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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第四章・追憶編
4-(10) カタストロフ ~ & epilogue ~

 西暦二〇九五年の横浜事変は、西暦二〇九二年の沖縄侵攻作戦の延長上にあり、三年前の敗戦――あるいは「作戦失敗」――を挽回する為に企図されたもの、との見方が一般的である。
 しかし、横浜侵攻作戦に続く一連の軍事行動が、「沖縄海戦」の再現で幕を閉じたのは、歴史の皮肉と言うべきか。

◇◆◇◆◇◆◇

 風間の指揮する恩納空挺部隊に同行した達也は、侵攻軍を水際まで追い詰めていた。
 普通なら、達也が同行した恩納空挺部隊は、と表現すべきかもしれない。
 だが、僅か一個小隊の歩兵集団(厳密には歩兵ではないが)の先頭に立つ、フルフェイスのヘルメットとアーマースーツに全身を隠した小柄な魔法師が侵攻軍を潰走させているのは、この場にいる、敵の目にも味方の目にも明らかだった。
 それは、戦闘と表現するには些か一方的に過ぎる殺戮。
 しかし同時に、虐殺と呼ぶには(むご)たらしさが欠如している。
 血が、流れない。
 肉が、飛び散らない。
 血肉を焼く臭いすら、五体を引き千切る爆音すら、存在しない。
 戦場は、奇妙な静寂に支配されていた。
 侵攻軍の放つ銃弾が、手榴弾が、携行ミサイルが、防衛軍の戦列に届く前に、空中に溶けて消える。
 尚も踏み止まり、狂ったように引き金を引いていた侵攻軍の兵士が、一人、また一人と、次々にぼやけ、歪み、消え失せる。
 彼の背後に続く防衛軍の兵士は、今や引き金を引くことも忘れて、現実感に乏しいその光景に見入っていた。
 同僚が次々と消え去っているにも関らず、現実感を持てずにいるのは侵攻軍の兵士も同じだった。
 流血、惨死体によって引き起こされるはずの本能的な恐怖が刺激されないから、侵攻軍は得体の知れない不安に蝕まれながらも中々降伏しようとしない。
 それは、達也にとって望むところだった。
 侵攻軍にハイレベルの魔法師が従軍していれば、ここまで一方的な展開にはならなかっただろう。
 むざむざ侵攻を許した日本側だけでなく、まんまと奇襲を成功させた(かに見えた)侵攻軍の側にも、この点、油断があったと言える。
 ――だからと言って、達也が手心を加える理由にはならないが。
 彼の精神は現在、一種の狂乱状態にある。
 破壊と殺戮に対して、一切の(たが)が外れている。
 殺人に対して、まるで禁忌を覚えていない。
 歩くように、壊し、殺す。
 否、消し去る。
 彼も、動揺を知らない訳ではなかった。当然だが、いかなる衝撃にも揺さぶられない不動心には、程遠い。
 妹が殺されかけた光景を見て、彼は深いショックを受けていた。
 彼の魔法は、如何なる致命傷であろうと一瞬で、無かったことに出来る。
 だが彼の「再成」を以てしても、死者を蘇らせることはできない。生死は不可逆に連続しているものであり、「死」は「生」の内在的変化。死体に「再成」をかけても傷の無い死体が出来上がるだけで、死者が生き返ったりはしない。
 例え心臓が止まっていても脳死に至っていても、あるいは首が千切れていても、その直後であるならば蘇生は可能だ。
 即死の致命傷であっても、肉体を再建し血液を循環させることで蘇生する可能性が完全にゼロで無い限り、彼の「再成」は死者を生に呼び戻すことが出来る。
 だが、死が定着してしまった後では、どうすることも出来ない。
 もし、間に合わなかったら……その恐怖は、彼をパニックに陥れるに十分なものだった。自分自身の死を含めて、他の事であるならば事実上「真の恐怖」という感情を持ち合わせない――正しくは奪い取られている――達也にとって、深雪を失うという恐怖は、他の恐怖を知らないが故に余計、彼の心を強く、深く、大きく揺さぶった。どんなに落ち着いて見えても、彼は今、その反動により激昂していた。
 他の感情が機能しないが故に、冷静に、効率的に、一切の躊躇いを捨てて報復を行う。
 それは謂わば、理性的な狂乱。
 唯一つの目的にコントロールされた狂気。
 相手が降伏しないことで、彼の狂気は貪欲に敵の命を呑み込んでいた。

