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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第五章・来訪者編
5-(2) 遣って来た少女
 西暦二〇九六年の元旦を、達也と深雪はいつもどおり二人で迎えた。
 大晦日やお正月だからと言って父親面して帰って来られても、正直言って疎ましいし鬱陶しい。これはお互い様で、どちらも不愉快な気分にしかなれないのなら、元愛人宅(今ではセカンドハウス)で好きにしてもらった方が双方の精神衛生の為だ。
 正月だからといって自堕落な朝寝はせず、登校時間と然程変わらぬ朝早くに玄関で待っていた達也に、「お待たせしました」という声が掛かった。
 とは言っても、声が掛かる前から達也はその晴れ姿を目に納めていたのだが。
 紅基調の生地に白と薄紅で図案化した牡丹を描いた振袖を身にまとい、深雪が淑やかに階段を下りてくる。
 白粉(おしろい)など必要の無い白皙(はくせき)(おもて)に、ただ一箇所、色鮮やかな紅を差した唇。
 結い上げた髪に揺れる枝垂れかんざしが少し子どもっぽい感じだが、それがかえって大人びた美貌の中で年相応の可愛らしさを(かも)し出すチャームポイントになっていた。
 目を惹くのは生来の美貌ばかりではない。
 昔ながらの女性和装は胸を圧迫するので、最近は立体縫製の着物も作られているが、深雪は伝統的な振袖で、折れそうに細い腰とボリュームを増した胸のラインを表現しつつ、襟元は慎ましく隠すという、着こなしの妙を見せている。
 世界一可憐な(達也の主観で)妹の艶姿(あですがた)に、彼は兄として誇らしさを感じていた。
「うん、とても綺麗だ」
 履物に足を置いた妹を視界の正面に据えて、臆面も無く称賛する達也。
 深雪の頬がたちまち朱に染まる。
「もう、お兄様ったら……からかわないでください」
 恥じらいながらも視線を外さず、上目遣いに抗議する様は、免疫の無い男なら悶え死にそうな破壊力があった。
「からかってなどいないんだが……じゃあ、行こうか」
 それをあっさり受け止める達也は、流石、伊達に深雪の兄を十六年(正確には十五年九ヶ月)も務めていないと言うべきだろう。

◇◆◇◆◇◆◇

 門の前には無人運転のコミューターが停まっていた。
 ただ、無人運転ではあっても、無人ではない。
 四人乗りコミューターの後部座席には一人の成人男性と一人の成人女性が座っていた。
「明けましておめでとうございます、師匠」
「明けましておめでとうございます、九重先生。本年もよろしくお願い致します」
 手短に挨拶した達也と丁寧に腰を折った深雪に、八雲はシートに座ったまま嬉しそうな笑顔で応えた。
「いやぁ、今日はまた一段と艶やかだねぇ。吉祥天もかくやの麗しさだ。
 今日の深雪くんを目にしたならば、須弥山の天女も羞恥に身を隠してしまうかもしれないね」
 ある意味、実に八雲らしい反応だった。
「先生……もっと他に言うべきことがお有りなのでは?」
 ツッコミは隣に座る女性から入った。
 台詞を取られた形となった達也は、八雲がツッコミに応える前に、その女性に向かって軽く頭を下げた。
「小野先生、明けましておめでとうございます。
 しかしよろしいのですか。師匠と一緒のところを見られて?」
「おめでとう、司波君。新年早々、嫌なことを言うのね」
 達也は割りと本気で心配したつもりだったが、どうやら遥には嫌味に取られてしまったようだ。
