この物語はフィクションです。
この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
剣の魔法師。
千葉家に与えられたこの二つ名は、かの家がいち早く、刀剣と魔法を併用する近接戦闘技術を確立したことに由来する。
魔法による近接戦闘技術、と言うなら別に、千葉家の専売特許ではない。
スターズが海兵隊から分離する前に編み出したマーシャル・マジック・アーツの方が、時期としては早いだろう。USNAと対抗するように、新ソ連でもコマンド・サンボと俗称される軍隊格闘術を母体とした格闘戦用魔法技術が開発された(こちらはすぐに廃れてしまったが)。インド・ペルシア連邦形成の動乱期にはデリーを中心とする北部地域で銃剣術を応用した近接武器術が生み出された。
しかし、日本以外で生まれた魔法併用型近接戦闘技術は、知られている限り全てが、銃器や「飛び道具としての魔法」を補助するものとして開発された。その主な形態は接近された状態において、銃器に匹敵する攻撃力や銃器を無害化する防御力を発揮することにある。
これに対して千葉家が体系化した「剣術」は、刀剣による白兵戦闘をメインに据える技術体系だ。自分自身に魔法を掛けて銃器の間合いから刀剣の間合いへ飛び込み、素手やナイフより攻撃力に勝る刀剣を以って静かに、速やかに敵を斃す。奇襲性と隠密性に優れたこの技術は、都市ゲリラ戦、対テロリスト作戦における日本軍、日本警察の大きなアドバンテージとなった。
剣術自体は千葉家が編み出したものではない。日本において魔法の軍事利用が研究され始めるのとほぼ同時に、刀剣術との併用というアイデアは様々な魔法師の手で試行錯誤された。千葉家はそれを、修得しやすく体系化しただけだ。
しかし、伝達しやすい形に体系化するという行為は、「技」を「技術」に昇華する。技術の普及にとって、画期的な意味を持つ。千葉家の先代当主は「現代の(上泉)信綱」と称賛され、その功績に対する敬意を以って千葉家は「剣の魔法師」と呼ばれるようになったのだ。
そうした歴史的経緯を背景に、陸軍の歩兵部隊と警察の機動隊に所属する魔法師の実に七割から八割が、一度は千葉の剣術を学ぶと言われている。
陸軍第一師団・遊撃歩兵小隊、通称「抜刀隊」。彼らは九島家の派閥に属する集団だが、同時に刀剣と近距離魔法を使った近接戦闘の部隊であり、歩兵部隊の中でも特に千葉一門の教えを受けた時間が長かった。
彼らにとって千葉家はいわば、師匠筋である。公の席に顔を出すことが無かったエリカのことは知らなくても、「千葉の麒麟児」として有名な修次のことは当然知っている。いや、知っているどころか、この分隊の指揮官からして、修次に剣の手解きを受けた経験を有していた。
従って、
「師範代……」
修次が突然姿を見せて、彼らが硬直してしまったのは、理由のある反応だったのだ。
軍の階級で言えば、まだ学生の修次より正規の士官である分隊指揮官の方が上。
だが今、この場を支配しているのは、武門の序列だ。
修次は、動きを止めた彼らの脇を通り抜け、エリカと向かい合わせに立った。
エリカが怯んだ表情を見せる。
しかしすぐに、強気な眼差しで修次を見返した。
虚勢、であっても、エリカにとって、それ以上に修次にとって、これは画期的なことだった。
エリカが修次に、剣を向けるというのは。
実際に刃を突きつけ合っている訳ではない。
二人とも、得物の切っ先は地面に向けている。
だがそれでも、気持ちの上で、修次とエリカは剣尖を向け合っていた。
この腹違いの妹には、自分に依存している部分があることを、修次は気づいていた。それも無理からぬことだ、と彼は考えていた。
誰にも寄りかからずに生きていけるほど、子供は強い生き物ではない――修次はそう思っている。
自分自身がそうだったのだ。だから少なくとも自分には、自分以外の誰かに対して「誰にも寄りかからずに大人になれ」と強いる資格はない、それが彼の考え方だった。
普通なら、親がいる。親は、子供が無条件で寄りかかって良い存在だ。