 潰走する侵攻軍の戦線は崩壊状態と表現して差し支えのない状態にあったが、侵攻軍の指揮系統まで崩壊してしまっている訳ではない。
 侵攻軍の指揮官は、最早橋頭堡を維持できないと判断し、海上への撤退を命じた。
 我先に上陸舟艇へと乗り込む侵攻部隊の兵士たち。
 一歩、一歩、着実に歩み寄って来る魔神の手から逃れる為に。
 そこに、死神が大鎌を振り上げて待っているとも知らずに。
 逃げ出すのに忙しく反撃が止んだ侵攻部隊を前に、達也の足も止まった。
 急に自分たちの役目を思い出したのか、恩納空挺隊が斉射陣形を作り上げる。
 だが「撃て!」の命令が下されるより早く、達也から景色を歪める「力」が放たれた。
 視界、つまり光波に余波を及ぼすような強い干渉力を放つ魔法師がいない訳ではない。
 本当に優秀な魔法師は意図した事象改変以外に「世界」を乱すような力は使わないものだが、パワーに比して熟練度に劣る若手の優秀な魔法師は、時々そのような意図せざる事象改変を引き起こす。しかしこの場において生じたのは、全くの、物理的な副次作用だった。
 小型の強襲上陸艇が、中に呑み込んだ兵員ごと塵となって消えたのだ。
 景色が歪んで見えたのは、上陸艇の一部がガスとなって拡散した所為で空中に密度の異なる気体層が形成され、光の屈折現象が発生したことによるもの。
 次の艇で逃走しようと先を争って乗船していた敵兵が、揃って動きを止めた。
 水を叩く音は、手にした武器を海に投げ捨てた音。
 水音と地面を叩く音は、連鎖的に広がった。
 白い旗が揚がる。
 達也の背後で、射撃命令の代わりに、射撃姿勢待機の命令が下された。
 達也はそれを見て、右手を白旗の旗手に向けた。
「バカ、止めろ!」
 声と共に、隣から手が伸びてきた。
 達也はその手を逃れるべく、腕を下げて身体を捻った。
 だが、避けたはずの右腕は伸びてきた左手にしっかり掴まれた。
「敵に戦闘継続の意思はない!」
 そんなことは言われなくても分かっていた。
 彼を制止した相手もフルフェイスのヘルメットを被っていてその容貌は見えなかったが、聞いたことの無い声だった。
 少なくとも、風間大尉や真田中尉ではない。
 もっとも、風間に止められたところで、達也に敵の殲滅を中止する意思は無かった。
 敵が投降するというなら、継戦意思の放棄が確認される前に皆殺しとするまでのこと。
 幸いまだ、敵の中には武器を手放していない者が残っている。
「止めろというのだ!」
 しかし達也は、CADの引き金を引くことが出来なかった。
 突如視界が回転し、分解対象の座標を見失った。
 背中に強い衝撃。
 投げられたのだ、と覚った。
 すぐさま起き上がろうとして、既に自分が押さえ込まれていることを認識した。
「これ以上は虐殺だ。そんな真似は許さんぞ」
 ヘルメットの鼻先に拳銃が突きつけられている。
「落ち着け、特尉。柳も銃を引っ込めろ」
 この声には聞き憶えがあった。「特尉」という呼称も記憶にある。民間人を実戦に加える訳には行かないと、出動にあたり便宜的に与えられた地位だ。他ならぬこの声の主、風間大尉から。
「特尉、出動の際の条件は覚えているな?」
 もちろんこれも、記憶していた。
 沸騰していた頭が、少し冷えた。
 戦う意思はそのままに、破壊と殺戮への欲求が収まった。
「了解です」
 達也がそう答え、CADの引き金から指を外したのを見て、柳は手と膝を使った押さえ込みを解いた。

