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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第六章・魔人暗闘編
6-(16) 終わりは始まり
 妖魔の本体を視認する知覚を持たないリーナにも、ソレの滅びる様が感じ取れた。停止――凍結し、砕け散る「情報」の塊。情報次元におけるサイオン情報体を操作出来ることが魔法師の条件であるならば、最高レベルの魔法師である“シリウス”が、本体の崩壊と共に撒き散らされた大量のサイオンに気づかないはずは無かった。
「ルーナ・マジック〔Lunar Magic〕……?」
 そして自身では精神に干渉する魔法を使えなくても、引き起こされた結果から使われた魔法を推測する事も、リーナの魔法感受性を以てすれば可能だ。
 月の魔法(ルーナ・マジック)とは英語圏の魔法師が精神干渉系統の魔法の中でも特に精神を攻撃する、精神に直接ダメージを与える魔法を指して言う名称で、系統外魔法の中で最も有名な魔法の一つである精神攻撃魔法「ルナ・ストライク」に由来する名前だ。
 ルナ・ストライクは精神干渉系の系統外魔法には珍しくプロセスが定式化されている魔法であり、スターズの「一等星」クラスはルナ・ストライクを使う魔法師と相対した時、これをどう防ぐか、その対処法を修得する目的でルナ・ストライクの術式を学ぶ。
 当然リーナも、ルナ・ストライクを何度も目にしており、その経験故に、初見のコキュートスをそのメカニズムは理解出来ずとも、精神に直接、致命的なダメージを与える魔法だと正しく推測した。
 そして、それを繰り出したのが深雪であるということも。
「こんな強力なルーナ・マジックを……ミユキ、アナタ……いえ、アナタたち兄妹は一体……」
 地面にへたりこんだまま呆然と呟くリーナ。
 決闘の時にこの魔法を使われていたら……という思考は、彼女の意識の中で明確な形にならなかった。今はまだ、大きすぎる驚きが彼女の心を占めていた。
 実は深雪も、この時、似たような状態だった。
 忘我の淵に半身を浸しながら、達也の胸に身体を預けている。こちらは久々に全力を振り絞った魔法の行使に加えて、初めて目にした達也の視界の、その情報量の多さに酔ってしまったのだろう。
 険悪ムードだった二人が正気を失っている(?)この状態は、チャンスだった。
 達也は耳から通信機を外して、スイッチを切った。
「リーナ、今見たことは、他言無用だ」
 見下ろす視線、幾分低めた声、威圧する口調。
「な、なによ、いきなり……」
 普段の彼女なら、こういう高圧的な物言いは逆効果だっただろう。
 だが達也が予想したとおり、リーナは普段の彼女ではなかった。
 大きなストレスに晒され、張り詰めた糸に過大な負荷が掛かっていたところに、当面の標的が消失し一種の虚脱状態に陥っていた。“説得”にはもってこいの状態だった。
「その代わり、アンジー・シリウスの正体について、沈黙を守ると誓おう。この誓約は俺と深雪だけでなく、今日この件に関わったこちら側の全員に適用される」
 答えは、リーナから中々返って来なかった。
 見下ろす達也の目を、ジッと見返す瞳。その中に、徐々に、思考力が戻って来ているのが達也には見て取れた。
 義務感。
 猜疑心。
 保身。
 自己弁護。
 様々な思惟がリーナの瞳を過ぎり、彼女の中で(心理学的な)合理化が図られている。達也には精神分析のノウハウも精神感応のスキルも無いのでそこまで明確に理解しているわけでは無かったが、リーナが何とか自分を納得させようとしていることは直感的に解った。
 リーナの葛藤は、それほど長く続かなかった。
「……ワタシに拒否権は無いんでしょう?」
「そんなことは無い」
 諦念の滲むリーナの台詞を達也は否定したが、拒否した場合にどうなるか、彼は語らなかった。
 猜疑は不安を育む。
