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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第五章・来訪者編
5-(14) 来訪者の正体(後)

 達也は早々に食堂を後にして、校舎の屋上に来ていた。
 今日はエリカが機嫌を損ねていた所為で、達也・深雪・ほのかの三人のランチだった。(幹比古はエリカのフォローに走り回っていた)
 傍から見れば、両手に花だ。
 いや、実質面でも、両手に花だ。それ以外の何者でもない。
 何せ、深雪もほのかも、好意を隠そうとしないのだから。隠す気がないのではなく、隠すというアイデア自体が彼女たちには無い、様に見えた。
 無理のないことかもしれないが、チラチラと向けられる視線が、達也の心臓をもってしても、居心地悪過ぎた。
 という訳で、逃げてきたのである。
 第一高校主校舎の屋上はちょっとした空中庭園になっていて、瀟洒なベンチも置かれた校内の人気スポットになっている。
 だが真冬のこの時期に、屋外の吹きさらしのこの場所で過ごす猛者は、ほとんどいない。
 今日に限っていえば、彼ら三人だけだ。
 寒さは魔法で何とかすれば良い、と思われるかもしれないが、校内は一部の例外を除いてCADの携帯禁止なのである。
 しかしその一部の例外に含まれる深雪が寒気を遮断する魔法を使って、三人は寛ぎの一時を手に入れていた。
 繰り返して言うが、三人を包んで深雪の魔法が働いている。
 窒素を液化させる凍気を作り出す深雪の魔法だ。方向性が逆でも、氷点下にもならない寒気をシャットアウトするくらい、御茶の子さいさいというものだ。
 だから、寒いはずが無い。
 それなのにほのかは、達也の腕を隙間も無く抱え込んでいた。
 ほのかがその暴挙(?)に出た瞬間は、深雪も醒めた――あるいは冷めた――目を向けたものだが、今では反対側の腕を張り合うように抱え込んでいる。
 お蔭で達也は身動きもままならない。
 両腕を拘束されているようなものだ。
 ここで顔を茹で上がらせていたなら、まだ可愛げもあるというものだが、結構なボリュームのある胸を両側から押し付けられていても、達也は「しょうがないな」と言いたげな顔で苦笑いするだけだった。
 後ろから刺されても文句は言えない、と主張する男子生徒は、相当な数に違いない。(仮に刺されたとしても、すぐに復元してしまうだけだが)
 深雪もほのかも、さっきから何故か黙り込んでいる。
 二人ともよくよく見れば、耳とか頬とかが赤くなっている。
 寒いから、という理由ではないはずだから、つまりはそういうことなのだろうが、だったら手を放せば良いのに、と達也は思う。――こんなことを考える達也は、鈍感とは言われないまでも、女心を分かっていないとの誹りは免れないだろう。
 もっとも、この状態になってからずっと、そんなことばかりを考えていた訳ではない。
 二人が黙ってしまったので、達也は現在直面している事件の情報を頭の中で整理していた。
(「吸血鬼」の正体が古式の魔法師の間で「パラサイト」と分類される存在であるのは間違いない)
(パラサイトが人間の精神活動に由来する独立情報体であるという師匠の仮説も当たっていると考えて良いだろう)
(USNAのマイクロブラックホール実験が事件の引き金になっている、という雫の情報も、信じるに値する)
(ならば、異次元から侵入した情報体により事件が引き起こされた……というのは、俺の仮説か)
(問題は、異次元から侵入した情報体という概念と、人間の精神活動に由来する情報体という概念が、どう結びつくか、だな)
(そもそも、「精神」の実体はどこにある? 異次元か? 高次世界か? それとも、「何処にも無い」か?)
(それを言うなら、「イデア」はどこにある? 「エイドス」は?)
 思考が袋小路に嵌まりかけているのに気づいて、達也は軽く頭を振った。そのアクションで、思考をリセットする。
(考え方は二通り)
(一つは、「魔界」と仮称した異次元からパラサイトは侵入した)
(もう一つは、「魔界」から流入したコントロールされていないエネルギーで、パラサイトが活性化した)
(結局、パラサイト――人間の精神活動に由来する独立情報体の正体が分からなければ、それ以上のことは分からない、か)