 ◆ ◆ ◆

 上陸部隊の投降により、直接武装解除に当たる風間の部隊だけでなく、迎撃に出動していた他の部隊の間にも安堵感が広がったのは、仕方の無い側面があるにしても些か気が早過ぎた。
「指令部より伝達!」
 風間の許へ通信兵が駆け寄った。ヘルメットを脱いだその顔は、強張っていた。
「敵艦隊別働隊と思われる艦影が粟国島北方より接近中!
 高速巡洋艦二隻、駆逐艦四隻!
 至急海岸付近より退避せよとのことです!」
「通信機を貸せ」
「はっ!」
 通信兵の声は、必要以上に大きかった。
 武装解除に当たっていた隊員も固唾を呑んで彼らの隊長を見詰めている。その隙に逃亡を企てる敵兵がいなかったのは、達也にとって、実は残念なことだった。(彼が殺気を隠そうともしていなかったから、反攻を企てる敵兵がいなかったのかもしれない)
「風間です。
 ……二十分ですか。捕虜は如何致しましょう?
 ……了解しました」
 風間は顔から通信機を離すと、一つ、息を吸い込んだ。
「予想時間二十分後に、当地点は敵艦砲の有効射程内に入る!
 総員、捕虜を連行し、内陸部へ退避せよ!」
 達也は耳を疑った。
 移動用の車両も無く、味方よりも数の多い捕虜を抱えて、僅か二十分で一体どれだけの距離を逃げられるというのか。
 ヘルメットを脱いだ風間の顔に、苦渋や懊悩は窺われない。断固とした命令者の威厳が鉄の仮面を作っている。
 だが、彼が捕虜連行の命令を苦々しく思っているのは、他心通など使えなくても明白だった。
「特尉、君は先に基地へ帰投したまえ」
 短い指示のその声が、殊更無感情だったのが彼の推測を裏付けている。
 少なくとも達也は、そう思った。
 帰投、という表現を使っているが、これは逃げろという意味だ。
「敵巡洋艦の正確な位置は分かりますか?」
 達也は風間の指示に頷く代わりに、ヘルメットを被ったまま、そう質問した。
「それは分かるが……真田!」
 何故だ、とは、風間は問わなかった。
 その代わり、戦術情報ターミナルを背負った部下の名を呼んだ。
「海上レーダーとリンクしました。
 特尉のバイザーに転送しますか?」
「その前に」
 真田の風間に対する質問を、達也が途中で遮った。
「先日見せていただいた射程伸張術式組込型の武装デバイスは持って来ていますか?」
 真田がバイザーをあげて、風間と顔を見合わせた。
 風間が頷き、真田は達也へ視線を戻す。
「ここにはありませんが、ヘリに積んだままにしてありますから五分もあれば」
「至急持って来ていただけませんか」
 届きますが、という真田の台詞をぶった切って、達也は少年らしい性急さでそうリクエストした。
 そして達也は風間へと顔を向け、顔を隠したままのヘルメットから有線通信用のラインを引っ張り出し、差し出した。
 風間は眉を顰めただけで、何も言わずにヘルメットを被り直し、同じようにラインを引き出してコネクターの端子を噛み合わせた。
『敵艦を破壊する手段があります』
 部下の見ている前で持ち掛けられた内緒話は、思い掛けない爆弾発言で始まった。
『ただ、部隊の皆さんに見られたくありません。
 真田中尉のデバイスを置いて、この場から移動していただけないでしょうか』
 風間から達也の表情は見えない。
 有線通信越しでは、声音も上手く伝わって来ない。
 判断の材料となるのは、口調と、僅かな付き合いから読み取った為人(ひととなり)のみ。
『……いいだろう。但し、俺と真田は立ち合わせて貰う』
『……分かりました』
 撤退する部隊の指揮はどうするんだ? と達也は思ったが、すぐに、それは自分の考えることではないと思い直した。
 撤退の指示を出し、先程自分を投げ飛ばした柳という名の士官に指揮権を移譲する傍らで、達也は武装デバイスの到着だけを待っていた。