だがエリカの場合、これは当てはまらなかった。母親は弱く、父親は親の役目を最初から果たす気がなかった。
実は修次も、自分の父親が嫌いだ。彼がエリカの言う「小手先の技」にのめりこんだのは、半ば父親へのあてつけだった。何故か兄や姉は、親の義務を放棄している父親を見て、それがおかしいと思わないようだ。おかしいどころか、百家の当主として、それが当然と考えている節がある。
修次は、この腹違いの妹に、共感を覚えていたのかもしれない。だから家族の中でただ一人、彼だけが彼女に優しく接し、時に甘えさせ、時に励まし、自分に依存することを許容してきた。
だが、どうやらこの妹も、大人になる時期が来たようだ、と修次は思った。
試しに修次は、剣気を放ってみた。気当たり、と呼ばれる技法だが、高レベルの魔法師が行う場合、切られたと錯覚した相手の身体に直線状の痣が生じたり実際に皮膚が裂け血が流れたりすることもある。
修次の剣気を、エリカは自分の剣気ではね返して見せた。
逸らす、いなすではなく、正面から対抗して見せたのだ。
我知らず、修次の唇に笑みが浮かんでいた。
右手が上がった。
得物を持ち上げた、と見えた時には、エリカへ向けて刃が振り下ろされていた。
目にも留まらぬ剣速、という訳ではない。
極端に予備動作が少ない、予備動作と本動作の境目が認識できない、技による「早さ」。相手の認識の死角を衝く、虚の剣技。ただ手足を動かすだけでそれが技となる、天才の剣。
修次の斬撃を、エリカの刀が受け止めていた。
最初から寸止めにするつもりではあったが、手を抜いてはいない。その修次の技、「早さ」を、エリカは卓越した反応速度と太刀行きの「速さ」で防ぎ止めたのだ。
修次の唇に浮かんだ微笑は、今や、ハッキリとした、獰猛な笑みに変わっていた。
エリカの瞳を染める緊張の色が濃くなった。
片手で押し込まれる修次の刀を、両手で懸命に押し返す。
唐突に、圧力が消えた。
エリカは刹那も遅れず、体を引いた。
体勢を立て直すことすら必要とせず、再び対峙する兄と妹。
クルリと修次が背中を向けた。
意表をつかれて、エリカの構えに「虚」が生じる。
その隙を衝く一撃、は、やって来なかった。
「次兄上……?」
訝しむ妹には応えず、修次は抜刀隊へ、剣気を向けた。
抜刀隊から狼狽が伝わって来る。
構えを取ってはいるが、修次の見るところ、彼らの反応はエリカより鈍かった。
――彼らには、面白みが無い。
修次の顔から笑みが消えた。
「防衛大学・特殊戦技研究科所属、予備役少尉・千葉修次」
刀を前に掲げたまま、所属・階級・氏名のみの名乗りを上げる修次。(なお、在学中、しかもまだ二年生であるにも関らず予備役とはいえ少尉の階級を与えられているのは、それに見合う実績を残しているからに他ならない)
「小官は現在、テロリストの標的となった民間人護衛の任務を遂行中である。貴殿らの所属・階級・氏名と目的を伺いたい!」
掌を返したように見える修次の行動に、エリカがレオと顔を見合わせた。
「もし貴殿らが民間人に危害を加える目的で出動しているのであれば、それは民主主義に対する叛逆行為だ。
小官は断固として阻止させていただく」
十師族や百家が民主主義を掲げるのは、ある意味で詐欺の様なものだ。彼らは国民の利益よりも魔法師の利益を追求しているのだから。
修次の台詞を聞いていたエリカはそう思ったし、修次本人も、実はそう思わないでもなかった。
しかし、修次の発する気迫に、些細な揺らぎも無い。
彼が突きつけた刃によって、局面は膠着状態に移行した。
◇◆◇◆◇◆◇
達也が深雪を自分の許へ呼んだのは、妹のことが心配だったから、という訳ではない。
そういう要素が全く無い、とは言い切れないが、少なくとも意識されていた理由は、深雪の力が必要になると考えたからであり、エリカとレオの能力では対処できない事態が発生しているのを察知したからである。
そして、達也が推測したとおりの事態が生じていた。
すぐ後ろで、深雪が息を呑んでいる。
彼の前に広がる惨状に。
