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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第五章・来訪者編
5-(10) 華麗なる決闘(前)
 拳銃の平均的な有効射程距離は五十メートル、実戦闘時の有効レンジは二十メートル以内と言われている。
 このあたりの事情は前世紀から変わっていない。何故なら、拳銃とはそういうニーズで作られた武器だからだ。
 達也が隠れている木陰とコート姿の仮称・吸血鬼の距離は約十メートル。
 必要最低限を超過する訓練時間を消化しているとはいえ、日常的に拳銃の練習をしている訳ではない達也には、細かな照準は難しい距離だ。
 手にする銃は、使用する弾丸の特殊性から中折れ式の単発銃。事実上、やり直しの効かない一発勝負。
 本当は肌の露出している箇所を狙うのが望ましいのだが、出来ないことは諦めるしかない。
 それに、そもそも相手はフード付きコートに厚手のスラックス、顔は顎まで覆う仮面と肌を露出した部分が皆無と言って良いスタイルだ。悩む必要もない。
 達也は吸血鬼の腹を狙って拳銃の引き金を引いた。
 サプレッサーにより発射音のほとんどを吸収された低速重量弾が、狙い通りにコートの腹部を捉える。九ミリ弾の二倍の重量を持つ弾が、速度の不足を補って吸血鬼を後ろ倒しに転倒させた。
 仮面の魔法師が、達也の方へ顔を向けた。
 金色の瞳が、射抜かんばかりの苛烈な眼光で達也を見ている。
 そこにあるのは、誤解の余地無き敵意。
 彼女がナイフを捨てたのと、達也が銃を手放したのは同時だった。
 女の手が腰に回り、達也の手が懐へ伸びる。
 抜き終えたのは達也が先。
 だがCADの引き金を引く彼の指は、途中で停止した。
 相手の手に握られた中型の自動拳銃。
 その銃身部分に魔法式が形成されているのを達也の視力は捉えた。
 達也の分解魔法に匹敵する発動速度。
 握るだけで起動式が展開される単一用途の武装デバイスは、スイッチを操作する手間を要さない分で、先手を取っていた。
 発動した魔法は情報強化。
 銃身(バレル)を通過する銃弾の諸属性を強化する魔法。
 達也はCADのセレクターを操作し、情報体分解の魔法から実体分解の魔法に起動式を切替えた。
 照準は、仮面の魔法師が握る銃のチャンバー部分。
 そこから発射される弾丸。
 魔法行使時の高密度情報処理がもたらす時間遅延感覚の中で、仮面の魔法師が自動拳銃のトリガーを引き絞るのを見ながら、達也はCADの引き金を引いた。
 達也と仮面の魔法師の距離はおよそ十五メートル。
 向こうの銃弾もサプレッサーによる減音効果を重視した亜音速弾とはいえ、着弾までの時間はゼロコンマゼロ五秒以下。
 それは、一瞬とほぼ同義。
 だが、彼女の情報強化が作用した時間はもっと短い。
 一瞬で弾速を含めた属性情報が強化された弾丸は、その飛翔の途上、一瞬で微塵に分解された。
 動揺が仮面の奥から漏れ出した。
 確かに自信を持つだけのことはある、と達也は思った。
 普通に「停止」や「ベクトル改変」では、今の弾丸は防げなかっただろう。
 克人程の技量があれば話は別だが、並みの魔法師では不可能だ。十師族の実戦部隊クラスでも難しいかもしれない。
 ()く言う達也も、「分解」が「情報強化」に対して相性の良い魔法だから対処できたのであって、そうでなければ特に対策もとっていない初見で防ぐのは困難だったに違いない。
 しかしそれは、仮定の話。
 現実には今、仮面の魔法師は、達也の前に隠し切れない隙を曝している。
 彼が魔法を撃ったのは、意識が隙を認めたのと同時だった。
 最初に放ち損ねた魔法が、今度こそ仮面の魔法師を狙い撃つ。
 彼の視界に映る、「色」と「形」と「音」と「熱」と「位置」を記述した情報体。
 相手の本体ではなく、偽装の魔法それ自体に照準を合わせて放たれた対抗魔法「術式解散グラム・ディスパージョン」。
 魔法式(マギ・グラム)そのものを分解する魔法により、着ぐるみに似た中身の無い外装が散り散りに剥ぎ取られる。

 ――次の瞬間
 ――魔物が、天使に、生まれ変わった。

◇◆◇◆◇◆◇

 夜景が星になって流れて行く。
 都心のハイウェイを滑るように走る電動四輪(モーター・セダン)の内部は、外の景色が立体映像に見える程、音も振動も伝わって来ない。
「……先生」
 その静かなキャビンの後部座席で、深雪は遠慮勝ちに口を開いた。
 問い掛ける相手は、隣に座る忍術使い・九重八雲。
「んっ、何だい?」
 八雲は閉ざしていた目を開いて、深雪に顔を向けた。
「今回は何故……お力を、お貸し下さるのですか?
