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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第四章・追憶編
4-(4) 違和感
 窓の外を見ていた達也が、急に、出入り口の方へ振り返った。
 この屋敷、外見は伝統的な日本家屋だが、中は無節操なまでに和洋折衷だ。
 和洋混在、と表現する方が適切かもしれない。
 この応接室――「謁見室」の造りは、八十パーセントくらい西洋風だった。
 壁紙や飾り棚に何処となく和風の雰囲気が漂っているが、それ以外は窓も照明も調度品も全て洋風。
 出入り口も外開きの木の扉だ。
 その扉が達也の視線の先で「コンコンコンコン」と音を立てた。
 深雪がソファに座ったまま「どうぞ」と応えると、「失礼します」という声と共に扉が開いて、着物の上にエプロンをつけた「女中さん」が姿を見せた。
 ……「メイドさん」よりはこの屋敷のイメージに合っている、とは思うが、「時代錯誤」という印象は拭い去れない。
 その「女中さん」は深々とお辞儀をしてから、身体を横にずらした。
 彼女の後ろには、スーツ姿の男性が立っていた。
 その男性は、達也が良く知っている顔だった。
 深雪が片手で口元を押さえた。「あっ」という形に開かれた口を隠す為にだ。
 達也ほどではないが、深雪も一応、その男性の素性は知っている。
 男が部屋の中に入ると、女中はもう一度お辞儀をして、事情説明もなく扉を閉めた。彼女は単なる案内役だったようだ。
「久しいな、達也。先週会ったばかりだが」
 矛盾した挨拶を淡々と告げたのは、独立魔装大隊隊長の風間玄信だった。
「少佐……何故、いえ、叔母に呼ばれたのですか?」
 達也は理由を問い掛けて、途中で「質問」を「確認」に差し替えた。
 風間の方から四葉本家を訪問する理由など無いのだから、四葉が独立魔装大隊の隊長を呼び出したのは明らかだった。
「そうだ。貴官が同席するとは聞いていなかったが」
「……申し訳ありません」
 謝罪を口にしたのは、風間の入室と同時に立ち上がっていた深雪だった。
 風間の台詞は単に事実を述べただけのもので、彼はそのようなことで気分を害するほど狭量な男ではない。
 それを知っている達也は肩を竦めるだけで済ませたが、深雪は身内の不手際をスルー出来なかったようだ。
「気にする必要は無い」
 風間と深雪はそれほど接点を持たない。
 達也抜きでは一度も顔を合わせたことが無いはずだ。
 だから風間も、第三者が同席している場では、深雪に対してこれ程ざっくばらんな話し方はしない。しかし同席者が達也だけの場合は、どうしても「達也の妹」という認識になってしまうようだ。
 ただ、会った回数が少ないといっても、知り合った時期は達也と同じだ。
 風間との付き合いは、三年前のあの事件から続いている――

