この物語はフィクションです。
この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
地下道をシェルターへ避難する第一高校生徒・職員(プラス若干名の部外者)の集団と、地下道に入り込んだ武装ゲリラの遭遇戦は終息を迎えようとしていた。
彼らは総勢六十名に達する。
会場が襲撃を受けたのが一高の発表の直後だった為、応援の生徒数がピークを迎えていた。
この不運な巡り合わせを心の中で嘆きながら、あずさは生徒会長として、何とか表面上だけでも平静を保っていた。
通路の先で反響する轟音は、銃声と衝撃波の応酬。
最前線に立つ沢木が、ハンドガンで応戦するゲリラを殴り倒している音だ。
アサルトライフルやサブマシンガンなどの主武装は皆で協力して無力化済み。
あずさも銃口に空気塊を固定する魔法で暴発を引き起こし、二丁のライフルを射手ごと無力化した。
その結果が、彼女の目の前にある。
地下道と言っても前近代の抜け穴ではない。
照明は煌々と灯っている。
血に塗れて地下の路上に転がる不正規兵。
その悲惨な光景に、本当はしゃがみこんで目を塞ぎたかった。
しかし、生徒の代表を任せられた義務感から、あずさは恐怖を必死で抑え込んだ。
彼女には魔法戦闘の技能も集団戦指揮のノウハウも乏しい。
彼女が口出ししなくても、部活連と風紀委員会から選抜された自警団メンバーが主体となってゲリラの接近を許さなかった。
あずさは、こみ上げてくる吐き気を堪え、駆けつけた服部と沢木がゲリラを蹴散らしてゆく光景を見ていた。
彼女には見ていることしか出来なかったが、目を逸らさず、彼らの働きを見届けることが自分の義務だと感じていた。
相手が少人数ということもあり、幸いこちらに死傷者は出なかった。
しかし、魔法師は不死身ではない。
切られれば血を流し、撃たれれば死ぬこともある。
魔法による防御も万能ではない。銃弾の運動エネルギーが魔法の事象改変力よりも高かったならば、魔法の防壁も撃ち抜かれてしまう。
そのリスクを冒し我が身を盾にして、彼女のような戦闘向きでない生徒を守る為に戦ってくれている仲間の姿から目を逸らすのは、人として許されない裏切りだと感じていた。
あずさは、散発的に飛び出してくるゲリラを殴り倒し、蹴り倒して進む沢木と、その背後から魔法による援護射撃を繰り出す服部の後姿を、じっと見ていた。
物陰から飛び出してきたゲリラを、沢木は有無を言わさず殴り倒した。
相手は不正規兵、その姿格好は一般市民と区別がつかない。
アサルトライフルのような大型銃器を構えていればすぐ見分けがつくが、ハンドガンやコンバットナイフを隠して近づくゲリラを、地上から避難してきた一般市民と判別するのは困難だ。
だから沢木は、見分けることを放棄した。
守りを固め、攻撃してくるものを殴り倒す。
こんな乱暴な戦術を取れるのは、彼の強固で高度なディフェンスがあってこそだ。
収束・移動系複合魔法「空気甲冑〔エア・アーマー〕」
自分の体表面より三センチから五センチの相対座標に圧縮空気の層を築き、相対速度ゼロで静止させる魔法。
人体の曲面に沿って形成された空気層は、進入角が浅くなるよう身体を捌くことによって、高速低質量の銃弾を逸らしてしまうことができる。
銃口の向きから弾道を瞬時に割り出し、必要な回避動作を行う。
