ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第六章・魔人暗闘編
6-(11) 魔法・機械・兵器

 緻密な制御の為されていない、荒削りである代わりに猛々しい事象改変の力に、深雪が構築していた干渉力の力場が揺らいだ。
 現存する魔法師の中でも、おそらくは有数の強さを持つ深雪の干渉力場が。
 達也は新たに作り出したサイオン弾を、妹が相手をしていたパラサイトへ撃ち込んだ。
 再現される、拒絶反応のダンス。
 しかし今、達也と、そして深雪の関心は、そこには無かった。
 単純な運動状態改変の事象干渉力――所謂「サイコキネシス」が放出された、その場所では。
 いきなり強力なサイオン波に晒されて目を回しているほのかと、彼女を守るように立つピクシーの姿。
 二人が相対していた二体のパラサイトは、視界の外に吹き飛ばされていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 モニター画面の中で展開された光景に言葉を失っていた藤林は、背後から聞こえてきた楽しそうな含み笑いに我を取り戻した。
「……いや、思いがけず、面白いものを見せて貰った」
 椅子を回して不謹慎を咎める視線を向けてくる孫娘に向けて、九島老人は一つ咳払いをした後、言い訳するような口調でそう言った。
「最後のサイコキネシスは、3Hから放たれたものだろう?
 サイキックを使うロボットが開発されたという話は、聞いたことがない」
 藤林が座っているのは、サイオン波センサーのモニターコンソールだ。
 目の前に表示されている測定結果は、誤魔化しようがない。
「……私も聞いたことがありません。
 今の技術では、不可能だと思います」
「そうだな。現行の技術では、魔法であれサイキックであれ、サイキカルな力を機械のみで再現することは不可能だ。
 つまり、あの3Hには、機械以外の要素が宿っているということになる」
「…………」
 小さく、吐息とも呻き声とも取れる音が、藤林の唇から漏れた。
「ロボットに、妖魔が宿ったか」
「…………」
「パラサイトのことは報告を受けているが、この事は聞いていなかったな」
「我々も報告を受けているわけではありません。私的な会話で耳にしただけです」
「いやいや」
 硬い表情で答える孫娘を、宥めるように九島老人は手を振った。
「響子、私は責めているんじゃないよ。最早そういう立場でもないし。
 ただ、興味深いなと思ってね」
 藤林が装っていた、ポーカーフェイスが崩れた。
 動揺を浮かべて見上げる、その視線の先には。
 祖父の顔に、久しく見ることのなかった、野心の影が垣間見えていた。
「人型ロボットにこういう使い方があったとはな……」

◇◆◇◆◇◆◇

 いつもの藤林であれば、気がついたかもしれない。
 だがハッカーとしてではなくオペレーターとして、システムに定められたとおりの操作しか行い得ない今日の彼女は、システムの防御能力を超えた傍観者に気づくことが出来なかった。
 ちょうどその場面へ目を向けていた傍観者、四葉真夜は、目を覆うシェード型のモニター装置を外し、背もたれに体重を掛けて目を閉じた。
 時間にして、およそ十秒。
 彼女はモニターをデスクの中に収納すると、脇に置かれていたハンドベルを手に取り、振った。
 澄んだ音が、一人きりの静かな室内に鳴り響く。
「お呼びでしょうか、奥様」
 扉を開けて、真夜の執事であり腹心である葉山老人が彼女の前へ歩み来た。
「青木さんを呼んで頂戴」
「畏まりました」
 丁寧に一礼し、葉山執事は再び部屋の外へ出て行く。
 今度は少し、待つ時間があった。
 足音こそしないが、慌ただしい気配が近づき、扉を叩く音がした。
「入りなさい」
「失礼します」
 葉山の落ち着いた声が返ってくる。
 気(ぜわ)しい気配は、その隣から発せられている。