彼の前には、三々五々、地面に倒れ伏した遊撃歩兵小隊別働隊士卒たち。十名中八名が死体、残る二人も立つことの出来ない重傷――つまりは、全滅だ。
この戦果は、達也のものではない。
今、リーナと交戦している、パラサイトによるものだった。
「リーナ、下がれ!」
「余計なお世話よ!」
達也もただ観戦していた訳ではない。
それどころか、彼も交戦の真っ最中だった。
パラサイトに取り憑かれたUSNA軍脱走兵――その中にはスターズの構成員も含まれている――の集団に突撃するリーナ。相手の頭数は六。既に片付けた人数を計算すると、ピクシーから聞いた数よりも増えている。
たった六人と、普通の相手ならば言うことも出来ただろう。シリウスの名前は伊達ではないし、脱走魔法師の「処理」はシリウスに与えられた中心的な任務だ。
だが、リーナは苦戦していた。
彼女に襲い掛かる魔法を達也が分解し続けていなければ、あるいは、やられていたかもしれない。
リーナの最大の武器は、魔法発動の速さだ。
その圧倒的なスピードを以て、例え後出しでも、結果的に、相手に何もさせずに倒す。それがリーナの得意とするスタイル。拳銃の武装デバイスを愛用するのも、このスタイルにマッチしているからだ。
しかしパラサイトは、文字通り想うだけで、魔法を放つ。イメージすることがそのまま、魔法につながっている。起動式その他の発動媒体を必要としない点で、「超能力者」と同じ特性を持っている。
パラサイトは、長所だけでなく、短所も超能力者と似ている。それは、行使できる能力の、バリエーションの乏しさ。人間とは異なる理由で、魔物にも具現化できるイメージに制限があるのだろう。
現代魔法はバリエーションを増やすことにメリットを見出して発達してきた体系だ。超能力のスピードを犠牲にする代わり、多様性と安定性を持たせる。それが有益な変化であることは、数々の実験が証明してきた。だからこそ、この方向性で今まで突き進んで来たのだ。
但しそれは、単独あるいは少数で様々な状況に対応出来るという形の有益性であり、限定された対応に集中すれば良い場合、例えば目視した敵を斃す、というようなケースではやはり、スピードが大きな意味を持つ。
CADは正しく、速度と多様性を両立させるためのツールとして開発された。しかしそのCADの中に、特化型という多様性を犠牲にして速度を優先したカテゴリーが生じていることだけを見ても、スピードの優位がどれほど大きなものであるかが分かる。
ただでさえスピードに優れているパラサイトが、先程の三体に対して、今度は六体。
単純に二倍、とは言えない。
ランチェスターの第二法則によれば、有視界(認識可能領域内)の砲撃・射撃戦闘において戦力比は兵数(兵器数、戦闘力単位数)の二乗に比例する。仮にこの法則が魔法戦闘にも適用されるとすれば、単位時間当たりの魔法発動可能数一対三の場合の戦力比は一対九でその差が八、魔法発動可能数二対六の場合は戦力比四対三十六で、その差は三十二。
それだけの手数の差が生じることになる。
達也やリーナが多数を相手に出来るのは、人数差を単位時間当たりの魔法発動可能数で覆すことが出来るからだ。
この点で優位に立てない今の状況では、達也もリーナも防御を優先せざるを得なかった。特に達也は、自分と、リーナに向けて放たれた魔法を分解することだけで完全に手が塞がっていた。
深雪を呼び寄せたのは、この状況を前以て推測したからだった。
「深雪!」
「はい、お兄様!」
二人が交わした言葉は、たった、それだけ。
ただ名前を呼ばれただけで、深雪は兄が自分に求めるものを、完全に理解していた。
深雪の身体から、正確に言えば深雪の身体が存在する座標から、高圧の事象干渉力が放たれた。
広域干渉。
事象改変の結果を定義せず、ただ干渉力のみを一定領域に作用させる対抗魔法。
事象を改変させない魔法。
ランチェスターの法則は点在する標的に対する攻撃力を定量化できる場合に成立する経験則である。
同じ尺度で測ることが出来ない圧倒的な面制圧力に対して、適用することは出来ない。
