この物語はフィクションです。
この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
正面出入口の前は、突撃銃と魔法の撃ち合いの真っ直中だった。
達也の予想したとおり、ゲリラ兵を迎撃しているのは協会が手配したプロの魔法師。
だが既に正面ゲートの突破を許してしまっていることからも分かるとおり、戦況は芳しくない。
元々ゲリラ側が数に勝っているが、本来ならば通常装備の歩兵など寄せ付けぬはずの実戦魔法師が何人も負傷し、斃れている。
「止まれ! 対魔法師用のハイパワーライフルだ!」
彼を追い越して飛び出そうとしたエリカを大声で呼び止め、
「ぐぇっ!」
レオの襟首を掴んで引きずり戻す。
「……達也、容赦ないね」
「でも、お陰で命拾い」
こんな時でもいつものペースを忘れない友人たちに心強ささえ感じる。
こんな時なので、苦笑いは浮かぶ前に消して、達也は妹に目を向けた。
「深雪、銃を黙らせてくれ」
達也の言葉に、友人たちが一斉に「えっ?」という表情を浮かべた。
「かしこまりました。
ですがお兄様、この人数を一度に、となると……」
深雪の返答は、何故か、場違いな羞じらいを含んでいるように見えた。
何を恥ずかしがっているのか、と新たな謎に首を捻った一同だが、
「分かっている」
次の達也の行動で、今回の疑問はすぐに解消した。
達也が差し出した左手に、そっと右手の指を絡める深雪。
その羞恥の表情は、どの角度から眺めても妹が兄に対して見せるものではない。
しかしそれを誰かが咎める前に、深雪の顔は引き締まった、魔法師のものとなった。
左手には、それと気付かせぬ自然な動作で、CADが握られている。
達也が右手を水平に挙げ、隠れているドアの横からゲリラ兵たちを指差した。
次の瞬間、深雪の魔法が発動する。
それは、火を凍り付かせる魔法。
振動減速系概念拡張魔法「凍火」
凍結の概念拡張魔法「凍火」は、燃焼を妨害する魔法だ。
この魔法には、対象物の保有する熱量を一定レベル以下に抑制する効果がある。
銃は、突き詰めていえば、弾薬――発射薬の燃焼により生じるガス圧で弾丸を飛ばしている。
発射薬を燃焼させる雷管の爆発(爆轟)も、燃焼の一形態。
そして燃焼という現象は必ず熱量の増大を伴うものであり、熱量の増大を禁じられた可燃物は、燃えることが出来ない。
故に「凍火」を掛けられた火器は、銃であろうと大砲であろうと火薬、爆薬を使用している限り、沈黙を強いられることになる。
三十二丁のアサルトライフルを標的とした「凍火」のニ連射。
その効果を確かめもせず、達也は隠れていた扉の影から飛び出した。
あっという間にゲリラの陣地へ飛び込み、魔法を宿した両手の手刀を振るう。
素手で人体を斬り裂くショッキングな光景は、それが魔法によるものと見ただけでは分からなかったが為、余計に、銃で仲間が斃されるより遥かに大きな衝撃をゲリラに与えた。
銃が使えなくなったことに狼狽しながらも、最初は果敢にコンバットナイフで応戦していたゲリラだったが、五人が斬り斃された時点で、すっかり腰が引けてしまっている。
彼らは不気味な怪物を見る目を、達也に向けていた。
遠隔射撃魔法ではなく、敢えてリスクの有るゼロ距離魔法を使ったのは、友人たちに自分が使う魔法の正体を覚らせないという目的もさることながら、それ以上に相手の動揺を誘うことを目論んだものだ。
悪鬼羅刹扱いは、達也の注文通りだった。
戦意を挫かれ集中力を欠いた状態となった不正規兵の横手から、目にも留まらぬ速度で銀色の疾風が駆け抜けた。
疾風の線上で血飛沫が舞い、ゲリラ兵が斃れる。
小太刀、いや、長さから見て脇差しというべきだろうか。
銀色の正体は、その短い刃だった。
いつもの警棒を鍔の無い脇差し形態の武装一体型CADに換えたエリカが、自己加速魔法で駆け抜けながら正確に頸動脈を斬り裂いていったのだ。
