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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第六章・魔人暗闘編
6-(4) 魔性の笑み
 二月十五日。
 一高の校舎内には、昨日の浮ついた空気に代わって、奇妙な困惑が漂っていた。
 生徒全員が関係者という訳ではない。
 逆に、大多数の生徒にとっては、直接関係の無い出来事だ。
 それなのに、困惑は好奇心の波に乗って、瞬く間に全校へ広がった。

 達也がその現場に足を運んだのは、昼休み、まだ食事前のことだった。
 彼が野次馬根性を発揮した訳ではない。
 顔見知りの一年生――こっちは正真正銘「当事者」だ――に拝み倒されて渋々ついて来たのである。
「あっ、司波君」
 彼の姿を認めて、何処かホッとした声で呼び掛けて来たのは五十里だった。
「五十里先輩、お疲れ様です。
 中条先輩も引っ張り出されたんですか?」
 達也が「中条先輩」と呼ぶのは、言うまでもなくあずさのことだ。「会長」と呼ばないのは、彼の中で生徒会長=真由美のイメージが強すぎる為で、他意は無い。五十里の隣にはデフォルトで花音の姿。人垣の中に目を凝らしてみれば、服部部活連会頭の影もある。
「この現象には大勢の生徒が不安を感じていますから……」
 と、あずさ本人が不安げに応える。呼ばれたはいいものの、余り彼女向きの事案ではないようだ。
「しかし事実とすれば、高校生の手には余る事件だと思いますが。先生方は何と仰っているんですか?」
 事実とすれば、の辺りで彼を引っ張ってきた同級生が不満げに唇を尖らせる気配がしたが、達也にしてみれば到底事実とは思えない話だったのだ。
 3H〔Humanoid Home Helper;人型家事手伝いロボット〕が――機械仕掛けの人形が笑みを浮かべて、魔法の力を放ったというのは。
 人形が笑ったというだけなら、これほど関心を集めなかっただろう。表情を変える機能が実装されたヒューマノイド型ロボットも既に試作されている。
 その機能が組み込まれていないタイプP94が本当に表情を変えたのなら、それはそれで異常事態だが、機械技術(テクノロジー)に疎い者には、さして気にならないに違いない。そして魔法科高校生は非魔法系=純粋機械技術には、それほど詳しくない傾向にある。
 だが、表情を変えないはずの人形が微笑みながら魔法を行使した(と達也は聞いた)となれば、魔法科高校生にとって、無視することなど出来るはずもない怪奇現象(ホラー)だ。
 彼らが使う魔法は「オカルト」ではあっても「ホラー」ではない。超常の(ことわり)を操る彼らだから余計に、その理から逸脱する現象に恐れと不安を感じるのかもしれない。
「さっきまで廿楽先生が調べていたけど、ハッキリした結論は出せないと仰っていたよ」
「否定することも出来ない?」
「そうだね」
 答えながら、五十里の浮かべる困惑の色は一層濃いものとなった。
「P94のボディから高濃度のサイオンの痕跡が観測されたよ。先生が言うには、ボディの胸部中心から外部に放出されたものだそうだ」
 五十里の回答に、当然かもしれないが、達也の眉が顰められた。
「3Hの胸部は電子頭脳と燃料電池の格納容器ですよね?
 どちらから?」