深雪の広域干渉は、この場に魔法の空白地帯を作り出した。
達也とリーナが、細く高密度に絞り込んだ魔法を構成する。
彼らは深雪の広域干渉に対抗するだけの干渉力を持っている。
深雪の広域干渉下で深雪に対して直接攻撃を仕掛けるのはこの二人にも難しいが、そうでなければ、数や速度で著しい低減効果を受けるとしても、魔法を発動すること自体は可能だ。
しかしパラサイトには、二人に、否、達也、深雪、リーナの三人に匹敵する事象干渉力は、無かった。
達也とリーナが続け様に魔法を発動した。
達也の魔法の半分は、パラサイトの宿主を殺してしまおうとするリーナの魔法を妨げる為のものだった。
その結果、
三体のパラサイトがリーナに貫かれて絶命し、
三体のパラサイトが、達也の魔法に貫かれた後、自爆した。
◇◆◇◆◇◆◇
修次と抜刀隊の対峙は、少し離れたところで生じた、サイオン波の爆発的な放出により断ち切られた。
『エリカ、レオ、気をつけて!』
『そっちにパラサイトの本体が!』
早口でもつれ気味の、焦りを顕わにした声が通信機から飛び出した。
幹比古と、美月の声だ。
警告としては不完全。
「次兄上! パラサイトの本体がこちらへ向かっているようです!」
だが二人が何を言いたいのか、エリカは正確に推理した。
そのエリカの台詞に、より強い警戒を示したのは、抜刀隊の方だった。
考えてみれば修次は、パラサイトについて詳しい説明を受けていない可能性が高い。
ヤツラの脅威を何と説明すれば良いか、エリカは迷い、焦った。
その時、
『ほのか、ピクシーをフォローしてくれ』
グループ通信モードに設定していた音声通信ユニットから、達也の声が流れ出た。
その直後のことだった。
ピクシーが、サイオン波の放出があった方角、深雪が駆けて行った方向、達也がいるであろう方へ向けて走り出した。
◇◆◇◆◇◆◇
『ほのか、ピクシーをフォローしてくれ』
「分かりました!」
受信機から舞い込んできた達也の指示に、ほのかは間髪を入れず頷いた。
了解の応答を返してから、フォローといっても一体何をすれば良いのか分からないことに気がついた。
実にほのからしい話であるが、それに続く対応がまた、彼女らしかった。
フォローするにも、とにかく相手の状況を確認しなければ、と光学魔法で視線の通り道をピクシーの所まで通したのである。
案ずるより産むが易し。
怪我の功名。
言い方は色々あるにしても、その選択が偶々、ほのかからピクシーへ通じるサイオンの回路を開いた。
◇◆◇◆◇◆◇
情報部の監獄で、リーナに殺されたもの、二体。
今日の戦闘中、リーナに殺されたもの、四体。
自爆したもの、三体。
それが宿主を失い、今、この場に集ったパラサイトの数。
本体を剥き出しにして、ピクシーに引かれ集まった、妖魔の数だ。
彼らは同じ異世界から招かれたプシオン情報体。
一つの願望によって招かれた、一つの「意識」。
その本体が剥き出しとなったことによって、彼らは一つの存在に戻ろうとしていた。
九体のパラサイトは、既に合体を果たしている。
一つの意識でありながら九つの意志を持つ、不定形の情報体。
一本の幹から九つに枝分かれしたようなその構造は、プシオンを「見る」ことが出来る「目」の持ち主ならば、この国において最も有名な大妖より更に一つ多くの首を持つ、彼の大蛇の同族に見えたかもしれない。
そして、ソレは、また一つ、己の欠片を取り込もうとしていた。
九つの鎌首を広げて、ピクシーを喰らおうとする「大蛇」。
ピクシーは「意志」の防壁を以て、その圧力に耐えていた。
その意志は、今の「彼女」を決定づけた、彼女の「母」とも呼べる人間から分け与えられたもの。
今もサイオンの回路を通じて、サイオンに混じって、「母」から流れ込んでくるもの。
自分は「ソレ」の一部ではないという意志。
自分は自分だけのものではないという意志。
自分は「彼」のものであるという意志。
一個人から派生する意志など、普通なら、「ソレ」に対抗出来るはずも無かった。
