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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第六章・魔人暗闘編
6-(12) 人でなく、魔でもなく

 ほのかを部屋まで送りピクシーを元のガレージに置いてきて、達也と深雪が家に帰ったのは、日付こそ変わっていないものの真夜中と呼んで差し支えのない時間だった。
 とはいえ、兄妹の年頃からすれば、特別に遅い時間ということでもない。
 戦闘も能力全開には程遠く、神経に興奮を残すだけで逆に眠気を遠ざけていた。
「お兄様、深雪です。少しよろしいでしょうか……?」
 食事入浴その他諸々を済ませた後、地下の研究室ではなく自分の部屋で、珍しく魔法学以外の勉強をしていた達也の許へ深雪が訪れたのも、中々寝付けない所為だろう。
 達也が教材を開いていたのも睡眠導入剤の代わりみたいなものだ。兄妹とはいえ寝室(兼用の私室)を訪れるには不適当な時間だが、深雪と話をするのも気が紛れて良いかもしれない……達也はそう思った。
「いいよ、お入り」
「はい、失礼します」
 達也はディスプレイを倒して(背面がそのまま机の天板になるタイプ)、パタンと閉じる音のした扉の方へ振り返った。
「……それで、どうしたんだ?」
 どもったり声が上ずったりしなかったのは、流石と言えよう。
 それでも、不自然に間を取る結果になってしまったが。
 兄の問い掛けに対してすぐには答えず、深雪は神妙な顔でベッドに腰を下ろした。
 それにしても……と、意識の中に疑問が湧き上がってくるのを、達也は止められなかった。

