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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第六章・魔人暗闘編
6-(9) 少女たちの献身(?)
 午後七時。
 既に生徒は全員下校し、教職員もごく一部が残っているだけの校舎はシンと静まり返っている。
 校門も閉鎖され、翌日まで、一部の例外を除いて人の出入りは許されない。
 教材や購買部の商品、学食の食材も、基本的に日中、裏門からの搬入となる。
 出入りが許されるのは宿直の職員、契約している警備会社の警備員、夜間でなければ作業できないシステムメンテナンスのエンジニア他、学校が特に認めた者と、生徒会が特に認めた生徒だけだ。
 生徒自治にしては少々行き過ぎにも見えるこの権限は、去年、真由美が生徒会長当時に導入したものだ。その背後には七草家の思惑と権威が少なからず絡んでいたようだが、利用する側になってみれば利便性だけが重要だった。職員室にもっともらしい理由を並べた申請書を提出せずに済むのはありがたい。本当の理由を明かせない場合には特に。
 一旦家に戻った達也は、帰宅途中にあちこち手配して、帰り着いた時には届けられていた荷物を詰めたバッグを肩に、学校へ戻っていた。通用口の守衛に生徒会長の承認コードが打ち込まれた夜間入構許可証を提出して来訪者用のIDカードを三枚受け取る。夜間はこのIDカードが無ければ不審者として警備システムに引っ掛かる、という仕組みだ。
 何故三枚かというと、一枚目はもちろん、自分用。
 二枚目を後に続く深雪に渡す。
 深雪は満足げな笑顔でカードを受け取った。
 本当は、深雪を連れてくるつもりはなかったのだ、達也は。今日は留守番をさせておく予定だった。
 ところが、夜間入構許可証発行の際に、深雪から条件をつけられてしまったのである。
 自分も、連れて行けと。
 許可証の発行権限は、生徒会長のあずさにある。
 だが、現生徒会の真の権力者は会長ではなく副会長だ、という口さがない噂を裏付けるような一幕が、約三時間前、達也の前で繰り広げられた。
 妙に頑なな妹の説得に失敗して、達也は同行を認めざるを得なかった。
 深雪と、更にもう一人。
 三枚目を、駅で合流したほのかに渡す。
 深雪と違い、ほのかは恐縮した顔で達也の手からIDカードを受け取った。
 登校時は休日であっても制服着用が第一高校のルールだが、夜間入構時はその限りではない。
 通信機能のついたIDカード所持が必須だから制服を着用する必要がない、というのが表向きの理由だが、夜中に街中を制服でウロウロするな、という裏の意図もある。
 学校側にとって一種のリスク回避――別名事なかれ主義――で、それを理解している達也は注文どおり、荒事用の、例のブルゾン姿だ。深雪も兄に(なら)って、ハーフコートにストレッチパンツ、ロングブーツのアクティブなスタイルで決めている。
 ところが、ほのかのコートの下は、制服のままだった。
 これから何をするのか理解していないのではないか、と疑わせる姿だったが、それを声や表情に出す達也ではない。
「ほのか、貴女、お家に帰らなかったの?」
 兄の疑念をマイルドな表現で代弁したのは深雪だった。
「えっ? ううん、帰ったけど」
 ほのかは一人暮らしで、借りている部屋は兄妹の家よりも学校に近い。着替える時間がなかった、ということはないはずだ。
「もしかして……制服じゃ、拙かったんですか……?」
「拙い、という程でもないが……少し、都合が悪いかもしれないな」
 責めるようなことは言いたくなかったが、今夜は色々とアクシデントも予想される。そして、ほのかはそれを想定していないようだ。こんなことならしっかり説明しておくべきだったか、と達也は少し後悔を覚えた。
