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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第三章・横浜騒乱編
3-(12) 集い来た者たち
 全国高校生魔法学論文コンペティション開催日当日。
 途中特段のトラブルもなく、達也と深雪は予定通り会場に着いた。
 道路が空いていたのか、舞台装置を乗せたトレーラーは既に機材を下ろした後だ。
 五十里も先に到着している。
 紗耶香を連れた桐原の姿も見える。
 時間通りであるにも関わらず、どうやら彼ら兄妹が最後のようだ。
「……お兄様、そろそろ何とかした方がよろしいのではないでしょうか」
 現実逃避気味に第三者視点になっていた達也の意識が、当事者の立場に引き戻される。
「俺が何とかしなきゃならないのかな……?」
 苦い顔で問い返した達也に、深雪は「残念ですが」と頷いた。
 肩を落として視線を戻したその先では、エリカと花音が険悪な表情で睨み合っていた。

「どうしたんですか?」
 エリカと花音、両方と親交を持つ者は、この場で達也だけではない。
 親密度を度外視すれば深雪も一応双方と親しくしているし、五十里は親密度の面でも達也以上だろう。
 だが花音は深雪の仲裁に耳を貸さないだろうし、五十里は本人の意思に関わらず中立ではいられない。
 達也はため息を堪えて睨み合う二人の間に割って入った。
「あっ、達也くん、おはよー」
 達也が声を掛けるとすぐに、エリカが軽い挨拶を返した。
 対峙している相手をそっちのけで。
 その様を前に、花音の眼差しが一層険悪なものと化す。
 これだけで達也は、どういう状況かを大体把握した。
 把握したからといって、どちらにも肩入れ出来ないのが辛いところだが。
「――司波君。この聞き分けの無いお嬢さんに、貴方から何か言ってやってくれない?」
(おやおや……貴方からも、じゃなくて、貴方から、ね……)
 花音が自分で意識しているかどうかは定かでないが、彼女の台詞はこの場の処理を達也に丸投げする気が満々だった。
「はぁ……」
 だが達也は「まあ良いか」という気分だった。
 花音の意図がどのようなものであるにせよ、この場で双方の言い分を聴くよりは彼が一人で仕切った方が、多少強引でも手っ取り早いに違いないからだ。
「俺に一任していただけるなら、任されましょう」
 何を、が付いていないその申し出は、白紙委任状の要求だった。
 それをすぐに理解した花音は、嫌そうに顔を顰めた。
 しかし隣を見て、五十里が異を唱えていないことを確かめて、彼女は不承不承、という感じで頷いた。

◇◆◇◆◇◆◇

 達也はエリカとレオを引き連れて、ロビーの隅に置かれたソファーに腰を下ろした。(彼の隣には当然のように深雪が座った)
「……まあ、事情は大体想像できるよ」
 決まり悪そうにしている二人を前にして、達也はそう切り出した。
「エリカも真っ正直に正面からぶつかることはないだろうに」
「……ごめんなさい。結局、達也くんの手を煩わせちゃって……」
 エリカの珍しく殊勝な態度に、達也は「あれっ?」と思ったが、彼女のマイペースな振る舞いは他人の心の機微が読めないからではなく、確信犯(正確には「故意犯」)でやっていることなので、手伝おうと思って足を運んだ相手に余計な手間を掛けさせれば、気まずくもなるのである。
 このあたり、達也の洞察力も未々(まだまだ)と言える。人間の心は魔法ほど単純に測りきれないようだ。
 彼の口調が意図したものより優しくなったのは、この意外感の故だろう。
「――別に警備、って張り切らなくても、客席から応援してくれれば良いよ。
 何か事件が起こったら、その時は事態収拾に協力しても文句は言われないだろうし」
 達也が「協力」に不自然なアクセントを置いてそう言うと、エリカはしおらしい佇まいから打って変わって、意味ありげな、如何にも「悪巧みしてます」と言わんばかりの笑みを浮かべた。
「そっか、協力、ね」
「始まるまで暇だったら楽屋に遊びに来れば良い。友達なんだから遠慮は要らない。
 そうだろ?」
 今度は「遊びに」と「友達」が強調された達也の提案に、エリカとレオは顔を見合せ、声を立てず楽しげに笑った。

◇◆◇◆◇◆◇

 開幕時間の間近になると、どの学校の控え室も賑やかになっていた。
 順番がラストに近い学校は何時間も待つことになるが、論文コンペに参加するような生徒は、演壇に立つ代表だけでなく裏方仕事で会場までついて来るようなサポーターも含めて、他校の発表にも強い関心を持っているのが普通だ。
 ロビーでは他校生と談笑している生徒の姿が結構見受けられる。
 そして所属を超えて言葉を交わしているのは、何も生徒だけではなかった。

