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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第五章・来訪者編
5-(11) 華麗なる決闘(後)

 深雪が冷却魔法、凍結魔法を得意としているのは自他共に認めるところ。
 しかしその本質は振動停止であり運動停止であって、雪の精霊とか氷の魔物とかを使役している訳ではない。当然、少年少女向けファンタジーにありがちな設定のように、精霊の加護を受けているから寒さを感じない、などということは無い。
 つまり、何が言いたいのかというと。
 寒いものは寒いのである。
 この真冬の夜中にバイクのタンデムシートに乗っていて、寒くないはずはないのだ。
 だから――
(くっついててもおかしくないわよね……寒いんだから)
 達也の腰にギュッとしがみつき、頬を背中に押し当て、隙間が無いほど胸を密着させて、深雪は心の中で呪文のように言い訳を繰り返していた。
 ――今更言い訳が必要なのか? というツッコミは禁句とさせていただく。

 八雲はすぐ後ろを追いかけてくる一つ目のヘッドライトをチラッと振り返り見て、誰が見ても「人が悪い」と評するだろう笑みを浮かべた。
 彼の位置からは達也の影になってタンデムシートの深雪の姿は全く見えないのだが、どういう姿勢でどういう状態でどういう表情でいるのか、手に取るように分かる。彼ら兄妹の互いに向ける感情は、八雲にとって実に興味深いものだった。
 唇を吊り上げた直後、八雲は隣から緊張の高まりを感じた。
 どうやら彼の笑みを変な方向に誤解したようだ。
「そんなに気を張る必要はないよ。
 さっきの約束を守ってもらえれば、君に危害を加えるつもりは無いから」
「……今のワタシの立場で、それを信じろと言うんですか」
 視線を正面に固定したまま、リーナが硬い声を返した。いや、「硬い」というより「強張った」と言うべきか。
「そう感じるのも無理はないだろうねぇ」
 八雲と彼の弟子に挟まれてモーターセダンの後部座席に深く腰掛けた姿は、彼女の立場を知る者が見れば護送に他ならないだろう。
 両隣に座る男の実力を思い知らされたばかりのリーナにとっては、尚更その感が強かった。
 一瞬でスターズの精鋭二人を昏倒させた八雲。
 彼女たちに一切、勘付かせることなく、いつの間にか背後に立っていた黒装束の――忍者。
 ハンドルを握る男も、その背中に全く隙が無い。
 三対一でも倒せない相手とは思わないが、無傷で切り抜ける自信もリーナには無かった。
「だけど信じてもらって大丈夫だよ」
 彼女の緊張を感じ取っているだろうに、それが敵意と警戒に由来することも察しているだろうに、八雲の口調は至極ノンビリしたものだ。
 リーナにとっては、それが余計に、不気味だった。
「君と達也くんの間にある対立に興味は無い。
 僕に興味があるのは、秘伝を正しく伝えることだけだ。
 だからさっき言ったとおり、僕が君に求めるのは、九島に伝えられた術を他に明かさないことだけだよ。
 伝えられる資格の無い者に伝わるのは、正しく伝えたことにならないからね」
「……国益にも興味は無いと?」
「無いよ」
「世界の平和にも? 人類社会の未来にも?」
「興味無いね。僕は世捨て人だから」
「魔法師でしょう、貴方も!」
 八雲の言っていることは、リーナの価値観からすればあり得ないことで、あってはならないことだった。
 だから余計に、信じられなかった。
「僕は『忍び』だ。
 魔法師ではないよ」
 そんな彼女に、八雲は穏やかな声で返事をする。
 断固とした、否定の回答を。
「……忍術使いだって魔法師の一種でしょう?」
「魔法が使えるからといって、魔法師にならなきゃいけないという訳じゃないよ」
 言葉の意味は分かる。
 理解できる。
 だが、八雲の言っていることが、リーナには納得できなかった。
「魔法師になったからといって、国家に奉仕する義務が自動的に発生する訳でもないのと同じさ」
 納得できなかったが、反論することも何故か、できなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 リーナを乗せたセダンは、何処かの河川敷で停車した。