 そんな達也の思惟を敏感に読み取ったのか、ほのかは廊下を歩きながら俯き気味だ。
「お兄様、一旦ほのかのマンションへ寄りませんか?」
 気まずい空気の解消を図ったのは深雪だった。
「ほのかが着替えている間、下で待っていれば」
 深雪には「敵に塩を送る」という意識は無かっただろう。おそらく、達也が困っているから解決策を提案しただけに過ぎない。
「そうだな。お邪魔するには遅い時間だし……ほのかが良ければ、そうさせて貰おうか」
「いえ! 私は、その、来ていただいても少しも構いません。
 お時間を頂けるのでしたら、是非上がっていってください」
 しかし、深雪の思惑とは無関係に、ほのかにとっては願ってもない話だった。

 そんな、すれ違いが一回転して歯車が噛み合った会話を交わしている内に、三人はロボ研のガレージに着いた。
 当然鍵が掛かっているが、鍵というものは大抵、内側から開ける分には特段何も必要としない。
 達也は携帯端末の近距離通信モードを立ち上げ、今日作成したばかりの、認証キーを兼ねた暗号文を送信した。
 反応はすぐに返ってきた。
『お呼びですか、マスター』
 扉一枚程度、それが薄さに似合わぬ強度を持つ装甲扉であっても、テレパシーの妨げにはならない。
「入口を開けてくれ」
『かしこまりました』
 返事があってすぐに、ガレージの扉は開かれた。
 そのすぐ内側に、深々と腰を折るメイド服の人形の姿。
 中に魔性が宿っていても、プログラムされた基本行動パターンは遵守されるようだ。
 ピクシーが顔を上げるのを待って、達也は鞄の中から最初の荷物を取り出した。
「ピクシー、これに着替えてくれ」
 如何に夜中とはいえ、いや、ある意味で夜中だからこそ、この格好(即ちメイド姿)で連れ歩くわけにはいかない。だからといって、制服姿も(さき)の理由でNG。今回の作戦に当たり、達也がまず手配したのはピクシーが着る服だった。
 この程度のことに返事は不要と判断したのだろう。
 ピクシーはいきなり、身に着けたバルンスリーブのワンピースを脱ぎ始めた。
 達也もそれを、当然という目で見ている。「彼女」の着替えを見るのは放課後に続いて二回目だし、人形と人間を混同するような性向を彼は持ち合わせていないから、ピクシーの着替えはバイクのカバーシートを被せたり外したりするのと同じ様なものだった。
「お兄様っ? 何を平然と見ておられるのですか!」
 だが、深雪にとってそれは、認め難いことだったようだ。
 見ればほのかも、同じ様な非難の眼差しを彼に向けていた。
「何をって、深雪、ピクシーはロボットだぞ?」
「ロボットでも女の子ですよ!」
「いや、確かに人型だけど、そこまで精巧に人体を模倣している訳じゃ……」
 達也の言うとおり、3Hは「服を着れば人間と見間違う」ように作られた人型ロボットであって、服で隠れる部分のディテールは女性の裸体とまるで違う。疑似性行為に用いる遥かに安価な人形の方が「そういう」部分の再現度はずっと高い。
 上半身は「肌色のレオタードを着た女性」に近いが、それも腰の上まで。腰部から足の付け根の部分の外形は明らかにロボットと分かるもので、タイトなボトムを()かせると後ろ姿だけで人間でないと分かる。裾が広がったスカートがデフォルトなのはそういう理由からだ。
 しかし二人の少女にとっては、そんな客観的な事実より主観的な外見の方が優先するようだった。
 達也は深雪によって後ろを向かされ、ほのかがピクシーを隠すように二人の間に立っている。
 理不尽と思わないでもなかったが、同時に、着替えているところを見たいわけでもない。
 達也は二人の許可が出るまで、大人しく背中を向けていた。