彼女もまた、達也と同じく、敵の命を奪うことに躊躇を持っていなかった。
「達也、エリカ!」
後方から届いた幹比古の声に、二人はサッと左右へ散った。
吹いて来たのは、本物の疾風。
風の中に潜むカマイタチが、ゲリラの皮膚を無惨に引き裂いて駆け抜けていった。
残りの敵兵力を警備の魔法師に任せ、達也とエリカは一旦仲間の所まで戻った。
「出る幕がなかったぜ……」
何やらいじけているレオの背中を叩いて励まし(その結果レオは苦悶の表情で蹲っている)、幹比古にサムズアップを見せて、少し怯えた目を向けて来るほのかと美月に小さく笑い掛けた。
「ほのか達には少し刺激が強かったかな」
「――いえ、大丈夫です」
ほのかが気丈に頷いて見せたのは、やはり恋心の成せる業だろうか。
理由が何にせよ、気持ちをしっかり持っていてくれるのはありがたかった。
怖がるのも忌避するのも、この場を切り抜けてからにして欲しいというのが、掛け値無い達也の本音だった。
「美月?」
「あっ……私も大丈夫です」
深雪が優しく一言掛けただけで、美月も強張った顔に笑みを浮かべて見せた。
彼女も頭の良い娘だ。
今が日常の時ではないと、ちゃんと解っているのだろう。
「それにしてもエリカ、良くそんな得物を持って来れたな?
鞄に入る長さじゃないだろう?」
とは言っても、人殺しの光景はすぐに慣れるものではないし、そのショックはすぐに薄れるものでもない。
敢えて関係のない話を振ったのは、二人に気持ちを落ち着かせる時間を与えるという目的あってのことだった。
「うん、このままじゃ無理だよ?」
そしていつも以上に砕けた口調で応えたエリカは、ちゃんと達也の意図を察することが出来ていたのだろう。
「でもこうすると……ねっ?」
「ほぅ、これはまた……」
しかし達也の口から漏れた感嘆は、演技ではなかった。
何となく目を引き付けられていたほのかや美月も、深雪や雫や幹比古も、目を丸くしている。
確かに、目を丸くするだけの価値があるギミックだ。
エリカが柄尻のスイッチを操作すると、鋭く研ぎ澄まされた薄い刀身が、楕円形の断面を持つ短い棍棒へみるみる縮んでいったのだ。
「凄いでしょ? 来年から警察に納入予定の形状記憶棍刀よ」
「そう言えば千葉家は白兵戦用の武器も作っていたっけな……」
「どっちかって言うと、それが収入のメインなんだけどね」
笑いを誘うようなコミカルな会話ではなかったが、軽い口調で言葉を交わす二人の姿に、ほのかたちも落ち着きを取り戻した様子だった。
「……それで、これからどうすんだ?」
レオも空気を読んでいたのだろう。
待ちかねた、と言わんばかりの口調で、達也に次の指示を求めた。
「情報が欲しいな。
エリカも言ってたが、予想外に大規模で深刻な事態が進行しているようだ。
行き当たりばったりでは泥沼にはまり込むかもしれない」
――協会へ行けば必要な情報は手に入る。
魔法協会本部・支部には十師族専用の秘密回線が通っていて、達也も四葉家用の回線にアクセス権限を付与されている。その秘密回線を使えば国防会議の極秘情報ですら入手可能だ。
達也一人なら、市街戦の真っ只中であろうと、魔法協会関東支部のあるベイヒルズタワーまで十分も掛からないだろう。毎朝続けている高速ランニングは伊達ではない。
だがローラーブレードも飛行デバイスも無しでは、深雪が達也のペースについて行けない。
レオ、エリカ、幹比古ならあるいはついてこれるかもしれないが、ほのか、雫、美月は見るからに無理だ。
「VIP会議室を使ったら?」
知らず知らず眉間に皺を寄せていた達也に、出て来たばかりの建物を指し示しながら雫がそう提案した。
「VIP会議室?」
しかしそのような施設の存在を達也は知らなかった。
VIP応接室なら知っているが、まさかそんな単純な言い間違いではあるまい。それに達也が思い浮かべた部屋はあくまで応接室で、情報端末は通常の通信回線につながっているだけだ。
