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 この物語はフィクションです。
 この物語の舞台はこの世界とよく似た別の世界であり、実在もしくは歴史上の人物、団体、国家、領域その他固有名称で特定される全てのものとは、名称が同一であっても何の関係もありません。
第三章・横浜騒乱編
3-(11) 集い来る者たち
 藤林から電話があったのは「全国高校生魔法学論文コンペティション」本番を二日後に控えた金曜日の夜のことだった。
『……というわけで、スパイの実働部隊はこの三日間でほぼ全てを拘束しました』
 事務的な口調で良く整理された説明を終えた藤林が、ディスプレイの向こう側で表情を和らげた。
『達也君からの情報は凄く役に立ったわ。ありがとう』
「いえ、俺の方からお願いしたことですし」
『形の上ではそうだけど、被害に遭っていたのは魔法科高校とFLTだけじゃなくて、超理電子とか九十九魔学のような他の専業メーカーや、トウホウ技産のような非専業まで今回の産学スパイ組織には悩まされていたところだったから。
 諜報も防諜も私たちの管轄じゃないけど、うちの部隊の性質上、魔法技術を標的にしたスパイに知らん顔も出来ないし、貴方から連絡が無くても近々出動する予定だったのよ。
 それが少し早まっただけだから、私としては本当に助かったわ』
「そうですか。
 それにしても本当に手当たり次第だったんですね」
『恥ずかしい話だけど、軍の経理データが漏れていたのね。
 それで軍から魔法研究の委託費支払いがあった先が、片っ端から狙われたという経緯みたい』
 なるほど、と達也は頷いた。
 道理で聖遺物(レリック)を狙って来たにしては淡泊だった訳だ。
 何を委託されているのかも何を研究しているのかも分からないまま、本当に手当たり次第だったらしい。
 随分コストパフォーマンスの悪い手口に見えるが、情報というものは玉石混淆。本当に役に立つ情報というのは、知財DBを検索しても千に一つヒットすれば良い方だ。
 スパイも、同じようなものなのかもしれない。
『拘束したメンバーは東洋系多国籍だったけど、もしかしたらあの街の尻尾を掴むことが出来るかもしれないわ』
「嬉しそうですね」
『隠しても仕方ないわね。
 私は小心者だから、敵が自分の庭先に潜んでいる、かもしれない、というのが、我慢できないのよ。
 その時はまた力を貸して貰うかもしれないから、よろしくね』
「任務とあれば、否やはありませんよ。
 わざわざご連絡ありがとうございました」
『どういたしまして。
 日曜日、頑張ってね。応援してるから』
 フレンドリーな激励で、藤林少尉の電話は切れた。

「藤林さんのお話は何だったのですか?」
 電話を終えてリビングへ戻ってきた達也に、すっかり冷めてしまったお茶を淹れ直して、深雪がそう訊ねて来た。(達也は藤林からの電話を自室で受けていた)
 四葉家の人間に対する程では無いにしても、深雪は独立魔装大隊のメンバーを余り好ましく思っていない。独立魔装大隊の幹部たちはギブアンドテイクの関係であることを差し引いても達也の有力な味方であり、達也にとって得難い便宜を得られる先だと分かってはいるのだが、「兄を利用している」という印象を深雪はどうしても拭い去れないのだ。
 ただその中で例外的に、深雪は藤林に対して好意的だ。
 実際に顔を合わせた回数はまだ二桁まで行っていないはずだが、波長が合う、というヤツかもしれない。
「俺たちの周りで起こっていたスパイ事件の背後組織を片付けた、という連絡だよ」
 達也は藤林に聞いた話を深雪に()(つま)んで聞かせた。
「報道機関が狙われていたのはどうしてですか?
 小野先生のお話では、出版社が何件も被害に遭っていた、ということだったと記憶しておりますが」
 軍の経理データを元に狙われていた、という部分に深雪は疑問を感じたようだ。
「そっちはそっちで、ターゲットを探していたんだと思う。
 複数の命令系統が同時に作動して、本当は相互に関連性の薄い事件が立て続けに起こった為に、それぞれが一連の密接な関連性を持つ出来事のように錯覚してしまった、というのが真相じゃないかな」
「なるほど……」
「人間は物事を自分の知る範囲内で合理的に解釈しようとしてしまう、らしい。
 本来因果関係を持たない事象でも、それが連続して起こると、そこに因果関係をこじつけてしまう……迷信やジンクスの類を俺たちは『古くさい』とバカにするけど、自分たちが日々『迷信』や『ジンクス』を作っているかもしれないんだ、ということは、意識して注意しなければならないだろうね。
 因果をねじ曲げる魔法師だからこそ、因果関係を正確に把握するよう常に心掛けておかなければならない」
 途中から「我ながら説教臭いことを言ってるな」と心の中で苦笑いしていた達也だったが、深雪が真剣な眼差しで何度も頷くものだから、最後まで引くに引けなくなったのだった。

