この物語はフィクションです。
この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
本日の主役である鈴音が会場に到着したのは、予定より一時間早い十一時過ぎだった。
四番目の発表校がプレゼンテーションを開始した直後。達也は控え室で鈴音、真由美、摩利の三人を出迎えた。
「早く来ちゃった」
貴女いったい何歳だよ? と訊いてみたくなる真由美の第一声に、何と応えたものか、達也は考え込んでしまった。
「どうしたの?」
「いえ……予定を繰り上げたのは、何か理由があったんですか?」
摩利も鈴音も平気な顔をしているのに、自分だけ疲れていては負けだろう、と我が身に活を入れた達也は、取り敢えずどうでもいい質問から態勢を立て直すことにした。(なお深雪は、完全に三猿を決め込んでいる)
遅刻されるのは大問題だが、早く来る分には全く支障がない。
機材置き場として提供されている控え室は十分な広さを持っていたし、達也たち兄妹以外にもこの期に及んで回路を弄り回している職人肌の上級生が何人もゴソゴソとやっている状況だ。女子生徒が三人増えたくらいで邪魔に感じたりはしない。
「予定より早く尋問が終わったものでね」
しかし、どうでもよかったはずの質問は、聞き流すことの出来ない答えで報われることになった。
「尋問ですか? わざわざ今日?」
誰の尋問かは聞かなくても分かっている。
彼は関本を捕まえた現場にいたのだし、一度、事情聴取にも立ち会っている。
しかし、一度だけだ。
達也が立ち会ったのが一度だけ、なのではなく、生徒会、風紀委員会の手で関本を尋問できたのが一度だけなのである。
生徒が生徒を牢屋に入れられるはずも無く、だからと言って魔法絡みである以上、学生の単なる非行と片付けることも許されず、関本の身柄は保護司預かりの観察処分となっていた。そうと決まれば、司法権を持たない高校生に事情聴取を強制することなど、本来は出来ない。
だが保護司と言っても、相手が魔法の素質を持つ未成年の場合は師族会議に人選が委任される。重大な問題を起こした未成年の魔法師は、事実上十師族の管理下に置かれることになる。
関本の保護司に選ばれたのは、七草家の息がかかった魔法師だった。
このコネを使って、関本から事件の背景を直接聞き出そうと摩利が画策していたのを、達也は知っていた。
「本当は昨日までに済ませたかったんだがね……」
「なかなか根回しが終わらなくて……師族会議の正式議題に出来れば簡単だったんだけど」
要するに、七草派と四葉派の間で色々駆け引きがあって、一週間も掛かってしまったということか……このあたりは魔法師も非魔法師も変わらないな、
と、それを聞いて達也は思った。本当は、色々な意味で、他人事の様に論評できる立場ではないのだが。
「しかし何故今日に? それならば明日でも良かったような気がしますが」
「君らしくない楽観論だな」
達也は当たり前の疑問を呈したつもりだったが、何故か真面目に窘められてしまった。
「関本や平河の妹の狙いは、論文コンペの資料だ。ならばコンペ当日の今日、背後組織が新たな行動を起こす可能性は決して小さくない」
「はぁ。可能性としては有りでしょうね」
その程度のことは達也も予想している。しかし今朝背後組織に関する情報を掴んだからといって、追加の対抗措置をとるには時間が足りない。緊急対応は予め緊急事態に備えて配備された部隊で賄うしかないのであって、声を掛ければすぐに兵隊が動員出来るなんて、絶対王政期の常備軍でも無理な話なのだ。
会場警備に関していえば、克人を筆頭にして出来る限りの緊急時即応体制が組まれている。関本が具体的な襲撃計画を知らされてでもいない限り、今日彼を尋問する優先度は決して高くない。
しかし、それを指摘するのは達也の仕事ではなかった。
「そうだ。確かに可能性だが、無視は出来ない。情報は多ければ多いほど良い」
今日の場合、活用できない情報よりも鈴音のコンディションの方が優先順位は高いのだが、それも既に事が終わってしまった今、わざわざ指摘することではなかった。
「なるほど。
それで何か分かりましたか?」
「ああ。
関本はマインドコントロールを受けていた形跡がある」
「……本格的ですね」
ただ、実質的な有用性は別にして、この情報には達也も驚きを禁じ得なかった。
「メンタルチェックには引っ掛からなかったんですか?」
春の紗耶香の一件以来、一高の生徒には定期的なメンタルチェックが義務付けられている。
