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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第三章・横浜騒乱編
3-(22) マテリアル・バースト
 すっかり義勇軍の指揮官に納まった克人の下へ、魔法協会支部経由の報告が入った。
「敵戦闘艦が離岸した模様です!」
 その報告に、克人は軽く眉を上げて意外感を示した。
「敵兵の撤退は完了していないはずだが」
 最早、彼らの目の前に交戦中の敵の姿は無い。
 先程まで矛を交えていた敵は、一部の足止め要員を残して逃げて行った。
 足止め部隊も、生き残りは全て降伏している。
 しかし敵残存兵力の全てを艦内に収容したにしては、早過ぎる。
 海岸沿いのエリアでは、敵兵力がまだ残っているはずだった。
「敵は残存兵力の収容を諦めた模様です。
 掃討戦に移りますか?」
 まだ若い、おそらく克人とそう変わらない年齢の伝令は、期待に目を輝かせて克人に問うた。
 苦戦を続け、多くの仲間を犠牲にした直後だ。
 復讐心に心を(たぎ)らせたとしても無理はない。
 だが、だからこそ、克人は首を横に振った。
「それは我々の為すべき事ではない。
 不要なリスクを冒すことはせず、後は国防軍に任せるとしよう」
「――分かりました!」
 心から納得している訳ではないのだろう。
 だが彼らに勝利をもたらしたこの若い魔法師に背くつもりも無いようだった。
 その青年の口から、義勇軍全体に戦闘停止が触れられた。

◇◆◇◆◇◆◇

 北からは鶴見の大隊、南からはようやく到着した藤沢の部隊。
 西からは保土ヶ谷の駐留部隊とこれに合流した藤沢の支隊。
 三方からの圧力に耐え切れず、敵は上陸部隊の収容を途中で切り上げて撤退に掛かった。
 敵艦が慌てて出港しようとしているのを、柳は当初、見逃すつもりはなかった。
「逃げ遅れた敵兵は後詰の部隊に任せて、我々は直接敵艦を攻撃、これを撃沈する!」
 ムーバル・スーツの空中機動力を使えば残存兵力の頭を飛び越えて敵艦に乗り込み、内部から制圧するという作戦も可能だったが、柳はそんなリスクと手間を負担するつもりは無かった。
 どうせトカゲの尻尾切りよろしく、現場の暴走で片付けられてしまうことが目に見えている捕虜など、邪魔なだけだ。
 後腐れなく海の藻屑に変えてしまえ、というのが柳の判断であり、それに異を唱える者は、達也を含めて、いなかった。
 指向性気化爆弾のミサイルランチャーを抱えた兵士を中心に、貫通力増幅ライフルを手に持つ兵士を護衛に配して隊列が組まれる。
 だが彼らが今まさに飛び立とうとしたその時、制止の声が届いた。
『柳大尉、敵艦に対する直接攻撃はお控え下さい』
「藤林、どういうことだ」
 通信機で割って入ったのは、藤林だった。
『敵艦はヒドラジン燃料電池を使用しています。
 東京湾内で撃沈するのは水産物に対する影響が大き過ぎます』
 柳は小さく舌打ちした。
 何故そんなことが分かる、とは言わない。
 電子線の放射・反射を捉えて対象物を走査する術式は藤林の得意魔法の一つだ。
 一キロ以上の距離を置いて、微弱な脳波パターンの違いから通常の魔法師と「ジェネレーター」を見分けることも出来る藤林にとって、放射線隔壁も無い容器に大量蓄積された燃料の分子構造を特定することは、それほど難しくない。
「ではどうする」
『退け、柳』
「隊長?」
 いきなり通信の相手が変わって、柳は訝しげな声を上げた。
 相手が変わったことにではなく、その命令に対して。
『勘違いするな。作戦が終了したという意味ではない。
 敵残存兵力の掃討は鶴見と藤沢の部隊に任せ、一旦帰投しろ』
「了解です」
 話を聞いている間に考えが纏まったのか、今度の返答は迅速で躊躇いの無いものだった。
 ムーバル・スーツによって実現した飛行兵は、敵の本陣を強襲したり敵の背面から奇襲をかけたりする作戦には向いているが、掃討戦の様に数と時間を必要とする類の作戦には向いていない。
 それに、いくら精鋭揃いでシステムを効率化していると言っても、長時間の魔法使用による疲労は確実に蓄積されているはずだ。
 柳は部下に対し、移動本部への帰投を命じた。

