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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第五章・来訪者編
5-(4) 吸血鬼

 渋谷・二十三時。
 土曜日の深夜、路上に車の姿はなく、若者の姿で溢れていた。
 車の姿が見えないのは、交通システムと勤務慣習の変化によるもの。
 自動運転・個別輸送の電車(キャビネット)は二十四時間止まることがなく、渋谷の様な大都会であれば、共用車両(コミューター)を使うまでもなく、地下に張り巡らされた動力歩道(ムーブ・パス)に乗ればすぐに駅へたどり着く。
 それに在宅勤務のインフラが整備された現代では、深夜まで事務所にしがみついている必要が全く無い。そんな急を要する仕事があるなら、最初から出勤せずに自宅で処理して専用回線で会社に提出する。今の事務所は商談の場であって事務処理の場ではないのだ。堅気の商売をやっていれば、わざわざ深夜に商談をしなければならないことなど無い。
 もっとも、渋谷以外の街でもこの時間帯、同じ光景が見られるかというと、そうでもない。
 渋谷、新宿、池袋、六本木……戦前(第三次世界大戦前、という意味)、若者向けの繁華街として栄えた街の中で、今でも深夜に若者がうろつき、集まる景色が見られるのは、この渋谷だけだ。
 二十年に及ぶ混沌の時代、時期をずらして、新宿、池袋、六本木は外国人による破壊活動と、それに怒った若者の外国人排斥活動によって荒廃を極め、所々に虫食いの様な廃墟が生じた。その復興の過程で徹底した治安回復策が取られ、これらの街はかなり窮屈な繁華街として再建された。
 渋谷はその例外だった。
 戦前から荒廃の度を深め、若者同士の抗争が激化し、いち早く外国人の排斥が完了したため逆に、他の街の様な徹底した破壊を免れることになった。ただそれが故に、夜の無法状態が今でも放置されているのだから、どちらが良かったのか一概には言えない。
 これが昼も夜も無法地帯というなら、戦前に比べ無秩序に対して非寛容となった政府や自治体による「再開発」が進められただろう。今の行政当局は、不動産に関する私権の制限について、かなり乱暴になっている。
 しかし渋谷は、昼と夜で全く違う顔を持つ。
 昼は堅気の会社員が忙しく行きかうビジネス街。
 夜はアウトロー気取りの若者が徘徊する歓楽街。
 一斉に手を入れることが出来ないが故に、当局も中々再開発へ踏み切れずにいる。
 そして今夜も、新年早々、多くの若者が路上に集まり、思い思いに騒ぎ、笑い、いちゃつき、殴り合っている。
 その中に、彫の深い顔立ち、がっしりした体つきの少年の姿があった。

◇◆◇◆◇◆◇

 レオには一つ、悪い趣味があった。
 いや、趣味というより癖だろうか。
 彷徨(ほうこう)癖。
 歩くでも、走るでも、叫ぶでもなく、
 夜を、彷徨(さまよ)う。
 深夜が近づくにつれて、当ても無くフラフラと歩き回りたくなるのだ。
 レオはそれを、自身の遺伝子に刻まれた本能によるものと考えている。
 彼は、世界で最初に遺伝子操作による魔法師調整技術を実用化したドイツで、その最初期に開発された「ブルク・フォルゲ〔ルーク・シリーズ〕」の第三世代。(「ブルク」は「キャッスル」の意味であるが、趣旨としてはチェスのコマ「ルーク」に由来する名称である)
 純粋に戦闘目的で開発された調整体。
 当時、魔法師の弱点と考えられていた近接戦闘能力の底上げの為、魔法能力の強化ではなく、遺伝子に身体能力の強化を施されたブルク・フォルゲは、調整体魔法師と言うより「魔法を使える超人兵士」「人間を超える身体能力と、魔法技能を併用する強化人間」として産み出された。
