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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第五章・来訪者編
5-(5) 忍び寄る脅威

 第一高校の三大自治組織と言えば、生徒会、部活連、風紀委員会の三つが挙げられる。
 このうち風紀委員会は制度上、生徒会の下部組織になっているが、委員の選定に生徒会以外の意思が関与すること、独立性の高い権限を持っていることから生徒会と並び称されている。
 一方、部活連は生徒会から独立した組織だ。名目上は各クラブの部長・副部長をメンバーとする非公式な連絡会であり、生徒会の規則に部活連という組織は無い。
 しかし実質の上では、部活連が生徒の自治組織中で最大の規模を有しており、それに応じて使用可能な施設も多い。
 建前上はサバイバル部――この名称は前世紀、まだ魔法が一般人にとって絵空事でしかなかった時代の名残であり、活動内容から言えば野外戦闘演習部とでも呼ぶべきである――の第二部室として貸与されているこの部屋も、実際には部活連の会議室として使用されている。
 この日、高校生が使うには不釣合いな、厳重すぎる機密保持設備が勝手に追加された「サバイバル部第二部室」は、高校生が(かも)し出すには重過ぎる緊張感に覆われていた。

 まだ午後の授業が行われている時間だが、三年生は既に自由登校となっている。
 一、二年生が教室や実習室に拘束されているのを尻目に、二人の三年生男女が他に誰もいない部室でコッソリ会っていた。
 しかし、そこに甘やかな雰囲気は一切無かった。
 この二人は両親からいずれ結婚、と考えられているにも関らず。(と言っても数あるカップリング候補の一つでしかないが)
 それも当然で、この密会は、「密会」ではあっても「逢引」ではない。
 克人と真由美は、それぞれ十文字家と七草家を代表してこの場に来ているのだった。
「何で私たちがわざわざこんな所で、とは思うけどね」
「すまんな。こうするのが一番目立たない方法だと判断した。
 今、四葉を刺激する結果となる事は、十文字家として避けたい」
「ウチと四葉は先々月から現在進行形で冷戦状態だものね。
 まったく、あの狸親父が、余計なことをするから」
 忌々しげな真由美の呟きに、克人が失笑を漏らした。
「七草でもそんな言い方をするんだな」
「あら、ごめんあそばせ? はしたなかったかしら?」
 芝居っ気タップリに真由美が(しな)を作ると、克人の失笑は苦笑に変わった。
「お前の相手をしていると、男扱いされていないのではないか、と時々考えることがあるぞ」
「それはゴ・カ・イ、よ? 十文字くんは私の知り合いの中でピカイチに男らしいわ。
 ただねぇ」
「今更男女の仲には成れんか」
「入試の時から、三年来のライバルですもの」
 一頻(ひとしき)り、声を潜めて笑い合った後、二人は同時に表情を改めた。笑い会っている間も二人の間には重苦しい緊張感が漂っていたから、雰囲気が改まった、とは言えないが。
「十文字くん。父からの、いえ、七草家当主、七草弘一からのメッセージをお伝えします。
 七草家は十文字家との共闘を望みます」
「穏やかではないな。『協調』ではなく、いきなり『共闘』か」
 言葉を切り、視線で説明を求める克人。
 もちろん真由美も、相手が事情を理解できるだけの説明をするつもりだった。
「吸血鬼事件のことは、どの程度知ってる?」
「報道されている以上のことは知らん。
 当家は七草家ほど手駒が多くない」
 克人の謙遜とも取れる台詞に、真由美の口元が少し緩んだ。
「十文字家は一騎当千がモットーだものね。
 で、数だけは多い七草家で判っている限りでは」
 思わせぶりに言葉を切る真由美。
 そして、克人から催促される前に、こう続けた。
「吸血鬼事件の犠牲者は報道のちょうど三倍。
 昨日の時点で十五人の犠牲者が確認されています。
 二日に一人の割合ね」
 如何な克人といえど、これには驚かずにいられない。
「……それは、この東京近辺のみでか?」
「東京都内、それも都心部に集中してるわ」
 克人がじっと考え込む素振りを見せた。
 真由美は彼が口を開くまで無言で待った。
「警察が把握していない被害者を七草家が把握している。