 ――ついこの間まで、妹はパジャマを愛用していたはずだが。

 ――もしかして、このあいだの雫の格好に感化されたのだろうか。

 要するに、深雪は寝間着姿だった。
 具体的に言うなら、ネグリジェ姿だった。
 流石にキチンとガウンを羽織って、帯もしっかり締めている。
 だが胸元とか膝下とかから、薄衣(うすぎぬ)越しに透けて見える素肌が、直に見えているより艶めかしい。
(俺が相手だから良いものの……年頃の女の子の自覚が足りないんじゃないか?)
 達也は兄として、密かに妹の警戒心の欠如を危ぶんだ。――それが妥当なものか、的はずれなものか、今ここに判定を下すジャッジはいない。
 一方、深雪は、達也に穴が空くほど見詰められて満足したのか、はにかんだ笑みを浮かべると、すぐに、真顔に戻った。
「もしや、お勉強の邪魔をしてしまいましたか……?」
「いや。俺にそんなものは必要ないということは、深雪も知ってのとおりだよ」
 聞きようによっては、と言うか、それを耳にしたほとんどの人間が嫌味に感じるであろう台詞だったが、深雪は羨むことも、感嘆することも、称賛することさえもなく、ただ当たり前のこととしてその言葉を受け止めていた。
 達也は机の前から立ち上がり、ベッドの上へ移動した。
 深雪の隣に、腰を下ろす。(もちろん、十分な間隔を空けて、だが)
 正面からではなく、横からの視線で「何の用?」と促されて、深雪は()()ずと切り出した。
「お兄様……深雪は、混乱しています」
「混乱?」
 控え目に言っても、唐突な発言だった。
 達也は深雪の台詞の一部をオウム返しに呟いて、深雪の顔をマジマジと見詰めた。が、深雪は達也の方を見ていなかった。
「わたし、わからなくなってしまいました。
 魔法とは何なのか……わたしたち魔法師とは、何なのか……」
 達也の顔に困惑が()ぎる。
 予想もしなかった、高度な問い掛けだった。
 この論題は、魔法学の領域というより哲学の領域に属するもののような気がする。
 自分の手に負えるものとは思えなかったが、だからといって、深雪の相談を適当にあしらうという選択肢は、無い。
「何故、そんなことを?」
 取り敢えず、達也は続きを促した。
「魔法と超能力(サイキック)は本質的に同じもの。これが単なる理論ではなく事実に他ならないことは、お兄様が誰よりもご存知です」
「誰よりも、というのは大袈裟だが……それで?」
「一方でパラサイト――妖魔も、魔法を使います。
 彼らが使う魔法とわたしたちが使う魔法の間に、発動プロセス以外の違いはありませんでした」
「そうだね」
 膝の上でギュッと握った自分の両手を見詰めていた深雪が、身体を捻って、胸から上を達也へ向けた。
 達也が隙間を空けた二人の間に深雪の手が置かれ、身を乗り出すようにして達也の顔を見上げている。
 その目に、不安と怯えが潜んでいた。
「それは……妖魔が魔法師に取り憑いているからだと、わたしは思っていました。
 妖魔が魔法師の精神を利用して、魔法を使っていたのだと。
 でも、ピクシーが使ったサイキックを見て、その後お兄様のお話を聴いて、それが間違いだったと気づきました」
「さっきのサイコキネシスかい?」
「はい……
 テレパシーは精神と精神の間で作用する能力です。元が精神体に近いパラサイトが使えても、不思議には思いませんでした。
 表情を作るのにサイコキネシスを使った、と聞いた時も、その程度のことならと、気に掛けておりませんでした」
 深雪の顔が少し近づいたように、達也は感じた。
 瞳の中の感情の揺らぎが、よりハッキリと見える。
「ですが、先程の念動力は……構成こそ粗いものの、あれは移動系魔法に他なりませんでした。