◇◆◇◆◇◆◇

 帰投した柳に指揮権を委ね、風間少佐は真田大尉、藤林少尉、そして達也を連れてベイヒルズタワーの屋上に来ていた。
 掃討戦はほぼ完了している。
 所々で散発的な閃光と銃声が生じているが、それも今晩中に落ち着くだろう。
 通路が崩れて地下に埋まってしまった形のシェルターも、明日には臨時のトンネルが開通する予定だ。
 避難している人々は、地上に作られた臨時の避難所より寧ろ快適な環境で過ごしている。
 現在の時刻は、午後六時。
 黄昏時――逢魔が時。
「敵艦は相模灘を時速三十ノットで南下中」
 藤林少尉が携帯用の小型モニターを見ながら、風間にそう告げた。
「房総半島と大島のほぼ中間地点です。撃沈しても問題ないと思われます」
 藤林の言葉に頷いた風間は、真田へと顔を向けた。
「サード・アイの封印を解除」
「了解」
 風間からカードキーを受け取ると、不謹慎なほど嬉しそうな顔で、真田が傍らの大きなケースの鍵を開いた。
 霞ヶ浦の本部から、大急ぎで持って来させたケースだ。
 カードキーと静脈認証キーと暗証ワードと声紋照合の複合キー。
「色即是空、空即是色」
『パスワード・認証しました』
 音声の応答は本来必要の無い真田の趣味だが、厳重な封印は遊びではなかった。
 中に納まっていたのは大型ライフル――の形状をした、特化型CAD。
 真田はそのCAD「サード・アイ」を、ムーバル・スーツを着てヘルメットを被ったままの達也に手渡した。
 達也はそのストック部からコードを引き出して、右手首のジョイントに差し込んだ。
 ジョイントから続くケーブルはスーツの中を通って、ヘルメットにつながっている。
「大黒特尉」
 風間が達也をコードネームで呼んだ。
「マテリアル・バーストを以って、敵艦を撃沈せよ」
「了解」
 達也の声には、緊張が混じっていた。
 実戦に使用するのは三年ぶりだが、「マテリアル・バースト」自体を失敗するという虞は持っていない。
 緊張は、武者震いに近い感覚だった。
 達也は南を向いて、ストックを肩に当てた。
「成層圏監視カメラとのリンクを確立」
 隣でノート型のモニターを見ていた真田が、風間にそう告げた。
 達也に告げる必要は無いことだった。
 達也のバイザーには、リンクした映像――敵艦の赤外線映像が映っているのだから。
 日本列島をグルリと取り囲む形で空中に浮いた成層圏プラットフォームに搭載された国境監視カメラが、サード・アイのアンテナを通じて映像を送り込んでいるのだ。
 藤林がモニターしている映像と同じ画面で対象を特定した達也は、情報の側面から敵艦表面の状態を探った。
 船体に付着する無数の水滴。
 その中から、ヒドラジン燃料タンクの直上、甲板に付着した水滴を選び出す。
 監視カメラの分解能では見分けることのできない一滴の海水に、サード・アイの遠距離精密照準補助システムの助けを受け、情報体知覚の視力によって照準を合わせる。
「マテリアル・バースト、発動」
 達也はそう呟いて、引き金を引いた。

