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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第四章・追憶編
4-(9) 戦後処理

 対馬要塞で別れてから一週間。
 当日、一足先に帰還していた達也は、あの戦闘が結局どういう形で決着したのか、一般に公開されている以上の詳細を知らない。
 ここで風間と再会したのを好機と、色々な質問をぶつけてみたが、どうやら風間にも不明の部分が多いようだ。
 風間と情報を交換し――と言っても達也の側から提供できる情報は「噂話」の域を出ないものであったが――推理を出し合っていた達也が、不意に身体ごと、ドアへ向いた。
 深雪の背筋に緊張が走った。
 兄の様子から、覚ったのだ。
 遂に――
「失礼致します」
 形式的なノックの後、返事を待たずドアが開かれた。
 恭しく一礼したのは年嵩の執事。先程の少年とは格が違う、見るからに高い地位を有する初老の男性だ。
 ただ、彼の口からそれ以上の口上は無かった。
 ただドアを開けるだけの簡単な仕事であれば、この老人の役目ではないはず、にも関わらず。
 だがそのことを、達也も深雪も、そして風間も不審には思わなかった。
 寧ろこの役目は、この老人でなければ務まらないだろう、と揃って同じことを考えていた。
「お待たせいたしました」
 老人の背後には、この屋敷の主の姿があった。