 しかもその魔法は、ほのかとの共鳴によって発動したのですよね?」
「……ああ」
 達也は躊躇いがちに頷いた。
 さっきは曖昧な言い方をしたが、ほのかとピクシーの間に生じた現象が、血の近い魔法師の間で稀に観測される「共鳴」――片方の魔法演算領域の活性化が、もう片方の魔法演算領域の活性を高める現象――に違いないと、達也はほぼ確信していた。
「3Hに……機械に魔法を出力する機能はありません。ですから、ピクシーが使ったサイキックは、宿主の能力ではなく、パラサイトの、妖魔そのものの、能力です。
 魔法とサイキックは同じもの。
 つまり妖魔は、わたしたち魔法師と同じ力を持っているということになります」
 妹が何に不安を感じているのか、達也はようやく理解した。
「魔法が何故、魔の法と呼ばれているのか……わたしたちの力は、彼らに由来するものなのでしょうか?」
 深雪の顔が、更に近づいてくる。
 息の掛かる距離になる、その直前に、達也はベッドから立ち上がった。
 スルリと身を躱した、様に見えたが、そうではなかった。
 達也は深雪の正面に膝をついて、視線の高さを合わせた。
「深雪……考え過ぎだ」
 なよやかに腰を捻り、斜めに傾いた身体を両手で支えて、深雪は達也の視線を受け止める――受け容れる。
 達也は妹の両肩を掌で両側から包み込んで、ゆっくり、真っ直ぐに、座らせた。
「魔法は日本語では確かに『魔の法』だけど、例えば英語のMagicは『賢者の技』という意味だよ」
 深雪が「あっ」と小さな声を上げた。
「魔法が一体何に由来する力なのか、まだほとんど分かっていないんだ。
 魔法式でエイドスを上書きすれば事象の改変が起こる、というシステムは分かっていても、何故そんなことが出来るのか、魔法演算領域と名付けられた人間の無意識領域に何故そんな力があるのか、全く分かっていないと言っていい。
 魔法が本当に魔法師から産み出されているのかどうかすら定かでないのに、妖魔が魔法を使ったからといって、魔法師と妖魔を結びつけて考えるのは、短絡しすぎている」
「そう、ですね……」
「そもそもパラサイトの正体は、人間の精神に由来する独立情報体、と考えられている。
 人間の精神に由来するものなら、その力は人間に与えられたものだ。
 魔法師の魔法が妖魔に由来するんじゃなくて、妖魔の魔法が人間の魔法師に由来するという考え方だって出来るんだよ」
「はい……お兄様の仰るとおりです」
 深雪の瞳から、不安が払拭された。
 達也にすれば、納得するのが早過ぎる気もしたが、枯れ尾花に怯えるよりは余程、建設的だ。わざわざ水を差す気にはならなかった。
「自分が妖魔の、人でないものの眷属かもしれない、そう思って、不安で眠れなかったんだね?」
 達也は別に、妹をからかう意図でそう訊ねたのではない。
 だが深雪は、何がスイッチに触れたのか、いっそ見事と言いたくなるほど頬を真っ赤に染めた。
 顔を隠すことも忘れてフリーズした深雪は、再起動を果たすと同時にクルリと背を向けた。
 珍しく足を崩した座り方でベッドの上に上がり込んで、壁を向いたまま微動だにしない。
 そんなに恥ずかしがることないのに……と思いながら、そんな妹の姿が、達也には妙に可愛く思えた。
「眠れるまで」
 そっと唇を寄せ、耳元で囁く。
 そんな悪戯心を起こしてしまう程に。
 果たして深雪は、派手に身体を震わせた。
 天井まで飛び上がりそうな勢いだ。
「傍についていてあげようか?」
 深雪は首だけでゆっくりと振り返り、顔を赤く染めたまま、上目遣い、か細い声で、こう応えた。
「……手を、握っていてくださいますか……?」
 やりすぎたかな、と、達也は思った。