 ◆ ◆ ◆

 迎撃部隊の慌しい撤退風景は、防空指令室のモニターでも見ることが出来た。
 無論、その映像を窓一杯に映し出している深雪たち親子にも。
 部隊が捕虜を引き連れて移動を開始する中、三人の人影がその場から動く気配を見せない。それを見て、深雪が息を呑んだ。
 その内の一人が、彼女の兄だったからだ。
 顔はスモークバイザーに隠れているが、背格好だけで見間違うことは無い。
 ギュッと奥歯を噛み締めたその横顔を見て、本当は彼女が何を言いたいのか、桜井には手に取るように分かった。
 それを、可哀想だと思った。
 まだ十二歳でしかないのに、言いたいことを口に出来ない。
 兄を助けに行って、という、我侭ですらない人として当たり前の想いすら言葉に出来ない。
 何故達也があの場に残っているのか、それは桜井には分からない。
 しかし、推測ならば出来る。
 おそらく彼は、接近する敵の艦隊を何とかする手段を持ち合わせているのだ。
 普通ならばありえないことだが、特定分野に突出した性能を見せる四葉の、直系の魔法師であるなら考えられないではない。
 普通の魔法は使えなくても、彼は現に、人体をまるごと修復するという非常識な魔法を――深夜によればあれは魔法ではないそうだが――他ならぬ桜井自身に使って見せたのだから。
 だが彼が、「魔法師」としては低い能力しか持ち合わせていないのも、紛れも無い事実。
 実戦魔法師として平均的な技能を持つ者なら普通に使いこなせる対物障壁も、満足に使いこなせない。
 さっきは銃弾・砲弾を個別にか総体的にか、とにかく全て識別して消し去るという、人間の限界に喧嘩を売るような離れ業で敵の攻撃を無効化していただけだ。どうやってかは分からないし、それはそれで凄いと思うが、もし達也が何十キロも離れた地点から敵艦隊を無力化する魔法――もしそれが可能なら戦略級魔法に相当する――を行使しようとしているのなら、さっきと同じ方法で身を守ることは出来なくなるだろう。
「奥様、お願いがあります」
 そう思い至った時、自分でも意識しない内に、その言葉は滑り出た。
「なにかしら」
 突然のことだったにも関らず、深夜の声には少しも不自然なところが無かった。
 まるで桜井の「お願い」の内容まで、既に知っているような口調だった。
「達也君を迎えに行きたいのですが」
 スクリーンに釘付けになっていた深雪が勢い良く振り返った。
 彼女の桜井を見る目は、大きく見開かれていた。
「それは、今、あそこに、迎えに行きたいということ?」
 深夜の声には、やはり、意外感が無い。
 彼女の固有魔法は精神干渉であって読心能力は無いはずだ。
 もしかして奥様も……という、脳裏を過ぎった都合の良い考えを、桜井は意識から振り払った。
「はい」
「穂波」
 深夜が桜井のことを名前で呼んだ。それは随分、久し振りのことだった。
「貴女は私の護衛なのだけど?」
 その貴女が私の側を離れるの? と言外に問う。
 深夜としては当然の問い掛けであり、桜井としては答えられない問い掛けだった。
「……す」「まあ、いいわ」
 すみません、と、桜井が口にしようとした、どちらとも取れる謝罪に言葉を被せて、深夜が鷹揚に頷いた。
「敵艦を放置しては、この基地も安全かどうか分からないものね。
 達也はアレをやるつもりのようだから、その手伝いに行ってらっしゃい」
「あれ?」
 この質問は反射的なものだった。
 どうやら深夜は、達也が何をやろうとしているのか知っているようだ。
 改めて考えてみれば、母親なのだから当たり前なのかもしれないが。
「どうするのかは知らないけど、何か考えがあるのでしょう。
 あの子は、目端は利く方だから」
 どうでも良さそうな言い方だった。
 それでも、母親が息子を自慢しているのだ、と桜井は思った。
「ありがとうございます」
 そうであって欲しい、と思いながら、桜井は丁寧に頭を下げた。

