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NANZUKA UNDERGROUND | 破滅*ラウンジ→再生*ラウンジ | 「NANZUKA AGENDA」Vol.1

従来の現代アートの枠組みにとらわれない活動を展開するユニークな作家たちを擁するNANZUKA UNDERGROUND。白金にあるメインギャラリーに加え、以前のホームグラウンドだった渋谷の地下スペースに新コンセプトスペース「NANZUKA AGENDA」を開設するなど、今後の展開も注目される同ギャラリーのギャラリスト・南塚真史氏が、自身の体験をもとにしたアートシーンにまつわる回想録を綴っていきます。

第1回目となる今回は、渋谷・NANZUKA AGENDAが舞台となった展覧会「破滅ラウンジー再生ラウンジ」について、当事者サイドからの興味深い考察を寄せてくれました。

Text:南塚真史

先月より旧NUG渋谷をNANZUKA AGENDAとして再起動させた。
実はこのスペースは、ギャラリーを白金に移転後、友人のPR会社4Kに委託して、アパレルの展示会場として使用していたのだが、未使用の期間がもったいないということで、再度活動を再開させることにした。
具体的には、所属作家の展覧会をルーティーンでやる白金に対して、よりプロジェクト色の強い企画展、トークイベント、ワークショップやパーティーなど、「アートのルールに縛られない活動」をやるつもりでいる。
実はこれには内外からの、強い批判と要望があった。2005年の設立以後、渋谷で地下という箱の持つ立地的なポテンシャルと、アングラのカリスマ宇川直宏と他社比社の率いるマイクロオフィスを併設するというありえない空間の力によって、既存のアートシーンに対してある種独立したスタンスを取っていたNANZUKA UNDERGROUNDという箱のコンセプトが、移転後薄れてしまったと言うのだ。我が田名網敬一大先生の言葉にして、「つまらない」と云わしめてしまっては、重い腰も上げない訳にはいかない・・・。
アートビジネスという超保守に属する業態の難しさを考えると、一概に「面白さ」だけを求めていられないという切実な内情もあるのだが、「アンダーグラウンド」のコンセプトを重要視すればこそ、あるいは箱の持つ意味合いも、自分で思っている以上に大きかったということか。
今回、久々に文章を書く機会を頂いたので、おそらくみなさんがアートについて一番知りたがっていること、アート業界の内情のようなものを、自分の体験談を基に書いていきたいと思う。

破滅ラウンジ

まずは、先日渋谷AGENDAのプレオープン企画展として招致した「破滅ラウンジー再生ラウンジ」(「カオスラウンジ」@高橋コレクションの続編)について。
村上隆などのフォローアップによって、結果としてアートシーンでもかなり話題になった“史上最悪”(!?)の展覧会である。
一連のカオスラウンジの仕掛人である批評家・黒瀬陽平に「企画を持ち込みたい展覧会がある」と言われて、話をしたのが今年の初め。ここで、黒瀬よりゼロ年代を代表する村上隆などの“過去”のアーティストと、10年代の日本のアートシーンを象徴していてゆくであろうアーティスト(しかも無名かつ匿名)を並列して展示する展覧会をやりたいという話があった。
最初は、村上隆らと作品を並列に展示することに何の興味があるのか理解できなかった。村上隆の名前を借りて、オタクアートのブランディングをしようというアイデアにしか感じなかったからだ。しかし、村上隆はもう古いと自信を持って言い切るこの若き批評家のいい意味での生意気さに妙に感心してしまい、きちんと「vs村上」の構図を作り新しい価値観を提示できる内容になるのであればと、展覧会を許可した。

カオスラウンジのアーティストは、ギャラリーに所属して定期的に作品の発表の場を持つというアーティスト像に対して、Google、2ch、mixi、Flickr、YouTube、ニコニコ動画、Twitter、Tumblrなど、インターネット上を主戦場としている。
今回の展覧会の主な要素は、そのネット上でしか存在していなかった作品を、顕在化させるというものであった。反主流、前衛を意味する「アンダーグラウンド」の最新動向が、ストリートの次にネット上に流れて行っているという感は抱いていたが、それを高橋コレクションやコマーシャル・ギャラリーというある種ステイタス化された箱に持ち込もうというのだから、それは非常に興味深い。特に、黒瀬によるステートメントにある「カオスラウンジは・・・、アートの神秘性を認めない。そこでは、すべてが可視化され、分類され、操作可能となる」という指摘には、非常に大きな可能性を感じた。
なぜならば、唯一無二の価値を信じるアートの特異性を、否定し、壊していくというのだから、もし実現すればこれは凄いことだからである。

破滅ラウンジ

はたして、オープンした「破滅*ラウンジ」は、当初はそれなりの美的価値観に基づいた“まっとうな”インスタレーションとしてスタートした。ネット上に落ちている匿名の作品画像の数々を拾い集めて投影するというプログラミングが施されたPCの塔は、特に無人の時にはそれなりの存在感を放っていた。

