ブックリスト登録機能を使うには ログインユーザー登録が必要です。
 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第五章・来訪者編
5-(3) 好敵手
 夜の闇を這いずり回るのは、何も後ろ暗いところのある者たちばかりではない。
 そうしたアウトローに市民生活が脅かされずに済んでいるのは――少なくとも破壊されずに済んでいるのは、混沌と戦う秩序の使徒が同じ闇の中を駆けずり回っているからだ。
 もっとも、「秩序の使徒」の全員が勤勉であるとは限らない、のではあるが。
「よくもまあ、次から次へと厄介事が……」
「…………」
「厄年は去年で終わったんじゃなかったのか?」
「…………」
「大体何が起こってるんだ? これならまだ、密入国とか外国の侵略とかの方が分かり易いぞ」
「……それを調べるのが我々の仕事でしょうが。
 事件が起こってくれるお陰で我々は失業せずに済んどるんですから、つべこべ文句を言わない!」
 尚も未練がましく「本当は事件なんて起こらない方が……」とかブツブツ呟いている上司に本格的な諫言、というより小言をくれてやろうと息を吸い込んだちょうどその時――
「ハイ、こちら稲垣」
 耳に引っ掛けていたレシーバーから聞こえて来たコールに、緊張を押し殺した声で稲垣は応えた。
「……了解しました。すぐに現場へ向かいます」
 通信機のスイッチを切って、何が起こったか察しているだろうにまだだらけたままの上司に、稲垣はキツイ視線を向けた。
「警部、五人目です。
 死因は過去のガイシャと同じ、失血死。首筋に穴が二つ、穿たれているところも同じです」
 稲垣巡査部長の報告を聞いて、千葉寿和警部は天を仰ぐポーズを取った。
「一ヶ月で五人の変死体か。
 やれやれ……こりゃあ、マスコミを抑えるのも限界だぞ」
 被害者のことも加害者のことも口にせず、億劫そうにため息をつく、その顔の中で、両の瞳だけが鋭い狩人の眼光を宿していた。

◇◆◇◆◇◆◇

 アンジェリーナ・シールズは、第一高校にセンセーショナルなデビューを飾った。
 まずその容姿で、留学初日から全校生徒で知らぬ者はいないという存在(アイドル)になった。
 それまで、学校一の美少女の座は深雪のものだった。これは上級生、女子生徒を含めて衆目の一致するところだった。
 だがリーナの編入により「女王」は「双璧」となった。
 二人が行動を共にする機会が多いから余計に、「司波深雪に劣らぬ美貌」が強く印象付けられることになった。
 陽光に煌く黄金の髪。サファイアより蒼く輝く瞳。
 夜空より深き漆黒の髪。黒真珠より黒く澄んだ瞳。
 同じように美しく、対照的な美を持つリーナと深雪は、並び立つことによって一層、輝いて見えた。
 その美しさだけでも話題になるには十分だったが――
「ミユキ、行くわよ」
「いつでもどうぞ。カウントはリーナに任せるわ」
 向かい合う二人の距離は三メートル。
 その真ん中で、直径三十センチの金属球が細いポールの上に載っている。
 実習室には同じ器具がずらりと並んでいるのだが、クラスメイトの全員が手を止めて深雪とリーナの二人を見ていた。
 いや、クラスメイトだけではない。
 中二階の回廊状見学席には、自由登校になった三年生がずらりと並んでいる。
 その中には、真由美と摩利の姿もあった。
「……司波に匹敵する魔力、本当だと思うか?」
「ある意味、アメリカを代表して日本に来た訳だから、ありえないことじゃないと思うけど。
 でも、俄かには信じ難いわね。同じ年代で深雪さんと拮抗する魔法技能だなんて」
「同感だな。百聞は一見にしかずと言うが、この目で見なければ信じられん」
「だからこうして確かめに来てるんだけどね」
 実習の内容は同時にCADを操作して中間地点に置かれた金属球を先に支配する、という魔法実習の中でもシンプル且つゲーム性の高いものだ。