 ◆ ◆ ◆

 二十年にわたる先の大戦期間中に、戦闘艦のメインウェポンは艦載ミサイルからフレミングランチャーに換わった。(当初はレールガンという呼び方をされていたが、大型化に伴い名称が変更された)
 現代の艦砲射撃はフレミングランチャーから爆弾を連続射出するスタイルだ。火薬砲より連射性が圧倒的に優れている上、推進剤と推進機関の重量を運ぶ必要が無いから爆薬類の積載量をミサイルより大きく出来る。(なお射程距離は火薬砲と変わらないか、寧ろこれに劣る。フレミングランチャーは連射性を重視した兵器だからであり、連射性を維持しつつ射程を延ばすと、反動が艦体に与える悪影響を無視出来なくなるからだ)
 最新鋭戦闘艦の対地攻撃力は百年前の十倍以上と言われている。フレミングランチャーの有効射程内に侵入されれば、単艦でも街は火の海となる。
 市街地攻撃だけでなく、ランチャーの連射性は陣地攻撃にも有効だ。二隻の巡洋艦から集中砲撃を浴びれば、並以下の魔法師ではひとたまりも無い。
 時間との勝負であることは達也にも分かっている。彼は手許に届いた射程伸張術式付き武装デバイス、特化型CADを組み込んだ大型狙撃銃のマガジンを引き抜いて、更にその中から弾丸を手早く取り出した。
 弾丸を一つずつ、合掌するようなポーズで両手に持ち、再びマガジンに込め直す。
 見ている風間たちには、何をしているのかさっぱりだ。強大な魔法が作用していることだけは辛うじて感じ取れるが、どんな術式が動いているのか、推測することも出来ない。
 多分、風間たちでなくても分からなかっただろう。予備知識無しで達也が今何をやっているのか見抜く魔法師がいたなら、そちらの方が驚異的だ。
 達也がやっているのは、銃弾を一旦元素に分解し、それを元通りに再構成するという作業。
 五発の銃弾を全て込め直し終えるまで、二分の時間が掛かっている。
「敵艦有効射程距離内到達予想時間、残り十分」
 武装デバイスの準備を終えた達也に、真田が猶予時間を告げた。
「敵艦はほぼ真西の方角三十キロを航行中……届くのかい?」
「試してみるしかありません」
 真田の問い掛けに達也はそう答えて、武装デバイスを仰角四十五度に構えた。
 風の影響は度外視して、とにかく距離を稼ごうという構え。
 その体勢で魔法式を展開する。
 銃口の先にパイプ状の仮想領域が展開される。
 通り抜ける物体の速度を加速する仮想領域魔法。
 仮想領域の作成に時間が掛かっているものの、構築された仮想領域のサイズに、真田は満足して頷いた。
 加速効果を持つ仮想領域の長さが長ければ長い程、射程伸張の効果は上がる。この長さならあるいは、射程三十キロに届くかもしれない。
 だが、達也が展開している魔法は、それで終わりではなかった。
 物体加速の魔法領域のその先に、もう一つの仮想領域が発生した。
「なんと……!?」
 物体加速仮想領域の作用工程は三つ。
 その領域内に侵入した物体の見かけ上の慣性質量を引き下げる。
 速度を引き上げる。
 見かけ上の慣性質量を元に戻す。
 この慣性質量の操作と速度の操作の倍率が、魔法師の入力する変数となっている。
 今、達也が追加した仮想領域の性質も、基本的にはこれと同じ。
 だが、慣性質量操作の倍率がプラスに指定され、速度の倍率が等倍に、慣性質量の復元が無効化されていた。
 つまり、達也が追加した仮想領域は、真田が設計した加速の為の仮想領域魔法を、慣性質量増大の仮想領域魔法にアレンジしたもの。
 それを即興で成し遂げたということだ。
「信じられんことをする少年だな……」
 真田の呟きは、狙撃銃の発射音にかき消された。
 見えるはずのない超音速の弾丸を、目で追いかけるようにして沖を見詰める達也。
 やがて彼は、落胆したように首を振った。
「……ダメですね。二十キロしか届きませんでした」
 どうやって弾道を追ったのか。
 淡々とした声音だが、やはり、ガッカリしているのだろう。あるいは自分のことを、不甲斐無いと感じているのか。
「敵艦が二十キロメートル以内に接近するのを待つしかありません」
 その発言を聞いて、真田の顔色が変わった。
「しかしそれでは、こちらも敵の射程内に入ってしまう!」
 巡洋艦に搭載されるフレミングランチャーの有効射程距離は十五キロから二十キロ。ランチャーの射程距離は艦が許容する反動、つまり艦の形状とサイズに制限されるから、メーカーの違いを問わず、艦種からほぼ正確に予測できる。
 二十キロメートル以内というのは、その射程内だ。
「分かっています。
 お二人は基地に戻ってください。
 ここは自分だけで十分です」
「バカなことを言うな! 君も戻るんだ」
 ここは敵が橋頭堡に選んだ地点であり、最後に敵と交戦した地点でもある。
 敵がここを攻撃してくるのは、ほぼ確実。
 敵艦の射程外から攻撃できるならともかく、撃ち合いになったらこちらの生存は絶望的だ。
「しかし、敵艦を撃破しなければ基地が危ない」
 同時に、そこにいる家族も。
「だったらせめて、この場から移動しよう」
 達也が何に拘っているのか、何を護ろうとしているのか、理解出来ない二人ではない。
「ダメです。今から射撃ポイントを探している時間はありません」
 しかし真田の提案は、彼自身にも分かっている理由によって、却下された。
「我々では代行できないのか?」
 黙って二人の会話を聞いていた風間が、沈んだ声で達也に訊ねた。
「無理です」
 返って来たのは、予想通りの、それ以外にはない答え。
「では、我々もここに残るとしよう」
 予想外だったのは、この答え。
 達也にとって、風間の即答は思いもよらないものだった。
「……自分が失敗すれば、お二人も巻き添えですが」
「百パーセント成功する作戦などあり得んし、戦死の危険性が全く無い戦場もあり得ない。
 勝敗が兵家の常ならば、生死は兵士の常だ」
 何の力みも無く、風間はそう語った。
 葉隠の有名な一節に通ずるその台詞は、説得を断念させるに十分な威力を有していた。

