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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第五章・来訪者編
5-(12) 呉越同舟
 高エネルギープラズマとダイヤモンドダストが乱舞した夜の、明くる朝。
 日曜日にも関らず、達也は学校に来ていた。
 その隣には当然のように、深雪が寄り添っている。
 日曜日だからといって学校が閉まっている訳ではないのは、今も昔も変わらない。
 主としてクラブ活動に勤しむ生徒の為に、その他、特に図書館や実験室や演習室の使用許可を受けた生徒の為に、日曜日も学校の門は開いている(もちろん部外者が入り込めないよう認証システムが働いている)。
 二人は特別に許可を受けた口だ。
 と言っても、向かう先は図書館でも実験室でもない。
 二人が足を運んだのは生徒会室。
「まだ、どなたもいらしてませんね」
 深雪の言うとおり、生徒会室は無人だった。
 妹の呟きを聞いて、何が可笑しかったのか達也は声に出さず笑いを漏らした。
「呼び出した人物が最後に登場するのはフィクションのお約束だが、現実にはそういう訳にも行かないだろうな」
 メタなツッコミが入りそうなセリフを、冗談っぽく口にする。
 深雪が「そうですね」と言って小さく笑ったのは、義理というかお付き合いというか、多分そんなものだったに違いない。
 まあ……達也自身も、つまらない冗談だったという自覚はある。
 彼が笑ったのは、これまで呼び出される一方だったのが今日は自分が呼び出す側になっている、という事実が可笑しかったからで、フィクション云々は実の所どうでも良いことだった。(ちなみにこれは達也の勘違いで、例えば生徒会長選挙の時は達也があずさを事実上、呼び出していた)
 その反面、彼が招いたからといって、特に準備することはない。
 それに、さほど待つ必要も無かった。
「お早う、達也くん、深雪」
 待ち人の片方は、すぐと言って良いタイミングで現れた。
「あら、エリカ。吉田くんと一緒に来たの?」
「偶然よ!
 ……そこはかとない悪意を感じるのはあたしの気の所為?」
「気の所為よ」
 女子高校生同士の気が置けない(?)会話の一方で、
「待たせちゃったかな?」
「いや、こっちも来たばかりだ。悪いな、日曜に」
 男子高校生同士はお決まりの社交辞令を交換していた。
「何かあたしとミキの扱いが違う……
 まあ、いいや。それで今日はどうしたの?
 休みの日に達也くんがあたしたちを呼び出すなんて珍しいじゃない」
 確かに珍しいことだった。
 時々は高校生らしく一緒に遊んだりもしているので休日に会うのが珍しくはないが、そういう時、達也は常に誘われる側だった。
 珍しいといえば、エリカの視線が落ち着き無く彷徨っているのは壁一面に情報機器が埋め込まれている生徒会室の内装が珍しいからだろう。
 その様子を見て、彼女がこの部屋に入るのは初めてだったかもしれないな、と達也は思った。
「もう少し待ってくれ。
 話はメンバーが揃ってからにしたい」
「他に誰か来るのかい?」
「ああ、そろそろ来るはずなんだが」
 達也がそう言うのを待ち構えていたように、ドアがノックされる音が聞こえた。
 彼女はおそらく、在校生の中で最もこの部屋に馴染んでいる生徒会室の主みたいな存在だから、ノック抜きで入って来ても不思議は無いような気もしたが、意外と(?)律儀で常識人だった、ということだろう。
 ――インターホンがあるのにノックとはこれ如何に? という気がしないでもなかったが、達也の方もインターホンを使わずに自分でドアを開けたのだから、どっちもどっちではある。
「お呼びだてしてすみません」
 何故わざわざ出迎えを、という疑問を抱いたとしても、ドアが開いた直後に氷解したことだろう。
 ラストに登場したのは、真由美と克人の二人だった。
「吉田に、千葉? お前たちも司波に呼ばれたのか?」
 単純に驚いたというだけでない動揺を浮かべた真由美に代わって、克人が素朴な疑問を呈する。
「あっ、はい」
 やはり咄嗟に言葉を失ったエリカに代わり、幹比古がごく短い答えを返す。
「では、始めましょうか」
 その答えに被せるようにして、達也が着席を促した。

「……最初に、説明してもらえる?