「達也さん、もういいですよ」
 ほのかに声を掛けられ、念の為に深雪の表情を確認してから、達也は振り返った。
 達也が持って来た衣装は、襟を立てるタイプのオーバージャケットの下に伸縮性の高いセーター、ヒップラインを隠す三段フリル付きの膝上丈スカートだ。
 首元は長目のマフラーを二重巻きに。
 顔を隠す帽子の類は敢えて省いた。
 脚には厚手のタイツとブーツを履かせ、細部を隠しながら脚のシルエットを強調している。――これは服を用立ててくれた独立魔装大隊補給担当の女性士官のアドバイスを全面的に採用したものだった。
 ほのかがどこからか取り出したブラシでピクシーの髪を弄っているが、ピクシーはそれに構わず、真っ直ぐに立ったまま身動ぎもしない。それは、どんなに外見を真似ても彼女が人間ではなく人形であることを示すものだったが、達也はピクシーに、そこまで高度な要求をするつもりは無かった。
 道を歩いていて、不審尋問を受けない程度で構わないのだ。
 その点で言えば、ピクシーの今の姿は合格だった。
「ピクシー、ついてこい」
 達也は作戦開始を宣言する代わりに、こう告げた。
 奴隷に命ずるが如く、傲然と。
 無感情に。

◇◆◇◆◇◆◇

 エリカは兄の部屋の前で、立ち竦んでいた。
 彼女にしてみれば、全くの予想外で予定外だ。自分にこんな気弱なところが残っていたとは。
 母屋に入るのに気後れはないが、父親や姉と会うのは避けたい。その二人ほど抵抗は無いが、長兄と顔を合わせるのも気が進まない。幸いこの時間なら長兄はまだ帰っていないはずだが。
 とにかく、さっさと用件を済ませて離れの自室に戻るのが最良であり、廊下でグズグズしているのは最悪だ。
「次兄上、エリカです」
 自分を鼓舞して、声を掛ける。
「入りなさい」
 返事が返ってくるまで、やや、間が空いた。
 不機嫌ではないが、余り歓迎されていない声だ。
 いや、芳しくない気分を無理に取り繕っているのだろう。
 そのまま「回れ右」したくなる衝動に逆らって、エリカは扉を開けた。
「こんな時間にどうしたんだい?」
 修次はライティングデスクの椅子に座っていた。椅子を回転させて、身体ごとエリカの方へ向いている姿勢だ。しかしエリカは、デスクの向かいのベッドに、たった今まで人が寝ていた痕跡を認めた。
 一昨日と逆の立場だったが、エリカはそのことを口に出して指摘したりはしなかった。
「少し、お耳に入れたいことが」
 エリカの口調は歯切れの悪いものだった。
 修次の、無理に浮かべている笑みが、そうさせていた。
「言ってごらん」
 修次の応えは、余り熱意の感じられないものだった。
 言葉を飾らずに言うなら、義理で聞こう、という姿勢が感じられる。
 ただそれはエリカを軽んじている為、という訳ではなく、他のことに気をとられている印象があった。
「兄上は、第101旅団・独立魔装大隊という名前の部隊をご存知ですか?」
「何故エリカがその名を知っているんだ?」
 素っ気なさに挫けてしまいそうになる心を奮い起たせて告げたエリカの言葉に、一転、修次は強い関心を示した。
「実は……」
 ここまで来てなお、躊躇はしつこくエリカの脚に絡み付いていた。だが、他に(うま)い手は思いつかない。
「兄上の護衛対象である(わたくし)のクラスメイト、司波達也くんは、その独立魔装大隊の特務兵なのです」
「何だって……?」
  迷い、と言うより怖れを振り切ってエリカが明かした事実に、修次は驚きを隠せなかった。
「申し訳ございません。本来ならば、先日お話を伺った際にお伝えしておくべきことだったのですが、風間少佐と仰る方より、国家機密に属する事項だと固く口止めされていたものですから」
「風間少佐……?