 俗世間には関らないことを戒めにされている、と記憶しておりますが」
 自戒、あるいは持戒。
 意味は違うが結果は似ている。
 そして八雲が自らに課した戒めは、自戒であり持戒でもある。
「今回はチョッとばかり事情があってねぇ」
 八雲の口調はいつも通り飄々としていて、その内心を窺い見ることは、深雪には難しかった。
「出家して俗世のしがらみを捨てた僕だけど、忍の技は捨てなかった。
 僕一人の問題じゃないからね」
 捨てられなかった、ではなく、「捨てなかった」。
 そこに、力みや悲壮感の類は無く、それが完全に当たり前のこととして八雲の中にある……そんな風に、深雪には見えた。
「技を受け継ぐ者としての義務とか責任とかいうヤツもね……これもまた、俗事の極みかもしれないけど、仏門ですら権威と伝統から無縁じゃいられないんだから、許容範囲じゃないかな?」
 ないかな? と問われても、深雪には答えようが無い。
 深雪がどうというより、十五歳の少女に訊く事ではないだろう。
「はぁ……」
 曖昧に相槌を打つのが精一杯であり妥当なところだ。
 運転席の八雲の弟子から眉を顰めたような気配が伝わって来たが、これは気の所為かもしれなかった。
「実は風間くんから、達也くんの敵が九島の『仮装行列』を使っている可能性があると聞いてね。
 それが本当なら、術者に釘を刺しておかなきゃならないんだよ。
 九島に『仮装行列』の元になった術、『纏衣』を教えた先代の代わりにね」
 まったく面倒臭いことだよ、と八雲がぼやく。
 しかし、その不謹慎な発言は、深雪の耳に届かなかった。
「九島家の秘術『パレード』の原型を、先生のお師匠様が……?」
 達也ならば「なる程、そういうこともあるだろうな」と考え、すんなりと飲み込んだかもしれない。
 だが深雪には、訊き返さずにいられない事実だった。
「あれっ? 知らなかったのかい。
 第九研の設立目的は、合理化し再体系化した古式魔法を現代魔法として実装した魔法師の開発だ。
 その目的の為に、第九研には古式の術者が大勢集められた。その中に先代もいたんだよ」
 もちろん、深雪は知らなかった。
 と言うより、現代魔法の暗部として封印された魔法技能師開発研究所のことを、女子高校生が知っていると考える方が間違っている。
 例え深雪が、最も悪名高き第四研の成果を受け継ぐ立場にあるとしても、他の研究所で何が行われていたかを知っているはずが無い。
「……ではもしかして、先生のご苗字は」
 深雪はハッと目を瞠って、蒼褪めた顔でそう訊ねた。
「いや、それは考え過ぎ」
 深雪が何を疑ったのか、すぐに分かったのだろう。
 苦笑しながら八雲はパタパタと手を振った。
「九重の姓は先代から受け継いだものだよ」
 車内の空気が少し和らぐ。
 だが一旦上昇した温度は、すぐに急降下することになった。
「まあ、そういう経緯で、先代が九島に教えた『纏衣』の術式を、九島が改造して出来たのが『仮装行列』の魔法。
 その中には、僕たちにとって本来門外不出の秘伝が含まれている。
 だから、達也くんと事を構えている魔法師が『仮装行列』を使っているなら、これ以上外に広まらないよう釘を刺しておかなきゃならない。
