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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第六章・魔人暗闘編
6-(5) 燃え尽きるさだめ

「ロボットに魔物が取り憑くなど、思いも寄りませんでした」
「ヒューマノイドタイプだから、なんだろうな。とんだ付喪神だ」
 まだ信じられない、という表情の深雪に、達也は信じたくないと言わんばかりの口振りで答えた。
 兄妹が会話している場所は自宅のリビング、ではなく、自動運転車の車中だった。
 この車は市民が共用するコミューターではなく、達也の私物だ。名義の上では父親の物だが、購入資金はトーラス=シルバーとしての収入から出ている。
 何故、半世紀前のバスと同じくらい安価に利用できるコミューターがあるにも関わらず、達也が自家用車を持っているかというと、深雪を送り迎えする上での保安対策と箔付けの為だ。
 そうと知る者は多くないが、深雪は良家の子女、つまり「お嬢様」である。それも、かなりハイクラスの。
 お嬢様の(たしな)みとして、学校以外のお稽古事も欠かせない。
 四葉の特殊な事情のお陰で、真由美のように社交の場に顔を出さなければならないということはまだ無いが、上流階級御用達の教室に通う際には、それが個人レッスン形式のものであったとしても、それなりの体裁を整えなければならないのだ。
 DCAI(ドライビングコントロール人工知能)はもちろんのこと、軍用車輌並みの防弾、耐熱、衝撃吸収性能を備えた高級車の中で、余所(よそ)行きに着飾った深雪は、華やかな衣装に似合わない、暗い顔で言葉を続けた。
「それでお兄様……どうなさるおつもりですか?」
「どう、とは、ピクシーをどう扱うかということかい?」
 一方、暗色のジャケットを羽織ってはいるものの、フォーマルとは言い難い、ある意味で高校生らしい装いの達也は、苦笑いを浮かべようとして失敗したような、中途半端な表情を浮かべていた。
「家に連れ帰る訳には行かないからな。適当な口実を作って、学校で情報を聞き出すことになるか」
「……連れて帰らないのですか? ピクシーはそれを望んでいるのでは……」
 何処か、怯えの混じった声で、深雪が問う。
「家に入れられるはずがない」
 答える達也の顔は、今度は一応、笑いの形になっていた。
「パラサイトの生態や性質はほとんど分かっていないんだ。
 あのパラサイトが嘘をついていないという保証は、何処にも無い」
 妖怪は嘘をつかない、嘘をつくのは人間だけだ、という俗説は、天の邪鬼という妖怪の存在で破綻している。
 嘘をつかない妖怪も嘘をつく妖怪も、どちらもお話しの中だけの存在なのに、あの場の誰もピクシーに取り憑いたパラサイトの言葉を疑おうとしなかったのが、達也には信じられなかった。