 日頃の行いに色々と思い当たる節がある達也は、誤解されても仕方が無いかもな、と心の中で肩を竦めた。
「先生と会ったのは偶然よ。今日、私は貴方たちの引率に来たの」
「なるほど、そういう設定ですか。高校生に引率というのは、些か苦しいと思いますが……
 しかしそれなら、『先生』という敬称は拙いのでは?」
 達也の指摘に遥は後ろのシートで顔を顰めた。
 確かに今時、高校生にもなって、日のある内に初詣に行くくらいで、大人の付き添いを要するということは無い。
 言い訳にするなら「引率」ではなく、本当に単なる「同行」だろう。
 それに、偶然会った相手に、しかも相手が教職者でもないのに、「先生」という敬称は奇妙に思われてしまう危険性がある。
「それは道々考えることとして、そろそろ参りませんか?」
 深雪がそう提案したのは、達也がコミューターのドアを開いた後だった。
 考え込む遥を放置して、乗車する深雪に手を貸し、ドアを閉めて反対側の、有人運転車ならドライバーが座るシートに乗り込む。
 達也がドアをロックしたのと同時に、コミューターは駅へ向かって発進した。

 同行の名目を棚上げし八雲の呼び名を「和尚(かしょう)様」に落ち着けて、ようやく顰め面から解放された遥は、深雪の着付け、特に髪が気になったようだ。
「司波さん、その振袖は自分で?」
 ちなみに遥はスーツ姿。それなりにお洒落なセミフォーマルだが、やはり振袖には見劣りする。遥も未婚者だから、その気になれば振袖をチョイスすることも出来たのだが。
「着付けですか? ええ、そうです」
 事も無げに返された深雪の回答に、遥は少しショックを受けた様子だった。
「その髪も?」
「はい。今日はプライベートですから、美容院でお願いするまでもないと思いまして」
 そう言いながら、深雪は恥ずかしそうに髪に手を当てた。
 自分でセットしたという髪は、流石に複雑な形に結い上げることは出来なかったようで、アップにして留めただけになっている。
 しかし少しもちぐはぐになっている部分や(ほつ)れている部分が無く、左右のバランス良く仕上がっている結い髪は、十五歳の少女が自分一人で整えたものとは俄かに信じ難い出来だった。
「はぁ……司波さんってこんなことまで完璧少女なのね」
「慣れているだけですよ」
 自分よりずっと大人びた(あるいは色っぽい)、十代とは思えない(なまめ)かしい笑顔で遠回しの慰めを受けて、遥は何だか泣きたい気分になった。

◇◆◇◆◇◆◇

 コミューターから電車(キャビネット)に乗り換え(駅で大層な注目を浴びた)、四人乗りのキャビネットを降りて待ち合わせ場所まで徒歩五分(ここでも大層な注目を浴びた)。
「わっ、深雪さん、キレイですねぇ!」
 そして待ち合わせ場所に着いた達也と深雪を出迎えた第一声が、これだった。
 うっとりした目を深雪に向けている美月は隣の達也が目に入っていないようだ。
「明けましておめでとうございます、達也さん。良くお似合いです。少し、意外ですけど」
 深雪と同じ振袖姿のほのかは、クラスメイトの艶姿に圧倒されたのか、やや怯んだ様子だったが、地味ながら普段とは雰囲気の違う達也を見て良い具合に意識が逸れたのか、すぐにお正月らしい笑顔を取り戻していた。
「明けましておめでとう。ほのかも良く似合っているよ」
 実際にほのかの振袖姿は良く似合っていたので、お世辞を口にしているという意識は達也には無かった。
 嬉しそうに笑顔を向けるほのかに笑みを返して、達也は自分の衣装を見下ろした。
「でも意外、ってことは、やっぱり少し違和感があるのかな?」
「そんなこたぁないんじゃねえの?