 どうして、あたしたちが七草先輩たちと一緒に呼ばれたのか」
「同感ね。私も、まずそこから説明して欲しいわ」
 対人感情には鏡の様な性質がある。
 好意は好意を呼び、悪意は悪意で返され、敵意は敵意を呼ぶ。
 そんな感情の反射動作を利害計算でコントロールするのが大人の分別というヤツなのだが、一致させる利害が見えなければ「分別」を働かせられないのも「大人らしさ」の一面だ。
 真由美の態度は、典型的な感情の反射動作だった。
 彼女自身にはエリカに対して含むところは無い、というか、エリカのことを大して意識もしていなかったはずなのに、エリカの見せる敵意に引きずられている。
 自分より二つも年上なのだからもう少し理性的に振舞って欲しいものだ、と達也は思った。
「我々が追いかけている吸血鬼の捕獲について、お知らせしたいことがありましたので」
 もっとも、対立したままでも達也は構わないのだ。
 達也は無駄な仲裁を口にせず、さっさと用件を済ませることにした。
「聞かせてもらおう」
 真っ先に反応したのは克人だった。
 克人以外、反応しなかった、と言う方が正確かもしれない。
「昨晩、三時間おきに特定の電波パターンを発信する合成分子機械の発信機を吸血鬼に撃ち込みました」
 本当は麻酔が効かなかった場合の保険として麻酔弾の中に混入していたのだが、とんだ計算違いの結果、保険に頼らなければならなくなったという訳だ。とは言っても、彼一人では役に立たない保険なのだが。
「発信機の寿命は最長で三日間。電波の出力は微弱ですが、街路カメラに併設した傍受アンテナなら受信可能です」
 今度は、全員が反応した。
 反応せずにいられなかった、と言うべきか。
「チョッと待って、達也くん。昨晩? 何処で?」
「どうやって見つけたのよ?」
「合成分子機械って、何処からそんな物を……」
 訊きたくなるのももっともな質問ばかりだ、と達也も思ったが、経緯とか背景とかを説明する予定はなかった。
「これが電波の周波数とパターンです」
 そう言って、四人の前に一枚ずつ、カードを滑らせる。
「先輩のチームもエリカのチームも傍受アンテナを利用できるはずですね?」
「……これで居場所を突き止めろ、ってこと?」
「……何故、これを私たちに?」
 私たち、というのは、七草・十文字のチームと、千葉一門のチームの両方に、という意味で、それを誤解するほど達也は鈍くなかった。
 だからといって、どうしろこうしろと指図するつもりもなかった。
 構わず次の情報を開陳する。
 ただ、分かったことを伝えるのが、この場に四人を集めた目的だった。
「我々が追いかけている『吸血鬼』の正体ですが、USNA軍から脱走した魔法師のようです」
 四人の顔に、「まさか」という表情と「なるほど」という表情が同時に浮かんだ。
 彼女たちの探索を妨害していた未知の勢力。
 あの単体・組織両面におけるレベルの高さは、単なる非合法組織に持ち得るものではないと真由美もエリカも感じていた。
 その正体が脱走兵を追うUSNAの魔法師部隊だったというなら、実に納得の出来る話だ。
「それも単独ではありませんね。
 少なくとも二人以上、もしかしたら十人前後になるかもしれません」
「スターズから十人も脱走者が出たの?」
「いや、エリカ。USNA軍に所属していたからといって、スターズに所属していたとは限らないんだぞ」
「えっ、そうなの?」
「七草……スターズはUSNA軍に所属する魔法師の中から特に魔法戦闘力に優れた者が選抜されて出来ている部隊だ。
 当然、USNA軍の中にはスターズに所属していない魔法師もいる」
 エリカの誤解を達也が、真由美の誤解を克人が正した。
 意外と息の合ったところ(?)を見せた美少女二人だったが、それを指摘するとまたヘソを曲げそうだ。
 余計なことは口にしないが吉だろう。
「――例え相手がスターズのメンバーでなくても、戦闘訓練を受け、その上に吸血鬼としての異能を身につけた相手です。