◇◆◇◆◇◆◇

 国防軍の沿岸警備隊が駆けつけた時には、不審潜水艦は姿をくらませた後だった。
 桜井さんは領海内に侵入されて気づかないなんて言語道断の不祥事、と憤っていたけど、わたしは正直なところ余り関心を持てなかった。
 責任を追及するよりも、少し休みたかった。
 肉体的な疲れよりも、精神的な疲れの方が大きい。
 警備隊の責任者から事情を聴きたいと言われたけれど、後で別荘に来てもらうことにした。
 わたしは今、自室で横になっている。
 時間を掛けてシャワーを浴びたけど、頭の中はすっきりしないままだ。
 梅雨時の雲の様に頭の中に居座っているもやもやは、兄が見せたあの魔法。
 わたしの感覚に間違いが無ければ、対象物の構造情報を直接改変することによる対象物の分解。
 でも、わたしの記憶に間違いが無ければ、構造情報に対する直接干渉は魔法として最高の難度にランクされるもののはずだ。
 わたしには真似できないし、お母様や叔母様にも多分無理だろう。
 それをあの人は、CADも使わずに……
 あの人は、魔法の才能が乏しかったから、後継者候補から外されたのではないの?
 魔法が思うように使えないから、わたしの護衛になったのではないの?
 わたしはずっと、そう聞かされて来たし、無系統対抗魔法「術式解散グラム・ディスパージョン」以外で、あの人がレベルの高い魔法を使ったのを見たことは無かった。
 現代魔法の主流である系統魔法を上手く使えないから、高い身体能力と固有技能とも言える対抗魔法を活用することで、四葉の中に居場所を作った――それが、兄をわたしのガーディアンにした理由だったはずだ。
 分からない。
 知らない。
 家族なのに、兄妹なのに、わたしは何も理解していない。
 理解していないということさえ、わたしは今日まで知らなかった。
 愕然とした。
 考えてみれば、中学生になって本格的に家を離れるのは、今回の旅行が初めてだ。
 本当の意味で、兄が独りでわたしの護衛についたのは、昨日が初めてではなかっただろうか?
 わたしが六歳、兄が七歳。
 それが、兄が護衛役に、わたしが護衛対象になった年齢(とし)
 あれから六年、兄はわたしの護衛を務めている。
 でも小学生の子供に、誘拐や暴行の虞がある護衛対象を任せ切りにするはずも無く。
 そうか、だからわたしは、あの人の真価を、あの人の本当の力を知らないんだ……
 じゃあ、誰に訊いたらあの人の本当の姿が分かるんだろう? 誰が本当のあの人を知っているんだろう?
 お母様? 桜井さん? それとも叔母様?
 思考の迷路から脱出する糸口を見つけた、と思ったちょうどその時、ドアがノックされた。
 不意を衝かれたわたしは慌ててベッドから起き上がり、手櫛で髪を整えながら用件を訊ねた。
「お休みのところすみません。防衛軍の方が、お話を伺いたいとのことですが……」
「わたしに、ですか?」
 ドアを開けると同時に、わたしは問い返した。
 余り礼儀正しい態度じゃないけど、分かっていながらそういう振る舞いをしてしまう程に、わたしは驚いていた。
「ええ……私と達也君で訊きたいことには答えると言ったんですけど……」
 桜井さんは凄く申し訳無さそうな顔をしているけど、別に彼女が悪い訳じゃないし……そんなに恐縮されると、こちらが心苦しくなってしまう。
「分かりました。リビングですか?」
 桜井さんが頷くのを見て、着替えてからすぐに行く旨を告げた。