 遥が論文コンペの会場に足を運んだのは、第一高校の職員としての仕事ではなく、公安の情報員としての仕事絡みだった。
 四月の事件で、公安は達也に興味を向けている。
 正確には、公安の中で遥の所属部署が、達也の正体に興味を持っていた。
 しかし彼の身辺を探ろうとすると、上の方から圧力が掛かってきた、らしい。
 遥が直接圧力を受けた訳ではなく、任務を言い渡された際に上司の愚痴を聞かされて知ったことだ。
 それがかえって課長の興味を深め、かといって正規の情報員を動かすことも出来ず、遥に調査任務が回ってきたという次第だった。
 無論、遥は抵抗した。
 四月の時点で、自分の手に負える相手ではないと精一杯訴えたのだが、当然、聞き入れては貰えなかった。
 彼女が達也に苦手意識を持ちながらも関わることを止められないのは、そういう背景もあったりするのだ。
 彼女に課せられた任務は達也の正体の調査、だが、デジタルデータは既に専門家が当たって「手掛かり無し」という結果が得られている。
 元々彼女にその方面のスキルは無い。
 かといって、カウンセリング中に探りを入れるという、彼女がそもそも当てにされていた方面も進展は無い。調査対象がカウンセリングを受けに来ないのだから進展しないのも当然だ。
 よって現時点で彼女に採れるのは、交友関係、特に学外の交友関係に目を光らせておくという消極的な手法だけだった。
 彼女の調査対象は現在、一高に割り当てられた準備室で機材番をしている。
 控え室の中まで入っていく口実が無い訳ではないが、(さき)に述べたとおり遥は達也を苦手としている。
 私情と義務感の板挟みに悩み、その結果、遥は缶コーヒー片手にロビーから控え室の出入り口を見張るという消極的な対応を採用していた。(なお余談だが、現在プルタブ式の缶は姿を消し、全てリユース前提のボトル缶になっている)
 ただ幸いなことに、無駄働きにはならなかった。
 彼女が監視を始めたほとんど直後、控え室に女性の来客があった。
 年格好は明らかに高校生ではない。大学生でもないだろう。
 多分、彼女と同年代。
 顔と記憶を照合。学校関係者に該当は無い。
 しかし、彼女の顔には見覚えがあった。
「……やっぱり」
 公安御用達の盗み撮り用カメラで撮った映像を端末に読ませ、画像検索を掛けて自分の記憶が正しかったことを遥は確認した。
「エレクトロン・ソーサリス……」
 遥の学生時代、彼女はヒーロー、いや、ヒロインの一人だった。
 九校戦、二高優勝の立役者――電子の魔女。
 高校受験で早々に魔法師の夢を絶たれた遥にとって、嫉妬と憧れを持って仰ぎ見ていた少女。
 魔法大学に進学後、防衛省に入省したと噂に聞いたが、その彼女が何故母校の二高ではなく一高の控え室を訪ねるのか。
 不自然過ぎる、ということはない。
 日曜日だから平服でいるのもおかしくないし、もしかしたら青田刈りに来ているのかもしれない。
 今現在控え室にいるのは司波兄妹だけだと知らないのかもしれないし、深雪の方が目当てなのかもしれない。
 だが遥の直感は、彼女が達也の素性を手繰り寄せる手掛かりになる、と告げていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 部屋の外でそんな風にピリピリしている見張りがいるとも知らず――いや、もしかしたら知った上でのことかもしれないが――兄妹は訪ねて来た藤林と和やかに談笑していた。
「深雪さん、お久し振りね。直接お会いするのは半年以上振りかしら」
「ええ。二月にお目に掛かって以来です。ご無沙汰しておりました」
「九校戦は観に行っていたのよ。
 達也くんと一緒に部屋へ来てくれれば良かったのに」
 そう言いながら藤林は「何で連れてこなかったの?」と達也を軽く睨んだ。
 もっとも、その程度で畏れ入る達也ではないが。
「深雪と一緒だと目立ってしまったでしょうから」
 人目に触れるのは拙かったでしょう、と目で追加する。
 深雪は少し気恥ずかしげに、藤林は仕方ないわね、という顔で笑った。
 ――どうやらハッキリ言葉にしなければ疑問には答えて貰えないらしい。
「ところで藤林さん」
 少尉、とは呼ばない。ここは普通の公共(的)施設なのだ。
 盗聴・盗撮機の有無はチェック済みだが完全に安心は出来ない。
「一高の控え室に来て大丈夫なんですか?」
 事情を知らない者には意味不明な台詞だし、事情を中途半端に知っている者には誤った解釈へ誘導する言い方だ。
 藤林の学生時代しか知らない者なら、「二高のOGがライバル校の控え室で仲良くお喋りしていて良いのか」という意味に捉えるだろう。
「大丈夫よ」
 無論、当人たちには誤解の余地など無かった。
「こういう時に肩書きが一杯あると便利ね。
 防衛省技術本部兵器開発部所属の技術士官である私が、九校戦で高度な技術を披露した君の許を訪れても不自然じゃないからね」
「藤林家の人間としても然り、ですか?」
「そうゆうこと。
 だから達也くんも、『藤林少尉』でも『藤林さん』でも『藤林のお姉さま』でも()れでもいいのよ?」
「いえ、お姉さま、という呼び方は無かったと思いますが」
 意外とお茶目な藤林のジョークに、達也は半ば本気で笑った。――と言っても苦笑いの類いだ。
「さて、前置きはこのくらいにして……
 良いニュースと悪いニュース、両方持って来たんだけど、どっちを先に聞きたい?」
 また何処かで聞いたような展開だな、と達也は思ったが、定番というのは繰り返されるからこそ定番なのだろう、と思い直した。
「では良いニュースから」
「……そこは『悪いニュースから』というのがパターンじゃないの?」
「そうでしたっけ?」
 藤林のツッコミに真顔でボケる達也。
 実際にはそんなパターンなど存在しないので、ボケにボケで返したボケボケの遣り取りでしかないのだが。
「……まあいいわ。
 じゃあ、良いニュースからね。
 例のムーバルスーツ、完成したわよ。
 午後にはこちらに持って来るって真田大尉から伝言」
「そうですか……流石ですね。
 しかし別に今日こちらへ持って来なくても……」
「一刻も早く自慢したいんじゃない?
 基幹部品はそっちに完全依存の形になっちゃったから、せめて完成品は、って頑張っていたもの。
 昨日なんて『これでメンツが保てる』なんて情けないこと言ってたし」
「情けなくなんてないですよ。実際問題、こちらでは実戦に堪える物を作れなかったんですから」
「その言葉、大尉に言ってあげてね。安心すると思うから」
 ウインクして見せた藤林に、達也はまたしても苦笑を返した。
「じゃあ今度は……悪い方のニュース。
 例の件、どうもこのままじゃ終わらないみたい」
「何か問題が?」
 引き締まった、というより、それを通り越して厳しい顔つきになった達也を、深雪が横から不安げに見上げている。
 藤林も今回は、笑って済ませることも出来ないようだ。
「詳しいことはこれを見て」
 そう言って達也にデータカードを渡す。
 無線電送すら憚られる内容らしい。
「私の方でもいくつか保険を掛けておいたけど……もしかしたらきな臭いことになるかもしれない」
「分かりました。
 俺達の方も準備だけはしておきます」
 頷き会う兄と妹。
 それを見て眉目を曇らせた藤林だったが、制止する言葉は出なかった。
「何も起きないのが一番だけど……もしもの時は、お願いします」
 どんなに心苦しく思っても、彼らは貴重で強力な戦力であり、彼女の立場で「手を出すな」とは言えないのだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 時刻は八時四十五分。
 そろそろ客席が埋まり掛けている頃だ。
 藤林の持って来たデータに達也が目を通しているところへ、五十里が花音を連れて入って来た。
「司波君、交代しようか」
 見張り番はプレゼンテーション毎に交代で行う。
 順番は打ち合わせ済みだ
 五十里は二番目のプレゼンに興味があるらしく、最初の発表の時間は自分が機材を見ていると提案した。
 控え室にもモニターがあるので順番に拘る必要は無いと達也は考えていたから、五十里の提案したタイムテーブルで番をすることになったのだった。
「お願いします」
 その一言で引き継ぎを済ませて、達也は深雪を伴い客席へ向かった。