 相模灘を南下中の敵艦内には安堵感が漂っていた。
「やはり日本軍は攻撃してきませんでしたね」
「フン……奴らにそんな度胸があるものか」
「ヒドラジンの流出を恐れたのでは?」
「同じことだ。
 今更環境保護などという偽善に囚われているから、みすみす敵の撤退を許すことになる」
 敗走、という言葉を使わない心理は、何処の国の軍人でも同じと思われる。
 彼らは自分たちが人工衛星からか成層圏プラットフォームからか、何らかの監視手段で追跡されていることを確信していたが、最早攻撃を受けるとは思っていない。
 それを油断とは言えないだろう。
 その気があるなら、とうに仕掛けてきているのがセオリーだ。
 少なくとも艦艇か航空機による追跡を行っているはずだ。
「……憶えておれよ。この屈辱は倍にして返してやる」
 帰還を既定の事実とし、報復を誓う気の早い士官も一人や二人ではなかった。
 もうすぐ、大島の東を通過する、というその時。
 不意に、警報が鳴った。
 サイオン波の揺らぎに対する警報。CADの照準補助システムにロックオンされた警報だ。
「何事」
 何事だ、と艦長は叫びたかったのだろう。
 それも当然のことで、少なくとも十キロ四方に敵の影も形も無い。
 だがその短い台詞を、偽装揚陸艦の艦長は言い切ることが出来なかった。
 甲板上に生じた灼熱の光球。
 それが、空気を加熱して衝撃波を発生させ、甲板を熔かして金属蒸気の噴流を発生させ、ヒドラジンを含めた全ての可燃物を一瞬で完全燃焼させ、巨大な炎の塊と化して艦を呑み込んだ。

 マテリアル・バーストの生み出した灼熱の地獄は、成層圏監視カメラを通じてベイヒルズタワーの屋上でも確認された。
 究極の分解魔法、「マテリアル・バースト(質量爆散)」。
 それは、質量をエネルギーに分解する魔法。
 対消滅反応ではない。
 質量を直接エネルギーに分解する故に、対消滅反応の際に生じるニュートリノ発生によるエネルギーロスも無い。
 アインシュタイン公式の通りに、質量を光速定数の二乗の倍率でエネルギーに変換する。
 水一滴、五十ミリグラムの質量分解によって発生する熱量は、TNT換算1キロトン。
 それだけの熱量が、瞬時に、水一滴の空間で発生したのだった。
「……敵艦と同じ座標で爆発を確認。同時に発生した水蒸気爆発により状況を確認できませんが、撃沈したものと推定されます」
「撃沈しました。津波の心配は?」
 モニターを見ていた藤林の報告を、達也は修正した上でそう訊ねた。
「大丈夫です。津波の心配はありません」
「約八十キロの距離で五十立方ミリメートルの水滴を精密照準……『サード・アイ』は所定の性能を発揮しました」
 真田が風間に対し、得意げに報告する。
 風間は真田へ無言で頷いて、達也に労いの言葉を掛けた。
「ご苦労だった」
「ハッ」
 敬礼で応えた達也に頷き、風間は作戦終了を宣言した。