 口にされなかった言葉、というより、口にしなかったという行動が、リーナに対する最後の一押しになった。
「いいわよ……黙っていて貰えるなら、ワタシにとっても悪い話じゃ無いし。
 タツヤとミユキことは黙ってる。……どうせ誰にも取り合って貰えないだろうし」
 最後のフレーズは口の中で呟かれたもので、達也には聞き取れなかった。
 聞き返すことも、達也はしなかった。
 彼は、まだ足に力が入らない深雪の身体を横抱きに抱え上げ、いきなり我に返ってじたばたと腕の中で暴れ出した妹に「大人しくしていろ」と命じて、リーナに背を向けた。
 背を向けただけで、歩き出さなかった。
 不審に思ったリーナが達也に声を掛けようとした、その直前、
「リーナ」
 逆に、達也がリーナの名前を呼んだ。
「まだ何かあるの?」
 言葉面だけで判断すれば苛立っているようにも解釈出来る台詞だったが、リーナの声は、言葉ほど不機嫌では無かった。
 さっきまでの追い詰められていた雰囲気が、憑き物でも落ちたかのように消えていた。
「もしリーナがスターズを退役したければ……」
「えっ?」
「もし軍人であることを辞めたければ、力になれると思うぞ。
 いや、俺自身には大した力も無いが、力を貸してくれそうな知り合いに心当たりがある」
「タツヤ? アナタ、何を言ってるの?」
 リーナは「余計なお世話だ」と怒り出すことも「バカげたことを」と笑い飛ばすこともしなかった。
「ワタシは別に、スターズを抜けたいなんて……“シリウス”を辞めたいだなんて思ってないわよ」
 ただ不思議そうに、そう答えた。
「そうか」
 達也は振り返らぬまま、その答えに短い返事を返して、歩き始めた。
「待って、タツヤ! 何故そんなことを訊くの!?」
 大声で呼び止めるリーナへ、遂に振り返ることなく、
「悪かったな、変なことを言って」
 それだけを言い残して、達也は遠離って行く。
 彼に付き従う機械人形は、当たり前だが、リーナに見向きもしない。
 ただ達也に抱き上げられた深雪だけが、兄の肩越しに、気遣わしげな眼差しをリーナへ送っていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也の姿が夜の木陰の闇に消えて、リーナはハッと我に返った。
 自分が身動(みじろ)ぎもせず達也の後ろ姿を見詰めていたことに気がついて、慌てて地べたから立ち上がる。
 何故、自分の瞳は達也の背中を追いかけていたのか……そんな思いが脳裏に浮かんで、リーナは勢い良く(かぶり)を振った。
(タツヤが変なことを言うからよ。そうに決まってる)
 意識するまでは、本当に目で後ろ姿を追っていただけだった。
 それが、自分の行動を自覚した途端、鼓動の加速と頬の加熱を自覚した。
 実のところこれは、単に自分の思考に引きずられただけの「勘違い」なのだが、自縄自縛に陥っているリーナに、その様な自分を客観化した冷静な分析が出来るはずも無かった。
 今の彼女は、吊り橋効果と類似した心理状態に囚われているのだった。
 在りもしない「恋心」から意識を逸らす為に、リーナは、何でも良いから別のことを考えようとした。その結果、自然と思考が直近の疑問に吸い寄せられる。
 達也の不可解な提案。
 彼は何故あんな事を言ったのだろうと、リーナは改めて首を捻った。
 魔物に侵された同胞を処分する自分の顔が、自分の姿が、辛そうに見えたのだろうか。
 だとしたら、とんだ誤解だ、とリーナは思った。
 確かに「身内」へ銃を向けるのは、胸が痛む。
(……だけど、魔物になって生きるよりは)
 ――安らかな眠りを与えてやる方が慈悲深い、とリーナは考えている。
 人間の、魂の尊厳は、それほどに尊いものだと教わってきた。
 確かに辛い仕事だが、誰かがやらなければならない務めだ。
 自分はそこから逃げ出すつもりは無い。
 強い魔法力を持つ魔法師が魔道に落ちたなら、それを討伐する仕事は最強の魔法師たるシリウス、つまり、自分にしか出来ないのだから。
(……自分にしか?)