 何処か、というのはリーナに土地勘が無いからで、走った時間から考えれば都内か、その隣接県のはずだが、メガロポリス東京の近郊でこんな場所があるのかとリーナは驚いていた。
 灯りが全く見えない。
 セダンがヘッドライトを消し、後続のバイクもライトを消すと、真っ暗と言って良いステージが出現した。
 月は無く、星明りだけが頼りの暗闇を、達也と深雪が歩み寄って来る。
 ふと、リーナは言い知れぬ不安に襲われた。
 CADは取り上げられていないが、発信機と通信端末は彼女の手許に無い。ボディチェックもされていないのに所持品の全てを言い当てられて、大人しく引き渡す以外に無かった。
 後で返す、とは言われているが、今現在、彼女には自分の居場所を知らせる手段が無い。
 監視衛星が自分の居場所をフォローしているはずだが、彼女をこの場に運んで来たのは幻影魔法に定評がある忍術使いのチームだ。軍事用監視衛星の高解像度カメラを欺くことも、可能かもしれない。
 もしかしたら自分はこのまま、何処とも知れない場所に監禁されるか、最悪、暗殺される可能性もあるのではないか……
 リーナは懐のCADを、服の上からギュッと握った。
 もしもの時は、切り札を使ってでも……
「何を考えているのか大体見当はつくけど、約束は守るから安心してくれ」
 声を上げないのが精一杯だった。
 急に話し掛けられて、ビクッ、と身体が震えるのは抑えられなかった。
 星明りでも何とか表情の判別が付く距離まで近づいていた達也が、噴き出すのを堪えて、堪えきれず、声に出さずに笑っていた。
「事情を聞かせてもらうだけだ。
 訊きたいことを聞いたら、駅まで送っていくよ」
 相手にしてみれば、とても、癪に障る笑顔だった。
「話してあげるのはワタシに勝てたらよ」
 自然、リーナの声が尖る。
「無論だ。それも含めて、約束は守る」
 小揺るぎもしない鉄面皮にますます苛立ちが募ったが、ここで逆上してはドツボにはまるだけだとリーナにも分かっている。
 グッと奥歯を噛み締めて、鋭い視線を達也の背後に向けた。
 闘志の漲る瞳が、リーナを見返している。
 深雪も既に、ヤル気満々だった。
「さてと……リーナは不満かもしれんが、審判は師匠に務めてもらう。審判といっても勝ち負けの判定をするだけで、勝負を仕切ったり途中で手出ししたりはしないけどな」
「ここにいるのは敵ばっかりだと最初から分かっているから、不満なんて無いわ」
「潔くて結構だ」
 憎まれ口も、サラッと流す。
 フラストレーションが昂じ過ぎて、急に気持ちが落ち着いた、ようにリーナは感じた。
「じゃあ、不肖ながらこの九重八雲が、審判役を務めさせてもらうよ。
 勝敗の条件は、どちらかが降参するか、戦闘不能になること。
 殺すのは無しだよ。遺恨を残してしまうからね」
「わかりました。それで十分です」
「その前に終わらせるわ」
 静かに頷く深雪と、威勢よく了承の意を示すリーナ。
 その態度は対照的ながらも、自分の勝ちを疑っていない点は共通していた。
 まさに、一触即発。
「では、始めようか」
「師匠、少し待って下さい」
 だが、そこにあえて水を差す、空気の読めない男がいた。
 八雲とリーナから向けられる白けた眼差しを百パーセント無視して、達也は妹の許へ歩み寄った。
 深雪の正面、二歩の位置に来て、
 まだ、足を止めない。
「あの、お兄様?」
 兄の意図が読めず戸惑う深雪に答えを返さず、
 正面、あと一歩。
 依然として足を止めない。
 そして達也は、手を伸ばせば深雪を抱き寄せられる距離で足を止めて、
 ――深雪を抱き寄せた。
「あああのあのあの」
 腰に深く手を回され、赤面を通り越してパニックに陥る深雪。
 さっきまで自分の方から抱きついていたくせに、というのは多分、第三者の感想で、本人にとっては自分から抱きつくのと突然抱き寄せられるのとは全くの別物なのだろう。
 もう一方の手が、頭の後ろに添えられた。
 最早、深雪は、声を出すこともできない。

 妹の髪に指を潜り込ませ、

 抵抗を忘れた顔を口元に引き寄せて、

 達也は、深雪の額に、キスをした。

 彼が抱擁を解くと、目を見開いた深雪の顔が現れた。
 そこに恥じらいは無く、ただ驚きだけがあった。
「これは……どうして……」
「この前見せてもらって、不完全ながらも遣り方を覚えた。
 一時的な効果しかないが、制御力を返す。
 思う存分やりなさい」
「……はい!」

