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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第六章・魔人暗闘編
6-(13) 賢者の脚本

――情報部の施設が襲撃されて、収容されていた妖魔(パラサイト)が殺された――

 すぐに真由美とコンタクトして詳しい事情を聴きだす、という欲求を苦労して抑え、達也はひとまず浴室へ向かった。
 鍛錬の汗を熱いシャワーで洗い流しながら、これからどうするか、考えを纏める。
 深雪にはまだ、知らせていない。
 八雲の寺から帰って来てシャワーを浴びる。それはいつも通りのパターンで、シャワーの前にメールを見ていたからといって、それだけで何かあったとは思わないはずだ。
(いや……隠しても無駄だろうな)
 このまま知らせずにおこうか、と考えて、達也はそのアイデアを即座に却下した。
 勘の鋭い妹が、何時までも気づかずにいるはずが無い。自分が全く関与していない事柄ならともかく、深雪はこの件に達也と同じくらい深く関っているのだから。
 妹に気取られないようコソコソ立ち回るのではなく堂々と調べることに決めて、達也はシャワーを止めた。

 地下室に据えつけられたワークステーションのコンソールに、達也は指を躍らせていた。もっともその様を形容するなら「華麗に」ではなく「素早く」「正確に」となるあたりは、彼の個性と言うべきだろうか。
 今日は土曜日、午前中だけとはいえ、授業はある。
 だが調査に時間が掛かるようなら、学校をズル休みすることも達也は考えていた。
 ただその場合、当然の如く隣にいる(本人にとっては議論の余地無く「当然」なのだろう)深雪も、これまた当然の如く(本人にとっては「必然」かもしれない)今日を自主的な休日とするに違いないから、ズル休みの決断はギリギリまで先送りにするつもりだった。
 幸いなことに、お目当てのデータはすぐに見つかった。
 国防軍情報部の分散型サーバーに不正アクセスを仕掛けていた訳だが、「電子の魔女エレクトロン・ソーサリス」藤林響子謹製のハッキングプログラムを相手にするには、情報部のシステムといえど一セクションのローカルシステム(ここでいう「ローカル」はスタンドアロンの意味ではなく、局部的な、の意味)ではかなり力不足だったようだ。もっとも、情報システムの細分化(セグメンテーション)は特定セクションの脆弱性を全体の情報漏洩に直結させないというリスク対策の一種なので、一長一短と評価すべきかもしれないが。
 まあ今回は達也にとって好都合な結果につながったのだから、ケチをつける筋合いではない。
 そこに記録されていた映像は、ショッキングなものだった。
 残虐な、とか、冷酷な、とか、そういう生理的な衝撃を伴うという意味ではなく、
 そこで行われたこと、それを為した人物が、兄妹に小さくない衝撃をもたらした。

 闇に紛れて侵入する小柄な人影。
 警報とともに点った灯りに照らされる、深紅の髪の仮面の少女。
 立ち塞がる私服の兵士を金色の瞳の一睨みで吹き飛ばし、複雑な紋様がビッシリと刻まれた扉に向かって、拳銃の引金を引き絞る。
 四つに分割された画面の一つに、部屋の中が映っていた。
 拘束衣で両手の自由を奪われ、目隠しをされ、猿轡を噛まされた男が扉に向かって簡易ベッドの上に腰掛けていた。
 目隠しと猿轡の所為で人相が分かり難かったが、ほぼ間違いなく、マルテと名乗ったあのパラサイトに違いなかった。
 その胸を、扉を貫通した銃弾が穿つ。
 男の身体が床に転げ落ちた。
 その背中に、ニ発目の銃弾が撃ち込まれた。扉越しにも関らず、見えているような正確さで。
 突如、男の身体が燃え上がった。
 考え得る火種は、撃ち込まれた銃弾のみ。
 貫通と燃焼の時差発動魔法だろう。
 深紅の髪の少女、アンジー・シリウスは、次の部屋の前で同じ行為を繰り返した。
 明らかに「中身」のことを考えていない殺害行動。「容れ物」を燃やすことだけを目的とした、それは「処刑」だった。