 甘い相手じゃないでしょうね」
 しかし余計なことではなくても、耳に痛い言葉はいくらでもある。
「……どうしろって言うのよ」
 ふて腐れた声で質問したのはエリカだった。
「どうしろと言うつもりはないが」
 だが、「えっ?」という表情を浮かべたのは彼女だけではなかった。
「友人が痛い目に遭わされたんだから、放っておくつもりは無い。
 だけど自分の手で思い知らせてやることに拘るつもりも無いな。
 公安や警視庁で対処するなら余計な手出しをするつもりは無いし、師族会議が責任を持って処分するというならそれに文句は無い。
 もちろん、千葉家が単独で討伐しても一向に構わない」
 既に立ち上がっていた達也は、そう言ってテーブルを離れた。
「ご足労いただいて申し訳ありませんでした。
 物が物ですので、直接お渡しした方が良いと思いまして」
「いや、構わない。
 ご苦労だったな」
 何か言いたげに口を開きかけた真由美の機先を制して、克人が労いの言葉を掛けた。
「折角こうして顔を合わせたのだから、我々は少し話をしてから帰ることにしよう」
「そうですか。
 それでは、戸締まりをお任せしても良いですか」
「任された」
 達也は克人に一礼し、深雪に目配せしてこの場を去った。
 幹比古が縋り付くような眼差しを向けて来ていたのは、自分の気の所為として処理した。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也が学校を後にした頃、リーナはようやくベッドから這い出していた。
(ミアは……「仕事」か。日曜日だっていうのに、勤勉ね)
 同居人がいないことに疑問を持ち、時計を見て、リーナは一人頷いた。
 そういえばここ二、三日、ミアと顔を合わせていないな、とリーナは思った。
 最近マクシミリアン・デバイスの仕事が忙しいようで、夕食の時間になっても帰って来ない。朝もリーナが起きる前に部屋を出ている。セールス・エンジニアはあくまでも偽装であるはずなのだが、大学の担当者に気に入られてしまって、と最後に顔を合わせた時にこぼしていた。
 夜中になるとリーナの方が出かけているので、見事にすれ違っているという訳だ。
 冷たい水で顔を洗っても居座り続ける眠気を抱えて、フラッとやって来たダイニングで、窒素パックされたサンドイッチをテーブルの上に発見、即座に攻略に掛かる。
 ミアの作ったアメリカンクラブハウスは時間的にも量的にも、ブランチにちょうど良かった。
 生憎と同居人の様な料理スキルの無いリーナは、HARに用意させたコーヒーで口の中に残ったパンくずを胃に流し込んだ。
 彼女は本来、紅茶党ミルクティー派なのだが、自分で美味く淹れられない以上、拘るのは無駄だと自分に言い聞かせて、強過ぎる苦味に顔を顰めるだけで我慢する。(それだってHARの調節次第なのだが)
 ようやく頭がスッキリしてきたところでようやく、リーナはメッセージランプが点灯しているのに気づいた。
 機密保持の為、あえてホームネットワークに繋いでいない電子秘書。
 その画面を立ち上げて、ミアの報告書に目を通してリーナは、途中で「えっ?」と声を出してしまった。
 そこに書かれた月曜日のスケジュール。
 「第一高校へ、CAD調整用測定器納入に同行」
 スターズ総隊長としては「よくやった」と評価しなければならない段取りなのだが、高校生をやっているところを身内(というか部下というか、とにかくそのようなもの)に見られるのは、自分の中に正体不明の抵抗感があった。
 これは言うならば、授業参観を嫌がる子供の心理なのだが、学校生活の経験がまともに無いリーナには初体験の感情だ。
 再び重量感を増した頭を抱えて、リーナはため息をついた。
 昨晩の疲労が、ぶり返して来た気がした。
 随分久し振りに喫した敗北を思い出して、気分が改めて落ち込んで来る。
(……決めた! 今日は、安息日!)
