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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第五章・来訪者編
5-(8) 仮装の魔法
 引き込まれそうな金色の瞳。
 条件反射に等しくなるまで叩き込まれた剣の心得が、その吸引力を断ち切った。
 目を逸らさぬまま視野を広げ、仮面の魔法師の全身を視界に収める。
 エリカは予備動作を極限まで省いて、女に向かい疾走した。
 動作補助の魔法は使わない。
 この相手に魔法の補助は逆効果、かえって動きを読まれるだけだと直感してのことだ。
 魔法を使わず、「魔法のような」体捌きと足捌きでエリカは女に肉薄する。
 仮面の向こう側から、動揺の気配が零れ落ちた。
 構わず、エリカは刀を振り上げた。
 魔法の煌めき。
 自己加速ではなく、自己移動の魔法。
 この一瞬に魔法式を解析する能力は、エリカには無い。
 その代わりエリカには、剣士として鍛え抜いた目がある。
 相手の予備動作ではなく、動き始めた一瞬で、移動方向を認識し、太刀筋を修正する。
 逆袈裟斬りに振り抜いた刀は、運動方向を真下に変えた女の、深紅の髪を掠めた。
 慣性制御術式を発動し、刀身を切り返す。
 しゃがんだ体勢のまま、仮面の女は水平に跳躍した。
 踏み出した足を急停止。
 そのすぐ先に、ナイフが突き立った。
 エリカが立ち止まった隙に、仮面の女は片膝立ちの状態から立ち上がった。
 深紅の髪が大きく揺れた。
 刃の付いていないエリカの刀が、その速度だけで髪を纏めていた紐を切ったのだ。
 胸まで届く、乱れ髪。
 風になびくカーリーヘアは、女の姿を一層禍々しく見せていた。
(肌の色が黒かったら、まさしくカーリーよね……)
 そんなことをチラッと考えながら、エリカは油断無く対峙する相手の挙動を窺う。
 格好こそふざけているが、腕の方は間違いなく一流、魔法の技量に関して言えば、今、垣間見ただけで超一流と断言できる。
 ここまでは先手を取れているが、守勢に追い込まれれば、手の内が分からないだけに勝率は絶望的なものになる、とエリカの勝負勘が告げている。
 機を見逃すのは、致命的だ。
 ただ、彼女にとってありがたいことに、仮面の女は焦りを抱えている。
 こうしてエリカとギリギリのせめぎ合いを演じながらも、最終的な目的意識はコートを纏った「吸血鬼」へ向いている。
 この女は単独行動で、エリカは幹比古とコンビを組んでいる。
 そこに付け入る隙がある、とエリカは計算していた。
 睨み合う、仮面の女と、少女剣士。
 エリカの背後で、雷鳴が弾けた。
 金色の瞳が、エリカから逸れた。
 エリカは瞬時に、斬り込んだ。

◇◆◇◆◇◆◇

 背後で風を斬り裂く音が聞こえた。
 幹比古はエリカの腕を良く知っている。
 彼に剣の心得はないが、古式魔法と古武術は切っても切り離せない、とまでは言わなくともそれに近い関係にある。
 エリカの腕は千葉一門において当主と二人の兄に次ぐと言われているが、これは誇張でも何でもない。
 純粋な剣技だけで見るならば、既に父親の腕を凌ぎ、天才の呼び声高い次兄に迫っているかもしれない。
 そのエリカが、斬撃を受け止められたのではなく、躱されたのだ。
 それだけで、エリカが対峙している相手が、容易ならざる実力者と分かる。
 だが――
(……簡単に行かないのはコッチも同じだ)
 助太刀は、不可能だった。
 向かい合うフードの下は、聞いていたとおりの仮面。目の周りだけでなく顔全体を覆う、白一色のマスク。
 武器は持っていない。
 隠している様子もない。
 それでも十分、脅威だった。
 レオの身体には、打ち身以外、目立った外傷は無かった。
 火傷も無ければ切り傷も無い。
 つまりレオが戦った相手は、火も電気も刃も使わないということだ、と幹比古は考えた。
 武器を使うなら鈍器。
 使わないならば殴打。
 攻撃手段は、少なくとも今のところは、事前に予測したとおりだった。
 ただ、一つ見落としがあった。
 レオはこと、硬化魔法に限って言えば一流の使い手。
 一言唱えるだけで(彼のCADは音声入力式だ)、何の変哲もないジャケットを、鉄の硬度を持つ鎧に変える。
 その、レオの身体に、痣をつけた。
 その事実は、この敵の持つ、桁違いのスピードとパワーを示している。
 女吸血鬼――幹比古はこの敵のことを便宜上、そう認識していた――の拳が、幹比古に向けられた。
 その手を包む厚手の手袋は、相手に外傷を与えない代わりに、かえって打撃を内臓に浸透させることだろう。
 幹比古は予め開いていた鉄扇(もどきのCAD)の、骨の一本を指で押さえた。
(『綿帽子』)
 声に出さず念じた術が、思念スイッチではなく、指先から流れたサイオンによって起動し、発動する。
 風を穿つ鬼の剛拳。
 コート越しにも分かる細腕からは想像できない威力を秘めている打撃は、音速に届こうかという速さも持っていた。
 幹比古も荒行を通じて常人より遥かに高い身体能力を有しているが、間合いの内に踏み込まれた亜音速の打突を躱すスピードは持ち合わせていない。