(だとすれば、考えるべきことは、どうやってそれを発見し、解析するかだ)
(精神由来の情報体であるなら、その構成要素はプシオンである可能性が高い)
(俺の知覚力では、発見することは出来ても、解析することは出来ないレベルか……)
 彼の思考は、深雪が不意に身動ぎしたことで中断された。
「深雪、どうした?」
 今の動きは、じゃれて来るような意図が全く無い、不快感による無意識のものだった。
 達也の声音で、それが深雪を贔屓してのものではないと覚って、ほのかも密着していた身体を離す。
 それと同時に、ブルッと身体を震わせる。
 寒気を遮断していた魔法が効力を失っていた。
「あっ、申し訳ありません」
 深雪は空いているほうの手に持ったままだったCADを、すぐに操作した。
 寒気はたちまち遠ざかった。
 だが、深雪の顔色は冴えないままだ。
「いや、それよりどうしたんだ?」
 達也は寒さを感じた素振りも見せない。
 自己修復の魔法を使って、文字通り死と隣り合わせの鍛錬を積み重ねて来た達也にとって、この程度の寒さは強がる必要も無い。
 それより、妹の見せた異常の方が気がかりだった。
「……酷く不快な波動が、肌を掠めたように感じて……いえ、気の所為でしょう」
 深雪は申し訳無さそうに首を振った。
 達也の寛いだ時間を乱してしまったことに罪悪感を感じているようだった。
 だが、達也は深雪の謝罪を受け取らなかった。
「不快な波動? それはサイオン波か? それともプシオン波か?」
 たった今、考えていたことと妙に符合して、気の所為で済ませることが出来なかった。
 ただ、この質問は意味の無いものだった。
「わかりません……けど、お兄様がお気づきにならなかったのであれば、プシオンでは?」
 サイオン波であれば、達也が気づかぬはずは無いのだから。
 一本取られた、とそれを聞いて達也は感じたのだが、そんな呑気なことを考えている場合ではないとすぐに思い直した。
 山のような機密を抱えている国立魔法大学に直結する端末が置かれている魔法科高校は、機密保持の観点から言えば魔法大学と同等のセキュリティを必要とするし、実際、高度なセキュリティが施されていた。不審者や盗撮・盗聴対策はもちろんのこと、魔法的な手段に対しては特に厳重な対抗措置が執られている。
 いきなり発生したプシオン波は、対抗措置の術式に引っ掛かったのだろう。人に不快と感じさせる魔法的な波動を常時垂れ流していたりすれば、この国の官憲が放置するはずはないのだから。今は感知できなくなっていることから見ても、この波動の主が自分のプシオン波をコントロールする能力を備えていると分かる。
 気持ちが悪い、というだけで有害な相手と決め付ける訳には行かないが、楽観視する理由はもっと少ない。今のような状況であれば、尚更のこと。
 深雪に不快感を与えた相手は、現在敵対中の「吸血鬼」だと考える方が蓋然性は高い。
 そのプシオン波の発生源を探る方法を頭の中でリストにして、どの方法がもっとも適切か検討を開始したところで、情報端末が鳴った。
 音声通信の着信サイン。
 達也は通話ユニットを耳に当てた。
『達也くん、大変よ!』
 何の前置きもなく、この台詞がいきなり受話器から飛び出した。
 気の弱い者なら実際には大したことが無くてもこれだけで――例えば「大変よ」の次に「ダルマさんが転んだ」と続いたとしても――軽いパニックに陥りそうな勢いだ。
 せめて自分の名前くらい名乗れ、と普段なら思うかもしれないが、今はそんな場合ではないし、達也にとってもちょうど良いタイミングだった。
「七草先輩、細かい位置は分かりますか」
 学内のLPS〔Local Positioning System〕に介入すれば、現在位置を特定できる。前生徒会長の真由美は、LPSの管理者コードを知っているはずだ。(もちろん生徒会長権限を逸脱した違法行為である)
『吸血鬼が校内に――って、知ってるなら話が早いわ。
 例のシグナルは通用口から実技棟の資材搬入口へ向けて移動中よ。
 今日はマクシミリアンの社員が新型測定装置のデモに来る予定になっていたはずです』
(つまり、その中に紛れ込んでいるということか)
「了解です」
 達也は勢い良く立ち上がり、そのままフェンスを跳び越えた。
 続いて深雪も飛行魔法を発動させる。
 飛行デバイスを持ち歩いていなかったほのかだけが、屋上に置き去りとなった。