 自分自身に宣言して、リーナは寝室へ戻った。
 真面目な信者なら目くじらを立てそうな思考と行動だったが、幸いここには今、彼女しかいなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

「ティア!」
 喧騒の中、背後から呼びかける声に、雫は振り向いた。
 アメリカ西海岸は現在、土曜日の宵の口。
 雫は下宿先で開かれているホームパーティの会場にいた。
「レイ」
 大袈裟なアクションで手を振る男性(と言うより「男の子」)の姿を認めて、雫は小さく手を挙げた。
 彼の名はレイモンド・S・クラーク。
 留学先の男子生徒の中で、雫に最初に声を掛けた人物であり、以来ずっと、何かにつけて雫の側に寄って来る白人(おそらく、西海岸には今時珍しい生粋のアングロサクソン)の同級生だ。
 多分、モーションを掛けて来ているんだろうな、とは雫も感じていたが、意外に距離感を保つのが上手で押し付けがましさが無い為、雫も特に悪い感情は持っていなかった。
 ちなみに「ティア」という愛称もレイモンドが言い出したものだ。
 自己紹介の時「雫」の意味を問われて、“teardrop”や“dewdrop”の“drop”の意味だ、と説明したら、「ティア」という愛称を付けられてしまったのだ。
 そんなに泣き虫に見える? と同じクラスの女子生徒に聞いたら、「真珠」のイメージにピッタリだから、という返事が返って来てそれ以上の抗議は出来なかった。
 ――照れくさくて。
 ティア、という響きは嫌なものではなかったのでそのまま放置していたら、いつの間にか「ティア」で定着してしまったという次第だった。
 それはさておき。
「ステキなドレスだね、ティア。
 いつもよりもっとチャーミングだ」
「そう?」
 満面の笑顔で臆面の無いセリフを吐いたレイに対して、雫は無愛想に、ではなく、素で不思議そうに小首を傾げた。
 長めのマッシュレイヤーにした黒髪がフワリと揺れる。
 眼差しの温度が更に上昇したレイに構わず、雫は自分の衣装に視線を落とした。
 床すれすれまであるスカート丈。
 剥き出しの背中と肩と二の腕。
 肘まで覆う長手袋。
 USNAは部分的に文化退行を起こしている、と聞いてはいたが、ここまでクラシックに回帰しているとは雫の予想外だった。コルセットで身体を締め上げないと着れないドレスもパーティ会場で普通に見られるくらいだ。幸い雫のドレスは、その手の物ではなかったが。
「レイも似合ってるよ」
 店員の勧めるままに買ってみたものの、自分のドレスの何処が良いのかいまいちピンと来ない雫だったが、褒められた礼儀として社交辞令を返してみる。
 レイモンドのタキシードスタイルは彼女の感覚からすれば古臭かった(同国人的には、大袈裟だった)ものの、彼の貴公子然としたルックスに似合ってはいたので、お世辞を口にすることに抵抗は無かった。
「ありがとう! ティアにそう言って貰えるなんて光栄だよ」
 それに、これだけ喜んでもらえるなら雫としても悪い気はしない。
 レイモンドのストレートな感情表現は、何となく弟を連想させるものだった。
 人種的に、青年期においてアーリアンはモンゴロイドより大人っぽく見えるというのが定説だったはずだが、レイモンドは同い年にも関らず、雫の目には幼く見える。
(……ううん。レイが幼いんじゃなくて、達也さんが大人っぽいんだ)
 頭の中でそう思い直して、雫は改めてレイモンドに目を向けた。
「一人?」
「ティア以外の女性をエスコートするつもりは無いよ」
 ちなみに今日のパーティは、エスコートする相手がいなければ参加できない種類のものではない。
「女の子のことじゃないよ」
 とりあえず、自分が感じた疑問に沿って雫は考え違いを指摘した。
 レイモンドは、面白いくらい狼狽した。
「えっ? ええと、そうだね、一人と言えば一人……かな?」
 私に訊かないで欲しい、と雫は思ったが、口にはしなかった。
 レイモンドの背後で(しき)りに手を動かしている男たち(雫には分からなかったが、彼らはレイモンドを(けしか)けているのだった)を見つけて、彼の嘘が判明したからだ。
 だからといって、それを責める気持ちは起きなかったが。
「えっと……ティア、この前、頼まれた件なんだけど」
 旗色が悪いと見たのか、レイモンドはあからさまな話題転換を図った。
「レイ」
 それは雫にとっても望むところだったが、彼女が思うに、こんな所でする話ではなかった。
「場所を変えよう」
 強い口調で名前を呼ばれ、口をつぐんだレイモンドは、雫の提案にコクコクと頷いた。

 ホームパーティといっても、そこは北山家が令嬢のステイ先に選ぶ家のこと。
 そんじょそこらのホテルを使ったパーティより、余程豪華なものだった。
 会場は屋内だけでなく、庭も開放されていたが、流石にこの時期、庭に出ている人影は(まば)らだった。