 圧縮された風の塊が、実体の打撃に先んじて幹比古に襲い掛かり、

 幹比古の身体は、風に押されてフワリと流れた。

 気流に従い拳の軌道を避け、気流に引かれて拳の後ろ、腕に近づく。
 現代魔法ならば重力遮断と慣性中和、プラス相対姿勢安定の複合魔法で処理されるであろう事象改変を、「風に乗る」という概念で統合した古式の魔法。
 相手の側面を取った幹比古は、術の効果が切れ地面を踏みしめると同時に、振り上げた右手の棒を相手の伸ばされた右腕、肘関節目掛けて打ち付けた。
 関節を砕くつもりで振り下ろした棒は、乾いた音を立てて真っ二つに折れた。
 痺れを伝える手は半ば意図せず、半ば意識して、折れた杖を手放した。
(「防壁」? それとも「衰弱化」?)
 幹比古は思いきり後方へジャンプすることで横薙ぎの手刀を躱しながら、隠しポケットから投げナイフを引き抜いた。
 投擲用に申し訳程度の柄が付いた、細い小振りのナイフを、目の前を通過した相手の腕に投げつける。
 だが、ナイフはコートに穴を空けるだけで、それ以上食い込まず、弾き返された。
(「防壁」か!)
 こちらの投擲に合わせて魔法を発動した様子は無かった。それはつまり、物質を弾き返す効果を有する力場を常時身に纏っているということだ。
 細い腕に不似合いなパンチやチョップの威力も、この防壁の効果に違いないと幹比古は分析した。
(ならば)
 指を使い、一旦閉じていた鉄扇の、一番端を開く。
 最も使い易い所に配置した、最も使用頻度の高い呪符。
 質量もエネルギーも同時に防ぎ止める障壁は、少なくとも幹比古の知る限り、魔法技術では構築不可能だ。
 多重障壁を展開しているという可能性もゼロではないが、試してみる価値はある。
(『雷童子』)
 雷童子――平易な表現に直せば、「雷小僧(かみなりこぞう)」。
 狭い空間に小規模な落雷を再現する魔法。
 雷雲を発生させ本物の雷を模倣する天候操作魔法「招雷」の劣化縮小版だが、電流量は劣っていても電圧は遜色ない。
 絶縁破壊の破裂音が轟き、空中に設定された起点からもう一つの電極に設定された吸血鬼の頭頂に向かって、放電が走る。
 魔法が発動した時点で、命中は既定の事実。秒速二十万キロの電撃が女吸血鬼の頭部に襲い掛かった。
 絹を裂く、と表現するには、獣じみた悲鳴が上がる。
 だがそれはすぐ、声に相応しい雄叫びに変わった。
 標的の体内に浸透して消え去るはずの閃光が、頭を抱えるように置かれた女吸血鬼の両手に移った。
 指先でパチパチと音を立てる電子の火花。
 それは、幹比古が作り出した雷を超える電気量を宿していた。
(放出系魔法!)
 電子を物体から抽出する術式は、現代魔法四系統八種の内、放出系魔法の基本技術。
 電子の分布という現象に直結する情報をピンポイントに書き換えるが故に、放出系魔法は古式魔法における雷系統の術式より、一般に高出力の電撃を生み出すことが出来る。
 地面に身を投げ出し転がって逃げる幹比古を掠めて、電光が走った。
 現代魔法の放出系術式は、古式魔法の雷魔法に比べて、威力に勝る代わりに操作性に劣る。そのお陰で一撃目は回避できた。
 だがこの至近距離、文字通り電光のスピードで撃ち出される攻撃をいつまでも躱せるとは幹比古自身、思っていない。
 相手の攻撃手段を一種類と無意識に決めつけていた己の思慮不足に(ほぞ)を噛みつつ、防御の為の術式を組み立てる。
 絶縁破壊が起こらないだけの濃密な空気の層による防壁を作り出す魔法を、幹比古は呼び出した。
 しかし相手は既に魔法を行使している状態。どういう仕組みか分からないが、起動式も無く魔法を発動し、その効果が薄れる気配もない。
 あるいは、本物の魔性なのか。
 間に合わない――
 望まざる覚悟を決めた幹比古だったが、望まざる未来はやって来なかった。

