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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第五章・来訪者編
5-(1) 交換留学
 北アメリカ合衆国(アメリカ合衆国の北ではなく、北アメリカ大陸を版図とする合衆国)テキサス州ダラス郊外、ダラス国立加速器研究所。全長三十キロメートルの線形粒子加速器で今、余剰次元理論に基づく極小ブラックホール生成・蒸発実験が行われようとしていた。
 準備は二年前に完了していながら、そのリスクが読み切れない事を理由に中々ゴーサインが出なかったこの実験の背中を押したのは、先月末に極東で起こった事件だった。
 朝鮮半島南端において軍事都市と艦隊を一瞬で消滅させた大爆発。
 それは単なる事件ではなく、「大」事件と言っても過言ではない。
 破壊の規模の故ではなく、推定される破壊の手段の故に。
 国防総省の科学者チームは、喧々諤々の議論の結果、この爆発を質量のエネルギー変換によるものと結論付けた。三年前には一部の学者による仮説に過ぎなかったものが、今回は科学者たちの一致した見解となった。
 爆発時にニュートリノの発生が観測されなかったことから対消滅反応によるものではない、という但し書きを付けて。科学者たちは今回ようやく対消滅反応によるものではない質量・エネルギー変換の実在を認める気になったという訳だ。
 その意味するところは、科学技術によるものであれ魔法技術によるものであれ、自分たちが知らない方法で高エネルギー爆発を引き起こす技術を実用化した者がいるということに他ならない。
 この帰結は、USNA首脳部に焦りをもたらした。
 仮にそれが魔法によるものであるなら、同じことが出来ないのは仕方が無い。
 体系化が進んでいるといっても、魔法はやはり属人的なものだからだ。
 だが一体どういう仕組みで引き起こされたものなのかさえ分からないとなれば、対抗策の検討すら出来ない。一度(ひとたび)その牙が自分に向けられれば、為すがままに蹂躙されるしかない。
 それは、悪夢と言ってもよかった。
 質量・エネルギー変換システムの手掛かりだけでも掴めないか……それが極小ブラックホール生成・蒸発実験の実行を後押しする鍵となった。
 ブラックホールの蒸発による質量・エネルギー変換――ホーキング輻射においても、ニュートリノの発生は予想されている。
 しかし、対消滅反応時のニュートリノ発生は観測済みの事実であり、ホーキング輻射に伴うニュートリノ発生は観測未済の仮説である。
 可能性は、ゼロではない。
 そんな儚い根拠で危険な実験にゴーサインを出す程、この時のUSNA首脳部は精神的に追い詰められていた。
 追い詰められて、狂っていたのだ。
 正気であれば、冒す必要の無く、冒すことも無かったリスク。
 その報いが彼らに、否、世界に襲い掛かろうとしていた。
 誰にも気づかれぬまま、ひっそりと、忍び寄っていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 西暦二〇九五年も残すところ一ヶ月となった。
 思えば、目まぐるしい一年だった。
 四月にテロリスト、八月に国際犯罪シンジケート、十月には外国の侵略と戦ったのだ。
 激動、というにも程がある。
 だが、達也にはまだ、今年一年をしみじみと振り返る余裕は無い。
 まだ一ヶ月ある、何事も終わってみなければ分からない、という処世訓的な意味ではなく、もっと差し迫って現実的に。
「……ぐぁーっ! 訳分かんねぇ!」
「五月蝿い! 叫ぶな! 鬱陶しい!」
「レ、レオくんもエリカちゃんも、落ち着いて……」
 学生(あるいは生徒)にとって忌まわしき天敵。
 避けられぬ障碍。
 乗り越えなければならない壁。
 定期試験がやって来るのだ。

 いつものメンバーが集まっているのは雫の家――と言うか、屋敷である。
 達也、深雪、エリカ、レオ、美月、幹比古、ほのか、雫、一人も欠けることなく顔を揃えたのは、定期試験に備えた勉強会の為だった。
 まあ勉強会と言っても、筆記試験に限って言えばこのメンバーのほとんどが成績優秀者。