魔法だけではなく、体術だけではなく、両者が融合したスピードと技術が、撃たれてから反撃するという命知らずの戦法を可能としている。
新たな敵が、大型ナイフで切りかかって来た。
沢木は多重魔法により自分自身に加速魔法を発動する。
拳速を音の速さまで加速。
空気の層を纏った拳が音の壁を叩きつける。
轟音と共に吹き飛ぶゲリラ。
過剰に見える攻撃力は、新たな敵に対する牽制も込められている。
幾度も繰り返された恫喝は、一向に効果を表していない、ように見える。
だが人の体力が有限であるのと同じく、人間の気力もまた有限だ。仲間の影から斬りかかろうとしていた不正規兵を巻き込み二人まとめて地下通路の壁に叩きつけた沢木の一撃は、ゲリラの戦意を遂に圧し折った。
逃げて行く人の気配へ向けて帯電した蒸気塊を投げつける性格の悪い同級生を横目に、沢木は身に纏っていた鎧を解除した。
◇◆◇◆◇◆◇
藤林の部隊はオフロード車両ニ台に藤林を含めて八人の、分隊規模にも及ばない小集団だったが、全員が相当な手練であると思わせる雰囲気を纏っていた。
「真由美さん、残念ですけど……全員は乗れません」
一人一人の兵士が放つ歴戦の雰囲気に圧倒されていた真由美に、藤林が申し訳無さそうな表情で告げた。
「えっ、いえ、最初から徒歩で避難するつもりでしたから……」
「そうですか。しかしそれでは、余り長距離は進めません。何処へ避難しますか?」
克人ではなく真由美に話し掛けたのは彼女が顔見知りだったからだろうが、真由美としては克人と相談して欲しいところだった。こういうシチュエーションなら、自分より克人の方が間違いなく場慣れしているからだ。
「保土ヶ谷の部隊は野毛山を本陣とし、小隊単位でゲリラの掃討に当たっています。
山下埠頭の偽装艦に今のところ動きは見られませんが、じきに機動部隊を上陸させて来るでしょう。
そうなれば海岸地区は戦火の真っ只中に置かれることになりますから、やはり内陸へ避難した方が良いでしょうね」
「えっと……予定どおり、駅のシェルターに避難した方が良いと思うんだけど」
迷いが拭えぬ口調で、真由美は克人へ目を向けた。
「そうだな。それが良いだろう」
克人が即座に頷き、真由美はホッとした表情を浮かべる。
それを見て藤林は面白そうに唇の両端を吊り上げたが、その慎ましい笑みに気付いた者は、真由美本人を含めて、いなかった。
「では前と後ろを車で固めますから、ついて来て下さい。
ゆっくり走りますから大丈夫ですよ」
そう言って、片方の車両へ向かう藤林。真由美、摩利とその後に続く。
「藤林少尉殿」
しかし克人は、歩き出す代わりに、藤林を背後から呼び止めた。
「何でしょうか?」
藤林は全くのタイムラグ無しで、クルリと振り返った。
それは、呼び止められるのを予期していた素早さにも見えた。
「まことに勝手ではありますが、車を一台、貸していただけませんか」
無茶だ、とそれを聞いていた一高生は思った。
車は二台しかないのだ。しかもそれは、単に人を運ぶだけでなく、武器弾薬を運ぶ為の物でもある。
「何処へ行かれるのですか?」
今は別行動が許される状況ではない。
だが藤林は克人の願いを頭から断ったりせず、何に使うのか、その理由を訊ねた。
「魔法協会支部へ。
私は、代理とはいえ師族会議の一員として、魔法協会の職員に対する責任を果たさなければならない」