「本当に申し訳ございません。前のお客様が中々お帰りにならなくて……
 お約束の時間を過ぎているとはいえ、追い立てるような真似も出来ませんし……」
「どうか、お気になさらず。
 お忙しくていらっしゃるのは、存じ上げております」
 真夜の謝罪に風間がそう返して、二人はようやく腰を下ろした。
「深雪さんもお掛けになって」
 促す声に、深雪もゆっくりと腰を下ろす。
 しかし、達也に声は掛からない。
 ソファに座った深雪の隣に立ったまま。
 それは真夜の隣に控える執事と、鏡に映したように対称的な姿だった。
 三人の前に白磁のティーカップが置かれる。
 三人とは言うまでもなく、真夜、風間、深雪。
 真夜は二人に紅茶を勧め、自身もカップに口を付けた後、「早速ですけど」と切り出した。
「本日おいで頂きましたのは、先日の横浜事変に端を発する一連の軍事行動について、お知らせしたいことがありましたからですの」
「本官にですか?」
 軍の戦闘行為について、軍人の風間に対し部外者の真夜が、質問ではなく伝達することがあると言う。
 風間が訊き返したのも当然だろう。
「ええ、それと達也さんと深雪さんにも」
 そう言って、真夜が意味ありげな笑みを浮かべた。
 にも、と言っているが、本当に聞かせたい相手は達也たちなのだな、と穿って見なくても分かる表情だった。
「国際魔法協会は、一週間前、鎮海軍港を消滅させた爆発が憲章に抵触する『放射能汚染兵器』によるものではないとの見解を纏めました」
 放射能汚染兵器とは「放射能により地球環境を汚染する兵器」の略称で、放射能汚染を引き起こす兵器の使用を阻止することを目的に掲げる国際魔法協会、及び同協会に加入している各国の魔法協会で主に使用される用語だ。兵器、と表現されているが、そこには放射能汚染を引き起こす魔法の術式も含まれている。魔法協会以外では余り馴染みのない言葉だが、古式とはいえ魔法師である風間には当然通用する。
「これに伴い、協会に提出されていた懲罰動議は棄却されました」
 深雪の顔が一層の緊張に強張り、すぐに安堵のため息を漏らした。
「懲罰動議が出されていたとは知りませんでした」
 起伏に乏しい声で、風間がそう嘯く。深雪はともかく、風間がその可能性に思い至らなかったはずは無いのだが、それを指摘する声は上がらなかった。
「落ち着いていらっしゃるのね?
 懲罰部隊が派遣されることは無いと確信していらっしゃったかのご様子」
 その代わり、より直接的な質問が真夜から発せられた。
 魔法師は国家の財産、国家の兵器であり、国家に属するもの。
 民間の魔法師であっても、国益に反する行動は許されない。この点、世界的に、魔法師の人権は非魔法師に比べ著しい制限を受けている。
 そしてそれ故に、国際魔法協会は独自の戦力を持たない。国際魔法協会所属の魔法師は、戦力と呼べる程の規模ではない。
 しかしその代わりに、国際魔法協会は各国に協力を呼び掛けることで、実行部隊となる多国籍チームを編成することが出来る。今回の「謎の大爆撃」に対して懲罰部隊を編成することになれば、日本の国力低下を望む国々がそれぞれの抱える強力な魔法師を送り込んでいたことだろう。それは軍事に携わる者として、無視できない懸念であるはずだった。
「放射能汚染が観測されないのは分かっていたことですから」
 貴女もご存知のはずだ、とは、風間は言わない。口にする必要のないことであり、口にしたところで流されてしまうことが分かり切っていた。
 案の定、真夜はあっさり、話題を変えた。
「では、消滅した敵艦隊の搭乗員に『震天将軍』が含まれていて、戦死が確実視されていることはご存知ですか?」
「劉雲徳が?」
 風間のポーカーフェイスが崩れていた。
 問い返す風間は、演技ではなく、目を瞠っていた。
「ええ、それぞれの国の政府によって国際的に公にされた十三人の戦略級魔法師の一人である、劉雲徳その人が、です。
 中華連合は随分と厳重な情報管制を敷いているようですけれど」
 戦略級魔法師のプライバシーなんてあって無いようなものですものね、と真夜は笑う。
 彼女の言うとおり、一個人で戦略兵器に匹敵する力を持つ戦略級魔法師は列強の関心の的であり、それ以上に各国魔法師の関心の的でもある。アンティナイトの様な特殊なギミックでも使わない限り、魔法には魔法師を以て対抗するしかないのが現状である以上、戦略級魔法を阻止することが軍に所属する魔法師の重要任務となるからだ。
 列強が国威発揚の目的でその存在を公開している十三人の戦略級魔法師、いわゆる『十三使徒』の中で、その動向を秘匿することに成功しているのは、USNAのアンジー・シリウスだけと言われている。
