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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第六章・魔人暗闘編
6-(1) 義理と好意と悪だくみ

 かつて、外交と言えば、砲艦外交か密室外交と相場が決まっていた。
 やがて、バランス・オブ・パワーの時代を経て大同盟が外交の基本方針となり、それと同時に外交スタイルも会議・セレモニー型が主流となったが、砲艦外交や秘密外交が姿を消したわけではない。
 秘密外交はセレモニーを成功させる為に欠くことの出来ない下準備として、これに携わる者は外交の花形から外交の職人として、今も世界を暗躍している。
 何時でも、何処でも。
 この世から陰謀の種が尽きることはない。
 今夜も。
 この国でも。

「……全く、狂信者という輩は度し難いものです」
「ハハハ……あの手の連中は、走らせるのは簡単ですが、手綱を取るのは困難ですから」
 テーブルを挟んで、スーツ姿の中年の男が、向かい側に座る、やはりスーツ姿の、但しこちらはモンゴロイドではなくコーカソイドの、中年の男に酒を勧めた。
 コーカソイドの男は在日期間が長いのか、あるいは趣味、もしくは教育の賜物なのか、差し出された徳利から注がれる透明な液体を小さな杯、つまりお猪口で受けると、作法に従いそのまま口元に運ぶ。
「改めて考えると実に不思議で、何と言いますか上品な酒ですな、この清酒という酒は……蒸留していないのに無色透明なのですから」
 そつなく、相手国に対するお世辞を挿むのも忘れない。
「いえいえ、ワインの鮮やかな赤に比べれば華やかさに欠けていることは否めません。
 無論、味の方はご満足いただける物をご用意したつもりですが」
 お世辞を受けた方も、謙遜とアピールを忘れない。
 向かい合う二人の共通点は、心の裡を、見せないこと。
「本当ですね……このまま心地良く酔いしれたいところですが、先程も申しました狂信者どもが無法を尽くしているものですから、なかなかゆっくりは出来ません」
「貴国滞在中の同胞の安全に、特段のご配慮をいただいている件につきましては、感謝にたえません」
 二人の声の調子に変化は無い。
 顔にも薄い笑みが浮かんだままだ。
 だが、この二人と同じ世界に生きる者なら、最前までとは異なる空気を感じ取れたはずだ。
「いえいえ、当然の義務ですから。
 とは言うものの、相手は理屈の通じない狂人ですからな……
 例えば、中華連合艦隊を殲滅した大爆発は科学的に体系化された魔法技能によるもので、悪魔の仕業などではないと、いくら説明しても聞こうとはしないのですよ」
「相手が聞く耳を持たないからといって、保護すべき外国人に被害が出た時の言い訳にはなりませんからね……ご同情申し上げます」
 二人は交互に徳利を傾け(もちろん相手に向けてだ)、示し合わせたように、同時に杯を(あお)った。
「これは愚痴と思って聞いていただきたいのですが、せめてあの“グレート・ボム”の概要でも明かしていただければ、彼らを大人しくさせることも出来ると思うのです」
「……これも愚痴と思って聞いていただきたいのですが、朝鮮半島南端で使用された兵器については、軍部が情報を握り込んでいるのですよ。
 いくら機密性が高いといっても、シビリアンコントロールは民主主義の基本なのですが……軍人というのは、何故ああも頑固なのか」
 二人の視線が瞬時、火花を散らし、刹那の後には、どちらの瞳も空っぽの笑みを浮かべていた。