◇◆◇◆◇◆◇

 土曜日の授業は、どのクラスも自習状態だった。
 元々実習以外は自習のようなものであり、二科生は実習も半分自習みたいなものなので、いつもと変わらないといえば、それ程変わらない。
 とは言っても、普段の授業中はこれほど騒がしくない。
 実習で時々爆発音が轟いたりするから「いつもなら静まり返っている校内」と言うと誇大広告になってしまうが、いつもは騒ぎが起こるにしても、もう少し秩序立っている。
 無秩序なざわめきは、いよいよ明日に迫った論文コンペ本番へ向けての最終チェックの音だった。
 しかしその中で、当事者であるはずの達也は、教室の端末で黙々と課題を進めていた。

 達也が明日の準備とは関係のない課題に取り組んでいるのは、準備をサボっている訳でも代表を馘首(クビ)になった訳でもない(高校生の本分を考えるなら、課題をそっちのけで準備作業をする方が「サボっている」と言うべきなのだが)。
 彼の分担で今日出来る作業と言えば、本番と同じ段取りのリハーサルをして術式の作動状況を確認し不具合があれば直す、というものだけなのだが(それ以外のチェック作業はやり尽くしていた)、肝心の鈴音が学校に出て来ていないのでリハーサルが出来ないのである。
 昨日の時点で「午後から登校する」との連絡を受けているので焦ったり戸惑ったりすることは無かったが、論文コンペの準備に関しては手持ち無沙汰となってしまったのだった。
 一時限目が終わり、軽く伸びをしていると、前から声を掛けられた。
 彼の前の席で椅子の背もたれに両肘を突いて後ろ向きに座ったレオではなく、その隣に立って彼の名前を呼んだエリカに達也は目を向けた。
「達也くん、明日は何時頃会場入りするの?」
 エリカは努めてさり気なさを装っているが、隣で聞き耳を立てているレオのお陰で台無しだ。
 この二人、共謀して一体何をやらかすつもりだろう……? と達也は訝しく思ったが、別に隠す必要のあることではない。
「八時に現地集合、九時に開幕だ。
 持ち時間は一チーム三十分、インターバルは十分、午前四チームで昼食休憩が十一時半から十二時半まで。
 午後五チームでプレゼンの終了時間が午後三時四十分。
 その後、審査と表彰があって終了予定時間は午後六時の予定だな」
「……えっと、それで当校の出番は何時からなの?」
 回答を予想した以上の情報を一度に与えられてエリカは目を白黒させていたが、何とか自分の頭の中を整理し終えたようだ。
 煙に巻くのに失敗し、達也は素直に答えるよう方針転換した。
「一高は最後から二番目、午後二時半からだよ」
「それって随分時間が余るんじゃない?」
「まあね。
 だからメイン発表者の市原先輩は午後から会場入りすることになっている。
 俺と五十里先輩は、機器の見張り番とトラブルがあった際の応急処置に備えて早く行くんだ」
「ふ~ん……とにかく現地集合なんだ。
 デモ機はどうするの?」
「生徒会が運送業者を手配しているよ。服部先輩が同乗してくれることになっている」
「服部先輩って、市原先輩の護衛役じゃなかったっけ?」
「当日は七草先輩と渡辺先輩が市原先輩を迎えに行くって言ってたな。
 ところで、どうしてそんなことを?」
 何気なく切り返した達也の質問に、エリカはたじろぎ、口ごもった。
 ハッキリしないエリカを横目でチラリと見て、それまで黙って聞いていたレオが口を開いた。
「あのよ、その見張り番、オレたちにも手伝わせてくれねえ?」
 不満げに顔を顰めながら、エリカが何も言わなかったところを見ると、申し出た内容自体は二人の間で打ち合わせ済みだったようだ。
「それは構わないが……何故そんな面倒なことをわざわざ自分からやりたがるんだ?」
 当然の疑問とも言える達也の問い掛けに、レオは決まり悪げな笑みを浮かべた。
「いや、まあ、なんだ……折角特訓したのに出る幕の無いまま終わっちまうのは、何となく悔しいから……だな」
 レオの顔を見て、エリカの顔を見たが、レオは自嘲気味の笑顔で達也を見返し、エリカは達也と視線を合わせようとしなかった。
「学校まで休んでコイツをしごいたのに、何時の間にか事件は解決してました、なんてバカみたいじゃない?」
 目を合わせないまま、不機嫌な声でエリカが補足する。
 達也の錯覚で無ければ、その機嫌の悪さは彼女の照れ隠しだった。
「どんな動機にせよ、人手は多い方が助かるよ。
 それに、もう何も起こらない、と決まった訳でもないしな」
「えっ? 事件は解決したんじゃなかったのかい?」
 いきなり、聞き耳を立てていたとしか思えないタイミングで幹比古が乱入してきた。
 盗み聞きについては特に指摘せず――それを指摘すると大慌てして大騒ぎになりそうな友人がもう一名隣の席にいるからだ――達也は訊かれたことに答えた。
「事件が起こるのは一度に一つ、なんて決まりは無いぞ?」
 真面目に答えたのは、これが大事なことだったからだ。
「論文コンペが狙われるのは毎年のことだそうだ。
 当日の帰り道に狙われた例もあるらしい。
 だったら本番前に起こった事件が解決したからと言って、本番に別の事件が起こらないとは限らないだろう?」
「そうか……そうだね。
 だったら僕にも見張り番の手伝いをさせてくれないかな」
 言われた事を深く咀嚼するように頷き、気合の入った顔で申し出た幹比古に、達也は笑顔で頷いた。
「ああ、頼りにしてるよ」
 一つの事件が解決したからといって、油断してはならない、というのは正しい心掛けだ。
 しかし結果的に言えば、この時の達也は間違っていた。