 その調整手段にキメラ化処置こそ含まれていなかったものの、遺伝子改造にあたり人間より遥かに頑強な大型哺乳類を参考にしたのは想像に難くない。
 肉体のリミッターを外側から外すのではなく――その手の措置は高確率で魔法技能を損なうということが当時既に知られていた――肉体の性能そのものを引き上げる。
 その無理な遺伝子改造の結果か、
 ブルク・フォルゲ第一世代の多くは幼少期に死亡し、成長した後も大半が発狂して、死んだ。
 その数少ない生き残りの一人が、レオの祖父だった。
 レオは恐怖を抱えている。
 彼という人間を外側から眺めている限り、到底そうは見えないが、彼は精神の奥に恐怖を抱えながら生きている。
 いつか自分も、狂ってしまうのではないかと。
 人ならざる因子が人の因子を喰らって、心が壊れてしまうのではないかと。
 彼が自分の衝動に忠実であろうとしているのは、衝動を解放することで、心が軋み、壊れる瞬間を先延ばしに出来るのではないか、と考えているからだ。自由に生きた祖父が天寿を全うしたという実例を知っているからだ。
 だから彼は、「夜を彷徨う」という衝動に逆らいはしない。
 心の赴くまま、月の下を、星の下を、漆黒の雲の下を、ぶらぶらと歩く。
 ある夜は都心、ある夜は繁華街、ある夜は郊外、ある夜は人里離れた山の中。
 場所は決まっていない。気まぐれに、その日の気分で道を選ぶ。
 彼が今日、渋谷にやって来たのは、だから、全くの偶然だった。

◇◆◇◆◇◆◇

「あれっ?
 エリカの兄貴の警部さん?」
 すれ違った相手がたまたま知り合いだった、ただそれだけだが、レオはその青年に声を掛けた。
 ――これもまた単なる気まぐれであり、知り合いと見ればいつもいつも声を掛けている訳ではない。
 ざわめきの波が押し寄せた。
 レオの声は、決して大きなものではなかった。
 すれ違った相手を呼び止める、その必要を満たす程度。
 それなのに道の両端から、決して好意的とは言えない視線が集まった。
「君、チョッと、一緒に来てくれ」
 今にも舌打ちしそうな顔で応えたのは、「エリカの兄貴」の隣を歩いていた男だ。青年と呼ぶのが少し苦しくなってきた年代のその男の顔も、レオは覚えていた。顔だけでなく、名前も。
「稲垣さん、だっけ?
 やぶからぼうに、何ですか?」
 なんスか、とも聞こえる乱暴な質問には答えず、稲垣はレオの手首を掴んだ。
 振り払うのは簡単だったが、レオは大人しく稲垣について(引っ張られて)行った。

 連れ込まれた先は路地奥の小さな酒場。
 看板には「Bar」と書かれていたが、横文字にする必要性をレオがまるで感じない店構えだった。
「マスター、上を借りるよ」
 カウンターの向こう側でグラスを磨いていた(ただし、着ている物は色の()せたトレーナーだ)店の主人に声を掛け、返事を待たずに突き当たりの階段を上がる。
 連れ込まれた先は、四人も入れば窮屈な、狭い部屋だった。出入り口が宇宙船のハッチの様な気密構造の分厚い扉になっているのが、古ぼけた内装と酷く不釣合いだ。
「オレ、未成年なんだけど」
 気密ハンドルを両手で回し、扉をしっかりロックした稲垣が口を開く寸前、レオがとぼけた口調で機先を制した。
 苦虫を噛み潰した顔の稲垣の隣で、寿和が面白そうに――楽しそう、という意味ではなく、興味深げに、という意味で――笑った。
「西城君、だったね。
 よく俺たちのことが分かったなぁ。ちゃんと気配は消していたはずなんだけど」
 それだけで、レオは寿和の言わんとしている事を理解した。