◇◆◇◆◇◆◇

「今、聞いてもらったとおりよ」
 盗聴した会話の再生を止めて、藤林が顔を上げた。
「今回はウチの外交官連中も、結構頑張ってるみたい。
 流石に『戦略級』の重要性と特殊性は理解出来ているんでしょうね」
「それに」
 何事か言い淀んだ達也に向かって「んっ?」と小首を傾げ、藤林が続きを促す。
「……それに、外務省にも面子があるのでしょう。
 三年前、一方的な侵攻を受けて、日本中から腰抜けの罵倒を受けながらも必死で非軍事的解決を探り奔走していたというのに、その努力を真っ向から虚仮にされたんですから」
「それは中華連合のやったことですよね……?」
 藤林には「釈迦に説法」だったようだが、深雪はピンと来なかったようだ。
 まあそれが普通だろうと思える程度には、達也にも常識があった。
「日本とUSNAは同盟国だが、同時に西太平洋地域における潜在的な競合国でもある。
 日本の適度な弱体化は、USNAの利益に適っているんだ。
 一方、中華連合は大国といっても、日米同盟と正面からやり合う力はない。そんな博打を打たなければならない程、国内状況も追いつめられてはいない。
 では何故、中華連合は横浜侵攻という暴挙に出たのか」
 達也は一旦言葉を切って、深雪に考える時間を与えた。
 彼は妹を、綺麗なだけで頭が空っぽなお人形にしたくなかった。
「……中華連合には日本とアメリカを同時に相手取る力はない……
 アメリカは日本の同盟国だけど、日本が今よりも少し弱くなれば良いと考えている……」
 独り言のようにそう言って、深雪は「あっ!」とばかり口元に手を当てた。
「まさか……中華連合とUSNAが裏で手を結んでいたのですか?」
 達也は「よくできました」と満足げに微笑み、藤林はその二人の様子に見て、苦笑を漏らしていた。
「手を結んでいた、というのは言い過ぎかもしれないけれど、一種の共謀関係にあった可能性は、かなり高いんじゃないかな」
 達也が藤林の方へ目を向けると、彼女は苦笑を消して小さく頷いた。
「例えば、中華連合の軍事侵攻に対し、USNAは太平洋艦隊の出動を故意に遅らせる、とかね」
「実際、あの時のUSNA艦隊の反応は、後から思い返してみれば、不自然なくらい鈍いものだったわ」
「おそらく中華連合軍の目的は、領土の占領や重要施設の破壊ではなく、技術者と技術の拉致強奪にあったのではないでしょうか?」
「そうでしょうね。場所と戦力から考えると、それ以上の戦果は望めないもの。
 艦隊の動員は、あくまでも作戦失敗に備えたものだったのでしょう。
 結果は彼らにとって、薮蛇もいいとこだったけど」
「雉も鳴かずば撃たれまい、ではないかと。
 薮を(つつ)いて出てきた蛇に悩まされているのは、寧ろ俺たちの方ですから」
 達也はポーカーフェイスを装っていたが、
「最大の当事者の発言には、流石に実感がこもっているわね」
 どうやら藤林には通用しなかったようだ。

「さてと……私はそろそろお暇するね。
 いくら『青田刈り』って名目があっても、軍人が日曜日の一般家庭に長居するのは不自然ですものね」
「今日はわざわざ、ありがとうございました」
 立ち上がる藤林に、同じく立ち上がりながら達也は謝辞を述べた。
 大してお構いも出来ませんで、の類の謙遜はしなかった。本人は意識していないが、深雪がもてなしたのだから、行き届かぬようなところなどあったはずがない、と達也の頭の中では処理されていたのである。
 玄関まで見送ったところで、藤林は「あっ、そうそう」と言いながらハンドバッグに手を突っ込んだ。本当に今まで思い出さなかったのではなく、当然これは、演出だ。
 彼女が取り出したのは、綺麗にラッピングされた薄い小箱。
「ハイ、二日早いけど義理チョコよ」
「義理ですか」
 欠片も期待を持たせない、清々しい正直さ加減だった。
 義理チョコという割にはお洒落な包装だが、藤林の何事にも手を抜かない性格は達也も知っているので、そんなことで都合のいい誤解はしなかった。
「義理じゃ不満?」
 悪戯っぽく藤林が笑う。
 その瞬間、深雪の瞳が鋭い光を帯びたが、
「いえ、まったく」
 即返された達也の答えに、錯覚と見紛う程キレイさっぱり、その光は消えた。
 お互いに別れの挨拶を交わして閉ざされた扉の向こう側で、若い女性の噴き出す声が聞こえたが、兄妹は何事も無かった顔でリビングに戻った。