 3Hの構造は、頭部に通信ユニットとメインセンサー、左右の胸に燃料電池が一つずつ、燃料電池に挟まれる形で電子頭脳が配置され、骨格フレームの中を情報ラインとエネルギーラインが通っている。
 胸部中心と言うからには、電子頭脳が発生源だろうが……
「電子頭脳がある辺りだって。まったく……出来過ぎだよ」
 予想通りの回答。達也は、五十里と一緒に溜め息をつきたくなった。
 当たり前だが、電子頭脳にはサイオンを放出する機能はない。電気信号とサイオンを相互変換するには感応石が必要で、ホームオートメーションの端末に過ぎない3Hに感応石を組み込む必要はない。実際に、組み込まれてもいない――はずだ。
「……ここのメンバーが改造したとか?」
 ここ、とはロボット研究部のことだ。今、彼らが話をしているのは、ロボ研の部室として割り当てられたガレージの中だった。
「もしそうなら、こんなに悩まないんだけどね」
 まるで本気がこもっていない声の質問に、乾いた笑い混じりの答えが返る。
 つまらない冗談は、気分転換の役にも立ってくれなかった。
「それと、プシオンの痕跡も見られたそうだよ。こっちは発生源が内側か外側か分からないということだけど」
「プシオンの観測機器の性能は、サイオンセンサーに比べればお粗末なものですから」
 口では軽く流していたが、五十里から追加でもたらされたこの情報は、達也の思考能力を強く刺激していた。
 突拍子もない仮説が、彼の頭の中で組み上がる。
 暴走しそうになる思考を意思の力で抑制し、その源である仮説を一旦意識の片隅に押し込んだ。
「コントロールに異常は見られないんですよね?
 勝手に動き出すとか……」
「ああ、今のところ、それは無いよ。
 今もコマンドに従ってサスペンド状態で待機している」
 後ろから、話し掛けたそうにしている気配がした。
 このままでは昼食抜きになってしまう達也を懸念して、深雪とほのかがランチパックを買ってきてくれたのだろう。
「それで、俺は何をすればいいんですか?」
 しかしまだ、五十里との話が終わっていない。
 自分が何のために呼ばれたのか、それも確かめずおちおち食事も摂れなかった。
「P94の電子頭脳をチェックして欲しいんだ。
 CADは電子技術と魔法技術を結びつける機械の最たる物だ。そして我が校でCADソフトウェアに最も精通した人材は、君だ。少なくとも僕は、そう思ってる。
 九校戦で」
 そこまで言い掛けて、今更のように野次馬(ギャラリー)の視線に気がついたのか、五十里は声を潜めた。
「九校戦で仕掛けられた例の『電子金蚕』みたいなものが紛れ込んでいないか、確かめて欲しい」
「なる程」
 五十里が何を懸念しているのか、達也にもようやく合点がいった。
 確かに潜伏型の遅延術式なら、表情の変化はともかく、人形が魔法を使ったように見せることは出来るかもしれない。そんなことをして何になるんだ、とは思うが、愉快犯の仕業という可能性もゼロではない。
「分かりました。
 ただ、ここでは十分なチェックが出来ませんので、メンテナンスルームを使わせていただきたいんですが」
「良いですよ。すぐに許可を取ります」
 この答えはあずさのもの。
 彼女は言葉通り、携帯端末をチョコチョコと慣れた手つきで操作して、安堵したように小さく息を吐き、顔を上げた。
「メンテ室の使用許可が下りました。時間は四時限目の終わりまでです」
 それは暗に、授業をサボれという意味なのか、と達也は心の中でツッコんだ。