 ――『大天狗』風間玄信か!」
「大天狗、ですか?」
 兄の反応に、今度はエリカの方が驚きと共に首を傾げた。
 とかく魔法師には(相手を萎縮させる為のハッタリを兼ねて)大袈裟な二つ名が与えられがちだが、『大天狗』というのはその中でも際だっている。大仰すぎて、かえって何か謂われがあるのでは、と思ってしまう。
「風間少佐のことを、次兄上はご存知なのですか?」
「ああ……山岳戦・森林戦における世界的なエキスパートとして知られている古式魔法師だ。空挺部隊の運用においても、現在、国内屈指の名指揮官と言われている人だよ。
 インドシナ半島で南進を目論む中華連合を相手にゲリラ戦を繰り広げていたベトナム軍に加わって、中華連合軍、中でもその先遣隊となった高麗軍から、悪魔か死神の様に恐れられたそうだ。
 それが二十代前半……今の僕とそれほど変わらない年頃でのことだというのだから、ある意味で、伝説の人物だね。もっともその所為で、中華連合との正面衝突を回避したかった当時の軍中枢部から睨まれ、出世コースから外されてしまったそうだけど」
 兄の話に、目の前の懸案も忘れて、エリカは「ヤレヤレ……」と溜め息をつきたくなった。
 功労者が事なかれ主義の犠牲になる構図がここにもある。
 いつかそれが、国を滅ぼすのではないだろうか。
 自分のような小娘の考えることではないと分かっていても、考えずにいられない。
「噂の独立魔装大隊は、風間少佐が率いる部隊だったのか……ならばあの、都市伝説じみた数々のエピソードも頷ける。
 そして司波達也君がその部隊の一員だというなら、年に似合わぬあの技量も少しは納得できるというものだ」
 エリカが心の中で独白するのに並行して、修次も自分に言い聞かせるように呟いていた。
 お陰でエリカは、意識を本来の目的に引き戻すことが出来た。
「兄上。私が風間少佐にお目に掛かったのは横浜事変の折です。あのような非常時でなければ、司波くんの秘密を明かされることはなかったでしょう。それほど重要度の高い機密だと、私はその時に感じました」
「う~ん……独立魔装大隊自体が、秘密部隊の性格を持っているからね。そこに高校生が非正規兵として加わっているとなると、確かに、余程の理由が存在しているんだろうな」
「私が禁を破って兄上に司波くんのことをお伝えしたのは、まさにその事を分かって頂きたかったからです」
「つまりエリカは、これ以上、彼の内情に踏み込むべきではないと言うんだね?」
「ハイ。藪をつついて蛇を出す結果になっては、兄上の為にも、千葉家の為にもならないと存じます。
 ましてやその蛇が、猛毒を持つ大蛇かもしれないとなれば」
「ふむ……確かに、エリカの意見は理に適っている。
 しかし、学生とはいえ僕は既に軍属だ。正式な命令には逆らえない」
「でしたら、表向きの命令にのみ従えばよろしいのではありませんか?
 あくまでも護衛として振る舞い、彼に対する攻撃があった場合に、対応するに止めるのです」
「なる程……分かった。その線で考えてみよう」
 ……何とか、「四葉」の名を出さずに次兄を説得することが出来たようだ。
 エリカは安堵した顔を見られぬよう一礼し、目を合わせぬまま修次の部屋を辞去した。

◇◆◇◆◇◆◇

 ほのかの借りている部屋は、本当にこぢんまりとした賃貸マンションだった。
 間取り的には1LDKだが、ダイニングは申し訳程度にキッチンに附属しているだけで、実質的には1LKの広さしかない。
 それでもリビングとは別に自分の部屋を持っているのは、女の子として譲れないものがあるのだろう。玄関を開けるとすぐに自分の寝ているベッドが見えるというのは、男の達也でも余りいい気はしない。
 達也はそのリビングで、深雪と共にお茶を飲んでいた。
 ピクシーが元々の製造目的に従い手を出そうとするのを遮って、ほのかがあたふたと用意したものだ。
 出て来たのが番茶だったのは、ほのかの嗜好なのだろう。
 当のほのかは、別の部屋で着替え中。