◇ ◇ ◇ ◇

 事情聴取に来た軍人さんは、風間玄信大尉と名乗った。
 一通り自己紹介を済ませると、大尉さんは早速本題に入った。
「……では、潜水艦を発見したのは偶然だったんですね?」
「発見したのは副長さんですから、どのような経緯で発見に至ったかはあちらに訊いて下さい」
「何か、船籍の特定につながるような特徴に気がつきませんでしたか」
「相手は潜航中だったんですよ。船籍の特定なんて素人には無理です。
 例え浮上していたとしても、潜水艦の特徴なんて分かりません」
 質疑応答は大尉と桜井さんの間で行われていた。
 お母様は桜井さんに全て任せているご様子だったし、わたしはあの時冷静さを失っていて、口を挿みたくてもお話出来ることは無かった。
「魚雷を撃たれたそうですね? 攻撃された原因に何か心当たりは?」
「そんなものありません!」
 桜井さんはかなりイラついているようだ。
 彼女は最初から国防軍の対応に不満を持っていたし、今の「何か余計なことでもしたんだろう」と言わんばかりの質問にはわたしも少しカチンと来たから、桜井さんが怒りを覚えても無理はない。
「――君は何か気づかなかったか」
 桜井さんに睨まれた大尉さんは、兄に問いを向けた。
 それは、特に深い意味の無い行為だったのかもしれない。
 刺々しくなった雰囲気を和らげる為に、目先を変えただけかもしれない。
「目撃者を残さぬ為に、拉致しようとしたのではないかと考えます」
 しかし兄の回答は、違和感を覚えるほどハッキリしたものだった。
「拉致?」
 大尉さんも意外感を露わにして、同時に面白そうな目をして、兄に説明を促した。
「クルーザーに発射された魚雷は、発泡魚雷でした」
「ほう……」
 はっぽう魚雷? ……発泡魚雷、かしら?
 泡を作り出す魚雷、という意味よね……?
「発泡魚雷? 何ですか、それ?」
 わたしが首を捻っていると、代わりに桜井さんが兄に訊ねてくれた。
 大尉さんに訊かなかったのは、彼女もまだ気持ちが治まっていないからだと思う。
「化学反応で大量の泡を長時間作り出す薬品を弾頭に仕込んだ魚雷です。
 泡に満たされた水域ではスクリューが役に立たなくなります。重心の高い帆船ならば転覆する可能性も高い。
 そうして相手を足止めし、事故を装って乗組員を捕獲することを目的とした兵器です」
「何故そう思う?」
 大尉さんは兄のことを、とても興味深げに見ている。
 わたしは、こんなことを知っている兄に、ただ驚いていた。
「クルーザーの通信が妨害されていましたから。
 事故を偽装する為には、通信妨害の併用が必須です」
 そして、あの状況で通信が不調だったことまでしっかり見ていたことに、もっと驚いた。
「……兵装を断定する根拠としては、些か弱いと思うが」
「無論、それだけで判断した訳ではありません」
「他にも根拠があると?」
「はい」
「それは?」
「回答を拒否します」
「…………」
 何の躊躇いも無く、あっさり告げられた黙秘の表明に、大尉さんは言葉を失っていた。
 いえ、絶句したのはわたしと桜井さんも同様だったけど。
「根拠が必要ですか?」
「……いや、不要だ」
 更に畳み掛けていく兄を、大尉さんは少し、持て余しているように見えた。
「大尉さん、そろそろよろしいのではなくて?
 (わたくし)たちに、大尉さんのお役に立てるお話は、出来ないと思いますよ」
 自己紹介をしたきりでずっと沈黙を守っていらしたお母様が、いきなり、退屈そうな声でそう仰った。
 退屈そうで、それでいて抗い難い声。
 そこに込められた拒絶の意思に、大尉さんはすぐ気づいてくれた。
「そうですな。
 ご協力、感謝します」
 大尉さんは(おもむろ)に立ち上がり、敬礼しながらそう言った。

 大尉さんたちのお見送りは、わたしと兄が出た。
 表の通りに車が止めてあって、体格の良い兵隊さんが二人、背筋を伸ばして立っている。
 その内の一人が、兄の顔を見て目を見張った。
 わたしもその顔に見覚えがあった。
「なるほど」
 兵隊さんの驚愕の表情を見て、風間大尉はすぐ、訳知り顔で頷いた。
「ジョーを殴り倒した少年というのは君だったか」
 大尉さんの言葉に、わたしは反射的に身構えた。
 しかし、大尉さんの顔が楽しげに笑っているのを見て、身体の力が抜けた。
 兄の身体は、何の反応も示さなかった。
「その若さで裏当てを修得しているとは驚くべき天分だな」
 足の爪先から頭の天辺まで繁々と観察されても、兄は嫌がる素振りすら見せない。
 でも「裏当て」って何だろう?
 とても高度な技術みたいな言い方だけど……
「桧垣上等兵!」
 怒鳴りつけるような大声で名前を呼ばれて、昨日の不良兵士がビクッと身体を震わせた。
 強い視線を向けられ、慌てて大尉さんの前に走って来た。
 敬礼して、それから直立不動で固まった上等兵に、大尉さんはジロリと一瞥をくれる。
 そして、兄へと向き直り、頭を下げた。
「昨日は部下が失礼をした。
 謝罪を申し上げたい」
 意外な光景に、わたしは何を言えばいいのか分からなくなっていた。
 腕を後ろに組んで、足を開いて、頭を軽く下げただけの、世間的な作法から見れば随分とぞんざいな挙措だけど、大尉のような厳つい軍人さんが、兄のような子供に潔く謝罪するなんて意外過ぎた。
「桧垣ジョセフ上等兵であります! 昨日は大変、失礼を致しました!」
 大尉さんの言葉に続いて、桧垣上等兵が昨日とは打って変わった鯱ばった態度で口上を述べ、大尉さんと違って深々と腰を折った。
 元々そんなに悪い人じゃないみたいだ。
 そしてそれ以上に、大尉さんのことを恐れているように見えた。
「――謝罪を受け容れます」
 一呼吸置いて、兄が答えた。
「ありがとうございます!」
 わたしにも異論は無い。
 そもそも最初から口を挿むつもりは無かった。
 桧垣上等兵を従えてオープントップの大型車へ向かった風間大尉が、三歩も歩かない内に足を止め、振り返った。
「司波達也君、だったか?
 自分は現在、恩納基地で空挺魔法師部隊の教官を兼務している。
 都合がついたら是非、基地を訪ねてくれ。
 きっと、興味を持ってもらえると思う」
 風間大尉はそう言い残して、兄の返事を聞かず、車に乗り込んだ。

