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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第六章・魔人暗闘編
6-(14) 人と魔と魔物の宴
 海の向こうからもたらされた情報を、全面的に信用したわけではなかった。
 レイモンド・クラークという少年が雫の留学先に在学していることは裏付け調査済みだ。学校(ハイスクール)のサーバーに保存されていた写真の顔は、あのビデオメールのキャスターの人相と同じだった。
 だがそれだけでは、レイモンド・クラークが真実を語っていた保証にはならない。
 匿名の情報が常にデマとは言えないのと同じで、実名の情報が常に信用できるとは限らないのだ。
 しかし達也は、こうして指定された場所――第一高校野外演習場へ足を運んでいる。
 それは、他に有力な手掛かりがないからだった。
 向こうから出て来るのを待つ、あるいは偶然に期待する、それ以外に手立てのない現状では、偽情報(ガセネタ)に振り回されて一日を無駄にしても、大して違いはなかった。
 高校としては異例に広い敷地の背後に広がる人工森林。いや、正確に言えばそこも第一高校の敷地内なのだが、自然の山林と見分けがつかないそのフィールドが学校の一部であるとは、知識として判っていても実感するのは難しい。輪郭すら定かでない夜更けとなれば、尚更に。
 時刻はまだ午後七時を回ったばかりだ。
 夜更け、という表現は、本来当たらないかもしれない。
 しかし、灯火が暗闇を圧倒する都心部と異なり、街灯一つ無い本物の闇に沈む夜の森に、宵の口といった類の形容は相応しくなかった。
 間違って部外者が入り込まないよう、演習場の周りは高いフェンスで囲まれている。魔法を撃ち合っている最中に一般人(魔法を使えない市民という意味)が迷い込みでもしたら、どんな惨事にならないとも限らないからだ。
 もっとも、フェンスなど無くても町の住人が演習場に入り込む心配はほとんど要らない。ここが第一高校の実習フィールドということは、少なくともこの近辺に暮らす者なら誰でも知っている。
 そもそもこの地域に魔法科高校と無関係の民家は無い。ここに第一高校が建てられた時、政府が強制しなくても、魔法と無関係の市民、魔法が使えず、魔法と関わり合いになりたくない市民は、相応の補償金と引き替えに自ら居を移した。この地域に残った人々は、魔法科高校の野外演習場に足を踏み入れることの危険性をよく弁えている。
 特に警備システムの類が無いのは、そういう背景があってのことだ。演習場といっても単なる人工森林だから盗まれる物も無いし、コストを掛けて侵入者を防ぐ必要が無いのだった。
「跳べるか?」
 達也は高さ約三メートルのフェンスを見上げながら、同行者に声を掛けた。入口は第一高校の裏門から続く直通の通路にあるだけだから、中に入る為にはフェンスを越えなければならない。
「もちろんです、お兄様」
「あたしも大丈夫」
「この程度なら問題ないぜ」
 達也の問いに対し、深雪、エリカ、レオの順に答えが返って来た。
『可能です』
 そして最後に、この問い掛けをした本来の相手、ピクシーからの念話が届く。
 今夜の同行者は、この三人と一体だった。
 ――達也の予定では、深雪を連れてくるつもりはなかった。エリカにも、これまでの経緯があるので取り敢えず話をしておくだけのつもりだった。
 しかし、今夜のことを知られた時点で、大人しく待たせておくのは無理であろう事も分かっていた。
 出掛けに深雪が当然のような顔でついてきた時も、エリカが自分から待ち合わせ時間を指定してきた時も、達也は特に抵抗しなかった。徒労に終わると分かっている抵抗は、時間の無駄でしかないからだ。
 改めて意識を演習場へ向けると、森の空気がざわめいている気がした。
 どうやら他の役者は、既に舞台へ上がっているようだ。