 防音は完璧だが、何となく、バタバタとした雰囲気が伝わって来ている。
 それに気付かないフリをするくらいの礼儀は弁えていたが。
 ほのかが姿を見せたのは、兄妹がちょうど緑茶を飲み干したところだった。(無論、達也は、そうなるようにタイミングを計っていたのである)
「お待たせしました!」
 勢い込んで出て来たほのかのファッションは、基本的に深雪と似たスタイルだった。
 上半身はハーフコート。コートの下に見えるのはタートルネックのセーター。
 但しボトムは、丈の長いストレッチパンツではなくショートパンツに厚手のレギンスを組み合わせていた。トレンカとも呼ばれる、裾が輪になって爪先と踵だけが外に出るタイプのものだ。
 ショートパンツはハーフコートの裾にちょうど隠れる長さなので、少し見ただけではレギンスの上に何も着けていないようにも見える。
 中々人目を――と言うか、男の目を惹きそうなコーディネートだった。
「ふむ……じゃあ行こうか」
 もっとも、実用性が無いという訳でもない。
 ほのかのレギンスは保温性と共に強度に優れた繊維で織られたもので、同じ繊維が野戦用のコートにも使われていることを達也は知っている。
 頷く達也のその仕草をどう解釈したのか、ほのかは笑み崩れる一歩手前の顔でその背中について行く。
 髪には、達也から貰った左右一対の水晶。
 その煌めきに、ほんの一瞬、ピクシーが目を奪われたような仕草をしたのに、達也も深雪も、ほのか本人も、気づかなかった。

「お兄様、これからどちらへ向かわれるのですか?」
 改札を抜けプラットフォームに上がるエスカレーターの上で、ちょうど人気が無くなったのを見計らって、深雪が達也にそう訊ねた。
 目的地が何処であろうと深雪は達也についていくだけだが、何処に行こうとしているのか関心が無いわけではないのだ。
「青山霊園だ」
 関心があるのはほのかも同じだが、達也の答えを聞いて頬を引きつらせたのは、時間を考慮すれば、好意とか信頼とかは別にして仕方のないことかもしれない。
 眉一筋動かさなかった深雪の方が、ティーンの女の子としては少数派に違いない。
「季節外れの肝試し……というわけでもありませんよね。
 お化けはそういう場所に出る、ということですか?」
「察しが良いな」
 間接的に妹の推測を肯定した達也の顔は、抑えられてはいるが、微妙に嬉しそうだった。
「それはもう、お兄様がお考えになることでしたら」
 深雪も満更でなさげに、笑みを返した。
 ほのかの胸に、小さな棘が刺さる。
「あの、達也さん、今の時間でしたらもう閉鎖されているのでは……?」
 一昨日までの彼女であれば、棘の痛みに怯んで引き下がっていただろう。
 だが昨日の夜、親友から発破を掛けられた言葉が、ほのかの意識に、ではなく、彼女の胸に残っていた。
 エスカレーターの一つ上の段から、割り込むように話し掛ける。
 深雪は「あら?」という顔をしたが、達也に気にした様子はなかった。
「中には入れないだろうね。
 でもそれならそれで構わないんだ。近くにいれば、向こうから出て来る。その為にピクシーを連れて行くんだから」
 ピクシーを訊問した結果、他のパラサイトは今のピクシーの在り方を許容しないだろうと達也は考えた。
 生命体として歩調を合わせている他の個体にとって、自己増殖の欲求を失った「ピクシー」は外れてしまった存在だ。個体数が極めて少数であるなら、彼らは機械の中に囚われている「ピクシー」を取り戻そうとするだろう。
 自己防衛と種族維持、この二つの基本衝動に支配されているならば、その為の行動パターンも人間と同じであるはずだった。
「もし誰かに見咎められたとしても、ほのかが何とかしてくれるだろう?」
 彼女の「光学迷彩」の腕前は、聞いているだけでなく目の前で実演して貰って、達也も知っている。
 USNA軍のバックアップ要員が使った「暗幕」とは比べものにならない高度な技術、高度な技量。ほのかは、姿を隠すにはうってつけの魔法師だ。
 もっとも、これは達也のリップサービスである。