◇ ◇ ◇ ◇

 バカンス三日目は、朝から荒れ模様だった。
 空はどんより曇って、強い風が吹いている。
 東の海上から熱帯性低気圧が接近しているらしかった。
 ここまで来て台風に成長することは無い、との事だったけど、台風の一歩手前、くらいの低気圧らしい。
 今日はマリンスポーツを避けた方が良いと、どのチャンネルでも言っていたけど、この天気の中をわざわざビーチへ出ようとは思わない。沖に出るなど論外だ。
 ここには二週間の滞在を予定しているのだから、一日や二日、無理をする必要はない。
「今日のご予定はどうなさいますか?」
 お母様に焼きたてのパンを渡しながら、桜井さんがそう訊ねた。
「こんな日にショッピングもチョッと、ねぇ……」
 チョコンと首を傾げて独り言の様に呟くお母様。こんな仕草をすると、まるで少女のように清楚で可愛らしい。今更だけど、本当にお若い。
「どうしようかしら?」
 逆に質問されて、桜井さんも食事の手を止め首を傾げた。
 彼女も大概若く見える人だけど、お母様と比べると桜井さんの方が「お姉さん」に見えるわね……実年齢はお母様の方が上なんだけど。
「そうですね……琉球舞踊の観覧なんて如何でしょうか?」
 桜井さんはそう言って、壁に掛かったディスプレイのスイッチを入れた。
 手許のコントローラーをチョコチョコ操作して、琉球舞踊公演の案内を呼び出す。
「衣装を着けて体験も出来るみたいですよ」
「面白そうね。深雪さんはどう思いますか?」
「わたしも面白そうだと思います」
「ではお車の手配をしておきます。
 ただ、一つ問題が……」
 わたしとお母様が頷き合うのを見て、桜井さんは少し、顔を曇らせた。
「この公演は女性限定なんです」
 あっ、本当だ。動画映像の下の案内にそう書いてある。
 じゃあ、兄は……
「そう……」
 お母様は小さく千切ったパンを口に運んでモグモグと召し上がった。
「……達也、貴方、今日は一日自由にして良いわ」
「はい」
「確か昨日の大尉さんから基地に誘われていたわよね?
 良い機会だから見学して来なさい。
 もしかしたら訓練に参加させてもらえるかもしれないし」
「分かりました」
 自由に、と言いながら、お母様は思いつきのままに、兄にそう命じた。
 兄は不満も不平も見せず、それを無表情に受け容れた。
 いつもどおりに。
「あの、お母様!」
 何故そんなことを言い出したのか、自分でも分からない。
「わたしも、に、兄さん、と、一緒に行っても良いですか?」
 わたしの唇と舌と声帯は、勝手にそんなことを口走っていた。
 ――兄さん、と発音するのに噛んでしまったのは、普段心の中で「兄」とか「あの人」としか呼んでいないからに違いない。別に、緊張した訳ではない……はずだ。
「深雪さん?」
 自分でも唐突な発言と思う。予想されたことだけど、お母様から訝しげな目を向けられてしまった。
 ううっ、居心地が悪い……!
「あっ、えっと、わたしも軍の魔法師がどんな訓練をしているのか興味がありますし、その、ミストレスとして自分のガーディアンの実力は把握しておかねばと思いますので……」
「そう……感心ね」
 ミストレス、と口にするのに、凄く抵抗があった。
 それはともかく、わたしの苦し紛れな言い訳を、お母様は信じて下さったご様子。
 なんとなく、罪悪感……
 でも、嘘をついているつもりはないのだ。
 ――嘘とか出任せとか以前に、自分の本心が解っていないのだから。
「達也、聞いての通りです。基地の見学には、深雪さんが同行します」
「はい」
「ついては、一つ注意しておきます。
 人前では、深雪さんに敬語を使ってはなりません。
 深雪さんのことは『お嬢様』ではなく『深雪』と呼びなさい。
 深雪さんが四葉の次期当主だと覚られる可能性のある言動は禁止します」
「……分かりました」
 今度は、兄が頷くまで少し間があった。
 戸惑いを覚えているのは兄だけではない。
 わたしも絶讚当惑中だ。「候補」が抜けていたことについて、ではなく、兄から「深雪」と呼ばれた場面を想像して。
「呉々も勘違いしてはなりませんよ。
 これはあくまで、第三者の目を欺く為の演技です。
 深雪さんと貴方の関係に何らの変更もありません」
 小さな違和感を誘うお母様のお言葉に、兄は短く「肝に命じます」とだけ答えた。