 沖合いに、水柱が立った。
 敵の艦砲射撃の、試し撃ち。
 最早、達也も、風間も、真田も、何も言わない。
 敵の正確なポジションは、バイザーに表示されている。
 風向も、風速も、射撃に影響を与える諸元が数字の羅列で示されている。
 達也は武装デバイスを構えた。
 弾道射撃の、ある意味、盲撃(めくらう)ちの構え。
 銃弾の飛行時間(と落下時間)を考慮すれば、相手は既に射程内だ。

 達也は仮想領域魔法を発動し、

 続けて四回、引き金を引いた。

 四回の射撃はその都度、僅かに銃口を動かして、風の影響による照準誤差を補うように撃っている。
 もっとも最初から照準など有って無いような弾道射撃。
 どんなに偶然が味方しても、精々敵艦の側に落ちるくらいだろう。
 ――そして、最初からそれで、構わないのだ。
 達也は四発の銃弾の動きを頭の中で追う。
 正確には、意識領域、無意識領域を通して、情報の次元に視える銃弾の情報を追いかける。
 彼自身の手で、彼だけの魔法で、分解し再構成した銃弾。
 その構造情報はどれだけ離れても、見失うことはない。
 達也は四発の銃弾のうち一発が、敵艦隊の中央に落下していく「情報」を捉えた。