◇◆◇◆◇◆◇

 戦争(第三次世界大戦)を境にして、この国では文化の潮流がガラッと変わった、というイメージが強い。
 だが実際には、それほど大きな変化があった訳ではなく、所謂「軽薄な」風習も廃れず続いているものは多いのだ。
 その一つが、明日に控えたバレンタインデー。“聖バレンタイン・デー”は本来、そんな軽薄なものではなく、とか、チョコレートをプレゼントするなんてお菓子会社の陰謀、とか、いくら力説しても無駄なこと。若者はそんな事など百も承知で、自ら踊っているのだから。
 バレンタインデーを明日に控え、第一高校の校舎も一日中、浮ついた空気に包まれていた。こういうところは、魔法師(の卵)も普通の少年少女だ。
「……光井さん、今日はもう上がってもらっていいですよ」
 放課後の生徒会室。
 さっきから繰り返し鳴っているエラー音。
 その発生源であるほのかに、苛立って、ではなく、何処か具合が悪いのかと気遣って、あずさがそう声を掛けた。
「そうよ、ホノカ。貴女、今日はもう帰った方が良いわ」
 色鮮やかな蒼の瞳を曇らせてそう主張したのは、臨時役員に収まったリーナだ。彼女の正体は一般生徒のみならずあずさや五十里にも伏せられているとはいえ、なかなか大胆といえる。――彼女自身には選択の余地が無かった、という事情もあったりするのだが。
「いえ、大丈夫です」
 明らかな不調を見せながら、ほのかは気丈な答えを返す。
 ……不調の原因を自覚しているから、心遣いに甘えるのが恥ずかしい、という理由があったのだが、思いこみが強くて過剰な責任を抱え込み無理をしがちな普段の彼女を知っている面々にとっては、心配を増幅するものでしかなかった。
「光井さん、責任感が強いのは立派なことだと思うけど、休むのは悪い事じゃないんだよ」
 五十里にそう言われてもまだ「じゃあ休みます」と言わないほのかにとどめを刺したのは深雪だった。
「ほのか、本当に無理をしない方が良いわ。いくら頑張っても、今日は仕事にならないでしょう?」
 深雪も(表面的には)大層心配そうな顔をしている。ともすれば生身の人間であることを忘れさせる神秘的な美貌の彼女がそういう表情を浮かべると実に様になっていて、あずさと五十里とリーナが一斉に「ウンウン」と頷いた程だ。
 だが、自分の「不調」の理由を深雪が察しているということに気付いているほのかとしては、大変居心地の悪い台詞だった。特に、「今日は仕事にならない」の(くだり)が。
「そう……ね。じゃあ……」
 少しの逡巡を見せた後、ほのかは勢い良く立ち上がって勢い良く頭を下げた。
「まことに申し訳ありません! 今日はお先に失礼させていただきます。明日から、また頑張りますから!」
「ええ、明日は頑張りましょう」
 先輩二人に先んじて(差し置いて?)、深雪がほのかに応えを返した。明日「も」ではなく明日「は」と言ったことに、あずさは微かな違和感を覚えたが、その意味を理解出来たのはほのか本人だけだった。
 失礼します、と頭を下げて、そのままクルリと(きびす)を返したほのかの顔は、頬の(あた)りが赤く染まっていた。