 達也はCADを操作したフリをしながら――この期に及んで、彼は守秘義務を忘れていなかった――記憶の中から「跳躍」の術式を呼び出し、先頭を切ってフェンスを跳び越えた。

◇◆◇◆◇◆◇

 広い人工の森林を、四人と一体は一塊になって進む。散開して標的を探す方法は採らなかった。
 この広さ、この暗さの中に、たったの四人では別々に探し回っても各個撃破のリスクを高めるだけで、メリットは見込めない。
 それに、わざわざ探しに行かなくても、向こうから寄って来るのは青山で実証済みだ。今回は向こうが用心して出て来ない、という可能性も無いわけではないが、それは考えても仕方のないことだった。これでパラサイトが見つからなければ、明日からまた地道な捜索に戻るだけだ。
 それに、ヤツらは出て来るだろう、という予感が達也にはあった。
 予知ではない。
 合理的な推理でもない。
 根拠は無いに等しかったが、一種の確信を持って達也は木々の間を突き進む。
 ハンドライトの明かりは地面のごく一部を照らしているだけだったが、木の根や枯れ枝に足を取られる者はいなかった。
 新しい足跡が残されていないかどうか、目を凝らしながら、日中と変わらぬペースで奥へ奥へと進むこと、およそ十五分。
『達也さん、止まってください』
 片耳にはめたフリーハンドの通信機から、美月の声が聞こえた。
 会議モードの通信は、全員の受話器に届いている。
『現在の進行方向正面から右手三十度の方向に、パラサイトのオーラ光が見えます』
 美月は達也たちに同行する代わりに、野外演習場を見渡すことができる屋上から、その「目」で四人をナビゲートしている。
『私も確認しました! 男性二人、女性一人の三人組です』
 美月が捉えたオーラの光を参考にして、ほのかの魔法が映像を撮り込む。光学魔法により取得した映像は、昼間に至近距離から撮影したものと同等の鮮明な姿をカメラのレンズに送り込み、無線を通じて達也たちの情報端末へ届けた。
 美月とほのか、魔法師としても特異なタレントを有するこの二人がいなければ、実現不可能だった索敵スキームだ。
 その有用性が今夜のミッションに不可欠だと判断したからこそ、貴重な戦力である幹比古を二人の側に護衛として貼り付けてある。幹比古自身も、この配役に不満は述べなかった。これが重要な役目だと理解していたし、自分が適役だと納得もしていたからだ。
『あっ! 達也さんたちの反対側から、パラサイトに仮面の女の子が近づいています』
 再び、ほのかから報告が入る。
 パラサイトのオーラ光が活性化したのは、どうやらリーナを迎え撃つ為だったようだ。
 達也は手振りで移動を指示した。
 深雪、エリカ、レオ、そしてピクシーが頷く。
 次の瞬間、達也は森を吹き抜ける疾風(かぜ)となった。
 彼のすぐ後ろにエリカが続き、レオは左右に目を配りながら、深雪、ピクシーと速さを合わせて走り出した。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也たちのグループ、パラサイトの一団、そしてリーナとそのバックアップチーム。
 今、この場に集っているのはこの三つの勢力だと、達也もリーナも考えていた。
 国防軍の中にパラサイトの捕獲を目論む集団があることを達也は知っていたが、それは七草家の影響下にあるグループだと認識していた。真由美を通じた警告、間違いなく動いているであろう四葉家の牽制、そして“アンジー・シリウス”にから受けた大きな打撃によって、彼らの意図は挫かれたと達也は判断していた。少なくとも昨日の今日で手を出してくる余裕は無いと考えていたのである。
 ところが、実際には。
 樹木と下生えの作り出す陰を伝い、達也とリーナ、それぞれから見て側面より接近する一団があった。
 全員が近接戦闘を得意とする魔法師で構成された国防陸軍第一師団所属の遊撃歩兵小隊、通称「抜刀隊」。その名のとおり、銃器を使わない、刀剣型デバイスによる奇襲攻撃を専らとする部隊だった。