◇◆◇◆◇◆◇

 自宅に帰り、深雪は一人きりの夜を過ごしていた。
 一人きりは、珍しいことではなかった。
 独立魔装大隊の演習で、達也はちょくちょく家を空ける。
 そんな時はいつも達也からマメに連絡があるし、今日も電話を貰っている。
 それに、彼女と兄は、遠く離れていても、いつもつながっていた。
 抽象的な意味でも観念的な意味でもなく、兄の力が常に彼女の周囲を見張り、彼女を脅威から守っているのだ。
 それは、今も同じ。
 彼女の側から兄に対する干渉は切れても、兄の側から彼女に対する守護が途切れることは無い。
 達也はいつも、深雪のことを、無意識に、見守っている。
 それがとても申し訳なくて、それでも彼女には嬉しかった。
 突然、電話の呼び出しメロディーが奏でられた。
 いつもは奏でられることの無い旋律。
 ――運命は斯く扉を叩く――
 そのフレーズの通り、このメロディーは常に、彼女たち兄妹の運命を左右するものだった。
 急いで立ち上がり、軽く身だしなみを整え、カメラの前に立って、深雪は通話回線を開いた。
「ご無沙汰致しております、叔母様」
『夜分、すみませんね、深雪さん』
「いえ、滅相もございません」
 深々とお辞儀をしていた頭を上げると、画面の中で、ほとんど黒に近い色合いのロングドレスを身に纏った上品な女性がにこやかに微笑んでいた。
 実年齢は四十歳を超えているはずだが、外見は三十前にしか見えない。
 画面越しだけでなく、実際に対面して目の前で見てもそうなのだ。
 深雪に良く似た面差しの、美女という名を欲しいままにして来たことであろう女性。
 彼女こそは、深雪たち兄妹の母親の、双子の妹。
 四葉家、現当主。
 世界最強の魔法師の一人。
 四葉真夜、その人だった。
『そうですか……?
 それにしても、今日は大変な目に遭いましたね』
「ご心配をお掛け致しました」
 短く応えて、カメラの前で優雅に腰を折る。
 姪のその姿に、真夜はおっとりと頷いた。
『貴女の無事な顔を見て安心しました。
 まあ、貴女には達也さんがついているから心配は要らないと思っていましたけど……そう言えば、達也さんは今、どちらへ?』
 ふと思い出したように、本当についでのように、真夜が問う。
 だが深雪は騙されなかった。
 この質問が叔母の本命であると、彼女には明らかだった。
「畏れ入ります。
 兄は事後処理のため、まだ帰宅しておりませんが」
『まあ! 達也さんったら、可愛い妹を放って、何処で油を売っているのでしょう?』
 困ったわ、と言わんばかりに頬へ手を当て、浮世離れした仕草で当惑を表現する真夜。
「お心を煩わせ、まことに申し訳ありません。
 わたしも兄の行動を逐一把握してはおりませんが……」
 それに対して、深雪はあくまで礼儀正しく、恭しい態度を崩さなかった。
「ですが叔母様、ご懸念には及びません。
 兄の力は、常にわたしを守護しておりますので」
『ああ、そうだったわね。
 深雪さん、貴女の方から鎖を解くことは出来ても、達也さんの方から誓約を破棄することは出来ないのですものね』
 ニコニコと微笑みながら、真夜が言う。
 その笑顔の裏側で、深雪が真夜の許可無く達也の枷を外した事実を指摘してみせる。
「ええ、仰るとおりですわ、叔母様。
 兄は何処へ行こうと、自分の一存でガーディアンの務めを放棄することなどありません」
 それでも、深雪の慇懃な態度に綻びは生じなかった。
『それを聞いて安心しました。
 そうそう、今度の日曜日にでも二人揃って屋敷にいらっしゃいな。
 久し振りに、貴女たちに直接、会いたいわ』
「恐縮です。
 兄が戻りましたらそのように申し伝えます」
『楽しみにしているわ。
 じゃあ、お休みなさい、深雪さん』
「お休みなさい、叔母様」
 画面がブラックアウトし、通信が完全に切れたことを確認して、深雪は大きく息を吐き崩れ落ちるようにソファへ腰を下ろした。
 叔母の相手はいつも、彼女に多大なプレッシャーをもたらす。
 しかもどういう訳か、兄がいない時に限って――おそらく、達也の不在を知っていて狙っているのだろう――電話を掛けてくる。
 叔母のことだ。
 きっと、彼女の知らないことまで分かっているに違いない。
 それでも深雪は、真夜を前に迂闊なことを漏らす訳には行かなかった。
 彼女が不用意な発言をすればそれは、兄の行動を縛る結果になる。
 カーテンを開けて、兄がいる、西の空へ目を向ける。
 兄は今度の一件に、完全なケリをつけるため、風間に同行して対馬へ向かったはずだ。
 少なくとも深雪はそう連絡を受けているし、達也が深雪に嘘を吐くはずもなかった。
 それが必要なことだと、分かっている。
 達也が必要とされている、それは深雪にとって、本人以上に嬉しいことだった。
 でも今日は、
 今晩は、
 本心では、
 達也に、傍にいて欲しかった。
 今、この家には深雪しかいない。
 刈り取った命の重さに耐えるには、独りは辛く、寂しかった。
(お兄様……)
 心の中で兄を呼び、自分をそっと抱きしめる。
 自分の中に残る、兄の魔力の残滓を感じて、深雪は一層強く自分の身体を抱き締めた。