「ほのかの思念に感応した、という主張はまるで根拠が無いという訳じゃないけどね。それを裏付ける『姿』を美月が見ているのだし。
 でもそれ以外の事は、相手がそう言っているというだけだ。どんな能力を持っているのかも分からないのに、懐に入れられるはずがない」
 淡々とした口調で断じる答えを聞いて、見る見るうちに、深雪の顔から(かげ)りが取れていく。
「しかしそれですと、訊問してもその答えを信じて良いのかどうか、分からないのではありませんか?」
「その点は人間の捕虜を訊問する場合も同じだよ。
 もたらされた情報の真偽は、こちらで判断するしかない」
 まだ少し硬さは残っているものの、深雪の顔をヴェールのように覆っていた憂いの色は拭い去られていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 大きくはないものの、およそ庶民感覚とはかけ離れた、瀟洒な洋館のエントランスで達也は護衛の引継ぎを行った。
 引継ぎ、と言っても、単に相手の顔を確認するだけだが。
 深雪がピアノとマナーのレッスンに通っているこの教室(学校と言った方が良いかもしれない)は男子禁制。上流階級にはつきもののボディガードいえど、中に入れて貰えない。
「いつも通り、時間になったら迎えに来るから」
「はい。お迎えをお待ちしております」
 だから必然的に、こういう会話が交わされる段取りになる。
 ちなみにお迎えの時間は二時間後。家に帰るには中途半端な時間なので、近場の飲食店で時間を潰すのが常となっている。
 達也はナビで適当に選んだ家族向けのレストランに入った。アルコールメインの店でも大人っぽい格好をして行けば追い出されることはないが、今日は最初からそういう気分ではなかった。
 夕食は家で済ませているので、飲み物だけを注文する。ドリンクオンリーで二時間近く粘る客は、普通に考えれば店にとって迷惑な客だが、深雪を待つ際は毎回どの店でもそれなりに高いものを注文するようにしている。意図せぬ嫌がらせになってしまう心配はしなくて良いはずだ。
 もし嫌な顔をされても、その時は気付かぬフリをするだけなのだが。
 窓際の席に陣取った達也は、書籍サイトを開くこともせず、頬杖をついて窓の外を眺めていた。
 ボンヤリしている、ように見える。
 達也自身も、何かに集中しているという意識はない。
 だが、普通の意味で「ボンヤリしている」という状態とは、正反対だった。
 彼は意識を集中するのではなく、意識を拡散させていた。
 広く、広く、自分と深雪を二つの焦点とするエリアに、知覚を(くま)無く敷き詰める。
 空の上から俯瞰する、ではなく、情報の次元から俯瞰する。
 複焦点の楕円球空間ではなく、物理的な距離とは無関係な、因果律の連結強度で定義されるリレーション空間に、達也はジッと「眼」を凝らす。