◇ ◇ ◇ ◇

「防衛陸軍兵器開発部の真田です」
 基地で出迎えてくれた軍人さんはそう名乗った。
 階級は中尉さんだそうだ。
 それを聞いて、兄が驚いた顔を見せていた。
 何故だろう……他人の前の方が、この人は表情が豊かな気がする。
「どうしましたか?」
「いえ……まさか士官の方にご案内いただけるとは思っておりませんでしたので。
 それにここは空軍基地だと聞いておりましたから」
 真田さんは兄の言葉を聞いて口元を綻ばせた。少し態度に、親密度が増した感じだ。
「軍のことに詳しいんですね、君は」
「格闘技の先生が元陸軍の方なんです」
「ああ、なるほど……
 空軍の基地に陸軍の技術士官がいるのは、本官の専門が少々特殊で人材が不足しているからですよ。
 案内を下士官に任せなかったのは……君に期待しているから、ですね」
 そう言って真田中尉は人好きのする笑みを浮かべた。
 それ程ハンサムな人じゃないけど、相手に警戒感を与えない愛嬌がある顔立ちだと思う。
 ただ、兄は何故か、その笑顔を見て身構えた、様に見えた。

◇ ◇ ◇ ◇

 真田さんに案内された先は、天井の高い体育館だった。
 体育館、というのは、あくまでもわたしが知っている物の中で一番印象が近いというだけで、本当は別の呼び方があるのかもしれないけど。
 そのビルの五階建てくらいありそうな高さの天井から、何本もロープがぶら下がっていて、兵隊さんたちが大勢、ロープを登っては天井近くから飛び降りる、を繰り返している。
 パラシュートなんて背負っていない。そもそもこの程度の高さでパラシュートが役に立つかどうか怪しいものだけど、普通なら骨折くらい当たり前の高さだと思う。
 加速系魔法・減速術式か……
 およそ、五十人前後。
 ロープを登り降りしている兵隊さんたちは、全員、魔法師だ。
 レベルはそれ程でもないようだけど、この基地にいる魔法師がこれで全部ということはないだろう。一地方基地にそれだけの数の魔法師を揃えているなんて……流石は国境最前線ということかしら
 例の不良兵士、ええと、桧垣上等兵の姿も見える。
 あの人、魔法師だったのね……
 風間大尉はわたしたちのことを待っていた。それは、真田さんを迎えに出した時点でわたしたちが来ていることは分かっているのだろうけど、訓練の監督を部下に任せてわたしたちの到着を待ち受けていたなんて思わなかった。
 いえ――待ち受けていたのは「わたしたち」じゃなくて、兄を、か。
「早速来てくれたとは、軍に興味を持って貰っていると解釈してもいいのかな?」
 風間大尉は厳つい顔に不器用な笑みを浮かべて、兄にそう話し掛けた。
「興味はあります。ただ、軍人になるかどうかは決めていません」
「まあ、そうでしょうな。まだ中学生でしたか?」
 昨日とは異なる言葉遣いは、なにがしかの下心――と言っては酷かもしれないけど――を感じさせた。
「中学生になったばかりです」
「十二、いや、十三歳ですかな? それにしては落ち着いている」
「十三歳です」
 兄は大尉さんの質問に、無難な受け答えをして見せた。
 正直、意外感を禁じ得なかったが、すぐにそれがわたしの思い込みによる誤解に過ぎないと思い至る。
 学校での兄は優等生なのだ。小学校でもそうだし、入ったばかりの中学校でも、魔法と関係のない部分ではずっと優等生だった。
 社交的とはお世辞にも言えないけど、同級生や後輩から色々な場面で頼りにされているし、先生方にも一目置かれている。