 達也、良く似合っているぜ。何処の若頭かって貫禄だ」
「俺はヤクザかよ」
 本気なのかからかっているのか判別のつきにくい口調で合いの手を入れてきたレオは、制服とほとんど変わらないジャケット姿だ。
 初詣の待ち合わせをしていたのは、美月、ほのか、レオの三人。エリカと幹比古は大勢の門人を抱える家の手伝いで抜け出せず、雫はいよいよ留学が間近に迫ったということもあり、父親の仕事関係でやはり抜けて来れなかった。
「別に、ヤクザには見えないけど、羽織袴がそこまで様になる高校生は珍しい、ってことだけは確かだと思うわ」
「ヤクザ者というより、与力か同心のイメージだね」
 一歩遅れてついて来た遥と八雲が言うように、今日の達也の格好は羽織袴に雪駄の純和風だった。そしてほのかとレオが言うとおり、この格好が実にはまっていた。いっそ、腰に大小と、ついでに十手を差していないのが寂しく感じるほどだ。
「あれっ、遥ちゃん。
 明けましてオメデトーございます」
「明けましておめでとうございます、小野先生。
 ……達也さん、こちらの方は?」
 砕けた年賀を遥に述べたレオに続いて型通りの口上を述べた後、ほのかは八雲に目を向けながら遠慮がちに、達也に訊ねた。
九重寺(きゅうちょうじ)住職、八雲和尚。
 俺たちにはもしかしたら、忍術使い・九重八雲(ここのえ・やくも)師の方が通りが良いかな?
 俺の体術の先生だ」
 達也の紹介を聞いて、ほのかと美月が目を丸くした。ほのかは八雲の名前を知っているだろうと思っていたが、美月が八雲のことを知っていたのは達也にとって予想外だった。
「なるほど、だから日枝神社にしようって話になったんだな」
 そして思わぬ方向に知識を示したレオに、達也はビックリしてしまった。
 それは決して、レオを見くびっていた訳ではない。
「だからって?」
 遥が全く理解できていないことから見ても、およそ一般的な知識ではないのだから。
「んっ? 和尚(かしょう)ってことは、天台宗の坊さんなんだろ?
 山王信仰と台密は切っても切れない関係じゃんか」
 何故そんなことを訊くんだ?、と言わんばかりの顔で簡潔に語ったレオの説明に、遥の頭上に浮かぶ疑問符はかえってその数を増していた。
「君、若いのに良く知ってるねぇ。
 西城レオンハルトくん、だよね?」
 そんな遥を置いてきぼりにして、八雲が楽しそうに、レオに話しかける。
「あれっ? オレのこと、知ってんですか?」
 初対面の相手に対するものとしては至極真っ当な問い掛けをレオは口にした。
 いささか使い古されている感は否めないが。
「九校戦の記録映像を見せてもらったからね」
 対する八雲の返答も、何の捻りもない真っ当なものだったが、レオはそれを聞いて反射的にか、顔を顰めた。
 おそらくあの、時代と場所を間違えたようなマント姿を思い出したのだろう。どうやらあれは彼にとって、忘れたい記憶であるようだった。
 ひとまずお互いの紹介を終わらせて、同級生五人と坊主頭の男性(ただし袈裟は着ていない。着物は普通の男物だ)と若い女性の七人連れはゾロゾロと本殿へ向けて歩き出した。(遥には幸いなことに、同行の経緯を聞かれることは無かった)
 参道の両側にズラッと露店が並んでいる光景は百年前とほとんど変わっていない。だがこれも、世界的な食糧危機が深刻化した時代には姿を消していた風景だ。当時のことを知っている年配の人々には感慨深い景色だが、生憎と達也たちはその様な感傷に縁が無い。
 食べ歩きをするにしても参拝を済ませてからだ。(達也にも深雪にもそのつもりは無かったが)
 長い階段を上って神門をくぐり、拝殿前の中庭に入ったところで、達也は不意に、視線を感じた。
 不躾にジロジロ見る視線ではなく、チラチラと窺い見るような視線。
 中々上手くカモフラージュしているが……
「司波君、心当たりは?」
「初めて見る顔ですね」
「外人さんには達也くんの格好が珍しいのかねぇ?」
 遥と八雲の目を誤魔化せるものではない。まあ、エレメンタル・サイトを使っていない状態の達也が気づいたのだから、遥はともかく八雲が気づくのは当然とも言えるのだが。