 実際に姿を隠さなければならない状況が生じるとは考えていない。
 しかし。
 達也には、まだ良く理解できていなかった。
 ほのかには、この手の冗談が通じないということを。
「任せてください」
 自信満々に、寧ろ穏やかな口調で胸を叩いたほのかを見て、オーバーアクションだな、というとんでもない勘違いを達也はしていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 市ヶ谷の一角にある中層ビルの地下。
 ここには知る人ぞ知る、国防軍情報部の分室が置かれている。
 防衛省内の本部が表向きの国防軍諜報活動の中枢なら、この「地下分室」は裏側の、真の中枢の一つ。
 中枢であるなら「一つ」という言い方は本来おかしいのだが、「本部がやられて機能麻痺」という事態に陥らない為の、リスクコントロールの産物である。
 無論そこには、普通ではない組織形態を作った事の副作用として、大きな弊害が生じている。
 諜報組織には「右手が何をしているのか左手は知らない」という側面がつきまとうものだが、ここではそれが特に顕著だ。自分たちだけで好き勝手をやらないのはまだ救いがあると言えるが、各セクションに別々の後援者がついて、その意向に従いバラバラに活動しているのが実情だった。
 国防軍情報部は、組織内に酷い不統一を抱え込んでいるのである。
「監視対象は都心方面へ移動中。同行者は妹他二名」
 この地下分室のパトロンは大手電機メーカーの業界団体で、それは同時に国内第二位の軍需産業グループだ。そして、その連合体に七草家が深く食い込んでいるのだった。
「映像を照合します……一人は国立魔法大学付属第一高校一年生、光井ほのか」
「同級生か。妹を連れてデートとは変わった趣味だな」
 どうやらこの場の責任者らしき人物の応えは嘲る口調のものだったが、受け取りようによっては僻みの様にも聞こえた。
「もう一人の方は……いえ、これは人間ではありませんね。
 タイプP94のヒューマノイド・ホーム・ヘルパーと思われます」
「HARの人型端末か? そんな物を連れて何処へ行こうとしているのだ?
 キャビネット運行システムへの侵入はまだか」
「ハッ、プロテクトが固く……申し訳ありません!」
 部下の泣き言とも取れる発言を、責任者の男は叱責しなかった。
 公共交通システムがそう簡単に侵入を許すようでは、テロの方が心配だと彼も理解していた。
「主任、ターゲットを乗せたキャビネットが軌道を変更しました」
「赤坂……いや、青山か?」
 モニターに表示されたキャビネットの進路から推測した行き先を呟き、主任は僅かな間をおいて命令を下した。
「警官に偽装したオペレーターを青山通りに配置しろ。
 ターゲット一行が魔法を行使したところを、逮捕を装い捕獲する」
 命令受領の返事と通信機に向けた指示の声が飛び交う中、主任はモニターを見詰め続けた。

◇◆◇◆◇◆◇

 バランス大佐は長期滞在用に大使館が用意した週契約家具付き賃貸マンション(所謂ウィークリーマンション)でグッタリと座り込んでいた。
 臨時とはいえ作戦本部に侵入を許し、更に戦闘らしい戦闘もさせて貰えず拉致され、海上を漂流しているところを他国の艦船に救出されるという醜態を晒したのだ。彼女のキャリアと矜持を大きく傷つける大失態だった。
 意外なことに、本国からも大使館に駐在している軍官僚からも特に責める言葉は無かった。今回醜態を晒したのは彼女だけでなく、臨時本部の警護に派遣されていた特殊部隊、小型艦船をハイジャックされた海軍も同様だから(というより、USNA海軍のプライドは彼女以上にズタボロだった)彼女だけを責められない、という事情は分かる。
 だが、それだけではない、と推測できる程度には、彼女もまだ気力を残していた。
 しかし、大きく失調していることも否めない。
 不意に鳴ったドアホンに顔を上げて、夜もすっかり更けていることに初めて気づいた程に。