 しかも被害が発生しているのは、限られた狭い地域だ。
 ……被害に遭っているのは、七草の関係者か?」
「半分正解。
 警察が把握していない被害者は全員、ウチと協力関係にある魔法師よ。
 そうじゃない被害者も、魔法師あるいは魔法の資質を持っていた人だと判明しているわ。例えば、魔法大学の学生とかね」
「つまり」
 克人の表情が凄味を帯びた。
「犯人は、魔法師を狙っているということか」
「……十文字くん、チョッと怖いんだけど」
 だがその表情は、女子高校生には刺激が強すぎたようだ。演技か、本音かは別にして。
「むっ……すまん」
 そして例えそれが演技であったとしても、克人を凹ませるには十分な効果を持っていた。
「連続殺人事件の犯人、それが単独犯か複数犯かは分からないけど、とにかくこの『吸血鬼』が魔法師を標的としているのは確実じゃないかしら」
 そこはかとなく哀愁を漂わせ始めた克人に対するフォローも無しに平然と話題を戻して見せた真由美の本性は、やはり「小悪魔」に違いなかった。
「時系列的に言うと、まず魔法大学の学生と職員に被害が出て、その調査をさせていたウチの関係者が返り討ちにあって、その間にも被害が拡大している、という状況なんだけど」
「確かに、放ってはおけんな」
 尚も表情の端々に真由美から受けたダメージを残しつつ、克人は深く頷いた。
「しかしそのような事情ならば、四葉とも協力すべきだと思うが」
 克人のもっともな提案に、今度は真由美が顔を顰める番だった。
「ホントはそうすべきだと私も思うんだけど……不文律(ルール)を破ったのはコッチだもの。
 父の方から頭を下げないと関係修復は無理だと思うわ」
「だがお父上には四葉に謝罪する意思は無い、か……弘一殿と真夜殿のこれまでの確執を考えれば分からぬでもないが……しかし、四葉がここまで態度を硬化させるのは珍しい」
 四葉は良く言えば自主独立路線、悪く言えば唯我独尊路線で(唯我独尊は本来、決して悪い意味ではないが)、他の家が何をしようと気にしないというスタンスを通して来た。取り憑かれたように自らの性能アップに邁進し、ただその魔法力のみによって十師族のトップに七草と並び立っている、十師族の中においてすら異端と言える一族だ。
 克人も一体裏で何をやっているのか不気味に思うことがあるのだが、しかしそれでも師族会議を分裂させるような明確な対決姿勢を示すことは彼の知る限り無かった。真由美には言えないが、対立の種を作り出すのは大体において七草の方だ。
 一体何があったのだろうか? という思いが、顔に出ていたのだろう。
「私も詳しくは知らないんだけど……」
 真由美が渋々、という感じで口を開いた。
「四葉がアプローチしていた国防軍の某部隊に、あの狸親父がコッソリ割り込みを掛けたらしいのよ。それがバレちゃって……」
「……なるほど」
 それなら四葉の強硬姿勢も頷けるというもの。
 今にも歯軋りを始めそうな顔をしている真由美に、克人はそう相槌を打つことしか出来なかった。
 多分、心の中で父親に対する罵詈雑言を九十九ほど並べ立てたのだろう。
 短くない時間が経過してようやく平静な表情を取り戻した真由美が、改めて克人の方へ向き直った。
「それで、如何でしょう。十文字家は七草家と共闘していただけますか?」
 口調まで改めて訊ねる真由美に、克人は即、頷いた。
「協力しよう」
「いつもの事とはいえ……随分と即答ね」
 迷った素振りも無い克人の回答に、真由美が呆れ声で呟いた。
「さっきも言った。話を聞いた以上、十文字家としても放置しておける事態ではない」
 無論、そんなことで揺らぐ克人ではなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也の放課後はバリエーション豊かである。
 基本パターンこそ二種類、学校の図書館にこもるか、風紀委員として校内を巡回しているか、だが、後者のパターンにおいては本当に色々なことが起こる。
 それこそ、誰かの陰謀じゃないか? と疑いたくなる程に。
 今日はそれを、一際強く感じた。
 風紀委員には校内でCADを常時携行できる特権が与えられているが、達也は委員会の仕事中を除きこの権利を使っていない。