◇◆◇◆◇◆◇

 論文コンペ本番前日の学校を休み、リハーサルを午後に繰り下げて、鈴音は病院を訪れていた。
 同行者は同級生の女子生徒が一人、下級生の男子生徒が一人。
 男子生徒は服部、そして女子生徒は平河小春だった。
 三人が前にする個室の扉には、ネームプレートが出ていない。
 国立魔法大学付属病院十三階個室は、訳有りの学生・生徒を隔離または拘束するのに使われている病室だ。
 この1313号室に収容された「患者」も、その例に漏れない。
「平河さん?」
 ドアの前で固まっていた小春を、鈴音がそっと促した。
 小春はギュッと握り締めた拳で、小さく二回、ノックした。
「どうぞ」
 おっとりとしたアルトの声が室内からノックに答えた。
 服部が一礼してドアから離れ、鈴音に目で後押しされた小春がノブを回す。
「失礼します」
 声を出せなかった小春に代わり、鈴音がベッドサイドの女性に声を掛けた。
「あら?
 市原さん、本番は明日でしょう?
 大丈夫なの?」
 国立魔法大学付属第一高校保健医の安宿(あすか)怜美は、思い掛けない鈴音の来訪に目を丸くした。
「準備は既に終わっています。
 凝り過ぎるのも良くないので、今日はリハーサルを一回流すだけにする予定です」
「そう……?
 とにかく座ってくれる?」
 安宿は座っていた椅子を移動して、ベッドサイドの席を二人に勧めた。
 ベッドの上には、上体を起こし俯いた姿勢でジッと座っている少女が一人。
「はい」
 鈴音は小春の肩を押して安宿の隣に座らせ、自分はさらにその隣に座った。
「……千秋」
 やっとのことで、という風情で、小春が声を絞り出し、妹の名を呼んだ。
 千秋は姉の呼び掛けに応えず、ベッドの上で俯いたままだった。
「千秋……どうしちゃったの?
 お姉ちゃんの声が聞こえないの?」
 段々と悲壮感を帯びて行く姉の声にも、妹は身動ぎ一つ、しようとしない。
「先生、平河千秋さんは精神に疾患を生じているのですか?」
 それを(はた)で聴きながら、無情とも思える鈴音の問い掛け。
「いいえ。心的外傷性意思疎通障碍やそれに類する症状は見られないわ。
 もっとも、『精神』を直接診察できない以上、健康だと断言することも出来ないけど」
「こちらの声が聞こえていれば十分です」
 安宿の答えを聞いて、鈴音は立ち上がった。
 ベッドを回り込んで、窓際に、ベッドに背中を向けて立つ。
 そしてそのまま千秋へ目を向けずに語り掛けた。
「平河千秋さん、貴女のやり方では、司波君の気を引くことは出来ません」
 姉の声に無反応を貫いていた千秋の肩が、鈴音の言葉を聞いてピクリと震えた。
「好意は無論のこと、敵意も悪意も引き出すことは出来ません。
 今の貴女は、彼にとって、その他大勢の一人でしかありません」
「それがどうしたって言うんですか!」
 鈴音は千秋から言葉と感情を引き出すことに成功した。
 ――それが百パーセント、ネガティブな感情だったとしても、それは第一歩だった。
「あたしがアイツにとってその他大勢に過ぎないことなんて、自分でも分かってます。
 先輩に一々指摘してもらわなくても結構です!」
 紗耶香に対しても花音に対しても、拒絶しか見せなかった千秋は、鈴音に対しても同じスタンスを取り続けた。
 ただ鈴音の反応は、その二人とは違った。
「貴女の司波君に対する評価は、ある意味で的を射ていると思いますよ」
 鈴音は千秋の絶叫がまるで聞こえていないかの如く、背中を向けたまま淡々と語り続ける。