 達也は銃弾の行方を追うだけで精一杯だった。
 風間と真田は、何らかの大規模な魔法を行おうとしている達也の邪魔をしないように距離を取っていた。
 だから、当然予想された、そして予想していたその事態に、二人の魔法を以って対処する以外の選択肢は無かった。
 敵は既に、試射を済ませている。
 ならば次に来るのは、弾道を修正した砲撃だ。
 達也の射撃より低い弾道で撃ち込まれた爆弾は、達也の銃弾が届くより早く、彼らに襲い掛かった。
 古式魔法の術者である風間は、対物干渉力がそれ程高くない。(寧ろ低い)
 本質が魔法師ではなく魔工師である真田は、対物干渉力自体は高くてもスピード面で追いつかない。
 このままでは達也が敵艦隊を撃破する前に、こちらが限界に達してしまう――
「援護します!」
 雨と降り注ぐ爆弾の中に、バイクで割り込んで来た人影があった。
 女性用のアーマースーツに身を固めたライダーは、バイクを乗り捨てるや否や、そう叫んで全身からサイオン光を迸らせた。
 敵艦隊を殲滅する魔法に精神を集中していた達也は、その声を聞いて心の片隅で驚き、安堵していた。
 驚きは、桜井が母親の側を離れたことに対して。
 安堵は、彼女の庇護の下で自分の術式に専念できる事に対して。
 調整体魔法師「桜」シリーズ。
 その特性は、強力な対物・耐熱防御魔法。
 伝え聞く十文字家の「ファランクス」の様な、高度にテクニカルな魔法は使えないが、一つ一つの対物・耐熱魔法の単純な防御力は国内魔法師中トップクラス。
 穂波はその中でも頭一つ飛び抜けた性能を少女の頃から発揮していた。
 それ故に、ただ一人の精神構造干渉魔法の使い手である、貴重な魔法師の護衛役として選ばれたのだ。
 直撃コースの砲弾が、海の上に叩き落された。
 陸に届く砲撃は無くなった。
 運動量を相殺する魔法が数百メートル先で次々に発動しているのだ。
 その様子を肉眼で見ながら、達也は銃弾が敵艦隊のすぐ上空に到達したのを心眼で識った。
 達也は右手を前に突き出し、西を指差し、その掌を力強く開いた。

 銃弾が、エネルギーに分解された。

 質量分解魔法「マテリアル・バースト」が、初めて実戦に用いられた瞬間だった。

 水平線の向こうに、閃光が生じた。
 空を覆う雲が白く光を反射する。
 日没時間には程遠いのに、西の水平線が眩く輝いた。
 爆音が轟いた。遠雷と聞き間違える者は、この場にはいない。
 誘爆する間も無く、全ての燃料と爆薬が一斉に爆ぜた音だ。
 砲撃が途絶えた。
 不気味な鳴動が伝わる。
「津波だ! 退避!」
 風間が叫び、いきなり力なく崩れ落ちた桜井を慌てて抱きかかえ、走り出した。
 バイクに跨った真田が、飛ぶ様に駆ける風間の隣に並ぶ。
 タンデムシートには達也が跨っていた。
 風間が桜井を抱えたままジャンプした。
 曲芸じみた身のこなしでハンドルの上に立つ。いや、これは曲芸以上だろう。
 軍用バイクはその大馬力に物を言わせて、明らかに定員オーバーの重量を乗せながら力強く疾走した。

 ◆ ◆ ◆

 水平線の向こう側に生じた嵐が収まり、津波が引いていくのを脇目に、達也は高台の地面に膝をついていた。
 彼の前には、力なく横たわる桜井の姿。
 ヘルメットを脱いだ達也の顔は、紛れも無い哀しみを(たた)えていた。
「……いいのよ、達也君。これは、寿命なんだから」
 無力感に苛まれ救えぬ命を前に、失っていたはずの感情に苦しむ達也に向けて、桜井は力なく、濁りの無い微笑みを向けていた。
「貴方の所為じゃないわ。
 私たち調整体は、いつ寿命が尽きてもおかしくないの」
 それは違う、と達也は言いたかった。
 確かに調整体魔法師の寿命は一般人に比べて不安定だが、彼女が衰弱しているのは明らかに、短時間で大きな魔法を連続行使した負荷によるものだ。
 いくら「桜」シリーズといえど、艦砲連続斉射を防ぎ切るのは、負担が大き過ぎたのだ。
 しかし、達也がそれを口にすることを、桜井は望んでいない。
 彼はそう思って、歯を食いしばった。
「本当に、貴方の所為じゃ無いの。
 私は生まれる前から盾となる役目を負わされて、今日その役目を果たし終えたの」
 だが桜井には、達也の考えていることなどお見通しだったようだ。
「それを私は、誰かに命じられてじゃなく、自分の意思で果たしたのよ」
 達也は「再成」を行使しようとして、すぐに無駄だと覚った。
 物質の時間を巻き戻すことは出来ても、命の時計を逆回転させることは、彼の力では不可能だった。
「止めてちょうだい?」
 それを勘違いしたのか、桜井は甘えるような声と微笑みで、達也にそう囁いた。
「今まで生き方を選ぶ自由なんて一つも無かった私が、自分の死に場所を、自分で選ぶことが出来た。
 こんなチャンスを逃す気はないわ。
 私は人に作られた道具としてじゃなく、人間として死ぬことが出来るの」
 彼女が心の中にこんな暗闇を抱えていたなど、達也は夢想だにしなかった。
 だが自分でも意外なほど、驚きは無かった。
「だから、このまま死なせて?」
 桜井の言葉に、達也は無言で頷いた。
 桜井は安心した顔で、瞼を閉じた。
 そのまま、呼吸が止まる。
 傍らに立つ真田が経文を唱えている。
 達也の肩に、風間の手が置かれた。
 肩に手を乗せたまま、達也は立ち上がった。
 彼の目から涙は零れない。
 達也の心から、不思議なくらい、哀しいという感情が消えていた。
 桜井穂波の「遺言」を聞いて、彼は、哀しむ必要は無いと納得していた。