◇◆◇◆◇◆◇

「……という一幕がありまして、ほのかは先に帰りました」
 学校から駅へと続く帰り道、達也にそんな説明をする深雪の姿があった。
「あ~、……もしかして、明日の準備か」
「間違いありません」
 深雪が自信たっぷりに頷くと、達也はむず痒さを堪えているような顔になった。
「……ほのかはそういうことに力を入れそうなタイプだからなぁ」
「嬉しいですか、お兄様」
 嫉妬を込めて、ではなく、からかう口調で問い掛ける深雪に、動作ではなく雰囲気で、達也は肩を竦めて見せた。
「嬉しいというより、申し訳ない気がするな。
 品物でお返しは出来ても、肝心のものが返せないからね……」
 恰好付けというには些か深刻な声音で呟いた達也の袖を、深雪が遠慮がちに掴んだ。
「……どうか、そのようなお気遣いはご無用に願います。ほのかもわたしも、ただお兄様に喜んでいただきたい一心なのですから」
「……そうか」
「そうです。
 お兄様は、何も仰らず受け取って下さるだけで良いのです」
「あの~、雰囲気出してるところに申し訳ないのだけど」
 言い難そうに、遠慮というよりイヤイヤ、やむを得ずといった顔つきで口を挿んだリーナの方へ、達也は深雪に袖を掴ませたまま目を向けた。
「雰囲気? おかしな事を言うんだな、リーナは」
 おかしいのはあなた達の頭よ! とリーナは声を大にして主張したかったが、力ずくならともかく口で達也に勝てないのは、散々思い知らされている。こういう時は、言いたいことをさっさと言ってしまうのがベストだ、という学習結果に、リーナは従うことにした。
「要するに、ホノカの調子が悪かったのは、タツヤにあげる明日のチョコレートが気になっていたから?」
「よく分かったわね、リーナ。
 チョコレートをあげるのは日本固有の習慣だと思っていたけど」
 リーナは達也の顔を見て問い掛けたのだが、答えは当たり前のように深雪から返って来た。……このケースに限って言えば、達也には答えようがない質問だったので、リーナも特に「またこの兄妹は」とは思わなかった。
「そんなことないわよ。
 “バレンタインデーにチョコレート”は有名なジャパンカルチャーだもの。
 ステイツでも真似してる子は多いし、ミユキ以外のクラスメイトからも散々聞かされてるしね」
 深雪の疑問に対するリーナの回答は、少しうんざりした口振りだった。
「ふ~ん……リーナは誰にあげるの?」
「ミユキまでそれを訊くの……?」
 嫌そうに(しか)められた表情から察するに、同じ事を相当しつこく訊ねられているようだ。
 どういう形をとるか、は別にして、この手の関心(好奇心)そのものは百年前も同じだったし、あと百年過ぎても変わらないに違いない。
「誰にもあげる予定は無いわよ」
「あら、義理チョコも?
 それとも、義理チョコの習慣は伝わらなかったのかしら」
「知ってるわよ、義理チョコくらい」
「だったら、あげると喜ぶ人も多いんじゃない?
 留学して来る時にお世話になった人とか」
 深雪の顔を、軽く睨みつけるリーナ。
 だが深雪の顔からは、軽い好奇心以外、他意は感じられなかった。
「ワタシが個人的な贈り物をしたりしたら、色々と問題が発生するのよ」
「そうなの?
 人気者は大変ね」
 深雪の呟きに、リーナはグッと息を詰まらせた。
 実力よりも人気が先行している、と言われているように感じたからだが、それが被害妄想だということも彼女には分かっていた。
「人気者というならミユキの方が凄いじゃない。
 ミユキは誰にあげるの?
 やっぱり本命はタツヤ?」
 深雪が達也に本命チョコを渡すのは自明のこと、せいぜい惚気なさい、思いっきり弄ってあげるから、とリーナは考えたのだが……
「何を言ってるの、リーナ。
 お兄様とわたしは兄妹なのよ。
 実の兄を相手に本命チョコなんておかしいでしょう」
「…………」
 二の句を継げないとはこの事か……と、リーナは心の底から実感した。

◇◆◇◆◇◆◇

「……ねえねえ泉美、お姉ちゃん、何してるんだと思う?」
「チョコレートを作っている……のだと思いますけど」
「じゃあさ……あの含み笑いは何だろうね……?」
 七草家の双子の姉妹は、台所の入口でひそひそと耳打ちを交わしていた。
「楽しそうに……見えますけど。一応は」
「でもさ、あれはチョッと、違うんじゃない?」
 二人の視線の先には、楽しそうに板チョコを湯煎する真由美の姿。
 ただ、楽しそうと言ってもそれは断じて、バレンタインデー前日の恋する乙女が浮かべる笑みではあり得ない。
「……どなたに差し上げるものなのでしょう」
 真由美の含み笑いは既に「うふふふふ」を通り越して「フッフッフッフ……」とか「クックックックック……」とかに近いものになっている。まるで毒殺でも企てているかの如き姉の姿に、双子は蒼褪めた顔を見合わせた。
「香澄ちゃん、お姉さまが使っていらっしゃるチョコレートですけど、あれって……」
「あ~、そうだね……カカオ九十五パーセント、糖類ゼロパーセントってヤツだ……」
 過去にはカカオ分九十九パーセントを謳った商品が発売されたこともあるが、現在市販されているものとしては最も苦みの強いチョコレート、それが真由美の使っている材料だった。
「それとさ、あの袋……」
「エスプレッソパウダー、ですわね……」
「お姉ちゃん、何か嫌なことでもあったのかな……」

