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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第五章・来訪者編
5-(9) 敵の敵
 いつもの朝、いつもの通学路。
 深雪と二人で駅を出て、友人たちと合流し、学校へ向かう。
 年明けから一人、今週の途中からもう一人メンバーが欠けてしまっているが、それ以外は春から続く、いつもの登校風景だ。
 しかし今朝は、いつもと異なるイベントが達也を待っていた。
 友人たちと合流する前、改札口の手前で、彼を呼び止める上級生の声。
 呼び止められる前から、彼女の姿には気づいていた。
 この時間帯、この駅の利用者は、第一高校の生徒と関係者がほとんどだ。
 昔の大量輸送形態の電車と違い、今の駅では一度に大勢の乗客がゾロゾロと降りて来て混雑するという光景は余り見られない。
 それでも始業時間に合わせ次から次へと通り過ぎる生徒の邪魔にならないように、兄妹は真由美が立っている壁際へ歩いて行った。
 チラチラと彼らを見る生徒は少なくなかったが、特に気にしている様子は無かった。
 前生徒会長と現副会長が立ち話をしていても不思議はないし、現副会長の兄が前生徒会長のお気に入り――ゴシップ的な意味を含む――であるということも、一高生の間で広く共有されている認識だった。
 もっとも現実には、彼らが期待するような会話は無かった。そのまま一緒に登校することもなく、達也たち二人は先に改札を抜けた。
 真由美の用件は唯一つ、「放課後、サバイバル部の第二部室に来て」だった。