 八雲が「外人さん」と言った様に、その相手は典型的な金髪碧眼、そして、若い女性だった。
 ただ今の時代、だからといって外国籍だと決まった訳ではないし、面立ちに何処と無く、日本人的な印象が有る。
 年の頃は達也たちと同じくらいか。コーカソイドとモンゴロイドの人種的な差異を考えれば達也たちより年下と見ることも出来るが、どうやら日本人の血がそれ程薄くも無く混じっている所から判断して、ずっと年下ということは無いだろう、と達也は考えた。
「お兄様、何をご覧になられているのですか?」
 達也がその少女を観察したのは一秒に満たない時間だったが、深雪が気づくにはそれで十分だった。
 兄の視線の残影を辿り、「まあっ!」と言わんばかりに、まなじりを吊り上げる。
「……綺麗な子ですね」
 内心で何を考えているのか丸分かりな平坦な声で深雪が呟いた。
 その女の子は確かに、深雪が「綺麗」と称賛しても嫌味にならない美少女だった。
 色鮮やかな髪と瞳。ある意味、深雪と対照的な美貌だ。
 しかし達也は決してそんなつもりで少女を観察していたのではない。
 彼は助け舟を求めて八雲に視線を投げ――ニヤニヤと年甲斐の無い笑みを刻む口元を見て、自力で何とかするしかないと悟った。
「お前ほどでは無いけどな」
「……いつもいつも、その手で誤魔化せるとは思わないで下さい」
 字面だけ見れば手強い反撃だが、頬を朱に染め目を泳がせながら浮ついた声で言われても余り怖さは無い。
「誤魔化してなどいないさ。俺は本心からそう思っているし、そういうつもりで彼女を見ていた訳でもない」
「もうっ、お兄様ったら!」
 プイ、と顔を背けようとして、深雪は達也の台詞に看過できない含みがあることに気づいた。
「……彼女に何かご不審でも?」
 深雪がさっきとは異なる、強い意思のこもった視線を少女に向けた。
 それを察知したのかどうか、少女は何事も無かったような顔で歩き始めた。
 達也たちの方へ。
 そのまま何も言わずにすれ違い、長い階段へ歩み去る。
 すれ違いざま、意味ありげな視線を投げて来たように見えたのは、決して達也の錯覚ではなかったはずだ。

◇◆◇◆◇◆◇

 短いながらも色々なことがあった冬休みも終わり、今日から三学期。
 その「色々なこと」の中には、空港へ雫の見送りに行って、思い掛けない「涙の別れ」に巻き込まれ(主演:ほのか・雫、助演:深雪・美月)途方に暮れたという、(腕力が通用しないという意味で)とてもハードな体験もあったが、これもいつかは「良い思い出」に変わるはずだ。――そう信じ込まなければくじけてしまいそうだった。
 A組には今日から雫の代わりにそのまま留学生が来るはずだが、とりあえず達也には他人事だった。深雪と同じクラスになる以上、全く無関係とは行かないだろうが、自分の方から関わりに行く意思も無い。
 授業の方はと言えば、三学期の初日から、いきなりフルタイムのカリキュラム。
 その一時限目の終わりに、A組の留学生は早くも噂になっていたが、達也は積極的にアンテナを張るでもなく右から左に聞き流していた。
 しかしそういう超然としたスタンスはやはり少数派で、二時限目の後の休み時間には、物見高い友人によって彼も噂話の渦の中に巻き込まれていた。
「何かすっごい美少女なんだって」
 興奮気味に、あるいは興奮したふりでしきりに話し掛けてくるエリカを、達也はとうとうあしらいきれなくなっていた。
「キレーな金髪でさ、上級生まで見に来てるらしいよ」
「エリカは見に行かないのか」
 取り敢えず、これだけ熱心に語っているにも関わらず、全てが伝聞形、というのが気になったので訊ねてみる。
「あんな人だかりに入って行けないって」
「オメーでも遠慮ってモンを知ってたんだな」
 混ぜ返すと同時に、レオはサッと頭上に手を翳した。
 次の瞬間、音程を外した蛙のような声を発し、喉を押さえて前のめりに身体を折った。
(やられるって分かってんなら余計なことを言わなきゃ良いだろうに)
 丸めたノートで喉に突きを喰らって悶絶するレオを達也が呆れ顔で見下ろす一方、実行犯のエリカは何食わぬ顔で話を続けている。
「あたしは女だからね~