将来、治安・国防の主軸を担う魔法師が、洗脳されて外国の手先になっていました、では洒落にならない。あの事件は学校上層部、更にその背後にいる政府機関にとって、「生徒のプライバシー」という言葉を棚上げする程度には性質の悪い悪夢だったのだ。
また新たなマインドコントロールの被害者が発見されたとなれば、その措置も過剰でなかったということになるが、逆に何の為のメンタルチェックだ、という気持ちにもなる。
「メンタルチェックは毎月月初。関本はその後、コントロールを受けた可能性が高い」
「凄腕ですね……薬物ですか?」
「そこまでは分からんよ。
あたしも真由美も、その方面の専門家じゃないからな」
「MCの可能性がある、ってことも保護司の方に教えてもらったことだからね」
「その方は何と?」
「意識のかなり深い階層で刷り込みを受けている可能性が高いそうよ。
もしかしたら本物の『邪眼』かもしれない、って」
「先天的な系統外魔法の遣い手ですか……」
新ソ連が開発した光波振動系魔法の「邪眼」と違い、先天的に精神干渉の系統外魔法を身につけている魔法師の中には、人格を丸ごと書き換える能力の持ち主もいると言われている。
そういう「本物の邪眼」の持ち主であれば、短期間で本人も周りも気づかない行動原理の改竄を行うことが可能かもしれない。
「まあ、いくら強力な精神干渉魔法であっても、被術者に掛けられる下地が無ければそう上手く行くものじゃないらしいんだけどね」
このあたりは催眠術と同じだ。
人間の意思は、脆弱なようで意外に強固なもの。指向性の定かでない感情や衝動に干渉するならともかく、確固たる行動原理に干渉するとなれば魔法――精神による精神への働き掛けだけでは難しい。
「関本は元々、国家が魔法を秘密裏に管理するという体制に不満を唱えていた。世界中で魔法式と起動式に関する知識が共有されてこそ、魔法にも真の進歩があるという、所謂オープンソース主義者だな」
「学問的には間違っていないけど、国と国との対立が厳然と存在する現実を見れば正しいとも言えないわね」
「間違っている、と言うべきでしょう」
「……厳しいわね、達也くん」
「……とにかく、関本はそういう理想主義的なところを突かれたようだな。
魔法後進国に優れた研究成果を伝道するのが魔法先進国の義務だ、と強く思い込んでいる」
「後進国というのは、具体的に何処です?」
「それは訊き出せなかった。
本人にも分かっていないようだ」
「……つまり、意識にロックが掛かっていると」
なるほど、それでマインドコントロールと分かったのか、と達也は推察した。
「そういう訳で、事態は予想以上に深刻だ」
「想像以上に性質の悪い相手だった、と言うべきかも。
リンちゃんには引き続き私たちがついているから、会場に目を光らせておいて、って、はんぞーくんには伝えてあるわ。
達也くんも本当に、気をつけてね」
「気をつけます」
藤林のアドバイスで気を抜くつもりなど欠片も無くなっていた達也だったが、折角の好意、素直に頷いておいた。
達也たちが穏やかならぬ会話を交わしている間、鈴音は平静な態度をまるで崩さず原稿を読み直していた。
◇◆◇◆◇◆◇
真由美から仕事内容の変更指示を受けた服部は、その事と、合わせて聞かされた尋問結果について報告する為に、桐原を伴って克人の元を訪れていた。(なお紗耶香はエリカと一緒に食事へ行かせてある)
「了解した。服部と桐原は二人一組で会場外周の監視に回ってくれ」
「分かりました!」
ちょうど食事中だった克人は二人にも同席するように指示し、簡単に摘める様に作らせたサンドイッチを齧りながら服部の報告に最後まで耳を傾けた後、一瞬の迷いも見せず新たな任務を授けた。
いつもならばそれで終わりだ。
克人が下級生に意見を求めることは滅多に無い。
「服部、桐原。現在の状況について、違和感を覚えた点は無いか」
だが今日はその、滅多にない例外が克人の口から発せられた。
「違和感、ですか?」
桐原が服部に顔を向け、服部が少し迷って口を開いた。
「……横浜という都市の性格を考慮しても、外国人の数が少し多過ぎる気がします」
横浜育ちで土地勘があるという訳でもないが、何事にも真面目な服部は、今日の警備に備えて先週、先々週と会場近辺を下見に来ている。
その時に比べて今日は、明らかに外国人の姿が増えていると服部は感じていた。
「服部もそう思うか」
「はい。十文字先輩もそう御考えですか?」
「うむ。
桐原はどうだ」
「申し訳ありません。外国人の件については、気がついておりませんでした。
ただ……」
「遠慮は要らん」
「はっ。