◇◆◇◆◇◆◇

 呼び出された先には、真由美と、克人が待っていた。
「独りか?」
 そう訊いて来た克人だけでなく、真由美も意外感を漂わせている。
 実を言えば深雪は達也に同行すると強硬に主張したのだが、宥めすかして何とか丸め込んだのである。――ケーキバイキングに財布込みで付き合うくらい、安いものだ。
 いずれにしても、見てのとおりで、見れば分かることだ。
 長々と前口上に時間を浪費することも無く、真由美は早速、本題に入った。
「達也くん、昨日の晩、外出しなかった?」
 真由美の質問は、達也がいくつか想定していた予想問答の筆頭にあった。
「外出しましたよ」
 それが何か? とは言わない。
「バイクで?」
「ええ」
 相手を騙したい時に、人は饒舌になるものだ。
 今の達也には、多弁を弄する動機が無かった。
「……何処に行っていたか、教えてもらって良いかしら」
 一方、真由美の方は、どう話を持っていったら良いか困っている様子だった。
 腹の探り合いをするには、腹黒さと経験が足りていないようだ。
 隣に控える克人は、そもそもそういうことが向いているようには思えない。
(くだん)の吸血鬼と交戦中の吉田に呼ばれて、その場で吸血鬼とそれを追っていたであろう正体不明の魔法師とやり合いました」
 このままでは長引きそうだな、と感じた達也は、自分から話を前へ進めることにした。
 目を白黒させている真由美に、感情の読めない眼差しを向ける。多分、もっと経験豊富な大人、例えば真由美の父親でも、そこから内心を読み取ることは困難だっただろう。
 何を考えているのか分からない。
 その思いが真由美の心に不安を煽り、心理的防御を揺るがせる。
「何時からだ?」
 その真由美に助け船を出した、のかどうかは分からないが、克人がいきなり問いを挿んできた。
「昨日は呼ばれたから駆けつけただけです。
 俺は、吸血鬼の捜索に加わっていません」
 誰が、とか、何が、とか、色々と省略された問い掛けに、訊かれていないことまで補足して達也は答えた。
 克人と真由美がどう思っているかに関係なく、達也には、今この場で腹の探り合いをする意思はなかった。
「お二人とも、1-Eの西城が襲われたのはご存知ですね?」
 万が一にも、二人が知らないということはあり得ない。
 これは質問ではなく確認の言葉。返ってきた答えは当然、肯定だった。
「一体何が起こっているのか、知りたいと思っているのは俺だけじゃありません。
 犯人を見つけて、引き渡して、それで終わりでは到底安心出来ません。単独犯なのか複数犯なのか、属人的な犯罪なのか伝染性の有るものなのか、それすら分からないままで幕引きなど、許容出来るものじゃないでしょう。
 先輩のところでどの程度まで事態を把握していて、どう決着をつけるつもりのなのか、それを教えていただけない限り協力も出来ませんが」
 先手を取られて、逆に肝が据わったのだろう。
 真由美は一つ溜め息をついて、作り笑いを消した。
「達也くんが協力を約束してくれたら、私たちが掴んでいる情報を教えるわ」
「協力しましょう」
 間髪を入れぬ答え。
 その真意を理解しかねて、真由美は相手の顔色を窺い見る目つきになった。
「……それは私たちの捜索隊に加わってくれる、ということ?」
「そう理解していただいて結構です」
「何故、急に?
 師族会議の通達を見なかった訳ではあるまい」
 これは克人の台詞だ。
 七草家と十文字家が「吸血鬼狩り」のチームを共同で組織するに当たって、師族会議から十師族、師補十八家、百家の各当主に対して協力要請の通達が出ている。「数字付き」の直系でもない限り、本来ならば高校生が目に出来る文書ではないが、達也が何らかの手段でこの師族会議通達を読んでいることを、克人は当然のこととして語っていた。
「百家の人間でもない自分が出る幕ではないと思いましたので」
 そして達也も、通達に目を通したこと自体を隠したりはしなかった。マル秘指定されていない師族会議通達を入手するのは、実のところ、それほど難しいことではない。
「直接依頼されれば話は別ですが」
 白々しさの漂う回答だが、建前としては完璧とは言えなくとも文句のつけようが無く、ココがおかしいと指摘できる箇所はない。故に、真由美も克人も、内心はともかく形の上では頷かざるを得なかった。
 経験の多寡以前に、元々の性格の悪さが達也と真由美、達也と克人では違うのだろう。
「……でも、いいの?
 さっきは、協力する前に情報を開示することが条件だって言ってたと思うんだけど」
「どちらかが折れなければ話が先に進まないでしょう。
 なに、騙されたと判断すればこちらも掌を返すだけです」
 正直すぎる――ように見えて、実際は裏の裏の裏までありそうな台詞に、真由美は乾いた笑い声を漏らした。
 彼女の方から持ちかけた密談ではあったが、既に「さっさと終わらせたい」という気持ちになっていた。
了解(りょ~かい)
 じゃあ、今の段階で分かっていること全部、説明するわね。
 ただその前に、一言だけ、いいかしら」
「何でしょう」
「達也くん、性格悪過ぎよ」
「…………」