 ――のだが。
 二人はロビーで足止めを受けた。
「司波さん!」
 名前を呼ばれたのは深雪の方。
 名前を呼ぶ声は若い男、と言うより少年のもの。
 兄妹にとって、二ヶ月ぶりに見る(会う、ではなく)顔だった。
「一条さん」
 深雪に声を掛けてきたのは一条将輝だった。
 左腕には「警備」と書かれた腕章。どうやら克人をヘッドとする共同会場自警団の一員として会場を見回っている途中で深雪を見つけた、という経緯のようだった。
「お久し振りです、司波さん。後夜祭のダンスパーティ以来ですね」
「……ええ、こちらこそご無沙汰致しております」
 不自然になるかならないか位の短い間があったのは、将輝にとって深雪はダンスパーティで踊った相手、深雪にとって将輝は兄と新人戦で戦ったライバル、という認識の齟齬によるものだった。
 それを隠す、あるいは誤魔化す為に、殊更丁寧に一礼する深雪。
「あっ、いえ、こちらこそ……」
 その完璧な作法に、達也と違いその手の上流階級(セレブ)な付き合いにも慣れているはずの将輝が棒立ちになった。隣にいた少年(おそらく将輝とチームを組んでいる自警団のメンバー)まで魂を抜かれたように硬直したのはご愛敬だが、深雪の企みは見事に成功したようだ。
「会場の見回りですか?」
 見れば分かることを今更のようにニッコリ笑って訊ねる深雪。
「ハ、ハイ、そうです」
 たったそれだけのことでどもってしまうのは少し情けなくないか? と達也は感じたが、相手が深雪では仕方ないかもしれないな、と思い直した。
 誰よりも身近にいて、しかも精神に改造を受けている自分ですら、時々見とれてしまうことがあるのだ。赤の他人でしかも手を伸ばせば高嶺の花に届くかもしれない立ち位置にいるこの男が、深雪を過剰に意識してしまうのは寧ろ当然かもしれない。
 そんな兄の思いを他所に、妹は益々調子を上げ絶好調に近づいていた。
「一条さんが目を光らせて下さっているのであれば、わたしたちも一層安心できます。よろしくお願いしますね」
 確かに、警備のメンバーに「クリムゾン・プリンス」がいるのは心強い。達也でもそう思うのだから、これはもう、客観的な評価だ。
 ――しかし、少し煽り過ぎではないだろうか?
「ハイッ! 必ずやご期待に添えるよう全力を尽くします!」
 今日一日、将輝が最後まで保つかどうか、他人事ながら達也は懸念を覚えた。
「十三束君も頑張って下さい」
「あ……ありがとうございます」
 放置状態からいきなり声を掛けられて、将輝のパートナーの少年も、しどろもどろになりながら、同級生相手には(いささ)か堅すぎる返事を返した。