 深雪に害を為すものを、何一つ見逃さないように。

 彼にはこの「眼」があるから、性別の制限を超えて、一人で妹の護衛を務めることが出来るのだ。
 但し、普段からこの「視野」を持っていられる訳ではない。
 普段は無意識で行っている作業を、今は、意識的に行うことで更に強化している。
 突如発生する因果関係、即ち「偶然」が頻繁に作用する物質次元に身を置きながら、視野をリレーション空間に置いていたら、生傷が絶えなくなってしまう。こういう落ち着いて「観測」出来る状況だからこそ、意識をそちらへ移すことが出来るのだ。
 リレーション「空間」といっても、そういう次元があるという意味ではない。
 認識の枠組み、「見え方」の一種だ。
 また、リレーションといっても赤やら黒やらの糸とか鎖とかでつながっているということでもなく、因果関係が有るという情報を読み出すことが出来るに過ぎない。イメージの持ち方によっては糸や鎖が見えるかもしれないが、達也のイメージは認識の焦点を当てた存在の背後に因果関係を持つ存在や事象が透けて見えるというものだ。
 原理的にはこのやり方で未来予知も可能なはずだが、達也にはまだ「現在」と最長二十四時間の「過去」しか読み取ることは出来ない。その代わり、索敵には非常に有効だ。遠隔視の先天性スキルに匹敵するか、それ以上の範囲と精度で「敵」を識別することが出来る。
 その視界の中に、迫り来る敵の情報が表示された。
 妹ではなく、彼自身へ向けて。
(護衛失格だな、俺は)
 自分自身がターゲットになるようでは、護衛対象をかえって危険に曝すことになる。護衛失格というのは(あなが)ち自虐発言ではない。
 ただ、声にならなかったその呟きには、失意も反省も、何の感情も込められていなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 配置完了、という報告を聞いて、バランス大佐は小さく頷いた。
 今回の作戦に先立ち、ターゲットの生活パターンを分析して、襲撃の機会が少なすぎることに彼女は愕然としたものだ。
 何しろ、子供らしい(?)夜遊びなど全くしない。
 毎朝のトレーニングに通っている先は、おいそれと手を出せないニンジャのドウジョウ。(未だにこの程度の理解しかしていないアメリカ人は大勢いる)
 日曜日は二日ともバイクで何処かに出掛けたようだが、尾行してもすぐにまかれてしまうし監視衛星を使っても行き先はまるで分からなかった。
 二週間観察して分かったのは、ただの高校生ではあり得ない、ということだ。特殊部隊の工作員とでも考えた方が、余程納得できる。
 その疑念がターゲットの特定(正確には仮定)につながったのだから、調査は全くの無駄という訳でもなかったが。
 妹が一緒にいる時の難易度は、シリウス少佐が立証済みだ。ターゲットが長時間独りになって、しかも、逃走される可能性が低い機会――今夜はその、数少ないチャンスだった。
「シリウス少佐、聞こえるか」
 バランスが直接、通信機で呼び掛けると、すぐにリーナから答えがあった。彼女は予定通り、近くの公園で待機している。
 作戦は、こうだ。
 強盗を装った「スターダスト」のメンバーでレストランに押し入り、致死性のない攻撃を掛ける。
 その場で捕獲が可能なら、そのまま拉致。反撃を受けたら交戦しつつ逃走し、少佐の待つ公園へターゲットを誘導。
 ラフな計画だが、不確定要素が多い条件下で緻密なプランを立てても、上役への見栄えが良いだけで実践的でないということを、極めつけの実践である実戦でバランスは学んでいた。
 チェスは、相手の手が全て見えているから、あれだけ緻密な戦術が役に立つのだ。
(懸念はスターダストが第一段階で全滅させられることだが……)
 その可能性は小さい、とバランスは己の不安をねじ伏せた。
 如何に破棄決定済みの失敗作とはいえ、スターダストもUSNAの魔法工学技術を()ぎ込んだ強化魔法師だ。
 五対一でミドルティーンの少年に全滅させられるとは思えない。
 彼女の予想通りなら、相手は知られざる戦略級魔法の使い手だが、大規模破壊を目的とする戦略級魔法は対人戦闘に役立たないものが多い。あれ程の破壊力を持つ戦略級魔法であれば尚更のこと、自滅覚悟でなければ使えないだろう。