 今回彼らが動員されているのは東京が第一師団の管轄だということ、任務の性質上から隠密行動が要求されるということ、この二点に加えて、彼らが九島家の影響下にある部隊だという事情がある。いや、寧ろ最後の事情が最大の理由かもしれない。
 達也は千里眼ではない。
 自分の知らないことは計算に入れようが無く、結果的に答えを間違えることも当然ある。
 九島老人がパラサイトの兵器的価値に興味を持ち、僅か三日で手勢を送り込んでくるなど、達也が知る由もないことだった。
 そして更に、もう一つ。あるいは、もう一人と言うべきだろうか。
 単身、抜刀隊を追跡する人影があった。
 今、第一高校野外演習場では、五つの勢力が不可避の衝突を待っていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 スターズ総隊長として、“シリウス”の任務だけは果たす。
 今、リーナを支えているのは、この矜持だけだった。
 日本に来るまで、彼女も、挫折を全く知らなかった訳ではない。
 ペンタゴンが運営する年少者士官向けの教育プログラムでは、代数と生物学で結局Cまでしか取れなかった。
 格闘術訓練では、同じグループの中に、どうしても勝てない化け物じみた身体能力を持つ同い年の少女兵がいた。
 乗用機械の操縦訓練は、ハッキリ言って苦手だった。
 だが、魔法では、負けたことが無かった。
 スターズ総隊長、アンジー・シリウス。
 世界最強の魔法師の一人。
 皆が彼女のことをそう褒め称え、自分でも魔法技能に絶対の自信を持っていた。
 ところが、この日本において。
 彼女は、あの兄妹に、負けた。
 初戦は、彼女のペースだった。
 撤退は予定の行動で、寧ろ「まんまと逃げ(おお)せた」格好だ。
 二戦目は達也の「カミカゼ」の前に組み伏せられた形となったものの、最終的には思い掛けない伏兵に敗れたのであって、作戦上は負けていても魔法で負けた訳ではなかった。
 だが、それに続く深雪との一騎打ちは、彼女の敗北だった。
 不利な条件だったとはいえ、それを言い訳に出来るとはリーナ自身が思っていない。
 正面から戦って、深雪に負けた。
 その敗北は、リーナに一層の闘志をもたらした。
 敗北に心折れることなく、自分に雪辱を誓った。
 だが、
 雪辱を期したあの一戦で、
 リーナは、達也に、完敗した。
 一対一の状況に引きずり込んで、戦術魔法兵器「ブリオナック」まで使用して、それで、敗れた。
 達也に対して、口惜しさはあっても、恨みや憎しみは無い。
 達也はリーナを辱めるどころか、拘束することすらしなかったのだ。
 あの戦い自体も、フェアなものだった。いや、彼女の方が有利な条件だった。
 達也は魔法技能と、それ以上に精神力で、自分を上回っていた……リーナはそう、納得している。
 しかしあの敗北は、間違いなく、彼女の存在意義を揺るがすものでもあった。
 世界最強の実戦魔法師、シリウス。
 それはスターズが「世界最強」を名乗る上で不可欠の看板だ。
 それ故にスターズの総隊長は年齢・性別を問わずUSNA最強の魔法師が選ばれる。その魔法師が軍に属していなかった場合、謀略を用いてでも軍に引きずり込んで、スターズ総隊長“シリウス”の地位に据える。
 今回の敗北が外部に漏れる可能性は、ほとんど無い。
 そもそも、達也と深雪と、その背後にいる者が、それを忌避している。
 あの戦いの当事者であった誰もが、シリウスの看板に傷をつけることを望んでいない。
 しかし、第三者に知られることはなくとも、負けたという事実は、厳然として、ある。
 その失点を挽回する為、リーナは、シリウスの職務を果たす能力を実証しなければならないのだった。
 彼女がシリウスであり続ける為に。