 入って来たのは、葉山と、彼よりもかなり年下の(それでも真夜よりは年上の)壮年の執事だった。
「遅い時間にごめんなさいね、青木さん」
「滅相もございません。奥様のお呼びとあらばこの青木、地球の裏側からでもすぐに参上致します」
 青木は瞬間移動の術を会得していないので(そもそも瞬間移動は実現されていない)、「すぐに」というのは物理的に不可能なのだが、彼が大袈裟な物言いをするのはいつものことなので、真夜も葉山も気にしなかった。
「早速ですけど、入手して欲しい物があります」
「はい」
 青木は四葉の資産管理を任せられている金庫番。彼に声が掛かるということは、単なる買い物ではないということだ。四葉にとっても安くない(世間にとっては大層高価な)物か、購入自体が難しい稀少品や非売品の類か。
 だがそれでも、青木の顔に緊張の色はなかった。
 そういうリクエストに応えてこそ自分の存在意義があると彼は思っているし、性格面で問題を抱えているとはいえ、実力の方は合法的な面でも非合法の面でも確かに一流と言えるだけのものを備えていた。
「魔法大学付属第一高校に貸し出されている3H-P94を至急買い取って頂戴。
 金額も手段も問いません」
 真夜が「金額を問わない」と言うのは珍しくないが、「手段を問わない」と明言するのは珍しいことだった。
「畏まりましてございます」
 一瞬、動揺を見せたが、それを声に反映させず、青木は恭しく一礼した。

 青木が急ぎ足で退出した後、側らに控えたままの葉山に、真夜は探るような目を向けた。
「……何か言いたいことがあるのではなくて?」
 だが結局、葉山のポーカーフェイスを突破できず、真夜は自分からそう促した。
「まことに僭越ながら……」
 水を向けられ、前置きの言葉と共に腰を折る。
 決まり文句と言っても良い台詞だったが、その微妙な口調から真夜はそれが余り愉快な話題でないと覚った。
「“フリズスキャルヴ”のご利用は、少々控えられた方がよろしいのではないでしょうか」
 だからといって、今更発言――諫言を止めさせることは出来なかった。
 予想どおりの耳に痛い忠言に、真夜は眉を顰めながらも、それに対して怒りを見せることも出来なかった。
 アレの利用がメリットばかりでないということは、オペレーターである真夜が誰よりも――彼女と同じアクセス権を持った、残る六人のオペレーターを例外として――弁えていることだったからだ。
「――アレは純然たる科学技術の産物ですよ。まだブラックボックスの部分が少なくない魔法より、よほど副作用のリスクは小さいはずです」
「真夜様、私めは、そのようなことを申し上げているのではありません」
 屁理屈でしかないと自分でも分かっている反論をバッサリと切り捨てられて、真夜はバツの悪そうな表情を浮かべた。
「それにブラックボックスというならば、フリズスキャルヴは本体の設置場所すら分かっておりません。
 今まで嘘をつかなかったからといって、これからもそうだという保証は何処にもない、と存じます」
 葉山の主張には、確かに道理がある。
 それに、彼が指摘しなかった危険性も、真夜には分かっていた。
「そうですね……葉山さん、貴方の言うとおりでしょう。
 私は最近、アレの情報収集能力に頼り過ぎていたようです」
「確かに捨ててしまうには惜しい性能です。
 私めが愚考いたしますに、達也殿であればフリズスキャルヴの本体が何処にあるのか、突き止められるのではないでしょうか。
 本体に直接アクセスできれば、フリズスキャルヴを独占的に支配することも、あるいは可能かと」
 葉山のこの発言は、真夜にとって完全に予想外だった。
 意表をつかれ、短くない時間考え込んだ後、真夜は首を横に振った。
「まだ早いわ」
 何が早いのか、解釈の余地を残した回答。
 葉山は一礼して、真夜を残し、部屋を後にした。

◇◆◇◆◇◆◇

「しかしまずいな……」
 思わず口をついてでた独白に、目を回していた(めまいを起こしていた、という意味)ほのかの介抱をしている深雪が振り向いた。