 唯一の例外と言えるレオも、単に平凡というだけで赤点を心配する必要は無い。(赤点を心配しなければならないのは寧ろ実技の方だ)
 時々奇声が上がるものの、(おおむ)ね和やかなお茶会の雰囲気だった。
 この、雫の爆弾発言までは。
「えっ? 雫、もう一回言ってくれない?」
「実はアメリカに留学することになった」
 慌てて訊き返したほのかに、一言一句変わらぬ台詞を全く同じ口調で雫は答えた。
「留学なんて出来たの?」
 エリカの発言は雫の(語)学力を疑ってのものではない。
 この時代、ハイレベルの魔法師は、遺伝子の流出=軍事資源の流出を避ける為に、政府によって海外渡航を非公式かつ実質的に制限(禁止)されている。
 USNAは表面上同盟国だが、西太平洋地域における潜在的競合国。
 そのアメリカへ留学など、普通に考えれば、認められるものではない。
「ん、何でか、許可が下りた。
 お父さんが言うには、交換留学だから、らしいけど」
「交換留学だったら何故OKが出るんでしょう?」
「さあ?」
 美月の質問はもっともなものであり、一緒になって首を傾げている雫を責めるのは酷というものだろう。
 交換留学だから構わない、というロジックは、達也にもさっぱり理解できなかった。
「期間は?
 いつ出発するんだ?」
 無理に理解しようとしても、情報がまるで足りていない。
 達也は無駄な思考を放棄して、当面の事を考えることにした。
「年が明けてすぐに。
 期間は、三ヶ月」
「三ヶ月なんだ……ビックリさせないでよ」
 雫の答えを聞いて、ほのかが胸を撫で下ろした。
 どうやら彼女は、もっと長期間の留学だと考えていたようだ。
 達也の「常識」では、三ヶ月でも長過ぎる(政府がよく認めたな、という意味で)くらいだったのだが。
 しかし、それもまたどうでもいい事であり。
「じゃあ送別会をしなきゃな」
 達也は「当面の事」を友人たちに提案した。

◇◆◇◆◇◆◇

 十二月は「師走」の語源のとおり、慌しく過ぎていった。(但し師走の「師」は魔法師の「師」ではない。言うまでもないことだが、念の為。また万葉以前は師走という字が見られないことを以って広く流布されている師走の語源を否定する向きもあるようだが、それは「しはす」の語源が「師馳せ」ではないという意味であって、「師走」の語源を否定するものではない。閑話休題)
 定期試験の結果はまたしても、筆記試験で達也が圧倒的なトップを取り一科生(の男子)を盛大に口惜しがらせたのだが、ここでは横に置く。
 十二月二十四日、土曜日。今日は二学期最後の日であり、クリスマスイブである。
 三度目の世界大戦を経た今も、日本人は相変わらず宗教に対して無頓着だ。それはきっと無宗教という意味ではなく、潜在意識下において一神教の絶対神すらも神々の一柱として認識しているということなのだろう。だから正月もクリスマスも、さして変わらぬ感覚で祝う。
 街はクリスマス一色。
 クリスマス商戦一色、と言い換えた方が、もしかしたら正確かもしれないが、そんな風に斜に構えて一人あぶれている方が余程、愚かしいというもの。誰にも相手をしてもらえないというならともかく、可愛い(!)女の子に囲まれていながら天邪鬼を気取って、楽しんでいる友人たちに水を差すのは単なるバカのやることだ。(もちろん、一般的には男性に当てはまることで、女の子であれば「カッコイイ男の子に囲まれて」と言うべきかもしれない)
 そう……例え「送別会」のはずなのに、日にちをわざわざ十二月二十四日に持って来て、目の前には大きな生クリームのホールケーキが置かれていて、ケーキの上には「Merry Xmas」と書かれたホワイトチョコレートの板が飾られていても、それを「おかしい」などと言ってはならないのである。……そもそもこの店の流儀に従えば「Xmas」ではなく「Weihnachten」のはずだが、これもまあ、ご愛嬌というべきか。
「お兄様、何か、気掛かりなことでも?」
 制服なのに、艶やかにドレスアップしているような華やかさを振り撒く妹に、達也は何でもないよ、と首を振った。
 そう、何でもないこと、でなければならない。主賓に不快感を与えるようなことがあってはならない。今日の彼は、もてなす側なのだから。
「飲み物は行き渡った?