 彼女がシリウスとなった時、代わりにいなくなってしまった少女、失われた可能性の中の自分、アンジェリーナ=シールズの為に。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也が現場を肉眼に捉えた時、深紅の髪に黄金の瞳、仮面を被ったリーナが、一人でパラサイト三体を相手にしていた。
 起動式を必要とせず、念じるだけで攻撃の魔法を繰り出すパラサイトに対し、リーナは一歩も引いていない。
 攻守の割合はリーナが七、パラサイトが三といったところか。
 ただパラサイトの内の一体が厄介な能力を持っていて、その所為で止めが刺せずにいるようだ。
 その能力は、擬似瞬間移動。
 魔法の種類で言えば、慣性中和と高速移動の複合術式。
 その機動力と人工林の木立ちを使い、三次元的に移動しては出現先から銃撃や魔法を浴びせる。攻撃に使われる魔法は干渉力の低いものであり、リーナの魔法力を以てすれば脅威となるものではなかったが、だからといって無防備で敵の攻撃を浴びるわけにも行かず、防御魔法を展開する都度、他の敵に対する攻撃が途切れてしまう、という展開が続いている――状況を一瞥して、達也はそう判断した。
 リーナの助太刀をするつもりは無かったが、達也は足を止めて、擬似瞬間移動を使うパラサイトに「分解」の照準を合わせた。
 多くの魔法師は、五感で魔法の狙いをつける。
 五感外の知覚を利用する場合でも、狙うのは対象の座標だ。
 それが、普通。
 だが達也は、対象の情報そのものを照準することが出来る。
 座標の情報が目まぐるしく変化しても、その値自体が認識出来ていれば照準を固定する障害とはならない。
 擬似瞬間移動は達也にとって、めくらましとはならないのだ。
「任せて!」
 しかしそれは、達也だけの話ではなかった。
 足を止めた達也に追いついたエリカが、そのまま達也を追い越して、慣性制御を発動した。
 擬似瞬間移動が脅威となるのは、相対する者の手が、足が、そして何より目が追いつかないからだ。
 故に、相手のスピードが術者のスピードを上回っていたなら、擬似瞬間移動による三次元機動は無駄な曲芸にしかならない。
 エリカは五十里家に作ってもらい達也に調整させた(調整してもらった、ではない)『大蛇丸』のダウンサイジング版武装一体型CAD『ミズチ丸』を携え、一直線に加速する。
 その行く先は、幹と枝を蹴ったパラサイトがまさに着地しようとしている地点だった。
 類稀な動体視力、慣性中和術式下でも体勢を崩さないボディコントロール、不要に身体を浮かせることなく地面を掴んで前に進む足捌き、そして相手が着地する瞬間をピンポイントに捉える洞察力。
 魔法の力はパラサイトの方が上だろう。
 だがエリカの、武芸者としての実力が、その差を覆していた。
 エリカがミズチ丸を一閃する。
 研ぎ澄まされた刃は一切の躊躇無く、パラサイトの胴を薙いだ。
 達也は部分分解術式の照準を変更してエリカに念動をぶつけようとしていたパラサイトの四肢を撃ち抜き地を這わせ、エリカが返す刀でとどめを刺したパラサイトの宿主、その亡骸へ向けて左手を突き出した。
 パラサイトが宿主から抜け出すのを妨げる結界を、幹比古が張っている。校舎の屋上に築いた簡易式の祭壇の中から。
 幹比古を屋上に残してきたのは、美月とほのかの護衛の為だけでなく、遠隔の結界術式を使えるからだった。
 とはいえ、結界の効果は完全なものではない。幹比古の技量の問題ではなく、術式の性質の問題だ。結界とは本来、こんな風に即席で構築する術式ではない。エリカがパラサイトを殺してしまった以上、そちらを先に処理しなければならなかった。
 達也の掌からサイオンの塊そのものが撃ち出され、パラサイトの本体からサイオンを剥ぎ取る。いや、イメージ的には「剥ぎ取る」というより「吹き散らす」という方が近いだろう。