 真由美がもたらした情報の内、達也にとって目新しいものは三つあった。
 一つは被害の規模。これは達也の予測を大きく上回るものだったが、それ程の重要性は感じなかった。
 二つ目は、この事件が単独犯の仕業とは思えないということ。協力者がいるだろうということは達也も考えていたが、吸血鬼自体が複数存在する可能性は予想外だった。
 そして三つ目は、真由美たちの捜索を妨害する第三勢力の存在。最初達也は、妨害勢力と言われてエリカたちのことを連想したが、詳しく話を聞いていく内に、全く別個の勢力だと分かった。
 二つ目と三つ目の情報は、流石に達也を悩ませた。
 あの仮面の魔法師は、おそらく、捜索妨害勢力に属している。
 その正体も、ほぼ推測出来ている。
 しかし、何故そんな事をしているのか、動機が分からない。
 分かってしまえば簡単な構図、のような気がしてならないのだが、それが余計に、もどかしかった。
「お二人は吸血鬼を捕まえて、どうするつもりなのですか」
 思考の袋小路に迷い込む愚を避けて、達也は意識を切り替えた。
 協力する、と表向きだけでも約束した以上、最終目標の確認を怠る事は出来ない。
「訊問して、正体と目的を突き止める。その後は……」
「処分することになるだろう」
 真由美が言い淀んだ部分を、克人が補完した。
 まあ……女子高校生の口から気安く「処分する」等というフレーズは達也も聞きたくなかったので、甘い、とは思わなかった。
 それに達也にとっても、人道主義に固執されるより共感できる決着だった。実利的にも、感情的にも。
「――了解です。
 それで、俺は何をすれば?」
「じゃあ、私たちに同行してくれないかしら。
 出来れば今晩から――」
「いや、司波は独自に動いてくれ。
 手掛かりを掴んだら報告して欲しい」
 自分の指示を覆した克人の顔を、真由美は無言で見詰めた。
 彼女の眼差しに不快感は無かったが、不審な思いはありありと浮かび上がっていた。
「分かりました」
 達也としては、正直なところ、真由美の言うとおりにする方が楽だった。
 もっとも、「協力する」という約束を真面目に守るつもりもなかったので、克人の言葉にも躊躇いなく頷くことが出来た。
 達也は自分の方の持ち札は明かさず、訊きたい事を聞くだけ聞いて、二人の前から退いた。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也の足音が聞こえなくなったところで(この部室の周囲にはスパイ対策の隠しマイクが仕掛けられている)、真由美が閉じていた口を開いた。
「十文字くん、どうして達也くんに別行動させるの?」
 責めている口調ではなかったが、腑に落ちない、という口振りではあった。
「その方が効率が良いと考えたからだ」
 答える克人の声に、自信の欠如は感じられなかった。
「でも今のままじゃ、千葉家の方に(くみ)するかもしれないわよ」
 エリカたちが通達に逆らう形で別行動しているのは、真由美の方でも把握していた。
 十師族はリーダーではあっても支配者ではないので、そう簡単に強制は出来ないし、ペナルティも与えられない。
 だが国外勢力の影が見え隠れしている情勢で、勝手に突っ走られるのは不都合であり迷惑だ。
 千葉エリカと吉田幹比古のコンビは仕方ないとしても、せめて達也と深雪の兄妹は目の届くところに置いておきたかった、というのが真由美の本音だった。
「こちらが本当の事を言わなければ、そうなっていた可能性もあるだろうが」
 しかし克人は、真由美の懸念に「心配要らない」とばかり首を振った。
「我々が誠意を見せている間は、司波も我々を裏切りはせん。
 アイツは、そういう男だ」
「……徹底したギブ・アンド・テイク?
 微妙な信頼ね」
「武士の忠義ですらも、元を辿れば『御恩』と『奉公』、つまりはギブ・アンド・テイクだろう。
 盲目的な服従よりも余程信頼できる、と俺は思うのだがな」
「……絶対的な忠誠心の根底にあるのは『依存』だしね。
 そんなもの、達也くんには期待できないし、第一、似合わないか」
 頷く克人に、納得した、という顔で真由美も頷きを返した。

◇◆◇◆◇◆◇

 何か決定的なピースが足りない、ということを認識できるレベルまでピースを集める事が出来たのは、今の段階でいえば、満足すべき成果だろう。これまでに入手した情報を頭の中で反復検討しながら、達也は深雪を待たせている生徒会室へ急いだ。
 まだ外は明るい。
 それも当たり前の事で、今日は土曜日だ。放課後といっても、お昼を過ぎたばかり。
 達也が急いでいる理由は、帰る時間が遅くなったからではなく、昼食の時間が遅くなったから、だった。
 深雪が達也を待たずに食事を済ませるということはあり得ない。
 先に食事を済ませておくように言い含めて(命令して?)おけば話は別だが、今日はそれほど遅くならないと思っていたので特に指示はしていない。
 事実、それほど長い時間待たせているわけではないのだが、妹を待たせている、と思うと達也の方でも気が()くのだった。
 ――似た者同士、と言うべきだろうか。
 体力に物を言わせて階段を段とばしで一気に駆け上がり、生徒会室の前に立つ。
 と、まるで待ち構えていたように、生徒会室のドアが開いた。
 目に飛び込んで来たのは金色の輝き。
 達也が脇に避けるのと、リーナがドアの陰に隠れたのは、ほとんど同時だった。
 ドアを挿んで相手の出方を窺う形になったわけだが、そんな自分の有様が我ながら滑稽で、達也は唇を小さく吊り上げながら、立ち塞がる者(?)のいなくなった出入口から中に入る。
 レディファーストは敢えて無視して、
 レディ本人は無視せずに。
「やあ、リーナ。調子はどうだ?」
 すれ違いざま顔を向けて、少女の右肩をポンと掌で軽く叩く。
「ハイ、タツヤ。上々よ。ありがとう」
 いきなり身体を触られたリーナだったが、「セクハラ」とは言わなかった。眉間の皺一つも寄せず、にこやかに答え、お返しとばかり達也の肩をポンポンと二回叩いて出て行った。