 護衛の女性下士官がドアホンに応対している声が聞こえる。
 クッ、と息を呑む気配。
「失礼します」
 彼女が占拠している居間に近づく足音も、入室の許可を請う声も、動揺に乱れていた。
「入れ」
 バランスはソファの上で姿勢を正して、しっかりした発音を心掛けながら応えた。
 階級が下の者に弱気な姿を見せられない――彼女の意思や感情を超えてすり込まれた士官の心得が彼女にそうさせていた。
 目の前で敬礼したのはパンツスーツ姿の長身の女性。容姿や学歴よりも個人戦闘能力を優先して選んだ護衛で、腕も胆力も超一流。昨晩も彼女が傍にいれば少しは違う結果になったかもしれないと考える程に、バランスは彼女のことを評価していた。
 だが――その彼女が、蒼褪めて、顔を強張らせている。
 ただごとではない、と直感して、バランスはソファから立ち上がった。
「何事だ」
「大佐殿に、ご面会を求めている者がおります」
「なに……?」
 軍の人間が(USNA軍の、という意味だ)彼女に会いに来ただけで、護衛の軍曹がこれほど緊張する謂われはない。大使館員でも同様だ。
 彼女がここに滞在していることは秘密にされている。
 つまり来訪者は、USNA軍の情報封鎖にも関わらず、部外者でありながら、彼女がここにいると知って会いに来ているということだ。
 軍曹に命令する時間ももどかしく、バランスは自分でリモコンを操作してドアホンのモニター映像を居間の大型スクリーンへ転送した。
 そこに映っていたのは、神妙な顔で佇む、クラシックなドレス姿の、可憐な少女だった。
 意外感が限界を超えて、バランスはたっぷり五秒間、フリーズした。
「……何者だ?」
 ようやく再起動を果たした意識は、少女の背後に控える体格の良い男性二名を認識した。
 一人は少女の物と思しきコートを丁寧に持っているので、おそらく彼女のお付きの者、ボディガードだろう。
 見るからにただ者ではないボディガードを従えた、おそらくはミドルティーンの少女。
 警戒しなければならないと分かっているのに、現実感が浸食されていくのを止められない。
「名はアヤコ・クロバ」
 軍曹が言葉を切った。唾を飲み込むような仕草を見せたが、次の言葉を聞いて、それもやむを得ないとバランスは思った。
「ヨツバ家のエージェントを名乗っております」

「お目にかかれて光栄ですわ、ミズ・バランス。
 わたくしは黒羽亜夜子と申します。
 本日は、四葉家の代理人としてお邪魔いたしました」
 少女は綺麗な英語でバランスにそう挨拶した。
 但し、軍人に、高級士官に対する敬称は一切用いずに。
 これだけ完璧な発音を身につけていて、その程度のボキャブラリーが無いということは考え難い。
 つまり、わざと、だ。
 自らの名を告げる時にファミリーネームを先にしたのも、同じくわざとだろう。
「USNA軍統合参謀本部大佐、ヴァージニア・バランスです。
 失礼ながら、ご用件を伺う前に一つお訊ねしたいのだが」
「あら、何でしょうか? お答えできることでしたらよろしいのですが」
 年齢はおそらく、シリウス少佐よりも下だが、交渉相手としての強かさではこの少女の方が勝っているように見える。
 まがりなりにも、USNA軍魔法師隊総隊長として様々な場を経験してきた彼女よりも。
 目の前にいるのは、ただの少女ではない。それをバランスは、改めて心に留めた。
「ヨツバ家というのは……あの『四葉』ですか?」
 抽象的な言い方になったのは、万が一、勘違いだった時を考えてのこと。
 しかし、その具体性に欠ける問い方にも関わらず、少女はニッコリと微笑んだ。
「ええ、その四葉です。
 十師族が一、四葉家の当主、四葉真夜の代理人として、本日はお願いに参りましたの」
 外れている可能性はほとんど無いと心構えをしていても、あっさりと告げられたその事実を受け止めるのは、簡単ではなかった。
 日本の、四葉。
 それは魔法に関わる者にとって、ある種の不可蝕領域(アンタッチャブル)だ。特に、魔法の軍事利用に関わっている者にとって。