 一陣の風が燭台の炎を吹き消すが如く

 撃ち込まれたサイオン情報体が、吸血鬼の手から電光をかき消した。

◇◆◇◆◇◆◇

 エリカが振り下ろした刃は、仮面の女が(かざ)した左腕に阻まれた。
 鈍い音共に伝わってきた感触は、骨が折れた手応えでもなく、肉が裂けた手応えでもない。
 おそらくは、軽量合金と緩衝素材を貼り合わせた防具――籠手で受け止めたのだ。
 相手を斬り殺す意志までは込めていなかったにしても、手加減をしたつもりは、エリカには無かった。
 相手の右手に拳銃が握られている。
 この相手は仮面こそふざけているものの、魔法師としてだけでなく、戦闘員としても高度に訓練されている。
 警戒信号が意識を貫き、肉体に一層の力を振り絞れと命じる。
 鍔迫り合いの要領で籠手に沈んだ――と言うより食い込んだ刀を引き戻す。
 銃を持ち上げる腕より速く、
 相手の左へ回り込む。
 銃口がエリカへ向く直前、
 エリカの刀が銃身を叩いた。
 サイレンサーで抑えられた、くぐもった銃声。
 仮面の女の左手が、エリカの顔に向かって伸びた。
 親指と中指が輪を作る。
 開かれた指先に踊る、小さな雷球。
 エリカは自己加速の術式を発動した。
 肉体が認識を追い越して動く。
 後退して雷球を避けたエリカは、銃口が上がり切らない内に仮面の魔法師目掛け突進した。
 もらった、とエリカは思った。
 そう思ったのは、間合いの内に踏み込み刀を振り下ろしている最中で、
 足下から突き上げる衝撃波に宙を舞ったのは、そう思った直後のことだった。

 衝撃に意識を手放しそうになったのは、一瞬のこと。
 すぐさま身体を起こす。
 追撃は来なかった。
 仮面の魔法師は左手で右肩を押さえ、幹比古と吸血鬼の戦っている方へ目を向けていた。
 正確には、その更に向こう。
 バイクに跨ったまま、銀色のCADを吸血鬼に向けた少年へ。
 少年の顔はヘルメットに覆われたままだ。
(達也くん……?)
 にも関わらず、霞んだ意識のまま戦闘態勢を維持していたエリカの目は、街灯の下にクラスメイトの姿を認めた。

◇◆◇◆◇◆◇

 エリカ、幹比古、吸血鬼。
 間に挟む敵と味方を視界に収めながらも、達也の目は金色の瞳に吸い寄せられるように、仮面の魔法師へと向いていた。
 仮面の魔法師が左手を達也へ向けた。
 その指がまるで印を組むように動き、一瞬も置かず、魔法発動の兆しが生じた。
 しかしその兆候は、世界を書き換える前に霧散した。
 金色の瞳に動揺が走った。
 異なる魔法式が三度(みたび)形成され、三度、霧散する。
 あっ、という声が聞こえた。
 声を発したのは幹比古。
 理由は、問う迄も無かった。
 吸血鬼が逃げ出したのだ。
 シールドに隠れた達也の視線が、仮面の魔法師から逸れた。
 それは、ほんの一瞬のこと。
 その一瞬を、仮面の魔法師は見逃さなかった。
 その一手は、魔法ではなかった。
 目を逸らしていても、魔法ならば、達也の「視力」は見逃さなかっただろう。
 あるいはそれに、仮面の魔法師は気づいていたのか。
 ダラリと垂れ下がった右手に握られた拳銃が、銃口を下に向けたまま、銃弾を吐き出した。
 射手本人の足下で火花が散り、それは瞬時に、閃光に変わった。
 くぐもった銃声が五回続き、仮面の魔法師の姿を閃光が覆い隠した。
 達也は魔法の照準を仮面の魔法師本人へ向けた。
 相手の足を狙って、部分分解の魔法を発動――しようとした。
 だが。
 相手の身体情報に、手応えがなかった。
 実体を反映しているはずの情報体は、表面だけで、中身が無かった。
 色彩と輪郭が記録されているだけで、材質や質量や構造に関する情報が抜け落ちていた。
 達也は魔法を中断して、手を下ろした。
 閃光が消えた公園に、仮面の魔法師の姿はなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