ずしっ、と腹の底に響くような声音だった。
彼の声には、薄っぺらな若造のヒロイズムとは一線を画す、使命有る者の覚悟がこもっていた。
「わかりました」
それに対する藤林の答えは、実にアッサリしたものだった。
「楯岡軍曹、音羽伍長。
十文字さんを魔法協会関東支部まで護衛なさい」
かえって克人の方が戸惑いを隠せぬ中、二人の部下を指名し、車両一台を貸し与える。
そしてもう一台の車に乗りこみ、荷台に立って真由美たちへ呼び掛けた。
「さあ、行きましょう。
無駄に出来る時間はありませんよ」
◇◆◇◆◇◆◇
第三高校の代表団と応援団は、来る時に使ったバスで避難することに方針を決めていた。
「何でこんな離れた所に……」
「そういう街の造りなんだから仕方ないでしょ」
バスは国際会議場から離れた、大型車両専用の駐車場に待機している。
その事に文句をつける将輝を、吉祥寺は割りと真面目に叱り付けた。
閉会後に一泊せず、そのまま帰る予定で運転手を待機させていただけでも幸いなのだ。
離れているといっても避難の船が着く埠頭より駐車場の方が近いのだし、こんなことで文句を言ったらバチが当たると吉祥寺は考えていた。
不安があるとすれば駐車場が会場よりも南側、つまり偽装戦闘艦が接岸している埠頭に近いということだが、尚武の気風が強い三高生は、「卑劣な侵略者など蹴散らしてしまえ」と、かえって気勢を上げていた。
ステージ上で武装(?)解除を余儀なくされたことが、余計に火をつけてしまったようだ。
その楽観的過ぎる姿勢こそが、吉祥寺には、より不安でならなかった。
尚武の第三高校、と言っても、実際に戦闘の経験があるのは将輝を始めとする一握りの生徒のみ。
彼自身「実戦」と呼べる経験は無いし、引率の教師も今回は学級肌の者ばかりだ。
世の中、当たって欲しくない予感ばかりが的中する。
前世紀の中葉、楽しくも無い法則を発見した某大尉の諦念は、きっとこんなものだったのではないか、と吉祥寺は思った。(実際に法則として流行したのは前世紀後期だが)
駐車場にたどり着き、彼らの大型バスを視界に納めた直後。
――バスは、ロケット砲の直撃を受けた。
着弾地点は幸いなことに――不幸中の幸い、でしかないが――最後尾付近だったので、運転手は傷ややけどを負う前に慌てて車外に転がり出て来た。
車体も実は、耐熱対衝撃の、軍事車両の装甲板と同じ材質を使った特注品で、ガラスは割れ表面は焦げているものの、穴が開くのは免れている。
だが、タイヤがダメになっていた。
熱と破片で見事に裂けている。
「このヤロウ!」
吉祥寺の隣で、将輝が沸騰した。
落ち着くように注意しようとして、吉祥寺は考えを変えた。
タイヤを交換する為には、その間、敵を近づけないようにしなければならない。
彼は友人を好きに暴れさせることに決めた。
吉祥寺は将輝の隣を離れ、引率教師の所へ行った。
「先生」
「吉祥寺、どうした」
今にも震え出しそうな声だが、強がれる分だけ立派だろう。
彼も親友の強さにここまで強い確信が無かったら、きっと似たようなものだったにちがいない。
「敵は将輝に任せて、僕たちはタイヤの交換の準備をしましょう」
「しかし、準備と言っても……」
「ここは大型車両や特殊車両用の専用駐車場です。
簡単な整備の為の設備もありますから、タイヤの予備も置いてあると思います」
「そ、そうか!