「うん。あそこは閣僚級の政治家や経済団体トップレベルの会合に使われる部屋だから、大抵の情報にアクセスできるはず」
「そんな部屋が?」
「一般には開放されていない会議室だから」
「……良く知ってるね、そんなこと」
エリカがこの時ばかりは純粋に感心した態でそう言うと、雫は少し恥ずかしそうで少し得意げに応えた。
「暗証キーもアクセスコードも知ってるよ」
「凄いんですね……」
「小父様、雫を溺愛してるから」
ほのかが付け加えた一言に、達也はなる程、と頷いた。
あの父親なら、そのくらいのことはやりそうだ。
そして「北方潮」が使う部屋なら、警察や沿岸防衛隊の通信も傍受可能だろう。
「雫、案内してくれ」
達也の言葉に、彼女にしては珍しいオーバーアクションで、雫が大きく頷いた。
◇◆◇◆◇◆◇
VIP会議室で雫のアクセスコードを使って警察の指揮回線を傍受した達也は、予想を超えて悪化している状況に顔を顰めた。
「何これ!」
「酷ぇな、こりゃ」
「こんなに大勢……一体どうやって」
友人たちはもっと派手な反応を見せていたので、彼の顰め面は目立たなかったが。
「お兄様……」
しかし目立たないと言っても、深雪が気づかないはずはない。
彼の心に生じた波紋は、妹の動揺に直結するのだ。彼ら兄妹の心は、つなげられているのだから。
不安に瞳を揺らす妹の頭をポンポンと撫でて、達也は友人たちに向き直った。
「改めて言わなくても分かっているだろうけど、どうも、簡単には脱出できそうにない。
少なくとも陸路は無理だろうな。何より、交通機関が動いていない」
「ってことは、海か?」
レオの質問に、達也は首を横に振った。
「それも望み薄だな。出動した船では、全員を収容できないだろう」
「じゃあシェルターに避難する?」
幹比古の提案に、達也は頷いた、が、その顔からはいまひとつ自信が窺えなかった。
「それが現実的だろうなぁ。
ここも頑丈に作られているとはいえ、建物自体を爆破されてはどうにもならない」
「じゃ、地下通路だね」
エリカが今にも駆け出しそうな顔で促したが、達也はそれに「待った」を掛けた。
「いや、地下は止めた方が良い。上を行こう」
「えっ、何で? ……っと、そうか」
理由を説明する前に納得の様子を見せたエリカに、「流石は実戦魔法の名門だな」と達也は口に出さず感心した。
ただ、彼の「待った」はそれだけではなかった。
「それと、少し時間を貰えないか?」
「それは構いませんが……何故ですか?」
一刻を争うと誰の目にも明らかな状況で猶予を言い出した達也に、ほのかが首を傾げて理由を訊ねた。それでも「イエス」が前提になっているところが、彼女の達也に対する感情のあり方を物語っている。
「デモ機のデータを処分しておきたい」
「あっ、そうだね。それが敵の目的かもしれないし」
幹比古のフォローに、全員が頷いた。
◇◆◇◆◇◆◇
「司波、吉田」
エレベーターホールからステージ裏へと回る通路で、先頭を行く達也と幹比古に、ずっしりと腹に響くような声が掛けられた。
こんな重みのある声を出せる高校生を、達也も幹比古も一人しか知らない。
「十文字先輩」
振り向いた先から、服部と沢木を従えた十文字克人が歩み寄って来た。
「他の者も一緒か。
お前たちは先に避難したのではなかったのか?」
それは「さっさと避難しろ」という言外の指示。
「念の為、デモ機のデータが盗まれないよう消去に向かうところです。
彼女たちは、その、バラバラに行動するよりも良いかと思いまして」
非公開の会議室で事実上のハッキングを行ったという事実を隠し、ぞろぞろと引き連れた同伴者を何と説明するか迷って、達也はそんな理由を捏造した。(但し前半は捏造ではない)
「しかし他の生徒は既に地下通路へ向かったぞ」
これは服部の台詞だ。