 悠々と脱出する少女の映像を見ながら、達也は無意識にため息を漏らした。
 シリウスの任務に叛逆魔法師、脱走魔法師の処刑が含まれている、ということは知っていた。
 魔法師の人道的処遇など空念仏でしかないということも重々承知しているが、それでもため息をつきたくなる気持ちを止められなかった。
 (むご)い事をするものだ、と達也は思った。
 十六歳の少女に殺し屋の役割を負わせるなど、USNA軍幹部は一体何を考えているのか。
 マフィアでも、もう少し人選に配慮しそうなものだ。
 これでは聖戦の名の下に少年少女をテロへ駆り立てる宗教原理主義者と変わらないではないか。
「お兄様、今のは……リーナですか?」
 深雪にはシリウスの秘密、『パレード』のことを教えてある。
 あの粗い映像で、殺し屋がシリウス=リーナだったと判ったらしい。
「多分」
 深雪も少ながらずショックを受けている様子だったが、達也は上手い言葉を見つけられなかった。
 人殺しそのものについて今更どうこう言うつもりは無い。自分にそんな資格があるとも思っていない。
 公に出来ない任務は色々あるし、汚れ仕事の中では、暗殺は寧ろキレイな部類に属するとも言える。
 だが同時に、孤独で陰鬱な仕事だ。
 性格的に余程の適合性が無ければ、ティーンの少女には重過ぎる。その重さを支えきれず、心が少しずつ壊れて行く程に。
 そして達也の見るところ、リーナに暗殺者たる適性は無い。
 深雪も同じ意見であることは、達也に向けた声と眼差しで分かる。
 このままでは、一日暗い気分を抱えて過ごすことになったかもしれない。
 しかし幸いなことに(?)、陰鬱を吹き飛ばす更にショッキングな出来事が、その直後に起こった。
 達也が防諜第三課のビデオサーバーをハッキングしていたモニター画面に、突如、全く別の映像が浮かび上がったのだ。
 金髪碧眼の、見るからにアングロサクソン的な少年の胸像。
 子供っぽく見えるが、年齢はおそらく達也と同程度。
 深雪が狼狽の声を漏らしかけて自分で自分の口を押さえていたが、達也は落ち着いていた。
 ハッキングに使っているこのワークステーションは元々他のシステムと切り離されているし、回線も専用のものを使用、この部屋にマイク、カメラの類はない。こちらが一方的に見聞きするだけで、回線の向こうからこちらの様子を窺い知る術は無いと分かっているからだ。
『ハロー、聞こえているかな? 聞こえていることを前提で話をさせてもらうけど』
 案の定、モニターに映った少年は、こちらとコミュニケーションをとろうとせず一方的に話し始めた。
『まずは自己紹介と行こう。
 僕の名前はレイモンド・セイジ・クラーク。“七賢人”の一人だよ』
 何時の間にか、達也の両肩に置かれていた深雪の手に力が入った。
 その感触で、自分も肩に力が入っていると、達也は自覚した。
『君の事はティア……じゃなかった、シズクに聞いて知ってるよ。
 よろしくね、タツヤ』
 なる程、この少年は雫の留学先の生徒らしい。
 加えて例の情報提供者だろう。
 雫の情報ソースがリーナの言っていた「七賢人」ならば、オフレコ情報が仕入れられるのも不思議は無い。
 しかし、その七賢人が一体何の用だろうか。
 わざわざ自分の姿を達也の目に曝してまで。
 この映像がダミーという可能性も無いではなかったが、達也はこれが、レイモンド・セイジ・クラークの素顔だと直感していた。
『単刀直入に言おう。……ああ、良い言葉だね、これ』
 ちなみにレイモンドは日本語で喋っている。「単刀直入」も、少しクセは残っているものの流暢に発音した。もっとも話し方は少しも「単刀直入」ではなかったが。
『アンジー・シリウスに、ここのことを教えたのは僕だ』