ただ、会場内よりも街中の空気が、妙に殺気立っているように思われます」
「ふむ……確かに」
頷いたきり、考え込んでいた時間は十秒に満たなかったが、服部と桐原の二人には克人が十分以上も黙り込んでいたように感じられた。
それほど重い沈黙だった。
「服部、桐原。
午後の見回りから、防弾チョッキを着用しろ」
二人は大きく目を見開いて、克人の顔を凝視した。
余り礼儀に適った態度とは言えないが、克人は気に留めた様子も無く、近距離無線のハンドセットを手に取った。
彼の口から、二人に対するものと同じ指示が、共同自警団の全員に伝えられた。
◇◆◇◆◇◆◇
午後のプレゼンテーションは十二時半から予定通り始まった。
一高の出番は二時半。午後の部が始まれば二時間しかない。
午前中は交替で見張りに残っていた達也と五十里も、細かな手順の最終打ち合わせに入っていた。
お互い、付き添いは一人ずつ。
達也には深雪、五十里には花音。
午前中ゴソゴソやっていた「職人さん」達の姿も今は無い。
真由美と摩利も、鈴音の邪魔をしないようドアの側へ移動していた。
そこへ、控え目なノックの音。
真由美がそっと扉を開けると、そこには彼女より更に背が低い、彼女の後任の少女が立っていた。
「あら、あーちゃん。
席を外して良いの?」
真由美が小声でこう訊ねたのは、あずさが審査員に任命されているからだ。
全国高校生魔法学論文コンペティションには、会場審査員という制度はない。
発表毎に客席が大きく入れ替わるのだから、そもそも観客に審査をさせるというのは無理なのである。
その代わり、という訳でもないだろうが、実質魔法科高校九校の対抗戦という性格を持つ論文コンペでは、各校から一人ずつ生徒審査員を出して自分の学校以外の発表に点数を付けることになっている。
この審査員には、各校とも慣例的に生徒会長を出す。
一高もこの慣例に従い、あずさが朝から審査員を務めているのである。
「午後の一組目が早めに終わったんで、皆さんの様子を見に来たんです」
「応援に来てくれたんですか。ありがとうございます、中条さん」
「あっ、いえ、……すみません、鈴音さん。お邪魔ではありませんでしたか」
小声で話していたにも関わらず、部屋の奥から鈴音に声を掛けられて、あずさは小柄な身体を一層小さくした。(無論、雰囲気的な意味で)
「今のところ何処が有望なの?」
五十里も顔を向けて会話に加わる。あずさが入って来た直後に打ち合わせは中断していたので、五十里が達也を蔑ろにした、という訳ではない。――もしそんなことになれば、控え室内にブリザードが吹き荒れたかもしれないところだ。
「やっぱり、四高ですね。今年も随分凝った仕掛けを作って来ました」
あずさの評価に、五十里が軽く首を傾げた。
「少し奇を衒いすぎていた気もするけど?」
四高の発表順位は午前の二番目。
五十里が注目していた学校というのは、実は四高のことだった。
「でもやっぱり、あれだけ複雑な魔法の組合せを破綻無く一つのシステムに纏め上げるというのは凄いですよ。
……っと、すみません、そろそろ次の発表が始まるので。
皆さん、頑張ってください」
最後の最後で何をしに来たのか忘れなかったあたりは、あずさも生徒会長が身に付いてきた、のかもしれなかった。
◇◆◇◆◇◆◇
客席にはいつものメンバーが一塊に座っていた。
ランチタイムから合流したほのかと雫も、得物を持ち込んでヤる気満々のエリカとレオも、客席で大人しく達也たちの出番を待っている。
「幹比古……どうよ?」
だが全員が大人しく、ただ待っていた訳ではなかった。
「今のところ、異常なし」
小声で囁き掛けられた幹比古は、探査用に放った精霊の感覚に同調して得られた情報をレオに答えた。
「美月?」
「まだ変なものは見えないよ」
エリカの短い問い掛けに、美月は首を横に振った。
美月は外していたメガネを一旦掛け直した。
彼らは客席にいながら、来るかどうかも定かでない「敵」の襲来に備えていた。
◇◆◇◆◇◆◇
藤林に釘を刺されて公安の仕事が続行不可能となった遥は、そのまま帰っても良いけどこのまま帰るのは尻尾を巻いて逃げるみたいで癪、という心境で、ロビーの片隅に座り何となく人の流れを観察していた。
「小野先生」
そこへ、背中から掛けられた声。
「廿楽先生?」
振り返った先には、一高代表チームの引率教師(であるはず)の廿楽が、手持ち無沙汰という風情で立っていた。
「こんなところでどうしたんですか?」
「いえ、特にどうということは……ただ一休みしているだけですが、廿楽先生こそこんな所にいらしてよろしいんですか?」