 シンプルだからこそ、二人の単純な力量差が露わになる。
 先月から始まったこの実習で、深雪はこれまで同級生をまるで寄せ付けなかった。これではお互いに実習の意味が無いと教官が認めざるを得ない程に、深雪とクラスメイトの魔法力には差があった。
 その話を聞きつけた新旧生徒会役員(プラス風紀委員長)が交互に深雪の相手を買って出たが、誰一人敵わなかった、というのは今や一高の公然の秘密となっている。
 だがその深雪を相手に、留学生が互角の勝負を演じているというのだ。
 苦も無く一蹴されて上級生の面目が丸潰れとなった(深雪は勝ち誇ったりせず、逆に随分恐縮していたが)真由美と摩利が見学に来るのも当然だった。
「スリー、ツー、ワン」
 実習用のCADは据え置き型・パネルインターフェイス。
 リーナが「ワン」のカウントを口にすると同時に、二人は揃ってパネルの上に手を翳した。
「ゴー!」
 最後の合図は、二人で声を揃えて。
 深雪の指がパネルに触れ、リーナの掌がパネルに叩きつけられる。
 静と動、二人の色彩をそのまま反映する起動動作だった。
 しかし対照的なのは身体面のみ。
 眩いサイオンの光輝が、対象となった金属球の座標に重なり合って、爆ぜた。
 肉眼()に見える光ではないが故に、瞼を閉じても効果は無い。
 外部からの魔法的な干渉を抑制する技能が未熟な見学者が、こめかみを押さえたり首を振ったりしている。
 輝きは一瞬で消えていた。
 金属球は、リーナへ向かってコロコロと転がっている。
「あーっ、また負けた!」
「フフッ、これで二つ勝ち越しよ、リーナ」
 盛大に口惜しがるリーナと、何処かホッとした感じの笑みを浮かべる深雪。
 二人の様子を見て解るように、今の勝負――と言っても試合ではないが――は深雪の勝ちだった。
 しかし深雪の口調を聞いても「二つ勝ち越し」という台詞を聞いても、圧勝という印象はない。
 なにより――
「……まったくの互角だったわね」
「術式の発動は寧ろ、留学生が僅かに速かったように見えたぞ」
「ええ。でも干渉力で深雪さんが勝っていて、魔法が完成する前に制御を奪い取ったのね。
 スピードを優先するかパワーを優先するか……単純に力量で勝っているというより、今回は作戦勝ちってところじゃないかしら」
 真由美の目から見ても摩利の目から見ても、二人の魔法力は、少なくとも基礎単一系の単純な魔法力は、互角だった。

 時間内に同じ実習が、あと四回繰り返されて、スコアはニ対二のタイだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 お昼時、いつもの学生食堂。
 今日はいつものメンバーから雫がいない代わりにリーナが同じテーブルについているが、これは毎日という訳ではない。
 編入から一週間、リーナにはあちらこちらからお誘いがあり、その都度違う相手と食事をしていた。
 広く交流を深める、留学生としては模範的な態度だと言えるだろう。
 達也たちと一緒にお昼を食べるのは、実に初日以来のことだ。
「大人気ね、リーナ」
「ありがとう。皆さん良くしてくれて嬉しいわ」
 エリカの裏も表も無い単純な褒め言葉に、意味無く照れたり謙遜したりすることなく、あっけらかんと応えるリーナ。
 その態度は個性であれ民族性であれ、達也たち(除くエリカ)には確かに目新しく映った。
「でもリーナって予想以上に凄かったんだね。
 そりゃあ選ばれて留学してくるくらいだから、相当な実力者とは思っていたけど、まさか深雪さんと互角に競う程とは思わなかった」
「驚いているのは寧ろワタシの方よ」
 幹比古の称賛にリーナは目を丸くしてオーバーアクション気味に驚きを表現する。
 ――余談だが、幹比古はどうやら深雪よりリーナの方が話し易いみたいで、深雪に対しては未だに「ですます」調なのに、リーナに対しては砕けた言葉遣いをするようになっていた。