 もし言うことを聞いてもらえなかったら、遺憾ながら、ね」
 八雲の口調も表情も、相変わらず飄々としたままだ。
 だが深雪は、背筋に寒気が走るのを感じた。
 それは深雪だけの錯覚ではなかったはずだ。
 何故なら、ハンドルを握る八雲の弟子も、肩を強張らせていたからだ。

◇◆◇◆◇◆◇

 魔物(デーモン)天使(エンジェル)に――
 そんな陳腐な感想を達也の心に呼び起こす程の、鮮やかな変化が生じていた。
 深淵の闇を思わせる深紅の髪は、弱々しい街灯の光の下ですら煌く黄金に。
 禍々しい金色の瞳は、澄み渡った蒼穹の色に。
 頬の線は柔らかく、身体つきは華奢に。
 身長すらも、僅かに縮んで見える。いや、今までが高く見えていたのか。
 その美貌は、小さな仮面程度で隠せるものではなかった。
 なる程、体格すら違って見えるなら、今まで世界中の目を(くら)まし得ていたのも納得出来る。
 様々な前提条件が積み上がっていなかったなら、達也にも多分、分からなかっただろう。
 思考とは別に、手と無意識領域は動いていた。
 鮮やかな金髪碧眼の少女の手から、立て続けに五発の銃弾が放たれ、その全ては達也に届くことなく塵と消えた。
 そして通算七発目の銃弾が放たれる直前、少女の手にする拳銃からスライドが飛び、バレルが抜け落ちる。
 銃撃が強制停止させられたこと、それ以上に使用中のデバイスが“魔法で”破壊されるというあり得ない事態に、仮面の少女の動きが止まる。
「止せ、リーナ!
 俺は君と敵対するつもりは無いっ」
 その空白を狙って、達也は状況の転換を図った。
 今日の彼の目的は、吸血鬼を拘束すること。拘束して、その正体を突き止めることだ。
 だからわざわざ、弾着と同時に針が飛び出すなどという複雑なギミック付きの麻酔弾と、それを撃つ為の中折れ単発銃を苦労して手に入れたのだ。
 仮面の魔法師=リーナとの戦闘は、彼にとって必要の無い、余計なもの。
 だからこの台詞は、その幕を引く為のものだったのだが……
 これは悪手――逆効果だった。
 仮面の奥の蒼い瞳に、キツイ光が宿った。
 スライドとバレルの外れた拳銃(一体型CAD)を腰のホルスターに戻すと、その右手には、銃の代わりに小振りのスローイングダガーが握られていた。
 USNAの魔法師は武装一体型CADを好んで使うというのが定説だ。
 このダガーもただの短剣ではなく、何らかの武装デバイスかもしれない。
 ショートブーツがソフトコートの地面を蹴った。
 そのスピードは到底、少女のものではなかったが、常人の限界を超えるものでもない。
 達也はポケットから鉛の玉を取り出し、指で弾く。
 風を切る鉛玉は、リーナの右手へ向けて飛翔し――そのまま貫通した。
 血飛沫は散らなかった。
 肉体を撃ち抜いたのではなく、幻影を通り抜けたのだ。
 リーナがそのまま腕を振る。
 ダガーは、達也の肉眼が知覚した位置より一メートルほどずれた所から飛んで来た。
 横に跳んでかわしながら、その軌道をたどる。
 その先で、幻影が再びスローイングダガーを構えていた。
 彼の肉眼は小さな仮面をつけた少女の姿を知覚し、彼の心眼は空っぽの立体映像を認識している。
(厄介なっ!)