だがピクシーの「母」は、ほのかは、普通では無かった。
彼女は「エレメンツ」の末裔。「光」のエレメンツの血を受け継ぐ者。
エレメンツは、数字付きの開発が始まる前に、この国で最初に作られようとした魔法師だ。当時はまだ四系統八種の分類・体系化が確立しておらず、伝統的な属性、「地」「水」「火」「風」「光」「雷」といった分類に基づくアプローチが有効だと考えられていた時期だった。エレメンツの開発も、このコンセプトに従って進められた。
しかし、四系統八種の体系が確立することにより、伝統的な属性に基づく魔法師の開発は非効率と見做されるようになり、エレメンツの開発は中止された。
それだけなら、魔法師開発の公にされない歴史の中で、よく有るエピソードの一つと言える。
だが、エレメンツの場合、魔法の才能以外にも、先天的に与えられた――与えられようとしたものがあった。
魔法師開発研究の最初期。魔法に対する権力者の怖れが迷信的なほどに強かった時代。
エレメンツ開発を決定した権力者たちは、作り上げられた「魔法使い」や「魔女」が、自分たちに決して牙を剥かない保証を求めた。
主に対する絶対服従の因子を、遺伝子に組み込むことを科学者に命じたのだ。
性格は遺伝するのか?
それは、今尚答えが出ない、遺伝学者と心理学者を悩ませているテーマだ。
一卵性双生児でも、全く異なる性格に育つ。この事実を前にすれば「性格は遺伝しない」という結論に飛びつきたくなる。
しかし一方で、親と子、祖父母と孫、曾祖父母、曾孫、そうした縦の血縁で見たならば、単に「環境によるもの」では片付けられない類似性が表れる傾向も、確かに否定できない。
遺伝子工学者は権力者に与えられた課題に沿って、出来る限りの措置を施した。
その結果(と言い切って良いのかどうか)、「エレメンツの末裔」には高い確率で、ある性向が見られる。
それは、依存癖。
誰か特定の人間、多くの場合、異性を定めて、その人間に徹底的に依存する傾向が大きな割合で共通して観測されるのだ。
彼らエレメンツの末裔は、それが遺伝子に刻まれた自らの宿命と考えている。
もしかしたら、そういう言い訳で、他者に依存する自分を許しているのかもしれない。
しかし彼ら、彼女たちの「依存」は、世間一般に見られる「弱い」感情では無い。
彼らの「依存心」には、もっと適切な別の言葉が有る、と主張した学者もいる。
即ち、「忠誠心」。
揺るぎなき「自分は彼のものである」という意志。
それは、合体し相乗された妖魔の意志を押し返す程、強固なものだった。
◇◆◇◆◇◆◇
達也がパラサイトと交戦していた地点と、エリカが修次と対峙した地点。
ピクシーが「ソレ」と戦っていたのは、ソレの攻撃に耐えていたのは、ちょうどその中間地点だった。
その地点に到達した達也は、鎌首をもたげて次々とピクシーに食らいつこうとする九頭竜の姿を見た。
彼にプシオン情報体の構造は解らない。
だが、そこに「ある」ということは解る。存在していることは「視」える。
九つのプシオン情報体が根元で一つにつながり、九に分岐したインターフェイスでピクシーを取り込もうとしているその状態が、九頭竜のイメージと合致したのだ。
「なにアレ!?」
何故か達也に着いてきたリーナが、驚きの声を上げた。
「見えるのか?」
「見えてる……訳じゃ無いけど、何となく分かる。あの人形に巨大な『力』が、圧し掛かってる。
タツヤ、あれは一体、なに?」
「貴女がお兄様の言うことを聞かなかった結果よ」
リーナに答えたのは、達也では無く、深雪だった。
素っ気なく、かつ氷点下の声に、反発を覚えたリーナも、取り敢えず沈黙を守った。
「お兄様が殺すなと仰ったのに、貴女が考え無しにパラサイトの宿主を殺しまくったから、本体が自由になって暴れているのよ。
リーナ、貴女、この不始末にどう決着をつけるつもりなの?」
だが今度は流石に、黙っていられなかった。
「不始末って何よ! ワタシは自分の任務を果たしただけだわ!」
「だったら最後の後始末まで自分でやりなさい。
貴女にそれが出来るの?