遥の問い掛けに、廿楽は複雑な笑みを浮かべた。
「小生の出る幕はありませんよ。今回の代表チームは優秀です」
この人、自分のことを「小生」って言うんだ……と、そんなことを考えながら、「優秀」のくだりで遥は無意識に頷いていた。
「それに……何だか嫌な予感がするのですよ」
何だか、と言いながらあやふやなところが無い口調に、遥は緊張を覚えた。
廿楽はこの若さにして魔法大学助教授の地位に手を掛けた魔法研究者であり魔法師だ。
彼の専攻は魔法幾何学、その中でも多面体理論と呼ばれる分野の研究で知られている。
マクロ現象を三角錐や四角柱などの単純な多面体の集合として捉え、仮想多面体の運動で現象の変動を把握し、仮想多面体の運動を操作する魔法式を組むことで事象を改変するという現代魔法の理論的アプローチの一つ。
事象の部分的改変が困難という現代魔法の欠点を克服することを出発点とした多面体理論は、寧ろ未来予測の技術として重視されるようになっている。
世界を単純な立体の集合として捉える認識システムは、無限の相互作用が織り成す世界を、相互に作用する単純な多面体に抽象化して術者に示す。抽象化されモデル化された世界認識は、限られた情報から未来の事象をシミュレートすることを容易にする。
多面体理論の若き権威である廿楽の「予感」は、ある程度の確度を持つ「予報」であるかもしれないのだ……
「……最悪の事態にはならないような予感もあるのですけどね」
取り繕うように付け足された一言が、気休めで無ければ良いと、遥は切に願った。
◇◆◇◆◇◆◇
そして、時刻は午後二時半。
第一高校代表チームのプレゼンテーションは、予定通りに始まった。
鈴音の、抑制が効いた濁りの無いアルトが、国際会議場の音響設備から淀みなく流れ出す。
五十里は彼女の隣でデモンストレーション機器を操作し、達也は舞台袖でCADのモニターと起動式の切替を行う。
「……核融合発電の実用化に何が必要となるか。この点については、前世紀より明らかにされています」
鈴音が巨大なガラス球の隣に立った。
達也が放出系魔法の起動式を指定した。
鈴音がCADのアクセスパネルに手を置いた瞬間、ガラス球に封入された重水素ガスがプラズマ化し、ガラスの内側に塗られた塗料に反応して煌びやかな閃光を放つ。
その派手な演出に、客席が小さく沸いた。
「一つは、燃料となる重水素をプラズマ化し、反応に必要な時間、その状態を保つこと。
この問題は放出系魔法によって既に解決されています」
ただこの光景は過去に何度も実演されたものであり、目新しさの点ではアピール力の乏しいものだった。
「核融合発電を阻む主たる問題は、プラズマ化された原子核の電気的斥力に逆らって融合反応が起こる時間、原子核同士を接触させることにあります」
閃光を放っていた球体が沈黙し、巨大なスクリーンが舞台中央に降りて来る。
「非魔法技術により核融合を実用化しようとした先人たちは、強い圧力を加えることによって電気的斥力に打ち勝とうと試みてきました」
スクリーンに今世紀前半まで繰り返された実験の映像とそのシミュレーション動画が分割表示された。
「しかし、超高温による気体圧力の増大も、表面物質の気化を利用した爆縮の圧力も、安定的な核融合反応を実現するには至りませんでした。
そこには様々な理由があります。
例えば格納容器の耐久性の問題、例えば燃料の補充の問題。
核融合の維持自体には成功しても、生み出されたエネルギーが大き過ぎて実用化が出来ないという例もありました。
しかし全ての問題は、取り出そうとするエネルギーに対して融合可能距離における電気的斥力が大き過ぎるという点に収束します」
スクリーンが上がる。
その後ろには、巨大な円筒形の電磁石が二つ、それぞれ四本のロープで向かい合わせに吊るされた、一見原始的な実験機器が置かれていた。
五十里が一方の円筒を引き上げ、手を放す。
勢い良くスイングした電磁石が衝突する前に、対面の電磁石は反対側へ振り上がった。
「改めて説明するまでもないことですが、電気的斥力は相互の距離が接近すると、幾何級数的に増大します。強い同極のクーロン力を持つ物体は、接近することでその斥力を増大させ、衝突することはありません」
鈴音は無音でスイングを繰り返す実験機器の側に立ち、耳を保護するヘッドセットを被って、支柱に設えられたアクセスパネルに手を置いた。
その途端、メガサイズのシンバルが連続で打ち鳴らされているかのような轟音が、会場に木霊した。