「そう言えば……そうですね。お兄様、一旦この場を離れませんか?」
 余りにも自然に応えが返ってきたので、達也はそのまま頷いてしまいそうになった。
(……いや、それは別に構わないんだが……)
 この打てば響く理解力を当たり前のものと思っていると、いつか大きなしっぺ返しを喰らいそうで怖かった。
 閑話休題(それはともかくとして)
 先程の大規模なサイキック。
 あの反応は、この青山・赤坂一帯で観測されたに違いない。
 もうすぐ望まざる客人が種々押しかけて来るだろう。
 つい今し方迄のたうち回っていたパラサイトは、力尽きたのか大人しくなっている。
 一応後ろ手に縛り上げているが、どの程度意味があるのか、達也にも分からない。
 何せ相手には「自爆」という最終手段があるのだ。
(そうだな……古式に何か適当な術式があればいいんだが)
「達也くん!」
「ゴメン、遅くなった!」
 噂をすれば、ではなく、ちょうど顔を思い浮かべていたところに、本人の声が聞こえた。
 ようやくお出ましのようだ。
 しかし「遅い」と責めるつもりはなかった。
 彼らは彼らで、パラサイトを探し回っていたのだから。(実際には、エリカが家を出る時間が遅かったのが主な理由である)
 サボっていたわけではないのだから、文句などつけられない。
 そう……荒事が全部終わった後にのこのこ顔を出しても、そんなことで文句をつけたりはしない。
「えっと……達也? 何だか、顔が怖いよ……?」
「俺は強面だからな」
「いや、強面っていうのは、微妙にそういう意味じゃないと思うんだけど……」
 何故か(?)ビクビクしている幹比古を一瞥して、予定より一名多いその当人に声を掛ける。
「レオ、お前も来たんだな」
「ああ。リハビリがてら、付き合わせて貰ってるぜ」
「無理はするなよ。
 で、エリカ」
「ん? なに?」
 厳しい目つきで捕虜を見ているエリカに話し掛けると、意外に平静な声が返ってきた。
「なるべく早くこの場から離れなければならないんだが、こいつらを運ぶ手段は用意してるのか?」
「えっ、何で?」
「何でって、エリカ」
 この台詞は、達也ではない。
 幹比古が、焦りを隠せぬ顔で口を挿んだのだ。
「さっきの念波を感じなかったの?
 あれだけ派手に魔力を撒き散らしたんだ。
 寄って来るのは普通の警察だけじゃないと思うよ」
「そんなの最初から覚悟の上よ、と言いたいところだけど……達也くんたちに迷惑掛けちゃ拙いか」
 少し窺い見るような目つきになった以外は、いつものエリカだった。
 少なくとも、レオや幹比古が気づかない程度には。
「えっと、ミキのトコの倉に運ぶけど、いいよね?」
 エリカは「倉」と言っているが、もちろん、文字通りの倉庫ではあるまい。
 千葉家の施設ではなく吉田家の管理下にわざわざ運び入れるということは、パラサイトの魔法を封じて拘束する適当な術法があるということだろう。
「良いのか、幹比古?」
「えっ? もちろんだよ。
 そもそもこれは、本来僕たちの仕事だ」
 僕たち、というのは古式の術者のことだろう。
 魔を封じるのは陰陽師の仕事、と言いたいのかもしれない(吉田家は陰陽道ではなく神道系だが)。
「じゃあここは、あたしとミキと、ついでにレオで引き受けた。
 達也くんたちは先に帰った方が良いよ」
「何故だ? 積み込む時間くらい、待ってるが」
 俺はついでかよっ!、と憤るレオを放置して、達也が訝しげに問い掛ける。
 答えは、大層歯切れの悪いものだった。
「達也、その、ね……」
 達也が、言い難そうにしている幹比古の視線を、辿ってみると。
 その先には、スカートが所々裂けているピクシーと、ハーフコートに不自然なスリットが複数追加されているほのかの姿。
「……車を呼ぶか」
「その方が良いと思う」