「地下通路では拙いのか?」
そして眉を顰めた達也の表情の変化を鋭く見て取り、沢木がそう訊いて来た。
「拙いという程の事は……ただ地下通路は直通ではありませんから、他のグループと鉢合わせる可能性があります。場合によっては」
「遭遇戦の可能性があるということか!?」
達也の台詞が終わるのを待たず、服部が勢い込んで質問した。
いや、形の上では質問でも、実際には彼自身がそう答えを出したのだった。
「地下通路では行動の自由が狭まります。逃げることも隠れることも出来ず、正面衝突を強いられる可能性も。
そう考えて自分は地上を行くつもりだったんですが」
克人の決断は迅速だった。
「服部、沢木、すぐに中条の後を追え」
「ハッ」
「分かりました」
勢い良く駆け出した二人を見送り、克人は達也を見下ろした。
その視線には、軽い非難の色が混じっていた。
「司波、お前は智謀の割りに、フットワークが軽過ぎるようだな」
克人が言いたいことは、無論、達也にも分かった。
だからと言って納得したか、というと、そんなことも無かったが。
とにかく、反論はしなかった。
「まあいい。急ぐぞ」
「分かりました」
今度は克人に達也が続く形となった。
達也がやろうとしていることの意味を認め、その手助けを克人がしようとしていることも、まるで言葉が足りていない遣り取りの中で、達也は理解していた。
◇◆◇◆◇◆◇
「何をしてるんですか!?」
デモ機が放置されたステージ裏へ戻って来て、達也は開口一番、自分のことを完全に棚にあげた発言をしてしまった。
「データの消去です」
答えが分かりきった質問をそれ以外に無い答えで鈴音に返され、達也は絶句を余儀なくされた。
「七草たちは避難しなかったのか」
「リンちゃんや五十里くんが頑張っているのに、私たちだけ先に逃げ出す訳には行かないでしょう?」
達也の言いたかったことは克人が代弁してくれたが、これまた当然の様に返されて、それ以上は何も言えなくなってしまう。
「ここは僕たちがやっておくから、司波君は控え室に残っている機器の方を頼めるかな」
「もし可能なら、他校が残した機材も壊してちょうだい」
「こっちが終わったらあたしたちも控え室に向かう。そこで今後の方針を決めよう」
五十里、花音、摩利から立て続けの依頼(指示?)を受けて、達也と克人は揃って踵を返した。
達也が深雪を伴い他校の控え室を回って戻って来た時には(他のメンバーを連れて行かなかったのは、情報を記録したパターンを分解してストレージを空にしてしまう魔法を見られたくなかったからだ)、鈴音たちもステージの作業を終わらせて控え室に来ていた。
「お帰り、早かったね」
「首尾は?」
「残っていた機器は全てデータを破壊しておきました」
「へぇ……どうやって?」
予想していたけど驚きを隠せない。
そんな表情で訊いて来た花音に、達也は短く答えた。
「秘密です」
「花音、他の魔法師が秘密にしている術式のことは、訊いちゃいけないって。
マナー違反だよ?」
他ならぬ五十里の言葉だ。
花音は不承不承、であることをあからさまな態度に見せながら、それでも大人しく引き下がった。
「さて、これからどうするか、だが」
そう口火を切った後、摩利は真由美へ目を向けた。
「沿岸防衛隊の輸送船はあと十分ほどで到着するそうよ。
でも避難に集まった人数に対して、収容力が十分とは言えないみたい」
真由美が告げた情報は、達也たちが上の階で確認してきた情報と内容が一致していた。つまり、全員が避難できないのは間違いない、ということだ。
「シェルターに向かった中条さんたちの方は、残念ながら司波君の懸念が的中したようです。
途中でゲリラに遭遇し、足止めを受けています。
ただ敵の数も少ないらしく、もうすぐ駆逐できる、と中条さんから連絡がありました」
真由美の後を、鈴音がそう引き継いだ。
「状況は聞いてもらったとおりだ。