 達也の姿を見て嬉しそうに立ち上がった深雪とほのかを手振りで抑え、達也は会議用、なのかどうか今一つ理解できないテーブル(の前の椅子)に腰を下ろした。――まさか、生徒会役員がお昼ご飯や夜食を食べたり御茶をする為に購入された物、だとは余り考えたくなかった。
 あずさと五十里の姿はない。居たとしても達也が見咎められることはないのだが、居ない方がやはり、気は楽だった。上級生が居ると緊張する、ではなく、気を遣わなくてはならないからだ。特にあずさは、チョッとした事(と達也本人は思っている)で、すぐに怯えた顔を見せるので。
 真由美の呼び出しは全くの予定外だった。だから、特にお弁当の用意などはしていない。もっとも、ここでいきなり「こんな事もあろうかと」なんて言われたら、きっと、感心するよりも怖くなるに違いない。
 学食はまだ営業しているが、土曜日は仕込みの量を抑えているのか人気メニューの売り切れが早い。今時、メニューに売り切れが出る、ということからして、物好きにも(!)レトルトを使っていないという証明なのだろう。これもこの学校の学食が「安くて美味い」秘密の一つなのだろうが、今は選択の幅が狭まっているという確度の高い予測の方が大きな意味を持っていた。
 この時間から、売り切れが並んでいることの予想される食堂に行くのも少なからず面倒だ。
 という訳で、今日は久し振りにダイニングサーバーのお世話になることにした。
 ほのかが調理パネルを操作し、深雪が飲み物を用意する。
 達也の役目は、座ったまま大人しく給仕されることだった。
 ……客観的に見れば「羨ましいヤツ」なのだろうが、そんな生産性の無い思考は意識に上る前にカットする。
「そういえば、リーナは何の用だったんだ?」
 その代わりに、意識に載せた思考はこれだった。
「留学期間中、リーナを臨時生徒会役員にしてはどうか、と学校側から提案があったんです」
 コーヒーカップを達也の前に置いた深雪が、覗き込むように身体を傾げて達也の問いに答えた。
 真っ直ぐな黒髪が、達也の目の前を、滝のように流れ落ちる。
 手櫛で軽く背中に流す仕草に目を奪われながらも、達也の思考は耳から取り込んだ情報を処理していた。
「ああ、そういえばこの前、所属するクラブが決まらなくてトラブルの兆しが、とか言ってたな」
「ええ……勧誘合戦が水面下で結構激しくなっているみたいで……今回の件は、どうやら服部会頭の発案みたいなんです」
 そう答えたのは、湯気を立てるお皿の載ったトレーを運んで来たほのかだ。
 そのままUターンしたほのかと、テーブルを回り込んだ深雪が、それぞれ自分のトレーを持って来て、ランチの開始となる。
「この一学期間で留学は終わりなんだから、競技会に出てもらうことも出来ないだろうに」
「もっと別の種類の下心があるみたいですよ」
 少し意地の悪い笑みを深雪が浮かべると、
「リーナの写真集を作って売り捌こうなんてバカなことを考えていた人たちもいるみたいですし」
 顔を顰めて、ほのかが溜め息をついた。
「写真部なんて、この学校にあったっけ?」
 クラブの種類的にはあっても不思議はないのだが、達也の記憶に該当は無かった。
「美術部の写真チームですよ。リーナを軽体操部に入れて、それを写真に撮ろうなんて頭の悪いことを考えていたらしいです」
 軽体操というのは重力や慣性を低下させて演技する魔法師ならではの体操競技で、床運動だとトランポリンを使わずにトランポリンの演技をする、みたいなものになる。深雪やほのかが出場したミラージ・バットは軽体操の発展形の一つだ。
「なるほどね……確かに、絵になりそうではあるな」
「おにいさま?」
「売り物にするってのはどうかと思うが」
「…………」
 深雪に疑わしげな目を向けられて、達也は反対側に目線を逸らした。
 しかしそちらでも、同じような眼差しに遭遇する。
「……いや、今のは言い方が悪かったな。すまん」
 もう一度、妹の方へ目を戻して、達也は白旗を掲げることにした。
 熱い視線で「睨めっこ」をすれば先に音を上げるのは少女たちの方である可能性が高かったが、こんなつまらないことに二人の想いを利用するのは、大層格好の悪いことのように思われたのだ。
 一方、深雪としては、達也にその種の不埒な邪心が無いことを知っているだけに、こういう風に下手(したて)に出られると決まりの悪い想いを禁じ得ず、視線を俯かせた。
「と、とにかく、ですね。似たような話があちこちであって、リーナ本人だけじゃなく勧誘に無関係な部員にも火の粉が飛びそうな状況になって来たんで、ええと……」
 思い込みの激しい面はあるものの、基本的に繊細な性質(たち)の(小心者、とも言う)ほのかが、妙な雰囲気に焦りを見せる。
「それで、生徒会役員に、ということか」
「ええ、生徒会役員就任後は特定のクラブに所属しないのが不文律、生徒会役員に選ばれた生徒は休部若しくは退部が慣例ですから」
 幸い全くの空回りにはならず、兄妹の間に漂った微妙な空気はすぐに一掃された。
 それを見てほのかもホッと胸を撫で下ろす。二人が喧嘩している隙に、などと考える腹黒さとは、残念ながら(?)無縁な少女なのである。
「それで、リーナの意思はどうなんだ?」
「余り気乗りしていない様子でした」
「放課後、時間が取られるのを嫌がっている感じでしたね。あれだけ熱心に勧誘されて、まだクラブを決めてないのも、それが理由なのかもと思いました」
 深雪とほのかの答えに、達也は「そうだろうな」という表情で頷いた。