 達也は反射的に、「単刀直入」の用法を間違っているぞ、と思った。それを指摘する術はなかったが。
 ここ、が防諜第三課を指していることは、考えるまでもなく分かった。
『そして君にも、特ダネを提供しようと思っている』
 特ダネとは、随分と俗な言葉を知っているものだ。もしかして、マスコミ屋から言葉を習ったのだろうか。
『君にとって、とても有意義なネタだと思うよ。
 お代は見てのお帰り、と言いたいところだけど、今回はお近づきの印に無料で提供させてもらう』
 聞こえないと知りつつ、「頼んだわけじゃないぞ」と達也は呟いた。
 だが、余裕を保てたのは、ここまでだった。
『現在ステイツで猛威を振るい、日本にも飛び火しつつある魔法師排斥運動は、七賢人の一人、ジード・セイジ・ヘイグが仕掛けたものだ』
 あまりにもいきなりだった為、いくら達也でも驚愕を禁じ得なかった。
『ジード・ヘイグ、またの名を顧傑(グ・ジー)。無国籍の華僑で国際テロ組織「ブランシュ」の総帥。君が捕まえたブランシュ日本支部のリーダー、司一(つかさ・はじめ)の親分だよ。
 国際犯罪シンジケート「ノー・ヘッド・ドラゴン」の前首領、リチャード=孫の兄貴分でもあるね。ノー・ヘッド・ドラゴンでは「黒の老師」「黒顧(ヘイグ)大人」と呼ばれていた』
 次々と並ぶ憶えのある名前に、達也はまじまじとモニターを見詰めた。
『あっ、念の為に言っておくけど、七賢人だからといって僕と共謀関係は無いからね。
 七賢人というのは一つの組織の名前じゃなくて、フリズスキャルヴのアクセス権を手に入れた七人のオペレーターのことなんだから』
 会話が――質問できないのが、この時ばかりはもどかしかった。
 フリズスキャルヴ……噂だけなら、一度だけ耳にしたことがある。
 都市伝説じみた噂だったが、実在していたというのか。
 それは、噂に聞いたとおりの物なのだろうか。
『フリズスキャルヴというのは』
 達也のそんな思いを見透かしたようなタイミングで、レイモンドが説明を始める。
『全地球傍受システム「エシェロンⅢ」の追加拡張システムの一つでね。エシェロンⅢのバックドアを利用しているからシステム内に潜むハッキングシステムと表現する方が妥当なのかな?
 タツヤ、君はどう思う?』
 どう思う、と訊かれても回答の手段が無い。
 それはレイモンドにも当然分かっていて、彼は達也の答えを待たずに説明を続けた。
『フリズスキャルヴの本体が何処にあるのか、僕たちオペレーターにも分からない。
 もしかしたら純粋にプログラムだけの存在で、ハード的な本体なんて無いのかもしれないけど。
 とにかくフリズスキャルヴは、エシェロンⅢのメインシステムを上回る効率で世界中から情報を集めて、オペレーターの検索にヒットする情報をもたらしてくれる。
 そのオペレーターの選出は、システムそれ自体が行っていて、選出基準に法則性は見つかっていない。
 見かけ上、完全にアトランダムなんだ。
 あえて共通点を挙げるなら、高度な情報システムを自前で扱えるだけの財力が必要というところかな?
 それだって大富豪である必要は無くて、ステイツや日本なら平均的な中産階級の生活水準があれば十分だけど』
 とんでもない話だ。
 それが、ここまでレイモンドの説明を聞いた達也の感想だった。
 フリズスキャルヴを作った人間は、一体何を考えていたのか。
 とんでもなく刹那的で享楽的な愉快犯気質のハッカーだったとしか思えない。
『まっ、実際にはそう大したシステムじゃないんだ。
 ハード的には、フリズスキャルヴはエシェロンⅢに完全依存するシステムで、情報の取捨選択を効率化しているに過ぎないし、そもそも傍受システムだからストレージに格納されたデータを(あさ)ることはできない。オマケに、検索結果を外部ストレージに保存できないようシステムガードが掛かっている。もたらされた情報は、オペレーターの脳内限定だ。