◇◆◇◆◇◆◇

「お待たせしました、師匠」
 達也が声を掛けた八雲の隣では、リーナが食べ過ぎて胸焼けを起こしているような顔をしていた。
「リーナも待たせたな……調子が悪いなら、少し時間を置いても良いが?」
「張本人が何言ってるのよ……いえ、結構です」
 すっ呆けている(とリーナには見えている)達也に精一杯の嫌味な声で返答して、リーナは深雪に向き直った。
 深雪は達也の後ろについて来て、いない。
 近接戦闘をするつもりは無いようだった。
 これまでの観察結果と照らし合わせて、彼女は体術を得意としない典型的な魔法師なのだろう、とリーナは判断した。
 叛逆魔法師の処刑人である「シリウス」にとっては、最も与し易いタイプだ。
(一撃で終わらせる!)
 まだ開始の合図は無いが、そんなものを待つつもりはリーナには無かった。
 合図をしてから、などという取り決めはしていない。
 自己加速で間合いを詰めて、情報強化で相手の魔法を無効化して、格闘術で無力化する。
 深雪の敗北に達也たちが気を取られている間に、高速移動の魔法でこの場を逃げ延びる。
 それがリーナのプランだった。
 だが――
「っ!」
 声にならない悲鳴をリーナは漏らした。
 彼女が魔法を行使するより一瞬早く、(あられ)混じりの突風が襲い掛かって来たのだ。
 咄嗟に大きく横に跳び、細く絞り込まれた冷気の奔流を回避する。
 顔を上げると、今度は横殴りにブリザードが吹き付けてくる。
 空気の密度を操作して、真空の壁を盾とすることで、リーナは何とかこの攻撃をしのいだ。
「この程度では通用しないか」
 独り言が夜の風に乗って流れて来る。
 リーナはギリッと奥歯を噛み締めた。
 魔法の発動速度なら、リーナは深雪に勝っている。
 それなのに先手を取られたということは、深雪の方が先に仕掛けたということ。
 しかも今のニ連発は、威力を落として速度を優先した術式だった。
 二重の意味で、リーナは屈辱を感じた。
 相手の甘さを衝くつもりが、逆に油断を衝かれた。
 威力を落とした攻撃でも倒せると思われて、事実、危うくやられるところだった。
(だけど今度はコッチの番よ!)
 一拍、間が空いたのは、威力を上げた術式で確実に仕留める為だろう。
 だけどそれが命取りだ、とリーナは思った。
 そう思いながら、情報強化と自己加速の魔法を並列実行する。
 重力と慣性の同時低減を織り込んだ自己加速術式で深雪の側面へ突進するリーナ。
 彼女の右手は、ジャケットから(むし)り取った飾りボタンが握り込まれている。
 拳銃は取り上げられていたが、ハイスクールの少女を無力化するだけならこれで十分だ。
 そして残り五メートルまで接近したところで、直感の命令に従いリーナは急停止した。
 突如吹き荒れた身体を引っ張る強風に逆らい、足を踏みしめる。
 自分自身に静止の魔法を掛けて引きずり込む力に対抗する。
 その位置で、手に握るボタンに移動魔法を多重発動。
 加速の過程を無視して時速3百キロの速度を与えられたボタンは、一メートルも進まずに失速して地に落ちた。