 ブリオナックのような、特殊な道具でも無い限り。
(仮に全滅させられたとしても、全ての記録を抹消された彼らの素性を手繰ることは不可能だ)
 だから作戦が失敗したとしても、その影響を案ずる必要はない、と大佐は自身の思惟にケリを付けた。
 マーフィの法則のことは、無意識に考えないようにしていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 バランス大佐との打ち合わせを終えたリーナは、公園の駐車場に駐めたワゴン車の中で戦術魔法兵器「ブリオナック」の最終点検をしていた。
 彼女のために製作され、彼女にしか使えない、それなのにUSNA魔法師部隊の総隊長である彼女でも一存では使用できない、超兵器。携行兵器でありながら、その威力は最大で戦艦の主砲に匹敵し、それ程の破壊力を持ちながら出力も射程も自由にコントロールできるという非常識兵器の外見は、長さ四フィート程度の太めの棒だった。
 手元三分の二がテニスラケットのグリップと同じくらいの太さで、先端三分の一がそれより二回り太い円筒形、その境目に、ちょうど彼女の手で握れる程度の幅と厚みの、短い箱形の棒が十字に取り付けられている。
 点検といってもこれは純粋に魔法力で作動する武器だ。
 武装一体型CADですらない、魔法兵器(マジック・ウェポン)
 電気的な動力どころかスプリングすら無い。これでは機械的な点検はやりようが無く、魔法を発動直前の状態で待機させ、反応を確かめるしかない。
 この道具の性質上、複雑な構造には出来ないと分かっていても、見るからに杖とか槍とか棍棒とかの雰囲気を漂わせるブリオナックを携えていると、自分がファンタジーノベル(ゲームでも可)のヒロインになってしまったようで、微妙な気分だった。
 微妙な気分、と言えば。
(大佐の能力を疑う訳じゃないけど……上手く行くのかしら?)
 本音では、こんな雑な作戦が達也に通用するのだろうかと、リーナは疑っていた。
 複雑すぎる作戦は実戦的でない、というのはリーナにも理解できる。
 だが作戦の大前提として、「スターダスト」レベルの術者がたった五人では、持ち堪えるのが難しい気がしてならなかった。すぐに全滅してしまう可能性の方が高いのではないだろうか、と懸念していた。
 達也は厄介な相手だが、手強いのは深雪の方、とリーナも最初は考えていた。
 だが今では、そんな考えはすっかり消えてしまった。
 達也を格下と侮る気持ちは、今や、皆無だった。
 自分が不覚を取ったのは決して油断の所為なんかじゃないと、最近になってようやく、リーナはそう思えるようになっていた。
 虚勢から解放されると、相手の実力が不気味で底知れぬものに見えてきた。
 自分が何をされたのか、実は分かっていないのだと、気づいたからだ。
 「ダンジング・ブレイズ」を塵に変えた魔法は何だったのか。
 「ムスペルスヘイム」を無効化した術は、一体何だったのか。
 あの時は単純に、分子間結合を破壊されたと考えた。
 術式を中和されたと考えた。
 だが、どうやってそれを可能にしたのか、とまで考えた瞬間、リーナの思考はフリーズした。
 そんなことは出来ない、と気がついて。
 少なくとも、自分を含めた、スターズの誰にも出来ない。
 分子間結合を破壊する方は、まだいい。
 ムスペルスヘイムの、無効化の方は。
 魔法を中和するには、それを上回る干渉力が必要となる。
 干渉力でシリウスである自分を上回った、という点についてはよしとしても、あの場には深雪の魔法も作用していたのだ。
 自分の「ムスペルスヘイム」と、深雪の「ニブルヘイム」が、拮抗していた。
 逆方向の術式がぶつかり合っても、効果を相殺するだけで、魔法を中和することにはならない。
 魔法を中和する為には、魔法式を上書きする術式を作用させなければならないのだ。
 つまりあの時、達也の執った手段が魔法の中和であったならば、彼はリーナの二倍以上の干渉力を発揮したことになる。
 そこに考え至った時、リーナは身体の震えを抑えられなかった。