 前回の戦闘結果を達也、深雪、幹比古の三人で検証して(他のメンバーには尻込みされた)、達也たちはパラサイトがプシオン情報体を核としその外側に繊維状の(もちろん比喩的なイメージだ)サイオン情報体をプシオン核と絡めるように纏い、魔法を行使する際にサイオンを消費しているという仮説に至った。
 本体のプシオン情報体そのものを破壊するのは、達也の能力では難しい。それは二度の対戦で実証済みだ。
 しかし同時に、弱らせることは出来る、という手応えがあった。
 そして幹比古は、そのままの状態のパラサイトを自分の力で封じるのは難しいが、弱って魔法的な抵抗力を失った状態であれば自分にも封印が可能だと請け合った。
「幹比古!」
 受信機とセットになったフリーハンドの送話機に向かって達也が呼び掛ける。
 本来これは、必要の無い行為だった。ほのかの光学魔法と美月の「目」で、幹比古はこの場の状況を掴んでいるのだから。まあ、気分の問題だ。
 幹比古がこの場を「見て」いた証拠に、
 天から細い雷光が落ちて来たのは、達也が呼びかけたのとほとんど同時だった。
 雷光は宿主の亡骸を撃ち、その皮膚を黒く焦がす。肌に残された焼け跡は規則性のある模様――幾何学模様と文字を刻んでいた。
「一丁上がりね!」
 エリカが快哉を叫ぶ。達也の視力にも、宿主から情報体が抜け出す光景は映らなかった。
 だが、エリカに同調している余裕は、達也には無かった。
 自分が四肢の自由を奪ったパラサイトに遠当てを撃ち込む。
 生体反応を残している宿主の身体が激しく跳ね回る。
 再び天より落ちる、封印の(いかずち)
 視界の端で、異なる電光がスパークした。
 リーナの魔法により黒焦げになったパラサイトの宿主。
 こちらは既に、抜け殻だった。
「一匹逃げた。美月、分かるか?」
『すみません、ここからだと、一つ一つの動きは……』
 反射的に、通信機へ問い掛けてみるも、返って来たのは申し訳なさそうな声。
 それも少し考えれば当然のことで、美月は五感の視覚を拡張する形で見えないものを見ているのであって、遠くのものを拡大して見ることが出来るわけではないのだ。
「そうか。いや、無理を言った。気にするな」
 美月にそうフォローを入れて、達也は苦い顔をリーナと、エリカに向けた。
「アンジー・シリウス」
 仮面の向こう側に動揺が見えたのは、達也の錯覚ではあるまい。
「何だ」
 だが一応、会話をする気はあるようだ。声が変わっているのは、これも『パレード』の効果か。
「封印が済むまで、殺さないでくれないか。後始末が面倒臭い」
 短く、絶句する気配。達也が偽悪趣味で「面倒臭い」と言っているのではなく、人の――元、人であったものの生死を、本心から「面倒」程度にしか思っていないことが直感で分かったのだろう。
 それでもリーナの答えに変わりは無かったが。
「ワタシには関係ない。ワタシは脱走兵を処理するだけだ」
 口調も意識して変えているようだが、イントネーションで丸分かりだぞ、と達也は思った。
 無論、口にしたのは別のことだ。
「シリウスの任務か……だからそれは、パラサイトの本体を封印してからにしてもらいたいんだが。
 現に、一匹、逃げられた」
「重ねて言うが、パラサイトなどワタシには関係ない」
 そう言い捨てて、リーナは森の中に姿を消した。
 肩をすくめたくなる気持ちを抑えて、達也はエリカに向き直る。
「出て来たね、シリウス」
 エリカからいきなりジャブが飛んで来た。
 あの時の事を根に持っている、訳ではないのは、ニンマリとした笑顔で分かったので、達也も苦笑いで応じた。
 笑顔を得意げなものに変えた後、笑みを消し、
「あれ……リーナでしょ? まるっきり別人に見えるけど」
 エリカは真顔で、そう訊ねた。
「丸きり別人なのに何故そう思うんだ?」
「仕草、かな。手足の運びや首の振り方、目付けなんかで大体分かるよ」
「流石だな……」
 エリカの観察力に、達也は舌を巻かずにいられなかった。
 顔の形から体格まで見た目を変える『パレード』の偽装を、そんな些細な特徴で見抜く。長い年月にわたり磨き抜かれ、鍛え抜かれた人の技は、魔法以上にマジカルでミラクルだ。