 しかし、思い掛けないところでリーナの思考は躓いた。
 新たな犠牲者を出すこと無く、正気を失った魔法師を処分する。
 その任務は、確かに、最強の魔法師である彼女が最も適していた。
 その事に疑いは無かった――今までは。
 今は、必ずしもそうで無いことを知っている。
 彼女がやらなくても、あの二人がやってくれる。
 彼女が辛い思いをしなくても、同胞殺しの罪悪感に苦しまなくても、異邦人であるあの二人が――
(そうか……だからワタシ、迷って、焦ってたんだ)
 この一ヶ月近く、頭の中にずっと居座っていたモヤモヤが、急に晴れたような気がした。

 自分がやらなくても、誰かがやってくれる。

 それはリーナにとって、思いもよらない発見だった。
 決まっていると思っていた、変えられないと思っていた未来が、実は選べるものだと判った。
 ずっと一本だと思っていた道が、目の前で急に枝分かれした――例えて言うなら、そんな、期待と不安。
 一つの迷いからようやく抜け出したばかりだというのに、リーナの意識はすっかり混乱していた。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也が向かっていた先は、パラサイトの封印に成功した二体を転がして置いた場所だ。
 しかし彼が足を向けた時には既に、そこには先客がいた。
 二つのグループが向かい合っていた。
 一方は積み重ねた歳月を表す深い皺を刻みながらもピンと姿勢の伸びた老人に率いられた黒服の一団。
 もう一方は、豪奢な黒のワンピースに身を包む可憐な少女に率いられた、やはり、黒服の一団。
 向かい合っている、といっても、敵対的に睨み合っている訳では無かった。
 少なくとも少女に率いられた一団は、老人に率いられた一団に対して敵意を見せていない。それはおそらく、彼らの主である少女が、老人に敵対の意思を持っていないからだった。
 少女が老人を見る眼差しには、寧ろ敬意が込められていた。
 ――少なくとも、表に出ている限りでは。
「九島閣下、お目にかかれまして光栄に存じます」
 少女は老人の前に進み出ると、優雅に見える仕草で膝を折った。但し、優雅ではあっても貞淑なイメージは無かった。貞淑と評価するには、瞳に宿る光が強すぎた。
「わたくしは黒羽亜夜子と申します。四葉の末席に連なり、当主・真夜の使いを務めさせていただいているものですわ」
 下げていた頭を上げて、亜夜子はニッコリと微笑んだ。
 挑発的でありながら、引き込まれるような妖しい笑み。
 だが流石に、九島烈は動じることが無かった。
「四葉殿の代理の方か。道理でその若さにもかかわらずしっかりしている。
 私のことは知っているようだね。それとも、名乗った方が良いかな?」
 親しい(仲が良い、という意味では無い)者の前では「真夜」と呼ぶ九島だったが、公的には同列・対等な十師族の当主だ。「四葉殿」という言い方は、孫のような年齢の亜夜子を今この場で対等の、敵対者として見ていることの表明でもあった。
「いえ、その様に畏れ多いことは申しません。
 ところで閣下、余り時間的な余裕も無いことですし、一つご相談したいことがあるのですけれども」
 性急、と評すべき態度だったが、九島老人は特に不快感の類を示さなかった。
 時間が無いとまでは思っていなかったが、手早く作業を終えたいという思いは同じだったからだ。
「言ってみなさい」
「ありがとうございます」
 鷹揚に頷いた老人にもう一度、芝居がかった仕草でお辞儀をして、亜夜子は真っ直ぐに老人の目を見上げた。
「畏れながら、閣下のご意向はここに封じられたパラサイトと呼ばれる魔物を持ち帰ることにお有りかと存じますが、実を申しますとわたくしが当主より申しつかって参りました用件も封印済みのパラサイトを持ち帰ることなのです」
「ほう」
 九島の目に、老いてなお衰えぬ眼光が宿った。
 その光をまともに浴びた亜夜子が、僅かに怯んだ顔を見せたが、その表情はすぐに、強気な笑みで塗りつぶされた。
「――幸いこの場に、封印済みの器が二つ。