◇◆◇◆◇◆◇

 警備と張り切らなくても良い、と言われてその場は頷いたエリカだが、観客に徹するつもりはさらさら無い。
 達也たちが控え室に向かうのと入れ違いでやって来た幹比古と合流し、少し遅れて到着するという連絡があった美月を待って、四人で席を探している最中も、エリカは「見やすい席」より「不審な人物」の方へ神経を多く割いていた。
 その甲斐あって、と言うべきか。
 エリカは客席の後ろ隅に座る、見覚えのある人影に気がついた。
 見覚えがある、と言うより、忘れたくても忘れられない、と言った方が正確か。
 何せ、以前は毎日見ていた顔だし、時間が合わなくなった今でも二日おき位には顔を合わせている。
 相手の方でもエリカに気付いたようだ。
 いや、もしかしたら相手の方が少し早かったかもしれない。
 相手の力量を考えれば不思議なことではないのだが、エリカにとっては少々癪に障ることだった。
「あれっ? エリカ、あそこにいるのは……」
 どうやら幹比古も気付いたようだ。
 彼も面識のある相手だから、これまた不思議なことではない。
「エリカちゃん、お知り合い?」
「単なるナンパ野郎よ。どうせ女と待ち合わせでもしているんでしょ」
 だから余計に、声を掛けようとか相席しようとか、そんな話になる前に、エリカは他人のフリをすることを選んだ。
 寿和とエリカの仲が余り良くない(と言うより、エリカが一方的に嫌っている)ことを知っている幹比古は、藪をつついて蛇を出してはたまらないとばかり、もの問いたげなレオの視線から目を逸らした。