 だが、いつまでも感心ばかりはしていられない。
「分かっていると思うけど、これもオフレコだ。
 それよりエリカにも、リーナに言ったのと同じことを言いたいんだが」
「殺すな、って?」
「そうだ。エリカは説明を聞いていたよな。
 宿主が死なない限り、パラサイトはその中から脱出して逃げることが出来ない。
 逃走を妨げる結界は張ってあるけど、殺さず無力化する方が確実だ」
 達也の要請は合理的なものだ。
 それはエリカにも理解できている。
「ゴメン、達也くんには悪いけど、それは出来ない」
 だが、エリカは首を横に振った。
「剣で人を斬る覚悟を決めた時から、相手に斬られる覚悟も持ってるつもり。
 だから、自分が斬られた時のことを考えるとね……わざと殺さずに苦痛を長引かせるなんて出来ないよ。
 殺さずに助けるのならともかく、封印は殺しちゃうのと一緒でしょ? だったら、相手が人間じゃなくても、長く苦しまずに済むように、とどめを刺してあげたいんだ」
 エリカの顔に、彼女の瞳に、気負っている風は見られなかった。しかし彼女は、確かにある種の、覚悟を示していた。
「仕方ないな」
 殺しは絶対の略奪であり、苦しませて殺しても苦しませずに殺しても、殺すという結果に何の違いも無い、と達也は思っている。
 しかし、だからといって、エリカを説得しようとも思わなかった。
 価値観は人それぞれだ。
 その中には、他人の口出しが許されないものもある。
「まあ、俺が苦労すれば良いだけか」
 パラサイト退治が、その禁忌を犯してまで為さなければならないことだとは、達也は考えていなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也の後を追いかけていたレオが、雷光やサイオン光が閃く戦闘現場の少し手前で、突然、足を止めた。
 ほとんど遅れることなく、深雪も足を止める。
 機械のボディを持つピクシーが蹈鞴を踏んだほど、唐突な停止だった。
「西城君、気をつけて」
「そりゃ、オレの台詞だぜ」
 レオの口調は「軽口」と言って良いものだったが、その目は油断無く左右を見回している。
「囲まれた……訳じゃ無さそうだな。そう感じさせてるだけみてぇだ。右手が空いてっけど、深雪さん、どうする?」
 透視や赤外線知覚の類ではない。特にその種の訓練を積んでいないにも関らず、レオは半包囲の態勢をとる相手の小細工を気配だけで見破った。
「迎え撃ちましょう」
 深雪の回答は、短く、分かりやすいものだった。
「……随分な思い切りだな」
 かつ、レオが応えに詰まるほど、強気なものだった。
「そうかしら? でも、怯える必要なんて何処にも無いでしょう?
 だって、わたしの手に負えなければ、すぐにお兄様が助けに来てくださるもの」
「あ~、はいはい」
 しかし、種明かしを聞いてみれば、実にカワイイものだった。
 思わず半眼になって呆れ声が出てしまったほどだ。
「でも、あまりお兄様の御手を煩わせるのも申し訳ないわね……
 ピクシー、わたしの後ろへいらっしゃい」
「ハイ」
 左側の繁みに身体を向けて、深雪がピクシーに指示を下す。達也から深雪の言葉に従うよう命令されているピクシーは、必要最小限の返事と共に、言われたとおりの位置へ移動した。
 深雪の左手には携帯端末タイプのCADがスタンバイ状態で握られている。
 いつの間に準備を整えていたのか、ずっと隣にいたにも関らず気づけなかったレオは、改めて深雪に感心と称賛の目を向けた。
 しかし、レオには気の毒なことかもしれないが、彼の視線は深雪の意識に留まらなかった。(いわゆる、「眼中に無い」というやつだ)
 深雪の指が滑らかに動いた。
 CADを持つ左手の親指が、三列四行のキーパッド上を素早く舞う。
 彼女から警告の類は一切無かった。
 森の空気に、小さな煌きが混じった。幹や枝、地面に落ちる細かな氷の粒。細氷、ダイヤモンドダストと呼ばれる現象だ。