「あ、あ~……もしかして、捜査の邪魔しちまった?」
 その察しの良さは、寿和にとって意外なものだったようだ。
「へぇ……腕っ節だけじゃないんだね……
 まあ、単なる脳筋にエリカが肩入れするはずも無いか」
 反射的に顔を顰めたレオだったが、好意か悪意かはともかく、技を教えてもらったり得物を貸してもらったり色々と「肩入れ」されている自覚はあったので、口に出して反論はしなかった。
「警部さんの(トコ)さ、娘の育て方を間違えてんじゃない?」
 反撃は、せいぜい憎まれ口を叩く程度だ。
「違いない」
 苦笑する寿和。だがその軽い口調と裏腹に、細めた目の奥の光が根深いものを感じさせる。
 踏み込むことに危うさを感じて、レオは口をつぐんだ。
「捜査については気にしなくて良いよ。
 気配を消していたのは無意味なトラブルを避ける為で、尾行とかしていた訳じゃないからね。
 深夜のココは、警察が何かと目の仇にされる場所だから」
「目の仇ね……確かにそんなだよなぁ」
 何を連想したのか、深く頷くレオ。
 その仕草は彼が、この街の若者より警察の側にシンパシィを感じていると告げている。
 好意を向けられれば態度が和らぐ、それは対人関係の基本パターンの一つだ。(異性間では必ずしもこの限りではないが)
 稲垣がレオに向けている眼光も、幾分かフレンドリーなものに変化した。
「警部、ちょうど良いじゃないですか。彼に訊いてみたらどうですか」
 それだけでは当然、何のことだかレオには分からなかったが、説明を急かすようなことはしなかった。
 寿和が頷き彼に向き直るのを、レオは悠然と待ち構えていた。
「西城君、キミ、ココにはよく来るのかい?」
「よく、って程じゃないけど、たまに来ますよ。大晦日もここでフラフラしてたかな」
「二週間前か……じゃあ、都内の繁華街で妙な事件が起こっているのを知っているかい?」
 報道規制をかけている事件の内容をばらそうとしている寿和を、稲垣は止めなかった。
 どうせ明日には「スクープ」されることを、稲垣は知っていた。
「妙な事件? そんなもん、毎日起こってると思うけど。
 ところで警部さんって、横浜の方が担当じゃなかったっけ?
 何で都内の事件を調べてんだ?」
「俺たちは警察省の所属でね。日本全国をあちこちに異動さ。
 って訳で、今は都内の連続変死事件を捜査中だ」
 軽く、サラッと流れ出た台詞。
 しかし、レオがその口調に惑わされることは無かった。
「変死、って……猟奇殺人か? 連続で?」
 眉を顰めてレオが問う。
 寿和は表情に出さず、レオの評価を上方修正した。
「その通り。
 どうせ明日になれば分かることだし……」
 そう言って寿和は稲垣に目配せした。
 稲垣は頷いて、スーツの内ポケットから携帯端末を取り出した。
 折り畳み型の端末を開いてスクリーンに画像ファイルを呼び出す。
 スライド形式に切り替わって行くその写真に、レオは「ゴクリ」と息を呑んだ。
「一番新しい犠牲者が三日前、道玄坂上の公園で発見された。死亡推定時刻は午前一時から二時の間だ」
「こんな都心の真ん中でか!?」
 都心の真ん中というのも変な表現だとレオは思ったが、自分の心情を適切に表す言葉をそれ以外に考え付かなかった。
 怪異は人里離れた山の奥で起こるのが相場ではないのだろうか。
「昼間は都心かもしれんが、夜は何が起こっても不思議は無いよ。この街ではね」
 しかし、寿和から苦い顔で言い返されて、そうだった、と頷かざるを得なかった。
 今の渋谷の異常な二面性については、レオも身を以って知っていることだった。
「そこで訊きたいことなんだけど、妙なヤツに心当たりは無いか?