 目にも留まらぬ速さで突進してくるリーナを、深雪の感覚は捉えていた。
 達也の様に情報の次元から直接データを引き出すことは出来なくとも、魔法による事象改変の痕跡を知覚することは出来る。それは魔法師ならレベルの差はあれ誰にでも出来ることで、魔法師に出来ることなら深雪には最高レベルで実践可能だ。
 自己加速魔法は自分自身に対して事象改変を行う魔法。
 従って事象改変の痕跡をリアルタイムに追うことで、術者の位置を掴むことができる。自己加速魔法の欠陥を衝くその技術を、深雪は達也から教えられていた。
 ここまでは作戦通り。
 わざわざ「この程度では通用しないか」、なんて思わせぶりな独り言で挑発した甲斐が有ったというもの。
 本命は、次の、この魔法だ。
(「減速領域ディーセラレイション・ゾーン」)
 術式自体は割とありふれたもの。
 日本でも外国でも広く使われている、対象領域内の物体の運動を減速する魔法。
 だが深雪がこの魔法を使ったならば、減速対象は気体分子に及ぶ。
 気体分子の運動速度と気体の圧力は正比例の関係にある。
 正確に言えば(と言っても近似的にだが)閉鎖空間内の気体の圧力は気体分子の運動速度の二乗に比例する。
 分子運動を強制減速された領域内の気圧は下がり、圧力勾配に従って周囲の空間から空気を取り込む。
 急速に、強力に。
 空気だけでなく、人も物も巻き込んで。
 そして吸い込まれた者が魔法に打ち消すだけの対抗力を持たなければ、運動速度を奪われ領域内に囚われる。
 吸い込まれた者が減速領域の魔法を無効化する程の対抗力を持つならば、強制減速させられていた気体分子が運動速度を取り戻し、分子の量に相応しい圧力で膨張、つまり爆発する。
 本来、弾体を停止させるだけの魔法力がない場合に、次善の手段として飛び道具の威力を減じる機能しか持たないこの魔法が、深雪の強大な魔法力に掛かれば二段構えの対魔法師用の対人魔法となるのだ。
 しかしリーナは、気流の吸引力に逆らって踏み止まって見せた。
 移動魔法で撃ち出したのは、飾りボタンだろうか。
 初速を与えられただけの樹脂の塊が深雪の減速領域を突破できるはずもないが、この粗末な飛び道具を撃ち落としたことにより、彼女がどんな魔法を行使しているのか、リーナに覚られてしまったに違いなかった。
(だったら!)
 攻め手は常に二手、三手先まで用意しておけ、とは日頃から達也に繰り返し言い聞かせられている言葉だ。
 減速領域に引き込んで仕留める作戦が失敗したなら、領域の外で仕留めるまでのこと!
 深雪は二重に構築した内側の障壁を維持したまま、外側の領域を解除した。
 偽りの低速を強いられていた気体分子が、本来の運動速度を取り戻す。
 狭い領域に押し込められていた空気がその圧力を解放し、爆風となってリーナに襲い掛かる。

 大規模な事象改変の気配が突然消失した。
 リーナは訓練と本能に従って、地面に伏せ、対物障壁を自分の上に被せた。
 シールドの上を爆風が吹き荒れる。
 高速気流による揚力でシールドごと身体を持って行かれそうになるのを慣性増大魔法の多重発動で何とか持ちこたえ、腹這い姿勢のまま顔を上げて反撃の機を窺う――否、隙を窺う。
 ノンビリと(?)機会を待つつもりなど、リーナには無かった。
 ここまで、(ことごと)く深雪に先手を取られている。
 相手はただの高校生で、自分は世界最強部隊の総隊長。
 そんなプライドも無論あったが、それ以上に、このままではジリ貧だという認識がリーナの精神を圧迫していた。
 とにかく、少しでも反撃しなければ、押し切られてしまう。
 余程強固な防御魔法を持っている場合は例外として、魔法戦においても、守るより攻める方が強い。それがセオリーだ。
 風圧が弱まったのをリーナは感じた。
 魔法の解除により発生した爆風だから、圧縮状態の空気が全て解放されれば風は止むのが道理。
 リーナの右手にはコンバットナイフが握られている。
 拳銃は没収されたが、「分子ディバイダー」発動用のこのナイフは取り上げられなかった。
 先代のシリウスが開発し、スターズの切り札となっている魔法用の、武装デバイス。
 仮想領域を伸展することにより成立するこの魔法は、相手魔法師を凌駕する干渉力が必要だ。
 それも、ギリギリ勝っている程度ではダメで、ワンランク上でなければならない。
 だが少なくとも、
(ミユキの注意を引き付けることくらい出来るはず!)
 伏せたまま左手で、深雪に見えないようダガーをばら撒く。
 慣性増大を解除。
 自分に可能な全速で身体を起こし、
(「分子ディバイダー」)
 片膝立ちで、右手のナイフを横薙ぎに振り抜く。
 仮想領域が伸びるのと、ほとんど同時。
 今までに経験したことの無い、圧倒的な干渉力が自分と深雪の間に放たれたのをリーナは感じた。
 形成されつつあった仮想領域が、空間を圧する干渉力に塗り潰される。
 防がれるのは分かっていたことだ。
 計算通り、と言っても良い。
「ダンシング・ブレイズ!」
 分子ディバイダーが無効化されるのを確認する前に、リーナは次の魔法を放った。
 コッソリとばら撒いたダガーが浮き上がり、目にも留まらぬスピードで飛び去った。
 地面すれすれで弧を描き、深雪に支配された空間を回避。
(この暗闇の中、側面と背後から同時に襲い掛かる四本の刃、防げるものなら防いでみなさい!)