◇◆◇◆◇◆◇

 自動調整機能付きのCAD調整機が置かれている部屋は、フィッティングルームと呼ばれている。生徒や職員が自分のCADを調整する際に使うのは通常こちらの部屋だ。
 メンテナンスルームはCADをユーザーに合わせて調整するだけでなく、CADそのもののアレンジやチューニングも行う為の部屋で、詳細な設定変更や簡易な改造を行える機器が置かれている。
 利用者が稀な(機器の扱いが難しいからだ)メンテ室へ、達也はP94本体を運び込んだ。
 同行者は五十里、あずさに加えて、深雪、ほのか、エリカ、レオ、幹比古、美月の、いつものメンバー。達也のクライアントは、そうそうたる顔ぶれに気圧されたのか身内で固めた面子に居心地が悪くなったのか、そそくさと逃げ出した。
 花音は深雪たちに(なら)って購買に走っている。
 余計なギャラリーは服部が閉め出した。その中に服部自身も含まれていたにも関わらず、エリカやレオの同席を認めている辺りに彼の複雑な性格が垣間見える。もっとも、それが短所という訳でもないだろう。現に五十里やあずさは、野次馬的な視線が無くなって幾分ホッとした顔をしている。
「取り敢えず、何が起こったのか教えていただけませんか」
 先に食べてて良いという五十里の言葉に甘えてホットサンドを囓りながら、達也はまず正確な情報を求めた。
「俺は校内に流れている噂しか知りませんので」
 達也を引っ張り出した同級生は、十分な事態説明もしなかったのだ。
「事件の発端は今朝七時ちょうど」
 達也の要請に、五十里は「もっともだ」とばかり頷き、事務的な口調で説明を始めた。
「このP94は毎日朝七時に自己診断プログラムが起動するように設定されている。必然的に、サスペンドも自動的に解除される」
 それは別に異例なことではなかった。毎朝使用前に自己診断プログラムを自動実行することは、3Hの使用マニュアルで推奨されている手順だ。
 相槌の意味で、達也は一つ頷いた。
「自己診断プログラム終了後は異常が有っても無くてもサスペンド状態に戻る」
 これも3Hの一般的な取扱い。なお異常が見つかった場合は、遠隔管制アプリケーションをインストールされたサーバーにアラームが飛ぶ仕組みになっている。
「自己診断プログラムは滞りなく終了した。結果は、異常箇所無し。
 ところがP94は機能を停止せずに、サーバーと交信を始めた。アクセスしようとしたデータは、当校の生徒名簿。
 遠隔管制アプリはマルウェアに感染した可能性が高いと判定して、強制停止コマンドを送信。3Hに限らず強制停止コマンドは全てのコマンドに優先するから、ソフト的に抵抗することは出来ないし、P94にはコマンドを無効化するハードも搭載されていない」
 これが軍事用機械だと遠隔コマンドをシャットアウトする装置が組み込まれていたりするが、民生用機器にその手のハードウェアが組み入れられることはない。安全に動作を停止するシークエンスに移行するため完全停止まで時間が掛かるということはあっても、コマンド自体を無視することはあり得ない。
「にも関わらず、このP94は機能を停止しなかった」
 だが、どうやらその「あり得ない」ことが起こったらしい。
「P94のログには、強制停止コマンドを受信し、正規に処理されたプロセスが記されている。しかしサーバーに対するアクセス要求はその後も続き、サーバー側が無線回線を閉じることでようやくP94の異常な稼働は止まった。
 その様子が防犯カメラに記録されているけど、見るかい?」
「いえ。しかし察するところ、そのカメラにP94の『笑顔』が映っていたんですね」
「そう……何だかワクワクしているような、何か待ち遠しいような、そんな表情だったよ」
 隣で聞いているあずさの表情が少し蒼褪めているように見えるのは、彼女にとってその笑顔が不気味で恐怖を誘うものだったからだろう。
 表情を変えるはずがない機械人形にそんな顔をされたら、達也でも不気味に感じるに違いなかった。
「エレクトロニクス的には停止していたはずのP94が稼働を続けていたのは、電子頭脳以外の何かから発せられた電子的なコマンド以外の信号で機体がコントロールされていたから。そしてそれは、サイオン波そのものか、サイオン波を伴う魔法的な力だ、とお考えなんですね」
「流石は司波君、そのとおりだよ。
 廿楽先生はそう仰っていたし、僕もそれ以外に説明はつかないと思う」
「分かりました……診てみます」
 話を聞く限りは新種のウイルスに感染したと考えるのが最も妥当な気がするが、それでは「笑顔」の説明がつかない。
 五十里やあずさの前で「視力」を使うのは躊躇われたが、どうやら「視」てみないことには始まらないようだ。
「ピクシー、サスペンド解除」
 自走式の台車に腰掛けた(正確には、台車の上に固定された椅子に腰掛けた)少女型ロボットに、達也はそう話し掛けた。(命じた、と表現する方が適切かもしれない)
 効果は即座に表れた。つまり、音声入力は正常に動いているということだ。
 ピクシーという愛称をつけられた機体はパチッと目を開け、椅子から立ち上がると深々と一礼した。
「ご用でございますか」
 起動時の決まり文句が小さく動く唇からスムーズに流れ出す。
 文節構成を必要としない、プリセットされている定型文は滑らかに再生される仕様、とはいえ、その口調は以前より人間に近く感じられた。
「今朝七時以降のログを閲覧する。その台の上に仰向けに寝て、点検(インスペクション)モードに移行しろ」
「アドミニストレーター権限を確認します」
 達也の命令は、管理者権限を必要とするものであり、ピクシーの回答もプリセットされた定型反応だ。
 まだ台車から降りていない所為で、達也より僅かに高くなった目線から、彼女(?)は達也の目を覗き込んだ。――無論それは人間の動作に当てはめてみれば、であって、実際には顔全体を見ているのだが。この距離で虹彩(アイリス)認証を行う技術は、まだ実用化されていない。
 ところで達也は、ピクシーの管理者として登録されていない。
 故に顔パス(顔認証でセキュリティを通過)はあり得ず、権限付与を示すエビデンスを提示しなければならない。
 実際、達也は管理者権限を示すカードを、胸ポケットにつけていた。
 だから本来ならば、ピクシーの視線は顔ではなく胸ポケットに向けられるべきなのだ。
 それなのに。
 ピクシーの視線は。
 達也の顔に固定されたまま、動かない。
 見詰めている、と表現するのが最も相応しい、停滞した時間。
 達也やあずさだけでなく、全員が「何かおかしい」と感じ始めたところで、ピクシーが動いた。
 その口が「ミツケタ」という小さな音声を紡ぎ出し、
 慎重と言っていい足取りで、台車から降りると、
 次の瞬間、達也に向かって飛び掛かった。