 日本も無論、例外ではなく、十三使徒の動向に関する諜報活動は、氏名――正確には愛称とコードネーム――と未成年であるということのみ判明していてそれ以外は素顔も定かでないアンジー・シリウスに関する情報収集も含めて、十師族が大きく力を割いている分野だった。
「これで、『十三使徒』は『十二使徒』となった訳ですが」
 国際軍事バランスの大変動要因を、真夜は簡単に一文で纏めて見せた。
 そして更に、風間も知らなかった機密情報を開陳する。
「政府は、これに乗じて中華連合から大きな譲歩を引き出したいと考えているようですよ。
 参謀長より五輪家に出動要請があり、五輪家はこれを受けました。
 佐世保に集結した艦隊に澪さんが同行しています」
「あの方が軍艦に乗船されているのですか?」
 それまで立場を弁え聞き役に徹していた深雪が、思わず声を上げてしまう。
「ええ」
 しかし真夜は、それを咎めなかった。つまりそれは、我を忘れてもおかしくない、驚くべきニュースということだった。
 五輪澪(いつわ・みお)は、日本政府が対外的に公表している唯一の戦略級魔法師、つまり『十三使徒』の一人。
 現在確認されている限り、達也を除けば日本人で唯一人の、戦略級魔法の使い手。
 謂わば、日本軍の切り札的な存在だ。
 彼女の魔法「深淵(アビス)」は特に水上攻撃力に優れており、一撃で一個艦隊を破壊する理論上の能力を以て戦略級魔法と認定されているのだが、地下水を対象として「アビス」を発動することで、多数の建物を一気に倒壊させることも可能となる。
「……しかし、お身体に障りがあるのではないでしょうか……?」
「それを承知の決断なのでしょうね。参謀部も、五輪家も。
 それ程の奇貨と考えているのでしょう」
 五輪澪はその強大な魔法の能力と対照的に、肉体面はかなり虚弱である。
 ミドルティーンの頃まではそれ程でもなかったそうだが、二十歳を過ぎた頃から体力の消耗を抑える為、動力付の車椅子を常用している。(脚に異常は無い)
 大学を卒業後は、五輪家の屋敷からほとんど外出することはないとも伝えられている。
 五輪家は現在、十師族の一角を占めている一族だが、その地位は澪という戦略級魔法師を抱えている事実に支えられている側面が強い。
 その彼女を比較的短距離の移動とはいえ何日も戦闘艦艇に乗せるというのは、確かにある種の賭と言える。
「こちらが劉雲徳の動向を掴んでいたように、あちらも澪さんが出陣したことを掴んでいるでしょう。
 また、これは未確定の情報ですが、本日、ベゾブラゾフ博士がウラジオストク入りしたとの報せも受け取っております」
 その名を聞いて、再び風間の表情が動いた。
「――『イグナイター』イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフが、ですか?」
「ええ、そのベゾブラゾフです。
 各国の軍首脳部は朝鮮半島南端における戦果を目の当たりにして、大規模魔法の有効性を再評価しているようですね」
 声こそ漏らしていないが、驚いているのは達也も同じだ。
 イーゴリ・アンドレイビッチ・ベゾブラゾフはソビエト科学アカデミーに所属する科学者だが、同時に、新ソ連が擁する戦略級魔法師でもある。
 澪と同じ『十三使徒』の一人。
 これまで各国は戦略級魔法を示威にのみ使い実戦に動員することはなかったのに、今回の戦いにはこれで、達也を含めて四人の戦略級魔法師が動員されたことになる。
「中華連合も同様の情報を掴んでいるでしょうから――」
「近日中に講和が成立する可能性が高いと?」
「私どもはそのように予想しております」
 言葉を切って、真夜は笑顔で風間を見詰めた。
 四十を過ぎているにも関わらず、三十路前のような、瑞々しくかつ艶のある笑顔。
 しかし風間にそのような色香が通用するはずもなく、彼は無言で次の言葉を待っていた。
「……三年前からの因縁は、これで決着が付くでしょう」
 話を再開した真夜の顔に、当てが外れたとでも言いたげな少々不満げな色が窺われたのは、達也の錯覚とばかりも言い切れないだろう。
「ただ、今回の鎮海軍港消滅は多数の国から注目を集めています。
 あの攻撃が戦略級魔法によるものと当たりを付け、術者の正体に探りを入れてきている国も一つや二つではないようです。
 中華連合の派遣艦隊が全滅した三年前の沖縄海戦との共通性に思い至り、これを手掛かりにしようと考えるグループも出て来るでしょう。
 しかし、達也さんの正体を知られることは、私どもとして極めて好ましくない事態です」
「重々、承知しております」
 風間が頷くのを見て、真夜は演技とは分からぬくらい自然に顔を綻ばせた。
 いや、今のは本心から満足して、笑ったのかもしれない。
「ご理解いただけて嬉しく思います。
 それでは念の為に、しばらく達也さんとの接触は控えていただきたいのですが」