 いくら美少女って言われても、押し合い圧し合いの窮屈な思いしてまで見に行きたいとも思わないのよね」
 わざわざ見に行くつもりになどなれないという点は全くの同感だったが、好奇心を全面的に助平心へリンクする見解に対しては弁護の必要を感じた。――誰を弁護するのか、と訊かれたとしても、達也には答えらなれなかっただろうけれど。
「転校生すら想定していない魔法科高校だからな。
 そこに留学生が入ってくるとなれば好奇心も湧くだろう。
 ここ十年以上無かったことじゃないか?」
「以前のことは知らないけど、今回留学生が来たのは当校だけじゃないみたいだよ」
 そこに口を挿んできたのは、ちょうど幾何準備室から戻って来た幹比古だった。
「第二、第三、第四高校でも短期留学生の受け入れがあったそうだよ。大学の方にも共同研究の名目で何人か来てるらしい。
 ウチの門人が話してた」
「あっ、大学の方の話はあたしも聞いた。
 この前の横浜の件で飛行魔法の軍事的有用性が飛び切りのものだって分かって、焦って探りを入れに来たんじゃないかって噂してたな」
 古式魔法と現代魔法、分野は違えどそれぞれ大勢の門人を抱える吉田家と千葉家は、入ってくる情報量が個人のレベルとはやはり桁違いだ。今の話からすると、USNAは予想を超えて大がかりに人員を投入している。十一月の時点ではスターズが単独で動いているという話だったが、どうやら事態はもう一段深刻化しているようだ、と達也は考えた。
「じゃあA組の留学生もスパイってことか?」
「あんたねぇ……」
 悶絶から復活したレオの身も蓋もない問い掛けに、エリカばかりか美月と幹比古も苦い顔をしている。
「レオくん、そういうことは思っていても言わない方が良いのでは……」
「僕たちも同級生として付き合って行かなきゃならないんだから……」
 美月と幹比古のダブルスにタジタジとなりながらも、レオは何とか反論を試みた。
「いや、付き合うって、そいつA組だろ?
 接点無いんじゃねーの?」
「バカね、A組には深雪がいるじゃないの。
 何年ぶりになるのか分からない留学生と生徒会副会長よ。
 留学生が学校に慣れるまで、どういう形にせよ深雪が面倒を見なきゃ行かなくなるでしょうし、深雪と関わり合いが出来ればあたしたちも無関係じゃ済まないわよ」
 レオの反論は、その場でエリカに一刀両断されてしまったが。
 積極的に関わりたくないと考えている達也も、内心で「そうだろうなぁ」とため息をついた。

◇◆◇◆◇◆◇

 その「関わり」は、思っていたよりも早く出来た。
 いや、予想していた可能性の中で、一番早いものが容赦なく実現した、と言うべきか。
 お昼ご飯の待ち合わせをしていた学食。
 やって来たのは深雪とほのかと、もう一人、金髪碧眼の少女。
 その少女を見て、驚くまでは行かなかったものの、達也は「おやっ?」と思った。
 髪の色や瞳の色は聞いていたし、美少女だという話も散々聞かされていた(そもそも美少女なら見慣れている)。
 彼が意外感を覚えたのはそんなことではなく、彼女が日枝神社で会った――というか見掛けた、あの少女だったからだ。
「ご同席させて貰って、良いかしら」
 少女の口から流れ出たのは流暢な日本語。ややアクセントを強調する話し方は仕方ないとして、流石に日本へ留学してくる――あるいは、留学生を装って潜入するだけのことはある。
「もちろん、どうぞ」
 彼女の目線は達也へ向いている。特に身構える必要性も感じず、達也はざっくばらんに応えた。
「リーナ、まずお皿を取って来ましょう」
「お皿……ああ、食べる物、という意味ね。分かったわ」
 既に達也たちは自分の分を取ってきている。
 深雪に促されて、三人は配膳のカウンターへ向かった。
 その行く先に起こるざわめきは、いつもより尚、大きい気がする。
 他の生徒が気圧されたように道を譲る姿もいつも以上か。
「あの二人が並ぶと迫力あるねぇ~」
 同じように美少女ではあっても見る者を圧倒するというタイプではないエリカが、その光景に感嘆を漏らした。
「随分打ち解けているんですね……」
 今日会ったばかりなのに、と美月は言いたいのだろう。
「なあ、達也……彼女、どっかで見たような気がすんだけど」