 声に出さず、達也は毒づいた。
 知識として知っているのと、実際に体験してみるのとでは、やはり勝手が違う。
 パレードの術式が作り出す情報体に記述されている要素は「色」、「形」、「音」、「熱」、そして「位置」。
 八雲の幻術「纏衣」と同じだ。
 本体とそっくり同じ色と形と音と熱を本体からずれた位置に映し出す「纏衣」に対して、リーナの「パレード」は本体と異なる色、異なる形を映し出すことに重点が置かれていた。
 しかし、位置を偽装する機能が省かれているわけではない。
 今、リーナは色と形の偽装に回していた演算力を位置の偽装に振り分け、達也に自分の本体の座標を掴ませないようにしている。
 そして座標を特定できなければ、魔法を掛けることはできない。
 視覚情報を基にして座標を特定した魔法が、相手を見失うことで無効化してしまうのと同じだ。
 単なる幻影と違うのは、情報の次元における座標すらも偽装してしまっているという点にある。
 魔法を掛けるためには、対象物のエイドスに魔法式を投射しなければならない。
 例えばコンピュータにおいて、ファイルを操作するには、ファイルが格納されているディレクトリのパスを指定して実行コマンドに乗せなければならないが、毎回パスを確認するのは手間なのでショートカットが多用される。
 ショートカットを本体の無いダミーファイルにパスを繋げた偽物にすり替えられると、いつもと同じ手順を踏んでもファイル操作は実行されずエラーになる。
 魔法の発動プロセスにこれを当てはめると、多くの場合、視覚情報がショートカットアイコンになり、そこに聴覚情報や感熱触覚情報が組み合わせられたりする。視覚情報を幻影で狂わされるとそのままでは魔法は発動しなくなるが、本体と幻影が重なり合っている場合は、座標の情報から本体のエイドスにたどり着くことが出来る場合がほとんどだ。この場合、発動に遅延は生ずるものの、魔法はちゃんと作用する。
 幻影が本体と別の場所に投射されていても、幻影と本体の関連付けをキーとして本体のエイドスを探し出すことは、これまた可能。
 しかし座標が偽装され情報の次元に本体のダミーが用意されているとなると、五感の情報をショートカットとして放たれた魔法式は、ダミーの方に作用して、その結果「何も起こらない」ということになってしまう。
 これが対抗魔法「パレード」のシステム。

 故に「パレード」を破る為には、
 幻影を破壊し、新たな幻影が形成される前に本体を見つけ出して攻撃するか、
 五感に頼らず情報の次元(イデア)における本体の座標を割り出して攻撃するか。

 前者は今のところ上手く行っていない。
 ただでさえリーナは、魔法の発動が速い。発動速度は、深雪を凌駕するほどだ。
 その彼女が、この魔法は特に練習しているのだろう。再発動のスピードが化け物じみている。(彼女がシリウスなら、化け物じみているのはこの魔法のスピードだけではないだろうが)
 後者の方法も、達也には可能だ。
 だが、物理的な攻撃を受けながら、知覚の大部分を物質の次元から情報の次元に移すのは、一種の賭けと言える。
(――仕方ない)
 五本目のダガーをかわしたところで(一体何本隠し持っているのだろうか?)、達也は決意した。
 新たな幻影が形成される前に本体を見つけ出して攻撃するのでもなく、
 情報の次元で直接相手のエイドスを探し出すのでもない、
 第三の方法を。
 彼は上着のポケットから片手に収まるサイズの円筒形の缶を取り出した。
 それを軽く放り投げる。
 それを見たリーナから、激しい動揺が伝わって来た。
「ジ」
 ジーザス、とでも言いたかったのだろうか。しかしリーナのその台詞は、最後まで聞こえなかった。
(定率減速)
 物体の運動速度を一定割合で減速する領域魔法をフラッシュ・キャストで発動する。
 仮想魔法領域が作り出す弱い障壁では、投擲榴散弾(散弾を撒き散らす手榴弾)を完全に無力化することは不可能だ。速度をゼロにする停止魔法では、散弾の運動エネルギーに負けて事象改変に失敗してしまう可能性があった。
 それ故の定率減速。
 それでも、百分の一とか千分の一とか、そういう大規模な改変は手に余る。
 自分で用意した武器のスペックと、仮想魔法領域の干渉力を天秤に掛けて、確実に魔法が成功するギリギリのレベルで魔法を放つ。
 定率減速で、弾体を止めることは出来ない。(もと)より、そういう魔法ではないのだ。
 半身になって片膝をついた肩に、脇腹に、太腿に、頭部をかばった腕に、細かな散弾が襲い掛かる。
 簡易防弾機能を持たせた人工皮革の布地を貫通した物はほとんど無かったが、それでも脚と腕に十個以上は浅く喰い込んでいる。
(自己修復強制停止)
 自動的に作動しようとした自己修復を意志の力で止め、達也は咄嗟に障壁を展開して榴散弾を完全に防いだリーナ目掛けて飛び掛った。
 リーナが新たに形成しようとした対物障壁は分解魔法で無効化する。完全に不意を衝かれて、流石のリーナもそれ以上の抵抗は出来なかった。
「……無茶をするわね、タツヤ」
 地面に仰向けに押し倒されたリーナと、その上に圧し掛かる達也。
 組み伏せられた下から、呆れ声で話しかけられた。
 仮面に隠れていない唇が笑みを浮かべて余裕を示していたが、虚勢と見抜くのは難しくなかった。
「何処にいるか分からないなら、指向性の無い攻撃で炙り出すのが定石だろ?」
「それ、無差別攻撃って言うのよ」
「そうも言うかな。
 残念なことに、俺には広域魔法を操る技量が無いからね。
 まあ、リーナなら間違いなく防御できると確信していたから、ということで勘弁してくれ」
「それで自分が怪我してたら、元も子もないと思うけど」
「こうでもしなきゃ、君を捕まえられなかったからね」
「ワタシを捕まえたかったの?