「二人とも、無事か?」
 追跡を断念した(実は最初から余り、その気が無かった)達也は、ヘルメットを脱ぎ、バイクを降りて、二人の様子を確かめた。
 幹比古の方は、特に怪我をしている様子もない。
 エリカの方はというと……
「……あんまりジロジロ見られると恥ずかしいんですけど」
「ああ、悪い」
 顔を赤くして明後日を向いている幹比古に(なら)って、達也は顔を背けた。
 素肌が見えていた訳ではない。皮膚を保護するアンダーウェアに、破損は見られなかった。
 ただ、アウターのボトムから胸の下あたりまで所々裂けて、身体のラインが見え隠れしている。
 まるで、過激なパンクファッションのようだ。
 そういうファッションとして見れば決して露出が激しいとは言えないが、同じ水着姿でも、海やプールでなら恥ずかしくなくとも街中で着るのは恥ずかしいのと同じ理屈かもしれない。
「……ねぇ、何か羽織るものを貸してくれない?」
 気が利かないわねぇ、と言いたげな声に、幹比古が慌ててハーフコートを脱ぎ、エリカに投げ渡した。(達也はブルゾンの下にショルダーホルスターを隠しているので脱ぐ訳にはいかなかった)
「ありがと。もう良いわよ」
 別に裸だったのでもないし(それどころかセミヌードですらなかった)、「大袈裟な」というのが達也の偽らざる感想だったが、これも一種の様式美なのかもしれない。それに、羞恥心が無い(あるいは乏しい)よりは、数段好ましいのも確かだった。
「エリカ、怪我はないか?」
 外から見て分かる範囲では確認していたが、一応、本人に訊ねてみる。
「念の為に鎧下を着けてて良かった。そうじゃなかったら、エライ目に遭ってたとこよ」
 鎧下とはまたアナクロな表現だが、本来の「鎧下」とはまるで別物であることを、達也は幸運にというか偶々というか、知っていた。
 鎧の下に着る衝撃の緩和と皮膚を保護する為の厚手の衣類ではなく、防弾・防刃の鎧として機能する多機能合成ゴムのアンダーウェア、それがエリカの言う「鎧下」だ。
 分厚いボディアーマーと違い動きを阻害することもないし、服の下に着けることが出来るので余計な警戒を招かないというメリットがある。その代わり、素材の性質上、身体にピッタリと張り付くデザインになるので体型を隠したい人間には好まれない。どうせ上からアウターを着るので、普通なら気にする意味はないのだが、今回は本人にではなく、同行者にとって目の毒となってしまったようだ。
「爆風の中にカマイタチが混じっていたようだな」
「そうみたい。まったく……あの仮面め。今度会ったら服を弁償させてやる」
「相手は鎖骨を痛めていたみたいだけど」
「それはそれ、これはこれよ」
 爆風に吹き飛ばされた一瞬、エリカもやられる一方ではなく、一太刀を報いていた。
 当たりは浅かったが、エリカの刀は仮面の魔法師の右肩を捉えていたのだ。
 達也はその現場を目撃していなかったが、仮面の魔法師の様子と、エリカの服の傷み具合から、何が起こったのかを正確に推理していた。
「ところで達也くん、どうしてここに?」
 ふと思いついて、ではなく、さっきからこれを聞きたくてウズウズしていたことは、顔を見ていれば分かることだ。
 何と答えを返すか、達也もいくつか回答案を考えていたが、結局、正直に答えることにした。
 ――その方が面白そうだったからだ。
「どうしてって、幹比古に連絡をもらったからだが」
 幹比古の顔に動揺が走り、「裏切り者」という目が達也に向けられた。
「ふ~ん」
 だが、いかにも機嫌の悪そうな声に、幹比古はぎこちなく、エリカの方へ視線を移した。
「それで、危ういところに助っ人が間に合った、って訳ね。ミキ、ファインプレーじゃない」
 台詞の上では褒められているし、実際の経緯を考えても褒められるべき判断なはずだ。
 それなのに幹比古は「あ」とか「いや」とか断片的な声で応えることしかできなかった。
 耳から入ってくる音声は、どう聞いても褒められていると思えないものだった。
「ところで、何時、連絡したの? あたし、聞いた覚えが無いんだけど」
「…………」
 聞いた覚えがないのも当然で、エリカには全く伝えていない。達也にトレーサーシグナルを流したのは幹比古の完全な独断である。しかも、達也にも他の情報を一切与えずに、だ。
 改めて自問してみても、自分がどういうつもりだったのか、幹比古は答えを見つけられなかった。
 エリカに冷たい眼差しを向けられて、幹比古のこめかみに冷たい汗が浮いた。
 すっかり「蛇に睨まれた蛙」状態だ。
 どうやら自力脱出も難しそうだし、「そろそろ良いか」と達也は思った。
「二人とも、取り込み中みたいだけど、移動しなくて良いのか?」
 横から掛けられた声に、エリカは二度、瞬きして、辛うじて無事だった情報端末を取り出した。
「人が集まってきてるぞ?」
 この達也の指摘に、幹比古も慌てて自分の情報端末を取り出す。
 エリカは時間を確認した。
 吸血鬼・仮面の魔法師と接触してから、もうすぐ五分。そろそろ他のチームがやって来てもおかしくない。
 幹比古はトレーサーのモニターを呼び出した。
 味方の捜索隊を示す光点がランダムな折れ線を描きながら接近して来ているのは、他の捜索チームと鉢合わせしないように動いているからだ、と推測するのは容易なことだった。
「師族会議には断り無しなんだろ?」
 七草家が組織した捜索チームに加わらなかったからといって、ペナルティが発生するような決定は今回、なされていない。
 しかし、七草家、十文字家の捜索チームを無視する形で戦闘に突入した点については、出来れば、シラを切りたい類の事実だった。
 特に前生徒会長に見つかったりすると、色々と、本当に面倒くさいことになりそうな気がする、とエリカも幹比古も考えていた。
 二人が考えている間にも、達也は逃走に掛かっていた。
「エリカ、乗っていくか?」
 再びバイクに跨った達也が訊ねると、
「うん、お願い」
 エリカは弾んだ足取りでタンデムシートに跳び乗って達也の腰にしがみついた。
「達也、僕はっ?」
「悪いな、定員オーバーだ」
 焦る幹比古にそう答え、達也はモーターのスイッチを入れる。
「ノーヘルは罰金だぞ!」
 悔し紛れ(あるいは負け惜しみ)の叫びを背中に受けて、達也のバイクは走り去った。(なお、ヘルメット着用義務違反に対する罰金刑は、二十一世紀末現在、存在しない。その代わり、同乗者が事故で死傷した場合、危険運転致死傷罪が適用される)
 コートを取られた上に置き去りにされた幹比古は、暫し、呆然と立ち尽くした。