「これでもワタシ、アメリカのハイスクールレベルでは負け知らずだったんだけど。
 ミユキにはどうしても勝ち越せないし、ホノカにも総合力なら負けないけど精密制御じゃ負けてるし、さすがは魔法技術大国・日本よね」
「リーナ、実習は実習で、試合じゃないわ。
 あんまり勝ち負けなんて考えない方が良いと思うけど」
「競い合うことは大切よ。
 例え実習でも、せっかくゲーム性の高いカリキュラムなんだから、勝ち負けには拘った方が上達すると思うわ」
 やんわりと窘める深雪に、衝突を恐れずリーナは正面から反論した。
 これが彼女の流儀なのだろう。
 こういうところも少し新鮮に感じる部分だ。
「やっている最中は競争心を持つのも大事だと思うよ。
 でも、終わった後まで引きずる必要は無いんじゃないか?
 実習はあくまで練習で、評価に結びつく実技試験とは違うんだから」
 だから達也も、遠慮なく意見してみることにした。
「……そうね。タツヤの言うとおりかもしれない。
 ワタシ、少し熱くなり過ぎていたかも」
「熱くなるのは悪いことじゃないさ。
 深雪も新たなライバル登場でヤル気を増しているみたいだし。
 その点、リーナには感謝してるよ」
 達也の言葉に最初は素直に頷いたリーナだったが、今はキョトンとした顔で見返している。
「出たよ、達也君の兄バカ発言」
 その隣でエリカが「やれやれ」と言わんばかりに、わざとらしくため息をついた。
「あ、ああ、なるほど……タツヤとミユキって仲が良いのね」
 台詞とは裏腹に、リーナの視線の温度が急降下したように達也は感じた。
「そう言えばリーナ、大したことじゃないんだが……」
 この流れは拙いような気がしたので、話題転換を試みる。
「何かしら」
 向けられる視線は冷たい。
 だが本心から蔑んでいる訳ではなく、多分にエリカの冗談に付き合っているような演技臭さがある。
 それが希望的観測でないという保証は無かったが、この程度のことで怯んで口を閉ざしてしまう繊細さには縁の無い達也だった。
「アンジェリーナの愛称は普通、『アンジー』だと思うんだが、俺の記憶違いかな?」
 動揺するような質問ではないはずだ。
 少なくとも、同席していたエリカも美月もほのかも、そう思った。
 しかし、リーナの顔には間違いなく狼狽の影が()ぎっていた。
「いえ、記憶違いじゃないわよ。
 でも、『リーナ』って略すのも珍しいって程じゃないの。
 エレメンタリー、っと、小学校の同じクラスに『アンジェラ』って子がいて、その子が『アンジー』って呼ばれていたものだから」
「それでリーナは『アンジー』じゃなくて『リーナ』って呼ばれるようになったのか」
 納得、という風に達也は頷く。
 リーナの動揺に気づいたことは、欠片も匂わせずに。

◇◆◇◆◇◆◇

 第一高校には寮が無い。
 全国に九つしかない魔法科高校の立地条件から必然的に、遠方から進学してくる生徒もいる。
 そこを考えれば寮があっても不思議はないような気もするが、そもそも今の時代、学生寮を教育の場として重視している(つまり二十四時間教育ということ)全寮制の特殊な学校以外で、学生寮という施設を見ることは無い。
 HAR〔ホーム・オートメーション・ロボット〕が一般家庭に普及し日用品の買い物もオンライン注文・戸別配送で済ませられる現代、学生の一人暮らしでも不自由は全く無いから、寮という施設の需要も無いのである。
 ということで、自宅から通えない生徒は学校近くに部屋を借りて一人暮らしをすることになる。
 留学生のリーナもその例に漏れず。
 学校から電車(キャビネット)で二駅の、現代の交通事情を考えればすぐ近くといえる場所にマンションを借りて住んでいる。
 但し、彼女の場合は一人暮らしではない。
「お帰りなさい、リーナ」