 愛を囁くならもっとロマンチックに迫って欲しいんだけど」
 仮面の奥の蒼い瞳を覗き込んで、達也はニヤッと笑った。
 リーナの両手を頭の上で重ねさせて、開いた掌を片手で押さえつける。
 空いた手を仮面に近づけると、リーナの肩がビクッと震えた。
 厚手の手袋に包まれた左手の指が動きかけたが、達也はそれを、力を掛けて押し開いた。
「……痛いわ、タツヤ」
「生憎、そのCADのカラクリは知っているんだよ。
 さて……」
 達也の手が、マスクに掛かる。
 リーナが目を閉じて、顔を背けた。
 正体はとうに割れているというのに、素顔を曝すのが嫌なのだろうか。
 理解できない心理だったが、服を剥ぎ取ろうというのではないのだから、達也に止める理由は無い。
「アクティベイト 『ダンシング・ブレイズ』!」
 彼の手がマスクに触れたと同時に、顔を背けていたリーナが叫んだ。
(音声認識の武装デバイスか……起動式ではなく遅延発動術式をアクティブ化するデバイスとは面白い)
 高速で殺到するダガーを感知しながら、達也は心の中でそう独り()ちた。
 投擲した五本のダガーがリーナの声に呼び戻され、達也へ襲い掛かる。
 二本はマスクに伸びる右腕、一本は右肩、一本は左腕、一本は脚。
 全て、急所を外している。
 そういえばさっきから、リーナの攻撃は全て無力化の為のものであり、殺害する為のものではなかった……
 そんな事を考えている時には既に、ダガーは彼の身体に届いていた。
 そして彼の身体に(正確には服に)触れた途端、細かな砂と化して飛び散った。
「腐食……いえ、分解……?」
 逸らしていた目を達也に向け、呆然とリーナが呟く。
 それに構わず、達也は仮面を剥がしにかかった。
 リーナは激しく顔を振って抵抗するが、達也の手は振り解けない。
「後悔するわよ、タツヤ!」
「捕獲に成功したはずのターゲットに逃げられた時点で、たっぷり後悔しているよ」
 リーナとどたばたやっている間に、仮称・吸血鬼にはまんまと逃げられてしまっている。保険は掛けてあるにしても、徒労感は否めない。
 彼女も吸血鬼を追いかけていたはずなのに、その相手の逃亡を手助けするとはどういうつもりだ、という思いが達也にはあった。
 潤んだ瞳で睨みつけられても、必死な声で警告されても、達也が躊躇を感じる理由にはならない。
 耳に被さるレシーバーの留め金を左右順番に外す。やはりこの仮面は、情報端末を兼ねた物だったようだ。
 意外に固い材質のマスクをそっと取り去る。
 美少女には慣れている達也でさえ、ため息が漏れそうになる美貌が露わになった。
 リーナが唇を噛み締めて、達也をキッと睨みつける。
 次の瞬間、その唇から絹を引き裂く悲鳴が放たれた。
 唐突すぎる展開に、達也の目が点になる。
 リーナの両手を拘束する腕の力を緩めなかったのは、性格の悪い風間の部下に散々仕込まれた成果だった。
「誰か、誰か助けてっ!」
 まさしく強姦魔から助けを求める少女の叫び。
 迫真の演技を白けた目で見詰める強姦魔、ではなく達也。
 その時まるで、リーナの悲鳴を合図として待っていたかのように、駆けつけて来る足音が聞こえた。
 紺色の制服の上に白い反射塗料でラインを入れた紺色の防弾チョッキをつけた人影が、四方から一人ずつの計四人、近づいてくる。
 制帽の正面に輝く徽章は、桜の代紋。
 達也はリーナの左腕を掴んで引きずり起こしながら、その左手から強引に手袋を剥ぎ取った。コードがブツブツと千切れる感触と共に、リーナの白い手が露わになる。
「両手を挙げて後ろを向け!」
 正面から駆け寄ってきた警官――の姿をした男が、拳銃を突きつけながら叫ぶ。
 達也はリーナの後ろに回り、そのまま男へ向けて突き飛ばした。
 悲鳴を上げて男の胸に飛び込むリーナ。
 彼女を抱きとめた制服の男。
 達也はリーナの頭上を跳び越し、その男の肩に着地した。