 じゃあ、いささか送別会の趣旨とは異なるけど、折角ケーキも用意してもらったことだし、乾杯はこのフレーズで行こうか……
 メリー・クリスマス」
「メリー・クリスマス!」
 落ち着いた声で乾杯の音頭をとった達也に、はっちゃけた歓声で応えて、友人たちはグラスを高く突き上げた。

 喫茶店「アイネ・ブリーゼ」の入り口には「本日貸切」の札が掛かっていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 太平洋を隔てた北米大陸中部では、まだクリスマスイブのイブの夜。そろそろ日付が二十四日に変わろうとしているところだ。
 クリスマスを単なるイベントの一つと捉えている者が大多数を占める日本と比べて、二十年の長きに渡る戦争を経た後でも、あるいは戦争を経た後だからこそ、アメリカ人たちは、戦後新たに「アメリカ人」になった人々も含めて、遥かに真摯に、敬虔に、あるいは熱心に、クリスマスを迎える。人々は明日のクリスマスイブに備えて、早目に、ぐっすりと眠っている――はずだった。
 どんなことにも例外は付き物、と切り捨ててしまえばそれまでだが、クリスマスイブの前日深夜、ダラスの街角に暗躍する人影が在った。
 ビルの屋上から屋上へ、跳び移って行く人の影。
 空を飛んで不審者を包囲する複数の人物。まだ普及が始まったばかりの飛行魔法特化型CAD(飛行デバイス)を使用しているところを見ると、警察、あるいは軍の魔法師か。
「止まりなさい、アルフレッド・フォーマルハウト中尉!
 最早逃げ切れないのは分かっているはずです!」
 そして、逃走者の正面に立ち塞がる小柄な人影。
 投降を呼びかける、甲高い少女の声。
 その小さな身体に何を見たのか、逃走者はピタリと足を止めた。
「……一体どうしたんですか、フレディ。一等星のコードを与えられた貴方が、なぜ隊を脱走したりしたんですか?」
 居丈高な語調から一転、その声に相応しいとも言える、不安と戸惑いを含んだ少し子供っぽい口調で少女が訊ねた。
「…………」
 しかし、答えは返らない。
「この街で起きている連続焼殺事件も、貴方のバイロキネシスによるもの、と言う者がいます。
 まさか、そんなことはしていませんよね?」
「…………」
「フレディ、答えて下さい!」
 答えは、言葉以外で返って来た。
 少女が咄嗟に、飛び退った。
 肩に巻いていたストールを残して。
 大きく広がり少女の身体を隠したストールが、何の火種も無く燃え上がり、燃え尽きる。
 バイロキネシス――発火念力。
 体系化された現代魔法ではなく、かつて超能力と呼ばれた属人的異能力。
 少女がブラックオリーブ(紫黒色)の制服の上にストールを纏っていたのは、そして男を包囲する者たちが全員、思い思いにケープやマントといった脱ぎやすい防寒具を身に着けているのは、本来の用途、寒さを防ぐ為ではなく、視線をキーとして発動するこの男の能力から身を守る為だった。
 ストールの炎が消えると同時に、男の周りから一切の光が消えた。
 対象を中心とする一定の相対距離で光の進行方向を逆転させることで、外界から光が入らない、完全な闇の中に閉じ込める領域魔法「ミラー・ケージ」。
 視線を発動キーとする異能を封じ込める為の防御術式。
「フォーマルハウト中尉、連邦軍刑法特別条項に基づくスターズ総隊長の権限により、貴方を処断します!」
 悲鳴の様な、宣告。
 別の魔法で闇の檻から動けないよう拘束されたフォーマルハウト中尉に対して、スターズ総隊長アンジー・シリウス少佐はサイレンサーのついた自動拳銃を向けた。
 強力な情報強化により一切の魔法干渉が無効化された銃弾は、無明結界の中に捕らわれたフォーマルハウト中尉の心臓を一発で貫いた。

◇◆◇◆◇◆◇

 送別会、と言っても春になれば再会できると分かっている旅立ち、しかも自分たちには普通なら認められない海外留学となれば、寂しさより興味が勝るのも仕方の無いことかもしれない。