展覧会は、やがて「再生*ラウンジ」へと移行する。
「再生」とは、ネット上で作品を提供している匿名のアーティストたちが自らのオリジナルの作品をギャラリーに持ち込んで勝手に展示を行う(=地上に姿を現す)ということを意味しているようだった。しかし、この当たりから状況は一変し、悪化の一途をたどった。
足の踏み場もなく散乱したエロ雑誌の切り抜きやDVD。その中でゲームに熱中する参加アーティストもいれば、自作ラップを熱唱する者もいる。観賞者は、足を踏み入れた瞬間に、嫌が応でもインサイダーかアウトサイダーに分類される。楽しめなければゲームオーバー。目の間に繰り広げられるカオスに、ここで寝泊まりし飲食をしていたアーティスト(?)たちの異臭が相まって、頭痛を促すという仕組みになっている。

カオスラウンジ

話題につられて会場に訪れたおそらく80%以上の人が思ったはずだ。
「これはいったい何なのか」。
しかし、そのリアクションこそが、この展覧会の主たる目的である。この意味不明な、ある異様な内輪の盛り上がりが、結果として大きな反響を呼ぶということに、現象としてのアートの文脈がある。この展覧会は、単なる奇天烈なアンダーグラウンド・イベントが、インターネットというメディア(アーキテクチャ)の力を利用することによって、新しい時代のアートを提示する可能性があるということを示したのだ。

僕はこの展覧会について、静かなサポーターであることを貫いた。ビジネスベースでしかアートを捉えようとしないとも思われがちなコマーシャル・ギャラリーが、時には最も有力なサポーターであることを示したかった、という高い志ももちろんあるにはあった。が、正直なところ、Goサインを出したものの、これは異常にリスキーな展覧会だと思っていた。ともすれば画廊のコンセプトやブランドをムチャクチャにする危険性があるということは、あの展覧会をやる側の立場を想像して頂ければ簡単にご理解頂けるだろう。
それでも、僕は彼らの「やりたい」という要望を、ほぼすべてのんだ。箱が常識ベースでダメダメと制限をかければ、展覧会の自由度が損なわれ、この企画展のコンセプトが台無しになってしまうということも分かっていたからだ。
一応自己弁護のために断っておくが、この展覧会に関して、うちは100%ボランティアの立場であった。場所代はもちろん、電気代も請求していないし、作品のディーリングにも関わっていない。

カオスラウンジ

今回の「破滅ラウンジ」の作品の行き先についてだが、あのインスタレーションをまるごと村上隆が買い上げたそうだ。
世界で一番コピーライトに煩いアーティストが、コピーライトがまったく放棄された世界で創造されたアート作品を買うことに、奇妙な違和感を覚えてしまうのは私だけだろうか。
弱者の立場に立って発言するのであれば、もしカオスラウンジのアーティストたちに己のコンセプトを貫く知力と精神力があれば、村上隆にだけは売ってはいけなかったはずである。なぜなら、カオスラウンジ的アートの大流行は、世界の巨人「TAKASHI MURAKAMI」にとって、自らの作品の価値を危機的に陥れるリスクを抱えている。その芽を早期につむ、もしくは抱き込みたいと考えるのは当然のことだ。
もし、彼らが意図して「村上派」で生き残りをかけるということであれば、それもよいだろう。ただし、それでは、村上を超えることは100%不可能だ。

しかし、一方でこうも言える。アートの世界は、かつて村上が自著で書いたように、まさしく「弱肉強食」の世界である。才能だけではのし上がれない、パワーゲームに立ち回れる能力がなければ上にはいけない。
これはアーティストだけでなく、ギャラリーも、あるいはキュレーターも同じことだ。村上隆が、日本のアートシーンの実力不足を痛感して、自ら海外にその主戦場を求めたことは当然の成り行きであっただろう。その村上が、今再び日本に戻って次の一手をうつ準備をしている。そうであれば、あるいは逆に日本のアートシーンが総力をあげて村上をサポートするというアイデアもあってもいいのかもしれない。村上の文脈を強度にするもの、革新させるもの、そうした要素を村上ブランドに集約させることで、互いに相互扶助の関係で生き残ることができる。
事実、村上はMr.やTakano Ayaといったアーティストを育てている。国際社会の中でまったくリスペクトされていない「JAPAN」という国が、世界に誇れる数少ないブランドの中に、「TAKASHI MURAKAMI」があるということを、再度私たちは自認するべきなのかもしれない。

今後、カオスラウンジがどのようにその活動を推移させていくのかはわからない。村上コネクションの中で、いくつかの海外でのプロジェクトが進行しているとの話も聞く。私は、引き続き静かなサポーターでいたいと思う。

破滅ラウンジ

Exhibition Information

NANZUKA UNDERGROUND

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