 もしそれが可能であるなら、それ程の力を隠しておく技術までも達也は有していることになる。
 中和以外の方法で魔法を無効化したとすれば、それは魔法式そのものの破壊以外にあり得ない。
 高圧のサイオン流をぶつけて、その衝撃で魔法式を破壊するという手法があるのはリーナも知っていたが、あの時、そんな反応はなかった。
 外的な衝撃で破壊するのではなく、情報構造そのものに干渉して破壊する――スターズの副総長、カノープス少佐ならば、達也の使った魔法が「術式解散グラム・ディスパージョン」だと見抜いたかもしれない。しかしリーナは、グラム・ディスパージョンの魔法を知らなかった。
 若くして(「幼くして」と表現する方が適切かもしれない)スターズに入隊した彼女は、普通の少年少女とは逆に、実戦経験は豊富だが、それに時間を取られていた分、知識が不十分な面がある。無論、普通の(魔法科)高校生に比べれば色々なことを知っているのだが、知識の量は学習時間によって上限が決まってしまうものだ。どれほど物覚えが良くても、学んだことのない知識は頭の中に存在し得ない。
 リーナの抱える不安は、学習時間の不足に起因する経験拡張能力の欠如がもたらしているもの。突き詰めて言えば、彼女はスターズの総隊長として、若過ぎるのだ。
 完全能力主義の弊害が顕れている、と言っても良いのかもしれない。
 今まではそれがマイナスに作用することは無かったが、本国外の任務、支援が手薄な状況で、達也のような、実戦機会の量を質で補い、その分ひたすら知識と技能を詰め込まれた戦闘者(ソルジャー)を相手にして、実戦偏重のツケが回ってきているのだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也は戦闘愛好者(バトルジャンキー)ではない。少なくとも自分ではそう思っているし、また実際に彼の方から喧嘩を売るのは限られた条件下においてのみだ。(具体的には、深雪の安全や名誉を守る為に必要な場合のみ)
 もっとも、無抵抗主義者でもない。平和を守る為には戦って勝ち取ることも必要だという、若者らしい(?)考えも持っている。
(五人か……)
 道路の向こう側に停車したボックスワゴンの中で、今にも飛び出そうと身構えている敵の数を確認して、達也は僅かに逡巡した。
 この場は、逃げようと思えば逃げられる。車は後からリモートで呼べばいいのだ。
 結論は、一秒で出た。
 テーブルの端末で勘定を払って立ち上がる。
 それを見ていたのだろう、慌ただしくボックスワゴンのドアが開いた。
 達也は足早にエントランスへ向かった。
 店の玄関は、ワゴンの正面。
 スキー帽のような覆面をつけた五人が路上に立つのと、達也が店を出たのは、ほとんど同時だった。
 覆面から覗く瞳は青、赤、黒、茶、灰色とカラフルだった。
 これがカラーコンタクトで、外国人の犯罪に偽装しているというのなら徹底しているが、多分、そうではあるまい。逆に、外見を隠そうという意図は大して強くないのだろう。顔が割れても正体が特定されない自信があるのかもしれない。
 先回りするように自分たちの前に立った達也に、襲撃者たちは戸惑っている様子だった。
 ただ、その睨み合いは、長く続かなかった。
 達也が、動いた。
 進むでもなく、退くでもなく、男たちから視線を外すと、道なりに歩き出したのだ。
 呆気にとられている雰囲気が伝わってきた。
 達也は足取りを崩さず、彼らから遠ざかる。
 五メートルの距離が十メートルになったところで、襲撃者たちは我を取り戻した。
 小さく、ガチャリ、と銃を構える音が達也の耳に届いた。
 短機関銃形態の大型CADではなく、サブマシンガンにCADを組み込んだ武装デバイス。
 この装備だけで、彼らがUSNAの魔法師だと白状しているようなものだった。
 西欧諸国も東欧諸国も新ソ連も、こんな複雑な機構の武器は使わない。
 アメリカ軍以外でこんな凝った武器を使うのは、日本の、他ならぬ独立魔装大隊くらいのものか。
 展開された起動式から、ケイ素化合物の軟性弾丸に、射出時帯電、着弾によって放電する効果が付与されることが分かる。一種のテイザーガンなのだろう。彼らはどうやら、達也を生け捕りにする命令を受けているようだ。