「ねっ、留学先はアメリカの何処?」
「バークレー」
 エリカの質問に対する雫の答えは愛想のない地名の一単語だったが、これは雫が不愉快に感じているからではなく、彼女の個性だ。
「ボストンじゃないのね」
 日本人魔法師の間には、アメリカの現代魔法研究の中心地はボストンという認識が根強くある。深雪のこの発言も、そういう背景に発するものだった。
「東海岸は雰囲気が良くないらしくて」
「ああ、『人間主義者』が騒いでるんだっけ。
 最近そういうニュースを良く見るよね」
 雫の回答に幹比古が同調する。
「魔女狩りの次は『魔法師狩り』かよ。
 歴史は繰り返すって言うけど、バカげた話だよな」
 レオが冷めた声で吐き捨てると、宥めるような口調で達也がフォローした。
「全くの繰り返しって訳でも無いんじゃないか。
 十七世紀の魔女狩りの背後にどんな意図があったのかは分からないが、ここ最近の『魔法師狩り』は新白人主義と根が同じみたいだからな。
 だがまあ確かに、東海岸は避けた方がいいかもしれない」
 フォローにもなっていないフォローだったが。
「それは存じませんでした」
「活動団体のメンバーリストを眺めていると結構高い確率で同じ名前が見つかるからね。
 メンバーリスト自体、表で出回っている物じゃないから知らなくても無理はないよ」
「達也くんの話の方がよっぽど犯罪くさいんですけど……暗い話はヤメヤメ」
 わざとおどけて首を振ったエリカに、達也と深雪は苦笑いを浮かべて頷いた。
 確かに少し、場にそぐわないキナ臭い話だったと自覚したのである。
「代わりに来る子の事は分かっているの?」
 雰囲気を変える責任を感じたのか、深雪の話題転換は少し唐突なものだった。
「代わり?」
「交換留学なのよね?」
 案の定、すぐにはピンと来なかったようだが、深雪に重ねて訊ねられ、雫は「ああ」という表情を浮かべた。――相変わらず、分かり難い表情の変化だったが。
「同い年の女の子らしいよ」
「それ以上のことは分からないか」
「うん」
 それだけ? という顔が並ぶ中で、達也が笑いながら訊ねると、雫は当然とばかり頷いた。
「……そうですよね。
 自分の代わりにどんな子が来るのか、いくら気になっても教えてくれる相手がいませんものね」
 美月がそう呟いて、この話題はそれきりになった。

 今日送別会を開いていることからして既に分かっていることだが、ここに集まっている八人が八人とも、他にクリスマス・イブの予定が無い。寂しさに身を寄せ合い友情を一層深める、というマゾヒスティックな誘惑に惹かれないでもなかったが(と言っても全員ではないが)、制服のままで夜更けまで騒ぐ訳にも行かない。
「いつまでも粘っているとマスターに悪いし」
 無邪気、を装った邪気だらけの台詞でマスターを沈没させて(誰が言ったのかは敢えて明らかにしない)、八人は銘々(めいめい)に家路を辿った。
 ほのかが雫と同じ電車(キャビネット)に乗ったのは、雫の家に泊まるからだろう。魔法科高校では珍しくもない話だが、ほのかも両親と縁が薄いようだ。
 エリカ、レオ、美月、幹比古は一人ずつ別々の車両に乗り込んだ。少しくらいハプニングが起こる可能性を期待しないでもなかったが、自分が期待に背いて相手に期待するのは虫が良いというものだろう。
 それが、誰とは言わないが。
 そして達也と深雪は、番狂わせを期待しようもなく予想を裏切るはずもなく、二人乗りのキャビネットに仲良く隣り合わせで家に帰った。キャビネットの中は建前上プライバシー空間、とは言うものの、「壁に耳あり」という諺を達也は忘れたことがない。込み入った話をする時はいつも、固有名詞をぼかしている。それは深雪も弁えており、物問いたげな雰囲気を漂わせながら、実際に話題を振って来たのは自宅の敷居をまたいで居間に落ち着いた後だった。