 もし魔法とは関係のない家に生まれていたなら。
 四葉家当主の甥でなかったら、お母様の息子でなかったら、わたしの兄で、なかったら。
 ……考えても意味はない、か。
 それは、もしわたしが「四葉」深夜の血を引いていなかったら、という仮定に等しい。
 わたしが気持ちを切り替えている内に、いつの間にか、ロープ登りの訓練に参加してみないか、という話になっていた。
 もちろんわたしは関係なくて、兄が、だ。
「いえ、僕は魔法がそれほど得意じゃありませんから」
 僕、という一人称を聞いて、背中がむず痒くなった。お母様から普通に見えるよう、注意を受けたからかしら?
 似合ってないんですけど……
 いえ、そんなことよりも!
「あの、兄さんが」
 またしても、「兄さん」と口にするのに、強い違和感を覚えた。
 どうして?
 この人がわたしの兄であるのは、紛れもない事実なのに。
「魔法師だと、何故判ったんですか?」
 でもこんなところで詰まったりしては、不自然極まりない。
 それより、こっちの方が重要だった。
 兄は普段、CADを身につけていない。
 呪符とか金剛杵とかの伝統的な補助具も、当然持っていない。
 お母様とわたしは携帯端末型のCADを愛用していて、一目見て魔法師だと分かる格好をしていたのは桜井さんだけのはずだ。
 もしかして、わたしたちの素性を調べている……?
「……何となく、ですかな」
 風間大尉はわたしから質問を受けるとは思っていなかったみたいで、少し意外そうな顔をしてから、真面目くさった表情で余り真剣味の感じられない答えを返してくれた。
 何となく、って、何それ?
 はぐらかすつもり!?
「別に、韜晦しているつもりはないのですが」
 っ!?
 まるで心を読まれたようなタイミングに、わたしは顔を強張らせてしまう。
「何百人も魔法師を見ていると、雰囲気で分かるようになるのですよ。
 魔法師か、そうでないか。
 強い魔法師か、弱い魔法師か」
 いけない、と思いつつ、動揺が顔に出るのを抑えられない。
「ところで何故そのようなことを気に掛けるのですかな?」
 拙い……!
 過敏な反応をして、不審を持たれてしまった。
 お母様から、四葉とのつながりを覚られないよう言われていたのに。
「すみません、僕が魔法の才に乏しいことを、妹は気遣ってくれていて……普段から少々神経質になっているんです」
 ――焦るばかりでどうしたらいいか分からなくなっているわたしの盾になってくれたのは、兄だった。
「そうですか。いや、良い妹さんだ」
「ありがとうございます。自慢の妹です」
「ははっ、仲が良くて羨ましい」
 わたしにとっては痛烈な皮肉にしか聞こえない台詞だった。
 でも多分、兄にそんな意図はない。
 単にわたしが困っていたから、助けてくれただけ。
 そんなことも分からないほど、捻くれてはいないつもりだ。
 でも何故、そんな風に気遣ってくれたのだろう?
 わたしが答えに窮しても、ガーディアンの役目とは関係がないのに。
 四葉の秘密主義を守ったって、兄には何の利益もないのに。
 叱られるのはわたしだけなのに。
 何故、普通の兄妹のように、兄が妹を庇うように、わたしのことを庇ってくれたんだろう……?


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