「確かに彼は、尊大な人間です。
 その他大勢がいくら泣こうが喚こうが、おそらく彼は気に掛けません。同情どころか、嘲笑う手間すら掛けないでしょう。
 嫌がらせを受けても、五月蝿げに払い除けるだけです。
 虻蚊に(たか)られるのと同じなのでしょうね」
 千秋は悔しげに唇を噛み締めた。
 鈴音が四月の新入部員勧誘週間を念頭に置いていることは、何となく理解できた。
 あの時は嫌がらせを受けても打つ手が無いのだと思われていたが、今ならそれが勘違いだと分かる。
 あの男は魔法で闇討ちを仕掛けてきた相手を、捕まえようと思えば捕まえることが出来た。
 それをしなかったのは、単に興味が無かっただけだ。
 実際に魔法を撃ち込まれても虻蚊程度にしか感じないのなら、手を出すことも出来なかった自分は虫けら以下ではないか……
 こみ上げてくる悔し涙を(こら)えるためには、掌に爪が食い込む程に、拳を握り締めなければならなかった。
 千秋のそんな姿に目もくれず――あるいは気づかぬ振りをして――相変わらず背中を向けたままで鈴音は言葉を続けた。
「千秋さん、知っていますか?
 一学期定期考査の筆記試験で、司波君は二位以下をまるで寄せ付けない高得点をマークしました。
 とりわけ魔法工学は、驚くべきことに満点でしたね」
「……それがどうしたんですか」
「そして魔法工学の筆記試験における一年生二位が、貴女です」
 鈴音が身体ごと振り返った。
 千秋を見下ろす感情に乏しいクールな表情の中で、瞳だけが優しく微笑んでいた。
「百点満点中九十二点。
 普通ならトップでもおかしくない高得点です」
「……だから何です」
「残念ながら、他の分野で司波君を脅かすことは無理でしょう。
 ですが魔法工学の分野に限って言えば、千秋さんは司波君を追い抜くことも可能だと思いますよ」
 千秋が勢いよく顔を上げた。
 大きく見開かれた目は、「信じられない」と語りながらも「もしかしたら」という希望を宿していた。
「約三週間、一緒に作業してみて分かりましたが、司波君はソフトウェアに比べてハードウェアを余り得意としていないようです。
 無論、ハードに関するスキルも一般的な高校生の水準を大きく上回ってはいるのですが、かけ離れた、という程ではない様に思われます。
 一年生の内は魔法工学もソフトが中心ですが、二年生に上がればハードの比重が増えてきます。
 千秋さんはハードウェアの方が得意なのだそうですね?」
 鈴音が言わんとするところはつまり、二年生になって授業の中でハードの占める比重が増えれば、逆転のチャンスがあるということ――千秋はそう理解した。
 都合の良すぎる考え、という声が意識を過ぎったが、彼女はそれを無視した。
 千秋の顔から自暴自棄の色が消え、一途な想いが瞳に点り始めたのを見て、鈴音はフッと表情を緩めた。
「悔しいという気持ちを持ち続ける事が出来るのであれば、きっと何時か、成し遂げることが出来ると思いますよ」
 何を、とは、鈴音は言わなかった。
 千秋も問わなかった。
 具体的な何かである必要は無かった。
 漠然とした「何か」でよかった。
「明日、会場に来て下さい。
 きっと、得るものがあるはずです」
 病室を去る鈴音の背中も、千秋の目には入らなかった。
 何かを成し遂げることが出来るかもしれない――それは「可能性」という名の麻薬。
 時に衰弱死へ向かう精神を蘇らせることも可能な薬物の注入で、千秋の心に劇的な化学変化が始まっていた。