◇◆◇◆◇◆◇

 夕食後、達也はリビングのソファに座って壁面の大型スクリーンを眺めていた。
 彼の隣には深雪がしなだれかかるように密着して座っている。
 三分割されたスクリーンの、メインセクションには成層圏監視カメラが映した東京都心部のリアルタイム映像とその上を移動する三種類の光点、サブセクションの上半分にはメインセクションに対応する道路地図とその上を動く光点、下半分にはテキストデータが三十秒間隔でスクロール表示されている。
 成層圏プラットフォームの監視カメラが使えるのは真田のお陰だ。
 七草家・十文字家連合のトレーサーシグナルをモニター出来るのは、認証コードを真由美から聞き出しておいたから、ではなく、稀代のハッカー・藤林響子の仕事である。
 千葉家捜索隊のシグナルを割り出したのも同じく藤林。
 妨害勢力のものと思しき光点は、成層圏プラットフォームに搭載されたウルトラマルチバンドの傍受用無線機が捕捉した電波を、独立魔装大隊のスパコンで分析してその結果を流して貰っているものだ。
 魔法の実験部隊は、同時に最先端テクノロジーの実験部隊でもあるらしい、ということはこれまでの付き合いで薄々分かっていたことだったが(そうでなければムーバル・スーツなど作れない)、達也は今回改めて、彼らの規格外な実力を思い知らされた気がしていた。
 残念ながら「吸血鬼」の動きまでは分析出来なかったが、吸血鬼を探す三つの勢力の移動経路を見ていれば、絞り込みは可能だった。
「お兄様、行かれるのですか?」
 立ち上がった達也を、ソファの上から切なげな眼差しで見上げて、深雪が訊ねた。
「良い子だから、大人しく待っていてくれ」
 達也の掌が、深雪の頬を撫でる。
 その手を上から押さえて、深雪は自分の頬に強く押し付けた。
 まるで、達也の体温を確かめるように。
「今日は、お帰りをお待ちしております」
「ああ。近いうちに、間違いなく、お前の力が必要になる。その時は――」
「はい。その時は、一緒に――約束ですよ、お兄様」
「……まあ、横浜の時ほど危険なことにはならないと思うけどな」
 達也が少しおどけてそう言うと、深雪も笑顔で達也の手を解放した。