 元々CADは系統魔法を短時間で発動する為の道具であり、他の魔法、系統外魔法や無系統魔法、分類の性質は違うが古式魔法にも使えるとはいえ、特に無系統魔法は、サイオンを放出するだけの単純なものならCADが無くてもそれ程の不自由は無い。
 九校戦で術式解体グラム・デモリッションが使えることを自ら暴露してしまった達也は、二学期以降、授業外では主に無系統魔法を利用している。隠さなければならない裏技のフラッシュ・キャストを使わなくてもそれで十分に用が足りていたので、CADを携行する必要が実質的に無かったのだ。
 巡回の際に委員会備品のCADを身に着けているのは、示威的な意味合いが強い。
 とはいえ牽制効果は馬鹿にならないので、達也は校内巡回前に委員会本部へ立ち寄って、両腕にCADを巻く。それを習慣としていた。
 今日もいつも通り、授業時間の終了後(授業の終了後、ではないところが二科生たる所以だ)風紀委員会本部に足を運んだ達也は、そこにリーナの姿を発見した。
 遠目にも彼女の豪華な金髪は見間違えようが無い。
 思わずUターンしたくなった衝動を堪えて、達也は努めていつも通りの声を出した。
「お早うございます」
 この朝昼晩を無視した挨拶にもすっかり慣れた。
 そのまま人だかり――と言っても見たところ五人しかいないが――の傍らを通り抜け、手早く準備を終えようとして、
「あっ、司波くん、チョッと」
 あえなく花音に捕まってしまった。
 失望が顔に出なかったのは日頃の修練(?)の賜物だ。
「何でしょうか」
 我ながら熱意の無い声だったが、こういう所に全く頓着しないのが花音の美点であり欠点だ。
「こちら、シールズさんのことは知っているわよね?」
 質問形式の断定。
 もちろん、達也に頷く以外の選択肢は無い。
「シールズさんから風紀委員会の活動を見学したいって言われているの。
 日本の魔法科高校の生徒自治を見てみたいんですって。
 司波くん、今日当番でしょ?
 彼女を連れて行ってくれない?」
 面倒な、と達也は思った。
 面倒臭い、ではなく、面倒。
 リーナの意図は分からないが、高確率で厄介ごとが起こりそうな気がする。
 それはもう、リーナを囲んでいる男子生徒(全員上級生だ)の面白く無さそうな目つきを見るだけで明らかである。
 風紀委員会だから嫉妬の目を向けられないようなもので、校内をリーナの二人で練り歩いたりしたら一体どんな針の筵になるやら、見当がつきそうで、つかない。
 しかしリーナの申出自体も達也が指名されることにも十分な合理性がある。
「分かりました」
 諦めて受け容れるしか、手は無かった。

 まだ二週間目だから意外でも何でもないことだが、リーナと二人きりになるのは初めてのことだ。
 生徒が行き交う校舎内だから厳密に言えば二人きりではないが、気まずさは人気(ひとけ)があろうとなかろうと変わらない。
 一応、達也の為に弁護をしておくと、リーナが飛び切りの美少女だから気まずかったのではない。
 探りを入れる気配を、リーナが隠し切れていないのだ。チラチラと達也を窺い見る視線を、本人は誤魔化しているつもりでも、達也から見れば全く誤魔化し切れていない。
 だからといって達也の方から「お前はスパイだろう」などと切り出せるはずもなく、もやもやとしたストレスが火山灰の様に降り積もって行く一方だった。
「リーナの通っていた学校では、こういう制度って無かったのか?」
 何時までもダンマリを決め込むことも出来ない(と言っても、まだ委員会本部を出てから十メートル程度しか歩いていない)。この沈黙の重さは何なんだよ、と思いながら、達也は珍しく自分の方から話題を提供するというサービス精神を発揮した。
 冷静に考えれば、結構意地の悪い質問だったが。
「えっ? ええっと……」
 意地が悪いと気がついたのは、リーナが見るからに焦っていたからだ。
 伝え聞く「シリウス」は、代々完全な前線(フォワード)タイプの実戦魔法師という話だが、少なくともリーナは諜報活動の訓練を全く受けていないんだろうなぁ、と達也は少し生暖かい気分で思った。
「……一年生の内はそういう事に疎くても仕方が無いか」
 リーナを見ていて気の毒になったので、達也は軽くフォローしてみた。彼女の正体を暴く必要はないし、開き直られては薮蛇だ。
「え……ええ、そうなのよ。