よし、手の空いた者は吉祥寺と一緒に、交換用のタイヤを探してきてくれ!」
手の空いた者、というのは将輝以外にも交戦状態に突入した者が結構いたからである。
三高の生徒たちは、撃退と脱出準備と、手分けして対処を始めた。
◇◆◇◆◇◆◇
あずさに率いられた(という表現は少し実態と乖離しているかもしれないが)一高生徒・教職員+αの集団は他校に遅れて地下シェルターの入り口に到着した。
遅れた理由は他校に比べて人数が多かった所為だ。
総勢六十人。平時であれば、大した数ではない。
だが全員を取りこぼしが無いよう一箇所に集めるには手間の掛かる人数であり、襲い掛かる敵を警戒し、撃退しながら進むには、武器になると同時に重荷となる人数だ。
災害時であれば外から自由に入れる扉も、敵性兵力が跳梁跋扈している状況ではそうも行かない。
既に多数の避難者がいる内部から、鍵を開けてもらわなければならない。
扉が開くまでの間、入り口前の地下広場(広場状に開けた地下通路)で、服部と沢木により脱落者がいないかどうかの点呼が行われていた。
教職員は、大人の役目を果たしている。
安宿は怪我人の様子を見て回り、遥は不安を隠しきれない生徒に声をかけ、廿楽は最後尾で十三束を伴って警戒に当たっていた。
だから、という訳でもないだろうが――
最初に異変に気づいたのは、廿楽だった。
「皆さん、頭を庇って伏せて下さい!」
地下通路の天井に、異音が響く。
コンクリートの軋む音がする。
照明が消えて、闇の帳が下りる。
天井と壁にひびが入る。
その全てが、息をつく間も無く起こった。
悲鳴を上げた者もいた。
ただしゃがみ込んだ者もいた。
落ちて来る鉄とコンクリートと土砂を支えようと魔法を編み掛けた者もいた。
しかし、それがどんな力によるものにせよ、地下通路の崩壊は避けられなかった。
その時あずさは、シェルター入り口の有線端末で扉を速く開けるよう交渉していた。
廿楽の警告に思わず振り返った彼女は、目の前で起こっている破局から目を逸らせなかった。
目を瞑ることもできなかった。
天井が崩れ、壁が剥がれ落ちる。
彼女自身は、崩落に巻き込まれる心配はない。
扉の外とはいえ、強固な合金で覆われたシェルターの通路内にいるのだから。
だが、他の生徒たちは……
「……え?」
しかし、土埃が収まって、シェルター入り口に続く通路に点された明かりで地下通路崩壊の結果が明らかになった時、彼女の目から涙は零れず、その代わり口から予想外の光景を驚く声が漏れた。
一高の生徒は、生き埋めになっていなかった。
コンクリートの破片が、アーチを作っていた。
一体どんな偶然が働いたのか、コンクリート破片の大きな塊が円弧状に噛み合ってお互いの重量を支え、その下に人が中腰で立てる程度の空間を作っていたのだ。
いや、こんな物が偶然に出来上がるはずが無い……あずさはそう思った。
こんな現象が何の作意も無く起こるなど、限りなくゼロに近い確率だ。
(……そうか、ポリヒドラ・ハンドル! 廿楽先生の魔法で……!)
彼女が心の中で叫んだ「ポリヒドラ・ハンドル」とは立体映像描画の命令文のことではなく、構造物を三角錐や四角柱等の単純な多面体の集合体に抽象化し、その構成要素である仮想単純立体を操作することで大規模構造物の変化をコントロールする魔法のことだ。
現代魔法は一つの事物を部分的に変化させることを苦手としている。
地下通路の崩落という現象を止めようとするなら、通常の現代魔法術式では地下通路全体をその対象とする必要がある。
だがポリヒドラ・ハンドルは一つの事物を多数の構成材料の集合体として認識することで、その一部を変化させることにより全体に影響を及ぼす。
無論その為には、一つの構造物を多数の小さな材料に分解する分析力が必要になるが、それが可能な魔法師は、ありえない偶然が作り出す奇跡を意図的に演出することが出来るようになる。
――今の様に。
おそらく、何らかの理由により過大な荷重が掛かり地下通路の崩壊が避けられないと覚った廿楽は、土砂の圧力を利用してアーチが形成されるよう、落下する破片の運動をビリヤード状にコントロールしたのだろう。
しかしこのアーチは、所詮、瓦礫で作られた物。
自然石の強度は無い。
「皆さん、速くこちらへ!」
地面に伏せていた生徒と教職員と第三者に大声で呼びかけてから、あずさは早く扉を開けるよう、シェルターの中へ必死に訴えた。
「っ――、……?」
安宿が怪我人の診察の為に側を離れ、六十人の集団の中で独りぼっちとなった千秋は、悲鳴を上げることもできずただしゃがみ込んでいた一人だった。
確かに、天井は崩れた。
壁も、所々壊れたはずだ。
それなのに何故、自分は生き埋めになっていないのか。
千秋は恐る恐る目を開けて、その目に飛び込んできた光景に絶句した。
鉄筋とコンクリートの瓦礫がジグソーパズルの様に複雑に重なり合って、小さなトンネルを作っている。
ありえない偶然に、千秋は呆然とへたり込んだ。
と、そこへ、
「何してんの!?