 二月、内陸部の、夜の山林。環境条件を考えれば、あり得ないとまでは言い切れない。
 だがこれを自然現象と勘違いする者は、敵味方の双方にいなかった。
 一瞬で半径百メートルのエリアにダイヤモンドダストを発生させた魔法。しかしこれは、攻撃用の術式でも防御用の術式でもなかった。
 深雪はただ、敵意の定かでない相手が攻撃して来た場合に備えて、周囲の空間を自分の認識下に置いただけだった。
 薄く、事象干渉の力を広げただけで、気象条件を変化させる力。
 かつて、十月の横浜事変において、摩利は深雪の魔法を「戦術級と言っても差し支えない」と評価した。
 その評価は一部正しく、一部不正確だ。
 深雪の魔法は、「言っても差し支えない」ではなく、戦術級そのものだった。
 深雪にとって魔法の技術とは、効果を高めるものというより、影響範囲を狭く抑えるものという側面が強い。
 無作為に放てば、見渡す限りの世界を白く染める力――それが深雪の魔法だった。

 この有様を前にして、レオは本気で焦った。

 レオにとって喧嘩は「話をつける」為の手段だった。
 横浜の時の様に、相手がこちらと話をする気がないと分かっている場合は、力ずくで「お引取り頂く」。
 相手がコッチを侮ってちょっかいをかけて来ているのであれば、自分は安く(易く)ないと拳で「分かってもらう」。
 知り合いが迷惑をこうむっているのであれば、チョッと荒っぽく揺さぶって「手を引かせる」。
 話し合いというには少し(?)乱暴かもしれないが、喧嘩はあくまでも交渉ごとの一部だ。
 しかし深雪のこの力は、相手の主張どころか存在そのものを軽く吹き飛ばしてしまいかねない。
 ネズミを嬲るネコというより、蟻を踏み潰す象だ。
 これは相手が気の毒すぎる。
 レオの流儀に反している。
「深雪さん、コイツらはオレが相手をする。
 アンタは達也が来るまで、援護に回ってくれ」
 薄っすらと氷の欠片が積もった世界に、指向性を持つ戦意が生じていた。
 敵意ではなく、戦意。否定感情を伴わない、目的意識。
 相手は街のチンピラなど比べ物にならない戦いのプロだが、それでも、深雪の前には鎧袖一触だろう。おそらく、最初から「話にならない」。
「そう? でしたら、お任せします」
 深雪はレオの言葉に、あっさりと一歩下がった。
 しかし、森をすっぽりと覆う冷気は、居座ったままだ。
 こりゃ引けねえぞ、とレオは気合を入れた。
 木立ちの影から、繁みの中から、大振りのナイフを構えた野戦服の男たちが次々に姿を現す。
 総勢十名を数えたところで、増加は止まった。
 進行方向に生じていた閃光は何時の間にか見えなくなり、闘争のざわめきは聞こえなくなっていた。
 向こうはどうやら一段落したらしい。
「パンツァー〔Panzer〕」
 早く来てくれよ、達也、と心の中で呟きながら、レオは起動式展開の音声コマンドを唱えた。
 皮肉にも、それが合図になった。
 声も無く、音も無く、一人の兵士が正面から突っ込んで来た。
 速い、とレオが思う間も無く、
 突き出されるナイフ。
 それをレオは左腕で弾く。
 レオと兵士は、共に驚愕していた。
 但しそれは、停滞につながらない。
 ナイフを持っていない兵士の左手が、レオの顔面へ伸びる。
 まだ十分な間隔が存在したにも関らず、レオは本能の命じるままに、右へ身体を投げ出した。
 顔の横を、衝撃波が突き抜ける。
 鼓膜――正常。バランス器官――ダメージ小。
 受けたダメージを確認しながら、レオは地面を転がってすぐに立ち上がった。
 本当はもう少し距離を取りたかったところだったが、そんな生易しい相手ではない。
 起き上がった直後、突き込まれるナイフ。あのまま地面を転がっていたら、上からのし掛かられてチェックメイトだっただろう。
 肩の付け根を目掛けて突き出された刃先を――相手兵士も同国人の高校生を殺すつもりは無かったようだ――レオは腕を立てて受けた。