 噂に聞いたってだけでも構わないんだが」
「夜中にこの街をうろついてるのは妙なヤツばかりだよ。
 具体的に、どんなヤツのことを知りたいんだ?」
「具体的と言えるかどうかは分からないが、人を殺すのに態々(わざわざ)吸血鬼の真似事をするような異常なヤツだ」
 それを聞いて、レオは顎に手を当てた。
「……真似事ってのは分かってるんだな?」
 レオが訊ねているのは、犯人が本物の吸血鬼ではないと断定する理由。
 それに対して、「本物の吸血鬼なんている訳が無い」とは、寿和は答えなかった。
「首の傷痕がキレイ過ぎるからな」
「キレイ過ぎる?」
「ああ、雑菌がね、普通より寧ろ少ないんだよ。
 野犬なんかに噛まれると、傷口が雑菌で凄いことになるんだ」
「……殺菌効果を持つ唾液を出しているのかもしれないぜ?」
「生物由来の分泌物の痕跡は見つかっていない。まあ、殺菌成分を持つ全く未知の揮発性体液を分泌する相手だ、という可能性もゼロではないが」
「現実的じゃねえな」
「そういうことだ」
 オカルト的な――つまり、現実的でない存在を相手に現実的かどうかを問うのは、一見無意味なことの様にも見える。
 だが被害を受けているのは、人間という極めつけに現実的な存在だ。
 まず、現実的な手段によって犠牲者となるに至った可能性を、考えるべきだった。
「つまり、首に穴を開けて吸引機かなんかで血を抜き取っているヤツがいるって訳だ」
「そういうこと……西城君、キミ、刑事にならないか?」
 いきなり過ぎる話題転換。流石に、レオは驚きを隠せなかった。
「いったい何なんだよ、急に……」
「優秀な人材は倍率が高いからな。特に魔法師は警察でも人手不足だ」
「オレが優秀ぅ?」
「進路は決まっているのかい? 警察に興味は?」
「いや、まだだけど……一応、機動隊は希望に挙げてるけどよ……」
「機動隊なんてもったいない。キミは刑事に向いてるよ。何て言うかな、捜査勘がある!」
 目を白黒させているレオを、熱心に口説き始めた寿和の脇腹を、稲垣が肘で小突いた。
「警部、その話はまたにしては?」
「んっ? ああ、そうだな……
 失敬失敬、思わず話が逸れてしまったようだ」
 寿和は自分自身に呆れた、と言わんばかりの苦笑いを浮かべた。それは多分に、照れ笑いの成分も含んでいたが。
「それで、心当たりは?」
 改めて訊かれる前からレオは両腕を組んで唸っていたが、やがて諦め顔で腕組みを解いた。
「ワリィ、今んとこ、思いつかねぇや」
 礼儀って何それ? と言わんばかりの乱暴な、と言うより乱雑な口調だったが、不思議と嫌な感じはしなかった。
「ダチからネタ、仕入れときますよ」
「えっ、いや、それはいいよ。
 そういうのは警察の仕事だし、嗅ぎ回って目を付けられないとも限らないし」
「でも警部さん、夜の渋谷だぜ?
 大人の、それも警察の人が色々訊き出すのは難しいと思うけどな」
「……いや、それはそうかもしれないが……」
「危険なことに鼻を突っ込むつもりも無いって。
 こう見えても嗅覚には自信ありだ」
「そうかい? じゃあ」
「警部!?」
 慌てて声を上げた稲垣を手振りで制し、寿和は懐から名刺を取り出した。
「じゃあ何か分かったらここにメールくれよ。
 キーの手入力は最初だけで、二回目からは自動的に更新されるから」
「厳重なこったな。
 んじゃ、何か分かったら知らせるよ」
 そう言って立ち上がり、レオは稲垣が両手で回さなければならなかった気密ロックのハンドルを軽々と片手で回して階段を下りて行った。

◇◆◇◆◇◆◇

 週明けの教室は、猟奇殺人の話題で持ち切りだった。
 日曜日の朝、国内二位のニュースサイトにスクープ記事が配信されてから、報道各社は連続猟奇殺人事件の記事でお祭り騒ぎとなった。
 その様子は狂騒的というか(たが)が外れたというか、購読者が鼻白む程のはしゃぎぶりだ。
 しかしそれだけに、このニュースが世の中に広まるのは速かった。
 ――ただし、そのほとんどは殊更にオカルト的な面を強調した、センセーションを煽るものだった。
「おはよ~
 ねっ、ねっ、達也くん、昨日のニュース見た?」
 しかし、煽られていると判っていて敢えてそれに便乗するのが、達也たちの年頃なのかもしれない。
 案の定、こういうことには決して踊らされず、真っ先に踊りそうな友人が、イの一番に声を掛けてきた。
「ニュースって、『吸血鬼』の?」
 分かり切ったことでも一応確かめてみるのが礼儀というものだろう。
 そしてエリカは思った通りに、楽しそうに頷いた。
「あれってさ、やっぱり単独犯とは思えないよね? プロの組織的犯罪なのかな?