「今回の雫の留学、わたしにはどうにも奇妙な話に思えるのですが」
 お互い部屋着に着替え、深雪が二人分のコーヒーを用意してソファに並んで腰掛けてから、深雪がそう切り出した。
「腑に落ちない?」
「ええ……そうですね。納得できないところがある、というのが正直なところです」
 コーヒーカップから口を離した達也に無言で促されて、深雪は躊躇いがちに自らが思う疑問点を並べた。
「まず雫ほどの魔法資質を持ちながら留学が認められた、という点が不自然です。
 先程までは魔法を学ぶ者としての留学ではなく、大実業家の娘としての留学かと納得しておりましたが、それならば代わりに留学してくる相手のことを知らないというのはおかしな話です。
 考えてみれば、この時期にいきなり留学の話が持ち上がるというのも、裏があるような気がしてなりません。
 何だかまるで……」
「マテリアル・バーストに関して、俺たちに探りを入れる為の裏工作の様な気がする?」
 言い淀んだ台詞がそっくり兄の口から語られるのを聞いて、深雪は目を丸くすると共に、何処か安堵したような笑みを浮かべた。
「そうですか……お兄様も、そうお考えなのですね?」
「叔母上の忠告もあるからね」
 達也に指摘されて、深雪は「あっ!」という表情で小さく開いた口に片手を当てた。
 達也と真夜の一対一の会談の内容は、深雪にもその日の内に教えてある。
「では、スターズが……?」
「こうなると、少佐たちとの接触を禁じられているのが痛いな」
 達也は事前の許可なく戦略級魔法を使用した罰として、当分の間、独立魔装大隊とのコンタクトを真夜に禁じられている。
 大人しく言う事を聞くつもりなどサラサラないが、リスクに見合うリターンがない限り、敢えて言いつけに背くつもりもなかった。
「叔母様にお訊ねしても……教えては下さらないでしょうね」
「そもそも留学の話が実現しようとしている時点で、叔母上がこの事態を黙認しているのは明白だよ」
 四葉は現十師族で七草と主導的地位を争う地位にある。
 優秀な魔法資質を持つ魔法科高校生の留学という例外措置を知らないはずがない。
「ただ逆に言えば、俺たちのデメリットになるばかりの話ではない、ということだと思うよ。
 探りを入れに来るだけの相手を、叔母上が許すはずもないからね。
 多分、向こうでも何かトラブルが起こっているんだろう。
 俺たちにその尻尾を掴め、と叔母上は言いたいんじゃないかな」
 達也の表情は苦笑いというより諦めの笑い顔に近かった。
「まだそうと決まったわけでもありませんし……先走りすぎても良いことはないかと」
「そうだな、深雪。お前の言うとおりだ」
 口ではそう言いながら、慰めた方も慰められた方も、それが気休めでしかないことを確信していた。

◇◆◇◆◇◆◇

 スターズ専用機のクラスターファンVTOLで基地に帰投し、統合参謀本部に暗号通信で報告を済ませた後(スターズは軍令上統合参謀本部直属の組織)、アンジー・シリウス少佐は制服のまま自室のベッドにゴロリと寝転がった。
 そのまま寝返りを打ち、うつ伏せに、顔を枕に押し付ける。
 処刑任務は、何回経験しても慣れない。
 最初の頃の様に任務終了後、吐いてしまうことは無くなったものの、それは心の痛みに身体が慣れたに過ぎない。
 心の痛みは、寧ろ大きくなっていた。
 二重の意味で同胞である隊員を、この手で処刑する。
 それが総隊長、シリウスのコードを与えられた者の任務だと聞いた時は、実感が無かった。
 名誉に舞い上がって、解っていなかったのだ。
 同胞を殺す、ということの意味を。
 もう一度寝返りを打って、片腕で目を光から庇う。
 彼女はまだ、部屋の照明を落としてすらいなかった。
 不意に、呼び鈴の音が聞こえた。
 シリウス少佐は口元に苦笑いを浮かべた。
 どうやら今夜も、お節介な部下が様子を見に来たらしい。