 ここは閣下とわたくしで一つずつ、ということで如何でしょうか?」
 亜夜子が強気な笑みを維持したまま、老人の眼光を正面から受け止め、答えを待つ。
 不意に九島が笑い出した。
 声を上げて、楽しそうに。
「いやはや……大したものだ。君は確か、まだ中学生だったはずだが」
 亜夜子は自分の年齢を九島に告げていない。彼のこの台詞は、亜夜子が名乗る前から、老人が彼女のことを調査済みだったと言外に告げている。
 しかし今度は、亜夜子に動揺した気配は無い。九島烈が自分のことを含めて四葉の手駒を調べ上げていても不思議は無い、という程度の心構えは彼女にも出来ていた。
 九島烈がこの場に出て来ることを自分が知っていたのだから、その程度のことを知られていないとすれば寧ろ不思議で不自然だった。
「よかろう。
 ここは仲良く、一つずつと行こうではないか」
「ありがとうございます、閣下」
 表情を変えず、内心で亜夜子はホッと胸を撫で下ろした。
 彼女は自分の魔法力を過大に評価していない。亜夜子は達也のように特定の魔法しか使えないという訳ではないが、深雪のように万能型という訳でもなく、寧ろ得意・不得意がハッキリ分かれるタイプの魔法師だ。そして彼女は、近距離直接戦闘の魔法が余り得意ではない。
 かつて「世界最巧」と呼ばれた魔法師と正面からやり合って、自分に勝ち目があるとは考えていなかった。
 獲物が二つ転がっていた偶然に、亜夜子は無言の感謝を捧げた。
 そして――
(達也さん、お陰様で無事に任務を達成出来そうです)
 達也が協力を受諾した事実もなければ、それ以前に協力要請すらしていないにも関わらず、亜夜子はチャッカリ、心の中でそう呟いた。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也の腕の中で、深雪は身を硬くして小さくなっていた。
 彼女がいくら懇願しても、今日に限って達也は妹を腕の中から放そうとしない。深雪は女性として特に小柄という訳ではなく、体重だってそれなりだ。いくら達也が鍛えているからといってもずっと抱えていれば重くないはずはないのだが、深雪の身体を抱き支える達也の腕は小揺るぎもしない。それどころか、凹凸の激しい山林の地面にも関わらず、深雪に揺れを感じさせないほど、丁寧に彼女を抱いていた。
 普段の行動・言動からすれば、深雪の方から積極的にスキンシップを図る方が自然に思われる、かもしれない。ところが深雪は、達也の首にしがみつくことすらせず、自分の胸の前で両手をギュッと握って羞恥に耐えているだけだった。
 沈黙が、苦しかった。
 辛い、ではなく、胸が苦しい。
 このままでは、息が止まって、心臓が破裂してしまいそうだ――他人から見れば「何を大袈裟な」と呆れるに違いなかったが、深雪本人は相当切羽詰まっていて、何か話題を、と熱に浮かされた頭で必死に考えていた。
「お兄様、リーナは」
 その結果、出て来たテーマがこれだった。
 達也はリーナを、並々ならず気に掛けている。少なくとも、ただの友人に対する気遣いの域を超えて。
 それが分かっているから、本音の部分では兄の前でリーナの話題は、余り出したくないと深雪は思っている。
 しかし今は、すぐに思いつく話題がそれ以外に無かった。
「うん?」
「リーナは……お兄様の仰ったことを、キチンと受け止めてくれるでしょうか?」
 それに今は、深雪もリーナのことが気になっていた。
「分からないな。俺に分かるはずがない。俺は彼女じゃないからな」
 達也の口調に何処か自嘲の響きが垣間見えるのは、余計なお節介だったと感じているからだろうか。
 もちろん深雪は、兄の言葉が単なるお節介ではないと知っている。(あるいは、知っている気になっている)
 深雪の目から見ても、善良で直情的なリーナは軍人に向いていない。彼女が気に掛けることではないのかもしれないが、リーナを見ていると非常に危うく感じるのだ。
「リーナにはリーナの事情があるんだろう。自分のことを自分の思い通りに出来ないのは、何も彼女に限った話じゃない」
「それでもお兄様は手を差し伸べられたんですよね……?