シェルターの方はどの程度余裕があるのか分からないが、船の方は生憎と乗れそうにない。
こうなればシェルターに向かうしかない、とあたしは思うんだが、皆はどう思う?」
真由美、摩利、鈴音。
五十里、花音、紗耶香。
達也、深雪、エリカ、レオ、幹比古、美月、ほのか、雫。
この場に残っているのは、この十四人。
克人は鈴音の護衛に残っていた桐原を連れて、逃げ遅れた者がいないかどうかの確認を再開していた。
三年生の三人は、口を閉ざしている。
下級生の意見を聞いてから発言するつもりなのだろう。
とは言っても、彼らの意思が摩利の意見に集約されているのは明らかだった。
「……あたしも、摩利さんの意見に賛成です」
花音たち二年生も、他に選択の余地はないと考えている様子だった。
一年生の目は、達也に向けられている。
回答を求める摩利の視線を受けて、彼の目は……全く違う方へ向いていた。
抜く手も見せず、銀色のCADを構え、
壁に向かって、達也はそのまま引き金を引いた。
◇◆◇◆◇◆◇
この場に第三者が大勢いる、ということを、達也は一瞬たりとも忘れてはいなかった。
しかし、秘密を守りながら事態に対処するには、時間が不足していた。
気づいたのは偶然に近い。
八雲に鍛えられた直感が彼にそれを教えたのかもしれない。八雲は達也に繰り返し、「精霊の眼」だけに頼り過ぎるな、と諭していた。その教えが今、活きたというところだろうか。
強烈な危機感に曝されて「視野」を壁の向こうへ拡張した達也は、突っ込んで来る大運動量の物体の情報を読み取った。
克人がいれば、状況も違っただろう。
兵士が飛び込んで来たのなら、真由美や摩利に任せても良かっただろう。
しかし装甲板で鎧った大型トラックの突入に対処できるのは、この場で達也の魔法だけだった。
高さ四メートル、幅三メートル、総重量三十トン。
道路規格の向上により一層の大型化が許され装甲板の重量を更に加えた大型トラックを丸ごと照準に収めて、達也は分解魔法「雲散霧消」を発動した。
一瞬で、塵となって消えるトラック。
消えてしまった運転席から放り出され、地面を転がって壁面に激突するドライバー。
慣性に従い会議場の壁面を叩いた金属と樹脂の粉だけが、大型輸送機械の存在していた名残だ。
壁の内側には、何のダメージも無い。
だが、今、何が起こったか、誰も気づかなかった、で済む程、世の中は甘くなかった。
「……今の、なに……?」
恐る恐る訊いて来た真由美に、達也は舌打ちしたい気分だった。
懸念したとおり、真由美は今の光景を見ていたらしい。
彼の視線を辿り、知覚系魔法「マルチ・スコープ」で壁の向こうを覗いたのだろう。
ただ、幸いなことに――といっても問題の先送りでしかなかったが――その質問に答える必要は無かった。
視界を拡張したままにしていた真由美が、別の意味で蒼褪めた。
やはり視野を拡大したままにしていた達也も、その原因を把握していた。
どうやらこの会場に残っている自分たちは、侵略側から危険兵力と認識されてしまったらしい、と達也は思った。
会場内の捕縛と、正面出入口前の戦闘と、今の撃退で、確保から殲滅へと戦闘目標が変わったと見える。
意識の一部で他人事の様な冷静な思考を展開している傍らで、意識の別の部分は降り注ぐ携行ミサイルの雨を迎撃する魔法を編み上げていた。
しかし今回は、達也が手を出す必要はなかった。
彼らがいる部屋に面した外壁に、幾重にも重なった魔法の防壁が形成された。
ミサイルはその壁に着弾する前に、横合いから撃ち込まれたソニック・ブームにより悉く空中で爆発した。
「お待たせ」
急に外から掛けられた声に、達也と真由美は、それぞれの視点を肉眼に戻した。
タイミングを見計らっていたように――まさかそんな性格の悪いことは無いと信じたいところだが――控え室に入って来た一人の女性。
「えっ? えっ? もしかして、響子さん?」