 あたしは臓器売買ならぬ『血液売買』組織の犯行って説に一票なんだけど」
 達也が椅子に座る前に、彼の机に浅く腰掛け身体を捻って顔を近づけてくる。
 この時、達也は「どうでも良いが、身体、柔らかいな」と、本当にどうでも良いことを考えつつ、それなりに真面目くさった表情を作って首を横に振った。
「いや、それだと死体も出て来ないはずだろ?
 殺してしまったら使い捨てだし、死んでしまったら他にも売れるものがあるだろうし」
 現代の医療技術でも、完全な臓器再生にはまだ程遠い。
 内臓の機能不全・欠損に対する最も有効な治療は未だに臓器移植で、だから今のような会話も成立する余地がある。
「ふ~ん、なるほど……じゃあ達也くんは、営利目的じゃ無いって意見なのね?」
「そもそも営利目的の殺人ってのが……無いとは言わないが、今回は違うだろうな」
「じゃあテレビで言っているように、異常者による快楽殺人なんでしょうか?」
 隣の席から眉を曇らせて、と言うより少しビクビクした表情で、美月が会話に入って来た。
「異常者には間違いないだろうし、多少はそういう嗜好もあるんだろうけど」
 そう言って達也は、軽く肩を竦めるような仕草を見せた。(ような、であって、実際にはそこまでハッキリしたアクションではなかった)
「でも美月。それだけじゃ、何の特定にもなっていないぞ」
 達也の指摘に美月は「あっ……」と口を開けて、慌ててそれを手で隠した。
「じゃあ達也は、あくまで人間による犯行で、オカルト的な事件じゃないって意見なんだね?」
「お前はどうだ、幹比古。
 妖怪とか魔物とか、そんな存在が関わっていると思うか?」
 幹比古の質問を、内容の同じ質問で切り返す。
 幹比古は「う~ん……」と唸って、一往復、首を横に振った。
「分からないな……何となく、ただの人間の仕業とは思えないんだけど……」
 達也はニヤリと、人の悪い笑みを浮かべた。
「オカルト的と言えば、つい百年前まで魔法はオカルトの最たるものだったんだけどな」
 意表をつかれた顔で幹比古が動きを止めた。
 エリカがずいっ、と身を乗り出してきた。
「達也くんはこれが、魔法師絡みの犯罪だと思ってるの?」
「そこまでハッキリ思っている訳じゃないさ。街頭カメラと一緒に設置されているサイオン・レーダーは何の反応も捉えていないっていうしな。
 でも上級者ならレーダーを誤魔化すことも出来るし、精神干渉系の系統外が使える術者なら都会の真ん中で誰にも気づかれずに犯行に及ぶことも可能だ」
「いやですね。人間主義みたいな風潮が強くならないと良いんですけど」
 暗い声で美月が呟く。
 現代の「人間主義」とは、平たく言えば、魔法師排斥運動の一種だ。
 魔法は人間に許された力ではない、というキリスト教亜種(異端、の方が適切か?)のカルト思想を骨子として、魔法の使用を禁止しようとする運動。「人間は人間に許された力だけで生きよう」という主張、というか建前から、「人間主義」と名付けられており、アメリカ東海岸を中心に近年勢力を拡大している一派だ。
 それが「魔法を使用しない」というだけなら別に害のあるものではないが、人間主義者の過激分子は魔法師の存在そのものを否定する暴力行動に出ることから、USNAでも犯罪予備軍として当局の監視を受けている。
「そう言えば、そんなことをテレビで(わめ)いてたお調子者がいたな~」
「はよッス、何の話だ?」
 割り込んできたのは、相変わらず達也の前の席の――席替えを言い出す「担任教師」がそもそもいないから当たり前だが――レオだった。
「今日は随分遅かったな?」
 片手を上げて短縮(圧縮?)された挨拶に応え、達也はレオにそう訊ねた。
 外見の印象からすれば意外かもしれないが、レオがこんなに始業間際に余裕無く滑り込むのは珍しい。