◇◆◇◆◇◆◇

 愛用のCAD以外にも色々と装備を調えて争いの中へ赴く達也を、深雪は玄関で見送った。
 兄の気配が感じられなくなるまで、深雪は閉ざされたドアをじっと見詰めていた。
 そして、兄の気配が遠ざかり彼女の感覚では明瞭な座標を捉えられなくなって、キビキビとした動作で振り返った。
 その顔に、切なさの残滓は無い。
 キュッと引き締まった表情の中で、大きな瞳が強い光を放っている。
 深雪はリビングに戻り、光の落とされた大型スクリーンのスイッチを入れた。
 メカ音痴、とまでは行かなくても、得意不得意で分ければ、彼女は間違いなく、その手の物が不得意な人間である。
 だが、記憶力には恵まれている。
 精神を改造された副作用で記憶能力を自在にコントロールできる達也ほどではないにしても、傍で見ていた操作手順をその通り再現する程度のことに不自由は無かった。
 ついさっきまで兄と二人で見ていた画面を呼び出す。
 彼女にとってはテキストデータのスクロールスピードが少し速すぎたが、設定を変更するスキルは無いのでそのままで我慢。
 動き回る光点から、兄の立ち回り先を必死に推理する。
 大人しく待っていろ、とは言われたが、今回に限って、ただ大人しく待っているつもりは無かった。
 例え兄の命令に背く結果になったとしても、その所為で叱責されることになったとしても、兄が傷つくのを何もしないで見ているよりはマシだった。
 確かに今回は、大規模な武力衝突が起こっているわけではない。
 その意味では、横浜の時より危険は少ないといえるだろう。
 だが、規模は小さくても。
 武力行使に大きな制限が掛かる状況であったとしても。
 相手は、おそらく、あのスターズなのだ。
 ――とは言っても、彼女に出来ることは余り無い。
 個人としては、十五歳にして既に、この国でも最高レベルの力を有している。いや、世界でも最高レベルかもしれない。
 だが彼女の力は、予知や千里眼の類ではない。
 四葉の力を動かす資格は未だ無い。
 達也のように、個人的に築き上げたネットワークも持っていない。
 藤林のようなハッキングのスキルも無い。
 スクリーンに目を向けたまま、深雪は胸を押さえていた。
 無意識の所作だった。
 胸の中央、心臓の上。
 服が邪魔をして鼓動を感じることは出来なかったが、その代わり別のものを感じることが出来た。
 胸の奥、心臓の辺りに、
 達也とのつながりを深雪は感じていた。
 それは忌まわしい、兄に付けられた枷。
 再設定されたリミッター。
 鎖と錠は彼女自身。
 鍵を持つのも彼女自身。
 自分を縛る代わりに兄を縛る、呪いにも似た秘術。
 だがそれは、確かなつながりとなって彼女と兄を結んでいた。