 精々、その情報収集能力で、個人的に「賢者(セイジ)」を名乗ることが出来る程度の代物なんだ』
 いや、それだけでも重大な脅威だ。
 今や、意味のあるデータは全てネットワークを移動していると言って良い。
 一度も通信されないデータが、一体どれだけあるというのか。
『それに、フリズスキャルヴの使用には、オペレーターにとってもリスクがある。
 フリズスキャルヴは検索を効率化する為、フギンとムニンという二種類のエージェントを使っている。
 で、オペレーターの検索履歴がムニンに記録されてしまう。
 一人のオペレーターが調べたことは、他のオペレーターに知られてしまうんだよ。
 僕がジード・ヘイグのことを知ったのも、ムニンの記録からだ』
 ここで達也は「おやっ?」と思った。
 その理屈で言えば、レイモンド・クラークの素性もジード・ヘイグに知られているのではないだろうか。
『ブランシュ日本支部の壊滅とノー・ヘッド・ドラゴンの日本拠点喪失によって、ヘイグは日本に干渉する手段を失っていた。
 パラサイトが日本に渡るよう仕向けたのもヘイグで、その目的は騒ぎに乗じて日本における工作拠点を再建する為だ。
 彼の目的は、魔法を社会的に葬り去ることだと僕は分析している。
 魔法技術が駆逐されれば、魔法後進国である中華連合は一気に軍事力バランスを改善できるからね。
 魔法の無い世界で覇権を手にする、それがヘイグと、その背後にいる者たちの目的だと思う』
 所々飛躍があるように見えるが、全体としてみれば論理的だ、と達也も認めざるを得なかった。
 それに、中華連合が魔法技術の抹殺を望んでいるのは、達也自身も感じていることだった。
『それは、僕の望むところじゃない。
 ……ロマンチストと笑ってくれても良いけど、魔法は人類の革新につながるものだと僕は思っているんだ』
 向こうに聞こえていないと分かっていてこそだが、達也は実際に噴き出していた。
 どうも、この少年とは根本的な部分で意見が合わないようだ。
『そんな訳で、僕は今後、継続的に、君に必要な情報を提供しようと思う。
 タツヤ・シバ――戦略級魔法師“破壊神(ザ・デストロイ)”』
 レイモンドが口にした大袈裟な二つ名に、達也は思い切り顔を顰めた。
 安っぽいビデオゲームのボスキャラに出てきそうな名前ではないか。
 もしかしてこの少年、世界共通語となった「オタク」なのだろうか。
『チョッとばかり、長話になっちゃったね。
 要するに今回は、パラサイトの駆逐に僕も手を貸そう、という提案なんだ』
 チョッとじゃないだろ、と達也は思ったが、モニターのスイッチは切らなかった。
『ジード・ヘイグに関する情報はタダ。信憑性は君の判断次第。
 今から僕が告げる事を君が信用するかどうかも、君の判断次第。
 信用してくれたら、君の労働で代金を支払って欲しい』
 レイモンドは一旦、言葉を切った。
 もったいぶっている、という訳ではなく、緊張しているのだ、ということは、画面に映る表情で分かった。
『明日の夜、第一高校裏手の野外演習場にパラサイトを誘導する。
 そこでパラサイトを殲滅して欲しい。
 なおこの情報はアンジー・シリウスにも、既に伝えてある。
 協力するも、競争するも、君のお好み次第だ』
 モニターがいきなり暗くなった。
 頭上で大きく息を吐く音がした。
 深雪が詰めていた息を一気に吐き出したようだ。
 達也も、肩の力を抜いて息をついた。
「そろそろ出ないと遅刻するぞ?」
 立ち上がり、振り返って、達也は深雪にそう声をかけた。