 何故なのですか」
「何故、とは?」
「いきなり思っても見なかった方向に話が転がりかけているのを深雪は自覚した。
 立ち止まるなら今しかない、ということも。
「お兄様は……何故リーナを助けようと為さるのですか?
 リーナに……特別な感情を持たれているからなのですか……?」
 妹の言葉を聞いて達也は目を丸くしたが、それは本当に一瞬のことだった。
「色々と誤解があるようだが……
 まずリーナだけを、って深雪は言うけど、リーナのような立場の人間と交流を持ったのはこれが初めてだ。今まで軍の人間といえば、自分よりずっと年上で、職業として軍人の道を選んだ人たちばかりだったからね。
 次に、俺がリーナに懐いている感情は、お前が思っているような種類のものじゃない。身も蓋もない言い方をすると、リーナにスターズを抜けてもらった方が、将来的に都合が良いと考えているだけだよ。出来れば軍を抜けるだけじゃなくて、コッチに移住して欲しい。日本に帰化してくれればベストだな」
 達也の言葉に、嘘は感じられなかった。
 こうして(ゼロ)の距離でお互いを感じているのだ。兄の言葉に少しでも偽りがあれば、深雪にはそれを見抜く自信があった。
「もちろん、同情していない訳じゃないぞ。
 ある意味で、俺とリーナは良く似ている。同じカテゴリーに属する、と表現した方が良いのかな。
 俺もリーナも『今の立場』に置かれるにあたり、事実上、選択肢が無かった。
 一高生になったのは、俺がもぎ取った『選択』と言えないことも無いが、リーナには多分、そんな些細な選択肢も無かったと思う。
 俺はいずれ、与えられていない選択肢を作り出し、選び取る。
 割り当てられた(ロール)を捨てて、与えられた舞台から飛び出す。
 もしリーナが同じ事を望むなら、同類の(よしみ)で力になってやろう、と思ったんだが……」
 言い淀んだ達也は、バツの悪そうな笑みを浮かべた。
「どうやら、余計なお世話だったよう、だ?」
 達也の口調の乱れには、ちゃんと、訳があった。
 今まで彼の腕の中で縮こまっていた深雪が、彼の首に腕を回して、息が詰まるほどの力でギュッと抱きついていた。
 達也は思わず、妹を抱き支えていた手を放してしまった。
 だからといってドスンと落とすような真似はせず、深雪の身体をそっと足から下ろしたのは、身体にすり込まれた無意識の技か。
 地面に足をつけても、首に回された深雪の腕は離れなかった。
「余計なお世話なんかじゃありません……お兄様のお心遣いは、いつかきっと、いいえ、遠くない未来に、リーナの心へ届くに違いありません。
 だってリーナは、この度の一件で『今の自分』に『疑い』を持ったに違いありませんもの。
 少し単純ですけど、リーナは賢い子です。お兄様とこれほど深く関わって、何の疑問も懐かないということはあり得ません」
「単純はひどいな」
 兄妹はクスッと笑い合って、仲良く並んで歩き始めた。
 ――機械でありながら、と言うべきか、機械ならでは、と言うべきか、空気を読んで(?)文字通りの置物と化していたピクシーが、黙ってその後に続いた。

◇◆◇◆◇◆◇

 兄妹のほのぼのとした空気も、これを見ては流石に変わらざるを得なかった。
 最初にパラサイトを封印した場所は、もぬけの殻だった。
 封印したパラサイト二体は、何者かに持ち去られていた。
『すみません、達也さん……目を離したつもりは無かったんですが……』
『……達也さん、申し訳ありません……』
『達也、柴田さんと光井さんを責めないで欲しい。