(回避は、不可!)

 達也の脳裏に、

(脅威度は、小)

 圧縮された思考が閃く。

 ――達也は、自分より頭一つ以上小さなピクシーのボディを、正面から受け止めた。
 3Hは民家内で使うことを想定して、軽量素材で作られている。
 衝撃は、大したものではなかった。きっと、平均的な成人女性に抱きつかれるのと同程度のものだろう。
 声にならない悲鳴が上がった。
 ピクシーの両腕は、達也の首にしっかりと回されている。
 つまり、正面から、まさしく、抱きついているのだ。
 誰もが、達也本人を含めて、言葉を発することが出来なかった。
 絶句、という言葉は、こういう場合に使うのだろう。
 それ程の驚きが、室内を支配していた。
 ロボットが、こんな情熱的な感情表現を行うなんて、ありえない――
「……へぇ、司波君って、ロボットにまでモテるんだ」
 室内を覆う沈黙を打破したのは、衝撃の瞬間に居合わせていなかった人間だった。
 たった今、部屋に入ってきたばかりの花音が、白けた声でツッコミを入れたのだ。
 それを切欠に、麻痺していた感情が次々と再起動を始める。
 達也は背中に突き刺すような視線を感じた。
 真後ろからブリザードじみた冷たい怒気が送られてきている。
 フリーズからいち早く常態に復帰したのは深雪だった。
 常態、と言って良いのかどうか、些か疑問も無いではなかったが。
「……お兄様に、お人形遊びのご趣味がお有りとは、存じませんでした」
「とにかくまず、落ち着け、深雪」
 ほのかから咎めるような視線を向けられるだけならともかく、まさか妹から浮気(?)の濡れ衣を着せられるとは、達也も思っていなかった。――そんなことを常日頃から想定している「兄」は、そちらの方が何処か病んでいるに違いない。
「俺の方から抱きついた訳じゃないぞ。抱きつかれたんだ」
「お兄様の身体能力なら、避けることなど造作も無かったはずです」
 確かに避けようと思えば、避けられた。3Hの機械的な最大出力は、誤って家具や食器を壊さないように、またそれ以上に、ふとした(はずみ)でオーナー家族に怪我をさせないように、平均的な成人女性以下に抑えられている。
「俺が避けたら、お前にぶつかっていたじゃないか」
 それでも避けなかったのは、真後ろに深雪がいたからだ。達也ならば体重差もあるから飛び掛かられても受け止められるが、深雪だと押し倒されていた可能性が高い。
「おおっ、あの一瞬でそこまで計算してたのかよ」
「見てたら分かるでしょ、それくらい」
 レオが今にも手を打ち合わせそうな声で驚きを示すと、エリカが「何を今更」とでも言いたげな声でツッコミを入れた。
「……申し訳ありません、失礼なことを……」
 一方、それが分からなかった(というよりそこまで頭が回らなかった)深雪は、両手で口元を押さえた後、シュンと萎れて己が非を詫びた。ただ、落ち込んでいるように見えて、微妙に嬉しそうでもあった。
「それより、ピクシーを何とかしましょう」
 ここで、ようやく再起動を果たしたあずさが、遠慮がちな声でそう提案した。
 まだ自分に抱きついたままのピクシーを見下ろして、達也がバツの悪そうな笑みを浮かべる。
「ピクシー、離れてくれ」
 達也の命令に、軟性樹脂に包まれた機械の腕がピクリと震えた。――これは、モーターが作動する際の、単なる反動に過ぎないはずだ。
 ピクシーは大人しく両腕を解いた。――名残惜しそうに見えたのは、単なる見間違えのはずだ。
 達也を見上げる両眼から熱っぽい眼差しが注がれているように見えるのも、気の所為でしかないはずだ。
 全ては錯覚でしかないはずなのに――達也には、何故か無視出来なかった。
「モード変更のコマンドは取り消す。ピクシー、その寝台に座れ」