 達也に拒否権などあるはずもなく。
 彼は深雪が眠りにつくまで、ベッドサイドに座り手を握っていなければならなかった。
 幸いなことに、深雪はすぐに、夢の国へ旅立った。
 妹の幸せそうな寝顔は達也にとって十分な報酬になったが、それでも、精神的に疲れ切ってしまうのは避けられなかった。
 お陰で、すぐに眠れそうだが。
 灯りを点けぬまま危なげない足取りで、達也は深雪の枕元を後にした。
 音も無く扉を閉めて、自分の部屋へ戻る。
 その途中で、達也は気づいてしまった。
 魔法師として高度な教育を受けている深雪が、魔法の一面だけを以て、魔法師と妖魔を結びつけてしまった。
 魔法師を、人とは別のものとして、見てしまった。
 魔法のことを良く知っている深雪でもそういう思い込みに囚われるなら。
 魔法について良く知らない、魔法師でない人々が、魔法師と魔性の人外を同列視しても不思議はない。
 魔法師を人外、「人ではない何か」と考えても、何の不思議もない……

◇◆◇◆◇◆◇

 翌朝。
 達也は登校直後、エリカとレオと幹比古に捕まって教室から連れ出された。美月がオロオロした顔で見ていたが、救出は彼女の手に余るようだった。
 行き先は、屋上。
 ただでさえ気温が上がっていない朝一番、屋外の、吹きさらしの屋上には、彼ら以外の誰もいなかった。
 達也も、長居をしたい場所ではなかった。
「何か話があるんだろ?」
 黙り込んでいるわけではなかったが、わざわざこんな場所まで連れて来る必要の無い世間話ばかり続ける三人に、やや焦れた口調でそう促したとしても、達也の気が短いとは言えないはずだ。
 三人は顔を見合わせ、一様に、観念した表情を浮かべた。
 観念した顔のまま、無言かつ猛スピードでスポークスマンを押し付けあった結果。
「達也、その、実は……」
 ビクビクしながらそう切り出したのは、やはりと言うべきか、幹比古だった。
「もしかして、パラサイトに逃げられでもしたか?」
 達也は用件をさっさと済ませる為にきっかけを作っただけに過ぎなかったのだが、ギクリという聞こえて来るはずのない音が聞こえてきそうな勢いで顔を強張らせた幹比古を見て、我知らずため息を漏らした。
「……そんなことで怒ったりしないから安心しろよ。
 また捕まえることを考えると面倒臭いが……逃げられたものは仕方がない」
 失望は隠せなかったが、取り返しがつかないという程のことでもない。
 その意思表示をして暖かな教室に戻ろうとした達也だったが、
「いや、違うんだ、達也!」
 幹比古が、それを必死になって引き留めた。
「そうよ! 逃げられたんじゃないわ!
 ……いや、逃げられたのは逃げられたんだけど……」
 矛盾することを言って言葉を濁し、どうにも要領を得ない二人から、達也はレオへ視線を転じた。
「横から、かっ攫われたんだよ」
「そんなに手強い相手だったのか?」
 レオの告白に対する達也の反応は、一般的なものとは少し違っていたかもしれない。
 だが達也にとっては、そこに最も関心があった。
 同じクラスになって、もうすぐ一年。
 今やこの三人の実力は、一線級の実戦魔法師にも、具体的に言えば独立魔装大隊の隊員にも、そうそう引けはとらない、と達也は評価していた。
 無論、風間や柳にはまだまだ及ばないが(「トライデント」を使わなければ達也もこの二人には敵わない)、少なくとも中堅どころが相手なら、良い勝負が出来るはずだ。
「負け惜しみに聞こえるかもしれないけど、実力で言えば、そんなに手強い相手じゃなかったと思う」
「ただ、装備が周到でよ。殴ったらコッチが痺れるスーツなんて、初めてだぜ」
「やったら硬いアーマーを着込んでいる上に、打ち込むと何か粉が飛び散るんだもん。
 もっとリーチのある得物を持って行けば良かったわ」
「なる程」
 随分と特徴的な装備品だ。お陰で、すぐに正体が特定できた。
「最後は真っ黒な飛行船で持って行かれちゃったのよ。もう、腹が立ったら」
「いや、大事にならなくて良かったよ」
 達也の台詞に、と言うより彼の口調に、エリカが「んっ?」という目を向ける。
「達也くん、相手が何だったのか、知ってるの?」
「多分ね。
 直接やり合った訳じゃないから推測でしかないけど」
「何者?」
 答えの性質を考えれば、はぐらかしても、あるいは黙秘しても、おかしくはなかった。
「国防軍情報部防諜第三課。
 そういう面白装備を採用していて、ステルス仕様の飛行船を運用しているとなると、第三課で間違いないと思う」
 だが達也は、あっさり回答した。
 余り、秘密を守ろうという姿勢が見えない。
 もしかしたら、エリカだけでなくレオと幹比古も、自分の事情に巻き込むつもりなのかもしれない。
「それ……達也くんが独立魔装大隊の隊員だから知ってるの?」
「あれっ?」
 とはいえ、
「エリカに所属部隊を教えた記憶は……」
 覚えのないことを指摘されれば、やはり首を傾げてしまう。
「……そうか、深雪に聞いたんだな」
「あんなの見せられちゃ、訊きたくなるわよ」
 エリカがあんなの、と言っているのは、ムーバル・スーツのことだ。
 達也の素性を勘付いているエリカも、「灼熱のハロウィン」(既にこの名称が広まりつつあった)と達也を結びつけるには至っていない。
「実力抵抗した以上、もしもの時は所属指揮系統を明示する必要があったし、仕方ないか。
 でも、他人には黙っていてくれよ」
「分かってる。スパイ容疑でしょっ引かれたくないもんね」
 国家機密保護法違反は、スパイ容疑と同義だ。前世紀後半と異なり、それを不名誉と感じる市民が多数派を占める程度には、この国も「普通の国」になっていた。
「ねっ、相手の正体が判るんだったら、何処に連れて行かれたのかも分かるんじゃない?」
 切替と立ち直りが早いことに、エリカが期待に満ちた声でそう訊ねる。
 しかし、
「目的が分からなきゃ絞り込めないな」
 達也は素っ気なく(かぶり)を振った。
 現実はこんなものである。
「そうだよね……相手は政府機関、拠点なんていくらでも持っているだろうし」
「予算、ってヤツがあるからな。いくらでもってことはねえだろ。
 それでも、虱潰しが効かない程度にはあちこちに隠しているだろうけどな」
 幹比古の言うとおり、今回の相手は国家機関だ。不法に侵入してきた外国勢力とは利用できる作戦資源の質が違う。今までアドバンテージとなっていた地の利は、今回、相手側にある。
「それより、教室に戻ろう。
 いい加減、寒くなってきた」
 この程度の寒さで音を上げる人間はこの場にいなかったが、それでも寒いものは寒い。
 三人は異を唱えることなく、達也の背中に続いた。