 それで、一年の頃からこういう活動に参加させているこの学校のノウハウをもっと良く知りたくて」
 ややアクシデントに弱い傾向はあるが、頭は良いのだろう、と達也が思うのはこういう所だ。
 後付でもキチンと辻褄を合わせて来る。
 こういう機転(詭弁?)はウチの妹より上かもしれないな、と達也は思った。

◇◆◇◆◇◆◇

 案の定、突き刺さる視線が痛かったが、留学生に恥ずかしいところは見せられないと自重したのか、実力行使に及ぶ生徒はいなかった。
 そのままリーナを連れて主に実習室、実験室を回る。解説を交えての巡回は、改めて校内施設の案内をしているみたいな格好になった。
 実験室が並ぶ特殊棟の端、特殊棟から裏庭に降りる昇降口で、リーナが足を止めた。
「疲れたのか? 戻ろうか?」
 無論、そんなことで立ち止まったのでないことは分かっていた。会話の呼び水として言ってみただけだ。
「いいえ、大丈夫よ」
 そこで言い難そうに言葉を切る。
「なに?」
 達也に続きを促され、リーナは逡巡を押し切った。
「タツヤはalternate――二科生なのよね?」
「そうだけど?」
 正面からこの台詞を言われたのは久し振りだ。
 またか、と思うより寧ろ新鮮さを感じつつ、質問の意図を訊き返す。
「A組のみんなと制服が違うから何故かなって思ってたら、ミユキが不機嫌そうな声で教えてくれたわ」
 その時のことを思い出したのか、リーナがクスッと笑った。如何にも深雪らしいエピソードで、達也も苦笑いするしかない。
「でも、さっきカノンに聞いたら、タツヤは一高でもトップクラスの実力者だって言ってた」
 達也にはリーナの発音が「かのん」ではなく「キャノン」に聞こえたが、cannon(大砲)ではなくcanon(典礼聖歌)の方だろう、と勝手に解釈してスルーした。――流石に「大砲」では花音が可哀想だと思ったのだ。
 そんな余計なことを考えていたので、リーナが何を言いたいのか理解するのが遅れた。
「タツヤ、なぜ劣等生のフリなんてしてるの?
 劣等生のフリをしていて、なぜ簡単に実力を見せちゃうの?
 タツヤのやってることって凄くチグハグで、どうしてそんなことをするのか分からないわ」
 最後まで聞いて、リーナの言いたいことがやっと分かった。
「千代田先輩にどう聞いたのかは知らないけど、劣等生のフリなんてしてないよ、俺は。本当に劣等生なんだ。」
 幸い質問の意図を丁寧に説明してくれたお蔭で、答えを組み立てるのも手間取らなかったが、そうでなければボロを出していたかもしれない。
 余計なことを考えるのは控えよう、と達也は思った。
「実技試験の評価項目は速度、規模、強度の三つ。国際基準に合わせた基準を使っている。
 でも、実戦の勝敗はこの三つの優劣だけで決まる訳じゃない。そもそも実戦では、肉体の能力も勝敗を分ける重要な要素だからね。
 実技試験では劣等生だけど、喧嘩は強い、ってだけだ」
 いつも使っている言い訳だが、紛れも無い事実でもある。
 これで丸く治められる、あるいは、言い逃れられることを達也は疑っていなかった。
「……試験の実力と実戦の実力は別物だ、という意見にはワタシも賛成よ」
 だからリーナのこの台詞は、完全に予想外だった。
 何が言いたいのだろうか。
「ワタシも、学校の秀才じゃなくて、実戦で役に立つ魔法師になりたいと思っているの」
 リーナからキナ臭いオーラがユラリと立ち上る。
「穏やかじゃないな」
 達也の瞳から温もりが――熱が、消えた。
「判るのね。凄いわ」
 氷の、というより鋼の眼差しを前にして、リーナが鮮やかな笑みを浮かべた。
 花の笑み、ではなく、研ぎ澄まされた刃の美しさを持つ笑みを。
 リーナの手が跳ね上がった。
 襲い来る掌底を、達也が掴み取った。
 最小の動作で鋭く突き出されたリーナの右手、その手首を達也が掴み取っていた。
 顎を目指した掌底突きが、喉の前で止められている。
 リーナは掴まれた右手を指鉄砲の形に、人差し指を突き出した。
 達也の顔に突きつきられる、形の良い爪。
 達也はリーナの右手を外側に捻り上げた。
 リーナが顔を顰め、突き出した指先に集まったサイオンの光が撃ち出される前に霧散した。
「物騒だな」
「避けられると思ってた」
「説明はして貰えるんだろうな」
「その前に放してくれない?