 達也は既に、右手を懐に突っ込んでCADのグリップを握っていた。その指は引き金を模したスイッチに掛かっている。
 覆面の男たちに背を向けたまま、達也はCADの引き金を引いた。
 素早く振り返り、路面を蹴る。
 敵が驚愕に固まっている内に間合いを詰める。
 達也が無手の間合いに入ったところで、ようやく敵の硬直が解けた。
 ショックを受け過ぎだろう、と達也は思うが、あるいは、やむを得ないことかもしれない。
 ただでさえ他者の魔法の影響下にある物体に魔法で干渉する為には、相手の魔法力を明白に上回る干渉力が必要となる。その物体と術者の間に身体的な接触がある場合は、難度が更に大きく跳ね上がる。CADや武装デバイスを魔法で直接破壊することが不可能に近いと言われている理由はここにある。
 しかし、もしそんな理由で彼らが驚いているのであれば、それは勘違いだ。
 彼らが使おうとした魔法は、弾丸に帯電と放電の効果を付与する魔法。魔法の対象となっているのは弾丸であって、銃ではない。銃身はCADとつながっているが、遊底や撃発装置はCADから独立した機構となっている。
 元々、整備の為に分解し易く作られた銃器の部分は、達也の魔法にとって扱い易い物なのだ。
 ここまでショックを受けている理由は、あるいは、かつての日本人に日本刀信仰があったように、アメリカ人には銃器信仰があるのかもしれない。
 無論、達也はそんな事ばかりノンビリ考えていた訳ではない。
 相手の驚く顔を見て反射的にそういう思考が脳裏を走っただけで、意識の焦点は間合いに入った敵に対する攻撃手段に合わされていた。
 達也に彼らを生かしておく理由は無い。
 だがここは、天下の往来だ。
 繁華街ではなく、夜とはいえ、人通りはあるし街路カメラもあちこちに設置されている。
 殺してしまうと、色々面倒臭い事になりそうだ。
 かと言って、確実に存在する監視者に、「分解」の魔法を何度も見せたくはなかった。部分分解は、使わない方が良い。
 そう考えたから、敢えて間合いを詰めたのである。
 達也は掌底を突き出した。
 狙いは、腹。
 鳩尾を狙うような手間は掛けない。
 フラッシュ・キャストを使用。
 発動する魔法は振動系。
 接触した掌から、振動波が敵のボディに叩き込まれる――はずだったのが、
 魔法が跳ね返された感触。
 達也は即座に、横へ跳んだ。
 下から巻き上がる風を感じる。
 彼の残像を、黒光りするナックルダスターをはめた敵の拳が突き上げていた。
 その脇をすり抜けて背中に回り、もう一度振動波を叩き込む。
 死角から放たれた一撃に、男の身体が地に落ちる。
 それにしても驚くべき魔法抵抗力だ。
 身体的接触により情報強化の鎧が弱体化した部分に魔法を撃ち込んだというのに、それを反射的に発揮した干渉力で打ち消したのだ。
 いくら出力に劣る仮想魔法領域から放った魔法とはいえ、普通ならあり得ない事だ。
(調整体――いや、強化人間か)
 態勢を立て直した敵の攻撃を後方に跳んで躱しながら、敵の身体情報にアクセスしてその正体を探る。
 単に遺伝子改造されただけに止まらない歪な構造情報は、後天的に無理な強化を重ねた結果に違いなかった。
(こいつら、こんな状態で、どうして動ける?)
 何百人という死にかけの人間を「視て」きた達也には、彼らが何時斃れてもおかしくない状態だと分かった。
 銃やナイフを振り回すより、病院のベッドで点滴を受けている方が、余程相応しかった。
 それなのに、この活力。
 まるで、燃え尽きる直前の流星だ。
 これはまさしく、地球に捕らわれた星屑が、己の身を炎で削って放つ輝きに他ならない――
 もっとも、このレベルなら自分が負けるとは思わない。が、こういうイレギュラーな相手はどんな無茶をしてくるか分からない。
 多少のリスクを冒してでも、早めに決着をつけるべきだ。
 ――達也はそう、方針を変えた。
 更に跳躍して距離を取り、懐のCADに手を伸ばす。
 抜くと同時に、部分分解を四重発動。
 それで確実に、相手を停止させる。
 達也がそのイメージを固めたのと、偶然にも、同時だった。
 彼がその場に、乱入してきたのは。