 ――哀しみを納得で消すことが出来る、それが異常なのだと、この時の達也には解らなかった。

◇◆エピローグ◆◇

 今日は随分、三年前を思い出させる出来事が多かったから、だろう。
 達也は久し振りに桜井穂波のことを思い出していた。
 後悔を伴う思い出だ。
 今ならばと、達也も、考えないでもない。
 だが、後悔しか出来ないということも解っているし、納得している。
 それにもし、彼女の犠牲が無ければ達也は、独立魔装大隊に加わって魔法戦技に磨きをかけようなどと考えなかったかもしれない。
 今回は誰も犠牲にせずに済んだ。
 自分の三年間は無駄ではなかったと、達也は自分を慰めることが出来た。
 そして三年前、彼の盾となって散った彼女に、胸の中で黙祷を捧げた。
 ――だから余計に、驚きが大きかったのだろう。
 お茶菓子を持ってきた少女の顔を見て、達也は危うく、声を上げそうになった。
「……如何なされましたか?」
「いえ、何でもありません」
 当の少女から問い掛けられたのは深雪だった。
 彼女の驚きようは、達也よりも激しいものだった。
 それも、無理はない。
 給仕服を着た少女の顔は、桜井穂波に瓜二つだった。

 少女が同僚と退出して、程なく、真夜がサンルームに姿を見せた。
 葉山は同行していない。
 この席は、プライベートということだろう。
 達也が席に着くことを許されているのも、同じ理由だった。
「どうしたの、深雪さん?
 何か、驚いているようだけど」
 腰を下すなり、真夜は心配そうな表情で深雪に問い掛けた。
 達也と相対していた時とは別人の様な、「いつもの」四葉真夜の顔だ。
「いえ……叔母様、今の女の子は?」
「ああ、水波(みなみ)ちゃん?」
 深雪の質問を聞いて、真夜はなるほど、とばかり頷いた。
「名前は桜井水波。
 桜シリーズの第二世代で、貴方たちのお母さんのガーディアンを務めていた桜井穂波さんの、遺伝子上の姪に当たる子よ」
 第二世代、というのは、調整体魔法師の親から生まれた者のことだ。
 そして遺伝子上の姪、と表現したのは、穂波と同一の遺伝情報を持つ第一世代の個体を母親としているということだろう。
 顔立ちがそっくりなのも道理だった。
「彼女もかなりの使い手よ。潜在的な能力は、七草の双子に匹敵すると思うわ。
 いずれ時期が来たら、深雪さんのガーディアンに、と思って鍛えているところなの。
 大人になれば、女性の護衛がどうしても必要になるシチュエーションがありますから」
 真夜の建前に、深雪は一応、納得したようだった。
 確かに、女性である深雪の護衛が男性の達也だけでは、不都合が生じるシーンはある。
 しかし先程、真夜の本音を知らされた達也は、いずれ訪れるかもしれない決裂と衝突の時に、一層の覚悟を固めていた。「彼女」と同じ顔をした少女を道具にしようというのなら、尚のこと、相容れることは出来なかった。

 ――決裂も衝突もあり得ないのだと、今の彼には知る由もなかった。


 第四章はこれにて終了です。
 第五章から物語は新展開を迎えます。
 ただ、再開の時期は今のところ未定です。
 申し訳ありません。


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