 スターズは十二の部隊から成り、形式上各隊長を総隊長が統括している。
 彼女の部下は自分の部隊の面倒を見なければならない隊長だ。彼女にお節介を焼いている暇など無いはずなのに――
「どうぞ」
 ベッドから起き上がり、リモコンで鍵を開けて、シリウス少佐はドアホンのマイクに向かい短く答えた。
「失礼しますよ、総隊長」
 入って来たのは予想どおりの人物。
 アメリカ軍魔法師部隊・スターズのナンバー・ツーで、彼女が不在の際は総隊長を代行兼務する第一隊の隊長、ベンジャミン・カノープス少佐だった。
 スターズは地位と階級がリンクしていない、軍組織としては変則的な編制になっている。流石に隊長の地位が総隊長の地位より高いということは今まで無かったが、総隊長と隊長の階級が同じというのは珍しくない。
 現在も十二人の隊長の内、六人が大尉で残りの六人が総隊長と同階級の少佐だ。
 もっともシリウス少佐は、自分よりずっと年長のカノープスと同じ階級であることを、逆に気に病んでいるところがあった。
「差入れです」
 ベンジャミン・カノープス少佐は如何にも高級士官という外見の、叩き上げの兵士とも民間のビジネスマンとも異なる、剛健でありながらスマートな雰囲気を身に纏う四十前後の男性だ。
「ベン、ありがとうございます」
 サイドテーブルに置かれた、湯気を上げるハニー・ミルク。
 自分の父親の様な年齢の部下が示す気遣いを、シリウス少佐は素直に受け取った。
 作戦行動中に使用する軍の備品のタンブラーではなく、魔法瓶から市販のお洒落なマグカップに注がれた蜂蜜入りホットミルクに、そっと口をつける。
 暖かさと甘味が、心の痛みを癒してくれるような気がした。
「総隊長、もう準備は終わっているんですか?」
 カノープス少佐は、部屋の隅に積み上げられた個人用のパッケージコンテナを見て、そう訊ねた。
「ええ、大体は」
「流石に手際が良いですね」
「これでも女の子ですから」
 自分の娘の様な年頃の上官の答えに、実際に彼女より二歳年下の娘を持つカノープス少佐は肩を竦めた。
「女の子だからというのは、余り関係ないような気がしますが……日本の血ですかね?」
「日本人だから几帳面というのは昔の話だと思いますよ」
 自身に流れる四分の一の血を言われて、今度はシリウス少佐が肩を竦める番だった。
 別に嫌がっている訳ではない。
 人種を気にするような人間は、少なくともこのスターズではやって行けない。
「まあ、それはともかく……しばらく因果な任務のことは忘れて、のんびり羽を伸ばして下さい」
「休暇じゃなくて特別任務なんですけど……」
 お気楽なカノープス少佐の唆しに、シリウス少佐は唇を尖らせた。
 その表情は、年相応な少女のものだった。
「寧ろ憂鬱です。何故私が不慣れな潜入捜査など……年齢の制約があるにせよ、それでも、専門の訓練を受けている者がたくさんいるでしょうに」
「まあまあ」
 ため息をつく上官を宥めるような仕草で、カノープス少佐は両手を二度前後して見せた。
「それだけターゲットが一筋縄じゃ行かない相手だと参謀本部は考えているんでしょう。
 だから余計に、楽しまなければ損だと思いますよ」
「はぁ……そうですね。ベンの言うとおりかもしれません」
 大きくため息をついて、シリウス少佐はマグカップをサイドテーブルに戻し、カノープス少佐の正面に立ち上がった。
「ベン、留守中のことはよろしくお願いします。
 本来私が負うべき責務を貴方に背負わせるのは心苦しいのですが、私の代わりをお願いできるのは貴方しかいませんので」
「お任せ下さい、総隊長。
 まだ少し早いですが、いってらっしゃい」
 慈しみのこもった笑顔で敬礼するカノープス少佐に、少女は感謝の笑顔で答礼した。


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