速く逃げなきゃ!」
叱咤の声が浴びせられ、誰かが彼女の手をとった。
驚きにビクッ、と身体が震え、反射的にその手を振り払おうとする。
だがその手は、千秋に痛みを感じさせないよう柔らかく、それでいて決して離れぬよう力強く彼女の手を握っていた。
「急いで!」
千秋から反射的に示された拒絶など気にした様子も無く、その手は闇の中、彼女を引っ張って行く。
背後に人の声も気配も無い。
呆然としていた間に、彼女はどうやら、一番最後になってしまっていたらしい。
前方から弱い光が差し込んでいるのは、既に瓦礫のトンネルを抜けた人がライトを向けてくれているのだろう。
千秋はこの時、何も考えていなかった。
ただ手を引かれるままに、中腰の苦しい姿勢で、それでも足を止めずに走り続けた。
差し込むライトが眩しさを増し、トンネルの出口が見えた。
ギシッ、と不吉な音が耳に届いた。
瓦礫の一部が重みに耐え切れず、崩れていく。
スローモーションで展開される、破局の映像。
千秋の手を引く少年が、その手を引いて彼女の身体を抱き寄せ、空いている右手で自分の右腰を叩いた。
ガクン、と千秋は身体が引き抜かれるような衝撃を覚えた。
自分を抱く手の先に、その胸に、思わず全力でしがみつく。
それが急加速による慣性だと千秋が気づいたのは、崩れ落ちた瓦礫を抜けてシェルターの通路へたどり着いてからだった。
十三束が逃げ遅れていた女子生徒を無事救出したのを見て、あずさは胸を撫で下ろした。
しかしその女子生徒の顔を見て、落ち着きを取り戻した彼女の心臓は再び大きく跳ね乱れた。
(平河先輩の妹さん……)
あずさは同じ九校戦エンジニアチームの一員として、平河小春と親交があった。
穏やかな人柄の平河姉はあずさにとって付き合いやすい先輩であり、同じ技術系を得意とする話の合う先輩でもある。
その妹が代表チームの妨害工作未遂を働いたと聞いて、あずさは最初、耳を疑った。妹の方と直接の面識は無かったが、時々話を聞いていた限りでは、そんなことをする少女とは思えなかった。だから、余計にショックを受けた。
抱きついていた少年から慌てて離れ、恥ずかしそうに俯きながらもチラチラと相手の顔をのぞき見ている姿は、本当に普通の下級生に見える。
出来ればこのまま、悪い夢から醒めて欲しい……誰にとも無く、あずさはそう願った。
間一髪で生き埋めを免れた千秋は、頑丈な合金の屋根の下でホッと息をついた。
そしてようやく、自分の体勢を自覚する余裕を取り戻した。
「!」
自分的には記録的な反応速度? と良い塩梅に混乱した頭で千秋は考えた。
良い塩梅、というのは、混乱していなければ錯乱していただろうから。
とにかく手足をフルスピードで動かして、彼女は抱きついていた少年から離れた。
恥ずかしくて顔を上げられないが、同時に、相手がどんな顔をしているのか気になって仕方が無い。
その結果、彼女は俯いたままチラチラと相手の顔を窺い見る、という結構不審な挙動に陥っていたのだが、相手の少年は特に気にしていないようだった。
「大丈夫? だったら、早く中に入ろう」
自分を気遣う声。
千秋はこの時、こういう声を随分久しく聞いていない、と感じていた。
利用し、利用される「協力関係」の中では、相手を気遣うことも気遣われることも無かった。
目的を果たせず捕まった後は、何を言われても責められているようにしか感じられなかった。
だがこの少年は、ただ当たり前に彼女のことを心配して声を掛けてくれた……何故か、そう感じることが出来た。
「あっ、待って」
先に扉をくぐろうとしている――それだって彼女の方へ目を向けて、先導しているのだ――少年の上着を、千秋は思わず掴んでいた。
「あの……ありがとう……」
今はそれが、彼女の精一杯だった。
「んっ? どういたしまして」