 達也はエリカたちにこの場を任せることにした。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也たち兄妹の自宅は自動管制区域内だが、ほのかのマンションはギリギリでオートドライブの管制区域から外れている。
 結局四人は、駅からキャビネットに乗り換えることにした。
 相当奇抜なファッションでも、大して注目されないのは都会のありがたいところだ。
 思ったより人目を集めることなく(深雪が同行している時点で、全く注目されないということはあり得ない)、達也たちは四人乗りのキャビネットに乗り込んだ。
「あの、達也さん……?」
 乗り込む動作が自然だった所為で、ほのかが疑問を覚えたのはキャビネットが走り出した後だった。
 方向が同じであっても、キャビネットは途中下車できないのだが……
「送っていくよ」
 そうして欲しい、と思いつつ口には出せなかった言葉を達也から聞いて、ほのかは頻りに遠慮する台詞を口にしつつ、嬉しそうな表情を隠せずにいた。

 四人用のキャビネットは、座席を対面レイアウトに変更することが出来る。
 達也の隣には深雪、向かいにはほのか。
 達也は(はす)向かいのピクシー(何故か荷物ではなく、乗客扱いになっている)に目を遣り、それからほのかへ目を向ける、をさっきから無言で繰り返している。
「……お兄様、そろそろ何か声を掛けてあげませんと、ほのかがもちませんよ?」
 達也が目を向けるたびに緊張の度合いを高めていくほのかを見かねて、深雪が横からそっと囁いた。
「ああ、悪い」
 達也には自覚がなかったようだ。
 妹に窘められて、ハッとした顔で謝罪を口にする。
「ええと、ほのか。
 何と言えばいいのか……脱力感は無い?」
 次の言葉は説明ではなく質問だった。
 唐突な問い掛けに戸惑いながらも、ほのかは首を横に振った。
「そうか……ピクシー、お前はどうだ。疲労……という表現は適切じゃないな。お前の本体を構成するサイオンやプシオンの消耗は感じられないか?」
『消耗は自然回復が可能な範囲です、マスター』
「そうか……」
「お兄様、何をご懸念されていらっしゃるのですか?」
「懸念、と言うほどではないが……」
 妹に首を振って見せた後、達也は再度、ほのかへ目を向けた。
「さっき、ピクシーが強力な念動力を放った時のことなんだが……ほのか、何が起こったか、自覚はある?」
「……いいえ、何のことでしょう?」
 ほのかは瞳に不安を(たた)えて問い返した。
 確かに、不安を覚えても仕方のない意味ありげな質問だ。
 もっともそれは、もちろんのこと、殊更不安を煽る意図のものでは無かった。
「冷静に聞いて欲しいんだが」
 わざわざこんな前置きをする程、達也自身、困惑していた。
「ピクシーが念動を放つ直前、ほのかからピクシーに、サイオンが供給されていた」
「えっ?」
 達也の言葉に、ほのかは目を丸めて絶句した。
「……ほのかがピクシーに力を供給したということですか?」
「いや、そういう感じじゃなかったな」
 深雪の問いに答える達也の声は、珍しく、自信無さそうなものだった。
「起動式を展開する為、CADへサイオンを注入するプロセスに似ていた。
 呼び水……みたいなものかな。あるいは、共振か」
 ほのかが怯えを含んだ視線をピクシーへ向けた。
 ピクシーに――3H-P94に取り憑いたパラサイトに、それを気にした様子はない。と言っても、表情が変わらない(と言うより無い)から本当のところは分からないが。
 魔法師と機械がサイオンを遣り取りする。
 その現象自体は、達也にとって、いや、現代魔法の術者にとってお馴染みのものだ。
 だがそれは、魔法工学によって「そういう風に」作られたシステムを組み込まれている機械との間に起こる現象であり、3Hにそういう機能は存在しない。
 機械は、与えられた以外の能力を持たない。自分で新たな機能を会得することはない。
 故にこの現象は……ピクシーの「機体」との間に生じたものではなく、ピクシーの「本体」との間に生じたものとしか、考えられない。