「あー、チョッと野暮用で夜更かししちまって……それより、何の話してたんだ?」
「例の『吸血鬼事件』のことですよ」
 美月の答えにレオは顔を顰めた。
 彼の口から「またか……」という小さな呟きが漏れたように聞こえたが、ちょうどその時、端末に一時限目開始のメッセージが表示され、確かめる間もなく朝の井戸端会議はお開きとなった。

◇◆◇◆◇◆◇

 学食に現れた深雪の隣に、金髪の同行者の姿は無かった。
 別に約束しているのでもないのだから、その事について疑問や物足りなさを感じたりはしない。
 だからこの質問は、気になったと言うより単純に思いついてのものだった。
「今日はリーナと一緒じゃないんだな」
 だが妹の回答は達也の予想外のものだった。
「今日、彼女は欠席です、お兄様。
 急遽、お家の関係で所用が出来たとか」
「ふぅん……?」
 留学早々に欠席? と達也は思ったが、彼女以外に魔法師の留学生を知っている訳でもないのだから、それが異常なこととは言い切れない。そもそも彼女の素性が思っているとおりのものなら、学校よりも優先しなければならないことが数多くあるはずだ。
 エリカや美月は気に掛ける素振りを見せていたが――もっとも、美月は「心配」でエリカは「好奇心」という違いがあったが――それ以上、深雪に訊ねても答えが得られる道理がないのは分かっている。そのままいつも通りに、一人欠けた(欠けているのはリーナではなく雫だ)七人でテーブルを囲んだ。
「そう言えばさ、雫、元気でやってるかな?」
 エリカの目は、ほのかに向けられている。
「ええ、元気でやってるみたい。
 授業もそんなに難しくないって言ってたわ」
 それを当然とばかり、ほのかはすぐに答えた。
 現代の通信インフラにとって、太平洋の向こう側はそれ程大した距離ではなかった。
「先生を交えたディスカッション形式の授業がまだ残っているのには驚いた、って言ってたけど」
 このエピソードには全員が驚きと興味の入り雑じった表情を見せた。
 魔法を学ぶ生徒の留学が事実上途絶えているから、外国でどんな授業をしているのか、ほとんど情報が入って来ないのである。
「じゃあリーナも、色々戸惑っているんじゃないでしょうか」
「そうでもないみたいよ」 
 美月の懸念を、深雪は笑って否定した。
 事実、リーナにはアメリカと日本の授業形態の違いに戸惑っている様子がない。
 まるで、最初から日本の魔法科高校にしか通ったことが無いみたい、と深雪はこっそり人の悪い笑みを浮かべた。
 コケティッシュな小悪魔の笑みは、幸いなことに誰の目にも留まらなかった。
 友人たちの意識は、ほのかからもたらされた次の爆弾発言、ならぬ爆弾ニュースに釘付けとなっていた。
「昨日もチョッと話したんだけど、『吸血鬼事件』のニュースには雫もビックリしてたわ。
 なんかね、アメリカでも似たような事件が起こってるんだって」
「ええっ! ホントなの、それ?」
「私も雫に同じ質問しちゃったわよ。
 雫のいる西海岸じゃなくて、中南部のダラスを中心とした地域で起こってるらしいんだけど」
「初耳だな……」
 最近は叔母から受けた警告のこともあって、USNA関係のニュースをまめにチェックしていた達也が、意外そうに、かつ感心した口調でそう呟いた。
「向こうでも報道規制は結構あることなんだそうです。
 雫もニュースじゃなくて、留学先の情報通の生徒に聞いたと言っていました」
 達也の関心を引いたのが嬉しかったのか、ほのかがはにかんだ笑顔で説明する。
 頷く達也の眼には、興味本位と言うには強すぎる光が宿っていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也たちが留学していった友人の話題で盛り上がっていた頃、留学して来た金髪碧眼の高校生はUSNA大使館でミーティングの最中だった。