◇◆◇◆◇◆◇

 校内では生徒会役員、風紀委員など一部の例外を除いて、生徒のCAD携帯は禁止されている。
 そのため生徒は、登校時にCADを事務室に預け、下校時に受け取ることになる。
 預けてあるCADは、下校時間にならない限り、簡単には返して貰えない。
 春の事件の時は、誰の目にも非常事態と分かっていたので、特例的にCADが返却された。だが今日、異常に気づいているのは生徒と教師のほんの一握りだ。事務室の係員は生憎その一握りに含まれず、エリカと幹比古の返却依頼は受け付けて貰えなかった。
 ――彼女たちだけでは。
「吉田、どうした……ああ、お前たちも気がついたか」
 エリカと係員が口論しているところへやって来たのは克人だった。
「十文字先輩」
 いくらエリカが跳ね返りでも、克人には一目置かざるを得ない。
 先輩後輩に関係なく、器量と技量の差を無視することは出来ないのだ。
 エリカが身を引いたカウンターに手を置き、克人は軽く、身を乗り出した。
 それだけで係員――学校の職員が、生徒を相手に、気圧されている。
「緊急事態に付き、CADを返却願います」
 実は非公式ルールとして部活連の幹部もCAD所持の特権を与えられているのだが、克人は服部に会頭職を譲ってから、律儀に規則を守っている。
「し、しかし、まだ規定の時間では」
「緊急事態です」
 だからといって、規則に縛られるつもりはないようだ。
 気丈に職務を果たそうとする女子職員に対し、克人は更にプレッシャーを掛けた。
 その結果、いい大人が可哀想に、血の気をすっかり失っている。
「放置すれば重大な結果を招く虞があります。
 CADの返却を」
「……少々お待ちください」
 この職員を「脆弱」と誹ることは出来ないだろう。
 余程の猛者でなければ、克人の意志に逆らえるものではない。
「この二人は俺のアシスタントです」
「…………分かりました」
 ただ、やはり、哀れを誘う姿ではあった。

◇◆◇◆◇◆◇

 場所を特定したとはいえ、現場に空中から舞い降りるような乱暴な真似は、達也と深雪にも出来なかった。
 首都を騒がせている吸血鬼の一体が校内に侵入したのは間違いないとはいえ、実際に何か騒ぎを起こしている訳ではない。警備の術式に引っ掛かった時点で監視はついているだろうが、マクシミリアンの社員となれば正規の手続きを踏んで校内に入って来ているのだ。
 それに監視がついているのは、兄妹には、特に達也には、都合の悪いことだった。
 魔法師ではなく魔物を相手にした経験は、達也も今回が初めてだ。
 不用意に戦端を開いて、機密指定の術式行使を余儀なくされでもしたら、揉み消しと口封じにどれだけ手間が掛かるか、分かる範囲で想像しただけで憂鬱になってくる。
 せめて、パラサイトに寄生されている「吸血鬼」が誰なのか特定できればやりようもあるが、マクシミリアンの社員は六人ものチームで来ている。あれだけ固まって動かれると、誰から電波が出ているのか判別できない。かといって、目撃者込みで全員消して――この場合は文字通りの「消滅」だ――しまうことなど、出来るはずもない。
 達也たち兄妹は実験棟の空き教室に隠れて、資材搬入口に横付けされた移動実験室(に貨物室を改造したトレーラー)を見張っていた。
「リーナ?」
 不意に深雪が声に出して呟いた。
 達也は妹が声にするより早く、リーナがこそこそとトレーラーに近寄っているのに気づいていたが、改めて金髪の留学生に注意を向けた。
 昨日の今日――二人の「決闘」は午前零時を過ぎていたから、暦の上では昨日である――で何事もなかったように登校してくる強心臓は、流石に大国の精鋭部隊だが、その図太さに似合わぬ小心な警戒振りだ。
 標的に忍び寄っている、という感じではない。
 それにしてはこちらの視線にも気づいていない。
 単に人目を避けている、という印象だ。
 達也が何とは無しにその様子を見ていると、トレーラーの脇に立ち止まったリーナにスーツ姿の女性が歩み寄った。
 リーナの唇が「ミア」と動いた。
 どうやらこの女性、USNA軍がマクシミリアンに潜り込ませたエージェントなのだろう。
 昨日の訊問で、リーナは吸血鬼を捕獲する為に動いていると言っていた。敵対しているフリではなく、本当に敵対しているのだと。
 だが同時に、脱走兵は判っていても協力者は判っていないとも言っていた。自分たちの身内に、吸血鬼化した協力者がいる可能性が高く、その正体は判明していないと。
 まさかスターズのシリウスともあろう者が、正面から向き合っていて、何度も交戦し、取り逃がした相手のことが判らないということはないだろうが……達也はその女性に、リスクを冒して彼の「視力」を向けてみることにした。
 そして、気づいた。
 拡張した知覚に、別の観察者の探査手段が映った。
 その女性の周りに、多数の「精霊」が舞っていた。