 不安を覚え、怯えに捕らわれたとしても、無理はない。
「美月はああ言っていたが……ほのかとピクシーの間には、やはり、ある種のパスが通じているようだ。
 そしてどうやら」
 達也が急に、口ごもった。
 何やら苦々しげに、言い難そうにしている兄へ、深雪が訝しげな目を向けた。
 無言の問い掛けを肌で感じて、達也は観念した顔で、言葉を続けた。
「……どうやら、その媒体となっているのが、ほのかの髪飾りみたいなんだ」
「えっ?」
 さっきから驚いたり怯えたりで忙しいほのかだが、今回の驚きぶりは際だっていた。
 驚いているのは彼女だけではなかった。
 深雪も、マジマジと、ほのかの髪を縛るゴムを凝視していた。
「正確には、その水晶だな。
 一体、どういう理屈でそんな事になっているのかは分からないが……」
 ほのかの両手が髪飾りの水晶に触れる。
 無意識のもので、特に何らかの結果を意図したものではなかった。
 しかしその直後、達也の推理を裏付けるような現象が生じた。
 ピクシーの身体、その胸の中央から、霊的な光が放たれたのだ。
 強い光ではない。視覚的に言えば、ランタン程度の明るさだ。
 しかしその関連を疑うには、同期性が強すぎた。
 達也と深雪の視線が、髪飾りに集中する。
 ほのかは水晶の飾り玉を両手で包み込んだ。
 まるで、奪われるのを、怖れるように。
「原理的なことはひとまず置いといて……コントロール法を見つけなきゃな」
 警戒する小動物を宥める口調で呟く達也。
 警戒感を意外感に替えて、ほのかが見詰め返す。
 達也は、ほのかからピクシーへ、視線を移した。
「取り敢えず、ピクシーを買い取っておいて、正解だったか」

◇◆◇◆◇◆◇

 エリカが自分たちだけで駆けつけたのは、今晩動員しているメンバーの中で彼らが最も強かったからに他ならない。
 成績はイマイチでも、実戦闘能力はずば抜けている三人だ。
 高校生という範疇のみならず、大人たちに混じっても、兵器の操作技術を度外視すれば、個人としての実力は上位に位置づけられる。
 その結果、拘束したパラサイトを見張りつつ、護送車を待つ、という状況に置かれている訳だが……護送の車より先に、厄介な相手に見つかっていた。
「おい、そこで何をしている!」
 街灯の向こうに自転車(モーター付き)を止めて、大声で詰問しながら駆け寄って来たのは、警察の制服を着た二人の若い男だった。
 二人を見て、幹比古は顔に狼狽を浮かべ、レオは不貞不貞しい嗤いを唇に刻み、エリカは無言で挑戦的な視線を向けた。
「何だこれは!? お前たち、高校生だろう。一体何をしていた!?」
 後ろ手に縛られて路上に横たわる二人の男を見て、背の高い方が声を尖らせる。
 確かに、夜の路上で市民が縛られて転がっているのを見れば、警官としては当然の反応かもしれない。
「いえ、これは、そのですね」
 職質を受けた、と思っている幹比古が言い訳にならない言い訳を必死に捻り出そうとする。
「アンタたちこそ、何者?」
 だが、それを押しのけて、エリカが高圧的に反問した。
「何だと!?」
「おい、エリカ!」
 思いも寄らない反抗的な態度に、男たちは怒気を強め、幹比古は「信じられない」という目を向けた。
「幹比古」
 その肩を掴んで、グッと引き寄せる手があった。
 幹比古が振り返ると、レオが面白くて仕方がないという笑みを浮かべていた。
「聞こえなかった? アンタたちは何、って訊いたのよ」
 警帽の下から送られてくる威嚇の視線を、エリカは鼻先で笑い飛ばした。
「知らない? 現在この区画に、警官はいないの。そういう命令が出ているからね。
 ウチのバカ兄貴も、こういう所で抜かったりしない」
 エリカの言葉には、何の根拠も伴っていない。
 本物の警官であれば、鼻先で笑い飛ばして然るべき台詞だった。
 それなのに、彼女の前に立つ若者は、動揺を見せてしまった。
「何をバカなことを」
 動揺は、ほんの一瞬で収まった。