◇◆◇◆◇◆◇

「深雪、十三束鋼のことを知っていたんだ?」
「ええ、隣のクラスですから、顔と名前くらいは。
 お兄様こそ、彼のことをご存知だったんですか?」
 空いている席に腰を下ろして兄妹が話題にしたのは、久し振りに再会した将輝のことではなく、お互い余り言葉を交わしたこともない十三束鋼のことだった。
 ――片思いというのは、得てしてこんなものだろう。
「十三束は沢木先輩のクラブの後輩だからね。
 それでなくても十三束家の『レンジ・ゼロ』は有名だ」
 百家最強の一角を占める十三束家。
 その中に生まれた異端の魔法師のことは、達也程の事情通でなくても知る者は多かった。
「何の話?」
 そこに割り込んできたのは、先に客席へ向かったはずのエリカだった。
「エリカ、一人か? レオはどうしたんだ?」
 先程まで一緒にいたのだから、達也の質問は当然のものといえる。
 しかしエリカは、不機嫌も露に顔を顰めた。
「……達也くん。この際だからハッキリさせておきたいんだけど」
 エリカも第三者が大勢いる中で喚き散らすような非常識な真似はしなかったが、低く潜めた声でも十分な迫力があった。
「アイツとあたしをワンセットにするのは止めてもらえない?
 あたしはアイツに技と得物を与えただけで、それ以上の関係なんて全く何も無いんだから」
「そんな意図は無かったんだが……」
 達也は間違っても「正直者」ではないが、今に限っていえば、完全に本音だった。
 敢えて意味ありげな言い方もしていない。
 それなのにここまで過敏な反応を返すのは、裏を返せばそれだけ意識しているということにならないだろうか、と達也は思ったが、それを口に出すほど意地が悪くもなかった。
「ところで他の連中は?」
 九校戦の壮行会以来、1ーEのクラスメイトには妙なノリが染み付いたようで、今回も「(みんな)で応援に行くぞ~!」みたいな勢いで会場に集まるようなことを言っていた気がする。
「クラスのみんなだったら、まだじゃない?
 午後の順番だってことは分かってるんだし。
 あっ、でも美月とミキは来てるよ。
 もっと前の方に座ってる。
 二人で仲良く」
 達也の隣に腰を落ち着け、ニンマリと笑うエリカ。
 噂されるのは嫌いでも、噂するのは好きだ、という訳だ。
 こういうところはエリカも普通の女の子だな、と達也は思った。

◇◆◇◆◇◆◇

 プレゼン開始の時間になって、潮が引くようにロビーから人影が消えた。
 魔法技術そのものには余り関心の無い遥は、どうせ退屈するくらいなら喫茶室で居眠りでもしていようか、と考えていた。
 そしてそれを実行に移そうとしたその時、
「小野先生」
 最寄りのゲートからロビーへ入って来た知り合いに声を掛けられた。
安宿(あすか)先生」
 カウンセラーとして一高生徒の精神面のケアを担当する遥は、保険医として生徒の肉体面をケアする安宿と、「プライベートでも友人」とまでは行かなくても結構親しく話をする間柄だった。
「小野先生も論文発表を聞きに来られたんですか? 余り関心がないようなことを仰っていた気がしますけど」
 口調次第では嫌みにも辛辣にも聞こえる台詞だが、安宿のおっとりした語り口で言われると、自分でも「そんなこと言ったかなぁ?」という気持ちになってくるから不思議だ。
 自分より余程カウンセラーに向いている、と遥は安宿のお得なパーソナリティを少しばかり羨ましく思った。
「いえ、少し気になることがあって……それより安宿先生こそ、どうされたんです?
 その子の付き添いですか?」
 遥の言うように、安宿は一人ではなかった。
 制服こそ着ていないが、如何にも高校生といった雰囲気の少女を横に連れている。
 何となく見た覚えがある顔だったが、少なくとも遥の担当する生徒ではない。
「ええ。平河さんに今日の発表会を見てみたい、と言われまして。
 彼女、実は病み上がりで体調が万全じゃないもので、こうして付き添ってるんですよ」
 それだけ聞けば異例のVIP待遇だが、平河という苗字で遥はピンと来た。
 今回立て続けに起こった情報窃取未遂事件に遥はタッチしていないが、公安の所属部署に報告書を上げなければならない関係でアウトラインは把握していた。
 同じ高校生の活躍を見せて刺激を与え、目標を持たせることで更正を図るという対処法は、心理学の側から見ても合理的だ。
「そうですか。ご苦労様です」
 遥は素直に、安宿へ労いの言葉を掛けた。