◇◆◇◆◇◆◇

 修次は、焦っていた。
 まさかいきなり、ストリートファイトが始まるとは、予想していなかった。
 気配に(さと)い、と調査書に書かれていたので、距離を取って監視していたのが裏目に出た。
 座学の成績が特に優秀、というデータから、慎重な性格という先入観があったのだ。
 ここは、彼らのいる場所から約八百メートル離れた中層ビルの、三階のテラス。
 階段を駆け下りるのも、もどかしかった。
 得物を掴み、飛び降りる。
 そのまま修次は、路面を蹴った。
 神足の魔法(元は仙術の技法)を会得している修次の走るスピードは、短距離であれば最高で時速百二十キロに及ぶ。
 この距離ならば、動力車を使うより走った方が早いし、速い。
 到着まで、およそ三十秒。
 その途中で、振動系魔法の発動を二度、感知した。
 背後から掌底突きを受けて、襲撃者が路上に崩れ落ちたのが見える。
 マジック・アーツを使うのか、と修次は心の中で呟いた。
 調査書には載っていなかった情報だ。
 判っていて伏せるほどの情報ではないから、情報部でも掴んでいなかったのだろう。
 他にも色々と隠し球を持っていそうだ。
 監視対象――現況で護衛対象に移行している――「司波達也」に対する興味が、修次の中で膨らんだ。
 一体どの程度、闘えるのか……
 だがそれを確かめるのは、別の機会だ。修次は、公私のけじめをつけられる人間だった。(と自分では思っている)
 手に持つ武装デバイスのスイッチを押し込む。
 短い棍棒が、小太刀に変化した。
 千葉家が開発し、警察に納入を始めた新製品を、修次が自分用にチューンアップしたものだ。
 彼は「雷丸」や「大蛇丸」の様な高性能の一品物より、取り替えの効く汎用品の方を好む。
 武器は所詮武器であり、消耗品。それに、使い手次第で名刀にも鈍刀(なまくら)にもなる。
 それは「三メートル以内なら世界最強の実戦魔法師の一人」と謳われる自身の腕に対する自負の裏返しだった。
 護衛対象の少年が、大きく後方に跳んだ。
 相手は“スターダスト”――USNA軍に所属する強化魔法師、否、魔法生体兵器だ。調整と強化に耐えきれず、一年以内に死亡する事が確実視された魔法師により組織される決死隊。
 長く生きられないのであれば、無駄死にはしない……そう方向付けられた心の在り方は、一種の洗脳に違いなかったが、修次はそれを邪とは思わない。使命に――信仰ではなく――文字通り命を懸ける姿勢には、寧ろ共感を覚えている。
 だがそれだけに、厄介な相手だ。
 死兵はこの世で最も手強い兵士。
 いくら腕が立つといっても、高校生には荷が重いだろう。
 修次は、達也と“スターダスト”の間に割り込んだ。

◇◆◇◆◇◆◇

 自分を監視している目があることは、達也も把握していた。それがスターズ、USNA軍とは別口であることも。
 だが、これほどの短時間で介入してくるとは予想外だった。傍観に徹すると、達也は予想していたのだ。
 自分に背中を向けているということは、少なくともこの場においては、自分にとって敵ではないということだろう。
 割り込んできたときの横顔で、この人物が誰なのかも分かっていた。
 エリカの次兄だ。
 しかし、何故自分に助太刀するのか、その理由が分からない。
「司波君」
 話し掛けてきたのも予想外なら、
「僕の名は千葉修次。君のクラスメイトの、千葉エリカの兄だ」
 自分から素性を明かしたのも予想外だ。
「この場は僕が引き受ける。君は後ろに下がっていなさい」
 流石に事情説明は無かったが、そんな場合でもない。
「ありがとうございます」
 任せろ、と言うなら、達也に否やは無かった。
 足早に後退すると、修次の背中から肩透かしにあったような気配が漂って来た。
 もしかして「僕も闘います!」的な台詞を予想していたのだろうか。
 生憎達也は、そんな我が侭な性格ではなかった。専門家が下がれと言うなら、素直に従うだけだ。
 ――彼の益になる限りは。
 突然の乱入に相手が戸惑ったのは数秒のこと。
 覆面の四人は、何処からか取り出した拳銃を修次に向かって突き出した。
 現代魔法はスピードを重視する技術体系で、CADはその解答。
 それでも、起動式を処理して魔法式を構築しなければならない魔法より、ただ引き金を引く方が速い。この距離ならば照準に時間を掛ける必要も無い。
 この男たちは相当実戦慣れしているのだろう。魔法という特殊技能に頼るより、速やかに障碍を排除する手段を迷い無く選択した。魔法を全く放棄しているのでもなく、移動系魔法の発動処理を同時進行させている。おそらくは、相手の飛び道具を防ぐ為のものだ。
 矛としての銃と、盾としての魔法。
 それぞれの特性を活かした使い分けだ。思うに、達也に対しては「生け捕り」という足枷があって、本来の戦闘力を発揮できていなかったのだろう。問答無用で敵を斃す、それが彼らの、本来の戦い方に違いなかった。合理性を追求した戦闘スタイルは、大抵の敵を打ち倒すに足りるものだ。