 だが、エリカはそれを見逃しはしなかったし、何の反応も返ってこなくても、一向に構わなかったのだ。
 彼女が言っていることは、ハッタリではないのだから。
「変装するなら、私服刑事にするんだったね。
 そしたら話くらい聞いてあげたのに」
 聞いてあげるだけだけどね、と嘯くエリカ。
 彼女を怒鳴りつけようとした長身の若者を、同僚が押し止めた。
 入れ替わりに、前へ出る。
 比較すれば背は低いが体格はこちらの方がガッチリしている。
 威圧感も一回り上だった。
「訳の分からない言い逃れをしようとしても無駄だぞ。
 暴行の現行犯だ。一緒に来て貰おう」
「へぇ。あくまでシラを切るんだ」
 もっとも、エリカが畏れ入るほどではなかった。
 変わらず、白けた目つきで、挑戦的な眼差しを返している。
「でもお生憎様。
 この二人は婦女暴行未遂の現場をあたしたちが取り押さえたの。
 私人逮捕ってヤツね。
 で、本物の警察官が来るのを待ってるとこって訳。
 偽物さんが出る幕じゃないのよ、お・分・か・り?」
 スラスラともっともらしい話をでっち上げる幼馴染みを、幹比古は感心しながら見ていた。嘘だと分かっていても、騙されてしまいそうだ。
 ――その所為で、忍び寄る気配に気づくのが、一拍(ワンテンポ)遅れた。
「ミキ!」「幹比古!」
 音もなく――誇張表現ではなく、本当に全く音がしなかった――黒い影が頭上から襲い掛かる。
 霊園を囲む塀を跳び越えて襲って来たのだ、と認識した時には、迎撃が間に合わないタイミングだった。
 幹比古は肩に衝撃を感じた。
 突き飛ばされた、と気づいたのは、無意識に前転受け身をとった後だった。
 頭上に掲げたレオの腕が、振り下ろされた棍棒を受け止めている。
 音だけで威力が推し量れる打撃だったが、常人なら骨折間違い無しのその一撃を、レオは平然と受け止めている。
 のみならず、着地したばかりの相手に対して、風を切る勢いの鉄拳を叩き込もうとしていた。
「チッ!」
 しかしその拳は、襲撃者の身体を浅く捉えただけで引き戻された。
 街灯の弱々しい光の中で、閃く電光を幹比古は見た。
 その男は、接触する相手に高圧電流を流し込むスーツを身に纏っていたのだ。
 手首を押さえて、一歩後退するレオ。
 棍棒を手にした男が追撃の構えを見せる。
「レオ、離れて!」
 幹比古は左腕を勢い良く振った。
 袖口から飛び出して来た扇子形のCADを慣れた手つきでキャッチする。
 レオを襲った男へ向けて援護の術を放とうとするが、何か輪のような物が横合いから飛んできてCADにぶつかった。
 CADを落とすことはしなかったが、術は中断を余儀なくされる。
 幹比古の術を中断した物体は、弧を描いて元来た方へ飛び戻った。
 それが一種のブーメランだと、投擲した敵の手に戻ってようやく分かる。
 予期せぬ電撃を受けたレオは、路上を自ら転がり振り下ろされる棍棒をかいくぐって、距離をとり、体勢を立て直している。
 そちらを気に掛けている余裕は、幹比古にはなかった。
 敵は一人ではなかった。
 プシュッ、と圧搾空気の解放された音が聞こえたかと思うと、昔のジュース缶二つをつなげた程もある砲弾が道路の向こう側から飛んでくる。
 幹比古は風の塊を飛ばして砲弾を迎え撃った。
 砲弾が空中で停止する。
 と見た、次の瞬間、砲弾の中から網が広がり、幹比古目掛けて襲い掛かる。
 八角形の網の八つの頂点では、超小型のロケットモーターが火を噴いて相殺された運動量を補っていた。
 そんなのアリ!? というのが幹比古の偽らざる心境だった。
 スピードは大したこともないが、網にどんなギミックが仕込まれているか分かったものではない。
 幹比古は「跳躍」の術式を使って、網を避けた。
 空中で彼を待ち受ける人影。
 詰み将棋のような、周到な布陣。
 並の術者なら、ここでまさしく「詰み」だっただろう。
 だが今の幹比古は、並ではない。