 彼女がマンションのドアを開けると、中から待ち構えていたように若い女性が出て来た。
「ミア、先に帰っていたんですか」
 若いといってもリーナより五、六歳年上の外見だ。実際の歳はもっと上だが、リーナは正確な年齢を教わっていない。
 彼女の名前はミカエラ・ホンゴウ。
 リーナと同じ日系アメリカ人だが、リーナと違い外見はほとんど日本人と区別が付かない。
 少し肌の色が浅黒いか? という程度で、それでも日本国内で特に珍しいという程ではなかった。
「もう夜ですよ?」
 色々と寄り道していたリーナは、返された言葉に小さく苦笑した。
「何か分かりましたか」
 制服から部屋着に着替え、ティーカップが用意されたダイニングテーブルに座って、向かいの席からティーポットでミルクティーを注いでいるミカエラにリーナは訊ねた。
「今のところはまだ何も」
「そうですか。
 そんなにすぐ結果が出るようなものでもないのでしょうね」
 彼女はリーナたちより一足先に日本に送り込まれた諜報員の一人だった。
 とは言っても、本職のスパイではない。
 彼女の本職は放出系魔法を研究する国防総省所属の魔法研究者であり、十一月にダラスで行われたブラックホール実験にも参加していた才媛だ。
 結果が芳しくなかったダラスの実験に代わる「対消滅ではない質量のエネルギー変換」の糸口を求めて、今回の任務に志願した技術スタッフの一人。
 多くの魔法研究者がそうであるように彼女自身も魔法師であり、今月から共同研究の名目で来日した偽学生とは別口で、先月の初めからマクシミリアン・デバイス日本支社のセールス・エンジニア「本郷未亜」として魔法大学に潜り込んでいる。
 戦闘員でも情報員でもない彼女はあくまでサポートスタッフだが、今月まとめて、ある意味で正面から乗り込んだメンバーに隠れて、裏で本来の諜報活動に従事する「本隊」の一人でもあった。
「リーナの方は何か分かりましたか?」
 年末にリーナが来日した当初、彼女と相対したミアは、傍目(はため)からも分かるくらい緊張していた。
 研究者と戦闘者の違いがあるとはいえ、リーナはミドルティーンにしてUSNAの魔法師のトップに立つ「シリウス」だ。
 その相手と寝食を共にするのだから、ミアの心中も察して余りがあるというもの。
 だが素性の露見を避ける為と、それ以上に自分の精神衛生上の理由で、リーナは三日掛かりで「少佐」を「リーナ」に改めさせることに成功した。
 来日から二週間が経った今では、かなりフレンドリーに会話を成立させることが出来るようになっている。
 ……まだまだ遠慮が見える、と言うか「畏れ入っている」面が見え隠れするのは仕方の無いことだとリーナも納得していた。
「ターゲットと親しくなった、とは思いますけど……」
 リーナはため息をついて、脱力感の漂う笑みを漏らした。
「肝心なことはまだ何も。
 それより先にコッチの正体がばれちゃいそうです」
「……何かあったんですか?」
「タツヤに『アンジェリーナの愛称はアンジーじゃないか』って訊かれました。
 ドキドキしましたよ」
「偶然ではないんですか?」
「分かりません。サッパリです。
 やはりワタシは、こういう仕事に向いていないようです」
 もう一度、大きくため息をつくリーナのカップに、ミアはミルクティーのおかわりを注いだ。
「ありがとうございます……
 魔法の実力で言えば警戒すべき相手はミユキだと思いますけど、本当の意味で警戒しなきゃならないのはタツヤの方かもしれません」
 そこでリーナは、「アラッ?」と言わんばかりに目を見開いた。
「ミア、服が染みになっていますよ?」
 えっ? と声を上げて、ミアがリーナの視線を辿る。
「そこの、袖口のところです……紅茶が跳ねたんでしょうか」
「あっ、ここですか……一応染み抜きはしたんですけど、きれいに取れてなかったみたいです」