 二人が気を抜いた訳じゃないのは、僕が保証するよ。
 封印済みの「器」が持ち去られたのに、僕も気づかなかったんだ。
 僕の封印なのに……』
「三人とも、そんなに自分を責めるな。
 俺は全く、気にしていない」
 通信機から聞こえてきた、すっかり気落ちした声と、自己嫌悪に浸り掛けている声と、口惜しさに歯がみしそうな声に、達也は努めて明るい声で答えを返した。
『達也さん……』
 何やら感激した声が返ってきたのは、多分、誤解しているのだろう。
 達也の態度は相手を思い遣っての演技ではなく、本当に、大して気にしていないだけなのだ。
 ……流石に、呆れてはいたが。
(トンビ)に油揚げをさらわれた格好だけど、今回は相手の方が一枚上手だったというだけのことだ。
 元々捕まえた後のことはそれほど深く考えていなかったのだし、いつまでも拘っているべきことじゃない」
 達也の言葉通り、「捕まえた後でどうするか」について、彼らは具体的な計画(プラン)を立てていなかった。
 漠然と「幹比古の実家に任せれば良いか」と考えていただけであり、封印したパラサイトの利用方法など全く頭に無かった。
 そういう意味では、彼らに持って行かれた方が有効活用のような気もする。
 彼らなら、うっかりパラサイトを逃がしてしまう等という間抜けな真似もしないだろうし。
(しかし、まあ……狙っていたのかね?)
「お兄様?」
 黙り込んでしまった理由を勘違いしたのだろう。
 気遣わしげに問い掛けてくる深雪に、達也は何でも無いと手を振った。
 達也の様子から、犯人の見当は付いていると深雪は理解したようだ。多分、情報遡及の力を使って犯人を突き止めたと考えたのだろう。
 実際に「視力」も使っていた。その結果、ここで何があったのか、彼は大凡(おおよそ)のところを把握している。
 しかしそれ以前に、ここには「犯人」の片方から達也へ向けてメッセージが残されていた。彼が脱力していたのは、主にその所為だ。
 一陣の風が吹き抜け、土に還らず形を残していた枯葉を巻き上げた。
 その中に黒い羽(おそらく、鴉の羽)が混じっているのを夜目の利く達也の両眼は捉えていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也がエリカ・レオのコンビと合流した時には、修次も抜刀隊も撤収済みだった。
 彼らはお互いを労い、何があったのか互いに深く詮索すること無く、帰途についた。
 ピクシーはそのまま、学校のガレージに置いてきた。
 校内に入る為、一旦フェンスを跳び越えてから、改めて正門に回るという手間を掛けなければならなかったが、エリカもレオも「面倒臭いから帰る」とは言わなかった。
 幹比古たちと合流した四人は、七人のグループになってゾロゾロと学校を後にした。
 この時間にこの人数、校門を出る際、流石に守衛から不審げな目を向けられたが、この時間でなければ実践出来ない儀式魔法の実験、という予め用意しておいた言い訳と、女性陣のまぶしい笑顔の威光で、特に問い詰められることなく脱出に成功した。

 こうして、一つの長い夜が終わりを告げた。

 今夜の出来事が、人と、魔と、魔物が、人の世の陰で争う暗闘の歴史の新たな幕開けになったと、この時の達也にはまだ、知る由もなかった。

 いつも本作をお読みいただきありがとうございます。
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