◇◆◇◆◇◆◇

 風間との交渉は、真夜にとり、即ち四葉にとって満足の行く形で纏まった。
 手玉に取られた、というのは言い過ぎだろうが、今回の中華連合を相手とした戦闘に達也をこれ以上使わないという約束が成立したのは、紛れもなく真夜のペースによるものだった。
 もっとも、この口約束を遵守するつもりがあるのか、この口約束を全面的に信じているのか、という点には括弧付きで疑問符が付くのだが。
 そして今、応接室では、真夜と達也が一対一で対峙している。
 用が終わった風間が帰ったのは当然として――彼も忙しい身だ――深雪まで席を外すことになったのは、真夜の強い指示によるものだった。
 そうして、自分のお付きにまで席を外させたにも関わらず、真夜は中々話を切り出さなかった。
 飲み干した紅茶のカップを物足りなげに見詰めるに至り、達也は真夜の対面へ無言で腰を下ろした。
 無言で、つまり、断りを入れることもせず。
 身体を背もたれに預け言葉を待つ姿は、緊張や畏怖とは縁遠いものだった。
 その姿を一瞥し、真夜はカップをソーサーに戻した。
「貴方とこうして向かい合うのは三年ぶりね」
 その声や表情に、不遜を咎める色合いは無い。
「こうしてお声を掛けていただくのは初めてです、叔母上」
「そうだったかしら」
 恭しさの代わりにシニカルな、ある意味いつも通りの雰囲気を纏う達也に対し、真夜も先程までに比べて随分砕けた口調になっていた。
「そう言えば、二人だけでお話しするのはこれが初めてでしたか」
「はい」
 だからといって、「親しげな」という形容は当たらないだろう。
 それにしては、二人の(まなこ)に宿る光が強過ぎた。
「それで、お話しとは何でしょうか」
「そんなに慌てないで。お茶でも如何?」
「自分にお茶など出しては、取り巻きの方々に煩いことを言われませんか」
 率直すぎる達也の発言に、真夜がプッと吹き出した。
「正直は必ずしも美徳とは限らないのよ」
「相手の為を思う諫言は、得てして耳に痛いものです」
 打てば響くような切り返し。
 真夜はそれに立腹した様子もなく、寧ろ感心して頷いている。
「遠慮のない相手というのも、(たま)には良いものね」
「ご不快でしたか」
「貴方と私は甥、叔母の関係だもの。気にする必要はないわ」
 本心か韜晦か分かり辛い口調で返した後、真夜はテーブルの呼び鈴を手に取った。
 小さなハンドベルの音が外に漏れる程、この部屋の壁も扉も薄くはない。
 それなのに一分と掛からずドアがノックされたのは、何かの方法でこの部屋がモニターされているということに他ならないが、達也は慌てて立ち上がるような真似はしなかった。
「お呼びでございますか」
 現れたのは、先程の初老の執事。
 達也が主の対面にゆったり腰掛けている姿を見ても、彼は眉一つ動かさなかった。
「葉山さん、私にお茶のお代わりを。それから達也さんにも同じものをお持ちして」
「畏まりました」
 これが青木あたりであれば、血相を変えて達也を怒鳴りつけたことだろう。真夜の目の前であることも忘れて。
 だが理由はどうあれ、形はどうあれ、主の会話を「盗み聞き」することを許されている腹心が、そういう小物じみた真似をするはずがない。
 達也が慌てなかったのは、そういう読みもあってのことだ。
 それ以外にも、「取り繕っても無駄だろう」という判断もあったのだが。
 達也が真夜に従順でないことくらい、少し見る眼があれば分かり切ったことなのだから。
 お茶を待つ間、真夜は口を開かなかった。
 達也も、()かそうとはしなかった。
 お茶でも如何、とは、話はお茶でも飲みながら、という意味だ。その程度のことも分からぬほど鈍くはないし、その程度も待てぬほど子供でもない。
 葉山執事が持ってきたカップに口を付けて、真夜はようやくその気になったようだった。
「今回はご活躍だったわね、達也さん」
 この口調で、この言葉を額面通りに解釈する者など、まずいないと思われる。
「いえ、そのようなことは」
 達也も褒められているとは思わなかった。
「でも四葉にとっては、困ったことをしてくれたものだわ」
「申し訳ありません」
 案の定、芝居じみた溜め息と共に愚痴をこぼした叔母に対して、達也は形式的な謝罪を示した。
 土下座とかテーブルに額をこすりつけるとか、そんな殊勝さは欠片も無かった。