お兄様でさえ、封印という消極的な手段を執らざるを得なかったのに」
先程の戦闘以来、この二人の美少女の間には、険悪そのものの空気が流れていた。
そこに、この売り言葉である。
「やるわよ! 見てなさい!」
リーナは思い切り、高値でこの難題を買い取った。
「おい、リーナ」
いくら何でも止めざるを得ない。対抗法の確立していない相手に、ただ突っ込んでいくのは無謀すぎる。
達也はそう考えて、宥めるように声を掛けたのだが。
「うるさい! タツヤは黙ってて!」
とりつく島も無かった。
「ワタシはこの任務を成功させなきゃならないのよ! そうでなきゃ、ワタシは何でこんなトコにいるのよ!」
リーナの癇癪は、達也だけに向けられたものでは無かった。この叫びを聞いて、達也にもそれが分かった。
こんなトコ、というのは、場所だけを指しているのでは無い。
寧ろ、今の状況、今の立場、彼女が「アンジェリーナ・シールズ」ではなく「アンジー・シリウス」として今ここに在ること。
それを指しているのだ。
彼女の抱える重荷が垣間見えて、達也は次の言葉を躊躇した。
その隙に、リーナが、自分の持つありったけの魔法を放った。
次々と撃ち出されては空振りに終わる、数多の魔法。
それも当然のことだ。
リーナの魔法は、物理的な事象を改変するものであり、精神体に働きかける魔法を彼女は有していないのだから。
ソレの意識が、リーナへ向いた。
九つの頭が、リーナの方へ向きを変えたように、達也には「視えた」。
途端に襲い掛かる、魔法の嵐。
それを撃ち落とすのに、達也は全力を振り絞らねばならなかった。
第一高校で情報体と化したパラサイトと戦った時は、一人の人間に憑依していた一個体だけが相手だった。
それで、あれ程、苦労した。
それが今回は、九人分。
これでは遠当てを練る隙もない。
いや、それどころか今現在、彼一人で「ソレ」の猛攻を凌ぎ切れている訳ではないのだ。
彼の後ろでは、深雪が「ソレ」の存在するであろうエリアを中心とする球体状の広域干渉フィールドを支え続けている。
だが深雪は、プシオン情報体を感知する「触覚」は持っていても、それを俯瞰する「視覚」を持たない。その為どうしても、領域の指定が甘くなってしまっている。かと言ってこの場の全てを覆うフィールドを形成すれば、達也の術式解散まで妨害してしまうことになる。
ギリギリのせめぎ合いが続いているこの状況で、味方の戦力を少しでも殺ぐ虞のあるオペレーションは、リスクが高すぎた。
ブルゾンの背中をギュッと握る感触。
深雪も不安を覚えているのだろう。
宿主を失ったパラサイトは魔法を「消費」することによって力を失っていくと分かっていても、一体あとどの位の時間を持ち堪えれば良いのか分からない状況というのは、著しく精神力を消耗するものだ。
このままでは深雪やリーナの方が「ソレ」よりも先に参ってしまうかもしれない。
さっきの無茶の所為で、既にリーナは情報強化の殻の中に閉じ籠もることしか出来ない、という状態になっている。
やはり、こちらから有効な攻撃が出来ないというのは、大き過ぎるハンデだ。
物理的な事象に干渉する魔法は通用しない。
物理攻撃は論外だ。
可能性があるとすれば、精神に作用する魔法――
(――もう、これしかない)
達也はギリッと奥歯を噛み締めて、賭に出る覚悟を決めた。
「幹比古、こちらの状況は見えているか?」
『分かってる。今、大急ぎで封陣を組み立てているところだから、もう少しだけ待って』
音声通信ユニットから聞こえて来る声は、達也以上に焦りの色が濃かった。
「その封陣でコレを抑えられる可能性はどの程度だ?」