◇◆◇◆◇◆◇

――圧し固めたサイオンの砲弾が情報の次元(イデア)に出現し、短い軌跡を描いて孤立情報体に激突した。
「今のはまあまあだね。今朝はここまでにしておこうか」
「……ありがとうございました」
 八雲に向かい息を整えて一礼する達也の許へタオルを手にした深雪が駆け寄る。
 真冬というのに額を伝う大粒の汗を拭い取る達也を暫し気遣わしげに見詰めた後、深雪は八雲へ話し掛けた。
「先生、術式解体にしては、お兄様の消耗が少々激しいように思われるのですが……」
 深雪の質問に自分で答えようとした達也を目で制し、八雲は大丈夫とばかり首を振った。
「少しくらい消耗するのは仕方ないよ。
 達也くんは(ことわり)の世界に、本来は存在しない『移動』と『排他』の概念を持ち込んだのだから」
 深雪は達也が対パラサイトの修行を始めた初日以来、「邪魔になるから」と遠慮して立ち会っていない。だから、達也がどんな工夫をしているのか、八雲に聞くまで知らなかった。単に、術式解体を情報次元でも使えるように練習しているとしか思っていなかったのだ。
「それは……何か、副作用を生じるアレンジなのでしょうか」
 彼女は、兄が最強の魔法師であることを確信しているが、出来ない事もたくさんあると知っている。勝利の為にそれが必要なのだとしても、兄の心身を損なう――例えば、寿命を縮める――ものであるなら、泣き落としでも何でも使って、すぐに止めて貰うつもりだった。
「いや、そんなものは無いと思うな」
 そんな深雪の想いと裏腹に、八雲の回答はあっさりしたものだった。
「達也くんは認識方法を変えているだけだからね。
 的に直接『当てる』のではなく、的の『手前』から三十二分の一秒刻みで座標を設定し、それを無意識下で繋ぐことで理の世界を『移動』する『排他』の概念弾を作り出した――そうだよね、達也くん」
「そういうことだ、深雪。思考力と認識力をフル回転させる所為で精神的に……ああ、いや、神経的に疲れるだけだ。
 副作用を負うような危険な真似はしていないから心配するな」
「そうですか……」
 達也にハッキリそう言われて、深雪は一安心した様子だった。
「では、パラサイトに対する攻撃手段についても目処が立ったのですね」
 流石はお兄様です、とキラキラした目で自分の顔を見上げる妹に、達也は意図せず苦い笑みを浮かべた。
「いや」
「生まれたばかりの“子”なら滅ぼせるだろうね。
 でも年月を経て存在が固まった“親”が相手だと、難しいかもしれない」
 苦い笑みのまま、首を横に振ろうとした達也。
 それを遮って、八雲が微妙な評価を下した。
 ――おかげで、兄妹は気まずい思いをせずに済んだのだった。

 今朝、深雪が達也について来たのは気まぐれではないし、ましてや達也の修行の進捗チェックでも、無論、ない。
 二月十四日の朝、深雪が八雲の寺に来るのは、一昨年、昨年に続いて三回目だった。
 用件は、言うまでもないだろう。
 僧坊に戻り、深雪は、置いてあった鞄から取り出した綺麗な包みを八雲に差し出した。
「先生にとっては異教の風習かと思いますが、どうかお受け取り下さい。先生には兄がいつもお世話になっておりますので」
 途端に、八雲の顔がにんまりと笑み崩れる。
「いやいや、異国異教の風習であろうと、良いものはどんどん取り入れていかなければ」
 毎年同じことを言ってるよ、この人、と思ったのは、きっと、達也だけではなかった。
「師匠……皆が見ていますよ」
 ただ、余りにも締まりのない顔を窘める言葉を発することが出来たのは、達也だけだった。
「んっ? 良いんじゃないかな。修行の励みになって」
 八雲には少しも堪えた様子が無かったが。
「色欲は戒律に触れるのでは?」
「肉欲に結びつかなければ構わないんだよ」
 口では飄々と受け答えしているが、顔はだらしなくにやけたままだ。
 処置無し、と肩を竦めた達也に、八雲の弟子たちから無言の同意が多数寄せられた。


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