◇◆◇◆◇◆◇

「あの……市原先輩? ご気分が優れないのでしたら……」
 病室から出て来た鈴音の、余りの顔色の悪さに、服部の声には狼狽が混じっていた。
「いえ、心配には及びません。ちょっとした自己嫌悪ですから」
 鈴音は決して多弁な方ではない。
 弁論は得意だが、基本的に必要の無いことは口にしない。
 真由美といる時が彼女としては饒舌な方なのであり、普段は寧ろ寡黙といえる。
 そのことを知っている服部は、「自己嫌悪」というフレーズが気になりはしたものの、それ以上に問いを重ねることなく黙って彼女の後ろに続いた。
 鈴音にしてみれば、こういう空気が読める性格だからこそ、服部に同行を許したのだ。
 そして予想したとおり、こうして話し掛けられたくない精神状態に至ってしまった。
(全く……詐欺師の才能がありますね、私は)
 クールなポーカーフェイスの裏側で、鈴音は自嘲の台詞を量産していた。
 彼女の目的は、千秋を立ち直らせること、ではなかった。
 妹の変調に悩んでいる小春に力を貸すというのも建前だった。
 千秋の才能を惜しんだ、というのが彼女の本音だった。
 それも、本人の為にではなく、母校の為にだ。
 市原家は番号落ち(エクストラ)の家系。
 今ではエクストラ・ナンバーズに対する忌避も蔑視も(表向き)見られないが、それも精々この二十年のこと。
 彼女の親の世代は、まだまだ偏見が根強い中で青少年期を過ごしている。鈴音の父親は魔法師のコミュニティで厳しい孤立を味わっているし、市原家が元々「一花(いちはな)」のエクストラだということは今も彼女に隠し続けている。
 しかし鈴音は、子供心にその影を感じ取って育った。その所為か彼女は、魔法師の社会に対する帰属意識を余り持てずにいた。
 彼女が初めて帰属意識を持ったのが、今の学校、魔法大学付属第一高校に対してだ。
 だから彼女はそのきっかけをくれた真由美に対し恩義に近いものを感じているし、誰にも負けないくらい強い愛校心を持っている。
 夏の九校戦で鈴音たち一高幹部は、下級生に魔工技師系の人材が乏しいという危機感を抱いていた。
 一年男子の成績不振の原因は精神的なものばかりでなく、ここにも一因がある、というのが鈴音たちの一致した見解だった。
 あずさ、五十里、達也という傑出した人材(タレント)は存在する。
 しかし、層が薄い。
 この三人を除くと、技能のレベルがガクッと下がってしまう。
 下級生、特に一年生の魔工技師系人材の発掘は、卒業までの半年間で彼女たちに課せられた急務と認識された。
 教師が個人指導を行っている一科生ならともかく、教師の目が届かない二科生の中から優秀な人材を見出すことは、生徒会や部活連にしか出来ないことだ。
 その中で今回、鈴音の目に留まったのが、平河千秋だった。
 非合法ツールを持ってウロウロしていた一年生が、調べてみれば魔法工学に限って高得点をマークしており、ハードウェアの修理・改造スキルを高レベルで保持していることも分かった。
 彼女にはその才能を母校の為に役立てて貰わなくてはならない。
 その為には司波達也に対するライバル心を植え付け掻き立てることが最も効率的だ、というのが鈴音の出した結論だった。
(まあ、誰が不幸になるわけでもありませんし)
 ……この台詞で自分の葛藤にけりを付けた鈴音は、やはり「クール」という単語に相応しい少女なのだろう。