 魔法を帯びた物体が高速で迫って来るのを感じて、深雪は発動途中の攻撃用術式をキャンセルし、全周防御用の魔法に切替えた。
 対象を個々に認識して防御するより格段に難度の高い、方向性を指定して防御する障壁魔法より更に難度の高い全方位無差別防御魔法だが、今の深雪なら問題なく使用できる。
 リーナの――シリウスの魔法力が注ぎ込まれた攻撃でも、止められる。
 しかしいつもの、制御力を達也の封印に割いた状態では、この攻撃を防ぐのは難しかっただろう。
 いや、そもそもこんな緻密な術式のコントロールは、出来なかったかもしれない。
 自分だけでリーナに勝負を挑んでいたら、自分は負けていた……そう考えて、深雪は心の中で感謝の祈りを捧げた。
(お兄様が見ていてくださるから……わたしは負けない。負けられない!)

 技巧と工夫を凝らした奇襲攻撃が力ずくで潰されたのを見て、リーナの心に戦慄と闘志が同時に湧き上がった。
 そして突如脳裏に蘇る、先程見せられた、胸焼けのする甘ったるい光景。
 戦いを舐めているとしか思えない振る舞い。
 だがあの時、確かに、達也が深雪に何事かを囁いていた。
 考えてみれば「ダンシング・ブレイズ」は既に、達也によって破られた術だ。
 達也は同時に襲い掛かる五本のダガーを、同時に分解して見せた。
 彼女の知る分子間力中和の術式ではなかったが、結果から見て何らかの方法で分子結合を解いたのだろう。
 だが重要なのは、その点ではない。
 同時に複数の方向から襲い掛かる飛翔体に対し、同時に対処したという点だ。
 自分の攻撃を防いだのは、深雪だけの力ではない、とリーナは思った。
(そう……手は出さないけど口は出す、ってことね。上等じゃない!)

 深雪は思った。
 絶対に負けられない、と。

 リーナは思った。
 全力で叩き潰す、と。

 そして二人は、同時に叫んだ。

「ミユキ!」「リーナ!」
「勝負よ!」

◇◆◇◆◇◆◇

 空間が凍りついた。
 空間が沸騰した。
 二人の魔法力が世界を塗り替え、二つの世界が激突した。
 晶光煌く、氷雪の世界。
 電光瞬く、炎雷の世界。
 空気が凍りつく極寒の地獄、「ニブルヘイム」。
 空気が燃え上がる灼熱の地獄、「ムスペルスヘイム」。
 片や、気体分子の振動を減速し、水蒸気や二酸化炭素を凍結させるだけでなく、窒素までも液化させる領域魔法。
 片や、気体分子をプラズマに分解し、更に陽イオンと電子を強制的に分離することで高エネルギーの電磁場を作り出す領域魔法。
 冷気が熱プラズマを気体に戻し、熱プラズマが凍結した空気を元に戻す。
 ぶつかり合う二人の力は、地上にオーロラの(とばり)を下ろした。
 揺らめき、重なり合う、極光の舞。
 それは実に幻想的な光景だった。
 ともすれば、死と隣り合わせであることを忘れてしまう程に。
 達也はCADの引き金に指を掛けたまま、その光景を慎重に見計っていた。
 もしどちらかが術の制御を失ったら、すぐに術式そのものを消してしまえるように。
 二人の術式を同時に無効化するのは相当の困難が予想されたが、彼は分解と再成に特化した魔法師だ。
 その程度の無茶は、押し通して見せるつもりだった。
 極光の舞う中、永劫に続くかに見えた氷雪と炎雷のぶつかり合いは、一分も経たない内に、その帰趨が明らかになった。
 冷気が拡大し、プラズマが縮小していた。
 元々深雪は、広い領域に大規模な事象改変を起こす魔法を得意とする魔法師。
 一方リーナは、個別の物体や現象に力を集中し、激甚な事象改変を起こす魔法を得意とする魔法師。
 この衝突は、最初から深雪に有利な土俵で行われていた。
 それに加えて、リーナは対吸血鬼、対達也に続く三連戦。
 自覚症状は無くとも、疲労は蓄積されていた。
 そこに、相手に有利な、自分に不利な、勝負形態。
 深雪とリーナの勝負は、二人の魔法力の差ではなく、冷静な判断力を保っていたかどうかの差で決着しつつあった。
「くっ……!」
 本人にもそれが分かったのだろう。
 リーナが口惜しそうな声を漏らした。
 そして背中に手を回す。
 再び抜き放たれた武装デバイス。
 しかし、この状況でマルチキャストは、彼女がどれだけ優秀な魔法師であったとしても、自殺行為。
「そこまでだ、二人とも!」
 叫びながら、達也はCADの引き金を引いた。
 彼の「術式解散グラム・ディスパージョン」は、深雪の「ニブルヘイム」とリーナの「ムスペルスヘイム」を同時に消し飛ばした。