◇◆◇◆◇◆◇

 一年E組の二時限目の授業は実技だった。
 授業と言っても、相変わらず教師はいない。壁面のモニターに示されるガイダンスに従って、生徒が勝手にCADと計測器を操作するだけだ。
 生徒たちも既に慣れたもので、監督の目が無い気楽さを享受する余裕も生まれて来ている。――それは自らの境遇に対する諦めと表裏一体のものだったが、それがいつ裏返るのか、それとも表を向いたままなのか、それは一人一人の資質によるだろう。
 多分この男などは、ずっと表を向いたままに違いない。
 余り大きな声で言えない用事を済ませる為、実習室に遅れてやってきたレオは、キョロキョロと左右を見回し、幹比古、エリカ、美月の姿を認めて、彼らの許へ悠然と歩み寄った。
「……遅刻だよ、レオ」
(かて)えこと言うなよ」
 持ち前の生真面目さを発揮して――これでも随分、神経質なところは緩和されてきている――棘のある声で咎める幹比古に、レオはあっけらかんとして、かつ不敵な笑顔で応じた。
 その笑顔はすぐに、「おやっ?」という表情に切り替わった。
「達也は?」
 レオの問い掛けに、美月が「お客様みたいですよ?」と答えを返した。
 口調が疑問形だったのは、美月も訝しく思っていたからだろう。
「客? 学校に?」
 眉を顰めて質問を重ねるレオに、美月は曖昧な笑顔を返すことしか出来なかった。
「そんなことよりサッサと終わらせましょ」
 横からエリカが、どうでもよさげな声で口を挿んだ。
 ただその無関心の裏側には、プライベートな事情に踏み込むことを戒めている雰囲気があった。
「そうだね。今日の課題は、チョッと苦労しそうだし」
 幹比古がそう言って、CADのセッティングに取り掛かる。エリカが他人事の様な、美月が少し不安げな、レオが軽く引きつった感じの、それぞれの笑顔で頷いた。

 一方、達也は不機嫌風味のポーカーフェイスで、応接室のソファーに腰を下していた。
 向かい側には高級スーツ姿の、壮年の(見掛けだけは)紳士。こちらは本格的に不機嫌な顔をしていた。
 お互い不機嫌な顔を突き合わせて、中々話を始めようとしない。
 先にシビレを切らしたのは、授業中強引に呼び出された達也の方だった。
「青木さん、そろそろ用件をお聞かせ願えませんか」
 言葉遣いはともかく、決して丁寧とは言えない口調で問われた青木は、首から上で示している不機嫌のレベルを更に一段階引き上げた。
 青木も、相手が達也だから、こうも易々と心情を顕わにするのだろう。地下経済に巣食う魑魅魍魎を相手に十年以上四葉の金庫を守り続けて来た青木に、本来であれば、仮面の一枚や二枚被れないはずはなく、舌の三枚や四枚使い分けられないはずは無い。
 それが彼の仕事を困難にしていると、解っていないはずもなかった。だが青木は、四葉家における序列、自分が拠り所とする組織内部の階級に意識を縛られていた。
 階級意識は、人を斯くも愚かにする。
「……自分は授業中ですので、ご用が無ければ失礼させていただきますが」
「待ちたまえ」
 達也の突きつけた最後通牒に、青木はようやく口を開いた。渋々、ではあったが。
「君は先日、3H-P94を購入しているな」
 事務的な口調を努めているのが手に取るように分かる口振りだった。
 滑稽だ、と達也は思ったが、笑いはしなかった。
 そんなつまらない報復をしても、多分、気晴らしにもならない。
「正確には一昨日ですが」
 達也は同じように、事務的に対応することにした。残念ながら、その決意はすぐに崩れてしまうことになるのだが。
「それを奥様が欲していらっしゃる。
 君が支払った金額の倍額を出すから、すぐに引き渡したまえ」
 達也は慌てて立ち上がり、目を凝らして盗聴や盗撮が行われていないかどうか確かめた。
 魔法的な力の使用を観測する機器が常に作動している魔法科高校の校内で気軽に「眼」を使うわけには行かなかったが、肉眼もそれなりに鍛え上げている。取り敢えず、今の話を見聞きされた兆候は無かった。
 達也は内ポケットから携帯端末を取り出してケーブルを繋ぎ、そのもう一方の端を青木の目の前に突き出した。
 よく考えてみれば――いや、良く考えなくても礼を失している振る舞いだが、達也の有無を言わせぬ眼光に、青木は眉を顰めながらも自分の端末を取り出してケーブルを繋いだ。
『青木さん、熱でもあるんですか』
 最初に送信されたメッセージが、いきなりこれだった。
 青木は反射的に達也を怒鳴りつけようとしたが、向かい側から放射されているただならぬプレッシャーによって、図らずも、自制した。
『今日は土曜日です。あと四時間もすれば人目に付かない所へ自分を呼び出すことも出来たはずだ。
 何故学校の応接室で、家の用事を話すようなリスクを冒すんですか。
 家とのつながりを覚られるような真似は慎むよう、叔母上から命じられていることはご存知のはずです』
 青木の、冷静を装う仮面が剥がれた。
 唇の端が細かく震えている。顔色も、やや蒼褪めていた。
 青木がこんな不用心な真似をした魂胆は分かっている。
 深雪のいるところを避けて、四葉家の序列を盾に、横車を押し通そうとしたのだろう。
 それを達也に見透かされたことも、分かったはずだ。
 それでも、返事を書くペンの動きに淀みが生まれないのは流石だった。
『私は早急にという奥様のご意向に従おうとしただけだ。
 そんな事より、3Hを引き渡したまえ。
 そうすれば私はすぐにお暇する』
『そんなことが出来る訳ないでしょう。所有権が自分に移転しても、一高に対する貸借契約の効力は存続したままですよ。
 自分が3H-P94を買い取ったのは第三者に持ち去られるのを防ぐ為です。
 あの3Hは自分が責任を持って管理します。
 叔母上にはそうお伝え下さい』
 青木の顔色が、蒼から赤に変化した。
 彼はいつもの調子で怒鳴りつけようとしていた。
「言いつけに背くつもりですか」
 しかし、達也から浴びせられた言葉と視線に、青木の怒気と気力は見る見る(しぼ)んで行った。