 ――わたしにも見えれば良いのに――

 と、深雪は思う。
 達也には、どれだけ離れていようと、深雪のことが分かるらしい。存在の情報そのものを解析する達也の「視覚」は、深雪が何処にいてどんな状態なのか、情報という形で識ることが出来ると聞いている。
 それは、言い換えれば、プライバシーが全く無いということだが、深雪はそれを少しも嫌だと思わなかった。
 深雪には、兄に対して秘密にしなければならないことなど、一つも無いのだから。
 寧ろ自分から口に出来ない胸に秘めた想いまで、その力で読み取って欲しいとすら思っていた。達也の視力は、精神の次元にまでは及ばないと知っていても、そう思ってしまうのだ。
 一方、深雪には、遠く離れた相手を「視る」力が無い。
 その代わり、精神干渉系統の魔法を生まれながらに備えた深雪は「精神」の「所在」を感知する「触覚」を持っている。達也に課せられたリミッターを解放することにより同時に自身の異能を解放したならば、深雪は世界に漂う「霊魂」の一つ一つに、その気になれば「触れてみる」ことが出来る、かもしれない。やってみたことが無いので、「かもしれない」としか言えないが。
 しかし、遠く離れた相手の「存在」を感じ取ることは出来ない。兄の様に、情報の次元において本来存在しない物理的な距離を、深雪は「無いもの」として透過することが出来ない。
 それはある意味まさしく、視覚と触覚の違い。
 そこにあると知らされたモノに手を伸ばすことは出来ても、何処にあるか分からないものを見つけることは出来ないのだ。
 胸の奥に兄を感じて、だから余計にもどかしい想いを抱えて、深雪は懸命に推理する。
 説明のつかない不吉な予感に駆り立てられて、兄の許に駆けつけたいと願って。
 そうしてどのくらい、画面を見詰めていただろうか。
 不意に、来客を告げるチャイムが鳴った。
 ハッとして、時計を見る。
 よし、追い返そう、と深雪は思った。
 つまりは、居留守を使わなくても非難されない、他家(よそ)を訪問するには遅すぎる時間だったのだ。
 ドアホンのモニターを見る。
 来訪者の姿を認めて、深雪はすぐさま予定を変更した。
 頭の中で着替えをチョイスしながら、それに要する時間を計算する。
「少し、お待ちいただけますか、先生」
 来客は、八雲だった。

◇◆◇◆◇◆◇

 吸血鬼と仮面の魔法師の戦闘を、達也は木陰から観察していた。
 この公園に着いたのは、交戦が始まる三分前。捕捉地点の予測的中を確認した時は思わず口元を緩めてしまったが、今は息を潜め気配を殺して、介入の機を窺っている。
 真由美の情報によれば、吸血鬼は複数、これを追う狩人も複数ということだったが、今、目の前で戦っているのは、確かに、昨日の二人だった。
 彼はあくまで、集団の動きを見て最初に戦闘が発生する地点を予測しただけで、個体を特定した訳ではないのだが。
(……偶然、だよな?)
 戦慄が背筋を這い登って、思わず気配を漏らしそうになる。
 何とか寸前で踏み止まって、達也は心の中でぼやいた。
 ――これが運命だというなら、嫌すぎる、と。
 改めて戦闘の様子を覗き見る。
 押しているのは、明らかに仮面の魔法師の方だった。
 吸血鬼と思しきフードの方は、逃げ出す機会を窺っている。
 そして、その逃げ道を塞ぐ包囲網は、まだ不完全だ。
(四人、か。予想通りとはいえ、少ない)
 三つの勢力――七草と協力体制にない警察も含めれば四つの勢力――が複雑に牽制し合う中で、四方向から四人の魔法師がこの場に迫って来ている。街路監視機器が使えないアウェーだろうに、よくも別の勢力に気づかれず四人も集めた、と言うべきなのだろうが、立体的に広がるこの街で、逃走経路を全て潰すには手が足りないと言わざるを得ない。
 だからこそ、「隠れんぼ」ではなく「鬼ごっこ」になっているのだろうが……
(敵の敵は、所詮、他人。敵の敵というだけで味方とは限らない、か)
 吸血鬼を追う全ての勢力が手を結べば、各勢力これだけの数を出しているのだから追い込むのは簡単なはずだが、思惑の違いからそうも行かないのだろう。彼自身からして、真由美ともエリカとも目的が完全に一致している訳ではないのだから。
 しかし今はとりあえず、吸血鬼の方が敵だ。
(さて、どう出るか)
 仮面の反応を何通りか予想しつつ、腰の後ろから、CADではなく、銃を抜く。
 ナイフを避けて大きく跳んだ吸血鬼に銃を向け、大雑把に腹を狙って、達也は無造作に引き金を引いた。


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