それをこの少年が(千秋はこの時点でまだ、十三束の名前を知らない)自然に受け容れてくれたことが、自分でも不思議なほど千秋は嬉しかった。
◇◆◇◆◇◆◇
藤林の部下に先導されて、地下シェルターが設置されている駅前広場にたどり着いた真由美たち一行は、その場の惨状に言葉を失った。
広場が大きく陥没していた。
その上を闊歩する、巨大な金属塊。
「直立戦車……一体、何処から!?」
藤林にとっても予想外の敵だったのか、呻くような声が唇から漏れる。
複合装甲板で全身を覆った人型の移動砲塔。
太く短い二本の脚に無限軌道のローラースケートを履かせているようなフォルムの下部構造と、一人乗りの小型自走車に様々な種類の火器がセットされた長い両腕と首のない頭部をつけた上部構造。
全高約三メートル半、肩高約三メートル、横幅約一メートル半、長さ約二メートル半の縦長の機体は、市街地において効率的に歩兵を掃討することを目的に元は東欧で開発された兵器だ。
それが二機。
弾薬フル搭載、兵員搭乗時の総重量が約八トン。二機で合計重量は十六トンになるとはいえ、それだけで舗装され補強された路面が陥没するものではない。
地下シェルター、または地下通路へ向けて、直立戦車から何らかの攻撃が加えられたことは確実だ。
「このっ!」
「花音、『地雷原』は拙いよ!」
茫然自失から回復した直後、一瞬で沸騰した花音が魔法を発動しようとするが、五十里が腕を掴んでそれを押し止める。
地下がどういう状態になっているか分からないのだ。この状況で地面を振動させる魔法は惨劇を拡大することになる可能性が高い。
「そんなもの使わないわよ!」
五十里の制止を振り切って、魔法を発動しようとする花音。
彼女が見据えた標的は、
――穴だらけになって、白く凍りついていた。
「あっ……」
「真由美さんも深雪さんも流石ね。
手を出す暇も無かったわ」
呆然と立ち尽くす花音の横で藤林が苦笑気味に称賛すると、真由美は少し照れながら、深雪は微かな笑みを浮かべて、共に一礼を返した。
「……地下道を行った皆は大丈夫みたいです。誰かが生き埋めになっている形跡はありません」
そう告げたのは幹比古だ。
目を閉じたまま、心の一部を何処か別の場所に置いて来た様な表情は、まさしく、五感の一部を精霊に委ねて地下を探っているのだろう。
「そうですか。
吉田家の方がそう仰るなら確かでしょうね。
ご苦労様です」
「いえ、大したことでは」
藤林に労われて、幹比古は大急ぎで閉じていた目を開き早口で答えた。
こういう初心な反応をからかったり冷やかしたりするのが好きなメンバーがこの場には揃っていたが、
「――それで、これからどうするんですか?」
実際に飛び出したのは、エリカのこの台詞だった。
藤林がその挑戦的な口調に少しも動じたところが無かったのは、やはり大人の余裕と言うべきだろうか。
「こんなところまで直立戦車が入り込んで来ているのですから、事態は思ったより急展開しているようですね。
私としては、野毛山の陣内に避難することをお勧めしますが」
「しかしそれでは、敵軍の攻撃目標になるのではありませんか?」
「摩利、今攻めて来ている相手は、戦闘員と非戦闘員の区別なんてつけていないわ。
軍と別行動したって危険は少しも減らない。寧ろ危ないと思う」
摩利が唱えた原則論は、真由美にやんわりと否定された。
「では七草先輩は、野毛山に向かうべきだと?」
当然とも思える五十里の問い掛け。
だが真由美は首を横に振った。
「私は逃げ遅れた市民の為に、輸送ヘリを呼ぶつもりです」
そういって彼女は、駅の方へ視線を向けた。
そこでは、シェルターの入り口を潰されて途方に暮れた市民の姿が、徐々にその数を増やしつつあった。
「まずアレを片付けて発着場所を確保し、ここでヘリの到着を待ちたいと思います。
摩利、貴女はみんなを連れて藤林さんについて行って」
「何を言う!?