 ミアの着ている飾り気のないブラウスの袖口に、少し見ただけでは分からない程度の薄い茶色の(まだら)があった。
「プロに任せた方がいいんじゃありませんか?」
「そうですね……もう一度自分でやってみて、取れなかったらクリーニングに出すことにします」
「ミアも忙しいんですから、無理しなくて良いんですよ。
 ハウスキーパーの一人や二人、余裕で雇えるくらいに予算はタップリとってあるんですから」
「可愛い格好のメイドさんでも雇いましょうか?」
「ミア、まさかそんな趣味があったんですか……?」
 真剣な目つきでミアを見詰めるリーナ。
 無言で目を合わせていた二人は、申し合わせたように、同時に「プッ」と吹き出した。

◇◆◇◆◇◆◇

 飾り気のない検査用のベッドから起き上がった下着姿の妹にガウンを手渡す。検査中の、アンドロイドの様なポーカーフェイスを解除した達也の顔には微かな、けれども深雪の目から逃れることは出来ない、憂慮が浮かんでいた。
「……何か至らぬところがございましたか?
 お兄様、どうぞ遠慮なさらず仰ってください。
 お兄様の仰ることでしたら、深雪はどんなことでも致しますので」
 だからといってこの反応は、過剰と言うか、過激だと思うのだが。
 案の定、達也は何とも言い難い、表情の選択に困り果てた感じの乾いた笑みを浮かべた。
「いや、至らぬところがあったとすれば、今回は俺の方だよ。
 魔法式構築規模の上限が、予想を超えてレベルアップしている。その所為でCADの処理能力がお前の魔法力について行けていない。
 余裕を持たせた設定にしていたつもりだったけど……読みが甘かったな」
「すみません……」
「何を謝るんだ? 逆に誇るべきことなのに」
 しゅんと俯いてしまった妹の髪をクシャッ、と撫でて、顔を上げた深雪に達也は優しく笑い掛けた。
 深雪は兄につられて、あるいは兄に応えて笑みを浮かべた、ところまでは良いとして――
(……ここは頬を染めるところじゃないぞ……)
 沈黙に危うさを感じて――主にガウンの合わせ目からのぞく胸元とか――、達也は早口気味に言葉を続けた。
「リーナが同じクラスに編入してきたことが、良い刺激になっているみたいだな」
 リーナの名前が出た途端、上気していた深雪の瞳からスッ、と霞が晴れた。
「そうですね……生意気な台詞かもしれませんが、彼女ほど手応えのある相手は今までいませんでした」
 しかし、気分を害した訳ではなかった。
 深雪は達也の口から他の女の子の名前が出るたびに感情を尖らせるような聞き分けのない少女ではないから、当然と言えば当然のことだ。
 寧ろ、頭が良い方向に冷めたようだった。
 今の深雪の瞳には、静かな闘志が(みなぎ)っていた。
「ところでお兄様、お昼のご質問はやはり、リーナが『シリウス』だとお考えなのですか?」
「お見通しかい? 本当に、深雪には隠し事なんて出来ないな」
 笑いながら両手を挙げて見せた達也に、深雪も悪戯っぽく笑いながら人差し指を突きつけるポーズをとった。
「それはもう。
 深雪は誰よりも、お兄様のことを見ておりますから」
 達也が殊更、声を上げて笑ったのは、深雪の台詞を冗談だと思ったからか、冗談にしてしまおうと思ったからか。
 兄につきあって笑いながら、達也の本心を知りたい、と深雪は思った。

 地下室(地下施設、と表現すべきかもしれない)は空調が効いているとはいえ、いつまでも下着にガウンだけの格好でいるのはお互いに落ち着かない。
 深雪を部屋着に着替えさせてから、二人はリビングに場所を移した。
 スラリと細い深雪の脚を包むのは、黒のレギンス、でもタイツでもなく、長いソックス。
 フワリと裾が広がった、とても短いスカートとソックスに挟まれて、深雪の白い肌が見え隠れしている。
 真っ直ぐ立った状態でこれならば、座ったり前かがみになったりすると、かなり拙いのではないだろうか?