 天才児と呼ばれていた頃の力を完全に取り戻し、その更に先へ進んでいる。
 空中で、空気を足場にして更に「跳躍」することにより、三つの円環とその主たる男の襲撃を躱す。
 空中から、細い得物(多分、乗馬鞭のようなもの)を空振りした男の頭を見下ろす。
 見上げた顔に、動揺が浮かんでいる。
 ようやく、幹比古のターン。
 彼は曲げていた脚を伸ばした。
 その足が、男の額に触れる。
 その動作自体が、魔法を発動する「印」だった。
 足と額の接触点から電撃の網が広がり、男の全身を駆け抜けた。
 再び風を蹴って、幹比古は塀の上に着地する。
 そこからレオとエリカの姿を探す。
 レオは最初の奇襲から立ち直っていた。
 棍棒を持つ相手と、素手で激しく打ち合っている。
 電撃のダメージを受けていないのは、そういう術式を纏っているからだろう。
 相手の男もなかなかの腕だが、スピードでもパワーでも、レオの方が少しずつ上回っていた。
 問題はエリカだった。
 最初に声を掛けてきた二人、演技の方はお粗末だったが荒事の方はかなりの腕だった。
 何しろ、エリカの打ち込みに耐えている。
 制服の下に特性のアーマーを着込んでいるか、制服自体が特別製なのだろう。
 しかし、ただ硬いだけで、エリカの剣撃に対することは出来ない。
 エリカの剣を受けるたびに、服の表面から細かな粉が飛び散っている。
 エリカはそれを警戒して、とどめの一歩を踏み込めずにいる。
 彼女の得物がもう少し長ければ、これほど手間取ることはなかっただろう。
 だが今日の得物は、小太刀に変形する短い棍棒だ。
 薬物の可能性が高い粉の飛散を避けて、ヒットアンドアウェイを余儀なくされている。
 状況を俯瞰する高い視点を得たことで、幹比古ははじめて、それに気づいた。
 縛り上げたパラサイトから、彼ら三人が少しずつ引き離されていることに。
 まだ、三人より近い距離に入り込まれてはいない。
 だがこのままズルズルと引き離されれば、応援が来る前に捕虜を横取りされるかもしれない。
 多少無理をしてでも、手早く片付ける必要がある。
 そう決意した、直後のことだった。
 いや、おそらくは、相手もこれ以上はもたない、と判断したのだろう。
 時機に関する、幹比古の判断と、敵の判断が、一致して、
 敵の行動の方が、一歩、早かった。
 頭上から何かが落ちてくる、音が聞こえた。
 レオは相手を蹴り飛ばし、エリカは鋭い連撃を浴びせ、共に敵から距離をとった。
「伏せて!」
 叫ぶと同時に、空気の繭がエリカとレオを覆った。
 幹比古が作り出した防護結界。
 頭上より落とされた爆弾は、地面に落ちる前に破裂して、街灯の明かりを煙幕で隠した。
 何か重い金属が落下する音が続いた。
 幹比古の起こした風が、煙幕を吹き払う。
 何が起こっているのか、明らかになった。
 上空から垂らされた金属のアームが、パラサイトの身体を掴み取り、急速に巻き上げている。
 ワイヤーの出所は、漆黒の飛行船だった。
 驚くほど小型で静粛だが、魔法を使っている形跡は無かった。
 音もなく、魔法の波動も放たない、それ故に気づかれず三人の頭上をとった正体不明の飛行船。
 捕虜の身体が、ゴンドラの中に消えていった。
 エリカが斬り上げの構えを見せる。
「ダメだ、エリカ!」
 しかし、幹比古に制止されて、渋々構えを解いた。
 こんなところで飛行船を撃ち落としては大惨事になると、彼女にも分かっていた。
 飛行船に気をとられている内に、襲撃者の姿も消えていた。
「参ったわね、これは……」
 全く同感だ、と深く頷いていた幹比古の方へ、エリカがやけに愛想の良い笑顔で振り返った。
「達也くんに何て言おう?」
 幹比古はレオに助けを求めた。
 レオは幹比古の視線に肩を竦めた。
 結局――答えは、何処からも返って来なかった。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。