 サッカーボールを蹴り飛ばすようなキックで男の顔を打ち抜く。
 声も無く後方へ倒れる男の肩を蹴って、達也は偽警官の包囲網から抜け出した。
「……本物の警官だったらどうするつもりよ」
 信じられない、という口調でリーナが問う。
 しかし、
「そろそろ茶番は止めてもらいたい、アンジー・シリウス」
 達也の返答に、空気が音を立てて固まった。
「君に協力している以上、本物であろうと偽者であろうと同じこと。百年前ならいざ知らず、現代のこの国の刑法において、外患誘致罪は武力行使が実現しなくても成立する。
 警官の扮装程度で怖気づくと思っているなら大間違いだ。
 我々日本の魔法師の覚悟を甘く見ないで貰おうか」
 蹴り倒された一人を除く三人の偽警官が、リーナの顔を、彼らの総隊長、アンジェリーナ・シリウスの表情を窺っている。
 リーナは一つため息をつくと、膝を軽く折って丁寧に一礼した。
「これは失礼を致しました。
 確かに見くびっていましたね。聞くと見るとでは大違いです。
 同じ魔法師として、謝罪します」
 そして、足を揃え背筋をピンと伸ばし、右手を額の横に持って行く。
 軍帽は無くとも、誤解の余地無き、軍人の敬礼。
 さっきは一人の魔法師として、ここからはUSNA軍魔法師部隊の総隊長として。
 そういう意思表示なのだろう、と達也は理解した。
「ワタシはUSNA軍魔法師部隊・スターズ総隊長、アンジェリーナ・シリウス少佐。
 アンジー・シリウスというのは先程の変装時に使う名前なので、今まで通りリーナと呼んでください。
 さて」
 それまで礼儀という名のオブラートで包み隠されていた殺意が、剥き出しになって達也に襲い掛かった。
「ワタシの素顔と正体を知った以上、タツヤ、スターズは貴方を抹殺しなければなりません。
 仮面のままであれば幾らでも誤魔化しようはあったのに、残念です」
「後悔する、というのは、そういう意味か」
 達也は吹き付ける殺意の中、不敵に笑って見せた。
「せめて騙されて捕まってくれれば、殺さずに済ますことも出来たのですが」
「それは悪かったな。折角の心遣いを無にしてしまったということか」
「いえ、貴方を抹殺するというのは、ワタシたちの身勝手な都合によるものですから、謝る必要はありません。
 抵抗しても良いですよ」
 偽警官の一人から渡された、コンバットナイフを右手に、中型拳銃を左手に。
 刀剣形態武装デバイスと、拳銃形態特化型CAD。
 達也も懐からCADを抜いた。
「本当に残念ですよ、タツヤ。
 貴方のことは、けっこう気に入っていたんですけどね」
 左手を伸ばし、CADを達也に向けるリーナ。
 右手を伸ばし、CADをリーナに向ける達也。
 達也の左右と後ろを、リーナの部下が取り囲む。
「……さようなら、タツヤ」
「そんなことはさせないわよ、リーナ!」
 その時突然、凛とした声が真冬の凍てつく空気を震わせた。
 蒼穹の瞳に驚愕を浮かべ、声のした方へ振り向くリーナ。
 隙を曝した上官を庇う為か、リーナの部下は三方から同時に達也へ襲い掛かった。
 大振りのコンバットナイフで達也に斬りつける。
 その刃の延長線上に形成された、「分子ディバイダー」の仮想領域。
 達也がCADの引き金を引く。
 分子間結合力を反転させる仮想領域が、術者の意思に反して消え失せる。
 単なる刃と化したコンバットナイフをかい潜り、達也は包囲網を脱した。
 彼とすれ違ったリーナの部下が、腹を抑えて転がった。
 その手の隙間から、血がどくどくと流れ出している。
 血に塗れた左手を一振り。
 血飛沫が偽警官に向けて飛ぶ。
 一人の足が止まり、一人がそのまま突っ込んでくる。
 達也の右手はリーナに向いていた。
 リーナの左手は、彼女の邪魔を宣言した相手――深雪に向いていた。
 リーナの展開した起動式が、達也の「術式解散」に砕け散る。