 雫はドレスの上に毛織のストールを羽織って冬の星空の下へ歩み出した。
 彼女の背丈は日本人女性としてそれほど小柄という訳ではないが、アメリカ基準だと明らかに「小柄な女性」の範疇に入る。アメリカン・サイズのストールは腰の上の辺りまでカバーしている、が、それでも真冬の寒気を防ぐには心許無い。
 雫はハンドバッグの中に隠したCADを操作して、自分の周りに暖気のフィールドを作り出した。
 ついでにレイも、その効力範囲内に入れる。暖気のフィールドは、音を遮断する効果も有していた。
「ありがとう、ティア。……魔法というのは、こんなに便利なものだったんだね」
「この程度、珍しくは無いはず」
 追従口にしては、少し驚き過ぎだ、と雫は感じたのだが、レイモンドはとんでもないとばかり大きく首を振った。
「ティアはまだこの国に来たばかりで気づいていないかもしれないけど、僕たちにとっての魔法は、こんな風に『役に立つ』ものじゃないよ。
 日常的に魔法を応用する場面なんて、この国ではほとんど目にしない。
 魔法は力を誇示する為のものであり、知識を誇示する為のものであり、地位を誇示する為のものなんだ」
「出し惜しみする、ってこと?」
「ハハハハ……まあ、そうだね」
 雫の率直な感想に、レイモンドは腰を折って笑った。
 ただその笑いは、少しばかり屈折したものだった。
「ステイツの魔法研究は、軍事利用を除けば、基礎研究ばかりが重視される。
 民生利用とか日常生活への応用とかは、下等なことと見做されているんだ。大金が稼げる、と分かればその限りじゃないけど。
 そんなだから……いや、ゴメン。こんな話じゃなかったね」
 悩みなんて無さそうに見えても、色々と思うところがあるのだろう。
 雫は無言で続きを待った。
「じゃあ、本題だ」
 顔を上げたレイモンドの表情は、別人の様に鋭く引き締まっていた。
「まず、『吸血鬼』が発生しているのは、事実だったよ」
 ほのかに話した「情報通の生徒」。
 達也に約束した情報源。
 それがこの、レイモンドだった。
「原因は不明だけど、無関係とは思えない情報が手に入った」
「話して」
「もちろん。
 高度に情報封鎖されている事だけど、十一月にダラスで、余剰次元理論に基づく極小ブラックホール生成・蒸発実験が行われた」
「余剰次元理論?」
「ゴメン、詳しいことは僕にも理解できない」
「ううん、それで?」
 達也さんに訊けば詳しいことが分かるかな? と考えながら、雫は続きを促した。
「実験の詳細については不明だけど、その実験の直後から、『吸血鬼』の発生が観測されている」
 雫は五秒ほど考え込んで、口を開いた。
「その実験と吸血鬼の発生には因果関係があると、レイは考えているんだね?」
「さっき、原因不明と言ったけど」
 そこで一旦、自分の思考を整理する為に、レイモンドは言葉を切った。
「僕はこのブラックホール実験が、吸血鬼を呼び出したと確信している」
 レイモンドが何処から情報を仕入れて、何を根拠に判断しているのか、雫は知らない。
 だがこの短い付き合いの中で、彼が隠された真実に到達する特異な力の持ち主であることを雫は知っていた。
 それが個人の力であるのか、組織の力であるのかは、雫にとって重要ではない。
「……そう。ありがとう」
 重要なのは、彼の情報が信用できるということだった。
「どういたしまして。
 他ならぬティアの頼みだからね。
 僕でお役に立てることがあれば、いつでも相談してよ」
 第三者の目から見れば、レイモンドのアプローチはかなり露骨なものだった。
 しかし雫本人は、と言えば、「物珍しいのは今の内」くらいにしか考えていなかった。
 この鈍さが先天的なものか、最近の友人関係で伝染したものか、それは誰にも分からない。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也にとっては珍しくオフの日曜日、ではあったが、制服のままではどこかに遊びに行くという訳にはいかない。
 達也と深雪は、何処にも寄り道せず一旦家に帰ることにした。
 今日はバイクではなく、電車を使っている。
 いつも通り二人乗りのキャビネットに並んで座り、飛び去る街の風景を眺めている兄の横顔を、深雪は切なく見詰めていた。
 今回の一件で、達也は何事か、悩んでいる。
 悩んでいるというより、自分を責めているように見える。
 それは普段、過ぎ去った“IF”を思い悩まない達也には、珍しいことだった。
 自分に話して欲しいと、深雪は思った。
 自分が大して役に立てるとは思っていなかったし、ましてや兄の悩みを解決できるなどとは微塵も考えていない。
 だけどそれでも、話を聞く位のことは出来る。
 悩みを分け持つことは出来なくても、共有するくらいなら出来るはず。
 深雪はそう思った。
 そうしたい、と願いながら、兄の横顔を見詰め続けた。
「甘いな、俺は……」
 その願いが通じたのだろうか?