「畏まりました」
 今度はすぐに、指示に従った。管理者権限を要する類の命令ではないから、と解釈するのが常識的だが、さっきの異常な動作が目に焼き付いている所為か、達也の命令だから素直に従っている、という風に見えてしまう。
「美月」
 次に達也が呼んだのは、美月の名前だった。
「は、はいっ?」
 すっかり傍観者気分だった美月は、突然の指名に声をひっくり返らせた。
 意外に思ったのは美月本人だけでなく、五十里や花音も訝しげな目を向けて来ている。
「美月、ピクシーの中を覗いてみてくれ。
 幹比古は美月が大きなダメージを負わないようにガードして欲しい」
「……ピクシーに何か憑いていると考えているのかい?」
 そう問い掛ける幹比古は、無意識に声を潜めていた。
「何か、とは、遠回しな言い方を選んだな、幹比古」
 達也の回答も直接的なものではなかったが、彼が何を予測しているのか、伝えるには十分だった。
 幹比古は(校内での)所持を禁止されているCADの代わりに呪符を取り出し、念を込める。
 美月も達也の考えを覚ったようだ。
 緊張した、少し怯えた面持ちで、それでもしっかりとピクシーを見据えて、眼鏡を外した。
 美月の目が、見開かれた。
 彼女が口を開くより早く、ピクシーに変化が訪れた。
 人を模した仮面に、表情が生まれた。
 見られることにより、存在が定着する――これもその現象の一つか。
「います……パラサイト、です」
 誰かが、息を呑んだ。
 美月を除く全員が、それぞれのやり方で驚きを示し、それぞれのスタイルで身構える。
「でも」
 美月の呟きは、まだ終わりではなかった。
「このパターンは……」
 眉を顰め、「む~っ」と悩んだ後、美月は急に振り返った。
「えっ、なに?」
 彼女の視線の先には、ほのかがいた。
 じ~っとほのかを凝視した後、美月は何度か、ほのかとピクシーへ交互に視線を向けた。
「このパターン……ほのかさんに似てる」
 そして紡ぎ出した美月の結論に、
「ええっ!?」
 ほのかが仰天の声を上げた。
「……どういうこと?」
 率直な疑問を口にしたのは花音だったが、そう思ったのは彼女だけではなかった。
「パラサイトは、ほのかさんの思念波の影響下にあります」
 当然の驚きと当然の疑問を前にして、美月は珍しく、キッパリとした口調で答えた。
「ええと、それって、光井さんのコントロールを受けているということ?」
「いえ、そういうつながりではないと思います」
 五十里の問いに、美月は首を横に振った。
「ほのかさんとパラサイトの間にラインがつながっているんじゃなくて、ほのかさんの思念をパラサイトが写し取った感じです。
 あるいは、ほのかさんの『想い』が、パラサイトに焼き付けられた、と言うべきでしょうか」
「私、そんなことしてません!」
「ほのかが意図してやったと言ってる訳じゃない」
 パニックを起こしかけているほのかを、達也が宥めた。
「そうだろう、美月?」
「あっ、はい。
 意識的なものじゃなくて、残留思念に近いと思います」
 パニックの発生は防げた。
 しかし、疑問の方はまるで解消されていなかった。
「残留思念……つまり、光井さんが何か強く想ったことが、偶々近くを漂っていたパラサイトに写し取られたということかな?
 その後、ピクシーに憑依した?
 それとも、ピクシーの中に潜んでいたパラサイトに、光井さんの想念が焼き付いた……?」
 幹比古の台詞は、自分の思考を纏める為の作業であり、本質は独り言だった。
 だが彼の台詞の後、一拍おいて、ほのかが急に俯いた。
 両手で顔を覆っている。
 その隙間から見える顔の色は、いつもよりかなり赤かった。
 どうやら心当たりがあるようだ。
 それを誰かが問い詰める前に、