「うわっ、古い手口」
 レオの漏らした呟きに、すかさずエリカの茶々が入ったが、レオが少女の美貌にそれほど気を惹かれていないということは分かった上での茶々だったのか、単に言ってみただけなのは明らかだった。
「……そう言えばそうですね」
「あれっ、柴田さんも? 芸能人とかモデルさんってことは……無いよね?」
 美月が相槌を打つのを見て、幹比古がありがちな推測を口にする。
 無論、事実は別にあることを達也は知っていた。
 ただ、この場で友人たちの疑問を解消してやるべきかどうか少し迷っている内に、本人が深雪たちと共に戻ってきた。
「お待たせしました、お兄様」
 当然のように、達也の隣に腰を下ろす深雪。
「達也さん、ご紹介しますね」
 これまた当然のような顔で達也の正面にトレイを置いたほのかが、隣に座った少女の方を向いてそう言った。
「アンジェリーナ=クドウ=シールズさん。
 もうお聞きのこととは思いますけど、今日からA組のクラスメイトになった留学生の方です」
 ほのかの紹介を聞いて、達也――ではなく、他の三人が困惑の表情を浮かべた。
「ホノカ、こちらの方だけでなく、他の皆さんにも紹介して欲しいのだけど?」
 その心情を代弁したのは当の留学生だ。
「え、あっ、ご、ごめんなさい!」
「……まあ、ほのかだしね」
「ほのかさんですしね」
 エリカと美月に、揶揄ではなく、本心からしみじみと呟かれて、ほのかは赤面し、絶句した。
「じゃあ改めて。
 アメリカから来たアンジェリーナ=クドウ=シールズさんよ」
 深雪が二度目になる紹介をすると、留学生は金髪を軽やかに揺らして椅子に座ったまま一礼した。
「リーナと呼んで下さいね」
 そう言って目を細め、華やかな笑みを浮かべた。
 その深い蒼の瞳は、水の青、氷の青ではなく、蒼穹の空を思わせるスカイブルー。
 頭の両脇にリボンで纏めた波打つ黄金の髪は、解けば背の半ばを超えるだろう。もしかしたら深雪よりも長いかもしれない。
 高校一年生にしては大人びた顔つきにそのコケティッシュな髪型は少し不釣り合いな気がしたが、それが逆にシャープな美貌の印象を和らげ、親しみやすさを演出しているような気もした。
 深雪から改めてその名を聞かされ、ゴージャスな笑顔に見とれつつも(特に男子生徒二人)「おやっ?」という表情を浮かべている友人たちの先陣を切って、達也が会釈を返した。
「E組の司波達也です。深雪と区別がつかないでしょうから『達也』で良いですよ」
「ありがとう。ワタシのことも『リーナ』でお願いします。それから、敬語は無しにしてくれると嬉しいのですけど」
「分かった。そうさせてもらうよ、リーナ」
「よろしくね、タツヤ」
 そういう習慣なのか、リーナがテーブル越しに手を伸ばしてきたので、達也はその手を押し戴くように、下からそっと握った。
 ただの握手ではなく貴婦人に接吻の礼を取るような仕草が予想外だったのだろうか。
「タツヤってもしかして、ミユキのお兄さん?」
 スカイブルーの瞳に動揺を浮かべつつ、表情だけは何食わぬ顔でリーナが訊ねる。
 ポーカーフェイスは余り得意ではないらしい、と思いつつ、達也は失笑にならないよう気をつけた笑顔で頷いた。
 ――さっき深雪が達也に「お兄様」と呼び掛けたことについては、敢えて指摘しなかった。
「あたしは千葉エリカ。エリカで良いよ、リーナ」
 こういう時に物怖じしないのは、間違いなくエリカの長所である。
「私は柴田美月です。美月と呼んでください」
「オレは西城レオンハルト。レオ、で良いぜ。
 がさつ者なモンで、こういう口の利き方だけど、気にしないでくれ」
「吉田幹比古です。僕のことも『幹比古』で良いよ」
 彼女に勇気づけられる格好で、美月、レオ、幹比古が次々と自己紹介を口にする。
「エリカ、ミヅキ、レオ、ミキヒコね。よろしく」
 それを聞き返すこともなく、リーナは一度で覚えていた。初歩的だが、相手から好感を引き出す為の第一歩を彼女はキチンとこなしていた。
 ただ、「幹比古」の発音が「ミキ・ヒコ」に聞こえたのは、純和風の名前がアメリカ人の彼女には、やはり難しかったからだろうか。
「言い難いでしょ?