返答は、短い沈黙。
『……正直言って、五割も無いと思う』
そして、苦渋の滲む告白。
この回答を聞いても、達也は幹比古のことを非力だとは思わなかった。安請け合い出来る相手でないことは、こうして直接対峙している達也の方が良く分かっているはずだった。
「幹比古、一時的なもので良い。十秒だけ、コレを抑えられないか?」
達也が初めて示す懇願に、幹比古だけでなく、この通信を聞いていた全員が息を呑んだ。
何の裏付けも無く、ただ「やってくれ」と頼む。(悪い意味での)他力本願と言えるだろう。
しかしこれは、相手に対する信頼が無いと出来ないことだ。
『……分かった』
少なくとも、幹比古はそう感じた。
『十秒だけ、何があってもソレを抑えてみせる。合図するから、達也は自分の思い通りにやって欲しい』
何か策があって、その為に十秒の時間が必要なのだと。
その時間を確保する為に、自分の力が必要なのだと。
『達也さん、私も協力します!』
ほのかの力強い声が、幹比古の台詞の後に続いた。
張り合っているのではない。ただ、力になりたいと、その一心で。
「分かった。じゃあ幹比古、合図を頼む」
『OK……三、二、一、今だ!』
自らの掛け声と同時に、幹比古の対妖魔術式・迦楼羅炎が放たれた。
ソレ――九頭竜と化したパラサイトの統合体に、「炎」の独立情報体がうねりながら巻き付く。それはあたかも、二匹の龍蛇が互いを喰らい合う姿のようだった。
その下から、ピクシーが思念で「ソレ」を押し戻そうと力を加える。ピクシーの保有するサイオンは、消費するのと同じ速度で補充されている。ほのかはピクシーに対するサイオン供給のコツを完全に掴んだようだ。
無論、達也はそれを黙って見ていた訳ではない。
達也は幹比古の合図と同時に、CADを握っていない左腕を背後に回した。
その腕で、
深雪の腰を、
強引に、抱き寄せる。
「!」
声にならない悲鳴。いや、それはもしかしたら、歓喜の声だったかもしれない。
その瞬間、深雪の広域干渉も達也の術式解散も途絶えたが、幹比古とほのかは、達也に約束したとおり「ソレ」を抑え込んでいる。
達也の腕に抱え込まれた深雪は、驚愕のあまり表情を失った顔で、達也を見上げている。
爪先立ちになり至近距離で自分を見上げる妹の顔へ、達也は更に、近づいた。
額と額を合わせ、
視線と視線を融け合わせ、
鼻と鼻が触れ合う距離で、唇と唇が触れ合わんばかりの距離で、
「深雪、“視”ろ!」
達也は、深雪に、力強く、囁いた。
達也から深雪へ、不可視の光が流れ込む。
深雪から達也へ、不可視の光が流れ込む。
二人の間を、二人のオーラが循環する。
「“視”えます、お兄様!」
それはもしかしたら、唇から紡がれた言葉ではなく、心で語られた言葉だったのかもしれない。
二人のコミュニケーションは、一瞬のものだった。
与えられた十秒という時間は、まだ半分が残っていた。
達也の左手は、深雪の頭を自分の胸に抱え込んでいた。
深雪の両手は、達也の胸に添えられていた。
達也の右手が、「ソレ」を指し示していた。
深雪の意識に、「ソレ」の姿が映し出されていた。
達也の、情報体を「視る」力。
深雪は達也の「眼」を通じて「ソレ」を視認し、
封を解かれた、彼女本来の魔法を放つ。
系統外・精神干渉魔法「コキュートス」
精神を、凍りつかせる魔法
精神そのものに作用する深雪の魔法は、プシオン情報体を凍りつかせ――
――器を持たぬ「ソレ」は、粉々に砕けて虚空に散った。
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