 彼らはシリウス少佐の様に、たった一人で一軍に匹敵する大破壊力を有しているという訳ではない。
 四葉の在り方は、その対極。
 今は(取り敢えず)日本政府に従ってる形だが、もし彼らが地下に潜りテロリストと化したなら、四回目の世界大戦の引き金が引かれると言う者までいる。
 魔法というものの一面を、そこまで狂的に突き詰めた集団として、彼らは尊敬されるのではなく、ただ恐怖されていた。
「お願い、ですか?」
「はい。是非とも、お聞き入れいただきたいお願いがございまして」
「伺いましょう」
 今更ながら、客を迎えてお茶も出していないことにバランスは気づいた。
 しかし、ここで飲み物を用意して話の腰を折るのは、それこそ今更だった。
 バランスは、少女が紡ぎ出そうとしている言葉に意識を集中した。
「ではお言葉に甘えて。
 ミズが手掛けておいでの、我が国の魔法師に対する干渉を中止していただきたいのです」
「…………」
 お願い、というのがその件である可能性は、もちろん考えていた。と言うより、最も可能性が高いと予想していた。
 しかし予想以上の直截な要求に、すぐには反応を返せなかった。
「ミズ・バランスにおかれましては、我が国の『十師族』というシステムがどの様なものであるか、ご存知のことと思いますわ」
 もし知らないなら教えて差し上げてよ、とでも言いたげな口振りに、反感を覚えながらもバランスは頷いた。
 しらばくれても、意味のないことだった。
「わたくしどもの当主、四葉真夜は、あなた方の過剰な干渉に憂慮しております。
 貴国と我が国は同盟国ですから、この様なことを火種にしたくないと申しておりますの」
「……それは警告か? 手を引かねば、火がつくという」
 亜夜子は、バランスの質問に答えず、もう一度ニッコリ微笑んだ。
「ミズ、昨晩は良くお休みになられましたか?」
「あれは貴様らが!?」
 気がつけば、バランスはソファから立ち上がり、身を乗り出していた。
 もう少しテーブルの幅が狭ければ、少女の襟首を掴み上げていたかもしれない。
「ええと、何のことでしょう?
 ミズのお顔の色があまりよろしくないご様子でしたので、僭越ながらご案じ申し上げただけですが」
 案じている、と言いながら、少しも心配そうな顔はしていない。
 少女は、笑っている。
 全てを心得た、訳知り顔を隠そうともせずに。
「ミズ・バランス、どうかお気を鎮めてくださいませ。
 わたくしどもは、出来ますならば、ミズと良好な関係を築きたいのです」
「良好な関係だと……?」
 少女に言われたからではないが、今ここで彼女を締め上げても無意味なばかりか有害だ、と気づいてソファに戻ったバランスに投げ掛けられた言葉は、彼女の感情を更に逆撫でするものだった。
「四葉の実力は、ミズもご存知のとおりです。
 そしてわたくしどもも、ミズのお力は良く存じ上げております」
 感情は最悪に近かったが、理性は、少女の話に耳を傾けろとバランスに命じていた。
 四葉家の代理人を名乗った少女は今、USNA軍の力でもスターズの力でもなく、バランスの力を知っている、と言った。
 それは、つまり……
「ミズが今回の一件から手を引くお手配をくださるなら、わたくしどもはミズ個人に対して感謝を忘れません、と当主は申しております。
 今後もし、機会がございましたなら、ミズのお力になれるでしょう、とも」
 それは、魅力的な提案だった。
 あの「四葉」と個人的なコネクションを持てるというなら、軍内部において、昨晩の一件で失った地歩を補って余りある武器となる。彼らの実力は、昨晩、身を以て思い知ったばかりだ。
 婉然と、少女が微笑む。
 葛藤の天秤は、理性の側に傾いた。
 欲という名の、理性の側に。
 バランス大佐は、美しい少女の容姿(かたち)をした悪魔の差し出す契約書に、サインすることを決意した。


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