◇◆◇◆◇◆◇

 今年は会場が横浜だから一高代表チームは当日の朝現地集合ということになっているが、会場が京都だった去年は前日から一泊している。
 それと同じ理由で首都圏から離れた学校の代表チームは、本番前日または前々日に横浜入りして一泊することになる。
 それは「カーディナル・ジョージ」こと吉祥寺真紅郎を擁することで今年の優勝候補筆頭に挙げられている第三高校も同様だった。
 第三高校代表チームの出番はラスト。現代の交通システムの速度と居住性を以ってすれば、金沢から横浜まで、当日の朝出発でも十分に間に合うのだが、途中でトラブルが絶対に起こらないという保証は無い。故に代表チーム全員が学校を前日午後一番で出発し、横浜で一泊する予定になっている。
「ジョージ、そろそろ時間だぞ」
「もう? 分かった、すぐ行くよ」
 論文コンペの為に集めた資料をプレゼンテーションとは無関係に読み耽っていた吉祥寺は、呼びに来た将輝にそう応えて、手に持つ電子書架(ブック・プレーヤー)のスイッチを切った。
(持ち出し、許可してくれないかな……)
 横浜まで三時間。
 ボーっとして過ごすには、少し長い時間だ。
 吉祥寺は読みかけの文献を納めた電子書架を未練がましく眺めた。
 しかしここに収められたデータは、利用を国立魔法大学関連施設内に限定された禁帯出文献。
 持ち出しを申請したところで却下されるのは確実だ。
 一つため息をつき、吉祥寺は未練を断ち切った(と言うほど大袈裟なものではないが)。
 プレーヤーをラックに戻し、足元に置いた旅行鞄を手に立ち上がる。
 横浜の会場には、舞台装置を一緒に積んだ大型バスで移動する予定だ。
 正確には貨物用ターミナルまでバスで行き、長距離高速列車にバスごと乗り込んで(バスを丸ごと収容するコンテナが今では普通に使われている)、最高時速六百キロで横浜へ向かうのだが、いずれにせよ乗り換え無しで目的地まで一直線だ(直通という意味で)。
 普通、とは言い難いものの、彼もミドルティーンの高校生。他の乗客に気兼ねする必要の無い道中は、友人と無駄話でもしていれば退屈する暇など無いだろう、と思い直すことにした。
 横浜ではおそらく、あの男と再会する。
 いや、再びあいまみえる、と表現した方が気分的には正解か。
 密かにライバル視している一高の一年生を肴にしながら、ついでにその男の妹を出汁に親友をからかって時間を潰すのも楽しいだろうな、と吉祥寺は人の悪い笑みを浮かべた。