 達也がポツリと、呟いた。
「お兄様?」
 焦りを抑えて、願いを押し込めて、何も気づいていないフリで、さり気なく、深雪は達也に問い掛けた。
 言葉に出さず、言葉にせず、何を悩んでいるのか、と。
「自分には無関係だと思っていた結果が、このざまだ。
 何もかもが後手後手で、手掛かりは幾らでもあるのに、肝心なことが分かっていない」
 抽象的な言い方だったが、深雪には達也の言う「手掛かり」が何を指しているのか、直感的に解った。
「それは……リーナのことでしょうか?」
 心の裡をズバリと言い当てられて、達也は目を丸くした。
「参ったな……深雪には本当に、隠し事が出来ない」
 そんなことはありません! という喉元まで出掛かった叫びを、深雪は懸命に押さえ込んだ。
 達也が何を考えているのか、深雪には分からないことだらけだった。
 だがそれは、兄に苛立ちをぶつけるのではなく、自分の努力で理解すべきなのだと、深雪は自分に言い聞かせた。
「リーナが何か企んでいたのは、最初から分かっていることだったんだ。
 それを訊問する機会だってあった。
 無理矢理機会を作ることも出来た。
 それなのに俺は、自分の生活に波風を立てたくなかったが為に見逃して、結果的に対処が遅れた。
 いや……分かっては、いるんだ。
 俺がすぐに手を打ったからといって、被害を防げたとは限らない。
 事態はもっと悪化したかもしれない。
 でもなぁ……友人が犠牲になった、という事実を目の前にすると、無駄だと知りつつ考えずにはいられないんだよ」
 達也の告白を聞いて、深雪は笑みが浮かんでくるのを抑えられなかった。
 それは、兄が内心を打ち明けてくれたことに対してではなく、兄が話してくれたことに対してだった。
「お兄様……お優しく、なられましたね」
「深雪? いきなり何だい、それは?」
「いえ……お兄様は元々お優しかったのでしたね。
 ただそれが、見え難かっただけで」
「すまん、分かるように説明してくれ」
 すっかり困惑顔の達也に、深雪は最早、満面の笑みを隠そうとはしなかった。
「お兄様にもご理解できないことがお有りだったのですね。
 如何にお兄様といえど、ご自分のことは解らないものなのですか?」
「買いかぶりだし、当然だよ。
 解らないことは山ほどあるし、自分の顔は鏡でしか見えない。左右ひっくり返った映し絵から想像するしかないんだ」
「そこで強がりを仰らないのは、流石、お兄様です。
 つまりですね」
 深雪はそこで、思わせ振りに言葉を切った。
 妹の思う壺だ、と分かっていても、達也は耳をそばだてずにいられなかった。
「お兄様はご友人である西城君を傷つけられたのが許せないのです。
 仮初めとはいえ友人となったリーナに手荒な真似をしたくないとお考えなのです。
 お兄様、深雪は嬉しいです。
 お兄様がわたし以外の者にも、情けを掛けて下さることが。
 お兄様はご自分でお考えになられているよりずっと、人間らしい感情をお持ちなのです」
 達也は正面を向いて座り直し、目を閉じた。
 そんな分かり易い照れ隠しをする兄が、深雪は可笑しかった。
 そんな姿を自分に見せてくれることが、すごく、嬉しかった。


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