お前一人でここに残るつもりか!?」
予想外の言い種に、摩利は当然、食って掛かった。
だが、真由美の回答も、断固たるものだった。
「これは十師族に名を連ねる者としての義務なのよ、摩利。
私たちは十師族の名の下で、様々な便宜を享受している。
この国には貴族なんかの特権階級はいないことになっているけど、実際には、私たち十師族は時として法の束縛すら受けず自由に振舞うことを許されているわ。
その特権の対価として、私たちはこういう時に、自分たちの力を役立てなきゃならない」
「――だったら僕もこの場に残りますよ」
真由美の言葉に込められた決意――あるいは覚悟に呑まれてしまった摩利に代わって、五十里がそう応えた。
「僕も数字を持つ百家の一員として、政府から色々な便宜を受けていますから」
「啓が残るならあたしも!
あたしだって百家の一員よ」
「じゃあ、あたしもだね。
これでも一応、千葉の娘だから」
「わたしも残ります。
お兄様が戦っていらっしゃるのに、わたしが何もしないわけには参りませんから」
「わ、私だって!」
「会社のヘリを遣すよう、私も父に連絡します」
「俺は十師族でも百家でもありませんが……下級生の女の子が残るって言ってんのに、尻尾を巻いて逃げ出すなんて真似は出来ませんぜ」
「俺もです。腕っ節には自信があります」
「あたしも残ります。
あたしにはエリちゃんや桐原くんや皆さんほどの力は無いけど、少しでも罪滅ぼしがしたいから」
「吉田家は百家じゃありませんが……色々と優遇してもらっているという点では同じです」
「あの、私じゃ何のお力にもなれないかもしれませんが、皆さんの『眼』になるくらいのことなら……」
「……下級生が全員残ると言っているのに、あたしたちだけ避難する訳には行かないよな?」
「そうですね。それに真由美さんだけでは不安でしたし。真由美さんは意外と抜けているところがありますから」
「あのねぇ」
鈴音の台詞に抗議の声を上げた後(本当に「声をあげた」だけだった)、
「それにしても……みんな、バカね……」
演技ではなく、本気で「嘆かわしい」とため息をついた真由美は、その美貌を諦めに染めて、藤林に向き直った。
「お聞きの通りです。
本当に、ウチの子たちは聞き分けがなくて……折角のご厚意を、申し訳ありません」
深々と頭を下げる真由美と、その後ろで決まり悪げに目を逸らしている集団を見て、表情だけは真面目なままで、藤林は明らかに面白がっていた。
「いえ、頼もしいですね。
それでは部下を置いていきますので」
「いえ、それには及びませんよ」
その声は、一高生の側からのものではなく、藤林の背後からのものだった。
「警部さん」
「和兄貴!?」
同じ人物を指す異なる呼び掛け。
千葉警部は自分を「警部さん」と呼んだ藤林に身体を向けた。
「軍の仕事は外敵を排除することであり、市民の保護は警察の仕事です。
我々がここに残ります。
藤林さん……っと、藤林少尉は本隊と合流して下さい」
「了解しました。
千葉警部、後はよろしくお願いします」
タイミングの良すぎる登場と、リハーサルしてきたような台詞。
しかしその事については何も触れず、藤林はピシッと敬礼して颯爽と去って行った。
「う~ん……良い女だねぇ」
「あ、無理無理。和兄貴の手に負える女性じゃないって」
しみじみと呟いた独り言に、妹から容赦のないツッコミを受けて、千葉警部はまさに「ぎゃふん」という気分で絶句してしまった。
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