「……まあ、貴方が命令に従っただけというのは判っています。
 あそこまでする必要があったのか、本当は風間少佐に問い詰めてみたかったのだけど。
 過ぎたことは仕方ないわね」
「畏れ入ります」
 今度は少し、心がこもった謝罪だった。
 良い悪いは別にして、達也も(いささ)かやり過ぎだったと考えているのかもしれない。
 ――実際は「些か」どころではない過剰破壊だったのだが。
「それより問題は、今後のことです」
「何か具体的な不都合が生じているのですか」
 達也の問い掛けに、真夜は即答しなかった。
 瞼を閉じ、紅茶を一口飲んで、おもむろに目を上げた。
 正面から、達也の瞳を覗き込む。
 達也はその眼差しを受け止める――ことはせず、叔母と同じ動作で、ティーカップに口を付けた。
「スターズが動いているわ」
 目を合わせぬまま浴びせ掛けられた言葉は、達也の動きを一瞬、停止させるだけの威力を持っていた。
「それはアメリカ自体が動き出している、という意味でしょうか」
 ここに至りようやく、真夜と達也、二人の眼差しは正面からぶつかり合った。
 背負うものは比べ物にならない。
 四葉という強大な組織を背にしている真夜と、深雪以外に護るべき者を持たない達也。
 しかし達也の眼光は、真夜の視線の重圧に、少しも負けていなかった。
「今はまだ、スターズが独自に調査を開始した段階よ。
 でも彼らは既に、あの爆発が質量をエネルギーに変換する魔法によって引き起こされたものということまで掴んでいるわ。
 術者の正体についても、かなりのところまで絞り込んでいます。
 ――具体的には、貴方と深雪さんを容疑者の一人として特定するまでに」
 真夜がもたらした情報に、達也は一往復半、(かぶり)を振った。
「……凄い情報収集力ですね」
「伊達に世界最強の魔法部隊を名乗っていないということでしょうね」
「いえ、自分が申し上げているのは叔母上の手の者のことです」
 応えは返ってこなかった。
 真夜は、虚を衝かれた表情で黙り込んでいる。
 達也は特に面白そうな顔も見せず、沈黙の隙間を埋めるように口を開いた。
「世界最強の魔法部隊を自認する、USNA軍スターズの諜報活動成果を、ほぼリアルタイムで探り出すとは。
 スパイでも潜り込ませているのですか?」
「……教えられないわ。生憎だけど」
「ごもっともです」
 何とか真夜が捻り出した応答に、達也は真面目くさった顔で頷いた。
 一瞬、忌々しげな表情を浮かべた真夜だったが、すぐに笑顔を取り戻したのは流石と言うべきだろう。
「……とにかく、身の周りには気をつけなさい。
 スターズは今まで貴方が相手にしてきた連中の様に甘い相手ではないわよ。アメリカの覇権を揺るがすと判断すれば、実力で排除に掛かってくる可能性もあります」
「それが四葉に飛び火する可能性が出て来れば、別のところから刺客が送り込まれるということですね。
 肝に銘じます」
 見詰め合う叔母と甥。
 二人の顔には、最早、一筋の笑みも無い。
「そこまで解っているなら話が早いわ」
「俺ならばこの場でこの回答にたどり着くと考えたから、深雪に席を外させたのでしょう?」
 達也の言葉遣いが少し変わった。
 彼の質問に、真夜は答えなかった。
 再び交差した視線の中に、その答えはあった。
「達也、学校を辞めなさい」
 真夜が告げたのは、答えではなく命令だった。
「学校を辞めて、どうしろと?」
「しばらくここで謹慎していなさい。
 深雪さんのガーディアンには別の者を差し向けます」
「ガーディアンの選定は、護衛対象の専決事項だと思っておりましたが」
「何事にも例外は付き物よ」
「まあ、そうですが……お断りします」
 もしこの場に同席者がいたなら、急激な室温の低下に身震いしただろう。
 ただそれは、物理的な温度の低下ではなく、張り詰めた緊張感によるものだった。
「このタイミングで俺が突然退学したら、中華連合艦隊を殲滅した魔法師は自分ですと自白しているようなものだと思いますが」
「理由は何とでもつきます」
「そうでしょうか」
 真夜と、達也の顔から、表情が消えた。
「私の命に、従わぬと?」
「俺に命令できるのは、深雪だけです」
 最高潮に高まる緊張感。
 時が止まってしまったかの如き緊迫感の中で、

