
「お帰り、雫。無事で何よりだ」
「うん」
 短い受け答えは留学前と変わらなかったが、
「雫、雰囲気が変わったわね」
「そうだね、大人っぽくなった」
 深雪とエリカが言うように、身に纏う雰囲気が随分大人びていた。
「なにかイケナイ体験でもしちゃったのかな?」
「エリカちゃん!?」
 ニンマリと笑ったエリカの台詞に反応したのは美月で、当の雫は軽く小首を傾げるばかり。それ自体は以前と変わらぬ景色だったが、以前よりも余裕のようなものが強く感じられる。
「達也さん」
「うん?」
 ほのかがようやく抱擁を解いて離れると、雫は達也の前に歩み寄って、彼の顔を見上げた。
「お話ししたいことがいっぱいある。レイからもたくさん伝言を預かってる。
 聞いてくれる?」
「良いよ。是非聞かせてくれ」
 それは多分、彼女がアメリカで獲得した、多くの知識によるものだろう。
 達也はそう思った。

◇◆◇◆◇◆◇

 雫の話はかなり長いものだった。
 それでも、全てを話し終えることは出来なかった。
 レイ――レイモンド・クラークの伝言は、他の友人たちの前で話せることではなかった。
(招待を受けざるを得ない、か……)
 残った話をする為に、雫は達也を自分の家に招待した。
 大実業家、「北方潮」の私邸へ、だ。
 それは四葉にとっても、小さくない意味を持つものだった。
 しかし、招待を受けないという選択肢は無い。
 彼女が持ち帰った情報は、これからの行動方針を決めるのに、必要なものだ。
 最初から決まっている結論を、自宅のリビングで達也は改めて確認した。
 その時、呼び鈴が鳴った。
 ドアホンに出た深雪があげた驚きの声が、達也の耳に届いた。
 達也の前に姿を見せた深雪の顔には、驚愕と、焦りの色が浮かんでいた。
「あの、お兄様、お客様なのですが……」
「俺が出ようか?」
 達也は、何か強面の招かれざる客でも来たのか、と思って腰を上げかけたのだが――
「いえ、それには及びませんが……お客様は、四葉本家で会った、桜井水波ちゃんなんです」
「なに……?」
 それは、達也にとっても、全く予期しない来訪者だった。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也の隣には深雪、彼の前には春らしいパステルカラーのワンピースの少女。
 彼女、桜井水波は丁寧に一礼した後、達也に一通の封書を手渡した。
 達也は水波に座るよう言って、自身もソファに腰を下ろした。
 水波の見ている前で、その視線に促されて封を切り、中の手紙に目を通す。
 読み進めて行くに連れて、口の中に幻覚の苦みが広がっていくのを達也は感じた。
 差出人は、四葉真夜。
 手紙には、決まり文句の季節の挨拶の後に、こう書かれていた。

『この春、水波ちゃんを第一高校へ入学させることになりました。
 ついては達也さん、貴方たちのお家に水波ちゃんを住まわせてあげてくださいな。
 彼女は一人前の家政婦として、既に十分な技能を持っています。
 メイドロボを購入する位なのだから、家事をする手が必要なのでしょう? 貴方も深雪さんも、高校二年生ともなれば色々と忙しくなるでしょうからね。
 彼女には住み込みのメイドとして働くように言い含めてありますので、お家のことを気兼ねなく言いつけてください。
 それから、水波ちゃんにはガーディアンとしての仕事も覚えてもらうつもりです。
 先輩として、色々教えてあげてくださいね』

 紙面から、叔母の高笑いが聞こえてきた、ような気がした。
 達也が手紙を折り畳んで封筒に戻し、テーブルの上に置くと、その仕草に何かを感じたのか、深雪が「お兄様?」と気遣わしげに声を掛けた。
 達也は一つ深呼吸して、深雪に手紙を渡した。
 しばらくして、息を呑む音が深雪の喉から発せられた。
 深雪が手紙から目を離すのを待っていたように、水波が向かい側で立ち上がった。
「未熟者ですが、よろしくお願いいたします。奥様のお言いつけどおり、精一杯務めさせていただきます」
 深々と水波が頭を下げる。
 彼女が真夜から打ち込まれた楔と分かっていても、穂波と同じ顔をした彼女を拒絶することは、達也にも深雪にも出来なかった。
 叔母の皮肉が効いた苦すぎる「贈り物」に、達也はポーカーフェイスを装って頷くことしか出来なかった。

 ――四月から始まる新年度は、今まで以上に波乱に富んだものになる――

 そんな、ありがたくない予感が、達也の胸に居座って消えようとはしなかった。

〔初年度の部 完〕
評価
ポイントを選んで「評価する」ボタンを押してください。

▼この作品の書き方はどうでしたか?(文法・文章評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
▼物語(ストーリー)はどうでしたか?満足しましたか?(ストーリー評価)
1pt 2pt 3pt 4pt 5pt
  ※評価するにはログインしてください。
ついったーで読了宣言!
ついったー
― 感想を書く ―
⇒感想一覧を見る
※感想を書く場合はログインしてください。
▼良い点
▼悪い点
▼一言

1項目の入力から送信できます。
感想を書く場合の注意事項を必ずお読みください。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。