 達也に襲い掛かる男の前に、踏み込む者を全て凍り付かせる冷気の壁が立ちはだかった。
 急停止する男の足。
 その背後に忍び寄る影。
 声も無く、男が昏倒する。
 残る一人は、既に地に伏していた。

◇◆◇◆◇◆◇

「いやぁ、達也くん、危ないところだったね」
 スターズの隊員二人を一瞬で無力化した八雲が、いつも通りの飄々とした顔で近づいてくる。
 その姿に、ここまで「いつも通り」を保つことは出来ないな、と達也は己の未熟を実感した。
「白々しいですよ、師匠。隠れて出番を待っていたくせに」
 感心したままでは癪だったので、皮肉の一つも投げてみる。
 その台詞に、リーナが目を剥いた。
 今、彼女の前にはCADを構えた臨戦態勢の深雪。
 達也の右手は、真っ直ぐリーナに向いたまま。
 八雲の視線は達也に向けられているが、その視界の中にしっかりとリーナの姿を納めている。
 今や包囲されているのは、リーナの方だった。
「まあ良いじゃないか。君も色々と訊きたいことがあったみたいだし」
「えっ、そうだったのですか、お兄様?」
 狼狽した表情で深雪が振り向いた。
 リーナから目を離す格好となってしまったが、達也と八雲が同時に圧力を高めた為、リーナは身動きできなかった。
 深雪もすぐ自分の失態に気づいたのか、慌ててリーナに視線を戻した。
「情報を引き出す為にわざと囲ませていらしたのですね……そんなお考えとは露知らず、出しゃばった真似をしてしまいました。
 お許し下さい、お兄様」
 目をリーナに向けたまま、申し訳なさ一杯の声で達也に許しを請う。
「いや、危なかったのは確かなんだから、お前の判断は間違っていないよ。
 だから謝る必要は無い。寧ろお礼を言わなきゃな。
 深雪、ありがとう」
「お兄様……もったいないお言葉です……」
 ポーッとのぼせた表情で深雪が呟く。
 まあ、深雪が達也に謝罪してこういう展開になるのはお約束みたいなもの、あるいは一種の儀式か、様式美。
 それでもリーナから目を逸らしていないところを見ると、辛うじて最低限の理性は残しているようだ。
「それに、訊きたいことは、これから訊けば良いだけだしな」
 それは深雪に向けた言葉であると同時に、リーナに聞かせる為の台詞でもあった。
 一音一音区切るようにハッキリ発音された口調から、達也の言葉が自分にも向けられていることを、リーナは理解させられた。
「……力づくで訊問するつもり?」
「訊問というのは大概、力づくなものだと思うが?」
 歯軋りの伴奏でも付いていそうな声で問うリーナに、達也は間接的な肯定を返した。
「一対三なんてずるいじゃない! アンフェアよ!」
「アンフェアって……貴女たち、最初、何人でお兄様を取り囲んでいたのよ」
 口惜しさ全開の非難に、深雪が呆気に取られた声でツッコんだ。
「まあ、そう言うな」
 呆れが怒りに変化する前に、達也が妹を宥める。
「“フェア”という言葉は自分が有利な立場にある時に有利な条件を維持する為に使われる建前、“アンフェア”という言葉は自分が不利な状況にある時に相手から譲歩を引き出す方便だ。
 腕力で勝てそうに無いなら口先で争いを回避するというのは、戦術的に間違っていない。
 本気にしたら負けだよ、深雪」
「なるほど、そういうものなのですね」
 余りに身も蓋もない内容だったが、少なくとも深雪を落ち着かせる効果はあったようだ。
「建前ですってっ? 方便ですってっ?」
 同時に、リーナを沸騰させる効果もあったようだが。
 ちなみに、八雲は声を押し殺して笑っている。
「本音と建前を使い分けて恥じない貴方たち日本人に言われたくないわ!」
「君だって四分の一は日本人じゃないか」
「……っ」
「君が使っていた『パレード』は日本で開発された術式で、君が『パレード』を使えるのは九島の血を、つまり日本人の血を引いているからだろ?