「つまりフレディ、いえ、フォーマルハウト中尉の大脳皮質には、普通の人間には決して見られないニューロン構造が形成されていたということですか?」
 会議はランチタイムに食い込んでいたが、リーナを含めて中断を主張する者はいなかった。
「普通の人間、と言うと誤解を招くかもしれません」
 答えたのは、白衣こそ着ていないものの、いかにも科学者然とした外見の男性だった。
「解剖の結果、アルフレッド・フォーマルハウトの大脳には、魔法師を含めて、これまで人間の大脳皮質には観察例が無いニューロン構造が発見されました。
 具体的には、前頭前皮質に小規模な脳梁に似た組織が形成されていたのです」
 曖昧な表情を浮かべている参加者が多いのを見て(もちろんリーナもその一人だ)、科学者はもう一度、今度は少し講義調に説明を始めた。
「人間の大脳が右半球と左半球に分かれているのはご存知ですね?」
 参加者全員が頷いたのを見て、言葉を続ける。
「それで、左右の半球は大脳の中心近くで脳梁によってつながっています。
 逆に言えば、普通人間の大脳は中心部近くにしか左右をつなぐ組織が無いわけです」
「前頭前皮質は大脳の表面部分……そこには本来、脳の左右をつなぐ組織は無い?」
「そのとおり。
 つまり、人間には無いはずのものが、フォーマルハウト中尉の大脳にはあったということですね」
 リーナは今日、何故、自分がここに呼び出されなければならなかったのか、ようやく納得した。
 確かにこれは、通信回線越しに話せることではない。
「それは一体どういう機能を果たすものなのだ?
 前頭前皮質というのは、思考力や判断力と密接な関係のある部位だという話を聞いたことがあるが……
 そこに新たな脳細胞が形成されているということは、思考力が影響されていたのか?」
「我々USNAの魔法研究者の間では、大脳は独立の思考器官ではなく、真の思考主体であるプシオン情報体、いわゆる『精神』から送られてくる情報を受信し、肉体の情報を精神に送信する通信器官である、という仮説が支持されています」
 向かい側に座っていた高級武官から出された質問に、科学者は愛想笑いを浮かべながら首を横に振った。
「この仮説に従うならば、フォーマルハウト中尉の大脳に形成された新たなニューロン構造は、従来ダウンロードされることの無かった未知の精神機能とリンクするものである、と考えられます」
 参列者の顔にまたしても、途方に暮れた表情が浮かぶ。
 その中でじっと考え込んでいたリーナが、発言を求めて手を挙げた。
「少佐、何か?」
 科学者に発言を促されても、すぐには言葉が発せられない。
 リーナがその質問を、男の目を惹きつけずにはおかない紅唇から紡ぎ出したのは、三秒が経過した後だった。
「……ドクター、その未知の精神機能が、外部から意識に干渉する未知の魔法という可能性はありますか」
 科学者の返答は間髪を入れぬものだった。
「フォーマルハウト中尉が操られていた、という可能性をシリウス少佐は言われているのだと思いますが、残念ながらその可能性はありません。
 仮説ではありますが、精神と肉体は一対一で対応するものと考えて間違いありません。
 他者の精神に干渉することは出来ても、それが大脳の組織構造にまで影響を与えることは無いでしょう。他者の精神の構造そのものを作り変える魔法でもなければ」
 精神の構造そのものを作り変える魔法、というフレーズから、リーナは一人の魔法師の伝説を思い出した。
 しかし、その魔法師は既に死んでいる。
 二十年に及ぶ入院生活の末に、結婚もせず子供も作らぬまま、この世を去ったはずだ。
 リーナは軽く頭を振って、自分の思考をリセットした。


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