 ミキヒコじゃなくても、ミキで良いんじゃない」
 これを本人が言ったのなら大した気配りだが、他人が、特にエリカが口にすると、親切心ばかりとは思われない。
 少なくとも幹比古本人はそう感じたようで、いつもの反論を口にしようとした。
「あら、そう? じゃあお言葉に甘えて、ミキ、で良いかしら?」
 だが一足先に「良かった」と言わんばかりの笑顔でそう言われて、幹比古はその愛称を受け容れることを余儀なくされた。

 食堂のメニューからわざわざ蕎麦を選択したリーナは、危なげない手つきで箸を操りつつ、時々掛けられる質問に嫌な顔一つせず答えていた。
 このメンバーに不躾な質問をするような人間が混じっていなかった、ということも良かったのだろう。
 そろそろ全員食べ終わろうか、という頃になって、E組メンバーが疑問に思っていたことを代表する形で達也が訊ねた。
「ところでリーナって、もしかして九島閣下のご血縁かい?」
 老師、という呼び名は日本の魔法師の間でのみ通用する言い方だ。また、達也は個人的に、この単語が好きでは無かった。
 なので公的に通用する「閣下」、退役将官であることに由来する敬称で、リーナに訊ねた。
「確か、閣下の弟さんが渡米されて、そのまま家庭を築かれていたと記憶しているんだが」
 まだ魔法師同士の国際結婚が奨励されていた時代のことである。
 当時、世界「最巧」の魔法師の評価を受けていた九島烈の弟が渡米してアメリカ人の魔法師と家庭を持ったのは、少なくとも日本の魔法師の間では結構な話題になった出来事だった。
「あら、良く知ってるわね、タツヤ。
 随分昔のことなのに」
 どうやら達也の推測は当たりだったようだ。
 そして、アメリカ人の魔法師にとって、九島烈の弟がアメリカの地に骨を埋めたのは、どうやら「随分昔のこと」で済まされる事柄らしい、ということも合わせて分かった。
「ワタシの母方の祖父が九島将軍の弟よ」
 将軍の発音が“SHOGUN”に聞こえたのは、決して達也の耳の所為ではない。
 長く日本の魔法師の指導的立場にあった九島烈は、欧米の魔法師から今でもそう呼ばれることがある。いくらクォーターで、いくら日本語が流暢とは言っても、やはり彼女はアメリカの魔法師なのだろう。
「そういう縁もあって、今回の交換留学の話がワタシのところに来たみたい」
「じゃあリーナも自分から希望した訳じゃないんだ?」
 何気なく差し挿まれたエリカの疑問。
 それにリーナが動揺と緊張で反応したのも、多分、達也の錯覚ではなかった。
※和尚〔かしょう〕様という呼び方は正確に言えば天台宗だけのものではないようですから、レオと八雲の会話は厳密に言えば不正確です。


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