◇◆◇◆◇◆◇

 青木を昇降口まで送り出し(もちろん、手ぶらで)、達也は実習室へ足を向けた。
 既に二時限目の半分を過ぎているが、記録を取る程度のことはできるだろう、と考えてのことだった。
 しかし達也の足は、昇降口から廊下へ入ったところで止まった。
「リーナ」
 久し振りに見る留学生の顔は、随分とやつれていた。
 健康を害している様子は無い。
 ただ、精彩がなかった。
 精神的な疲労が積み重なっているように見える。
 精神的に、かなり追い詰められているように見受けられる。
 もっともそれが、陰のある儚げな美しさを(かも)し出していて、いつもとは逆方向の魅力を演出していた。
 女性の外見にそれほど興味が無い――と言うよりすっかり慣れてしまっている達也でも、美少女はお得だな、と思った程だ。
「タツヤ」
 だからと言って、見とれていて反応が遅れるというベタな展開にはならなかった。
 名前を呼ばれて、真っ直ぐ、サファイアブルーの瞳に視線を合わせる。
「話は聞いた?」
「ああ」
 省略された言葉が多すぎる会話だったが、二人とも、自分の意図が伝わっていることを全く疑っていなかった。
「誰だか分かったか?」
「いいえ」
 どうやらリーナの方に顔見せはしなかったらしい、とその答えを聞いて達也は思った。
 それもある意味当然だろう。USNA軍が賢者(セイジ)の身元を突き止めたなら、その知識の泉の正体を徹底的に追求するに違いないのだから。
「そうか、残念だったな」
「まあね。
 でも今回は、いいわ」
 言葉を切って、リーナは、タツヤへ、挑みかかる様な目を向けた。
「タツヤ」
 強い、眼光。
 殺し合いを演じたあの夜よりも、強い意志が込められた眼差し。
「ワタシは、馴れ合わないわよ」
 分かっていたことだが、達也は改めて悟った。
 好む好まざる以前に、共闘するという選択肢は、最初から無かったのだと。
「分かっている。
 所詮俺たちは、住む世界が違う」
 達也の答えは、古典的な(この場合、古臭いと同義)ロマンス小説(映画でも可)の別れのシーンで使われるような台詞だった。
 敢えて誤解されやすい台詞回しを選んだのは、盗み聞きしている者がいた場合に備えてのことだ。
 見ればリーナは、罵倒しかけた言葉を飲み込んでいた。
 僅かなタイムラグで、達也の意図に気づいたらしい。
 とはいえ、顔に血の気が上ったままだったが。
「バッカじゃないの!」
 クルリと(きびす)を返しながら吐き捨てられた言葉は、
 果たして、達也の演技に便乗した台詞だったのか、
 それとも、リーナの本心だったのか。
 この時、達也に分かっていたことは。
 ――今日の放課後は実技の居残りだな、という諦めを伴う現状認識だけだった。


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