 それにダブルスタンダードはホワイト・エスタブリッシュメントのお家芸、本音と建前を使い分けない民族なんて聞いたことが無いな」
 白い肌を真っ赤に染めて達也を無言で睨みつけるリーナ。
 だが「睨みつける」の前に「無言で」がセットになっている辺り、グウの音も出ない、といったところか。
 そんなリーナの視線を(意地の悪い)笑顔で受け止めている内に、殺伐とした空気がすっかり薄れてしまったことに気づいて、達也は苦笑を漏らした。
「……何が可笑しいの?」
「お約束のセリフをありがとう。
 いや、このまま訊問したところで、リーナは意固地になって口を割らないだろうと思ってね」
「そこはせめて『意地』と言って!」
 意固地と意地の違いが分かるとは、本当に日本語が堪能だな、と達也は感心した。――実にどうでもいいことだが。
「そろそろ他のグループも駆けつけてきそうだし……」
「チョッと! ワタシの言ってること、聞いてるっ?」
 どうでもいいことはスルーが一番だ。
「リーナ、“フェア”に取引と行こう。
 一対三がずるいというなら、一対一で勝負しようじゃないか。
 君が勝ったら今日のところは見逃すことにする。
 その代わり、俺が勝ったら訊かれた事に正直に答える。
 これでどうだ?」
 リーナが勝っても彼女の正体は知られたまま、達也が勝てば何もかも全て喋らなければならない。
 勝負それ自体は一対一でも、その結果は少しも釣り合っていない取引だった。
「……いいわ」「待って下さい!」
 リーナが苦慮した挙句に条件を呑むのと、深雪が異議の言葉を挿んだのは同時だった。
 達也とリーナの目が、深雪に向く。
 深雪は怯んだ色も無く、ハッキリした口調で言葉を継いだ。
「お兄様、リーナとの勝負は、わたしにお任せくださいませんか」
「ミユキ、貴女、何を……」
「リーナ、覚えておきなさい。
 わたしは、お兄様を傷つけようとする者を、決して許さない。
 わたしは貴女のことをライバルで友人だと思っているけれど、貴女がお兄様を殺そうとしたことは、例えそれが口先だけのものだったとしても、断じて許せることではないわ。
 貴女には、わたしの手で、その罪を思い知らせてあげる」
 深雪の瞳は、百パーセント本気の光を宿していた。
 その深過ぎる執着を、リーナは笑って誤魔化そうとしたが、引き攣った笑いにしかならなかった。
「安心なさい。
 殺しはしないから」
 それは、自分の勝利を確信した宣言だった。
「フーン……ミユキ、貴女、ワタシに勝てると思ってるの?
 シリウスの名を与えられた、このワタシに!」
 それを聞いて、リーナの胸に負けん気の炎が燃え上がった。
 睨み合う、二人の美姫。
「分かった。深雪、お前に任せる。
 リーナも、それで良いな?」
「ありがとうございます、お兄様」
「承知よ。
 もしワタシが負けたら、何でも話してあげる。
 そんなことはあり得ないけどね!」
 合意は成った。
 今、二人の類稀な美少女による、華麗なる決闘の幕が切って落とされようとしていた。

9月10日、フラッシュキャストのシーンを改訂。
描写の辻褄が合っていない気がしましたので、大幅に書き換えました。


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