◇◆◇◆◇◆◇

 少し寄り道はあったが、遥は予定通り喫茶室でだらけていた。
 コーヒー一杯で二十分というのは、店にとって余り良い客とは言えまい。
 このまま時間を潰して済めば今日は楽な仕事だった、と言えたところだが、流石にそこまで世の中は甘くなかった。
 寧ろ、世間の風(?)は彼女に厳しかった。
「少しよろしいかしら?」
 突然掛けられた声に、遥の心臓は一瞬停止した。
 それを補うように、彼女の心臓はフル回転を始めていた。
 ――言うまでもなくどちらも錯覚だが、それ程彼女は驚き、鼓動も呼吸も乱れていた。
 遥に声を掛けたのは、藤林だった。
「え……え、どうぞ」
「ありがとう」
 品の良い仕草で腰を下ろし、すぐにやって来たウエイトレスへ穏やかな声で紅茶を注文する。
 藤林の落ち着いた佇まいとは対照的に、遥は焦りの色を隠せずにいた。
 それも、無理はない。
 自分が監視していたはずの相手から、不意をついて声を掛けられたのだから。
 相手の意図が全く予測できない所為で、遥は自分から口火を切ることも出来ず、ウエイトレスが運んできた紅茶に藤林が唇をつけてホウッ、と息を吐き出すまで、ただ向かいの席を見詰めることしかできなかった。
「……そんなに見詰められると流石に気恥ずかしいんですけど」
 そう指摘されるまで、自分が相手のことを凝視していたのだと気付かない程、遥は動転していた。
「す、すみません」
 羞恥心が動揺を益々増幅した、が、次の藤林の一言で、遥の心はスッと冷却された。
「いえ、『ミズ・ファントム』に関心を持って貰えるのは光栄なことだと思いますので」
「……私如き者のことを『エレクトロン・ソーサリス』がご存知とは思いませんでした。こちらこそ光栄に思いますわ」
 いつもより余所余所しい口調になってしまったが、その程度の変調は致し方のないところだろう。
 藤林が口にした異称――「ミズ・ファントム」は藤林の二つ名である「エレクトロン・ソーサリス」のように広く知られたものではない。非合法の諜報活動に手を染めている者の間だけで囁かれる、正体不明の女スパイに対するコードネームだ。
 自分がミズ・ファントムだと特定されたという一事のみで、遥にとっては決死の覚悟を決めるに足る。
 それだけの重さがある秘密をサラリと口にした、それが逆に、彼女の「用件」の深刻さを思い至らせる。
「それで、どのようなお話なのでしょうか」
 動揺の代わりに覚悟が浮き出た遥の表情を見て、藤林が満足げに微笑んだ。
「これ以上申し上げなくてもお分かり頂けたのではございません?」
「……すみません、私は貴女のように優秀ではなかったものですから」
 実は、藤林の言うように、遥には相手の要求が正確に予測出来ていた。
 ただそれを自分から口にするのは、「分かった」と頷くに――白旗を揚げるに等しかった。
「ご謙遜ですね。
 大学も研修所も優秀な成績でご卒業されていますのに。
 九重先生も高く評価していらっしゃいましたよ」
 遥は心の中で舌打ちした。
 藤林家は古式魔法の名家。ならば同じ古式魔法の権威である九重八雲と親交があっても不思議はない。
 一方、遥が藤林に目をつけたのは、今日、ついさっきのことだ。
 用意したカードで、完全に上手を行かれている。
「……何も無理なお願いをするつもりはないんです」
 これは、藤林の譲歩ではない。
 自分の方が優位に立っていることを誇示する心理作戦だ。
「ただ、お互いの領分を守りましょう、と提案しているだけなんですよ」
 具体的なことは何一つ言わず、しかし誤解の余地のない要求を突きつけてくる。
 遥は自分が完全に追い詰められている、と認めざるを得なかった。
「……仰っている意味が良く分かりませんが」
「ハッキリ申し上げてもよろしいのですか?」
 奥歯を噛み締めた遥を、藤林は涼しい顔で見ている。
 この女狐! と睨み付けてみても、今の遥では負け犬の遠吠えにしかならない。
「大丈夫ですよ。
 貴女にお咎めが来ることはありませんから」
 その意味するところは、既に上へ手が回っていると言うこと。
 軽やかに立ち上がった藤林の手には、遥の分の伝票まで握られていた。
 テーブルでも会計が可能なのに、わざわざレジで支払うというのがまた嫌味だ。
 遥と藤林の第一回戦は、遥の完敗で終わった。
(……でも、収穫がなかった訳じゃないんだからね!)
 少なくとも、司波達也と藤林響子の間には秘密にしなければならない関係があるということ。
 それだけはハッキリした。
 遥は自分が意固地になっていると自覚しながらも、心の中で雪辱を誓った。


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