◇◆◇◆◇◆◇

 十月三十一日。
 今日はハロウィン、だが、キリスト教徒でない達也に、特別な感慨はなかった。
 彼は今、対馬要塞に来ていた。
 今から三十五年前、第三次世界大戦、またの名を二十年世界群発戦争の後期、この島は中華連合高麗自治区軍の攻撃を受け、住民の七割が殺された。
 相手国を無用に刺激しない為、という理由で、国境の島にも関わらず最低限の守備隊しか置かなかった、その結果だった。
 高麗軍にも言い分はあった。
 また、当時はそういう時代だった。
 だが島民の七割が犠牲になり、脱出した二割の住民も重傷軽傷、どこかしら傷を負い、残り一割の住民が捕虜として拉致され、島が占領されたという事実は変わらない。
 対馬を奪還した後、日本政府はこの島を要塞化した。
 大規模な軍港と堅固な防壁、最新鋭の対空対艦兵装を備えた最前線の基地。
 それが、対馬要塞だ。
『特尉、作戦室に来てくれ』
 コール音の後、左耳につけた通信ユニットからそんな指示が伝えられた。
 達也は屋上から、要塞の中へ戻った。
 彼が見詰めていた海の向こうには、朝鮮半島が影となって浮かんでいた。

「来たか」
 入室と共に敬礼した達也にぞんざいな答礼を返し、風間は彼に座るよう指示した。
 達也は作戦室の隅の椅子に腰を下ろした。
 達也が最後、ではなかった。
 僅かに遅れて、柳と山中が顔を見せる。
 見覚えのない士官は、この要塞のスタッフだろう、と達也は思った。
「予想通り、」
 全員が揃った、と見るや、何の前置きもなく風間が喋り出した。
 達也たちは慣れていたが、要塞のスタッフは戸惑いを隠せぬ様子だった。
「敵海軍が出撃準備に入っている。
 この映像を見てくれ」
 壁一面を使った大型ディスプレイに、衛星から撮ったと思しき写真が表示された。
 そこには十隻近くの大型艦船とその倍に上る駆逐艦・水雷艇の艦隊が出港準備に取り掛かっている様子が写っている。
「今から五分前の写真だ。
 このまま推移すれば、敵は遅くとも二時間後に出港するだろう。
 動員規模から見て一時的な攻撃ではなく、北部九州、山陰、北陸のいずれかの地域を占領する意図があると思われる」
「本格的に戦争を始めるつもりでしょうか」
 風間の言葉に、若い少尉から質問が飛んだ。
 年齢的に見て、最近この要塞に配属されたのだろう。
「彼らは三年前からずっと戦争中のつもりなのだろうな」
 皮肉に答えたのは風間ではなく柳。
 質問をした少尉は、羞恥に顔を赤らめて引き下がった。
「申し訳ない。どうも我が隊の者は礼儀に疎いようだ」
 一旦相手の面子を立て、
「だが結論は、柳大尉が述べたとおりだ。
 我が国と中華連合の間では、講和条約どころか休戦協定も結ばれていない」
 風間が再度釘を刺す。
 会議室の雰囲気が一気に引き締まった。
「既に動員を完了している敵艦隊に対し、残念ながら我が海軍は昨日より動員を開始したところだ。
 現状では敵の海上兵力に、陸と空の兵力で対抗するしかない」
 空気が重量を増した。
「苦戦は免れないだろう」
 発言を求める者は、誰もいなかった。
「そこで、この現状を打開する為、我が独立魔装大隊は戦略魔法兵器を投入する。
 本件は既に統合幕僚会議の認可を受けている作戦である」
 要塞のスタッフが期待と疑念の混ざった視線を風間へ向けた。
「ついては、第一観測室を我が隊で借り受けたい。
 また、攻撃が成功した場合、それと同時に……」
 風間の説明は続いている。
 だが達也はそれ以上、耳を傾ける必要を感じなかった。
 要塞に関する資料は来る途中に目を通している。
 第一観測室は低高度衛星を使って敵沿岸部を監視する施設の一つ。
 そこで何が行われるのか、彼に何をやらせるのか、それだけで達也には理解出来た。