◇◆◇◆◇◆◇

「彼女です。間違いありません」
 声を潜めた幹比古の言葉に、克人は無言で頷いた。
「あれは、リーナ。
 そうか……彼女がグルだったのね」
 怒気をはらむ声で低く呟いたのは、武装デバイスを小太刀の形態に展開済みのエリカだ。
 達也と深雪はそれを誤解だと知っているが、彼女がそう思うのも無理のないことだった。
「視覚と聴覚を遮る結界を張ります。
 機械は誤魔化せませんが……」
「そちらは俺が何とかしよう」
 幹比古が克人と頷き会う。
 幹比古の背後には、怯えを隠せない顔で美月が肩を縮こまらせている。
「エリカ、まだだよ」
「分かってる」
 気が(はや)っているのは確かだが、それでも冷静さを保っている返事に頷いて、幹比古は手にした呪符を投げた。
 六枚の短冊が、まるで見えない羽根を備えているように、空中を低く、滑っていく。
 呪符は、トレーラーを取り囲む正六角形の頂点に着地した。
「行きます」
 幹比古の両手が印を切った。
 現代魔法とは術理の異なる、知覚阻害の領域魔法が発動した。

◇◆◇◆◇◆◇

 高校生姿を見られることに気恥ずかしさはあったものの、周りが敵ばかりの孤独な任務の最中に仲間と話が出来るのは、やはり気が楽になるものだ。
 同じ部屋に住んでいながらすれ違いが続いていた所為で、ミアと四日ぶりに再会したリーナは、顔を合わせるまでの躊躇はすっかり影を潜め、周囲への警戒も怠りがちになっていた。
 ミアの方は一時的とはいえ部下という立場もあり、礼儀と遠慮は堅持していたが、それでも十分親しげな表情を見せていた。
 当たり障りのない会話を楽しんでいたリーナは、ふとミアが見せた、何かを振り払うような動作に首を傾げた。
「どうしました、ミア。虫でもいましたか?」
 四季のハッキリした温帯の真冬に、そうそう虫が飛んでいるとも思えなかったが、ミアの仕草はちょうどそんな感じだったのだ。
「いえ、気の所為のようです」
 そう答えるミアの顔は、少し強張って見えた。
 雰囲気も、ちょっと変わっている。
 何となく、不快感を漂わせている気がする。
(羽虫に刺されたのかしら……?)
 ミアが感じている不快感を読み取ったのではなく、不快に感じているのは自分だということに、リーナはまだ気づいていない。
「――何これ? 囲まれた!?」
 目の前の女性の雰囲気が一変したことよりも、認識阻害の領域魔法が自分を取り囲んで発生したことに、リーナの意識は奪われた。