 けっこう痛いんだけど。
 それにこの体勢は、チョッと恥ずかしいし」
 手を外側に捻り上げた関係で、達也とリーナの身体の間隔はかなり詰まっている。
 見ようによっては、達也がリーナを襲っている――無理矢理キスを迫っているようにも見える体勢だ。
 達也は言われてすぐにリーナの手を放した。
 但し、彼の顔には羞恥の欠片も浮かんでいない。
「痛いなぁ、もう。痣に……は、なってないわね。凄い絶妙の力加減?」
 右手首をさすっていた左手で袖を捲り上げて、リーナは驚きを露わにする。
「人の顔に穴を開けようとしたんだ。少しくらい痛い思いをして当然だと思うが?」
「単なるサイオン粒子の塊に物理的な殺傷力なんて無いわ。
 精々、銃で撃たれたみたいな幻痛を感じる程度よ」
「乱暴な扱いを受けるには十分な理由じゃないか?」
 愛想笑いを向けられても、達也の表情は弛まない。
 リーナはため息をついて両手を上げた。
「分かった、分かりました。
 ご無礼をお許しください、タツヤさま」
 態度を改め丁寧に一礼したリーナが顔を上げると、それまで厳しく引き締まっていた達也の唇の端が、奇妙に歪んでいた。
「……まだご不満ですか?」
「……いや、もういい。
 それから普通に喋ってくれ。
 リーナに、そんな風に、上品に振る舞われると薄気味悪い」
 どうやら達也が口の端を歪めていたのは、似合わないと思われた所為らしい。
「チョッと! 言うに事欠いて『薄気味悪い』って何よ!
 女の子に対して余りにも失礼じゃないの!」
 当然の反応ではあろうが、リーナは激怒した。
「リーナが薄気味悪いなんて言ってない。
 上品ぶられても似合わないからやめてくれと言っている」
「ワタシの何処が上品じゃないと言うのよ!」
 ただ、リーナの反応は少し過敏にも見える。もしかして、心当たりがあるのだろうか?
「キャラが違うだろ」
 キャラで通じるかどうか一抹の不安はあったが、これだけ日本語に堪能であれば問題なかろうと、達也は言い直す手間を省いた。
 そして、幸か不幸か、問題なく通じた。
「そんなことないわよ!
 これでも大統領のお茶会に招かれたことだってあるんだから!」
 勢いに任せて、自分がどれだけハイソか主張するリーナ。
「ほぅ……」
 それを聞いて、達也はニヤリと笑った。その笑みから、ヒヤリとする冷気が漂い出す。
 リーナは反射的に手で口を押さえた。
 彼女には達也の浮かべた表情が、メフィストフェレスの笑みに見えていた。
「大統領の、ね……」
 銃もナイフも無しに人を殺せる魔法師を忌避する権力者は多い。
 日本はこの垣根が寧ろ低い方で、国によっては定期的に解毒剤を必要とする遅効性の毒物を自ら服用した魔法師でなければ、一定レベル以上の権力者に近寄らせないというところもある。
 USNAで大統領に直接面会可能な魔法師は、確か……
「はめたのね……?」
 上目遣いで悔しそうに達也を睨み付けるリーナ。
 しかし、これはリーナの穿ち過ぎだ。
「人聞きが悪いな。
 今の話の流れは全くの偶然だ。
 どちらかと言えば、リーナの自爆だろ?