 達也は昨日と同じムーバル・スーツを身に着け、ヘルメットを被り、「サード・アイ」を手に、第一観測室の全天スクリーンの真ん中に立った。
 このスクリーンは衛星の映像を三次元処理して、任意の角度から敵陣の様子を観察することが出来るようにしたものだ。
 今は達也の希望により、水平距離百メートル、海面上三十メートルの高さから見下ろした映像を映し出している。
「大黒特尉、準備は良いですか?」
 真田に問われて、
「準備完了。
 衛星とのリンクも良好です」
 達也はスタンバイ完了の答えを返す。
「マテリアル・バースト、発動準備」
 風間の声に、達也は「サード・アイ」を構えた。
 鎮海軍港。
 巨済島要塞の向こう側に集結した中華連合艦隊。
 その中央の戦艦、おそらくは旗艦に翻る戦闘旗。
 その旗に照準を合わせる。
 三次元処理された衛星映像を手掛かりに、情報体へアクセスする。
 戦闘旗の重量は、およそ一キロ。
「準備完了」
 囁くような、小さな呟き。
 だが静まり返った室内では、それで十分だった。
「マテリアル・バースト、発動」
「マテリアル・バースト、発動します」
 風間の命令を復唱し、達也はサード・アイの引き金を引いた。
 対馬要塞の中から、海峡を越えて、鎮海軍港へ。
 達也の魔法は、約一キロの質量をエネルギーに変えた。
 アインシュタイン公式に基づくその熱量は、TNT換算二十メガトン。
 スクリーンがブラックアウトした。
 過剰な光量に、衛星の安全装置が作動したのだ。
 だから彼らは、そこに生じた地獄の、爪痕しか見ることが出来なかった。

 鎮海軍港の奥に停泊する旗艦の上に、突如、太陽が生まれた。
 それ以外に表現のしようがない熱量であり、それを後世に伝えることが出来た者は誰一人いなかった。
 計測不能の高熱は、船体の金属を蒸発させて重金属の蒸気を散撒(ばらま)いた。
 急激に膨張した空気は、音速を超えた。
 熱線と衝撃波と金属蒸気の噴流に、艦隊も港湾施設も消滅した。
 近くのものは、人も物も、蒸発した。
 少し離れた人や物は、爆発し、焼失した。
 海面は高熱に炙られ、水蒸気爆発を起こした。
 竜巻と津波が生じて、対岸の巨済島要塞を呑み込んだ。
 巨済島が堤防の役目を果たさなかったならば、対馬や北部九州沿岸も津波の被害を免れなかっただろう。
 破壊は鎮海軍港に止まらなかった。
 衝撃波は周りの軍事施設に及んだ。
 不幸中の幸いだったのは、鎮海軍港周辺に民間人の居住する都市が存在しなかったことだろうか。
 灼熱の暴虐が収まった時、そこには何も残っていなかった。

 衛星からの映像が回復して、対馬要塞のスタッフは一人の例外もなく、息を呑んだ。
 若い士官の中には、トイレに駆け込んで胃の中の物を戻した者もいた。
 無様、と笑うことは出来ないだろう。
 独立魔装大隊の面々でさえ、蒼褪めた顔の色を隠せなかったのだから。
 彼らは、戦略級魔法の、真の意味を初めてその目で確かめたのだ。
「敵の状況は?」
 風間に問われ、藤林が慌ててモニターを確認する。
「敵艦隊は全滅……いえ、消滅しました。
 攻勢を掛けますか?」
 確かに今なら、占領は容易だろう。
 だが風間は、首を縦に振らなかった。
「不要だ。
 以後の予定を省略し、作戦行動を終了する」
「全員、帰投準備に入れ!」
 風間の命令を受けて、柳が撤収を命じた。
 達也はサード・アイを床に下ろし、ヘルメットを取った。
 その顔には、一欠片の動揺も、存在しなかった。

◇◆◇◆◇◆◇

 灼熱のハロウィン。

 後生の歴史家は、この日のことを、そう呼ぶ。
 それは軍事史の転換点であり、歴史の転換点とも見做されている。
 それは、機械兵器とABC兵器に対する、魔法の優越を決定づけた事件。
 魔法こそが勝敗を決する力だと、明らかにした出来事。
 それは魔法師という種族の、栄光と苦難の歴史の、真の始まりの日でもあった。
 第三章はこれにて閉幕です。
 第四章「追憶編」の開幕は今のところ未定ですが、3月には再開できる見込みです。


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