鈴音が手を下すと、二つの電磁石は再び無音の弾き合いに戻った。
「しかし、電気的斥力は魔法によって低減することが可能です。
今回私たちは、限定された空間内における見かけ上のクーロン力を十万分の一に低下させる魔法式の開発に成功しました」
鈴音は特に声を張り上げた訳ではない。
だが彼女の言葉に、会場は大きくどよめいた。
そのどよめきを突くようにして、メインのデモ機が舞台下から舞台中央へせり上がって来た。
それは言うなれば、透明の素材で作られた巨大なピストンエンジン。
透明な巨大円筒に、鏡面加工されたピストンが下から差し込まれ、そのピストンはクランクとはずみ車につながっている。
円筒の上部には二つのバルブ。
そこから伸びた透明の管が、水を湛えた水槽の中を突っ切っている。
「……円筒内に充填した重水素ガスを放出系魔法によってプラズマ化し、重力制御魔法とクーロン力制御魔法を同時に発動します。
クーロン力制御魔法によって斥力の低下した重水素のプラズマは重力制御魔法によって円筒中央に集められ、核融合反応が発生します。
この装置で核融合反応に必要な時間は0.1秒。
皆さんご存知の通り、核融合反応が自律的に継続することはありません。
外部から反応を生じさせる作用を加えなければ、すぐに反応は停止してしまいます。
当校の重力制御核融合機関は、この性質を積極的に利用します。
核融合反応停止後、重水素ガスを振動系魔法で容器が耐えられる温度まで冷却します。この時に回収した熱量は、重力制御とクーロン力制御のエネルギーに充当されます。
重力制御魔法によって発生した重力場に引き寄せられたピストンは慣性で上昇を続け、適温に冷却された重水素ガスを熱交換用の水槽へ送り込みます……」
鈴音の解説が続く中、五十里が実験機のアクセスパネルに手を置いた。
プラズマ化、クーロン力制御、重力制御、冷却、エネルギー回収、プラズマ化、クーロン力制御、重力制御……という、何十回とループする魔法を、五十里は安定的に発動する。
「……現時点では、この実験機を動かし続ける為に高ランクの魔法師が必要ですが、エネルギー回収効率の向上と設置型魔法による代替で、いずれは点火に魔法師を必要とするだけの、常駐型重力制御魔法式核融合炉が実現できると確信します」
鈴音がこう締め括ると同時に、会場は割れんばかりの拍手に包まれた。
◇◆◇◆◇◆◇
論文コンペの発表時間は三十分、交代時間は十分。
その十分間で前の組はデモ装置を片付け、次の組は舞台のセッティングを終わらせなければならない。
発表より寧ろこの入れ替えの際に、各校の代表とサポーターは非常に忙しい思いをすることになる。
達也が発表に使ったコンソールを片付けている最中、次のチームのコントローラー(つまり達也と同じ役目をするアシスタント)がコンソールのセッティングにやって来た。
「やってくれたね。
見事だった、と言わせて貰うよ」
最初達也は、それが自分に話し掛けている台詞だと分からなかった。
無駄話をする時間など無いはずだからだ。
だが声の方向からどうやら自分が話し掛けられた、と判断して顔を上げると、吉祥寺真紅郎が不敵な笑みを浮かべて立っていた。
「ありがとう、と言うべきかな?」
「いや、別にお礼を期待した訳じゃないよ」
パタン、とケースに蓋をして卓上シンセサイザーとほぼ同じ大きさのコンソールを抱え上げると、吉祥寺がわざわざ同じ場所にコンソールのケースを置いた。
舞台の両脇にコネクターが設けられているので普通は左右を交互に使うのだが、達也と同じサイドで無ければならない理由が何かあるのだろうか。
「重力制御術式は飛行魔法にも使われている一般的な術式の応用、クーロン力制御術式は先代のシリウス、故ウィリアム=シリウスが開発した分子結合力中和術式のアレンジ版。
それよりあのループ・キャストの洗練度に驚かされたよ」
「ご慧眼、畏れ入るな。流石はカーディナル・ジョージだ」
達也と会話しながらも、吉祥寺の手はスムーズにセッティングを進めている。
舞台の上に残っている一高生は既に達也だけだ。
彼も舞台から撤収しようと、縦長のケースをぶら下げて舞台裏へ歩き出した。
「でも、僕たちも負けないよ。
いや、今度こそ君に勝つ」
その背中に投げつけられた声。
稚気と評するべきだろうが、悪い気はしない。
何か気の利いた台詞でも返してやろうか、と達也が足を止め振り返ったその時。
轟音と振動が、会場を揺るがした。
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