「お久し振りね、真由美さん」
唐突に姿を見せた藤林は、旧知の真由美に向かって笑顔で挨拶した。
◇◆◇◆◇◆◇
克人がミサイルの雨に遭遇したのは、その場所に強大な魔法の気配を感知したからだった。
魔法師は事象改変の反作用で魔法の行使を知覚する。
その魔法には、反作用がほとんどなかった。
しかし、それにも関らず、「世界」が大きな改変を受けたと克人には分かっていた。
五感によらず「意味」を読み取るのは、達也の専売特許ではない。
空間の性質を改変する魔法を使う克人は、空間の変動に鋭敏な認識力を持つ。
万有引力の分布=質量の分布は、空間の最も基本的な性質の一つ。
克人は質量分布の変動を知覚することによって、物体の移動や変化を把握することが出来る。
克人はその感覚で、大きな質量を持つ物体、船やビルほどではないにしても、人間に比べて巨大と言って差し支えの無い質量が、一瞬で拡散したのを捉えた。
これ程大規模でこれ程スムーズな事象改変は、克人にもチョッと覚えが無い。
脅威に感じるよりも寧ろ好奇心に駆られて、克人は質量が拡散した場所へと跳んだ。
その巨体からは想像し辛いかもしれないが、彼は高速移動の魔法も得意としている。桐原を置き去りにして空中を滑るように跳躍し、コーナーを運動ベクトルの改変でクリアしながら控え室に面した外壁へと到着した。
運が良かったのか、悪かったのか。
真由美や摩利にとっては、運が良かったと言えるだろう。
克人本人がどう思うかは、訊いて見なければ分からない。
その場所に到達した途端、克人は携行ミサイルの歓迎を受けた。
克人の反応は、条件反射の域に近かった。
気体も通さぬ対物障壁と二万度の高熱にも対応可能な耐熱障壁の多重防壁を瞬時に構築する。
何故か空中で爆発したミサイルの熱波は、克人が展開した障壁に阻まれ外壁に焦げ痕一つ残さなかった。
克人はミサイルを爆破した衝撃波の飛来元へ振り向いた。
オープントップの軍用車両に立ち、ミサイルランチャー、のような物、を構えた国防陸軍の大尉。
「スーパー・ソニック・ランチャー……101の方ですか?」
近寄ってきた軍用車両に、克人はそう呼び掛けた。(違和感があるかもしれないが、彼もまだ高校生なので、大人には敬語を使うのである)
ハイブリッドシステムを使っているらしく、ほとんど無音で接近した車から降りた大尉が、シールを貼り付けたような笑顔で克人に敬礼した。
「国防陸軍第101旅団独立魔装大隊大尉、真田繁留であります。
我らのことをご存知とは、流石は十文字家ご当主、畏れ入りました」
克人の眉がピクリと動いた。
それだけで済ませたのは、十八歳の少年としては破格の精神力と言えるだろう。
「失礼。お互い、無用な口は慎むべきでありましょうな」
「……こちらこそ失礼しました」
「重ねて畏れ入ります。
それでは十文字家次期当主殿、参りましょうか」
真田はそう言って、会議場の中へ向かう。
一体自分に何の用があるのか、克人には全く分からなかったが、自分たち十文字家の伏せた家内事情を知るこの軍人から、今は目を離せないと考えた。
二人は(縦に)並んで、最寄の出入り口から会議場内へ入って行った。
◇◆◇◆◇◆◇
藤林は一人ではなかった。
野戦用の軍服(スカートにパンプスではなく細身のスラックスにショートブーツ)を纏った彼女の後ろから、同じく国防陸軍の軍服に身を固め、少佐の階級章をつけた壮年の男性が入って来た。
その少佐は困惑して立ち竦む達也の前に、手を後ろに組んで立った。
「特尉、情報統制は一時的に解除されています」
その隣に立って、藤林が達也へそう言葉を掛ける。
達也の顔から困惑が消え、姿勢を正して、目の前の男に敬礼で応じた。
その姿を深雪以外の全員が、ちょうど部屋に入って来た克人も含め、驚きを隠せず見詰めている。
達也の敬礼に敬礼で答えた軍人は、克人の姿に目を止めて、そちらへ足を向けた。