 ナイフに掛けられた「貫通」の魔法と、フェイクレザーの袖に掛けられた「硬化」の魔法が激突した。
 ナイフはレオの皮膚に届かず、レオの拳が兵士の顎を抉った。
 豪快な左フック。
 遺伝子操作による強化に加えて、たゆまない鍛錬の結果生まれた常識外れのパワーが、一撃で訓練されたソルジャーをノックアウトするという非常識を生んだ。
 そのあり得ざる光景に唖然として、残り九人の動きが止まる、ことは、しかし、無かった。
 間髪入れず、レオの左右から襲い掛かってくるナイフ。
 一人でも持て余し気味だったのが、今度は二人同時。
 しかも左右のナイフの刃渡りが異なるというおまけ付きだ。
 余程の剣の名手でも、受け切るのは困難であろうコンビネーション。
 いくら人間離れした反射神経、超人的な運動神経を持っていると言っても、レオは剣の達人というわけではない。
 薄羽蜻蛉を修得する為、短期間とはいえ千葉道場で修行を積んだ成果で、レオにはそこらの有段者に後れをとらない刀剣戦闘力がある。しかし、所詮は促成栽培。運動能力という豊かな土壌だけでは通用しない嵐に見舞われた時、出来ることには限りがある。
 レオは己の魔法を信じて、左の敵に集中した。
 右側から迫る刃を視界から閉め出す。
 鎖骨の下を狙う細身の直剣を、下からはね上げながら左腕をしならせる――
 フリッカー気味のパンチが相手の鼻面を捉えるのと、右側方で刃が打ち合わされる硬質な響きが生じたのは、ほぼ同時だった。
「――助かったぜ」
 レオのフリッカーパンチは相手の顔を浅く捉えただけで、決定打には程遠かった。
 襲い掛かってきた二人の兵士は、間合いの外に跳び退っている。
 内一人は、無手だ。
 彼が持っていたナイフは、レオの足下に転がっている。
「流石のアンタも苦戦しているようね」
 ナイフを打ち落としたのはエリカの刀だった。
「まあ、あたしが手を出さなくても深雪がカバーしてたみたいだけど」
 レオが目線だけで振り返ると、深雪が微かな笑みを返した。どうやら、エリカの援護が間に合わなかった場合、敵兵士の腕は凍りつくことになっていたらしい。
 レオは密かに、戦慄を覚えた。
「達也はどうした?」
 動揺を消す為、話題を変える。
「後ろに回り込んだ連中の相手をしているわ」
 エリカはわざと、大きな声で答えた。
 果たして彼女の注文通り、兵士たちの間に動揺が走る。
「深雪、達也くんが自分と合流しなさいって」
「ピクシーはどうするの?」
 後ろで傍観者に徹していた深雪が、エリカの伝言に、少しソワソワした声で問い返した。
 ――笑っている場合ではないのに、笑いの衝動がエリカの喉元までこみ上げた。
「ピクシーはあたしたちのお手伝い。ピクシー、達也くんから指示が来てるでしょ?」
「マスターの・命令と、サイキックの、使用・許可を、確認しました」
「そういう訳よ。深雪、ここは任・せ・な・さい」
 こんな場面にもかかわらず、余裕タップリにおどけてみせるエリカ。
「じゃあ、お願いするわね」
 深雪は短く応えると、振り返りもせず駆けて行った。
「あ~あ……何処にいるのか分かるの、なんて、野暮なんでしょうねぇ」
「そりゃ、あの二人だからな」
 そう言うレオの顔にも、さっきまでとはまるで違う、不敵な表情が浮かんでいた。(本人は必死になって否定するに違いなかったが)
「さてと……お願いされたことだし、チャッチャと片付けますか」
 レオの変化に気づいていながら、敢えてそれを指摘せず、ミズチ丸をエリカが握り直した、その時。
「いや、ここまでだ。
 エリカ、刀を引け」
 新たな役者が舞台に上がった。
 エリカが、息を呑む。
 人工の林が織り成す闇の中から出て来た長身の影は、
「次兄上……」
 エリカの次兄、千葉修次のものだった。


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