 世界が 「夜」に 塗り潰された。

 闇に、ではない。
 闇に浮かぶ、燦然と輝く星々の群れ。
 応接室の天井が、月の無い、星の夜空に変わっていた。
 星が、光の線となって流れ、
 ――血臭が、室内に漂う。

 そして次の瞬間、

 音も無く、

 室内を満たす「夜」は砕け散った。

 部屋の中には変わらず、見詰め合う叔母と甥。
 ただ二人の間に満ちていた緊迫感は、「夜」の崩壊と共に消え去っている。
「――随分と手加減していただいたようですね」
「当然でしょう?
 貴方は私の可愛い甥なのですから」
 達也の呟きに真夜は笑顔で答えた。
 二人のどちらにも傷はなく、室内に血の臭いは残っていない。 
「まあ、それを差し引いても上出来です。
 だから今回は、貴方の我侭を叶えてあげることにします」
「ありがとうございます」
「いいのよ。私の魔法を破ったことに対する、チョッとしたご褒美なのだから」
 達也は無言で立ち上がった。
 そのまま軽く一礼する達也に、真夜はヒラヒラと手を振った。
 応接間を後にする達也。
 彼を呼び止める声は、何処からも掛からなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也が去った応接室で、真夜は独り物思いに耽っていたが、やがて一つ、大きく、息を()いて、テーブルの呼び鈴を手に取った。
「――お呼びでございますか」
「場所を変えます。
 サンルームにお茶の用意をして、深雪さんたちをご案内しなさい」
 すぐに姿を見せた葉山執事に、真夜はそう言い付けた。
「畏まりました」
 葉山は一礼し、主と目を合わせぬまま使用済みのカップを手早く片付ける。
 そのまま真夜の指示を実行すべく、部屋を辞去しようとしたところで、
「ちょっと待って」
 当の真夜が、彼を呼び止めた。
「葉山さん、何か私に訊きたいことがあるのではなくて?」
 主に視線を向けられて、葉山は恭しく一礼した。
「畏れ入ります。
 それでは、お言葉に甘えまして……」
 葉山は先代の四葉当主に引き続いて真夜に仕えている四葉家中の重鎮。初老に見えるが、実年齢は七十歳を超えている。
 他の者が畏れ多いと言い出せないようなことでも、彼ならば口にすることが許されるという雰囲気が、この屋敷にはある。
「達也殿をあのままにして、本当によろしいのですか?」
 また葉山は、他の者の様に達也のことを「贋物」と軽んじたりはしない。彼自身の魔法技能のレベルは大したものではないが、数多くの魔法師を見てきた経験が、達也に高い評価を与えていた。
 ――警戒すべき、魔法師と。
「構わないわ。
 ああ、葉山さんが何を懸念しているのか、十分に理解しているつもりよ?
 確かにあの子は、何時でも四葉を裏切るでしょうね」
「……畏れ入ります」
「それにさっきも確かめたとおり、私の魔法はあの子の異能に対して相性が悪い。本気で戦えば、高い確率で私が負ける。
 私があの子に殺されてしまう可能性も小さいとは言えないでしょう。
 でも達也は、四葉を裏切ることは出来ても、深雪を裏切ることは出来ないわ。
 そして深雪が四葉に敵対することは決して無い」
「しかし、深雪様は達也殿に深く依存されているご様子。
 達也殿が当家に叛旗を翻した時、その意に反するとは思えませぬが」
 眉間に深い憂慮を刻み、反論する葉山。
 しかし真夜が、それに動じた様子は、全く無かった。
「大丈夫よ。
 洗脳なんてしなくても、人の精神の方向性を決定付けるのはそんなに難しいことじゃないの。
 それくらい、葉山さんには説明するまでも無いでしょう?
 深雪は己に課せられた責任から決して逃れられない。姉さんに、その様に育てられているから。
 そして達也には、深雪を苦しめるような真似は、絶対に出来ない」
「……しかし、その為には」
「ええ。
 他の候補者の子たちには悪いけど、次の当主は深雪で決まりね。
 達也を、あの怪物を、敵に回さない為に」
「その為には、深雪様に何としても当主の座を受けていただかなければなりませんな」
「心配無用よ、葉山さん。
 その為の策も、ちゃんと考えてあるから」
 真夜はそう言って、余裕タップリに微笑んだ。
 葉山は深く、最上級の敬意を以て一礼し、今度こそ応接室を後にした。


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