◇◆◇◆◇◆◇

「はっ? 叔母様に、ですか?」
 胸ポケットから取り出した携帯情報端末を一瞥するなり慌てて出て行った兄が、戻って来るなり言いつけた用件の中身を、深雪は思わず聞き返していた。
 そして、聞き返してしまった後に、失礼な真似をしたと恥じ入る。
 もっとも別に、達也は反問を受けて当然だと思っていたし、そうでなくてもこの程度のことで妹に不快感を抱くはずも無かった。
「叔母上に相談したいことがあってね」
 だから電話を掛けてくれないか、と達也はもう一度深雪に頼んだ。
 四葉家に仕えている者たちの多くは、達也が真夜の甥である、ということを知っている。
 同時に、四葉家にとって、達也が道具に過ぎないことも知っている。――兵器であることを知る者は少ないが。
 故に達也が、真夜に電話を掛けたとしても、取り次ぎの途中で切られてしまうのがオチなのだ。
 かといって直通の番号など、達也ばかりか深雪も知らされていない。
 四葉の情報管理は、官邸よりも数段レベルが高い、と事情を知る者たちは口を揃えて言うが、それは決して過大評価ではなかった。
「お兄様のお言いつけとあれば……少し、お待ちいただけますか」
「ああ……俺も着替えてくるか」
 血のつながりがあるとはいえ、普段着では電話も掛けられない、映像をカットするなどとんでもない、兄妹にとって、叔母(とその取り巻き)はそういう存在だった。