◇◆◇◆◇◆◇

 冷気と炎雷が急激に交じり合い、火傷と凍傷を同時に引き起こす風が吹き荒れる。
 達也は来るべき激痛に備えたが、灼熱と極寒の牙を持つ嵐は彼の眼前で不可視の壁に遮られた。
「お兄様! 何て無茶をなさるんですか!」
 蒼褪めた顔で、深雪が駆け寄ってくる。
 リーナは呆然と、こちらを見ている。
 二人にとって、余波に過ぎない熱波と冷波から身を守ることなど、疲労に関係なく朝飯前なのだろう。
 自分の才能について割り切っている達也だが、こういう時は“普通の”魔法の才能が羨ましくなる。
「いやはや……達也くん、これ、どうするんだい?」
 そしてこちらはどうやって身を守ったのかさえ分からないが、とにかく無傷の八雲がわざとらしい呆れ声を掛けてきた。
 ――いや、背後に引き連れた弟子が泥だらけになっているところから見て、地中に潜ってやり過ごしたのだろう。土遁の術、というヤツだ。
「師匠……どうする、とは?」
 どうやって冷気と高熱から逃れたのかは分かったが、質問の意味が分からなかった。
 素直に、というより反射的に問い返した達也に、今度は本気の度合いが強い呆れ顔を八雲は見せた。
「いや、だってね……勝敗の条件はどちらかが降参するか、戦闘不能になるか、と決めていたじゃないか。
 元々君が言い出した勝負なのに、それを横からぶち壊してどうするんだい?」
 返す言葉が無い、とはこの事だった。
 あの場面は、ああしなければ「殺しは無し」の条件に反してしまう状況だったので、介入したことそのものに後悔は無い。
 だがこの勝負は、場を収める為の口実作りだったのだ。
 実のところ、リーナの扱いは非常に厄介だ。
 正規の軍人であるリーナは、捕虜としての権利を保証される立場にある。
 身分を隠したままならそれを気にする必要は無かったのだが、達也はリーナから「スターズ総隊長」「USNA軍少佐」の名乗りを受けているし、そもそもその前段階で達也の方からそれを認めているのだから、捕虜となる権利を無視することは出来ない。
 法的な交戦状態になくても、実質的に軍事行動中ならば捕虜となる権利があるのだ。
 またそれ以前に、民間人の達也たちに軍人であるリーナを捕虜とすることはできない。
 独立魔装大隊とのつながりを示せば捕虜とすることは可能だが、生憎とこの程度のことで機密となっている関係を明かせるはずも無い。
 正当な権利も無くリーナを訊問したり拘束したりすれば、USNAに政治的な口実を与えるだけとなる。
 処刑など以ての外だ。
 無論、リーナの側にも民間人に対する攻撃という負い目が生じるのだが、残念ながら魔法師は民間人として保護される権利を大きく制限されている。
 国際公法上の正当性では、達也たちに分が悪かった。
 だからと言って、何もせずに放免など、今後のことも考えれば出来るはずもない。
 事態をどう収拾するのか……頭が痛くなってきた、様な気がする達也だった。
「ワタシの負けで良いわ」
 しかし、悩み続ける必要は無かった。
 救いの手は、意外な所から差し伸べられた。
「あのままだったら、確実にワタシが押し切られていた。
 あそこで別の魔法にキャパシティを割いていたなら、ワタシはミユキの魔法に飲み込まれて命を落としていたかもしれない。少なくとも、数ヶ月の病院暮らしは免れなかったでしょうね。
 だから、ワタシの負けよ、ミユキ。
 タツヤ、ワタシはみっともない悪あがきをするつもりは無いわ」
 だが、これで一安心、と胸を撫で下ろすのは、早計だった。
「約束よ。訊かれたことには何でも答える。
 但し……」
「但し、何だい?」
「但し、答えは“イエス”か“ノー”よ。それで答えられない質問には答えないから。
 アナタが勝負に水を差してワタシとミユキが合意した条件を変えちゃったんだから、ワタシの方からもこの程度の条件変更は言わせて貰うわよ、タツヤ」
 達也が思ったより、リーナは強かだったようだ。
 敗者とは到底思えないステキな笑顔を浮かべるリーナに、達也は頷くしかなかった。


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