『そのとおりです』

 答えは本人――いや、この場合は「本体」と言うべきか――から、もたらされた。
『私は、彼に対する、彼女の想念によって覚醒しました』
 ピクシーの唇は、人が言葉を発する時の動きをなぞっている。
 しかしその「言葉」は、耳ではなく、意識に響いた。
「能動型テレパシー?」
「残留サイオンの正体は、魔法ではなく、サイキックだったようですね」
 あずさの呟きに相槌を返して、達也はピクシーの正面に進み出た。
「音声によるコミュニケーションは可能か?」
『音声を理解することは可能です。
 ただ、この身体の発声器官を操作するのは難しいので、こちらの意思伝達はテレパシーを使わせてください』
「器官じゃなくて装置だからな。
 それにしても、我々の言語に随分通じているようだが、どうやって修得したんだ?」
『前の宿主より、知識を引き継いでいます』
「お前はやはり、あの時のパラサイトか?」
『パラサイト――寄生体。確かに我々は、そのようなモノです』
「お前たちはそうやって宿主を換えることが出来るのだな。今までに何人を犠牲にした?」
『犠牲――その概念には異議があります。
 何人か、という質問には、答えられません。私はそれを、憶えていない』
 達也とピクシーの中のパラサイトの会話に、口を挿もうとする者はいなかった。
 誰もが固唾を呑んで、一人と一体を見詰めていた。
「憶えていないくらい多数ということか?」
『違います。我々が宿主を移動する際に引き継ぐことが出来るのは、宿主のパーソナリティから乖離した知識だけです。
 パーソナリティと結び付いた記憶は、移動の際に失われます』
「なる程、だから前の宿主がどんな人間だったのかは分からない、それが一人なのか二人なのか、もっと大勢なのかも憶えていないということだな」
『そのとおりです。貴方の理解は正確だ』
「質問に対する回答以外に、そうやって感想を述べることも出来るんだな。お前たちにも感情はあるのか?」
『我々にも自己保存の欲求があります』
「つまり、自己の保存に有益か有害かの判断に由来する好悪は存在すると言いたいんだな。
 だが、感情の源泉を今ここで論ずるつもりはない。
 話を変えよう。
 お前のことは何と呼べばいい?」
『我々には名前がありませんので、この個体の名称「ピクシー」で呼んでください』
「電子頭脳からも知識を引き出せるのか?」
『この身体を掌握してから可能になりましたが、個体名称については、先程貴方がそう呼んでいました』
「ではピクシー。
 お前は、我々に敵対する存在なのか?」
『私は貴方に従属します』
「俺に? 何故?」
『私は彼女――個体名「ほのか」の、「貴方のものになりたい」という想念によって休眠状態から覚醒しました』
 声にならない悲鳴の後、塞がれた口から漏れる呻き声が達也の耳に届いた。
 チラリと振り返ってみると、深雪とエリカが二人掛かりでほのかの口を押さえていた。
『我々は強い想念に引き寄せられ、その想念を核として「自我」を形成します。
 既に述べたとおり、前の宿主の「記憶」は消滅していますから、どのような想いが「私」をこの世界に引きずり込んだのかは分かりません。
 そして今、私の核を構成するのは、「貴方のものになりたい」という欲求です。
 故に私は、貴方に従属します』
 呻き声が激しくなった。
 口を塞がれていなかったら、ほのかは叫びだしていただろう。今だってかなりの勢いで、二人掛かりの拘束に抵抗している。
 しかし達也は、ほのかの羞恥心に反応を示さなかった。
「興味深い話だ」
 達也の意識は今、「情」ではなく「知」に占められていた。
「お前たちに自我があるというのも意外なら、お前たちがあくまで受動的な存在だというのも意外だ。
 つまりお前たちは望んでこの世界に来たのではない、ということか」
『我々は本来、ただ在るだけのものです。「望み」は宿主によってもたらされます』
「耳が痛いな。
 まあ、責任の所在は別の機会に追求するとしてだ……
 ピクシー、お前は俺に従う、ということで良いんだな」
『それが私の「望み」です』
「では、俺の命令に従え。
 今後、俺の許可無くサイキックを行使することを禁止する。
 表情を変えているのも念動の一種だろう? それも禁止だ」
「ご命令の・ままに」
 その言葉を自ら証明するように、ぎこちない声で答えるピクシー。
 その顔から、笑みが消えた。
 機械の骨格に被せられた、元の、仮面の表情。
 だがその、仮面の表情は、妖しい笑みを浮かべているようにも見えた。


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