「夜分遅く、申し訳ございません」
『良いのよ。それより深雪さんから電話してくれるなんて、珍しいわね』
 相変わらず、年齢不詳の美貌に真意不明の笑顔を貼り付けて、真夜はテレビ電話(ヴィジホン)の画面に登場した。
 その隣には、スリーピースを一分の隙もなく着こなした葉山が控えている。
 叔母と姪の電話に執事を同席させるのは少し非常識じゃないかな、と達也は考えたが、深雪の傍らにはダークスーツに着替えた達也が立っているのだから、これはお互い様と言うべきだろう。
 一通り、和やかさの裏に緊張を隠した定番の遣り取りを交わした後、深雪が殊更事務的な口調で――多分、言い出し難かったのだ――達也に相談したいことがある旨を伝えた。
『達也さんが? それはまた、本当に珍しいわね』
 面白がっていることを隠そうともしない笑顔で、真夜は達也の発言を許可した。
「叔母上、実はお訊ねしたいことが一つと、お許し願いたいことが一つ、あるのですが」
『遠慮は要りませんよ』
 機嫌良く、真夜が頷く。
 少なくとも、見掛け上は。
「では、お言葉に甘えまして……叔母上、九島家の対抗魔法『仮装行列(パレード)』がどのような仕組みの魔法なのか、お教え頂けませんか」
 達也の隣で、深雪が呆気にとられた顔で絶句していた。
 画面の向こうで、葉山が眉を片方だけ上げるという器用な真似を見せていた。
 真夜が堪えきれない、という顔で笑い声を漏らした。
『あらまあ……達也さん、「パレード」は九島家の秘術ですよ。その秘密を(わたくし)が知っていると思っているのですか?』
 尚も笑い声を漏らしながら、質問の形を借りた拒絶の回答を真夜は返す。
「叔母上には、九島閣下の教えを受けられていた時期がお有りです。
 魔法式は知らなくとも、概要はご存知なのではありませんか?」
 それが「教えられない」という意味だと分かっていながら、質問の形だったことを逆用して、達也は食い下がった。
「対抗魔法『パレード』は、情報強化の応用で自己のエイドスの外見に関する部分を複写・加工し、異なる外見の、いわば仮面・仮装のエイドスと言うべきものを魔法式として自分自身に投射し一時的に外見を変えると共に、魔法的な干渉の照準を仮装情報体にすり替えることで自身の本体に対する魔法の作用を防止する術式なのではありませんか」
 ただ食い下がるだけでなく、自分自身の推理も付け加えて。
『……「変身」の魔法は実現不可能ということくらい、貴方なら良く知っていると思いましたけど?』
 真夜は達也の仮説に、直接的な回答を示さなかった。
 それだけで自分の推理が正しかったかどうかの答えとしては十分だったが、達也はまだ、満足する訳には行かなかった。
「見かけを変えるだけなら、『変身』でなくとも光波干渉系で可能です。
 問題は、光波干渉系では俺の『眼』を誤魔化すことなど出来ない、という点にあります」
「お兄様、それは」
 驚きを露わにして達也のこの台詞に応えたのは深雪だった。
「まさか、お兄様が正体を見抜けない相手など……」
「それだけじゃない。雲散霧消ミスト・ディスパージョンの照準を外された」
 顔を蒼くして、声を失う深雪。
 彼女の受けたショックは画面の向こうにも伝わったようで、真夜が一瞬、眉間に皺を寄せた。
 すぐに笑顔を回復したが、はぐらかす様な雰囲気は消えていた。
『ミスト・ディスパージョンが通用しなくても、トライデントなら問題ないでしょう』
「パレードは二重展開できないのですか?」
 アドバイスらしきものを告げた真夜だったが、更なる質問には答えなかった。
 真夜が答えたのは別の、口にされていない問い掛けに対する回答だった。
『パレードは老師より老師の弟さんの方がお上手だというお話しを聞いた記憶があります』
「ありがとうございます。
 叔母上、どうも今回の一件は、我々の手に余るようです。
 そこで、援軍を頼みたいと思うのですが」
『それが許しを請う方の用件なのですね?』
 ディスプレイ越しに、叔母と甥の視線が交わった。
『……良いでしょう。確かに、予想を超える規模で事態が推移しているようです。
 風間少佐との接触を許可します』
 達也は一礼して、画面の外に引き下がった。
【豆知識】
 鉄扇には、鉄を閉じた扇子の形に成形した鋳物と、扇の骨組みを鉄に換えたものがあります。幹比古の術式補助具を「鉄扇」と言っているのは、後者の意味合いです。


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