◇◆◇◆◇◆◇

 その日最初の授業は、一般科目だった。
 テキストを読み、問題を解くスタイルで、生徒の好みにより音声読み上げ機能も利用できる。
 いつもはテキストを自動スクロールさせていくだけの達也だが、今日はイヤホンを耳に当てた。
 無線のレシーバーから流れてくる合成音声を聞き流しながら、達也は授業と関係ないことを考えていた。
 防諜第三課の名前と特徴を知っていたのは、確かに独立魔装大隊経由だ。
 だが、数ある情報部の一部門として知っていたわけではなかった。
 情報部の中で特に、七草家の息が掛かったセクション。積極的に七草家の手足となって動く部隊。正確には、七草家が裏で糸を引くスポンサーの手足と言うべきだが、達也の仮想敵勢力として候補に挙げられた名前だ。
 しかし今回の、パラサイトを横取りするという真似は、七草家のやり方ではないような気がする。
 根拠は無い。
 達也は、七草の当主・七草弘一の為人(ひととなり)を知らないのだから。
 だがこんな、博打(ばくち)じみた強引なスタイルでこれ迄も通してきたのだとしたら、とっくの昔に四葉と正面衝突を引き起こしていたはずだ。
 一体、誰が、何を意図しての狼藉なのか。
(軍がスポンサーの意向を逸脱した行動をとったのだとしたら……その動機は、軍の存在意義そのものに関わる目的に沿ったものに違いない)
 軍の目的とは何か。
 国家権力を実現する為の暴力機関であり、他国の直接的暴力に対して正当かつ直接的に対抗する唯一の手段。その性質は複雑で、一言二言では言い尽くせない。
 しかし、軍の目的を現象面から見るならば、意外に単純だ。
 軍の目的は、勝利すること。
 あとの目的は、付随的なものでしかない。
 勝利の形は様々で、負けなければ良いという戦局で負けないことも、勝利の一形態だ。
 だが、とにかく、勝つ。
 勝った後のことは政治の領分であって、軍は勝つことだけを考えていれば良い。
 故に軍は、力を求める。
 情報部が独り善がりに暴走したとしても、それは力を求めた結果に違いない。
 そこまで思考を進めて、達也は背筋に薄ら寒さを覚えた。
 もしかして第三課は、パラサイトを――妖魔を軍事利用しようと考えたのだろうか。
 それは余りに危険だ、と達也は思った。
 USNAで広がっている魔法師に対するネガティブキャンペーンのメインツールは、デーモンをこの世界に招いたことに対する非難だ。
 軍事的野心の為に意図してデーモンを招いた、という言いがかりでしかないアジテーションだが、パラサイトを軍事利用しようとする企みは、魔法師排斥派に同じ口実を与えることにならないだろうか。
 もし自分が考えたとおりなら……七草家にコンタクトすることが必要だ、と達也は思った。
 こういう時こそ、影響力を発揮して貰わなければならない。
 受験が間近に迫っている真由美には気の毒だが、時間を作ってもらわなければならないだろう。
 場合によっては、七草の当主と直談判することも必要になるかもしれない。
 気分がグッと憂鬱になったが、何もせずにいる、というのは難しそうだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 授業を途中からエスケープして(受講状況を監督するシステムを誤魔化すことは、難しいが不可能ではない)真由美へ送ったメールに返信があったのは、送信してから僅か一分後のことだった。
 確かに、【至急】コードをつけたとはいえ……
(あの人、一般受験だったよな?)
 受験まで、残り約半月。
 落ちる心配はほとんど無い、とはいえ、それで良いのか受験生、と思ってしまう。
 まあ……余計なお世話、なのだろう。
 至急のメールにすぐ返事が返ってきたのだから、文句をつけることではない。
 そんなことを考えながら、達也はメールを開いた。
 達也が送った内容は「相談したいことがあるので一両日中に会えないか」。
 真由美の返事は「すぐに生徒会室へ来て」。
 彼女はどうやら、自由登校にも関わらず学校に出て来ているらしい。
 今いる場所は、教室でも図書室でもなく、生徒会室らしい。
 ……本当に、これで良いのか、受験生?