◇◆◇◆◇◆◇

 横浜港を望む高層ビル複合施設「横浜ベイヒルズタワー」。
 その最上階に近いバーラウンジで、一組のカップルが夜景を肴にルビー色の液体が湛えられたグラスを傾けていた。
「今年の新酒はなかなか良い出来ですね」
「私はお酒の味が余り分からなくて。せっかく良いワインをご馳走していただいているのに申し訳ないですわ」
 いつもの地味メイクではなく、ばっちりドレスアップしている藤林が艶やかに微笑むと、千葉警部は焦ったように空いている手を振った。
「いえ、このワインはここのプライベートワイナリーが解禁日なんて関係なく出来上がる都度、店に出しているものですから……そんなに高価なものでは……」
「あら、出来立てをいただけるなんて素敵じゃありません?」
 グラスに鼻を近づけ、目を伏せてクルリとワインを回し、上目遣いの眼差しを向ける藤林に、千葉警部は引きつり気味の愛想笑いを浮かべた。
「……ええと、気に入って頂けたのなら幸いです。
 藤林さんのお陰で、今回のヤマも何とか目処が立ちましたし、今日は本官からのせめてものお礼のつもりですから」
「お互い様ですよ、警部さん。私も彼らを放置しておく訳には行かなかったのですから」
「それは藤林家としてですか? それとも……
 ……いえ、失礼しました」
 少しもアルコールに酔っていない、醒めた視線を向けられて、千葉警部は藤林との約束を思い出した。
 彼女が情報を提供し捜査に協力する交換条件の第一項。
 それは「彼女の素性と目的を詮索しないこと」だ。
 素性を詮索しないという条件は、彼女に関して言えばおかしなものだ。
 彼女が古式魔法の名門・藤林家の娘であり、十師族の長老・九島烈の孫娘であることは最初から分かっていることだからだ。
 しかしその上で尚、「素性を詮索しない」という条件が付けられたということが逆に、おいそれとは明かせない背景を彼女は有しているのだ、と物語っている。
「ところで、警部さん。
 今日誘っていただいたのは、『お礼』だけなんですか?」
「えっ!?」
 危うくグラスの中身を溢しそうになった千葉家総領の姿に、不意打ちを仕掛けた藤林家令嬢はクスリと笑みを溢した。
「もし警部さんがよろしければ、今晩だけではなく明日も付き合っていただきたいのですけど」
「え、あ、は、ハイ! 本官でよろしければ、喜んで!」
 千葉寿和は異性に全く縁がない人生を歩んで来た、わけではない。
 千葉の道場には女性の門下生もいるし、学生時代は妹から「和兄上は不真面目でだらしない」と散々(なじ)られる程度には遊び回っていた。
 女性に慣れていない、あるいは女性が苦手、と言うよりは、藤林が特別なのかもしれない。
「ありがとうございます。
 それでは、朝の八時半に桜木町の駅でよろしいでしょうか」
「……朝?」
 婉然と微笑む藤林の前で、千葉警部の顔が呆けた。
「明日は国際会議場で全国高校生魔法学論文コンペティションが開催されるんですが、ご存知ありませんか?」
「いえ、存じておりますが……」
「それに知り合いの男の子が出場するので、応援に行きたいんですよ」
「はぁ……」
 流石に口には出さないが、千葉警部の顔には「話が違う」と書かれていた。
 それを読み取るくらい藤林には造作もないことだったが、彼女の笑顔は小揺るぎもしない。
「そうそう、できれば部下の方々にもお声を掛けておいて下さいね。
 CADだけでなく、武装デバイスや実弾銃もご用意いただけると助かります」
「藤林さん、それは……」
 いじけた表情が一転、冷水を浴びせられたように引き締まる。
「もちろん、何も起こらなければ良いのですけど」
 千葉警部の問いにそう答えて、藤林は静かにワイングラスを傾けた。


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