 先に仕掛けてきたのはリーナの方なんだから」
 ぐうの音も出ないとはこの事だった。
 リーナに出来るのは、悔しそうに達也を睨み続けることだけだった。
「それで?
 何故あんな事をしたのか、事情を説明しては貰えないのか?」
「……タツヤの腕を知りたかっただけよ。
 敢えて言うなら、ステイツに来ないかなって思ったの」
「俺が、アメリカに?」
「実力が有るのにそれが評価されないんだったら、評価されて活躍できる環境が欲しいんじゃないかと思って。
 魔法師のランク付けはステイツでも国際基準が主流だけど、そうじゃないところもある。
 ステイツは自由の国であり、それ以上に多様性の国よ。
 たった一つの物差しに合わないからって、それだけで補欠扱いされることは無いわ。タツヤは、タツヤに相応しい評価を得られるはず」
「興味深い話だな」
 思いがけない招待に、達也の態度が少し、和らいだ様に見えた。
「だったら」
 手応えあり、と勢い込むリーナ。
「それが額面通りの事実なら」
 だが、達也の皮肉な口調に、出鼻を挫かれてしまう。
「リーナ、その主流派じゃない物差しを使っているのは一体どこだ?
 例えば、アーリントンか?」
 かつて士官学校だったアーリントンは、今ではUSNA軍に対する魔法師・魔工師の一大供給拠点となっている。
「それは……」
「評価基準というやつはね、用途に適したものを選び出す為のものなんだよ、リーナ」
 ただ達也の口調は皮肉ではあっても、そこに身を震わせるヒヤリとした隔意はない。
「そういう意味では、日本の国防大学にもそれ程の違いはない。
 懐の深さ、という違いはあるだろうけどね」
 どちらかと言えば、友人をからかっているような趣があった。
「まあ、いいか」
「えっ……?」
 そして唐突に、本当にどうでもいいような気の抜けた声で達也が呟いた。
 急な変化について行けないリーナは、声と表情で戸惑いを表すことしかできない。
「リーナは俺の腕試しがしたかった。
 そういうことだな?」
「え、ええ……」
「こういう事はこれっきりにしてくれよ?
 ただでさえこの手のトラブルには辟易しているんだ」
 そろそろ戻ろうか? と彼女を促す達也の顔は、全くいつもどおりの表情だった。
 少なくともリーナには、普段の彼との見分けが付かなかった。
「訊かないの?」
 達也が今の一幕を無かったことにしようとしているのは理解できる。
 その方がリーナにとっては当然、都合が良い。
 だが何故そんなことをするのか、達也の意図が分からない。
 せっかく達也が不問にしてくれようとしているのに、それを台無しにしてしまうかもしれない、そう知りつつ、リーナは問い返さずにはいられなかった。
「何を?」
「何をって……例えばワタシの正体だとか、確かめなくていいの?」
「構わないよ。
 世の中、知らない方が良いことだってあるからね」
 それが韜晦なのか本心なのか、リーナには分からなかった。
 この司波達也という人間は、リーナにとって余りにも不可解だった。
「……アナタって嫌な人ね」
 上目遣いに睨みながらリーナが呟いた言葉に、達也は肩を竦めて背を向けた。
 その背中について行きながら、「イヤ」という自分の言葉が決して単純な意味ではないことを、彼女は自覚していた。

 この時点で、達也はリーナの正体を、ほとんど正確に把握していた。
 その意図も自身に関係する限りで、ほぼ百パーセント理解していた。
 しかし彼は、無論のこと、全知全能ではない。
 千里眼にも程遠い。
 後に彼は、この時もっとしっかり問い詰めておけば良かったと、悔恨の情に駆られることになる。
 次の日の朝、達也たちの許に凶報が舞い込んだ。
 レオが「吸血鬼」に襲われて、病院に運び込まれたという知らせである。


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