 ただ、千葉修次は、普通の相手ではなかった。

 男たちが引き金を引くより速く、修次は距離を詰めていた。詰め寄られた当人以外には、修次が消えたように見えたに違いない。達也でも意識を集中していなければ見失いそうな速度だ。
 すれ違いざま、小太刀を一閃する。
 拳銃を握る手の、手首から先が落ちた。
 斬撃の一瞬、「高周波ブレード」が発動していたことに、男たちは気づいたかどうか。
 仲間の苦鳴に構わず、三人は修次に銃口を向け直した。
 銃弾は修次の残像を貫いた。
 ガラスが砕ける音をBGMに、修次が間合いを詰める。
 神速、という程ではないのに、照準が定まらない。
 実像と虚像が重なり合う。
 達也も、至近距離で相対したなら、実像を捉えきれる自信が無かった。
 分身のタネは、突進と停止の繰り返しだ。
 突進、停止、方向転換、突進、停止を繰り返すことにより、相手の網膜に残像を生み出している。
 本来、剣の術理は、停止=居着きを嫌う。細かい理屈を抜きにすれば、居着きとは筋肉の硬直であり、足を止めるという動作は、足の筋肉を硬直させ、その状態に固定するもので、居着きに陥る原因の一つとなる。
 しかしそれは、筋力だけで動いている場合の話だ。
 修次は「起こり」、つまり肉体の初動を魔法で管制することにより、完全に停止した状態からタイムラグ無しでトップスピードに移行している。
 だがこれは、言うは易く、実践は困難を極める。
 思考より動作が先行するのは、武術の世界で当たり前に起こることであり、考えるより先に動くことが出来なければ一流には成れない、とも言える。
 修次のやっていることは、思考を追い越す肉体の動作を、更に先取りして魔法を発動する、というもの。
 そういえば先程の高周波ブレードも、相手に、どころか(はた)から見ている者にも察知されない程、一瞬で発動し一瞬で終了していた。あれでは相手は手の内を読めず、対策も取れないだろう。
 この切替の、オン・オフの速さこそが、千葉修次を世界で十本の指に入ると言わしめている源泉に違いない、と達也は思った。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也が修次の戦力分析をしている間に、覆面の男たちは全員、無力化された。
 修次が小太刀を持つ手を下ろす。
 警戒を解いている様子は無かったが、多少、緊張を緩めた感はあった。
 それは達也も同じだった。
 助太刀の礼を言うべく、修次に向かって足を進めた、三歩目で、

 強烈な危機感が、達也を襲った。

 修次もそれを、感じ取っていた。
 達也が身を伏せるのと、修次が小太刀を立てたのは、ほとんど同時だった。
 その直後、
 煌めく光条が修次に襲い掛かった。
 小太刀が光条――高エネルギープラズマのビームを迎え撃つ。
 刀身に当たる直前で、光条が左右に分かれている。
 おそらく、ベクトル改変の魔法でビームを曲げているのだろう。
 だが、電磁波の影響を遮断するには、不十分だった。
 光条が消える。
 不思議なことに、プラズマは街並みに被害を与えていない。
 修次の身体が路上に倒れる。
 細かく震えているのは、至近距離で浴びた電磁波に筋肉が痙攣しているのだろう。
 高出力のスタンガンを喰らったようなものだ。
 達也は光条の推定射出地点へ目を向けた。

 遠く、闇に霞む車道の中央、

 街灯にボンヤリ浮かび上がる、

 深紅の髪と、金色(こんじき)の瞳。

 杖のような物をこちらへ向けて、「アンジー・シリウス」が、(いざな)う眼差しで達也を見ていた。


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