「国防陸軍少佐、風間玄信です。訳あって所属についてはご勘弁願いたい」
「貴官があの風間少佐でいらっしゃいましたか。
師族会議十文字家代表代理、十文字克人です」
風間の自己紹介に対して、克人も魔法師の世界における公的な肩書きで名乗った。
風間は小さく一礼して、克人と達也が同時に視界に入るよう身体の向きを変えた。
「藤林、現在の状況をご説明して差し上げろ」
「はい。
現在、保土ヶ谷駐留部隊が侵略軍と交戦中。また、鶴見と藤沢より各一個大隊が当地に急行中。鶴見の大隊は残り約五分で到着見込みです。
魔法協会関東支部も独自に義勇軍を編成し、自衛行動に入っています」
「ご苦労。
さて、特尉。
現下の特殊な状況を鑑み、別任務で保土ヶ谷に出動中だった我が隊にも防衛に加わるよう、先程命令が下った。
国防軍特務規則に基づき、貴官にも出動を命じる」
真由美と摩利が揃って口を開きかけたが、風間は視線一つで彼女たちの口を封じた。
「国防軍は皆さんに対し、特尉の地位について守秘義務を要求する。
本件は国家機密保護法に基づく措置であるとご理解されたい」
厳しい単語、重々しい口調よりも、その視線の力で、真由美も摩利も花音も抵抗を断念した。
「特尉、君の考案したムーバル・スーツをトレーラーに準備してあります。
急ぎましょう」
真田に声に頷き、達也は困ったような照れたような微妙な顔つきで友人たちへ振り向いた。
「すまん。聞いてのとおりだ。
皆は先輩たちと一緒に避難してくれ」
「特尉、皆さんには私と私の部隊がお供します」
友人たちに頭を下げた達也に、藤林が口を添えた。
少人数とはいえこの状況で友人たちの為に精鋭を割いてくれるという彼女の、そして少佐の精一杯の厚意に、達也は素直に感謝した。
「少尉、よろしくお願いします」
「了解です。
特尉も頑張って下さいね」
藤林に一礼し、達也は風間の後に続いた。
「お兄様、お待ち下さい」
しかし、その背中を、思い詰めた顔をした深雪が呼び止めた。
目で問い掛ける達也に、風間は頷きを返して先行した。
深雪は達也の目の前に立つと、手を、その頬に差し伸べた。
引き止めることが目的ではない。
彼の立場も責務も、深雪は達也本人と同じくらい良く知っている。
深雪が最も恐れていること、それは達也の足手纏いになることだ。
今から深雪が為そうとしている事。
彼女にその権限はない。
だが深雪は、彼女の独断で、自分の全責任において、それを為そうと決心していた。
妹の瞳に、達也はその決意を見て取った。
自分を見上げる妹の眼差しに、戸惑いと、理解と、感謝の綯い交ぜとなった表情で頷き、達也は深雪の前に片膝をついた。
姫君に跪く、騎士のように。
深雪はその頬に手を添え、瞼を閉ざした兄の顔を、上へ、自分の方へと向ける。
そのまま腰を屈め、
兄の額に、
接吻る。
妹の唇が離れ、頬に添えられた手が離れ、
再び達也は頭を垂れる
変化は、唐突に、訪れた。
眼を灼くほどに激しい光の粒子が、達也の身体から沸き立った。
光子ではない、物理以外の光を纏う、魔法の源となる粒子。
眼を開き、立ち上がる達也。
異常に活性化したサイオンが、彼を取り巻き吹き荒れる。
それは宛ら、暴風を纏い雷光を従える、嵐の覇王。
激し過ぎる輝きはすぐに収まったが、膨大なサイオンは尚も彼の周りで静かに渦巻いている。
誰もがよろめくように達也から一歩、二歩と遠ざかる中、深雪は笑顔でスカートをつまみ、兄に向けて膝を折った。
「ご存分に」
「征ってくる」
万感を込めた妹の眼差しに見送られ、達也は戦場となった横浜の街へ出陣した。
本年最後の更新です。
来年は10日までオフラインとなりますので、ご感想のお返事もそれ以降になります。なにとぞご了解願います。
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