 達也の方から持ちかけた事だし、早ければ早いほど望ましい事でもあったので、達也はそのまま生徒会室へ足を向けた。
 本人の知らないところで入室の権限が再設定されていた自分のIDカードを使ってドアを開ける。
 授業中ということもあってか、待っていたのは真由美一人だった。
 お互いに気安い挨拶を交わした後――真由美の方はそれで良いとして、達也のとるべき態度としてはどうなのだろうか――達也は真由美の正面に腰を下ろし、早速、事のあらましを語った。
「……で、要するに達也くんは、私に父を説得しろと言いたいのね?
 情報部が横取りした捕虜をエリカちゃんたちに返すように」
 どうでもいいことだが、真由美のエリカを呼ぶ言い方が、いつの間にか「エリカちゃん」になっていた。エリカ本人はそれを聞くたびに嫌そうな顔をするが(美月にそう呼ばれても平気なのだから、相手によるのだろう)、自分も幹比古のことを「ミキ」と呼んで改めなかったのだから、達也などからすると「因果応報」という気がする。
 閑話休題。
 真由美の質問に、達也は頭を振りながら「返せとまでは言いませんが」と前置きした上で、こう答えた。
「パラサイトを持っていった理由を確認した上で、もし実験以外の使い道を考えているようなら、釘を刺していただきたいんです。
 軍がパラサイトを利用した事が世間にばれて、その所為で魔法師が不利益を被った場合は、その損失を組織として償って貰うと」
「怖いこと言うのね」
 声と口調は呆れ混じりのものだったが、瞳に揺れる光は、その台詞が単なる憎まれ口にとどまるものではないと物語っていた。
「USNAで起こっている事を見れば、その程度の脅しは必要だと思います」
 真由美も、魔法師に対する嫌がらせが日に日に激しくなっているのは知っている。
 国土の狭い日本で同じ事が起これば、言論にとどまらない衝突に変化するのは、こちらの方が早いかもしれなかった。
「……了解よ。父に話してみる。
 でも、結果については約束できないから、余り期待しないでよ。
 私は十文字くんと違って七草の跡取りって訳じゃないんだから」
 真由美の付け加えた言葉に、達也がチョッとした意外感を表す。
「……なによ?」
「いえ……七草家というのは、意外に家父長的な家風なのだな、と思いまして」
「達也くんのトコはどうなのよ?」
 恥ずかしがっているのか、ヘソを曲げたのか、達也に、この反応の裏にある真由美の真意は、分からなかった。
 ただ、言う必要のないことを言ってしまったのは確かだ。
 軽く反省しながら、達也は罰ゲームみたいな気持ちで真由美の問いに答えることにした。
「ウチは父親の権威なんて、有って無いようなものです。
 親父は後妻の持っているマンションに行ったきりですから」
 真由美の瞳が、右に左に、泳いだ。
 この程度のことで動揺できるピュアな面を見ると、年上とはいえ女の子だなぁ、と達也は思う。
 大人びて見えることもあるが、やはり、まだまだ「大人の女性」とは言えないな、と。
「愛人じゃないだけケジメはつけていると思いますけどね」
「大人、なんだね」
「諦めているだけですよ。
 大人になるということの意味が『諦める』ことだとは……思いたく、ないですね」
 すっかり諦めきった口調で、達也は真由美にそう答えた。

◇◆◇◆◇◆◇

 悪い予感も、(たま)には外れるものだ。
 国防軍情報部がパラサイトを利用して何かをやらかす、という達也の予想は、現実のものとならなかった。
 ただ、「幸いにも」とは、言い難い。
 翌日の朝。

『防諜第三課のスパイ収容施設が襲撃されて、捕まっていたパラサイトが殺された』

 真由美から届いたメールには、そう書かれていた。

 いつも拙作をお読みいただきありがとうございます。
 遅れております感想のお返事は、日曜日から順次お返しして行く予定ですので、今暫くお待ち願います。


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