◇◆◇◆◇◆◇

「これは、結界ですか!?」
 自分が監視していた大型トレーラーが急に見えなくなれば、いくら深雪でも驚かずにはいられない。
 自分を振り仰いで問い掛ける妹に、達也は「そうだ」と頷いた。
「幹比古だな。大した腕だ」
「吉田君の?」
 一科生とか二科生とかに関係なく、高校一年生の少年がこれ程の規模と強度を持つ認識阻害の陣を構築したことに、深雪は更なる驚きを隠せなかった。
「効果は、視覚遮断と聴覚遮断か。
 実体の移動を阻害する効果は無い……な」
 どういう意図で動いているのか、打ち合わせがないことに不安はあったが、折角のお膳立てを無駄にするのはもったいなさ過ぎた。
 達也は繋ぎっぱなしだった音声通話をサスペンドから復帰させた。
「七草先輩、司波です」
『どうしたの』
 返事はすぐに返ってきた。
 向こうも接続を維持してくれていたようだ。
「実験棟資材搬入口付近の監視装置のレコーダーをオフにして下さい」
 これが街中なら七草家令嬢といえど無茶な要求だが、校内なら、ある意味好き放題なことをやってきた真由美には可能なはずだ。
『何故……と訊いても、答えてはくれないわね』
「お願いします」
『はぁ……ハイ、切ったわよ』
 考えてみれば、真由美は随分と達也に甘い。
 だが達也の方も真由美には結構甘いところがあるので、これは「お互い様」なのだろう。
 あるいは、「持ちつ持たれつ」なのか。
「行くぞ、深雪」
「はい、お兄様」
 顔を見合わせて頷き合い、達也と深雪は隠れていた教室の窓から飛び出した。

◇◆◇◆◇◆◇

 完全に、直感頼りの行動だった。
 ミアを突き飛ばし、リーナはその反動で自分も後ろに転がった。
 砂だらけになりながら、内ポケットから旧式の情報端末を取り出す。
 リーナが側面のスライドスイッチを滑らせると、端末が前後に割れた。
 その中から現れる、板状の汎用型CAD。
 潜入工作員なら持っていて不思議のないギミックに、襲撃者――エリカも戸惑いはしない。
 エリカはリーナに目もくれず、まだ倒れたままのミアに向けて、逆手に握り直した小太刀の先端を向けた。
 リーナがエリカを吹き飛ばす為の魔法を発動する。
 その魔法は、目の前に立ちはだかる対魔法障壁――事象干渉力の塊に阻まれた
「カツト・ジュウモンジ!?」
 愕然として振り返った先には巌のような巨体。
 サイズだけを見れば彼女にとって珍しくはない体格だが、その存在感は見たこともないほど巨大だった。
 事前の調査でも、その力量は要注意とされていた。
 だが実際に体験してみると、まだこれ程の強敵が潜んでいたのかと驚かずにいられない。
 リーナが克人に気を取られた一瞬で、エリカは最後の一歩を詰めていた。
「ミア!?」
 仲間を案じた悲鳴は、見たものを信じられない驚愕の叫びに取って代わられる。
 ミアが素手で小太刀の切っ先を受け止めていた。
 CADを使わず、防壁の魔法を掌に纏わせて。
 その魔法には見覚えがあった。
 ミアが身に纏っている禍々しい空気にも覚えがあった。
「貴女も感染してたの!?」
「何を今更!」
 背後から聞こえてくるリーナの叫びを言葉で斬り捨て、刃で斬り伏せるべくエリカはミアに小太刀を振るう。
 立ち上がったミアの首へ水平に走った斬撃は、掲げた手をかいくぐり正面から胸を貫いていた。
 信じられない、という顔で自分の胸を見下ろすミア。
 それはある意味当然の結果だ。
 白兵戦の訓練を受けているとはいえ、リーナは魔法師。
 武術を修めているとはいえ、幹比古は術者。
 そして、魔法を身につけているとはいえ、エリカは剣士。
 刀の間合いで、剣と拳で戦えば、エリカの技量はこれまでミアが相手にしてきた魔法師より数段上だ。
 だが、次の瞬間、厳しく表情を引き締めたのはエリカだった。
 スカートをはいていることに頭から頓着せず、足を振り上げ、ミアの腹を蹴りつける。
 その反動で小太刀を抜き、更に軸足でジャンプして大きく後方に跳び退る。
 エリカの残像を、ミアの右手が薙いだ。
 鉤爪状に曲げられた指は、角錐状の力場を纏っていた。
 貫かれた胸の穴は、エリカやリーナが見ている前で、瞬く間に塞がった。
「本物の化け物ね」
 ミアを睨み付けながら、エリカが吐き捨てる。
「だったら、これでどうかしら」
 その声は、トレーラの陰から聞こえた。
 その声と共に、冬がいきなり、勢力を増した。
 ピンポイントに、ミアに向かって凍気が襲い掛かる。
 ミアは物理的にも魔法的にも、抵抗する間もなく凍り付いた。