 ――何が「拙い」のかを意識しないまま、達也はそう考えた。
 そんな兄の心中を知らず――本当に知らなかったのかどうかは、確かめようがない――深雪は兄の前にコーヒーカップを置くと、達也の隣ではなく、今日に限って、正面のソファに座った。
 そのまま脚を組む、ような蓮っ葉な真似はしない。
 キチンと膝を揃えて、斜めに脚を流す。
 スカートの中がのぞいているより、余程、色っぽい姿勢だった。
 深雪の意図が分からなかった(表面的な意図は分かっても、その裏にある真意が分からなかった)達也は、これ以上気にしないことに決めた。
 気にしない、と決めた途端、視線の揺らぎが消えた。
 テーブルを挟んで、深雪が少し不満げな表情を垣間見せたが、それを含めて、達也は深雪を、ただ、見詰めて、口を開いた。
「さっきの話だけど、高い確率で、リーナは『アンジー・シリウス』だと思う。
 分からないのは、向こうに『シリウス』の正体を何が何でも隠そうとする姿勢が見られないこと。寧ろ、こちらに正体を気づかせようとしているようにも見える。
 そして――」
「何故、USNAは切り札とも言えるシリウスを投入して来たのか、ということですね」
 深雪も既に意識を切り換えている模様。達也の話に真面目な口調で応じていた。
「そのとおりだ。
 一週間観察した限りにおいて、リーナの能力は諜報向きのものとは思えない。
 多分、本命は別に動いているんだろうけど、隠れ蓑に使うには」
「シリウスは大物すぎる……」
「リーナがシリウスと仮定して……スパイ任務はついで、だな。
 本来の任務は別にある」
「USNAがシリウスを国外に投入する程の任務……一体、何でしょう?」
「分からないな……だけど、今の段階で気にする必要はないと思うよ」
 達也の口調から急に緊張感が消えて、深雪は肩透かしにあったような気分を感じていた。
「折角アメリカが深雪の為にライバルを提供してくれたんだ。
 深雪」
「はい、お兄様」
 だがすぐに、達也が言おうとしている事に気づいて、深雪は改まった口調で応えた。
「リーナとは全力で競い合うんだ。
 昼はああ言ったけど、勝ち負けに拘るくらいでちょうど良い。
 それがお前を、今以上の高みに押し上げてくれる」
「はい」
「それはリーナにとっても同じだろうけど、気にする必要はないぞ。
 こんなチャンスは滅多にない」
「はい。
 それに、深雪にはお兄様がいます。
 お兄様がついていて下さる限り、相手がシリウスであろうと恐れはしません」
 達也が言っているのは競争相手として、という意味で、闘争相手として、という意味ではない。
 深雪の台詞は、いささか的外れの感が無いでもない。
 だが深雪の寄せる、ひび一つ無い信頼に、達也は躊躇無く頷いた。


+注意+
・特に記載なき場合、掲載されている小説はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
・特に記載なき場合、掲載されている小説の著作権は作者にあります(一部作品除く)
・作者以外の方による小説の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この小説はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この小説はケータイ対応です。ケータイかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。
小説の読了時間は毎分500文字を読むと想定した場合の時間です。目安にして下さい。