「深雪?」
 あまりにも呆気ない結末に、思わず構えを解いたエリカが気の抜けた声で問い掛ける。
 彼女の視線の先に姿を現したのは、間違えようもなく、深雪だった。
「ミユキ……タツヤ……」
 深雪と、トレーラーの中から出て来てその前に立つ少年の姿に、リーナが口惜しげな呟きを漏らした。
「リーナ、どうやら知り合いらしいが、彼女は貰っていくぞ」
 そう言いながら、氷の彫像と化した彼女の同居人へ向けて達也が歩み寄って行く。
「マクシミリアンの人たちは……殺したの?」
「人聞きの悪いことを。少し眠って貰っただけだ」
 マクシミリアンの社員は協力者という訳ではなく、ミアの素性も知らなかった。単に、巻き込まれただけに過ぎない民間人だ。
 彼らが騒ぎを起こしてくれれば状況打開のチャンスも出て来たかもしれないが、これ以上迷惑を掛けずに済んでホッとした、というのも確かにリーナの本音だった。
「チョッと待ってよ。勝手に持ってかれちゃ困るんだけど」
 仕方なくではあろうが納得して引き下がったリーナに代わり、勝者の権利を主張する構えを見せたのはエリカだった。
「達也くんにはバカバカしく見えるかもしれないけど、あたしたちには面子ってものがあるの。
 その女がレオをやったヤツなら、いくら達也くんでも、くれてやる訳にはいかないわよ」
 構えこそ取っていないものの、小太刀を握り直した手は、無駄な力が少しもなく、必要な力が余すところ無く込められている、即座に臨戦態勢へ移行できる状態だった。
 いや、そんな細かなところを見なくても、向けられた眼差しだけで分かる。
 エリカは百パーセント、本気だった。
「別に要らんな」
 ただ、甚だしく勘違いしていた。
「えっ?」
 案の定、達也の答えに猫騙しを喰らったみたいな顔で呆けている。
「その女は調べて、処分するんだろ?」
 処分する、の一言に、リーナがギュッと唇を引き結ぶ。
 自分には発言権が無いと、必死に言い聞かせている顔だった。
「調べた結果だけ教えてくれりゃあいい」
 その表情を、達也は見ていない。
 彼の目は、エリカと克人を同時に視界に収めていた。
「俺の方から連絡しよう」
 克人の言葉に、達也が会釈で答える。
 達也は克人とエリカを見ており、
 克人は達也とリーナを見ており、
 エリカは達也と深雪を見ていた。
 その場を俯瞰的に見ているのは幹比古だけで、だから異常に気づくのは、彼が一番早かった。
「危ないっ!」
 咄嗟に放たれた警告は、咄嗟のこと故、その短いフレーズしか口に出来なかった。
 それでも、警告の役目は果たした。
 放出系の魔法により引き起こされた空中放電は、克人の展開した障壁に阻まれ、達也が放った対抗魔法によりかき消された。
 深雪とエリカが魔法を放った術者へ振り返る。
 そこで、二人揃って、戸惑いに立ち竦んだ。
 電撃の魔法を放った女性は、凍り付いたままだ。
 生身の人間が、いや、人間でなくても、この状態で意識があるはずはないし、魔法が使えるはずもない――という、常識。
 それが、覆された。
 氷の彫像が電光に包まれた。
「自爆!?」
 悲鳴を上げたのは、リーナ。
「伏せろ!」
 克人と達也が同時に叫んだ。
 達也が深雪を抱え込んで、幹比古が美月を両腕に庇って、克人が、エリカが、リーナが、身体を丸めて防御姿勢を取る。
 深雪の氷を突き破って、ミアの身体が炎を発した。
 乾いた紙の様に、一瞬で燃え尽きる。
 そして――舞い散る灰の消え失せた、何もない所から、魔法の(いかずち)が達也・深雪・リーナ・エリカ・克人の五人に襲い掛かった。


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